Sine qua non
乖離
十月。秋神の即位。――
道傍の亜灌木にある、水禽の糞。
湖からあがる風が、弧を描いて、水霜の葉におちる。
青い
手帖に一篇


「灰色の靴下を
霊感の
かれが年老いたアナクレオンのやうに、雨にうたれながら詩を吐き出す、――吐き出すことそれは、一向エヴァンヂェリックではない。


わたしは
みづうみ
ほととぎす啼や湖水のささ濁り 丈艸
私は湖をながめてゐた
湖からあげる微風に靠 れて 湖 鳥が一羽
岸へと波を手繰りよせてゐるのを ながめてゐた
澄んだ湖の表情がさつと曇つた
湖のうへ おどけた驟雨 がたたずまひをしてゐる
そのなかで どこかで 湖鳥が啼いた
私はいく夜 さも睡れずにゐた
書きつぶし書きつぶしした紙きれは
微風の媒介 で ひとつひとつ湖にたべさせていつた
湖 いな
貪婪な天の食指を追ひたてて
そして結句 手にのこつたものはなんにもない
白けた肉体の一部
それから うすく疲れた回教経典 の一帙
刻刻に暁がふくらんでくる
湖どりが啼き
窓の外に湖がある
窓のうちに卓子 がある
卓子のめぐり 白い思考の紙くづが堆く死んでゐる
ひと夜さの空しいにんげんの足掻きが のたうつてそこに死んでゐる!
この夥しい思考の屍を葬らう
窓を展いて 澄んだ湖のなかへと
Sine qua non
そなたの
片脚あげた 噴き上げの鶴よ。
わたしは読み飽いた「聖ヨハネ祭の夜」の頁をたたみこんで、暗い
その夜、なにせ、季節は冬から孟春に、とび超えようといふのだ。(くらい天の一方で、
わたしの中のわたしが、しばし
窺きガラスのなか、
―― Chio, chio, chio, chio-chinks
chio, chio, chio, chio-chinks …
暁は
わたしもまた睡りたりん。
歌ごゑは、蝋燭ほどの月あかりの下びに。灌木のしげみのあちら側に。
どこか「夜啼鶯」とでもいひたいが、――
(ひょいとヒマラヤ杉を、湖かぜが煽つてとほる。ひそひそ噺のかたちで。…)
ふいに、
わたしの前にゐた
なんといふ いい夜!
わたしの中のわたしが呟く
―― Sine qua non と。
哀訴
旅館寒燈独不眠 高適
天の河を
旅館の門燈のあたりだけ
淡く
(いつたい、どこへ宿れといふのだらう?)
わたしはその下に彳んで
せつせと書き綴る、
――あんのんな
どうにか 神さま!
お与へください といふ
山下町の夜
「
「
その冬のゆふぐれが
ぽつぽつ、街燈に
――横浜 山下町の、ここから海が
たつた一つ、――ごらん、外国商館の屋上の、幽婉な
その涼しやかなスカイ・ライン。――まだ早い夜の、まだ星かげうすい空…
碇泊した Empress of Asia が
海へ明るい
(そのあたりだけ、海が燃えてゐる)
赤い土耳古帽のせた ひよろながい印度人の火夫が
その後から、青い星を散らす電車のポオル。
わたしは歩み入る、街路樹の
公園の
夜の鶴をわたしは
天から堕ちた純白のマダム・シゴオニュの扇)
ゆふあかりの青黛が仄のり匂ふ。あの自転車置場に、囁き交してゐる地上の
弾く人のゐない夜
室は冷 かに、澄んでゐる。動かぬ。
動くものが欲しい。
ただひとつ、動くものがゐる。あそこに…
ピアノの胸のあたりで、夜は頭をふつてゐるメトロノオム、
おまへの微韻 だけが、そつと夜をゆさぶる。
百虫譜、
わたしは愬 へるやうに、眠りからたちあがる。
なにものかの声が囁く。
「――なにせ、秋だ、聖壇の大蝋燭のやうに、ちらちら、感情の膜 が耀 ひながら微動する」と
花が崩れ、水晶の時計に肖 た秋が
かうべの後 ろ側 で澄んでゐる。
雪もよい
寒い。
わかい歯科医のもとへ 一句
「歯石 はづす 夜の皓 さに
睫毛鳴る」とかき送つて
その夜、まつしろいものに埋 つて寝た。
寒い。
青い視野の奥のはうで
鵞ペンは、わたしの鵞ペンは寝たやうだ
それから わたしの子供も 句帖も。
ところで
のこつた、眠らないのがただひとつ
膨らんで阿呆のやうな、きたならしい、このひだりの胸の哀求 律。
寒い。
夜のからんからんに乾いた空気の、その底で
うつかり 咳 をとりおとすと
発止!
