わざわざおいで下さいましてお目にかかるのは始めてのように思いましたが、こうやってはなしをしているうちにだんだんおもいだしてまいりました。ふしぎなものですね。今夜はすっかりわすれていたあのときのありさまがわくようにおもいだされます。ぼうっとあのときの人びとの顔までも見えるようで――何と申しますか、わたくしも四年前に家内に先立たれ、こういうさびしいひとりぐらしをしておりますと雨のしみとおる壁までもすぎ去った日のかげのように、もうしっかり自分と結びついてしまうものでございます。それにつけても、あのときのことだけはどなたさまにもはなすまいとこころにちかい、あのようなおそろしいものを見たおのれの業苦のほろびてゆくのをいまだに祈りつづけている今日このごろでございますが、わたくしも教誨師をやめてからいつのまにか二十余年もすぎていることを考えますと今までまもりとおした秘密をおはなし申上げたところで格別身に禍のふりかかるおかたもあるまいとぞんじ何もかも申上げます。さてながいあいだ心の底にかくしてしまったはなしであります故、どこからさきにはなしてよいやら、いざとなると何もかも嘘のような感じもいたし、こんな生活が若いころの自分にあったのかということさえも疑わしくなるほどでございます。わたくしは
「お気の毒でございます」
と申しますと、あの男は窓のそとへちらりと眼をそらして、「ハ、ハ、ハ、ハ」とうつろな声で笑いだしてから、
「先ず同じ船に乗り合せてもらったと思うよりほかに仕方があるまいな――海の上で暴風にあっていっしょに海底の藻屑となったと思えば何とかあきらめのつく道もあるでしょう」
「何も彼も運命です」
と、わたくしが答えると苦しそうに顔をしかめて、
「先ずそのへんのところかな」
と申されました。二日経っていよいよ刑の執行ときまったときにも、さすがは一党の大将だけに柳亭は平常とほとんど変らぬ顔色で、その朝の七時、看守が呼び出しに行ったときにはもう眼をさまして、独房の中に端坐していたそうです。典獄がおごそかな声で、今から刑の執行をするということを申しわたしますと、二、三分眼をとじていたようですがすぐ落ちついた声で、――と言っても
「どのくらい時間の余裕がありましょうか?」
そう言って少しもとりみだした様子はなく、典獄が、時間が非常に切迫していると答えますると、
「一時間でいいんだが、君のはからいで何とか――」
「五分間も余裕がありません」
「そうか、原稿の書きかけが監房の中にあるんだが、せめてそれを整理するあいだだけでも」
「駄目です」
これきりで二人の会話は終ってしまいました(柳亭はその朝まで暗い部屋の中で一睡もしないで何か書きつづけていたそうです)。それから柳亭は倒れるように椅子に腰をおろすと、テーブルの上の盆にもりあげてある蜜柑をじっとみつめていました(その日、蜜柑と羊羹がこの人たちに饗応されることになっていたのです)。
すると彼の眼がだんだん涙ぐんできて、
「そうか」
と、言いながら、蜜柑を一つとりあげました。典獄が何か言いのこすことはないかというと、それには答えないでわたしの方を向き、
「いろいろお世話になりましたね」
と、まるでそれは長い溜息のような声でございましたが、それから心をおちつけるためにしばらく眼をとじていました。しかし、眼をあけるとすぐ手に持った蜜柑の皮をむき、白いすじを一つ一つとってから、それをそっとテーブルの上に置き、あつい番茶を、茶碗のふたをなめるようにしてすすりあげると、
「じゃあ」
と、典獄の方を向いてうながすように立ちあがりました。わたくしが読経の用意をいたしますと、
「いやもう――」
と、両手でおさえるような恰好をして典獄とならんで別室へ立って行ったのです。そのつぎが大野博方というもう五十ちかいお医者さんでこのひとも何とかいう雅号を持っておられましたが、よく覚えて居りません。このひとが入ってきたときはもう夜がすっかりあけていました。
大野は、
「寒い、寒い」
