討たせてやらぬ敵討

長谷川伸




       ◇

 寛永かんえい十六年四月十六日の早朝。陸奥国むつのくに会津あいづ四十万石加藤式部少輔明成かとうしきぶのしょうゆうあきなりの家士、弓削田宮内ゆげだくないは若松城の南の方で、突然起った轟音ごうおんすわと、押っ取り刀で小屋の外へ飛び出した。この日宮内は頭痛がひどいので、小屋に引きこもって養生していたのである。
 宮内は骨細い生れつきで、襟首えりくびのあたりは女かと思うばかり、やわらかい線をしていた。見るからに弱々しいのは姿ばかりではなく、実際に非力ひりきであった。島原しまばら切支丹きりしたん退治たいじがあって、血腥ちなまぐさうわさが伝わったのは昨年のことである。大坂落城以来二十年余の今日では、天下泰平を誰しも望んではいたが、油断の出来る時節にはなっていなかった、それだけに一朝事ある場合に、優しい姿の宮内では、とても役にたつまいとかろしめられていた、宮内はそうした批評が、自分に下されていることを、勿論さとっていた。しかし、武芸に長所を持たぬ上に、非力である自分の体を、どうすることも出来なかった。
 押っ取り刀を宮内は、腰にさしながら小屋の外で、天地にとどろいた、今の音が、起ったらしく思われる南山みなみやまの空を仰いだ、と直ぐ眼についたのは、おびやかされて群れ乱れたおびただしいとりであった、緑につつまれた山も野もすてて、おそおびえて青空に彼等は狂っていた。宮内は南の空から東へ、それから北へ西へと眼を配った、脅かされて立った禽は、若松城の外曲輪そとくるわ十六門のうち南町口みなみまちぐちから南の方だけであった。その南の今の若松市外門田もんでん村の一部、その頃はひと口に中野といった。その見当らしく思われた。
「いよいよったのう」
 胸を躍らした宮内は、眼を閉じてほっと息をついた。宮内には今の音が、何であるかの推測がついていたのである。
「母者、事が起った。恐らくは直ちに討手が差し向けられるに違いない。それに遅れてはうしろ指の種じゃ。宮内は一駈けつかまつる」
 門口でこういいてて、城内めがけて驀地まっしぐらに走り出した頃に、諸所の小屋から、同じような身分の士や、その妻子が外へ出て、くるくると空を仰いで騒ぎ出していた。

 加藤式部少輔明成は、父嘉明よしあきしゅつ家督かとくをついでから九年目になる、評判のよろしくないこの人は、四十万石の家中かちゅう河村権七かわむらごんしち堀主水ほりもんどかといわれたほどの名臣、主水を憎んでいた。河村権七は先代が伊予いよの松山にいるとき死去し、今は加藤家自慢の家臣は、堀主水が唯一であった。その主水を明成は甚だしく嫌っているのだった。
 君臣の間の離反は、事ごとにみぞを深くし、とうていまどかな結果はあるまいと、誰しも予想したとおり、主水は家老の職をがれ、先代が依託した采配さいはいまで召しあげられたのを機会に、この日一門残らず三百余人、隊列を整えて馬橋まばしから南へみちをとり、中野で銃口つつぐちを城に向け、三十ちょう一時に放発して、君臣手ぎれの狼火のろしに代えた。宮内が押っ取り刀で飛び出したのは、その銃声のためであった。
 主水の率いる三百余人は、倉兼川くらかねがわを越えると直ぐ、橋を焼き落して日光街道を、蘆野原あしのはらの関所を押して通り、二股山ふたまたやまやり薙刀なぎなた鉄砲を棄てて関東へ向って行ってしまった。

