ある温泉の由来

佐々木邦




長い伝統


 東引佐村ひがしいなさむらと西引佐村は引佐川いなさがわさかいにして、東と西から相寄り添っている。名前から言っても、地勢から見ても、兄弟村だけれど、仲の悪いこと天下無類だ。何の因果か、喧嘩ばかりしている。両村の経緯いきさつは生きている人間の記憶以前にさかのぼるものらしい。
 僕がまだ小学校に入らない頃、近所に百を越した老人があった。もう悉皆すっかり耄碌もうろくして、縁側に坐って居睡りをするのが商売だったけれど、百二つで死ぬ時、シャキッとなって遺言した。それは、
「親の代から西には負けたことがない。お前達も西に負けないでくれよ。ついては税を払いなさんな。東は昔から税を払わない」
 という一般的訓辞だった。百二歳の老人が親の代からと言うのだから、古い葛藤かっとうに相違ない。但し税を払わないのを村是そんぜのように言ったのは何分百有二歳の老人だから、頭がうかしていたのだろう。西引佐は兎に角、東引佐の人間が特別に滞納するという事実は絶対にない。これは村の名誉の為めに、お断りして置く。
 東引佐と西引佐は大人も子供も男も女も仲が悪い。犬まで川を距てゝ吠え合っていることがある。
「吠えろ/\。負けんな」
 と子供がしかける。し向う岸に子供の姿が見えれば、人間同志が吠え始める。
「東引佐の馬の骨!」
「何だ? 西引佐の牛の骨!」
 馬の骨と罵ったから、牛の骨と呶鳴り返した丈けで、これという意味はない。しかしやり合っている中に、追々問題に触れる。
「やい。東引佐の水なし村。日照りが続いて泣きん面をするなよ」
「何だ? 西引佐の水出村。秋になると見物だ。娘っ子が尻をからげて逃げて歩く」
「太鼓を叩いて雨乞いをしろ」
「尻をはしょって飛んで歩け」
 それから石を投げ合う。東の方は高いから、石合戦には優勢の地位にいる。西からは届いたり、届かなかったりだ。川幅は可なり広い。
 東引佐は山沿いだから、水に不自由をする。谷川の流れを引いて田を作る。場所によっては水車で汲み上げなければならない。旱魃かんばつがひどく利く。太鼓を叩いて雨乞いをしろというのはそこだ。引佐川は村の裾を流れているけれど、村の方が高いから、何の足しにもならない。低い西引佐丈けが恩恵を蒙る。同時に損害も受ける。何となれば、秋口に洪水が村の一部分を襲うのである。娘っ子が尻をからげて逃げて歩くとはそれを言う。東引佐からは出水でみずの光景が手に取るように見える。高みの見物だ。
 ○○町の中学校の運動会には界隈の小学校の選手競走が呼び物の一つになっている。東西引佐の少年はこれ屈竟と雌雄を争う。
此方こっちは五等で、先方むこうは七等だ」
「去年は此方が八等で先方が六等だったから、丁度好い仇討ちだ」
 賞に入らなくとも、目ざす敵に負けなければ宜い。僕の小学校時代に東引佐が一度優勝した。優勝旗を持って西引佐を通って帰るのだから大変だった。
「野郎、来年見ていろ」
 と西引佐の小若こわかしゅが目の色を変えてついて来た。此方からも小若い衆が迎いに出た。罷り間違えば血の雨が降る。引率の先生達は随分心配したようだった。
 若い者同志は兎角荒っぽい。○○町や山で顔が合う。
「おい。西引佐」
 と東引佐が呼びかける時にはもう喧嘩の下心したごころが充分ある。
「何の用だ?」
「他でもない。お前の方の八幡様は贋物にせものだって話だが、矢っ張り御利益ごりやくがあるのかい?」
「野郎、吐かしたな」
「何だって?」
「手前の方こそ代々贋物を拝んで嬉しがってけつかるんだ」
 と西の若い者も決して負けていない。
「何方が贋物だ? 昔、おれの方の若い衆がお前の方の八幡様へ忍び込んで、御神体を贋物とすり替えて来たんだ」
「それじゃ泥棒をしたのかい? 東の野郎は手癖が悪い」
「一杯機嫌で行ったんだ。それも御維新前だ。此奴、村の歴史を知らないな」
「知っているとも。八幡様が夢枕ゆめまくらに立ったから、此方の若い衆が直ぐ行って、手前の方のまで序にさらって来たんだ。東引佐ひがしいなさ後生ごしょうが好い。自分で拵えた贋物をまつっているんだ」
「まあ/\、落ちついて口をきけ。本物の八幡様が暴風しけで吹っ飛ぶか?」
「手前の方は何うだ! 乞食の焚火で半焼けになったくせに。御利益のある八幡様が生焼けになるか?」
「野郎」
「何だ? この野郎」
 東西引佐の八幡様の御神体はナカ/\むずかしい問題になっている。何かと言うと贋物呼ばりが始まる。或はその昔争奪戦が行われたのかも知れない。その跡形あとかたが残っているのか、両方の氏神様うじがみさまに特別厳重な工作が認められる。扉に大きな錠前が七つかけてある。これにも経緯いきさつがある。初め東も西も錠前が一つだったけれど、西が二つにしたら、東が三つにした。西が四つ東が五つと競い合って、双方七つに達した。それから上はもうつける余地がないのである。
