道化者

DER BAJAZZO

トオマス・マン Thomas Mann

実吉捷郎訳




 いっさいの結末として、かつ立派な大詰として、いや、あのことの全体として、今残っているものは、生活――おれの生活――が「そのいっさい」、「その全体」がおれの心に注ぎ込む、あの嫌厭けんえんばかりである。おれを絞めつけおれを駆り立て、おれをゆすぶってはまた投げ倒す、あの嫌厭である。おれにこのばかげたくだらない用向きを、残らずさっさと片づけて、逃げ出してしまうだけの動力を、おそらく早晩与えてくれる、あの嫌厭である。とはいえもちろん、おれはまだ今月か来月ぐらいは、こうやってゆくかもしれないし、あと四半年か半年ぐらいは、食ったり眠ったり、いろいろ用を足したりしつづけるかもしれない――この冬中おれの外面生活が過ぎたのと同様、機械的な、よく整ったおちついた調子で、かつおれの内部の荒涼たる分解作用と凄まじく相闘っているあの調子で。人間の内的体験というものは、その人間が、外的に束縛のない超世間な平穏な生きかたをしていればいるほど、ますます力強くますます心を疲らすようになりはしまいか。だが、どうにもならない。生きてゆくよりほかに仕方がないのである。活動の人となることを避けて、どんなに閑寂な荒野へ引っ込んだところで、人生の転変は内面的におそってくるだろうから、たとえ英雄であろうとばか者であろうと、ともかくその転変のうちに、自己の性格の真価を発揮せねばならぬであろう。
 おれはこの小綺麗な帳面を用意して、その中におれの「身の上話」を物語るつもりでいる。いったいなぜだろう。おそらくともかくもなにかしら仕事をするためかしら。あるいは心理的なことを喜ぶ心持からと、その心理的なこと全体の必然性を味わい楽しもうという気持からかもしれない。必然性というものは実に慰めになるものだから。またもしかすると、ちょっとのあいだ、自分自身に対する一種の優越感と無関心、といったようなものを享楽するためでもあろうか。なぜといって無関心――それは一種の幸福だということをおれは知っている。

 あれは、ずうっと裏手のほうにある。あの小さな古い町は。狭い、曲り角の多い、破風屋根のつづいた街路と、ゴシック風の教会や噴水と、働き好きな物堅い素朴な人々と、それからおれの育った、大きな古色蒼然たる邸宅とを持ったあの町は。
 その家は町の中央にあって、裕福で徳望のある紳商の家族が、四代もそこに住みつづけていた。「祈れよ、働けよ」というラテン語の文句が、表口の上に書いてある。上のほうに、白塗りの木造の廻廊がぐるりと取りつけられた、広い石だたみの玄関から入って、幅のひろい階段を昇りつくしても、なおその上り口のひろい床と、小さな暗い柱廊とを通り抜けなければ、高い白い扉の一つを潜って、居間に達することはできなかった。そこではおれの母親が、グランド・ピアノの前に坐ってなにか弾いていたものである。
 母親は薄明の中に坐っていた。窓々には、重たい濃紅色のとばりがかかっていたからである。そして壁布にある白い神々の姿は、浮彫のように青い背景から盛り上って、ショパンのあるノクチュルヌの、あの重たい低い出はじめの音に、耳を澄ませているかのようだった。それは母親のなによりも好きな曲で、あたかも一々の諧音の憂鬱をあくまで味わいつくそうとでもするように、いつもごくゆるやかに弾くのであった。ピアノは古くて、もう音量が足りなくなってはいたが、高いほうの音を、いぶし銀を思わせるほど柔かにする、弱音ペダルを使えば、ずいぶんふしぎな効果をあげることができたのである。
 おれは厖大な、堅い背のついた、緞子張りの長椅子に腰かけて、母親を眺めていた。母親は小柄でやせぎすで、たいていは柔かい薄緑の布地の服を着ていた。細い顔は美しくはなかったが、分けられて軽くうねっている、かすかな明色の髪の下では、おとなしい繊細な、夢見るような子供の顔とも見えた。首を少しかしげて、ピアノの前に坐っている時には、よく古い画に、聖母の足もとでギタアを持ち扱っている、あの小さないじらしい天使に似ていた。
 おれの小さいうち、母親は持前の低い控え目な声で、他には誰も知らぬようなお伽噺を、よく聞かせてくれた。あるいは膝にのっているおれの頭の上に、ただ両手を置いたままで、黙ってじっと坐っていることもあった。そういうのがどうやら、おれの生涯での、一番幸福な一番平和な時だったように思われる。――母親の髪は白くならなかった。おれは母親が年をとらないような気がした。ただからだつきがますますかぼそく、顔がますます細くおとなしく夢みるようになってゆくだけだった。
 ところが父親のほうは、上等の黒羅紗の上着と白い胴衣チョッキとを着た、丈の高い肩幅の広い男で、その胴衣には、金縁の鼻眼鏡がつるさがっていた。短かい半白の頬髯の間に、上唇と同じくきれいに剃った顎が、まるく大きく突き出ていて、眉と眉との間には、いつも深い縦皺が二本寄っていた。父親はおおやけのことに大きな権威を振った勢力家だった。おれは人々が息をはずませ眼を輝かせながら、あるいはまたうちひしがれて絶望しきって、父親のところを出て行くのを見たことがある。というのはおれも、また時には母親や二人の姉たちも、こういう場面に居合わせることがあったからである。そんなことがあったのは、おそらく父親が彼ほど出世したいという名誉心を、おれに吹き込もうとしたためであろう。あるいはまた、彼が見物人を必要としたためかもしれぬとおれは疑っている。父親が椅子にもたれて、片手を上着の折返しのところに突っ込んだなり、恵まれたあるいは砕かれた人間を見送る様子には、一種の癖があった。それがおれの子供心にも、すでにそういう嫌疑をいだかせたのである。
 おれは片隅に坐ったまま、あたかも父親と母親とのうちどっちかを選ぶかのように、また人生は夢見心地の物思いのうちに過ごしたものか、それとも事業と権勢のうちに過ごしたものか、どっちがよかろうと思いはかるかのように、両親をじっと眺めていた。そしておれの眼は、結局母親の静かな顔の上にとどまるのであった。

 だがおれは表面の性質上、母親に似ていたわけではない。おれのやっていたことはたいがい、決して静かなおとなしいものではなかったのである。その中の一つをおれは考える。同年配の友だちとの交際や、そういう連中のやるいろんな遊びなんぞよりも、おれはそれのほうがよっぽど好きだったし、ほぼ三十歳に達した今もなお、それを心から喜び楽しんでいる。
 おれのいうのは、一つの大きな、立派な設備を持った人形舞台のことである。おれはそれを持って、たった独り自分の室にとじこもっては、世にも奇妙な楽劇を、その上で演出したものだった。おれの室は三階にあって、ワルレンシュタイン髯を生やした、先祖の黒ずんだ肖像画が二枚かけてあったが、その室を暗くして、ランプを一つ舞台のそばに置く。なぜならこの人工的照明は、気分を高めるのに有用だと思われたのである。おれは指揮者だから、舞台のすぐ前に陣取って、左手を大きなまるいボオル箱の上にのせる。眼に見えるオオケストラの楽器は、これ一つしかないのである。
 そこで今度は、共演する技芸者たちが入ってくる。これはおれ自身がインキとペンで描いて切り抜いて、木片をくっつけて立てるようにしたもので、外套を着てシルクハットをかぶった紳士たちと、艶麗な淑女たちとである。
「今晩は。」とおれはいう。「みなさん。どなたもお元気でしょうね。私はもう出てきました。まだちょっと指図することが残っていたものですからね。でも、もうそろそろ楽屋に入る時間でしょう。」
 みんなは、舞台のうしろにある楽屋へ入ってゆく。と、間もなくすっかり姿を変えて、色鮮かな劇中の人物になって帰って来る。そしておれが垂れ幕に開けておいた穴から、みんなは小屋の入りの具合をのぞいて見る。入りは実際悪くない。そこでおれは開幕の知らせに鈴を鳴らした上、指揮棒を振り上げて、この合図の呼び起した深い静寂を、ちょっとのあいだ味わっている。が、たちまち指揮棒の新しい動きに応じて、序曲のはじめを成している、気味悪く低い大太鼓のとどろきがひびき渡る。それはおれが左手で例のボオル箱を叩いて出すのである。――ラッパとクラリネットと横笛が鳴り出す。それらの音色は、口を使って無類にうまくまねるのである。かくて音楽が奏しつづけられる。と、とうとうある力強いクレッシェンドオで幕が上って、暗い森かまたは壮麗な広間で、芝居がはじまる。
 その芝居は、前もって大体頭の中で仕組まれてはいるが、こまかいところは、即興でつくってゆくよりほかはなかった。だからクラリネットの顫音とボオル箱のとどろきとを伴奏として、情熱的な甘い歌となってひびくものは、ふしぎな、調子の高い詩文で、雄大な奔放な文句にみち、時には韻も合せてあったが、それでも筋道の通った内容は、めったに表わさなかった。しかし歌劇はどんどん進んでゆく。その間おれは、たえず左手で太鼓を叩いて、口で歌と楽器とを奏して、右手では演技者ばかりか、その他なにからなにまで、きわめて周到に指揮してゆくのである。だから幕の終りごとに、感激した喝采の声がひびき渡って、何度も何度も垂れ幕が開かれねばならなかったし、時には指揮者がその席でうしろを振り返って、昂然とした、かつ嬉しそうな態度で、部屋の中へ向って挨拶をする必要さえあるくらいだった。
 実際、こういう大車輪の演出がすんで、のぼせ上りながら舞台をしまい込むような時、おれの心はいつも、全力を賭した作品を、みごとに演じ終せた芸術家の感ずるに違いない、あの幸福なけだるさで、いっぱいになるのだった。――この遊びは、十三か十四ぐらいの年まで、ずっとおれの一番好きな仕事になっていた。
 下の部屋部屋では、父親が業務を統べていると、上のほうでは、母親が安楽椅子にもたれて夢想に耽るか、そっと物思わしげにピアノを弾くかしているし、またおれより二つ年上の姉と三つ年上のとが、台所や肌着類の戸棚の前でごとごとやっている――この大きな家の中で、おれの幼年少年時代はいったいどんな風に過ごされたか。おれの覚えているのは、ほんのわずかにすぎない。
 確かなのは、おれがおそろしい腕白小僧だったことで、おれは家柄のよいのと、教師のまねを模範的にやるのと、種々様々な役者の身振りをするのと、それから一種大人びた言葉を使うのとで、同級生仲間に、尊敬と人望とを博することを心得ていた。だが、授業の時には、ひどい目に会った。なぜというに、教師の動作から滑稽味を探し出すほうにあまり忙がしくて、そのほかのことには、気をとめるひまなんぞなかったのである。それに家ではまた、オペラの材料になる韻文や、雑多なでたらめで、あんまり頭をいっぱいにしていたので、本気になって勉強なんぞできなかったのである。
「しようがないな。」と父親はいって、眉の間にある皺をなお深く寄せる。昼飯の後、おれは成績表を居間へ持って行って、父親が片手を上着の折返しに宛てたまま、その紙に眼を通してしまうと、きっとそうなのだった。――「ほんとにお前は、お父さんをめったに喜ばせてくれないね。どんな者になるつもりか。それをひとつ聞かせてくれる気があったらと思うよ。きっと一生涯、人並のところまで頭を出すことはあるまいな。」
 そういわれるのは悲しかった。といってそれは、おれがその午後に書いておいた詩を、夕食後両親や姉たちに読んで聞かせるのを、妨げはしなかった。父親はそんな時、鼻眼鏡が白い胴衣の上で跳ね廻るほど笑った。――「なんというばかげた茶番だ。」と、彼は何度となく叫んだ。が、母親はおれを引き寄せて、おれの額にかかる髪の毛をなで上げながら、いうのである。「ちっとも下手じゃないよ、お前。ところどころずいぶんいい文句があると思うよ。」
 それからあと、もう少し年を重ねてから、おれは独力で、ピアノの奏法といったようなものを覚え込んだ。黒い鍵盤が特に好きでたまらなかったので、まず嬰ヘ長調の諧音を出すことからはじめて、それから他の音調に移ってみようとしたが、長い時間をピアノの前で過ごした結果、拍子も旋律もなく、協和音から協和音へ転じてゆくのに、だんだんとある程度まで上達していった。そしておれはいつもこの神秘な音の波に、それこそできるだけたっぷりと表情を加えるのだった。
 母親はいった。「この子の弾きかたには好い趣味が見えていますわ。」そしておれに稽古をさせるようにしてくれた。それは半年間つづいただけだった。おれは正式の指の使いかたや拍子なんぞを覚え込むには、まったく適していなかったのである。
 さて歳月は流れていって、おれは学校のことでいろいろ苦労はありながらも、きわめて愉快に成長していった。快活に人気者として、知人親戚の仲間うちに活動していた。しかもほんとは、この無味乾燥な空想もなんにもない人たちを、ある本能からことごとく軽蔑しはじめていたのだが、おれは物馴れた様子で、お世辞屋ぶるのが嬉しさに、お世辞をよくしていたのである。

 十八ぐらいになって、学校も上級に入りかけていた頃のある午後、おれは両親のある短かい対話をたちぎきした。両親は居間で、長椅子の傍の円卓についていたのだが、おれが隣の食堂の窓に乗ったまま、破風屋根越しに薄青い空を眺めていたのに、気がつかなかった。自分の名前を聞き分けた時、おれは半分開いている白い両開きの扉のそばへ、そっと歩み寄った。
 父親は脚を重ねたなり、自分の安楽椅子にもたれかかりながら、片手には株式新聞を持ち、片手で頬髯の間のあごを、おもむろになでていた。母親は長椅子に腰かけて、おとなしい顔を伏せたまま、刺繍をしていた。二人の間にはランプが置いてあった。
 父親がいった。「おれはあいつにもうじき学校を退かせて、どこか手びろくやっている店へ、見習いにやろうという意見なのだ。」
「あら。」と、母親はひどく悲しそうにいって眼をあげた。「あんなに才のある子を。」
 父親は、上着についた糸屑を丹念に吹き払いながら、ちょっと黙っていた。やがて肩をもたげて、両腕をひろげると同時に、両の掌を母親のほうへ突き出しながら、こういった。
「ねえお前、もしお前が、商人の仕事には、なんにも才能なんぞいらないだろうと思っているなら、そういう考えかたは間違っているよ。それにまた、あいつが学校じゃ決してものにならないということも、弱ったことには、ますますはっきりわかってくるじゃないか。お前のいうあいつの才なんぞは、まあ道化役者のほうだね。とはいっても、こりゃすぐにつけ加えておくが、そういった才を、おれは決して安く踏んでいるのじゃない。あいつは愛想よくしたいと思えば、愛想よくなれる。みんなと交際したり、みんなを面白がらせたり、みんなにお世辞を使ったりすることをわきまえている。みんなに気に入られて、喝采を博したくてたまらないんだ。こういうような素質でもって成功した者は、今までにずいぶんあるんだからね、あいつもこれがあるので、ほかにいろいろずぼらなところはあっても、まあ、かなり立派な商売人に比較的向いているわけさ。」
 ここまで来ると、父親は満足そうにうしろへもたれて、煙草入れから巻煙草を一本抜き取って、ゆっくり火をつけた。
「そりゃもう、あなたのおっしゃる通りですわ。」と母親はいって、愁わしげに室中を見廻した。
「ただ私ね、あの子がゆくゆくは芸術家になるかもしれないと、たびたびそう思ったり、まあ、そう望んだりしたこともありましたの。――そりゃむろん、あの子の音楽のほうの才は、ちゃんと仕込まれずにしまったのですから、決して重く見てはいけないのかも知れませんけど、でもあなたお気がつかないこと、あの子は近頃、あの小さな美術展覧会を見に行ってから、少しばかり描いているのですよ。それがなかなか下手ではないように思えますの。」
 父親はぷうっと煙を吐き出して、椅子の上で坐り直すと、きっぱりいった。
「そんなことはみんなお茶番さ。でたらめさ。しかしもちろん、あいつの望みは聞いてやっていいんだよ。それが筋だからね。」
 ところでおれは、いったいどんな望みを持っていたわけだろうか。外的生活が変るという見込みは、大いに愉快な効果をおれの心に及ぼした。おれは商人になるために、学校をやめることを、大まじめで承諾したのである。そして下町の河縁かわべりにある、シュリイフォオクト氏の大きな材木店に、見習いとして入った。

