青銅の魔人

江戸川乱歩




歯車の音


 冬の夜、月のさえた晩、銀座通りに近い橋のたもとの交番に、ひとりの警官が夜の見はりについていました。一時をとっくにすぎた真夜中です。
 ひるまは電車やバスや自動車が、縦横じゅうおうにはせちがう大通りも、まるでいなかの原っぱのようにさびしいのです。月の光に、四本の電車のレールがキラキラ光っているばかり、動くものは、何もありません。東京中の人が死にたえてしまったようなさびしさです。
 警官は、交番の赤い電灯の下に、じっと立って、注意ぶかくあたりを見まわしていました。濃い口ひげの下から、息をするたびに、白い煙のようなものが立ちのぼっています。寒さに息がこおるのです。
「オヤ、へんなやつだなあ。よっぱらいかな。」
 警官が思わずひとりごとをつぶやきました。
 キラキラ光った電車のレールのまんまん中を、ひとりの男が歩いてくるのです。青い色の背広に、青い色のソフトをかぶった大男です。この寒いのに外套がいとうも着ていません。
 その男の歩きかたが、じつにへんなのです。おまわりさんが、よっぱらいかと思ったのも、むりはありません。しかし、よく見ると、よっぱらいともちがいます。右ひだりにヨロヨロするのではなくて、なんだか両足とも義足ぎそくでもはめているような歩きかたなのです。人間の足で歩くのではなく、機械でできた足で歩いているような感じです。
 顔は帽子のかげになって、よく見えませんが、なんだかドス黒い顔で、それが少しもわき見をしないで、夢遊病者むゆうびょうしゃのように正面をむいたまま、ガックリガックリ歩いているのです。
 イヤ、それよりも、もっとへんなことがあります。その男の両手から銀色に光ったものが、ふさのようにさがっていて、歩くにつれて、ユラユラとゆれ、月の光に、まるで宝石のように美しくかがやくのです。
 両手ばかりではありません。男の青い洋服のポケットというポケットから、銀色のものがたれさがって、からだじゅうがチカチカと光りかがやいています。
 警官には、遠いので、その光るものがなんだかよくわかりません。銀紙のたばか、ガラス玉のついた、ひものたばでもさげているように見えたのです。それで、べつに呼びとめもしないで、見すごしてしまいましたが、あとになって、びっくりするようなことがわかってきました。
 男がさげていた光るものは、全部懐中時計だったのです。何十個というくさりつきの時計を両手にさげ、ポケットにねじこんでいたのです。
 真夜中に、時計のたばをぶらさげて、交番の前を平気で歩く男、いったいこれは何者でしょう。ばかか、きちがいか、それとも、きちがいよりもっとおそろしいものか。
 あとになって、その警官は、へんなことを考えました。
「フン、いかにもあれは時計のたばだったにちがいない。どうりで歯車の音が、ここまで聞こえてきたからな。小さな時計でも、あれだけ数がそろうと、歯車の音もばかにでっかくなるものだて。」
 しかし、それははたして懐中時計の歯車の音だったのでしょうか。時計ならばカチカチと秒をきざむ音のほうが強いはずです。ところが、お巡りさんの聞いたのは、カチカチという音ではなくて、ギリギリという、巨人の歯ぎしりのようなぶきみな歯車の音でした。

鉄の指


 それより少し前、銀座通りの白宝堂はくほうどうという有名な時計店に、おそろしい事件がおこっていました。
 十時には店をしめ、ショーウインドウにも、そとから雨戸をはめ、主人も店員もとこにつきました。白宝堂は仮ぶしんなので、鉄のおろし戸はまだできず、戸じまりはみな木の雨戸だったのです。
 その真夜中に、とつぜん、ショーウインドウのあたりで、バリバリ、ガチャンというおそろしい物音がしました。
 店に寝ていた少年店員が、びっくりして飛びおき、ただ一つだけつけたままにしてある小さな電灯の光で、音のしたほうを見ますと、ショーウインドウの中に、何か青い長いものが、ゴソゴソとうごめいていたのです。
 少年店員はおそろしさに、声をたてることもできません。そこに立ちすくんだまま、石にでもなったように、身うごきもしないで、そのうごめくものを見つめていました。
 それは、最初、巨大な青いイモムシのように見えたのですが、ほんとうは人間の腕であることが、じきわかってきました。青い色の洋服を着た人間の腕です。それが、ガラスの棚にならべてある、この店のじまんの、何十個という懐中時計をかたっぱしからつかみ取っているのです。
 ショーウインドウの外がわの厚いガラスに、大きな穴があいて、そのそとの雨戸の板も、めちゃめちゃにこわれています。さっきの物音は、賊が雨戸とガラスを、たたきやぶった音だったのです。
「どろぼうだッ!」
 思わず大きなさけび声が、のどからほとばしりました。
「なんだ、なんだ。どこにどろぼうがいるんだッ。」
 さっきから起きていた青年店員が、少年のさけび声にはげまされて、わざとどろぼうに聞こえるように、でっかい声でどなりました。
 サア、それからは大さわぎです。主人をはじめ店中のものが起きてきて、口々にわめきちらす。気のきいた店員は警察へ電話をかける。あるものは、裏口からとびだして、近所の人を呼びおこす。そのうち、勇敢なひとりの店員が、こん棒をにぎって入口の雨戸をひらき、表通りにとびだすと、二三人がそのあとにつづきました。
 そとは昼のような月の光です。しかし、その大通りには、人っ子ひとり通っていません。どろぼうは影も形もないのです。
 ごたごたしていて、表へとびだすまでには、ちょっと時間がかかりましたが、どろぼうがどんなに走っても、百メートルとは逃げられないはずです。横町にかくれているのではないかと、あちこちさがしましたが、どこにも姿は見えません。
「なんだって? なにをモゾモゾいってるんだ。もっとハッキリいってごらん。」
 破れたショーウインドウの前で、ひとりの店員が、さっきの少年店員をしかりつけていました。
「鉄の指だったよ。たしかに、あいつの指は鉄でできていたよ。いつか展覧会で見た人造人間の鉄の指とそっくりだったよ。」
 少年はさもこわそうに、目をまんまるにしていうのです。
「バカ、おまえ、ねぼけてたんだろ。人造人間に、時計を盗むなんて、器用なまねができるもんか。」
「だって、たしかに見たんだよ。指がちょうつがいになっていて、キューッと、こんなふうに、展覧会のロボットそっくりの曲がりかたをしたんだもの。」
「ウン、そういえば、僕も見た。はじめは皮手袋をはめているのかと思ったが、そうじゃない。きみのいうとおりだよ。たしかに指がちょうつがいになっていた。」
 さっき二番めに声をたてた青年店員が、少年にかせいをしました。
 そのそばに、白宝堂の主人や近所の人たち五六人が立っていて、この会話をきき、青ざめた顔を見あわせていましたが、主人は気をとりなおして、店員たちに命じました。
「警察へは電話をかけたけれど、交番へも知らせておくほうがいい。むだ口をきいていないで、だれかひとはしり行っておいで。」
 するとふたりの青年店員が、かけだしました。ひとりではなんだかこわいような気がするので、ふたりづれで交番へ行くことにしたのです。
「へんだね、たったあれだけのあいだに、どこへかくれやがったんだろうね。ばけものみたいなやつだね。」
「ねえ、きみ、あいつは人間じゃないよ。僕はどうもそんな気がするんだ。ひょっとしたら、あれは腕だけだったかもしれない。胴体はなくて、鉄の腕だけが、ショーウインドウの中へはいこんで来たという感じだったぜ。腕だけがちゅうをとんで逃げたとすると、いくらさがしたって、見つかりっこないからね。」
「オイオイ、おどかすんじゃないよ。いやだな。きみはいつも、へんな怪談の本ばかり読んでいるから、そんなとほうもないことを考えるんだよ。ここは銀座のまん中なんだぜ。」
「ウン、だが銀座の真夜中って、いやにさびしいもんだね。まるで砂漠みたいじゃないか。あの青いイモムシのような腕が、そのへんを、はいまわっているかもしれないぜ。」
「オイ、よせったら。」
 こわいものですから、かえって、冗談がいいたくなるのです。
 息をはずませながら、そんなことをいいあって、かけているうちに、橋のたもとの交番に近づきました。警官が白い息をはきながら立っています。さっき、妙な青服の男の通りすぎるのを見た、あの警官です。
 店員たちが口々に盗難のようすを報告しますと、お巡りさんは、なにか思いあたるように、きっとして聞きかえしました。
「懐中時計を盗んだんだね。たくさんかね。」
「エエ、ショーウインドウにあるだけ全部です。すっかりさらって行ったのです。」
「そして、そいつは青い服を着ていたというんだね。」
 警官は、月光のあふれた大通りを、すかすようにしてながめました。すると、はるかむこうのほうを、青服の怪人物がガックリガックリ歩いているのが、小さく見えています。その時でした、警官があの歯車の音を思いだしたのは。
「どうもあいつがあやしい。追っかけて見よう。ちょっと待ってくれたまえ。」
 警官は、あわただしく交番の中へかけこんで、奥に休んでいた同僚に、なにかふた言三言ことばをかけたかと思うと、すぐとびだして来ました。
「サア、きみたちもいっしょに来たまえ。」
 三人は、白い息をはいて、寝しずまった大通りに靴音をこだまさせて、いっさんに走りだしました。アスファルトの地面には、まっ黒な三つの影が、奇妙なおどりをおどりながら、三人につきしたがっています。

怪人昇天


 怪人物は、三人の高い靴音にもいっこう気づかぬようすで、機械のようにガックリガックリ歩いています。
 こちらはみるみる追いついて、へだたりは五十メートルほどになりました。怪物の両手にチカチカ光っているものが、よく見えます。
「アッ、あれです。あれは時計です。あいつがどろぼうにちがいありません。」
 店員のひとりが、目ざとくそれをたしかめて、さけびました。
 三人はいっそう足を早めて走ります。怪人物はまだ気づきません。正面をむいたまま、ふりむこうともしないのです。もうあいてとの距離は二十メートルほどになりました。
「オイッ、待てッ。」
 警官がおそろしい声で、どなりました。
 すると、その時、青服の大男が、とつぜん立ちどまって、クルッとこちらを向きました。首だけふりむくのでなくて、からだごとうしろをむいたのです。
 月の光りが、怪人物の顔をまともに照らしました。
 オオ、その顔。警官も店員たちも、その顔を一生忘れることはできないでしょう。
 人間の顔ではない。青黒い金属のお面です。鉄のように黒くはない。銅像とそっくりの色なのです。青銅せいどう色というのでしょうか。
 三角型をした大きな鼻、三日月型に笑っている口、目の玉はなくて、ただまっ黒な穴のように見える両眼、三千年前のエジプトの古墳こふんからでも掘りだして来たような、世にも気味のわるいお面です。
 三人はあまりのおそろしさに、くぎづけになったように、そこに立ちすくんでしまいました。
 聞こえます。自分たちの心臓の音ではありません。たしかに怪物のからだの中から、ひびいてくるのです。ギリギリ、ギリギリ、巨人が歯ぎしりをかむような歯車の音。
 懐中時計が何十個あつまっても、こんな無気味な音をたてるはずはありません、怪人のからだの中に、なにかしら、そういう音をだすものがあるのです。
 とつぜん、歯ぎしりの音が、びっくりするほど大きくなりました。イヤ、そうじゃない。歯ぎしりとは別の音が、怪物の三日月型の口の中から、とびだして来たのです。
 それはなんともえたいの知れぬ、いやな音でした。キ、キ、キ、キ、と金属をすりあわせるような音、怪物が笑ったのです。こいつはそういうおそろしい声をたてて笑うのです。
 長いあいだ笑ったあとで、怪物はまたクルッとあちらを向いたかと思うと、ヒョイとよつんばいになりました。両手には、たくさんの懐中時計のくさりをにぎったままです。そして、怪物は大きなイヌのように、四本の足でかけだしたのです。
 アア、なんということでしょう。いよいよこいつはばけものです。よつんばいになって走る人間なんて、聞いたこともありません。こいつはけだものでしょうか。イヤ、けだものより、もっとおそろしいやつです。怪物の走りかたは、イヌやネコとはまるでちがっています。前足もあと足も、機械のようにぎごちないのです。まるでゼンマイじかけで走る、ブリキ製のイヌのような感じなのです。
 怪物がよつんばいになる時、三人はその横顔を見ました。その時、青い色のソフトが落ちてしまったので、怪物の頭や、首のうしろも見えました。こいつはお面をかぶっているのではありません。あのおそろしい顔は、お面ではなくて、うしろのほうまでずっとつづいていたのです。耳も首も、それから頭の毛まで、みな同じ青銅色に光っているのです。髪の毛はひどくちぢれて、大仏の頭のように、無数の玉になっています。
 怪物は、あの「鉄仮面」のように、頭部全体を包む、青銅の仮面をかぶっていたのでしょうか。イヤ、もしかしたら、頭部だけではなくて、からだ全体が青銅で包まれていたのではないでしょうか。
 よつんばいになったかと思うと、あの歯ぎしりの音が、にわかにはげしくなりました。どこかで歯車がおそろしいいきおいで、かみあっているのです。そして、その走る早さというものは。
 そこはちょうど国電のガードのそばでしたが、怪物はガードの下をかけぬけて、そのむこうを、線路にそってまがりました。
 いくら気味がわるくても、どろぼうをこのまま見のがすわけにはいきません。三人は気をとりなおして、怪物のあとを追いました。
 ところが、ガードのむこうをまがって、横通りに出てみますと、ふしぎなことに、そこには月に照らされた白い道が、ずっとつづいているばかりで、ネコの子一匹いないではありませんか。
「おかしいな。たしかに、こっちへまがったね。」
「エエ、まちがいありません。」
 三人はいいあわせたように、立ちどまって、耳をすませました。しかし、どこからも、あの歯ぎしりの音は聞こえてこないのです。
 一方には戸をしめきった商家がならび、一方の線路の下は、ずっとあき地になっています。昔は倉庫そうこに使われていたのですが、今は道路とのさかいの板壁もとりはらわれて、なんの目ざわりになるものもなく、そのへんいったい、一目で見わたせます。
 三人は念のために、線路の下にはいって、あちこちとさがして見ましたが、あの大男がかくれているような場所は、どこにもありません。怪物は影ものこさず消えうせてしまったのです。
 それからまた、手わけをして、そのへんいったいをくまなくさがしまわりましたが、やはりなんの手がかりもありません。
 青銅の首を持ち、鉄の指を持つ怪物が、気体となって蒸発するはずはない。では風船のように、からだが軽くなり、フワフワと空へまいあがったとでもいうのでしょうか。
 あの怪談ずきの青年店員は、よつんばいの怪物が、ちょうど花火からとびだした、紙製のトラのように、月夜の空を、高く高くとんで行くのが、かすかに見えるような気がしました。
 さて読者諸君、この青銅の首を持つえたいの知れぬ怪物は、そもそも何者でしょうか。そいつはなぜよつんばいになって走るのでしょう。ギリギリという歯ぎしりのような音は、何を意味するのでしょう。そいつはいったいぜんたい、どうして消えうせたのでしょう。また、懐中時計ばかりを、あんなにたくさん盗んで行ったのは、なぜでしょう。
 これにはみな、ちゃんとわけがあるのです。このお話は怪談ではありません。おそろしい知恵を持った怪盗と、名探偵明智小五郎あけちこごろう小林こばやし少年との知恵くらべの戦いなのです。ばけもののような怪物も、やがて正体を見あらわされる時が来るでしょう。しかし、それまでには、非常におそろしい事件が、次から次へとおこるのです。

塔上の怪物


 次の日の夕刊は、この人間だか機械だか、えたいの知れない怪物の記事でうずめられ、東京都民をふるえあがらせました。どこへ行ってもおそろしい機械人間のうわさで持ちきりでした。
 ところが、この怪物はそれきり姿を消してしまったのではありません。それから一月ひとつきほどのあいだに五六度も、東京のあちこちで同じような事件がおこりました。ねらわれるのは、いつも有名な時計店や、珍しい時計を集めている人の家で、ありふれた時計は見向きもしませんが、宝石入りの非常に高価な時計や、古いゆいしょのある時計などを、かたっぱしからさらって行くのです。
 犯人はいつも、あの銅像の顔を持ったやつでした。そして、追っかけられると、イヌのようによつんばいになって走るのですが、その早いことはおどろくばかりで、ヒョイと町角をまがったかと思うと、煙のように消えうせてしまいます。どうしてもとらえることができないのです。
 新聞は毎日のようにこの怪物の記事でにぎわい、うわさはだんだん大きくなるばかりです。
「全身、鉄か銅でできてるんだってね。このあいだの晩は、はだかで現われたっていうじゃないか。」
「ウン、そうだって。お巡りさんが、うしろからピストルをうったら、カーンといってたまがはねかえったっていうぜ。」
「不死身だね。まるで装甲車みたいなばけものだね。」
 こんなうわさをするものもあります。また別のところでは、
「中に人間がはいっているのかもしれないが、どうもそうじゃないらしいね。あいつはきっと、中身まで機械なんだよ。からだの中は歯車ばかりなのさ。その証拠に、あいつが現われると、ギリギリと歯車のすれあう音がするっていうじゃないか。」
「自動機械だっていうのかい。だが、そんなにうまく活動する機械人間ができるものだろうか。ひょっとしたら、犯人がどっかにかくれて無線操縦をしているんじゃないかな。」
「ウン、そうかもしれない。なんにしても、おそろしい機械を発明しやがったな。しかも、せっかくの大発明をけちなどろぼうに使うなんて、じつにけしからんばか者だ。早くひっとらえて、機械の秘密をあばいてやりたいな。」
 すると、また別のところでは、
「だがね、あいつは金属でできているというが、かたい金属がどうして煙のように消えてしまうのかね。どうもりくつに合わないところがあるよ。だから、ぼくはあいつは幽霊だっていうんだ。青銅のおばけだよ。」
「時計ばかり盗む幽霊か。」
「ウン、それだよ。ぼくはね、あいつは時計を食って生きているんじゃないかと思うんだ。時計はあいつの食糧なんだ。歯車で生きている怪物だから、時計の歯車を、毎日いくつか飲みこまないと、命がたもてないのだよ。」
 こんなとっぴなことを考える者さえありました。それにしても、機械人間が、懐中時計の歯車をたべて生きているとは、じつに奇妙な考えではありませんか。
 ところが、ちょうど最初の事件から一月ほどたって、じつにとほうもないことがおこりました。もし怪物が歯車をたべるために時計を盗むのだとすれば、こんどは、アッとたまげるようなでっかい物を飲みこんでしまったわけです。
 東京都内ではありますが、多摩川の上流のさびしい畑の中に、林にかこまれた、ちょっとした丘があって、その上に奇妙な時計塔がそびえています。その家は明治時代のすえごろ、ある有名な時計商の主人が建てたもので、建物全体が古風な赤煉瓦あかれんがでできていて、時計塔も煉瓦で組みあげ、その上にとんがり帽子のような屋根がのっているのです。
 そんなへんぴな所に、こういう時計塔のあることは、東京の人でも知らない人が多かったのですが、こんどの事件で、この塔が一度に有名になってしまいました。というのは、その塔の時計の部分が、一晩のうちに盗みさられてしまったからです。
 ある風のはげしい夜でした。その日は若夫婦がとまりがけで用たしに出かけ、家には七十をこした老主人と、年とったばあやと、女中の三人だけで、早くから戸じまりをして寝てしまったのですが、朝起きて見ると、時計塔の四方にある白い文字盤がみんななくなって、中の機械もからっぽになっていることがわかったのです。
 文字盤は直径一メートルほどもある大きなもので、それが塔の四方についていたのですから、つごう四枚です。その文字盤があとかたもなく消えさったうえ、時計の針も、心棒も、その奥にあった大きな歯車じかけの機械もすっかりなくなって、塔の屋根の下は見とおしのガランドウになっていたのです。
 犯人はあいつにきまっています。あの時計きちがいの怪物でなくて、だれがこんな物ずきなまねをするものですか。この世のありとあらゆる時計を盗まないでは、しょうちしない、あの青銅のばけもののしわざにちがいありません。
 この珍妙な事件は、大きな新聞記事になって、たちまち東京中の人に知れわたりました。すると、またしてもさまざまの不思議なうわさが、あちこちに立ちはじめたのです。
「事件の二三日前からね、毎日、日のくれじぶんに、あの銅像のばけものみたいな機械人間が、時計塔の上に、つっ立って、ニヤニヤ笑っていたというんだよ。近所の農家の若いものがハッキリそれを見ているんだ。」
「ほんとうかい。じゃあ、なぜそれを家の人にいってやらなかったんだ。警察へ知らせなかったんだ。」
「駐在所のお巡りさんに知らせたけれど、まぼろしでも見たんだろうといって相手にしてくれなかったそうだ。時計塔の文字盤の前に、銅像みたいなやつがつっ立っているなんて、ちょっとほんきにできないからね。」
「それにしても、あんな大きなものを、どうして盗みだすことができたかね。」
「それには、こういう話があるんだよ。これも近所の農家のものが見たというんだがね、事件の晩おそく、町からの帰りに、塔の丘のそばを通りかかった人があって、遠くから、暗やみの中にうごめいている、へんなものを見たというんだ。」
「やっぱり、あの機械人間かい。」
「ウン、それがひとりやふたりじゃなかったというのだ。十人ほども同じ形のやつが、長いはしごを、のぼったりおりたりしていたそうだ。」
「ヘエ、はしごをね。」
「ウン、そのはしごというのが、またへんなんだよ。消防自動車みたいなものが、建物の前にとまっていて、あの空へグングン伸びて行く機械じかけのはしごね、あれが時計塔のところまで伸びて、その空中ばしごを、機械人間が幾人も、のぼったりおりたりしていたというんだ。」
 うわさには尾やひれがついて、とほうもない怪談になっていきます。おしまいには、その幾人もの機械人間が、スーッと空高く飛んで行って、雲の中へかくれてしまったなどと、まことしやかに、いいふらすものさえ現われるしまつでした。
 しかし、そういううわさ話は信じられないとしても、時計塔の文字盤と機械が盗みさられたことは動かしがたい事実です。小さな懐中時計ばかりでなく、時計と名のつくものなら、どんな形のものでも、あの大きな時計塔までも、盗んで行くやつがあるのです。
 これは時計きちがいとでもいう一種の狂人なのでしょう。しかもそれが、人間なのか機械なのか、それとも星の世界からでもやって来た、まったくわれわれの知らない生きものなのか、すこしも正体がわからないのですから、そのぶきみさは、ちょっとくらべるものもありません。
 しかし、この怪物が時計をほしがっていることだけはたしかです。それも、ありふれた時計ではなくて、高価なもの、ゆいしょのあるもの、珍しいものをねらっているのです。明治時代にできた赤煉瓦の時計塔などもその珍しさが怪物の注意をひいたのにちがいありません。
 サア、そうわかってきますと、世間に知られた珍しい時計を持っている人たちは、もうビクビクものです。この次は自分の番ではないかと思うと、夜もおちおち眠れないしまつです。