 殆んど一世紀に亙って、東西引佐村は相手の八幡様の御神体を贋物だとけなして、自分の方に真物ほんもの二柱ふたはしらいると信じている。申合せて検分して見れば一番早いのに、それは決してやらない。
「何しろ此方は真物が二柱だから御利益があらたかだ。見ると目が潰れる」
 とお互に言っている。何方も信仰だ。穿鑿せんさくを必要としない。
 西と東の反目を助長するものに宮相撲がある。東の八幡様は七月が大祭、西の八幡様は八月が大祭だ。その折、東西の力士が土俵の上で顔を合せる。名物になっているから、近村は無論のこと、○○町からも見物が出る。平素心掛けている丈けに、手取りが多い。西には東京へ修業に行って、褌かつぎになったのがある。七月八月とお祭りが重なるから、何方が負けても、直ぐ後に雪辱の機会が待っている次第わけだ。しかし二度続けて負けると頭が上らない。町で会っても、野良で会っても、
「おい。東の若いの、お前達は鍛冶屋へ行って、腰へっと筋を入れて貰っちゃ何うだ?」
 と思い知らされる。
 東引佐のものに取って都合の悪いのは、○○町へ行くのに西引佐を通らなければならないことだ。お祭りの直後は殊に気が立っていていけない。勝って威張るくらいのものは負けると焼けっ肚になる。
「やい。東引佐、たまに勝ったと思って、でかつらをして歩くな」
 と喧嘩を売りかける。○○町は人口一万足らずだけれど、その界隈唯一の大都会だ。皆それ/″\の関係で交渉を持っている。芝居、活動館、カフェー、村の青年の好奇心を惹くものが多い。その○○町へ出る関門が仲の悪い西引佐だから厄介だ。時折、売り言葉に買い言葉の花を咲かせると、奴等は仲間を集めて帰りを待っている。
 しかし西引佐のものも東引佐を通らなければならないことがある。それは山へ行く時だ。夏分、山から雑木を伐って来て、一年中の燃料を貯える。これが若い衆の仕事の一つになっている。早朝出掛けて行って、帰りには日が暮れる。一日の稼ぎ高を荷車につけて東引佐へ差しかゝると、
「おい、そこへ行くのは西の兄いか?」
 と呼び止められることがある。
「今晩は」
「今晩じゃない。この間の晩の話だ。覚えがあるだろう?」
わしは知らない」
「手前の仲間が待ち伏せをして、おれ達に因縁をつけた。さあ」
うする?」
「痛い目を見たくなければ、荷を悉皆すっかり下して、おっ走れ」
「兄貴達、それは些っと無理だろう。俺等方は何も手出しはしなかった。股ぐらを潜らせた丈けだ」
「見ろ。知っているくせにして。さあ。股ぐらを潜って行け」
「仕方がない」
 と西の若い者も東の領分へ入っていると考える。多勢に無勢だから無茶は出来ない。
 こういうことを書き立てると、毎日喧嘩をしているようだけれど、必ずしもそうでない。曲り始めると曲るので、一向事件のない平和な月が続くこともある。尚お伝統は伝統として、個人関係は格別だ。現に僕の親類には西から嫁を貰っているのがある。兵隊に行っている間に同年兵の西の男と刎頸ふんけいまじわりを結んで、その妹と縁談が纒まったのである。嫁の遣り取りは稀でない。東から西へ養子に行っているのさえある。兎に角、こういう連中が一種の先覚者だ。東西引佐は何も仇同志でないから、他の村と同じように仲を好くしなければいけないと主張している。

馬の合う中学生二人


 僕が中学校へ入った頃の東西引佐村は今述べたような形勢だった。大多数は伝統を重んじて、自分の村丈けをたっとしとする。ほんの少数が目を覚まして、心配している。それは主に兵隊に行って来たものと中学校へ通ったものだ。詰まり、世間を見るから、人間が開けるのだろう。村にばかりいるものは総じて頑冥不霊がんめいふれいだった。しかしこれは後から気のついたことで、中学校へ入った当座の僕は西から中学校へ行く連中と何うして交際を避けようかとしきりに考えていた。東からは僕一人だった。五年生と四年生がいたけれど、五年生は卒業してしまい、四年生は病弱と不成績の為め半途退学をしたのである。西からは四年生が一人、三年生が二人、一年生が一人だった。西の手前味噌によると、西は東よりも金持が多いから、中学校や女学校へ通うものも多い。一年生は早川君といって、僕と一緒だった。西引佐の大地主の息子だ。屋敷が立派だから、僕は以前から知っていた。恐らく西で一番の金持だろう。○○町へ行く時、否でも応でも門の前を通る。しかし早川君と初めて顔を合せたのは中学校へ入ってからだった。誰も紹介してくれないし、西引佐のものだと分っていたから、帰りに一緒になっても、僕は口をきかなかった。早川君も黙って横を見て行った。一週間ばかりお互に疎隔そかくの努力をしたように覚えている。
