征旅
蛾は
あのやうに狂ほしく
とびこんでゆくではないか
みづからを灼く
わたしは
みづからを灼く たたかひの
火むらのただなかへ とびこんでゆく
あゝ 一匹の蛾だ
夢に白鶏をみる
暁のともしびほそく灯りて歳新し 城太郎
神さびた白鶏が ククク、クと鳴いて
羽搏いた
あとは 森閑と なり鎮まる
(鶏の面輪は
いま 厳かに
うつつなに
――歳 軋り
独楽
秋のゆふべの卓上にして
独楽は廻り澄む
――青森大鰐、島津彦三郎作、大独楽が
――鳥取の桐で作られた占ひ独楽が
――玉独楽が
――陸奥の「スリバツ」独楽が
――土湯、阿部治助作といふ 提灯独楽が
――伊香保の唐独楽が
――九州、佐賀のかぶら独楽が
――三重、桑名のおかざり独楽が
まはる まはる
秋のゆふべの卓上にして
独楽が 廻つてゐる
麦酒樽のおなかを ゆさぶりながら 廻るもの
六角の体を
口笛をふきながら 廻るもの
ころりころりと廻りながら 転りおちるもの
仆れたのち 廻りはじめるもの
廻りながら 仲間に
はやくも寝そべつて了ふもの
寂ねんと
独楽よ
廻り廻つて澄みきるとき
おまへの「動」は
ちやうど 深山のやうな「静」のふかさにかへる
静にして
なほ 動
――この「動」の不動のしづかさを観よ
秋のゆふべの
独楽 ひとつ
廻りながらに澄んでゆく
半球の距離
卓上燈の傘のうへに きて
夜が
うつとりと 眼を閉ぢる
――鎧戸のそとで 雪が ささやく
(雪の重さが やはらかに 時間に
地球のうへを
ひとつの跫音が 近づく
ひとつの跫音が とほりすぎてゆく
わたしのペンは ささやく
時間よりもながい
たたかふ義弟は
やがて
短く この
義兄の愛情を 読みをはるであらう
あたたかい東半球のあちら側
――剣の柄を かい込み
ぼんのくぼに 汗を光らせながら
鎧戸のそとに
雪
卓上燈の 傘のうへに 夜、
夜から剥落する
剣のやうな時間の微針が 粒子が
ささやきが
わたしの双の肩をさして
ひり ひりと
元朝
あかるい庭のはうで
胸張つて
ことしの鶯が 啼く
子の眠りはふかい
ふかい眠りから 子を呼びさますもの
――眼にみえぬところにあるもの
ちちか
ははか
否 いな、とほきにある
神のおん手のごときもの
ひかりが 怒つてゐる
ひかりが
怒る ひかりに 親しめ
あかるい夜のそらで
――胸張つて
ことしの奴凧が 跳ねてゐる
大歳
冬の蝶――山茶花の花と間違へられて、困る。動かないでゐるものだから。
冬の蜂――寒さには とかく動くのが億劫だね。
冬の蠅――年寄りには、障子の桟で 日向ぼこが一等。
子供――この氷 薄くて駄目。
柄杓――あたいを一緒にもつてゆかないでね。
冬の山――雪のちやんちやんこで どれ ひと眠りするか。
冬の川――あたしの口笛は とんと冴えない。
木枯――替つておれが 虎落笛 を吹いてあげる。
鐘楼――もう二、三人きた。「山門のひらかれてあり除夜詣」か
壁書
小早川隆景に傚ひ
おもしろの雅遊よ 詩に
おもしろの憂悶よ 鬱屈に栖まぬほど
おもしろの
おもしろの晦渋よ 己と己を見失はぬほど
おもしろの
おもしろの茅舎よ 鶺鴒も来鳴くほど
寒蟲
堆い 神の塵が
書架の書に
ひつそり ふり積んでゐる
ちよつと子よ
そこから「周易本義」をとりだしてくれ
そつと その埃を払つてくれ
ついでに頁を 披いてみてくれ
―― は天
―― は地
(この陰陽のくみあはせは 子よ
おもひを 夜寒の
八衢に
わが手の一抹に
神の塵は
書物の背を 暗くはなれ 散じ
灯のかげにかすむ
(卓上一穂の灯に)
書物を閉ぢ
また 書物を披く