 この変化はまったく外面的なものだった。それはいうまでもない。シュリイフォオクト氏の大きな材木店に対するおれの興味は、実に貧弱をきわめていた。だからおれは狭い暗い事務室で、ガスの灯のもとに、自分の廻転椅子に腰かけていても、以前教室の腰掛に坐っていた時と同様、縁のないぼんやりした心持であった。ただ、今度は苦労が前よりも少くなった。そこに差別があったのである。
 シュリイフォオクト氏というのは、あから顔に半白の硬い水夫髯を貯えた肥大漢だったが、大抵は事務室や倉庫からかなり離れた、木挽場のほうに行っていたので、おれのことはあまりかまわなかったし、店員たちもうやうやしい態度でおれを扱った。おれが友だち附き合いをしていたのは、その中のたった一人で、家柄のよい才能のある、愉快そうな若い男だった。すでに小学校時代からの知合いで、ついでながら名をシルリングといった。おれと同じく世間の人たちをことごとく茶化していたが、それでもそのかたわら、材木業に対しては熱心な興味を示していて、どうにかして金持になろうという、確乎たる決意を口にしない日は、一日もなかった。
 おれはいつもたいがいのっぴきならぬ用事を、機械的に片づけてしまって、その他は物置場で、板の山と人夫たちとの間をぶらぶら歩いたり、木椅子の高窓から、時々貨物列車が轟々と岸を通りすぎる河のけしきを眺めたりしてすごした。そんな時はいつも芝居の演出のことか、聴きに行った音楽会のことか、または読んだ書物のことを考えているのだった。
 おれは多読だった。手に入るものはなんでもかんでも読んだ。しかもおれの感受性は大きかった。おれは作中のどんな人物をも感情で理解して、その中におれ自身を認めるように思うので、他の書物の感化を受けてしまうまでは、ある書物の型に従って、考えたり感じたりしていた。以前人形舞台を組立てたおれの部屋に、今度は書物を膝にして坐ったまま、例の二枚の先祖の肖像画を見上げては、今読み耽っていた言葉の音調を追い味わうのだった。同時に心の中には、半端な思想や様々な幻像が、空しく渾沌としていっぱいになっていた。――
 姉たちはすでに相次いで嫁に行ってしまった。おれは店に用のないおりには、よく下の居間へ降りて行った。そこにはいくらかわずらいがちで、いよいよ子供らしい、いよいよ静かな顔になってきた母が、たいがいひとりぼっちで坐っていた。おれにショパンを弾いて聞かせてくれたり、おれが新しく思いついた協和音の組合せを聞かせてやったりしてから、母親はよく、おれが自分の職業に満足しているか、仕合せでいるかといって尋ねた。――仕合せだということは疑いもなかった。
 おれは二十の上をまだそんなに越してはいなかったし、おれの境涯はまったく一時的のものにすぎなかった。だから、シュリイフォオクト氏のところなり、またはもっと手びろな材木店なりで、一生を送るようには、決して強いられていない、いつかそのうちには自由な身になって、この破風屋根の多い町を出て、世界のどこかで好き勝手に生きられる――上手な気の利いた小説を読んだり、芝居に行ったり、少しは音楽もやったりして暮すことができる――という考えを、おれは始終持っていた。仕合せかどうか? だっておれはうまい物ばかり食べているし、ごく上等ななりをして歩いているではないか。それに学校時代になぞ、粗末な身なりをした貧しい朋友たちが、習慣的に腰をかがめて、一種の卑屈なおそれを抱きながら、おれやおれの同類を、唯々諾々と主人株、指導者として承認するのを見ていたから、おれは自分が、好意的な軽蔑をもって、貧しい者、不幸な者、そねむ者たちを見下す権力のはじめから備わっている、あの上層の富裕な恵まれた階級に属する一人だということを、すでにはやくから喜ばしくも自覚していたではないか。これでどうして仕合せでないといえよう。すべてはこの通りに進んで行くがいい。まあこうやって、縁のない優越した快活な気持で、親類知人の間に動いているのも、当分は面白味がある。彼等の狭量をあざけりながら、いっぽうでは気に入られたい気持から、彼等を調子のいい愛想でもてなして、彼等すべてがおれの性行に対して示す漠とした尊敬――みんなは不確かながら、おれの性行に、なにか反抗的な奇矯なところがあるらしく思っていたのである――その尊敬の中に、いい気になって日向ぼっこをしているというのも。

 父親の様子に、ある変化が起りはじめた。四時に食卓へ来る時に見ると、眉間みけんの皺が日一日と深くなるように思われたし、また威張った素振りで、片手を上着の折返しへ差し入れることも、もうしなくなって、一体に沈んだいらいらした内気な風を見せていた。ある日おれに向ってこういった。
「お前ももう大人になったから、おれのからだを痛めているいろんな苦労を、おれと一緒に背負ってくれるわけだな。それにその苦労をお前に知らせておく義務が、おれにはあるのだ。お前がこれからの暮しについて、決して間違った期待に耽ったりしないためにだね。姉さんたちの結婚のために、ずいぶんな犠牲が払われたことは、お前も知っているだろうが、また近頃になって、商会は財産をひどくへらしてしまうくらいの損をしたのだ。おれはもう取る年で、元気もなくなったから、この状態が根本的に変えられようとは思わない。だからお願いだ。今にお前は、自分だけに頼るよりほかはなくなるんだということを、覚えていてくれよ。」
 父親がこういったのは、死ぬ二カ月ばかり前のことだった。ある日父親は、自分の専用事務室の安楽椅子に、黄ばんだ顔をして、手足が利かなくなって、なにかむにゃむにゃいっているところを見出されたのである。そして一週間後には、全町挙って彼の葬儀に列した。
 母親はなよやかに音もなく、居間の円卓のそばの長椅子に腰かけて、眼はたいてい閉じていた。姉たちやおれがいろいろいたわると、うなずいて微笑することもあるが、すぐまたもとのように黙って、両手を膝に重ねたなり、大きな見馴れない悲しそうな眼で、壁布にある神々の姿の一つを、身動きもせずに眺めつづける。フロックコオトの男たちが来て、清算の経過を報告するような時にも、やっぱりうなずくだけで、また眼を閉じてしまうのであった。
 もうショパンも弾かなかった。そして時々髪をなでるたびに、青白いなよなよした、ものうげな手がふるえた。父親の死後、半年経つか経たないうちに床に就いたが、なにひとつ嘆きの声も立てず、生きようとしてもがきもせずに死んでしまった。――
 さてもう万事は終った。いったい何がおれをここに引きとめるのか。取引は好かれ悪しかれ片づいてしまって、その結果、約十万マルクの遺産がおれの手に入った。それだけあれば、充分独立することができる。ことにおれはなにか些細な理由で、兵役免除になっていたから、なおさらあらゆる覊絆きはんを脱したわけであった。
 もはやなにひとつ、おれを町の人々に結びつけるものはなくなった。おれは彼等の間で育ってきたのだが、彼等の眼は、ますますいぶかしげに、ますます呆れたように、おれを見つめるようになるし、また彼等の人生観はあまりに偏頗で、おれはそれに順応する気になれなかったのである。なるほど彼等はおれを正しく識っていた――つまり、断然無益な人間として識っていたかもしれぬが、おれだってやっぱりおれを識っていた。ただしその識りかたが、充分懐疑的でかつ宿命論的だったから、――父親の言葉を借りれば――おれの「道化役者の才」を、愉快な方面から解釈することができたし、また生活をおれ一流のやりかたで享楽したいと、陽気に望んでいたから、おれの自己満足は欠けるところがなかったのである。
 おれは小さな資産をまとめると、ほとんど暇乞いもしないで、まず旅に出るために町を去った。

 それにつづく三年間、おれがむさぼるような感受性で、無数の新しいめまぐるしい豊富な印象に、身を委ねた三年間、それはなんだか、美しい遙かな夢のように思い出される。シムプロン山上の、雪と氷に閉された僧院で新年を祝ったこと、ベロオナでエルベの広場を逍遙したこと、サン・スピリトオの村から行って、はじめて聖ペエテルの柱廊に歩み入って、おずおずした眼で、宏大な広場を茫然と眺め尽したこと、ヴィットリオ・エマヌエレの街道から、白く輝くナポリを見おろしたり、海上遠くカプリ島の優雅な影絵が、青い靄にぼっとかすんでいるのを見たりしたこと――それはどのくらい昔のことであろう。……本当はその時から、六年ぐらいしか経っていないのである。
 もちろんおれはできるだけ気をつけて、分相応に――簡素な貸間や安下宿で暮していた。しかしたびたび場所が変ったのと、はじめのうちは、今までの豪族風な習慣を脱するのが苦しかったのとで、かなり大きな支出は、やはりどうも免れられなかった。この遍歴時代の費用に、おれは資産のうち、一万五千マルクを宛てていたのだが、この額はもちろん超過してしまった。
 それはともかく、おれは途中ほうぼうで接触する人たちの間では、気持よく感じていた。つまらない人もあり、時には非常に面白い人もあったが、そういう人たちにとって、おれはもちろん昔の周囲にとってのごとく、尊敬の対象ではなかったにしても、彼等から呆れたような視線や、疑問の言葉を、受け取るおそれはなかったのである。
 例の社交的才能といったようなもののおかげで、おれはほうぼうの下宿で、他の旅客仲間から、時々大いに持てはやされた――と書いてくると、パレルモのパンジオン・ミネリでの一場面が思い出される。様々な年齢のフランス人の一座に囲まれながら、おれはピアノで悲劇的な表情や、朗読風の歌や、とどろくような協和音をふんだんに使って、「リヒヤルト・ワグナア作」のある楽劇を、出任でまかせに即興的に弾きはじめた。そしてすさまじい喝采裡に演じ終ったと思う間もなく、一人の老紳士が、つかつかとおれのそばへやって来た。頭にはもうほとんど毛がなく、白い乏しい頬髯が、灰色の旅行服の短かい上着にひらひら垂れさがっている。老人はおれの両手をつかんで、眼に涙をうかべながらこういった。
「よう、これは驚きましたな。まったく驚きましたよ、あなた。わしは三十年このかた、こんな面白い思いをしたことは、誓ってないのじゃ。いや、無躾ぶしつけだが心からお礼をいわせて下さい。かまわんでしょうな。だが、あなたはどうしても役者か音楽家にならんけりゃいかん。」
 こんな場合確かにおれは、えらい画家かなにかが友だちの集りで調子をおろして、下らないけれど気の利いた漫画を、テエブルの面に描きでもする時のような、天才めいた誇りに近いものを、感じたことは感じた。しかし夕食がすむと、おれはひとりまた客間に引返して来て、ピアノから崇高な諧音を誘い出しては、パレルモの眺めが心に呼び起した気分を、その中へこめたつもりで、淋しい憂鬱なひとときを過ごすのであった。
 おれはシシリイから行って、ほんのちょっとアフリカに触れた後、スペインに行ったが、おれがはじめてドイツに帰りたいという願望――とおまけにその必要を感じたのは、そのスペインのマドリッドに近い田舎の、ある薄暗い雨の降る冬の午後だった。なぜといって、静かな規律正しい永住的な生活にあこがれはじめたことは別としても、ドイツに着くまでには、どんなに倹約したところで、二万マルクは使ってしまうだろうと、わけなく胸算用することができたからである。
 おれはあまり長くはためらわずに、フランスを経て、そろそろ帰路についた。途中あちこちの町に、ややしばらくずつ逗留して、半年近くを費した。そして中部ドイツの首都の停車場に着いた、あの夏の夕のことが、憂鬱にありありと思い出される。その町をおれは旅のはじめに、すでに選び出しておいたのだが、今しもいくらか賢くなって、少しは経験や知識も貯えて、いよいよここにのんきな独り立ちで、ささやかな資力に喜んで応じながら、乱されぬ静穏な存在を打ち建て得るという、子供らしい喜びに溢れて、やって来たわけだった。
 当時おれは二十五歳であった。

 場所の選びかたは悪くなかった。それは立派な町で、まだあまりに騒がしい大都会の雑沓ざっとうもなく、あまりにたえがたい商業の営みもなく、その代りに、二三のかなり大きな古い広場と、にぎやかさをも、またある点まで上品さをも失わぬ街上生活とがあった。近郊には気持のいい場所が大分あるが、おれはいつも「レルヒェンベルク」という、細長く延びた丘の上を走っている、風雅につくられた散歩道を選んだ。丘は町の大きな一劃を擁していて、そこに昇れば、家々や寺々や、柔かくうねっている河を越して、ひろびろとした見晴らしが利くのである。丘のところどころに、ことによく晴れた夏の午後など、軍楽隊の演奏があって、立派な馬車だの散歩の人たちだのが、あちこち動いている時には、ピンチョオの丘が思い出された。――が、この散歩道のことはなお語るべきおりがあろうと思う。
 町のほぼ中央の繁華な方面に借りた、寝室と隣合せのひろい部屋を、おれがどんなに丹念な楽しみをもって整えたか、それは誰も信ずる者はあるまい。両親の持っていた家具は、大部分姉たちの手に移ってしまっていたが、それでもおれの使ったものは、おれのものになっていた――どっしりしたたちのいい品々で、それが書籍や例の先祖の肖像画二枚と一緒に、今届いたのである。が、その中には、まずなによりも、母親がおれにくれることにきめておいた、あのグランド・ピアノがあった。
 実際、すべてが並べられ揃えられた時、旅で集めた写真が、四方の壁にも、重たいマホガニイの机にも、弓なりにふくらんだ箪笥にも飾られた時、そして片づけ終った安らかな気持で、窓際の安楽椅子に坐ったまま、外の往来と自分の新居とを、交る交る眺めていた時、おれの愉悦はわずかなものではなかった。ところが、それでも――おれはその瞬間のことを忘れたことはない――それでもおれの心中には、満足と信頼以外の何物かが、ほのかに動いていた。つまり、危惧と不安とのかすかな感じ、ある脅威力に対する憤激と反抗、とでもいうべき軽い意識――今まではいつも、一時的のものにすぎなかったおれの境涯が、今度はじめて、確定的な不変なものと見なされざるを得なくなったという、ちょっと心を押えつけるような考えが動いていたのである。
 こんなような心持が、なお時たま繰り返されたことを、おれは隠しはしない。しかし外に迫ってくる夕闇か、またはものうい雨脚にでも見入りながら、厭世的な発作のいけにえになるような、そういう黄昏たそがれ時が、そもそも避けられるものであろうか。ともかくもおれの未来が全く保証せられていることは、確かだった。おれはまさに八万マルクという金額を、市の銀行に預けていて、その利息が――不景気だからやむを得ないが――三カ月で約六百マルクの割になっていた。だからおれは、その利息で人並に暮すことも、本を買入れることも、ときおりどこか芝居に行くこともできたし――少しはちょっとした気晴らしもできないことはなかったのである。
 この時以後、おれの日々は、昔からおれの目的だった理想の通りに、実際過ぎていった。十時頃に起きて朝食をとると、正午まではピアノを弾いたり、文学雑誌か書物を読んだりして、時を過ごす。それからぶらぶら往来を歩いて、いつも行きつけの小さな料理店まで行って、食事をすますと、今度は少し長い散歩をして、いろんな街を通り画廊を抜け、郊外へ出てレルヒェンベルクに登る。家へ帰って来ると、また午前と同じ仕事にとりかかる――本を読む、音楽をやる、たまには写生のようなことをして楽しむことすらあるし、また念を入れて手紙を書くこともある。夕食後、芝居か音楽会に行かない時には、カフェエに陣取って、寝る時間が来るまで、新聞を読む。その日もしピアノで、新しく美しく思われる楽旨モティイフがうまく弾けたり、なにか小説を読んでいて、または画を眺めていて、柔かな余韻のある気分が獲られたりすれば、その日はいい美しい日であり、心を幸福にする内容があったわけである。
 なお忘れずにいっておくが、おれはいろんな用をいくぶん理想主義的に片づけて、日々の生活に、できる限り豊富な「内容」を与えようと、本気になって気を配っていたのである。食事もささやかにすませ、着物もたいてい一着しか持たず、つまり、肉体的の欲求には努めて制限を加えて、その代り、いっぽうでは、オペラや音楽会の上等席に高い料金を払ったり、新しく出る文学書を買ったり、そこここの美術展覧会に行ったりすることができるようにした。――
 しかし日はずんずん経って、やがて週になり月になっていった。――退屈か。そりゃもちろん、幾時間も幾時間もに対して、内容を与え得るほどの書物が、いつも手もとにあるわけではない。それにまた、ピアノで即興を試みて、ちっとも成功しないこともある。そこで窓際に坐って、巻煙草をくゆらす。すると世間いっさいと自分自身に対する嫌悪の感が、抵抗しがたく心に忍び寄ってくる。あのおそれが――あのいやな覚えのあるおそれがまたおそってくる。と、飛び上って逃げ出して、往来へ出て、幸福な人のように、陽気に肩をそびやかせながら、精神的にも物質的にも、余裕や享楽の素質をもたぬ勤め人や労働者などを眺めるのである。

 いったい二十七の男というものが、自分の境涯がついに不変なものになったということを――たとえその不変性が、十二分に確からしいものであっても――本気になって信じられるだろうか。鳥のさえずりでも、青空のごく小さな一片でも、半端な消えかかった夜の夢でも――すべては彼の胸の中へ、不意におぼろげな望みの流れを注ぎ込んで、なにか大きな思いがけぬ幸福に対する、晴れがましい期待で、その胸をみたすことができるのである。――おれは一日から次の日へと、ぶらぶら歩いて行った――静穏に、あてもなく、なにかしら小さな希望に、たとえそれが単にある面白い雑誌の発行日にすぎないにしろ、心を傾けながら、また自分は幸福であるという力強い確信をもって、そしてときおりはいささか孤独に疲れて。
 いうまでもなく、交友の欠乏をなさけなく思う心に襲われる時も、決してめったにないわけではなかった。――なぜといって、その欠乏を説明する必要があろうか。おれにはこの町の上層階級、一流二流の連中との交渉が、全然欠けていた。派手な若い人たちの中へ、道楽者フェタアルとして乗り込むには、どうしても資力が足りなかった。――といっていっぽう、ボヘミアンの仲間はどうか。いや、おれは教育のある人間で、清潔な肌着と、いたまない服とを着ている。だから自堕落な身なりの若い人たちと一緒に、アブサントによごれた卓で、無政府主義的な会話なんぞするのを、ちっとも嬉しいとは思わない。要するに、おれが当然属すべき一定の階級というものは、なかったのである。またいろんなきっかけで、自然にできた知り合いというものも、ごくわずかで、皮相な冷たいものだった。――これはおれ自身に罪があったのだと、自分でも認めている。なぜというに、おれはそうした場合にも、なんだかあやふやな気持と、それからまた、一人ののらくら画描きにさえ、簡潔な権威ある言葉で、おれがいったいどんな人間で、なにをしているかを、説明することができないという自覚とで、引っ込み思案になってしまったからである。
 それにおれはごうも「社会」に奉仕することなく、あえて己自身の道を行くことにした時、無論「社会」とは絶縁し「社会」をあきらめてしまったのではないか。そしてもしおれが、幸福であるために「世間の人たち」を必要としていたならば、今時分はかなり立派な商売人として、公益のために富を積んで、一般の羨望と尊敬とを博することを、仕事にしてはいなかったろうかと、おれはあえて自問せずにはいられない。
 然るに――然るに、おれの哲学的孤立が、おれをあまりにはげしく悩ませるという事実、かつその孤立が、結局「幸福」についてのおれの見解や、幸福だというおれの意識やおれの確信――それがゆらぐことは、まさに疑いもなくまったく不可能である――などと、どうしても一致しないという事実は、儼として存している。ときめれば、問題はそれで片づいてしまうが、やがてまたさらに、この独坐、この隠棲、この疎隔というものが、調子にはずれている、どう考えてもはずれているように思われて、あれをおそろしいほどむっつりさせてしまうような時間が来るのであった。
「むっつり」――それは幸福者の性質の一つであろうか。おれは故郷で狭い圏の中に暮していた頃を思い出す。その中でおれは自分のすぐれて芸術的な素質を、快く意識しながら、働いていた――如才なく愛想よく、眼には快活と皮肉と、世間に対する優越的な好意とをあふれさせ、みんなの評判では少し変り者ながら、それでも人気者として。あの時分は、シュリイフォオクト氏の大きな材木店で働かざるを得なかったにかかわらず、おれは幸福だったのである。それが今は。それが今は。――
 ところが、あるきわめて面白い書物が出版せられた。新しいフランスの長篇小説である。おれは余裕があったから、それを買い求めた。そして楽々と安楽椅子にもたれながら、ゆっくり味わおうと思っている。これでまた、趣味と駄法螺だぼらと洗練された技巧とにみちた、三百ペエジが読める。ああ、おれはおれの生活を、実に意のままにととのえたものだ。おれはもしかすると幸福ではないのか――そんな疑問は、ただ単にばかげたことにすぎない。

