夜光人間

江戸川乱歩




きもだめしの会


 名探偵明智小五郎あけちこごろうの少年助手、小林芳雄こばやしよしお君を団長とする少年探偵団は、小学校の五、六年生から中学の一、二年生までの少年二十人ほどで組織されていました。みんなが近くに住んでいるわけではなく、学校もちがっている少年がおおいので、この二十人が、いつでも集まるわけではありません。ときによって、事件にかんけいする少年たちの、顔ぶれがちがうのです。
 みんな学生ですから、学校のある時間には、探偵のはたらきはできません。また、おうちで勉強もしなければなりません。ですから、日曜日のほかは、すこしの時間しか、はたらけないのです。
 ことに、夜そとへ出て冒険をすることは、おとうさんやおかあさんがおゆるしにならないうちがおおいので、小林団長は、団員たちを夜あつめることは、できるだけしないようにしていました。おゆるしがでた少年たちだけを、七時か八時ごろまで集めることにして、それいじょう夜ふかしをしないように、こころがけていました。
 でも、事件は、夜おこることがおおいので、夜ふけにはたらかなければならないときには、少年探偵団ではなくて、チンピラ別働隊をつかうことにしていました。チンピラ隊は、『アリの町』で、くずひろいをやっている少年たちで、夜の冒険なんか、へいきですから、つごうがいいのです。
 少年探偵団員たちは、なにも事件がないときには、明智探偵事務所に集まって明智先生から、いろいろなことを、おそわっていました。ものごとを注意ぶかく見ることだとか、なにかのできごとの、ほんとうのいみを見やぶる、推理のやりかただとか、顕微鏡けんびきょうの見かた、化学の実験など、探偵にひつような法医学の知恵を、すこしずつおそわっているのでした。
 また、からだをきたえるために、おおくの団員が柔道をならっていましたし、団員の井上一郎いのうえいちろう君のおとうさんが、もと拳闘選手だったので、井上君といっしょに拳闘をおそわっている団員もありました。
 団員たちはときどき、『きもだめしの会』をひらくことがありました。江戸時代や明治時代の少年たちは、『試胆したん会』という、きもだめしの会を、よくやったものです。まっ暗な夜、さびしい墓地などを、ひとりで歩いて、勇気をためすのです。墓地のおくのほうに、木のふだを何枚もおいて、ひとりずつ、そこへいって、札を持ってかえるのです。
 むかしの少年たちは、お化けがほんとうにいると思っていたので、夜中に墓地をひとりで歩くのはこわくてたまらなかったのです。そのこわいことを、わざとやって、きもったまを強くしようとしたのです。
 少年たちのなかには、いたずらものがいて、頭から白いきれをかぶって、墓のうしろにかくれていて、おどかしたりするので、ちいさい少年たちは、この試胆会のときには、びくびくものでした。しかし、それがやっぱり、むかしの少年たちの、心を強くするのに役にたったものです。
 少年探偵団員には、お化けが、ほんとうにいるなんて思っている少年は、ひとりもありませんでした。でも、まっ暗なところをひとりで歩くのは、やっぱり、うすきみがわるいのです。それで、暗闇なんかこわがらないようにするために、小林少年は、むかしの試胆会にならって、きもだめしの会を、ときどき、ひらくことにしていました。
 今夜も、その会があるというので、おとうさんやおかあさんから、おゆるしのでた少年たちだけが、七人集まりました。場所は、世田谷せたがや区のはずれの木下きのした君のおうちです。
 木下昌一しょういち君は、やはり団員のひとりなのですが、そのおうちのそばに、大きな森があって、きもだめしには、もってこいなので、夕方から、みんなが木下君のおうちに集まり、そとがまっ暗になるのを待って、その森へでかけていったのです。
 ところが、この森には、そのころ、きみのわるいうわさがたっていました。ひとだまが出るというのです。
 ひとだまは、地方によっては、火の玉ともいいます。まるい火の玉が、オタマジャクシのように、スウッと尾をひいて、空中を飛んでいくのです。赤いひとだまもありますし、青いひとだまもあります。
 むかしのひとは、これは死んだ人間のたましいが、飛んでいるのだといって、こわがったものです。しかし、いまでは、そんなことを信じる人はありません。リンがもえるのを、ひとだまだと思ったり、こまかい虫が、ひとかたまりになって飛んでいくのに、どこかの光があたって、ひとだまみたいに見えたり、流星がひとだまのように見えたり、そのほかいろいろなものを、見まちがえて、ひとだまと思いこむのだと考えている人がおおいのです。
 でも、理屈では、そう考えていても、ひとだまが出るなんていわれると、やっぱり、気持ちがよくはありません。ひとだまなんか信じない少年探偵団員たちも、そのうわさを聞いて、ぶきみに思わないわけにはいきませんでした。
 小林少年は、そういう、きみのわるいうわさのある森を、わざとえらんだのです。みんな勇気のある少年たちですから、そのくらいのうわさがあるほうが、かえって、きもだめしには、つごうがよいのでした。七人は、森の入口へやってきました。まだ八時ぐらいですが、そのへんには家もないので、あたりはまっ暗です。空はいちめん雲におおわれ、星ひとつみえません。大きな木のしげった深い森です。森の中をのぞいてみると、黒ビロードのようにまっ暗です。
「みんな、この森のむこうのはずれに、大きなひらべったい石があるのを知っているね。昼間、見ておいたから、わかるだろう? あの石の上に、木の札が七枚、おいてある。ひとりずつ順番に、森の中へはいっていって、あの札を一枚ずつ、とってくるんだよ。わかったね。」
 小林君が、六人の少年たちに、いってきかせました。
「わかっているよ。ぼくが、いちばんに行くよ。」
 拳闘のうまい井上一郎君が、一足まえにでていいました。
「やっぱり、きみは勇気があるね。よしッ、いちばんのりは、井上君だ。だが、きみ、ひとだまに注意したまえね。」
 小林少年が、ちょっと井上君をからかってみました。
ひとだまは、どのへんに出るんだい? 木下君。」
 ひとりの少年が、おっかなびっくりで、たずねました。
「ぼくのうちのそばの、やおやのおじさんが見たんだって。この森のまん中に、大きなシイの木があるんだよ。そのシイの木の下から、スウッと、青いひとだまが浮きあがってきたんだって。そして、シイの木のてっぺんまで、するするすると、まるで木のぼりをするように、あがっていって、それから、空へ飛んでいってしまったんだって。」
「それ、どのくらいの大きさなんだい?」
「直径三十センチぐらいだって。オタマジャクシみたいな長いしっぽがあって、それがふらふらと動いていたっていったよ。」
「わあ、すげえ! そいつが、こっちへ、とびついてきたら、たいへんだね。」
「おどかすなよ。ぼくが、これから、はいっていくんじゃないか。」
 井上君が、しかるように、どなりました。そして、
「じゃ、いってくるよ。」
といいすてて、そのまま、森の中へ、すがたを消しました。

闇に光る顔


 井上一郎君は、ただひとり、黒ビロードのような闇の中を歩いていきました。大木がたちならんでいますから、その幹にさわりながら進むのです。
 めくらになってしまったように、なにも見えません。風がないので、木の葉のざわめきもなく、自動車のとおる町からは、遠くへだたっているので、あたりは、しいんと、しずまりかえって、耳が聞こえなくなってしまったのかと、うたがわれるほどです。
 木の札のおいてある大きな石のところまでは、百メートルほどあります。井上君は、やっと三十メートルぐらい進んだばかりです。うっかりすると、木の根につまずいて、ころびそうになるので、はやく歩けないのです。
 ふと見ると、森のおくのほうに、なんだか白く光るものが、ちゅうに浮いていました。
「おやッ、月がでたのかしら?」
 まさか、森の中に、月がでるはずはありません。では、いったい、あの光るものは、なんでしょう?
 井上君は、すぐに、ひとだまのことを思いだしました。ひとだまなら、こわくはありません。もっと近よって、正体を見とどけてやろうと、そのほうへ進んでいきました。
 しかし、五、六歩進んだとき、井上君は、ぴったり、たちどまってしまいました。それは、ひとだまではなかったからです。
 ひとだまにはオタマジャクシのような、しっぽがあると聞いていました。ところが、むこうに光っている、まるいものには、しっぽがないのです。しっぽがなくて、ただ宙に浮いているのです。そして、そいつは、だんだんこちらへ近づいてくるのです。
 井上君は、ギョッとして逃げだしそうになりました。
 その白く光るまるいものには、二つのまっ赤な目があったからです。大きなまるい目が、火のように赤くかがやいていたのです。
 そして、口です。ああ、その化けものが、ガッと口をひらいたのです。口の中も、まっ赤にもえていました。耳までさけた、まっ赤な口から、いまにも火を吹きだしそうに見えたのです。
 その赤い目の銀色の首は、しばらく、ふわふわと、宙にただよっていましたが、とつぜん、つつつつ……と、井上君の目の前に、とびかかってきたではありませんか。
「ワアッ……。」
 さすがの井上君も、叫び声をたててとびのきました。そして、いちもくさんに、森のそとへ逃げだしたのです。いくら拳闘ができても、化けものにはかないません。
 森の入口に待っていた小林君たち六人の少年は、「ワアッ……。」という声をききました。どうしたんだろうと心配しているところへ、井上君が、おそろしいいきおいで、とびだしてきました。
 まっ暗ですから、とっさには、だれだかわかりません。六人は、ギョッとして逃げだしそうになったくらいです。
「なあんだ、井上君か。どうしたんだ。」
 小林少年がたずねますと、井上君は息をきらして、
「ば、ば、化けものだ。化けものが、とびかかってきたんだ。」
 少年たちは、お化けなんか信じないはずだったではありませんか。
「化けものだって? そんなものがいて、たまるもんか。きみはなにかを、見まちがえたんだよ。」
 野田のだという少年が、しかりつけるようにいいました。野田君は、柔道をならっている強い少年でした。
「見まちがえるもんか。ぼくはそんな弱むしじゃない。たしかに、首だけの化けものが飛んできたんだ。まっ赤な目がもえるように光っていた。口から火を吹くように見えた。そして、顔ぜんたいが、銀色なんだ。……ひとだまじゃないよ。ひとだまに目や口があるはずはない。」
 井上君は、やっきとなっていいはるのでした。
「それじゃ、みんなで、そいつを、たしかめに行こうじゃないか。」
 小林少年が、決心したようにいいました。
「うん、行こう、行こう。」
 みなが、口をそろえて賛成しました。お化けと聞いて逃げだすような、おくびょうものは、ひとりもいなかったのです。
「じゃあ、ぼくについてくるんだよ。」
 小林君は、そういって、さきにたって、まっ暗な森の中へ、ふみこんでいくのでした。