夜光の時計


 昌一しょういち君のおとうさんの手塚龍之介てづかりゅうのすけさんも、そういう心配組のひとりでした。
 手塚さんは三十何歳の時、兵隊に召集しょうしゅうせられて、五年余りも戦地で苦労したのですが、戦争がおわって帰って見ると、さいわいにも港区の家は焼けていなかったけれど、おくさんは長い病気で見るもあわれな姿になっていました。そして、待ちに待った手塚さんの顔を見ると、安心したせいか、わずか数日ののち、この世を去ってしまいました。
 そのかわりには、五年間に残していったふたりの子ども、昌一君とその妹の雪子ゆきこちゃんが、びっくりするほど大きくなって、元気に育っていました。昌一君はことし十三歳、雪子ちゃんは八歳になります。
 手塚さんは戦争前には非常なお金持ちでしたが、現在ではいろいろな財産を手ばなしてしまって、やっと広い邸宅が残っているだけでした。親子三人に書生と女中、それから同居の戦災者の家族が六人いますけれど、それでもお家がひろすぎてさびしいほどでした。
 手塚さんは、そんな中にも、これだけは手ばなさないで、たいせつに持っている宝物がありました。それはヨーロッパのある小国の皇帝が愛用されたという、大型の懐中時計ですが、機械がよくできているばかりでなく、がわのプラチナにはみごとな模様が彫刻してあって、それにダイヤモンドや、そのほかの宝石が無数にちりばめられ、時計というよりも、一つのりっぱな美術品なのです。無数の宝石のために、暗やみでもにじのような光をはなつというので、この時計は、「皇帝の夜光の時計」と名づけられていました。
 手塚さんが青銅の怪人の新聞を読んで心配したのは、この時計を持っているからでした。「夜光の時計」のことは世間にもよく知られていて、新聞や雑誌にも出たことがあるくらいですから、あの魔物のような怪物が気づかぬはずはありません。
 昌一君もそのことが心配でたまらないものですから、ある日、おとうさんにたずねてみました。
「ねぇ、おとうさん、うちの夜光の時計はだいじょうぶでしょうか。」
「青銅の機械人間のことだろう。」
 おとうさんもひじょうに心配らしい顔で、すぐお答えになりました。
「ナアニ、あれはだいじょうぶだよ。いくら魔物のようなやつだって、あれがとりだせるものか。鉄筋コンクリートの蔵の中の金庫にしまってあるんだからね。蔵を破ってはいったとしても、金庫をひらくことができない。それに、コンクリートの蔵を破るなんて、コッソリできる仕事じゃないからね。」
 手塚さんは口でこそ自信ありげにいっていますが、内心はやはり心配でしかたがないようすです。
「ほんとうにだいじょうぶでしょうか。ふつうのどろぼうじゃないのですよ。いつでも追っかけられると、煙のように消えてしまうじゃありませんか。あいつは、どんなせまいすきまからでも、幽霊みたいにスーッとはいりこむかもしれませんよ。」
「そんなばかなことがあるもんか。しかし、おまえがそれほど心配なら、蔵の外に見はり番をおくぐらいのことはしてもいいがね。」
 手塚さんもじつは数日前から見はり番のことを考えていたのでした。ところが、ふたりがそんなそうだんをした、ちょうどその日の夕方、早くも心配が事実となって現われ、おそろしいことがおこりました。昌一君がその時庭へ出たのは、まっかな夕焼け雲が美しかったからです。しかし、それからつづいて、庭の奥のうすぐらい木立こだちの中へ、どうしてはいって行く気になったのか、あとになって考えてみても、よくわかりません。虫が知らせるというのでしょうか。ただなんとなく、そこへ行ってみたくなったのです。
 手塚家の庭は千坪もあって、築山つきやまや、池があり、奥のほうは森のような木立ちになっているのですが、戦争中から久しく手いれをしないので、木立ちの下には落葉がたまって、歩くとジュクジュクして、気味がわるいようです。
 昌一君は何かに引きつけられるように、そのうすら寒い、うす暗い木立ちの中へはいって行きました。
 ひとかかえ以上もある大木が重なりあって立っていて、五六歩もふみこむと、もう、一けんさきが見えないほどの暗さです。大きな森林の中へでも迷いこんだような感じなのです。
 ジュクジュクする落葉をふんで歩いて行きますと、自分の足音のほかに、なんだかへんな音がきこえてきました。ギリギリ、ギリギリという、貝がらでもすりあわせているような音です。
 虫が鳴いているのかしら。今ごろ虫が鳴くはずはないが、へんだな。オヤ、なんだか人間が歯ぎしりしているような音だぞ。
 そこまで考えると、昌一君はハッとして立ちすくんでしまいました。
 歩くのをやめても、その音はまだきこえています。しかも、それが、だんだん高くなってくるのです。
 アア、歯ぎしりの音、あの有名な歯ぎしりの音。昌一君は一度もきいたことはありませんが、新聞の記事で知っています。青銅の魔人の歯車じかけは、ちょうど歯ぎしりのような音をたてるというではありませんか。
 きっとそうだ。あの木のかげに、あいつがかくれているんだ。と思うと、ワッとさけんで逃げだしたいのですが、おそろしさに、からだがしびれたようになって、声をたてることも、身うごきすることもできなくなってしまいました。
 一間ほどむこうのうす闇の中に、何かユラユラ動いたものがあります。見まいとしても、目がそのほうに釘づけになって、見ないわけにはゆきません。
 大木のかげから、あいつが姿を現わしたのです。暗いのでボンヤリとしか見えませんが、銅像のような顔、銅像のようなからだ。服は着ていません。全身金属の怪物です。
 大きな顔にポッカリほら穴のようにひらいた両眼、その穴の奥からチロチロと光ったものがのぞいています。怪物のひとみです。それから、三日月型にギューッとまがった口、これもまっ黒な穴になっています。
 新聞に書いてあったとおりです。イヤ、それよりいくそう倍もおそろしい姿です。
 怪物は機械のようなぎごちない歩きかたで、ジリジリとこちらへ近づいて来ます。そして、歯ぎしりに似た歯車の音は、刻一刻、はげしく強くなってくるのです。
 昌一君は石になったように、身うごきもしないで、怪物を見つめていました。勇気があるためではありません。今にも気をうしなわんばかりの、何がなんだかわからない気持ちで、目だけが相手をじっと見つめていたのです。
 怪物の右手がヌッと前に出て来ました。その手の先の、ちょうつがいになった青銅の指のあいだに、一枚の白い紙がはさまっています。怪物はそれを昌一君に渡そうとでもするように、気味のわるいかっこうで、こちらへつきだすのです。
 昌一君は、その紙を受けとる勇気なぞありません。やっぱり化石のように、身うごきもしないで、立ちすくんでいました。
 すると怪物は、また一歩近づいて、グーッと上半身をまげ、昌一君の頭の上におおいかぶさったかと思うと、その三日月型の口のへんから、金属をすりあわせるようなするどい音がもれて来ました。歯車とは別の、もっと大きな音です。
 キ、キ、キと物のきしむような音ですが、何か意味のあることばらしくも感じられます。狂ったラジオでもきいているようです。
「アシタノ、バン、ダヨ。」
 気のせいかもしれません。しかし、なんだかそんなふうに聞きとれたのです。
 それからまた、
「ヤコウ、ノ、トケイ。」
 そういうようなきしみ音も聞こえました。この二つのことばが、なんどもなんども、くりかえされたように思われるのです。
 しばらく、その気味のわるい音をさせたあとで、怪物はまげていたからだをのばし、クルッとうしろむきになって、例の機械のような歩きかたで、ゆっくりと、むこうの闇の中へ消えて行きました。
 そのあとに、さっきの白い紙きれが、拾えといわぬばかりに落ちています。
 怪物が立ちさっても、昌一君はたっぷり一分間、そのままボンヤリ立っていましたが、やっとからだの自由をとりもどすと、いきなり、その紙きれを拾いあげて、やにわにお家のほうへかけだしました。

明智小五郎と小林少年


 青銅で作ったロボットのような、おそろしい怪物が、昌一少年をおびやかした翌日の午前のことです。
 千代田ちよだ区の明智探偵事務所の書斎で、名探偵明智小五郎と助手の小林少年が話しあっていました。
 ひろい洋風書斎の四方のかべは、天井の近くまで本棚になっていて、金文字の本がぎっしりつまっています。部屋のまん中には、畳一枚分もあるような大きなデスクがすえられ、もたれに彫刻のある古風なイスがデスクをはさんで向かいあっておいてあります。
 明智小五郎は、そのイスに腰かけ、デスクにほおづえをついて、一方の手で例のモジャモジャの髪の毛をもてあそんでいます。
 リンゴのような頬をした小林少年は、名探偵と向かいあって腰かけ、ひどく熱心な調子で話しかけているのです。
「先生、少年探偵団の連中が、ぼくにやかましくいってくるんです。なぜ先生は何もしないで、だまっていらっしゃるのかってぼくをせめるんですよ。」
「少年探偵団」という本を読まれた読者はおぼえているでしょう。小林君は小学上級生や中学生で作った少年探偵団の団長なのです。
「そんなにさわがなくても、今にぼくの所へ依頼者がやってくるよ。青銅の魔人といわれているやつは、機械だか人間だか、えたいの知れない怪物だ。敵にとってふそくはないね。小林君、久しぶりで大いに腕をふるうんだね。」
 明智探偵は、愛用のパイプをくわえると、ゆっくり紫色むらさきいろの煙をはきだしながら、若々しい顔をニッコリほころばせました。
「先生、あいつは機械じかけで動く青銅の人形でしょうか。ピストルでうたれても平気だっていいますね。でも、その機械じかけの人形が、煙のように消えてしまうのはなぜでしょう。ぼくにはそれがどうしてもわからないんです。」
「それにはいろいろ考えかたがあるんだがね。いずれにしても幽霊ではないし、また火星の人類というようなものではないことはたしかだ。人間だよ。非常に悪がしこいやつが、とんでもないことを考えだしたんだ。その悪知恵ぢえに勝てばいいんだ。知恵の戦いだよ。」
「そうですね。でも、この戦いに勝つためには、まず、あいつの秘密を見やぶらなくちゃなりませんね。」
 小林君はリンゴのような頬をいっそう赤くして、意気ごんでいうのでした。
「そうだよ。それにはね、見ててごらん、今に依頼者がやってくるよ。青銅の魔人もこんなに有名になっては、だんだん仕事がしにくくなる。そこで、あいつはきっと、どろぼうの予告をはじめる。ああいう悪がしこいやつになると、ふつうの考えの逆をやるものだよ。そうすれば予告をうけた人は、かならずぼくのところへ相談にくる。なんだかきょうあたりは、その依頼者がやって来そうな気がするね。」
 明智探偵はそういって、じっと空間を見つめていましたが、とつぜん、いたずらっぽい顔になって、小林君に笑いかけました。
「ホラ、表のベルが鳴ったね。きっとこの事件の依頼者だよ。」
 それを聞くと、小林少年はいきおいこんでイスを立ちあがり、玄関のほうへかけだして行きましたが、まもなく、はりきった顔つきでもどって来ました。
「先生、やっぱりそうでした。少年探偵団の篠崎しのざき君のお友だちですって、それで篠崎君から聞いてきたんだといって、手塚昌一君という小学生と、そのおとうさんです。応接間のほうへ通しておきました。」
 明智探偵と小林君が応接間へはいって行きますと、四十歳余りのりっぱな紳士と、学生服のかわいらしい少年がイスから立ちあがってあいさつしました。ひととおりあいさつがすんだあとで、手塚君のおとうさんは、小林少年のリンゴのような頬をながめながら、
「このかたが小林さんですか。篠崎君からいろいろあんたの手がら話を聞きましたよ。うちの昌一とは二つ三つしか年がちがわないようだが、そんな小さいなりをして、えらいものですなあ。」
 とほめあげるのでした。昌一君も、尊敬のまなざしで小林少年を見つめています。小林君の頬はまたしてもいっそう赤くなりました。
 みんながイスにかけると、昌一君のおとうさんは、「皇帝の夜光の時計」という、非常にたいせつな家宝かほうを持っていること、青銅の魔人がそれをねらって今晩やってくるらしいことを話し、きのうの夕方庭の木立ちの中で、魔人が昌一君の前に残して行った紙きれをテーブルの上にひろげました。
「フーン、これは気味のわるい字ですね。」
 明智探偵が紙きれを手にとって、つぶやきます。
「そうでしょう。まるできちがいが書いたようなうす気味のわるい字です。ちょっと見たのでは字だか絵だかわかりませんね。しかし、よく見ていると、カタカナらしいことがわかって来ます。」
「アスノバン十ジですかね。それからヤコウノトケイですね。」
「あすの晩十時と書いてあるだけで、よくわかりませんが、あの時計きちがいのような魔人のことですから、むろん、十時に時計を取りに行くぞという意味でしょう。そのほかに考えかたがありません。」
「あすの晩というのは、つまり今夜のことですね。それで、警察にはおとどけになりましたか。」
「ゆうべとどけました。警視庁の捜査課の中村係長とはちょっと知りあいだものですから、お会いしてお願いしたのですが、その時先生のことを申しましたところが、中村係長も、明智さんなら立ちあっていただいてもさしつかえないといっておられました。」
「そうでしょう。中村君とはずっと懇意こんいにしていますからね。ところで手塚さん、その問題の夜光の時計は、どこに置いてあるのですか。」
「コンクリートの蔵の中の金庫の中です。」
「ホウ、厳重な場所ですね。」
「あれを盗むためには、コンクリートの蔵のかべを破って、それからまた、金庫を破らなければなりません。いくら魔人だって、そうやすやす盗みだせるものではありません。夜光の時計をどこか銀行の地下金庫へでもあずけようかと考えましたが、持って行く道があぶないと思いましてね、やっぱり元の場所へおくことにして、そのかわりに、ゆうべから十人に近いお巡りさんが、蔵のまわりや庭の要所要所に見はり番をしていてくださるのです。あたりまえの賊なれば、こんな大さわぎをするにもおよばないのですが、なにしろ相手が魔物のことですから、警察でも特別にはからってくださったわけです。」
「わかりました。それでは小林君をつれてお宅へうかがうことにしましょう。二三用意しておきたいこともありますし、いくら魔物でも明かるいうちにやって来ることはないでしょうから、きょう日がくれてからおじゃまします。」
 明智探偵の承諾を得たので、手塚さんと昌一君とは喜んで帰って行きました。
 それを見送ったあとで、小林少年は何ごとか明智探偵にささやいて、いそがしくどこかへ出かけて行き、明智探偵は電話機の前に腰かけると、しきりにダイヤルを回しはじめました。

魔人と名探偵


 その夕方、手塚家には、主人の手塚さん、昌一、雪子のきょうだい、書生と女中、それから戦災者で手塚家に同居している会社員の平林ひらばやしさんとおくさん、そのおくさんの妹のみよ子おばさん、中学生の太一たいち君、まだ学校へ行かぬ太一君の小さい妹ふたり、全部あわせると十一人です。そのほかに庭の要所要所にお巡りさんが八人もがんばっています。明智探偵と小林君はまだ来ませんが、小さい女の子たち三人は別としても、つごう十六人で見はっているわけですから、いくら魔物でも、まさかこの中へ姿をあらわすことはないだろうと、手塚さんもいくらか気をゆるしていました。
 ところが傍若無人ぼうじゃくぶじんの怪物は、どこをどうしてはいったのか、いつのまにか邸内にしのびこみ、まだ日もくれぬうちに、人々の前に、あのいやらしい姿をあらわしたのです。しかも、それが、りくつではどんなに考えてもわからないような、ふしぎな気味のわるいあらわれかただったのです。
 台所のほうで「キャーッ」という女の悲鳴がきこえました。おどろいて、近くにいあわせた人たちが、かけつけてみますと、同居の平林さんの家族みよ子おばさんが、まっさおになって倒れていました。
 みよ子さんが湯殿ゆどのの前を通りかかると、中で何か動いているものがあるので、戸をひらいたところが、そのうす暗い洗い場のすみに、大きな銅像みたいなものが立っていたというのです。
 しかし庭には見はりがいるんだし、家の中には、あちこちの部屋に人がいたのですから、だれの目にもふれないで、あの怪物が湯殿にはいったり出たりしたというのは、まったく考えられないことです。みよ子さんがこわいこわいと思っているものだから、まぼろしでも見たんだろうということになりました。
 しかし、それはまぼろしではなかったのです。それから三十分もたたないうちに、こんどは昌一君と平林太一君とが、怪物にぶつかってしまったのです。
 手塚家は非常に広い建物ですから、曲がり曲がった長い廊下がほうぼうにあるのですが、その中でも一番陰気なのは、たんすなんかならべてある納戸なんどの前の廊下で、一方は窓のないかべ、一方は納戸の障子しょうじ、その障子の中の部屋は六畳ぐらいで、三方ともかべになっているのですから、昼間でもうす暗い場所です。昌一君と太一君とが、そこを通りかかった時、納戸の障子が一本だけひらいていたので、ふと中を見ますと、そこに大きな人間の形をしたものが立っていました。
「おとうさんですか。」
 昌一君は暗くてよくわからないものですから、そう声をかけてみました。すると、その者は、答えるかわりに、フラフラと身うごきしたかと思うと、ギリギリギリと歯ぎしりの音を立てました。忘れもしない、庭の林の中で聞いた歯車の音です。ギョッとして、よく見ると、そいつはあの銅像みたいな怪物でした。
 ふたりはゾッとして立ちすくみましたが、どちらが先にともなく、いきなりもと来たほうへかけだしました。
 すると、ちょうど一つおいてつぎの部屋に平林さんのおじさんとおばさんの姿が見えたので、
「たいへんです。納戸に、あいつが……。」
 と、思わず大声をたてました。
 しばらくして、四人が手をつなぐようにして、こわごわ納戸のほうへ近づいていきますと、ふたりのかけだす音を聞きつけたのか、納戸のむこうのほうの廊下からも、手塚さんと書生とが、あわただしくこちらへやって来ました。そのあとからふたりのお巡りさんもついて来ます。
「昌一、どうしたんだ。何か見たのか。」
 昌一君はだまって納戸の障子を指さしました。物をいうのもこわいのです。
 おとうさんやお巡りさんたちも、障子のところまで近づいて来ました。ふたりのお巡りさんはもうピストルをにぎっています。そして昌一君の指さすのを見ると、そのピストルを前にかまえて、いきなり暗い納戸の中へふみこんで行きました。
 昌一君は、今にもピストルが発射されて、とっくみあいがはじまるのではないかと、ビクビクしていましたが、納戸の中からなんの物音も聞こえず、とつぜんパッと電灯がつきました。お巡りさんがスイッチを入れたのです。
 それに力をえて、みんなが開いた障子の所へ行って、中をのぞいてみますと、そこにはふたりのお巡りさんがいるばかりで、さっきたしかに見た怪物は、影も形もないのです。青銅の魔人はまたしても、煙のように消えてしまったのです。
「おかしいな。君たち何か見ちがえたんじゃないかね。もしだれかがこの部屋にいたとすれば、逃げだすひまは、まったくなかったんだからね。自分たちはあっちから、あんたたちはそっちから、はさみうちにしたわけだね。この部屋は廊下に面した一方口で、三方はかべになっているし、廊下も窓のないかべなんだから、われわれの目につかないで逃げだすことは、絶対にできないはずだ。」
 ひとりのお巡りさんが、昌一君の顔をジロジロ見ながらうたがわしそうにたずねました。
「いいえ、気のせいじゃありません。たしかに銅像みたいなやつが動いていました。」
「そうです。ぼくも昌一君といっしょに見たんです。それから、あの歯車の音も聞こえました。ギリギリ、ギリギリ、いつまでもつづいていました。」
 中学生の太一君までがいいはるので、おとなたちも、信じないわけにはいきません。あまりの気味わるさに、みんな青くなってしまいました。金属でできた人間が、一瞬間に透明な気体になってしまうなんて、科学の力では説明できないことです。では、やっぱり幽霊なのでしょうか。しかし、だれも幽霊などを信じる気になれません。ただ、不思議というほかはないのです。ところが、ふしぎはこれだけでおわったのではありません。やがて、もっともっとふしぎなことが、しかも名探偵明智小五郎の目の前でおこるのです。
 怪物が家の中にしのびこんだとわかると、手塚さんは蔵の見はりを、いよいよ厳重にしました。蔵の外の三方には、お巡りさんがふたりずつ立ち番をしています。正面の入り口の前は広い廊下になっているのですが、そこには長イスを置いて、手塚さんと平林さんと、ふたりのお巡りさんが、たえず蔵の入り口を見はっています。昌一君と太一君と書生とは、そのへんを見まわる役目です。
 邸内にはどの部屋にも、あかあかと電灯をつけ、蔵の前の廊下はもちろん、蔵の中にも明かるい電灯が引きこんであります。
 手塚さんは、ときどき鍵で蔵の大戸おおどをひらいて、中にはいり、金庫の中をあらためるのですが、夜光の時計はちゃんとその中にあります。さすがの魔人もこの厳重な蔵の中へは、はいることができないのでしょうか。それとも、紙きれに書いた約束を守って、十時になるのを待っているのでしょうか。
 六時少し過ぎたころ、明智探偵が、捜査課の中村係長とふたりでやって来ました。小林少年の姿は見えません。明智は小林君をつれて行くといっていたのに、どうしていっしょにこなかったのでしょう。これには何かわけがあるのかもしれません。
 手塚さんはふたりを蔵の前に案内し、別のイスを持ちだしてかけさせ、夕方からのできごとをくわしく報告しました。
「そんなことがあったものですから、たびたび先生の所へお電話したのですが、もうお出ましになったあとでした。」
「それは失礼しました。じつは中村君と打ちあわせて、さそいだして来たものですから、おそくなりました。ところで、品物はまだ蔵の中にあるのでしょうね。」
「それはもうたしかですよ。さっきからたびたび、しらべてみたのですが、すこしも異状いじょうはありません。」
「それから、この蔵には床下のぬけ穴などないのでしょうね。」
「それもたしかです。私もよくしらべましたし、警官がたも、きょう昼間、じゅうぶんおしらべになったのですから。」
「すると、人間以上の力を持ったやつでなくては、この蔵へはいることはできないわけですね。」
「そうです。しかし、相手は人間以上の力を持っているかもしれません。なにしろ、さっきみたいな不思議な消えかたをするばけものですからね。」
 それから、お茶やお菓子が出て雑談に時をすごしましたが、これという変わったこともおこりません。しかし、時間は刻一刻と十時に近づいています。
 九時を過ぎると、手塚さんはもう気が気ではないらしく、なんどとなく時計を出してながめ、立ったり腰かけたり、落ちついていられないようすです。
「明智先生、中村さん、私はどうもこれでは安心ができません。これから十時まで蔵の中へはいって、金庫の前にがんばっていることにします。蔵の入り口はごらんのように網戸あみどになっていますから、外からよく見えます。この戸はただしめるだけにして、鍵をかけないでおいて、いざという時には、みなさんで中へ飛びこんでください。」
 それまでにしなくてもと、一同がとめたのですが、手塚さんはどうしても不安心だからというので、とうとう蔵の中へはいることになりました。そして、蔵のまん中にすえてある二メートルほどの高さの大金庫のまわりをグルグルめぐりあるいているのです。
 蔵の中には電灯がついているし、あらい網戸ですから、そとからよく見えます。はじめのあいだは蔵の中とそとで、何かと話しあっていましたが、やがて、それにもあきて、どちらもだまりこんでしまいました。
「十時五分前だ。」
 中村係長が腕時計を見て、ソッと明智にささやきました。こんな厳重な見はりをしているのだから、だいじょうぶとは思うものの、やはり時間が近づくと心配です。蔵の前の一同はかたずをのむようにして、身動きもしないで、網戸の中を見つめています。
 手塚さんは相かわらず、大金庫のまわりを歩きまわっています。そして、金庫のうしろに回って、ちょっと姿が見えなくなったと思うと、とつぜん、「ワーッ」というさけび声が一同の耳をつんざきました。すわとばかり立ちあがった人々の目に、網戸を通しておそろしい光景がうつりました。金庫のかげからヨロヨロとあらわれた手塚さん、そのうしろから、のしかかるようにして、せまってくる怪物。
 アア、いつのまにはいったのか、そこには、青銅の魔人がいたのです。ギリギリ、ギリギリ、例の無気味な歯車の音。まっ黒な穴になった両眼、三日月型の黒い口、怪物はついに名探偵の前に姿をあらわしたのです。

奇々怪々


 だれよりも先に、蔵の網戸に飛びついていったのは、明智探偵でした。そして網戸に両手をかけてひらこうとした時です。
 パチャンという、はげしい音がしたかと思うと、蔵の中がまっ暗になってしまいました。魔人が電球をたたきわったらしいのです。
 廊下には電灯がついていますが、奥深い蔵の中まで光がとどかず、魔人と手塚さんとが、何をしているのか、少しも見えません。
 明智探偵はポケットから、用意の懐中電灯を取りだし、それをつけて、網戸をガラッと引きあけ、いきなり中へ飛びこんで行きました。中村係長もそのあとにつづきます。
 しかし、懐中電灯の細い光では、思うように見ることができません。どこかのすみで、魔人と手塚さんとが、とっくみあっているような物音がしているのですが、なかなかその場所へ光があたらないのです。
 そのうち、金庫の横のへんで、ドタリと人の倒れる音がしました。明智探偵がいそいでそこを照らしてみますと、倒れたのは手塚さんでした。懐中電灯の丸い光の中で、しかめっつらをして、起きあがろうとしています。
 中村係長が手塚さんを助けおこしているあいだに、明智の懐中電灯は大金庫の正面を照らしました。
「アッ、金庫がッ!」
 だきおこされた手塚さんのさけび声です。
 見れば金庫のとびらがひらかれて、中のひきだしがぬきだしたままになっています。手塚さんはそのひきだしに取りすがりました。
「ないッ、夜光の時計がなくなったッ!」
 アア、魔人は約束をたがえなかったのです。あの有名な宝石時計をうばいさったのです。しかし、逃げ道はありません。蔵の戸の前の廊下には電灯がついている。大ぜいの目が光っている。その入口からはだれも出たものがありません。では、窓は? 窓もだいじょうぶです。蔵のことですから、どの窓にもがんじょうな鉄の格子がとりつけてあります。怪人は蔵の中にいるにちがいない。もう袋のネズミも同じことです。
 そとの廊下には、さわぎを聞きつけて、昌一君、太一君、書生なども来ています。そのほかにふたりのお巡りさんと平林さんです。
 明智は金庫が開かれたことを知ると、いきなり網戸の所へかけよって、さけびました。
「平林さん、中へはいって、手塚さんを介抱かいほうしてください。それから、書生さんはいそいで電球を。警官おふたりも中にはいって、捜索してください。あとの人は厳重にここを見はっていて、怪しいやつが出て来たら、大声でどなってください。」
 そこで平林さんとふたりのお巡さんは蔵の中へはいり、まもなく、書生は電球を持ってかけつけました。それらの人たちを中に入れると、明智は網戸をピシャンとしめて、その前にたちはだかったまま、ゆだんなく蔵の中を見まわすのでした。
 中村係長がわれた電球を、書生の持って来たものと手早く取りかえました。パッと明かるくなった蔵の中、平林さんは手塚さんを抱きかかえるようにして、一方のすみに立っています。手塚さんのひたいから血が流れていますが、たいした傷ではありません。
 中村係長は窓の所へ行って、鉄格子てつごうしに顔をくっつけるようにして、外を見はっている警官たちによびかけました。
「外から見て異状はないか?」
「異状ありません。」
 警官たちの答えです。
「よし、窓はいうまでもなく、かべや屋根もじゅうぶん注意してくれたまえ。怪しいやつを見たら、すぐよびこを吹くんだぞ。」
 庭にはところどころ屋外灯がついているうえ、警官たちは六人とも懐中電灯を持っているのですから、めったに見のがすことはありません。
 それから明かるい電灯の下で、蔵の中の大捜索がはじまりました。というのは青銅の魔人は、どこへかくれたのか、見わたしたところ、まったく姿が見えないからです。中村係長とふたりの警官と書生、それから、ほとんど元気をとりもどした手塚さん、平林さんもいっしょになって、蔵のすみからすみまでさがしまわりました。
 蔵の中には着物などを入れた大きな箱や、たんすや、そのほかの道具類がズラッとならんでいるのですが、それらを一つ一つひらいて中をしらべ、そのうしろのかべをしらべ、床板をしらべ、人間ひとりかくれられそうな個所は、残るところなく見てまわったうえ、かべと床と天井とを全体にわたって念入りにしらべましたが、どこにも怪人の姿は見えません。また秘密の抜け道などは、まったくないことがわかりました。
 この捜索のあいだ、明智探偵は入口の網戸の前をすこしもはなれず、するどい目で四方をにらみまわしていました。みんな捜索にむちゅうになっているすきに、この入口からコッソリと、怪物が逃げだすようなことがあってはならないと考えたからです。
 一時間余りつづいた捜索は、まったくむだにおわりました。蔵のそとを三方から見はっていた警官たちは、窓からも、かべからも、屋根からも、ネズミ一匹ぬけださなかったと断言だんげんし、また、蔵の入口の前にいた人たちは、だれも網戸のそとへ出なかったといいはりました。蔵のあつい床板にはすこしの異状もないのですから、怪物が地下へもぐったはずもありません。つまり、前後、左右、上下、どこに一点のすきもない、いわば鉄の箱のような蔵の中から、あの大きな金属製の怪物が、かきけすように消えうせてしまったのです。
 いったいこれを、どう説明したらいいのでしょう。あいつは、目には見えるけれども、堅さのない気体のようなおばけだったのでしょうか。イヤ、そんなものがこの世にいるはずはありません。それとも、捜査にあたった人たちが、ひとりのこらず催眠術にかかったのでしょうか。イヤ、こういうたいせつな場合に、みんなが催眠術にかかるということは、ありえないのです。人々はハッキリと、手塚さんにおそいかかっている怪物の、おそろしい姿を見たのです。では、あとにどんな説明がのこっているでしょう。このふしぎな謎をどうとけばいいのでしょう。
 手塚さんや家族の人たちはもちろん、中村係長もお巡りさんたちも、おそろしい夢でも見ているような、へんな気持ちになって、ボンヤリと、おたがいに顔見あわせるほかはありませんでした。
 さすがの名探偵明智小五郎も、とっさにこの謎をとく力はないように見えました。蔵の前のイスにもたれこんで、例のモジャモジャの髪の毛を、指でかきまわしながら、じっと考えこんでいます。
 しかし、へんですね。明智が頭の毛を指でかきまわすのは、いつも何かいい考えがうかんだ時にやるくせではありませんか。ではこのだれにもとけない謎が、明智にはわかりはじめていたのでしょうか。
 そうです。われらの名探偵は、その時、じつにとほうもないことを考えていたのです。このふしぎな謎が、明智の頭の中では、ほとんどとけていたのです。しかし、たしかな証拠をつかむまでは何もいわないのが名探偵のくせです。その晩は、中村係長から、
「さすがの明智君も、この怪物には、少々こまっているようだね。」
 と、からかわれても、ニコニコ笑うだけで、何も答えませんでした。

チンピラ別働隊


 手塚家の蔵の前で怪事件がおこった同じ日の夕方のことです。もう暗くなりはじめた上野公園の、とある広っぱで、きたないカーキ色の服を着た、げたばきの、帽子もかぶらない少年が、しきりに口笛をふいていました。
 浮浪少年にしては、顔色がよく、まるでリンゴのような頬をしています。オヤ、どっかで見たような顔だぞ。アア、わかった。小林少年です。服装がかわっているけれど、たしかに明智探偵の助手の小林君です。
 これで、小林君が明智探偵といっしょに、手塚家へこなかったわけがわかりました。しかし、いったい小林君は、こんな妙な変装をして、公園なんかで、何をしているのでしょう。
 しばらく口笛をふいていますと、それがあいずだったとみえて、むこうの木立ちの中から、小林君と同じようなきたないふうをした十二三歳のチンピラ小僧がひとり、かけだして来ました。この子供の小林君とちがうところは、年が二つ三つ下なのと、頭の毛がボウボウにのびているのと、顔色のわるいことでした。
「ヤァ、小林のあにい、何か用かい?」
 チンピラは小林君に近よると、なつかしそうな顔をして、へんなことをいいました。
「ウン、きょうはきみたちにたのみたいことがあるんだ。なかまをみんなあつめてくれ。」
 小林君はこのきたないチンピラとなじみとみえて、したしい口をききます。
 チンピラはいきなりかけだして行きましたが、しばらくすると、同じようなきたない浮浪児を十五六人もつれて帰って来ました。
「サア、きみたち、ぼくのまわりに輪を作ってならぶんだ。」
 子供たちは命令のままに、すばやく、小林君のまわりにならびました。小林君はこのチンピラどもに、よほど人気があるようです。
 さて、そこで、小林君はエヘンと一つせきばらいをすると、ふしぎな演説をはじめたものです。
「諸君――おまえたちのことだぞ、諸君は親方の命令をうけて、モクひろい(たばこひろいのこと)を商売にしている。そこまではいいんだよ。ところがきみたちは、ときどきカッパライもやっている。ごまかしたってだめだ。ぼくはちゃんと知っているんだよ。しかし、諸君はけっして、カッパライなんか、やりたくてやってるんじゃない。しかたがないからやっているんだね。ね、そうだね。それはね、きみたちには、おとうさんやおかあさんがいないからだ。やしなってくれる人がないからだ。だがね、それだからといって、こんなことをいつまでもつづけていちゃあ、ろくなもんにならない。そこで、諸君にそうだんがあるんだよ。どうだい、みんな、ぼくたちのやっている少年探偵団のなかまにならないか。」
「少年探偵団ってなんだい?」
 チンピラが口々にたずねました。
「まてまて、いま、説明するよ。きみたちは名探偵明智小五郎を知ってるかい?」
「アケチなんてやろう、知らねえな。」
「ウン、知ってる、知ってる。いつか、三ちゃんのあにいがいってた。すげえ私立探偵だってね。」
 明智の名を知っているものが、五六人ありました。
「よし、わかった。とにかく、そのすげえ私立探偵なんだよ。ぼくはその明智探偵の弟子さ。少年助手っていうんだよ。ところで、その弟子のぼくが団長になって、小学生や中学生で少年探偵団っていうのを作っているんだ。悪者をつかまえるために、子供にできることをやって、世の中のためになろうってわけなんだよ。
 ところで、諸君は青銅の魔人という悪者を知っているだろうね。」
「知ってる。」
「知ってる。」
 チンピラの全部が、生徒のように手をあげて答えました。あの怪物は、新聞に出はじめてからわずか一ヵ月あまりで、これほど世間をさわがせているわけです。
「敵はあの青銅の魔人なんだ。こわいか。」
「おっかねえもんか。オラ、あいつと話したことがあるぜ。」
 チンピラはときどき、こんなうそをいうものです。しかし、ふつうの子供とちがって、ひとりもこわいというものはありません。
「ほんとうなら、ぼくたちの少年探偵団がやる仕事だけれど、なにしろこんどは相手が相手だし、夜中の仕事だからね。学校へ行っている団員たちにはやらせられないんだ。そういう危険なことをやらせてはいけないって、明智先生から、きびしくいいつけられているんだよ。
 ところが、諸君は夜中なんか平気だね。ほんとうはそんなふうじゃいけないんだけれど、きみたちはおとなみたいになってしまっているんだからね。そこで、こんどの仕事は、ひとつきみたちに頼もうってわけさ。でもまだ本団員にはしないよ。きみたちみたいなのをなかまに入れたら、ほかの団員がおこるからね。少年探偵団チンピラ別働隊っていうのを作るんだ。きょう、その結成式だよ。」
「チンピラなんて、やだな。もっと、ましなのにしてくんなよ。」
 二三人、異議を申したてるものがありました。
「諸君は知らないがね、イギリスに私立探偵の大先生がいるんだ。シャーロック・ホームズ先生っていうんだよ。このえらいホームズ先生が、やっぱり、君たちみたいなチンピラやおとなの浮浪者を助手につかって、悪者をつかまえたことがあるのさ。そのイギリスの探偵団の名は『パン屋町のごろつき隊』っていうんだ。このごろつき隊が、とてもえらい手がらを立てたものだから、世界中に知れわたって、みなにほめられているんだぜ。だからさ、チンピラ別働隊だって、ちっとも悪い名じゃないよ。」
 小林君はなかなかうまいことをいいます。こんなふうにおだてあげられたので、チンピラ君たちも、なっとくしたのか、だまりこんでしまいました。
「さて、今夜の仕事だがね、今夜十時ごろに、青銅の魔人がある家へしのびこむことがわかっているんだ。君たちはその家の塀の外にかくれていて、魔人が逃げだすのを見たら、ソッとあとをつけるんだよ。みんなでつけちゃいけない。見つけたものふたりか三人でいいんだ。そして、あの怪物のすみかをつきとめるんだよ。そうすれば、あとはお巡りさんがつかまえてくれる。どうだい。すばらしい仕事じゃないか。ぼくもきみたちといっしょに、まちぶせするよ。
 それからね、きみたちがうまく手がらを立てたら、明智先生にお願いして、モクひろいなんかしないでもいいようにしてあげるよ。そして、学校へ行けるようにしてあげるよ。」
 チンピラ諸君は、もとより冒険ずきです。人のあとを尾行びこうするなんて、お手のものです。おとなが尾行すればすぐ気づかれますが、十二三歳のチンピラがついて来たって、だれも気にしないからです。そのうえ、からだが小さくて、すばしっこいと来ています。チンピラ諸君十六人は、むろん小林君の申し出に同意しました。
 小林少年は、みんなに電車のきっぷを買ってやり、チンピラ別働隊を五つにわけて、あまり目立たないように、べつべつに電車にのせ、港区の手塚家の近くまで連れて行きました。
 チンピラ諸君は、カッパライの経験もあるくらいですから、人に気づかれないように立ちはたらくことは、じつにうまいものです。小林君がいちいちさしずをしないでも、ちゃんと気をきかせて、手塚家の塀のまわりへ、あちらにふたり、こちらに三人とうまく手わけをして、たちまちひとりのこらず身をかくしてしまいました。
 それが夜の八時すぎのことでした。それから二時間ほど寒い道ばたに、じっとかくれている苦しさは、なみたいていのことではありません。ふつうの子供だったら、たちまちカゼを引いてしまうところですが、チンピラ諸君はなれたもので、それぞれワラやゴザなどをひろって身をくるみ、さもたのしげに、怪人の出現を、今やおそしと待ちかまえるのでした。

天空の怪物


 小林少年はふたりのチンピラ君といっしょに、手塚家の裏手の、いちばんさびしいばしょにじんどって、しんぼう強く待っていました。塀のそばの、ちょっとした木のしげみのかげに、むしろをしいて、寒いので、三人がだきあうようにして、暗やみの中を見つめていました。
 もう十時をすぎていました。魔人がやくそくをまもったとすれば、とっくに蔵の中へ姿をあらわしたはずです。
「明智先生はうまく魔人をとらえてくださったかしら。もしつかまったとすれば、先生からあいずがあるわけだが、あいずがないところを見ると、魔人はうまく逃げたのかもしれない。それとも、あの手紙はただのおどかしだったのかしら。」
 小林君がそんなことを考えていた時、十メートルばかりむこうの塀の前に、人間ほどの大きさの黒い影が、フワッと浮きだすようにあらわれました。
「アッ、あいつだッ。」
 小林君は思わず両がわにいるチンピラ君の肩を、つよくだきしめました。
 月のないまっ暗な晩でしたが、白いコンクリートの塀の前に、黒い姿があらわれたので、よく見わけられたのです。その黒い影はじつにへんなかっこうをしていました。黒いダブダブのオーバーを着て、そのえりを立て、あごをかくし、ソフト帽のひさしをグッと目のへんまでさげています。ふつうの人間なら、帽子の下の顔のところが、ボンヤリ白く見えるはずですが、この男の顔はなんだかおそろしくドス黒いのです。
 そればかりではありません。そいつがむこうのほうへ歩きだしたかっこう! まるで機械のような、あのぎごちない歩きかた。そのうえ、耳をすますと、アア、やっぱりそうです。話にきいていた歯ぎしりのようなギリギリという音が、きこえてくるではありませんか。
 小林君はふたりのチンピラ君にあいずをして、立ちあがりました。そして、相手にさとられぬように気をつけながら、怪物のあとをつけはじめたのです。チンピラ君たちも、すばやく小林少年の気持ちをさっし、グッと背をかがめて、用心ぶかくあとからついて来ます。
 すこし行くと、焼けあとの広い原っぱに出ました。こわれたコンクリート塀がところどころにのこっていたり、煉瓦のかたまりが、うす高くつんであったりするほかは何もないさびしい所です。はるかむこうのほうに、工場のあとにのこったコンクリートの煙突だけが、空高くそびえているのがかすかにみえています。
 怪物は尾行されているとも知らず、コックリコックリと、へんなかっこうで、大またに歩いて行きます。ときどき歯車の音がびっくりするほど強くなるかと思うと、またまるできこえないほど、弱くなることもあります。強くなる時には、怪物が何か腹だたしいことを思いだして、おこっているのかもしれません。
 小林君たちは、今にも怪物がうしろを向いて、ガーッと歯車の音を立てて、追っかけてくるのではないかと、ビクビクものでしたが、さいわい魔人は一度もうしろを見ないで、まっすぐに進んで行きました。むこうの空にそびえている煙突が、だんだん大きくなって来ます。つまり怪物はその煙突のほうへグングン近づいて行くのです。
 そして、とうとう煙突の根もとまで来てしまいました。そこにはもとボイラーがすえつけてあったらしい煉瓦づくりの小屋のようなものがのこっています。屋根はなく、四方のかべも半分はこわれているのですが、それでもまあ小屋のかっこうにはなっているのです。怪物はその煉瓦小屋の中へはいって行きました。
「オヤ、へんだぞ。もしかしたら、あの中に地下室でもあるのじゃないかしら。そして、そこが魔人のかくれがになっているんじゃないかしら。」
 小林君は遠くのほうから、オズオズと小屋の中をのぞいて見ました。暗くてよく見えないけれど、怪物は地下に姿を消すこともなく、小屋の奥の石の段のようなものの上に腰かけて、じっと休んでいます。しばらく見ていても、急に動きだすようすがありません。
 小林君は「今だ。」と思いました。このまに手塚家へとってかえして、明智先生に話し、まわりから警官隊でとりまいてもらえば、怪物は袋のネズミだと考えたのです。そこで、ふたりのチンピラ君に、げんじゅうに見はりをすること、もし怪物があるきだしたら、どこまでもあとをつけるようにと、ソッとささやいておいて、やみの中を、大いそぎで手塚家へひきかえしました。
 十分、二十分、チンピラ君たちはビクビクしながら、見はりをつづけていましたが、どうしたものか、怪物はもとのところに腰かけたまま身うごきもしません。いったいこの機械人間は何を考えているのでしょう。
 まもなく、あたりのやみの中に、あちらにもこちらにも、物のうごめくけはいが感じられました。黒いかげぼうしが、四方から近づいてくるのです。
「オイ、お巡りさんが大ぜい来たんだよ。それから、きみたちのなかまも、みんなひっぱって来たよ。」
 チンピラ君の耳もとで、小林少年のささやき声がしました。すると、小林君のからだのうしろから、兄弟ぶんのチンピラ君の顔が、ヒョイとのぞいて、コックリとうなずいて見せるのです。
 そのうちに、警官隊は煉瓦小屋を完全にとりまいてしまったらしく、とつぜん、ビリリリリと呼子よびこがなりひびき、大型懐中電灯の光が、いくすじも、煉瓦小屋の中に集中され、いきなりパン、パンとピストルの音がつづきました。
 警官隊は怪物をうち殺してはいけないという命令をうけていたので、わざとまとをはずしてうっているのです。
 青銅の魔人はかさなりあう懐中電灯の光のなかに、スックと立ちあがりました。そして、かれのからだの中から、キーッ、キーッという金属をこすりあわせるようなおそろしい音がひびきました。怪物は人間のことばではなく、機械のことばで何かわめき叫んでいるのです。青銅の口がパクパク動き、ほら穴のような両眼のなかから、ギラギラと、あやしい光がかがやいています。そして、かれの銅像のような巨体が、ガクリ、ガクリとこちらへ近づいて来るではありませんか。
 警官隊はあまりのおそろしさに「ワーッ」と声をあげてあとじさりしましたが、おどかしのピストルは、いっそうはげしくうちつづけられます。
 怪物は煉瓦小屋のそとに出て、つっ立ったまま、あたりを見まわしていましたが、四方八方から懐中電灯の光がそそがれ、それにもましてはげしいピストルの音に、とても、逃げられないと考えたのか、いきなりそこの煙突の根もとに近づき、コンクリートの表面にうちつけてある梯子はしごがわりの金物かなものに、手足をかけて、グングン煙突をのぼりはじめました。
 空へ逃げようとでもいうのでしょうか。しかし、いくら煙突をのぼってみても、まわりをとりかこまれていては、逃げられるはずがありません。ひょっとしたら、怪物は煙突の頂上までのぼると、風船のように身が軽くなって、やみ夜の空高く飛びさってしまうのではないでしょうか。
 お湯屋ゆやの煙突などよりもずっと高い煙突です。怪物はそれを機械でできたサルのように、すこしも休まず、非常な早さでのぼって行き、もう懐中電灯の光もとどかなくなってしまいました。しかし、やみ夜にもほの白くそびえている煙突を、黒い影がグングンのぼって行くのが見えます。
 黒い影は上に行くほど小さくなって、とうとう大煙突のいただきにたどりつきました。そして、そのはるかの天空から、あの金属をすりあわせるような、キーッ、キーッという、いやな物音が、下界の人々をあざ笑うように、気味わるくひびいて来るのでした。

怪人の正体


 それから四五十分のち、煙突のまわりは火事場のような騒ぎになっていました。中村係長のきてんで、もよりの消防署に電話がかけられ、一台の消防自動車が、小型の探照灯たんしょうとうまで用意してやって来たのです。探照灯は近くの電灯線につながれ、まぶしい光線が煙突の頂上を照らしつけています。
 青銅の魔人は昇天しないで、まだそこにいました。煙突の頂上に腰をかけ、二本の金属の足をブランブランさせ、両手を空ざまにひろげて、おどかしつけるようなかっこうで下界をにらみつけ、例のキーッ、キーッという、いやな叫び声をたてています。
 警官が煙突へのぼって行って、怪人をとらえるなどは、とてもできることではありません。足場がわるい上に、相手はどれほど力があるかわからないやつです。そこで中村係長は消防署にたのんで、怪物めがけてホースの水をぶっかけてもらうことを考えつきました。そうすれば怪物は苦しまぎれにおりて来るだろうと思ったのです。しかし、その考えはまちがっていました。怪物はけっしておりてこなかったのです。
 自動車ポンプのエンジンが動きだし、消防署員はホースの筒口つつぐちをとって身がまえました。ホースからはおそろしい音をたてて、水がほとばしり、はるかの空の怪物は真っ白な水しぶきに包まれました。
 ポンプの水は煙突の上の怪物をふきとばすほどの力があります。しかし、つきおとして殺してしまっては、なんにもなりませんから、手かげんをして、ただ顔に水しぶきをかけて苦しめるようにしているのです。
 ところが、魔人はすこしも苦しむようすがありません。機械人間は息をしないので、いくら水をかけられてもへいきなのでしょう。
 消防手はもどかしくなって、だんだん水のかけかたをはげしくしました。怪人の姿がユラユラとゆれるように見えます。ア、いけない。そんなにひどくしたら、煙突の上から落ちてしまう。人々がそう思って手に汗をにぎった時はもうおそかったのです。
 ポンプの水が強すぎたのか、それとも怪人がわざとそうしたのか、青銅のからだが左右にはげしくゆれたかと思うと、もう怪人の姿は煙突の上から消えていました。しかしこんどは煙のように消えてなくなったのではありません。落ちたのです。はるかの天空から、黒いかたまりとなって、矢のように地上に落下したのです。人々は思わず「ワーッ」と声をあげました。
 その時でした。ちょうどその時、地上の暗やみの中で、なんとも説明のできない異様なことがおこっていました。
 小林少年はその時、警官隊のずっとうしろのほうから、煙突の上を見あげていたのですが、怪物が落ちたので、いそいでそのほうへかけだそうとしました。そして、一歩ふみだした時、とつぜん頭の上から黒雲がかぶさって来たような気がして、目の前がすこしも見えなくなってしまい、からだがスーッと宙にういたかと思うと、こんどは深い深い穴の中へすべりおちて行くような気がして、それっきり何もわからなくなってしまいました。人々は怪物のほうにむちゅうになっていたのと、何をいうにも暗やみのことですから、小林君の身のうえにおこった変事には、だれも気づいたものはありません。しかし、この時かぎり、小林君の姿はかき消すように見えなくなってしまったのです。つまりこの世から消えうせてしまったのです。
 こちらでは青銅の魔人が、おそろしい音を立てて地上に落ちたものですから、警官たちはいっせいにその場にかけよりました。懐中電灯の光ではたよりないので、消防自動車を動かして、ヘッド・ライトでそこを照らしたのですが、怪物は見るもむざんなありさまで、地面にたたきつけられていました。むろん死んでいるのです。しかしそれはなんという不思議な死がいでしょう。手足は折れまがり、腹はさけているのに、一てきの血も流れていないのです。そして、さけた腹の中からとびだしているのは、はらわたではなくて、数知れぬ大小の歯車じかけでした。
 アア、やっぱりこいつはからだの中まで機械でできていたのです。ほんとうの機械人間だったのです。
 それにしても、その歯車を動かす力のもとは、いったいなんだったのでしょう。まさかゼンマイの力でこんな大きなものが動くはずはありません。電気の力にしても、これだけの人形を動かす蓄電池をしこむなどということはとても考えられません。なにか今までだれも知らなかったような発明をした者があるのでしょうか。では、その発明者はいったい何者でしょう。中村係長は魔人の死がいのそばによって、靴の先で肩のへんを動かして見ました。えたいの知れぬ魔物のことですから、こんなになっても、まだ生きているのではないかと、ためして見たのです。しかし機械人間はグッタリとなったまま、動きだすようすもありません。たしかに死んでしまったのです。
「なんだ、青銅の魔人って、こんなものだったのか。」
 ちらばっている歯車を見ると、なんだかばかにされたような気がしました。
 しかし、この機械があのような悪事をはたらき、そのうえたびたび煙のように消えうせたことを思いだすと、やっぱり気味がわるいのです。なんともいえない、ふしぎな感じがするのです。
 人々は奇妙な死がいのまわりに立ちすくんだままだまりこんでいました。あまりのふしぎさに、何を考えていいのだか、何をいっていいのだか、けんとうもつかないのです。
 そこへ、人々をかきわけるようにして、名探偵明智小五郎があらわれました。明智はだまって機械人間の死がいに近づくと、そのそばにしゃがんで、あちらこちらとしらべていましたが、
「オヤ、これはなんだろう。」
 と、つぶやいて、怪物の右の手を持ちあげました。見ると、ちょうつがいになった青銅の指が、かたくにぎりしめられていて、その指のあいだから、白い紙きれのはしが出ているのです。明智はその紙きれを破れないようにソッとぬきだし、ひざの上でしわをのばして、消防自動車のヘッド・ライトの光にあてて見ました。
「アア、やっぱり手紙だ。こいつは手紙でぼくらに何かをつげようとしているんだ。」
 その紙きれには、字だか絵だかわからないようなへんなかなで、
「フクシュウ」
 と、ただ五字だけしるされていました。「復讐」と読むのでしょう。つまり、復讐してやるぞという、例のおどし文句です。
 しかし、死んでしまった怪物がどうして復讐できるのでしょう。どうもわけがわかりません。でも、相手は化けものみたいなやつです。死んでしまっても、たましいがのこっていて、何かおそろしいたくらみをしているのかもしれません。
 そうだんのうえ、機械人間の死がいは警視庁の理化学研究室に運んで、くわしくしらべることにし、警官も消防手もそれぞれ引きあげることになりましたが、その時になって、明智探偵は小林少年の姿が見えないことに気づきました。
 れいのチンピラ別働隊の少年たちは、さっきからのおそろしいできごとに、すっかりめんくらってしまって、ひとかたまりになって、何か話しあっていましたが、明智が小林少年のことをたずねますと、その中からひとりのチンピラ君が前に出て、妙なことをいいました。
「ねえ、なんだかへんなんだよ。おら、わけがわかんねえや。小林のあにいね、フッと消えちまったんだよ。おら、あんとき小林のあにいのすぐそばにいたんだ。暗くってよくわかんなかったけどね、たしかに消えちゃったんだよ。フッと消えちゃったよ。」
 チンピラ君のいうことはなんだかよくわかりませんでしたが、小林君がいなくなったことはまちがいありません。みんなで手わけをして、できるだけさがしたのですが、どうしても見つからないのです。そして、あくる日になっても、小林君はどこからもあらわれて来ませんでした。
 アア、これはいったいどうしたことでしょう。青銅の魔人は死んでしまったように見えて、じつは生きているのでしょうか。それにしても、どうして小林君をかくしてしまうことができたのでしょう。魔人の復讐とすれば、こんなおそろしい復讐はありません。
 小林君は今どこにいるのでしょう。まさかほんとうに消えてしまったのではありますまい。
 これには何かわけがあるのです。きっとだれにもわからないようなおそろしいわけがあるのです。

