「さア、皆んな見てくれ、こいつは
笑い
取巻の
伽羅大尽の貫兵衛は、
「
大尽の貫兵衛が手を挙げると、
「ヘエ――」
爺やの卯八――その夜のお
「さて皆の衆、聴いてくれ」
貫兵衛は徳利を爺やから受取って、物々しく見得を切ります。
「やんややんや、お大尽のお言葉だ。皆んな静かにせい」
清五郎は真っ赤な顔を挙げて、七平の踊りとおりんの三味線を止めました。
「この中には、
貫兵衛はそう言いながら、同じギヤマンの
「有難いッ、伽羅大尽の果報にあやかってそれでは頂戴仕るとしましょうか、――おっと散ります、散ります」
「次は清五郎」
これは主人と同年輩の三十五六ですが、
「ヘエ――和蘭渡りの
美しいお
「どうした、清五郎」
少し不機嫌な声で、貫兵衛はとがめます。
「いえ、少し気になることがございます」
「なんだ」
「あれを――気が付きませんか、
「あれッ」
女三人は思わず悲鳴をあげました。
「おどかしてはいけない、たぶん四つ手
と貫兵衛。
「そんな事かもわかりません、――ああ結構なお酒でございました、――もう一杯頂戴いたしましょうか」
清五郎は綺麗に呑み干した盃を、お蔦の前に突き付けるのです。
「それはいけない、酒にも人数にも限りがある。その次は菊次郎だ」
「そうおっしゃらずにもう一杯、――頬っぺたが落ちそうですよ」
「いや、重ねてはいけない、それ」
貫兵衛が目配せすると、お蔦は清五郎の手から盃をさらって、菊次郎のところへ持って行きました。貫兵衛の義理の弟で三十前後、これは苦み走ったなかなか良い男です。
菊次郎もどうやら一杯呑みました。義兄が秘蔵の赤酒は、こんな時でもなければ口に入りそうもありません。
続いて芸者のおりんとお袖、お蔦は呑む真似だけ。大方空っぽになった徳利は、盃を添えて艫のお燗番のところに返されました。
「あ、お前は」
お燗番の卯八は飛付きました。が、その徳利を奪い取る前に、船頭の
「いいってことよ、今日は大役があるんだ。酒でも呑まなきゃ、仕事が出来るものか」
「でも、その酒を呑んじゃいけないことがあったんだ。しようがねえなア」
「ケチケチ言いなさんなよ、酒の一本や二本、なんでえ」
船頭の三吉は、お燗番の卯八の文句に取合う様子もありません。
それからの騒ぎが、どんなに悪魔的なものであったか、たった一人
一番先に狂態を演じたのは、
「ウ、ハッハッハッ、ハッ、ハッ、ハッ、こりゃ
腹を抱えて笑い出すと、その
それをきっかけのように、しばらくの間坐ったまま、顔の筋肉をムズムズ動かしていた巴屋の七平は、物に
続いて菊次郎――日頃賢そうに取澄ましているのが、膳を二三枚蹴飛ばすと、湧き上がるような怪奇な手振りで、ヒョロリ、ヒョロリと人の間を泳ぎ廻るのです。
年増芸者のおりんは、何やらわめき散らして、狭い船の中――杯盤の間を滅茶滅茶に転げ廻りました。日頃気取ってばかりいる中年増のお袖も、訳のわからぬ事を歌い続けながら、あられもない
その中でも一番猛烈を極めたのは、船頭の三吉でした。口から泡を吹いて、酔眼をビードロのように据えたまま、
鎮まり返った隅田川の夜気を乱して、船の中には、一瞬気違いじみた旋風が捲き起ったのです。洞ろな笑いと、訳の解らぬ絶叫と、滅茶滅茶にもつれ合う中を、六人の男女が狂態の限りを尽すのでした。
一番若くて、一番綺麗なお蔦は、
「旦那、どうしたんでしょう、私は、私は怖い」
日頃は醜い
「怖がることはないよ、あいつらは騒ぐことが好きなんだ、――あんなにゲラゲラ笑いながら、滅茶滅茶に踊り狂いながら、地獄の底まで道中するんだ」
貫兵衛の醜い顔は、悪魔的な冷笑に歪んで、六人の狂態を指した手は、激情に
「助けてエー、旦那様」
お蔦は思わずすがりついた
その騒ぎの中から、船頭の三吉はヒョロヒョロと艫に戻りました。
「
片手業にお燗番の卯八をかき退けると、
「あッ」
お燗番の卯八は後ろから、その身体を
「
いきり立つ三吉。
「頼むからそいつは止してくれ」
「何を言やがる」
振りもぎった三吉、もういちど槌は勢いよく振りあげられます。
