還暦反逆

久保田万太郎




 去年の大晦日である。
 ――あなたも、いよ/\、来年は還暦ですね。
 と、ある人にいはれた。
 ――さうですね。
 と、ぼくは、それに対して、人ごとのやうにこたへた。
 ――だつて、さうなんでせう?……六十一におなりになるんでせう、来年?……
 と、相手は、あきらかに、そのこたへに満足しなかつた。
 ――数へ年ならね……
 ぼくのこたへはしかし、どこまでも素つ気なかつた。
 が、あとでこれを知つた、還暦あるひはホンケガヘリといふ奴は、生れた年のエトとおなじ年のエトのふたゝびまはつて来ることで、かならずしも、だから、その年齢の、満、未満にはかゝはらないのだといふことを……
 ぼくはいま/\しくなり、さうか、それならと、すなはち、

着ぶくれの
おろかなるかげ
曳くを恥づ

 といふ句をつくり、

年寒し
うつる空より
うつす水

 といふ句をつくつて、みづから嘲り、これに“還暦とや”といふ“前書”をあたへた。……あとの句は、薄暮たま/\海岸橋をすぎ、しづかに海に入る滑川の冷めたい水のひかりをみたときできたのである。

         *

 海岸橋といへば、これも矢つ張、去年のことだつたが、海岸橋のそのすこしさきを停車場のはうへ切れた松並木の途中、一の鳥居の近くで、あるとき、髪の真つ白な、頬のゆたかな、きはめて品のいゝ老女に、
 ――失礼でございますが、あなた?……
 突然、ぼくは名まへをよばれたものである。
 勿論、ぼくは、しかる旨をこたへて立留つた。そして、改めて、その顔をみた。……鎌倉在住の、とくにそれも、そのあたりに住む人であらうことは、戦争以来の風俗の、腰ッきりのみじかい上つ張を着、片手に買物籠を下げた恰好によつて一目で知れた……
 ――御記憶ないかも知れません。
 と、その人は、しづかに、しかし歯切れよく、
 ――わたくし、以前、浅草の、お宅の御近所にをりましたHでございますが……
 ――あゝ、Hさん……
 ぼくは思はずさういつて、そのまゝぼくの口辺の綻びるのを感じた。……“Hでございますが……”と、さういはれた途端、あまりに早く、あまりに直ちに、わたくし自身、その人の誰だつたかを思ひだすことができたから……
 ……ぼくは、そのHさんと、十五分あまり立話をした。
 で、どんな話をしたかといへば、その内容は、ぼくとそのHさんとだけにしかわからないことばかりだつたといへばいゝ。……四十四五年まへの浅草に関しての、それもその、ぼくとHさんとの間にだけかぎられた知人たちのうはさばかりをしたのだからである。……だから、ぼくは、それをくはしく読者につたへようとは思はないし、また、つたへてもはじまらない。ぼくは、たゞ、Hさんが、ぼくの生れ、そして育つた浅草での、田原町といふ町に程近い北東仲町……いま“区役所横町”とよばれてゐる通りの一角に住んでゐて、わたくしと同じ馬道の小学校に、しかも同級生としてかよつてゐたといふことだけいへばいゝのである。……といつても、Hといへば、当時、浅草での屈指の大地主だつたこと、その住居の、小さなあきんどやばかり立並んだその界隈ではめッたにみられない“門がまへ”をもつてゐたことによつてもあきらかだつたのだが、Hさんは、じつにそのH家の秘蔵つ子で、つねに、学校にあつてさへ、友禅の長い袂をふりはえてゐた、豊麗、牡丹のごときお嬢さんだつたのである……
 その日、ぼくは、このごろでの美しき出来事として、東京から来た客にこれを話した。
 ――あゝも早く、おもひきりよく、老けてしまふものかねえ、女つてものは。……おない年なんだよ、おれと。……戦争中、九州まで逃げて行つたり、御主人をなくしたり、いろ/\と苦労はしたらしいんだが……
 と、そして、ぼくはつけ加へた。
 ――といふことは、どうだ、おい、おれは若いだらう、年にはみえないだらう?……といひたいんでせう、あなたは……
 聞き手の一人はいつた。
 ――いくら自分で若いつもりでも、人からみれは、矢つ張、年は年ですよ。孫の二三人位あり、その孫たちを相手に、日向ぼッこの背中をいくらまるくしたつて、ちッともをかしかァありませんよ。……そこまで、もう、ちやんと揃つてますよ、すべての条件が……
 聞き手のもう一人はいつた。
 ぼくはさうした道具外れのにくまれ口に耳をかす代りに、
 ――それよりも、こゝに一つの不思議は、だ……
 と、ぼくは、ぼくの話をかまはずつゞけた。
 ――おれは、子供の時分、そのHさんと一度も口をきいたことがなかつた。……口をきくどころか、側へよつたことだつてなかつた。……それほどもう大人だつたんださきは。……といふことは、今日のいまゝで、口をきいたこともなければ、側へよつたこともなかつたといふわけで、おなじ土地に育つたとはいつても、その住んでゐる世界はまるッきりちがつてゐたのさ。……それがどうだ、さきから声をかけられたとはいへ、今日のめぐりあひは、どこからみたつて、昔なじみの、きはめて自然な、うそもかくしもないめぐりあひだ。……顔みしりだけの、四十四年目にはじめてさう口をきいたとは、おれも思はなかつたが、おそらくHさんも思はなかつたらう。……思つたら声はかけなかつたらう、……“時”の経過つて奴ァ、矢つ張、おもしろいね……
 これには、どッちの聞き手も、なるほどゝ思つたのだらう、何んともいはなかつた。
 去年にしてすでにこれだから、今年に入つたとなるや、敵の攻勢は露骨の度を増して来るばかりだつた。
 ――里見さんのときは還暦記念の野球だつたが、あなたのときは何んにしようかナ?
 と、たとへば、かれらの一人はいつた。
 ――水上競歩でもあるまいね。ぼくはこたへた。
 ――赤い頭巾と、ちやん/\こと、どッちが希望ですか?
 と、たとへば、かれらの一人はいつた。
 ――“舌切雀”のぢいさんが雀の宿へ行きやァしまいし、どッちも入らないよ、そんなもの……
 ぼくはこたへた。
 ――存外、洒落のわからない人ですね、あなたつて人は。……人が“おめでたう”といつたら“有難う”と、わらつてたゞさういつてればいゝんですよ、あなたは……
 と、たとへば、かれらの一人はいつた。
 ――何事にもクギリをつけられるのがきらひでね、おれつて奴ァ。年は年、おれはおれだよ。……おれがいまゝでゞ六十一年生きたからつて、何も、人から祝はれることはない。……もし、六十一になつた記念に、赤いものを身につける必要があるなら、頭巾をかぶらなくつても、ちやん/\こを着なくつても、外にいくらでも方法はある……
 ぼくはいつた。
“十一月七日”といふ前書を置いて、