夜光怪人


 小林君をさきにたてて、七人の少年が、森の中へはいっていきましたが、森の中は、ただまっ暗で、あやしい光りものなどは、どこにも見えません。もう三十メートルほど進んだのに、なにもあらわれないのです。
「井上君、なにもいないじゃないか。やっぱり、きみの気のせいだったかもしれないよ。」
 野田君の声が、ぼそぼそと、ささやきました。
「へんだなあ。さっきは、たしかに、このへんの宙に浮いていたんだよ。」
 井上君も、ささやきかえしました。そして、キョロキョロと、暗闇の中を見まわすのでした。
 すると、そのときです。どこからともなく、へんな音が聞こえてきました。はじめは、もののすれあうような、えたいのしれぬ、かすかな音でしたが、耳をすましていますと、何者かが暗闇の中で、くすくすと、笑っているように感じられました。
 七人の少年たちのうちの、だれかが笑っているのでしょうか。
「だれだ、笑っているのは?」
 小林君が、おしころした声で、たずねました。だれも答えません。まっ暗で、おたがいの顔は見えませんが、笑っているのは、どうも少年たちの仲間ではないようでした。
 そのうちに、くすくすという、しのび笑いが、だんだん、大きな声になってきました。たしかに笑っているのです。ひとをばかにしたように、笑っているのです。
 とうとう、爆発するような大笑いになりました。
「ワハハハハ……、ワハハハハ……。」
 森じゅうにひびきわたる、悪魔の笑い声でした。
 少年たちは、おもわず、おたがいのからだを、だきあうようにして、立ちすくんでいました。まっ暗闇の中に、とほうもない笑い声だけがひびいているのは、じつにきみのわるいものです。
「アッ! でたッ!」
 井上君が、おしころした声で叫びました。みんなは、ギョッとして、あたりを見まわしました。
 ずっと、むこうです。森の木の間に、見えつかくれつ、あの銀色の首が、ふわふわと浮いているではありませんか。
 少年たちは、いよいよ身をかたくして、じっと、その光る首を見つめました。
 スウッと、一直線に飛ぶかとおもうと、また、ふわふわとただよい、その首は、だんだん、こちらへ近よってきます。
 井上君のいったとおりです。銀色の顔、まんまるで、もえるようにまっ赤な目、ガッとひらいた赤い口、なんともいえない恐ろしい顔です。
「みんな、逃げちゃいけないよ。お化けなんて、いるはずはない。だれかが、ぼくたちをおどかすために、いたずらをしているんだ。きっと、そうだよ。だから、みんなで、あいつをつかまえてやろうじゃないか。」
 小林君が、ささやきました。
「うん、やっつけちゃおう。」
 野田君が、元気よく、ささやきかえしました。
 そこで、少年たちはたがいに手をつなぎあって、じりじりと、怪物の顔のほうへ進んでいきます。
 すると宙に浮く首は、それとしったのか、だんだん、あとずさりをはじめたではありませんか。ふわふわと、むこうのほうへ遠ざかっていくのです。
 あいてが逃げだしたとわかると、少年たちは、ますます元気がでてきました。
 いっそう、足をはやめながら、光る首を追っていきます。
 まっ暗な森の中、ゆくてに立ちふさがる大きな木の幹を、ぬうようにして進んでいくのです。
 銀色の首は、少年たちをからかうように、ふわふわとただよいながら、森のおくへ、おくへとはいっていきましたが、やがて、ピタッと、宙にとまってしまいました。そして、まっ赤な目で、じっとこちらを、にらみつけているのです。少年たちも立ちどまりました。息づまるような、にらみあいです。
 二十秒ほどたったとき、少年たちは、なにか、パッと光るものに、いすくめられて、くらくらっと、目がくらむような気がしました。
 ああ、ごらんなさい。そこに、ひとりの銀色に光る人間が立っていたではありませんか。あの恐ろしい首の下に、胴体がつながったのです。そして、その胴体も、うすきみわるく銀色に光っているのです。
 怪物は、まっぱだかで、仁王におうだちになっていました。その全身が、後光ごこうのような光でおおわれているのです。
 夜光怪人! まさに夜光の人間です。いったい、この怪人は、どうして、こんなに光るからだを持っているのでしょう。それに、あの恐ろしい、まんまるな、まっ赤にかがやく目、火を吹く口。こんな怪物が、地球上にあらわれたことが、いちどだってあったでしょうか。
 少年たちは、あまりのふしぎさ、恐ろしさに立ちすくんだまま、夢でも見ているような気持ちでした。
「ワハハハハハ、ワハハハハハ……。」
 銀色の怪物は、もえるような、まっ赤な口をあけて、森じゅうにひびく笑い声をたてました。
 笑いながら、怪人の光るからだは、スウッと、地面をはなれて宙に浮きました。そして、ぐんぐん、上のほうへのぼっていくではありませんか。この夜光怪人は、飛行の術をこころえているのでしょうか。
 黒ビロードの闇の中に、ピカピカと銀色に光る人間。それが空へ空へとのぼっていくのです。なんという、うつくしさでしょう。ぞっと、するほど、こわくて、うつくしい光景です。
 少年たちは、息もつまるおもいで、それを見つめているのでした。

宙に浮く首


 世田谷区の木下昌一君のおうちのそばにある森の中に、からだじゅう銀色に光る怪物が、あらわれてから二、三日は、なにごともなく、すぎさりました。
 あのとき、怪物はケラケラと笑いながら、高い木の上に浮きあがっていって、そのまま闇の空へ、すがたを消してしまいました。
 少年団員たちは、こわくなって、そのまま、めいめいのうちへ逃げかえり、おとうさんに、そのことを話しましたが、
「そんなばかなことがあるもんか。きっと、リンでも、もえているのを、見まちがえたのだろう。」
といって、すこしも、とりあってくださらないのでした。
 むりもありません。全身銀色にかがやいて、目はまっ赤にひかり、口の中は火のようにもえている人間なんて、この世にいるはずがないからです。
 ところが、少年たちは、夢を見たのではありません。あの恐ろしいやつは、やっぱり、ほんとうの怪物だったのです。それから二、三日たった、あるばんのこと、こんどは千代田ちよだ区の、やしき町のまんなかに、銀色のやつが、あらわれたのです。
 もう、夜の十一時をすぎていました。まだところどころに、広いあき地のある、さびしいやしき町を、火の番のおじいさんが、
「火の用心。」ちょん、ちょん……。
と、拍子木ひょうしぎをたたきながら歩いていました。
 腰に、ぶらぢょうちんをさげていますが、小さなロウソクとみえて、いまにも消えそうな心ぼそいあかりです。
 そこは、両がわに長い塀のつづいている、まっ暗な町でした。常夜灯も、電球がわれて消えてしまい、鼻をつままれても、わからぬほどの暗さです。
 いっぽうは、コンクリートの万年塀まんねんべいですが、もういっぽうは、まっ黒にぬった板塀で、いっそう、まっ暗にみえるのです。
 その黒板塀の前をとおっていますと、塀の一ヵ所が、ゆらゆらと、動くような気がしました。
 火の番のじいさんは、オヤッと思って立ちどまりました。
「なんだろう? 塀に小さなひらき戸がついていて、それが、風で動いたのかしら? もし、そうだったら、用心のわるいことだ。ちゃんと戸じまりをしておかなけりゃあ。」
 じいさんは、そう考えて、手さぐりで黒塀に近づいていきました。ちょうちんのあかりが暗いので、はっきり見えないのです。
 すると、なんだかきみのわるい、やわらかいものが、手にさわりました。びっくりして、うしろにさがり、腰のちょうちんをとって、よく見ようとすると、パッと、そのちょうちんが、地面にうち落とされ、火が消えてしまいました。
 なにか、目に見えないまっ黒なやつが、そこに立っていて、ちょうちんを、たたき落としたのです。さっき手にさわった、やわらかいものは、そいつのからだだったのでしょう。
「だれだッ? そこにいるのは、だれだッ。」
 じいさんは、うすきみのわるいのをがまんして、大声でどなりました。
 あいてはだまっています。まっ黒な塀の前のまっ黒なやつですから、すこしも目には見えません。
 そいつは、ぴったりと、塀にからだをくっつけて、クモのように横にはって、もう逃げてしまったのかもしれません。それとも、もとの場所に、じっとしているのでしょうか。あいてが人間だか、けだものだか、わからないので、じつにきみがわるいのです。
 そのとき、すぐ鼻のさきの闇の中で、ケラ、ケラ、ケラという、身ぶるいするような笑い声が聞こえました。
 ギョッとして、そのほうを見つめますと、いきなり、黒板塀の、じいさんの顔と同じぐらいの高さのところに、人の顔があらわれたではありませんか。
 青白く光った顔です。その中にふつうの人間の三倍もあるような、大きな二つの目が、まっ赤にかがやいています。赤い目の銀色の顔です。その顔ばかりが、宙に浮いているのです。
 ケラ、ケラ、ケラ……。
 その顔が、口をあいて笑いました。ああ、その口! 口の中は、まっ赤です。まるで火がもえているようです。
 あまりの恐ろしさに、火の番のじいさんは、「ワアッ!」と叫んで、その場に、しりもちをついてしまいました。
 すると、その叫び声におどろいたのか、銀色の顔は、パッとかき消すように見えなくなってしまいました。
 じいさんは、やっと、腰をさすりながら立ちあがりました。そして、こんなきみのわるいところには、一刻もいられないというように、すたすたと歩きだしました。
 ところが、二メートルも歩かないうちに、またしても、すぐ耳のそばで、ケラ、ケラ、ケラと、あの笑い声。ギョッとして、そのほうを見ますと、またしても、そこの黒板塀に、あの銀色の、まっ赤な目の顔が、あらわれていたではありませんか。
 じいさんは、くぎづけになったように、そこに立ちすくんでしまいました。逃げたら、うしろから、グワッと、化けものに、かみつかれそうに思ったからです。
 銀色の顔ばかりのお化けは、スルスルと黒板塀のてっぺんへ、のぼっていきました。そして、そのてっぺんの横板の上に、ちょこんと、のっかって、まっ赤な口を、パクパクひらきながら、赤い目で、こちらをにらみつけながら、ケラ、ケラ、ケラと、笑いました。
「ワアッ!」
 じいさんは、もう、無我夢中になって逃げだしました。いまにもうしろから、あの赤い目の首がとびついてくるのではないかと、生きたここちもなく、ただ走りに走るのでした。
 やっと、黒板塀がなくなって、むこうが、ボウッと明るくなってきました。その角をまがったむこうに、常夜灯が立っているらしいのです。
 おおいそぎで、その角をまがりました。ずっとむこうに、うすぐらい電灯がついています。見ると、その電灯の下を、コツ、コツと、こちらへ、歩いてくる人があるのです。
「アッ、おまわりさんだ。」
 それは、制服のおまわりさんが、夜の町を見まわっているのでした。じいさんは大よろこびで、そのほうへ、かけよっていきました。
「だ、だんな、たいへんだ。銀色に光った首が、あの黒板塀の上に……。」
 じいさんは、どもりながら、そんなことをいって、まがり角のむこうを指さすのでした。
「なに、銀色の首だって?」
 おまわりさんが、みょうなふくみ声で聞きかえしました。よく見ると、へんなおまわりさんです。制帽のひさしの下から顔の前に、黒いきれがさがっているのです。そのきれにつつまれて、顔はすこしも見えません。
 じいさんは、みょうな顔をして、その黒いきれを見つめました。
「へえ、銀色の首です。まっ赤なでっかい目をして、口から火を吹いて、板塀の上に、ちょこんと、のっかっていました。首ばかりの化けものです。」
「へ、へ、へ、へ、へ……。」
 おまわりさんが、へんてこな笑い声をたてました。
「へ、へ、へ、へ、……、そいつは、こんな顔だったかね。」
といって、制帽をぬいで見せました。
「ワアッ!」
 じいさんは、またしても、ひめいをあげて、しりもちをつきました。
 おまわりさんの顔は、青っぽい銀色をしていたからです。まっ赤な二つの目が、こちらをにらんでいました。そして、あのまっ赤な火のような口をひらいて、ケラ、ケラ、ケラと、笑ったではありませんか。
 じいさんは、あまりの恐ろしさに、とうとう気をうしなってしまいました。そして、しばらくして気がついてみると、おまわりさんのすがたも、銀色の顔も、どこにも見えないのでした。

墓地の恐怖


 それから二日ほどたった夜ふけのこと、みなと区の白金しろがね町にある妙慶寺みょうけいじというお寺の墓地に、またしても、あの銀色の化けものがあらわれたのです。
 やっぱり、夜の十一時ごろのことでした。おしょうさまが、手洗いに起きて、窓から墓場のほうを見ますと、たちならぶお墓の間に、白いものが動いているような気がしましたので、泥坊でもはいったのではないかと、寺男のじいやを起こして、墓場を見まわるようにいいつけました。
 じいやは懐中電灯を持って、墓場へはいっていきました。
 大きいのや、小さいのや、いろいろの形の墓石が、ズウッとならんでいて、その間を、ほそい道が、ぐるぐるまわりながらつづいています。
 じいやはそこを、あちこちと歩きまわってみたのです。そして、墓場のまん中までたどりついたときです。闇の中から何者かが、パッととびかかってきて、手に持っている懐中電灯をうばいとってしまいました。
 懐中電灯が消えると、あたりは、手さぐりで歩かなければならないほどの暗さでした。
 あいてが何者だか、まったくわかりません。
 じいやは、いまにも、だれかが組みついてくるのではないかと、みがまえをしましたが、すると、そのとき、じつにふしぎなことがおこったのです。
 むこうの墓石の上に、パッと、銀色のまるいものが、あらわれました。
 銀色の顔です。
 そいつが、まっ赤に光る大きな目で、じっと、こちらを、にらみつけているのです。
 口がパクッと、ひらきました。
 ああ、その口! もえるように、まっ赤な口です。
 そして、ケラ、ケラ、ケラと、なんともいえない、きみのわるい笑い声が聞こえてきたではありませんか。
 墓石の上に、ちょこんと、銀色の首がのっかっているのです。その首ばかりの化けものが、まっ赤な口で笑っているのです。
 こんなふしぎなことが、あるものでしょうか。
 じいやは、ゾーッとして、身うごきもできなくなってしまいました。
 すると、墓石の上の首が、ふっと見えなくなったのです。
「オヤッ、それじゃあ、いまのは、わしの気のせいだったのかな?」
と思っていますと、こんどは、二メートルもへだたった、べつの墓石の上に、おなじ銀色の首が、パッとあらわれたではありませんか。
 そして、赤い口で、ケラ、ケラと笑うのです。
 しばらくすると、また、パッと消えました。
 消えたかとおもうと、こんどは、ちがった方角の墓石の上にあらわれ、まっ赤な口を、パクパクさせます。
 そして、消えたり、あらわれたり、あちこちの墓石の上に、とびうつって、めまぐるしく動きまわるのです。
 じいやは、あっちを見たり、こっちを見たり、目がまわるような気持ちでした。
 しまいには、墓石という墓石の上に、銀色の首が、何十となくのっかって、その首がみんな、じいやをにらみつけて、ケラ、ケラ、ケラ、ケラと笑っているように、おもわれてくるのでした。
 そのとき、うしろから、じいやの腕を、ぐっと、つかんだやつがあります。
 ギョッとして、ふりむくと、そこに、白い着物をきた人間が立っていました。
「アッ、常念じょうねんさん。」
「うん、ぼくだよ。」
 それは、おしょうさまの弟子の、常念という若い坊さんでした。寝床からとびだしてきたとみえて、白いもめんの寝巻きに、ほそおびをしめているのです。
「あれはだれかが、いたずらしているんだよ、黒い服を着ているので、首ばかりのように見えるんだ。こわくはないよ。ふたりで、とっつかまえてやろうじゃないか。」
 若い坊さんは、ひどくいせいがいいのです。そういわれると、じいやも元気が出てきました。
「うん、わしも、むかしは、柔道できたえたからだだ。あんな化けものに、負けるもんか。」
「よしッ、やっつけよう。じいやさんは、あっちがわから、ぼくはこっちがわから、あいつを、はさみうちにするんだ。」
「うん、わかった。さあ、行くぞッ。」
 そこで、ふたりは、銀色の首ののっている墓石の両がわから、とびかかっていきました。
 ケラ、ケラ、ケラ、ケラ……。
 怪物は、まだ笑っていました。まさか、つかまえにくるとは思わないので、つい、ゆだんをしていたのです。
 そこへ、両がわから、ふたりが、ぶっつかってきたので、どうすることもできません。たちまち恐ろしいとっ組みあいがはじまりました。
 怪物には、からだがあったのです。ぴったり身についた黒シャツをきて、黒い手袋、黒い靴下をはいていました。いくら怪物でも、ふたりの力には、かないません。いちどは、地面におさえつけられてしまったように見えました。
 三つのからだが、とっ組みあったまま、墓石のあいだをころげまわりました。
 そうしているうちに、べりべりと音がして、怪物の黒シャツの胸のところが、やぶれました。そして、その下からあらわれてきたのは、おお、銀色のからだ、怪物はからだまで銀色に光っていたのです。
 こちらのふたりは、それに気づくと、おもわず、ギョッとして、手をゆるめました。
 そのすきに、怪物は、ふたりをつきはなして、パッと立ちあがり、いきなり、むこうへかけだしていきます。
 そして、このあいだのばん、少年探偵団員たちが見たのと、おなじことが、おこりました。
 墓場のおくに林があって、そのなかに一本の大きなスギの木が、そびえていました。十メートルもある大きな木です。そのスギの木の下に、黒シャツをぬいだ全身銀色の人間が、こちらをむいて、つっ立っているではありませんか。でっかいまっ赤な目、火を吹きだしそうな、大きな赤い口、その口が、あいたりふさいだりして、ケラ、ケラ、ケラ……と、笑っているのです。
 全身銀色にかがやく、恐ろしいすがたを見ては、こちらのふたりも、きゅうに近よる勇気がありません。
 いったい、この銀色のやつは、何者でしょう。人間か、動物か、それとも、遠くの星から地球へやってきた、別世界のいきものか?
 まもなく、いっそう、へんてこなことがおこりました。銀色のやつが、空へ、のぼっていくのです。スギの木の幹を、よじのぼるのではありません。葉のしげった表面を、スーッとのぼっていくのです。
 いよいよ人間わざではありません。やっぱり星の世界からきた怪物なのでしょうか。
 みるまに、銀色のやつは、スギの木のてっぺんまでのぼりました。そして、パッと、すがたを消してしまったのです。
 いつまで待っても、怪物がすがたをあらわさないので、こちらのふたりは、おしょうさまの部屋にもどって、このことをしらせ、すぐに一一〇番へ電話をかけました。
 すると、五分もたたないうちに、白いパトロール=カーがかけつけ、車内にそなえつけてあった小型の探照灯で、墓地やスギの木をてらして、しらべてくれましたが、怪物のすがたは、どこにもありませんでした。
 では、怪物は、スギの木をスルスルとのぼって、そのてっぺんから、闇の空たかく消えていってしまったのでしょうか。そして、どこかの星の世界へ、かえってしまったのでしょうか。
 こうして、夜光怪人は、東京のあちこちへ、三ども、すがたをあらわし、三どめには、警官がかけつけるというさわぎになりましたので、新聞がだまっているはずはありません。東京の新聞はもちろん、地方の新聞までが、この奇怪な夜光怪人の記事を、でかでかとのせました。
 血なまぐさい犯罪の記事になれている読者も、このお化けみたいな銀色怪人の出現には、すっかり、おどろいてしまいました。ことに東京の人は、ま夜中に、その恐ろしい銀色のやつが、じぶんのうちのまわりを、うろうろしているのではないかと、みんな、びくびくものでした。
 それは、人工衛星がうちあげられ、空とぶ円盤の話が、またやかましくなっているころでしたから、銀色の怪物も、どこかの星からの使いではないかと、きみのわるいうわさが、ひろがったほどです。

魔法の名刺


 夜光人間、夜光怪人のうわさは、もう日本じゅうに、ひろがっていました。東京や大阪の大新聞はもちろん、どんないなかの新聞までも、この恐ろしい怪物のことを、でかでかと書きたてたからです。
 顔も、からだも、青白い銀色に光る人間、目はふつうの人間の三倍もある大きさで、それがまっ赤にかがやき、口の中も赤くもえて、いまにも火を吹きだしそうな怪物。
 その首ばかりが、宙に浮いたり、ときには銀色の全身を見せたりして、東京のほうぼうに、すがたをあらわし、東京じゅうの人を、ふるえあがらせたのです。
 この怪物は、つかまえようとすると、高い木の上へ、するするとのぼって、そのまま、空中へ消えうせてしまいます。ひょっとしたら、こいつは、遠い星の世界からやってきた、えたいのしれぬ生きものではないのでしょうか。
 そんなさわぎの最中のある晩のこと、明智探偵事務所の応接室で、少女助手のマユミさんと、小林少年とが、怪人のことを、いろいろと、話しあっていました。明智探偵は、新潟に事件があって、旅行中なので、ふたりが、るす番をしているのです。
 夜の七時ごろでした。テーブルの上の電話が、けたたましく鳴りだしました。小林君が受話器をとって、耳にあてますと、
「そちらは、明智探偵事務所ですか。明智先生はおいでになりますか。」
という聞きおぼえのない、男の声です。
「先生は旅行中ですが、あなたはどなたですか。」
「世田谷の杉本すぎもとというものです。夜光人間が、こんばん、わたしのうちへ、やってくるのです。それで、明智先生に、おいでをねがいたいと思いまして。」
「エッ、夜光人間が?」
 小林君が、とんきょうな声をたてたので、マユミさんもおどろいて、電話のそばへ、近づいてきました。
「そうです。警察からもきてくれますが、明智先生にも、おいでをねがいたいのです。わたしの友人の花崎はなざき検事から、明智さんのことは、くわしく聞いています。こんなふしぎな事件は、明智さんの力を、かりるほかはないのです。」
「ざんねんですが、先生は、まだ二、三日はお帰りになりません。先生のかわりに、ぼくがおじゃましてもいいでしょうか。」
「あなたはどなたですか。なんだか子どものような声だが。」
 杉本という人は、うたがわしげに聞きかえしました。
「ぼく、明智先生の少年助手の小林です。」
「ああ、あの有名な小林君ですか。うん、きみのことも、花崎検事から聞いていますよ。きみも、なかなかの名探偵だといっていました。ええ、きてください。明智先生が帰られるまで、きみに、わたしの宝物をまもってもらいましょう。」
「えっ、宝物ですって。」
「わたしのだいじな宝物です。それを夜光怪人がねらっているのですよ。では、すぐにきてくださいね。」
 そして、杉本さんは、じぶんの家へくる道すじをおしえて、電話をきりました。
 小林少年は、そばに立っているマユミさんの顔を見ました。
「ぼく、いってもいいでしょう。」
「ええ、いいわ。すぐに自動車で、おいでなさい。わたし、るす番をしているから。ゆだんなくやってくださいね。」
 マユミさんは、小林少年の肩に手をかけて、はげますようにいうのでした。
 小林君が世田谷の杉本さんのうちについたのは、八時ごろでした。りっぱなおやしきです。コンクリートの塀に、石の門、から草もようの鉄の扉、門をはいると、うえこみがあって、そのむこうに、二階だての西洋館がそびえていました。
 あとでわかったのですが、杉本さんは、いくつもの会社の重役をつとめているお金持ちでした。それでいて、まだ四十歳ぐらいの若さなのです。よほど、腕ききの実業家なのでしょう。
 玄関のベルをおしますと、女中さんがドアをひらいて、応接間へとおしてくれました。
「やあ、よくきてくれましたね。まあ、おかけなさい。」
 杉本さんは、したてのよい背広を着ていました。じぶんも、いすにかけると、ポケットから、大きな手帳をだし、その間にはさんであった名刺のような紙をとりだして、すぐに、説明をはじめました。
「きょうの昼すぎです。この名刺を持って、ひとりの男がたずねてきた。年ごろは三十ぐらいだろうか、黒い背広を着ていたが、なんともいえない、へんな顔色をしている。
 黄色い粉でもぬったような、きみのわるい顔色です。そして、部屋にはいっても、白い皮の手袋をはめたままで、ぬがないのです。
 名刺には『北森七郎きたもりしちろう』と印刷してあった。むろん、いちどもあったことのない男です。ふつうなら、こんな男を部屋にとおしたりしないんだが、わたしの友人から電話で、あってやってくれといってきたので、しかたなく、とおしたのです。
 その北森という男は、なにか、つまらないことを、ぐずぐずいっているので、はやく用件をはなしてくれというと、『こんばん十時です。どうかおわすれないように。』と、へんなことをいって、にやりと笑うとそのまま出ていってしまった。
 なにがなんだか、わけがわからないので、わたしは、その北森という男を、しょうかいした友人に、電話でたずねてみると、『そんな男にあってくれといったおぼえはない。電話もかけなかった。』という答えです。
 ますます、へんだから北森の名刺の住所をしらべようとして、その名刺を見ると、ふしぎなことがおこっていた。さっきまで、くろぐろと印刷してあった字が、すっかり消えてしまって、ただの白い紙になっている。
 わたしは、さいしょ名刺を見たとき、そのまま右のポケットへいれておいたのだから、まちがうはずはない。時間がたつと、ひとりでに消えてしまう魔法インキがあるね。この名刺は、あのインキで印刷してあったのかもしれない。そう思ったので、わたしは、この名刺を、いろいろな角度にしてしらべてみた。そうして、ながめているうちに、へんなことに気がついた。
 この名刺には、紙の色と見わけがつかないほど、かすかに黄色っぽい色で、もやもやと、もようのようなものが、いちめんに浮きだしている。ただ見たのではわからない。こういうふうに、横のほうから、すかして見ないとわからない。あるかないかの、じつにかすかな、かすかなもようなのだ。ほらね……。」
 杉本さんは、そういって、名刺をたいらにもって、小林君の目のそばへ近づけて見せるのでした。そういわれてみると、名刺の紙に、なんだかもやもやしたものが、見えるように思われました。
「ところがね、夜になって、暗いところで、この名刺を見ると、おどろいたね。銀色に、ちかちか光っているんだ。あの、もやもやしていた黄色っぽいものは、夜光塗料だったんだね。暗いところで見ると、それが、銀色の字になって、はっきり読めるんだよ。ほら、この暗いところで、見てごらんなさい。」
 杉本さんは、そういって、名刺をテーブルの下の暗いところへ、いれて見せるのでした。
 小林君は、テーブルの下へ、首をいれるようにして、それを見ましたが、すると名刺の表面には、青っぽい銀色の字が、いっぱいならんでいるではありませんか。そして、それは、つぎのような恐ろしい文章だったのです。
 こんや十時に、きみの宝物をちょうだいにあがる。じゅうぶん用心したまえ。しかし、いくら用心しても、きっと、盗みだしてみせるよ。
夜光の人
「アッ、すると、昼間きたのは、夜光人間だったのでしょうか。」
 小林君は、そこへ気がつくと、おもわず高い声をたてました。
「だが、昼間の北森という男は、ふつうの人間だった。べつに顔が光ってはいなかったが……。」
「昼間、明るいところでは光らないのかもしれません。この名刺だって、そうですもの。さっき、その男の顔は、黄色っぽかったと、おっしゃったでしょう。この名刺も、昼間は、黄色っぽかったんですよ。」
「あっそうか。じゃあ、あいつの顔も暗いところで光りだすんだな。きみに、そういわれてみると、やっぱり、あいつが夜光人間だったのかもしれないね。じつに、きみのわるい顔色をしていた。」
 杉本さんはそういって、じっと、小林君の顔を見つめるのでした。まるで、小林君が夜光人間ででもあるように、きみわるそうな目で、じっと見つめるのでした。

