万葉集の恋歌に就て

三好達治




 課題に従つて以下万葉集の恋歌に就て少し卑見を記してみる。断るまでもなく私は万葉学に就ては全くの門外漢である。古義略解等の主要な註釈書を一読したことすらない。だから実はこのやうな文章を書くのは甚だ気がひけるのである。だがまた私のやうな全く通りすがりの一読者の感想も、この古典を今日の我々のものとして、学問的専門的にではなく、常識的にうけとる上に、或は全く無用な反省ではないかも知れない。前置きはまだいくらも書きたいが管々しいから略しておいて、以下、一寸何からどう述べていいか見当のつきにくいその私の感想なるものを、思ひつくままに記してみる。
 これは万葉集の場合に限つたことではないが、凡そ歌――短歌といふものは、三十一文字のそれ自らの詩形から、私の見るところでは、主題として恋愛を取扱ふのに最も適してゐるやうに思はれる。この詩形にあつては、詩語がある音楽的な週期的な繰返しを以て、不思議に情緒に纏繞してくるやり方で、それの語意によつてよりもそれの語感の感触で、一篇のポエジイを成立たしめてゐるのである。詩歌に於ける詩語の機能が、語意によりも寧ろ語感に依存してゐる――といふのは、もとより何も短歌の場合に限つた事情ではないが、しかしまた短歌の場合ほど端的に、純粋に、しかも効果的に、右の事情を我々に感ぜしめる例は、わが国の詩歌にあつては、他に類例がないといつてもよいやうに思はれる。短歌と並立して我国の最も普遍的な詩歌の伝統をなしてゐる俳諧に就て見ても、そこでは右の事情がやや趣を異にしてゐるのを、何人も容易に看取されることであらう。そこでは詩語の語意が、――それの明示性に依るよりもそれの暗示性に依るが故になほそれは詩的であるが――短歌に於てよりもずつと遥かに重要な機能を、負担を負はされてゐるのは、何人の眼にも明かな事実であらう。さうしてここで序でに、俳諧――俳句に於ては恋愛が恰好な主題とはなり得ない、考へ方によつてはいささか奇妙な消息を併せて考察してみるならば、先に私が、短歌がそれの詩形から主題として恋愛を取扱ふのに適してゐるといつた意味も、半ばは明らかになることだらう。短歌のあの五七、五七と繰りかへして最後に更に七とつけ加へた、短小ながら確乎として音楽的形式を踏んだ、嫋嫋とした詩語の纏繞性は、他の如何なる主題を撰んだ場合よりも、恋愛を歌ふに適当してゐるといつても、必ずしも牽強の言ではあるまい。これを事実に就て見ても、歴代歌集中の秀歌の数は、そのやうな統計を私は企てたことはないが、まづ第一にこの部門に集つてゐるに違ひない――。この問題に関聯しては、なほ多少述べたいこともあるが、ここではこれ位でやめておかう。
 さて次に万葉集の恋歌を二つ三つ挙げてみよう。巻一から、

紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
(天智天皇皇太子)
我が兄子は何所ゆくらむおきつものなばりの山を今日か越ゆらむ
(当麻真人麻呂妻)
我妹子をいさみの山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも
(石上大臣)

 これらの主題の単純性は、その詩形の本質と恰もぴつたりと符合して、恰好な器に恰好な内容を盛つた申分ない釣合から、無上に甘美な短歌特有のポエジイを確立してゐる。具象的、写生的、即物的、――外界描写的要素の殆んど絶無なところから、これらの短歌の場合、反つてそのポエジイを、最も端的な、確乎とした、明晰なものとしてゐるのは、実はこの詩形の本質を把握し駆使する上に遺憾のなかつた結果であらう。同じ恋歌にしても

ながらふるつま吹く風の寒き夜にわがの君はひとりからむ
(謝誉女王)