 またこれで一日が終った。ありがたいことには、内容があったということを、否定し得ぬ一日である。夜が来た。窓のとばりは閉ざされて、机の上には燈火が燃えている。もうほとんど真夜中である。寝に行ってもいいのだが、おれは安楽椅子に半分横になったまま、じっとしている。そして両手を膝に組合せたなり、天井を見上げながら、追い払うことのできなかった、あるおぼろげな苦痛が、かすかに心をほりかえしたり、むしばんだりするのを、あきらめの気持で跡づけている。
 つい数時間前に、おれはある偉大な芸術品の効果に、身をゆだねていた。それは獰悪どうあくに天才的なディレッタンティズムの、堕落した華々しさで人の心をゆすぶり、しびれさせ、責めさいなみ、うっとりとさせ、粉砕する、あの巨大な残忍な創造の一つであった。――おれの神経はまだふるえている。空想はかきみだされている。珍しい気分が、心の中に高く低く波打っている。憧憬、宗教的熱狂、勝利、神秘的な平和などの気分である。――その上それらの気分を、たえずさらに煽り立てて、外へ駆り出したがる欲求がある。それらを表現し、告げ知らせ、人に見せ、「その中からなにかつくり出そう」という欲求である。――
 もしおれがほんとうに芸術家であるとして、音か言葉か又は彫刻で、心を表現することができたら――実をいえば、同時にそれらすべてで表現するのが最も好ましいのだが――もしそうできたら、どうであろう。――いや、実際おれは、いろんなことをする腕があるのだ。適切な例を取れば、ピアノの前に腰をおろして、静かな小部屋で、自分の様々な美しい感情を、たっぷり自分に弾いて聴かせることができる。それだけできれば、おれには当然充分なわけである。なぜといって、もしおれが幸福であるために「世間の人たち」を必要とするならば――いや、それはもうすっかりわかっている。しかしかりにおれが、成功ということにも、名声、承認、賞讃、羨望、愛慕ということにもまた、多少重きを置くとしたら、どうか。――おれは誓っていう。あのパレルモの客間の場面を思い出すだけですでに、おれはあれに似た事件が、今この瞬間、おれにとってたぐいなく愉快な励ましになるだろうと、認めずにはいられないのである。
 よく考えてみると、おれは次の詭弁的なばかげた概念差別を、自白せざるを得ない。内的幸福と外的幸福との差別である。――「外的幸福」、それはいったいどんなものか。――世にはその幸福が天才であり、その天才が幸福であるような、神の寵児とも見るべき人たちがいる。光に住む人たちである。眼には太陽の映像と反射とを宿しながら、軽く優雅に愛想よく人生を踊り渡ってゆく。すると世間は、そういう人たちを取りまいて、嘆美し称揚し嫉妬し、しかも愛慕する。ねたみでさえ、彼等を憎む力はないからである。ところが彼等は、子供のような様子をしている。皮肉で我儘でむら気で高慢で、明るい人なつっこさがあって、自分の幸福と天才とをたのんでいて、さながら、そのすべては決して変ることはないといった風である。――
 おれはどうかというに、そういう人たちの仲間入りがしたいという弱味を持っていることは、否定しない。それにかつては自分も、彼等の仲間だったような気が、当然か否かは別として、ともかくしきりにしてならぬ。全くそれは「別として」である。なぜなら、正直にいおう、およそ問題となるのは、自分が自分をどう思っているか、なんと自称しているか、なんと自称するに足る確かさを持っているか、という点だからである。
 おそらく事実は、「社会」の奉仕から身を引いて、「世間の人たち」なしに自分の生活をととのえたと同時に、おれはまさにこの「外的幸福」をあきらめたというわけになっているのだろう。しかしおれがそれで満足しているということは、もとより一瞬間といえども疑いのないこと、疑い得られぬこと、疑うを許されぬことである。――なぜなら、もう一度繰り返すが、しかも捨鉢に力をこめて繰り返すが、おれは幸福でありたいと思っているし、また幸福でなければならないのだ。「幸福」を天才、高貴、愛嬌の一種とする見方、「不幸」をなにかみにくい、日の目をおそれる、卑しむべきもの、一言でいえば憫笑すべきものとする見方は、きわめて深くおれの心に根ざしているのだから、もしおれが不幸であるとしたら、おれはもうおれ自身を尊ぶことができなくなってしまうだろうと思う。
 どうしておれは、不幸であることを自分に許すことができよう。そうなったら、おれは自分に対して、どんな役を演じねばならぬだろう。蝙蝠か梟のように、暗闇にかがんだなり、「光に住む人たち」、愛想のいい幸福者たちのほうへ、ねたましげなながしめを送らねばならぬのではなかろうか。おれは、毒を含んだ愛にほかならぬ、あの憎しみで、彼等を憎み――そして自分を軽蔑せずにはいられぬであろう。
「暗闇にかがむ。」ああ、そういうとおれは、この幾月以来、時々おれの「疎隔」や「哲学的孤立」について考えたり感じたりしたことを、思いうかべる。すると、不安がまた起ってくる。あのいやな覚えのある不安が。それから、ある脅威力に対する憤激といったような意識が。――
 もちろんその時、また次の時、さらにまた次の時という風に、ある慰藉、ある気散じ、ある麻酔が見出されたことは確かである。しかしあれはすべてまた戻ってきた。月が経ち年が過ぎてゆくうちに、何度も何度もまた戻ってくるのだった。
 なんだか奇蹟のような秋の日というものがある。夏は過ぎて、郊外では、とうに樹々の葉も黄ばみはじめ、市中では、すでに幾日も、あらゆる街角をめぐって、風がうなっていると同時に、溝の中には、汚ない小流れがほとばしっている。君はそれに観念してしまって、いわば甘んじて冬をすごす覚悟で、煖炉のそばに座を占めたとする。ところが、ある朝ふと眼をさまして見ると、輝く紺碧のこまかいすじが、窓掛の隙間越しに、室内へきらめき込んでいるのを、君は不信の眼で認める。胆をつぶして寝台から飛び出す。窓を開ける。微動する日光の波が、君を迎えて流れ込む。と同時に、あらゆる巷の雑音を通して、そうぞうしい元気のいい、鳥のさえずりが聞えてくる。しかも君は、まさに十月初頭のさわやかな軽やかな空気とともに、ほんとなら五月の風が持っている、あのたぐいなく甘い、希望にみちた芳香を吸い込むような気がする。それは春である。暦にかかわらず明らかに春である。そこで君は、手早く着物を着ると、きらきらする空のもとを、街から街へ、そして郊外へと急いでゆく。――
 こういった思いがけぬ妙な日が、今から四カ月ばかり前にあって――現在は二月の初めである――その日おれは、図抜けてきれいなあるものを見た。朝九時前に家を出て、軽い嬉しい気分――変化と不意打ちと幸福とを、あてもなく待ち望む気持で、胸を一ぱいにしながら、レルヒェンベルクに向って道を取った。右の端から丘に登ると、おれは一番ひろい遊歩道を、縁のほう、つまり、低い石の欄干に添うてたどりながら、丘の背をずっと伝わって行った。それは小半時ばかりかかるそのみちみち、ちょっと台地テラッセのような形になだれている町と、うねりながら日を受けて光っている河とを、思うさま見晴らそうためなのである。河の向うには、小山や森のある風景が、模糊として日光に煙っている。
 この丘の上には、まだほとんど人影がなかった。道の向う側のベンチもみんなからで、ところどころ樹間から日に白く輝きながら、塑像がのぞいている。その上にそれでも時々、枯葉が一つゆらゆらと舞い落ちる。歩きながら、わきの明るいパノラマに眼を向けたなり、おれの聴き入っていた静寂は、おれが丘の端に達して、道が栗の老樹の間を縫ってうねりはじめるまで、みだされぬままにつづいた。ところがそこまで来ると、うしろのほうで、馬蹄の音と疾駆して来る馬車のとどろきとが起った。その馬車におれは、下り坂の中ほどで道を譲らねばならなかった。そこでわきへのいて立ち止った。
 それは小さな、ごく軽い二輪馬車で、二頭の大きな、つやのいい、盛んに息を吹いている栗毛にひかせてある。手綱を取っているのは、十九か二十ぐらいの若い婦人で、そのそばには堂々とした上品な風采の、ロシア風に跳ねた白い口髭と、太い白い眉とのある老紳士が坐っている。黒と銀の簡素な仕着しきせを着た召使が一人、うしろの座席を飾っている。
 馬の歩度は、下り坂にかかると、並足にゆるめられた。一匹のほうがいらいらとおちつかぬように見えたからである。ながえからずっと横に離れて、首を胸に押しつけたまま、すらりとした脚を、あまりふるわせていやそうに運ぶので、少し心配になった老紳士は、前かがみになって、上等の手套をはめた左手で、若い婦人に手綱を引締める手伝いをしてやった。婦人はただ臨時に冗談半分に、制御をまかされているらしい。少くとも、なんだか子供らしいもったいぶりと同時に無経験とで、駆っているような風だった。おじてつまずき勝ちな馬を、なだめようと努めながら、短かく、まじめくさって、怒ったように首を動かすのである。
 婦人は肌が小麦色で、ほっそりしたからだつきである。髪はうなじの上のところで固くたばねられて、額とこめかみにごく軽くぱらぱらと、明褐色の筋が一本一本見わけられるほどにかかっているが、その髪の上には、丸い黒っぽい麦藁帽の、飾りとしてはちょっとリボンをあしらっただけのがのっている。なお着ているのは、短かい濃紺の胴着と、薄鼠の羅紗のあっさりした仕立の上着とであった。
 朝風を受けて鮮かに紅潮した小麦色の肌合の、卵形をした端正な顔のうちで、最も人をひきつけるのは、確かに眼であった。――一対の細い切れ長の眼であった。半分以上隠れている瞳孔は、きらめくばかり黒くて、その上には珍しいほど均等な、ペンで描いたような眉が、弓なりにかかっている。鼻は少し長加減で、唇の線は、ともかくくっきりと上品にできているが、口はもっと小さいほうがよかったかもしれない。しかしこの瞬間には、輝くように白い、ややの空いた歯並のために、ある魅力が与えられていた。少女は馬に気を配りながら、その歯で下唇をぎゅっとかみしめて、ほとんど子供らしいほどまるい顎を、心持釣り上げている。
 この顔にきわだった嘆賞すべき美しさがあるといったら、それは全くうそになろう。それが持っているのは、青春の魅力と快活なみずみずしさとである。しかもその魅力は、富裕な安逸と高貴な教育と奢侈な営養とによって、いわば滑らかに静かに上品にせられている。いま我儘な腹立たしさで、強情な馬を見つめている、あの細い鋭い眼が、次の瞬間には、ふたたび安全で自明な幸福の表情を帯びるだろうということは確かだった。――肩のところでゆるくだぶついている胴着の袖口が、ほっそりした手首を、きっちりしめつけている。おれは、この細いなにもはめない薄白い両手が、手綱を執っているさまを見た時ほど、生粋の上品さというものの、魅惑的な印象を受けたことは、今までに一度もなかった。
 馬車の通りすぎる間、おれは誰の視線をも受けずに、路傍にたたずんでいた。そして馬車がふたたび速足になって、たちまち消えてしまった時、またゆっくりと歩き出した。おれの感じていたものは、喜びと嘆賞とであった。が、同時に、なにかある奇妙な刺すような苦痛が起ってきた。あるにがい重くるしい感じである――嫉妬の念か、愛慕の念か――おれは突きつめるのがこわかった――あるいは自蔑の念であろうか。
 こう書いていると、おれの想像には、宝石商の飾窓の前に立って、ある宝玉の高貴な輝きを凝視している、みすぼらしい乞食がうかんでくる。この男はその珠玉を所有したいという、はっきりした願望をいだくには至らぬだろう。なぜといって、そんな願望を想うことがすでに、彼を彼自身に対して笑い物とするような、あわれむべき不可能だろうから。