宙を飛ぶ首


「で、その宝物というのは、どこにおいてあるのですか。」
 小林君がききますと、
「わたしの書斎においてある。べつに金庫にいれてあるわけじゃないから、こういっているうちにも心配だよ。すぐいってみよう。きみもいっしょにきてください。」
 杉本さんは、そういって、そそくさと立ちあがるのでした。
 応接間の一つおいてとなりに、りっぱな書斎がありました。いっぽうの壁は、本だなになっていて、日本の本、西洋の本が、いっぱいならんでいます。杉本さんは、重役といっても、毎日会社へでるわけではありませんから、本を読むひまがあるのでしょう。それにしても、よほど本がすきでなくては、これほど買いあつめることはできません。
 本だなとむかいあった壁には、ガラス戸だながいくつもならんでいて、その中にいろいろな美術品が、かざってあります。
 杉本さんは、その一つの戸だなのガラス戸をあけて、高さ十五センチぐらいの、黒っぽい金属の仏像を、うやうやしく取りだして、部屋のまん中のテーブルの上におきました。
「これが、わたしの宝物だよ。ぞくに推古仏すいこぶつといって、今から千四、五百年まえにつくられた観音かんのんさまだ。銅でできているんだが、ごらん、このへんに、金がまだのこっている。つくったときには、金がはってあって、ピカピカ光っていたんだ。それが、千何百年のあいだに、はげてしまったんだよ。
 これは、こういう小さい推古仏のうちでも、ひじょうにできがいいし、きずがないので、重要美術品に指定されていて、何千万円という値うちのものだ。夜光人間は、むろん、この推古仏をねらっているんだよ。」
 小林君は、しばらく、その小さな仏像を、感心したように、ながめていましたが、ふと気がついて、腕時計を見ました。
「アッ、もう九時です。十時までには一時間しかありませんよ。宝物を、こんなところに出しておいても、だいじょうぶなんですか。」
と、心配そうにたずねました。
「だいじょうぶか、どうかわからないが、できるだけの用心はしてある。ちょっと、ここから、庭をのぞいてごらん。」
 杉本さんは立っていって、窓のカーテンをひらくと、かけがねをはずして、ガラス戸を上におしあげ、小林君を手まねきしました。
 小林君は、そこへいって、窓から顔を出し、まっ暗な庭をながめました。
 広い庭です。大きな木が立ちならび、ところどころに蛍光灯が光っています。でも、蛍光灯ぐらいで、庭ぜんたいを照らすことはできませんから、まっ暗なところのほうが、おおいのです。
 しばらく見ていますと、闇の木立ちのあいだに、ちらちらと、なにか黒いものが動いているのに気づきました。よく見ると、人間らしいのです。背広を着た男です。
「警視庁の刑事さんだよ。四人きているんだ。そして、庭や、うちの中の廊下などを見はっていてくれるんだ。ことに、この書斎のまわりを、厳重に見はってくれるようにたのんであるから、もしあやしいやつが近づけば、けっして、見のがすことはないと思う。」
 杉本さんは、そういって、ガラス戸をしめ、しっかりと、かけがねをはめました。
「この窓のガラスは、鉄網てつあみのはいった厚いガラスだから、これをやぶって、はいることはむずかしい。窓は四つあるが、みんな、ちゃんと、かけがねがかけてある。入口のドアにも、さっき、中からかぎをかけておいた。だから、この部屋は、まるで金庫のようなものだよ。そのうえ、きみとわたしで、この仏像を見はっていようというわけだ。これだけ用心すれば、いくらあいてが怪物でも、まず、だいじょうぶじゃないか。」
 杉本さんは、そういって、にが笑いをするのでした。
 それから、ふたりは、仏像をおいたテーブルの両がわに腰かけて、じっと仏像を見つめていました。すこしでも目をはなせば、仏像がスウッと消えてしまいそうな気がして、いっときも、ゆだんができないのです。
 やがて九時半でした。それから九時四十分、九時五十分、五十五分、五十六分……じりじりと、予告の時間がせまってきます。
 杉本さんも小林君も、顔は青ざめ、目ばかりギラギラとかがやき、ハッ、ハッと、はく息が、せわしくなってきました。小林君の正確な腕時計が、九時五十九分をしめしました。あと一分です。小林君のひたいに、汗のたまが浮かんできました。
 五秒、十秒、時計の秒をきざむ音が、おそろしく耳をうちます。
 そのとき、窓のそとで、カタンと、かすかな音がしました。小林君は、おもわずそのほうを見ましたが、すると、小林君の顔から、サアッと血のけがひいて、目がとびだすほど、ひらかれました。そして、くぎづけになったように、窓を見つめたまま動きません。
 杉本さんも同じです。まるで、お化けにでもあったような恐ろしい顔で、窓を見つめています。
 その窓には、なにがあったのでしょう?
 カーテンがひらいたままになっている、その窓ガラスのそとに、ボウッと、白いものがただよっていました。
 青白くかがやく、銀色のまるいものです。それが、グウッと、窓ガラスにくっついてきました。ああ、人間の顔です。
 巨大な二つの目が、こちらをにらんでいます。まっ赤な血のような色の、でっかい目です。それから口! パクッと、ひらいた大きな口の中に、火がもえているようです。いまにも、火炎かえんを吹きだし、その熱で、窓ガラスをとかしてしまうのではないかと思われるばかりです。
 小林君は、おもわず、こぶしをにぎって立ちあがりました。刑事たちは、どうしているのでしょう。なにか大きな声をたてて呼ばなければなりません。小林君は、いきおいこめて、窓のほうへ、つきすすんでいきました。
 窓から一メートルほどに近づくと、夜光の首は、パッと消えてしまいました。小林君は、窓にとびかかって、それをひらこうとしました。
「アッ、こっちだッ!」
 杉本さんの、ギョッとするような叫び声が、聞こえました。
 ふりむくと、杉本さんは、はんたいがわの窓を指さしています。そのカーテンのすきまから、窓ガラスが、二十センチ幅ほど見えているのですが、そのそとに、夜光の首が、ふわふわと、ただよっているではありませんか。
 小林君は無我夢中で、また、そのほうへつきすすみました。
 ところが、そばまで行くと、夜光の首は、またしても、パッと消えてしまったのです。
 こうして、銀色赤目の怪物は、四つの窓のそとに、つぎつぎと、あらわれては消え、あらわれては消え、目にもとまらず、はやわざをくりかえしました。夜光の首が、四つあるのではないかと、うたがわれるほどでした。
 杉本さんも、小林君も、そのたびに、書斎の中を、うろうろするばかりです。ところが、そうして、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしているうちに、なにに気づいたのか、杉本さんが、恐ろしい叫び声をたてました。
「アッ! ないッ! 仏像がなくなった。小林君、仏像をぬすまれてしまったッ!」
 おどろいて、テーブルの上を見ますと、アッ! ありません。仏像は、かき消すようになくなってしまっていたのです。
 杉本さんはドアのところへ、とんでいって、とってをまわしてみました。かぎはちゃんとかかっています。四つの窓をしらべました。みんな、かけがねがかかっています。
 書斎は金庫のように、厳重にしまりができていたのです。それなのに、あの仏像が消えうせてしまいました。夜光怪人は、いったい、どんな魔法をこころえていたのでしょう。
 杉本さんと小林少年は、テーブルやイスの下はもちろん、部屋のすみずみを、くまなく、さがしまわりました。しかし、仏像はどこにもないのです。
 ふたりは、ゾーッと恐ろしくなってきました。夜光人間は化けものです。窓のそとからのぞいたと見せかけて、じつは、部屋の中へ、はいっていたのではないでしょうか。戸のすきまから、幽霊のように、スウッとはいりこんで、仏像を盗みさったのではないでしょうか。
 そのとき、窓のそとの庭が、にわかにさわがしくなりました。のぞいてみますと、ふたりの刑事が、宙に浮く首を追っかけているのです。
 夜光の首は、口から火炎を吹きながら、立ち木のあいだをぬって、スウッと、空中を飛んでいきます。
 ふたりの刑事は、なにか口々にどなりながら、おそろしいいきおいで、それを追っかけていくのです。

天にのぼる怪人


 あいては魔法つかいのような怪物ですから、窓の戸のほそいすきまから、幽霊のように、部屋の中へはいってきたのかもしれません。そして、透明人間みたいにすがたを消したまま、仏像を盗んで、また、煙のように、部屋を出ていったのかもしれません。
 しかし、仏像は小さいといっても、高さ十五センチ、はば六センチほどあるのですから、これが、窓の戸のすきまなどから、出られるはずがありません。怪物は、銅でできた仏像まで、煙のようなものにかえて、ほそいすきまをとおす術を、こころえていたのでしょうか。
 そのとき、夜光人間の首ばかりが、庭の木のしげみの中へ、ふわふわと、逃げていくのをみつけて、ふたりの刑事がそのあとを追っかけました。
 追っかけながら、ピリピリピリピリ……と、呼びこの笛を吹きならしましたので、うちの中にいた、ふたりの刑事も、庭へとびだしてきました。杉本さんと小林少年も、そのあとから、とびだしました。
 むこうのまっ暗な木立ちの中を、青く光るひとだまのようなものが、宙を飛んでいます。みんなはそのほうへかけつけて、ふたりの刑事といっしょになって、怪物の追跡をはじめました。
 敵はひとり、味方は六人です。しかし、相手はえたいのしれない怪物です。はたして、うまくとらえられるでしょうか。
 青く光る首は、たちならぶ大きな木のあいだを、ぬうようにして、あちこちと、逃げまどっていました。
 六人の追っては、あるときは、ひとかたまりになって、それを追っかけたり、あるときは、ふた手にわかれて、はさみうちにしようとしたり、みんな、くたくたになるまで走りまわりましたが、どうしてもつかまりません。
 そのうちに、ひとだまのような怪物の首は、杉本さんの庭のなかで、いちばん高いヒノキのそばへ、スウッと飛んでいったかとおもうと、そのまま、しげったヒノキの葉の表面をつたって、ぐんぐん、上のほうへのぼっていくのでした。
 六人の追っては、もう、どうすることもできません。ヒノキの根もとに立って、あれよ、あれよと、見あげているばかりです。
 するとそのとき、頭の上から、ケラケラケラケラケラ……という、お化けの笑い声がひびいてきました。首だけの怪物が、笑っているのです。
 青白くリンのように光る顔、巨大なまっ赤な目、赤い炎をはく口、そいつが、五メートルほど上から、こちらを見おろして、ぶきみに、あざ笑っているのです。
 それから、恐ろしいことがおこりました。怪物の首が、ぐらっと、下のほうへ、のびてくるように見えるのです。青白く光るものが、みるみる、下のほうへひろがってくるのです。
 首の下に、怪物の胸があらわれ、肩があらわれ、腹があらわれ、腰があらわれ、二本の足があらわれ、ひとりの人間のすがたになりました。全身が、青白く光りかがやいています。それが、地面から五メートルほどの、ヒノキの葉の表面に、ふわッと浮いているのです。
 青い銀色に光るまっぱだかの人間が、空中ではりつけになっているような感じでした。それが赤い目で、赤くもえる口を、ぱくぱくやって、こちらを見おろして、ケラケラと笑っているのですから、じつに、なんともいえない恐ろしさです。
 やがて、青銀色の怪物が、手足を、もがもがやりはじめ、からだが、くるっとうしろむきになったり、また、前むきになったり、ふしぎな動きかたをしたかとおもうと、怪物は、ヒノキの葉の表面をつたって、また上のほうへ浮きあがっていくのでした。
 そして、ヒノキの頂上までのぼって、しばらくからだを、ふらふらさせながら、ケラケラケラと笑っていましたが、ふしぎなことに、怪物のからだが、だんだん消えていって、あのまっ赤な目の首だけがのこり、つぎには、その首さえも、パッと消えうせてしまいました。
 夜光人間は、ヒノキのてっぺんから、闇の空へまいあがったように見えました。いつかの墓場のときと同じです。怪物は、天にのぼってしまったのです。