その争いは一瞬にして片付きました。船頭の三吉が予て仕掛けをしてあったらしく、船底の栓が他愛もなく抜けるのと、卯八の必死の力が、荒れ狂う三吉を
ドッと
「あッ」
卯八は今抜き捨てた栓を捜しましたが、
船の中の狂乱は、一瞬ごとにその旋回度を増して、
「あッ、そうだ」
卯八は料理のために用意した出刃庖丁を取出すと、
水浸しになった涼み船は、それでも白鬚の方へ、少しずつ少しずつは動いて行きます。
時々ドッとあがる笑い声、それも次第に納まって、乱舞も大方
魂の抜けたように、
近所の船頭をかり集め、
ところで、不思議なことに、呑む、打つ、買うの三道楽に身を持崩して、借金だらけな船頭三吉の死骸からは、腹巻の奥深く秘めた百両の小判が現われ、野幇間七平の死骸には、背後から突き刺した凄まじい傷が見付かったのです。
「こんなわけだ、親分、行ってみて下さい。前代未聞の騒ぎじゃありませんか」
ガラッ八の八五郎は、得意の早耳で、これだけの事を聞込んで来たのでした。
「そいつは
銭形平次は相変らず引込み思案です。
「縄張の事を言や、
「それがどうした」
「いきなり川を渡って、現場をさんざん荒らし抜いた上、柳橋に渡って、お蔦を挙げて行きましたぜ」
「それが見込み違えだというのか」
と平次。
「お蔦は芸者稼業こそしているが、親孝行で心掛けの良い娘だ、人を殺すか、殺さねえか、親分」
「大層腹を立ててるようだが、誰かに頼まれて来たんじゃあるまいな、八」
「ヘエ――」
「誰だか知らないが、
「はい」
女房のお静は心得て門口へ行った様子ですが、何やら押問答の末、モジモジする娘を一人、手を取らぬばかりに
「お前さんは?」
平次も少し面喰らいました。まだほんの十七八、
「へッへッ、――お蔦の妹ですよ、親分」
ガラッ八は不意気に五本指で
「早くそう言やいいのに、――なんと言いなさるんだ」
「お
ガラッ八はまだモジモジしております。
「お絹さんと言うのかい、――一体どうしたというんだ。みんな話してみるがいい。俺の力で及ぶことなら、なんとかして上げよう」
銭形平次が、こう言うのは、全くよくよくのことでした。それだけ、このお絹という小娘は、好感の持てる娘だったのです。
油っ気のない髪、
「姉を助けて下さい、親分さん」
「一体、どうしたのだ」
「姉は――
「それで?」
「それで、七平を殺したのは、姉さんに違いない――って、三輪の親分が言います」
「フーム」
「それから、
「それだけの事なら、お前の姉さんを下手人にするわけにはゆくまい。
三輪の万七の
「姉ちゃんは
「……?」
「手首を切って、ひどく血が出ていたんですって」
「そんな事もあるだろう、――よしよし、俺が行って覗いてやろう。親孝行で評判の良いお蔦が、人など殺せる道理はない、――八、一緒に行ってみるか」
「ヘエ――」
親分を引っ張り出したのは、自分の手柄だけではなかったにしても、フェミニストの八五郎は、すっかり有頂天になって、親分の草履など揃えております。
「おや、銭形の」
向島で沈んだ船を見て、百本杭へ死骸を見に行った平次は、現場でハタと三輪の万七に逢ってしまいました。
「万七
「今度は間違いがねえつもりだ。女の怨みは恐ろしいな、銭形の、――磯屋の貫兵衛は江戸一番の
自分の手柄に
船頭の三吉は、
「
「出刃庖丁だよ、水船の中から拾って番所に預けてある」
万七は先に立ちました。
番所へ行ってみると、船頭三吉の腹巻から百両の小判と
水船から
妹のお絹によく似た
「お前は左利きかい」
平次の最初の問は
「いえ」
わずかに顔を挙げるお蔦。
「傷は右手首のようだが、――どうしてそんな怪我をしたんだ」
「自分の持った出刃庖丁で切ったのさ、解り切ったことじゃないか」
万七は苦々しく
「右手に持った出刃庖丁で、右手首を切るはずはない」
平次のそう言う言葉に力を得たものか、
「お燗番の卯八さんが、碇綱を切って投げた庖丁が当ったんです」
お蔦は顔を挙げてはっきり言うのでした。
「本人はあんな事を言うがね」
と万七。
「だが、三輪の兄哥、若い女の手で、七平を殺した上、船頭の三吉まで水の中へは
「なんの中毒か知らないが、船の中では皆んな半狂乱だったそうだよ。目の