披いた頁のなかから 虫が鳴きだす
――つづれさせ ころもさせ
子よ 寒くはないか
折つて坐る 夜寒の膝に
膝の髄に
また ぽつりと 夜寒の虫がひとこゑ。
路上偶成
あと ひと息のところで
カタとおち
遮断機が 行手に大手をひろげた
まのあたり 月を載せ
――清水に流した素麺、いな
あの白ぬきの縞がらを いくすぢの線路が織る
とつぜん
ざあつとひかりを わたしに浴びせかけ
光り虫が いくつか
断続しながら わがまへを過ぎた
佇んで しばし
わたしは半生の行路にして
いくたび わたしを阻んだ
あの眼にみえぬ遮断機を かたどる
眼前咫尺まで おびきよせて遮り
故意に拒むやうな 依怙地な仕打をなしたもの
通りすぎるまでの ぎりぎりの
結着を待つて 暖かに 降ろされたもの
一歩は踏みこませ またひき戻させたもの
半ば歩ませ 半ばは駈歩に 急きたてたもの
はてしなく 待ち草臥れさせたもの
まち草臥れさせて
跨線橋に追ひやつてから すぐと展いたもの
いま一歩にして
みつけた
それに
それから……
家庭
にんげんの神経と神経の 谷間
そこを流れる うそ寒のかぜに吹かれ
身を研ぐやうに
あるいた あるきまはつてきた
いまは
たたみ針のがさつさも
縫い針のこまかさも 心得てゐる――
もはや この神経の
千枚張りの
夜
わたしは かぜに揉まれる 一羽の
揚羽蝶を
――かぜに揉まれる 揚羽蝶の
あのしたたかな驕りを 身につける……
夜
けふの腕を解く
ぽろりと なにやらおちた
(透いた鱗の一枚)
わたしの
龍の驕りに肖たものが 栖み
それが身悶えするたびに
龍の鱗は剥落する 剥落して 渇いた音をたてる
もうわたしを わたし自身
龍よりも 手に負へなくしてゐるらしい
なんだらう かうした思量は!
――さういふじぶんを やさしく
うしろから そつと
告げることなく わたしを抱いた
旅の手帳
中央線、小海線、信越線――九月
竹煮艸――錆びた鉄路の両脇で 鈴を振る警手。黄いろの制服を着て。一列に並んで。ときに秋の稲の穂を真似て。
蕎麦の花――秋はやい山間の、白茶けた手織木綿の緞通。あちらに一枚。こちらに一枚。
山のぼる汽罐車、――すこし登り坂にかかるとすぐさま、宿痾の喘息が出る。身も世もなく息ぎれがする。ただの二輛きりで、もうこのありさま。気の毒がつて、耳うちする。「はやく、新時代の電化療法をやつて貰ひたまへ」……ところで、嵩じた喘息は、降り坂にかかると、さつさとをさまる。
諏訪の湖あかり――周囲 の山が昏れてから、ぽんと一枚、仰むきに置かれた、手鏡。このやうなところに、身だしなみはある。天は洒落 ものだ。
わかれ
――秋といひ条、諏訪湖の宿で吊つたが、松原湖の宿では、もう吊らない。夏の遺産。にんげんを捕る、このあをい投網 。一日跨いだ、数十里の距離が、わたしに「
のわかれ」を身につけさせる。


煙草干す――うすい葉っぱ、あれは動物園の象の耳に肖てゐる。象の耳を揃へて、軒に吊るした山家を、たんねんに、わたしの汽車がみてまはる。
水車小屋――松原湖からくだる、道の両脇、八ヶ岳一合目の標石をさしはさんで、ゆつくり廻つたはうが、もちがいいといつた風に、二つの水車が、悠然と廻りあつてゐる。通りすがりのわたしに、小屋のなかで、せつせと首ふる杵の鼻唄が、聞えた。
諏訪湖の宿――まへが、詩人田中冬二さんの栖居。うしろが、一泓 の湖。秋の雨が、まへうしろとなく、ふりしぶく。秋かぜのつのりて吾亦紅 の雨
雁わたる――灯を消した、山の湖畔の宿。湖の夜天を、鳴きつれる、一連の鳥。カリ、カリ、とお互の呼び名を、呼びあつてゐるこゑが、夜の山気に、冷たく谺して移る。……よほど、夜道に、自信なげな気ぶり。同類が、あんなに大勢ゐながら。