チンピラ隊の活躍


 杉本さんと四人の刑事は、しばらく、まっ暗な庭に立ちつくしていましたが、怪物が消えてしまっては、どうすることもできませんので、やがて、みんな、うちの中へひきあげました。このことを警視庁にしらせて、どういうてだてをとればいいかを相談するためです。それにしても、小林少年は、いったいどうしたのでしょう。うちのほうへひきあげたのは、おとな五人だけで、小林君のすがたは見えませんでした。
 小林君は、いつのまにか、そっとおとなたちのそばをはなれて、門のほうへ、さまよい出ていったのです。それは夜光人間が、ヒノキのてっぺんから消えうせるよりも、ずっとまえでした。
 小林君は門のそとに出て、キョロキョロあたりを見まわしました。いったい、なにをさがしているのでしょう。
 すると、道のむこうの、暗闇の中から、小さなもののすがたがあらわれ、チョコチョコと、こちらへかけよってきました。それが、門灯のぼんやりした光の中へ、近づいたのを見ると、小林君よりもずっと小さい少年でした。
 なんて、きたない少年でしょう。顔はまっ黒によごれ、服はぼろぼろで、まるで、こじきの子みたいです。しかし、そのきたない顔のなかに、目だけが、かしこそうに、キラキラと、光っていました。
 少年は、小林君のそばにかけよると、その耳に口をあてて、なにかぼそぼそと、ささやきました。
 ふしぎなことに、小林君は、いっこうにおどろくようすもありません。まじめな顔で、少年のないしょ話を聞いています。
「ね、だから、きっと、あいつが、すべってくるんだよ。これが魔法のたねだよ。」
 きたない少年が、耳から口をはなして、とくいらしく、いうのでした。
「うん、そうか。えらい。さすがはポケット小僧だな。よくみつけた。で、みんなそこにいるんだね。」
 小林君のことばで、少年のすじょうがわかりました。このチビスケは、チンピラ別働隊のポケット小僧だったのです。からだはポケットにはいるくらい小さいけれども、かしこくて、すばしっこいチンピラ名探偵です。
「うん、あすこに、五人まってるよ。みんな、のっぽで、力の強いやつらばかりだよ。」
「よし、行ってみよう。それはどこだい?」
「やしきの裏のほうだよ。さあ、はやくおいで。」
 そして、ふたりは、手をひきあうようにして、闇の中へかけだしていきました。
 やしきの塀を、ぐるッとまわって、裏てに出ると、そこに広い原っぱがありました。
 ポケット小僧は、闇をすかして、原っぱの中を見ていましたが、
「アッ、あそこだ。あそこにかたまって寝そべっている。」
とつぶやいて、小林君といっしょに、そのほうへ近づいていきました。
 よくみると、しげった草の中にチンピラ隊の少年たちが五人、みんな腹ばいになって、身をひそめていました。
 しかし、どうして、こんなところへ、チンピラ隊がきているのでしょう。それは、小林君が、自動車で杉本さんのやしきへくるとき、よりみちをして、チンピラ隊のひとりに連絡しておいたからです。杉本さんのやしきをおしえて、今夜十時まえから、その塀のまわりを、見はるようにいいつけたのです。
 チンピラ隊の少年たちは、みんなすばしっこくて、勇気がありますから、いざというときには、おとなもおよばぬ働きをします。小林少年は、それを知っているので、まんいち、夜光怪人が塀をのりこして逃げるようなばあいにそなえて、数人のチンピラ隊を、塀のそとに待ちぶせさせておいたのです。
 この小林君の計略は、まんまと、ずにあたって、チンピラたちは、闇の原っぱの中で、じつにたいへんなものを発見したのでした。
「ほら、あれだよ。塀の中の木のてっぺんから、ズウッとつづいているだろう。」
 ポケット小僧が、まっ暗な空を指さして、ささやきました。
 そこには、丈夫なほそびきが二本、ななめに空をよこぎっていました。やしきの中のいちばん高い木のてっぺんから、原っぱのまん中の、チンピラたちが寝そべっている草の中まで、つづいています。
 小林君が、その草の中をしらべてみますと、ふとい棒が、土の中につきさしてあって、その棒にほそびきのはしを、むすんであることがわかりました。
「ね、夜光人間は、あの木のてっぺんから、このほそびきをつたって、すべりおりてくるにきまっているよ。空へ消えてしまうなんて、うそっぱちだよ。いつかのお寺の墓場の木の上から消えたのも、きっと、このやりかただったんだよ。」
 ポケット小僧がささやきました。小僧は墓場のできごとを見たわけではありませんが、聞きつたえて知っていたのです。
「うん、そうかもしれないね。きみたちは、よくこれを見つけたね。感心だよ。あいつは、いま、この塀の中で、刑事さんたちに追っかけられている。きっと、あの木のてっぺんへのぼるにちがいない。そして、このほそびきをつたって、すべりおりるつもりだろう。ポケット君、このほそびきが、なぜ二本あるか、きみにわかるかい?」
 小林少年が、やっぱり、ささやき声でいいますと、ポケット小僧は、すぐに、
「そりゃ、わかってるさ。一本の長いほそびきを輪にして、あの木のてっぺんの枝にかけてあるんだよ。そしてね、あいつが、ここまで、すべってきたら、この棒にくくりつけてあるのを、ほどいて、一方のほそびきをひっぱれば、ぜんぶ、ここへたぐりよせられるじゃないか。そうすれば、あとに、なんの証拠ものこらないんだからね。うまく考えやがったね。ふふん。」
と、なまいきな口をきくのでした。
 そこで、小林君も、ポケット小僧も、草の中に身をふせて、夜光人間が、すべってくるのを待ちかまえました。
「あいつが、すべってきたら、みんなで、とびかかって、つかまえちまうんだよ。わかったね。こっちは子どもでも、七人もいるんだからね。いくらあいつが強くっても、だいじょうぶだよ。
 だが、注意しなきゃいけない。もし、あいつが、ピストルを持っていたら、あぶないからね。あいつは、ほそびきをほどくために、両手をつかうだろうから、そのときに、とびかかるんだ。ポケットから、ピストルや短刀なんか取りださないうちに、両手をつかんでしまうんだ。わかったね。」
 小林君がささやきますと、寝そべっているチンピラたちは、口々に、「うん、わかった。」と、たのもしげに答えるのでした。

怪人のおくの手


 それから、どれほどたったでしょう。ほんとうは、五分ぐらいだったかもしれません。しかし、少年たちは、まるで、一時間もたったような気がしました。
 そのとき、やっと、手ごたえがあったのです。少年たちは、ほそびきが、ぴんとはりつめて、草をはねのける音をききました。
 もう、声をたてることはできません。みんな、おたがいの手にさわって、しっかりしろと、はげましあいました。そして、草の中に寝そべったまま、ほそびきの上のほうを、じっと、見つめるのでした。
 はりつめたほそびきが、びんびんと音をたててゆれました。アッ、すべってきます。まっ黒なやつが、二本のほそびきをつたって、サーカスの曲芸師のようにすべってきます。
 少年たちは、草の中に、からだをおこして、いつでも、とびかかれるよういをしました。
 どしんと、地ひびきをたてて、黒いやつが、しりもちをつきました。しかし、すぐに、サッと、とびおきて、ほそびきを、ほどこうとしています。
 怪物は、ぴったりと身についた黒いズボンをはき、黒いたびをはき、顔も黒いきれでつつみ、肩には、黒いみじかいマントのようなものを、はおっていました。巨大なコウモリのようなかっこうです。
 その怪物が、地面につきさした棒のところにしゃがんで、ほそびきを、ときにかかりました。その手もまっ黒です。黒い手袋をはめているのでしょう。
 怪物のからだは、一センチもあまさず、黒いきれで、かくされています。青銀色に光るからだを見せないために、どこからどこまでも、おおいかくしているのです。
 さっき、ヒノキのてっぺんで、夜光人間が、だんだん消えていったのは、黒いズボンをはき、黒いシャツを着、黒いマントをはおって、つぎつぎと、光るからだをかくしていったからです。
 そのとき、小林君は、そばにうずくまっていたチンピラたちのからだをたたいて、あいずをすると、パッととびおきて、怪物にしがみつきました。
 チンピラたちも、おくれてはいません。小林君といっしょに、怪物の両方の手にとびかかっていきました。
「ワアッ!」
 このふいうちに、怪物は、びっくりして、おもわず叫び声をたてたのです。
 それから暗闇の草の中で、恐ろしい組みうちがはじまりました。怪物の右の手に四人、左の手に三人の少年が、ぶらさがっていましたが、組んずほぐれつするうちに、いくども手をふりほどかれました。
 しかし、いくらふりほどいても、つぎの瞬間には、少年たちが取りついていました。
 さすがの怪物も、だんだん弱ってきたようです。もうふりほどこうとしません。
 そのとき、小林少年は、七つ道具のひとつの、呼びこの笛を取りだして、ピリピリピリピリ……と吹きならしました。やしきの中の刑事たちに、応援をたのむためです。
「さあ、みんな、もうけっして、手をはなすんじゃないよ。こいつを、このまま門のほうへ、ひっぱっていくんだ。そして、刑事さんたちに、引きわたすんだ。」
「うん、だいじょうぶだ。もうはなすもんか。」
 チンピラたちは、口々にそう答えながら、一生けんめいに、怪物の両手にしがみつくのでした。
 しがみついたまま、少年たちは、やしきの門のほうへ歩きだしました。子どもといっても、七人の力ですからかないません。まっ黒な怪人は、両手を引っぱられるまま、しかたなく、少年たちについてきます。
 しかし、怪物は盗みだした推古仏を、いったいどこに、かくしているのでしょう。両手に持っていないことはいうまでもありません。もし、そのとき、小林君が怪人のからだをさがしたら、シャツのポケットかなんかに、あの仏像をいれてあるのを、取りもどすことができたのかもしれません。高さ十五センチの小さい仏像ですから、どこへでもかくせるのです。
 ところが、小林君は残念なことに、怪人を刑事たちに引きわたすことで、心がいっぱいになっていて、そこまで考えるゆとりがないのでした。
 七人の少年たちは、怪物の両手にしがみついて、ぐんぐん、ひっぱっていきました。原っぱをでて、やしきの横丁へまがりました。
 そのときです。
 じつに、おどろくべきことが、おこったのです。夜光人間は、最後のおくの手をだして、奇々怪々の魔術をつかったのです。
「ギャッ!」
という恐ろしい叫び声がひびきわたり、七人の少年たちは、かさなりあって、地面にたおれていました。
 いったい、どうしたのでしょう。怪物に七人の少年をつきとばすような力が、のこっていたのでしょうか。
 いや、そうではありません。少年たちは、怪物の手にしがみついたまま、いちども、はなさなかったのです。いまも、そのまま、しがみついているのです。
 それなのに、どうして、たおれたのでしょうか。怪物がさきにたおれて、そのいきおいで、みんなをたおしたのでしょうか。
 いや、そうでもありません。怪物はもう、そこにはいなかったのです。闇にまぎれて、うしろのほうへ、原っぱのほうへ、逃げさってしまったのです。
 それとわかれば、すぐに、とびかかっていったのでしょうが、少年たちは、すこしも気がつきませんでした。
 なぜといって、少年たちは、怪人の右手に四人、左手に三人、いまでもまだ、しがみついていたからです。
 これはいったい、どうしたというのでしょう。怪物の両手が、すっぽりと、ぬけてしまったのです。そのいきおいで、少年たちは、おりかさなって、たおれてしまったのです。
 両手をきりはなして逃げていくなんて、いくら化けものでも、へんではありませんか。
 小林君は、やっと、そこへ気がついて、にぎっている怪人の手をしらべてみました。
 その手には、黒いシャツが、ぴったりくっつき、その上に黒い手袋をはめていました。いそいで手袋をはずしてみると、中から、ビニールでこしらえた人形の手が出てきたではありませんか。
 ああ、なんということでしょう。暗闇の原っぱで、組みあっているあいだに、悪がしこい怪物は、こういうときの用意に、マントの中につりさげていた人形の腕を、少年たちににぎらせてしまったのです。そして、さもじぶんの手のように、ここまでひっぱってこられたとき、ふいに人形の手をはなして、少年たちをころばせたのです。
 少年たちは、やっと、そこへ気がつきましたが、怪人はとっくに、闇のかなたに消えうせていました。いまさら追っかけても、とても見つけだせるものではありません。

