「珊瑚集」解説

佐藤春夫




 荷風先生は毅然たる現実主義精神を抱いた散文作家であると同時に、一面には嫋々じょうじょうたる抒情詩人である。この両面を解して後はじめて先生が真面目に接し得られるというべきである。先生のすべての傑作はみなこの両面がさまざまな釣合を保ちながら渾然融和の妙趣を発揮している。いずれも散文精神の伴奏として陰翳いんえいのような役割をしている先生の詩情が、詩の形をとって真正面から打ち出されたものがない代りに、先生がその詩情を培い詩魂を鍛冶とうやされるために常に読誦される海外の詩篇を、愛誦のあまり訳出されたものの一巻がある。この珊瑚集が即ちそれである。
 集ははじめ大正二年四月下浣げかん、ボードレエルに関する四葉ヴ※[#小書き片仮名ヱ、127-9]ルレエンに関する三葉の外レニェエの肖像以下数葉合せて十三葉の写真版を挿画とし、赤いマーブル紙をヒラに赤いクロースを背にはぎ分けた華麗な装釘で発売された。版元は籾山書店である。後年春陽堂文庫がこれを収めて普及版とした外、近ごろ第一書房が覆刻を新装上梓した。
 本書は籾山版を底本として第一書房の新版を参酌の上その改訂に従い、また「菊花の歌」「あまりに泣きぬ若き時」の二篇をも加えていささか最後に出た版本たるの意を用いた。先生もこれを諒せられて御自身進んで厳密な校正の筆を執られた間にテニヲハ振仮名行間のアキなど三四の瑣細ながら重要な加筆改訂を賜わった。
 書名の由来は籾山版にある序文にあきらかであるがこの序は旧文の意に満たぬものが多いという理由で先生がこれを削除せられたから、先生の意を体してここにも引用に及ばない。
 篇中の諸作の初出は、多く「スバル」「三田文学」「アルス」あるいは「ザンボア」などの諸誌であったかとおぼつかないながらに記憶している。いずれにせよ、先生が三十歳を余り多くは越えさせられなかった当時の業績である。当年のわが詩壇は『思ひ出』の北原白秋、『廃園』の三木露風『道程』の高村光太郎氏などが活気を呈していた。先生は白秋が一詩の竹枝の調を帯びたものに対して「紅茶の後」で推賞された。先生の詩と詩壇とに対する関心を見るべきである。
 追加の二篇のうち「菊花の歌」は初め雑誌「花月」の余白を埋められたものを摘み採られた。「あまりに泣きぬ若き時」は小説「雨瀟瀟[#「雨瀟瀟」は底本では「雨蕭々」]」の本文中にその原文と対照して作の一部分を構成していたものである。ともに春陽堂版以来本集に収載されたものである。
 これらの「訳詩について」は先生御自身が「荷風随筆」の一項にこれを記しておられる。特志の向は同書(一八五頁―一九五頁)に就いて見られるがよいが、ここには本集と直接関係があると思われる部分を抜き出して参考に供してみる。先生のいわく――
「……一時わたくしは鴎外柳村二先生のひそみならって[#「做って」はママ]、西詩の翻訳を試みたのも、思えば既に二十年に近いむかしである。当時わたくしが好んでこの事に従ったのは西詩の余香をわが文壇に伝えようと欲するよりもむしろこの事によって、わたくしは自家の感情と文辞とを洗練せしむる助けになそうと思ったのである。わが旧著の中『新橋夜話』に収載した「短夜」といい「昼すぎ」というごとき対話の文、劇詩の体裁を取れる「秋のわかれ」の如き当時わたくしはいずれも仏蘭西抒情詩の翻訳からあらたに得たる収穫となしたものであった。」と、この集が先生を知るにどれだけ重要であるかを知るに足るであろう。先生の目的が必しもそれになかったとしても、先生の恩恵によって西詩の余香をきくし詩法を学び得た者もまた決してすくなくなかった。当時の一読者として自分はその証人である。