それは青く火を発して 鳴つた。
雪
雪は紋をつくる。皷の、あふぎの、羊歯の紋。
六花。十二花。砲弾の紋。
六花。十二花。砲弾の紋。
江州ひこね。ひこね桜馬場。さくらの並木。
すつぽり、雪ごもりの街区。
星のうごかぬ、八面玲瓏と煙 り澄んだ、銀張りの夜。
早寝の牀 で聴いてゐる。……プラステイックな宇宙 のしはぶきを。(このとき、地球は鞠 ほどの大きさしかない)
燠に化 つた榾 の呟き。――わたしの脊椎 を外 しとつてする「洗骨式 」を、……でなければ[#「でなければ」は底本では「でなけれは」]、肉体の髄を焙 きつくしてする「風葬祭 」を、……そんな末枯 れた夢見もするわな。
あなたの鬢 にも、雪がある。
てがるな緑化季
六月です
ちちははよ
窓したの疎林で、郭公鳥が啼いてゐる。
夜間中学の
よく
(あのこゑは いまや初夏のひかりを浴びる)
わたしは截る 淡茶いろの竹針
それに
一円半の CUCKOO WALTZ を唄はせよう。
あの
葉緑素のかつぱつな軽井澤では
へんに
ひとは白つぽく
時間はかたむいて 明るい…
(リルケが歌つたやうに)
てがるな緑化季ですね
ちちははよ
はて
わが胸の枝々で 郭公鳥が啼いてゐる。
つばくろ
雨………
門を暗くして、ひとは潜る。昆虫はゆき、またかへる。門を暗くして紛れ込む両伯のたぐひ。――このグリィンを濡らした、微粒の賊!
ことし首夏。まだわかい燕のつがひが巣くつた門。
ひもじい愁ひをば霊台に薫じて、門を潜り、ひもじい愛慾の層をば、身うちにかき濁して、グリィンにしぶく雨に濡れて出る。
雨………
美しく蓑と傘とを棄てた。
晴ればれと、かへる燕。雨のなかに、汚れた道がけぶり、道の見付に、亭い門。その門を凌ぐ一双の菩提樹 。いな、身の薄いひもじさに悶えながらに、ひとがをり、そのひとの後ろのグリィンに、やはり、門を暗くする雨が煙 る。
雨………
門を翔けぬける、一羽の燕の、飜転。その姿は緑海 に消える。(わたしも飛び込まう。燕よ。とめだてしないでおくれ。あのさむく黝んだ葉緑の海の、ただなかへ!)
鶯
去年 の雪いづこ
かの
ねざめに あをき 窓
散りこし
いづち ゆきけむ
茅蜩記
比叡のなだりをくだり、うぐひすぶえとまをすものききはべりしか。いまだくわぶんにしてひぐらしぶえ、耳にいたせしことこれなくそろ。短日幽居のなぐさに、さればひとこゑ、きかまほしくとはぞんじそろ。
偶来松樹下 高枕石頭眠
山中無暦日 寒尽不知年
大歳の暮れのひそまり、それは草臥れた心をたてかけるためにいい。「山中無暦日」といふ詩句、そのなかに、わたしは栖んでゐる。山中の
いましがた、湯殿への渡廊下で、わたしは一片、白いものに触れた。雪をのせた濶葉樹の落葉でないとすれば、匂ひをたたんだ、銀木犀の花びらの一片にちかい。外の雪あかりにすかしてみると、大晦日の三十一と書かれた亜刺比亜数字が、顫へるやうに、その白さを汚してゐた。ふつと思ひかへしてみると、もうこの歳も暮れるにちかいことが、まざまざと甦つた。山中無暦日。――暦日のない
湯に涵つて目を瞑つてみると、その暦の白いおもてを、気ぜはしく、年のうちすぎる跫音が、聴きとれる思ひがする。――内湯におちる湯の音。――玻璃にさらさらと肌ふれて、闇に沈んでゆく、塩のやうな粉雪。耳をすますと、裏山を越える木枯のかぜの一枚が、颯と幅ひろに、けものの吼えるに肖た叫びを、おろしてきた。庭樹が鳴る。小禽の
そのこゑが、はたと途絶えると、遽かに落湯の音。木枯のざわめき。身をかへして、わたしは一度ひらいた眼を、また瞑る。……
野
蟋蟀堂にあり、歳聿 にそれ莫 れぬ 国風
――あれだ。
ドオデエも「風車小屋だより」のなかにかいておいた、あの
一天の
鶯
夜更け。
暖炉のめぐりの、あのあかるい
けきよ、けきよ、けきよ、けきよ。その温気のなかを、籠から、鶯が啼く…
すこし酸味のかつた終電車の軋り。外では白い微粉が片明りして、軒のあかしを朧ろに、それが、なにか十二月だといふ身についた落ちつきで、靡いてゐる。――なにかを、
暖炉のうへの硝子時計。
壁の一角に
けきよ、けきよ。……鶯の啼くこと、ふたこゑばかり。


