幽霊を見る人を見る

長谷川伸





 京都の新京極は食べ物屋の飾りつけよりも、小間物や洋品を商う店の京都色の方が強くくる。
 その新京極のチャチな家で夜更けてから飯を食べた――といっても連れは酒飲みだから飲まずにはいなかった。外へ出ると星の光が冴えていた。あしたの朝はきっと霜が深かろう。
「そ、そんな物が現代にあるもんですか、あなたは見掛けによらない非科学的な方だ」
 と、Tが神経質な顔に似合わず断乎とした調子で否定した。さっきからの話しつづきは人の魂のことだった、手軽くいえば幽霊はありや無しや、それだった。Tは絶対否定だ。私は絶対否定をしたいのだが不幸にして霊(?)の働きかと疑える事実に幾つかぶつかっているので、否定する勇気がない。
 四条大橋を渡るとき、顔にぶつかった蚊もどきと呼ぶさぬ蚊(?)が、いかにも力なくなっているのを掌の上にのせて見た。京阪電車の駅に出入りする人の姿が肌寒そうに見える頃だからその筈だった。見慣れたネオンサインに背中を向けて南座に沿って曲ると、女の妓夫が立っている遊女屋が並んでいた。
「現代人がそんなことをいうってことありますか、幽霊なんてあるもんか。ねえそうでしょう?」
 彼は、調子外れな声になって否定を繰返していた。思いなしか彼は変に熱心だった。
「ケッタイなこといやはる」
 丹色の遊女屋の前で疏水の流れの音を聞き、向う岸の八百政の灯の色を淡く浴びて行く二人に、女の引き子が挑戦するように笑っていった。
 遊女相手に遊ぶ気のない私はいつものとおり取合わなかった。女好きで遊び好きで笑談を口から絶やさないといってもいいくらいのTを振返ってみると、通りすがりの遊女屋の灯で彼の顔が恐ろしく謹厳になっているのが目についた。
(おや? この男の顔はこんなだったかしら)
 軽く疑ったくらいだ。平常のTの顔ではない。


 専栗橋近くなった。貨物列車の汽笛が七条の空から流れてきた。気のせいか京都の秋は東京よりも星がはッきり見える。私は何も考えていないときの癖で星を仰いで歩いた。
 ふと気がつくと連れのTがいなかった。立ちどまって彼を待合せたが姿が見えなかった。片側の家並の軒にとぼされている電灯をたよりに、道路の上にTを見出そうとしたが、足音すら聞えなかった。私は引返した。別れるにしても「左様なら」がいいたかったのだ。
 あすこは川添いに柳の木がうわっている、何とかいう旅館の塀の前あたりの柳の根方に、川に面して黒い蹲踞うずくまった男の姿があった。何かブツブツいっている――いや、いっているのではない! Tが泣いているのだ。
(こいつ泣き上戸じょうごか)
 が、そういう話は聞いていなかった。
「済まない――済まない」
 泣き声は低かった。「済まない」という声も低かった。初めて聞いたとき、それを言葉だとは思わなかったが、繰返されたので、とうとう彼がだれかに謝罪しているのだと判った、しかし、彼の向っている方は疏水だった、その先は石を川底に敷いた鴨川だった、勿論、秋の夜の十二時という頃、川に人がいる筈もなし、もしいたら溺死した人でなくてはならないのだ。
「おいッ」
 肩を叩いてやった。柳の枝の末が頬を撫ぜた。枝に露があってヒヤリとした、パラリという音もした。いい気もちではなかった、がそれよりも、彼だ。
 彼は、「ひえッ」とも違う、「うおッ」とも違う、音標記号ではとても現わせられない声を出して、あわただしくすッくと起ちあがって、私の顔を暫く凝視していた。
「どうしたンだい、そんな処へ坐って」
「へへへ、何――何でもありません。今夜はひどく酔ってしまって」
 ひょろひょろと歩く足どりに作為がありあり見えた。
 他家の軒灯の光でそれとなく見るとTの顔は蒼白だった。唇の色は黒ッぽくなっていた。
「ひどく酔いました、こんなに酔いが廻るなんて。げえい」
 彼は、流行唄を口にした。そぐわない声で、ぎごちない節廻しで――彼は何のためにか嘘を私に演じて見せているらしかった。


