山之口貘詩集

山之口貘




喪のある景色



うしろを振りむくと
親である
親のうしろがその親である
その親のそのまたうしろがまたその親の親であるといふやうに
親の親の親ばつかりが
むかしの奧へとつづいてゐる
まへを見ると
まへは子である
子のまへはその子である
その子のそのまたまへはそのまた子の子であるといふやうに
子の子の子の子の子ばつかりが
空の彼方へ消えいるやうに
未來の涯へとつづいてゐる
こんな景色のなかに
神のバトンが落ちてゐる
血に染まつた地球が落ちてゐる
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世はさまざま



人は米を食つてゐる
ぼくの名とおなじ名の
貘といふ獸は
夢を食ふといふ
羊は紙も食ひ
南京虫は血を吸ひにくる
人にはまた
人を食ひに來る人や人を食ひに出掛ける人もある
さうかとおもふと琉球には
う※[#小書き平仮名む、13-4]まあ木といふ木がある
木としての器量はよくないが詩人みたいな木なんだ
いつも墓場に立つてゐて
そこに來ては泣きくづれる
かなしい聲や涙で育つといふ
う※[#小書き平仮名む、13-9]まあ木といふ風變りな木もある
[#改見開き]



なんにもなかつた疊のうへに
いろんな物があらはれた
まるでこの世のいろんな姿の文字どもが
聲をかぎりに詩を呼び廻つて
白紙のうへにあらはれて來たやうに
血の出るやうな聲を張りあげては
結婚生活を呼び呼びして
をつとになつた僕があらはれた
女房になつた女があらはれた
桐の箪笥があらはれた
藥罐と
火鉢と
鏡臺があらはれた
お鍋や
食器が
あらはれた
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炭屋にぼくは炭を買ひに行つた
炭屋のおやぢは炭がないと云ふ
少しでいいからゆづつてほしいと云ふと
あればとにかく少しもないと云ふ
ところが實はたつたいま炭の中から出て來たばつかりの
くろい手足と
くろい顔だ
それでも無ければそれはとにかくだが
なんとかならないもんかと試みても
どうにもしやうがないと云ふ
どうにもしやうのないおやじだ
まるで冬を邪魔するやうに
ないないばかりを繰り返しては
時勢のまんなかに立ちはだかつて来た
くろい手足と
くろい顔だ
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思ひ出



枯芝みたいなそのあごひげよ
まがりくねつたその生き方よ
おもへば僕によく似た詩だ
るんぺんしては
本屋の荷造り人
るんぺんしては
煖房屋
るんぺんしては
お灸屋
るんぺんしては
おわい屋と
この世の鼻を小馬鹿にしたりこの世のこころを泥んこにしたりして
詩は
その日その日を生きながらへて來た
おもへば僕によく似た詩だ
やがてどこから見つけて來たものか
詩は結婚生活をくはへて來た
ああ
おもへばなにからなにまでも僕によく似た詩があるもんだ
ひとくちごとに光つては消えるせつないごはんの粒々のやうに
詩の唇に光つては消える
茨城生れの女房よ
沖繩生れの良人よ
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結婚



詩は僕を見ると
結婚結婚と鳴きつづけた
おもふにその頃の僕ときたら
はなはだしく結婚したくなつてゐた
言はば
雨に濡れた場合
風に吹かれた場合
死にたくなつた場合などとこの世にいろいろの場合があつたにしても
そこに自分がゐる場合には
結婚のことを忘れることが出來なかつた
詩はいつもはつらつと
僕のゐる所至る所につきまとつて來て
結婚結婚と鳴いてゐた
僕はとうとう結婚してしまつたが
詩はとんと鳴かなくなつた
いまでは詩とはちがつた物がゐて
時々僕の胸をかきむしつては
箪笥の陰にしやがんだりして
おかねが
おかねがと泣き出すんだ
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友引の日



なにしろぼくの結婚なので
さうか結婚したのかさうか
結婚したのかさうか
さうかさうかとうなづきながら
向日葵みたいに咲いた眼がある
なにしろぼくの結婚なので
持參金はたんまり来たのかと
そこにひらいた厚い唇もある
なにしろぼくの結婚なので
いよいよ食へなくなつたらそのときは別れるつもりで結婚したのかと
もはやのぞき見しに來た顔がある
なにしろぼくの結婚なので
女が傍にくつついてゐるうちは食へるわけだと云つたとか
そつぽを向いてにほつた人もある
なにしろぼくの結婚なので
食ふや食はずに咲いたのか
あちらにこちらに咲きみだれた
がやがやがやがや
がやがやの
この世の杞憂の花々である
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夢を見る神



若しも生れかはつて來たならば
彫刻家になりたいもんだと云ふ小説家

若しも生れかはつて來たならば
生殖器にでもなりすますんだと云ふ戀愛

若しも生れかはつて來たならば
お米になつてゐたいと云ふ胃袋

若しも生れかはつて來たならば
なちす になるか それん になるか どちらになるのか あのすぺいん

若しも生れかはつて來たならば
なんにならうと勝手であるが
若しも生れかはつて來たならばなんにならうと勝手なのか
とある時代の一隅を食ひ破り神の見知らぬ文化が現はれた
こがね色のそれん
こがね色のなちす
こがね色のお米
こがね色の彫刻家
こがね色の生殖器

ああ
文明どもはいつのまに
生れかはりの出來る仕掛の新肉體を發明したのであらうか
神は郷愁におびえて起きあがり
地球のうへに頬杖ついた

そこらにはばたく無數の假定
そこらを這ひ摺り廻つては血の音たてる無數の器械
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上り列車



これがかうなるとかうならねばならぬとか
これがかうなればかうなるわけになるんだから
かうならねばこれはうそなんだとか
兄は相も變らず理窟つぽいが
まるでむかしがそこにゐるやうに
なつかしい理窟つぽいの兄だつた

理窟つぽいはしきりに呼んでゐた
さぶろう
さぶろう と呼んでゐた
僕は自分がさぶろうであることをなんねんもなんねんも忘れてゐた
どうにかすると理窟つぽいはまた
ばく
ばく と呼んでゐた
僕はまるでふたりの僕がゐるやうに
ばくと呼ばれては詩人になり
さぶろうと呼ばれては弟になつたりした

旅はそこらに郷愁を脱ぎ棄てて
雪の斑點模樣を身にまとひ
やがてもと來た道を搖られてゐた
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彈痕