鏡の中の怪人


 おそろしい青銅の魔人は、ついに死んでしまいましたが、では、これで魔人さわぎはおわったのかというと、どうもそうではなさそうです。魔人のたましいが、どこかにのこっていて、おそろしい復讐をたくらんでいるらしいのです。
 復讐のやりだまにあがったのは、明智探偵の少年助手小林君でした。あの魔人ついらくのさわぎのさいちゅう、アッと思うまに、小林君の目の前に、まっ黒なぬのがかぶさって来て、そのまま気をうしなってしまったのでした。
 それから、どれほど時間がたったかわかりませんが、小林君は、おそろしい夢からさめたように、フッと目をひらきました。
 部屋の中には、なんだか見なれない、赤ちゃけた光がただよっています。なんの光だろうと、ふしぎに思って、目をそのほうに向けてみますと、天井から細い鉄のくさりで、へんなかっこうの石油ランプがさがっているのです。
 あたりを見まわすと、そこは、今まで一度も見たことのない、ふしぎな部屋でした。四方のかべはお堀のどてのような石垣になっています。天井は太い材木をたてよこに組みあわせて、その上に厚い板がはってあるのです。床も大きな石をならべたままで、しきものもなく、道具といっては、木のベッドがただ一つあるだけ。そのベッドの上に、小林君は、今まで寝ていたのです。
「いったい、ここはどこなんだろう?」
 しばらく考えているうちに、青銅の魔人が煙突からついらくしたこと、それを見ていた時、まっ黒なものがフワッと頭の上からかぶさって来て、そのまま何がなんだかわからなくなってしまったことを思いだしました。
「じゃあ、今まで気をうしなっていたんだな。それにしても、ここはだれのうちなんだろう?」
 小林君はベッドからおりようとしましたが、なんだか、からだじゅうがしめつけられているようで、自由に動けないのです。やっとのことで、石の床に立って、ヨロヨロと二三歩あるきましたが、たちまち、アッとさけんで、たちすくんでしまいました。じつにおそろしいものを見たからです。
 正面の石垣のかべに窓があって、むこうの部屋が見えています。その窓のところに、ギョッとするようなものがいたのです。それは青銅の魔人でした。
 煙突からおちて死んだはずの怪物が、ゆうぜんとして姿をあらわしたのです。小林君は夢ではないかと、うたがいました。
 怪物は小林君と同じように、じっと立ちどまって、こちらを見つめています。首をかしげて、何か考えごとをしているようです。気がつくと、例のギリギリという歯ぎしりの音がきこえます。ふしぎなことに、小林君には、その音が自分の腹のへんから出ているように感じられるのです。
 いつまでにらみあっていてもはてしがないので、小林君はためしに一歩前に進んでみました。すると、怪物のほうでも、まるで、こちらのまねをするように、サッと一歩前にすすみました。手をあげると先方も手をあげます。首をかしげると先方も首をかしげます。
「オヤ、へんだぞ!」
 小林君の頭にハッとある考えがうかびました。それはじつにとほうもない考えでしたが、小林君はためしてみる気になりました。ツカツカと窓のほうへ近づいて行ったのです。すると、怪物もツカツカとこちらへ進んできました。窓のところで、今にもふたりの顔がぶつかりそうです。
 小林君は思いきって、右の手を前にのばしました。すると、思ったとおりでした。そこにはつめたいガラスがあったのです。小林君の手は厚いガラス板にぶつかって、カチンと音がしたのです。
 小林君は背中に水をあびせられたように、ゾーッとしました。
 むこうから近づいて来たのは、青銅の魔人ではなくて、小林君自身の顔だったのです。
 窓ではなくて、これは一枚の大きな鏡でした。鏡が石垣のかべにかけてあったのです。その鏡にうつった小林君の姿が、青銅の魔人とそっくりだったのです。
 思わず自分のからだを見ました。両手を前にだして、つくづくとながめました。そして、鏡のかげばかりではなく、じかに見ても、自分のからだがいつのまにか、すっかり青銅にかわっていることをたしかめました。
 さっきベッドをおりる時、なんだか、からだがギクシャクしてきゅうくつに感じたのは、このためだったのです。やわらかい肉が、いつのまにか、よろいのような青銅につつまれていたからです。
 小林君は両手で顔にさわってみました。頭の毛にもさわってみました。すると、顔もかみの毛も、カチカチと金属の音がするのです。アア、小林君は魔人の妖術ようじゅつによって、生きた銅像にされてしまったのでしょうか。
「エヘヘヘヘヽヽヽヽヽ。」
 とつぜん、うしろのほうで、へんてこな笑い声がしました。人をばかにしたように、ヘラヘラ笑っているやつがあるのです。
 小林君は、ヒョイとふりむきました。すると、またしてもドキンとするような、えたいのしれぬ怪物が、そこに立っていたではありませんか。

地底の道化師


 怪物といっても、青銅の魔人ではありません。まるで、この場所にそぐわない、ひとりの道化ものが、まっ白な顔に、まっかな口を大きくひらいて、エヘラエヘラと笑っていたのです。
 はでな紅白だんだらぞめの、ダブダブのパジャマのようなものを着て、顔には白かべのようにおしろいをぬり、両方の頬を日の丸のように赤くそめ、くちびるもまっかにぬって、頭には、これも紅白だんだらのとんがり帽子をかぶっています。
 小林君はつぎつぎとおこるふしぎに、夢に夢みる心もちで、ボンヤリ道化ものの顔をながめていますと、その男はやっと笑いをとめて、こんなことをいいました。
「チンピラ探偵さん、びっくりしてるね。オイ、ここをどこだと思う。ここはね、地の底の青銅魔人国だぜ。かくいうおいらは、魔人さまの秘書官と通訳とボーイをつとめているたったひとりの人間。この国には肉でできた人間は、おれのほかにはいないのさ。」
「それじゃあ、青銅の魔人はひとりではなかったんだね。」
 小林君はそういおうと思って、口を動かしたのですが、ふしぎなことに、その声は、まるで歯車のきしむような、キイキイというしわがれ声になって、自分でも聞きとれないほどです。アア、小林君は声までも青銅人種にされてしまったのでしょうか。
「ウン、そのとおりだよ。煙突から落ちて、こわれたやつは、ただの人形さ。ほんものの魔人さまは、ちゃんとこの地の底に、ごぶじでおいでなさるのだよ。」
 小林君の歯車のきしるような声が、この道化ものにはよく聞きわけられるらしいのです。通訳というのはそのことなのでしょう。
「じゃあ、ぼくをなぜこんな姿にしたんだい? きみはそのわけを知っているんだろう。」
 小林君が、やっぱりキイキイいう声でたずねますと、道化ものはまっかな口をニヤリとさせて、
「それは、きみが魔人さまを煙突の上に追いつめたばつさ。きみをこうして地の底のチンピラ魔人にしてしまえば、もう今までのようなじゃまはできないからね。今に、きみの先生の明智小五郎もここへつれこんで、青銅人間にかえてしまうことになっているんだぜ。エヘヘヘヽヽヽヽヽ。」
 聞いているうちに、だんだんことのしだいがわかって来たので、小林君はすっかり安心しました。
 小林君はからだの中まで機械人形にされてしまったわけではなくて、ただ青銅のよろいのようなものを着せられているだけなのです。顔も首から上をすっかりつつんでしまうお面のようなものをかぶせられているばかりです。その口のへんに何かしかけがあって、ものをいうと、キイキイと歯車のような音が出るのでしょう。また青銅のよろいの腹のへんにもゼンマイじかけがあって、たえず歯車の音がしています。
「じゃあ、あの煙突からおちた魔人は、かえだまの人形だったんだね。いつのまにほんものと入れかわったんだろう。ちっともわからなかった。」
 ああ、なんという奇妙な光景でしょう。ひとりはかべのようにおしろいをぬった、とんがり帽子の道化もの、ひとりは頭から足のさきまで青銅でできた少年、そのふたりが、赤ちゃけたランプの光の下で、まるで友だちのように話しあっているのです。
「エヘヘヽヽヽヽ、そこが、それ、魔人国の魔法というやつさ。名探偵の明智にもとけない謎だよ。チンピラのおまえなんかにわかってたまるものか。」
「フーン、それじゃあ、魔人が煙のように消えるのもやっぱり魔法なのかい?」
「そうともさ、魔人国第一歩の魔法だよ。そのほか、まだいろいろな魔法がある。そのうち、きみにもわかってくるよ。この魔人国へ、はいったからには、二度とふたたび、しゃばには出られないのだから、きみには何もかも話してきかせるが、ここは世界にもるいのないりっぱな美術館なんだぜ。魔人さまが、長いあいだに、おあつめになった、ありとあらゆる美術品が、七つの部屋にギッシリつまっている。
 その中に時計室という部屋があってね、近ごろは、その部屋におさめる時計類を、お集めなさっているのだよ。世間に名のきこえた、めずらしい時計は、一つのこらず手に入れようってわけさ。
 今、その七つの部屋を、きみにも見せてやるがね、その前に、食堂へ行こう。きみはずいぶんおなかがすいているはずだからね。」
 道化ものが、こちらへこいという身ぶりをするので、小林君はそのあとについて行きました。コックリコックリと、例の機械人形の歩きかたです。われながら気味がわるいけれども、青銅のよろいを着ていると、そういう歩きかたしかできないのです。
 部屋と部屋のあいだは、廊下ではなくて、せまい石のトンネルでつながっています。うす暗いトンネルを十歩ほど行くと、道が二つにわかれて、その左のほうの行きあたりに、がんじょうな板戸がしまっていました。
 道化ものが「あけてごらん。」というような身ぶりをするものですから、小林君は何げなく、不自由な青銅の指で、その重いドアーをひらきましたが、一目部屋の中を見るとギョッとして、思わず、板戸をしめてしまいました。
 その広い石の部屋の中には、大きな銅像みたいな、あの青銅の魔人が、ニューッと立ちはだかって、こちらをにらみつけていたからです。

小魔人


「エヘヘヘヽヽヽヽ、おどろいたかい。だがね、まだまだおどろくことがあるんだよ。三分間、かっきり三分間、そのドアーを、中からひらかないように、グッとおさえていてごらん。いいかい、三分間だよ。」
 道化ものは、まっかな口でヘラヘラ笑いながら、だんだらぞめのパジャマのそでを、たくしあげて、りっぱな宝石入りの腕時計をながめるのでした。この腕時計も、きっと、魔人がどこかで盗んできたものでしょう。
 小林君はさいぜんからひきつづいて、わけのわからぬことばかりおこるので、もうものを考える力もなくなったように、ボンヤリと、ドアーの前に立っていましたが、やがて三分がすぎたとみえて、道化ものは、
「さあよし、ドアーをひらいてもいいよ。エヘヘ。」
 と、またいやな笑いかたをしました。
 小林君はもうどうにでもなれという気持ちでドアーをひらき、ソッと中をのぞいてみました。すると、オヤッ、これはどうしたことでしょう。部屋はまったくからっぽで、さっきの魔人の姿は、かげもかたちもないのです。
 どこかに別の出入口があって、そこから立ちさったのかと、部屋の中を見まわしましたが、小林君が今ひらいたドアーのほかは、石だたみのかべばかりで、戸も窓もありません。
 石だたみのどこかに、かくし戸があって、そこから出て行ったのでしょうか。道化ものは、どこにもかくし戸やぬけ穴はないといって、小林君をつれて、部屋の四方のかべをグルッと見てまわりました。ところどころに、あけてある小さな空気ぬきの穴のほかには、どこにもあやしい個所はありません。銅像のような大男が、三分のあいだに煙のように、消えうせてしまったのです。
「エヘヘヽヽヽヽ、どうだね、これが魔人国の魔法というものだ。ちょっとした見本がこれだよ。サア、食事にしよう。おなかをこしらえてから、ご主人の魔人さまにお目にかかるという順序だよ。まだまだ、びっくりすることが、たくさん待ちかまえているからね。」
 広い石部屋のまん中に、りっぱな大テーブルが、どっしりとすえられ、もたれに彫刻のある、背の高い六つのイスがテーブルのまわりにならんでいます。道化ものは、そのイスの一つに腰かけ、小林君にもかけるようにすすめました。
 この部屋も、やっぱり石油ランプで照らされています。シャンデリヤのように、りっぱなガラスのかざりのあるランプが、天井からさがっているのです。
 大テーブルの上に、門のようなかたちをした置きものがあって、その門の中に小さなつりがねがさがっています。道化ものは、そばにおいてあるかねの棒をとって、そのつりがねを、つづけざまにたたきました。カーンカーンと美しい音が、遠くのほうまでひびいて行きます。
 その音があいずだったのか、しばらくすると、ひらいたままになっていた入口から、小さな怪物があらわれました。やっぱり青銅の顔、青銅のからだですが、小林君よりも小さくて、なんだかかわいらしい感じです。その小魔人は両手で大きな銀色のお盆をささげています。お盆の上には洋食のお皿がならんでいるのです。
 小魔人がお盆を小林君の前においたと思うと、またしても、入口のところに、別の怪物があらわれました。こんどのやつは、まえの小魔人の半分ほどの、おもちゃのように小さな、豆魔人です。豆魔人もやはり銀のお盆を持っていて、その上にはコーヒーのようなのみもののコップがのっているのです。
 魔人国にも子供がいたのです。機械人間も子を生むのでしょうか。そして、魔人国の人民がだんだんふえて行くのでしょうか。さきにはいって来た小魔人はにいさんで、あとから来た豆魔人は弟かもしれません。にいさんのほうは十二三歳、弟のほうは七八歳ぐらいに見えます。
 道化ものは赤いくちびるでニヤニヤ笑いながら、そのありさまをながめていましたが、
「アア、そうだ、口をひらいてやらなければ、ごちそうがたべられないね。」
 と、ひとりごとをいいながら、ポケットから、小さなカギをとりだして、小林君の青銅のあごのへんをカチカチいわせていたかと思うと、お面の下あごが、パクッとはずれて、にわかに息がらくになりました。
「さあ、ゆっくりごちそうをたべな。おいらはちょっと魔人さまにお知らせしてくるからね。」
 道化師はまたヘラヘラと笑ってみせてそのまま入口から出て行きました。
 あとに残ったのは、小林君と、小魔人と豆魔人の三人です。小林君はお面のあごがはずれて、口がきけるようになったのをさいわい、そこに立っている小魔人に話しかけてみました。
「きみは人間なのかい、それとも、腹の中まで歯車でできた機械人形なのかい?」
 それを聞くと、小魔人は一歩小林君のほうへ近づいて、キ、キ、キ、キと、するどい歯車の音をたてましたが、何をいっているのだか、小林君にはさっぱりわかりません。
 小魔人はいくらしゃべっても、相手に通じないので、もどかしくなったとみえて、いきなりかわいらしい青銅の指で、テーブルの上に字をかきはじめました。
「オヤッ、この小魔人は人間界の字を知っているのかしら。」と、おどろきながら、よく見ていますと、カタカナで、同じことを何度もくりかえして書いていることがわかりました。
「なんだって? ボ、ク、ハ、だね。ウン、それから、テ、ヅ、カ、だね。シ、ヨ、ウ、イ、チ、えッ、なんだって、もう一度書いてごらん。ウン、ボ、ク、ハ、テ、ヅ、カ、シ、ヨ、ウ、イ、チ、あッ、それじゃあ、きみは手塚昌一君。そこにいる小さいのは、え、え、なんだって? ユ、キ、コ、ああ雪子だね。きみの妹の雪ちゃんだね。わかった、わかった、きみたちもぼくと同じ目にあったんだね。この地の底へかどわかされて、青銅のお面をかぶせられ、青銅のよろいを着せられたんだね。」
 小魔人と豆魔人とは小林君のことばに、コックリ、コックリとうなずいてみせました。
 手塚昌一君と雪子ちゃんは、例の「夜光の時計」を盗まれた手塚さんの子供です。青銅の魔人は時計ばかりでなく、いつのまにか生きた宝ものまで盗みだしていました。手塚さんが警察や明智探偵にたのんで賊をとらえようとしたのをうらんだのでしょう。そして、その復讐のために、このいたいけな兄妹まで機械人間にかえてしまったのでしょう。
 魔人はこの三人の少年少女をとりこにして、いったい何をするつもりなのでしょう。明智探偵はこのことを知っているでしょうか。いや、おそらく、まだ知りますまい。さすがの明智も魔人のために先手をうたれたのです。

悪魔の美術館


 そこへ、道化師がもどって来ました。
「さあ、これから七つの宝ものの部屋を見せてあげよう。きみたち、びっくりするぜ。」
 道化師は小林君たちをあんないして、魔人の美術館を見せてくれました。魔人の盗みためた、いろいろの宝ものが、地の底の七つの部屋にかざってあるのです。
 時計の部屋には、大小さまざまの時計が、まるで時計屋の店のようにならび、一方のすみには、大きな時計塔までかざってあります。そして、そのまん中の、いちばん目につきやすいところに、手塚さんの蔵の中から盗んで来たばかりの、皇帝の夜光の時計が、りっぱな黒ビロウドの台の上でキラキラとかがやいていました。
 仏像の部屋には、見あげるばかりの大きな仏像が、まるで博物館のように立ちならび、絵の部屋には古い日本の名画や西洋の名高い油絵が、ズラリとかけならべてあります。そのほか、宝石の部屋、織物の部屋、蒔絵まきえの部屋など、よくもこれだけ盗みあつめたものだと、びっくりするほどでした。魔人が「美術館」だといっていばっているのも、もっともです。
 小林君はすっかりおどろいてしまいましたが、それといっしょに、魔人をにくむ心がムラムラと胸の中にもえあがって来ました。なんというおそろしい悪人だろう。こんなやつを一日も自由にさせておいてはいけない。「ぼくは、どんなことがあっても、ここをぬけだしてみせる。そして、明智先生や警察にこれを知らせて、魔人をとらえ、この宝ものをもとの持ち主に返すんだ。きっと、やってみせるぞ。」と、かたく心にちかうのでした。
「エヘヘヘヽヽヽ、どうだい、魔人さまの美術館はたいしたもんだろう。サア、見物がすんだら、魔人さまにお目みえだ。小林君ははじめてのお目みえだね。なあに、こわいことはない。きみをとって食おうとは、おっしゃらないよ。」
 道化師がさきに立って、石のトンネルをグルグルとまわって行きますと、奥のほうにうす暗い部屋がありました。
 十畳ほどの部屋ですが、まわりに黒ビロウドのかべかけが幕のようにたれていて、天井から、へんなかっこうのつりランプがさがっています。それが今までの部屋とは、くらべものにならないほど、うす暗いのです。
 小林君たちが、そこへはいって行きますと、正面のビロウドの幕がユラユラと動いて、その合わせ目から、青銅の魔人の姿がヌーッとあらわれ、いきなりギリギリと、例のはげしい歯ぎしりの音をさせました。何か大声にどなっているのです。
「さあ、魔人さまのおおせを通訳するから、よく聞くんだぜ。いいか。……小林、きさまはよくも、おれをひどい目にあわせたな。だが、おれは神通力じんつうりきをもっているんだ。あの煙突からおちて死んでしまったけれども、見ろ、こうしてちゃんと生きている。きさまの先生の明智なんかにつかまるようなおれじゃない。わかったか。そこで、きさまはばつとして、一生この地の底にとじこめておくことにする。きょうから明智の弟子でなくて、おれの弟子になるんだ。どうだ、うれしいか。なに明智にあえないのが、かなしいというのか、ワハハハヽヽヽ、しんぱいするな。明智ならいまにあわせてやる。あいつも、きさまと同じように、この魔人国のとりこにして、青銅人間にしてしまうつもりだからな。そうすれば、毎日、明智にあえるというもんだ。ワハハハヽヽヽ。」
 道化師はそこでプッツリ口をとじました。魔人も歯ぎしりをやめて、おどかすように、青銅の両手を大きくふったかと思うと、そのまま、また幕のうしろへかくれてしまいました。小林君は何かいってやろうと思ったのですが、自由に口がきけないうえに(さいぜん、食事の時、鍵でひらいてくれた下あごは、またもとのとおり、ふさがれていたのです)アッと思うまに魔人が姿を消してしまったので、何をいうまもありませんでした。
 それから一週間ほど、小魔人の姿をした小林君たち三人の、地底のふしぎなくらしがつづきました。
 青銅の魔人はひとりなのか、それとも、ふたりも三人もいるのか、そこがどうもよくわかりません。はじめに黒ビロウドの部屋で出あったほかは、魔人は小林君たちを、一度もそばへよせつけません。ただ、トンネルを歩いていたり、石の部屋へはいって行ったりするのを、遠くからチラチラと見るばかりです。それがみなまったく同じ姿なのですから、相手が幾人いるのだか、すこしもけんとうがつきません。道化師にそのことをたずねても、ヘラヘラ笑うばかりで答えてくれないのです。
 小林君たちはべつにひどい目にあうわけでもなく、一室にとじこめられることもなく、ただ時々いろいろなものを運んだり、炊事の手つだいをさせられるぐらいで、これといって苦しいこともありませんが、この地の底から、いつまでも出られないのが、何よりもつらいのです。
 石のトンネルの一方のはじに、いつもげんじゅうに鉄の戸のしまっている所があります。どうやら、そこが地上への出口らしいのですが、鍵がかかっているとみえ、その戸はおしても引いてもビクとも動きません。
 ある時、小林君がその戸をしらべていると、とつぜん、うしろに人の声がしました。
「エヘヘヘヽヽヽ、だめ、だめ、その戸のむこうがわに出ると、いのちがないのだよ。おそろしい地獄が口をひらいて待っているんだ。悪いことはいわない。この戸のむこうへ出ようなんて、けっして考えるんじゃないよ。」
 いつのまにか、例の道化師が、そこに来て、ヘラヘラ笑っているのでした。小林君はその時、道化師のいったことは、ただのおどかしだろうと思いましたが、あとになって、けっしておどかしでなかったことがわかるのです。その戸の外には、ほんとうに身の毛もよだつ地獄があったのです。