 或朝、僕は早川君の家の前へ差しかゝったら、早川君が門から出て来るところだった。視線が合った。しかし僕は伝統を守って、一足お先に失敬しようとした。
「小池さん」
 と早川君が呼んだ。
「はい」
 と僕は出席簿の返辞のように言下に答えた。
「一緒に行きましょう」
「行きましょう」
「君のお父さんを僕の親父、知っているんですよ」
「僕のところも知っています」
 その日から僕達は胸襟きょうきんを開いた。行きも帰りも一緒だった。毎朝、早川君が待っていてくれる[#「くれる」はママ]
「君、西引佐と東引佐は何故仲が悪いんだろうね?」
 と早川君が問題に触れた。
「僕、本当にいやになってしまう」
「恥だよ、両方の村の」
「僕の方の小学校の校長先生も始終そう言っている。これは何とかしなければいけないって」
「僕の親父もそう言っているんだ。これは中学校へ行っているものがお手本を示す外に仕方がなかろうって」
「成程」
「君と僕が仲よくすれば、皆見ているから、それが教育になる」
「二人で村の為めに尽そう」
「約束して置こうよ」
「うむ」
 それから間もないことだった。僕達は模範にも教育にもならなかった。かえって意外の結果を見た。或日、学校の帰りに草刈り小僧達の取り巻くところとなったのである。皆小若い衆だから、中学一年生よりも大きい。
「早川の坊っちゃんでも、目に余れば堪忍ならない」
 と一人が言った。一番柄の悪い奴で、大将らしかった。
「何だい?」
「早川の坊っちゃんだから、尚お勘弁が出来ない。坊っちゃんは村で大切だいじの人になるんだから」
 ともう一人、図体のでかいのが進み寄った。悉皆みんなで六人いた。相撲を取りながら待っていたのだった。早川君と草刈小僧の大将の間に論判が始まった。
「村の為めにならないことは小若い衆が見ていられない。君達の出ようによっては小突くから、そう思ってくれ給え」
「何が村の為めにならないのか? 言って見ろ」
「西は西だ。東の餓鬼と一緒に歩くのは間違っているだろう」
「馬鹿を言っちゃ困るよ。僕達は同級生だ」
「同級生でも東は東、西は西。チャンと区別がある」
「それが君達は間違っているんだ」
「口で分らなければ仕方がない。それ、みんな
 と大将が号令をかけた。
 六人が三人宛に別れて、僕達を抱き上げた。何うする間もない。予定が出来ていたのだった。僕達は宙に浮いたと思うと、頭と頭が小突き合い始めた。
「痛けりゃ恨め、おらっちの所為せいじゃないぞ。痛けりゃ恨め、おらっちの所為じゃないぞ」
 と声を揃えて歌う。単純な考えだ。取っ捉まえて置いてコツンコをさせれば、お互に相手を恨んで仲違なかたがいをすると思ったのだろう。
「あゝ、痛い」
 と言って、二人が起き直った時、いたずらもの達はもう逃げ出していた。
「野郎、覚えていろ」
 早川君は泣きながら叫んで、後を追おうとした。
「君、馬鹿に構わない方が宜いよ」
 と僕も痛かったので涙を流しながら、早川君をなだめた。
「大抵僕のところの小作の子だ。増長していやがるから、兄さんに言って、しょびき出して貰う」
「矢っ張り東よりも西の方が分らないんだね」
「そんなことはないよ」
「でも、あんな奴等がいる」
「東にだっているぜ」
「いないよ。来て見給え」
「君は西を馬鹿にするのか? 何だい?」
「二人で喧嘩をしちゃ駄目だよ。お手本にならない」
「成程。それはそうだけれど」
「僕は頭がだ痛い」
「僕も痛い」
 早川君は金持の末っ子で、甘く育っているから、我儘なところがあった。成績も優秀でなかった。尤も僕だって余り威張れない。二人はいつも恨みっこなしに級の中軸をめていた。勉強したところで総理大臣になれるものでもなしと、口には出さなくても、肚の中で悟っていたのだろう。教室では一向注意をかない。そういうのに限って、家へ帰ると大いにやる。僕達はその組だった。三年四年と級が進むにつれて、益※(二の字点、1-2-22)馬が合う。東西引佐和合の模範として可なり尽した積りだ。しかし僕の村の小学校の校長先生は次のような註文をつけた。
「小池君、西の人と仲の好いのは結構だが、君と早川さんの名前の出る時は何うも面白くない。二人でいたずらをして歩くのじゃ仲が好くても、お手本として功能が薄らぐ」

荒神風呂の亀