澱んでゐた夜が、その音に思ひついて、せつせと闌けてゆく。
けきよ、けきよ、けきよ、けきよ。
すでに年が老 けて…
まくらの草子に出る 蓑虫よりは見窄らしい
あの
もう流しもとの
――つづれさせ ころもさせ
おつっけ秋もをはりだと あいつがわたしに告げる
白秋は砂糖のこなが眼に沁むと、歌つた
あの夜ふけの
ひよっこり
――ちりり ちりり
糸のすり切れたヴィオロンをきかせる
「ヴェルレ※[#小書き片仮名ヱ、42-下-5]ヌよ
あの虫が「古詩十九首」のなかでは
月のあたつた
――さむいほどだ 思つても 気がとほくなる
それが茫々たる なん千年の
やつぱり詩人に
かうして
八十八夜
寝いり
蚊ひとつ
ぷぅんと鳴きついて
かた手間に 「歳時記」をのぞいてみる
「農家 耕ヲ首ム
立春ヨリ八十八日 マタ春霜ヲ置カズ
茶摘ミハ真盛リ 養蚕ハ初眠ノ頃」
立春ヨリ八十八日 マタ春霜ヲ置カズ
茶摘ミハ真盛リ 養蚕ハ初眠ノ頃」
ゆふ窓におく
そのなかに
または むやみと
ぱらぱらと 夜かぜがきて
聖燭節 さうさう 二月二日
ちらちら 粉雪 しばたたく燭台の燭と
祈祷 のこゑと
それに(映写幕 のうへの
マリア・シヤプドレェヌの雪)
ちらちら 粉雪 しばたたく燭台の燭と
それに(
マリア・シヤプドレェヌの雪)
それらがさつと
脳の芯に白つぽいものが いつぱい
蚊の哀訴 それもすでに止んだ
ときあつて風がもつてくる
――夜学の