と言いながら両手で自分の身体を抱えるようにしてふらふらと入ってきたのです。丈のひょろ長いせいもありますがしかし、その素振りがいかにも飄々として何も彼も自然にまかせきっているというかんじです。岸本柳亭が一味の首領であるという態度をくずすまいとして一生懸命に努力しているらしい様子のあるのにくらべると、この男は顔にかすかな苦悶のかげも残さず、ほんとうにあきらめぬいているという恰好に見えました。常日頃は喜怒哀楽をすぐに顔にだすひとでありましたがいよいよとなると気もちがぐっと静かになって、愚痴ひとつこぼさず、テーブルの上の蜜柑をとりあげ、こまかい手つきで皮をむきながら、
「冗談から駒が出ましたな」
そう云ってにやにやと笑いました。それから典獄の方を向いて、唇の上へ手をあてて巻煙草をくわえるまねをしてから、大へん四角ばった口調で申しました。
「せめて一期の思い出に
そこで典獄が敷島をとり出してわたしますと、彼はいそいで一本ぬきだし吸口を指の先で四つにつぶしてから口にくわえ、マッチをすってスパスパとやったと思うと急にむせるような咳をしながら、
「どうもいかん、――これはいかん、眼が廻りそうだ、久しぶりでやったせいか頭までぐらぐらしてきたぞ、これでは気もちのいい往生もできますまい」
何度も咳をしたあとで彼は吸いさしの煙草を足元へなげすて、草履の裏でふみつけ大声にからからと笑いだしたのです。しかしわたくしの読経を最後まで落ちついてきいていたのはこの男だけでした。そのつぎが有名な内田愚山和尚です。禅門の僧侶だけにとぼけた風格のあるひとでしたが、この日は身体の工合がよくなかったらしく非常に面やつれがしてじっと立っているのも苦しそうに見うけました。典獄の申しわたしがすんでもしばらくぼうっとして立っているのでわたしがそばから、
「あなたは以前には僧籍に身を置いたひとですから、せめて最後の際だけでも念珠を手にかけられては、――」
とたずねますと、
「そうですね」
と言ってからしばらくのあいだ黙って考えこんでいる様子でしたが、わたくしが手にかけた念珠をわたそうとしますと、慌てて手をふりながら、
「やっぱりよしましょう」
と言われるので、「それはどういうわけで?」
と、かさねてききかえしますと、
「念珠をかけてみたところで、どうせ浮ばれるわけじゃなし――」
とささやくような低い声で言ってから淋しそうな顔を見せて、どんなに典獄がすすめても、テーブルの上の蜜柑や羊羹には手もふれず、番茶一杯啜ろうともしないでぼんやり立っていましたが、さすがに禅門で鍛えた坊さんらしい静かなかんじでございました。そのつぎが、鍛冶屋の木村良作で、それから新辺、北村、河島、秀岡、ほかのひとの名前はわすれましたが、そういう順序であったと思います。木村はその日極度に昂奮していて、典獄の顔をみると挑みかかるような態度を示したので、看守が二、三人でやっとおさえつけました。新辺はずっと以前には田舎の新聞記者をしていたことのある、文芸に趣味のある男で、そういうたしなみのあるせいでもございましょう、しきりに辞世の句を詠もうとして努力していた様子でした。その二、三日前にわたくしが独房にこの男をおとずれますと、もうすっかり覚悟しているらしく、彼はやっとつくったという辞世の句を満足そうにわたくしに見せました。「死ぬる身を弥陀にまかせて書見かな」――彼はこの句が後世に残ることを信じていたようでございます。それからいろいろと故郷に残した妻子のはなしなぞをいたし、子供のころのおもいでの楽しさをこまごまとはなしてから、すっかり心が軽くなったと言っておりましたが、しかしいよいよ当日になって典獄の部屋へよびだされると、どうしたものか一口も物を言わず、羊羹と蜜柑とを手あたり次第に腹一ぱいむしゃむしゃとたべてしまうと、急にわたくしの方を向いて、「先日の辞世の句は「死ぬる身」というのを「消ゆる身」とあらためたい」と申しました。そう言ったと思うとだしぬけに立ちあがって、
消ゆる身を弥陀にまかせて書見かな
と、自分の心をけしかけるようにふしをつけて口ずさみながら、別室の扉の前までくると、ぎくっと身体をふるわせて、いかにも恐怖におそわれたというかんじであやうくうしろへ倒れそうになるところをやっとうしろにいたわたくしの手で支えました。軽い脳貧血を起したものと思われます。この男を抱きとめた瞬間、わたくしはぞくぞくっとうそさむい妙な気もちが背すじにつたわるのをおぼえました。今になってもあの青年の怨めしげな顔が眼先にちらついてくるようでございます。それからあとはわたくしも気もちがみだれてだれがだれだかよくおぼえていません。気がついてみるともうすっかり日がくれかかって、何時昼飯を喰べたかという記憶さえもないのです。何しろ午前七時に岸本柳亭からはじまったのが、知らぬまに午後五時頃になっていたのですから、一月「坊さん! まだ夕飯を頂戴しませんよ」
