短篇小説は何故不振か

文学俗論のうち

佐藤春夫




 短篇小説はなぜ不振か。
 という質問を提出された時には、実のところそんな現象にもまだ気づいていなかったが、近ごろの雑誌にはいわゆる中間小説というのが幅を利かして、以前の短篇小説はすっかり影がうすれ、さればといって新しい型の短篇というのも見かけない。
 それでいて読者が短篇を求めぬのかというと必ずしもさにあらず。芥川の作品などは依然として読まれ楽しまれている。不思議ではないか。とそう問題を説明されてみると、成程、そういう事実はあるようだ。とジャーナリストの目のつけどころに感心すると同時に自分の迂濶にも気がついた。敢て自己弁護をしようとも思わないが、自分は現代の文壇など実はあまり興味も関心もなくて自分のしたい事だけに熱中して今日では殆どこの一年間ばかり梁山泊の豪傑連とばかり暮らして現代文学と接触するのは僅かに芥川賞の候補作品に目を通す時だけぐらいになってしまっている。ところでその芥川賞候補作品も近来は平均百枚見当になって同じ篇数でも以前の倍も三倍も老眼に負担をかけるのに閉口していた事実も思い合わされた。
 まことに、短篇らしい短篇(というのは三十枚から五十枚ぐらいの小じんまりとして味の重厚な作品)は誰にもあまり見かけない。不振というのか、はやらないというのだか、とにかくそういう事実はたしかである。
 雑誌を小説の発表機関とするわが国では短篇小説が便利なジャンルでもあり、読者の気風にも合ったのか、モウパッサン、チエホフ、ドオデエ、さてはポオなどと類は変わっても同じく短篇の作家が喜ばれるのが明治中期以来の現象であったのが、いつのころからか、ではないはっきりと終戦後、中間小説などに押されて短篇小説が今日のようにさびれたとなると何が理由だか少しは考えてみたくもなる。というのも考えてみれば判りそうな見当がつくからである。
 発表機関たる雑誌では小説特集とやらが戦後の流行で、それがはやりっ子を一通りずらりと並べるのが編集方法の優なるものとなると、短いのを沢山集めるかと思いのほか、人数は半分でもいく分長さのある方が読者に喜ばれる傾向と見えて、百枚とか百二十枚とか枚数を売り物にしたのが出たり、連載もあり特に中間小説と称するのが小説の新潮であったらしい。
 中間小説の名称は何によるかよく知らない。大衆小説と芸術小説との中間の謂か、それとも短篇と長篇との中間の長さの謂か。さては事実と文学との中間の謂か。それぞれにみなそれらの中間にあるためにどの中間小説なのだかは知らないが在来の短篇と比較してみてすぐ目につく違ったところは短篇よりは大分長いことで中篇小説に近く、また短篇ではその長さ(いや、その短さ)のために、話の筋は必ずしも必要ではなく、ほんの一情景又は一性格の描写だけでも作品は成立するが、中間小説(或は中篇小説)となると、その長さを持ちこたえるためにはどうしても筋がなくては無理である。
 もしそれ風俗小説と称するもので中間小説仕立てになると、何のことは無い、その小説の筋はつまりは世間話になるわけである。この種の愛読者は決して文学を読んでいるのではなく世間話を楽しみにしているだけなのである。
 短篇小説になるとその長さの制約上、決して世間話は書けない。誤ってそれを書けばほんの筋書きに終るだろう。同じく世相を描き風俗を写しても短篇では世間話は作品の背後にかくされて、その表面に出ているものは他のすべての種類の短篇小説と同じく常に一種の詩情の表現が目的となっている。短篇小説とは所詮人間の内面的、外面的両方面の日常生活のなかに片鱗を示した詩情を把握した散文芸術だ、と定義しても間違いではあるまい。
 現代(戦後)の読者は、御免蒙ってあけすけに云ってしまえば文学的には全く無教養で(俺は教養があると自信する方は例外としてよろしい)詩情などというへんな時代おくれのシロモノとは風馬牛(という言葉もご存じあるまい。さらば字引を引いてごらん召され)であろう。そんなものよりは面白い世間ばなしの方がわかりがよくて思い当たるところも多い。読者の好みが短篇小説をすたれさせたのではあるまいか。
 それとも書く方だろうか。人生の見方に一くせ(個性)あり、着想に一工夫を要し、表現にもまた一考を要し(実は真の作者にはそれがみな楽しみなのだが)それでいて出来上がりは短いものになってしまう間尺に合わない仕事より、読者にもわかりよく喜ばれ、濶達にのびのびと筆をおろしてまとまりやすく、しこたま頂戴できる世間話小説の方が職業として割がいいというわけあいではあるまいか。(俺は違うという作家は別として)
 この読者にしてこの作者あり。短篇小説の不振も故なしとせずか、この線に進んで行くと短篇だけではなく今に現代文学は滅亡する心配もあるというわけ。





底本:「定本 佐藤春夫全集 第24巻」臨川書店
   2000(平成12)年2月10日初版発行
底本の親本:「西日本新聞」
   1953(昭和28)年9月25日発行
初出:「西日本新聞」
   1953(昭和28)年9月25日発行
入力:えんどう豆
校正:津村田悟
2019年3月29日作成
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