 僕の家も地主だ。東引佐で荒神風呂こうじんぶろの小池さんといえば皆知っている。早川君のところのような金持ではないが、旧家として名高い。屋敷続きに池ともつかず田ともつかない湿地しっちがある。一部分から水がチョロ/\いて、引佐川へ流れ落ちる。小池という姓もこの涌き水から来たのだろう。川へ続く崖のところに老樹が数本昼間も暗いくらいに繁っていて、その下に三宝荒神様さんぼうこうじんさままつってある。それで荒神風呂と名がついている。水の涌くところに荒神様が鎮座しているから、荒神様の浴びる風呂という意味だろう。僕の家ばかりでない。その辺の十数軒が荒神風呂というあざになっている。
 学校のある間は僕が毎朝早川君を誘う。早川君はその反対に学校が休みになると、僕の方へ遊びに来る。夏は毎日のようだった。荒神風呂から引佐川いなさがわへ抜けると、丁度好い泳ぎ場がある。荒神風呂から流れる水で岸が沢になっていて、そこに亀がいる。僕達は泳ぎ倦きると、亀を探し出して、甲羅こうらに名前を彫りつける」[#「つける」」はママ]
「早という字の亀がもう二三十いるぜ」
「小というのはもっと多い。僕のは彫り好いから」
「万年生きるか何うか? 標識だ」
「少くとも来年まで生きているか何うか分るだろう」
 荒神風呂にも亀が多い。川のが上って来ると見えて、早の字と小の字が仲よくノコ/\歩いていることがある。
「君、何うしてこゝにばかり亀がいるんだろうかね?」
 と早川君が或時疑問を起した。
「この川には何処にでもいるんじゃないか?」
「いや、彼方此方あっちこっち出歩くけれど、この辺が一番多い。荒神風呂が亀の陣屋らしい」
「この沢や荒神様のほこらのあたりで冬を越すんだ。悉皆すっかり集まってしまうよ」
「親父が古い本を調べているんだ。荒神風呂にかめつどい、鶴も巣籠すごもる峯の松と書いてあるそうだ。それから荒神風呂って名前が不思議だと言っている」
「それは僕のところが本家だから、代々考えているけれど、未だ本当のことが分らない。まあ/\、荒神様の入る風呂だろう。昔の信心者のつけた名前と思われる」
「これはもっと科学的に研究して見る値打があるよ」
「伝統的にだろう。科学的には分っている。涌き水が流れていて温いから、亀がやって来て冬を越すのさ」
 と、これは僕の父親の解釈だった。
「君」
「何だい?」
「荒神風呂は荒神風呂として、二三日中に、大騒ぎがおっ始まるぜ」
「何処で?」
「当然東引佐さ」
「何ういう事件だい?」
「明日、いや、明後日あさって来る。その時の楽しみにして置こう」
「大騒ぎと言えば、永徳寺の墓地へ幽霊が出るという評判だぜ。見たと言うものがある」
「それだよ、君」
「知っているのか?」
「ハッハヽヽ」
 と早川君は亀を二つ三つハンカチに包みながら得意満面だった。
「何だ? 君のいたずらか?」
「実はね、この間持って帰ったのを利用したのさ。甲羅へりんを塗って庭へ逃して置いたら、夜になって、家のものが絶叫したんだ。人魂ひとだまが出たって騒ぎさ。そこで思いついて、君の方のお寺へ持って行った」
「悪いことをする」
「ハッハヽヽ」
「今日も又持って帰るのかい?」
「うむ。これで村の青年の度胸試しをやる」
「亀の子に燐を塗るとは思いつきだね」
「宙をフワリ/\歩くと宜いんだけれど、亀の子の悲しさ、人魂になっても地面をノコ/\這って行く。それでも燐だから皆可なり吃驚びっくりするよ」
「こういういたずらは君が名人だ」
 間もなく、○○町の名刹めいさつ千福寺の墓地に毎晩人魂が現れるという記事が新聞に出た。おびただしい数だ。冥土めいどの連中も昨今の酷暑に堪え兼ねて、夜々よなよな涼みに浮び上るのだろうとあった。丁度早川君がやって来たから、
「おい。町まで手を伸したのかい?」
 と僕は訊いて見た。
「いや、知らないんだよ。僕は」
「巧く言っている」
「本当だ。村の若い衆を驚かして、手品の種を明かしたから、奴等がやったのかも知れない」
「大騒ぎらしいね」
「夥しい数だと言うから、余っ程持って行ったんだろう。悪い奴等だ」
「君が教えたからさ」
「一つ今晩景気を見に行こうか?」
「宜かろう。久しく町へ行かないから」
 晩に出掛けるまでもなく、僕達はその日の昼頃○○町の警察署へ引っ張られた。巡査が呼びに来たのである。
「中学生の小池保君と早川清三郎君ですね。二人一緒で丁度好かったです」
 と言うのだから、僕達に相違なかった。流石さすがに青くなった。学校当局からは始終叱られて慣れっこになっている二人も警察は初めてだった。身におぼえはないけれど、亀の子の件だろうと思って、僕は早川君と顔を見合せた。早川君は兎に角、僕は絶対に知らないことだったから恨めしかった。
 拘引こういんではない。無論そんな扱いを受ける筋はない。任意出頭にんいしゅっとうだった。しかしいきなり署長の前へ突き出されたにはすくなからず当惑した。署長は同級生の親父さんだ。暑中遠方御苦労といたわった後、