深夜の客


 明智探偵の少女助手マユミさんは、探偵事務所に、ひとりぼっちで、るす番をしていました。
 明智先生は旅行中ですし、少年助手の小林君は、世田谷の杉本さんのうちへ出かけて、るすなのです。
 小林君が出かけたのは、ばんの七時半ごろでしたが、いまはもう十一時すぎです。ひょっとしたら、こんやは杉本さんのうちに、とまるかもしれません。
 マユミさんは、心配で眠る気にもなれません。いまにも小林君が帰ってくるかと、心まちにしながら、応接室の長いすに腰かけて本を読んでいました。
 そのとき、入口のドアに、コツコツと、ノックの音がしました。
「どなた?」
といっても、なにも返事をしません。探偵事務所へは、夜ふけでも、急な事件をたのみにくる人がありますから、これも、そういうお客さまかもしれません。
 マユミさんは立っていって、ポケットのかぎで、ドアをひらきました。ひとりぼっちなので、用心のために、かぎをかけておいたのです。
 ドアをひらくと、そこに、みょうな男が立っていました。まっ黒な背広を着て、まっ黒なとりうち帽をかぶり、へんに青白い顔をした、ぶきみな男です。
「どなたですか。」
 マユミさんが、うたがわしそうに、たずねますと、その男は、
「こちらの助手の小林君から、たのまれたのです。至急、お知らせしたいことがあるのです。」
といって、はいれともいわないのに、つかつかと、部屋の中へはいってきました。
 マユミさんは、しかたがないので、男にいすにかけるようにすすめ、じぶんも、もとの長いすに腰かけました。
「小林さんは、いま、どこにいるのでしょうか。」
「世田谷の杉本という金持ちのうちの庭にいますよ。」
 男が、なんだか、あざ笑っているような声で答えました。
 それにしても、この男は、なんというへんな顔をしているのでしょう。生きた人間の顔とは思われません。お面のようです。しかしお面ならば、目も口も動かないはずですが、この男の顔は、ものをいうたびに動くのです。まばたきもしています。それでいてお面の感じなのです。どうしても人間の顔ではないのです。それに、この男は、いすにかけても、黒いとりうち帽をとろうともしません。なんて無作法なやつでしょう。
 マユミさんは、なんだか、ゾウッとこわくなってきましたが、弱みを見せてはいけないと、しっかりした口調で聞きかえしました。
「小林さんが、杉本さんのお庭にいるとおっしゃるのですか。どうして、庭なんかにいるのでしょう?」
 すると男は、にやにやと、ぶきみに笑いました。
「夜光人間に逃げられてしまったのですよ。それでも、小林君は、なかなか、かしこい少年です。夜光人間が杉本さんの宝物を盗んでから、どうして逃げるかということを、ちゃんと見ぬいていたのですよ。そして、チンピラ隊を引きつれて、杉本さんの塀のそとの原っぱに、待ちぶせしていました。
 七人の子どもが、待ちぶせしていたのです。夜光人間は、その七人に、両腕にぶらさがられて、身動きもできなくなってしまいました。」
「まあ、やっぱり、小林さんは、えらいわねえ。ちゃんと、チンピラ隊をつれていったのね。」
「そうですよ。あのチンピラ隊の子どもたちは、へいきで、おとなにむかってくるし、ネコのように、まっ暗なところでも、目が見えるのです。それに力もなかなか強いのです。」
「で、夜光人間は、あの子どもたちにつかまったのに、どうして、逃げることができたのですか。」
「ウフフフフフ……、おくの手があったのですよ。夜光人間には、いつも、おくの手があるのですよ。どんなおくの手だったと思いますね。ウフフフ……、夜光人間は四本の手を持っていたのですよ。」
「エッ、四本の手って?」
「二本は、ほんとうの、ほら、この手です。」
 男はじぶんの両手を、ぬっと、前に出してみせました。ふしぎなことに、この男は、部屋へやの中でも手袋をはめていました。灰色の長い手袋で、手首のおくのほうまでかくれています。
 帽子も取らないし、手袋もはめたままで、顔には、なにかやわらかいお面をかぶっているとしかおもえません。この男は、頭も、顔も、手も、すっかりかくしてしまっているのです。なぜでしょうか。これにはなにか、深いわけがあるのでしょうか。
 男はやっぱり、にやにや笑いながら話しつづけます。なぜか、男のことばが、やにわにぞんざいになってきました。
「あとの二本はにせものだよ。夜光人間は、用心ぶかいのだ。いつ、つかまってもいいように、ちゃんと、にせものの腕を、マントの下にぶらさげて用意しているのだ。こんやも、チンピラ隊のやつらに、そのにせの腕をつかませたのさ。
 にせの腕といっても、あついビニールでつつんであるので、人間の腕と同じように弾力がある。それに、洋服の腕のところだけをかぶせ、手袋がはめてあるから、まっ暗な中では、とても、気がつくものじゃない。ウフフフ……。
 右の手に四人、左の手に三人、チンピラどもが、取りついてはなれない。夜光人間は負けたようにみせかけて、チンピラどもに、ひっぱられていったが、おもいきりひっぱらせておいて、にせの手を、パッとはなしたのだ。
 チンピラどもは、将棋しょうぎだおしさ。いきおいあまって、かさなりあって、たおれてしまった。
 それでも、まだ気づかないで、二本のにせの腕にしっかりだきついたまま、たおれている。そのすきに、夜光人間は、闇にまぎれて逃げだしてしまったのさ。ハハハハハ……、どうだね、夜光人間のこの腕まえは、すばらしいとは思わないかね。え、マユミさん。」
 そのとき、男が大声で笑った顔の恐ろしさ。お面のような顔に、キューッと大きなしわがよって、グニャグニャと、異様に動くきみわるさといったらありません。
 マユミさんは、まっ青になって、おもわず長いすから立ちあがりました。
「あんたは、だれなの? いったい、だれなの?」
と叫ぶように、たずねるのでした。

ビニール仮面


「わしかね。わしがだれだか知りたいというのかね。」
 男は、ぐっと声をひくくして、ヌウッとお面のような顔を前につきだしました。
 マユミさんは、おびえきって、いまにも逃げだしそうになるのを、やっと、ふみこたえています。もう返事をする力もありません。
「ウフフフ……、わしの顔を、よく見なさい。これは、わしのほんとうの顔じゃない。面をかぶっているのだ。だが、きみは、こんなやわらかい面を、まだ見たことがないだろうね。
 二、三年前に、こういうやわらかい面が、フランスから輸入されて、日本でも売りだされたことがある。それは、道化師のようなおどけた顔ばかりだったが、わしは、あれにならって、あれよりも、もっと上等の面をつくらせたのだ。
 この面は、ビニールでできているんだよ。だから、顔にぴたりと吸いついて、顔の肉が動けば、そのとおりに、この面も動く。
 口と目のところは、くりぬいてあって、ものをいえば口が動くし、目のあなの中で、まばたきすれば、面がまばたきしているように見えるのだ。
 ところで、マユミさん、わしが、なぜ、こんな面をかぶっているか、わかるかね。
 いうまでもなく、顔をかくすためだよ。マユミさん、この面の下に、どんな顔が、かくされていると思うかね?」
 男は、かんでふくめるように、ゆるゆると説明しました。マユミさんは、お面にかくされている顔のことを思うと、からだがしびれたようになって、身動きすることもできません。
「ウフフフ……、よく見なさい。こうしてはがせば、面は取れてしまうのだよ。」
 男は、すくっと立ちあがって、黒いとりうち帽を取りますと、ふさふさとした、黄色っぽい髪の毛があらわれました。それから、両手の指を、ひたいの上にかけて、やわらかいお面を、くるくるっと、はぎとってしまったのです。
 すると、その下から、なんともいえない、いやな感じの黄色い顔が出てきました。
「あかるくては、よくわからない。電灯を消すよ。」
 男はそういって、壁のところへとんでいって、スイッチをおしました。パッと電灯が消えて、部屋のなかはまっ暗闇になったのです。
 暗闇のなかで、ボウッと、まるいものが宙に浮いています。青い銀色に光った、顔のようなものです。
 大きな目が二つ、まっ赤な血の色にかがやき、グワッとひらいた口の中が、火のようにもえています。……ああ、夜光人間です! 夜光人間の首ばかりが、ふわッと空間に浮きあがっているのです。その首が、ケラケラケラと、お化けの声で笑いました。
「マユミ、わしが、なぜここへきたか、わかるかね。べつに、きみをどうこうしようというのじゃない。明智は、るすだそうだが、帰ってきたら、きみから、わしのことばを、つたえるのだ。わしは、明智に、それをいうために、わざわざ、やってきたのだ。
 わしは今夜、杉本の宝物をうばいとった。そして、小林やチンピラ隊をひどいめにあわせてやった。
 このつぎは、あさっての晩だ。麻布山下あざぶやました町の赤森あかもり家の宝物を手にいれてみせる。赤森家には、中国の大むかしの白玉はくぎょくの仏像が五つそろっている。てのひらにのるような小さなものだが、天下にひびいた名宝だ。わしは、まえから、これを手にいれたいと思っていた。それを、あさっての晩に、ちょうだいにあがるのだよ。
 赤森家にも、きみから、そうつたえてくれ。明智もあさっては帰ってくるかもしれない。帰ったら明智にも、このことを知らせるのだ。そして、じゅうぶん白玉をまもるがいい。だが、いくら明智が名探偵でも、夜光人間の魔力には、かなわないだろうと、そうつたえてくれ。わかったか。」
 ああ、夜光人間は、またしても、どろぼうの予告をしているのです。しかも、わざわざ、名探偵明智小五郎の事務所へやってきて、ふせげるものならふせいでみよ、と、からかっているのです。
 夜光人間とは、いったい何者でしょう。この怪物は、世間に知られた宝物ばかりねらっているようです。化けもののくせに、美術品をほしがるなんて、なんだかへんではありませんか。
 そういう有名な美術品は、だれでも知っているのですから売ろうとすれば、すぐにばれてしまいます。売ってお金にすることはできないのです。夜光人間は、お金がほしいのではなくて、美術品そのものを愛しているとしか考えられません。お化けどろぼうにもにあわない、ふしぎなのぞみをもっているやつです。