 のやうなのになると、写象的手法のとり入れられただけ――語意の負担が加重され、それだけ一首の感銘が反つて弱められてゐるのを否み難い。
 主題としての恋愛感情は、写象的――外界描写的手法の介在を俟たずして、直接主観を流露して詩歌をなすに適してゐる、それだけ、先にいつたこの詩形の本質的機能に恰も符節を合してゐるとも考へることができるのである。

いづくにか船はてすらむあれの崎漕ぎたみ行きし棚無小舟
(高市連黒人)
丈夫ますらをがさつ矢手挟み立ち向ひ射るまとかたは見るにさやけし
(舎人娘)

 これらの歌には、何としても恋歌に於けるほどの魅力は見出しがたい、詩的感銘がずつと遥かに薄弱なのである。
 ここで急いで断つておくが、短歌の魅力は何も恋歌に限つたものでないのは、私と雖もこれを承認するに躊躇しない。

葦辺行く鴨の羽交に霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ
(志貴皇子)
やまと恋ひらえぬにこころなくこの洲の崎にたづ鳴くべしや
(文武天皇)
うらさぶる心さまねし久方の天の時雨の流らふ見れば
(長田王?)

 これらの秀歌は、殆んど先の恋歌と同じほどの熾烈で明瞭な詩的魅力を備へてゐる。短歌として申分のない出来栄えであらう。しかしながらまた更に考へてみるのに、これらの歌の主題とするところは、旅情や憂愁のその感情的位置は、先の恋歌の場合と実は殆んど近似してゐるのである。「大和し思ほゆ」の旅情や、「鶴鳴くべしや」の咏嘆、「うらさぶる心さまねし」の憂愁は、その何ものにか眷恋とした下ごころに於て、恋情と相去ること甚だ遠からざるものが感ぜられるではないか。事実それは、恋愛ではないまでも恋愛的情緒と呼んでもいつかう差つかへない種類の、思慕に満された情緒ではないか。私はかねがね、羈旅漂泊の旅情歌を、恋歌に次いでは、最も短歌らしい短歌として愛誦するものであるが、実はこの両者は、単なる上べの名目を異にするのみで、その実体は唯一不二の本性に根ざしてゐると見るべきだらう。万葉集にあつても、現になほ今日の詩歌として、真に私達の詩的興味をそそりうる歌は、概ね右の本性に出でた作品に限られてゐるやうに見うけられる。例へば巻三雑歌のうちの、

不知火の筑紫の綿は身につけていまだは着ねど暖かに見ゆ
(沙弥満誓)
今日もかも明日香の川の夕さらず蛙鳴く瀬のさやけかるらむ
(上古麻呂)
丈夫の弓末振りたて射つる矢を後見ぬ人は語りつぐがね
(笠朝臣金村)
あなみにくさかしらをすと酒のまぬ人をよく見れば猿にかも似る
(大伴旅人)

 等の歌は、何れもそれぞれに興趣を欠くとはいひ難いが、それらの興趣も煎じつめれば、何かしら純粋に詩的とはいひがたい節が多い。満誓の歌も旅人の歌も歌詞の操縦は流石に巧妙を極めてゐるが、古歌としての穿鑿的な、歴史的な、二次的附属的の興味はともかくとして、今日私達に、純粋に詩歌としてどれだけの興味を覚えしめるかは、甚だ疑問とせざるを得ない。金村の歌も、今日私達の常識に叙情詩として訴ふるところは、甚だ薄弱と云はねばならない。以上三首に共通する、作歌意識の状態は、現代では既に、私達の詩感には殆んど散文的なものとしてしか受取りがたく思はれる。古麻呂の歌に於ける詩的意図は、今日でもなほ現歌壇にしばしば類想を見るところであるが、この場合その意図も成果も共に低調なのが、いつかうに詩的感興を喚起しがたく思はれる。凡そこれらの低調歌平凡歌の類は、その主題の必然的な傾向からして、先にはあれほど溌剌としてゐる詩形の魅力を、ここでは著しく減殺してゐるのを見逃しがたい。次に再び巻二相聞歌から数首の歌を挙げて見よう。

