「親分、変なことがあるんだが――」
ガラッ八の八五郎がキナ臭い顔を持ち込んだのは、まだ
「何が変なんだ、松の内から借金取りでも飛込んだというのかえ」
銭形の平次は珍しく威勢よく迎えました。ろくな御用始めもないので、粉煙草ばかりせせって、心待ちに八五郎の来るのを待っていたのです。
「借金取りや
「だから何が変だと言ってるじゃないか」
「一町内の子供が五人、煙のように消えてなくなったのは、変じゃありませんか、親分」
ガラッ八の小鼻は、天文を案ずるように
「子供が五人揃って消えた?――そいつは
平次は事もなげです。そのころ子供たちが誘い合せて、親の許しを得ずに、伊勢詣りの旅に出ることがよく
「七つから九つまでの子供ですぜ、その中には女の子が二人いますよ」
「なるほどそいつは少し変だな」
「その上、夕方かごめかごめかなんかやって遊んでいて、不意に見えなくなった。
どんな無鉄砲な抜け詣りも、それくらいの用意はあるべきはずです。
「神隠しかな」
平次はいつの間にやら、坐り直しておりました。
「そんなものはあるでしょうか、親分」
人間が不意に見えなくなって、何日か何年かの後、ヒョックリ現れるのを、昔は羽黒や秋葉の
「…………」
「神や仏が、そんな
「…………」
「何とかしてやって下さいよ」
「どこだえ、それは? いつのことなんだ」
平次はようやく乗出しました。
「本郷の菊坂で」
「フーム」
「三日前、よく晴れた夕方でしたよ。
「遊んでいたのを、誰が見ていたんだ」
「空地で遊んでいたのを、多勢の人が見ていましたよ。もっとも一番後で五人の子供が空地の隅っこに一とかたまりになって話しているのを見たのは、
「それがどうしたんだ」
「鍋鋳掛が一とわたり済んで、空地に拡げた店を片付けていると、五人の子供たちが、何か
「
「五人の子供を一ぺんに
「…………」
「五羽の
ガラッ八は躍起となって抗弁しました。これがまる二日考え抜いた智恵だったのです。
「近頃ほかに人さらいの話はなかったのかな、――綺麗な子をさらって人買いに売るといった」
人買いという世にも残酷な悪人が、その頃はまだ根絶していなかったのですが、さらわれるのは、男も女も、必要の上から、必ず綺麗な子に限られていたのです。
「親分、そいつはあっしも考えたが、五人の中で綺麗なのはお光というのがたった一人だけ、あとは念入りに汚い子ばかりですよ。人さらいだって、あれじゃ
「子をさらっておいて、金にする手もあるぜ、そいつは一番憎いが、――そんな様子はないのか」
「三日経つが、何とも言っちゃ来ません。もっとも揃いも揃って貧乏人の子ばかりだから、一両ずつ出せと言ってもむずかしいくらいで、あんなのじゃ商売になりませんよ」
ガラッ八は大きな手を振りました。
「そこまで気が付けば、あとは俺が行っても調べようはあるまい、――とにかく
「その手配はしておきましたよ、菊坂の富五郎親分が一生懸命で」
「ほかに工夫はあるまいよ、――それから、五人揃えて遠くへ連れて行くのはむずかしかろう。――近所の菓子屋で近ごろ変った客がないか訊いてみるがいい。子供五人音を立てさせないようにしておくには、少しくらいの菓子じゃ間に合うまい」
「ヘエ――」
「何か変ったことがあったら、そっと教えてくれ。いいか」
「ヘエ――」
「お前の手柄になりそうだ、――五人の子供を助けるのは、
平次の激励を背後に聴いて、ガラッ八は出かけて行きました。事件には充分に好奇心を持ちながら、ガラッ八の手柄にさせる気で、平次はしばらく
「親分、だから言わないこっちゃない」
ガラッ八が
「何をあわててるんだ。格子で鼻面を打ったり、
「だから、親分は困るじゃありませんか、昨日ちょいと顔を出しゃ、人一人死なずに済んだかも知れない」
「誰がいったい死んだんだ、落着いて話せ、八」
「あの娘の弟ですよ」
振り返ると入口にしょんぼり立って、十八九の美しい娘が、中の様子に気を兼ねながら、ときどき湧き上がる涙を拭いているのです。
「どこの娘さんだか知らないが、
平次が立ち上がるまでもなく、早くも裏口から廻った女房のお静は、泣き
少し眼を泣き
「一体どうしたというのだ、話してみるがいい」
平次は静かに問い進みました。
「お新さんというんですよ。九つになる弟の信太郎と八つになる妹のお光と、二人一緒に行方不明になって、母親とさんざん心配していると、一昨日の晩ヒョックリ信太郎が帰って来て――」
「何? 帰って来た、――あの五人組の一人だな」
「――何を
「それからどうした」
「とにかく、夜更けでもあり、本人が
「フーム」
八五郎の話すのを聴きながら、お新はまたドッと湧き上がる新しい涙にひたっております。
「また大騒動になって、町中探したが見えない、一日一と晩騒ぎ疲れて、今朝になると――」
ガラッ八もさすがにゴクリと
「どうしたというのだ」
平次もツイ乗出します。
「殺されていたのですよ、――
ガラッ八はこれだけ説明して口をつぐみました。そのときお新は涙を拭いて、ようやく口をはさんだのです。
「親分さん、それにまだ妹のお光が帰って来ません。助かるでしょうか」
こんな心配にさいなまれて、お新はガラッ八と一緒に、平次へ
「そいつは気の毒だ、俺の力に及ぶことなら何とかしよう。もっとも、弟さんが帰った晩、すぐ手を廻せば、何とかなったかも知れないが、一と晩のおくれは大変なことになったのだよ」
「私どもの手落ちでございました、親分さん。母もそればかり言って、あきらめ兼ねております」
お新はそう言ってまた泣くのです。
平次はすぐ菊坂へ出かけました。現場もよく調べ、御用聞の富五郎にも逢って、いろいろ聴き出しましたが、八五郎が報告した以外には、何の手掛りもありません。
行方不明になった子供は五人、お新の弟信太郎と妹のお光、それに孫吉というのが八つ、三次というのが七つ、お留というのが六つ、いずれも荒物屋の子、駄菓子屋の子、
菊坂の空地というのは、
「この通りだ親分、――四宿も船も手の届くかぎり調べさせたが、この十日あまり、江戸からろくな猫の子を持出した者もありませんよ」
八五郎はすっかり持て余し気味です。
一軒一軒、子供の家を訪ねましたが、五日あまりの心配に打ちひしがれて、何を訊いても一向らちがあきません。最後にたどりついたのはお新
「親分さん、この上は娘のお光だけでも無事に帰りますよう、――お願い申上げます」
武家の出だったという母親のお豊も、ただおろおろと泣くばかりです。
平次は一応信太郎の死骸を見せて貰いました。九つというにしては
「この着物は五日前からズーッと着ていたのかな」
「いえ、一昨日の晩帰って来た時、あんまりひどい様子をしているので、着換えさせました」
お新はすぐ応えました。
「その着物を見せて貰おうか」
「ハイ」
立ち上がって、押入から
「フーム」
平次が
一と通り眼を通すと、平次はその着物を熱心に
「何か匂いがあるんですか、親分」
ガラッ八も大きな鼻を
「この匂いは何だと思う――」
「?」
「良い
二人は顔を見合せるばかりでした。
「こんな匂いをどこかで嗅いだことがありますよ」
「思い出してくれ、頼むから」
「ヘエ――」
ガラッ八の鼻の穴は、何か遠い記憶を
「ところで、誰かに
平次はうら淋しく仏の前にうずくまる母親に訊きました。
「いえ、それはもう二十年も前のことで、――それも軽い身分でございました。夫に別れて七年になりますが、人様に怨まれる覚えはございません」
そう言われるまでもなく、こんな人柄な母子を、怨んでいる者があろうとも思われません。
「親分、あの菓子屋の方も本郷から小石川中調べましたが、変ったことはありませんよ」
ガラッ八は口を挟みます。
「よしよし、菓子や
「
「案内してくれないか」
「あの野郎は天道様の当るうちは、野天に陣を張って鍋鋳掛をやっているから、どこに居るかわかりゃしません」
「家はどこだ」
「中富坂で、――行ってみましょうか」
「ともかくも当ってみよう」
二人はそこからほんの一と丁場の中富坂まで行ってみました。
「何にもない」
鋳掛屋権次の家へ踏込んで、一とわたり家捜しした平次は、さすがに呆れ返って
「打つ飲む、両刀遣いだから、ろくな
八五郎も苦笑するばかりです。木枯しの吹いた後の雑木林のような淋しい世帯は、八五郎の巣よりも
「親分」
ちょっと外へ出た八五郎は、面喰らったように飛んで帰りました。
「何だ」
「権次は
「行ってみよう」
二人は真砂町まで引返したことは言うまでもありません。
「あれだ、親分」
遠くから指されるのも知らずに、鋳掛屋の権次は、近所から集めた鍋や釜を六つ七つ並べた中に、フイゴを
「おい、権次」
「あッ、銭形の親分」
平次はその前に立ちはだかりました。顔を挙げたのは四十五六の