 弓削田宮内は城中へ駈け込みながら、自分の外には、駈けつける者のないのに驚いた。さすがにひしめいてはいるが、早急に討手の人馬が、城外へ押し出す様子は更になかった。宮内は手持ち無沙汰ぶさたになって、ただうろうろと、その辺を歩く外にすることがなかった。
 先ほどからといっても、宮内よりは大分遅く駈けつけた一人に、生島慎九郎いくしましんくろうという血気の武士がいた。今はじめて宮内の色の白い顔に気がついた。それのみならず病気であることを知らなかったので、宮内の血色の良くない顔と、物憂ものうれわしげな眼つきとを見て、あざけり笑いが顔にこみあげて出てきた。
「宮内、おみは今頃ようやく着到か」
 いわでものことをと、慎九郎は直ぐ後悔した。殊に宮内には、触れたくない事情を慎九郎はもっていたのであるが、いってしまった後なのではたと困った。折よく重役の評定ひょうじょうがはじまって追討派と非追討派とが、今論争中だという報があったので、慎九郎はその方へ耳を傾け、宮内からなるべく遠ざかろうとしたかった。
 宮内は逃さなかった。わざわざ慎九郎のうしろへきて、そのそでをひいてなじった、その顔つきはあおさが先ほどよりはよほど濃くなっていた。
「前後をよくわきまえてから物はいうものじゃ、第一の着到はかくいう弓削田宮内じゃ、お歴々れきれきといえども、着到順から申せば皆後じゃ」
「なに、そうか、手柄じゃのう、したが生憎あいにくと武芸下手でいかぬわい」
 慎九郎は、男の面目めんぼくとして、殊に一人の女を争って勝利に誇る日が、目前に近づいている慎九郎だ、恋争いに敗れた宮内から、一本うち込まれて、閉口し放しでいられなかった。

       ◇

 宮内が思いをかけた女は、矢作治部太夫やはぎじぶだゆうの娘きいであった。そのきいには慎九郎も、熱心に執着して争った。
 泰平の御代と、人は口癖にいっていたが、その泰平はあてにならない気がした頃のことだ、色の白い、骨細の優男やさおとこの宮内より、たくましい体をもって、力も人並以上あり、起居たちいも雄々しい慎九郎の方が、治部太夫の娘の気に入った。
 恋争いに敗北した宮内は、その原因が武勇の劣ったことにあると聞いて、口のはたしきりにひきつる気もちがした。
「武勇だって。武勇というものは、尋常無事のときにばかり知れるものかのう。きい殿はえらい目利めきしゃじゃ」
 ほうり出すようにいって、自分を慰めてはみたものの、自分の非力は知り過ぎるほど知っていた。力から武勇が生れ出るとは思わないが、亡父のかぶとかしらにのせただけで、首を自由にふることの出来なかった宮内は、心の底の方では、あきらめをつけねばならぬと覚悟はしていた。しかしそれは思っただけで、恋争いの敗北の痛みは、臓腑ぞうふに深く刻みつけられた。

 逆臣誅罰ちゅうばつの一番手に、幸いにも編入された宮内は、胸一つには抑え切れないうれしさを感じた。何処どこで堀主水の三百余人に、追いつくか知らないが華々しく闘って、骨細者の非力とうたわれた腕から、どのくらいのれ味が出るかを見せつけてやろうと思った。そうしたら慎九郎にはいい見せつけになる、それよりは力を男選みのはかりにかけた治部太夫の娘が、非力者の勇気を聞き知ったら、さぞ事の案外におどろくだろうことを、宮内はまず空想して愉快に思った。しかし、宮内の空想は水で描いた画だった。追いかけた主水主従が、棄てて行った槍鉄砲などを、二股山で拾って引き返しただけで、討手の役は、その後立ち消えとなってしまった。

