予言者の家で

BEIM PROPHETEN

トオマス・マン Thomas Mann

実吉捷郎訳




 奇妙な場所が、奇妙な脳髄が、精神の棲む奇妙な領域がある――高いところに、みすぼらしく。街燈の数が次第に乏しくなって、憲兵が二人ずつ歩くあの大都会の場末で、われわれは家々の階段を、もうこれ以上昇れぬというところまで昇らねばならぬ。若い蒼白な天才たち――夢の犯罪者たちが腕をこまぬいたなり、物思いにふけっている、あの斜めになった屋根部屋まで、孤独の、激越な、心をむしばまれた芸術家たちが餓えながらも昂然と、たばこの烟の中で、最後の荒涼たる理想と闘っている、あの安価に、しかも意味深く装飾せられた工房まで。ここには終局と氷と純粋と虚無とがある。ここではいかなる契約も、譲歩も寛容も尺度も価値も通用しない。ここの空気は、人生の毒素がもはや生長せぬほど、稀薄で純潔なのである。ここには、強情と極端な徹底と、絶望的に玉座を占めた自我と自由と狂気と、そして死とが君臨している。
 それは受難日の晩八時だった。ダニエルに招かれた客のうち、数人が同じ時刻にやって来た。彼等は四つ折判の招待状をもらっていた。それには抜身を爪につかんだまま空を飛んでいる鷲がついていて、受難日の夕にダニエルの宣言書朗読の会へ出てくれるようにという勧誘が、独得の字体で書いてあった。そこで彼等は定刻に、ものさびれた薄暗い場末の街の、平凡な借家の前に落ち合った。その予言者の仮住居は、この家の中にあるのだった。
 客の中には見知り越しのがあって、互いに挨拶を交した。ポオランド生れの画家と、彼と同棲しているやせぎすな少女、せいの高い黒い髯をはやしたユダヤ種の抒情詩人と、垂れさがったような衣裳の、肥った蒼白いその妻、勇壮な同時に病弱な容子をした人――交霊信者の退職騎兵大尉と、それからカンガルウのような風采の若い哲学者などである。ただ、山高帽で、手入れのいい口ひげをたくわえた小説家だけは、一人も知己がなかった。別の世界から来て、偶然ここへまぎれ込んだにすぎぬのである。彼は人生に対してある交渉を持っている人間で、彼の著書は普通人ふつうじんの間で読まれている。彼はどこまでも謙遜に、感謝しながら、つまり大まかにいえば、大目に見られている者のごとく振舞うことにきめていた。ほかの人たちのあとから、少し離れて、彼は家の中へ入って行った。
 みんなは鋳鉄の手摺につかまりながら、順々に階段を昇って行った。みんな黙っている。言葉の値打を知っていて、むだ口なんぞ利くことのない人々なのである。階段の曲り角の窓縁にのせてある、小さな石油ランプのほの暗い光で、通りすがりに、住居の扉にある名前が読まれた。みんなは保険会社員だの、産婆だの、高等洗濯婦だの、「代理人」だの、胼胝治療者うおのめなおしだのの住宅や仕事場などを通りすぎて、物静かに、侮蔑の心はないが、縁遠い気持で昇って行く。狭い階段を薄暗い竪坑でも昇るように、従容として、立ちどまりもせずに昇って行く。なぜならあの上のほう、もうこれ以上昇れぬというところから、一つの微光が彼等をさしまねいている――最後の高みから、一つのほのかな、ゆらゆらとゆらめく光がさしまねいているからである。
 とうとう彼等は目的地に、屋根裏に、六本のろうそくの光の中に立った。ろうそくは、色のさめた、小さな祭壇掛けのかけてある、小卓の上の、別々の燭台に立って、階段の上り口のところに燃えている。すでに物置の入口らしい体裁を備えた扉には、灰色の厚紙札がとめてあって、それを見ると、木炭でラテン字体に書かれたダニエルという名が読まれた。みんなは鈴を鳴らした。