「時に君達の飼っている亀が沢山こゝの千福寺の墓地へ逃げて来ていますよ」
 と切り出した。
「…………」
「覚えはありませんか?」
「はあ、一向」
 と早川君が答えた。
「正直に申立てゝ下さい」
「知らないんです、本当に」
「無慮三十頭、千福寺で保管しています。以来こういう詰まらない人騒がせは慎まないといけません」
「全く関係ないんですけれど」
「甲羅に早と彫ってあるのが大分いました。あれは早川君のでしょう? 小と彫ってあるのは小池君のでしょう?」
「…………」
「甲羅に燐を塗って墓地へ放したのです。こういう科学的のいたずらは中学生に限ります。それからこの辺で亀のいるのは引佐川です。他には一切見当りません。そこでこれは引佐から中学校へ通うものゝ仕事と認めました。それとなく学校へ問合せたら、四年生の早川小池が一番の大粒です。二人始終一緒ということも分りました」
 と署長はシャロック・ホームズのように説明した。
「恐れ入りました」
「学校へは言いません。これからこういういたずらをする時間があったら、修身の本を読んで下さい。今回は咎めませんから、千福寺へ寄って、お詫びを言ったら宜いでしょう」
「先生。いや、間違いました。署長さん」
「ハッハヽヽ」
「署長さん、僕、嘘はつきません。千福寺の方には本当に関係ないんですけれど、引佐いなさのお寺のは僕です。それから小池君は全く知らないんですから、僕と一緒にされては気の毒です」
「すると千福寺のは誰だね?」
「僕の村の青年達でしょう。僕がお寺で驚してこう手品の種を明かしてやりました。皆感心していましたから、実地に応用したのだろうと思います。僕と小池君なら、自分の名前の彫ってある亀は持って来ません」
「成程ね」
「しかし僕は責任を感じます。青年達に注意して、自分も慎みます」
「結構々々。それじゃ青年達を寄越して、千福寺へ断りを言わせてくれ給え。和尚さん、カン/\におこっている」
「僕、行って、あやまりましょう。亀はお寺の池へ寄進します」
「三十もいるんじゃ持って帰れない。もう宜しい」
 と署長さんはそれ丈けで堪忍してくれた。考えて見れば、早川君も罪はない。僕に至っては全くお附き合いだった。

友情の精勤者


 僕達の示すお手本の為め、東西引佐村がダン/\仲よしになると思っていたら、事実はむしろ悪化していた。僕達が五年生に進んだ春だった。例年の通り校庭に運動会が催されて、小学生も走った。僕は審判係を勤めたから印象が深い。久しぶりで東引佐が優勝した。しかし西引佐と間一髪だった。本当のところは何方だか分らない。西引佐から抗議の申込があったが、審判係アンパイヤ神聖しんせいで押し切った。東引佐のものが優勝旗を持って西引佐へ差しかゝると、西引佐の小若い衆が待っていて、
「今日のは審判係に東のものがいたから不正だ。その優勝旗、此方へ渡せ」
 と言って、掠奪りゃくだつにかゝった。旗手は高等生だ。忽ち乱闘が始まって、引率の先生達は手がつけられない。西引佐の生徒は一足先に帰って、小若い衆としめし合せていたのだった。両方の高等生から負傷者が十数名出た。優勝旗はズタ/\に裂かれてしまった。教育界の不祥事ふしょうじとして新聞が書き立てた。東引佐も西引佐も校長が引責辞職ということになった。早川君と僕はこの時手を取り合って泣いた。
「おれ達の村の奴等は何という馬鹿ものだろう!」
 と。何方も大切だいじの校長先生だ。僕は審判係の一人だったから殊更に責任を感じた。間一髪だったから、西引佐が口惜しがったのも無理はない。あの折、西引佐の勝ちにしたら何うだったろう? 矢っ張り駄目だ。此方が待ち伏せをするに相違ない。あゝ考え、こう考えて、実に因果な村が隣り合っていると思った。
「校長先生、何とも申訳ありません」
 と僕は幾度もあやまった。安東校長はえらい。
「何も彼も今に好くなる道筋だよ。お互に辛抱しよう」
 と大人物の襟度きんどを示した。
 中学校を卒業すると直ぐ、僕は村役場の仕事を手伝い始めた。全然遊んでいてはひまで困る。小遣取りだ。早川君は親父さんの関係の銀行へ見習に入って、毎日○○町へ行く。実は二人とも志を立てゝ、東京へ出掛ける積りだったが、親切な人が邪魔をしてくれた。それは中学校の校長だった。親父が相談に行ったら、
「この頃は大学を出ても余程成績が好くないと就職口がありません。お宅のたもつさんぐらいの頭は東京へ行くとザラにありますから、あの程度のものに学資をぎ込むのは引佐川へ金を流すのと大差ありますまい」
