「親分、こいつは変っているでしょう。とって十九の
ガラッ八の八五郎は、また変な
「何をつまらねエ」
「つまるかつまらねエか、ちょいと行ってみて下さいよ。京屋じゃ怪我(事故)にして
「京屋というのは、米沢町の京屋善八のことか」
「ヘエ――その京屋の下女、――と言っても
八五郎はそんな事を言ってキナ臭い顔をするのです。
「娘の身投げまで、いちいち付き合っちゃいられないよ。検屍が無事に済めば、それでいいじゃないか」
平次は相変らず
「ところが、その普賢菩薩というのが大変なんで。木で彫った仏様には
ガラッ八はそう言いながら、
「馬鹿だなア」
平次は取り合おうともしません。
「それだけじゃ種にならねエが、見ていた人の話に、お鈴が川へ飛び込む前、
「そいつは俺に訊いたって分らねエよ。――
「十五夜ですよ、親分。まだ涼みには早いが、あの
「そんな物騒な場所で、娘一人川へ突き落す奴があるのかな」
「だからあっしも変だと思うんで」
「それとも、普賢菩薩の木像に、何か
「そんなものはありゃしませんよ。台座は
「フーム、面白そうだな。――その下女の身許は分っているのか」
「
「そいつは気の毒だな。――とにかく気を付けて見ているがいい。若い娘が仏体を盗み出すはずはないから、何かわけのあることだろう」
平次はそんな事を言うのです。手をつけるほど
京屋善八というのは、公儀御用の
綺麗な下女のお鈴は、どうして主人の蒐集の
それから十日ばかり経って、江戸はすっかり夏になりきった頃、ガラッ八の八五郎は、相変らず
「さア大変」
「とうとう来たのかい。今日あたりはお前が飛び込んで来そうな陽気だと思ったよ」
平次は何か期待している様子でした。
「親分は聴いたんですか、あれを」
「聴いたよ。八五郎が京屋の近所を毎日うろうろしていることや、京屋の主人が
「へッ、親分の前だが、そんなことであっしが飛んで来るものですか。今日の大変は
「大きく出やがったな。いったい、どこの猫の子が首を
「チェッ、いやになるなア。銭形の親分が鼻の先の殺しを知らないなんて」
「何だと?」
「京屋の主人がゆうべ殺されましたぜ」
「何だって早くそう言わないんだ」
「だから他所行の大変だって言うんで」
「殺しに他所行も
平次はさすがに驚きました。十手を懐ろに
「せっかちだなア、親分」
その後から、
「こいつはうんと
薄々京屋の様子を
米沢町の京屋へ着いたのは、まだ
支配人の久助という五十男に案内させて、主人の死骸を置いてあるという、奥の一と間に通りましたが、その
集められた仏像は、――眼に触れる限りでは――
「親分、変な心持になりゃしませんか。寺方の土用干しみたいで――」
「シッ」
「こいつを眺めていると、よっぽど罪の深い野郎でも成仏したくなりますよ」
「馬鹿野郎、黙って来い」
「ヘエ」
番頭の久助はそんなやり取りを聴えない振りをして、主人の寝間の敷居際に立ちました。
「こちらでございます」
平次と八五郎は一と足踏み込んでさすがに顔を見合せます。主人善八は床の中から抜け出したまま、脇差で
「見つけたのは誰だえ」
平次は手順を追うように訊きました。
「下女のお
「長くいる
「いえ、お鈴が死んだ後で、房州から呼びました。出戻りの、四十を越した女で――」
お鈴で
「雨戸は?」
「一枚こじ開けてあったのは、そのままにしておきました。あとは戸袋へ入れてしまいましたが――」
縁側の外へ横にしてあるのはその雨戸でしょう。見ると敷居にも雨戸にも
「親分、大変な泥ですね」
畳の上に
「脇差は?」
「主人の品でございます。用心のために、枕許へおいて寝たのが、かえって
「なるほどそう言えないこともあるまいな」
平次は死骸の傍に
「親分、傷は一つじゃありませんね」
ガラッ八は妙なことを言います。
「よく気が付いたな。さいしょ細刃の
「どっちにしても、曲者が外から入ったに違いないとすると、
「さア、それは俺にも分らないよ。番頭さん、何か紛失したものはないのかえ」
「何にも
「それじゃ怨みか」
と、ガラッ八。
「人様に怨まれるような御主人ではございません」
「サア分らねエ。泥棒でなし、怨みでなしとすると」
ガラッ八がこんな分りきった掛合いをしている間、平次は部屋の中を念入りに調べておりました。
「番頭さん、こりゃ何だえ」
手に取ったのは、
「それは一向に存じません」
番頭の久助は眼を