 新しい青い服に、ぴかぴかする飾り靴をはいた、頭の平たい眼の優しい少年が、みんなのために扉を開けた。手にろうそくを持っていて、小さい暗い廊下を斜めに、壁紙もない屋根部屋のようなところまで、みんなの足もとを照らして行った。その部屋には、木製の外套掛けのほかには、まったくなにひとつなかった。口は利かずに、どもるような喉音に伴われた手つきで、少年はみんなに外套を脱ぐように勧めた。そしてみんなの同情心に誘われて、小説家が問をかけてみると、この子供は唖だということが、はっきりわかった。子供は手燭を持ったまま、また廊下を後戻りして、もう一つの戸口まで、客人たちを案内して行って、中へ入らせた。小説家は一番後からつづいた。彼はフロックコオトを着て、手套をはめている。教会の中にいるごとく振舞おうと決心しているのである。
 みんなの歩み入った、この中ぐらいな大きさの部屋には、二十本から三十本ばかりのろうそくが燃えていて、おごそかにゆれては、ちらめく明るさをみなぎらせていた。簡素な服に、白い折襟とカフスとをつけた、一人の若い娘――純潔で愚昧な顔立ちの、ダニエルの妹マリア・ヨゼエファが、戸口のすぐそばに立ったまま、みんなに手をさし伸べた。小説家はこの女を識っていた。ある文学的な茶の席で一緒になったことがある。その時、彼女は紅茶茶碗を手にして、端然と腰かけたなり、澄んだ誠実な声で、自分の兄のことを話していた。彼女はダニエルを崇拝しているのである。
 小説家は眼でダニエルを探した。――
「兄はおりません。」とマリア・ヨゼエファがいった。「どこにいるのか存じませんが、留守でございます。でも、心ではわたくしたちと一緒にいて、宣言書が朗読される間も、一句一句あとをつけるでしょうと存じます。」
「どなたが読まれるのでしょうか。」と小説家は低い声でうやうやしく問うた。それは真剣な問だった。彼は善意に富んだ謙譲な気持の人間で、この世のあらゆる現象を心から畏敬しつつ、いつも物を学ぼう、そして尊重すべきことは尊重しよう、という心がまえができているのである。
「兄の弟子が読みます。」とマリア・ヨゼエファは答えた。「その人は、スイスから来ることになっております。まだまいりませんが、時間になればきっと見えるでしょう。」
 戸口と向い合って、斜めにさがった天井に上端を支えられて、テエブルの上に立ったまま、勢いのいい線で描かれた大きな堊筆画あひつがが、燭光を浴びているのが見える。それはナポレオンが武骨な横柄な態度で、乗馬靴をはいた両足を、煖炉で暖めているところを描いたものであった。入口の右側には、祭壇風の戸棚ができていて、その上には、銀の枝付燭台にともったろうそくの間に、色のついた聖者像が一つ、眼を天に向けながら両手をひろげている。その前には祈祷台がある。近寄って見れば、聖者の片足のところに、小さな素人写真がまっすぐに立てかけてあるのに気がつく。写真はおそろしく突き出た、蒼白く抜けあがった額と、髯のない、骨張った、猛禽のような顔とを持つ、三十歳ばかりの青年を示している。
 小説家はしばしの間、このダニエルの肖像の前にたたずんでいたが、それから思いきって、さらに部屋の奥へ、用心深く進んで行った。大きな円卓のうしろに――黄色く磨きのかかったその卓面には、招待状で見た通りの、剣をつかんだ鷲が、月桂冠で囲まれて焼きつけられている――低い木の床几しょうぎの間から、いかつい、幅の狭い、切りけずったような、ゴチック式の椅子が一つ、玉座かなんぞのようにそびえ立っていた。長い荒けずりのベンチの、安っぽい布をかけたのが、壁と天井とで形造られた広いがんの前に、長々とおいてある。龕には低い窓がついている。おそらく太短かな出来の置煖炉が、熱しすぎているからであろう、その窓は開け放たれたままで、青い夜の一片がそこから眺められる。夜の底に、また遠くには、雑然とちらばったガス燈が、黄に燃える点となって、次第に広く間をおきながら、いつか見えなくなってしまっている。