 と全く遠慮のないところを言って聞かせたのだった。早川君のところからも、兄さんが訊きに行ったら、全く同じ返答だった。唯形容が違っている。紙幣さつきつけに使うようなもので勿体もったいないと言ったそうだ。僕達は憤慨した。あの禿げ頭のいる間はもう母校に寄りつかないと決心した。
 早川君は銀行に勤めるようになってからも、日曜毎に遊びに来た。その一年間雨の降らない限り殆んど欠かさなかった。友達もこれぐらいになるとたっとい。
「君は実に精勤だね」
 と僕は褒めてやった。
「お蔭でもうソロ/\一人前の銀行員になれそうだ」
「銀行の方は無論そうだろうが、此方さ、友情の精勤だ。面白い話もないのに、よくやって来る。君の方からばかり来て貰っちゃ済まない。此方からもっと行くことにしよう」
「いや/\/\」
「構わないのかい?」
「うむ。一向苦労にもならないんだから」
「今度の日曜は僕の方から行く」
「いや/\/\」
「何故?」
「思い切って、言ってしまおうかな?」
次第わけがあるのかい?」
「うむ。複雑な心理が働いている」
 同じ荒神風呂に中島屋という家がある。以前は僕のところの小作で荒物屋をしていたが、長男と次男がアメリカへ稼ぎに行って金を送るから、近頃は裕福に暮している。家も新築した。一番末の娘が僕達に一年後れて女学校を卒業した。ナカ/\綺麗な子で、成績が素晴らしく好いという評判だった。早川君は通学の当時この娘さんの姿を見かけると、すまし返るのが常だった。或時、冗談のように、
「僕はあの娘を貰いたいんだが、何んなものだろうね?」
 と言い出した。
「君はあの人の身許みもとを知っているのかい?」
「知っている。従妹と同級生だから訊いて見た。兄さん達はアメリカへ行っているんだってね」
「うむ。君のところは豪家だ。出稼人の妹は釣り合わない」
「吐かしたな」
「何を?」
「君のところも旧家だ。荒神風呂の小池といえば、僕の方までも響いている。出稼人の妹を貰うと承知しないぞ」
「貰うものか」
 と僕は冗談に断言したが、早川君はあの頃から本気だったのかも知れない。
 その話の継続だ。早川君は中島屋の竹子さんを貰いたいから世話をしてくれと言い出した。
「実はね。手近だから君が野心を持っていないとも限らないと思って、その監督かた/″\一年も通ったんだよ」
「念が入っているね」
「野心はないと認める」
「何とも分らない」
「おい」
「ハッハヽヽ」
 僕は親父に話して、中島屋の老人の心持を訊いて貰った。中島屋では長男次男の帰って来る望みがない。彼方あっちで農園を始めて、本当の成功はこれから十年二十年の先だ。長女も次女も嫁に行って余所よそのものになっている。老人夫婦は結局三女竹子さんの世話になるのだから、嫁にやって手放すことは出来ない。妹に婿養子を貰って後を立てるようにとアメリカから言って来ている。こういう次第わけで嫁には差上げられないから悪しからずという断りだった。
 僕がその通りを伝えたら、早川君は養子一向苦しからず、何分頼むと乗り出した。迷っているから仕方がない。小糠こぬかごうということがある。して西引佐切っての早川家の息子だ。
「君、何んなものだろうね?」
「何が?」
「単に器量が好いからって、遮二無二に養子に行くことさ」
「頭も此方より好いんだ」
「此方より頭の好いところへ行ったんじゃ尻に敷かれるばかりだぜ」
「それこそもとより望むところだ」
「馬鹿だな」
「君は妨害するのか?」
 と早川君は食いつきそうな顔になった。
 がたい。僕は又親父に頼んだ。竹子さんが早川君に興味を持っていることが明白になった。早川さんの三男が養子に来てくれるなら願ったり叶ったりだという返事だったが、早川さんの一家が承知しない。両親兄貴達、皆反対だった。早川君は煩悶はんもんし始めた。銀行の仕事が手につかない。西引佐へ毎晩のように出掛けて早川君の兄貴達と折衝を重ねたのは僕だ。紆余曲折うよきょくせつは抜きにする。早川君は願いが叶って、荒神風呂の中島屋へ婿養子に来た。荒神風呂にかめつどい、鶴も巣籠すごもる峯の松。芽出度し/\だった。

郷土歴史から富源開拓


 僕は相変らず村役場の仕事を手伝いながら、郷土の歴史研究に熱中した。一つには中学校長におろされた憤慨がある。頭が好いか悪いか見て貰おうという気だった。語学数学共に不得手ふえてだけれど、歴史丈けはいつも点が好かった。早川君もこの専門に興味を持ってくれた。親父さんがナカ/\の研究家で、文献を集めている。
「君、大学へ行って好い加減な外国文学をやるよりも、僕達の勉強の方が余程意味があるよ」
「本当だ。奴等は誰がやらなくても構わないことをやっているけれど、此方は誰かやらなければならないことをやっている」
「片手間だからはかどらないけれど、上の学校へ行った連中が卒業するまでには何か一つ纒めて見せる」