アパートの二階の一室には
陰によくある女が一匹ゐた
その飼主は鼻高で色はあさぐろいがめがねと指環の光つた紳士であつた
鼻高の紳士は兜町からやつて來た
かれの一日は
夜をあちらの家に運び
ひるまをこちらの二階に持ち込んで來てひねもす女を飼ひ馴らした
かれらの部屋がまた部屋でふたりがそこにゐる間
眞晝間ドアに鍵してすましてゐた
八百屋でござい
が來ると鍵をはづし
米屋でござい
が來ると鍵をはづし
いちいち鍵をはづしては鼻を出し直ぐまた引つ込めて鍵してしまふ
ずゐぶんふざけた部屋だつたが
すましかへつてゐたある日
外では煙硝のにほひが騷いでゐた
鼻高の紳士は鍵をはづして出て見たがやがてそのまま出て行つた
まもなく部屋には物音どもが起きあがりそこらあたりに掻き亂れた
いぶる世紀と
くすぶる空
鼻高さんはもう歸らない
そこに突つ立ち上つたかなしいアパート
アパートの横つ腹にぽつこりと開いたひとつの穴だ
そこからこぼれる食器や風呂敷包
そこからはみ出る茶箪笥と女
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紙の上



戰爭が起きあがると
飛び立つ鳥のやうに
日の丸の翅をおしひろげそこからみんな飛び立つた

一匹の詩人が紙の上にゐて
群れ飛ぶ日の丸を見あげては
だだ
だだ と叫んでゐる
発育不全の短い足 へこんだ腹 持ち上らないでつかい頭
さえづる兵器の群をながめては
だだ
だだ と叫んでゐる

だだ
だだ と叫んでゐるが
いつになつたら「戰爭」が言へるのか
不便な肉體
どもる思想
まるで沙漠にゐるやうだ
インクに渇いたのどをかきむしり熱砂の上にすねかへる
その一匹の大きな舌足らず
だだ
だだ と叫んでは
飛び立つ兵器の群をうちながめ
群れ飛ぶ日の丸を見あげては
だだ
だだ と叫んでゐる
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日和



とうさんの商賣はなんだときくと
ひつぱつてゆくんだと彼女は云つた
おまはりさんなのかと思つてゐると
ひつぱつてゆくんだがうちのとうさんは人夫ではないよと彼女は云つた
ひつぱつてゆくんだが人夫ではない
おまはりさんでもなかつたのか
いつたいなんの商賣なんだときくと
人夫を多勢ひつぱつてゆくんだと云ふ
けれども彼女のとうさんは線路の傍に立つてゐて
人夫達のするしごとを
見てゐるだけだと彼女は云つた
人夫のかんとくさんだらうと云ふと
身悶えしながら彼女は云つた
おまへもうちのとうさんに
職を見つけてもらへと云つた
だまつてゐると
話をしろと云ひ
話をするとする話をもぎとつて
すぐに彼女は挑んで來る
どうせ職ならいつでもほしくなるやうにと僕のおなかはいつでもすいてゐるのだが
男みたいな女を
こひびとなんかにしてしまつたこのことばかりは生れてはじめてのこと
おまへとはなんだいと呶鳴つてやれば
おまへのことだよなんだいと云ひ
女のくせになんだいと呶鳴つたら
るんぺんのくせになんだいと來た
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襤褸は寢てゐる



野良犬・野良猫・古下駄どもの
入れかはり立ちかはる
夜の底
まひるの空から舞ひ降りて
襤褸は寢てゐる
夜の底
見れば見るほどひろがるやうひらたくなつて地球を抱いてゐる
襤褸は寢てゐる
鼾が光る
うるさい光
眩しい鼾
やがてそこいらぢゆうに眼がひらく
小石・紙屑・吸殼たち・神や佛の紳士も起きあがる
襤褸は寢てゐる夜の底
空にはいつぱい浮世の花
大きな米粒ばかりの白い花
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加藤清正



血沫をあげ
あはただしくも虎年が來た

虎だ と云へば
上野の動物園や虎の皮や 虎そのものを思ひ出すといふことよりも
思ひ出すのは加藤清正まづその人なのである
かれはそのむかし
虎狩りですつかりをとこをあげ
以來
歴史の一隅を借り受けて
そこにおのれの名をかかげ
虎のゐるところどこにでも出掛けては 史上の生活を營んでゐた
かれはまるで動物園の虎の係りであるかのやうに
いつも人待ち顏で檻の傍に立ち
虎に生彩を投げあたへたりして 少年達に愛されてゐた

ところでこれは今年のことである
その日 動物園には僕もゐた
僕は少年達の頭の間から そこいらにごろごろ轉つてゐる肉體の文明どもに見とれてゐた
やがて少年達がそこをひきあげると
例の加藤清正彼がである
かれは僕の肩をたたき その掌をおのれの腦天に置き おもむろに唇をうごかした
弱つた とかれが言つた
ことしは虎で困つたことになつた と言つた
これは意外にも かれのマンネリズムから飛び出してゐるほどの 更に一段と歴史的にほひの高い言葉であつた
それにしても
だがそれにしても僕はおもふ
史上の彼方からはるばると おのれを慕ひ虎を慕ひ 動物園にまでやつてくるこの古ぼけた人物の上にすら つひに時勢の姿は反映するものか
虎に出て來られて
加藤清正が困つては
それは虎狩りの少年達が困る と僕は言つた するとかれはあたりを見廻して
かなしげな聲を立て
むかしを呼ぶやうに かれは見知らぬ虎どもの名を呼んだ
すたありん
むつそりいに
ひつとらあ

そのとき
檻のなかでは
めをほそめ耳の穴だけ開けてゐた
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鼻のある結論



ある日
悶々としてゐる鼻の姿を見た
鼻はその兩翼をおしひろげてはおしたたんだりして 往復してゐる呼吸いきを苦しんでゐた
呼吸は熱をおび
はなかべを痛めて往復した
鼻はつひにいきり立ち
身振り口振りもはげしくなつて くんくんと風邪を打ち鳴らした
僕は詩を休み
なんどもなんども洟をかみ
鼻の樣子をうかがひ暮らしてゐるうちに 夜が明けた
ああ
呼吸するための鼻であるとは言へ
風邪ひくたんびにぐるりの文明を掻き亂し
そこに神の氣配を蹴立てて
鼻は血みどろに
顏のまんなかにがんばつてゐた

またある日
僕は文明をかなしんだ
詩人がどんなに詩人でも 未だに食はねば生きられないほどの
それは非文化的な文明だつた
だから僕なんかでも 詩人であるばかりではなくて汲取屋をも兼ねてゐた
僕は來る日も糞を浴び
く日も糞を浴びてゐた
詩は糞の日々をながめ 立ちのぼる陽炎のやうに汗ばんだ
ああ
かかる不潔な生活にも 僕と稱する人間がばたついて生きてゐるやうに
ソヴィエツト・ロシヤにも
ナチス・ドイツにも
また戰車や神風號やアンドレ・ジイドに至るまで
文明のどこにも人間がばたついてゐて
くさいと言ふには既に遲かつた

