奇術考案業

長谷川伸




 世間には思いもよらない変った渡世をするものがある。たとえば幽霊がいているのを、その日その日のくらしの種にして、日本中を廻り歩くとか、親不孝の罰はこれこのとおりだと、蛇を首に巻いて日本中どころか、海を渡って儲けて帰ったとか、因果物師の手にかかっている角男、章魚小僧、小あたま、鶏娘、桃太郎、猩々太郎、さては生きているえびす三郎――人力車に乗って絵端書を売って歩く――の類とは違って、香具師やしの所謂五りんたい満足な体で、類のない渡世を編み出し、旅から旅をめぐり歩いている者とは違って、一つ処にじっとしていながら、恐らく日本全国にまたと二人いまいという渡世の道をひらいている男がある。しかもこの渡世、買い手に廻るのは狭いようでも広い世間にたった一人か二人、その外の連中は欲しいには欲しいが、値が高いので指をくわえている外はないという。誠に不思議な――というほどのこともない、打明けていえば、なあに格別のこともない稼業である。
 その稼業は「ずまのネタ」である。その道の人にいわせれば魔術と奇術に相違はある、だが大ざっぱに一つからげにいえば、手品をつづめた「ずま」である。あたかもそれは浪花節が「ぶし」であり常磐津の邦楽家が「ずわ屋」であるが如きもので、侮辱ではなくて実用語なのである。一がピンでもありホンでもある、三がげためでもありうろこでもあるのと同じことである。
 その「ずまのネタ」屋を、はじめから志した、そんな人ではなかった彼であった。
 元は一かい二やり、頭も大切だが指もはたらく投機師で小蟹弥兵衛といっては、その土地で一時はひどく当りつづけ、花の裾を青畳に引きずる女たちの相場を狂わした男である。何でもそうだが当りに浮かれて拡げたまま、いざとなって緊縮するその手際のよさ悪さ、それが人間一代の運命をぴったりきめる関所である筈。弥兵衛はその関所で落第し、大きな地所つき建物を銀行に引渡し、次第下りに落目となり、手狭な借家でありしその日の栄華をしのぶ、所謂ご沈落の態となったとき、ふと考えたのがよくないことだった。
 俺に限らず、浮き沈みは男一代に、ついて廻ることなんだ、そこで沈むときは一と溜りもなくぶくぶくと、金槌流に音も立てずに沈んでしまうから、今の俺のように手も足も出なくなる。これでも多少の資金があれば、もう一度小蟹弥兵衛の天下にしてみせるのだが、何をいうにもレコがない。さあ、そこでだ。と弥兵衛が考えたのは、早くいえば詐欺の方法であった。まず債権者が先手を打って差押えとやってくる。よろしいさあ封印をなさるがいいと、気の悪い執達吏に快く封印をさせる。無論、先方は金庫にもべたりと糊づけの封印をする、されてもこっちはケロリとしている。さすがあの人は度胸がいいと後で噂に出るだろうが、そんな外聞見栄を望んでいるのは、種と仕掛けがあったなら、びくともせずにいられるのが不思議ではない。
 弥兵衛の考案は、それからはじまった。というのは、封印を施された金庫の中から、仕舞い込んである有価証券、さては書類を自由自在に、出しもされれば入れもされる、そうすれば封印を何十枚貼られたところで、びくともすることはない筈である。そこを考えたのである。
 そういう方面の才能が、天から与えられていた弥兵衛だったのだ。考えつづけて五日目に、横手を摺って、
「出来たッ」
 と、凱歌をあげたものである。その考案は――詳しくは遠慮するが――頗る巧妙にされたもので、これならば金庫であることに相違なし、一点の疑いを起させる余地もないほど、叩いてものぞいても変ったところが少しもない。
 が、弥兵衛は冷笑した、自分をである。
「今となっては役に立たない。金庫は七所借りをして拵えても、肝腎の入れて置くものがない。ヘッヘッヘッ」
 憫笑してその晩は睡ってしまった。
 その後しばらくして、弥兵衛はくらしに手詰ってきた。貸す処はなし売る物はなし、口では大法螺を吹いて、今にみろ時節がくればなどと、女房をまず第一に、さも考えがある如く思わせて、質屋通いを卒業させた上、実家へ厭な無心をさせにやった頃、ぶらりと連れ出しに来たのは、これも投機師の、水の上の雲にのりかけている砂地省造という友達だった。
 ちと遠出をして名うての旗亭で、砂地め何故か弥兵衛を馳走した。と、果せる哉。
「時にね――君は一度経験があることだが、ガラを食ったときの善後策だが、何かいい方法ってものはないかね」
 こんなことだろうと思っていたとおりの相談をうけて、弥兵衛はにやりと笑った。
「それはあるさ。どうだい買うかいその方法を――ちと高いよ、千両だ。それから断っておくが、詐欺の手段を教えるのじゃない。僕は君の処世上もっとも便宜なる金庫を考案したから、その考案を君に売るのだ。勿論、考案を売るのだから他人には今後売らないよ」
 砂地がすっかり心を動かしてきたので、掻抓かいつまんで特長だけを話した。
「千両だね。よろしい買うよ――だが、製作は、どうすればいいかな」
「それは実費で僕が引きうけるよ、僕だって考案者としての興味が旺盛なのだ、他人に任したくないからね」
 手附に二百円とって、製作には二十里ほど先の都会へ行き、そこで試験製作という触れ込みでつくらせた。出来あがりは予期のとおり、一点の欠けた箇所もなかった。
