欝金草賣

LE MARCHAND DE TULIPES

ルイ・ベルトラン Louis Bertrand

上田敏訳




花のなかなる欝金草は鳥のなかなる孔雀の如し。かれににほひ無くこれに歌無し。かれは其袍そのうはぎを、これは其尾をほこる。   「珍華園」

 あたりはしんとしてゐる。博士ホイルテンの指の下に羊皮紙の擦れる音ばかりだ。博士は彩色の飾文字かざりもじを散らした聖典を見つめてゐて、たまに眼を放てば、うつすり曇る水盤の中に泳ぐ二ひきの魚のきんあかとを眺めるのみだ。

 部屋の扉がすうつといた。花屋は欝金草の鉢をいくつもかかへて會釋ゑしやくしながら博學の君の讀書を妨げて眞に相濟まずといふ。

 ――先生、御覽下さいまし、逸品も逸品、珍の珍とも申したいこの一株の球根は東羅馬皇帝の後宮にも百年に一度しか咲かぬ花の種で御座います。

 ――なに、欝金草。と老博士はせつ込んだ。あの厭はしいヰッテムベルヒのまちにルッテル、メランクトンの異端邪説を生み出した驕慢と淫樂とをかたどる花か。

 ホイルテン師は聖典の釦金とめがねを掛けて、眼鏡を鞘に收め、さつと窓掛を押しのけると、花は日なたに咲きにほふ。嗚呼主の君の受難の花。とげの冠、海綿、苔、釘、五つのおん傷がちやんと見える。

 欝金草賣は謹んで無言のままにくびれた。壁際高くホルバインの傑作、アルバ公爵の肖像畫が掛けてあつて、そこよりにらむ糺問法官の眼光にすくんで了つた。





底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店
   1962(昭和37)年12月16日第1刷発行
   2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行
初出:「三高仏蘭西協会雑誌」
   1915(大正4)年3月
入力:川山隆
校正:岡村和彦
2012年11月2日作成
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