秋場所から

平野零児




 仕事に忙しい尾崎士郎君だが、東京場所で、蔵前国技館に、ヤグラ太鼓が鳴り響いている間の、十五日間は、完全に書斎を離れて土俵の脇で過ごさないではいられない人物である。
 彼が初めて相撲を見たのは、大正九年で、たまたま相撲史上の名勝負の一つに数えられる栃木山(現春日野)と朝汐(先代の高砂)との一番を見「力の調和というものが、こんなに美しいものであるかを知らなかった」といっている。無論彼は、花相撲はそれまでに、七つ八つのころから見てはいる。
 私とは一つ違いの年齢だから、私も幼年のころ門司にいて、梅ヶ谷や常陸山の全盛時代の相撲を見、父から錦絵を買ってもらった記憶があるから、ほぼ同時代に、彼は郷里の三河辺の花相撲を見ているわけである。
 私はその後は新聞記者時代に数年間、主として大阪浜寺の学生相撲の記事を書くために土俵に近づいた以外は、元の両国の国技館にも一、二度しか入ったことがない。これに反して尾崎君は、文壇でも屈指の相撲ファンであり、通であり、現に横綱審議会委員であるくらいの相撲を語っては「当代随一」のきわめつきである。
 今秋場所の三日目に、尾崎君は、中国から帰って、蔵前の復活した国技館も知らぬ私を「一度くらいは見て置け」と、彼が三十年間取っている桟敷に誘ってくれた。
 相撲と野球はきらいではないが、今日のごとく勝負に熱狂する多くのファンのように、心を踊らせることはない私である。クラブなどでボンヤリ人待ちをしている時に、テレビをのぞくくらいの程度である。
 祖国を海の彼方に十数年も離れていたせいもあって、顔なじみが薄いためでもある。劇映画の俳優に対しても同様である。菊五郎も六代目はいず、幸四郎も息子にかわっている。美空ひばりと三橋の声は、連日ラジオで聞かされるので、いな応なしに覚えただけである。コマ劇場は先ごろ中国歌舞伎団が[#「中国歌舞伎団が」はママ]きたので初めて行った。
 そんな私だからこそ、尾崎君は強いて私に相撲見物をすすめてくれたのである。それでも行って見ると、巧みに近代的においを加味した建物も、塗り込みの表の壁などに相撲場らしい伝統を織り込んだ空気はさすがに快かった。ヤグラ太鼓は、鉄筋かと思ったら、やはり丸太を組み、のぼりが表に林立し昔ながらの情緒を漂わせ、茶屋の弊風は廃したといっても、ずらりと通路に「相撲サービス所」と螢光灯の下に、粋な茶屋のおかみらしいのも座っており、タッツケ姿の出方が土俵へ案内もした。
「○○家」が「第十何号」と変っているだけであり、四本桂が赤や黒の短い房のブラ下ったのに変っただけであった。
 勝負を見ていると、やはりテレビで見るより、実感が迫って、面白かった。昔の力士のように、ベタベタコウ薬をはったり、あまり超人間的な顔をした力士がなく、大体男振りもよくなっている。それに何回も水を入れるような取組もなく、仕切りも制限のため手取早いので、退屈しなかった。
 幾つかの好取組もあり、私も完全に相撲の世界にとけ込むことができた。帰途尾崎君は神田の藪そばで、焼のりとテッカミソで低酌をし、更に銀座で乙なサカナで『賀茂鶴』を飲ましてくれた。「もう一度見ないか」と七日目の桟敷の切符を割いてくれた。二度目の帰途、ある酒亭で、二十年振りで、尾崎君同様のファン、小山寛二君にめぐり合った。
 相撲ファンには、ヒイキがないと熱狂しないのではないかと思っていたが、尾崎君には、特別にそれがないらしいが、小山君も同様だといった、小山君も尾崎君に劣らぬ熱血漢で「相撲の勝負は一瞬にして、運命が決する。ここに豪快な人生の味がある」といい、彼は関取の一勝負ごとに、支度部屋に行き、勝ち力士には喜びの声を、敗け力士には、慰めの声を投げているらしかった。
 尾崎君は私とともに桟敷に座って、一度も桟敷を離れなかった。彼は自分で『相撲を見る眼』の中で「昔から土俵に人生的感傷を加えるくせのある私は、今日といえども悲劇的な要素に心をひかれる」と語っているが、確かに彼の相撲にひかれるものは、やはり土俵上の一瞬の、ひたぶるな勝負に、勝敗そのものでなく、人生のきびしさを味到しようとしているらしい。そしてその土俵の真剣さ豪快さを、彼自身の創作態度に結びつけて、心の糧としているらしい。だから、尾崎君の場合は、相撲見物は単なる娯楽の対象ではないようである。
 帰来、文学的にも、生活的にも、思想的にも、ただ老残の焦りにさまよっている私に、国技館の一日を誘ってくれたのには、あるいはこんなところに、彼の私への友情があったのではないかとも思った。そのことを小山君に語ると、小山君は大きくうなずいた。「僕も、毎日相撲に酔っているんではない。日本人の感情を養っているのだ」といっていた。





底本:「平野零児随想集 らいちゃん」平野零児遺稿刊行会
   1962(昭和37)年11月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本のテキストは、手書きの遺稿によります。
入力:坂本真一
校正:持田和踏
2023年7月31日作成
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