黄金綺譚

潔癖の人必ず読むべからず

佐藤春夫




 これはただごちそうのお話にすぎないが、おめでたい記念号の読み物にふさはしくちよつと景気のいい題をつけて置かう。
 わたくしは田舎者で、それも士、道ニ志シテ悪衣悪食ヲ恥ヅル者ハ未ダトモニ語ルニ足ラズと云ふ思想を持つた父の下に育てられたから、美食を論じごちそうを語る資格は全く欠けた人間である。
 しかし父は医者で、常に食物の栄養価には注意を払ひ偏食を戒めたおかげでか、既に七十余年の生涯にまだ一度も病気らしい病気をしたこともないのがわたくしである。
 それでわたくしの舌は美味佳食を一向に鑑別することもできないにもかかはらず、わたくしの胃腸はふしぎなばかり、よくごちそうを知つてゐる。
 それで、普通一般には舌を主にして語られるやに見える天下の食通先生がたとはいささか趣を変へて、ここでは、胃腸の見地からごちそうを語つて見たいと思ふ。決して奇を好んで戯言を弄するのではない。わたくしは分に応じ、自分の持つてゐる資格によつてこの議論を披露するのである。
 さて、ここで先づ第一におわびし、おことわり申して置かなければなるまいが、胃腸の見地から論じられるごちそうは、自然の勢として談が少々ばかり尾籠にわたつて、ごちそうの末路も立ち到るやも知れないが、事は真実を述べるに急で、極めて厳粛なのである。決して眉をしかめたり、鼻をつまんだりせずに、ご通読を煩はしたいものである。しかし真実を好まずまた潔癖な君子は、この先は断じてお読み遊ばさないのがよろしからうかとご注意申し上げる。
 といふのは、わたくしがごちそうらしいものをいただいて、舌がまだそれを十分に確認することができなかつた場合にも、時を経てわたくしは必ず満足な排泄物を見るので、ああ、あれはやつぱり本当のごちそうであつたのだなと、わが舌の知らなかつたことをこれによつて教へられる。見かけ倒しのごちそうの場合は決してこのことのないのも現金なものである。そこがこれを黄金綺譚と題したゆゑなのである。
 然らばどんな排泄物をわたくしが満足なものと呼ぶのか。その条件たるや、決してナマヤサシイものではない。先づその硬度である。硬きに過ぎず、軟きにすぎず、中庸を得て、それが適当な長さを保ち、密度こまやかにセピヤの色調おつとりとしぶい美観を呈し、時にはややうぐひす色を帯びたものなどもよろしく、必ずしも黄金色でなくてもよい。さうして独得の香気を放つものに限り、異臭のあるものは絶対に不可である。
 わたくしは数日前、話だけでは誰にも信じられまい、と云つてこれを保存して置く方法のないのが惜しまれるほど、さながらに花のかをりにも似たものを排泄し、あまりの不思議さに、しばらく考へた末に、それが前夜食後口にした柑橘が作用してゐるものかとも思つてみたが、まだよくわからない。
 わからないと言へば、例のものの重量に関してであるが、水中にしばらく遊弋してゐるものがよいのか、それとも水音を立ててそのまま沈没するやうなのがいいのかは、まだ研究がつまびらかではないので権威を以ては発表しがたい。
 しかし密度、長さ、香気、色調などさへ一とほり規格に合つてゐるならば、先づはごちそうの末路として有終の美を成したものと称して差支へあるまい。
 わたくしは、決してただの物好きで排泄物の研究に耽つてゐるのでもなく、これを学位論文にしようなど柄にない野心を抱くものでもない。単に自身の健康を卜する料とするだけであるが、稀に同好の士がゐて、研究発表を微に入り細を穿つて相互に交換するのも亦たのしい。
 これら満足な排泄物は、たとへばひとり玄関口で歓迎されたばかりではなく、堂に登り室に入つてからも珍客として好遇された証拠を示すもので、それは口ばかりか、胃腸からその出口に到るまで、全身の行く先々を喜ばせ適当に活動させて通過したものと見るべく、これをこそほんたうのごちそうと呼ぶべきで、料理人たる者はかういふごちそうのメニューに腐心すべきではあるまいか。
 亡友西村伊作氏は一家言に富む人であつたが、物にはそれぞれにそれ自身の甘味がある。それは生かすのが真の美味といふもので、過剰な砂糖などを浪費して物自身の持つ甘味を殺した調理などは娼婦の愛にほかならずと細君を叱り教へてゐたものであつた。この西村流表現を以てすれば、ただ口舌にのみ甘美で胃腸に入つて快からざるごちそうの如きは、まさしく娼婦の愛に類して人を毒するものに相違あるまい。
 以前、科学肥料が今日のやうに流布しなかつた時代、人肥の汲取人たちが、彼らの採取場にあつて、その臭気によつて、ここの家族中に病人のゐるらしいことや、その家の食味におごつてゐることや、さてはあまりにつましきに過ぎることなどを判断したと聞き及ぶが、これも決して偶然ではなく、亦わたくしのこのごちそう観と一脈相通ずるものがあるやうに思はれる。
 わたくしのこの全身を大手を振つて通行し、能く有終の美を成すもののみが真の美味であるとする小論は、ヤブ医者でない限り天下の医家によつても賛成してもらへるに足る名論卓説であると自讃して擱筆する。





底本:「定本 佐藤春夫全集 第26巻」臨川書店
   2000(平成12)年9月10日初版発行
底本の親本:「あまカラ 第一五〇号」
   1964(昭和39)年2月5日発行
初出:「あまカラ 第一五〇号」
   1964(昭和39)年2月5日発行
入力:よしの
校正:津村田悟
2020年4月28日作成
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