万七は頑としてお蔦に疑いを
「お蔦――お前はいま大変な事になっているよ、――みんな申上げてしまっちゃどうだ、隠し立てをして、万一の事があると、母親や妹が、とんだ嘆きをみることになるぜ」
「親分さん、私は、私はなんにも知りません」
平次の言葉の意味が解ると、お蔦はたださめざめと泣くのです。
「船の中で正気だったのは、磯屋とお燗番の外には、お前一人だったというじゃないか。お前はなにか知ってるに違いあるまい」
「…………」
「お前の妹のお絹が、先刻俺の家へ来たよ。母親の嘆きを見ていられないから、なんとか、姉を助けてくれ――と言って」
「親分さん」
お蔦は縛られたまま、ガバと泣き伏しました。
「言うがいい、お前はなにか知っているに違いない」
「…………」
お蔦は黙って頭を振りました。
「ね、銭形の、この通りだ」
万七は我が意を得たる顔です。
「親分さん方、――磯屋の爺やが、申上げたいことがあるそうですよ」
下っ引が一人、うさんに鼻を持って来ました。
「卯八か、呼出すつもりだった。ちょうどいい、ここへつれて来い」
「ヘエ――」
間もなく、下っ引に案内されて、恐る恐る
「なんだ、卯八」
万七は事件が厄介らしくなる予感で、少しばかり苦い顔を見せました。
「お蔦さんが縛られたと聞いて、びっくりして飛んで参りました。お蔦さんは、始終私が旦那の側に居りました。人を殺すなんて、とんでもない」
「それじゃ、誰が七平や三吉を殺したんだ」
万七は乗出します。
「私ですよ、親分さん、――この卯八ですよ」
「何?」
「三吉を川へ
「なんだと?」
「船に仕掛けを
卯八の言葉は予想外でした。が、これだけ筋が立っていると、もはや疑う余地もありません。
「三吉はなんだってそんな事をしたんだ」
平次もこの恐ろしい企ての意味は読みかねました。
「船の中の人間を皆殺しにするつもりだったかもわかりません。碇綱で川の真ん中に止めた船が沈めば、あんなに酔っていちゃ、助かるのが不思議です」
「皆んな気違いじみた騒ぎをしていた――とお蔦も言うが、なんか変なものでも呑ませたんじゃないか」
「…………」
「土手に這い上がると、ケロリとしていたが、船の中に居る時のことは、なんにも知らないと言うぞ」
万七は畳みかけました。
「…………」
卯八は頑固に口をつぐみます。
「それじゃ、七平を殺したのは誰だ」
と平次。
「それはわかりません」
「お前じゃないと言うのか」
「七平は
「出刃はお前が抛って、お蔦の手に当ったそうじゃないか。その出刃で七平が殺されているんだぜ」
平次はその時の情景を想像している様子です。
「…………」
「七平の
「おりんさんと、清五郎さんと、菊次郎さんと――」
「主人の貫兵衛は?」
「旦那様と、お袖さんは、私と七平さんの間に居りましたよ」
「フーム」
今度は平次が黙り込んでしまいました。
「八、
「ヘエ――」
「男も、女も、どんなつまらない事でも聞き漏らしちゃならねえ。七平と懇意なのや、七平に怨みや恩のあるのは、とりわけ大事だよ」
「そんな事ならわけはねえ」
「急ぐんだよ、八」
「ヘエ」
「それから磯屋の貫兵衛も、
「心得た」
「一人で手に負えなかったら、下っ引を二三人駆り出せ、明日の朝までだよ、八」
平次の言葉を半分聞いて、八五郎は飛出しました。
それから半日。
「親分」
八五郎はもう帰って来たのです。
「どうした、八」
「いろいろの事が判りましたよ」
「話してみな」
「お蔦が七平の細工で、菊次郎と割かれたことは――」
「それはもう判っている」
「菊次郎はとんだ野郎で、金と女を取込むことにかけては大変な名人ですよ」
「…………」
「お蔦と手を切って、近頃はお袖に夢中になっていますよ」
「フーム」
「兄貴の磯屋の身代を、どれだけくすねたか解りゃしません。近頃磯屋の身上が歪んで、伽羅大尽の貫兵衛は首も廻らないのに、菊次郎だけは、大ホクホクだ」
「磯屋がそんなに悪いのか」
「この盆は越せまいという話ですよ。何しろ十年越しの
「清五郎と七平の暮し向きはどうだ」
「
「よしよし、それでだいぶ判ったようだ。ところで、八、横山町の町役人に会って、明日の