「大いにやろうよ。実は僕は銀行をやめたいと思っている」
「何故?」
「時間が惜しい。一日算盤をはじいて、月に二十円貰うんじゃ詰まらない。そんな無理をしなくても、持参金で食って行ける」
「竹子さんも仕合せな人だね。こういう好いお婿さんが持参金を背負って養子に来るんだから」
「そこが犠牲さ。東西引佐和合の為めに模範を示したんだ」
「余り犠牲でもなかろうぜ。あゝいう綺麗な人と一緒になったんだから」
「考えて見ると僕も仕合せだ。此方から惚れたばかりじゃない。竹子も学校へ通っている頃から僕を憎からず思っていたと言っている」
「これはいけない。いつの間にか聞かされている」
「銀行へ行っていると意味を為さない。二十円の為めに一日顔が見られないんだから」
「やめるのかい? 本当に」
「うむ。何うせ研究するなら、本式にやりたいと思う」
 僕は役場の手当が十五円だった。早川君とは違うけれど、矢張り勤めなくても食える。楽なことは兎角真似がしたい。早川君が銀行から引くと間もなく、僕も役場をやめてしまった。郷土歴史の研究に没頭したいというのが親父への取りつくろいだった。今から考えて見ると、動機が疑わしいが、何かに引きずられるような気がして、そうしなければ落ちつかなかったのだ。僕は運命というものがあると考える。万事が安東校長の所謂いわゆる好くなる道筋だったのかも知れない。僕達は郷土歴史の研究から思いがけない方面へ転向してしまったのである。
 或晩、早川君が遊びに来て話し込んだ。もう早川君でない。中島君だ。結婚当座は足が遠くなったが、もう半年ばかりたっていた。今度は家が近いし、両方とも仕事がないから、毎日行ったり来たりだった。
「君、荒神風呂は昔の温泉じゃなかろうか?」
 と中島君が言い出した。僕達は千年前の郷土を想像して、極めて自由な説を立てるのを楽しみにしていたのである。
「君も考えたのか?」
 と僕は胸がドキンとした。
「うむ。実は僕は親父から暗示を受けたんだ。いつか荒神風呂って名が不思議だと言ったろう?」
「覚えている。亀の子で警察へ呼ばれた頃だった」
「親父がほんの思いつきのように、あすこは昔温泉いていたところかも知れないと言ったんだ。それが頭に残っていたのだろう。僕は君の屋敷から温泉が涌き出した夢を見た」
「有難いな。ハッハヽヽ」
「君と二人で抱き合って喜んだ。万歳々々と呼んだ。あなた/\と竹子に起されて気がついた」
「詰まらない」
「ハッハヽヽヽ」
たちが悪いよ。惚気のろけを言う為めに、見もしない夢を話す」
「いや、本当に見たんだ。僕は有望だと思っている」
「何が?」
「温泉さ」
 と中島君は声を潜めた。
 僕達はその晩から転向した。郷土歴史の研究から富源の開拓へ。しかし一年有半の勉強が大分役に立った。僕達の頭の中には七百年前の郷土の地図があった。引佐いなさは未だ野原だった。○○町は街道筋の村落として既に存在していた。源氏の軍が長く逗留していたという記録がある。町から一番近い山は金峯山で、昔は単に峯と呼んだ。
「荒神風呂に亀集い、鶴も巣籠る峯の松。これは、君、遊覧気分を現した歌だ」
「峯の松が枯れて、鶴が来なくなったように、温泉も涌かなくなったんだろう」
「もう一つはこの辺に塚の多いことだ。塚原という村さえある。源氏も平家も戦争で怪我をすると、○○町へ泊って、荒神風呂で湯治をしたんだ。直った奴は帰って行くが、死んだ奴が葬られて塚になる」
「自然的に考えても温泉が涌きそうなところだ。山沿い川沿いだぜ」
「鹿や猿が見つけた温泉もあるが、こゝのは亀が見つけている。こゝで冬を越すのは底に湯が通っているからだ」
「亀の子温泉と名をつけるか?」
「いや、荒神風呂の方が宜い。恐らく源氏のものがつけたんだろう。何となく勇ましい名前だ」
「当れば大きいや、これは。忽ち成金だ」
「是非やって見よう」
「待ってくれ給え。僕は支度がある」
 中島君は荒神風呂の対岸を買い占めた。荒神風呂から涌くようなら、湯の脈が対岸へ走っているに相違ない。此方側も山沿いの田を二人で買い足した。独占しようというのだった。僕達は毎晩夢を見た。僕の夢はいつも失敗で、ウン/\うなされる。
たもつや、又温泉の夢を見ているのかい?」
 と母親に起されるのが常だった。
 僕達が東京から専門家を呼び荒神風呂を掘り始めた時、村のものは笑っていた。もっとも第一本は失敗だった。荒神風呂の水の涌くところを試みたのだが、水嵩みずかさが増す丈けで、湯は出て来なかった。第二本は僕が一番有望と思っていたところだった。田の一部分に年々稲の枯れる一区画がある。地熱が強いのだと見て取って、僕はそこを第一着手にする積りだったが、技手は水の涌いているところへ見込をつけたのである。しかし二本目も失敗して、三本目の荒神様の後ろの沢が成功した。火傷をするくらい熱いのが涌く。次に対岸へ移ったら、そこは一遍で掘り当てた。