古井戸の底


 もしその鉄の戸が、地上へのたった一つの出入口だとすれば、魔人が外へ出る時には、戸がひらかれるはずです。ひょっとしたら、小林君たちが夜ねているあいだに、魔人はいくども、そこから出たりはいったりしていたのかも知れません。
「そうだ、今夜は、ねないで、コッソリあの戸を見はっていてやろう。そして、もし魔人が戸をあけたら、そのあとについて出ればいい。」
 小林君は昌一君ともうちあわせたうえ、その晩はよっぴて、見はりをすることにしました。それが、地底につれられて来てから、ちょうど一週間めのことでした。
 小魔人の姿の小林君が、石のトンネルのまがり角の、まっ暗なくぼみに身をかくして、しんぼうづよく見はっていますと、真夜中ごろ、あんのじょう、青銅の魔人が、あの機械のような歩きかたで、小林君の前を通りすぎました。
 ソッとついて行きますと、魔人は例の鉄の戸を鍵でひらいて、そのまま外のやみの中へ。そして、鉄の戸はまたピッタリとしまってしまいました。小林君はすばやく魔人のあとからぬけだすつもりでいたのですが、とてもそんなひまはありません。しかたがないので、しまった戸の前に行って、未練みれんらしく力いっぱいそれをおしてみました。
 すると、これはどうでしょう。鉄の戸がスーッとむこうへひらいたではありませんか。魔人は鍵をかけるのを忘れて行ったのでしょうか。それとも、もしかしたら、小林君がつけてくるのをちゃんと知っていて、わざと鍵をかけなかったのではないでしょうか。
 しかし、小林君はそんなことを考えるゆとりなどありません。うれしさのあまり、昌一君と、雪子ちゃんのねている部屋へとんでいって、ふたりをおこし、手を引きあって、もとの戸口へもどりました。
 三人は胸をドキドキさせながら、入口のむこうがわに出ると、鉄の戸をしめましたが、そこは真のやみで、どんな場所だかすこしもわかりません。もし魔人がまだそのへんにいたら、たいへんですから、しばらく、じっと耳をすましていましたが、怪物はもう遠くへ行ったとみえ、何の物音もきこえません。
 そこで小林君は、こんな時の用意にと、炊事場からマッチを持って来ていたので、それをシュッとすって、あたりを見まわしました。
 おどろいたことには、一メートルばかりさきに、大きな深い穴があるのです。
 マッチをすらなかったら、三人はその穴の中へころがりおちていたかもしれません。穴のふちに近づいて見ると、石のだんだんがついています。底は二、三メートルの深さです。広さはたたみ半畳ぐらいで、コンクリートでかためた、まっ四角な箱のような穴です。
 またマッチをすって、よく見ますと、その箱のようになった、むこうがわのかべにやっと人間ひとり通りぬけられるほどの、黒い穴があいていることが、わかりました。そのせまい穴が、地上への出口なのでしょう。ほかには、どこにも行くところがありません。
 それにしても、へんな出入口です。地上へ出るのに、なぜ、こんな穴の中へおりなければならないのでしょう。それがあんなおそろしいしかけとは、すこしも知らないのですから、小林君はふしぎに思いました。しかし、そのほかに進む道がないとすれば、ふしぎでもなんでも、穴の中へおりるほかはありません。
 三人は手を引きあうようにして、泣きだしそうになっている雪子ちゃんを、いたわりながら、マッチの光で見おぼえておいた、石のだんだんをおりて行きました。
 穴の底につくと、またマッチをすりましたが、見ればそのコンクリートの穴の底には、水がいちめんにたまっていて、歩くとピチャピチャと音がします。それに、コンクリートのかべも、シットリと水にぬれたような色をしています。地の底のことですから、どこからともなく、水がしたたっているのでしょう。
 三人は、べつにふしんもいだかず、むこうがわのかべの、人間がひとりやっと通れるほどの穴を、くぐりぬけて、外へ出ました。そして、そこで、またマッチをすって見ますと、外へ出たと思ったのに、そこも同じようなせまい穴であることがわかりました。
 それは、さしわたし一メートル半ぐらいの丸い穴で、マッチの光では見とどけられないほど、ズッと上のほうまで、筒のようになっているのです。そして、ここはコンクリートではなく、大きな石をつみかさねた石のかべでした。なんだか古い井戸の底のような場所です。
「アァ、わかった。この石かべをのぼって行けば、地面に出られるんだな。」
 小林君はそこへ気がつきましたが、まっすぐな石かべにはだんだんも何もついていないので、とてもよじのぼることはできません。小林君はどうしていいのか、わからなくなってしまいました。昌一君とそうだんしようにも、まっ暗な中では、字を書いて見せるわけにも行きません。しかたがないから、もとの地下室へ引きかえそうかと思いましたが、せっかくここまで来て引きかえすのもざんねんです。
 ところが、その時、おそろしい物音がきこえて来ました。ドドドヽヽヽヽヽと、なにか滝でもおちているような音です。
 小林君はもっと早く、思いきって引きかえせばよかったのです。しかし、もうまにあいません。
 アッと思うまに、今くぐりぬけて来た穴から、川のつつみを切ったように、ドッと水が流れこんで来たのです。いや、流れるなんてなまやさしいものではありません。穴いっぱいの水のかたまりが、バッとぶっつかって来たのです。
 その水のかたまりに足をさらわれて、三人は一度に尻もちをついてしまいました。おたがいに助けあって、やっとのことで立ちあがった時には、水はもう三人の腰のあたりの深さになっていました。
 逃げだす道は、さっきくぐって来た穴のほかにありません。ところが、その穴からは滝のように水がふきだしているのです。近づけば、たちまちはねかえされてしまいます。
 それでも、小林君は勇気をふるって、雪子ちゃんをだいて、穴のほうへつき進んで行きましたが、だめです。水のいきおいのために、大きなつちでガンとたたきつけられたように、水の中へもぐってしまいました。
 やっと立ちあがって、はかってみると、水はもう胸のへんまで来ています。そして、グングン上のほうへあがってくるのです。
 またたくまに、首のところまで来ました。それから、あごへ……。
 せいのひくい雪子ちゃんは、ほうっておけば死んでしまうので、小林君がだきあげていました。しかし、その小林君も、もういきができなくなって来たのです。昌一君はくるしまぎれに、小林君にしがみついて来ます。雪子ちゃんをだいたうえに、昌一君にしがみつかれては、どうすることもできません。
 小林君は、いよいよ死ぬんだなと思いました。そして、すっかりあきらめて、からだの力をぬいて、目をとじてしまいました。

寝室の魔術


 小林君、昌一君、雪子ちゃんの三人は、どうなるのでしょう。このまま水におぼれてしまうのでしょうか。それにしても、あのおそろしい水はどこからわいて来たのでしょう。魔人は三人の子供のいのちをとるために、あんなしかけをしておいたのでしょうか。どうもそうではなさそうです。これには何かわけがあるのです。
 地の底でこんなさわぎのあった、ちょうどそのころ、地上にまた、おそろしい事件がおこっていました。
 港区にある手塚さんのおうちは、昌一君と雪子ちゃんが、行くえ不明になって、もう一週間も帰ってこないので、大へんなさわぎでした。そのうえ、青銅の魔人は、ふたりの子供をさらって行っただけでは、まだたりないのか、そののちも、時々手塚家に姿をあらわすので、警察ではたえず手塚家のまわりに、見はりの刑事をおくことにしました。
 ちょうど昌一君たちが水におぼれていたころです。夜中の十二時、ひとりの刑事が手塚家の庭に、寝ずの番をしていました。刑事がしゃがんでいる、木のしげみの間から、手塚さんの寝室の窓が見えます。黄色いカーテンがひいてあって、それに寝台のまくらもとの電灯の光があたっているので、やみの中に窓だけが、映画のスクリーンのように、うきだしているのです。
 刑事は、なにげなくその窓を見ていましたが、カーテンにへんな影がうつっているのに気づいて、ハッと立ちあがりました。
 それは人の姿でした。しかし、手塚さんの影ではありません。なんだかぎごちない動きかたをする、西洋のよろいを着たような影でした。
「もしや!」と思った刑事は、足音をしのばして、窓に近よりました。鉄格子てつごうしのある窓です。その鉄格子に顔をくっつけるようにして、カーテンのすきまから、部屋の中をのぞいて見ますと……。
 アア、やっぱりそうでした。あいつがいたのです。手塚さんのベッドのすそのほうに、あのおそろしい青銅の魔人がヌーッと立ちはだかって、今にも手塚さんに、つかみかかろうとしていたではありませんか。
 その時、よく寝入っていた手塚さんが、目をさましました。そして、怪物の姿に気がつくと、ガバッとベッドの上に半身をおこしました。
 おそろしいにらみあいでした。魔人は二つの黒いほら穴のような目の中から、じっと手塚さんをにらみつけています。
 手塚さんは、まるでヘビにみいられたカエルのように、怪物の目を見つめたまま、身動きもできないのです。
 そのうちに、手塚さんの顔が、今にも泣きだしそうにゆがんで来ました。そして、やっとの思いで、その口からさけび声がほとばしりました。ゾーッとするような、なんともいえぬものすごいさけび声でした。
 刑事はそれを聞くと、パッと窓のそばをはなれて、矢のように裏口へとんで行き、そこから廊下づたいに、手塚さんの寝室の入口へかけつけました。鉄格子があるので窓からは、はいれなかったのです。寝室のドアーはピッタリとしまっていました。とってをまわしても、ドアーはひらきません。手塚さんは用心のために、いつもドアーに中から鍵をかけて眠るのです。刑事はピリリリリとよびこを吹きならしました。
 バタバタ廊下に足音がして、もうひとりの刑事や書生などがかけつけて来ました。
 ふたりの刑事は力をあわせてドアーにぶっつかりました。メリメリと音をたててわれる板、その穴を、足でけやぶって広くし、そこからのぞいて見ますと、もう青銅の魔人の姿はなくて、手塚さんがベッドの上にグッタリとなっています。気を失っているのか、それとも、もしや……。
 刑事たちはドアーの破れをもぐって、部屋の中へ飛びこんで行きました。カーテンのうしろ、ベッドの下、洋服だんすの中、どこをさがしても、青銅の魔人は、影も形もありません。たった一つのドアーには鍵がかかっていました。窓には全部鉄格子がついています。ぬけだすすきまはどこにもありません。
 アア、またしても魔術です。怪物は煙のように消えてしまったのです。
 手塚さんはさいわいにも、どこもけがはしていません。刑事にだきおこされて正気づくと、「明智さんを、早く……。」といったまま、またグッタリとなってしまいました。
 刑事は中村捜査係長の自宅と、明智探偵の宅へ電話をかけました。すると、係長のほうは「すぐゆく。」という返事でしたが、明智探偵のほうは、「一昨夜事務所を出たまま、まだお帰りがないので心配している。」という答えです。
 名探偵はいったいどこへ行ったのでしょう。アア、もしかしたら、魔人の計略にかかって、地の底のすみかへつれさられたのではないでしょうか。
 刑事たちは、ベッドの上にグッタリとなっている手塚さんを、助けおこして、ブドウ酒などをのませて、元気づけました。すると、手塚さんは、やっと口がきけるようになり、さもおそろしそうに、とぎれとぎれに、こんなことをいうのでした。
「あいつは、私の手をとって、どこかへつれて行こうとしました。ギリギリ歯車の音をさせるだけで、ものをいわないから、わけがわからぬけれども、サァ、おれといっしょにこい。こんどはきさまを盗みだすのだ、といっているように思われたのです。私はいっしょうけんめいに、抵抗しました。魔物にだきしめられ、今にもどこかへつれて行かれそうになったのを、やっとのことでふみこたえていました。そこへ、あなたがたがドアーを破る音がきこえて来たものですから、魔人はビックリして私をはなし、消えるように逃げさってしまったのです。」
「あいつは、どこから逃げました。どこにもぬけだす個所はなかったと思いますが。」
 刑事がたずねますと、手塚さんはゾーッとしたような顔をして、
「それがわからないのです。逃げだしたのでなくて、消えてしまったとしか思われません。あいつの姿が、だんだんうすくなっていって、ボーッとかすんで、そして、消えてしまったのです。あいつは魔物です。おそろしい魔物です。」
 そうしているところへ、電話のしらせで、中村捜査係長がかけつけて来ました。
 中村係長のさしずで、あらためて寝室の中をしらべましたが、なんの手がかりもありません。もう真夜中です。ともかく厳重な見はりをつけて、手塚さんや家の人たちを朝まで眠らせることとしました。その手配がおわったとき、
「オヤ、手塚さんが見えないようだが、どこへ行かれたんだね。」
 中村警部が、からっぽのベッドに気づいて、びっくりして、たずねました。
「さっき、便所へ行かれるというので、田中君がついて行ったのですが。」
 そういっているところへ、その田中刑事が青くなって、かけつけて来ました。
「手塚さんがさらわれました。申しわけありません。廊下の曲がりかどで、ヒョイと姿が見えなくなってしまったのです。そこの雨戸が少しあいていました。魔人のやつ、その雨戸の外の暗闇くらやみにまちぶせしていたのかも知れません。私は、すぐに庭へかけだして、懐中電灯で、そのへんをさがしまわりましたが、どこにも姿が見えません。」
 田中刑事の大失策でした。しかし、今さらしかってみてもしかたがありません。中村警部は、刑事のほかに書生などにも手つだわせて、ただちに手塚家の庭の大捜索をはじめました。庭の林の中を懐中電灯やちょうちんの光がじゅうおうにとびまわりました。しかし、何も発見することはできなかったのです。魔人ばかりか、手塚さんまで、空中にとけこむように消えうせてしまったのです。

縄ばしご


 その翌朝、まだうす暗い午前五時ごろ、名探偵明智小五郎が、ヒョッコリ手塚家に姿をあらわしました。
「アア、よかった。明智君、きみはぶじでいたんだね。」
 中村警部はうれしそうに声をかけました。
「あいつは手塚さんまで、さらって行ってしまった。だから、きみもひょっとしたら、あいつにやられたんじゃないかと、しんぱいしていたんだ。だが、きみは二日ほどうちへ帰らなかったようだが、いったいどこへ行っていたんだ。」
「ウン、それは今にわかるよ。それよりも手塚さんの行くえをつきとめなくちゃあ……サア、大いそぎだ。」
 明智がいきなり、どこかへ出かけようとするので、中村警部はびっくりして、
「きみはいったいどこをさがそうというのだ。庭のうちそとは、ゆうべから何度となくさがしまわったが、なんの手がかりもつかめなかったんだよ。」
「イヤ、ぼくにはだいたいけんとうがついているんだ。きみもいっしょに来てくれたまえ。それから刑事さんもひとり。」
 明智はさも自信ありげです。
「むろん、いっしょに行くが、どこへ行くんだね。」
「庭の林の中さ。」
「林の中なら、すっかりしらべたが、すこしも、うたがわしい個所はなかったよ。」
「ところが、たった一つ、きみたちが見のがしているものがあるんだ。」
 明智が何を考えているのか、少しもわかりませんが、これまでいろいろ手がらをたてている名探偵のいうことですから、中村警部もだまって、これにしたがうことにしました。
 明智は縁側えんがわに靴を持ってこさせて、庭におり、グングン庭の林の中へはいって行きます。中村警部はひとりの刑事をつれて、そのあとにつづきました。千坪もある広い庭。大きな木の立ちならんだ林の中は、昼も暗いほどです。明智はちゃんと行く先がわかっているらしく、わき目もふらず進んでいきましたが、ふと立ちどまると、「これだよ。」とささやき声でいって、前を指さしました。
 それは一つの古井戸でした。土をかためて作った古ふうな井戸がわが、半分くずれてしまったような古い古い井戸でした。中村警部はけげん顔で、
「その井戸もじゅうぶんしらべたんだよ。中は石がけになっているが、べつに、ぬけ穴はないようだぜ。」
「シッ、大きな声をしちゃいけない。あいつはこの下にいるんだ。きみはピストルは持っているだろうね。」
 明智はいよいよささやき声です。
「ピストルを手に持っていてくれたまえ。いつ攻撃を受けるかもしれないのだから。」
 それをきくと、警部はにわかに緊張して、ピストルをサックから取りだしました。
「見たまえ、この井戸の底を。」
 明智が懐中電灯で井戸の中をてらすと、中村警部がのぞきこんで、びっくりして顔をあげました。
「オヤッ、すっかり水がなくなっている。ゆうべのぞいた時も、その前に見た時も、この井戸の底にはドス黒い水が、いっぱいたまっていたんだが……。」
「そこが魔法なんだよ。あいつが呪文じゅもんをとなえると、井戸の水がスーッとなくなってしまう。そして、ここが地下の密室への出入口になるというわけだよ。」
「じゃあ、この地の下に魔人のすみかがあるというのか。」
「そのとおり、手塚さんも、昌一君も、雪子ちゃんも、小林君も、みなこの地の底へつれこまれているのさ。」
「フーン、おどろいたなぁ。手塚さんの庭の井戸の中が賊のすみかだなんて、なんという大胆不敵なやつだろう。」
「そこが魔法使いの物の考えかたなんだ。すべてふつうの人間の逆を行くのさ。だから、あたりまえの考えかたでは、あいつの秘密をつかむことはできない。こっちも逆の手を使わなくてはだめなんだよ。サァ、ぼくはこの縄ばしごで先におりるから、きみたちはあとからついて来たまえ。そして、いざとなったら、かまわないから、ピストルをぶっぱなしてくれたまえ。」
「三人ぐらいで、だいじょうぶかい。相手はたくさんいるんじゃないのかい。」
「だいじょうぶ、ぼくは敵の秘密はだいたい、さぐってあるんだ。三人でも多すぎるほどだよ。」
 明智探偵は小わきにかかえていた小さい新聞紙の包みをとくと、中から黒い絹糸をよって作った、細いけれどもじょうぶな縄ばしごをとりだし、そのはしの、まがった金具を井戸がわにかけ、縄ばしごを井戸の中にたらして、用心しながら、それを一段一段とくだって行きます。
 井戸は三メートルほどの深さで、まわりはコケのはえた古い石がけ、底にはコンクリートがしきつめてあります。井戸の古さにくらべて、このコンクリートはごくあたらしいのです。井戸の底をコンクリートでかためるなんて、聞いたこともありません。さきほど明智がいったとおり、地底のすみかへの入口として魔人が何かしかけをしたものでしょう。
 井戸の底はおとながふたりはらくに立てるほどの広さです。明智は縄ばしごをおりると、無言で懐中電灯の光を石かべの一方に向けました。あとからおりて来た中村警部に地下の通路をしめすためです。
 石かべの一ヵ所が、人間ひとり、やっと通れるほどの穴になっています。明智は先に立って、その穴をもぐりました。穴のむこうがわは、コンクリートの四角い箱のような場所です。そこにだんだんがついていて、それをあがると、正面に大きな鉄のとびらがしまっています。
 読者諸君にはハハアと思いあたることがあるでしょう。そうです。あれと同じ井戸の底なのです。小林君、昌一君、雪子ちゃんの三人が、おそろしい水ぜめにあったあの穴なのです。
 あれからまだ八時間ほどしかたっていないのに、あのたくさんの水は、すっかり地の底へ吸いこまれてしまったのでしょうか。イヤ、そんなはずはありません。井戸の底はすっかりコンクリートでかためてあるのです。では、どうして水がなくなったのでしょう。また、小林君たちは、あれからどうなったのでしょう。水におぼれてしまったとすれば、三人の死がいがあるはずです。しかし、そんなものは何も見あたらないではありませんか。
 それから、もっとふしぎなことがあります。魔人は小林君たちが逃げだそうとした時には、水ぜめにして、これをふせぎました。ですから、明智探偵たちがはいって来たとわかれば、また水ぜめにして、ふせぐことができたはずです。魔人はなぜ水をださないのでしょう。それとも、探偵の来たことをまったく気づかないでいるのでしょうか。
 それもこれも、今にすっかりあきらかになります。そして、わが明智小五郎がどんなにえらい探偵だかということがわかるのです。

名探偵の魔法


 明智探偵は、どうして手に入れたのか、正面の鉄のとびらの鍵を持っていました。ポケットからそれを取りだして、カチカチとやると、大とびらはギーッとひらきました。
 そのむこうの闇の中に、青銅の魔人がヌーッと立っているのではないかと、中村警部はゆだんなくピストルをかまえましたが、そこには、うす暗いトンネルが、ズーッと奥ふかくつづいているばかりで、人の影もありません。
 明智は懐中電灯をふりてらしながら、少しもおそれないで、そのトンネルの奥へ進んで行きます。警部と刑事は注意ぶかくあたりに目をくばりながらそのあとにつづきました。
 明智はまるで自分の家の中でも歩いているように、まがり角に来ても、少しもためらわないで、ドンドン進んで行きます。そして、うす暗い石のトンネルを、グルグル回って行きついた所は、読者諸君はもうごぞんじの小林少年たちが道化師につれられて、青銅の魔人に対面した、あの黒ビロウドの幕をはりめぐらした部屋でした。
 三人がその部屋へはいるとすぐに、奥のビロウドの幕のすその所に、ひとりの人間がたおれているのに気づきました。
「アッ、手塚さんだッ。」
 中村警部は思わず口ばしりました。
 たんぜんのねまき姿の手塚さんが、手と足をしばられて、気をうしなったように、そこにたおれていたのです。
 三人はいきなりそのそばへかけよって、縄をとき、介抱しましたが、手塚さんはグッタリとなって、物をいう力もありません。ただ右手をわずかにあげて、むこうの黒ビロウドの幕をゆびさすばかりです。
 そこには、ひだの多いたれ幕が二重にかさなって、何かしらあやしい物をかくしているように見えます。ふと気がつくと、アア、あの音です。ギリギリ、ギリギリ、ぶきみな歯車の音が、どこからともなくきこえて来ます。三人は思わずハッと身がまえました。手塚さんの指は、ビロウド幕の合わせ目のへんを、じっとさし示しています。その顔はおそれのために真青です。
 気のせいか、ひだの多い幕が、かすかに動いているように見えます。天井からさがっているランプがゆれたのでしょうか。それとも、幕のうしろにいる魔人が、今にもとびだそうと、身うごきしているのでしょうか。
 中村警部はピストルの手をあげて、いきなりぶっぱなしそうな身がまえをしました。
「アッ、まちたまえ、むやみにうってはいけない。そのピストルは、ぼくがあずかっておこう。」
 明智はなぜか、警部のピストルを取りあげてしまいました。刑事はピストルを持っていなかったので、ただ一ちょうの武器が明智の手にわたったわけです。
 明智はそれから、部屋の入口へ行って、ドアーをピッタリしめて、刑事をさしまねきました。
「きみはこのドアーの前に立っていてください。ぼくがよろしいというまでは、どんなことがあっても、ここをひらいてはいけない。わかりましたか。たとえ中村君でも、手塚さんでも、それから、ぼく自身でも、ここから一歩も外へだしてはいけないのです。わかりましたか。」
 明智のふしぎな注文に、刑事は目をパチパチさせていましたが、魔人の巣窟そうくつを発見した名探偵のいいつけです。わけはわからなくても、したがうほかはありません。刑事はしめきったドアーの前に立って、ネズミ一匹も通すまいと、がんばるのでした。
「中村君、いよいよ青銅の魔人と対面だよ。」
 明智はそういって、ツカツカとビロウドのたれ幕の合わせ目に近づいて行きました。中村警部はその時、チラッと自分のほうを見た明智のへんな目つきに、気づかないではいられませんでした。
 警部は「オヤッ」と思いました。あれはたしかに、いたずら小僧が、何かわるさをする時の目つきです。笑いたいのをじっとこらえているような目つきです。この真剣な時に、明智探偵はなぜ、そんなへんな目つきをしたのでしょう。警部にはどうしても、そのわけがわかりません。
 その時、明智は幕の合わせ目をひらいてサッとその中へふみこんで行きました。アア、なんというむちゃなことをするのでしょう。幕のむこうがわには、青銅の魔人がいるにきまっています。そこへ明智がただひとりでとびこんで行ったのです。
 警部はじっと幕をにらんで、両手をにぎりしめました。今にも格闘がはじまって、幕が波のようにゆれるのではないかと、目もはなさず、ようすをうかがっていました。
 しかし、べつにとっくみあいがはじまるでもなく、しばらくすると、幕の合わせ目のところが、ズーッとこちらにふくらんで来て、それから合わせ目が左右に少しずつ、少しずつひらいて行き、そこから、何か青黒いものがあらわれて来ました。
 そして、幕がひらききってしまうと、そこに、ヌーッと、銅像のようなやつが、あのおそるべき青銅の魔人が、姿をあらわしたのです。
 警部はこぶしをにぎりしめて、思わずタジタジと、あとじさりをしました。
 魔人は、あの三日月型のくちびるで、ニヤニヤ笑いながら、それを追うように、こちらへ進んできます。だれかにうしろから、おされているような、へんな歩きかたで、ジリジリと幕の外へ出てくるのです。
 明智探偵はどうしたのでしょう。とっさのまに、魔人のためにやられてしまったのではないでしょうか。そして、幕のうしろに、たおれているのではないでしょうか。
 もしそうだとすれば、一刻も猶予ゆうよはできません。中村警部は死にものぐるいの決心で、魔人にむかってとびかかって行こうとしました。そして、一歩前にふみだした時……。
 みなさん、安心してください。名探偵明智小五郎は、けっしてそんなボンクラではありません。かれはその時、魔人のうしろから、ヒョイととびだして来たのです。しかもニコニコ笑いながら、とびだして来たのです。
「中村君、おどろくことはない。こいつは今ぼくが退治して見せるよ。サァ、よく見ていたまえ。ぼくの魔術がはじまるのだ。青銅の魔人が魔術師なら、この明智だって、それにおとらぬ魔術師だということを、今、きみに見てもらうのだ。」
 いうかと思うと、明智は青銅の魔人のうしろにまわって、そこにしゃがんで、何かカチッと音をさせました。
 すると、アア、これはどうしたというのでしょう。魔人はユラユラとゆれたかと思うと、あのいかめしい青銅のからだが、たちまちグッタリと力をうしない、首を前にたれ、いかった肩がスーッとしぼんで行き、まるであめ細工のようにグニャグニャになって、見るみる形がくずれ、アッと思うまにとけてしまったのです。雪だるまがとけるように、くずれてしまったのです。そして、今まで魔人の立ちはだかっていた足もとに、一かたまりの青黒いものが、まるで着物でもまるめたように平べったく横たわっていました。
「中村君、魔人が、しめきった部屋の中から、消えうせる魔法は、これだよ。これがあいつの魔術の種さ。」
 明智はそういって、一かたまりのグニャグニャしたものを足でふんづけて見せました。すると、その青黒いくらげのようなかたまりは、ふしぎな生きもののように、ブルブルッと身をふるわせるのでした。