 おれはある偶然のおかげで、この若い婦人に、それから一週間経って、早くも二度目に逢った、しかもオペラで逢ったことを、話そうと思う。出し物はグノオの『マルガレエテ』だったが、平土間の自分の座席へ行こうとして、明るく灯のともった場内へ踏み入ったと思うとすぐに、おれは彼女が向う側の舞台寄りの特等席に、例の老紳士の左側にいるのに気がついた。同時におれは、自分が滑稽にも小さな驚愕と、なにか狼狽のようなものにおそわれたうえ、どういうわけか、すぐに眼をそらせて、他の桟敷や特等席にさまよわせたことを、ついでながら確認した。序楽がはじまる頃ようやく、おれは思い切って、その紳士淑女を、前よりもやや詳しく眺めた。
 老紳士は、端厳に胸を合せたフロックコオトに、黒の蝶ネクタイで、落ち着いた品位を見せて、椅子の背にもたれて坐ったなり、茶色の手套をはめた手を、片方は軽く特等席のビロオドの欄干にのせ、片方で時々、ゆっくりと髭をなでたり、刈り込んだ半白の頭髪をなでたりしていた。それに反して少女のほうは――彼の娘に違いあるまい――腰かけた身を興ありげに勢いよく乗り出して、扇を持った両手をビロオドのしとねに置いている。おりおり明褐色のおくれ毛を、額やこめかみから少しうしろへさばこうとして、ちょっと首を動かす。
 着ているのは、白っぽい絹のごく薄いブラウスで、その帯のところに、小さな菫の花束がさしてある。そして例の細い眼は、鋭い燈光を受けて、一週間前よりもさらに黒くきらめいている。なおおれは、あの時認めた彼女の口つきが、本来彼女に特有なものだということを看取した。――絶え間なく彼女は、白い小さな、規則正しくを置いて輝いている歯並を、下唇に押しつけては、顎を心持釣り上げているのである。毫も媚態を示さぬこのあどけない顔つき、悠然とかつ楽しげに、あちこちさまよっているその視線、胸衣と同じ色の細い絹紐を巻いた、あらわでなよやかな、白い頸、何かオオケストラの中や、垂れ幕のそばや、ある特等席の中のものに、老紳士の注意を呼ぼうとして、時々彼のほうに振り向くそのこなし――すべてはいいようもなく上品な、愛すべき子供らしさの印象を呼び起した。ただしその子供らしさには、どこに一つ、少しでもいじらしいところ、「同情」を誘うようなところはなかった。それは贅沢な安楽生活によって、確実に優越にせられた、垢抜けた端正な子供らしさで、ある幸福を表わすものだった。自明なるがゆえに毫もおごったところのない、むしろどこかおとなしい趣きをもつ幸福である。
 グノオの気の利いた優しい音楽は、この光景の伴奏として、決して不釣合いなものではないと思われた。だからおれは舞台のほうには気をとめずに、その音楽だけに聴き入りながら、ある穏かな物思わしい気分にひたり切っていた。その気分の憂鬱さは、もしこの音楽がなかったら、あるいはもっとやるせないものだったかもしれない。ところが、早くも一幕目の次の休憩時間に、まあざっと二十七から三十ぐらいに見える一人の紳士が、平土間の座席から立ち上って、どこかへ見えなくなったと思うと、たちまちおれの目をつけている特等席に、器用なお辞儀とともに現われた。老紳士はすぐにその男に手を差し伸べた。若い婦人もまた、親しげにうなずきながら手を出した。男はそれをうやうやしく唇へ持って行った。それから彼は、無理にそこへ腰かけさせられた。
 おれはこの紳士の着ていたワイシャツの胸が、おれの生涯で見ることを得たもののうち、最も無類なものだったことを、告白するに躊躇しない。それは――そのシャツの胸は、すっかりむき出しになっていた。というのは、胴衣チョッキはただ細い黒い一本の筋に過ぎないし、また燕尾服の上着は、ようやく胃のずっと下のあたりに来て、一つボタンで合されていて、おまけに肩のところから、並みはずれて大きな弓形にられているからである。しかも鋭く角の折れた高い立襟に、黒の蝶ネクタイで止めてあり、またほどよくを置いて、大形の四角な、やはり黒いボタンが二つついているこのシャツの胸は、まばゆいばかりに真白で、かつ驚くべくこちこちに糊がついていながら、それがためにしなやかさを欠くようなことはなかった。なぜなら胃のあたりで気持よく凹んでいると思うと、今度はまた、恰好のいい光った山になって盛り上っているのである。
 このシャツが、注意の大部分を独り占めにしたことは、いうまでもない。が、頭のほうはというと、完全にまんまるで、脳天はごく短かく刈った、薄い明色の髪で蔽われていて、縁も紐もない鼻眼鏡と、あまり太くない明色の軽く縮れた口髭と、片頬からこめかみへかけての、おびただしいこまかい決闘の創痕とが、顔を飾っている。なおこの紳士は申し分のない体格で、その動作は従容としたものだった。
 おれはこの晩のうちに――彼はその特等席に居据ってしまったのである――彼にとりわけ特有らしい、二つの姿勢を看取した。すなわち、老紳士親子との談話が途切れた場合、彼は脚を組み重ねて、双眼鏡を膝に、悠然とうしろへもたれて腰かけたまま、うつむいて、口全体をひどく突き出すと、口髭の両端にすっかり見とれてしまって、まるでその髭のために催眠術にでもかかったように見えながら、しかも同時に、ゆっくりと静かに首をあちこちへ向けている。もう一つ、若い婦人と話をする時には、つつましく脚の位置を換えるが、それでもさらにうしろへ深々ともたれて、両手で自分の椅子につかまると、首をできる限り長く伸ばして、口をかなり大きく開けたなり、愛想のいいそしてやや威張った様子で、相手の若い女を見おろしながら、微笑する。この紳士の心は、きっとあるすばらしく幸福な自意識で、みちみちているにちがいない。――
 まじめにいうが、おれはそうしたことの値打をよく知っている。彼の動作は、たとえその無頓着さに無理なところがあるにもせよ、どれ一つとして、間の悪い狼狽を伴うものはなかった。彼は自恃の念にになわれているのである。しかもこれは、当然こうなるはずではないか。彼は別段大して頭角も現わさないが、ともかく尋常な道を踏んでいて、その道を明瞭な有益な目的に達するまで、歩きつづけるのだろう。世間との諒解の陰に、また一般の尊敬の日向に、彼は生きている。――それはわかりきったことである。などといっている間に、彼はあそこの特等席に坐って、若い娘と雑談を交えている。彼女の純な貴い魅力を、彼は多分受け容れることができるだろうし、またもしそれができれば、安心してその娘に求婚することができるのである。実際おれはこの紳士のことを、ちょっとでも悪くいおうなどとは、決して思わない。
 ところでおれはどうだ。おれのほうは。おれはこの低いところに坐ったなり、あの貴重な及びがたい人が、あんなくだらない奴と、しゃべったり笑ったりしているのを、遠くから、闇の中から、うらみがましく眺めるばかりだ――のけ者にせられて、顧みられず、なんの権利もなく縁もなく、異常者として、落伍者として、首陀羅シュードラとして、自分の眼にさえあわれむべき者として……
 おれは終りまでいた。例の三人の紳士淑女には、外套預り所でまた会った。そこではみんなが毛皮を着るあいだしばらく足をとめて、こっちで或る婦人と、あっちで或る士官と、という風に、誰か彼かと数語を交していた。――あの若い紳士は例の親娘おやこと一緒に劇場を出たが、おれは少し離れて、三人のあとから玄関口を抜けた。
 雨は降っていなかった。空には星が五つ六つ出ていた。で、みんなは馬車を呼ばなかった。しゃべりながら気楽そうに、三人がおれの前を歩いて行くと、おれはこわごわ少し離れて、あとをつけて行く――うちしおれて、刺すように痛い、あざけりをおびた、みじめな気持に責められながら。――みんなは長く歩かなくともいいのだった。通りを一つ過ぎたと思うとすぐに、簡素な正面ファサアドを持った、ある大きな家の前に立ち止った。と、じきに親娘おやこは、心をこめて、その連れに別れを告げたのち、姿を消してしまった。
 その家の重たい、ほりのある扉のそばには、「法律顧問官ライネル」という名が読まれた。

