七代目坂東三津五郎

久保田万太郎




 七代目坂東三津五郎(屋号、大和屋やまとや)。本名、守田寿作。
 明治十五年九月二十一日、東京、京橋新富町に生れた。
 明治二十二年十月、八歳で、坂東八十助と名のり、初舞台をした。
 劇場は新富座で、役は“伽羅先代萩”の幼君鶴千代だつた。……といつてしまへば何んのこともないが、このときのこの先代萩、じつに、政岡と細川勝元とを九代目団十郎、八汐と仁木弾正とを五代目菊五郎、嘉藤太と外記とを初代左団次……といつた豪華な役割によるものだつた。
 いかに祝福された初舞台だつたか。
 座元、十二代目守田勘弥を父にもつたかれは、俳優として、まづかうした幸福な第一歩をふみだした……のだつたが、それにもかゝはらず、その後のかれの……とくに青少年時代のかれの、この発途にこたへるだけのかゞやかしさにめぐまれなかつたのはなぜか?……父、勘弥の晩年の失脚と、それにつゞく寂しい死……この人、明治三十年八月、五十二歳でこの世を去つた……とが、有無なく、かれに……かればかりでなく、かれのおとうとの三田八にも、あるまじく、暗い影を曳かせたのである。(かれ八十助について語るとき、われ/\は、同時に、かれと三つちがひだつたこの弟について語るのを忘れてはならぬ。)

     □

 室田武里こと田村成義が、雑誌“歌舞伎”に連載した“無線電話”は珍重すべき劇界秘録だが、その明治三十四年三月のくだりに、著者は、亡き勘弥との架空の対談に、かれ、及び、三田八に関し、率直に、つぎのやうにいつてゐる。

△……さうして子供達は如何致してをります。
○八十助ちやんは大分大きくなつて、今は歌舞伎座に出ておいでゞす。
△舞台はどうでせう。
○踊はよく踊られますが、形の小さいのと調子の悪いのが瑕です。それに今はあひですから、思ふやうな役も付きませんが行々ゆく/\は好くなられて、坂東三津五郎を嗣ぐやうになりませう。
△有難う、して弟の三田八はどうです。
○あの子は兄さんより舞台も器用でしつかりしてゐるやうですから、子供芝居でも評判の好い方ですが、新富座には更に出ません。
△それはどういふ訳でせう。
○貴方の御家内と猿屋とが仲が悪いからでせう。
△それはどういふ訳でせう。
○近頃大阪から中村紫琴の倅で、又五郎といふ子役が猿屋に同居してをりまして、それと三田八ちやんと、役揉めがするからでせう。
△情ないものですねえ。

 明治三十年、浅草新猿屋町の浅草座に、沢村訥子の息子の小伝次、中村時蔵(後に歌六)の息子の吉右衛門、市川九蔵(後に団蔵)の息子の銀蔵らを中心とした子供芝居の一座が組織され、すくなからず人気をえたのに倣つて、その年の末、新富座に、片岡市蔵の息子の亀蔵だの、市川猿之助の息子の団子だのをあつめての、もう一つの子供芝居の一座が結成された。三田八もその座に加入したが、たちまち大阪下りの中村又五郎と対立、個人的感情のもつれから、ひさしくそこにとゞまらなかつた。
 世が世であれば、押しも押されもしない座元の息子の、一大阪役者の息子と同日に論ぜらるべきではなかつたのである。しかも“無線電話”の著者の、勘弥の口をりて、“情ないものですねえ。”と嘆息した所以の、それほど時運は、かれら同胞きやうだいに味方しなかつたのである。

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 明治三十九年四月、八十助は、坂東三津五郎と改名した。
 おなじ年の十一月、三田八は、十三代目守田勘弥を襲名した。
 しかし、その発表は、ともに決して目立めだゝしいものではなかつた。まへのものは歌舞伎座でなされ、その記念のための出しものは“女夫狐”だつた。あとのものは新富座でなされ、その披露のための出しものは、兄三津五郎と二人での“連獅子”だつた。
 それにしても、それらの、当時の劇壇に、小石を投げたほどの波紋さへ描かなかつたといふことは……
 畢竟、かれらには、しかるべき指導者もなければ庇護者も、そして後援者もなかつたのである。……かれらの面上をふいてすぎる“浮世”の風は、あくまで、冷めたく、つれなかつたのである。
 が、かれらは……とくに、かれは、隠忍、よくそれに堪へた。

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 明治四十年以降、かれは、おとうと守田勘弥とゝもに、下谷二長町の市村座に居附いた。田村成義によつて若手歌舞伎の一座が組織されたからである。尾上芙雀(後に菊次郎)、中村駒助(後に大谷友右衛門)、尾上幸之助(後に紋三郎)たち、二十代の、はつらつとした青年たちばかりがその一座に属し、しかもかれのえた位置は“座頭”だつた。
 こゝに、はじめて、かれは安定した。……といふことは、後にその一座に、六代目菊五郎と、中村吉右衛門とが上置うはおきとして加入し、漸次、明治大正の演劇史に重要なページを占めるにいたつた、いふところの“市村座時代”をつくりだしたあと/\まで、かれの“座頭”としての位置にゆるぎはなかつたから。……そして、また、かれとしても、いつかそれだけの貫禄を身につけたのである。……ことほど、ながい年月としつきの苦労は、決してかれに、無駄ではなかつたのである。
 と同時に、逆に、菊五郎をえたことによつて、所作事、あるひは、浄瑠璃所作事に於けるかれの舞踊力は、従来よりも、一段と高く評価されるにいたつた。なぜなら、菊五郎の、一応、自由に、奔放にみえる技法に対して、かれのそれは、あくまで丹念であり、おだやかであり、そして堅実だつたから。……
 観衆は、いまさらのやうに、その技術の正しさに目をみ張つた。……菜の花や、月はひがしに、日は西に。……まことにいみじき神の摂理の、しかも、菊五郎とかれと、両者、相携へての新作の舞踊劇……“身替座禅”なり、“棒しばり”なり、“太刀盗人”なりの……が、いかほど、嘗ての日の市村座繁昌のもとゐをなしたことか……

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 昭和二十三年八月、かれは日本芸術院会員に推された。
 昭和三十年一月、かれは、重要無形文化財の保持者として選定された。
 ともに舞踊家としてゞある。
 かくて、坂東三津五郎は、俳優としてよりも、それ以上に、舞踊家としての貴重な存在になつた。
 が、いまや、数へ年、七十三歳。……菊五郎、吉右衛門をはじめ、嘗ての市村座の仲間は、当時、最も若かつた米吉(いまの時蔵である)と男寅(いまの左団次である)の二人だけを残して、だれもかれも、みんな鬼籍に入つてしまつた。……おとうとのかの勘弥のごときは、歌舞伎界まれにみる情熱的な働き手だつたが、それでさへ、昭和七年、四十八歳の若さで死んだのである。
 けだし、首をめぐらして、いま、かれは、千万無量のおもひであらう。

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“踊りの中で、私の好きなものは、「喜撰」「小原女奴」「傀儡師」などで、自分でやつてゐて面白うございます。「喜撰」で、「チョボクレ」のところなどは、本当に面白いと思ひます。”

“見てゐても面白いし、踊つてゐても面白いのは、常磐津の「俳諧師」でせう。これは三代目歌右衛門のもので、大阪から帰つて来たときに出したものです。向島から隅田川を隔てゝ、浅草の仮宅を眺める振りがあり、仮宅時分の文句ですが、口説きのところなど面白いものです。”

“「関の扉」の墨染なども面白く、「三つ面子守」も、面が非常に難しうございますが、面白うございます。やつぱりどつしりした大きなものは、力がはひつて、自分でいゝ気持にはなりますが、面白いと云ふのはまた別です。”

“踊りで厭だと思ふものは、余りありませんが、強ひて云へば、「三人片輪」など、踊りと云ふほどの踊りではありませんが、厭な方です。「鈍太郎」「ひつつき烏帽子」「高坏たかつき」なんかの新しい狂言風のものは厭でした。尤も狂言風のものでも、「棒しばり」「身替座禅」なんかは面白く、好きな踊りの方でせう。”

“「三社祭」のやうなものは面白いのですが、あゝ云ふ風に、動きどほしに動いてゐるものは骨が折れます。そしてあれは、善玉悪玉両方とも、同じ程度に踊れるものでやらないと、面白くありません。
 今、やつてゐる踊りは、大概、三代目歌右衛門か、三代目三津五郎のものです。俗にヨイヨイの三津五郎――「ヨイ三津」と云はれた、四代目三津五郎もよかつたさうです。
「三杜祭」などは、四代目三津五郎と、四代目歌右衛門でやつたものです。”

“浄瑠璃では、清元が一番間が難しいので、踊りにくいと思ひます。堀越のをぢさんなどは、「文屋」を、常磐津で踊つてをりました。”

 以上は、終戦後にでた、“三津五郎芸談”から拾ひだした談片だが、これらのわづかな、落穂のやうな言葉数の中からでも、われ/\は、かれの柔和な人柄と、舞踊に対するきはめて控へめな、しかも率直な意見……すくなくも“好み”とを、容易にくみとることができるのである。……有徳人うとくじんのやうなかれの、水のやうに澄み切つた心境よ。……

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 これよりさき、そも/\かれは、誰からその舞踊に関する技法をまなんだか?
 二代目藤間勘右衛門(後に勘翁、七代目松本幸四郎の父)、花柳輔次郎(初代花柳寿輔の門下で、師匠まさりとさへいはれた名人。浅草茅町に住んでいた関係で“茅町の師匠”とよばれた舞踊家)、及び、四代目中村芝翫(五代目歌右衛門の父)の薫陶をうけた。
 尚、かれは明治三十九年以来、坂東流の家元として、その流派を統括してゐる。……坂東流は、化政度の名優にして、且、舞踊の名手だつた三代目坂東三津五郎(俗称、永木の三津五郎)の創るところである。





底本:「日本の名随筆 別巻10 芝居」作品社
   1991(平成3)年12月25日第1刷発行
   1997(平成9)年5月20日第4刷発行
底本の親本:「久保田万太郎全集 第一二巻」中央公論社
   1968(昭和43)年5月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年3月26日作成
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