鼻はもつともらしい物腰をして
生理の傳統をかむり
再び顏のまんなかに立ち上つてゐた
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士族



往つたり來たりが能なのか
往つたばかりの筈なのに
季節顏してやつて來る

それが 春や夏らの顏ならまだよいが
四季を三季にしたいくらゐ見るのもいやなその冬が
木の葉を食ひ食ひこちらを見い見いやつて來る
兩國橋を渡つて來る

來るのもそれはまだよいが
手を振り
睾丸振り
まる裸

裸もまだよい
あの食ひしんぼうが
なにを季節顏して來るのであらうか

第一
ここは兩國ビルの空室である
たまには食つても食ふめしが たまには見ても見る夢が
一から
十まで
借り物ばかり
その他しばらく血の氣を染め忘れた 手首 足首 この首など
あるにはあるが僕の物
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蹴つ飛ばされて
宙に舞ひ上り
人を越え
梢を越え
月をも越えて
神の座にまで屆いても
落つこちるといふことのない身輕な獸
高さの限りを根から無視してしまひ
地上に降り立ちこの四つ肢で歩くんだ
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轉居



詩を書くことよりも まづめしを食へといふ
それは世間の出來事である
食つてしまつた性には合はないんだ
もらつて食つてもひつたくつて食つても食つてしまつたわけなんだ
死ねと言つても死ぬどころか死ぬことなんか無駄にして食つてしまつたあんばいなんだ
ここに食つたばかりの現實がある
空つぽになつて露はになつた現實の底深く 米粒のやうに光つてゐた筈の 兩國の佐藤さんをもつひに食つてしまつた現在なんだ
陸はごらんの通りの陸である
食はうとしてもこれ以上は 食ふ物がなくなつたんだといふやうに電信柱や塵箱なんか立つてゐて まるでがらんとしてゐる陸なんだ
言はなくたつて勿論である
めしに飢えたらめしを食へ めしも盡きたら飢えも食へ飢えにも飽きたら勿論なんだ
僕を見よ
引つ越すのが僕である
白ばつくれても人間面をして 世間を食ひ廻るこの肉體を引き摺りながら 石や歴史や時間や空間などのやうに なるべく長命したいといふのが僕なんだ
お天氣を見よ
それは天氣のことなんだ
海を見よ
陸の隣りが海なんだ
海に坐つて僕は食ふ
甲板の上のその 生きた船頭さんをつまんで食ひながら 海の世間に向つては時々大きな口を開けて見せるんだ
魚らよ
びつくりしなさんな
珍客はこんなに太つてゐても
陸の時代では有名な いはゆる食へなくなつた詩なんだよ
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思辨



科學の頂點によぢのぼる飛行機類
海を引き裂く船舶類
生きるとかいふ人間類

ではあるが
生きつ放しの人間なんてないもんか
生きるのであらうかと思つて見てゐると みるみるうちに死んでしまふ人間類
ゆきつ放しの船舶なんてないもんか
出帆したのかと思つてゐたら戻つて來てゐる船舶類
飛びつ放しの飛行機なんてないもんか
昇天するのかと思ふまに垂下して來る飛行機類

まるで
風におびえる蛾みたいに
金粉を浴びては
翅をたたみ
胴體にひそんでは
ふるえあがり
文明ともあらう物達のどれもこれもが 夢みるひまも戀みるひまもなく 米や息などみるひまさへもなくなつてそこにばたばたしてゐても文明なのか
ああ
かかる非文化的な文明らが現実すぎるほど群れてゐる
みんなかなしく古ぼけて
むんむんしてゐる神の息吹を浴び
地球の頭にばかりすがつてゐる
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來意



もしもの話この僕が
お宅の娘を見たさに來たのであつたなら
をばさんあなたはなんとおつしやるか

もしもそれゆえはるばると
旗ヶ岡には來るのであると申すなら
なほさらなんとおつしやるか

もしもの話この話
もしもの話がもしものこと
眞實だつたらをばさんあなたはなんとおつしやるか

きれいに咲いたあの娘
きれいに咲いたその娘
眞實みないでこの僕がこんなにゆつくりお茶をのむもんか
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再會



詩人をやめると言つて置きながら 詩ばつかりを書いてゐるではないかといふやうに
つひに來たのであらうか
失業が來たのである

そこへ來たのが失戀である
寄越したものはほんの接吻だけで どこへ消えてしまふたのか 女の姿が見えなくなつたといふやうに

そこへまたもである
またも來たのであらうか住所不定

季節も季節
これは秋

そろひも揃つた昔ながらの風體達
どれもこれもが暫らくだつたといふやうに大きな面をしてゐるが
むかしの僕だとおもつて來たのであらうか
僕をとりまいて
不幸な奴らだ幸福さうに笑つてゐる
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座蒲團



土の上には床がある
床の上には疊がある
疊の上にあるのが座蒲團でその上にあるのが樂といふ
樂の上にはなんにもないのであらうか
どうぞおしきなさいとすすめられて
樂に坐つたさびしさよ
土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに
住み馴れぬ世界がさびしいよ
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あのひとはあのやうに 毎日美しいのであらうか
僕はさうおもつた さうしてもう一足 僕は前へ出た
あのひとには 亭主があるのであらうか
そのとき僕はみたのである
曇る空
だが友よ 空が曇つて來ても氣にするな 雨にならうが泣き出すな
僕でさへ 男のつもりで生きるんだから生きるつもりの男ならなほさらなんだよ 元氣を出せ
だつてあのひとに
僕を紹介したのは誰なのか
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數學



安いめし屋であるとおもひながら腰を下ろしてゐると 側にゐた青年がこちらを振り向いたのである 青年は僕に酒をすすめながら言ふのである
アナキストですか
さあ! と言ふと
コムミユニストですか
さあ! と言ふと
ナンですか
なんですか! と言ふと
あつちへ向き直る
この青年もまた人間なのか! まるで僕までが なにかでなくてはならないものであるかのやうに なんですかと僕に言つたつて 既に生れてしまふた僕なんだから
僕なんです

うそだとおもつたら
みるがよい
僕なんだからめしをくれ
僕なんだからいのちをくれ
僕なんだからくれくれいふやうにうごいてゐるんだが見えないのか!
うごいてゐるんだから
めしを食ふそのときだけのことなんだといふやうに生きてゐるんだが見えないのか!
生きてゐるんだから
反省するとめしが咽喉につかへるんだといふやうに地球を前にしてゐるこの僕なんだが見えないのか!

