故郷の花

三好達治




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人はいさこころもしらすふるさとは花そむかしの香ににほひける
つらゆき


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鳶なく

――『故郷の花』序に代へて


日暮にちぼにおそく
時雨うつ窓はや暗きに
何のこころか
半霄に鳶啼く
その聲するどく
しはがれ
三度みたびかなしげに啼きて盤桓ばんくわん
波浪いよいよ聲たかく
一日ひとひすでに暮れたり
ああ地上は安息のかげふかく昏きに
ひとりはねうち叫ぶこゑ
わが屋上を遠く飛び去るを聽く

すみれぐさ



春の潮相逐ふうへにおちかかる
落日の ――いま落日の赤きさなかに
われは見つ
かよわき花のすみれぐさひとつ咲けるを
もろげなるうなじ高くかかげ
ちひさきものもほこりかにひとり咲けるを
ここすぎて
われはいづこに歸るべきふるさともなき
落日の赤きさなかに――

をちかたびと



をちかたのひとはをちかた
はるふかきにはにねむれば
はとのなくこゑにもめざむ
うたたねのゆめのみじかさ

をちかたのひとはをちかた
はるふかきにはのおちばを
もせばもゆほのほはしばし
めにしみていたきけむりや

春のあはれ



春のあはれはわがかげの
ひそかにかよふ松林
松のちちれをひろひつつ
はるかにひとを思ふかな

春のあはれはわがかげを
めぐりて飛べるしじみ蝶
すみれの花ゆまひたちて
ゆくへはしらず波の上に

春のあはれはわがかげの
ひそかにいこふ松林
かばかり青き海の
松のちちれをひろふかな

空琴



いかなればのらすそらごと
いのちをもみをもをしめと

いのちをもみをもをしみて
かへるべきかたやいづかた

ゆくへなきあすををしめと
さるをなほのらすそらごと

はるかぜにとらるるさへや
ただをしむきみがおんそで

みづにうかべど



みづにうかべど空をとぶ
ふたつのつばさぬらさじと
かろきたくみのかもめどり

こころををしむ旅人の
あはれゆかしき江のみづに
あとなきときは流れつつ

浮雲



空にうかべる雲なれば
よるべはなけれ
くれなゐの
いろにそまりつ
いろにそまりつ
沖の島の
空にうかべる
あかね雲
ただたまゆらのよそほひに
身をほろぼすも
うき雲の
さだめなりかし
さだめなりかし
沖の鳥の
こころなきさへ
ひとめぐり

ふらここ



わが庭の松のしづ枝に
むなしただふらここ二つ

うちかけてしばしあそびし
あまの子のすがたは見えず

たれびとの窓とや見まし
そよ風のふきかよふのみ

さるすべり花ちるところ
ふらここの二つかかれり

白き墓地



秋の田の黄なるに
夕べの霧遠くたなびき
彼方の丘に白き墓地見ゆ
松青きかげ
墓標みな白く黄昏にうかみて
いまこの風景に
しづかなる音樂の起りたゆたふごとき心地す
一度びここをへて
われは行へもしらぬ旅人なれども
ものなべてほのなつかしく
こを故わかず忘れがたき日のひと時と思ひたたずむ
路のべに
秋の螢のただ一つひくく迷へり

朝はゆめむ



ところもしらぬやまざとに
ひまもなくさくらのはなのちりいそぐを
いろあはきさくらのはなのひまもなくななめにちるを
あさはゆめむ
さくらのはなのただはらはらとちりいそぐを
はらはらとはなはひそかにいきづきてかぜにみだれてながるるを
やみてまたそのはなのはつかにちるを
さくらのはなのかくもあはれにちるをゆめみしあさのゆめ
めにさやか――
またみづよりもしめやかにこころにしみてわすれがたかり
わきてこはかやのすそはやひややかにほにふるる
うらぶれしあきのあさなれば
ゆめさめてわれはかなしむ
ゆゑしらぬとほきひのなげかひのいやとほきはてのなごりを

秋の風



松の林は秋のかぜ
帽子の鍔にふりかかる
松のおち葉の音あはれ

囘花蕭條



幾山河いくやまかは
越路こしぢのはてのさくら花
か青き海を松が枝に
かへり花さく日の空に
小鳥は鳴けど音はさみし
――音はさみし
かへり花とて色も香も
けふの日あしも淡つけく
松の林に木がくれて
咲く日はいく日
その花のはやはらはらと散りそむる
丘をめぐればありとなく
ほろびゆく日の
ただのこるほのぬくとさよ――