ゴム人形


「中村君、青銅の魔人の正体はこれだよ。」
 明智がニコニコしながらいいました。
 中村警部たちは、あまりのことに、夢でも見ているのではないかと、きゅうには返事もできません。
「ハハハヽヽヽヽ、おどろいたかい。ごらんのとおり、こいつは厚いゴムでできた、ゴム人形なんだよ。両足のうらに大きな穴があって、それがとめ金でおさえてある。ぼくは今、そのとめ金をはずしたんだよ。パチンと音がしたのが、それだ。足のうらの二つの大穴からいっぺんに空気がぬけるので、たちまちペチャンコになってしまったのさ。」
 アア、なんという、とほうもないことでしょう。あのおそろしい青銅の魔人が、ゴム風船のような人形だったなんて、まるで信じられないことです。たましいのないゴム人形が、物を盗んだり、かけだしたり、できるわけがありません。中村警部はあっけにとられて目をパチクリするばかりでした。
「こいつを、もとの魔人にするのも、わけはないのだよ。ちょっとやって見るからね。」
 明智はそういって、幕のうしろへはいって行きましたが、すぐに一本のガス管のような長いくだのさきを持って、出て来ました。
「このくだは、かべのうしろのエア・コンプレッサーにつづいているんだよ。ボタンをおすと、その機械がうごいて、おそろしいいきおいで、このくだから空気がふきだすのだ。自動車のタイヤに空気を入れる、あのエア・コンプレッサーと同じしかけなのさ。」
 明智はペチャンコになったゴムのかたまりを、あちこちとさがして、空気を入れる小さな穴を見つけだすと、そこへくだのさきのネジを、はめこみました。すると、シューッと音がして、ぞうきんのかたまりみたいに見えていたゴム人形が、ムクムクと動き、すこしずつ、すこしずつふくれてきたではありませんか。
「足のうらのとめ金をはめて、しばらくこうしていれば、もとの青銅の魔人になるんだが、そこまでやらなくてもいいだろう。ただ、ゴム人形のしかけさえ、わかればいいのだからね。」
 とめ金をはめなくても、空気のいきおいが強いものですから、見るみるふくれあがって、青黒い大きな海亀うみがめがはっているような形になりました。首のほうにも空気がはいって、あのぶきみな魔人の顔が、半分ぐらいの大きさで、しわだらけで、ビクンビクンと動いています。
「アア、わかった。かえだまだね。そいつはほんとうの魔人ではなくて、魔人のかえだまなんだね。」
 中村警部はやっとそこへ気がつきました。
「そうだよ。ゴム人形は自分で動けないからね。魔人のるすのあいだ、この幕のうしろに立っていて、代理をつとめるというわけさ。それには人間の助手がいなくちゃどうにもならない。幕をちょっとひらいて、魔人の姿を見せるのにも、例の歯車の音をさせるのにも、人手がいり用だ。それにはね、魔人のけらいで、道化師のふうをした、へんなやつがここにいるんだよ。」
 明智はそこで、ふとことばをきって、ツカツカと中村警部のそばによると、耳に口をつけて、なにかボソボソとささやきました。すると、中村警部は入口に立ちはだかっていた刑事を、手まねきして、なにかまたささやきます。
 明智はつぎに手塚さんのほうへ近づこうとして、びっくりしたように、立ちどまりました。
「オヤ、手塚さん、顔色がよくないですね。気分がわるいのですか。」
 手塚さんは、魔人にしばられた手足の縄を、警部たちにといてもらっていましたが、ひどくつかれているようすで、もとの場所にグッタリと、うずくまったまま、青ざめた顔をしていました。
「イヤ、なんでもありません。だいじょうぶです。」
 歯をくいしばるようにして、ひくい声でこたえるのです。
「中村君、手塚さんのそばについていてあげてくれたまえ。ひどく気分がわるいようだったら、ひとまずここを出てもいいのだが……。」
 中村警部と刑事とは、手塚さんの両がわに、すりよって、手塚さんを、だきかかえんばかりにして、気をくばっています。
「イヤ、それほどでもありません。それよりも、昌一と雪子のことが心配です。ふたりはどうしたのでしょう。どこにいるのでしょう。」
 手塚さんは、ふたりの愛児をほうっておいて、魔人のすみかを立ちさる気には、なれないようすです。
 アア、昌一君、雪子ちゃん、それから、われらの小林少年、あの三人は、いったいどうしたのでしょう。古井戸の底で水ぜめになり、今にもおぼれようとしていたのですが、うまく助かることができたのでしょうか。
「ご安心なさい。昌一君も雪子ちゃんもぶじです。今にあわせてあげますよ。」
 明智は手塚さんを、やさしくなぐさめました。やっぱり三人は助けられていたのです。それにしても、だれが、どうして助けたのでしょう。

びっくり箱


「明智君、ゴム人形の秘密は、わかったが、すると、ほんものの青銅魔人は、いったい、どこにいるんだね。まさかゴム人形が、手塚さんを、ここへつれて来たわけではなかろう。」
 手塚さんのそばにしゃがんだ中村警部が、いぶかしそうに、たずねました。
「それも、じきにわかるよ。ちょっと、待ってくれたまえ。そのまえに見せたいものがあるんだ。中村君、それから手塚さんも、いまぼくが妙なことをはじめるからね、よく見ていてください。」
 明智は、なんだかニヤニヤ笑いながら、黒ビロウドのたれ幕の中へ、スーッと、はいって行ってしまいました。
 明智の意味ありげなことばに、三人は何事がおこるのかと、だまりこんで、待っていますと、やがて、ビロウドの幕がユラユラとゆれて、その合わせ目から、パッと、まっかなものが、とびだして来ました。まるで、ビックリ箱から、道化人形がとびだすように、ひとりの道化師があらわれたのです。
 紅白だんだらぞめの、ダブダブの服、トンガリ帽子、顔はまっ白におしろいをぬって、両方の頬に、赤い日の丸がついています。
 こちらの三人は、あっけにとられて、ただ目を見はるばかり、口もきけないでいますと、道化師は、三人の前に立ちはだかって、いきなりゲラゲラと笑いだしたではありませんか。
「ワッハハハヽヽヽヽ、どうだね、この早わざは。一分間におしろいをぬって、べにをつけて、道化服を着た手ぎわは、ハハハ……、まだわからないかね。ぼくだよ、明智だよ。ちょっと、魔神の弟子の道化師に化けて見たのさ。」
「なあんだ、きみだったのか。びっくりさせるじゃないか。そんな変装をして、いったい、どうしようというのだ。」
 中村警部は、おこったような声で、たずねます。
「イヤ、ゆうべ、真夜中にね、ぼくはこういうふうをして、あるところで、大はたらきをしたんだよ。道化師になりすまして、敵のうらをかいたのだよ。手塚さん、わかりますか、ぼくのやりかたが。探偵というものは、こういう早わざの変装もするのですよ。」
「じゃあきみは、その道化師の服をとりあげたわけだね。すると、ほんものの道化師は、いったい、どうしたんだ。まさか、きみは……。」
 警部が心配そうにいいだすのを、明智は身ぶりでとめて、また笑いました。
「ハハハヽヽヽヽ、それは今お目にかけるよ。ちょっと、待ってくれたまえ。」
 そういって、出て来た時と同じすばやさで、パッとビロウド幕の中へ、とびこんで行きましたが、しばらくすると、幕が大風にふかれたように、波うって、めくれあがり、幕のはじが天井の綱にひっかかりました。つまり幕がひらいて、その奥が見えるようになったのです。
 そこに明智がニコニコ笑って、立っていました。道化師は、かき消すようにいなくなって、もとの姿の明智探偵でした。いつのまに、ふきとったのか、顔には、べにのあとも、おしろいのあともありません。手品師のような早わざです。
「では、ほんとうの道化師を、お目にかけます。」
 明智のうしろに、仏像などをおさめる厨子ずしの形をした、黒ぬりの大きな戸棚のようなものが、おいてありました。明智はその前に近づいて、鍵をカチカチさせたかと思うと、観音かんのんびらきの戸を、サッと左右にあけて見せました。
 光といっては、石の天井からつるした石油ランプばかりですから、戸棚の中はボンヤリとしか見えませんが、たしかに人間です。シャツ一枚になった大男が、手足をグルグルまきにしばられて、まるくなって横たわっているのです。
「ハハハヽヽヽヽ、わかりましたか。こいつは二日も前から、ここにとじこめてあるのですよ。そして、その二日のあいだ、ぼくが道化師の身がわりをつとめていたのですよ。むろん、こいつには、時々たべものを、やっておきましたがね。おわかりになりましたか手塚さん。この厨子の中には、魔人がどこかのお寺から盗みだした仏像が、安置してあった。ぼくはそれを、別の場所におきかえて、仏像のかわりに、道化師を入れておいたというわけですよ。」
「じゃあ、そいつも魔人のなかまだなッ。」
 中村警部は今にも飛びかかりそうな、いきおいで、どなりました。
「そうだよ。しかし、こうしておけば、けっして逃げやしない、だいじょうぶだよ。」
 明智は観音びらきをしめて、また鍵をかけてしまいました。
「手塚さん、おまちどおでした。では、これから、昌一君と雪子ちゃんのいる所へ、ごあんないしましょう。」
 それを聞くと、中村警部がへんな顔をして、明智をせめるようにいいました。
「なあんだ、きみはそれを知っていたのかい。それじゃあ何も、道化師に変装したりして、グズグズしていないで、早くそこへ行けばいいのに。」
「イヤ、ものには順序がある。手塚さんに、ぼくも変装の名人だということを、ちょっと見せておきたかったのだよ。じゃあ、手塚さんといっしょに、ぼくのあとから、ついて来たまえ。」
 明智は先に立って、入口のドアーをひらくと、石のトンネルの中へ出て行きます。警部と刑事とは、青ざめた手塚さんを、中にはさむようにして、そのあとにしたがいました。

犯人はここにいる


 うす暗いトンネルを、ひとまがりすると、別の部屋の入口があります。そこは、読者諸君は、とっくにごぞんじの、例の時計の部屋でした。かずかぎりなく、ならんでいる、大小さまざまの時計に、三人が目を丸くしたことは、いうまでもありません。
「手塚さん、ごらんなさい。あなたの皇帝の夜光の時計が、ここにあります。もうだいじょうぶですよ。ここを出る時に、持って帰ればいいのです。」
 手塚さんは、目をかがやかせて、時計を見つめていましたが、明智がズンズン歩いて行くので、長くそこに立ちどまっているわけにも行きません。
 それから絵の部屋、織物の部屋などを通りすぎ、仏像の部屋にはいりました。いちばん気味のわるい部屋です。天井からつるした石油ランプの、あわい光の中に、お化けのような仏像が、かさなりあって、立ちならんでいるのです。
「おどろいたものだなあ。こんな広い地下室をつくり、これだけの美術品を集めるのは、よういなことじゃない。やつは、いつのまに、こんな大仕事をやったものだろうね。」
 中村警部は、感にたえたように、つぶやくのでした。
「ぼくもおどろいたがね。今ではそのわけがわかっている。この美術品の大部分は、長いあいだに集めたもので、いぜんは別のところにかくしてあったのだ。この地下室も徳川時代のすえに、ある大名が、秘密の会合の場所として造らせたものだが、それが明治になってから、持ち主もかわり、入口もふさがって、だれにも知られないでいたのだ。
 魔人のやつは、戦争後、ある古文書によって、この地下室のあることを知り、ひそかに手入れをして、美術品をはこびこんだ。大きな仏像を持ちこむために、古井戸の底の石かべをこわして、また元どおりになおしたあとも残っている。
 どうです。手塚さん、この土地の持ち主のあなたも、ごぞんじないことを、ぼくは知っているのですよ。ハハハヽヽヽ。」
 明智はなぜか、意味ありげに笑うのでした。
 それから一同が、仏像のあいだを進んで行くうちに、どうしたことか、今まで先にたって歩いていた明智の姿が、フッと見えなくなってしまいました。ちょうど人間ぐらいの仏像がたくさんならんでいるので、その中にまじってしまって、明智がどこにいるのか、わからなくなったのです。
「明智君、どこへ行ったんだ。明智君、明智君……。」
 呼んでも答えるものはなく、うす暗い部屋はシーンとしずまりかえって、立ちならぶ仏像の顔が、みな笑っているように見えます。さすがの中村警部も、なんだか、うす気味わるくなって来ました。
 三人は明智をさがしながら、仏像のあいだを、まよいあるいていましたが、ふと気がつくと、どこからともなく、いやな、いやな物音がきこえて来ました。アア、あの音です。ギリギリ、ギリギリ、魔物が歯ぎしりをかんでいるような、あの歯車の音です。
 三人はハッとして、釘づけになったように、そこに立ちすくんでしまいました。
 すると、かさなりあった仏像のあいだから、チラッと、青黒いものが見え、それが、だんだん大きくなって、やがて、ヌーッと、三人の目の前に、あの化けものが、青銅の魔人があらわれたのです。
 三人はジリジリと、あとじさりをしました。魔人は、それを追うように、ゆっくり、ゆっくり、こちらへ近づいて来ます。ゴム人形ではありません。足を動かして、人間と同じように歩いてくるのです。両手をひろげて、今にも、つかみかかろうとしているのです。
 ところが、気がつくと、もっとふしぎなことがおこっていました。大きな魔人のうしろに、別の青黒いものがチロチロと動いているのです。しかし、それが、やっぱり魔人の姿をしています。小型の魔人です。魔人にも子供があるのでしょうか。ひとり、ふたり、三人……三人の小魔人です。それが、手を引きあって、大きな魔人のうしろから、チョコチョコと歩いてくるのです。
「まてッ、そこから一歩でも進んでみろ、これだぞッ。きさま、いのちがないぞッ。」
 中村警部は、手塚さんをかばうようにして、ピストルをかまえました。
 すると、アア、またしても、ギョッとするようなことが、おこったのです。どこからともなく、きこえてくる、クスクスという、しのび笑い、それが、だんだん大きくなって、ついにワハハヽヽヽヽヽと、人をばかにした大笑いになりました。魔人は笑っているのです。腹をかかえて笑っているのです。
 あっけにとられていますと、魔人は両手で自分の頭をかかえるようなかっこうをして、それからその手をグッと上のほうへのばしました。すると、魔人の首がスッポリとぬけて、宙にういたではありませんか。イヤ、そうではありません。魔人の顔が二つになったのです。両手にささえられて、はるか頭の上のほうにうきあがった顔と、もとの胴体についているもう一つの顔と。
 その胴体についているほうの顔は、青銅色ではなく、ふつうの人間の顔でした。なんだか見おぼえのある顔です。その顔がニコニコと笑いました。
「ぼくだよ、ぼくだよ。たびたび、おどろかせて、すまなかったね。ゴム人形のほかに、こういう魔人もいるということを、きみたちに見せておきたかったのだよ。」
 それは明智探偵でした。首がぬけたように見えたのは、かぶっていた青銅の首から上をとりはずして、両手でささえたのです。青銅の頭のうしろのところで、たてにわれるようになっていて、鍵でそれをひらくと、自由にとりはずせるのです。
「これが、青銅の魔人のほんとうの正体だよ。つまり、青銅のよろいを着て、青銅の首をかぶっているのさ。これなら自由自在に歩きまわれるからね。……ところで、ぼくのうしろにいる、三人の小さな魔人は、なんと思うね。ほかでもない、これが昌一君と雪子ちゃんと小林だよ。魔人の着物を着せられているんだ。この大きいのが小林、中ぐらいなのが昌一君、いちばん小さいのが雪子ちゃんだよ。」
 それをきくと、手塚さんは「オオ」とさけんで、よろめくように、前にすすみました。小魔人たちは、ひとかたまりになって、手塚さんのほうへ近づきました。手塚さんは両手をひろげて、いちばん小さい魔人を、つまり雪子ちゃんを、さもなつかしげに、だきかかえるのでした。
 子供たちはぶじでした。たいせつな夜光の時計もみつかりました。あとには、あのにくむべき青銅の魔人をとらえることがのこっているばかりです。
「明智君、いつもながら、きみのうでまえには、かぶとをぬぐよ。たびたび、びっくりさせられたが、これはきみのわるいくせだね。しかし、マア、そんなことはどうだっていい。ところで、明智君、かんじんの犯人は、青銅の魔人はどこにいるんだね。まさか、きみともあろうものが、犯人をにがしたわけではあるまいね。」
 中村警部は明智の前につめよって、なじるようにいいました。
「ものには順序があるよ。犯人をひきわたすのは、いちばんあとだ。けっして逃がしゃしないよ。」
 明智は自信ありげに、ニコニコして答えました。
「ウン、さすがは明智君だ。で、その犯人はどこにいるんだね。」
「ここにいる。」
 警部はおどろいて、キョロキョロと、あたりを見まわしました。うす暗い石の部屋に、ニョキニョキと立ちならぶ、人間のような仏像たち、かくれんぼには、もってこいの場所です。
「またきみのくせがはじまった。じらさないで、ハッキリいいたまえ。あいつは、いったい、どこにいるんだ。」
「ここにいるんだよ。」
「こことは?」
 首から下は青銅の魔人そっくりの明智が、右手をあげて青銅のひとさし指を、まっすぐにのばし、すぐ目の前をゆびさしました。
 警部はハッとして、その指さきの方角を見つめます。
 ふしぎなことに、その方角には、べつにあやしいものは、いないのです。手塚さんと三人の小魔人と刑事と、そのうしろに二つの仏像が立っているばかり、あとは入口のドアーです。
 しかし、明智の指は、ある一点をさししめしたまま、すこしも動きません。これがわからないのかといわぬばかりです。
 警部はもう一度、その方角を見なおしました。ひとみをさだめて、じっとにらみつけました。
 明智の指は、どうやら手塚さんを、さしているようです。いくら見なおしても、そうとしか考えられません。中村警部は、とほうにくれました。手塚さんが青銅の魔人であるはずがないと思ったからです。

古井戸の秘密


 手塚さんが魔人だなんて、そんなばかなことはありません。手塚さんは時計を盗まれたり、子供をさらわれたりした、被害者なのですから。
 では、魔人は立ちならんだ大きな仏像の、どれかの中に、かくれてでもいるというのでしょうか。みんなは、このふしぎなことばに、あっけにとられて、名探偵の顔を見つめるばかりでした。
「イヤ、中村君、きみにのみこめないのはもっともだ。それじゃ、もっとわかるように説明しよう。」
 明智は指さしていた右手をおろして、もとの場所に立ちはだかったまま、話しはじめました。
「さっきぼくは、二日前からこの地下室にしのびこんで、魔人の手下の道化師を戸棚にとじこめ、ぼくが道化師にばけていたといったね。それから、ゆうべはその道化師の姿で、たいへんなはたらきをしたといったね。それをまず説明しよう。
 あの手塚さんの庭の古井戸が、魔人のすみかの入口だということを発見したのは、今から三日前の夜中だった。古井戸の底にはいつも水があったのに、その晩、ぼくが懐中電灯でのぞいたときには、すっかり水がなくなっていた。へんだなと思ったので、林の木のかげにかくれて、長いあいだ見はっていると、あんのじょう青銅の魔人が古井戸の中からノコノコと出て来たのだよ。
 ぼくは魔人のあとをつけるよりも、古井戸の中をしらべるのが先だと思ったので、魔人が立ちさるのをまって、井戸の中をのぞいて見た。すると、どうだろう、井戸の底には、どこからか、おそろしいいきおいで水がながれこんで、白く波だっているじゃないか。
 エ、わかるかい。きみ。じつにうまいことを考えたもんだね。古井戸の底にはいつも水がいっぱいあるので、だれもうたがわない。ただ、魔人が出はいりする時だけ、その水をなくすればいいのだ。それにはね、あとでしらべてわかったのだが、井戸の底の石の壁のうしろに、大きなタンクがかくしてあるんだ。スイッチをおすと、モーターの力で、井戸の水がそのタンクの中へすいあげられてしまう。魔人のやつは、近所の動力線から電気を盗んでいるんだよ。
 そうして、水をなくしておいて、魔人は縄ばしごのさきのまがった金具をほうりあげ、それを井戸がわにひっかけて、地上へのぼってくるんだ。
 縄ばしごといっても、じょうぶな一本の絹ひもに、三十センチおきぐらいにむすび玉をこしらえたもので、丸めるとポケットにはいってしまう。やつは井戸を出ると、それを丸めてポケットに入れて立ちさる。
 すると、一分もたたないうちに、自動的にタンクの口がひらいて、ドッと水がながれだし、たちまち井戸の底は水でふさがってしまう。それでもうなんのあとかたものこらないというわけだよ。
 ぼくはどうかして、魔人のるすのまに、地下のすみかへはいりたいと思ったが、水のなくなるのはホンのすこしのあいだだから、とても、まともにははいれない。そこで、ぼくは一度家にかえって、じゅうぶん用意をしたうえ、その次の真夜中に魔人の出て行ったあとを見すまして、ぼくの縄ばしごで井戸の中へおりて行った。むろん、水をもぐる決心だよ。ぴったり身についたゴム製のシャツとズボンを着たのだ。
 ずいぶんつめたい思いをしたが、井戸の底にもぐって、横穴をさがし、それをぬけて、地下道へはいあがるのには、一分もかからなかった。からだをすっかりふいて、ゴム袋に入れて持っていた服を身につけ、この地下の部屋部屋をコッソリ見てまわった。そして三人の小人の魔人を見つけ、三人を見はっているのは、あの道化師ひとりだけだということをたしかめた。
 ぼくは物かげにかくれて、道化師のくせや、口のききかたを、よくおぼえておいてから、ふいにおそいかかって、やつをしばりあげ、戸棚の中におしこめ、道化服をうばって、ぼくが道化師にばけてしまった。戸棚の鍵もその道化服のポケットにあったのだよ。
 道化師にばけたぼくは、魔人の正体をたしかめるのに二日かかった。ひじょうにむずかしい仕事だった。魔人は、たいてい外に出ていて、真夜中にちょっと顔を見せるくらいのもので、たしかめるのに骨がおれたが、ぼくはとうとう、魔人の秘密を見やぶってしまった。
 小魔人の姿にされた三人の子供たちにも、ぼくが明智だということは知らせないで、魔人の手下の道化師と思いこませておいたが、ゆうべ、ちょっとゆだんしているまに、大へんなことがおこった。子供たちはコッソリ打ちあわせをして、魔人が外出したあとから、井戸の底へはいって行った。そして、タンクから、ほとばしり出る水に、まきこまれたのだ。三人は今すこしでおぼれてしまうところだった。」
 読者諸君は、井戸の底で小林少年と昌一君と雪子ちゃんとが、おそろしい水ぜめにあったことを、おぼえているでしょう。明智は今、あの時のことを話しているのです。