と言うのです。わたくしは思わずたじたじとなりながら、しかし、やっと心を落ちつけて、
「すまなかったね、今日はお前もうすうす知っているとおり大へんいそがしかったので」
と言いかけるのをあの男はみなまで聞かないでせせら笑いながら、
「うすうすどころかよく知っていますよ、どうもお手数ばかりかけてすみませんな」
そう言ってもう一度わたくしの顔を見あげ、その視線をすぐにテーブルの上の蜜柑の山にうつしたと思うと、わざとらしく顔をしかめ、
「みんな御丁寧に皮までむいていやがる、おれも一つ頂戴するかな――」と太々しい声で言いながら、蜜柑を皮のまま四つ五つ頬ばったと思うと、「しかし、蜜柑じゃあ腹もふくれねえや、まったく腹がへっちゃあ元気よくおわかれもできませんからね、それでは阿弥陀さまにそなえてあるお菓子でもいただきましょうか」
というので、わたくしはほとんど無意識のうちにみじかい読経をすましてから、羊羹をすすめますとこの男はいかにもうまそうに羊羹二本を平げ、「これで充分です、ではあとがつかえておりますから」と言って立ちあがったのでございます。これは無智と言っていいのか、大胆不敵と言ってよいのか、わたくしは、妙な腹立たしさをかんじてまいりました。しかし、この男が別室へ立ってゆくとき、ちらりと彼の横顔が涙にぬれているのをみるとだしぬけに、自分もいっしょになって号泣したいような気もちにおそわれたのでございます。わたくしは典獄のいなくなった部屋の中でながいあいだ黙祷をつづけておりました。やっとあかりがついたばかりのときでしたがテーブルの上には蜜柑の皮が山のように乱雑につみあげられ、それが今、わたくしの眼の前をとおり去った人びとの顔を、はっきり思いおこさせるのでございます。このときほどわたくしは残忍な呪わしい記憶からのがれることのできなくなっている自分をハッキリとかんじたことはございません。もうあとひとりで今日の予定が終るのだと思うと、そのまま突っぱなされる自分がおそろしく、むしろこのまま刑の執行がいつまでもいつまでもつづくことのほうがましだと思ったほどでございます。わたくしはあの人たちがどうしてこんな運命に置かれたかということよりも何故人間にこんな運命があるのかということだけを考えました。むろんそのときの気もちをぶちまけて申しますれば、事理のよしあしを判断するひまなぞのあろう筈はございません。唯、今から考えますと、自分がよくあのとき脳貧血でもおこして倒れたり精神に変調を来してあらぬことを口走ったりしなかったものだとわれながら不思議に思われてならぬほどでございます。それどころか、わたくしは表面、教誨師としての態度においては、いささかもおのれを失うところはなかったように思います。もし典獄がわたくしを観察していたら彼もきっとわたくしを石だと思ったにちがいございません。だから、だれひとりとしてわたくしの冷静を疑うものがなかったのもあたり前のことでございましょう。外はもうすっかり日がおちておりましたが、じっとして蜜柑の皮をみつめていると無数の悲鳴が何処からともなく聞えてくるような気がいたしました。それはたぶんわたくし自身の悲鳴であったにちがいありません。ハッと気がついたときには典獄がわたくしの眼の前に立っていました。わたくしがぞくぞくっとする寒さに身ぶるいしたとき、いよいよ十一人目のあのひとが看守にみちびかれて入ってきたのでございます。最初わたくしの眼には、まるで血の気をうしなった蒼白い顔だけがぼうっとうかびあがりました。それが空間にゆれているように見えたのです。その眼と向いあったときわたくしは思わずぎょっとして立ちすくみました。こんなに異様な輝きにみちている人間の眼をわたくしは今まで一ぺんも見たことがございません。どのような大犯罪人にもいよいよという間際には救いとあきらめとがおびえている心をやすらかにする瞬間があるものでございます。希望をうしないつくした人間にはあたらしい絶望の落ちつきがあるものです。ところが、――ああわたくしは今でもそのときのあのひとの眼の色をありありと思い描くことができます。わたくしはあのひとと向い合ったとき、一つのことを理解しました。これは絶望に顫えている眼ではない。これは絶望しきれぬおそろしさに悩みぬいている眼だ。――そう思ったとき、典獄が、大へん気がせいていたせいでもございましょう、ちらっと時計をながめてから低い声で、