それでもうそだと言ふのが人間なら
青年よ
かんがへてもみるがよい
僕なんだからと言つたつて 僕を見せるそのために死んでみせる暇などないんだから
僕だと言つても
うそだと言ふなら
神だとおもつて
かんべんするがよい

僕が人類を食ふ間
ほんの地球のあるその一寸の間
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僕の詩



僕の詩をみて
女が言つた

ずゐぶん地球がお好きとみえる

なるほど
僕の詩 ながめてゐると
五つも六つも地球がころんでくる

さうして女に
僕は言つた

世間はひとつの地球で間に合つても
ひとつばかりの地球では
僕の世界が廣すぎる
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存在



僕らが僕々言つてゐる
その僕とは 僕なのか
僕が その僕なのか
僕が僕だつて 僕が僕なら 僕だつて僕なのか
僕である僕とは
僕であるより外には仕方のない僕なのか
おもふにそれはである
僕のことなんか
僕にきいてはくどくなるだけである

なんとなればそれがである
見さへすれば直ぐにも解る僕なんだが
僕を見るにはそれもまた
もう一廻りだ
社會のあたりを廻つて來いと言ひたくなる
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食ひそこなつた僕



僕は 何を食ひそこなつたのか!

親兄弟を食ひつぶしたのである
女を食ひ倒したのである
僕をまるのみしたのである
どうせ生きたい僕なんだから何を食つても生きるんだが
食へば何を食つても足りないのか
いまでは空に脊を向けて
物理の世界に住んでゐる
泥にまみれた地球をかじつてゐる

地球を食つても足りなくなつたらそのときは
風や年の類でもなめながら
ひとり 宇宙に居のこるつもりでゐるんだよ
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マンネリズムの原因



子の親らが
産むならちやんと産むつもりで
産むぞ といふやうに一言の意志を傳へる仕掛の機械
親の子らが
生れるのが嫌なら
嫌です といふやうに一言の意見を傳へる仕掛の機械
そんな機械が地球の上には缺けてゐる
うちみたところ
飛行機やマルキシズムの配置のあるあたりたしかに華やかではあるんだが
人類くさい文化なのである
遠慮のないところ
交接が 親子の間にものを言はせる仕掛になつてはゐないんだから
地球の上がマンネリズムである
それみろ
生れるんだから生きたり
生きるんだから産んだり
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無機物



僕は考へる
ふたりが接吻したそのことを
娘さんを僕に呉れませんかといふ風に
縁談を申し込みたいと僕は言ふのだが
浮浪人のくせに と女が言ふたんだといふやうに

ところが僕は考へる
浮浪人をやめたいとおもつてゐるそのことを
縁談はまとめて置いて直ぐにもその足で
人並位の生活をなんとか都合したいと僕は言ふのだが
それではものわらひになる と女が言ふたんだといふやうに

ところが僕はまた考へるのか
とにかく縁談をはなしだけでもまとめて置きたいとおもふそのことを
だからこんなに僕が話しても僕のこころがわからぬのかと言ふのだが
さよなら と女が言ふたんだといふやうに

戀愛してゐるその間
僕は知らずにゐたんだよ
現實ごとには仰天してゐるこの僕を
[#改見開き]

音樂



あれとは口など利くなと言ふのに
あれに口を利くんだから
僕に口利く暇がなくなるんだ
だからあれを好きになつたんだらうと言ふんだが
だからあんたなんかは嫌ひとくる
だからそれみろ それはおまへが あれを好きになつたんだからであらうと言ふんだが
雨天のたびには
雨が降る
僕がものいふたびに降るものは
あの男のことばつかり
だからもういふまいと口を噤んでみるんだが
みるほどにきこえてくる音
なんの音
たとひやきもちやいてはゐてもこの僕そのものは
物はたしかに愛なんだがときこえるばかり
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會話



お國は? と女が言つた
さて 僕の國はどこなんだか とにかく僕は煙草に火をつけるんだが 刺青と蛇皮線などの聯想を染めて 圖案のやうな風俗をしてゐるあの僕の國か!
ずつとむかう

ずつとむかうとは? と女が言つた
それはずつとむかう 日本列島の南端の一寸手前なんだが 頭上に豚をのせる女がゐるとか 素足で歩くとかいふやうな 憂欝な方角を習慣してゐるあの僕の國か!
南方

南方とは? と女が言つた
南方は南方 濃藍の海に住んでゐるあの常夏の地帶 龍舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤなどの植物達が 白い季節を被つて寄り添ふてゐるんだが あれは日本人ではないとか 日本語は通じるかなどと話し合ひながら 世間の既成概念達が寄留するあの僕の國か!
亞熱帶

アネツタイ! と女は言つた
亞熱帶なんだが 僕の女よ 眼の前に見える亞熱帶が見えないのか! この僕のやうに 日本語の通じる日本人が 即ち亞熱帶に生れた僕らなんだと僕はおもふんだが 酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのやうに世間の偏見達が眺めるあの僕の國か!
赤道直下のあの近所
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日曜日



鼻の尖端が淡紅色に腫れてゐる 血液が不純なのか! 鼻が崩れ落ちたら 死んでしまふより外にはないとおもふんだが 僕には女がある
女はあちらの景色に見とれてゐる 子を産むことが一番きらひと言つてゐる さうして一番すきなのは 洋裝だとのことなんだが 僕は女に所望した

鼻が落ちても一緒に歩かうよ

けれども女は立ち止まつた
僕も立ち止まつたのであるが ここには鼻が聳えてゐるだけなんだらうか そこに立ち塞がつて かなしくふくれあがつた膨大な鼻である
ああ
なんといふ日曜日なのであらうか
既に黄昏れて
鼻の此方 戀愛のあたりは未練を灯してゐる
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挨拶



『さよなら』と僕は言つた
『今夜はどこへ歸るの?』と女が言つた 僕もまた 僕が歸るんださうだとおもひながら戸外へ出る
 僕の兩側には 寢ついたばかりの街の貌がほてつてゐる 街の寢息は 僕の足音に圓波をつくつて搖れてゐる 巡査の開いた手帖の上を 僕の足が歩いてゐる 足は 刑事に躓いて よろける 石に躓いても 足はよろけてしまふのである 足に乘つてゐると 見覺えのある壁が近づいてくる 玄關が近づいてくる
 足が逡巡すると 僕は足の上から上體を乘り出して 戸の隙間に唇をあてる
『すまないが泊めてくれ』
呼聲が地球外に佇ずんでゐるからなんだらうか! 常識外れのした時刻ときを携へてゐるからか! 見るまでもなく返事をするまでもなく それは僕であることに定めてしまつたかのやうに 默々と開く戸である 戸は默々と閉ざすのである
ところで 僕は歸つて來たのであらうか 這入つて見るとああこの部屋 坐つて見るとこの疊 かけて見るとこの蒲團 寢て見るとこのねむり なにを見てもなにひとつ僕のものとてはないではないか
ある朝である
『おはやう』と女に言つた
『どこから來たの?』と僕に言つた
流石は僕のこひびとなんだらうか 僕もまた僕 あの夜この夜を呼び起して この陸上に打ち建てた僕の數ある無言の住居 あの友情達を振り返つた
『僕は方々から來るんだよ』
[#改見開き]