茶の花に
おのれ生れし
日なりけり

 といふ句をつくつたことがある。……その七日の来ないまへに、ぼくは、由比ヶ浜通りの懇意な洋品店へ行つて、ありッたけのネクタイをださせ、その中から臙脂の濃いのをよりだした。そして、その日、午後、東京へでるのに、早速それをもちひた。……もし誰かあつて“派手だナ”とでもいつたら、
 ――六十一だよ。
 勿論、ぼくは、さういつてやるつもりである。

冬服の
紺、ネクタイの
臙脂かな

 ――さうだ、あの人もことしは六十一だ……
 停車場へ行く途中、松並木を抜けて、ヒョイと、ぼくは、Hさんをおもひだした。
 ――どうしたらう、その後、ちッとも往来で逢はないが……

         *

 七日の朝、突然、東京へ嫁に行つてゐる妹がたづねて来た。
 ――何んだ、こんなに早く……
 といふと、
 ――おめでたうごさいます。
 それにこたへる代りにさういつて、かの女は、ぼくの目のまへに大きな風呂敷包みをあけた。
 羽二重の大きな座布団の赤い色がぼくの目を射た。
 ことし四十一になる妹と、ことし二十九になる子供とからの心づくしのおくりものだつた。
 三十八でこの世を去つた子供の母親がいまゐれば、ことし、五十三である。
 ぼくは、縁さきの、石蕗の花に目を遣つた。……ほとけの死ぬまへ、一月ほどゐた熱海の宿の庭にまぶしいほど咲いてゐたこの花である……
 ――おい、おい……
 ぼくは大きな声で、茶の間にゐたいまの女房をよんだ。
 ――駄目だ、駄目だ。……到頭、もちこまれてしまつた、祝ひものを……





底本:「日本の名随筆34 老」作品社
   1985(昭和60)年8月25日第1刷発行
   1994(平成6)年5月20日第18刷発行
底本の親本:「久保田万太郎全集 第一一巻」中央公論社
   1968(昭和43)年3月25日
初出:「東京新聞」
   1949(昭和24)年11月26日〜28日
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2014年1月18日作成
2014年6月22日修正
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