作品名: | 食品とその混ぜ物処理 |
作品名読み: | しょくひんとそのまぜものしょり |
原題: | FOOD AND ITS ADULTERATIONS |
著者名: | ハッサル アーサー・ヒル |
分類: | NDC 498 |
作品について: | 1850年にロンドンで開業し始めた医師アーサー・ヒル・ハッサル(1817-94)は街で売っている多くの食品とくにコーヒーが純粋でないことを気付いた。彼は顕微解剖学の権威だったし植物学に詳しかった。挽いたコーヒーを顕微鏡で観察して殆どすべての商品にチコリー(キクニガナ)の根が混じっていることを見つけて植物学会に報告した。これを知って同じく医師であり医学週刊誌ランセットの創始者・編集者であったトマス・ワクリー(1795-1862)は、共同して食品のアダルテーション(混ぜ物処理)の告発を提案した。ワクリーは下院議員で改革派の政治家でありロンドンで検死官を務めていた。この告発は「分析衛生委員会」の名前で1851年から1854年にかけてランセット誌に発表された。食品はすべて無作為に購入されたものでありハッサル自身の慎重な顕微観察によって分析された。報告には混ぜ物があるときも無いときも売り手の名前と住所を明記した。これをハッサルが単行本として刊行したのが本書「食品とその混ぜ物処理」(1855)である。彼が分析したのはコーヒーだけでも223サンプルであり、種々の食品について顕微鏡で観察した159の微細構造図を掲載している。コーヒーのサンプルにはその大部分または全部が混ぜ物だったものがあった。混ぜ物入りのコーヒーを売りながら大衆にたいし真正品を購入するように忠告した広告文(No.31)などは興味深い。 訳者による、作品の解説と著者の紹介はこちらへ。 対訳、英文、原著も、こちらで参照できます。 |
文字遣い種別: | 新字新仮名 |
備考: |
分類: | 著者 |
作家名: | ハッサル アーサー・ヒル |
作家名読み: | ハッサル アーサー・ヒル |
ローマ字表記: | Hassall, Arthur Hill |
生年: | 1917-12-13 |
没年: | 1894-04-09 |
人物について: | アーサー・ヒル・ハッサルはロンドン郊外で生まれ母親は3日後に死亡した。父親は1798年のアイルランド反乱にさいしてダーラムから志願した軍医であった。アーサーは1834年に医師であるダブリンのおじのもとで徒弟となり医学教育を受けた。ここで腸チフスに罹って静養した。彼は博物学に興味を持ち、海藻やサンゴ類などの標本を集め論文を書いている。医学教育を終わってロンドン郊外で淡水藻などの研究を行うとともに医師試験を受け、1842年にロンドン郊外で開業した。ここで彼は2冊の英国最初の顕微解剖学の本を書き刊行した。胸腺には彼の名前がついたハッサル小体がある。公衆衛生学にも興味を持ち、貧窮者地区の状況についての小冊子を出版した。多忙なためか結核に罹り、1850年にロンドン市内に移った。ロンドンでは医療のかたわら公衆衛生学的に重要な研究を行った。「ロンドンの上水」「ロンドンのコレラ流行」および「混ぜ物処理」などの研究である。1866年には結核が再発した。徒弟時代から3度目の大病であり、ロンドンの診療所を他の医師に譲渡して郊外の兄の診療所で治療を受けた。ある程度よくなってから英仏海峡に面した保養地のワイト島に移った。彼はここに病院を創設し、ビクトリア女王も来訪して「ロイヤル国立胸部疾患病院」と命名された。1877年に彼はこの島を離れて、1894年に亡くなるまで夏はスイスのルツェルン、冬はイタリアのサンレモにおいて開業と研究を続けた。以上は彼の「忙しい一生の物語:自叙伝」(1893)から紹介したものである。(水上茂樹) 「Arthur Hill Hassall」 |
分類: | 翻訳者 |
作家名: | 水上 茂樹 |
作家名読み: | みなかみ しげき |
ローマ字表記: | Minakami, Shigeki |
人物について: | 大恐慌の申し子(1930年生まれ)。最初の確かな記憶は1936年2月26日の大雪。小学校、中学校の記憶は軍事教練、勤労動員、家と学校の焼失、飢餓であって勉強でもクラブ活動でもない。医学生になり英語の医書を求めて日比谷の占領軍図書館に行きシゲリストの本に出会う(1949)。シゲリストの影響で医学史とソヴィエット医学に興味を持つようになる。栄養失調をみてきたので卒業後は栄養学を専攻したが結局は赤血球や白血球などの生化学の研究を行った。1961年にフィラデルフィア(フォートラン発祥の地)に居たときにコンピュータに興味を持った。大学紛争初期(1967)に発端となった大学から福岡の大学に移り26年間を生化学の教育と研究で過ごした。定年後に移った私立大学ではまず1995年頃に外に通じないウェブを作り、インターネット網に繋がってからは図書館に公開してもらっている(貝原益軒アーカイブなど)。2000年にここも定年となり別の私立大学で2006年まで栄養学科新設に協力した。ここでは米国栄養学雑誌に連載されていた栄養学小史を翻訳し大学ウェブで公開してもらっている。その後は晴耕雨読の生活で半世紀以上前に興味を持った医学史関係の文献を対訳の形で個人ウェブに公開している。(水上茂樹) |
校正: | Juki |
ファイル種別 | 圧縮 | ファイル名(リンク) | 文字集合/符号化方式 | サイズ | 初登録日 | 最終更新日 |
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