操ではないのよ と女が言つたつけ
ひらがなのみさをでもないのよ カタカナで ミサヲ と書くのよ と女が言つたつけ
書いてあつた宛名の 操樣を ミサヲ樣に書きなほす僕だつたつけ
ふたりつきりで火鉢にあたつてゐたつけが
手が手に觸れて そこにとんがつてゐたあの 岬のやうになつた戀愛をながめる僕だつたつけ
またはなんだつたつけ
もはや二十七にもなつたこの髯面で
女の手を握りはしたんだがそれでおしまひのはなしだつたつけ
[#改見開き]

玩具



掌にのこつたまるい物
乳房のまんまの
まるい温度
それからここにもうひとつ
これはたしかに僕の物です と
あの肌に
捺した
指紋
[#改見開き]

第一印象



魚のやうな眼である
肩は少し張つてゐる
言葉づかひは半分男に似てゐる
歩き方が男のやうだと自分でも言ひ出した
ところが娘よ
男であらうが構ふもんか
金屬的にひびくその性格の音が良いんぢやないか
その動作に艶があつて良いんぢやないか
さう思ひながら ひたひにお天氣をかんじながら僕は歸つて來る
僕は兩手をうしろにつつぱつて僕の胴體を支へてゐる
僕は縁の日向に足を投げ出してゐる
足の甲に蠅がとまる

蠅の背中に娘の顏がとまつてゐる
[#改見開き]



季節季節が素通りする
來るかとおもつて見てゐると
來るかのやうにみせかけながら

僕がゐるかはりにといふやうに
街角には誰もゐない

徒勞にまみれて坐つてゐると
これでも生きてゐるのかとおもふんだが
季節季節が素通りする
まるで生き過ぎるんだといふかのやうに

いつみてもここにゐるのは僕なのか
着てゐる現實
見返れば
僕はあの頃からの浮浪人
[#改見開き]

生きてゐる位置



死んだとおもつたら
生きてゐたのか と
僕の顏さへみればいふやうだが
世間はまつたく氣がはやい

僕は生きても生きてもなかなか死なないんで
死んだら最後だ地球が崩れても
どこまでも死んだまんまでゐたいとねがふほど
それは永いおもひをしながらも
呼吸いきをしてゐる間は生きてゐるのだよ
[#改見開き]

光線



一文もない と彼は言ふ
あつても健康なものにはもう貸さない と彼は言ふ
さうして僕のかんがへは
借りるつもりで來たんだらう
借りると貰つたつもりになるんだらう
貰つたらまたも借りるつもりになつて來るんだらう
さうして僕の肉體は
どこからみても健康か
恥を被つてゐると眩しくなつて
目蓋を閉ぢたがなほ眩しい
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夢の後



飯を食べてゐるところで眼が開いてしまふた 鼻先には朝が來合はせてゐる 顏の重みで草が倒れてゐる 昨夜 置きつ放しの足が 手が 胴體が 亂雜してゐる 疲勞の重さで僕の寢てゐるところの土が窪んでゐる それらの肉體を 熊手のやうに僕は一ヶ所に掻き寄せる 僕は僕を一纏めにすると さて 立ち上らうとするんだがよろめいてしまふ よろめくたびの僕にゆすぶられて そこに朝が綻びかけてゐる
この情景を隙見してゐるやうに 僕は飯を食つてゐたんだが と僕はおもふ
夢にくすぐられて からまはりしてゐる生理作用 生活のなかには僕がゐない 僕は死んでしまつたかのやうに 月日の上をうろついてゐる
『このごろはどうしてゐるんだ?』
ああこのごろか! このごろもまた僕はひもじいのである
だから借して呉れ
『ないんだ』と聲が言つた
あんまり度々なんだから あるにしてもないんだらう
僕は ガードの上の電車に眼を投げる 眼は電信柱の尖端にひつかかる 往來の頭達の上に眼が落ちる この邊も賑やかになつたもんだが 眼は僕の上に落ちる 食べ易いのであらうか よくも情類のやうなやはらかいものばかりを僕は食べて歩いてゐるもんだ
 つんぼのやうになつて 僕のゐる風景を目讀してゐると 誰かが 僕の肩を叩いてゐる
『空腹になるのがうまくなつたんだらう』
[#改見開き]



僕は間借りをしたのである
僕の所へ遊びに來たまへと皆に言ふたのである
そのうちにゆくよと皆は言ふのであつたのである
何日經つてもそのうちにはならないのであらうか
僕も 僕を訪ねて來る者があるもんかとおもつてしまふのである
僕は人間ではないのであらうか
貧乏が人間を形態して僕になつてゐるのであらうか
引力より外にはかんじることも出來ないで 僕は靜物の親類のやうに生きてしまふのであらうか

大概の人生達が休憩してゐる眞夜中である
僕は僕をかんじながら
下から照らしてゐる太陽をながめてゐるのである
とほい晝の街の風景が逆さに輝やいてゐるのをながめてゐるのである
まるい地球をながめてゐるのである
[#改見開き]

解體



食べものの聯想を添へながら人を訪ねる癖があるとも言へる
ほんとうではあるが高尚ではない私なのである
私との交際は つきあはないことが得策なのである
主觀的なので誰よりもひもじい私なのである
方々の食卓に表現する食欲が 枯木のやうな情熱となつて生えてゐるのである
もうろうと目蓋は開いたままなのである
私の思想は死にたいやうでもある
私の體格は生きたいやうなのである
私は 雨にぬれた午後の空間に顏をつつこんでゐるのである
身を泥濘に突きさして私はそこに立ち止まつてゐるのである
全然なんにも要らない思想ではないのである
女とメシツブのためには大きな口のある體格なのである
馬鹿か白痴かすけべえか風邪のかの字にも値しない枯れた體格なのである
精神のことごとくが あるこうるのやうに消えて乾いてしまふた體格なのである
なんと言つたらよいか
私は材木達といつしよに建築材料にでもなるであらうか
[#改見開き]