 この集のなかの主な詩人ボードレエルとヴ※[#小書き片仮名ヱ、129-13]ルレエン(ともに先生が愛好し尊重するアンリイ・ド・レニェエと三家みな各七篇ずつを取っている)とに関して、先生はアンドレ・ヂィドとジャン・モレアスとの意見を「訳詩について」のうちで伝えておられる――「……ボードレエルは偉大なる詩人にしてまた偉大なる芸術家であったがしかし純粋なる詩人であったとは言われないと論じて暗にボードレエルを抑えてヴ※[#小書き片仮名ヱ、130-2]ルレエンを揚げている。これに由って見ればモレアスは詞芸に巧みなるよりも、また思想の深遠ならんよりも感情の純白なる事を以て詩人の本領となしたものらしく思われる」と、この詩人観はその語気文勢を察するにまた、先生の同感されるところであるらしい。先生もヂィド、モレアス二家と同じくボードレエルは年少の頃特に傾倒されたものかこれに共鳴する作風の短篇を多く見せられたが、やがて短篇「妾宅」ぐらいを最後にして後年は見かけなくなった。これに代って後年には温雅哀婉なレニェエが詩趣に通う作を多く示されているように拝する。――かの詩人の感化とよりは自然の勢であろうが。
 また「訳詩について」の文中、先生は「戦後わたくしがひもといた新しい仏蘭西の詩集はアポリネール、ヴァレリイ、ジュル・ロマンその他二三家の集に過ぎない」と言われまた「しかしわたくしは泰西の新詩を読むことを全く廃してしまったわけではない。唯系統を追って読むことをおこたっているのみで、目に触れるものは随意にこれを漫読していることは過ぎし日と更にかわりはない」とも記しておられる。しかし先生が訳詩の筆はミュッセがリュシイにとりかかられて間もなく事によってなげうたれて以来、再び執り上げられる機もしばしばないとすれば、先生が訳詩の集は当分この一巻で満足するより致し方もなかろう。
 思い浮ぶままに一例を挙げれば、「歓楽」のなかにフランソア・コッペーの「涙」の訳があるように先生のお作をもっとたんねんに捜したらまだほかにも出て来そうな気もする。いや断片ならば十五章を春陽堂版はこの集に附録しているが、それ等は、籾山版にあった九種の散文とともに本書には収めなかった。
 籾山版の散文九種の題だけを記して置くとすれば、
モウパツサンの扁舟紀行
ピヱエル・ロチイと日本の風景
窓の花(カチユル・マンデス作)
二人処女(マルセル・プレヴオ作)
水かがみ(アンリイ・ド・レニヱエ作)
仏蘭西の新社会劇
仏蘭西の自然主義と其反動
芸術と芸術の製作者
伊太利亜新興の閨秀文学
 原詩及原作者について解説することは筆者の能くし得るところではないからひとえに読者の宥恕ゆうじょを請うばかりである。これらの点や先生の訳詩語彙と江戸文芸との自ずからな関係など適当な人を得て更に詳しい解説や研究も欲しいものである。
昭和十三年七月十六日
佐藤春夫誌す


〔編集付記〕
読みやすくするために、現代仮名づかいに改め、読みにくい語に振り仮名を付す等の処置をおこなった。





底本:「珊瑚集」岩波文庫、岩波書店
   1991(平成3)年11月18日改版第1刷発行
底本の親本:「珊瑚集」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年9月1日発行
初出:「珊瑚集」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年9月1日発行
※底本における表題「解説」に、底本名を補い、作品名を「「珊瑚集」解説」としました。
※誤植を疑った「雨蕭々」を、底本も、親本も「雨蕭々」としていますが、親本発行までに出版された「雨瀟瀟」の作品名を「荷風全集 第十四巻」岩波書店、1993(平成5)年11月26日発行の後記 p.488-490で確認の上、「雨瀟瀟」にあらためました。
入力:きりんの手紙
校正:朱
2022年11月26日作成
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●表記について

小書き片仮名ヱ    127-9、129-13、130-2


●図書カード