あばかれたトリック


 明智探偵の話はつづきます。
「しばらくして、それに気づいたぼくは、おどろいて現場へとんで行って、スイッチをおして、モーターを動かし、水をすいあげさせて、三人を助けた。この寒いのに、頭から水びたしになっていたので、魔人のよろいをぬがせて、からだをふきとり、三人をすいじ場の電気ストーブのところへつれて行って、あたためてやったものだ。ぼくは魔人のよろいをぬがせる鍵も、その時はもう、ちゃんと手に入れていたのだよ。
 そして、三人の子供にまたもとの魔人のよろいを着せておいたんだが、中村君、なぜだかわかるかね。なにも、あんなよろいなんか着せなくても、三人がここへつれられて来た時の服は、ちゃんととってあるんだから、それを着せればいいわけだがね。ぼくはわざとよろいのほうを着せた。そのわけは今にわかるよ。」
 明智はそこで、意味ありげにニヤリと笑いました。なにかしら、明智のほかにはだれも知らない秘密があるのでしょう。
「その二日のあいだに、ぼくは魔人のトリックをすっかり見やぶってしまった。ぼくたちは今まで、青銅の魔人というのは、一つのきまった形をしていると思いこんでいた。ここに大きなまちがいがあったのだよ。どこへあらわれる魔人も、みな同じ姿をしていたが、そのじつは、三種類の魔人があって、ばあいによって、そのうちのどれか一つが姿をあらわしていたのだ。そこに、あいつのじつに悪がしこいトリックがあったのだ。
 第一種の魔人は、今ぼくが着ているこのよろいの姿だ。中に人間がはいっているのだから、自由に動ける。よつんばいになって、かけだすことだってできる。よつんばいになったからといって早く走れるわけではないのだが、魔人のやつは、あんな走りかたをして、さも機械じかけのように見せかけたのだよ。
 第二種の魔人は、このあいだ煙突の上からホースの水でおとされたやつだ。こいつは腹の中まで機械ばかりでできていて、ピストルでうたれてもへいきなんだよ。だから、相手が近づけないような場所には、こいつをあらわして、わざとピストルにうたれ、ビクともしないところを見せつけるというわけだ。
 この魔人はにせものだから、自分では歩けない。ほんものの魔人が夜にまぎれて、ある場所へ持って来たり、また持ちさったりするのだ。このあいだの煙突の時なども、煙突のてっぺんにあがるまでは、ほんものの魔人で、それからあとは、にせものと、とりかえたのだな。
 どうしてとりかえたかというのかい。それはね、あの時は、逃げるさきは煙突のてっぺんと、ちゃんときまっていたのだ。そこで、前もって、あの腹の中が歯車ばかりでできている、かえだまを煙突のてっぺんの内がわにつるしておいて、ほんものの魔人は、そのかえだまを煙突の上に腰かけさせ、自分は、これも前もって、煙突の内がわにかけておいた長い縄ばしごをつたって、下までおり、そこで魔人のよろいを手ばやくぬいで、ふつうの人間の姿になり、あのさわぎにまぎれて、逃げさったのだ。むろん、よろいと縄ばしごは、ふろしきにつつんで持って行った。現場に証拠をのこすようなヘマはしない。
 つぎに第三種の魔人は、さっき空気をぬいて見せたゴム人形だよ。こいつが煙のように消えうせる役目をつとめていたのだ。手塚さんのうちの湯殿と、納戸と、蔵の中と、それから、ゆうべは、手塚さんの寝室にあらわれた、あの魔人はみんなゴム人形だったのさ。
 手塚さんのうちのどこかに、エア・コンプレッサーがかくしてある。そこからくだをひっぱって、ゴム人形に空気を入れて、うす暗いところに立たせておく。だれかがそれを見つけて逃げだしたすきに、人形の両足のとめ金をはずして、いっぺんに空気をぬいてしまう。両足の底が全部ひらくようになっているんだから、アッと思うまにペチャンコになってしまう。一度逃げだした人が、みんなといっしょに、ひきかえして来た時には、もう人形は影も形もなくなっている。というわけなんだな。
 ギリギリというあの音をだす機械は置時計ぐらいの大きさだから、どこにでもかくせる。そのネジをまいておけば、あのいやな音がするのだよ。
 そうしてペチャンコになったゴム人形は、小さくたたんで、どこかへかくしてしまうのだが、湯殿のときには一時おけの中につめて、ふせておいたのかもしれない。納戸のときは、たぶん、たんすのひきだしの中へ入れたのだろう。蔵の中では、電球がわれて、まっくらになったすきに、着物のはいっている大きな箱の底へかくしたのだ。
 あの時は、みんなで蔵の中を念入りにしらべたけれども、銅像みたいな大きなやつをさがしたのだから、それが着物のように小さくたたまれて、箱の底にかくされているなんて、思いもよらないことだった。それから、ゆうべの、手塚さんの寝室では、あすこにある洋だんすのひきだしの中か、あるいはベッドのシーツの下か……。」
「明智君、ちょっと。それじゃあ、あれはどう説明すればいいんだい? 魔人のやつは町を走っていて、ふいに消えてしまうことが、たびたびあったが、ゴム人形は走れないじゃないか。」
 中村警部が明智のことばの切れるのをまちかねて、たずねます。
「ウン、それにはまた、別のトリックがあるんだ。魔人のやつはね、私設マンホールをほうぼうにこしらえていたんだ。エ、わかるかい。なかなか味な思いつきだよ。下水のマンホールね、あれはどこの町にもあるが、だれでもその上を歩いていて、さてマンホールがどこにあるかと聞かれても、ちょっと思いだせないものだ。毎日かよっている学校の階段の段のかずがいくつあるか、だれも知らないのと同じわけだよ。
 つまり、人間の注意力のすきまだね。このすきまにつけこんで、魔人のやつは、何か仕事をしてから、逃げだそうと思う方角へ、夜中に、たこつぼのようなあなをほり、その上にマンホールのふたをかぶせて、ちゃんと用意しておくのだ。銀座の白宝堂から時計を盗みだしたときも、ガードのそばで消えてしまったが、あの人通りのすくない場所に、にせのマンホールがつくってあったのだよ。魔人のやつは、その中へとびこんで、中から鉄のふたをしめて、じっと息を殺していたのだ。
 小林にきいてみるとね、例の煙突さわぎの時、小林はうしろから大きなふろしきのようなものをかぶせられ、アッと思うまに、地の下へおちこんで行くような気がしたといっているが、これもあの現場ににせのマンホールがつくってあったのだ。小林は一時その中へほうりこまれたのだよ。」
「フーム。そんな手だったか。」
 中村警部は腕をくんで、考えこんでしまいました。そんな子供だましのトリックに、ごまかされていたのかと思うと、残念でしかたがありません。
「それにしても、青銅のよろいや、ゴム人形などを、いく組もつくるのは、これも、よういなことじゃないが……。」
 警部が、ふしんをうつと、明智は、こともなげに答えます。
「やつは、秘密の小工場を持っているんだ。その場所もわかっているから、いずれ、おさえてしまうつもりだがね。そこで、二年もかかって、製造したものだよ。」

怪人二十面相だッ


「手塚さん。」
 その時、明智は手塚さんのほうにむきなおって、つよく呼びかけました。
「魔人の秘密は、なにもかもわかってしまったのだ。このへんで、かぶとをぬいではどうです。」
「エッ、かぶとをぬぐとは?」
 ねまきすがたの手塚さんは、昌一君、雪子ちゃんのふたりの小魔人を両手にかかえるようにして、けげんらしく明智の顔を見かえしました。
「青銅の魔人はきみのほかにはない。」
「エッ、私が青銅の魔人? ハハハヽヽヽ、何をおっしゃる。ふたりのかわいい子供をさらわれたうえ、自分もここへつれこまれて、さっきまで、しばられていたのです。その私が、青銅の魔人だなんて、ソ、そんなバカなことが……。」
「しばられたのじゃない。自分でしばったのだ。きみはゆうべ、魔人にさらわれたように見せかけて、ねまき姿のまま、廊下から庭へとびおり、古井戸を通ってここにかくれた。手塚氏は行くえ不明というわけだ。そして、この青銅の魔人のおしばいをうちきりにしようとしたのだ。手塚氏も、青銅の魔人も二度とふたたび、この世に姿をあらわさないはずだった。
 ところが、ふしぎなことがおこった。きみが井戸をのぞいてみると、底には一滴の水もなかった。ふつうならば、縄ばしごで中途までおりて、石がきのすきまにかくしてあるボタンをおすと、モーターが動きだして、水がすいあげられるのだが、そのボタンをおさないまえに、水がすっかりなくなっていた。
 きみはおどろいて縄ばしごをおり、地下道にはいって、水を出すほうのボタンをおしたが、機械に故障ができたのか、水はすこしも出ない。石がきのうしろのモーターをしらべてみると、電気の動力線が切れていた。急にはどうすることもできない。ウロウロしているうちに、夜があけてしまった。たのみに思う道化師も、どこへ行ったのか、姿を見せない。その時、井戸の外にぼくたちの話し声がきこえた。なんだか縄ばしごでおりてくるらしいようすだ。さあ、運のつきだ。
 しかし、そんなことでまいってしまうきみじゃない。とっさに、うまいことを考えついた。自分で自分をしばって、ころがっていればいいのだ。そして、ぼくらがはいって来たら、青銅の魔人にこんな目にあわされたといえばいいのだ。
 ところがね、手塚君、電気の線はしぜんに切れたのじゃない。このぼくが切っておいたのだよ。きみを追っかけて、ここへはいってくるときに、水なんかあっては、じゃまだからね、機械をまったく動かないようにしてしまったのさ。
 きみは魔人にかどわかされたのでなくて、自分でかってにここへはいって来たのだ。どうだい、ぼくが今いった順序に、どこかまちがったところがあるかね。」
 しかし、手塚さんはまだかぶとをぬぎません。まっさおな顔になって、口をモグモグさせながら、こんなことをいうのです。
「じゃあ、この昌一と雪子はどうしたのだ。自分の子供を、そんなひどいめにあわす親があると思うのか。」
「そのふたりはきみの子供じゃない。」
 明智がズバリといってのけました。
「エ、エッ、なんだって? これが私の子供じゃない?」
「手塚さんは戦争の時召集せられて、五年あまりも帰らなかった。戦場で行くえ不明になってしまったのだ。おくさんはいつまでまっても手塚さんが帰ってこないし、戦死の知らせもないので、心配のあまり病気になって、もう物もいえないほどわるくなっていた。そこへきみが手塚さんだといつわって、帰って来たのだ。おくさんは重態のことだから、きみを見わけることができなかった。十三と八つのふたりの子供に、五年前にわかれたおとうさんの顔が、ハッキリわかるはずがない。そのうえ、きみは日本一の変装の名人だった。きみはそこをねらったのだ。そして、みごとに手塚さんになりおおせたのだ。」
 読者諸君、ここで一度、このお話のはじめのほうの「夜光の時計」の章を見てください。そこに手塚さんが兵隊から帰って来た時のことが書いてあります。
「フフン、そんなことはきみのでたらめだ。わずか夜光の時計一つとるために、そんな苦労をするやつがあるものか。」
「ところが、きみの目的はほかにあった。それはな、きみは世間の人をアッといわせたかったのだ。イヤ、それよりも、この明智小五郎を、アッといわせたかったのだ。きみとしては、ぼくにはずいぶん、うらみがあるはずだからね。」
「なんだって、きみにうらみだって?」
「そうさ。奥多摩おくたま鍾乳洞しょうにゅうどうで会ってから、もう何年になるかな。あの時きみはすぐ刑務所に入れられたが、一年もしないうちに、刑務所を脱走して、どこかへ姿をくらましてしまった。さすがに戦争中は悪事をはたらかなかったようだが、戦争がすむと、またしても昔のくせをだしたね。」
「ナ、なんのことだか、さっぱりわからないが……。」
「ハハハヽヽヽ、しらばくれるのも、いいかげんにしろ。きみがどんなに変装したって、ぼくの目をごまかすことはできない。きみは怪人二十面相だっ。」
 グッと右手をのばして、手塚さんの顔のまん中をさす明智の青銅の指。ハッとして、タジタジとなる手塚さん、イヤ、怪人二十面相。
「中村君、今まで、きみにもいわないでいたが、こいつが、警察にとっても、うらみかさなる怪人二十面相だ。」
 アア、怪人二十面相。二十のちがった顔を持つといわれた、魔術師のようなあの怪物が、とうとう正体をあばかれたのです。「怪人二十面相」「少年探偵団」「妖怪博士」などの本を読まれた読者諸君は、よくごぞんじの、あの二十面相の賊です。それが、こんどは青銅の魔人という、おそろしいかくれみのを発明して、世の中をさわがせていたのです。
 中村警部も刑事もむろん怪人二十面相のことはよく知っていました。明智の口からその名をきくと、パッと目の前がひらけたように、すべてのなぞがとけました。怪人二十面相なら、どんなとっぴなことだってやりかねないやつです。青銅の魔人とは、あいつにふさわしい思いつきではありませんか。
 しかし、中村警部と刑事とが、二十面相のほうへ、とびかかって行った時、すばやい二十面相は、昌一君、雪子ちゃんのふたりの小魔人を両わきにかかえて、いちはやく走りだしていました。
 立ちならぶ仏像のあいだを、かいくぐって、部屋の一方のすみに逃げこむと、ふたりの子供を足でおさえつけておいて、そこの石がきのすきまに手を入れ、何か円筒形のものを取りだし、いきなり、それを頭の上にさしあげました。
「ワハハハヽヽヽ、明智君、さすがに、まだ腕はにぶらなかったね。だが、おれはつかまらないよ。いくらでも奥の手が用意してあるんだ。さあ、一歩でも近づいてみろ。この手榴弾てりゅうだんで、こっぱみじんだぞッ。」
 どうして手に入れたのか、その円筒形のものはおそろしい爆発薬だったのです。アア、あぶない。二十面相がいのちをすててかかれば、この部屋にいる者は、みなごろしになってしまいます。
 明智小五郎はおどろいて逃げだしたでしょうか? イヤ、イヤ、逃げるどころか、名探偵は二十面相の前に、立ちはだかって、いきなり笑いだしました。おかしくてたまらないというように肩をゆすって笑いだしたのです。
「アハハハヽヽヽヽ、きみは、それが爆発すると思っているのか。よくしらべてごらん。中身が、からっぽになってやしないかい。」

チンピラ副団長


 二十面相はギョッとして、ふりあげていた手をおろしました。
「オイ、二十面相君、きみは、明智のやりかたを忘れたんだね。相手のピストルのたまを、すっかりぬきとっておいてから、ご用だッとやる、ぼくのくせをさ。ハハハヽヽヽヽ、手榴弾だって、同じことだよ。ぼくはきのう、それを発見して、中の爆薬をすっかりぬきとっておいたのさ。」
 二十面相は、手榴弾をしらべて、明智のいうのが、うそでないことがわかると、それをポイと地面にほうりだしました。
「フフン、明智君、さすがに腕はにぶらないねえ。おもしろい。きみのほうは昔のままだが、おれは少しばかり、かしこくなったつもりだ。おれの奥の手はまだこれからだぜ。」
 二十面相はふてぶてしく、せせら笑うのです。
「たとえば?」
 明智もまけずに、ニコニコしています。
「たとえば、このふたりのかわいい子供さ。もしきみたちが、おれをとらえようとすれば、この子供のいのちがなくなるかもしれないということさ。おれは人殺しはだいきらいだ。今まで一度も人を殺したり、傷つけたりしなかったのが、おれのじまんだが、こんどだけは別だ。わが身にはかえられないからね。ひょっとしたら、このふたりをおれの身がわりにするかもしれないぜ。」
 二十面相は、にくにくしげにいって、ふたりの小魔人をふみつけている足に、グッと力を入れてみせるのです。
 しかし、こんども、明智は少しもあわてません。おまえのほうに奥の手があれば、こっちにも奥の手があるぞと、いわぬばかりに、平気な顔で、ニコニコしています。
「二十面相君、気のどくだが、この勝負も、どうやらぼくの勝ちらしいね。」
「エッ、なんだって?」
「ホーラ、きみはもうビクビクしている。そのとおり、きみの負けだよ。いいかい、たとえばだね、ぼくのうしろに立っている小魔人を、きみはだれだと思っているのだい。きみがさいしょ、このよろいを着せた時には、たしかに、ぼくの助手の小林がはいっていた。だが、今でもそのまま小林がはいっているのだろうか。もしや、ほかの子供と入れかわってやしないだろうか。ハハハヽヽヽヽ、きみは顔色をかえたね。察しがついたかい。では、一つあらためて見ることにしよう。」
 明智は、かねて道化師から取りあげておいた、青銅仮面をひらく鍵を、ポケットからだして、うしろの小魔人に近づくと、その仮面の鍵穴にはめ、カチンと音をさせて、仮面をひらき、それをスッポリと取りはずしました。
 仮面の下からあらわれた、ひとりの少年の顔。一同の目が、すいつけられたように、その顔を見つめました。
「アッ!」
 二十面相も、中村警部も、それを見ると、思わずおどろきの声を立てました。
 そこには、小林少年とは似てもつかぬ、きたない子供の顔があったのです。かみの毛は、しゅろぼうきのように、のびほうだいにのび、顔はあかでうす黒くよごれ、その中から、びっくりしたような二つの目が、ギラギラとのぞいています。
「ハハハヽヽヽヽ、いくら小林が変装がうまくても、こんなにうまくばけることはできないよ。オイ、きみ、きみはだれだね。名をなのってごらん。」
 明智にいわれて、そのきたない少年は、ニヤリと笑いました。そして、とほうもなく大きな声で、さもとくいらしく、名のりをあげました。
「おれかい。おれは少年探偵団のチンピラ別働隊の副団長、ノッポの松ちゃんてえもんだ。ヘヘヘヘヽヽヽヽ、二十面相のやつ、泣きっつらしてやがらあ、……おらあ、明智先生のいいつけでね、小林団長の身がわりになって、魔人のよろいを着ていたんだ。てめえ、まんまとだまされていたんだぜ。ヘヘヘヽヽヽヽ、ざまあみろ。」
 このお話のはじめのほうで、小林少年が、青銅の魔人をせいばつするために、上野公園の浮浪児をあつめて組織したチンピラ別働隊が、いつのまにか、こういう大きな役目をつとめていたのです。
 明智はさもおかしそうに、
「どうだい、二十面相君。こうなってみると、きみがだいじにつかまえている、そのふたりの子供もあやしくなってきたね。これが小林でないとすると、そっちのよろいの中も、昌一君や、雪子ちゃんではないかもしれないぜ。一つあらためて見ちゃどうだね。ホラ、ここに鍵がある。」
 そういって、仮面をひらく鍵を、二十面相の前に、投げてやりました。
 二十面相は、あわててそれをひろいとり、ふるえる手で、カチカチと、いくどもやりそこなったあとで、やっとふたりの小魔人の仮面を、とりはずしました。
 すると、その中から、あらわれたのはあんのじょう、昌一君でも雪子ちゃんでもない、きたならしいふたりのチンピラの顔でした。
「アハハハヽヽヽヽヽ。」「エヘヘヘヽヽヽヽヽ。」
 チンピラどもはこの時をまちかまえていたように、あかでよごれた顔を、しわくちゃにして、顔じゅう口ばかりにして、腹をかかえて笑いだしました。
 さすがに二十面相もこの、人を人とも思わぬ、チンピラどものふるまいには、いささかあっけにとられて、身の危険もわすれたように、ボンヤリつっ立っているばかりでした。

最後の切り札


 では、二十面相は最後の切り札をだしつくして、ここでとらえられてしまったのでしょうか。イヤイヤ、怪物といわれる二十面相です。このくらいのことで、へこたれるものではありません。やつには、まだおそろしい奥の手がのこっていたのです。
 二十面相は血ばしった目で、キョロキョロと、あたりを見まわしていましたが、三人のチンピラが、「ワーッ」とわめいて、とびかかってくるのを、あいずのように、サッと身をひるがえしました。
 そのすばやさは、まるで、つむじ風でもおこったようなありさまでした。二十面相は、とりすがるチンピラどもを、つきのけて、立ちならぶ仏像のあいだを、こまネズミのように、クルクルと走りまわりました。
 さすがの明智探偵も、このふいうちにはちょっとおどろかされました。「何かわけがあるな」と、とっさに気づきましたが、その「わけ」が何かということがわからないのです。明智は二十面相の秘密を、何もかも見ぬいたつもりでしたが、たった一つ、見おとしていたことがあるのです。名探偵にしては、めずらしい失策、しかも、それはじつに大きな失策でした。
 仏像のあいだを、クルクルはしりまわる二十面相の、目にもとまらぬ姿をあっけにとられて、見まもっているうちに、フッとその姿が消えてしまいました。クルクル動いていた人の影が、かきけすようになくなって、あとには大小さまざまの仏像が、まるで風のない林のように、シーンとしずまりかえって、立ちならんでいるばかりです。
「明智君、きゃつはまた消えてしまった。手塚さんのたんぜん姿で消えてしまった。」
 仏像のあいだを、あわただしく見まわったあとで、中村警部は、なじるようにいうのでした。
 青銅の魔人はゴム人形だから消えたのですが、なま身の二十面相は、ゴム人形ではありません。
「仏像だ、仏像にしかけがあったんだ。ぼくはそれを見おとしていた。」
 明智は残念そうにつぶやいて、林のような仏像を、かたっぱしから、しらべはじめました。
 二十面相のことです。どれかの仏像の中に身をかくし、ほとけさまになりすまして、そしらぬ顔で立っているのかもしれません。
 三人のチンピラどもも、明智にならって、次から次と、仏像をげんこつでたたきまわりました。
「アッ、これだ。」
 明智がとうとう、それを見つけだしました。人間よりも大きな、一つの仏像の背中が、とびらのようにひらくのです。非常にうまくできているので、ただ見たばかりではわかりませんが、たたいてみると、音がちがいます。
 明智は、いろいろ苦心をして、やっととびらを見つけ、用心しながら、ソーッとそれをひらいてみました。
 その中には、怪人二十面相が、おそろしい形相ぎょうそうで立ちはだかっていたでしょうか。明智は、もしやと思って、用心したのですが、ひらいてみると、仏像の中は、ただまっ暗なほら穴で、人のけはいもありません。
 明智はポケットから懐中電灯をだして、仏像の中をてらして見ました。
「アッ、ぬけ穴だ。ここに秘密の通路があるのです。二十面相はもう逃げだしてしまったかも知れない。中村君、きみはぼくといっしょに来てくれたまえ。刑事さん、きみは三人の子供をつれて、大いそぎで古井戸の出入口へかけつけてください。このぬけ穴は、たぶんあの古井戸の近くへ通じているのです。」
 仏像の台座の中が地下へぬけていて、そこに、やっと人ひとり通れるほどの、せまい急なはしごがかかっていました。明智は懐中電灯をてらしながら、先に立って、そのはしごをおりて行きます。中村警部もあとからつづきます。
 はしごをおりきると、背中をまげて、やっとあるけるほどの、せまいトンネルが、ズーッとつづいています。明智と警部とは、注意ぶかく、しかし、できるだけの早さで、その中を進んでいきました。
 枝道でもあっては、事めんどうですが、さいわい、そういうものもなく、道はまっすぐに通じています。
 しばらく進むと、明智はふと立ちどまりました。
「オヤ、これはなんだろう。」
 トンネルのかべに、くりぬいたような穴があって、その中に、クシャクシャに丸めた着物がおいてあったのです。明智はそれを手にとって、ひろげて見ました。
「アッ、これは手塚さんのたんぜんだ。まだあたたかい。二十面相はこの穴の中に、変装の衣類などを、チャンと用意しておいたのだ。そして、今逃げだす時に、たんぜんをぬいで、まったく別の姿に変装して行ったものにちがいない。」
「ウーン、じつに用心ぶかいやつだね。しかし、あいつはどんな人物に変装して逃げたのだろう?」
 探偵と、中村警部の声。
「二十面相のことだ。どんな意外な人物にばけたか、わかったものじゃないよ。」
 いいすてて、明智はまた、身をかがめたまま、はしりだしました。
 そして、またしばらく行くと、むこうに、二尺四方ほどのギザギザの穴が見えました。これがトンネルの出口なのでしょう。
「アア、わかった。このぬけ道の出口は、ふだんは石かべで、ふさいであるのだ。二十面相は、あわてたものだから、その秘密の出口の石をとりのけたまま、ふさがないで、逃げたんだ。この穴の外は、きっと古井戸に近い通路だよ。」
 その石かべの穴に近づいて行きますと、外から、へんなやつらが、目を光らせて、こちらをのぞいているのに気づきました。
「刑事さん、来たよ、来たよ。あやしいやつが、穴の中をはってくるよ。」
 聞きおぼえのある声です。チンピラ隊副団長「ノッポの松」のわめき声です。
「イヤ、あやしいものじゃない。明智と中村だよ。ここは古井戸のそばだろうね。」
 明智の声に安心して、そとの刑事が答えました。
「そうです、古井戸をはいった、すぐのところです。二十面相は、ぬけ穴の中にはいなかったのですか?」
「いない。きみたちも出あわなかったんだね。」
「エエ、どうやら、逃げだしてしまったらしいのです。今しらべてみましたが、ぼくたちがはいってくる時、井戸にさげておいた縄ばしごが、なくなっているのです。やつはぼくらに追っかけられることを、おそれて、あの縄ばしごを持ちさったのではないでしょうか。」
 明智と中村警部は、穴をはいだして、刑事と三人のチンピラのそばに立ちました。
「明智君、縄ばしごのかわりはないだろうね。」
「いくらぼくだって、縄ばしごを二本は持っていないよ。しかたがない。むこうの部屋のドアーをこわして、はしごを造るんだ。二三十分もあればできるよ。」
 明智はのんきなことをいっています。
「だが、明智君、二三十分もぐずぐずしていたら、やつは遠くへ逃げのびてしまうぜ、そのうえ、変装の名人ときているから、見つけだすのは、よういのことじゃない。最後のどたんばになって、まんまと、やつに一ぱいくわされたね。」
 中村警部は、のんきな顔をしている明智を、横目で見ながら、腹だたしげにいうのでした。
「中村君、心配しなくてもいい、ぼくがのんきにしているわけはね、ぼくのほうにも、まだ奥の手があるからだよ。」
「エ、奥の手だって。」
「ウン、二十面相に奥の手があれば、ぼくにだって奥の手があるさ。ここにいるノッポの松公が、小林の身がわりをつとめていた。すると、その小林は、今どこにいるだろう。エ、わからないかね。ぼくは、こういうこともあろうかと思ったので、けさから井戸の外に、小林を団長とするチンピラ隊の連中を見はらせてあるんだよ。チンピラ隊は、ここにいる三人をのけても、まだ十三人もいるんだからね。このあいだの煙突さわぎの時の働きぶりでもわかるとおり、神出鬼没しんしゅつきぼつのチンピラ諸君は、おとなもおよばぬ腕がある。それに、小林と来ては、ぼくの片腕なんだからね。いかな二十面相も、そうやすやすとは逃げおおせまいよ。」
「フーン、そうだったか。いつもながら、一言もないよ。しかし、相手は音にきこえた二十面相だ。子供ばかりでは心もとない、大いそぎで、はしごを造ろう。さいわい、道化師のやつが、とりこにしてあるから、あいつをしらべたらいろいろわかることがあるだろう。」
 それから、奥の部屋のドアーをはずして来て、急場のはしごが造られ、二十分もしないうちに、道化師を加えた七人の人々は、ぶじ、古井戸の外へ出ることができたのでした。

