やつと独りになれた! 聞えるものはのろくさい疲れきつた辻馬車の響ばかり。暫くは静寂が得られるのだ、安息とは行かないまでも。暴虐をほしいまゝにした人間の顔もたうたう消え失せた、俺を悩ますものはもう俺自身ばかりだ。
やつと俺にも闇に浸つて疲を休めることが許されたのだ! まづ、扉の鍵を二度まはす。かうして鍵をまはすと、俺の孤独が増すやうだ。現在この世から俺を隔てゝゐる城壁が固くなるやうだ。
怖ろしい生活だ! 怖ろしい都会だ! 今日一日にしたことを数へ上げてみようか。五六人の文士に会つた。その一人は俺に陸路を通つてロシアへ行けるだらうかと訊くんだ(あの男はきつとロシアを島だと思つてゐたにちがひない)。或る新聞の主筆を手ひどくやつつけた。あいつはいひわけをするたんびに一々「何しろこゝは立派な人たちがやつてゐるのですから」と言つたつけ。ほかの新聞はみんなならずものがやつてゐるといふつもりなのだ。二十人ばかりの人にお辞儀をした。そのうち十五人は知らない人だ。同じくらゐの割合で万遍なく握手をした。それも、手袋を買ふときほども身を入れないで。

何人にも満足のできない、自分にも満足のできない俺は、夜の静寂と孤独の中ですつかり自分のからだになつて少しいゝ気になりたいのだ。俺の愛した奴らの魂よ、俺の歌つたやつらの魂よ、俺を強くしてくれ、俺を支へてくれ、いつはりと此の世の瘴気とを俺から遠ざけてくれ。それから、あなたは、あゝ主なる神様! 私が一ばん劣等な人間でないことを、自分の軽蔑した人たちにも劣つたものでないことを私自身に