「あの日のことを、もう一度繰り返してくれ。お前の口から聴きたいんだ」
「ヘエ、何べんでも繰り返しますが、大したお役に立ちようもありませんよ、親分」
「そんなことはどうでもいい」
「ヘエ」
権次はペラペラと繰り返しました。今から六日前の夕刻、菊坂の空地で仕事をしていると、近所の子供たちが五六人で、面白そうに遊んでいましたが、そのうちに薄暗くなって、仕事仕舞にして立ち上がると、今まで空地一パイに飛廻っていた子供が、掻き消すように見えなくなった――というのです。
「それに間違いあるまいな」
「ヘエ」
「本当に掻き消すように見えなくなったのか」
「ヘエ――、神隠しか何かでしょうな、あれは。その時は大して気にもかけませんでしたが、あとで五人の子供衆が帰って来ないと聴いて、ゾッとしましたよ」
「それから菊坂の空地へ行かないのは、どういうわけだ」
平次はいつの間にやら、そんな事まで
「あすこは良い仕事場でしたが、あの事があってから、気味が悪くて行く気になりませんよ」
「たいそう気が弱いんだな」
「ヘエ、今日も仕事を休んで帰ろうと思いますよ。この近所の衆があっしの顔を見て、こんなに仕事を持って来てくれましたが、フイゴが損じて仕事が出来ません」
こんな事で一向要領を得ぬまま、平次は引揚げなければならなかったのです。いつまで待っても権次は仕事を始めそうもありません。
「八、あの権次の身持をよく捜ってみてくれ。大した役に立たないかも知れないが、念のためだ」
「親分は?」
「俺はあの子供の着物の匂いを突きとめに行くよ」
「ヘエ――」
「もっともどこへ行ったものか、俺にも見当はつかないよ。
平次も首を
その
「親分、大変ッ」
「サア、とうとう来やがった、お前が飛込んで来そうな
平次は空模様などを見ながら、からかい気味に言うのです。
「落着いていちゃいけませんよ、本当に大変なことになったんで」
「子供たちが帰ったのか」
「そんな事なら驚きゃしません、また菊坂に人殺しがあったんですよ」
「何? また菊坂に? 誰が殺されたんだ」
「
「よし、行ってみよう」
平次は十手を懐中にねじ込むと、もう立ち上がっておりました。そこから菊坂までは、ほんの一と飛び。
鋳掛屋の権次は、かつて五人の子供が行方不明になった空地の真ん中ほどに、
菊坂の富五郎とその下っ引達、町役人まで顔を揃え、
「お、銭形の、この通りだ」
「どれどれ、恐ろしく出来た腕だ」
平次は死骸を引起して舌を巻きました。
「権次はやくざ付合いをして、評判の悪い男だった。なんか
富五郎はそんな事を考えているのです。
「いや違う、富五郎
据物斬りの
「すると?」
富五郎は四方を見廻しましたが、そこには寺方も武家屋敷もあり、何事を目当てに捜しようもありません。
権次の懐ろを探りましたが、百も持ってはいず、手拭に包んで腹掛の底に
「八、もういちど中富坂へ行ってみよう、――俺は見落したものがあるような気がする」
平次は八五郎に合図をすると、そこはそのままにして、もういちど権次の家へ行ってみました。
「ここには何もありませんぜ、親分。この間天井裏から床下まで見たじゃありませんか」
「いや、もうお前を床下へ入れるまでもあるまい」
平次は家の中へ入ると、いきなり商売道具のフイゴに手を掛けました。
「そのフイゴは損じていると言ったようですね」
「それを思い出したんだ――この通りだ。持ち上げてみるがいい」
「へッ」
八五郎は小さいフイゴに手を掛けましたか、何が入っているのか、容易に動きません。
「かまわないから打ちこわしてみろ」
「ヘエ」
平次とガラッ八は一と骨折って頑丈なフイゴをこわしました。中から出たのは、ザクザクと真新しい小判、ざっと小千両もあるでしょう。
「これだ、八」
「どこから持出したでしょう」
「言う事が変だと思ったら、この野郎は五人の子供の隠された穴を知っていたんだ」
「穴ですか」
「香木のある穴だ。
「ヘエ――」
平次とガラッ八は、フイゴと小判を町役人に預けて、もう一度引返しました。
二つ三つ心当りを捜って、菊坂の空地に引返すと、もう夜でした。富五郎も町役人も引上げて、その辺一帯不気味に静まり返っております。
「この辺に大名屋敷はあるかい、八」
「ありますよ、本郷の通りへ出ると百万石の加賀様、春日町へ下ると水戸様だ」
「そいつは少し遠過ぎる、もう少し近いところはお前じゃわかるまい。近所の人を一人呼んで来てくれ、なるべく年寄りがいいな」
やがて八五郎は近所の老人を一人つれてきました。それに同じことを訊くと、
「菊坂の北は本多
「それから」
「菊坂を挟んで小役人、
「そんな事かな」
平次は少しがっかりした様子です。
「外にはありませんよ」
「八、下っ引を五六人飛ばして、その辺の大名屋敷を片っ端から訊かせるんだ。盗賊は入りませんかと――いや待て待て――大名屋敷に
「すると?」
「待ってくれ、ほかにこの辺に大名屋敷はないのかな」
「ありませんよ」
近所の老人は答えました。
「伽羅や沈香は、こちとらの家にある品じゃない――ところで、
平次は空地の向うの隅にある粗末な土蔵――月の光にほのかに光るのを指しました。
「去年お取潰しになった、
町の老人が説明してくれました。
「持主は?」
「誰にも分りません。中に
「開けてくれまいか」
「それは困りますよ、親分」
「あとは俺が引受けた。ともかく中を見よう」
平次はもうその土蔵の前に立っております。
「大丈夫ですか、親分」
ガラッ八は心配そうに覗きました。
「大丈夫だとも、五人の子供を遠くへ持って行けるはずはない。生きてピンピンしているんだ。この土蔵に気の付かなかったのは俺の手ぬかりさ――権次の懐ろに鍵の束があったな、あれを借りて来てくれ」
やがて銭形平次は、ガラッ八が借りて来た鍵の束の中から合いそうなのを捜し出して、錠前にガチャガチャやっております。
「親分、不意に内から切って出たらどうします」
ガラッ八はそっと袖を引きました。
「馬鹿野郎、
「あッ」
ガラッ八が身をかわすのと、白刃が
「曲者ッ」
平次は早くも左手に十手を抜き出します。右手には高々と構えた、四文銭が一枚。
「無礼者ッ、誰に断ってその錠前を開ける」
曲者は一刀を脇構えに
「四人の子供の生命を助けるのだ、誰に断ることがあるものか」
「
サッと斬りつけて来るのを外して、平次の手から、二枚、三枚、銭が飛びます。宵月はありますが、どんな手練も、夜気を
「
曲者は
「野郎ッ」
後ろからはむずと組みつく八五郎の怪力。
「八、その野郎は俺一人でたくさんだ。早く土蔵を開けて中を見ろ、四人の子供が死にかけているに違いない」
「合点ッ」
八五郎はパッと土蔵の中に飛込むと、平次の手を逃れて、曲者もそれにつづきます。
「八、気をつけろ、曲者が――」
平次が声を加ける間もありません。土蔵の闇の中では、八五郎と曲者との必死の闇試合が始まっているのです。
*
その間に騒ぎを聞いて、町役人と
中には幾つかの
「四人の子供がいる、一つ残らず開けて下さい」
平次の号令に、唐櫃も大長持も一つ一つ開かれました。
中から出て来るのは、
「あッ、これはどうだ」
何千両とも、幾万両とも知れぬ大判小判の波の中に、町役人はただ驚きの声をあげるばかりです。
「子供はいない」
「そんなはずはない、もう少し見て下さい」
残る長持が二つ、その中の一つを開けると二人の女の子が半死半生で転げ出ました。
「あ、お光ちゃんと、お留ちゃんだ」
もう一つの長持には、残る三次と孫吉。
四人とも生きた色もありませんが、そのとき駆け付けた親兄弟に抱き上げられて、ただシクシク泣くばかりです。
土蔵の中にあったのは、昨年三月、八歳の当主虎之助
子供ら五人を土蔵に封じたのは、隠れん坊に浮かれて、うっかり閉めずにおいた土蔵の中に入ったのを、村右衛門が発見して大いにおどろき、五人ことごとく縛って
五人の中で
信太郎から秘密を聞いた権次は、合鍵で土蔵に忍び込み、一度は小判を盗み出しましたが、二度目には村右衛門に見付けられて斬られてしまいました。
「主家のお取潰しに紛れて、大金と宝物を取込むとは太い奴じゃありませんか」
八五郎が腹を立てるのも無理のないことです。
「その通りだ。あの金は山崎家の後を立てるために、旧臣の身の立つために、入要な金だったんだ。それに、五人の子供を長持に入れておくとは鬼のような奴さ。殺すつもりはなかったにしても、一日おくれると助けようはなかった。俺は子供にひどい事をする奴は許す気になれないよ」
平次のこんな激しい憎悪は、ガラッ八も見たことはありません。丹下村右衛門が極刑に処せられたこと、お豊お新
そして八五郎がどんなにお新に親切だったかということも。