芳賀先生と日本主義

高橋龍雄




 國學院大學の學長として母校の爲にいひ知れぬ恩惠を與へられたことは、定めて他の院友諸兄が書かれることであらうとおもふので、私は博士が國學院にまだ御關係のなかつた時代、即ち「日本主義」時代のことを述べて、博士の高徳を追慕したいのです。
「日本主義」といふ言葉は、實に「日本主義」といふ雜誌が出てからのことだ。この雜誌は明治三十年五月に開發社(湯本武比古先生社長)から發刊された。題號を「新神道」としようか、「日本主義」としようか、といふ議論があつたのだが、「日本主義」といふことに決定したのは、芳賀博士の説が與つて力があつた爲だといふことです。
「日本主義」を起した人々は、芳賀博士、上田萬年博士、元良勇次郎博士、井上哲次郎博士、湯本武比古先生、高山林次郎氏、木村鷹太郎氏、藏原惟廓氏などであり、第一號より第十七號までは、竹内楠三氏が編輯主任であつたが、第十八號から私が編輯助手として入り、第二十四號以來全く私が編輯主任として、牛込新小川町の寓居に「大日本協會」の看板を掲げた。資本家は岡崎遠光君で、開發社から離れて獨立することゝなつた。併しその主義綱目は決して變らない。今之を見ると、明治三十年頃と今日昭和の時代と少しもかはつてゐないやうに思ふ。それといふのは、「日本主義」の目的及綱目が、今日もなほ適切である。即ち
   日本主義
    目的
一日本建國ノ精神ヲ發揮ス
    綱目
一國祖ヲ崇拜ス
一光明ヲ旨トス
一生々ヲ尚ブ
一精神ノ圓滿ナル發達ヲ期ス
一社會的生活ヲ重ンズ
一國民的團結ヲ重ンズ
一武ヲ尚ブ
一世界ノ平和ヲ期ス
一人類的情誼ノ發達ヲ期ス
大日本協會
といふのである。明治三十年頃「社會的生活」とか、「人類的情誼」とかいふのは、大變ハイカツタ言葉であつた。併しその一大目的、十大綱目は、今日の時代にむしろ切實である。而して恐らくは永久に必要であらう。
 芳賀博士の不朽の著「國民性十論」の如きは、即ち日本主義そのものを説述せられたのである。昔は日清戰役後、國家的自覺心の唱道の爲に必要であつたが、今日は外來思想の惡化が烈しくなるにつれて、「日本主義」の唱導が更に必要になつてきた。
 私が「日本主義」を編輯するやうになつてから、いつも御厄介を願つたのは芳賀博士であつた。それに原稿が足りないと、いつも博士に無理を言つて御願ひしたものだ。私の手許に殘つてゐる博士の手紙(毛筆で書かれた)を見ると、次のやうな文句が書かれてある。
拜啓。文學史十講御一讀被成候由、御過賞にあつかり、恐縮の至に御座候。實は忽卒の演説にて、おもひあやまりたる處もあり、今更慙愧に堪へざる點多々有之、再板の節改めたき考に御座候。さて明治文學の一節、日本主義へ御掲載云々の御來旨、拜承いたし候。然る處、右にも少々誤字等も有之、花柳春話とあるべきを、花柳餘情と記憶の誤等も有之候間、御出し相成候節には、一應原稿御示し被下度、大体はもとより改めず候へども、一二活字の誤植等は改め度候間、右乍御面倒御願申上候、御返事旁如此、餘拜眉にゆづり申候
早々頓首
一月十六日
やいち
高橋賢兄
 この芳賀博士の手紙や、その他名士の手紙を卷物に表裝したので、その卷物を携へて、昭和元年十二月二十六日午前十時に、芳賀博士をおとづれたのである。幸ひ御在宅で、玄關の側の應接間に瓦斯ストーブを擁しながら、いつもの温顏で心地よく御話をして下さつたのだ。携へた卷物を御覽に入れたら、大層御悦びになつて、こんな自分の粗末な手紙までも立派に表裝してもらつては畏入るなど仰せられた。これが私にとつて博士と永訣にならうとは、神ならぬ身の知る由もなく、博士に悦ばれたことを、自分も悦んで歸つたのです。
「日本主義」は後に經營難の爲め三省堂から發行され、又後に木村鷹太郎氏の編輯時代になりいろ/\劃策されたが、遂にやむなく廢刊することになつた。其後私が芳賀博士を訪ふ毎に、博士も「日本主義」の再興を説かれ、私も亦その御説に傾聽したのであるが、いはゆる日本主義は殆ど普及して、今や敢てその宣傳を要しないので、更に「大日本主義」として再興することを御頼み申して居つたのだ。昔の「日本主義」は破邪顯正の爲にやゝ偏狹に見られた嫌があつたので、「大日本主義」と改めてと、博士の御説であつた。
 つら/\近年の世相を考ふるに、外來の惡思想がとかく「日本主義」を呪ひ、建國の精神と國民の男性とを忘れさせるやうな事がないでもない。嗚呼先に「日本主義」の創立者たる湯本武比古先生を失ひ、今又「日本主義」の大恩人たる芳賀博士を失つたのは實に悲痛の至に堪へない。





底本:「近代作家追悼文集成 第二十一巻」ゆまに書房
   1992(平成4)年12月8日発行
底本の親本:「芳賀先生」國學院大学院友会
   1927(昭和2)年4月20日
初出:「芳賀先生」國學院大学院友会
   1927(昭和2)年4月20日
入力:岩澤秀紀
校正:きゅうり
2019年1月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード