普羅句集

前田普羅






 説明するまでもなく、此の句集を繙かれる時、一句一句に就て私の生活が見出される事であらう。

 今日までの私の俳句生活は二つに分たれる、富山移住前と富山移住後とに。富山移住前の生活は横浜に於ける生活である。何故に其れを横浜時代と云はないか。私の俳句生活その他にも重大なる転機を与へた富山移住を記念するために、しばらく横浜時代の文字を割愛し、心に秘めて愛して居ようと思ふから。

 富山移住前の句は上巻に収めた。下巻は必然的に富山移住後の句が集められて居る。上巻を見ると、世路の術にも、心の鍛錬にも幼かつた私の狂はしき姿を見る、と云つて、下巻には、世路の術心の鍛錬に行き届いた時代の句が収められたと云ふのではない。只、静かに静かに、心ゆくまゝに、降りかゝる大自然の力に身を打ちつけて得た句があると云ふのみである。句を誇るのでなく、心を曝らけ出すのに過ぎない。物ほしさうな世路の術と云ふ事も、心の鍛錬なぞと修道者めいた言葉も忘れ果てた境に生れた句を収めたのみである。

 我等には教へられた宇宙があつた。之れに反し芸術の道は更に新らしい宇宙を創造せんとするワザである。小さい人間が、自の心と身を安定せしめ得るの新宇宙を求むる努力は、げになやみ多き芸術の道であつた。うめき、号泣、肉のさける音、骨の砕くる響、それ等は救を求むるの前ぶれではない。直ちに芸術にたづさはる者の力声である。歓喜の声である。

 何故に、或る人々は此の修羅の道を選ばねばならなかつたか。

 少年の心は、先づ染織学に動いた。それは色彩を採つて現し世の人の上に施し眺め得る魅惑からだ。電気学に心は走せた。新興科学の秘匣は、ボタンの一と押で解釈されさうだと思つたからだ。メスを執る人ともならんとした。生命の不思議はメスの先で発かれると思つたからだ。地質学地形学に心身を投じようともした。地球の肌の長い/\歴史と種々の形相に対する根深い愛着からだ。運命の秘鍵を動植物の細胞に求めんとした。英文学の華麗に目を奪はれた、静冷なる哲学の泉を汲まんとした。又ある時は、文芸の晶華を採らんとして劇に立たんともし、又遠き祖から習練を加へられた血の要求に甘んじ、三味線の誘惑に応じようともした。月光の下には月光に身をなさんとし、花の蔭には花に遷らんと思ふ。此の浮気者は、鮑が之れを笑殺するため、吸ひ着いて居る岩を離れる事の危険をも忘れしむるに充分であつた。

 さまよへるこの広き道辺には、常に寂寞たる俳句への径が口を開いて居た。熱情と之れを押へんとする弱き心とは、終に私をして此の寒苦の雪つもる径を選ばしめた。淋しい径である。人も淋しい径と云ふ。然し、求むるものは随所に与へらるゝの豊さと愛とがある。かつ私には若干の愛書と、家族を容れて余りある古き二張の麻蚊帳と、昼夜清水を吐いて呉れる小泉と、ジヤマン製の強力なる拡大鏡一つとがある。その上に、周囲には多くのよき友があり、之等を抱いて力強き越中の国の自然がある。