なれは旅人



されどなれは旅人
旅人よ
樹かげにいこへ
こはこれなれが國ならず
旅人よ
なべてのことをよそに見て
つめたき石にもいこへかし
まことになれが故郷ふるさとはなほかなたに遠し
はるかなるその村ざとにかへりつくまでは
旅人よ
つつしみて言葉すくなく
しんなきものの手なとりそ
ただかりそめのまこともて彼らが肩に手なおきそ
さみしき彼らがそびらを見るにも慣れてあれ
されどなれは旅人
旅人よ
樹かげにいりて
つめたき石にもいこへかし

時雨の宿



かすかなる
かすかなる聲はすぐ
はらはらと今ふりいでし雨の音
ひそかに軒を走る夜
時雨ふるかかる夜頃よごろもひくく
渡るは何の鳥ならん
かすかなる
かすかなる聲はすぐ

聲はかたみに呼びかはし
ちちとのみただひくくかすかに
かたみにつまをたのむらんこたへかはして
稻妻のかき消すごとく
闇の夜空をはや遠くかすめて去りぬ

深沈として風は落ち
燈火くらく人はみな眠れる巷
いらかも寒きの棟を
時雨の雨にぬれぬれて
かすかなる
かすかなる聲はこなたにかへりくる

げにこぞの日のかかる夜も
時雨の宿のつれづれに
冬ちかき海の遠音にまじらひて
かすかなる
かすかなる
かかるすずしき音をききし
思出のいまはたあはれ
あはれかく古りゆくをただふりゆかしめて
あともなき
ひとむれの聲のゆくへや

あきつ



あはれあれあきつ
いのちみじかきものもまた
しばしはここにいこふかな

そらゆく雲ははやけれど
尾花がすゑぞひそかなる

蟋蟀



今宵雨霽れて
月清し

四方よもの壁にも
くりやにも
また落葉つむ廂にも
屋根のうへにも鳴く蟋蟀いとど

屋根のうへにも鳴く蟋蟀
かくて彼らは夜もすがら
あるじが貧とかたくなと
才短きをうたふなり

今宵雨霽れて
月清し

朝の小雀女



山遠くめぐりきて
朝ごとに來て鳴け小雀こがら
雲破れ
日赤く
露しとど
落葉朽つ香のみほのかに
艸の實の紅きこの庭
この庭に來て鳴け小雀
破風はふをもる煙かすかに
水を汲む音はをりふし
このあんに人は住めども
日もすがら窓をとざせり
秋も去り冬のあした
弊衣へいいえり寒く
隙間風こころに透り
また方外に遊ぶに倦んず
折からや
いばらの垣に
百日紅枯れし小枝に
藤棚に
松のしづ枝に
來て鳴け小雀
來て鳴け小雀
曇りなき水晶の珠二つ
相寄りてふれあふごとき
そのこゑのすずしさをもて
いざさらば
たへがたき人の世の寒酸
ことさらにひややかに
われらが骨に入らしめよ
朝の小雀女

艸枕



艸枕
かりねの宿のまど戸に
誰がおとなひのこゑやする

越路の空のつねなさは
はらら霰のうつ音かな

きつつき



きつつき
きつつき
…………
わが指させし梢より
つと林に入りぬ
…………
戀人よ
君もまた見たまひし
…………
胸赤く
うたかなし
かのさみしき鳥かげを
…………
つめたき君がこころにも
な忘れそ
けふのひと日を
…………
人の子の
なげき
はてなきを
…………
またはかの
つと消えて
林に入りし鳥かげを
…………
ききたまへ
風のこゑ
かの鳥のまたかしこに啼くを
…………
今はこれ
君と別るる路の上
…………
木は枯れて
四日の月
…………
まれに飛ぶ
木の葉

さくらしま山



いるかとぶ春の海原
しぐれふり
やがてかくろふさくらしま山

九天ゆ直下す三機
あなさやけ
さくらしま山雲のかげ見ゆ

いくさある海のはてよりかへりこし
いくさぶねはつ
さくらしま山

   ○

ふたくさのこほろぎのこゑおこるなり
庭の畑に
日のてるしづか

海青し
小松林のいろ青し
あきつは赤し
旅ははてなし

松青し
山は小松のいろ青き
かなたゆひそか
海のこゑきこゆ

あかあかとたちし赤松
むざと伐られ
くだかるるなり
海の音かなた

吃々となく百舌の鳥
けふの秋
眉をふく風
丘並木道

秋はまた
馬の蹄のおとあはれ
つと見えそめし
海のいろあはれ

   ○

わがふむは
かへる日もなき旅の砂
鴉五六羽もだすしら砂

雄島あはれ
雌島もあはれ
うちわたす空のかぎりを
吹く秋の風

春去りしかごめの鳥も
かへりこぬ
越路をふくは
ただ秋の風

   ○

ま日てれる
蓮芋畑をくる雇員
南瓜畑を
走りけるかな

   ○

秋ふけて
雲雀の子らのなくころと
なりにけるかな
洛東江に

秋ふかき大根畑になく雲雀
ひそかなりけり
洛東江に

あめの牛
堤にたちて艸はめり
ここにてめぐる
洛東の水

大鴉
影もみだれて飛びにけり
江上にして
なくこゑあはれ

池あり墓地あり



池あり
墓地あり
鶯なく
貧しく土はかわき
丘赤く
日は高し
かくさくらの花の散る日にも
情感すでに枯れ
けだもののさまよふごとく
わが影はみすぼらしく風に吹かれ
空想の帆かげ遠く沈みゆくを逐はんとす
あてどなき小徑のはて
かくあてどもなくわれの越えてゆく
ものみな傾きし風景は
いま春の晝餉どき
しんかんとして海のこゑはるかに
藪かげに藪椿おつ
ああわがかかる日の焦點はかなしく歪みたるに

池あり
墓地あり
鶯なく

丸木橋



丸木橋ひとり渡れば
青き魚つと浮びきて
わが影をついばみさりしたまゆらよ――
ああそれの日は
よき友も
よき師の君も世にいまし
世ははつ夏の光もて
野もかがやきぬ
花園に赤き花咲き
そのみちに待ちし子らさへ
今はみな消息もなし
げに人の世は
酒ならば一盞の夢
夢消えて盞むなし
それもよし
いざさらば
歸らぬ日
――ものみなのあはれゆかしかりしよ

乙酉即事



月ほのかなる丘の邊に
花は伐られて薪となる

何なれば



何なればふかくもひめし涙ぞや
海にきたりて美しき石をひろへば
はふり落つ老が涙はしかはあれ
つばらにかたるすべもなき

島崎藤村先生の新墓に詣づ



しづかなる秋の朝なり
鵯どりら空によびかひ
林より林にわたる
しづかなる秋の朝なり
百舌はまたさらに高音を
張りて啼け
世はひそかなり
こよろぎの濱のおほ波
ゆるやかにくづるるさへや
ここにして聽けばかそけし
この庭にいま陽ざしおつ
斑々はんはんとかくはさやかに
こまやかにあるはゆらぎつ
あたらしき世のうたの父
ねむります梅の木のもと
おくつきはこのおん父の
みこころのままにすがしく
つゆじもに濡れてかをれる
しら菊の花のいく輪
ほの青き香のけむりの
たちまよひなびくのみなる
丘のべの精舍の庭に
しかすがにものみな眼ざめ
朝風はかよひそめたり
空青し
海もまたかなたに青し
ものの音なべてはるかに
ここにして境はきよし
なにはなきけいはさながら
似たらずやこのうたびとの
七十路ななそぢの耳はみみしひ
沈默し指をむすびて
ものおもひたまふ姿に
しづかなる秋の朝なり
「よろづ世の名もなにかせん
寂寞せきばくたり身後の事」と
いふといへよろしからずや
我はただここにぬかづき
我はただここにもとほる
人の世のなべてさながら
よしとしてあげつらふなき
時をひと時――

池のほとりに柿の木あり



池のほとりに柿の木あり
幹かたむきて水ふりし堤のうへを
ゆきかよふ路もなつかし
艸青き小徑の彼方
松高く築地ついぢは低き學び
われは年ごろ何ごとを學びたりけん
今はおぼえず
なべては時の死のははきははき消しゆく
をちかたのあとなきにただ
それさへやはやおぼろめく
師の君のおん影すがた……
ぬかひろく顎しじまり
髭みじかく
かんばせつぶらにかがやきて
形やや辣韮らつきように似たまひき
おん聲は泉の如くすずしかりけり
四季つねに紺の詰襟折目たち
手に細き鞭一枝たづさへ給ひき
ああわれはいま遠く消えゆくオルガンの聲に耳かすごとく
君がおん名のおのづから唇にのぼり來るをなつかしむ
君は一と日命を得て
故郷丹波の國なにがしのこほりにしりぞき給ふとて
その日空晴れ雲飛びて陽ざし明るき教壇ゆ
ゆくりなき言葉かたちをいぶかしむわらはが耳に
霹靂へきれきことをのらしぬ
はた壇を下り給ひてねんごろに
こはまみあげて聲もなき童が肩に手をおかし
つばらかに別辭わかれごとのらし給ひぬ
歔欷きよきのこゑしつに滿ちたり
日頃はおそき春の日のひと時は束の間なりき
さらばとて君を排し給ふとき
つと起ちてそは一たびただ一たび
ごゑに君が名を呼びしをみな子ありき
その聲のなほわが耳にのこれるよ
思ふにわれはかかる日に
さだめなき人の世の繪物語のひとしをり
げにあはれもふかくゆかしきを學びたりけん
かくてわれ人の世の半ばをすぎぬ――
ただ願はくばけふの日もふるさとの郡の村に
さきくいませとのみまつる
かの君やいまはたいかに老い給ひけん

歸らぬ日遠い昔



歸らぬ日
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔
(聽くがいい そらまた夜の遠くで
木深い遠くの方で梟が啼く)
遠い昔だ
何も彼も
がん
鳩も
木兎も
みんな行方ゆきがたしれずだよ
あの子もどこでどうしたやら
つり眼狐の晝行燈
病身の
いつも無口な子だつたが
青い顏して
いぢつけて
霜やけの手が赤っただれて さ
あの手もそれから…… 沙汰はない
どこの國でどうしてゐるやら
さ どうなつたやら
もう金輪際それつきり あれつきりか
思ひがけない今ん頃に
ふいとけふ日に思ひ出さうと
子供ごころのなんの知ろ
氣輕にねた
身輕にんだ
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔だ
何も彼も
はるかな國
とつとはるかな遠い村
キリハタリ
キリハタリ
ハタリチヤウ チヤウ
またキリハタリ
歌もうたつた
石も投げた
それでもみんな機嫌な冬の日だつたけ
たつた一ついつまでも
梢には 黄色柚子きいろゆずの實
軒端には もろこしの種子たね
そいつを鴉がさらつてさ
織部燈籠に昨日から芭蕉がこけて
菊はもう添竹ばつかり
いつかの晩は
人魂がひと晩そこにやすんでゐたそこの隅に
淡紅梅が咲いて匂つて
匂ひは日向いつぱい庭いつぱい
さてしばらく耳でまつてゐた
垣根越しに
井戸の車がからからきこきこと
さてもしづかに
さてその人ごゑはきこえたのやら………
朝がをはつて晝といふには間のある陽ざし
俺はまた裏の木戸から
寺の墓地の土塀のきはの一本松の根かたへいつた
高い梢の
すつかりもう朱い實のなくなつた寄生木には
ひよどりがそつぽを向いて
山にむかつてついと一つ頭を下げた
俺はその(ああその手ざはり)松の幹をたたいてみたつけ
いつもさうしてみるのだが
それもさて何といふ理由はなかつた
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔だ
何も彼も

遠い昔だ
何も彼も
そればつかりが――變にそれが耳にのこつて
夜明けの夢にもまぎれこんだ
はるかな森の笛太鼓
鉦太鼓
仕掛け煙火はなびの煙から
おどけ人形が飛びだして
ふらりふらりと氣樂なふりに
川のむかふへ落ちてゆく
祭りの日の
立枯れ欅のてつぺんに
風船玉がひつかかつて かかつてゆれて
つぎの日には皺っぷくれて
さてその晝にはもう見えなんだ
牛つ埃
馬つ埃
ただからからと退屈な荷車がゆくなはてみち
遠い昔
遠い昔だ
何も彼も
歸らぬ日
遠い昔

荒天薄暮



天荒れて日暮れ
沖に扁舟を見ず
餘光散じ消え
かの姿貧しき燈臺に
淡紅の瞳かなしく點じたり
晩鴉波にひくく
みな聲なく飛び
あわただしくはねうちいそぐ
さは何に逐はるるものぞ
慘たる薄暮の遠景に
されどなほ塒あるものは幸なるかな
天また昏く
雲また疾し
彼方町の家並は窓をとぢ
煤煙の風に飛ぶだになし
長橋むなしく架し
車馬影絶え
松並木遠く煙れり
――景や寂寞を極めたるかな
帆檣半ば折れ
舷赤く錆びたるは何の船ならむ
錨重く河口に投じ
折ふしにものうき機關の叫びを放てり
まことにこれ戰ひやぶれし國のはて
波浪突堤を沒し
飛沫しきりに白く揚れども
四邊に人語を聞かず
ただ離々として艸枯れて砂にわななき
われひとりここに杖を揮ひ
悲歌し感傷をほしいままにす

海邊暮唱



彼方に大いなる船見ゆ
敵國の船見ゆ
いえいえあれは雲です
彼方に青き島見ゆ
島二つ見ゆ
いえいえあれは雲です

ひと日暮れんとして
悲しみ疲れたるわれらが心の上に
いま大いなる天蓋きぬがさ 夕燒の空は赤く燃えてかかりたり
深き憂愁と激しき勞役との一日いちじつの終りに
なべてはしばし美しき夢をもて飾られぬ
浪のこゑしづかに語り
艪の音きしみ
鴉らはただ默々とひと方に飛ぶ
秋は既に深けれど山々はなほ緑さやかに
寂然じやくねんとしてはてしなき想ひに耽れり
萬象はかく新らしき明日をむかへんとして
なつかしき空想とゆかしき沈默とはあまねく世界を領したり
ああ戰ひやみぬ
いくさ人おほく歸らず
戰ひやぶれし國のはて
古鐘またほろび
かかる時鳴りもいづべき梵音の
すゑながき清淨音しやうじやうおんをききもあへず
雲ははやおとろへ散じはなだの色もあせんとす

彼方に青き島見ゆ
島二つ見ゆ
いえいえあれは雲です
彼方に大いなる船見ゆ
敵國の船見ゆ
いえいえあれは雲です

横笛



幼き子らが月日ごろ
なにの愁ひをくれなゐのくちもきよらに
つれづれと吹きならひけん
いまほのぐらきものかげの
かばかり塵にうづもれてふしまろびたる横笛
昨日子らは晴衣きて
南のかたに旅だちぬ
――かくはえうなく忘られてあけもふりたる歌口を
ありのすさびのなつかしき幼なごころに
ふともわが吹けども鳴らず
吹けども鳴らず
鳴らねども
うつうつと眼をしとづればうらさびて
わが心のみ秋風にさまよひいでつ
くちずさむうたのひとふし

國は亡びて山河あり
城春にして
萌えいづる
萌えいづる
草のみどりを
ふみもゆけ
つばくらならば
はたはまた
ここの廣野にかへりこん
――かへりこん
心ままなる空の子よ
あとなき夢よ
春風の
柳の絲のたゆたひに

ふるるひよう
ひようふつと吹けばかすかに音をたてぬ
世は秋風の蕭條と
色もふりたる蛭卷の うつろの闇の 夢の香の
あればまたこの夕風にうごくとよ
老がを指をふるはせて……
ふるるひよう
ひようふよう
ふひよう
ひよう
調てうのけぢめものいろもさびおとろへて
いと遙かいと微かいと消ぬがにも たどたどと
ふみゆく歌の歩どりや
夕木枯のとどろくに
めしひうばそくもなく手さぐりつたふ渡殿わたどの
かずの隈々くまぐま……
ふひよう
ひよう
ふひよう
ひよう
ふひよう
さるからに 遠稻妻のかき消えて 夕顏の花ほの白う
おどろのかげのみじろぐに
わが吹く息もをののくか 弱くみじかく
あるは絶え あるはを休み
またよべばまたもこたへぬ
ふるる
ふるるひよう
ふひよう
されどこは笛の音いろもさしぐみて
ひとしほにまた廓寥くわくれうとしてしはがれてふしはひとふし
たとふれば尾花がすゑに沈みゆく
渡りの鳥の
ひと群れの
いよいよに
遠き
羽風か

――音も絶えて
ひたひもさむく汗ばみぬ
げにいまは
夢なべて彼方に去りぬ
香もにがく菊はうら枯れほろびたり
こはすでに何のあはれぞ………
からび皺だみ節だちし
手もて涙はぬぐふべし
老がなげきはただひめよ
まことに笛はをさならが
すさびのうつは
かかる日のはての日頃の手にとりそ
忘れても手になとりそね
かげもなくゆかりの色のさめはてて
さはかたくうつろの闇のもとぢし歌の器は――





底本:「三好達治全集第二卷」筑摩書房
   1965(昭和40)年2月15日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月15日第2刷発行
底本の親本:「定本三好達治全詩集」筑摩書房
   1962(昭和37)年3月30日
入力:榎木
校正:杉浦鳥見
2021年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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