 Tに就いて、その後は交渉をもたなかった。行き摺りの人でしかない。あの晩のことも酔ったからのことだと解していたのだ。
 知名以上な俳優と或る座談会で落合った、何かと話が入り乱れて交わされているときに、何の必要であったか、Tの名がその有名な俳優の口にのぼった。
(そうだっけ、Tはこの人の門下だと自分でいっていたことがあった)
 と思い出したのでその少し後に、京の秋の夜に演じたTの酔態を語った。Tの師は軽く驚いて聞いていたが、話好きな人だけに滑かにやがてこう語り出した。
「そんなことがあったのですか、私は初耳です――ですが、それを伺って私は説き明しが出来るんですよ。お話しましょう。それはね、あなたが木の下に坐っているTをご覧になったときに当のTは、女を疏水の白い泡の中か何かに見出していたんです、きっと」
「え!」
「こうなんです。あの男は俳優でしてね。あなたが京都でお逢いのときは? ああそうですか、ではいよいよそうです」
 話はこうだった。
 Tは大阪の道頓堀のN座に出勤していた、もとより目立つ役を振られる身分ではなかったが、俳優であるが故に――多分そうだったろうと思うのだが、カフエーの女給をいつの間にか手に入れて喜んでいた。女給は広島市から十里ばかりの貧乏寺の僧侶の一人娘で、年は十七だった。美貌ではあったが無智だったという。
 大阪から京都それから神戸、Tの出ている一座はその三カ所をぐるぐる興行して歩いた、Tと女給とは共稼ぎの愛の巣と称して南の河原町辺に二階借りをしていた。そのうちに女が妊娠して女給に出られなくなった。そこへもってきてTの一座は突然解散になった。それでも初めのうちは売り食いで繋いでいたが、どうにもならなくなったので、Tは厭がる女に因果を含めて故郷へ帰してやった。女が汽車に乗るのを見送った足でTは放浪を――というのが正しいかしら、行方をくらましてしまった。
 Tの師は未知の僧侶から来た長い手紙を披いてみて初めてこんな事情を知ったのだそうだ。
 女は故郷へ帰ったが、父の寺は極端に貧乏だった、食うことすら覚束ないので、男の処へ何十通かの手紙を出して救いを求めた。しかし、その返事は一通もこなかったと書いてあった。その手紙の一節はこうだった。
「不幸娘の分娩は老衲自身、覚束なくも仕り候。一銭の失費も出来かね候貧僧の境界とて是非の議に御座なく候」
 そういう手紙は、娘の死、嬰児の死を素朴に書き伝え、そして、
「娘の不行蹟言語道断に候、男の浮薄は鬼畜に劣る、かかる刻薄無残の輩を弟子に持ち知らざる顔にて打過ごす貴殿も冷酷の人に候、無学鈍痴の老僧、今日より仏罰を怖れず呪咀の行を日課と致す可く――」
「Tの奴、そんな手紙が私のところへきたのは知らないでいますよ、今でも?――さあ。あれは今どうしていますか、多分、生きているとは思いますが」
 私は、こんな因果物語のもつ内容を別にどう考える訳でもない、ただ、幽霊を現に見ていた男を私が見ていた、ということが心をいつまでも惹くのだ。京都の秋の星の夜更けだったから特に深さが加えられたのかとも思うが。
 ああ、書き落しては悪い、Tの師は老僧のところへ長い手紙を書いて、五十円の為替券を巻き込んで送ったそうだ。





底本:「日本の名随筆 別巻64 怪談」作品社
   1996(平成8)年6月25日第1刷発行
   2000(平成12)年1月30日第2刷発行
底本の親本:「長谷川伸全集 第一一巻」朝日新聞社
   1972(昭和47)年1月
入力:門田裕志
校正:Juki
2014年6月12日作成
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