 私は此処に来たと思ふ。此処とは何処か、其れは新宇宙のもなかである。
昭和五年八月十三日暴風来の報を聞きつつ
奥田村の草舎にて
前田普羅



句集の出るまで



 普羅句集と云ふ言葉が私の耳に響いたのは、十数年前甲府の山田岫雲氏の口から洩れたのが最初である。当時岫雲氏は「自ら編輯に当つてもよい」とまで云つて居られたが、私は時でないと思ひ、其のまゝにして仕舞つた。越中に来てから、八尾の横爪巨籟氏、津沢の中島杏子氏その他の諸氏より、しば/\普羅句集なる言葉を聞いた。私は未だ「おのづからの時が来るだらう」と云ふ心持で、其れを軽く聞いて居た。昨年六月新聞記者をやめた時、「今こそ句集を出す時」と思ひ至つた。おのづからの時が来たのであらう、直ちに岫雲、巨籟、及び横浜の杉本禾人の三氏に此の旨を通じた。岫雲氏からは「四阿」六冊と普羅句抄二冊とが来た。禾人氏からも普羅句抄が来た。巨籟氏は之等を底本として、又その蔵書から抄出して「稿本普羅句集」をつくられた。其処へ大森の木村青令氏より「加比丹」七冊が届けられた。加此丹は大正九年以降十二年震災まで、焼失した句稿時代の私の句を見るに便が多かつた。稿本普羅句集は是等の材料及び震災当時持ち出した初期の句稿とで大増補が行はれて、漸く普羅句集の基礎は出来た。

 一句として捨てゝよいと思ふ句はなかつた。然し他人の句を選するの心で普羅句集の第一選を終了した。更らに同じ心で二選三選を行ひ、かくして二十年間の俳句生活から此の薄い普羅句集が生れ出たのである。富山の蛯谷刺泡氏に文字の誤りを正して貰ひ、清書して、高浜虚子先生の御手元に差出したのが、今年一月の末であつた。虚子先生は御多忙中、私の願を容れ、句稿は六月に至り私の手元に戻された。句稿からは先生の朱の加はらない句が少からず除かれた。同時に最近の作若干が加へられた。此の僭越は虚子先生の御ゆるしを得ねばならぬ所である。

 第一校正、第二校正とも吉沢無外氏の厳密なる校正を歴た。又北瞑会句会の時、船平晩紅、中田霙果両氏と鳩首して仮名遣の誤りを訂正した。第三校は無外氏が官命を以て黒部川の奥に入峡されたので、私一人で済ませた。扉絵の「横浜港」は今度こそ句集のために特に鶏村氏が恵投されたもので、共に此の句集には意義深いものである。

 句集は出来た。虚子先生はじめ、絶えず激励の言葉を投げられた諸氏、私の足らざるを補つて下さつた諸氏に、深厚の謝意を表す。
序を書ける同じき日
普羅




上の巻





面体をつゝめど二月役者かな
如月の日向をありく教師哉
浅春の火鉢集めし一間かな
春更けて諸鳥啼くや雲の上
薬園に伏樋のもるゝ朧かな
三度炊きて遅日まだある大寺哉
春尽きて山みな甲斐に走りけり
石ころも雑魚と煮ゆるや春の雨
春雪の暫く降るや海の上
武州金沢某旗亭
春雪に盲ひし如く閉しけり
雪解水どつとゝ落つる離宮哉
雪解川名山けづる響かな
茶屋起きて雪解の松に煙らしぬ
枕流曹長と能見堂峠を越す
春山を越す武士や肩に太刀
月出でゝ一枚の春田輝けり
乾坤の間に接木法師かな
さし木すや八百万神見そなはす
我が思ふ孤峯顔出せ青を踏む
絶壁のほろ/\落つる汐干かな
雨水は溝を走れり桜餅
騒人の反吐も暮れ行く桜かな
花を見し面を闇に打たせけり
花人帰りて夜の障子を開きけり
花遅く御室尼達のうす着かな
椿落つる我が死ぬ家の暗さかな


霊泉にシヤボンつかふや明易し
傘さして港内漕ぐや五月雨
夏山や二階なりける杣の宿
片富士の雪解や馬に強薬
潮蒼く人流れじと泳ぎけり
濛雨晴れて色濃き富士へ道者哉
すし切るや主客五人に違ふ皿
鮓なるゝ頃不参の返事二三通
好者の羽織飛ばせし涼みかな
水打たせて尚たれ籠る女房哉
水打つや明らさまなる唖な蝉
信者来てねぎらひ行くや蚊火の宿
月さすや沈みてありし水中花
舟遊の下りつくせし早瀬かな
蚊帳たれて山の気となる樵夫かな
羽抜鳥高き巌に上りけり
人殺ろす我かも知らず飛ぶ螢
※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)くひななく宿に眠れる蕩児かな
若竹に風雨駆けるや庭の奥
那須野の果に人を送る
病葉の散るとてかへる山家かな
夏草を搏ちては消ゆる嵐哉
うきくさに膏雨底なく湛へけり
萍に伊吹見出でゝ雨上る
向日葵ひまはりの月に遊ぶや漁師達
青梅も拾はで雨の板戸かな


