梯梧の花

山之口貘




 ぼくが、まだ、おっぱいをのんでいたころのある日のことである。母のおっぱいに吸いついたのであったが、すぐに、おっぱいを突っ放して、ぼくは泣き出してしまった。ぼくのことを離乳させるために、母がその乳首のところに唐辛をつけてあったからなのである。ぼくは、泣きながら、台所にあった小さな水桶を引き摺って来て、その水に手をぬらしては、母の乳首を懸命に洗ったことを記憶しているのである。だが、洗ってから、おっぱいをのんだかどうかは、さっぱり記憶にはないのだ。しかし、そのことは、おそらく、ぼくの人生の最初の大事件なのであったに違いなく、ぼくの記憶の一番古いものとして、いまでも時に思い出すことなのだ。そしてそのたびに、ぼくは仏桑華ぶっそうげの花をおもい出さずにはいられないのであるが、それはあのころ泣きながらも、ぼくの眼に、仏桑華の花がちらついて見えていたことを覚えているからなのであろう。一本の仏桑華が、当時の家の庭(実は庭ではなかった。縁側の面しているわずかばかりの空地なのであった。)の片隅に、生えていたのだ。
 仏桑華は、特に沖縄だけにあるのではなかろうが、沖縄生れのぼくなどにとっては、忘れることの出来ない沖縄の花なのである。仏桑華は、沖縄ではアカバナと称されていて、その花の形よりは、その色からアカバナと名づけられたもののようで、原色的な赤い色の花だからであろう。本によると、仏桑華の原産地は印度だそうで、花の色は普通のが紅色とある。その他には、白や黄のもなるとのことであるが、ぼくの知っている限りの沖縄のアカバナでは、ついぞ白いのを見たことがなかった。だが黄色をおびたのや、桃色のアカバナのあったことは知っているのである。仏桑華はアオイ科に属する植物だそうで、小柄な灌木なのであるが、琉球ムクゲという別名のあることからしても、琉球の花、つまり、沖縄の花とおもっても一向に差しつかえはないこととおもうのだ。葉は卵形に近いもので、しかし、縁が鋸の歯のようにギザギザになっていて、葉の先が尖っているのである。花弁が五つで、ラッパ形にひらき、芯が長く飛び出ているのである。夏から秋へかけて咲くのだと言われているのだが、ぼくの記憶によると、沖縄では年中咲いていたような気がする。庭のある家ならどこの家でも、きっと仏桑華の花が咲いていたし、庭のない家でも、井戸端に咲いていたり、垣根のところに咲いていたりしていて、沖縄では日常の生活のなかに生えているようなものであって、仏壇や、墓まいりにも、なくてはならない花なのであった。
 ぼくの家には、仏桑華がつきものみたいになっていて、例の唐辛事件のあった上之倉の家から、西本町の家に引越して来たときにも、狭い庭にアカバナの咲いていたことを覚えているし、泉崎の家に移ってからは、どうやら庭らしい庭も出来て、更に三種類のアカバナが咲いていたことを覚えているのである。それが、赤い色のと桃色のと、黄色味をおびた花であったことを記憶しているのだ。
 仏桑華は、観賞用の植物だそうで、沖縄では庭はもちろんのこと、井戸端や垣根の側にもその花は眺められ、仏壇や墓場を飾るにもなくてはならない花なのであった。
 梯梧でいごの花も、また、沖縄の花なのだ。
 梯梧は、その老木になると、高さが、十五、六米にも及ぶ喬木なのである。その幹など、二人か三人の大人がどうやらかかえることの出来るような太さのもあるのであった。まめ科の植物だそうで、オーストラリヤか印度あたりにもあるとのことで、戦前の日本にも、梯梧の木は生えていたのだ。即ち、沖縄に生えているからなのであり、台湾にも生えているとのことだからである。しかしながら、戦後は、台湾があんなになってしまい、沖縄は沖縄で、「日本復帰」を唱えなくてはならなくなってしまったところまで、日本からずれている現状なので、いまのところ、日本のどこにも梯梧の木は一本も生えていないと言ってもよいのである。
 ぼくはこどものころ、木のぼりが好きで、そのために、身体のある個所には傷跡など保存しているほどで、よく、がじまるの木にのぼってあそんだのだが、梯梧の木にはのぼらなかった。梯梧は大柄の木であるし、見るからに、筋肉のりゅうりゅうとした腕みたいな枝々を、四方八方に伸ばしていて、その木質は、見かけによらずもろいものなのだ。そのうえ、枝々にはトゲがあるのである。花は真紅で、無数の花を綴って総状になって咲くのであるが、亜熱帯のコバルト色の空のなかに、燃える焔を高くかざしたように咲いているのは、なんとも言えない美しさで、沖縄では情熱の象徴として珍重されている花なのだ。
 そろそろ、沖縄では、梯梧の花の季節になるのである。ぼくは、梯梧や仏桑華と別れてすでに三十余年にもなってしまった。その間に、色々と変ったことのあったことは、風の便りにきいてはいたのだ。戦争後の沖縄についても、矢張り、沖縄帰りの人や、あるいは沖縄から出て来たというような人々から耳にしたり、または、新聞や雑誌の上で読んだりしたことから想像して知っているに過ぎないのだが、郷里沖縄に、郷里がなくなってしまった感じをどうすることも出来ないのだ。いまでは沖縄が、すっかり一大軍艦の姿にかわってしまったということは、誰にきいても、読んでも、そうおもわないではいられないことばかりだからなのである。
 軍艦沖縄は、どこの国の軍艦なのか、ぼくなどが言うまでもなく、読者の知っているところであろう。その軍艦の上に、軍艦用の人間達が住んでいることは勿論なのだろうが、地球用の人間ではあっても、決して、軍艦用の人間ではない筈の同郷の沖縄人が、何十万も軍艦の上に住んでいるわけなのだ。
 仏桑華も梯梧も、その生えるところに悩み、その花を咲かせるにこまっているのではないかと同郷のぼくなどは案じないではいられないのだ。





底本:「花の名随筆5 五月の花」作品社
   1999(平成11)年4月10日初版第1刷発行
底本の親本:「山之口貘全集 第四巻」思潮社
   1976(昭和51)年9月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2014年8月7日作成
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