 おれはこの草稿をしまいまで書き通す決心でいる。実は内心いやで堪らないので、今にも飛び上って逃げ出してしまいたい気がするのだけれども。この事件では、おれはもうへとへとになるほど、心を掘り返され打ち貫かれている。こんなことすべてに、もう胸の悪くなるほど飽き飽きしているのである。――
 今から三カ月足らず前のことだが、おれはある「バザア」が、慈善のために市の公会堂で、しかも上流階級の賛助の下に、催されることにきまったということを新聞で知った。おれは念入りにその告知を読んで、読むとすぐ、そのバザアに出かけようと決心した。あの女がきっと売子かなにかになって来ているだろう。もし来ていれば、おれがそばへ寄るのを妨げるものは、なんにもあるまい、とおれは思ったのである。おもむろに反省してみれば、おれは教養もあり、家柄もいい人間なのだから、もしおれにあのライネル嬢が気に入っているなら、おれだってこういう機会には、あの途方もないシャツの胸の紳士と同様、彼女に話しかけて、ちょっとぐらい冗談をいいかわしてならぬというわけはない。――
 おれが公会堂に出向いたのは、風の吹く雨の降るある午後だった。玄関先には、人間と馬車とがごった返していた。おれはそれを押分けて、建物の中へ入ると、入場料を払って外套と帽子を預けてから、いささか骨を折って、幅のひろい、人でつまった階段を昇って、二階へ出て大広間に達した。中からは、葡萄酒と料理と香料ともみの匂いとのまざった、むっとする朦気と、笑い声や話し声や音楽や叫び声や銅鑼の音などの一緒になった、雑然たる喧騒とがおれを迎えた。
 このおそろしく天井の高い広い部屋は、いろんな旗や花環で五彩に飾られていて、壁添いにも中央にも、売店がずっと並んでいる。開け放しの売場もあれば、扉のついた小部屋もある。そこへ入ってくれといって、突飛な仮面の紳士たちが声を張り上げている。そこいらじゅうで、花だの手細工物だの刻み煙草だの、いろんな飲食物だのを売っている淑女たちも、やはり思い思いに扮装している。広間の上手の端では、植木で飾った舞台の上で、音楽隊がそうぞうしい音を立てていると、売店と売店との間にできたひろからぬ通路には、稠密な人間の行列が、そろそろと前へ動いて行く。
 音楽や福引や陽気な広告などの騒音に、少し面喰った気味で、おれはその流れに加わったが、それからまだ一分も経つか経たぬうちに、入口から四歩左手のところに、おれのここへ探しに来たあの若い婦人を、おれは見たのである。樅の葉で飾られた小さな店で、葡萄酒とレモナアドを売っていて、イタリア婦人の着つけだった。――五彩の上着に、白い角張った冠り物、アルバニアの女が着る短かい胴着、その袖からなよやかな腕が、肱のところまであらわれている。少しのぼせ気味で、物売台の横にもたれて、五色の扇をもてあそびつつ、彼女は店のまわりに煙草を吸いながら立っている、大勢の紳士たちとしゃべっていた。その人たちの中に、おれはただひと目で、あのよく見覚えのある男を見つけた。台のそばの彼女の一番近くに、彼は両手の指を四本ずつ、短かい上着の脇隠しに入れたまま立っていた。
 おれはそろそろ押し進みながら、そこを通りすぎて行った。――機会があったらすぐに、彼女が少しひまになったらすぐに、そのそばへ歩み寄ろうと決心して。――ああ。おれがまだ快活な落ち着きと、自信のある敏捷との名残りを、自由に使い得るか、それとも、最近数週間の沈鬱と絶望めいた気持とがもっともなものだったか、それが今こそ明白になるわけなのである。いったい何がおれの心をみだしていたのだろう。その少女に面した時、どこからあの羨望と愛慕と羞恥といらだたしい悲痛とのまざり合った、苦しいみじめな気持が湧いてきたのか。それがまた今も、白状するが、なぜおれの顔をほてらせるのであろう。率直。愛嬌。朗らかな上品な自己満足。――天分のある幸福な人間には、実際そういうものがなんと似合っていることか。――そうしておれはいらいらとむきになって、諧謔の文句、気の利いた言葉、イタリア語の呼びかけを考えた。その呼びかけで、おれは彼女に近づくつもりなのである。――
 のろのろと前へ押してゆく群衆に挟まって、広間を一周するまでには、ずいぶん時間がかかった。――するとはたして、おれがふたたびあの小さな葡萄酒の売店のそばに来た時には、半円をなしていた紳士たちはもういなくなって、ただあの見覚えのある男だけが、まだ酒卓にもたれたなり、きわめて溌剌とした調子で、若い女の売子と話し合っていた。さて仕方がない。こうなれば、あえてこの会話の邪魔をするよりほかはない。……そこでおれはちょっと身をかわして、流れを離れると、卓のそばに立った。
 なにが起ったか。いや、なんにも。まあほとんどなんにも起りはしなかった。会話がはたと止んで、見覚えのある男は、一歩わきへ寄りながら、五本の指を揃えて、縁も紐もない鼻眼鏡をおさえると、その指の間からおれを眺めた。そして若い婦人は、落ち着いた、吟味するような視線を、おれの上に――服をずっと伝わって靴まで滑らせた。おれの服は決して新しくはないし、靴も巷の埃にまみれている。それは自分でも知っている。その上のぼせてもいるし、髪もきっと乱れているだろう。おれは冷静でもなく、奔放でもなく、得意な境遇にいるわけでもない。異端で、権利のない、ここにふさわない人間である自分が、この場をさまたげて、われから恥をかいているのだという感じが、おれをおそった。おぼつかなさと心細さと憎しみと悲嘆とで、おれの視線は乱れた。で、つまりおれは、陽気な企てを実行するというのに、暗くしかめた眉と、しわがれた声と、しかもそっけない、ほとんど乱暴な調子とで、こういったのである。
「葡萄酒を一杯お願いします。」
 若い娘は、ちらと冷笑のまなざしを、その友のほうへ送ったように思われたが、それがおれのひがみだったかどうか、そんなことは全くどうでもかまわない。彼とおれとのように無言のまま、彼女はおれに葡萄酒をくれた。そしておれは眼も挙げずに、怒りと苦痛で赤くなって、どぎまぎして、不幸なあわれむべき人物を演じながら、この両人の間に突立って、二口三口飲み下して、コップを卓の上に置くと、度を失ったお辞儀をして、広間を出て、ころがるように表へとび出した。
 この瞬間以来、おれはもうだめになってしまった。だから、五六日経って、次の通知を新聞に見出したことも、事件には別段なにものをも加えなかった。
「陪席判事ドクトル・アルフレット・ウィッツナアゲル氏と娘アンナとの婚約を謹んで御披露申上候。法律顧問官ライネル。」

