いく年かものにまぎれて筐底にひそみゐし舊詩二章、その心あわただしくその詞もとより拙きのみか、遠き日の情懷ははた囘顧するにものうけれども、この集の著者がなほけふの日の境涯をいささかまた歌ひえたるに肖たるを覺ゆ、すてがたければとどめて序にかへんとす――
靜かだつた
靜かな夜だつた
時折りにはかに風が吹いた
その風は そのまま遠くへ吹きすぎた
一二瞬の後 いつそう靜かになつた
さうして夜が更けた
そんな小さな旋じ風も その後谿間を走らない……
一時が鳴つた
二時が鳴つた
一世紀の半ばを生きた 顏の黄ばんだ老人の あの古い柱時計
柱時計の
山の根の冬の
噫あの一點鐘
二點鐘
その歌聲が
私の耳に
そのもの憂げな歌聲が
私を呼ぶ
私を招く
庭の日影に莚を敷いて
妻は子供と遊んでゐる
――
砂の麺麭粉がこぼれ出る
麺麭粉の砂の一匙を
粉屋の屋根に落しこむ
くるくるまはれ
くるくるまはれ風車……
卓上の百合の
しつとり汗にぬれてゐる
私はそれをのぞきこむ
さうして私は 私の耳のそら耳に
過ぎ去つた遠い季節の
靜かな夜を聽いてゐる
聽いてゐる
噫あの一點鐘
二點鐘
ああまた木兎が鳴いてゐる
古い歌
聽きなれた昔の歌
お前の歌を聽くために
私は都にかへつてきたのか……
さうだ
私はいま私の心にさう答へる
十年の月日がたつた
その間に 私は何をしてきたか
私のしてきたことといへば
さて何だらう……
一つ一つ 私は希望をうしなつた
ただそれだけ
木兎が鳴いてゐる
ああまた木兎が鳴いてゐる
昔の聲で
昔の歌を歌つてゐる
それでは私も お前の眞似をするとしよう
すこしばかり歳をとつた この木兎もさ
十日くもりてひと日見ゆ
沖の小島はほのかなれ
いただきすこし傾きて
あやふきさまにたたずめる
はなだに暮るるをちかたに
わが奧つきを見るごとし
沖にはいつも
灰色の鴎の群れと
白くくづれる波の穗がしら
ことわりや
われがうれひの
絶ゆる日なきも
やさしくあまい死の歌を
うたつてゐた海
しかしてここに殘されし
今朝の沙上の
これら貝殼
既に鴎は遠くどこかへ飛び去つた
昨日の私の
翼あるものはさいはひな……
あとには海がのこされた
今日の私の心のやうに
何かぶつくさ呟いてゐる……
この浦にわれなくば
誰かきかん
この
この浦にわれなくば
誰かみん
この
重たげの夢はてしなく
うつうつと眠るわたつみ

六月の
柑子のなりにまどかなる
つらなりてそをかこみたり
かかる日もわれがうれひは
とほき日のかたゆきたらん
ああかの烈風のふきすさぶ
砂丘の空にとぶ鴎
沖べをわたる船もないさみしい浦の
この砂濱にとぶ鴎
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
かぐろい波の起き伏しする
ああこのさみしい國のはて
季節にはやい烈風にもまれもまれて
何をもとめてとぶ鴎
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
波は砂丘をゆるがして
あまたたび彼方にあがる潮煙り その轟きも
やがてむなしく消えてゆく
春まだき日をなく鴎
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
ああこのさみしい海をもてあそび
短い聲でなく鴎
聲はたちまち烈風にとられてゆけど
