若き日の久米正雄

佐藤春夫




 僕は多分、二十三四の頃から、久米は知つてゐた。彼は僕より一年の年長だから、僕が二十三なら彼は二十四、僕が二十四なら彼は二十五。何でもその頃でお互に二十五より若かつた。三十五六年前の記憶で少しあやしいところを無理にまとめれば、自然と半創作になつて実録とは云ひにくい。
 何でも最初に彼に会つたのは大学の正門を出て来る制服姿の彼とその前の通で行き会つたのであつたと思ふ。同人雑誌「星座」をやつてゐた頃で、その同人の江口渙かそれとも久保勘三郎(この人も同じく星座同人で久米の学友且つともにボートの選手であつた)か誰かが一緒、この方は羽織袴で僕と連れ立つて三丁目から駒込の方へ急いでゐるところを門から出て来る学生を認めて、久米が来た、久米正雄だよ、と僕に云ひ残したまま急ぎ足で先づ彼を捉へて置いて、あとから追ひすがつた僕を彼に紹介してくれたやうにおぼえてゐる。その事ははつきりおぼえてゐながら肝腎の紹介者がはつきりしないのである。久米正雄の名はその時より二三年も早く三汀の俳号とともによく知つてゐた。或は土曜劇場上演の「牛乳屋の兄弟」も、その時はもう見てゐた筈である。さうして劇場の廊下では三田の仲間の誰やらが教へて当日の舞台の作者久米正雄をよそながらに見てゐた。その時も同じく大学の制服姿であつたやうな気がする。先方でも詩人として僕の名は知つてゐたとか、大学正門前の紹介者がその時、久米と別れてからの話であつた。もとより行きずりの立話に「やあ」「さよなら」の交換で何の話もなかつたがこの時からの知り人には相違ない。
 久米はそれより前、多分高等学校時代であつたらうか、万朝報が催した暑中休暇の学生徒歩水郷めぐり(?)だつたかの選手に選ばれて名文の紀行によつて文名を謳はれてゐた。尤もその名紀行文を僕は終に読まずじまひで、ただ噂に聞いたばかりであつたが、その噂を伝へた先師生田長江先生の例によつて若い者に対する好意に満ちた批評によれば久米の紀行文は簡潔で新鮮な自然描写など、どうしてただ学生の名文といふ程度ではなく、唯の鼠のものではないといふのであつた。
 大学門前の邂逅の後、暫くは久米に会ふ機会も無かつたやうに思ふ。時は恰も僕の都会の憂鬱時代で九段の附近にくすぶつてゐたのだから、当時往復僅に九銭の電車賃も無くて本郷の界隈に出没する事もなかつたのであらう。
 その間に、芥川につづいて売り出した久米は幾つかの学生物の短篇を次々に発表した。後に一巻にまとめ上げた「学生時代」がそれである。久米の集中でもすぐれたものであらう。あの連作シリイズのなかでは「競漕」が一番いいのではなからうか、すくなくとも僕は一番すきである。長江先生の批評がさすがにそつくり当てはまる文章で、そつがなく行き届いてゐる。気どりはどこにもないが一脈ハイカラな味があつて新らしい俳人三汀の眼が水上春日の自然と競漕といふ人事とをよく見てゐる。さきに名をあげた久保勘三郎は舵手(?)としてこのなかに描かれてゐるが、その風貌挙動などもその人を知る自分には面白く描写されてゐたと思ふ。淡々として清泉のやうな文致の間にほのかな感情が漂うてゐるのが久米の文体の一特色で、芥川の文章に流露感がないと難をつけた人のものだけの価はあらう。単に文才といふ一点だけで云ふと、芥川、菊池よりも久米の方が上かも知れない。また批評眼、鑑識にかけても決して人後に落ちないものがあつた。その頃の彼を思ふと後年の彼は駿足を十分に延べなかつたやうな憾を抱くのは決して僕ばかりではあるまい。
 記憶によればその後一度、本郷界隈を散歩中、久米の家の附近だからと今東光が云ひ出して、午後四時ごろ飄然と久米の家に立寄つたことがあつた。処番地も明確ではないが森川町のうら通かどこか、あまり広くない通の四角を表通から右にまがつて、あまり遠くないあたりの右側にある通に面した小家の格子戸を開けると、玄関の三畳の間につづいて次の一室の中央よりやや入口に近いところの、壁にも窓にも面しない中ぶらりんの落ちつかない場所に質素な書生机を据ゑて書きものをしてゐた主人公自身が机の前を立つでもなく声を聞きつけてすぐさま応対した。上れといふままに上つて行くと例の笑顔を向けて改造(?)原稿を執筆中また改造記者の催促に襲はれたかとひやりとしたら君たちであつたかと筆を休めた。格別の用もないが通りがかりに時刻はよしちよつとお茶でも誘つて見ようかと立ちよつたと東光が然るべく挨拶をした。彼の口ぶりは久米とよほど親しげであつたがそれが東光のいつもの調子だから果してそれほど親しかつたものかどうかはわからない。
 それは残念な、何、原稿はもうやめだ。はじめから気が進まないのが、特に出来そこなつて弱つてゐるところへ、いい申しわけが出来た。今晩、福島の方へおふくろの見舞といふほどの大病でもないらしい様子だが、ともかくも老体ではあり、都合では一緒に上京して東京の医者に見せた方がいいかと考へたりしてちよつと出かけるつもり、いや汽車の時間はたつぷりあり、用意も何もいらない旅だが、それでも旅だ。一緒にお茶の食事のといふゆとりはないのが残念といふ主人公の挨拶に、永居はしないで退散したのがあとにも先にも唯一度の久米正雄訪問の記憶。