新涼や豆腐驚く唐辛
夜長人耶蘇をけなして帰りけり
高嶺より路の落ち来る秋日かな
秋の日や食籠を見る暗き棚
慌しく大漁過ぎし秋日かな
膝折れの※(「虫+車」、第3水準1-91-55)こほろぎも啼け十三夜
膝長う座れる人や十三夜
いづこより月のさし居るむぐら
月の人動く川尻の家居かな
山人のくしやみやとゞく秋の雲
葛籠なる小袖思ふや野分の夜
秋風に倒れず淋し肥柄杓
秋の雨盲めざめて居たりけり
露乾かで山茶屋ありぬ十一時
有る程の衣をかけたり秋山家
秋山に騒ぐ生徒や力餅
温泉にとめし眼を大切や秋の山
さゞめきて秋水落つる山家かな
秋出水乾かんとして花赤し
秋出水高く残りし鏡かな
秋出水濁して渉る壮夫かな
太鼓懸くれば秋燕軒にあらざりき
盗人とならで過ぎけり虫の門
虫なくや我れと湯を呑む影法師
落ち/\て鮎は木の葉となりにけり
菊切るや唇荒れて峯高し
桔梗や一群過ぎし手長蝦
山寺の局造りや鳳仙花
人の如く※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)頭立てり二三本
一しきり木の実落ちたる夕日哉
しみ/″\と日を吸ふ柿の静かな
水引や人かゝれ行く滝の怪我
葛の葉や飜るとき音もなし
ころげ出て尻皆青き蜜柑哉


霜月や酒さめて居るまむし
赤々と酒場ぬらるゝ師走かな
山辺より灯しそめて冴ゆるかな
初めて虚子先生に見ゆる日
喜びの面洗ふや寒の水
争に勝ちし寒さや家にあり
武士の寒き肌や大灸
勧進の鈴きゝぬ春も遠からじ
富士裾野
鷹とんで冬日あまねし龍ヶ嶽
どさ/\と夕日に落ちぬ塔の雪
農具市深雪を踏みて固めけり
荒れ雪に乗り去り乗り去る旅人哉
雪垂れて落ちず学校はじまれり
冬山や身延と聞いて駕籠に覚む
甲斐阿難坂
冬山や人猿に似て菓子を売る
海老汲むと日々に歩きぬ枯野人
冬海や人岩に居て魚を待つ
一人来てストーブ焚くやクリスマス
鐘なる間庭をありくや降誕祭
大いなる手に火のはねる火鉢かな
甲斐芦川峠
八ヶ嶽見えて嬉しき焚火哉
山火事を消しに登るや蜜柑畑
干足袋を飛せし湖の深さ哉
病む人の足袋白々とはきにけり
がぶ/\と白湯さゆ呑みなれて冬籠
年木樵木の香に染みて飯食へり
湖を打つて年木の一枝おろされぬ
寒雀身を細うして闘へり
聖者の訃海鼠なまこの耳を貫けり
落葉して蔓高々と懸りけり
精進湖畔
星空や落葉の上を精進まで
花枇杷に色勝つ鳥の遊びけり