なほこの浦にたえだえに人の名を呼ぶ鴎どり
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
こぞの夏この川べりを
たそがれにゆけるひとあり
われはこなたの艸にゐて
ほそき流れに絲をたれ
ほどちかき海をききつつ
ゆくりなきもの思ひせし
こぞの夏この川べりを
たそがれにゆけるひとあり
われはまたこの夏艸に
この年もきてはすわりつ
青き流れにこぞの日の
小さき魚をつらんとす
たそがれのこの川べりに
まどかなる月はのぼれど
こぞのそのかのたそがれの
人かげはとめんすべなき
このあしたかの島かげの
さやかなる秋のきざしに
おどろくはなにのこころぞ
ゆける日を惜まんとして
ものの音に耳をかたむく
かのあした君がおん手に
むすばれてもてあそばれし
白砂をわれもむすべば
うみ鳥のはるかによばふ
こゑならねその白砂の
わが手にはうたひそめにし
こころざしおとろへし日は
いかにせましな
手にふるき筆をとりもち
あたらしき紙をくりのべ
とほき日のうたのひとふし
情感のうせしなきがら
したためつかつは誦しつ
かかる日の日のくるるまで
こころざしおとろへし日は
いかにせましな
冬の日の黄なるやちまた
つつましく人住む
ゆきゆきてふと海を見つ
波のこゑひびかふ卓に
甘からぬ酒をふふみつ
かかる日の日のくるるまで
梅さきぬ
高き梢に
梅さきぬ
花三四
的

香はほのか
梅さきぬ
この朝
はだら雪
山にのこりて
雲は横ふす
こはしばし
海鳴りやみて
遠どほに
さながらや
人を呼ぶがに
さながらや
手をし拍つがに
梅さきぬ
南の枝に
梅さきぬ
高き梢に
わが門の
まらうどやこれ
たたずめる
老い木ひともと
阿古屋のたまの
かつ碎け
かつむすびけん
この朝
この木の枝に
梅さきぬ
高き梢に
梅さきぬ
南の枝に
的

蕋は黄に
花三四
香はほのか
梅さきぬ
朝日子に
たまくしげ函根の山の
こなたなる足柄の山
をさなき日うたにうたひし
その山のふもとの
ゆくりなくわが來り臥す
春の日をいく
朝な
けたたまし谷をとよもし
はたたくや
木もれ陽のうち
つと見ればつまを
澤ひとつわたりてあとは
またそこの欅のうれに
ありなしの風の聲のみ
わが旅のひさしきをあな
いつの日かわすれてゐしよ
ひそかなるかかるおそれに
かへり見るをちのしじまゆ
驛遞の車のこゑす
驛遞の車のこゑす
あはれやな みじかかる命とは知れ
いつしかにひさしわが旅
『物象詩集』の著者丸山薫君はわが二十餘年來の詩友なり、この日新著を贈られてこれを繙くに感慨はたもだす能はず、乃ち
友よ われら二十年も
已にわれらの生涯も こんなに年をとつてしまつた
友よ 詩のさかえぬ國にあつて
われらながく貧しい詩を書きつづけた
孤獨や失意や貧乏や 日々に消え去る空想や
ああながく われら二十年もそれをうたつた
われらは辛抱づよかつた
さうしてわれらも年をとつた
われらの後に 今は何が殘されたか
問ふをやめよ 今はまだ背後を顧みる時ではない
悲哀と歎きで われらは已にいつぱいだ
それは船を沈ませる このうへ積荷を重くするな
われら妙な時代に生きて
妙な風に暮したものだ
さうしてわれらの生涯も おひおひ日暮に近づいた
友よ われら二十年も詩を書いて
詩のなげきで年をとつた ではまた
氣をつけたまへ 友よ 近ごろは酒もわるい!
