雨あがり

山之口貘




 その日、朝は、どしゃ降りなのであったが、午後になると、からりと晴れて、縁側に陽がさした。硝子戸を開け放って、ぼくは机を前にしていた。女房は、ぼくの傍で繕いものをしていた。木戸の風鈴が、鳴りそこないみたいに鳴って、ミミコが帰って来たのである。
「ただいまあ」
「おや、おかえんなさい」
 女房は、そういいながら、針をおいて、縁側に出たのであるが、
「あら、この子、合羽どうしたの? 学校において来ちゃったの?」といった。
 ミミコは、いわれてはじめて気がついたらしく、「あっ、そうだ」といいながら、小さな手を振りあげて、小さな頭をおさえてみせたのである。
「おばかさんね、合羽を忘れてくるなんて、なくなったらどうするの」
 母親は、そのように叱ったり、明日は忘れずに合羽を持って帰るよう念をおしたりしていたのだが、ぼくの眼にはいかにも、雨あがりの午後とでも名づけたいような、母子の風景なのであった。
 ミミコが、合羽を忘れて帰って来たのは、いまのところそのときだけのことで、合羽もなくならずに済んだのであるが、ぼくの友人の家庭では、中学へ通っているひとり息子のために、十何本も傘を買わされたとの話をきいたことがあった。つまり、息子さんは、十何本という傘をなくしたわけなのだが、学校でなくしたり、電車のなかでなくしたり、あるいは、寄り道をした本屋の店頭でなくしたり色々で、行きも帰りも雨のときはとにかく、帰りが天気にでもなるものなら、まるで、そのときを見はからっていたみたいに、きっと、傘を棄ててくるとのことなのであったが、そのときそこに居合わせていた当の息子さんは、母親の言葉尻をつまみあげてみせるみたいに、「いくらなんでも、棄ててくるというのはひどすぎるよ。つい忘れてくるんだから仕方がないじゃないか」といって青筋を立てた。
 すると、母親は母親で、「十何本もなくしちゃって、つい忘れるなんてよくいえたものだ。棄ててくるのとおんなじじゃないかね」というのであった。
 ぼくは、そのことをおもい出しながら、ミミコの将来を案じないではいられなかった。
 ある日の、雨あがりの午後、陽のさしこんで来た縁側に出て、ぼくらは、夫婦で、ミミコの合羽の噂をした。お天気になったのではまた、合羽のことを忘れてくるんじゃないかと気になったからなのだ。そこへ、風鈴が鳴りそこないみたいに鳴って、木戸の両側の紅葉の木が揺れたかとおもうと、ミミコが帰って来たのである。
「ただいまあ」
「早かったわねえ。おかえんなさい」
 母親は、そういってから、つづけて「よく合羽わすれなかったわねえ。かんしんかんしん」といった。
 すると、ミミコは、にっこり笑って、いったのだ。
「でもねえ、ランドセルわすれてきちゃったのよ。ごめんなさいね、おかあさん」
 ぼくら夫婦は、口を開けて、顔を見合わせてしまったのである。
「だって、こんなにたくさん、にもつがあるんだもの」
 ミミコは、そう言いながら、片方の手にぶらさげていた草履袋だの手提げの籠だの、縁の上に投げ出して、片方の手で、胸に抱いていたごわごわの赤い合羽を、それらの上におっかぶせたのであるが、なるほど、小さなからだでは、それらの物を運ぶだけでも、精一杯のことにちがいなかったのであろう。おまけにお天気になったために、前の経験が眼をさましたりして、合羽を忘れてはなるまいと、そのことにも気をとられたりして、つい、ランドセルには失礼してしまって、そのまま置き忘れて来たのではあるまいか。
 そのように、考えてみると、大人の世界でもありがちな忘れ方なのであって、ぼくは、おもわず、自分の口を塞がないではいられなかったのである。





底本:「日本の名随筆43 雨」作品社
   1986(昭和61)年5月25日第1刷発行
   1997(平成9)年5月20日第15刷発行
底本の親本:「山之口貘全集 第三巻」思潮社
   1976(昭和51)年5月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2014年8月7日作成
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