新年


獅子舞や戯絵ふせたる机辺まで
藪入に鯛一枚の料理かな
藪入に餅花古りて懸りけり
湖の氷をよごす出初かな




下の巻





如月や鶺鴒せきれいへる防波堤
一と山の煤の流るゝ二月かな
光明寺本堂工事三句
苔つけし松横はる二月かな
番匠や二月の水に小便す
二月野やさゞめき通る砂寄進
三月の雑誌の上の日影かな
反りかへる木の葉鰈や弥生尽
オリヲンの真下春立つ雪の宿
雪五度立春大吉の家にあり
立春の暁の時計鳴りにけり
春浅く松は伐られぬ藪の中
春寒や埃をかぶる庭の雪
山吹鉱泉
春寒し二枚敷きたる熊の皮
卵売り春の寒さを来りけり
懐炉二つ残る寒さを歩きけり
春寒し人熊笹の中を行く
風邪に臥す
蜜豆を二度見る夢や春寒し
雪つけし飛騨の国見ゆ春の夕
春宵の食事終れり観光団
額つりて小家賑し春の宵
朧夜や百姓の子の笛を吹く
高らかに堰の戸開けぬ朧月
おぼろ/\水飲みに来し井の辺
蝕めるゆづり葉に春曇りけり
春曇り鳩の下り居る山路かな
春暗し立山の下にうづくまる
加賀様街道
麗かや大荷をおろす附木売
行く春や大浪立てる山の池
氷見町外散歩
行く春や布施の丸山見て過ぐる
ゆくはるや鳥が巣かける駐在所
春光や石にからまる枯茨
小矢部川
瀬頭に打込む春の光かな
一すぢの春の日さしぬ杉の花
大空に春の月あり樹々の影
風出でゝ傾きそめぬ春の月
肥打つて棚田しづかや春の月
春月や謡をうたふ僧と僧
春月や軒を交へし肥小屋
浄蓮寺句会夜に入りて果つ
海山に春の星出て暗きかな
福野町半木庵
ひともとの椎にそゝぐや春の雨
春雨やにな這ひ上る庭の石
淡雪の中に来て居し電車かな
春の雪藪につもりて輝けり
春雷や著莪が芽を吹く屋根の上
蒼求君に
春雪の解くるが如く卒業す
雪解や妙高戸隠競ひ立つ
雪解風暁の戸を打ち居たり
春泥や夕刊飛んで地に落ちず
船上ぐる人の声かや春の海
親不知を通る
春の海や暮れなんとする深緑
春の田に埃掃き出す坊主かな
幼児の足さぐり得つ春炬燵はるごたつ
出代りの来て居る広き厨かな
うつばりの傘はづし出代りぬ
われと子と命尊し二日灸
起臥只暗し
春眠をうつ春霰春あらし
土雛ありとしもなきあぎと哉
菓子を切る庖丁来たり雛の前
掛餅畳にとゞく雛の宿
巨籟庵に入る、辰男君床の間に蚕を飼ふ
よく眠る御蚕に大幅懸りけり
ふらこゝを掛けて遊ぶや神の森
鞦韆にしばし遊ぶや小商人
代馬や又廻り来し草の門
遠き祖の墳墓のほとり耕しぬ
炉塞や一枝投げさす猫柳
炉塞いでしとね並べぬ宿直人
炉塞いで人逍遙す挿木垣
青々と挿木の屑の掃かれけり
一鍬の田の土盗む挿木かな
口とぢて打ち重りつ種俵
種まくや火の見梯の映す水に
種俵大口あけて陽炎かげろへり
守水老、竹の門追悼会に列す
只小さき句集二冊や春灯
啼き立てゝ暁近き蛙かな
境内に糞を落して囀れり
柊の一枝ゆるがし囀れり
高らかに鶯啼けり杉林
三椏みつまたや皆首垂れて花盛り
土音庵
道端の垣なき庭や黄水仙
道も狭に耕馬の尻やすみれ花
とびからす闘ひ落ちぬ濃山吹
甲信国境
駒鳳凰山吹曇りつゞきけり
余花散るや誰かわづらふ駐在所
蔓かけて共に芽ぐみぬ山桜
軒下に昼風呂焚くや梅の花
探梅行鶏おどろかし通りけり
木の芽かたし茫々として人の逝く
本堂に電燈つくや竹の秋
猫柳朝の郵便来りけり
家こぼつ埃上がるや猫柳
白椿咲けるが見ゆる竹の奥
竹林に椿折る人の声すなり
椿折る人の手見ゆる夕かな
流れ去る椿の臍の白きかな
大風に花のかくるゝ椿かな
舟過ぎし椿の下の早瀬哉


