質札
山之口貘
たまに、知らない人から手紙をもらったりすることがあるので、またかとおもって封を切ってみると、なかから出たのは「流質物御通知」なのであった。
「なにひとつ買って着せることも出来ないくせに、流れたらどうするんです。」と女房がいった。むろんぼくだって、女房ののぞみ通りに、一枚や二枚ぐらいの着物など買って着せてやりたいとおもわないでもないのであるが、実際の生活は、そういうことも出来ない事情なので質屋ののれんもくぐらなくてはならないわけである。ぼくは、質屋に寄って、「絶対に迷惑はかけないから。」と、利子の未払いのいいわけ旁々、流さないようにと念を押してたのむと、質屋も「では待ちましょう。」ということになったのである。しかし、その後も二度ばかり、「流質物御通知」を受けたにもかかわらず利子も入れることが出来ないで質屋と女房との板ばさみになって困っていると、こんどは葉書を寄越して「先日来御約束致しました紳士協定の件如何なさいますでしょうか。」と来たのである。
紳士協定というのは、絶対に迷惑はかけないからといったぼくの言葉などを示しているわけであるが、葉書で寄越されたことは、折角こちらが人目をしのんでやっている質屋通いを、世間の眼の前にさらけ出されたようで、なんとなく隣り近所にもきまりがわるく、郵便屋さんにもきまりわるいおもいをするようになってしまったのである。
「いい恥さらしですよ。」と女房はいいながら箪笥のひらきから質札をとり出して来た。質種は、女房の御召の単衣物と呂縮緬の羽織である。借りた金は二〇〇〇円で、二十三カ月も前に入質したまま、一度も利子を入れてないのだ。利子はすでに元金の二倍以上にもなっていて四六〇〇円。これを受け出すには、六六〇〇円なのである。こうなるといっそのこと、流した方がさっぱりするとおもわぬでもないのだが、こちらが頼んで結んだところの紳士協定のことや、女房の身になって考えたりしてみると、ぼくだけさっぱりするわけにもいかないのだ。
そこでまた足を運んで、いいわけをするのである。すると、質屋さんが「ではですね、こうしましょうか、一応これは出したことにしておきまして、その質札を書き替えましょうか。」というのだ。しかしそれは、ぼくにとって首をかしげないではいられなかった。つまり、出したことにするということは一応、ぼくが、利子共に六六〇〇円という金を入れたことにするわけなのでありがたいのではあるが、事実は金を入れないのであるから、書き替えることによって、こんどはこれまでの利子共に六六〇〇円を、あらためて借りたことになるからなのだ。
ぼくにとってはなじみの質屋さんなので、すすめられる通りに利子には更に利子をつけてあげたいのでもあるのだが、ぼくもなにしろ、金があっての質屋通いなのではないので、うっかりしたことは出来ないのである。とにかく、借金によるつらさは、そのまま生きることのつらさなのだ。人によってはそのつらさを、自殺とか一家心中とかで表現してしまうものもあるが、ぼくは事情あって、なんとしても生きねばならず、なんどでも紳士協定にすがってまたしても、「絶対に迷惑をかけないから。」とたのみこみ、どうやら、質札の書き替えからも自殺からものがれて来たのだ。この間、印税というほどの金ではなかったが、多少はいったかとおもうと、女房はまず何よりも先に質札を持ち出して来たのだ。ぼくは紳士協定によって二十三カ月分の利子を揃えて持って行き、これで質屋との縁切りだと思ったが、さすがはなじみの質屋さんだけあって六カ月分の利子を勉強してくれたのではいずれまたのれんをくぐらなければならないみたいなのである。
底本:「日本の名随筆 別巻18 質屋」作品社
1992(平成4)年8月25日第1刷発行
親本の底本:「山之口獏全集 第三巻」思潮社
1976(昭和51)年5月1日
初出:「時事新報」
1954(昭和29)年12月25日
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2023年8月8日作成
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