 ところで、窓と反対の側は部屋がせばまって、側房のような場所になっている。そこは、この屋根部屋のほかのところよりも灯が明るく、半ば納戸に、半ば礼拝所に用いられているらしい。その奥に、地の薄いほの青い布をかけた寝椅子がある。右手には幕のかかった本棚が見える。その最上段に、枝付燭台に立てたろうそくと、古風な型の石油ランプとがともっている。左手には、白布で覆われたテエブルが備えてあって、磔像と七本枝の燭台と、赤葡萄酒を盛った杯と、皿にのせた乾葡萄菓子の一片とが、その上においてある。ところが、この側房のとっつきのところに、鉄の枝付燭台でさらに高くなって、金着せの石膏柱が一本、平たい壇を土台に突立っていて、その柱頭に真赤な絹の祭壇掛けがかけてある。さてそのまた上に、なにやら書かれた二つ折判の紙が、ひとかさねおいてある。これがダニエルの宣言書なのである。アンピイル式の小さい花環模様の白っぽい壁布が、壁と天井の傾斜した部分とを蔽っている。死面や念珠や、ひとふりの大きなさびた剣などが、四壁にかかっている。そしてあの大きなナポレオンの絵のほかに、なおルウテル、ニイチェ、モルトケ、アレキサンデル六世、ロベスピエエル、サヴォナロラなぞの肖像が、それぞれ異った体裁で、部屋中ほうぼうにかかげてある。――
「これはもうみんな経験に取り入れられたものばかりです。」といいながら、マリア・ヨゼエファはこの配置がどんな効果を与えたかを、小説家のつつましく控え目な顔から探り出そうと努めた。が、かれこれするうちに、さらに新しい客人たちが、静かなおごそかな様子でやって来た。そこでみんなは遠慮がちな態度で、ベンチや椅子に腰かけはじめた。いま見ると、最初に来た人人のほかに、なお老いた童顔の奇抜な図案家と、いつも「女流恋愛詩人」として人に紹介してもらう跛の婦人と、家族から逐われた貴族出の、結婚していない若い母と――これはしかしなにひとつ精神的欲求のない女で、ただひとえに母だからというだけで、この仲間に入れられているのである――それから中年の閨秀作家とせむしの音楽家と――すっかりで十二人ばかりの客が座についている。小説家は窓龕そうがんの中へ引きこもってしまった。そしてマリア・ヨゼエファは、戸口のすぐそばの椅子に、両手を膝の上に重ねたまま坐っていた。こうやって人々は、時間になれば現わるべき、スイスからの弟子を待っているのである。
 と、突然もう一人、いつも道楽でこうした催しに出る、富裕な貴婦人がやって来た。彼女は絹のしとねのついた自分の箱馬車で、市内から、ゴブラン織だの、黄大理石でふちどった扉だののある壮麗な住宅から、ここへ出向いて来て、階段を残らず昇り切って、戸を開けて、入って来た。美しく馥郁ふくいくときらびやかに、黄の刺繍をした青い羅紗服で、赤褐の髪にパリ出来の帽を頂いて入って来た。そしてティツィアン式の眼で微笑した。好奇心、退屈、対象を見る喜び、すべて少しでも異常なことに対する好意――そういうものにかられて彼女は来たのである。ダニエルの妹と、いつも自分の家に出入りしている小説家とに挨拶してから、それが順当だとでもいうように、窓龕の前のベンチに、女流恋愛詩人とカンガルウのような風采の哲学者とのあいだへ腰をおろした。
「もう少しでおくれるところでしたわ。」と、彼女はうしろに坐っている小説家に、きれいなよく動く口でささやいた。「お茶のお客をしていましたの。それが長くなったものですから。」……
 小説家はすっかり感動して、自分が恥かしくない服装をしてきたのを、ありがたいと思った。なんという美しい女だろう、と彼は考えた。さすがにあの娘の母親だけのことはあるな。――
「ところでソオニャさんは?」と彼は婦人の肩越しにたずねた。「ソオニャさんは連れていらっしゃらなかったのですね。」
 ソオニャというのは、この裕福な婦人の娘だが、小説家の眼から見れば、うそのように偶然うまく出来上った創造物であり、多方面な教養の奇蹟であり、到達せられた文化の理想であった。彼女の名を二度いったのは、それを発音するのが、彼にとって名状しがたい快楽だからである。