青空に圍まれた地球の頂點に立つて



おさがりなのである
衣類も食物類も住所類もおさがりなのである
よくも掻き集めて來たいろいろのおさがり物なのである
ついでに言ふが
女房といふ物だけはおさがり物さへないのである
中古の衣食住にくるまつて蓑虫のやうになつてはゐても
欲しいものは私もほんたうに欲しいのである
まつしぐらに地べたを貫いて地球の中心をめがける垂直のやうに
私の姿勢は一匹の女を狙つてゐるのである
引力のやうな情熱にひつたくられてゐるのである
ひつたくられて胸も張り裂けて手足は力だらけになつて
女房女房と叫んでゐるので唇が千切れ飛んでしまふのである
妻帶したら私は
女房の足首を掴んでその一塊の體重を肩に擔ぎあげたいのである
機關車・電車・ビルデイング・煙突など 街の體格達と立ち並んで汗を拭き拭き私は人生をひとまわりしたいのである
青空に圍まれた地球の頂點に立つて
みるみる妻帶する私になつて兵卒の禮儀作法よりももつとすばやくはつきりと
『これは女房であります』と言つてしまつて
この全身を私は男になり切りたいのである
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賑やかな生活である



誰も居なかつたので
ひもじい と一聲出してみたのである
その聲のリズムが呼吸のやうにひびいておもしろいので
私はねころんで思ひ出し笑ひをしたのである
しかし私は
しんけんな自分を嘲つてしまふた私を氣の毒になつたのである
私は大福屋の小僧を愛嬌でおだててやつて大福を食つたのである
たとひ私は
友達にふきげんな顏をされても 侮蔑をうけても私は メシツブでさへあればそれを食べるごとに 市長や郵便局長でもかまはないから 長の字のある人達に私の滿腹を報告したくなるのである
メシツブのことで賑やかな私の頭である
頭のむかうには 晴天だと言つてやりたいほど無茶に 曇天のやうな郷愁がある
あつちの方でも今頃は
瘠せたり煙草を吸つたり咳をしたりして 父も忙しからうとおもふのである
妹だつてもう年頃だらう
をとこのことなど忙しいおもひをしてゐるだらう
遠距離ながらも
お互さまにである
みんな賑やかな生活である
[#改見開き]

妹へおくる手紙



なんといふ妹なんだらう
兄さんはきつと成功なさると信じてゐます とか
兄さんはいま東京のどこにゐるのでせう とか
ひとづてによこしたその音信たよりのなかに
妹の眼をかんじながら
僕もまた 六、七年振りに手紙を書かうとはするのです
この兄さんは
成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思ふのです
そんなことは書けないのです
東京にゐて兄さんは犬のやうにものほしげな顏してゐます
そんなことも書かないのです
兄さんは 住所不定なのです
とはますます書けないのです
如實的な一切を書けなくなつて
とひつめられてゐるかのやうに身動きも出來なくなつてしまひ
滿身の力をこめてやつとのおもひで書いたのです
ミナゲンキカ
と 書いたのです
[#改見開き]

疲れた日記



雨天
晴天
曇天
大抵の天の下は潛つてしまふたのです
街を歩いて拾ひ物を期待してゐるせいか
僕は猫背になつたのです
ある日
僕は言はなかつたのです
友よ 空腹をかんじつくらしてみようぢやないか と
すると彼が僕に言つたのです
君には洋服が似合ふよ と
僕もさう思ふ と僕は答えたのです
朝になると
僕は岩の上で目を覺ましてゐたのです
潮風にぬれた頭を陽に干しながら 空腹や孝行に就いて考へながら
海鳥のやうに
海に口をさしむけてゐると
顎の下には渚の音がきこえるのです
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無題



むろん理由はあるにはあつたがそれはとにかくとして
人々が僕を嫌ひ出したやうなので僕はおとなしく嫌はれてやるのである
嫌はれてやりながらもいくぶんははづかしいので
つい 僕は生きようかと思ひ立つたのである
煖房屋になつたのである
萬力臺がある 鐵管がある
※(「韋+備のつくり」、第3水準1-93-84)ふいごもある チェントンもある ネヂ切り機械もある
重量ばかりの重なり合つた仕事場である
いよいよ僕は生きるのであらうか!
鐵管をかつぐと僕のなかにはぷちぷち鳴る脊骨がある
力を絞ると涙が出るのである
ヴイバーで鐵管にネヂを切るからであらうか
僕の心理のなかには慣性の法則がひそんでゐるかのやうに
なにもかにもネヂを切つてやりたくなるのである
目につく物はなんでも一度はかついでみたくなるのである
つひに僕は 僕の體重までもかついでしまつたのであらうか
夜を掴んで引つ張り寄せたいのである
そのねむりのなかへ體重を放り出したいのである
[#改見開き]

夜景



あの浮浪人の寢樣ときたら
まるで地球に抱きついてゐるかのやうだとおもつたら

僕の足首が痛み出した
みると地球がぶらさがつてゐる
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生活の柄



歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寢たのである
草に埋もれて寢たのである
ところ構はず寢たのである
寢たのであるが
ねむれたのでもあつたのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起されてはねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寢たかとおもふと冷氣にからかはれて
秋は 浮浪人のままではねむれない
[#改見開き]

論旨



徹底しろ と僕に言つたつて
徹底する位なら
僕は浮浪人には徹底なんかしたくないのである

金がなくて困つてゐる と僕に話したつて
金がなくては困るのである
それが僕よりも困つてゐると僕に説いたつて
僕よりも困つてゐては
話がそれは困るのである

要するにこの男
どこまで僕をこはがるか
話をみないであんまり僕ばつかりをみてゐると
いまにみてゐろ
金を呉れと言ひ出すから
[#改見開き]

大儀



躓いたら轉んでゐたいのである
する話も咽喉の都合で話してゐたいのである
また
久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも
逢へば直ぐに
さよならを先に言ふて置きたいのである
あるひは
食べたその後は 口も拭かないでぼんやりとしてゐたいのである
すべて
おもふだけですませて 頭からふとんを被つて沈澱してゐたいのである
言ひかへると
空でも被つて 側には海でもひろげて置いて 人生か何かを尻に敷いて 膝頭を抱いてその上に顎をのせて背中をまるめてゐたいのである
[#改見開き]



鏡のなかの彼にうちむかひ
殘飯でもあるなら一口僕に と言ひたがつてゐる僕なんですが
髯を剃りたまへ と彼は言ふのです
清潔は清潔なんですが
じれつたい清潔です
僕は と僕は言ひかけて
僕も髯を剃らう と言ふてしまふた僕なんですが
言ひたいことが言ひたくて
僕は柄杓でバケツの水を飮んでしまふたのです
[#改見開き]

食人種



噛つた
父を噛つた
人々を噛つた
友人達を噛つた
親友を噛つた
親友が絶交する
友人達が面會の拒絶をする
人々が見えなくなる
父はとほくぼんやり坐つてゐるんだらう
街の甍の彼方
うすぐもる旅愁をながめ
枯草にねそべつて
僕は
人情の齒ざはりを反芻する
[#改見開き]

自己紹介



ここに寄り集つた諸氏よ
先ほどから諸氏の位置に就て考へてゐるうちに
考へてゐる僕の姿に僕は氣がついたのであります

僕ですか?
これはまことに自惚れるやうですが

 びんばうなのであります
[#改見開き]

