南窗集

三好達治





靜かな村の街道を 筧が横に越えてゐる
それに一羽の鴉がとまつて 木洩れ陽の中に
空を仰ぎ 地を眺め 私がその下を通るとき
ある微妙な均衡の上に 翼を※(「楫のつくり+戈」、第3水準1-84-66)をさめて はかりのやうに搖れてゐた

湯沸し


たぎり初めた湯沸し…… それはお晝休みの 小學校の校庭だ
藤棚がある 池がある 僕らはそこでじやんけんする
僕は走る 僕は走る…… かうして肱をついたまま
夜の中に たぎり初めた湯沸し……

靜夜


柱時計のチクタク ああ時間の燕らが
山を越える 海を越える 何といふ靜けさだらう
森の中で 梟が鼓をうつ やつとこの日頃
私は夜に對し得た 壁を眺め 手を眺め

蟋蟀


新聞紙に音をたてて 葡萄のやうな腹の 蟋蟀が一匹とびだした
明日はクリスマス この獨りの夜を 「愕かすぢやないか
魔法使ひぢやあるまいね そんなに向う見ずに 私の膝にとび乘つて」
「ごめんなさい 何しろ寒くつて……」

信號


小舍の水車 藪かげに一株の椿
新らしい轍に蝶が下りる それは向きをかへながら
靜かな翼の抑揚に 私の歩みを押しとどめる
「踏切りよ ここは……」 私は立ちどまる

椿花


これはいづこの國 いづれの世の建築だらう 私の夢なら
こんな建ものの中に住みたい 今朝の雨に濡れて
掌上に ややに重い一輪の紅椿 その壁に凭れて
私は樂器を奏でる この騎士ナイトの唇を 花粉が染める

ブブル


ブブル お前は愚かな犬 尻尾をよごして
ブブル けれどもお前の眼
それは二つの湖水のやうだ 私の膝に顏を置いて
ブブル お前と私と 風を聽く

遲刻


やれやれ汽船ふねは出てしまつた
※(「水/(水+水)」、第3水準1-86-86)々たる春 霞の奧の遠い島
島の火山 私の見る電柱に
風に吹かれる蟲の觸覺ひげ

節物 四章



家鴨


にび色の空のもと ほど近い海の匂ひ
汪洋とした川口の 引き潮どきを
家鴨が一羽流れてゆく
右を眺め 左を眺め


村長さんの屋敷の裏 小川の樋に
泥まみれの蟹がのぼつて
ひとりで何か呟いてゐる
新らしい入道雲が 土手の向うにのび上る

鶺鴒


黄葉もみぢして 日に日に山が明るくなる
谿川は それだけ緑りを押し流す
白いひと組 黄色いひと組 鶺鴒せきれいが私に告げる
「この川の石がみんなまるいのは 私の尻尾でたたいたからよ」


茶の丘や
桔皐はねつるべ

梅の花

友を喪ふ 四章



首途


眞夜中に 格納庫を出た飛行船は
ひとしきり咳をして 薔薇の花ほど血を吐いて
梶井君 君はそのまま昇天した
友よ ああ暫らくのお別れだ…… おつつけ僕から訪ねよう!

展墓


梶井君 今僕のかうして窓から眺めてゐる 病院の庭に
山羊の親仔が鳴いてゐる 新緑の梢を雲が飛びすぎる
その樹立の向うに 籠の雲雀が歌つてゐる
僕は考へる ここを退院したなら 君の墓に詣らうと

路上


卷いた樂譜を手にもつて 君は丘から降りてきた 歌ひながら
村から僕は歸つてきた 洋杖ステッキを振りながら
……ある雲は夕燒のして春の畠
それはそのまま 思ひ出のやうなひと時を 遠くに富士が見えてゐた

服喪


啼きながら鴉がすぎる いま春の日の眞晝どき
僕の心は喪服を着て 窓に凭れる 友よ
友よ 空に消えた鴉の聲 木の間を歩む少女らの
日向に光る黒髮の 悲しや 美しや あはれ命あるこのひと時を 僕は見る

※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)


この庭の叔母さんたち 牝鷄の艦隊は樹の間を來て
私の窓の下で 彼女らは砂を浴びる
やがてその黄塵が 私の額に流れてくる なるほど……と私はうなづく
ははあん 今年の春は この邊から始まるな


つんと澄して 新緑の樹立の向うを 電車が行く
赭牛が土手に立つて それを呼びとめる 「おおい…… おおい……
俺はひとりで…… 日が暮れるよう……」 だがまだ三時
曳船が上つてくる あげ潮にのつて 綿を積んだ荷船が三艘五艘

旅人


ひとたび經て 再びは來ない野中の道
踏切り越えて 菜の畑 麥の畑
丘の上の小學校で 鐘が鳴る
鳩が飛びたつ

鹿


午前の森に 鹿が坐つてゐる
その背中に その角の影
微風をぎつて 虻が一匹飛んでくる
遙かな谿川を聽いてゐる その耳もとに


蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ

路傍


路にそへる
小窓の中の かはたれに
けふも動ける
馬の臀見ゆ

霽れ


土藏の屋根に 鯉幟の尾が垂れてゐる
赤煉瓦の工場の裏に 水禽が二羽まひ下りる
運河の水門は閉まつたまま 海は泥を噛んでゐる
――みな 意味あるさまに

旅舍


荷馬車の宿で 馬が鼻を鳴らしてゐる
戞々と 前脚で床を掻く馬よ その音はやみ その音はまた始まる
夜の惱み 夜の莊嚴
私の眠りもまた成りがたい 天井に睡る蠅を見ながら

間庭 二章



黒蟻


疾風が砂を動かす
行路難行路難 蟻は立ちどまり
蟻は草の根にしがみつく 疾風が蟻をころがす
轉がりながら 走りながら 蟻よ 君らが鐵亞鈴に見えてくる

夕燒


風のふくあたりに忘れられた 草の葉と砂を盛つた小さな食器 ああ
この庭の ここに坐つて
家庭の遊戲をして遊んだ それらの手 ちりぢりに歸つてしまつた手を思へば
それらの髮 それらの着物の匂ひもきこえるやう

病床


灰白い雲の壁に 小鳥の群れが沈んでゆく ああ遠い
新緑の梢が搖れ 私の窓のカーテンが搖れる
所在ないひと時 紙芝居の太鼓も聞える
電球に私の病床が映つてゐる


蝶よ 白い本
蝶よ 輕い本
水平線を縫ひながら
砂丘の上を舞ひのぼる


「あんなに青かつたのが
こんなに黒くなつたでせう
そうれ
ごらん」

街道


鐘が鳴る 小學校が靜かになる
竹藪に吹入る風 竹藪から揚羽の蝶が飛んでくる
旅人が蕎麥屋に入る
郵便局の前に バスが止る

裾野


その生涯をもて 小鳥らは
一つの歌をうたひ暮す 單調に 美しく
疑ふ勿れ もだす勿れ
ひと日とて 與へられたこの命を――





底本:「三好達治全集第一卷」筑摩書房
   1964(昭和39)年10月15日発行
初出:友を喪ふ 四章「文藝春秋」
   1932(昭和7)年5月
   土「作品 三卷七號」
   1932(昭和7)年7月
   路傍「作品 三卷七號」
   1932(昭和7)年7月
   霽れ「作品 三卷七號」
   1932(昭和7)年7月
   旅舍「作品 三卷七號」
   1932(昭和7)年7月
入力:kompass
校正:大久保 知美
2017年9月24日作成
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