「ソオニャは弱っていますの。」と裕福な婦人はいった。「ほんとにまあどうでしょう、足を悪くしてしまいましてね。いいえ、なんでもないんですけど。おできが出来て、ちょっとただれたとか、うんだとかいうだけなんですの。切開しましたのよ。そんな必要もなかったんでしょうけど、自分で望むものですからね。」
「御自分でお望みになる。」と小説家は感激したささやきの声で繰り返した。「そこがソオニャさんですなあ。しかしいったいぜんたい、どうしたらお見舞をお伝えすることができるでしょう。」
「そうですね。よろしく申しておきますわ。」と裕福な婦人はいったが、彼が黙っているので、「それだけではお足りにならないの。」
「ええ、足りませんね。」と彼はごく低い声でいった。すると、婦人は彼の著書を尊敬していたから、微笑しながら答えた。
「じゃ、なにか花でもお送りなさいな。」
「ありがとう。」と彼はいった。「ありがとう。ぜひそうします。」しかし心の中では、こう考えていた。――「なにか花でも? なに、花束だ。大きな花束だ。あしたは朝飯前に、辻馬車で花屋へ行こう。」――そして彼は、自分が人生に対してある交渉を持っていることを感じた。
 とその時、部屋のそとにあわただしい物音が聞えて、扉が開いたと思うと、すぐにばたんとしまった。そして会衆の前には、燭光を浴びながら、ずんぐりしたたくましい若人が、黒っぽい背広姿で突っ立った。――スイスから来た弟子なのである。彼はものすごいまなざしでちらと部屋中を見廻してから、烈しい足どりで、側房の前の石膏柱のところまでゆくと、その柱のうしろへと平たい壇に乗って、まるでそこへ根でもはやしてしまおうとするように、おもおもしく足を据えて、原稿の一番上の一枚を手に取るなり、すぐに読みはじめた。
 彼は二十八歳ばかりで、猪首の醜い顔である。刈り込んだ髪は、さなきだに狭い、皺の寄った額の中へ、鋭角をなして妙に突き出ている。無口のむっつりした武骨な顔には、平たい鼻と飛び出た顴骨と、こけた頬と厚くせり出した唇――大儀そうに渋々と、しかもなんだか力なくおこったように言葉を発するかと見える唇とがある。この顔は野生のままでいて、しかも蒼白い。読む声は荒々しくむやみに大きく、それでいながら、奥底ではふるえよろめいて、忙しい呼吸のために勢いをそがれている。原稿を持った手は大きく赤く、しかもなお小刻みにふるえている。つまり彼は残忍と脆弱との不気味な混合を現わしているうえ、彼の読んでいるものは、奇妙にもそれとよく釣り合っているのである。
 それは説教、譬喩、評論、法則、幻覚、予言、そして日々命令式の告達であった。それが詩篇や黙示録風の句調と、軍隊的戦術的および哲学的批評的の術語とのまざり合った文体で、雑然たる無限の列をなして、連綿と続いていった。熱狂的なおそるべく憤激した自我が、さびしい誇大妄想のうちに伸び上って、暴戻ぼうれいな言葉をほとばしらせながら、世界を威嚇する。クリストス・インペラアトル・マキシムス(至上の統宰者キリスト)というのがその名である。彼は全地球克服のために、死を辞せぬ軍隊をつのり、使命を布告し、苛酷な条件を設ける。貧困と貞潔とを要求するのである。そして果しない擾乱の裡に、一種不自然な快感に酔いながら、何度となく絶対服従の戒律を繰り返す。仏陀もアレキサンデルもナポレオンもイエスも、彼の恭順な前駆者たち――この霊の皇帝の靴の紐を解くにも値せぬ者たちと呼ばれる。
 弟子は一時間読み続けたあとで、赤葡萄酒の杯から、ふるえながら一口飲むと、さらに別の宣言書を手に取った。汗の玉が狭い額に浮かんでいる。厚い唇はおののいている。そして文句と文句の合間に、彼は短かくあえぐような音とともに、絶えず鼻から息を吐き出した――疲れ果てた、吠えるような調子で、孤独の自我は歌って荒れ狂って、号令をくだす。もつれた映像のうちに沈んだり、非論理の渦に没したりするかと思うと、たちまちまた全く思いがけぬところにものすごく浮かび上る。神をけがす詞とめる詞と――乳香と血煙とが互いに入りまざった。砲声殷々たる戦闘裡に、世界は征服せられ救済せられた。――