虞美人草のしきりに曲り明易し
妓家
明易き人の出入や麻暖簾
半夜能登輪島町羊多楼居に入る
旅人みな袴をぬぐや明易し
明易や雲が渦まく駒ヶ嶽
青嵐や主従あきし麦の飯
大寺のうしろ明るき梅雨入かな
梅雨風や濁りて懸る金魚玉
葭切よしきりや郭公や梅雨の風に飛ぶ
日もすがら木を伐る響梅雨の山
梅雨の海静かに岩をぬらしけり
梅雨晴や鵜の渡り居る輪島崎
薬師立山しばらく見えし梅雨入哉
雫してわれからぬれぬ梅雨の松
梅雨の川芦一本にまがりけり
士朗居
門前の二本の柿や梅雨さわぐ
蝶来るや梅雨の晴間の五葉松
菱刈りの面を叩く夕立かな
日盛や門前に打つ箔砧はこきぬた
別離
人の面を流るゝ涙五月闇
しら/\と明けて影濃し旱雲ひでりぐも
朝夕瓜もみ食ふ旱かな
夏山や吊橋かけて飛騨に入る
浴衣着て帯胸高や弱法師
果物の汁の飛びたる浴衣かな
老師に対す
うすものに人肌見えて尊とけれ
祭過ぎぬ木を挽く響隣より
先哲の墓に詣るや夏帽子
鮓の石金輪際に据ゑにけり
麦飯をぼろ/\食ひて涼しけれ
立山のかぶさる町や水を打つ
松の木に庭師来て居り昼寝覚
蚊の落つる音の嬉しき油団哉
※(「麩」の「夫」に代えて「少」、第4水準2-94-55)むぎこがしを吹き飛したる畳かな
夏火鉢膝頭より大いなり
日除して青田に沈む小家かな
舟よりも大いなる日除漕ぎ行けり
昨日より日除をしたり農学校
月さすや沈みてありし水中花
月見草萎れし門に帰省せり
緑児の眼あけて居るや田植雲
田祭や蚤取粉のみとり打つて小百姓
箱の如き庭下駄のあり夏座敷
杉箸を染むるはなにか夏料理
寂寞と一汁あつし夏料理
夏料理ほゝけ防風反りを打つ
油蝉朴にうつりて鳴かざりき
教会の桜の毛虫焼かれけり
美しき毛虫を掃くや山の寺
毛虫焼く人の見ゆるや庭の奥
宝念寺
毛虫居たり竹の手すりの仮本堂
町を出てみな高声や螢狩
鮎を贈る
二三点鮎とぶ君がほとりかな
藤の芽を撓めて落ちぬ雨蛙
残暑に堪ゆ
蛇の衣奥田の宿に脱がれけり
越中笹津
合歓ねむ咲くや此処より飛騨の馬糞道
たけのこの頭の見ゆる若葉かな
花桐や重ね伏せたる一位笠
某寺庫裡
杖もつて花ざかりなる茨かな
病葉わくらばや石にも地にも去年のやう
西瓜食ふやハラリ/\と種を吐く
人の居て葛の葉ゆれぬ木下闇
白ばかり咲きてけうとや立葵
咲き上げて紅勝ちぬ立葵
青あせて葵の蕾残りけり
白葵大雨に咲きそめにけり
罌粟坊主雨を湛へてこぼしけり
咲きやんで雛罌粟雨に打たれ居り
白罌粟の花より高し罌粟坊主