密室の怪人


 青銀色に光る夜光人間の首が、まっ暗な部屋の空間を、ふわふわとただよいながら、恐ろしい予告をしているあいだに、マユミさんは、あいてにさとられぬよう、じりじりと、入口のドアのほうへ近よっていました。そして、怪人のことばがおわるといっしょに、パッとドアをあけて廊下にとびだし、てばやくドアをしめて、ポケットのかぎで、そとから、カチンと、錠をおろしてしまいました。
 さすがは探偵助手のマユミさんです。怪物をむこうにまわして、りっぱに、たたかったのです。怪物を、応接室に閉じこめてしまったのです。
 応接室には、入口のドアのほかに、明智の書斎につうじる、もう一つのドアがありましたが、そのドアは、小林少年が出ていったあとで、かぎをかけてしまいました。
 ですから、応接室からぬけだす道は、おもてのひろい道路にむかっている、二つの窓しかありません。ところがこの部屋は、鉄筋コンクリートだての高い二階にあるのですから、窓からとびおりたら、けがをするにきまっています。
 たとえ、うまくとびおりたとしても、おもての道路には、まだ人通りがあります。みつからないで逃げだすなんて、とてもできるものではありません。夜光人間は、マユミさんのために、密室に閉じこめられたも、どうぜんなのです。
 マユミさんは、すぐに、となりに住んでいる人を呼んで、夜光人間のことを知らせました。すると、二階じゅうの人が集まってきて、探偵事務所へ出入りできるぜんぶのドアの見はりをしてくれました。たとえ、夜光人間が書斎のドアをやぶって、べつの出入り口から逃げようとしても、こんなにおおぜいの見はりがついていれば、どうすることもできません。
 マユミさんは、みんなに見はりばんをたのんでおいて、おとなりの電話をかりて、まだ世田谷の杉本さんのうちにいる小林少年と、それから、警視庁の一一〇番へ、このことを知らせました。一一〇番へ電話をかければ、近くをまわっているパトロール=カーが、すぐにかけつけてくれるのです。ながくて五、六分、早いときには二、三分でやってきます。
 二階じゅうの人が、明智の部屋のまえの廊下に集まって、きみわるそうに、ひそひそと、ささやきかわしながら、閉めきったドアを見つめています。
 そうして、三分もたったでしょうか。おもてのほうから、かすかに、ウー……、ウー……という、サイレンの音が聞こえてきました。
「アッ、パトロール=カーだ。やっと、きてくれたぞ。」
 みんなは、たのもしそうに、ささやくのでした。
 マユミさんは、階段をかけおりて、アパートの玄関へいってみますと、おもてに白い警視庁の自動車がとまっていて、中からふたり警官が出てくるところでした。
 パトロール=カーには、警官がふたりしかのっていません。運転はそのうちのひとりがやるのです。夜光人間と聞いているので、自動車をからっぽにしておいて、ふたりとも、とびだしてきたのでしょう。マユミさんは、じぶんの名をつげて、ふたりを二階へ案内しました。
 警官たちはドアの前につきすすみ、マユミさんのかぎをかりて、ドアをそっとひらき、すきまから、暗闇の部屋をのぞいてみました。
「なにもいないじゃないか。その光った首というのは、どのへんにいたんだね。」
 マユミさんも、のぞいてみました。ただまっ暗です。夜光の首は、どこにも見えません。
「あら、どうしたんでしょう。どっかに、かくれているのかもしれませんわ。電灯を……。」
 マユミさんは、ドアのすきまから手をいれて、壁のスイッチをおしました。
 パッと、まひるのように明るくなった部屋の中。机の下にも、長いすの下にも、入口から見たところでは、どこにも人のすがたはありません。
 書斎につうじるドアも、ぴったりしまったままで、そちらへ逃げたようすもないのです。
「おかしいな。はいってみよう。」
 警官たちは、そういって、ドアをいっぱいにひらくと、明るい応接室へはいっていきました。そして、人間のかくれられそうなところは、ぜんぶしらべ、マユミさんのかぎで、ドアをひらき、となりの書斎や、そのほかの部屋も、くまなくさがしましたが、怪人は、まったく、消えうせてしまっていることがわかりました。
 警官たちは、もとの応接室にもどって、道路にむかっている窓のそばに立ち、ひらいたままのガラス戸に目をつけて、マユミさんにたずねました。
「この窓は、あなたが、部屋にいるときから、ひらいていたのですか。」
「いいえ、ちゃんと閉めてありました。カーテンもひいてありました。じゃあ、もしかしたら……。」
「いや、ここから、とびおりることは、むずかしいでしょう。また、つたっておりるような足がかりもない。それに、そとの大通りには、まだ人が通っているのだから。」
 警官のひとりは、窓から半身をのりだし、建物の壁をながめながら、いうのです。
 ああ、またしても、夜光怪人は、ふしぎな魔法をつかいました。まったく出入りのできない部屋の中から、煙のように消えてしまったのです。
 そのとき、入口のドアのそとで、ただならぬ人声がしました。
 警官やマユミさんがふりかえると、廊下に集まっている人々をかきわけるようにして、アパートの事務員が、ひとりの男といっしょにはいってきました。
 それはベレー帽をかぶって、黒ビロードのだぶだぶした服を着た、画家のような男でした。
「この人が、見たというのです。夜光人間が、窓から出て、空へのぼっていくのを見たというのです。」
 事務員は息をきらして、報告しました。それを聞くと、ふたりの警官は目をまるくして、そのベレー帽の男の顔を、あなのあくほど見つめるのでした。

幽霊怪人


 そのベレー帽の男は、近くにすんでいる榎本えのもとという洋画家でしたが、表通りを歩いていますと、明智探偵事務所の窓から、青白く光るひとだまのようなものが、スウッと飛びだして、屋根のほうへのぼっていくのに気づいたのです。
 その表通りには、夜ふけでもちらほらと人通りがありましたが、だれも上のほうを見ていなかったので、気がつかなかったのです。ただ、画家だけが、それを見たのです。
 はじめは、ほんとうのひとだまかと思いましたが、スウッと、空へのぼっていくのをよく見ますと、青白く光ったまるいものに、まっ赤な大きな目が、かがやいていますし、耳までさけた口が、火のようにもえているのがわかりました。
 画家の榎本さんは、夜光人間のことを新聞で読んでいましたので、この光る首は夜光人間にちがいないと思い、いそいで、うちの中へかけこんで、そのことを知らせたのです。
 そこで、おまわりさんたちは、すぐに表に出て、屋根を見あげましたが、もうそのときには、光る首はどこにも見えませんでした。
 夜光人間は幽霊のように、じゆうじざいに飛びまわるやつですが、やっぱり人間にはちがいないのですから、なにか、しかけがなくては、空へのぼれるわけがありません。
 きっと、なかまのやつが、屋根の上にかくれていたのです。そして、ほそくて丈夫なひもを、屋根から明智事務所の窓のそとへたらしていたのです。
 光る首ばかりを見せた夜光怪人は、そのひもにつかまって、窓のそとへ出たのでしょう。それを、なかまのやつが、屋根の上へ、ずるずると引きあげ、そのまま、ふたりは、屋根づたいに、どこかへ、逃げてしまったのにちがいありません。

暗闇の待ちぶせ


 それから二日め、いよいよ麻布の赤森さんのうちへ、夜光怪人がやってくる日になりました。
 赤森さんは、マユミさんから知らせをうけたので、すぐに警察にとどけて、その日は明るいうちから、五人の刑事に家のうちそとを、まもってもらうことにしました。
 また、
「明智先生が旅行からお帰りになったら、すぐきてくださるように。」
と、たのんでありました。そして、それまでのあいだ、小林少年が、宝物の見はりをすることになっていました。
 すると、夕がたになって、赤森さんの玄関へ、黒い背広を着た、せいの高い紳士があらわれました。それが、旅行から帰った明智小五郎名探偵だったのです。
 女中さんがとりつぎますと、主人の赤森さんがおどろいて、玄関へ出てきました。そして、ていねいに応接間へとおして、お茶やおかしをだして、もてなすのでした。
 赤森さんは、まえには手びろく貿易商をやっていたのですが、いまは引退して、美術品をあつめるのを、たのしみにしているお金持ちで、六十歳ぐらいのでっぷりふとった、りっぱな人です。
「夜光人間が今夜、こちらへしのびこむとききましたので、旅行から帰ると、すぐにかけつけたのです。うちの小林がきているそうですが、どこにいるのでしょうか。」
 明智が、たずねますと、赤森さんは、
「美術室で、見はりをしていてくれるのです。先生も、あちらへ、おいでくださいませんか。」
「ええ、そうしましょう。小林にかわって、ぼくが、見はりをひきうけますよ。」
 そこで、ふたりは、おくまった美術室へはいりました。
 ひろい部屋の壁いっぱいに、大小さまざまの洋画の額がかけならべられ、ガラス戸だなが、ずらっとならんでいて、そのなかに、うつくしい彫刻や、西洋のつぼや、花びんなどが、おさめてあります。
 ふたりがはいっていきますと、まん中のテーブルに腰かけていた小林少年が、
「あ、先生!」
といって立ちあがりました。
「あとは、ぼくがひきうけるから、きみは事務所へ帰ってくれたまえ。しかし、いつ電話で連絡するかもしれないから、事務所を出ないようにね。」
 小林君はそれを聞くと、ちょっとへんな顔をしましたが、先生の命令ですからしかたがありません。そのまま一礼して、部屋を出ていきます。
「ところで、赤森さん。その白玉の彫刻というのは、どこにしまってあるのですか。」
「あれです。あのガラス戸だなの上の段にならべてあります。わたしのもっている美術品のうちでは、いちばん値うちのあるものです。夜光怪人がこれをねらったのは、なかなか、目がたかいですよ。あいつは、めずらしい美術品が、どこにあるかということを、よく知っているらしいですね。」
 明智探偵は、そのガラス戸だなのそばによって、五つの白玉の宝物を、つくづくとながめました。
「なるほど、これはすばらしい。ぼくは、こんなうつくしい彫刻は見たことがありませんよ。」
と感じいったようすです。
 それから、ふたりは、まん中のテーブルに向かいあって腰かけ、しばらく話をしていましたが、
「こんやは、ぼくが、この部屋にかくれていることにしましょう。あなたは、ごじぶんの部屋へ、おひきとりくださって、けっこうです。ぼくひとりのほうが、つごうがいいのですよ。あとで、庭にいる刑事たちとも、うちあわせをして、あいつがやってきたら、ひっとらえる計画をたてます。じつは、ひとつ、うまい考えがあるのですよ。」
 明智のたのもしげなことばに、赤森さんはすっかり安心して、
「どうかよろしくねがいます。日本一の名探偵といわれる先生に、見はりをしていただければ、こんな心じょうぶなことはありません。では、わたしは、あちらの部屋におりますから、ご用があったら、いつでも、ベルをおしてください。」
「それでは、この部屋のドアのかぎをおかしください。中からかぎをかけて、だれもはいれないようにしておきたいのです。」
 赤森さんは、部屋のすみの戸だなのひきだしから、かぎをとりだして、明智探偵にわたし、そのまま、ドアのそとへ出ていきました。
 あとに残った明智探偵は、入口のドアにかぎをかけてから、庭にめんした窓のところへいって、そとをのぞきました。
 すると、ちょうどそこへ、ひとりの刑事がとおりかかりましたので、明智はその名をよび、刑事が、窓の近くへよってくるのを待って、ひそひそと、なにかささやきました。それは警視庁の中村警部の部下の刑事で、明智探偵は、よく知っていたのです。
 刑事が、うなずいて立ちさりますと、明智は窓をしめ、かけがねをはめて、しばらく部屋の中を見まわしていましたが、すみにおいてある木の戸だなと壁のあいだに、すこし、すきまがあるのを見つけ、からだを横にして、そこへかくれてしまいました。
 それから一時間あまり、なにごともなくすぎさりました。
 部屋の中は、しいんと、しずまりかえって、まったく、からっぽのように見えます。ドアや窓には、みな、うちがわから、しまりがしてあります。
 もし夜光人間が、どこかをこじあけて、はいってくれば、すぐにわかりますから、明智探偵は、かくれ場所からとびだして、つかまえる。
 庭やうちの中の廊下には、五人の刑事がかくれていますから、さわぎがおこれば、すぐにかけつけてくる、というてはずなのです。
 やがて、窓のそとに夕やみがせまり、みるみる日がくれて、庭は、まっ暗になってしまいました。部屋の中も、電灯をつけないので、しんの闇です。
 その暗闇の中で、明智探偵は、タバコを吸うのもがまんして、しんぼうづよく待ちぶせしていました。
 庭の見はりをうけもっている三人の刑事は、ばらばらに分かれて、木のしげみにかくれ、じっと、あたりに気をくばっていました。
 すると、まっ暗な庭の立木のあいだに、青白い光りものが、フワッと浮きだしてきたではありませんか。夜光怪人の首です。大きな赤い目が、らんらんとかがやき、耳までさけた口が、火のようにもえています。
 しかし、それをみても、刑事たちは、かくれ場所からとびだしません。怪物が美術室へしのびこむのを待っているのです。明智探偵が怪物をとらえて、あいずをするまで、けっしてさわがないようにと、いいつけられていたからです。
 首ばかりの夜光人間は、ふわふわと宙をただよいながら、美術室の窓のほうへ近づいていきます。
 木かげに身をひそめた三人の刑事は、じっと、それを見おくっていましたが、光る首は窓のところまでいくと、ふっと、かき消すように見えなくなってしまいました。
 幽霊のように、ガラスをとおりぬけて、部屋の中へはいっていったのでしょうか。どうも、そんなふうに感じられるのです。
 三人の刑事は、いまにも部屋の中から、明智探偵との取っくみあいの音が、聞こえてくるのではないかと、耳をすまして待ちかまえました。