 堀主水が鎌倉かまくら蟄居ちっきょしていると、江戸から早馬で注進があった日に、宮内と慎九郎とは、支配頭に呼び出されて、頭ごなしにしかりつけられた。
「両人は私怨しえんさしはさみ、果合はたしあいを約したという風聞だ、その虚実は今は問わぬが、只今の御家のていを拝したら、それどころではあるまい、くだらぬ騒ぎをして不忠を働くな、それよりは主君の御憤りを、一日も早くやすめ奉る心になれ、白癡たわけめがッ」
 平身低頭して叱言を聞いていた二人のうちで宮内の方は素早く、その機会をとらえた。
「段々との御教誨ごきょうかい有難く存じます、きまして私、この度の逆臣退治につき、命投げ出し御奉公仕りたく、何分大役仰せつけ下されまするよう、願いあげまする」
「それでこそじゃ、追って申しあげる」
「私、お願い申しあげまする」
 慎九郎はあかくなって、いい出したが、軽く出端でばなを押えつけられた。
「わかったわかった、それでこそおみも当家の士じゃ」

 宮内は高野山こうやさんへ、探偵として入り込む内命をうけて喜んで出立しゅったつした。紀州きしゅうの霊場には、鎌倉を去った堀主水が、身の危険を感じて登山しているのであった。
 主水は高野を下山して、紀州家をたよって身を寄せた、加藤家と高野山の争いもそうであったが、紀州家を対手あいてとして、争いを起そうと決心した加藤家は、凄惨せいさんな覚悟を据えた。
「四十万石を差しあげても、極悪の不臣堀主水の一類をちゅうさねばならぬ」
 父の嘉明の小兵こひょうに似ず、六尺豊かな加藤式部少輔明成は、足摺あしずりして焦慮あせった。主がこの気もちだから、血気な士ははやりきって、何かというと殺気立った。
 そのうちに紀州を出た主水は、江戸に現れて旧主明成の罪条、二十一個条をあげて公儀こうぎに告訴した、明成の評判は余りよくなかったが、主の居城に発砲し、往来の橋を焼き、関所を押して通ったというかどが、徳川家では許しておかれない事件だった。君臣の別をみだることは、加藤家の問題ではなく、公儀自身に影響する問題であるとともに、黒書院くろしょいんに居流れた人々の、立場は、加藤明成と皆同じであった。誰一人として主水と同じ立場に立って考える人はなかった。
 寛永十八年三月二十一日、堀主水一類は旧主加藤明成に引き渡され、間もなく将軍は口すがら、主水等を極刑に行えと明成に命じた。主水兄弟三人は、うつつぜめの末に斬殺ざんさつされ、妻子も極刑に処せられた。

 宮内はその頃になって、会津若松の小屋に帰ってきた、色こそ黒くなったが、優姿やさすがたは足かけ三年の今でも、元と変るところが更になかった。
 隠密おんみつをやって相模さがみから紀州へ、紀州から江戸へ出てしばらく休息し、やがて又相模へ主水の妻子の隠れ家をぎ出しに行った。その永らくの間に、宮内は時々故郷の空を望んで、非力者の腕前が、君家の役に大分立っているのを自慢した。今度会津へ帰ってからも、そうした気もちを、胸一杯にもっていたが、慎九郎の噂を聞くと、今までの元気が一度にった如く思った。
 慎九郎は主水の弟、多賀井又八郎たがいまたはちろうの妻子を捉えに行き、大分武勇を示したというのだ。そればかりか、慎九郎ときいとは、互いに父となり母となっていた。子供は今年二歳だという。