今朝秋や蜘蛛が巣かけし肥柄杓
やゝ寒や座りて小さき隠し妻
花更へて本積みかへて夜寒なる
雲いろ/\彩る二百十日かな
昭和大礼
行秋や人上り居る奉祝門
つぎ/\の運動会や秋の行く
行く秋や隣の窓の下を掃く
大空に蜘蛛のかゝれる月夜哉
白々と縁にさし来ぬ後の月
枯松の頂白き月夜かな
二三人木の間はなるゝ月夜かな
月照るや雲のかゝれる四方の山
牛嶽の雲吐きやまぬ月夜哉
芋の葉の月に面を傾けぬ
金沢、高岸寺月見会
能登人の四五人まじる月見かな
秋風や片側ぬるゝ神の松
登校や流るゝ霧に逆らひて
秋霧のしづく落して晴れにけり
秋雨や敷居の上の御燈料
秋雨や葛這ひ出でし神の庭
大露に野の神ぬれて在しけり
我が児より大いなる犬露野行く
庭上晩望
東京の汽車来て嬉し稲の露
落ち合ひて澄まんとするや秋の水
枯野来し人の指環の光りけり
戸一枚明けて子規忌の出入り哉
へちま忌や其月老人庵を出づ
ひし/\と毬栗さしぬ施餓鬼棚
月代に消え行く仕掛花火かな
ふところに紺の香高し秋袷
つゝましや秋の袷の膝頭
郡長の来て歩きけり下りやな
簗くづす水勢来りぬ石叩き
とめどなく崩るゝ簗や三日の月
某月庵一泊
こち向いて巨籟寝ねたり秋の蚊帳
朱の緒のなほ艶めくや別れ蚊帳
立山に初雪降れり稲を刈る
鳴き負けてかたちづくりす囮哉
厠遠しかの※(「虫+車」、第3水準1-91-55)こほろぎの高調子
虫鳴くや向ひ合ひたる寺の門
虫来ぬと合点して居る読書かな
色鳥や末社の並ぶ松の中
かへり来て顔みな同じ秋の蜂
稲架かけて飛騨は隠れぬ渡り鳥
毟らるゝ菊芳しき料理かな
拾ひ来て畳に置きぬ丹波栗
紅葉折る木魂かへすや鏡石
真盛りの水引を打つ大雨かな
曼珠沙華無月の客に踏れけり
掛け足して直ぐ赤らむや唐辛子
一叢の露草映すや小矢部川
秋草にまじりて高し花茗荷


旅人のよき蕎麦食ふや十二月
冬至湯の煙あがるや家の内
初冬のきたなき読書扇かな
路の辺に鴨下りて年暮れんとす
吟風洞
年行くや耳掻光る硯箱
春を待つ商人犬を愛しけり
雪折に狎れ住む春の隣かな
一吹雪春の隣となりにけり
冬雲や毎日通る肥車
金沢宝円寺句会に行く
礪波れいは越すあわたゞしさよ幾時雨
わが宿の客をぬらせし時雨かな
時雨るゝや水の流るゝ竹林
時雨るゝや電燈ともる車井戸
雪卸し能登見ゆるまで上りけり
天辺の雪を落しぬ高野槇かうやまき
雪垂れて我が家ともなし夕日影
冬山や径集りて一と平
冬山や馬も清らに藁を敷く
十銭の商売するや冬山家
学校に冬山の径の一とうねり
谷底に吊橋かけぬ冬の山
只人の墓の群がる枯野哉
牛にあらず二上山の眠るなり
果樹園の門を閉しぬ山眠る
対安房に入る
垣ひくし礪波医王の眠るかな
愛宕社のうしろに出でぬ山眠る
風当る我が家を出て入営す
粉炭に染みてなほある小石かな
遅参なき忘年会の始まれり
古布子新しきごと畳まれぬ
手燭して乾鮭切るや二三片
山祇の出入りの扉あり雪囲
あけくれに富貴を夢む風邪哉
よき衣をたゝむや袖の風邪薬
冬ごもる子女の一間を通りけり
葛湯して匙の足らざる温泉宿かな
風落ちて月現るゝ葛湯かな
時雨忌の人居る窓のあかりかな
芭蕉忌やみな俳諧の長者顔
御涅槃のかたきまぶたや雪明り
冬の蠅出て来て人にとまりけり
寒鮒の釣り上げらるゝ水面かな
寒鮒にまじりて由々し手長蝦
寒鮒の汲みかへられて澄みにけり
竹藪に散りて仕舞ひぬ冬椿
枯木宿カラタチの実の見ゆるなり
寄生木と鳥籠かけぬ枯木宿
肩出して大根青し時雨雲
富山市中
土ながら大根つまれぬ雪や来ん
冬枯や水の溜りし寺の庭

新年


雪の戸にいつまで寝るや御元日
人を待つ
うしろより初雪ふれり夜の町
天暗く七種粥の煮ゆるなり
人の日や読みつぐグリム物語
雪掻けば直ちに見ゆる礼者かな
(昭和五年九月刊)





底本:「現代日本文學大系 95 現代句集」筑摩書房
   1973(昭和48)年9月25日初版第1刷発行
   1977(昭和52)年5月20日初版第5刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:小山優子
2018年3月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード