朝菜集

三好達治




朝菜集自序


 ちかごろ書肆のすすめにより、おのれまたをりからおもふところいささかありて、この書ひとまきをあみぬ。なづけて朝菜集といふ。いにしへのあまの子らが、あさごとに磯菜つみけんなりはひのごとく、おのれまたとしつき飢ゑ渇きたるおのれがこころひとつをやしなはんとて、これらのうたをうたひつづりたるここちぞする。いまはたかへりみてみづからあはれよとおぼゆるもをこなりかし。げにこれらのうた、そのふるきはほとほとはたとせばかりもとほき日のもの、そのあたらしきはきその吟詠、いづれみなただひとふしのおのがしらべにしたがへりしとのみ、みづからはなほおもへれど、みじかからぬとしつき世のさまのうつりかはりしあと、かの萬波あひうちしなごりもや、そこここにしるしとやいはん。うたのすがたそのこころばえをりふしにいたくたがひて、かれとこれとあるひはひとつ笛のうたぐちをもれいでしこゑとしもききとめがたからん。さらばこの笛のつくりあしきは證されたり――
 こはこれつくりあしき笛一竿、されどこの日おのれそをとりてつつしみひざまづきて、いまはなき
 萩原朔太郎先生の尊靈のみまへにささげまつらんとす。
 そはこの鄙吝の身をもつて、おのれとしごろ詩歌のみちにしたがへるもの、ほかならずただ師のきみの高風を敬慕しまつれるの餘のみ。いま身は垂老の日にのぞみ、師は白玉樓中にさりたまふ、しかして世は曠古の大局にあたりて兵馬倥偬をきはめたり。感懷まことにとどまるところをしらざらんとするなり。ときはこれ昭和癸未のとし春のひと日、おのれまたこのひとまきの境をさりてながくかへりきたる日なきを知りをはんぬ。身たまたま肥薩の山野に漂泊して、萬象靉靆たるあひだにあり、しかしてこの序をしるしつつ、心頭を徂徠する雲影のうたた悲涼ならんとするをみづからあやしむとしかいふ。
三好達治識
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白梅花


城あとのしもとのなかの
ひともとの老い木のうれに
梅の花はつはつ咲きぬ
※(「木+冴のつくり」、第4水準2-14-40)たりやこのもかのもの
その枝の瑠璃のさかづき
甘からめ香ぐはしからめ
二つ三つ
目じろどり來てくちつくる
ひそかなりげにそのほかは
うごくものなき丘のべゆ
こゑなき海もはるか見ゆ


白梅花 


梅老いて
龍にさながら

あさあけに
靄たちまよふ

みづのべに
ここに肱つき

碧潭に
入らんとすらん

ほつ枝には
はや的※(「白+樂」、第3水準1-88-69)

眞珠母か
よべの霰か

地の精を
と凝らしたる

かぞふべし
このもかのもに

ほのぼのと
ため息つける

かぎろひの
春のはつ花


月天心


月よみのかげはさやかに
父の身は父の身のかげ
幼きは幼きのかげ
ふみもゆくつむじつむじに
海のこゑひときは高く
梅の香はほのかににほふ
霜夜なりまんとの袖に
いとけなきその手はとれど
眉ふかく帽をかうむり
なにを思へるものならん
晝の間の歌は忘らへ
月よみのひかりさやかに
幼きは幼きのかげ
父の身は父の身のかげ
ふみもゆくこころはろけし


富士とほく


をちかたに富士の嶺しろく
たかわたる風はさむけれ
あづさゆみ春はきむかふ
かたをかの桑の畑に
桑の芽はもえてあたらし

巣だちする鳥のひいなの
朝明けにさへづるごとく
みどり葉のみどりはさやに
うたひづるうたのあはれを
われは聽く石たかき路

萬物は生々として
うなじあげ雲をよぶがに
身をふるふ國のさなかを
さすらへどなほつめたかる
わがこころひとり古りしか


桃花李花


老松亭々
函嶺蒼々
柑子山かうじやまこなたにつきて
麥畑かなたに遠く
工場の白き煙突二つ三つ
そそり立つあたりの聚落
天高く
海はか青し
沖つ波はるかのかたに
かすめるは大島利島としま
邊つ波は浦囘いつぱい
弓なりに碎けて白し
これはこれおのれいくとせ
住みなれし相模野のすゑ
春の日の晝さがりなり
おのれいま西國の旅
旬日のあまりののちに
四肢つかれこころたゆみて
かへりこし汽車の窓べゆ
見なれたる四方の景象
ゆるやかに轉ずるを見つ
感ははた新たなりけり
うたて身は
はやく老いたり
こころざし
むなしくなりつ
とておのれ過ぎしを惜しみ
新らしきその味ひの
にがかるをただ沈默す
路のべに日照りかがやき
あなあはれ
桃花李花處々に紅白


窓のうぐひす


このやどのまどのうぐひす
ほのぼのとうたひそめにき

あはれよとみちゆくひとも
かへりみつかつはささやく

かぎろひのはるのひは遲々
おきのしまあをくかすみて

まなかひのいはをうつなみ
くれなゐのはなもかもめも

依稀たりやそのかみのひの
さかひなれなべてはむなし

ときふればこころうつろひ
くさまくらうれたきよひも

いまははやむかしのひとを
むかしのひとをこふよしもなき


山峽口占


晩霞散じつくし
ほの黄なる燈火ともしび點ず
かの山もとに錯落とおける藁屋根
あまさかるひなのほそ路
ほとほとにきはまるなべに
よりあひていく世をか經し
あやしげのくさびらめける
そのかずもともしふる屋根
そをめぐりけぶる竹藪――
風落ち
蟲のこゑしじにおこりて
山なべて黝みをはりぬ
寂寞じやくまくとひと日暮れゆく
あはれそのかの山もとゆ
なほひとたび
やがてふたたび
のびらかに牛のこゑこだましよばふ
世のほかのかかる人の世
いまははや闇にとざして
燈火ともしびのひとつ殘りぬ
をりからや客舍の窓に
われひとり襟をつくろひ
萬象のかくもひそかに蕭然たる
情感のふかきに已に堪へざらんとす


豌の花


むらさきふかきまめの花
みどりはてなき海の色

伊豆の丘べは冬の日も
ほのあたたかきやすらひに

音をふふみねに鳩も鳴け
そのかれ枝の晝の月

落葉まじりにうつしみの
うつつなる身をこごめつつ

とだえしこゑをまつとなく
耳かたむけついまははた

ほのかにかよふものの香に
ふるきうれひもめざめなむ

むらさきふかき豌の花
みどりはてなき海の色


師よ 萩原朔太郎


幽愁の鬱塊
懷疑と厭世との 思索と彷徨との
あなたのあの懷かしい人格は
なま温かい熔岩ラヴアのやうな
不思議な音樂そのままの不朽の凝晶體――
あああの灰色の誰人の手にも捉へるすべのない影
ああげに あなたはその影のやうに飄々として
いつもうらぶれた淋しい裏町の小路をゆかれる
あなたはいつもあなたのその人格の解きほごしのやうなまどはし深い音樂に聽き耽りながら
ああその幻聽のやうな一つの音樂を心に拍子とりながら
あなたはまた時として孤獨者の突拍子もない思ひつきと諧謔にみち溢れて
――醉つ拂つて
灯ともし頃の遽だしい自轉車の行きすがふ間をゆかれる
ああそのあなたの心理風景を想像してみる者もない
都會の雜沓の中にまぎれて
(文學者どもの中にまぎれてさ)
あなたはまるで脱獄囚のやうに 或はまた彼を追跡する密偵のやうに
恐怖し 戰慄し 緊張し 推理し 幻想し 錯覺し
飄々として影のやうに裏町をゆかれる
いはばあなたは一人の無頼漢 宿なし
旅行嫌ひの漂泊者
夢遊病者ソムナンビユール
ゼロゼロ

そしてあなたはこの聖代に實に地上に存在した無二の詩人
かけがへのない 二人目のない唯一最上の詩人でした
あなたばかりが人生を ただそのままにまつ直ぐに混ぜものなしに歌ひ上げる
作文屋どもの掛け値のない そのままの値段で歌ひ上げる
不思議な言葉を 不思議な技術を 不思議な智慧をもつてゐた
あなたは詩語のコンパスで あなたの航海地圖の上に
精密な 貴重な 生彩ある人生の最近似値を 我らのアメリカ大陸を發見した
あなたこそまさしく詩界のコロンブス
あなたの前で喰せ物の口の達者な木偶でくどもが
お弟子を集めて横行する(これが世間といふものだ
文人墨客 蚤の市 出性の知れた奴はない)
黒いリボンに飾られた 先夜はあなたの寫眞の前で
しばらく涙が流れたが
思ふにあなたの人生は 夜天をつたふ星のやうに
單純に 率直に
高く 遙かに
燦爛として
われらの頭上を飛び過ぎた
師よ
誰があなたの孤獨を嘆くか


途上即事


海あをく
松はみどりに
冬の日の並木路
もののかげさやけき中を
ランドセル肩にをどらせ
いとけなきうしろすがたや
手をとりつはたよろめきつ
三人の子ら走りゆく……
はるかなる車の窓ゆ
われは見つ しばしは思ふ
わが生のすでに遠き日
この日またかくはひそかに
かろらかにうつりゆく時
惜しむべきなにはなきかな
いざちかし
いまはよし
わが旅のとまりのはたて……


鐘鳴りぬ


聽け
鐘鳴りぬ
聽け
つねならぬ鐘鳴りいでぬ

かの鐘鳴りぬ
いざわれはゆかん

おもひまうけぬ日の空に
ひびきわたらふ鐘の音を
※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)鳴か五曉かしらず

われはゆかん さあれゆめ
ゆるがせに聽くべからねば

われはゆかん
牧人の鞭にしたがふ仔羊の
足どりはやく小走りに

路もなきおどろの野ずゑ
露じもしげきしののめを
われはゆかん
ゆきてふたたび歸りこざらん

いざさらばうかららつねの
日のごとくわれをなまちそ
つねならぬ鐘の音聲おんじやう
もろともに聽きけんをいざ
あかぬ日のつひの別れぞ わがふるき日のうた――





底本:「三好達治全集第二卷」筑摩書房
   1965(昭和40)年2月15日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月15日第2刷発行
入力:榎木
校正:杉浦鳥見
2021年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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