 その後、僕も新進作家といふものの一人となつて、当時、新思潮同人が発起のやうな形で若手作家批評家の大合同とも云ふべき会合が毎土曜日にあつた。土曜会はこの週日だけをきめて場所は随時に変更した。僕も今とはちがつてさう出不精でもなかつたから、この会合にはよく出席してゐた。だからこの席上でも毎々久米には会つた筈だが、他の人にくらべて思ひ出す事は多くない。ただ一回だけ、拙作「指紋」を書き上げた日が土曜日で、土曜会を思出して、この日の会場、本郷の燕楽軒の階上に出かけて行つたのは七月の夜の八時ごろでもあつたらうか。芥川、久米、赤木桁平の三人、常連中の常連だけは勿論既に集つてゐた。その日は〆切の都合か何かで寄りが悪く、これではいつもの仲間の集まりで土曜会は成立しないが、君も多分、中央公論の原稿に煩はされて今日は欠席であらうと云つてゐたところだと、芥川が僕の顔を見るなり歓迎の辞を浴せた。三人のうちでは彼が最も僕に親しい上にかういふ社交辞令には最も長けてゐた。
「原稿はやけに書きなぐつて、今日四時頃にすつかり纒めて渡してしまひ、昨晩は夜明しにくたびれた。ちよつと昼寝をしたら今のさつきやつと目がさめて、ここに来たくなつたからもう時間は遅れたと思ひながら駈けつけた」と僕が答へるのも待たずに芥川が、
「早く出来たのだね、一たい何枚ぐらゐ書いた?」
「百枚を何枚ぐらゐ越したかな?」
「いいな! それ位の分量を書き上げた後の気分は、爽快で生きてゐるやうな気がするだらう」と久米が云ふ、僕は、
「いやへんにくたびれただけだよ。ろくに構想も出来てゐないところを書き飛ばしたのだから」と答へると、また芥川が、
「どんな大作を書いた?」
 まだ頭のなかに残つてゐるその筋を端折らうにも端折る事も出来ずに僕はぬらりくらりとすつかり一とほり話して探偵小説にも何もなつてはゐないでたらめだ。と僕は謙遜とか云ふものではなく過度の疲労のなかで、書き上げた作品に対する不安不満をいろいろと思ひ出してゐるのであつた。
「本格の探偵小説でなく一種の気分で行かうといふのだね、面白いぢやないか」
 と久米は僕の気を引立てるやうに云つた。
 それから四人で遅い食事に取りかかつてその夜の土曜会はあまり振はない。僕は過労を申わけに早く帰つた。
 その次の折に芥川に会ふと芥川は「指紋」を久米の云ふとほりに気分的な探偵小説として認めると云ひ、成程文章は少しあはただしいがあの場合あの文体は似合はしい。話で聞いた時より読んだ時の方が面白かつたとも云つてくれた後で、この間の土曜会は君が帰つてからあとが面白かつたよと云つて、
「赤木は君が帰つたあとで、『あまり自分だけ面白がつて他に興味のない長話をするものでは無い』と君の「指紋」の筋の話に赤木が抗議をすると久米がすかさず『さうか。君も客観的にはそれを知つてゐるのだね』だとさ。いや当の赤木がいつでも自分ひとりしか面白がらない話をいつまでもつづけて我々を閉口させる癖があるのでね。久米の一句にはさすがの論客赤木桁平もぎやふんの形で面白かつたよ」
 僕はこれを聞いて赤木の云ひ分にも教へられたが、欠席裁判を受けてゐる僕のために久米が弁護ならぬ名弁護をしてくれたのに感謝した。若い日の久米には一面にさういふ鋭さと老成した温かさとがあつた。後年の久米には老成の感じよりかへつて若々しさの方が多くなつたのも若き日の君を知る僕にとつては面白くもあり不思議でもあつた。
 若き日の彼は先づ制服姿で僕に現はれ、制服を脱いだ後は久留米絣の揃をよく着てゐた。その後、彼は好んで大島の対を着たが谷崎はそれを評して、
「あの赤い大きな顔にでこぼこの多いのが大島のこまかな柄やつやと対応して妙に絢爛の美を極める。僕は久米の大島は不賛成だ」
 と云つたのを聞いたせいでもあるまいが、僕も久米には久留米絣が一番よく似合つてゐたやうに思ふ。その頃我々はよく人の口真似をしてふざけたものだが、久米の真似をする時には、
「やあ、恐縮だなア」とちよつとうつむいて後頭部を掻くやうな手つきをする事であつた。
 酔つて酋長の娘を楽しげに踊る人も居なくなつた。さう思へば、一昨年の秋それを踊つた時から、いつもの元気はなかつた。あれが久米との別れであつた。





底本:「定本 佐藤春夫全集 第24巻」臨川書店
   2000(平成12)年2月10日初版発行
底本の親本:「現代日本随筆選8 机上枕上歩上・貝殻追放」筑摩書房
   1954(昭和29)年1月
初出:「文藝春秋 第三〇巻第七号」文藝春秋新社
   1952(昭和27)年5月1日発行
入力:よしの
校正:友理
2022年10月26日作成
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