「金近さん!」
と、あのひとの名前を呼んでから(典獄がうっかりこういう呼び方をしたのはあのひとだけです)「おそくなってすみませんが、――それにお腹も空いていらっしゃるでしょうが何しろ時間に余裕がないので」と申しますと、あのひとは全身をがたがたと顫わせながら、ほとんどききとれぬほどの声でうめくように何ごとかをおっしゃいました。そのことばはわたくしにもよくわかりませんでしたが、「やっぱり駄目ですか?」というような意味であったと思います。そういう声のひびきさえもやっと咽喉をとおりぬけたというかんじでございました。しかし、あのひとはすぐに平静をとりもどされたように見うけました。
「致し方がありません」
と、典獄がすぐ冷やかな態度で申しますと、あのひとはわたくしの方を向いて、
「――今はじめてわかりました。あなたにはわかるでしょう、わたしがおそれていたのは死ぬことではなくて、助かることだったということを、――長いあいだわたしには助かるという自信があったので死ぬ工夫がつかなかったのです」という意味のことを、早口に申されました。
「わたしどもには何もわかりません、唯、おあきらめになることが何よりも肝要だと存じます」
と申上げますと、あのひとはじっと歯を喰いしばったまま首をうなだれておしまいになりました。何しろ自由党のころから錚々たる名士であり、生に処する態度も死に臨む覚悟も平素の言動のなかにありありとあらわれてこのかたの往生際だけはどんなにかりっぱであろうなぞと心ひそかに想像しておりましただけに、こんなにとりみだしておいでになる姿をみると、何か自分が途方もない不幸にぶつかったような気がいたしました。そう言えば、わたくしがあのひとを刑執行の前の日に監房へたずねますと、あのひとはもうすっかり自分の運命を観念しておいでになる御様子で、
「どうも世の中のことはわからん、考えれば考えるほど不思議なことばかりです。第一、わたしが刑の執行をうけるなぞということは妙なはなしですな」
と、落ちついた声で申されましたが、そのとき格別何とも思わなかったそのときのことばがふとわたくしの頭に針でさすようにうかんでまいったのでございます。わたくしはそのときはじめてあのひとの心の底の秘密にふれたような気もちになったのでございます。
「何かおあがりになりませんか?」
と典獄が申しますと、あのひとは、テーブルの上のあたらしい蜜柑には手をふれようともせずに、だれかが喰べのこした蜜柑のふくろをとってしばらく啜っておられましたが、それを長いあいだ口の中で噛みしめておられたようでございます。
「それでは」
と、典獄が最後の決意をうながすようにせきたてますと、あのひとはよろよろと立ちあがりましたが、わたくしがそばから、
「おまちなさい、今、お経をよみますから」
と申しますと、
「いや、それには及びますまい」
と、ささやくように申されただけで、そのまま、もとの椅子にぐったりとよりかかって何か小声で呟いておられる様子でございました。それが、一瞬間でも長くそこにいたいというかんじで、わたくしは思わず顔を
それで、
「何か思い残しておいでになることはありませんか?」
と、かさねて申しますと、あのひとははじめて淋しそうな微笑をうかべて、何か言おうとされましたがそれもそれきりでじっと押しだまっておられました。というよりもありていに申しますと舌が硬ばって声さえも咽喉をとおらないという様子に見られました。今になるとそのときのあのひとの気もちが手にとるようにわかるようでございます。それから二、三分間、おなじ姿勢のままで茫然としておられたように思いますが、いきなり大声で笑いだされたのでわたくしは思わずびっくりいたしましたが、――まったくだしぬけなので気が狂ったのではないかと思ったほどでございます。しかし、あのひとはさすがにあきらめがついたというかんじで、