       ◇

 うしばかのほとりの桜が咲いた。隠密の苦心を認める者より、慎九郎の腕前の方が、知合いの間柄ではまさるとされた、その噂で気をいらだたせていた宮内は、桜見物に出てきても、一向面白くもなかった。
「きい殿でござったな、久方ぶりでござる」
 桜狩の女のうちから、宮内は慎九郎の妻を偶然みつけ出した。
「これは弓削田様、いつもながらお健やかでお喜び申しあげまする」
 若い母の色つやは、娘時代よりはずっと美しく、三年前よりは、肉づきまでがふくよかになっていた。宮内はそれをみると、慎んではいるつもりだが、妬心としんがふいと芽を出した。
「おお、そこにいたか、あちらへ参れ」
 急に現れてきた慎九郎は、宮内には一瞥いちべつもくれず、ただ妻にだけ口をきいた。
 きいは一礼して去った。その後姿を見送っていた慎九郎は、宮内を眼中におかず、黙って立去ろうとした。
「慎九郎待て」
 無言で小戻りしてきた慎九郎は、宮内の眼のところへ、自分の鼻が押しつくほどに近づけ、顔中の筋を一つも動かさずにいた。この男もいているのだ。
「目礼をしたのに何故答えぬ。宮内にはそうせずともよいのか」
「そこにいたのか、さらば、あらためて目礼するぞ。これでよいか、あまりかぼそいから見損みそくねたのじゃ」
「それが挨拶あいさつの作法か」
生島いくしま流儀じゃ、気に入らぬでも是非がない、ぬしある女の顔を、しげしげとながめるのが武士もののふの作法と心得た奴に、慎九郎風の挨拶、気に入らぬかも知れぬのう」
「聞き棄てにならぬぞ。なに、ぬしある女の顔がどうしたというのじゃ、弓削田宮内が不義でも仕掛けたというのか、明白にいってくれ、余のこととは違うぞ、色情沙汰の悪名は名折れじゃ」
「いうは易いが、まあ自身に問うてみろ」
「なに」
「なんだ、宮内そのこぶしは何処へやる気だ、刀へかけるのなら、いさぎよくかけろ、慎九郎は非力者が相手じゃとて、遠慮はせぬ男じゃ」
「…………」
細作しのびは人並みに仕遂しとげたが、抜き合わせたら十のうち十までケシ飛ぶこと請合の非力者の腕、滅多に拳を刀に近づけるなよ、危ないから」
 宮内は慎九郎の、強げな体を今更らしく眺めた。同じく生をこの世にけて、一人はもてはやされる力にちた体をもち、一人は女にまでさげすまれる弱々しい体をもっている、甚だしいこの差別を持って生れて来たのを、天賦てんぷだというだけで、手軽くあきらめをつけねばならぬことはどう考えてもわからないことわりだった、――力を出そう、なんかしらの武器をとって、長所をつくろう。宮内は今までそれを怠ってはいなかったが、力はいつまでたっても出なかったのだ、武芸は何一つとして、人並みにはなれなかったのだ。
「宮内、泣いているな、こりゃ面白い」
「…………」
「抜き合わせて勝つ見込みがない、さりとて口惜しくもある。それで泣くのじゃな、はッはッはッ宮内よく聞けよ、武士は泣かぬものじゃ」
如何いかにも、泣いた、泣いている、口惜しさに泣いているのじゃ」
「左程無念なら、遠慮はいらぬ、この場で、やろうか、慎九郎は何時いつでも心得たとこそいえ、あすにせよとは決していわぬぞ」
「慎九郎などにはわからぬことじゃ、泣くのは自身を泣いているのじゃ、汝達おみたちのことばかりで泣くのではない」
口賢くちかしこくいい抜けるな、慎九郎は憎し、さりとて己れは非力でうち勝つ見込みはない、それで泣いているのじゃ、骨細男とはいえ武夫もののふじゃ、白昼、諸人の目前で泣く奴があるか」
「何とでもいえ――が慎九郎、非力者とうたわれたこの宮内が、生死を賭けて争う場に臨んでも、果して平常の如き非力者であろうか」
「妙なことをいう奴じゃ」
「実地にやったことはないのじゃ、なれども、宮内は固く思っている、すわというとき、宮内は決して怯者きょうしゃでない、むしろ大胆不敵の男になれる、如何ばかりの勇士でも、宮内は必ず仕止めてみせる」
「兵学の講釈を、宮内から聞くとは思わなかった。それほど自慢の心があるなら、勇士を仕止めてみろよ」
「うむ――追ってはそういうときもくるに違いない、まあ後々のちのちをみておれ」
 宮内はプイと立去った。