 あの瞬間以来おれはもうだめになってしまった。おれの幸福意識と自己満足との最後の残りは、死ぬほど疲らされて打ち倒れてしまった。おれにはもう力がない。そうだ。白状するが、おれは不幸なのだ。そしておれ自身をあわれむべきわらうべき人物だと思う。――だが、これを我慢し通すことはできない。おれは滅びる。今日か明日か、おれはピストルかなにかで自殺してしまうだろう。
 おれがまず最初に、衝動的本能的に思いついたことは、この事件から文学的なところを抜いて来て、おれのなさけない不快を「失恋」と解釈しなおそうという、狡猾な試みであった。それはいうまでもなく、ばかげたことである。人は失恋などで滅びるものではない。失恋というものは、一つの悪くないポオズである。失恋をしていると、人は自分で自分が好きになる。然るに、おれ自身に対する好感が、残らず望みもなく失われてしまったために、おれは滅んでゆくのだ。
 いったいおれは――こういう問がついに許されるものならば、いったいおれはあの少女を本当に愛しているのかしら。――そうかもしれない……しかしどういう風に、またどういうわけで?
 この恋はずっと前から、いらだち悩んでいるおれの虚栄心が、産んだものではなかろうか。あの及びがたく貴い人をひと目見た時に、その虚栄心がたちまちやるせなく燃え立って、嫉妬、憎悪、自蔑の心持を惹き起したわけで、つまり、恋とは単にそれに対する口実、遁辞、逃路にすぎないのだ。
 そうだ。すべては虚栄心である。それに父もすでに昔、おれを道化者と名づけたではないか。
 ああ。おれは――まさにおれこそは、圏外へ退いて「社会」を無視する権利はなかったのだ。社会の蔑視と黙殺とをこらえるには、あまりに見栄坊だし、社会の喝采なしには暮せないこのおれは。――しかしこれは権利があるなしの問題ではないのかな。そうではなくて、必然性の問題なのかな。そしておれの役に立たぬ道化癖は、どんな社会的地位に置かれても、用をなさなかったのかしら。まあそれはともかく、おれはまさに道化癖のために、どうしても滅亡せざるを得ないのだ。
 無関心。それは、おれも知っているが、一種の幸福かもしれない。だが、おれは自分に対して、無関心になることができぬ。自分を「世間の人たち」と違う眼で眺めることができぬ。そしておれはやましい良心のために滅びる――心は無垢でみちているのに。――いったいそのやましい良心というのが、とりもなおさず、化膿した虚栄心にほかならぬというわけだろうか。
 およそ不幸というものは、たった一つしかない――自分に対する好感を失うことである。自分が自分に気に入らなくなる、それが不幸というものなのである。――ああ、しかもおれはそれを、たえず実にはっきりと感じていた。その他はすべて生活の遊戯であり、生活の扶植である。ほかのどんな悩みの場合でも、人はこの上なく自分に満足していることもできれば、実に申しぶんのない様子を見せることもできる。君自身とのあつれき、悩みながらのやましい良心、虚栄心との争闘、そういうものがはじめて、君をあわれなひんしゅくすべき観物みものとするのである。――
 一人の旧知が舞台に現われて来た。名をシルリングといって、昔シュリイフォオクト氏の大きな材木店で、おれと一緒に働いていた人である。商用でこの町に立ち寄ったついでに、おれを訪ねて来た。――「懐疑的な人物」で、両手をズボンの隠しに突っ込んで、黒縁の鼻眼鏡をかけて、現実的な寛大さで肩をそびやかす癖がある。夕方やってくると、こういった。「四五日滞在するよ。」――おれたちはある小料理屋へ行った。
 彼はおれがまるで今でも、昔彼の識っていた通りの、幸福な自尊家であるかのようにおれを遇した。そしてまったく迎合的に、おれ自身の快活な意見をおれに聞かせるというつもりで、彼はいった。
「いや、実際君は安楽な暮しかたをしているんだな、おい。不覊独立か。自由だね。考えてみると、君のやっているのがほんとにもっともだよ。人間は一度しか生きない、ねえ君。そのほかのことなんか、結局どうだってかまわないんだ。どうも君のほうが僕より利口だと、いわざるを得ないね。それに君はいつも天才だったからな。」――そして彼は以前のように、相変らず喜んでおれの価値を認めて、おれに好意を示しつづけた。おれのほうがいやに思われては大変だと思って、びくびくしているのには、ちっとも気がつかずに。
 おれは死物狂いの努力で、彼の眼に占めているおれの地位を維持しようとし、昔と同様、得意で幸福で、自ら足りている様子を見せようとした。――が、だめだった。おれにはなんの支えもなく、元気もなく、威儀もなかった。おれは力のない狼狽と、卑屈なあやふやとで、彼に対したのである。――すると彼は、それを信ぜられぬほどの速さで悟ってしまった。おれを幸福なたちまさった人間として認めるのに、毫もやぶさかでなかった彼が、次第におれを見抜いて、呆れたようにおれの顔を眺め、冷淡になり尊大になり、面倒臭そうな、いやそうな調子になって、とうとうしまいには、一々の顔つきにことごとく軽侮の念を表わしはじめる――それは見ていておそろしいものだった。彼は逸早く辞し去った。そしてその翌日、二三行の走り書が来て、彼がやはり出発を余儀なくせられたことをおれに知らせた。
 世間の人たちは、自分のことにあまり熱心に没頭しているから、本気になって他人についての意見を持つひまがない、というのは本当である。みんなは、君が安んじて君自身に表するその尊敬の度合を、ものぐさにも、そのまま喜んで受け容れてしまう。どうとでも君の思い通りに存在し、思い通りに生活するがいい。ただし必ず大胆な自信を示して、やましい良心なんぞ見せぬことだ。そうすれば誰だって、君を軽蔑するほど道徳的ではないだろう。ところが、君自身との一致を欠いて、自己満足を失うような目に逢って見給え。君が君自身を軽蔑していることを表わして見給え。そうなると、世間は盲滅法めくらめっぽうに君をもっともだとしてしまうだろう。――おれはどうかというと、おれはもう失われた人間なのである。――

 おれは書くのをやめる。おれはペンを投げ出す。――胸が悪くて胸が悪くてたまらないのだ。――結末を告げる。だが、それは「道化者」にとっては、あまりに英雄的だといってもよいのではあるまいか。もしかすると、おそらくおれはこの先まだ生きて――食って眠って、なにか少し仕事をしつづけて、やがて次第にぼんやりと、「不幸なわらうべき人物」であることに、馴れてゆくようなことになるかもしれない。
 ほんとにまあ、「道化者」に生れつくことが、こんな宿命、こんな不幸であろうとは、誰が考えたであろう。誰が考え得たであろう。





底本:「トオマス・マン短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1979(昭和54)年3月16日第1刷発行
   2003(平成15)年5月24日第33刷発行
入力:kompass
校正:酒井裕二
2015年2月20日作成
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