小林少年の危難


 お話かわって、こちらは古井戸の外。手塚家の広い庭の、林のような木立ちは、にぶい冬の日をうけて、シーンとしずまりかえっています。風もないのに、時々木の幹のかげに、何かチロチロと動くものがあります。動物でしょうか。イヤ、そうではありません。なんだか、きたない破れたカーキ色の服を着たやつです。それが、あちらにも、こちらにも、木の幹からヒョイヒョイと、顔をだしたり、ひっこめたりしているのです。
 その林のまん中に、例の古井戸があります。やがて、その井戸の中から、しずかに姿をあらわしたのは、名探偵明智小五郎でした。明智は井戸がわをまたいで、外に出ると、あたりを見まわしてから、強い絹ひもで造った縄ばしごを、たぐりあげ、それを小さく丸めて、手に持っているカバンの中へ入れました。へんなカバンです。なめし皮の袋といったほうがいいような、グニャグニャした大きなカバンです。明智がこんなカバンを持っているのを、今までだれも見たことがありません。いったい、どうしたというのでしょう。
 明智の姿を見ると、そばの大きな木のかげから、やはりボロボロに破れたカーキ服を着た、しかし、リンゴのようにつやつやした頬の、かわいらしい少年が出てきました。そして、ささやき声で、たずねます。
「先生、うまくいきましたか。」
「アッ、小林君か。」
 明智は、なぜか、びっくりしたように、立ちどまりましたが、やがて、ニッコリして、答えました。
「ウン、万事うまくいった。犯人は中村警部が捕縛ほばくして、地下室に監禁してある。ぼくは、あいつの同類のすみかがわかったので、今から、そこへかけつけるのだ。きみもいっしょに来たまえ。」
 明智はへんなことをいうのです。しかし、チンピラ隊のひとりになりすました小林少年は、べつにうたがうようすもなく、ハイと答えて、明智のあとにしたがいます。
 カバンをさげた明智は、小林少年をつれて、広い庭を母屋おもやのほうへあるいて行きます。すると、その時、じつにふしぎなことがおこりました。林の下のかれ草の中をヘビかなんぞのように、ひらべったくなって、ゴソゴソとはっているものがあるのです。一つ、二つ、三つ、かぞえてみると、それが十匹以上もいます。頭の毛はしゅろぼうきのようにのび、顔はあかによごれ、カーキ色の服はボロボロにやぶれた子供たちです。
 つまり、チンピラ別働隊の連中です。この子供たちは、どうしたわけか、ヘビのように、かれ草の中をはって、明智と小林のあとを尾行びこうしはじめたのです。
 それとも知らぬ明智は、小林少年をつれて、ひとまず手塚家の母屋にはいり、家族の人たちにも、二十面相をとらえたことを話したうえ、門前に待っている、中村警部の自動車のそばに近よりました。
 警視庁の運転手は、明智をよく知っているので、名探偵の姿を見ると、ニコニコしてあいさつしました。
「きみ、犯人は逮捕されたよ。くわしいことは、あとで中村君が聞かせてくれるだろう。それについて、ぼくは犯人の同類に不意うちをくわせることになってね、中村君の車をちょっと借りることにしたんだよ。」
 明智はいそがしくわけを話して、運転手をなっとくさせ、自動車にのりこみましたが、ドアーをしめてから、ふと思いだしたように、運転手によびかけました。
「ア、すっかり忘れるとこだった。きみ、すまないがね、応接間のテーブルの上に、ハトロン紙の四角な包みがあるから、取って来てくれたまえ。十文字に細引きでしばってあるから、すぐわかるよ。」
「ハ、しょうちしました。」
 運転手は大いそぎで、車を出ると、門の中へかけこんで行きます。明智は、運転手の姿が見えなくなるのを待ちかねて、いきなり、うしろの座席から、しきりをのりこして、前の運転席へすべりこみ、ハンドルをにぎりました。そして、車はやにわに走りだしたのです。運転手をおいてけぼりにして、ひじょうな速度で走りだしたのです。
 小林少年は、ちょっとおどろいたようですが、明智のとっぴなやりかたになれているせいか、さしてうたがうようすもありません。
 自動車の中の明智のたいどもふしぎでしたが、それよりも、もっとふしぎなことが、自動車の屋根の上におこっていました。
 さきほど明智のあとを尾行していた、チンピラ隊のひとりが、いつのまにか、そこへ先まわりをして自動車のかげに、身をかくしていたのです。そして明智と小林とが、自動車の中にはいり、運転手を使いにだした、あのわずかなあいだに、そのチンピラは、まるでサルのように自動車の後部に、よじのぼり、車体の上にあがると、その屋根に、ヒラグモのように、つっぷして、からだの上に、おとなのレインコートのようなものをかけて、その下に、じっとかくれていました。
 自動車は、このチンピラを屋根にのせたまま、走りだしたのです。木のぼりの名人のチンピラの手と足は、まるで吸盤でもついているように、屋根にピッタリすいついて、いくら車がゆれても、ふりおとされることはありません。
 また、車が町を走っていて、高い建物の窓から、見おろされても、レインコートの下に、子供がいるなんて、気づかれるはずはありません。なんだか大きなふろしきみたいなものが、ひろげてあると思うだけです。
 明智の運転する自動車は、芝公園をぬけ、京橋にはいり、永代橋えいたいばしをわたって少し行った、隅田川すみだがわぞいの、さびしい場所でとまりました。
 川岸の焼けあとの、小さなバラックが、まばらに建っている中に、まるで塔のように、ニューッとそびえた、コンクリート五階建ての、細長いビルディングがあります。化粧煉瓦もはげおちた、みすぼらしいあき屋のような建物です。
 明智は車をおりると、小林少年の手をひっぱるようにして、そのビルの中へはいって行きます。
 すると、それを待ちかねていたように、自動車の屋根のレインコートが、ムクムクと動いて、例のチンピラが、すばやくとびおり、明智たちのはいって行ったドアーを、ほそめにひらいて、そのすきまから、すべりこむように、中へ消えて行きました。
 こちらは、明智と小林少年。せまい階段をのぼって、五階の部屋にはいると、明智はなぜか、入口のドアーに、中から鍵をかけました。机が一つとイスが三きゃく、そのほかには何のかざりもない、あきやのような部屋です。
 明智は小林少年の手をギュッとにぎったまま、イスにもかけないで、意味ありげなうす笑いをうかべています。
「小林君、おれをだれだと思うね。」
 明智がへんなことをいいました。しかし、小林君は少しもおどろきません。
「怪人二十面相。」
 ニコニコしながら、ズバリといってのけます。
「ウフフフ、気がついていたのか。しかし、もうおそいよ。きみには少しのあいだ、きゅうくつな思いをしてもらわねばならない。」
 言ったかと思うと、明智とそっくりの二十面相は、いきなり小林君を、そこにおしたおして、例のカバンからとりだした細引きで、なんなく手足をしばり、猿ぐつわまではめてしまいました。
 小林君は、何か考えがあるものとみえて、少しも抵抗せず、されるがままになっています。
 二十面相は、何もはいっていない押入れの中へ、小林君をほうりこむと、その板戸をピッシャリしめて、一枚のドアーで通じている、となりの部屋へはいって行きました。
 やがて、そこから、二十面相の話し声がきこえて来ました。どこかへ、電話をかけているのです。板戸一枚ですから、小林君にも、その声が、かすかながら聞きとれます。
「ウン、いよいよ東京にもおさらばだ。……ボートの用意はいいだろうな。すぐここへ回してくれ。……油はうんと入れておくんだぜ。どこまで飛ばすかわからないからね……。よし、よし、わかった。」
 二十面相は電話をかけおわると、押入れの前に引きかえして、声をかけました。
「小林君、今電報を打っておくから、夜にでもなれば、ほんとうの明智先生が、きみをすくいだしに来てくれるよ。少しのがまんだ。おれはこれから、外に出かけて、いろいろやらなければならないことがある。おれにだって、なごりをおしんでくれる人もあるからね。それに、目印しになる自動車をここへおきっぱなしにするわけには行かないから、そのしまつもしなければならぬ。じゃ、しばらくおとなしくしているんだぜ。」
 そういいのこして、かれは部屋を出て行きました。ドアーに外から鍵をかけたことは、いうまでもありません。
 ところが、二十面相が立ちさったかと思うと、どこにかくれていたのか、ひとりのチンピラ小僧が、廊下のすみから、あらわれました。そして、やぶれたポケットから、針金のようなものを取りだすと、ドアーの鍵穴に、なにかやっていましたが、やがて、錠前がカチンと、はずれました。このチンピラは、こういうことの名人とみえます。
 それから、まるで、どろぼうのように、ソーッとドアーをおして、五寸ほどひらくと、そのわずかのすきまから、まるでハツカネズミのようにすばやく、部屋の中にすべりこんで行きました。いうまでもなく、自動車の屋根にかくれていた、あのチンピラ隊員です。
 チンピラは、鍵穴からでものぞいていたのか、チョロチョロと、押入れの前にかけよって、それをひらくと、いきなり小林君の猿ぐつわをとり、手足の細引きをといてしまいました。
「早く、おれをしばってくんな。団長の身がわりになって、ここにころがっているよ。やつが帰ってくるといけねえ。早く、早く。」
 小林君はチンピラのすばやい知恵をほめながら、自分がされたのと同じように、手足をしばり押入れの中にころがしておいて、そのまま、リスのようにすばしっこく、サッと部屋をかけだして行きました。

ふたりの明智小五郎


 それから四十分ほどのち、明智探偵に変装した二十面相は、どこかで酒をのんだとみえて、顔を赤くして、五階の部屋にもどって来ました。部屋にはいると、さっそく押入れをあけて、たしかめましたが、小林少年が、もとの姿で横たわっているのを見ると、すっかり安心したようすです。うす暗い押入れの中に、むこうをむいて、ころがっているのですから、いつのまにか、同じようなボロ服を着たチンピラと入れかわっているなどとは、思いもおよばなかったのです。
「ウフフヽヽヽ、感心感心、もう少しのしんぼうだ。そうしておとなしくしているんだよ。ところで、きみにちょっと言っておきたいことがある。きみの先生の明智君に、こういうことを、つたえてもらいたいんだ。いいかね、こんどは明智君にまけた。すっかりやられた。しかしねえ、まけたけれども、おれはけっしてつかまらない。ひとまず、東京をはなれるが、いつかまた帰って来て、明智先生にひと泡ふかせてみせるとね。いいかい、これをハッキリつたえるんだよ。」
 二十面相がそう言いおわった時です。どこかでカタンと妙な音がしました。押入れの中ではありません。二十面相はハッとしたように、音のしたほうをふりむきました。
 隣室とのさかいのドアーが、ゆっくりゆっくり、ひらいています。風ではありません。人間がいるのです。人間がドアーをひらいているのです。
「だれだッ、そこにいるのはだれだッ。」
 思わずさけびましたが、それにかまわず、ドアーはだんだん広くひらいて来ます。そして、それがすっかりひらいた時、ドアーのむこうに二十面相とソックリの男が、というのは、つまり、明智小五郎とソックリの男が、ニコニコ笑いながら立っていたではありませんか。
「いいつたえるにはおよばない。ぼくがここにいるんだからね。ところで、二十面相はけっしてつかまらないという一言は、訂正してもらいたいもんだね。ぼくはきみをとらえるためにやって来たのだ。」
 それは、小林少年の急報によって、手塚家からかけつけた、ほんものの明智小五郎でした。この不意うちには、さすがの二十面相も、一度に酔いがさめて、まっさおになってしまいました。
「ウーム、きさま、どうしてここを……。」
「それはね、小林君を団長とするチンピラ別働隊の手がらだよ。その押入れの中にいるのは小林ではなくて、チンピラ隊員のひとりだ。ほんとうの小林はここにいるよ。」
 明智がちょっと、からだをよけると、そのかげから、リンゴのような頬をした小林少年の顔が、あらわれました。いつのまにか服をかえて、今はりっぱなつめえりの学生服を着ています。ほんものの明智と、にせものの明智は、三尺ほどの近さで、むかいあいました。さすがは、変装の名人二十面相、こうしてならべてみても、どちらがほんものだか、わからないほど、よく似ています。まるで、ふたごのようです。
 ふたりはおたがいの目を見つめたまま、三分ほども、身うごきもしないで、じっとむきあっていました。ジリジリと汗がにじむような、おそろしいにらみあいです。
「で、どうするのだ。」
 二十面相が、はたしあいのような声でいいました。
「きみはつかまったのだ、ぼくひとりではない。この建物は、すっかり警官にとりまかれている。きみはもう、逃げられないのだ。」
「フン、きみはそう信じているのか。」
「むろんだ。」
「だが、おれは逃げてみせる。さあ、こうすればどうだッ。」
 二十面相は、飛鳥ひちょうのように、ドアーの外にとびだしました。
 目まいするような早さで、階段まで。しかし、その階段の下には、中村警部を先頭に、制服私服の警官がヒシヒシとつめかけています。これを突破するなんて、思いもよらぬことです。
 二十面相は階段をおりると見せて、パッと身をひるがえしたかと思うと、反対の方角に走りました。そのうす暗い廊下のすみに、直立の鉄ばしごがとりつけてあります。彼はいきなり、それをかけのぼりました。五階の上には屋上しかありません。つまり屋根へ出るはしごなのです。
 屋根つづきの建物なんて、一つもないのですから、屋上へ出たところで、逃げみちがあるわけではありません。いったい、どうしようというのでしょう。
 明智や中村警部は、二十面相のあとを追って、鉄ばしごをのぼりました。しかし、その時には、はしごの頂上にある、大きなふたのような戸がおろされてしまって、ふたりや三人の力で、下からおしても、びくともしないのです。
 そうこうしているうちに、建物の外から、ワーッという声がきこえて来ました。何かしら、ひじょうなことがおこったらしいのです。

青銅魔人の最期


 屋上に逃げだした二十面相は、忘れないで持って来た、例の袋のようなカバンから、黒い絹紐のたばをとりだしました。いつか煙突さわぎの時に使ったのと同じような、一尺ごとにむすび玉のある、じょうぶな長いひもばしごです。
 かれはそれをつかんで、屋上のてすりから、はるかの地上を見おろしました。五階の屋上ですから、二十メートルに近い高さです。目の下には川岸へ出る道があって、そこに、数名の警官がならび、そのそばに、きたない浮浪児のような子供が十数人、ウジャウジャとかたまっています。チンピラ隊の連中です。
 二十面相は、その屋上の出っぱりのはじに、ひもばしごの金具をとりつけ、長いひもをパッと下へなげました。のぞいて見ると、ひもの長さは建物の三分の二ほどしかありません。このひもをつたいおりても、地面にはとどかず、中途にぶらさがっているほかはないのです。二十面相は、それを知りながら、ひもをつたって、おりはじめました。いったい、どうするつもりなのでしょう。
 建物は表は道路に面し、裏は隅田川にのぞんでいるのですが、今、二十面相のぶらさがっているのは、その横のがわです。そのがわには、ほとんど窓がなく、中途でひもを切られる心配がありません。
 地上の人々は、二十面相の空中曲芸に気づいたようです。足の下から、ワーッという声が、わきあがって来ました。その人々の姿が、おもちゃのように小さく見えるほど、高いのです。ひと足ひと足、注意ぶかく、むすび玉に指をかけて、おりて行くのですが、空ふく風にひもがゆれて、ともすれば、スルスルと、すべりおちそうになります。もし手をはなしたら、弾丸のように地上に墜落ついらくして、からだはめちゃめちゃになってしまうでしょう。身の毛もよだつ、いのちがけの曲芸です。二十面相がひものはじまで、おりきったところには、地上には明智や中村警部の姿も見えました。ひものはじといっても、地面から七八メートルの空にあるのですから、どうすることもできません。
 それは、ちょうど、木の枝からさがったクモが、風にゆれているのと同じでした。二十面相は絹ひものはじに、しがみついた一匹のクモのように、あぶなっかしいのです。
 見ていると、そのクモの糸は、だんだん大きくゆれはじめました。風のためばかりではありません。二十面相が、まるでブランコをこぐように、大きく、いきおいをつけているのです。
 やがて、ふしぎな空中のブランコは、時計のふりこのように、規則ただしく、右に左に、ヒューッ、ヒューッとゆれ動き、そのはばが、刻一刻広くなって、今では建物のはばよりも、大きくゆれているのです。
 そのころになって、地上の人々は、やっと二十面相の真意をさとることができました。彼は世にもおそろしい大冒険を、くわだてていたのです。つまり、そうして、できるだけふりこを大きくして、最後にはパッと手をはなし、隅田川の中へダイビングをするつもりなのです。
 見れば、ちょうどかれの飛びこむかと思われるあたりに、一そうのモーターボートが、人まち顔に浮いています。アア、あのボートは二十面相が飛びこんでくるのを、待っているのかもしれません。
 人々はそこへ気づくと、いきなり川の上手かみてにむかって走りだしました。小林少年が盗みきいた電話によって、二十面相がボートの用意を命じたことがわかっていたので、こちらにも、水上快速艇が待機させてあるのです。人々はその快速艇へと、いそいだのです。
 その時でした。人々が予想したとおりのことがおこりました。二十面相は、ひもばしごを振れるだけ振っておいて、パッと手をはなしたのです。丸めたからだが、弾丸のように、サーッと風をきって、空中をとびました。そして、岸から十数メートルはなれた水中に、おそろしい水しぶきがあがりました。
 待ちかまえていた賊のモーターボートは、水しぶきの個所に近づき、浮きあがった二十面相を、すくいあげたかとみると、そのままエンジンの音も高く、東京湾の方角にむかって走りだしました。
 さいわいにも、その時には、水上署の大型ランチが、出発の用意を、おわっていました。そのランチには、水上署員のほかに、明智探偵、中村警部、小林少年、チンピラ隊の代表者五名がのりこんでいます。
 賊のモーターボートとランチとの距離は約百メートル。世にもおそろしい水上競技が、はじまったのです。
 モーターボートは、さすがに二十面相が用意しておいただけあって、おどろくべき速力でした。トビウオがとぶように、船体はほとんど水面をはなれて、空中を滑走かっそうしています。へさきの切る水しぶきは、みごとに左右にわかれ、大きな噴水が走って行くようです。
 両艇は、ほとんど同じ距離をたもちながら、月島つきしまをはなれ、お台場だいばに近づき、またたくまに、そのお台場もうしろに見て、洋々たる東京湾の中心にむかって疾駆しっくしています。
「ワーッ、青銅の魔人だッ。」
 チンピラのわめき声に、ふと気がつくと、賊のボートの中には、あの銅像のような青銅の魔人が、こちらをむいてスックと立ちあがり、しきりに両手をふり動かしています。二十面相は、この最後の大場面をかざるために、思い出の青銅のよろいを身につけて、追手に見せびらかし、追手を嘲笑ちょうしょうしているのです。
 それから十分あまり、追うものも、追われるものも、機関もやぶれよとばかり、全力をつくして突進しましたが、けっきょく、小型のモーターボートは、大型ランチの敵でなかったのです。賊のモーターボートに、何かしら疲れのようなものが見えて来ました。機関に故障でもおこったのか、よろめくような走りかたをはじめたのです。遠くきこえてくるエンジンの響きも、調子がくるっています。
 しかし、二十面相としては、何がなんでも、逃げおおせなければなりません。ボートの上の青銅の魔人は、手をふり、足をふんで、もっと早く、もっと早くと、機関手にどなりつけているようすです。
 しかし、ついに最期が来ました。
 ダダーンと、爆弾が投下されたような、おそろしい水けむり。耳をろうする爆発音。ムクムクとあがる黒煙の中にチロチロうごくヘビの舌のような火焔かえん、そこに一瞬間火につつまれた不動明王ふどうみょうおうのような青銅の魔人の、ものおそろしい姿が、チラチラとながめられました。
 やがて、煙のうすれた海面には、モーターボートの影も形も見えませんでした。
 これが青銅の魔人、すなわち怪人二十面相の、ひさんな最期でした。警察のランチは、ただちに現場に近づいて、人命救助につとめたことは、いうまでもありませんが、ボートの乗組員はひとりとして生きのこったものはなく、中にも青銅のよろいを着た二十面相の死体は、いくらさがしても、発見することができませんでした。あのよろいの重さのため、海中にしずんだまま、浮きあがることができなかったのかも知れません。
 残念ながら、主犯をとらえることは、できませんでしたが、青銅の魔人の秘密は、ことごとくあばかれ、かれの同類はとらえられ、秘密の工場は、とりつぶされ、地底の財宝は、それぞれ、もとの持ち主の手にもどりました。
 名探偵明智小五郎と、少年助手小林の名声は、いよいよ高く、それにつれて、あのチンピラ別働隊の手がらも、大きく新聞にのり、十六人のチンピラどもが肩をくんで笑っている、むじゃきな写真が、どの新聞にも出たものですから、その評判は大へんなものでした。
 そして、このチンピラ少年たちは、そのうち、明智探偵の世話で、あるものは学校にはいり、あるものは職業につき、それぞれ、幸福な身のうえになったということです。





底本:「妖怪博士/青銅の魔人」江戸川乱歩推理文庫、講談社
   1987(昭和62)年11月6日第1刷発行
初出:「少年」光文社
   1949(昭和24)年1月号〜12月号
※「お巡りさん」と「お巡さん」の混在は、底本通りです。
入力:sogo
校正:岡村和彦
2016年9月2日作成
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