 弥兵衛は、これでまず当座の生活費が出来たので、女房には五百円ポンと渡して、久しぶりに遊びもしてみた。
 あれ以来、たよりのなかった砂地省造が、一敗地に塗れた様子は新聞の商況面で知れた。さてはいよいよあの金庫をつかうなと思うと、ことの善悪よりも考案の成功が気遣われた。
「君、いつかのお礼だ」
 こっそり夜やってきた砂地が、証券で価格三百円ほどのものをそっと置いて帰って行った。後で聞くと彼はその足で土地を棄てて他国へ出たのだそうな。弥兵衛の考案は役に立ったのである。
 三百円、思いもかけず手にはいって、弥兵衛は喜ぶ筈だったが悲しんだ。自分のしたことが悪事の片棒をかついだと思うと、その三百円が汚らしく思えた。
 浮かぬ顔をそれから幾日かしていた弥兵衛は、三百円には手もつけず、思い捨てて箪笥の底へ投げ込んでおいた。しかし、後にはつかった。
「俺はもうあんな考案はしまい」
 と決心してみると意地悪く、ひょいひょいと面白い考案が湧いて出てくる。
「いけないなあ」
 自制しても効能はそのときだけで、蒲団の中で寝つく前、不浄場にいるとき、さては新聞をひろげているときまで、新奇な考案が湧いて出る――もっともそれは考案の素材だけではあるが――で、とうとう弥兵衛は有害ならざる物としての考案をすすめはじめた。そうなると落ちつく処は所謂「ずまのネタ」である。
 こうして出発した弥兵衛の渡世であった。しかし、それを本職の者へ売る路は開けてなかった。恰度その頃、有名な奇術の梅玉斎仙辰がその土地へ興行にきた。売り物は「懸賞百円魔法樽」である。樽の中から他人手ひとでを借りずに出てきたら懸賞金をやるというのである。弥兵衛は早速いってみて樽の中へはいった。弥兵衛は自分では出られなかったが、翌日懸賞金と同じ額の金百円を口どめ料とも何ともつかず貰った。弥兵衛は雑作なくネタを観破して、仙辰を訪れて度肝を抜いてやったのみではなかった。
「あれも無論結構ですが、私ならこうしますな」
 思いついた考案を語ったので、仙辰も太夫元も色を消して驚いた。それから態度が一変して、弥兵衛は梅玉斎仙辰一座から特別待遇をうけた。
 弥兵衛の渡世はこうして門が開かれた。
 半年に一つずつ、弥兵衛は仙辰一座にネタを売った、生活はそれで立った。
 奇術魔術のネタは外国からカタログを送ってくる、それを見てよさそうなのを買い込み、特殊の工夫を加えて舞台へかける、だから仙辰一座は日本では第一位を常にしめている。長曲斎仙花一座、これも二といって三に下らぬが、万端何彼と仙辰一座には及ばなかった。弥兵衛は仙辰一座に二つ売り、仙花一座には一つ売る、という風にやっていた。
 弥兵衛は或るとき、箱抜け――甲を箱に入れて消えさせその代りに乙を出すといった風のもの――の根本的改革を思い立った。かなり苦心して漸く一通りの纏まりをつけ模型をつくった。今度の模型は従来のと違って、真物同様なものをつくった。これは自分でも精力を傾倒したものだけに、ツイそこまで奮発したのである。
 小学校へ通っている弥兵衛の長女が、その日突然見えなくなった。母親が頻りに心配しているのに、弥兵衛は存外平気を装っていた、しかし、隠し切れない懊悩がその顔に出ていたので、事実は直ぐわかった。
 十二になる長女は改良箱抜けの模型の中にいるのだ、だが、模型は考案の不完成を雄弁に語って沈黙しているのである。外から開こうとして弥兵衛はあぶら汗を既に絞った後だった。とうとう模型は打ち破られ、長女は救い出されたがそのために今だに――十年近く――改良箱抜けは出来ないでいる。
 弥兵衛が近来考案したものに、ラジオ応用の魔術がある。考案料が高いので、さすがの仙辰も買わずにいる。いつか舞台にそんなものを見るときがきたら、弥兵衛の手に考案料がはいったのだ、という風に考えるつもりだ。
 この考案は頗る面白いもので、今のところ、弥兵衛の外には私だけで、外に知っているものは世界中にない。
 近来の弥兵衛はちょいとみると仙骨を帯びている。投機をやっている頃のおもかげは全く消えて、どこか奇行の味いがある。
 その弥兵衛が砂地省造に邂逅した話を終りにつけておこう。
「いつか君に話をいたした砂地省造。彼その後東京へ出て、元来才物じゃから幽霊会社創立をやって、諸方から金を大分掻き集めたのじゃとね。いかん奴じゃよ。零細なる金を集めて態よく横領するのじゃからだ。彼砂地省造はすべて現金でもっておる。皆金庫の中へ入れて置くのじゃ。万一、発覚しても最初は民事訴訟じゃからね、という観察の下に現金を集めたのじゃ。持って逃げるに都合がよいから皆百円紙幣にしてあった。すると火事で金庫が焼けて紙幣も灰じゃ。彼砂地一文なしになったのじゃね。わしの考案した金庫をつかっていたお蔭でのう――あの考案には防火の点には少しの考慮も置かなかったよ。ヘッヘッヘッ」





底本:「日本の名随筆 別巻7 奇術」作品社
   1991(平成3)年9月25日第1刷発行
   1999(平成11)年4月30日第2刷発行
底本の親本:「長谷川伸全集 第一一巻」朝日新聞社
   1972(昭和47)年1月
入力:門田裕志
校正:Juki
2014年6月12日作成
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