ひとすぢ 微睡の耳にじやれつくだけ。
年の徂徠
いま
見窄らしく
そつと、闇のなかにと
そのあとの空白を、
午前零時、たつたいま、
痩せこけた年の詩神は、息をひきとる。あゝ古ぼけた
――
睡りかけた鳩時計が唄を歌ひだす、
ぽつぷう、ぽつぷう、ぽつぷう、
(それ「
わたしは
それから、雪のなかへと
やつてくる年の
――さりげない
海へ
海へ、一日。
しこたま夏の陽を仕入れて、日の暮れがたに還つてみると、わたしの生地の肌がかう呟くのだ。「なんとよくもこれだけ掏 りかへられたものだ」と。
夜、絲爪棚のかげで一風呂浴びる。
すると、どうだ。現像液に涵した乾板のやうに、わたしの生地の部分が、みるみる泛びあがつてきた。
ブラウンと白とで出来あがつた、だんだらの斑 。この半白の「肉体写真」のうへで、一日の太陽の歩みを、――仮借なく灼きつける、その炎の歌を、まざまざと読みとることができる。
夜は夜で、この太陽の火傷 が、わたしをひと晩眠らせない。
河
石の橋 寒く彳んで
わたしは独語する、――おもひぞ屈する河」と
その河ふところ 煤けた没り日をば泛け
灰だみ かき濁る 都会の河

この河、ま二つにかきわけながら
このゆふべ
遠ざかつてゆく ひとつの白亜の
(わが胸に消えてゆく ひとつの思惟…)
石の橋 寒く彳んで
わたしは独語する、――河、わたしの
からす
ラフカディオ・ハァンの「ほとけの畠の落穂」を眺める。その一節をわたしはノオトする


このくだりで、わたしはハァンのなかにじぶんを、またじぶんのなかにハァンを置いてみた。その空隙 をふさぐ幾億兆の群集。――わたしは「ほとけの畠」の、あの目こぼれを啄む、一羽の禽に、どうやら肖 てきてゐる。しかも、零落 れた一羽のからすに。
孤
わけ入る山
やつてくる男
あと一日の九月が 一瞬に
濁つた珈琲いろの雨の中に沈んだ
雨水の灌奠
沁みる
傘
溝水のひびきは現象の悲鳴
けふ わが
きのふの「歌」と「非情」と「凡心」の窒死…
暗闇から
初秋の傘の匂ひがジンと沁みる
重い感覚は 昨日の室に
あの鍵の音と倶におさらばとしよう
未来にかゝはりのない 生理は
一切合財 この傘の
あたらしい背を闇に飛ぶ このしぶきであれ
まさに 現象の
貪婪に
「今日」と「昨日」とが
あたらしい傘
あたらしい雨
その一日の「夜」に約束される
九月の冷冷しい雨にぬれて
夕ぐれになれば
シュルレアリストZ・Iがやつてくる
独白
高祖保よ おとがしてゐる しづかな昏れのおりるおと
高祖保よ この余 の不幸はふたたび爾にいでて爾にかへらう
高祖保よ おまへの耳が聴くのは「室内楽 」だけだ そとはかいくれ闇
高祖保よ おまへの背ごしに 半円の月が淡すぎる……
高祖保よ 頭 の鉢に植ゑるがいい 四季咲きの薔薇 一輪その匂ひがおまへの臭みを消す
高祖保よ 伐木丁丁 鳥鳴嚶々 春めいたな
高祖保よ 手をさしのべよ やがて双手は十方無礙の大千世界をさす
高祖保よ とんぼかへりしてみろ 下下 の天地へ このとき還るのだ なまなましい荒けづりの樸 に
高祖保よ にんげんに傴
するより ぞつこんおまへの精神に それを!