       ◇

 その翌年の春、宮内の母が亡くなって、小屋の起居は宮内一人の淋しい朝夕となった。
 寛永十九年の秋の訪れが、この雪の早い国にもうやって来た。やがて峰々から吹いてくる風が、ゆきみぞれの先触れをして、冬籠りの支度は何処いずくの家でも、たいていもう整った。
 槍の名手と評判があった、矢作治部太夫は、今日は寒さがちときびしいので、城中から下がってくると直ぐ、好きな酒をちびちびと飲みはじめた。そこへ弓削田宮内が訪れて来た。
「宮内がきた、どう思ってきたのか――ま、是非がない、ここへ通せ」
 この四年ばかりの間というもの、宮内は治部太夫を訪れたことがない、治部太夫の娘きいが、望んで生島慎九郎にとついでからは、宮内にとって治部太夫は、つまずかせた路端の石ころだった。
「珍しいのう弓削田氏、取り乱しているが、ここへ御座れ、いやその後はトンと無沙汰じゃ」
 額が禿げあがった、この大兵たいひょうな老人は、まばらにはなったが丈夫そうな歯をき出して、元気よく宮内を待遇した。
 宮内は沈鬱ちんうつな顔つきで、世間話を口重そうに語り出した。
「時に、今日の来訪は、何用じゃのう」
 杯を下にして治部太夫は、家人が今出て行った後をチラと見てから尋ねた。
「は、矢作殿、――御家はこの後どうなりましょう」
「どう、どうなるとは何事だのう」
「主水一類を誅し終って二年になります」
「おお二年になる」
「御家は安泰でござりましょうか」
「はて、何故事新しげにそのようなことを尋ねるのじゃのう、会津四十万石、大盤石の如く御当家は千代八千代じゃ」
「それは浅見せんけんじゃ、やがて御当家は御取潰とりつぶし、これは免れぬ御運じゃ」
不祥ふしょうなことをいうな、口を慎め、――いらぬことをいう男じゃ」
「主水一類と四十万石引換えにと、式部少輔殿が申された、その始末がやがてつけられましょう」
「口を慎め、主君を式部少輔殿とは何事じゃ」
「二年の後か三年の後か、加藤家御取潰しはとにかくに近年のうちにありましょう」
「こいつ、乱心したな」
「治部太夫殿、お互いに浪々の身と、不運は目前に迫っている。当節柄じゃ、名ある浪人ですら仕官のみちがない、餓死する浪人もなかなかに多い、宮内は武芸不鍛錬ふたんれんの非力者故、まず以て仕官の途はない、治部太夫殿は槍の名人、が、老いているからこれも仕官の途はまあない」
「黙れ、黙れこ奴、黙らぬか」
「黙らぬ、いうだけのことはいうのじゃ、武士の本文ほんもんによって、二君に仕えず、清節せいせつまっとうする外にお互いの途はない」
「さ、黙ってしまえ、黙らぬと合点せぬぞ」
「してみればこの世にお互いは用がない、治部太夫殿、この世に用のない老人殿、宮内の無心を肯入ききいれてくれ」
白癡たわけッ、あの槍が眼につかぬか」
「望ましい、どうか手にってくれ」
「こ奴、治部太夫の名槍のさびになりたいのか」
「槍を執っては家中無敵の老武者を、一刀両断にしてみたいのじゃ、非力者の力を試みたいのじゃ」
「白癡た奴め、よしッ」
 瓦破がばった治部太夫は、身軽く躍りあがって槍をとった。槍ざやはケシ飛んで、蒼白いきらめきが穂先四寸に放たれた。
「老人ここへこい、家の中は槍には不便じゃ」
 大刀を抱いて、宮内は、草の生い茂っている前の空地へ出た。
「非力者め、小癪なッ」
 空地へ悠々ゆうゆうと出て行った治部太夫は、刺してほまれになる対手ではないが、娘きいの嫁入り以来、婿むこの慎九郎と不和な宮内だけに、今こうして身の力量をも顧みずに、争いを挑んできた遺恨いこんの種はわかっていた。田楽刺でんがくざしにしてやることが、かえって娘夫婦のためだと思った。故に老巧な治部太夫は、必殺の構えをつけた、にわとりくに牛刀をつかう恨みを、心のうちに感じながらも、着実に進退した。
 宮内は大刀を抜いて、有名な槍の名手に対して、はじめて自分の予想が、ピタと思い当った、宮内はまことに大胆不敵になり得ているのだ。槍の先から恐怖を感ずることがない、赤ぐろい治部太夫のまじろぎもせぬ眼の光に脅迫をすこしも感じていない、平常とただ違うのは呼吸のみだれだけだ、それも気がつくとほどなく、平調に復しかけてきた。
「この上するべきことは、身を殺させて敵を刺すそれ一つ、一途いちずに――それッ」
 突くと見せる治部太夫の虚に、宮内はヒタと進んで刺されようとした、間髪かんはつれず、事の意外に気を打たれた治部太夫が、愕いたその刹那せつなに、非力者宮内の太刀はえた。
 斬れ味は技よりも気だ、宮内の斬れ味はその気によった自然の技だった。