裸木の穗なみのうへに
ゆきなづむ浮雲一片
たそがれは萬物の色
たちまちにうつろふ時し
轉瞬にかたちかへつつ
ゆくとなくいゆく白雲
かがよへる色もかげりて
藍ふかき空に
風寒き客舍の窗に
われひとり
肱つきて見つつありしが
ゆくりなく涙さしぐむ
不覺やな涙おちにき
いまははやおのれおぼえぬ
いにし日を戀ふとやすらん
ごらん まだこの枯木のままの高い欅の梢の方を
その梢の細いこまかな小枝の網目の先々にも
はやふつくらと季節のいのちは湧きあがつて
まるで息をこらして靜かにしてゐる子供達の群れのやうに
そのまだ眼にもとまらぬ小さな木の芽の群衆は
お互に肱をつつきあつて 言葉のない彼らの言葉で何ごとか囁きかはしてゐる氣配
春ははやそこの芝生に落ちかかる木洩れ陽の縞目模樣にもちらちらとして
淺い水には蘆の芽がすくすくと鋭い
ながく悲しみに沈んだ者にも 春は希望のかへつてくる時
新らしい勇氣や空想をもつて
春はまた樂しい船出の
雲雀や燕もやがて遠い國からここにかへつてきて
私たちの頭上に飛びかひ歌ふだらう
菫 蒲公英 蕨や蕗や筍や 蝶や蜂 蛇や蜥蜴や青蛙
やがて彼らも勢揃ひして 陽炎の
ああその旺んな春の兆しは
眼に見えぬ霞のやうに棚引いてゐるのどかな午前
どことも知れぬ方角の 遠い遙かな空の奧でないてゐる鴉の聲も
二つなく靉靆として 夢のやうに 眞理のやうに
白雲を肩にまとつた小山をめぐつて聞えてくる
ああげに季節のかういふのどかな時 かういふ閑雅な午前にあつて考へる
――人生よ ながくそこにあれ!
――ある旅先にて――
山上に鳴く鷄よ
おおこの夜ふけに
おおこの時刻外れに
山上に鳴く鷄よ
裸の樹木が顫へてゐるこの寒空に
お前は何を呼んでゐるのか
お前は何を祈つてゐるのか
四方の山が眠つてゐるこの眞暗な谿の上に
山上に鳴く鷄よ
お前は夢を見てゐるのだ
お前は夢に怯えてゐるのだ
憐れな鷄よ
憐れな山上の夢遊病者よ
お前は
鳴いてゐる 頭の上の闇を仰いで お前の寒い小屋の中で
(お前は何を夢見てゐるのか) お前の古い棲り木の上で
お前は鳴いてゐる 鳴いてゐる
お前の主人も 主人の犬も寢てゐる時に
お前の時刻でない時に
お前は鳴いてゐる
おおこの夜ふけに
お前は一心に鳴いてゐる
おおこの星の飛ぶ時刻に
お前は鳴いてゐる
ああまだお前は鳴いてゐる
鳴いてゐる この眞暗な谿の上に
山上に鳴く鷄 深夜の智慧の歌ひ手よ!
犬二三霜ばしら
かなたなる木立をいでて
こもごもに空をあふぎぬ
羊雲かがよひとべる
尾上には雪こそのこれ
裸木はなほし芽ぶかね
きそは冬
けふははや春
あはれよと見れば
玻璃の
どこからか跳びし蟋蟀
すすけたるくらき
しろがねの月夜をあゆむ
きそは冬
けふははや春
おぼめきてきこゆる朝餉
旅人もよべのうれひを
忘らへて箸をこそとれ
蕗の薹こはかぐはしき
あつものの湯氣のけむりも
きそは冬
けふははや春
息子が學校へ上るので
親父は毎日
詩は帽子やランドセルや
教科書やクレイヨンや
小さな蝙蝠傘になつた
四月一日
櫻の花の咲く町を
息子は母親につれられて
古いお城の中にある
國民學校第一年の
入學式に出かけていつた
靜かになつた家の中で
親父は年とつた女中と二人
久しぶりできくやうに
鵯どりのなくのをきいてゐた
海の鳴るのをきいてゐた
ふるさとのふるき小箱に
いくとせかものにまぎれて
ねむりゐしあはれこの獨樂
くろがねの輪がねもゆるび
いとけなかりしわが日ごろあそび手なれし
とほき日はかたちよきものとおもひし