「それは、本当ですか、親分」
「本当とも、
「あんまり早く町役人に言っておくと、磯屋の耳に入りますよ」
「それでいいんだよ」
「ヘエ――」
「おッと待った、八」
「…………」
「今晩、少し仕事がある。横山町の自身番へ
「ヘエ――」
八五郎は何が何やら解らずに飛んで行きます。
それから二た刻ばかり、江戸の街々もすっかり
「八」
「あッ、親分」
「静かについて来い」
二人はそれっきり黙りこくって、城郭のような磯屋の裏口へ忍び寄りました。
「何をやらかすんで、親分」
「ちょいと、泥棒の真似をするんだ」
「ヘエ――」
「どんな事が始まっても、驚くなよ、八」
「…………」
平次の調子の物々しさに、八五郎もツイ胴ぶるいが出るのでした。
「この塀へ飛付けるだろう」
「大丈夫ですか、親分は」
「大丈夫だとも」
二人は裏口の
「どうするんで、親分」
「シッ」
「驚いたなア」
「驚くのはこれからだよ」
磯屋の裏をグルリと一と廻り、平次は家の中へ忍び込めそうな場所を探す様子でしたが、伽羅大尽と言われた構えだけに、さすがに忍び込む場所もありません。
「親分、あれは?」
「シッ」
平次は八五郎を突き飛ばすように、あわてて物蔭に身を
「…………」
二人は
真っ黒な人間は、しばらく外の様子を見ている様子でしたが、誰も見とがめる者がないと判ると、引っ返して家の中から
磯屋の主人、伽羅大臣貫兵衛です。
貫兵衛は平次と八五郎には気が付かなかったものか、その前を通り抜けて、物置の方へ足音を忍ばせます。
「来い」
平次は八五郎を小手招ぎながら、静かにその後をつけました。
やがて物置から、プーンとキナ臭い匂い、パチパチと物のはぜる音。
「八、大変だ。あの火を消せ」
「おうッ」
二人が一団になって飛込むと、磯屋貫兵衛は、手燭の火を、物置の中のガラクタに移している最中だったのです。
「野郎ッ」
「あッ」
燃え草の火の中に、貫兵衛と組んだまま転がり込みました。
「わッ、ブルブル」
火は消えました。が、ガラッ八と貫兵衛は、取っ組んだままズブ濡れになって、物置の口へ転がり出ます。
「なんという馬鹿なことをするんだ。御府内の火付けは、
平次はそれを闇の中に迎えて
「相すみません」
相手の素姓も判りませんが、貫兵衛は威圧されて、思わず大地に崩れました。
「幸い誰も気が付かない様子だ、――酒へ毒を入れたり、物置へ火をつけたり、一体これはどうした事だ」
「…………」
「俺は神田の平次だ、話してみちゃどうだ」
平次の声は威圧から
「銭形の親分――良い方に見付かりました。みんな申上げます。この私が、今晩死ななければならないわけ――」
物置の前から奥の一と間に案内されて、平次とガラッ八は、磯屋貫兵衛の不思議な
「聴いて下さい、親分、この世の中に、私ほど幸せに生れて、私ほど不幸せになった者があるでしょうか」
磯屋貫兵衛の話はこうでした。
貫兵衛が父の跡を継いだのは十年前、ちょうど二十五の歳、金持のお坊っちゃんに育って、
それまで、自分ほど賢い者は、江戸中にもあるまいと思ったのが、
貫兵衛は、恐ろしい失望と
あらゆるお世辞、――歯の浮くような阿諛を、法外な金で買って、貫兵衛は
行くところ、
それから十年の間、貫兵衛はあらゆる狂態をし尽しました。女房を迎える暇もないような
手っ取り早く言えば、磯屋にはもう一両の金も無くなっていたのです。家も、屋敷も、商品も、二重にも三重にも抵当に入って、この盆には、素っ裸で抛り出されるか、首でも
「そうなると、女どもは皆んな私から離れてしまいました。お蔦も、おりんも、お袖も、――それから私を十年越し喰い物にしていた遊び仲間も、蔭へ廻って私の悪口を言うようになりました。何千両となく取込んだ
貫兵衛の話の馬鹿馬鹿しさ、ガラッ八の八五郎さえ、我慢がなり兼ねてときどき膝を叩きますが、銭形平次は世にも神妙に構えて、
「それから」
静かに次を促します。
「私は
話は次第にその晩の筋になって来ます。
「涼み船を出して、首尾よく笑い茸の酒を呑ませ、皆んなの、あらゆる馬鹿な姿を眺めました。それがせめてもの――
「…………」