湖上滑走――松原湖の宿では、湖へむけて、拡声機が口をあいてゐる。秋も、まだ九月。湖は、氷るにははやすぎる。……ゆふがた、学生がやつてきて、それへ、ワルツのレコオドをかけてゆく。湖のうへで、滑走してゐるのは、――ただ、鶺鴒の親子だけだ。
軽井沢で――落葉松の奥の小径では、もう、ほそ葉の泪が、いつぱい溜つて、赤くなつてゐる。自転車で、そのうへを踏んでみる。このなみだは、やはらかい。
高原の艸――軽井沢草木屋の、版画の絵はがきになつてゐる、……つまとりさう。やまをだまき。あかばな。まひづるさう。あけび。をとめゆり。ほととぎす。ほたるかづら。……
自転車の感情――素手であるくと、わたしのはうがずゐぶん迅いのだが、自転車を藉ると、矢庭に、脚弱 の友人のはうが迅くなる。思ふに、軽井沢では、自転車は、蹇 のにんげんに同情するのであるらしい。(この、感情的なる自転車!)
軽井沢の林檎――ここの林檎は、いつみても血色がよくない。ごつごつして、胸病むひとのやうに、蒼ざめてゐる。おそらく、高原の紫外線を避けて、いつまでも、紙の頬かむりをしてゐるからなんだ。
旧道の菊屋で――友人とふたり、秋のプディングの皿をかへた。国防色の、チョコレートがかけてある。
九月なかばの軽井沢駅で――夏が背をむけて、雨のなかを、落ちていつた。避暑客につづいて、しよんぼり。秋が傘さして、やつてきた。山霧と落葉松の隙 から、大股に。――わたしは、ちやうど、その中間を歩いたことになる。夏服で。白靴で。ぬれしほたれて。……
再び旧道で、九月なかばといふに、気早なここの商店街は、あらかた、渡り鳥のやうに都へ還つてゆき、店舗は、荷造り函そのまま、板を釘づけにしてゐる。街は、うへにゆくに随つて、寂しくなる。ちやうど、荷造り函のあひだを歩くに肖た、零落 れた気持……秋霖が、この荷造り函を、いつせいに濡らしてゐる。
姫鱒――軽井沢上水の、清冽な流れのなかで、嬋娟 と、鰭 や尾を研いでゐる。ときどき流されたふりをして、また元の位置へ戻る。ひどく億劫がり屋の、姫御前。……水があるから、しやうことなしに泳いでゐてやる、といつた風情だ。(わたしに女の子が生まれたら、あのやうに育てることではない!)
みたび旧道で――草津ゆきの軽便が停るたびに、それでも、すこし派手な夏の色彩がこぼれ出す。だが、それらはどこへ、沁みこんで了ふのか。しばらくすると、また元のひつそりした、商店街になつて、雨がふつてゐる。わたしは、洋服に下駄といふいでたち、宿の名を大きく書いた唐傘さして、林檎を購 ひに出る。
帰来――秋霖のけぶるなか、新宿で、友人と別れる。お互に、旅嚢いつぱい、旅愁をぶらさげて。それに、旅の垢を、しこたま、くつつけて。
秋霖が車窓にかけた、寒い簾のむかうで、旅嚢がゆれてゐる。ゆれて、遠退 く。わたしの旅愁と一緒に。……
秋の人
囮して 禽来ぬ山の いのこづち
晩夏
眠れねば晩夏夜あけの冷さなど 草田男
わが家の棟を超える、秋ちかい夜かぜのいちまいが、なにか、息ながい囁きをゆりこぼしながら、ゆつくり、隣の家へと、ふき移る。ふるい家が、鷹揚に軋んで、それに
この「ささやき」と「いらへ」の真下で、思ひついたやうに、かたへの子の、寝ごとが、切なく、わたしをおどろかす。――夜の夜中でもかぜが樹樹を囁かせ、かぜが家家を軋ませるやうに、淡い子の夢が、切なく子を駆つて、なにごとかをいはせるのであらう。なにを、子は夢みるのか。子の蹴りすてた小夜着は、