そのすがたいまは魂うせて
おろかしく
しかすがにわれは忘れず
げに夏ちかき
夏ちかきかかる日の
しづかなる木かげにありて
われは日もすがらこの獨樂をまはしてひとり遊びたりしを
獨樂は日なたの土をうがちて
そのかげしばしあきらかに
わが足もとにしづまりぬ
あはれそはなにものかとほくさりゆく日のごとく
いはけなきわらべごころのゆゑもなくえたへざりしが
かくてまたわがこころひとにつぐべきすべもあらぬを
かかる日のかかる木かげに
われはさとりそめにけん
そのこころつひにかはらず
いまもなほかかる日の
げに夏ちかき
かかる日のかくしづかなる木かげにはあれ
たのむべききはにもあらぬ
かりそめの宿とはおもへ
わが家といつかたのみて
はるばるととほき旅路ゆ
かへりこしその夜もすがら
松が枝に松が枝の風
蕭々とふきこそわたれ
いねがての枕にかよふ
さねさし相模の小野に
春もゆくころの潮さゐ
うばたまの闇をとよもす
ひとふしの海のうたごゑ
あなあはれなにをもとめて
さまよひし旅路なりけん
かつてわが耳になれにし
そのこゑを夜をこめてきけ
そはこの身いまだ若き日
よるべなき心ひとつをはこびつつ
あめつちは夏のさなかに
越えゆきし天城山みち
その谿のふかき底ひに
こゑのみをききし
そのこゑのなつかしきかな
我れはかく垂老の日に
心またかなしみにえたへじとして
ふともそのかの瀬の音を
そら耳のそらにききつつ
ゆくりなく憂ひを消しぬ
ゆゑいかにみづから知らず
廢屋のこはれた窓から
五月の海が見えてゐる
硝子のない硝子戸越しに
そいつが素的なまつ晝間だ
波は一日ながれてゐるその額縁に
ポンポン船がやつてくる
灰色の鴎もそこに集つて
何かしばらく解けない謎を解いてゐる
あとはまたなんにもない青い海だが
それがまた何とも妙に心にしみる
ぽつかり一つそんな時鯨がそこに浮いたつて
よささうな鹽梅風にも見えるのだ
それをぼんやり見てゐるとどういふものか
俺の眼にはふと故郷の街がうかんできた
古い石造建築のどうやら銀行らしいやつの
くつきりとした日かげを俺が歩いてゐる
まだ二十前の俺がそれから廣場をまた突切つてゆくのだ
ああそれらの日ももうかへつては來なくなつた……
そんな思出でもない思出が
隨分しばらく俺の眼さきに浮んでゐた
どういふ仕掛けの窓だらう
何しろこいつは素的な窓だ
丘の上の
松の間の
廢屋のこはれた窓から
五月の海が見えてゐる
春の日のうすら黄ばんだ沙の上に
日もすがらしづかに囁いてゐる海
どこまでも遠くはるかにひろがつた
このはてしない青い海原
海とは何だらう
そもそもこの眺望は
小さな船を七つ八つ
今しも遠くへつれてゆく
海よ
こころよい不可思議
解きがたい謎の
音樂
――ある一つの運命について
彼らいづこより
彼らまたいづこへ去るやを知らない
かの灰色の鴎らも
我らと異る仲間ではない
いま五月の空はかくも青く
いま日まはりの花は高く垣根に咲きいでた
東してここに
西して遠く去る船あり
いとけなき息子は沙上にはかなき城を築き
父はこなたの陽炎に坐してものを思へり
漁撈の網はとほく干され
貨物列車は岬の鼻をめぐり走れり
ああ五月の空はかくも青く
はた海は空よりもさらに青くたたへたり
しかしてああ いぢらしきこれら生あるものの上に
かの
しかしてああ げにわれらの運命も
かの高きより
されば彼ら 日もすがらかしこに彼らの圓を描き
されば彼ら 日もすがら彼らの謎を美しくせんとす
彼らいづこより
彼らまたいづこへ去るやを知らない
かの灰色の鴎らも