高祖保よ 擦 へよ 揚るべからず 
つて 謫 るべからず矣……

高祖保よ モノクロオムを看るだけの目ならいらぬ あの青黄黼黻 の観にあづかるがいい
高祖保よ 窓のそと 枯芝に日かげ 石に心 かぜ凪いだやうす
高祖保よ すきな文句、――汎たるかの栢舟、汎としてそれ流る!
高祖保よ 蟻のかげだね 蟻のかげ
高祖保よ 遠近法 がくるつてるんでせう その色盲 さしあたりこまりものだね
淡彩
ひと冬、咳きこんでゐた公園の
並木路は、まだ芽ぶかぬ
その首のめぐりはいつせいに痩せて、ほんのちよつぴり、冬の
廃館になつた領事館のまへで折れて、海へおちる道。――あをく


ゆふぐれを背負つて、その坂のうへから自転車に跨つた、
ヒマラヤ杉のうへに、日ざし弱い、ま昼の太陽がやすんでゐる。雀一羽すら、そこへはやつてこない。おしだまつて、ものに

ヒマラヤ杉の下のベンチ。目なれた浮浪者のかげすら、そこへやつてこない。気おちした、老人の精神が、トゥルゲーニエフの散文詩ふうの外套をまとつて、そこに腰をおろしてゐるだけである。――全く、まつたく、それは、わたしが置きわすれた詩の、うらぶれた


「孤
わけ入る山」
四月十四日
元住吉の野なか、車中からわたしは一羽の鵲 をみとめた。痩身長脚、羽根は霜を浴びたほどに白い。――亭 い野の欅 にとまるとき、それは樹をひきたたせる頭飾 となつた。中空に漂うて、それは一点の白 、高雅なアトムを撒きちらしてゐた。(いちど「静」のなかで羽根を憩うた、あの「動」の相で…)
四月二十一日
田中冬二さんより来翰。
麦の穂擦れの風が、海のやうにきこえるとあり、また日の暮れがたは、遠蛙がきこえるとも書かれてゐる。
麦の穂擦れの風が、海のやうにきこえるとあり、また日の暮れがたは、遠蛙がきこえるとも書かれてゐる。
四月二十四日
わたしの詩集に、荘厳 といつたものは需めまい。同時に綺羅をも。よしんば需めるとして、あの晩ざくらの群落の、――なにかかう火山灰に似た、白いうす濁りが漂つてをればよい。
五月八日
「詩経」をのぞく。太古にあつても、やはり昆虫は季節の指針をなして、月のうつりを象徴してゐたらしい。


襟すぢがへんに寒い。ひる寝のなかで、牀 の下からやつてきた蟋蟀の、ながい脚に、踏んづけられた夢をみて、さめる。
多喜氏から「近江だるま」が届く。
多喜氏から「近江だるま」が届く。
五月十八日
五月どきの蕭 やかさのなかで、あの層のふかい、漆黒の闇の肌ざはりがしたしまれる。いはく、闇中孤坐。……そのなかへ、いつぽんの蝋燭を樹てる。蝋燭の
がけぶる。まてまてけぶるのは
でなくて、わたしの孤独でこそあらう。孤独の思量。
(孤独は、ちやうど燃えおちた
から翔びたつ、孩 な灯取虫のごときものであらう)
台湾へおくるための、詩一篇。
ぽつんと紙へ題だけ落として、筆を剪る。
――「孤
わけ入る山」