       ◇

 宮内は治部太夫を殺してから、直ぐ滝沢峠を迂廻うかいして逃亡した。
 旅から旅を歩いているうちに、宮内は加賀国かがのくに小松こまつで豊かなくらしの家へ入夫にゅうふした。
 寛永二十年五月三日、加藤式部少輔明成は、病気のためという名目みょうもくで、四十万石の封土ほうどを、表面は還納だが、実は没収されてしまった。その後へは山形から保科肥後守正之が入部した。
 この説を宮内は、加賀の小松で聞いた。
 豊かなくらしの女と別れて、逃亡以来四年目に宮内は会津の城下へ帰ったが、加藤家時代とはうって変って、士気も振い、風俗も大分質素になりかかっていた。
「生島慎九郎という者をご存じはないか」
 宮内はこう聞き歩いたが知れなかった、浪人して西の方へ旅立ったともいい、明成の子加藤内蔵之助明友くらのすけあきともしたがって、岩見国いわみのくに吉永よしなが(一万石)へ行ったともいい、病死したともいい、どれが本当か皆目知れなかった。
 城下から西北へ一里、鶴沼川つるぬまがわの近くに神指城趾こうざしじょうしがある、今はあとばかりがそれかと思われるのみ、越後街道えちごかいどうを行く人の眼に、土地の栄枯をわずかに語るに過ぎない。そこに一棟の家を買って宮内は住んだ、なんと思ったか越後街道に札をたてて、「当所に加藤家浪人弓削田宮内住居」と記しておいた。
 加賀の女は宮内に未練があった、人をよこして金や品物を届けた、宮内も会津神指に居を定めてから、二度小松へ旅をした。

 寛永二十一年十二月十六日正保しょうほうと年号が改められたその翌年、会津の春は日ごとに色めいてきた三月十五日の昼、越後街道に現れたのは、生島慎九郎とその妻きいの両人であった。主家が衰えて永のいとまとなった夫婦は、仕官の途を求め歩いたが、武士の失業者がおびただしいその頃だけに、未だに衣食のしろを掴めず、夫婦の服装にも顔の色にも、苦労のあかしわが多かった。
 夫婦は「当所に加藤家浪人弓削田宮内住居」の札を見つけて驚喜した、雨風にさらされて、札は心許こころもとなく古びていたが、夫婦は意気込んで、ところの者に尋ねた。
「あい、その人なら、直ぐ近くじゃ、こなた知合いか、それなら案内してあげましょうに」
「いやいやそれには及びませぬ、してその人は家内多勢かな」
「宮内さんただ一人さ、外にじいさんが一人いるだけですよ」
 しゅうとの仇、父の仇は一人住居だ、まず討ちとるのに困難はない、殊に宮内は非力者だ――夫婦は顔を見合せて、久振りに笑った。
「ちと仔細しさいあって、宮内殿に我々夫婦がきたということは知らせたくない。それに訪れるとしても帰途でござるから、沙汰なしに願いたい」
「あい、黙っておりましょう」
 とその人はいったが、却って念を押されたために、宮内にそのことを知らせた。