我らと異る仲間ではない
乘る人はなにを思ひて
すずろかに馬車はゆくらん
空青く
雲白く
窓なかば閉ぢしホテルの
うら藪に啼ける山鳩
海青く
薔薇白く
こぞありしそこの垣根に
黄金なす日まはりの花
こぞありしここの築地に
さながらにその花咲けり
こぞの夏かよひし小徑
蝉もまたかなたの松に
海青き林に鳴けり
山の端の雲は薔薇に
くれなゐに燃えもはてたれ
なほしばしかぎろふ
羽しろく砂をかすめて
ひとむれの千鳥はかなた
黄昏にまぎれて啼けり
そら耳のそらにはあらず
そのこゑのありとしもなく
ゆきまどひはたと絶えたれ
折からや月かげあはく
なにものの飛沫なるらん
旅人の頬にしづけり
わが耳は
朝夕に海をききつつ
つたなくもかく
わが世古りゆく
夜なゐす
鷄鳴はるかに起り
雨の聲甍を走れり
夜なゐす
陋居暗く閉ざし
妻子みな階下に眠れり
われひとり半ば眼ざめて
枕上にものを思ふに
夜なゐす三たび
夜なゐす三たび
波の音かなたに呼ばひ
夜の鳥こなたに應ふ
秋立ちしかかる夜半に
夢斷えて思ひはてなし
行路難々々々 身はふれど世に
たくぶすま新羅の王の
秋の日はいまうららかなり
いづこにか
かなたなる農家に
路とほくこし旅びとは
ここに憩はん 芝艸はなほ緑なり
綿の畑の綿の花
小徑の奧に啼くいとど
松の梢をわたる風
艸をなびけてゆく小川
うつらうつらと觀相の眼をしとづれば
つぎつぎに起りて消ゆるもののこゑ
ひそまりつくす時しもや 蒼天ふかく
はたゆるやかに蜂ひとつ舞ひこそくだれ
日のおもて
ああいつの日かゆけるものここにかへらん
王も
夢より輕き
幻かこははだら雲 林のうれを飛びゆきて
王の宮居のあとどころ かへり見すれば
うなじのべ尾を垂りてたつ 巨き牛
青空や
土壘の丘や
まことやな 亡びしものは
ことごとく土にひそみて
鵲は
聲なく歩み
艸の穗に
秋の風ふく
――扶餘迎月殿趾にて
いにしへの百濟の王が
江にのぞみ山にむかひて
うたげせし高どのの名は
この丘のうへにのこりて
秋されば秋の雨ふり
蕎麥の花をりしも白き
畑なかにふるき瓦を
ひろはんとわがもとほりつ
しとどにもぬれし袖かな
――慶州四天王寺趾にて
うべ人は
憂ひを知らぬ旅びとと
見てこそすぎめ
いにしへの
四天王寺のあとどころ
綿の實しろき畑なかに
ふるき瓦をひろひつつ
おもき
けふのゆくへも知らなくわれは
――慶州佛國寺畔にて
ああ智慧は かかる靜かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に來る
人影の絶えた境に
山林に
たとへばかかる精舍の庭に
前觸れもなくそれが汝の前に來て
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「靜かな眼 平和な心 その外に何の寶が世にあらう」
秋は來り 秋は更け その秋は已にかなたに歩み去る
昨日はいち日激しい風が吹きすさんでゐた
それは今日この新らしい冬のはじまる一日だつた
さうして日が昏れ
短い夢がいく度か斷れ いく度かまたはじまつた
孤獨な旅の空にゐて かかる客舍の夜半にも
私はつまらぬことを考へ つまらぬことに懊んでゐた
さうして今朝は何といふ靜かな朝だらう
樹木はすつかり裸になつて
鵲の巣も二つ三つそこの梢にあらはれた
ものの影はあきらかに 頭上の空は晴れきつて
それらの間に遠い山脈の波うつて見える
それこそはまさしく冬のもの この朝の黄ばんだ陽ざし
裾の方はけぢめもなく靉靆として霞に消えた それら遙かな