 それから一月ばかりの間、僕達は無我夢中だった。東京から事業家が温泉の権利を買いに来た。実に早い。湯の涌いた翌日だったから、技手が電報を打ったのかも知れない。大阪からも来た。その人達を引見いんけんした後、小池氏は新聞記者に次の通り語った。
「元来東西引佐は仲が悪い。今回両方に温泉が涌いたのは天が東西引佐を結合させる為めだろうと思うけれど、却って両村繁栄を競って益※(二の字点、1-2-22)醜態を演じるおそれがある。自分としてはこの上そういう傾向を助長させたくないから、金次第で他へ権利を売ること苦しからず、云々」
 何うも覚えがあるように思ったら、自分がそれに近い感想を洩らしたのだった。小池氏は僕だ。自分の名前を忘れるものもないが、新聞に出るのは初めてだった。個人消息欄にも、
「小池保氏中島清三郎氏は○○町花の家に滞在、荒神温泉経営の事務に当る」
 と紹介してあった。滞在ではない。そこへ皆につれて行かれて、帰して貰えないのだった。
 町長を初めとして○○町の有志が僕達を花の家へ訪ねて来た。県の為めに、温泉の権利を決して他へ渡さないようにという忠告だった。頭の白いのや禿げた連中が羽織袴で平伏するのには恐縮した。それから東西引佐の有志十数名がつれ立ってやって来た。見知り越しのお歴々ばかりだった。
「今までは喧嘩ばかりして済みませんが、今度温泉の涌いたのを切り換えに仲よくしますから、これ丈けのものを温泉組合へ加入させて下さい。お願い申上げます」
 僕達は何うしていか分らない。殊に困るのは芸者のようなものが始終ついていることだった。便所へ立っても追って来て、手洗いの水をかけてくれる。僕は迷惑千万だと言った。家に女房の待っている中島君は本当に迷惑したと見えて、先ず姿を消した。村へ逃げて帰ったのである。僕は親父が迎えに来た。中島君の注進で、親父も捨て置けないと思ったのだろう。
「こら/\。こゝは待合だぞ。子供の泊っているところじゃない」
 と親父が叱った。こういう若い企業家に皆がペコ/\頭を下げるのだから面白い。中島君のお父さんは、
「ほう。清三郎、矢っ張り猫には増し[#「猫には増し」はママ]だったな」
 と言って褒めたそうだ。親にはかなわない。もう一つ先生ってものは苦手だと思った。中学校長の談話が新聞に出た。
「小池と早川は在学中可もなく不可もない成績だった。何でも村同志仲の悪いことを心配していた。心掛けは決して悪くない。東京遊学の志望だったが、それほどの頭でもないと思って、僕が差止めた。その為め村にゴロ/\していて今度温泉を掘り当てたのだろう。人間は何処で何に当るか分らない。頭の悪いもの、必ずしも失望するに及ばない。旧師として望むところは、この際二人が逆上しないで、与えられた力を同胞の為めに善用することである。云々」
 僕達は幸いにして、校長の期待にそむかなかった。以来二十年、中島君と僕は温泉組合を牛耳ぎゅうじっている。湯が豊富だし、○○町が交通の要路に当っているから、荒神温泉はドン/\発展して、日本中に名が高い。僕のところが元湯だ。昔から荒神風呂の称があったのをそのまゝに使っている。矢っ張り荒神風呂の小池だ。今回組合のものが僕達の功労を認めて、川端の遊園地に銅像を立てる。僕は中島君と相談して注文をつけた。温泉宿の亭主の胸像は僭越せんえつの沙汰だから、二人の子供が亀の子を持って話しているところにして貰う。亀の冬越しから温泉を思いついたことは温泉煎餅に詳しく書いてある。さて、東西引佐の仲は何うなったかというと、もう村がない。○○町が市になって、併合されてしまった。衣食足って礼節を知る。日本中を相手にして浴客からフンダンに絞るから、近所同志は一向争わないようだ。
(昭和十一年十二月、講談倶楽部)





底本:「佐々木邦全集 補巻5 王将連盟 短篇」講談社
   1975(昭和50)年12月20日第1刷
初出:「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社
   1936(昭和11)年12月
※「註文」と「注文」、「ハッハヽヽ」と「ハッハヽヽヽ」の混在は、底本通りです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:芝裕久
2020年12月27日作成
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