 宮内は蒼白い顔を、ひきつらせて笑った。知らせてくれた男には、惜しげもなく品物をくれてやった。その後で老僕ろうぼくを呼んでそわそわといいつけた。
かねて買ってあったしばを、この家のめぐりはこび出してくれ、わしも手伝うから」
「わし一人でやります、あすまでかかれば、一本残らず搬び出せますから」
「いやそう悠々とはしておられぬのじゃ、ちと思い立ったことがあるのでな」
「はあ、それにしても、柴を持出して、どうするのでござりますのう」
「今にわかる、面白いことなのじゃ」
 主従二人は、精を出して買いたくわえた夥しい柴を、家の四方へ積んだ。
「これでよい、思いの外に早く片づいた、それからのう、今にわしを尋ねて浪人夫婦が参るはずじゃが、お前は門の前の、あのほりの向うにいて宮内は只今外出そとでしているが、直ぐ戻ってくるから待っていてくれといえ、いいか、濠のところでいうのじゃぞ、あれから内へは、わしがよいといわぬ間は、なんとしても入れてはならぬ――それから、予てくれるといっておいた物は、うしろの畑に出しておくから、のちにとるがよい」
「あれ、何事か起るのでござりますか、わしにはお暇が出るのでござりますか」
「まあそうだ、爺、もし食うに困るようであったら加賀へ行け、あの女は爺の一人ぐらいは置いてくれる」
「でござりますが、それはどういうわけで」
「聞くなよ、わしもいいはしない」

       ◇

 生島慎九郎夫婦は、城下へ這入はいって旧故の人を訪れ、先年討たれた矢作治部太夫の仇討あだうちを、今日神指でするから、証拠人として成行きを見届けてくれと頼んだ。頼まれたのは、蒲生家がもうけの浪人で今は商人あきうどとなった、七日町の植木才蔵うえきさいぞうという人であった。快く引請ひきうけた。
 本望を遂げるのは、今からではどうしても夕刻だ、あるいは夜に入るかも知れないと思われた。しかし急いで七日町を出た。慎九郎もきいも、身軽に出立いでたっていた、植木才蔵も助太刀の用意をしていた。
 上杉氏が築いた神指城は平城で、天嶮てんけんの要害ではなかった、廃棄されて久しい今では、ただみる平凡な田園だった。
 宮内の命を恪守かくしゅして、先刻から昔の外濠、今は無名の流れのはとりに、老僕はただ一人、木の伐株きりかぶしりをかけていた。やがて老僕の眼の前に男二人女一人が現れた。
 日はもう落ちて、赤い光が北の空の白い立つ雲まで染めていた。家の中に宮内はいるはずだが、コトリとも音がしなかった。
「弓削田宮内の家はここじゃのう」
 強そうな慎九郎は、はやりきった口調で、老僕に尋ねた。
「はい。だが、只今は外出しておられます」
「なに、不在じゃ」
 慎九郎は眼をぱちりとさせた、妻きいは夫の顔をみて、太息といきいた。
「不在でもよろしい、生島氏、とにかく、中へ」
 さとい植木才蔵は抜からず助言した。
「門から内へ這入られては困る、主人は他出してござる、ご不在と申すになんでも這入るとは、お人柄にも似ぬことでござります」
退け、何で袖を押える、放さぬと痛い目させるぞ」
 焦慮あせり気味の慎九郎は、老僕の押えた袖を、かん強く振り払った、袖はほころびてビリッと泣いた。
「きい殿、慎九郎殿に続きめされ、この老人はわしが支えております」
 才蔵は老僕を後から押えつけた。