 このダニエルの宣言書が聴衆に与えた効果を見定めるのは、おそらく容易なことではあるまい。頭をずっとうしろへもたせたまま、つやのないまなざしで天井を仰いでいるのもあれば、膝の上へ低く身をかがめたなり、顔を両手に埋めているのもある。女流恋愛詩人の眼は、「貞潔」という語が響くごとに、妙な風に朦朧とかすんだ。それからカンガルウのような風采の哲学者は、ときおりなにか漠然たることを、長い曲った人差指で宙に書いている。小説家はだいぶ前から、背中の痛みに適した姿勢を取ろうとして、空しく骨折っている。十時になったとき、ハムのサンドウィッチが一つ、彼の幻覚に現われたが、彼は雄々しくもそれを撃退してしまった。
 十時半頃、みんなは弟子が、最後の大判の原稿紙を赤いふるえる右手に持っているのを見た。もう終りなのである。「兵士等よ。」と彼はもう全く力を使いつくして、おぼつかない雷のような声で結んだ。「予はこの世を汝等の掠奪にゆだぬるぞ。」それから壇を降りて、一座をねめまわすと、来た時のように、烈しく戸口から出て行ってしまった。
 聴衆はなお一分間、最後に取っていた姿勢のまま、身動きもせずにいたが、やがて申し合わせたように思いきって立ちあがると、めいめいマリア・ヨゼエファの手を、小声に挨拶しながら握った後、すぐにいとまを告げた。マリア・ヨゼエファは例の白い折襟のまま、静かに清らかに、ふたたび戸口のすぐそばに立っていたのである。
 唖の少年は戸の外にちゃんと待っていた。手燭で客人たちを外套室へ案内して、外套を着せかけてやってから、狭い階段を先に立って降りて――階段には、絶頂にあるダニエルの王国から、ろうそくの光がゆらゆらと落ちていた――下の大扉まで行って、それを開けた。客人たちは順々にわびしい場末の街へ歩み出た。
 例の裕福な婦人の箱馬車は、家の前にとまっていた。馭者台の上、二つの煌々たる角燈の間で、馭者がむちの柄を持った手を帽にあげるのが見えた。小説家は裕福な婦人を、馬車の扉のところまで送って行った。
「いかがです。」と彼は問うた。
「わたくしこういうことについて、かれこれいうのはすきませんの。」と彼女は答えた。「でも、あの人は本当に天才か、まあそれに近いようなものなんでしょうね。――」
「そうですね。天才とはいったいなんでしょう。」と、彼は考え込むようにしていった。「あのダニエルには、あらゆる予定条件が備わっています――孤独、自由、精神的な情熱、偉大な視力、自己に対する信仰、それに罪悪や狂気に近いものさえありますね。なにが足りないのでしょう。人間味でしょうかしら。感情や憧憬や愛なんぞが、少しばかり足りないのでしょうか。でも、そんなものは全く即興的な仮説ですね。――」
「ソオニャにどうかよろしく。」と、彼は婦人が座席から、告別の手をさしのべた時にいった。と同時に、自分が「ソオニャさん」とも「お嬢さん」ともいわず、単に「ソオニャ」といったのを、婦人がどう取るだろうと思って、一生懸命に彼女の顔色をうかがった。
 婦人は彼の著書を尊敬していた。だから、微笑しながらそれを許した。
「申し伝えましょう。」
「ありがとう。」と彼はいった。そして希望の陶酔で、彼の心はくるめいた。「さあ、これから狼のように夕飯を食ってやろう。」
 彼は人生に対して、ある交渉を持っているのである。





底本:「トオマス・マン短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1979(昭和54)年3月16日第1刷発行
   2003(平成15)年5月24日第33刷発行
入力:kompass
校正:酒井裕二
2015年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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