「知らない?」
「ヘエ、一向に見かけたことのない御仏像でございます」
「この部屋には、不思議に仏像がない。廊下にも庭にも、あの通り幾百体となく仏像をならべて置くのに、この部屋には、床の間にこれが一体だけおいてあったのを、番頭さんは気が付かなかったというのか」
平次は重大な鍵を
「ヘエ。――昨夜までそこに置いたのは、
「下女のお鈴が身投げするとき、抱いていたという仏像か」
「ヘエ。――旦那様はことにあの極彩色の御仏像がお気に召したようで、この四五年はお手許から離したこともございません」
「それが一と晩のうちに代っていたというのか」
「ヘエ――」
「親分、色を洗い落したんじゃありませんか」
ガラッ八が横から口を出しました。
「いや、極彩色のは仇っぽい仏様で、どっちかというと嫌らしい出来だったというじゃないか。これは最初から素木だし、大変な良い出来だよ。
平次は仏像の下、台座の裏を覗いて見ました。
「何かあるんですか、親分」
「銘があるな――
それはあまりにも有名な仏師でした。左甚五郎は彫物
「親分、あっしにはだんだん分らなくなりますよ。こいつはどういう判じ物でしょう」
八五郎はとうとう投げ出してしまいました。お鈴の死と、京屋善八の死を
京屋の家族は、
平次は一応会ってみましたが、要領を得たことは一つもなし。ただもうおろおろして、事件の成行きを眺めているだけのことです。
手代は友三郎、千次の二人。どちらも永年勤めて、何の異心がありそうもなく、小僧の幾松は十一で物の数に入らず、下女のお吉は、四十二三の中年女で、これは死骸を発見してひどく
「これだけかな」
平次は
「あとは出入りの職人や、通いの人足だけで、店にいるのはこれだけでございます」
久助は念入りに頭数を読みながら答えました。
「まだ、島吉どんがいるでねエか」
下女のお吉はお膳の数から思い付いた様子です。
「なるほど、あれも奉公人の一人だ。――庭掃きから
「どれだ」
「あれでございます。――いま土蔵の前を掃除している」
「…………」
土蔵の前、同じ場所を何遍も何遍も掃除している、中年男の頭の悪そうなのを見て、平次はがっかりしてしまいました。
手代の友三郎は二十二三。目から鼻へ抜けるような男で、店中の評判を聴くと、綺麗な下女のお鈴と気が合っていたらしく、お鈴が死んだ後は、すっかり
もう一人の手代千次は、女とは縁の遠い辛抱男で、一面主人の気に入っていたことも事実ですが、物に決断のない男で、人を殺すような性質でないことは、大番頭の久助が保証します。
小僧の幾松はまだ十一。――こう勘定して来ると、京屋の奉公人の中には、疑いを挟まれるものは一人もありません。
「奉公人の身許は皆んな確かだろうな」
平次は最後の念を押しました。
「それは大丈夫でございます」
「一番古い奉公人は誰だい」
「私で」
「一番新しいのは」
「お吉でございます。これはまだ七日くらいにしかなりません」
「それから」
「私の次は友三郎で、その次は千次、幾松の順になります。お吉は一番新しくて、お吉より二日古いのがあの島吉でございます」
「あれでも役に立つのかな」
同じ場所ばかり
「主人も困っておりました。身許は確かですが、あれじゃ、あんまり役に立たなさすぎます」
久助は苦笑いしております。
「八」
「ヘエ――」
「見当は付いたか」
番頭の久助を向うへ追いやると、平次はガラッ八に水を向けました。
「自慢じゃねエが――さっぱり分りませんよ」
「
「それが分らないから不思議で」
ガラッ八は
「それじゃ、彫物師の野沢琢堂のことを調べてくれ。どこに住んで、どんな暮しをしているか――本人が死んでいたら、子供たちのことを調べるんだ。いいか」
「ヘエ――」
「俺はまだまだここに調べることが残っている。頼むよ」
「ヘエ――」
現場から遠ざけられるのが、ガラッ八の自尊心をほんの少しばかり傷つけたことでしょう。しばらく渋っておりましたが、間もなくその姿を隠してしまいました。
平次はかなり大きい京屋の家の内外をこの上もなく、念入りに調べました。それから土地の下っ引を二三人呼び出して、お鈴の身許を調べに八方へ飛ばせ、日が暮れる頃になってようやく引揚げたのです。
「親分、仏師の野沢
「間違いはあるまいな」
八五郎が報告を持って来たのは、それから三日目の夕方でした。
「鎌倉まで行って来たんだから、間違いはありません。――病気は中風、死ぬ三年前から身動きも出来ず、娘が感心によく世話をしたそうですよ」
「その娘の名は何と言った」
「そこまでは聞きませんよ。――十八九の綺麗な娘だったそうで」
「だから馬鹿だって言うんだよ」
「その代り倅の名は聞いて来ました、丈太郎というんだそうで。この男は生れつきの道楽者で、三年前親父の琢堂に勘当され、それっきり
「それっきりか」
「ヘエ――」
「娘と倅の人相は聞かなかったのか」
「そこまではね、親分」
「それが大事だったんだ。仕様のない奴じゃないか」
「ヘエ――」
平次はひどく不機嫌でした。が、その突き詰めた調子から、事件解決の鍵を握ったことを、八五郎は感ずるのでした。
その晩、下っ引の報告が一つ一つ平次の手許に集まりました。身投げをした下女お鈴の
「そいつはもう一と息だ」
平次が向柳原へ飛んで行ったことは言うまでもありません。
「
平次の調子は自信に満ちて、突っ込んだものでした。
「親分、そんなことまで――」
大工の熊五郎は、蒼くなってしまいました。
「棟梁、お鈴さんは死んだんだぜ。それも身投げだか、人に殺されたんだか分ったものじゃねえ。――お前が本当の事を言ってくれさえすれば、お鈴さんの
「恐れ入った、親分。いかにもみんな申し上げましょう。お嬢さんも死んでしまったんだ。素姓を隠したところで何にもなるめえ」
「そうともそうとも」
「お察しの通り、お鈴さんというのは仮の名で、あれは仏師の野沢琢堂先生のお嬢さん、――お澄さんというんで」
大工の熊五郎が、琢堂の恩を受けて、それを忘れずにいるのを知って、熊五郎を請人に京屋に住み込み、何か
「親分、お鈴が琢堂の娘だったとすると、これは一体どうなるでしょう」
ガラッ八の
「俺にも分らないよ。もういちど京屋へ行ってみよう。何か見落したことがあるかも知れない」
平次もこうなるとかん一つで
京屋は一と騒ぎ済んでようやく落着きを取戻し、足りないながら倅の善太郎が家督を継いで、久助の後見で、どうやらこうやら家業をつづけておりました。
「変りはないかえ」
ヌッと入った平次と八五郎。
「これは親分さん方、こちらには何の変りもございません。ヘエ」
久助は篤実らしく手を
「もういちど主人の寝間を見せて貰いたいが」
「ヘエ、どうぞ」
平次は奥の八畳に入って、念入りに雨戸を締めさせたまま、一生懸命何やら考えておりましたが、やがて、
「八」
「ヘエ――」
「曲者は主人を殺してから外へ出て、雨戸をコジ開けることも出来るわけだな」
「?」
八五郎にはその意味が通じなかった様子です。
「外から入ったと見せたのは、曲者の器用な
「?」
「これだけ厳重に戸締りして、印籠ばめになっている雨戸を、外から曲者がこじ開けるあいだ、主人は何にも知らずにグウグウ眠っているはずはあるまい」
「な、なーるほど」
「曲者は家の中にいたんだ」
平次はとうとう事件の
手代の友三郎と千次は店二階に寝ているので、これは疑いの外に置かれ、番頭の久助は通いで、その晩一歩も外へ出ないと分って、これも疑われる筋はなく、あとは小僧の幾松と下女のお吉ですが、一人は十一歳の少年、一人は四十過ぎの女で、これも雨戸の細工などを思い付く柄ではありません。
「あの島吉とかいう男はどうしたんだ」
平次はフト愚鈍らしい庭男のことを思い出しました。土蔵の前を、水すましのように一箇所だけ
「ゆうべ暇を取って国へ帰りましたよ」
番頭の久助は何にも気が付きません。
「国はどこだ」
「越後だそうで」
「八、困ったことになったぞ。――少し手ぬかりだったな」
「あの野郎ですか、下手人は」
「まだ分らないが、とにかく下男部屋を見よう」
二人は久助に案内させて、お勝手の
「島吉の請人は誰だ」
「向柳原の大工の熊五郎で」
「お鈴の請人じゃないか」
「お鈴が死んで間もなく入れました。そういえば変ですね」
久助は今ごろ首を
「八、来い」
平次はもう飛び出しておりました。
「どこへ行くんで親分」
「お前遠っ走りは出来るか」
「向柳原へ飛ぶんでしょう」
「馬鹿、向柳原ならここから五丁ともありゃしない。――島吉の後を追っかけるんだ」
平次はもう七三に尻を
「越後まで行くんですか、親分」
「鎌倉だよ。まだ分らねえのか」
「ヘエー」
「あの島吉というのは、
「ヘエー」
「ほとぼりがさめたと見て京屋を逃げ出したんだ。行先は分っているじゃないか、親の墓のある鎌倉だ」
「なるほどね」
二人は半分は駆け、半分は
「ここですよ、親分」
八五郎が一度来た琢堂の
「ゆうべ京屋を出て、どこかで夜を明かせば、島吉の丈太郎が鎌倉へ着くのも早くて今夜だ。少し待ってみようか」
平次は松の根に腰をおろして、煙草入を抜きました。遠く波の音が聴えて、潮の香に煙草の匂いの交るのが、妙に八五郎の郷愁をそそります。
「大丈夫ですか、親分」
「大丈夫だ、ここより外に来る場所はない。――琢堂
平次は自分へ言い聴かせるように独り言を言うのです。
「あっしに解らないことがあるんだが――」
「何だ八」
「さいしょ細刃の
「急いで匕首を隠すのは厄介だから、脇差で殺したように思わせたかったのさ。――あの時そこに気が付いて、下男部屋か
平次はそう言って自分の額を叩くのです。
「それにしても遅いじゃありませんか」
ガラッ八は大きく伸びをしました。
「どうかしたら、外へ廻ったかも知れない。またぬかったかな」
「?」
「親父の墓へだよ、八」
平次は
近所の家を二三軒当って、琢堂の墓はすぐわかりました。
「御用だッ、神妙にせい、丈太郎ッ」
まず飛び込んだのはガラッ八でした。
「親分――銭形の親分さん、逃げも隠れもいたしません。しばらく待って下さい。せめて三十年の不孝を、親父にしみじみと
黒い影は
「それじゃお前は」
平次も少し予想外だった様子です。
「江戸から来る途中、チラリと親分の姿を見て、観念しておりました」
「…………」
「
丈太郎の島吉は宵闇の中に顔を上げました。
「聴こう。――俺にも分らないことばかりだ。みんな話してくれ」
平次は相手の態度にすっかり気を許して、石の
「あの京屋の善八というのは、幾百となく仏像を集めておりますが、作の良し悪しも解らず、ろくな信心気もなく、大変な俗物でございました」
丈太郎は話しつづけるのです。
大俗物の京屋善八が、小格子の女郎を見立てるような心持で仏像を集め、そのころ関東第一の仏師野沢琢堂にも極彩色の女身の仏像を頼みましたが、琢堂は見識を重んじて何としてもそれに応じなかったのを、金と
その後琢堂は、一たんの過ちで、俗悪妖艶な普賢像をこの世に
琢堂は純真な芸術家らしい悩みを悩みつづけて、とうとう死んでしまいました。その遺言はたった一つ、「あの極彩色の普賢像を、何とかして取り戻して焼いてくれ――只と言っては、京屋善八は、
一人遺された娘のお澄(後のお鈴)は、さっそく勘当されていた兄の丈太郎を呼び寄せ、二人相談の上、素木の普賢像は当分兄が預かって折を見ることにし、妹のお澄は、名を変えて身を包んで京屋へ奉公し、普賢像を引替える折を
京屋の主人善八は、お澄のお鈴の可憐な美しさに心ひかれて、極彩色の普賢像を返す約束で無体なことを言い寄りましたが、いざとなると極彩色の普賢像を惜しんで渡してくれそうもありません。お澄のお鈴は、たまり兼ねて兄と打ち合せ、ある晩極彩色の普賢像を盗んで逃げ出したところを、主人の善八に追われ、逃げ場を失って、大川へ飛び込んでしまったのでした。
その辺の事情は、善八もお鈴も死んでしまって、
「妹が死んで三日目、あっしは下男に住み込みました。極彩色の仏像と、素木の仏像を替えて、親父の遺言を果せばそれでいいわけですが、馬鹿な振りをして様子を見ていると、妹を殺したのは、やはりあの善八の
「…………」
丈太郎は泣いておりました。墓の前の土がホトホトと音のするほどしばらくは涙の顔も上げません。
「長いあいだ中風で身動きも出来ない父親を、手一つに看病して、さんざんの貧乏と苦労をなめた妹は、たった一日も、若い娘らしい、晴れ晴れした気持がなかったでしょう。――本当に可哀想な妹――その妹の敵を討ったのが悪いことでしょうか、親分」
「…………」
「極彩色の仏像は親父の遺言通り素木と換えて置きました。――死んでしまった妹の命はどうしてくれるでしょう」
近々と響く潮鳴りの中に、丈太郎の島吉の
「よし分った。幸いの闇、俺は何にも見なかった。お前の顔も、姿も。――そしてこのまま江戸へ引っ返そう。お前もどこかへ消えてなくなるがいい。俺の前へ二度と現れないようにしてくれ。丈太郎でも、島吉でも、俺は縛らずにおくわけには行かない。いいか」
「親分」
「さア、帰ろうか八。夜道を少しでも引っ返して、藤沢あたりで泊るとしよう」
平次は