 門から、一足踏み入れると、慎九郎はハッとした。眼の前の板屋の四方に、積み重ねられた柴は、いっせいにほのおと煙を毒々しく吐きあげていた、夕暮だけに光は四方に及んでいた。
「おッ、火をかけた」
 咽喉のどをつんざくかと聞ゆる慎九郎の声に、門前で押し合っていた才蔵は、老僕を突き退けて飛んできた。焔はすさまじく大小無数の毒舌をいよいよ吐いていた。
「火をかけて逃げ去りおったにきわまった」
 才蔵はそう感じたのだ。
「なるほど、彼奴きゃつはかられた。まだ遠く逃げ延びもしまい、追いかけよう」
 妻きいは蒼くなって、一語も発せず、夫の後について歩いた。
「うわッ火事じゃ、火事だあ」
 消魂けたたましく叫んで、のめりそうになって走って行く老僕に眼もくれず、三人は家の周囲を駈けめぐったが、中へ踏み込むことは出来なかった。そのうちに、きいが消魂しく叫んだ。
「屋根の上に、あれ、人が、人が」
 慎九郎は血走る眼でにらんだ、板屋を下から突き破ったものか、乱髪になった男が一人、大刀一本を腰によこたえて、四方からのぼる、焔と煙の中に閉じこめられ、すっく、と起とうとしては起ち得ず、再び起とうとして起ち得ず、とうとう棟に腰をかけた姿が、落ちて行った日の光より赤い、焔のかがやきに照らし出された。
「あれは宮内じゃ、きい、彼奴じゃ、かたきじゃ」
 慎九郎はたたらを踏んで、焔の外側をせめぐった。
卑怯者ひきょうものッ、宮内の卑怯者ッ」
 甲走かんばしるきいの声は、焔と煙とをいて、板屋の棟にいる宮内に届いた、宮内はゲラゲラと、精力を一途に集めたような、笑い声を上から浴せかけてむくいた。
「命が惜しいか、逃げ損ねてそのていか、非力者のそのざま、何事じゃ、卑怯者ッ」
 慎九郎は踏み込むたよりがあれば、炎を衝いて駈け込みそうに、ぐるぐると走り歩いた。きいと才蔵は、そうはさせまいといて歩いた。
 焔は次第に高く毒舌を吐いた、黒煙は板屋を包んで峰の如く宙にのぼった。
 日は全く暮れてしまった。盤木ばんぎを叩く音が息忙いきせわしなく、頻りに流れていた。
 風が不思議ないたずらをして見せた。高くのぼっていた黒煙が、吹きなびかされて板屋の上は、金色にえ冴えて見えた。
 宮内はまだ、そこに死んでいるのではなかった、大刀をつえに、棟をまたいで突っ起ったが、乱髪を一とふり振った。
「敵を討てまい、この敵が討てまい」
 焔と煙が宮内を包んだ。地上の三人は息をのんで、ただ棒立ちになって仰いだ。
 やがて風のいたずらが又はじまった。宮内は棟木むなぎに抱きついてはいたが、まだ死んでない証拠に、乱髪を一ふり振った、しかしその髪の毛は焼けて短かくなっていた。
「死んでも討たれてはやらぬ!」
 人間の声が、これほどに高く響きが強いものか、慎九郎夫婦も才蔵も、耳許で怒鳴られたように聞いた。
 棟は、ほどなく焼け落ちた。
 血を塗ったように赤い、十五日の月がのぼった。ぶすぶすと余焔よえんはまだ尽きない。





底本:「仇討騒動異聞 時代小説の楽しみ※(丸10、1-13-10)」新潮社
   1991(平成3)年2月5日
底本の親本:「夜もすがら検校」旺文社文庫、旺文社
   1976(昭和51)年
初出:「歌舞伎 秋季臨時増刊」歌舞伎出版部、1925(大正14)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:sogo
校正:noriko saito
2015年9月1日作成
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