(孤独は、ちやうど燃えおちた

台湾へおくるための、詩一篇。
ぽつんと紙へ題だけ落として、筆を剪る。
――「

七月
アスパラガスが、黄いろい紙屑ほどの花をつけた。その隣りあひに姫胡蝶花 が花をひらいた。それに連ねて、山百合も一輪。そのとなりに淡くれなゐの四季咲き薔薇が、ほんのちよつぴり、これも花をつけてみせた。
そのとなりに、おおそれらを培うた張本人が、傲岸に、けさそれらを見おろして立つた。それがそれ、――わたしだ。
六月
夜つぴて雨ふる。雨のあひま、川のはうへおりてゆくと、夜振 の灯がみえる。
夜振の灯。樹の下
わたしの詩集に、この句を入れることにきめる。
題は「樹の下」――
涼しさや 松の落葉を つんでゐる
冬蝶
あれ
*GOIDZUKI 木製雪掻き(彦根)
草店月初冷
あはれなるかな
わが
岸の、
軒の吊り燈籠のうへ
くれなゐ
目覚めると、庭芝のうへ、やはらかな雨が降 りてゐる。目にしみる、いろどり。睡つてゐる芝艸。――みてゐると、ぽたり、それへ凌霄 かづらの花がこぼれおちた。緑中一点紅。(これで何がな、風景に彩 が生じた)だが、芝艸の睡りはさめるとしもない。
呂律
ふるい革袋に あたらしい酒
あたらしい革袋に ふるい酒
あるひは 古い革袋にふるい酒
あるひは あたらしい革袋に あたらしい酒
「落葉哀蝉曲」を読む人
五月四日
蠅をたべた夢をみる。
満身創痍、凍夜の野に、山のやうな蠅に埋れながら。――だが、濠洲の神話にでる Mangarkunyerkunya といふ神さまは、生のまんま、蠅といふ悪魔の子を召しあがるとのこと。(よしこの故事 が、へんな夢を、訳ありげに粉飾させてもよんどころないことだ。……)
満身創痍、凍夜の野に、山のやうな蠅に埋れながら。――だが、濠洲の神話にでる Mangarkunyerkunya といふ神さまは、生のまんま、蠅といふ悪魔の子を召しあがるとのこと。(よしこの
五月五日
澄んだ机のうへに、古備前の壺が一個。
これは父の遺品である。そこに「落葉哀蝉曲」をよむひとがゐる。
…虚房冷而寂寞。落葉依于重
。
支那の落葉。歳老いた武帝。淡い夢のほとぼりが、そこから、薫ずるやうにたち昇る。
これは父の遺品である。そこに「落葉哀蝉曲」をよむひとがゐる。
…虚房冷而寂寞。落葉依于重

支那の落葉。歳老いた武帝。淡い夢のほとぼりが、そこから、薫ずるやうにたち昇る。
九月八日
わたしは、この雑駁な、とりとめのない日記をつけることに、堪へがたいまでに心を訶 まれてゐるやうだ。むしろ、この内部的感情の鬩ぎが、筆を抛つことを拒んでゐるのだともいえる。
不潔な精神界の泥沼。
不潔な精神界の泥沼。
十一月三日
児が泣きだす。強靱な生誕第一声。
コクトオ流にいへば、空間をかきむしり、眼にみえぬなにかを
りとりながら。
コクトオ流にいへば、空間をかきむしり、眼にみえぬなにかを

十二月一日
眺めてゐる。たとへば、ピアノのうへで、隻脚を振つてゐるメトロノオム。その律気な退屈さが、たまらなく、わたしの平和を揺さぶるのだ。(死んだもおなじい、温室咲きのやうな平和を。)
このとき、素迅くつぎの一句が、わたしの双のたなぞこにのこる。ストイックふうのひびきをたてながら。わたしは、まさしく不意を衝かれた。
力を尽して窄き門より入れ…
このとき、素迅くつぎの一句が、わたしの双のたなぞこにのこる。ストイックふうのひびきをたてながら。わたしは、まさしく不意を衝かれた。


和蘭陀石竹のかげに
ペンをとらなければならない。ささくれたペンを。孤独がわたしに命じた。書け、と。あの五月の闇の蕭やかさのなかで書いた、いくつかのもの欲しげな、独居の詩。辛うじて、それでも書きとめてきたのだ。わたしは。――「天使園の薔薇」だの「
(しかしそれらの中に沈んでゐるのは、孤独の
かりに額に
…「百舎重※[#「足へん+并」、U+8DF0、54-8]して来 る」
すると孤独は、そのやうに、遠方にあると思はれもする。孤独は

水に
その