「もっとも、卯八だけは私の心持をようく知っていました。あればかりは、私におべっかも使わず、お世辞らしい事も言いませんが、こんな落目になっても、一生懸命、私を
「船を沈めさせたのは誰の指図だ」
平次はそれを知りたかったのです。
「それは知りません。――私は自分の命さえ捨てるつもりでした。今さら嘘も偽りもありません。船頭の三吉に、船を沈めることを言い付けたのだけは、この私じゃない」
「すると?」
「第一、私にはもう、百両という小判がありませんよ」
貫兵衛はそう言って淋しく笑うのです。三吉の死体の腹巻にあった金の事でしょう。
「親分、驚いたね」
ガラッ八は、黙々として横山町から帰る平次に声を掛けました。磯屋貫兵衛を町役人に預けて、さてこれからどうしようもなく、家路を
「俺も驚いたよ。七平を殺したのは、お蔦や貫兵衛でない事は確かだ」
「三吉に言い付けて、船を沈めさせた奴じゃありませんか」
「えらいッ、八、そこへなんだって気が付かなったんだ。あの晩、赤酒を呑む振りをして呑まなかった奴と、泳ぎのうまい奴を調べて来い、――こんどは間違いないぞ」
「そんな事ならわけはありませんや」
「どこへ行って聞くつもりだ」
「船宿を軒並叩き起して――」
「それもいいが、卯八とお蔦に聞くのが早いぜ」
「心得た」
ガラッ八は闇の中に飛びます。翌る朝ガラッ八が、その報告を持って来たのは、まだ薄暗いうちでした。
「親分、驚いたのなんの」
「どうした、八」
「あの中で泳げないのは、貫兵衛と爺やの卯八だけですよ」
「何?」
「死んだ七平なんぞと来た日にゃ、
「菊次郎と清五郎は?」
「二人ともよく泳ぐそうですよ、――もっとも女どもは皆んな徳利だ、少しでも泳げそうなのは、橋場で育ったお袖ぐらいのもので」
「すると――面白いことになるぜ。七平は船が沈んでも死にそうもないから刺されたというわけだろう」
「そこですよ、親分」
ガラッ八は大きな声を出します。
「ところで、赤酒を呑まないのは、誰と誰だ」
「そいつが大笑いで、親分」
ガラッ八はクスリクスリと笑います。
「何が
「あの伽羅大尽の貧乏大尽がどこまでお目出たいか解らない」
「どうしたんだ」
「赤酒の中に、なんか仕掛けがあると知って、たった一人も呑んだ奴がないと聞いたらどうします」
「本当か、それは、八?」
この情報には、さすがの平次も驚きました。
「どうかしたら、殺された七平くらいは呑んだかも知れないが、菊次郎も清五郎も、おりんも、お袖も呑んじゃいません。皆んな川に捨てたり、手拭にしめしたりしたそうで――これは最初から
「なるほどな」
「笑い茸なんて、そんなものを呑ませて、万一間違いがあってはと、人の良い卯八がそっと菊次郎に耳打をしたんです」
「そいつは大笑いだ、――呑まない毒酒を呑んだ振りをして、六人揃って気違い踊りと馬鹿笑いをするとはふざけたものだな、伽羅大尽の馬鹿納めには、なるほどそいつは良い狂言だ」
「ところで下手人は誰でしょう、親分」
「解っているじゃないか」
「ヘエ?」
「皆んなだよ」
平次は八五郎と一緒に、まず磯屋の近所に住んでいる菊次郎を襲いました。猛烈に暴れるのを縛って、続いて江崎屋の清五郎を、それから――年増芸者のおりんとお袖とを、四人
*
「さア判らねえ、下手人は四人ですかい、親分」
「その通りだよ。菊次郎が
「そいつは世間でも知っていますよ」
「いよいよ磯屋が身代限りということになると、お
「ヘエ――」
「卯八の抛った出刃庖丁を拾ったのは、一番近いところにいたお袖だ。お袖の手から菊次郎が受取り、これを清五郎に渡した。清五郎がそいつで
「なアる――」
「そんな事をしているうちに船は岸に着いた。人立ちがして来たから、その上の細工は出来なかったのだろう」
そう説明されてみると疑う余地もありません。四人――七平を加えて五人でやった細工なら、なるほど手際よく運びもするでしょうが、最後の
「悪い奴らじゃありませんか、親分」
「人間の
「ヘエ――」
「気の毒なのは磯屋の貫兵衛だ、――が、自業自得というものさ、――それよりも可哀想なのはお蔦だ」
平次はつくづくそう言うのでした。