立ち往生



眠れないのである
土の上に胡坐をかいてゐるのである
地球の表面で尖つてゐるものはひとり僕なのである
いくらなんでも人はかうしてひとりつきりでゐると
自分の股影に
ほんのりと明るむ喬木のやうなものをかんじるのである
そこにほのぼのと生き力が燃え立つてくるのである
生き力が燃え立つので
力のやり場がせつになつかしくなるのである
女よ そんなにまじめな顏をするなと言ひたくなるのである
闇のなかにかぶりを晒してゐると
健康が重たくなつて
次第に地球を傾けてゐるのをかんじるのである
[#改見開き]

雨と床屋



雨の足先が豆殼のやうにはじけてゐる
バリカンの音は水のやうに無色である
頭らが野菜のやうに青くなる
山羊の仔のやうな
ほそいおとがひの藝妓もゐる
なんとまあよく降る雨だらう
清潔どもが氣をくさらして
かはりばんこのあくびである
[#改見開き]

萌芽



空家のやうにがらんとしてゐる夜である
誰かそこにゐて
これがあるか といふやうに
小指を僕に示して見せる相手があるならば
ないんだよ と即答出來る自信で僕の胸はいつぱいなのである
蟹の眼のやうに僕は眼をとんがらせて夜ぢゆう小指のシノニムを夢見てゐる
公設市場で葱を指ざしてゐたあの女
追ひついて行つて横目で見てやつたときのあの女
女や女を
または女を思ひ出しながら
僕は夢見てゐる
今度といふ今度こそは女をみつけ次第
その場にひざまづいて僕は一言さゝげたいのである
女さまよ と
[#改見開き]

唇のやうな良心



死ぬ死ぬと口にしたばかりに
そんな男に限つて死に切れないでゐるものばかりがあるばかりに
私にまでも
口ばつかりとおつしやるんで
私は死にたくなるのである
あなたの目は佛壇のやうにうす暗い
蔑視蔑視と言つて私はあなたの視線を防いでばかりゐるので
あなたを愛する暇が殆どないのでかなしいのである
えぷろんのぽけつとから まつちをつまみ出したあなたの指を見てゐた時からだつた
私は私の良心が もしや唇のやうな恰好をしてゐるのではないかとそれがかなしくなるばかりである
だから
愛する愛すると私が言ふてゐるのに
嘘々とおつしやるのが素直すぎてかなしいのである
[#改見開き]

座談



ある晩
いいえ毎晩
その娘が
むかうにゐる男を好いてゐさうな目つきをするので
私はうすぼんやりしてゐるのです

むかうの男は俳優ださうです
こちらの私は詩人ださうです
どちらが娘を愛してゐるか
詩人の私であるといふより外はないのです

俳優は長居してゐるのでみつともないのです
考へてみると詩人も長居してゐるのです
どちらが娘を愛し得るかといふことになつたら
私は駈け出して
娘の首すぢを掴んでひつたくるつもりでゐるのです

娘は左の目蓋に小さなイボがある
お湯の歸りに ふとそのイボに指をふれてみたら血が出てゐたと娘は言ふ
それは戀の話である
戀の話はいろいろある
ああこの娘よ
もしも私の女房になるならば
奧さんではなくておかみさんになるんだらうが
それは女房になつてみれば直ぐにわかるのである
馴れてしまふのである

きのふの話によると
娘には許婚者があるんださうです
それが私でないところを見れば
あの俳優がさうなんだらうか
ぼんやりしてゐるうちに
私の顎下を
夜はなんどもなんども流れてゐたやうです

膝のうへには汚れた履歴書がある
邦子といふのがその娘である
邦子は喫茶店の女給だつたのである
その前の
光子は小學校の教師だつたのである
その前の
妙子も小學校の教師だつたのである
だつたのであるが
だつたことばかりが私の眼には浮んでゐる
[#改見開き]

端書



むかし
私のこひびとだつたあなたに就いて
あなたがあのひとと寢るのであるといふことに就いて
私は今日もおもふのです
おもつただけでも暑さうだつたあの臺灣が
いまではおもふほど
たまらなく暑さうに
[#改見開き]

現金



誰かが
女といふものは馬鹿であると言ひふらしてゐたのである
そんな馬鹿なことはないのである
ぼくは大反對である
諸手を擧げて反對である
居候なんかしてゐてもそればかりは大反對である
だから
女よ
だから女よ
こつそりこつちへ廻つておいで
ぼくの女房になつてはくれまいか
[#改見開き]

春愁



小母さん
小母さんの小父さんは得なんですよ
朝は
小父さんのやうに僕も寢不足の眼をしてみたいんです
小父さんが小母さんにするやうなことをしてみたいんです
蛾のやうに
鈍重なはばたきの音をたててみたいんです
小父さんの
小母さんよ
小母さんの
小父さんはなんといつてもそれは得なんですよ
[#改見開き]

教會の處女



禁慾すると慾は胸に溜るのか
咽喉までいつぱい慾がつかへてゐるかのやう

苦しさうな
マリアです

けれども彼女は毎日祈つてゐます
おめぐみによりましてなんとかかんとかと祈りつづけてゐるのです
なんの祈りをあげてゐるのか
彼女のぐるりに立ちのぼる
噂々にきくところ
ある男とある女がある所であれだつた と言ふのです
むろんその女にをつとなんかあるもんですか と言ふのです

風に孕んだマリアをおもひつめては
風は彼女にだつて吹いて來るのです
[#改見開き]

若しも女を掴んだら



若しも女を掴んだら
丸ビルの屋上や煙突のてつぺんのやうな高い位置によぢのぼつて
大聲を張りあげたいのである

つかんだ
つかんだ

つかんだあ と張りあげたいのである

掴んだ女がくたばるまで打ち振つて
街の横づらめがけて投げつけたいのである
僕にも女が掴めるのであるといふ
たつたそれだけの
人並のことではあるのだが
[#改見開き]

求婚の廣告



一日もはやく私は結婚したいのです
結婚さへすれば
私は人一倍生きてゐたくなるでせう
かやうに私は面白い男であると私もおもふのです
面白い男と面白く暮したくなつて
私ををつとにしたくなつて
せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか
さつさと來て呉れませんか女よ
見えもしない風を見てゐるかのやうに
どの女があなたであるかは知らないが
あなたを
私は待ち佗びてゐるのです
[#改見開き]



一匹の守宮やもりが杭の頂点にゐる
三角の小さな頭で空をつついてゐる
ぽかぽかふくらみあがつた青い空
僕は土の中から生えて來たやうに
杭と並んで立つてゐる
僕の頂点によぢのぼつて來た奴は
一匹の小さな季節 かなしい春
奴は守宮を見に來たふりをして
そこで煙のやうにその身をくねらせてゐる
[#改見開き]



草にねころんでゐると
眼下には天が深い



太陽
有名なもの達の住んでゐる世界

天は青く深いのだ
みおろしてゐると
體躯からだが落つこちさうになつてこはいのだ
僕は草木の根のやうに
土の中へもぐり込みたくなつてしまふのだ
[#改見開き]

散歩スケッチ



産毛のやうな叢のなかの
蹲つてゐる男と女

べんちの上の男と女

あつちこつちが男と女

なんと
男と女の流行はやる季節であらう

友よ
僕らは

きみはやつぱり男で
ぼくもあひにく男だ
[#改見開き]

晴天



その男は
戸をひらくやうな音を立てて笑ひながら
ボクントコヘアソビニオイデヨ
と言ふのであつた

僕もまた考へ考へ
東京の言葉を拾ひあげるのであつた
キミントコハドコナンダ

少し鼻にかかつたその發音が氣に入つて
コマツチヤツタのチヤツタなど
拾ひのこしたやうなかんじにさへなつて
晴れ渡つた空を見あげながら
しばらくは輝やく言葉の街に佇ずんでゐた
[#改見開き]

動物園



港からはらばひのぼる夕暮をながめてゐる夜烏ども

縁側に腰をおろしてゐて
軒端を見あげながら守宮やもりの鳴聲に微笑する阿呆ども

空模樣でも氣づかつてゐるかのやうに
生活の遠景をながめる詩的な凡人ども

錘を吊したやうに靜かに胡坐をかいてゐて
酒にぬれてはうすびかりする唇に見とれ合つてゐる家畜ども

僕は 僕の生れ國を徘徊してゐたのか
身のまはりのうすぎたない郷愁を振りはらひながら
動物園の出口にさしかかつてゐる
[#改見開き]

ものもらひの話



家々の
家々の戸口をのぞいて歩くたびごとに
ものもらひよ
街には澤山の恩人が増えました

恩人ばかりをぶら提げて
交通妨害になりました
狹い街には住めなくなりました

ある日
港の空の
出帆旗をながめ
ためいきついてものもらひが言ひました
俺は
怠惰者なまけもん と言ひました
[#改丁]

あとがき


 この詩集の初版本は、昭和十五年(一九四〇)の十二月に、山雅房から出した「山之口貘詩集」である。
 ぼくは、昭和十三年(一九三八)の八月に、むらさき出版部から「思辨の苑」を出してゐるので、「山之口貘詩集」は第二詩集なのであるが、このなかには「思辨の苑」がそつくり含れてゐるのである。
「思辨の苑」にをさめた詩篇は、大正十二年(一九二三)から昭和十三年(一九三八)までのもの五十九篇であつて、それにその後のもの昭和十五年(一九四〇)までの十二篇を新に加えて、七十一篇をまとめたのが「山之口貘詩集」である。
 この詩集は、間もなく、紙さへ入手出来れば版を重ねたいとのことであつたがあの戰時下、紙はつひに入手困難となつて、再版の話がそのまま立ち消えになつてしまつたのである。
 敗戰後の昭和二十三年には、「山之口貘詩集」以後のものを一巻にまとめたいとの話が、八雲書店からあつたが、當時、ぼくにはまだその氣がなく、「山之口貘詩集」の再版を希望したのである。と云ふのは、この詩集を探してゐる人達のあることを、時に、手紙で知つたり、人づてに知つたり、あるひは訪ねて來る人の口から知つてゐたからなのであつて、どの人も古本屋など探し※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つた揚句の樣子なのであり、ぼく自身も、機會あるごとに探してゐたからなのである。見つからないのは、おそらく、戰災で灰になつたのではないかと思ふより外にはなく、そんなわけで、八雲書店から再版を出すことになつたのである。ところが原稿が校了になつたかと思ふとまもなく、印刷所で紙型が燒失の目に逢ひ、そのうちに八雲書店の解散でまたも再版は立ち消えとなり、ゲラ刷だけが、ぼくの手許に戻つて來て、今日までそのままになつてゐたのである。
 そこへ、最近、同郷の若い人達から、またまた再版を出したいとの話があつて國吉昭英、山川岩美の兩君が、並々ならぬ厚意を寄せて色々と相談の途上にあつたところ、突然ではあつたが、兩君にはぼくから諒解を求めた上、別に、原書房から、定本として出すことになつたのである。これは、佐藤光一、並びに、原書房の成瀬恭の兩氏のお骨折りによるもので、兩氏に感謝するとともに、山川、國吉の兩君またなにかとお手數煩した会田綱雄の三君の名をここに記して感謝のしるしとしたい。
 なほ、初版本で、目次にある作品番號と舊暦年號、本扉と詩集ケースのデザイン、肖像寫眞の撰定などは、當時の山雅房と深い親交のあつた詩友平田内藏吉氏の厚意によつて配慮されたものであるが、定本を出すに當つてこれを割愛し、また著者自身の校正が不行屆のために、誤字誤植もあつたわけで、これの訂正もこころがけ、本來、詩の上ではなるべく句讀點を避けて來た自分に即して、句讀點を取り除いたことを記し、忙中この定本の校正をこころよく引き受けてくれた畏友光永鐵夫氏に感謝する。
1958・7・8
山之口 貘
[#改ページ]

附記

三四頁―二行目三行目はもと一行。
一二九頁―終りから三行目、四行目はもと一行。
一三七頁―終りから三行目、四行目はもと一行。
一三八頁―終りから三行目、の「はつきり」はもと「つきり」
一四四頁―二行目と三行目の頭から―を除いた。
一五二頁―二行目の「おとなしく」はもと「しく」
一五三頁―一行目の「※(「韋+備のつくり」、第3水準1-93-84)」はもと「吹鼓」
一七八頁―二行目の「いいえ」はもと「否え」
二〇二頁―三行目の頭から―を除いた。
二〇三頁―二行目の頭から―を除いた。
 その外、ゝ、をあらため、蟲を虫、喰を食にあらためたことを記しておさたい[#「おさたい」はママ]
詩篇の配列は初版本とおなじで、卷末から卷頭へ製作の順である。





底本:「山之口貘詩集」原書房
   1958(昭和33)年7月15日初版
   1972(昭和47)年7月15日新装第2版
※「顔」と「顏」、「来」と「來」、「揺」と「搖」、「発」と「發」、「巻」と「卷」、「現実」と「現實」、「頂点」と「頂點」、「[#「睛のつくり」]」と「青」、「言ふ」と「云ふ」、「言ひ」と「云ひ」、「言へ」と「云へ」の混在は底本通りです。
入力:kompass
校正:いとうおちゃ
2020年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

小書き平仮名む    13-4、13-9
  


●図書カード