その清明な さうしてつひにはその模糊とした奧ゆきで
いま地上の
その軒端に雀の群れの喧いでゐる
さらに彼方疎林の梢に見え隱れして
そのまた先のささやかな聚落の藁家の空にまで
それら高からぬまた低からぬ山々は
どこまでも遠くはてしなく
靜寂をもつて相應へ 寂寞をもつて相呼びながら連つてゐる
そのこの朝の 何といふ蕭條とした
これは平和な 靜謐な眺望だらう
さうして私はいまこの精舍の中心
七彩の
くだらない昨夜の惡夢の蟻地獄からみじめに疲れて歸つてきた
私の心を掌にとるやうに眺めてゐる
誰にも告げるかぎりでない私の心を眺めてゐる
眺めてゐる――
今は空しいそこここの礎石のまはりに咲き出でた黄菊の花を
かの
ああ智慧は かかる靜かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に來る
人影の絶えた境に
山林に
たとへばかかる精舍の庭に
前觸れもなくそれが汝の前にきて
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「靜かな眼 平和な心 その外に何の寶が世にあらう」
われこの日
遠き旅よりかへりきて
あはれこの住みふりし窓に坐りぬ
落葉つむ苔の庇を
遊び場に啼くや雀子
高からぬその軒の端に
函根路の山はかすみて
隣り家の蜜柑畠に
子守唄ひねもすきこゆ
戰ひのある日とは
のどかなる冬のひと日や
われこの日
遠き旅よりかへりきて
思ふことすべてなごみぬ
あはれよし
かくもよしわれらの國は
戰ひのある日と思ひ日の本の
たてば海の音よし
ひと日わがゆくりなく故紙のひまより見出でたる一片の幼き文字、南の海と題せり、いづれの年ごろしたためしものとも今はおぼえね、その嘆かひなほ今日の日のわがものにかよひて多く異ならず覺ゆ、あはれわがさがやとて自ら憐れみてこの集の跋に代へんとす――
あの濱邊へ行つて、もう一度あの空の色が見たいものだ、――折にふれて、私はよくさう思ふ。
その空の色は、剃刀などの刄を合せる
その小松林の小徑をゆき、濱晝顏の花のしぼんだ雜草の上に腰を下ろして、私と私の友人とは、それからやがてとつぷりと日が暮れて、紀伊も淡路も、鴎の群れも初更の闇に消えてしまふまで、さうしてこの浦曲に泊てた和船の一つに炊爨の火であらう、あかあかと榾火の燃え上るのが物語りめいて水の面に映る頃まで、私達は、――私達は語り合つた。何に就て語り合つたのか今ではもう、すつかりそれは忘れてしまつた。肉親に就て、故郷に就て、神に就て語り合つたことでもあらう、それはすつかり忘れてしまつた。ただ潮風にぬれて、麥藁帽子のしをれるまで私達は語り合つた、その胸いつぱいの氣持だけは今になほ、時たま私はそれを思ひ起す。
しかしそれから時がたつて、私は老い、私は變つた。あの樂しかつた夏のひと日を、私の過去の日と、ともすれば私は信じかねる、信じかねる。――噫、あはれな私になつてしまつた。
[#改ページ]
すぎし日を思へばわが心つねに悲しむ。さればわがふるき日の歌詠もまた省みればことごとくわが胸懷をやぶらんと欲するもののみ。げにもわれらが如きは頭をめぐらしてすぎし日を願望するにも耐へざらんとするなり。さるをこの日また舊著二卷をあはせて新に一書を編みて書肆に委ねんとするは何のこころぞ。讀む人いたくなとがめたまひそ。いささか米鹽のたすけにあてんとするなり。いざさらばわが心のおちいれる疾病のごときはしばらく讀む人の指彈にまかするのみ。
昭和甲申新春
著者識