小さな時

わが手首に、小さく時を刻むもののひびきが、子の寝息に和し、子の寝息もまた、おのづから、この小さな、時の刻みに和して、あさい夏の夜が
ふらここ
未明の庭に
きつこ、きつこ、と
ひとしれず ふらここが鳴いてゐる
(たれもゐはしないのだ)
ひとしれず 風が ふらここを
ふらここは 風を 怡しんでをり
未明の庭に入り
子のゐないふらここを うごかしてゐる
ふらここは鳴く、――きつこ、きつこ、と
なつかしげに 身を揺すつて
しばらくは無心
子が それと遊んでゐるかのやうに
(しんと
未明の庭に入り
子のゐない ふらここに 乗つてゐる
子供の
それに のりうつつて
庭のねむりの 深さ
龍のひげ
未明の庭なり
灌木の下かげに 隠れ栖み
暮春孟夏
淡むらさきの 念珠つらぬるもの
なんぢ 天の雫、
そのすがた 名の魁偉なるに背き
あはれ あるなしのかぜにしも
わが
子ろの
曇日
そそけだつ ヒマラヤ杉の
(
つめたい 春の
(
噴きあげの霧のさなか
すべてのもの 汗をながし
すべてのもの こゑをひそめ
地底に呻く 地霊に肖て たましひを痺れさせる
この音楽……
わたしは 冷たいひとつの墓石に額づく
――玉窓院富雪妙琴大姉
(わが母 ここに眠る)
忠告
いち日 手ごろな
やまひを抱いて 落葉松の林を
せつせとあるき廻る
さうしたわたしに
――ね、そんなに歩いていいのかい」
病気のはうで 心配げに囁いた
――なに構ふものか 死なば諸共さ!」
わたしの内部 で 強気に さう応 へするもののこゑがしてゐる
さうした問ひと応への まんなかで
うつすら わたしは病む
日がな一日 はらはら
泪こぼしてゐる 落葉松林の落葉松
その泪がはらはらと 樹下ゆく
わたしの肩に 胸に ズボンのあはせ目に
音をさせないでふり積る
ふりはらふ と
それは やはり音たてず 地 にこぼれた
夜、ねいりばなの襟あしを
ちくりと 落葉松のひと葉が刺す
――無理だ あんまり歩きなさんなよ」
さういふつもりなんだらう きつと……
夏夜
真夜 ひつそりと
お腹のなかで 雷鳴があるいてゐる
真夜 天の一方で
ものしづかな遠雷が
経過
頭髪に
精神が、表門で病気と格闘してゐるすきに、こっそり、肉体は裏口で、病気と仲よしになつてゐるのだ。
体温表のうへでは、
いまでは、それが、わたしにもみえる。
乖離
精神ははげしく怒り、はげしく叱

じぶんの体を支へた、天の糸の一本が
腕は指ほどに細まり、脚は腕ほどに痩せ、蹌踉と、起ちあがる。蹌踉と歩む。仆れる。さながら、喪家の犬に肖てゐる。(糧道を失つた、喪家の犬に)
精神だけは怒りながら、はげしく叱

爪
――この病人は死ぬといふ
この人は爪ばかり観てゐる
爪ばかり観てゐる病人は死ぬといふ
(その爪は類ひなく美しい)
爪のなかに
その生涯を貫く 火のやうな精根が 凝り固まり
死病がいまはに
それを炎えたたせる それを 美しく化粧する……
あゝ その化粧は美しく またいたましい
――この病人は爪ばかり観てゐる
爪ばかり観てゐる病人は死ぬといふ
(その爪は類ひなく美しい)
燕
わたしの病室は三階の南面。
朝のきまつた時間に、旅客機が、巨きく窓をさしのぞいて、すぎる。
電線が、この窓をみながら、南北に走る。
ある朝、それへ、南方還りの瀟洒な珍客が、いつぱし見舞顔に、燕尾服で、わが室をさしのぞいたものだ。れいの黄いろな、口喧しい口でもつて、ぱちくり喋くりながら。
ふとわたしが、ふた言みこと挨拶をかへすと、この気ばやな
退院
午前四時の うすら明りのなかで
わたしは 海のやうな青
