拙作『小説永井荷風伝』について

中村光夫氏にただす

佐藤春夫




 先日は失礼。足下の文芸時評を只今一読いたしました。長ったらしい拙作に対して一読の労を費されたことを先ず感謝します。つづいてそれに対して少々もの申すのにお耳をお傾けねがいます。
 貴文の一節に「荷風の生活について新しい発見があるわけではなく、『小説』と銘を打った積極的理由もわかりませんが……」とあるお言葉ですがね。
 わたくしは拙作のなかで荷風を「エディポスコンプレックスの人」としました。これはすくなくともわたくしにとっては、新発見のつもりでした。わたくしは永年、荷風の父に対する恐怖的服従とそれをはね返す反抗とはよく知っていましたが、それがエディポスコンプレックスに根元があること、そしてそれが荷風の生涯を支配していることは、今度拙作を執筆中にはじめて気がついたところでした。
 同じような事をこうはっきりといった人が今までにありましたろうか。寡聞かぶんにしてわたくしは知りません。あったなら御教示を得たいものです。
 それとも荷風をエディポスコンプレックスの人と見ることが間違いで、新しい発見にはならないのでしょうか。
 あるいはわたくしがそういう見方で荷風伝を書こうとしている意向は拙作の一編では十分に表現されていないでしょうか。結末にもう一度念を押して具体例を書くつもりではいましたがそれはそそっかしい読者に見のがされるのをおそれたからで一人前の読者なら、あれだけでもわかるつもりでいましたが、あれだけでは足下にわかってもらえなかったとでもいうのでしょうか。
 荷風をエディポスコンプレックスと見るべき証拠は別に何もありません。わたくしが荷風全集を読んでの解釈なのですが、こんな解釈が単にわたくしの空想に過ぎないかも知れないと思ったればこそしいてあまり力説もせず、また「小説」と銘うったわけですよ。しかし小説という観念は足下と僕と必ずしも一致いたしますまいから。この点は先ずどうでもよろしいとして、今は「荷風エディポスコンプレックス説」に対して質問いたします。
 わたくしの荷風敬慕に対して荷風が冷淡であったことは足下のお説のとおり、僕の記したとおり事実ですが、荷風という人は同性に対しては敗残者的傾向の人でない限り、たとえば井上唖々に対する場合のような時の外はいつも冷淡な人なので、その女性に対する異常な愛情とともに、これもまたエディポスコンプレックスの一つの現われだとわたくしは考えているのです。
 ついでながら僕を批評的才能に恵まれたなどとはとんでもないお世辞で、僕には批評的才能などは何も恵まれていません。ただ批評的気質があるだけです。そうしてそれも恵まれたとは思えません。僕自身は批評的気質にわざわいされたと思っています。わかってもらえましょうか。





底本:「定本 佐藤春夫全集 第26巻」臨川書店
   2000(平成12)年9月10日初版発行
底本の親本:「朝日新聞」
   1959(昭和34)年12月24日発行
初出:「朝日新聞」
   1959(昭和34)年12月24日発行
※1959(昭和34)年12月21日発行の『朝日新聞』に掲載された中村光夫「文芸時評 下」に反駁するものです。
入力:朱
校正:きりんの手紙
2019年1月29日作成
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