秋の田の穂の上にきらふ朝霞いづべの方に我が恋ひやまむ
(磐姫皇后)
古へに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きしわが恋ふるごと
(額田王)
秋の田の穂向ほむきの寄れる片寄りに君によりななこちたかりとも
(但馬皇女)
大船のはつる泊りのたゆたひにものひ痩せぬひとの児ゆゑに
(弓削皇子)
たけばぬれたかねば長き妹が髪この頃見ぬにかきれつらむか
(三方沙弥)
人みなは今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも
(園臣生羽之女)
石見のや高角山の木の間より我がふる袖を妹見つらむか
(柿本人麻呂)
笹の葉はみ山もさやに騒げども我れは妹思ふ別れ来ぬれば
(同)

 いづれも集中の白眉、讃辞の言葉も及ばない出来栄えである。かかる秀歌を見るにつけても、同じ恋歌とは云へ、

丈夫や片恋せむと歎けども醜の丈夫なほ恋ひにけり
(舎人皇子)
歎きつつ丈夫の恋ひ乱れこそ我がもとゆひのひぢてぬれけり
(舎人娘子)

 等の如き、叙情の間に理趣を交へた、多少とも反省的な態度を示した作品は、それだけに興味に乏しい。
 凡そ万葉集一般の歌境の特性は、その流露的な、素樸な、無反省な、純真な若々しい、詩情としては全くうぶな情操と、これを盛るに恰も適した温潤雅健な時代言語との、全く奇蹟的な出会ひの上に成立つてゐるものといつてもよからう。理趣に落ち、反省的に沈潜することは、この世界にあつては最も似合しからぬ、いつかう効果のあがらない、鬱陶しいやり方といはねばならない。かの有名な憶良の歌、

世間よのなかを憂しとやさしと思へども飛びさりかねつ鳥にしあらねば
(巻五)
術もなく苦しくあれば出で走りななとへど児らにさやりつ
(同)
あらたへの布衣ぬのぎぬをだに著せがてにかくや歎かむせむすべをなみ
(同)

 等の如き作品すら、今日の私達から見て、必ずしも斯人ならではと随喜せしめるには足らないのである。詩歌のかかる傾向。――理性的反省的思想的傾向は、それ自らとしては勿論、直情吐露の恋愛歌等にひき較べて、詩歌としての、上昇的進歩的の方向に就かうとするものなるはいふまでもないが、先にも説いた短歌の詩形そのものが、必しもかかる傾向を歓び迎へて、それをとり容れるものとはいひ難いのである。後世の歴史が示す如く、それは今日に至るまで、思想的にさほどの深度ある作品を生まなかつた事実に見ても、右の事情は凡そ推察に難くはあるまい。
 即ち重ねていへば、恋歌を代表とする万葉集一般が、或は万葉集を代表とする歴代短歌一般が、詩歌の最もうぶな、非思想的な、叙情詩としての最も青春的な位相を占めてゐるのである。それの高度それの深度を問ふならば、或はそれは多くとるにも足らないだらう。しかしながら詩歌は、その思想性によつてのみ自らを支へてゐるものではない。それは何よりも第一に、与へられた形式を十全に活用し切つた詩語の魅力に、生命を托してゐるのである。

稲つけばかがるわが手を今宵もか殿の稚子わくごがとりて歎かむ
(巻十四東歌)

 万葉集に就て云々する以上その長歌に就て一言もふれなかつたのは勿論片手落の沙汰ではあるが、これは本稿の性質上やむを得なかつた。その他遺憾の節も多いが今は仮りに擱筆する。





底本:「日本の名随筆63 万葉(三)」作品社
   1988(昭和63)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「三好達治全集 第七巻」筑摩書房
   1965(昭和40)年6月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月16日作成
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