「一場の悪夢です」
と、低い声で申されました。それから、もう一度からからと笑って、
「まるでワナ(陥穽)に落ちた狸さ」
と申されました。「わたしは岸本の同志でもなければスパイでもありませんよ、唯、ワナです、だれをうらむということもない、とりみだしたわたしの姿を憐んで下さい、わたしは二十の年から何に対しても命だけは捨ててかかっているつもりです。そのわたしが死にきれないでいるという気もちを憐んで下さい」
わたくしは思わず合掌しました。一瞬間ではございますがわたくしの心は水をうったようにしずかになり、急にあのひとの眼がいきいきと冴えかえってくるように思われました。何か明るいかんじが胸の底までしみとおるようで急にあのひとと自分とが位置をとりちがえたような気がいたしたのでございます。それからさきはもうわけもなくかなしくわたくしは合掌したままで祈りつづけておりました。この気もちがおわかり下さいましょうか。世間では刑の執行がすむとすぐにわたくしが教誨師の職を辞してしまったことについていろいろな取沙汰をいたしておったということでございますが――さようでございますね、わたくしが痛憤のあまり職を去ったというようなことまでさかんに書きたてた新聞もあったようでございますが、唯ひと口に申せばこのときの会体の知れない物がなしさがわたくしの心に決断をうながしたというだけのことでございます。もしあのひとが最後の数分間で生死の悟りをひらかれないでしまったとしたらだれよりも救われないのはわたくしにちがいございません。そう思うだけでも身の毛がよだつようでございます。大へん寒い夜でありましたが、わたくしは一睡もとらずにひと晩じゅう読経にあかしました。唯、監房で知り合ったというだけの間柄ではございますがはなす機会の多かったせいでもありましょう、あのひとだけは別のひとだという気がいたしません。悩みのふかいひとであっただけにしぜんあのひとの気もちの中に深入したものと思われます。それにくらべますれば岸本柳亭はどんなに幸福であったかとも言えましょう。柳亭と愛情関係のあったと言われる柴しげ子だけが刑の執行をつぎの日にまわされることになったのでございます。何にいたせあのひとたちがいずれも一命をすてる覚悟であったことだけはたしかでございましょう。その気もちがながいあいだにたたみこまれて、ひとりでにいざというときの落ちつきができあがるもので人間というものは結局見透しさえつけば覚悟もできるものと思われます。金近陽介さんがあんなにみぐるしく狼狽なすったということも助かるぞ、助かるぞという希望があのひとの心をぐらつかせたにちがいないのです。世間ではあのひとのことはおかみの間者だということにされているそうでございますね。今にして思うとあのひとの悩みがそのことの予想のために、いっそうふかくなったと思われます。あのひとが最後に申された「ワナ」ということばもそのことのほかにはございますまい。わたくしの見たとおりのことをつつみかくさず申上げますればあのひとは、最初のうちは助かるという感情に落ちついていられたように思います。それにつけても人間の魂というものは何という統制のない見透しのつかないものでございましょう。ほかのひとたちが死ぬことにおびえながら煩悶懊悩に日をおくっておいでになるときにも、あのひとだけはかすかな不安のかげさえも心にのこしてはおられなかったように思いました。わたくしは何時も独房の中で大言壮語して力みかえっておられるあのひとを見るごとにさすがは若いときからかさねがさねの獄中生活でおのれを鍛えて来られたひとだけにこのようにりっぱな覚悟をおもちになっているのだと考えておりましたが、それも統制のとれぬ魂をもちあつかいかねてそういう素振りだけで自分をごまかしつづけていられたものと思います。そこにあのひとの迷いがあったのでございましょう。あのひとがほんとうに間者であったといたしましたら、死に際に臨んであんなに迷いのふかい気もちに