楽になったという話

山之口貘




 とにかく、靴も高くなった。にも拘わらず、僕は一足の新らしい靴を買ってしまったのである。僕の状態を知っている側の人に言われるまでもなく、身分には不想応な感じもするのであるが、十三円五十銭を投げ出すようにして、この足の野郎を満足させてみたのは今度が生れて初めてなのである。
 神楽坂通りの靴屋で買った靴だ。街上一面に右往左往している家鴨の口のようなあの平べったい格好のものとは違って、蔵のようにまるぽっちゃい靴先で、色は勿論、苺とは違って黒なのである。足の大きさは、僕にも似合わず九文七分というきゃしゃな足を持っている。この足を見る度に、僕の永い間の「歩いた生活」のにおいが漂ってくるのを感じるのである。実際、僕はよく歩いた。歩くことを生活していたようなものだ。なんのためにそんなに歩いてばかりいたかは、例によって、僕の浮浪人生活に触れなくては言えないのであるが、東京での生活十六年分の半分近くは、市中を歩き暮していたので半分位が特殊な期間であった。特殊な期間というのは、看板屋の見習とか書籍問屋の発送部員とかお灸学校の通信事務とか衛生屋とかの仕事をした期間のことで、仕事をした期間を特殊にしなくてはならない程、僕の生活はぶらぶら歩いてばかりいたかのようなのである。そんな風の僕をモデルにした小説が、佐藤春夫氏の「放浪三昧」なのである。その中には、次のような僕の詩が登場している。

歩き疲れては、
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋れて寝たのである
ところ構はず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあつたのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起されてはねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、放浪人のままではねむれない。

というのである。まるで、朝から晩、晩から朝にかけて歩きずくめの日々だったので、従って詩の上にも足が反映している如くである。僕の足は、右の詩ばかりでなく、拙著『思弁の苑』に集まった作品どもの殆どが、一応そのどこかに足のようなものをのぞかせているようだ。頭は見えなくても、足と、へこんだ腹だけはどこかにあるかのように思われる。何しろ、屋根なしの生活をしていては、物ごとを考えるにも、食うにもそれらのこと一切を足に任せていたようなもので、足だけが生活をしていたのかも知れないのである。
 左翼運動のさかんな時分であったが、そのこととは別に、僕の浮浪生活は独立していたものである。僕は、夜中の市中を歩き廻わっていたので、一晩のうち十四、五回も誰何を受けたことなどあった。二度や三度の誰何を受けるのは常であったが、足の指のはみ出した破れ靴や夏冬着通したアルパカの上衣に、折鞄など持っている僕の姿は、自分ながらも誰何したいのであったから、その筋の眼には余計にそうであったろう。夜々の誰何、ひるまの誰何の話から、佐藤春夫氏は氏の名刺を一枚呉れたのである。その名刺の裏には、――詩人山之口貘は風体いかがはしきも善良ナル市民ナリ――と書いてくれた。その後は誰何される度に名刺を示したので相手の好奇心をかき分けて歩くに便利なのであった。そんな時には四つん這いになってライオンの口真似でもしてみたいような衝動にも駆られるのであったが、遂に、唖の動物のように、一度も吼えたことがなかった。万一、僕が檻の中に入れられたりした場合は佐藤春夫氏が身柄を引受けに来て呉れるとのお話などもあって、その時は僕のことを次のように説明するとのことであった。――山之口貘はむかしは人殺しをしたことがあったかどうかは知らないが自分とつきあうようになってからは実に善良なのである――と。しかし、佐藤氏のそういう配慮も立ち消えになったわけである。
 かように、僕の足は歩き通しなのであった。だから、靴の数も人並以上はきこなしたのであるが、はいた靴のうちで上等なものと言えば、小指の上のあたりの破けたものがそれで、殆どが、新たにはきかえるものでも穴の開いた靴だった。
 ところで、そういう僕が、結婚したり、新らしい靴を買ったりしたのであるから、そこに楽になったということがあるのかとおもうとその楽とは意味が違っていたのである。僕としては靴よりも先にズボンを欲しかったのであるが、僕の相手が言うのには、丸の内界隈を歩いている人には破れ靴をはいている者が無かったそうである。あの辺の生活の靴と僕の生活の靴とを比較されてはたまらないが、とにかく下から上へと順々にということにして十三円五十銭を投じたのがこの靴なのである。次はズボンであるが、そこまで手が届かぬうちに秋になってしまい、眼先にはもう冬の気配がうようよしているのである。ズボンや上衣など手に入れる頃までにはまたそろそろ靴には穴が開いているのだろうが。
 買ったばかりのこの靴をはいて、物価統制に喘ぐ街中を、ある日のことK氏を訪ねて行った。玄関での立ち話ではあったが、時節柄、諸物価の噂などしているうちに、お互に楽になったね。とK氏が言ったのである。僕は直ぐにそれと察したつもりになって、片足をあげ、いい靴でしょうと言った。ところがそれは僕の見当違いでK氏が言うのには、第一着る物もおさがり物で大偉張りで間に合うし、靴も破けたら下駄でも大偉張りだし、お互に、季節はずれの衣食住が目立たなくなって楽になったではないか。と。





底本:「日本の名随筆 別巻97 昭和※(ローマ数字1、1-13-21)」作品社
   1999(平成11)年3月25日第1刷発行
底本の親本:「山之口貘全集 第三巻」思潮社
   1976(昭和51)年5月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2014年8月20日作成
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