名探偵の危難


 そのとき、美術室の前の廊下には、ふたりの刑事が、ものかげにかくれて、じっと息をころしていました。
 すると、とつぜん、美術室の中から人の声が聞こえ、どたんばたんと、取っくみあっているような物音がひびいてきました。
 いよいよ夜光怪人がやってきたので、明智探偵が、とらえようとしているのかもしれません。
 ふたりの刑事は、いそいで美術室の前にいき、ドアをひらこうとしましたが、中からかぎがかかっていて、びくとも動きません。
 刑事たちは、どんどんとドアをたたきながら、大声で明智探偵に呼びかけました。
「先生、あいつがやってきたのですか。ここをあけてください。」
 しかし、中からは、なんの答えもないのです。明智は怪人と取っくみあっていて、返事をすることもできないのかもしれません。
「明智先生! どうされたのです? 相手がてごわいのですか。このドアをあけることはできませんか。」
 中では、やっぱり無言のまま、どたんばたんという恐ろしい物音がつづいています。ハッ、ハッ、という、はげしい息づかいまで聞こえてくるようです。
「明智先生は、やられているのかもしれないぞ。からだでぶつかって、ドアをやぶろうか。」
「いやまて、それよりも合いかぎのほうがはやい。ぼくがご主人を呼んでくるから待っててくれ。」
 ひとりの刑事が、そう叫んで、奥のほうへかけだしていきましたが、やがて、主人の赤森さんをつれてもどってきました。
 赤森さんは、用意してきた合いかぎで、すぐにドアをひらきました。
 ふたりの刑事は、そこからとびこんでいきましたが、まっ暗で、なにがなんだかわかりません。
「ご主人! スイッチはどこですか、電灯をつけてください。」
 その声に、赤森さんも部屋の中へふみいり、手さぐりで電灯のスイッチをおしました。パッと明るくなった部屋の中。
「アッ、明智先生が……。」
 三人は、たおれている明智探偵のそばへかけよりました。名探偵は、ぐったりとなって、気をうしなっているようです。
「明智先生! しっかりしてください。」
 だきおこして、ゆすぶっても、目をふさいだまま、てごたえがありません。
 しかし、あいてはどこへいったのでしょう。
 部屋の中には明智のほかに、だれもいないのです。
 そのとき、庭にめんした窓のガラスを、コツコツと、たたく音が聞こえました。みると、庭にいた三人の刑事の顔が、ガラスのそとに、かさなりあっています。電灯がついてから、こちらの刑事たちのすがたが見えたので、かけつけてきたのでしょう。
 部屋の中の刑事が、かけがねをはずして窓をひらきますと、三人の刑事は窓をのりこえて、部屋の中にはいってきました。
 みんなで、明智探偵を取りかこんで、名を呼んだり、からだをゆすったりしていましたが、すると、名探偵はやっと正気づいて、目をひらき、キョロキョロと、あたりを見まわすのでした。
「あいつは、とらえましたか……。」
 明智が、顔をしかめながら、力のない声でたずねます。
「あいつって、夜光怪人のことですか。」
 明智は、「もちろん。」といわぬばかりに、うなずいてみせます。
「ぼくたちが、はいってきたときには、もうだれもいなかったです。……しかし、どこから逃げたのかな。ドアにも窓にも、ちゃんとしまりができていたのに……。」
 すると、庭にいた刑事のひとりが、それをひきとって、
「そういえば、もっとへんなことがある。ぼくたちは、夜光怪人の首が、あの窓のところへ飛んでくるのを見ました。そして窓の前で、スウッと消えてしまったのです。それにしても、しまった窓から、どうして部屋の中へはいったのか、じつにふしぎです。あいつは、やっぱり幽霊みたいに、ガラスをとおりぬけて、はいったのでしょうか。」
と、おびえたような顔をしています。
「明智先生、ほんとうに、あいつを、つかまえられたのですか。」
「うん、つかまえることは、つかまえたんだが、おそろしく力の強いやつで、取っくみあっているうちに、うしろむきにたおされ、そのとき、ひどく頭をうって、つい気をうしなってしまった。」
「それで、あいつは、光った首だけを、あらわしていたのですか。」
「いや、全身に、まっ黒なものを着ていた。顔も黒い覆面ふくめんで、かくしていた。暗闇の中へ影法師かげぼうしみたいなやつが、ヌーッとはいってきたんだよ。
 窓のところで、光る首が消えたというのは、そこで黒い覆面を、かぶったのにちがいない。それにしても、しまったままの窓から、どうして中へはいったのか。その秘密は、ぼくにもわからないのだ。」
 そのとき、部屋のいっぽうで、赤森さんのけたたましい声が聞こえました。
「アッ、白玉の彫刻がないッ! 五つとも、なくなっている。」
 みんなが、ガラス戸だなの前に集まりました。
 みると、そこの陳列だなが、からっぽになっているのです。夜光怪人は、約束どおり、赤森さんの宝物を盗みさったのです。
「赤森さん、もうしわけありません。ぼくの計略が、まちがっていました。ドアにかぎをかけたのがいけなかったのです。ドアさえあいていれば、刑事諸君が助けてくれたでしょうから、あいつをとらえるのは、わけなかったのです。明智小五郎、一生の大失敗でした。しかし、これで負けてしまうつもりはありません。きっと白玉の彫刻を取りかえしてお目にかけます。十日ほど、ゆうよをください。かならず、この恥をすすいでみせます。」
 明智探偵は、頭のきずをおさえながら、もうしわけなさそうにいうのでした。
 それからまもなく、明智探偵は、しょんぼりしたすがたで、赤森さんのうちを出ると、自動車にも乗らず暗いやしき町を、とぼとぼと歩いていきました。ところが、そのとき、みょうなことが起こったのです。
 明智のとおりすぎた道の電柱の下に、ひとりのこじきが、うずくまっていましたが、そいつが、スックと立ちあがって、探偵のあとをつけはじめたではありませんか。
 暗いので、よくわかりませんが、ぼろぼろの服をきた、からだの小さいこじきです。尾行にはなれているとみえて、あいてに気づかれぬよう、うまくあとをつけていきます。

ふしぎな家


 このこじきの少年は、いったい、何者でしょう。
 なぜ明智探偵のあとをつけていくのでしょう。
 探偵は、すこしもそれに気づかぬようすで、暗い町を、いそぎ足にとおりすぎて、大通りへ出ますと、そこに一台の自動車が待っていて、明智はそれに乗りこみました。
 こじき少年は、どうするかと見ていますと、明智探偵が、自動車に乗るのを待って、高く手をあげて、あいずをしました。すると、むこうから、べつの自動車が、スウッと近づいてきて、こじき少年の前にとまったではありませんか。こんなきたない少年に呼ばれて、自動車がやってくるなんて、じつにふしぎなことです。
 そして、こじき少年の乗った自動車は、明智探偵の自動車を尾行するのでした。
 二台の車は、夜の町を、矢のように走りました。まだ八時ごろですから、町には自動車がたくさん走っているので、尾行がめだたないのです。
 しかし、やがて、明智探偵の車は、渋谷しぶや区にはいり、だんだん、さびしい町へ進んでいきます。そうなると、相手に気づかれないためには、二つの車のあいだを遠くしなければなりません。こじき少年は、運転手にさしずをして、たくみに尾行をつづけました。
 明智探偵の車がとまったのは、大きなやしきばかりならんでいる、さびしい町でした。そこに石の門のある二階だての西洋館があって、明智は車をおりると、その西洋館へはいっていきました。
 こじき少年も、ずっとへだたったところに、車をとめておりると、その石の門の中へ、しのびこんでいくのです。
 いったい、このコンクリートの西洋館は、だれのうちなのでしょう。門の表札には、『伊達五郎だてごろう』と書いてありますが、伊達五郎なんて聞いたこともない名まえです。明智探偵は、事務所へ帰らないで、どうして、こんなうちへ、はいっていったのでしょう。
「いよいよ、おかしいぞ。先生だけが知っていて、ぼくの知らないうちなんてないはずだからな。」
 こじき少年が、ひとりごとを、つぶやくのでした。
 少年は明智探偵のことを、「先生。」といいました。では、この少年は少年探偵団のチンピラ隊員なのでしょうか。しかし、それにしては、いまつぶやいたことばがへんです。もっと明智探偵としたしいあいだがらにちがいありません。
 ああ、そうです。これは小林少年が、変装しているのではないでしょうか。顔をうす黒くぬっていますが、あのぱっちりした、りこうそうな目は、たしか小林少年の目です。
 このへんで、もうほんとうのことを書いてしまいましょう。これは小林少年なのです。小林君はさっき赤森さんのうちで、明智探偵に、「きみは、さきに帰れ。」といわれて、外へ出ましたが、こんなことをいわれたのは、はじめてなので、なんだか、へんだと思いました。
 そこで、公衆電話から、明智探偵事務所へ電話をかけて、るす番をしているマユミさんにたずねてみますと、明智探偵から、今夜八時三十分に東京駅につくという電報が、きていることがわかりました。
 いよいよ、おかしいではありませんか。八時三十分につく明智探偵が、それよりずっとはやく、赤森さんのうちに、あらわれたのです。
 そこで小林君は、この明智探偵は、にせものかもしれないと考えました。顔も声も、そっくりですが、そういう変装の名人がないとはいえません。これまでにも、いろいろな事件で、にせ明智があらわれたことは、たびたびあるのです。
 小林君は、タクシーをひろって事務所に帰り、おおいそぎでこじき少年に変装をすると、こんどは、いつもつかうハイヤーをたのんで、赤森さんのうちの近くまでひきかえし、自動車は大通りに待たせておいて、赤森邸の門の前の電柱のかげにかくれていたのです。

ふたりの明智小五郎


 小林少年は、ふしぎな西洋館の門の中へしのびこんで、建物のまわりを、ぐるっと、回ってみました。
 すると、うら庭にめんした一階の部屋の窓から、電灯の光がさしていましたので、そっと、窓から中をのぞいてみますと、その部屋に、さっきの明智探偵が、ひとりで立っているのが見えました。
 りっぱな部屋です。むこうの壁に、大きな鏡がはめこみになっています。高さ一メートル半もある細ながい鏡です。
 明智探偵は、その大鏡の前に立って、じぶんのすがたをながめながら、ひとりごとをいっていました。
「おれの変装のうでまえは、たいしたもんだなあ。あの小林でさえ、見やぶることができなかったんだからなあ。ウフフフフ……、大どろぼうが名探偵に化けて、宝物の番をしたんだ。さすがの小林も刑事たちも、この手には気がつかなかったて。ウフフフフ……。」
 鏡の中のじぶんのすがたに笑いかけながら、大とくいのようです。
 それを聞くと、こじき少年の小林君は、そっと窓をはなれて、おおいそぎで門の外にかけだし、近くの公衆電話をさがして、その中にとびこみました。
 そして、どこかへ電話をかけると、またもとの西洋館にもどったのですが、小林君のことは、ここまでにしておいて、こんどは、西洋館の中のにせ明智探偵のほうから、お話をすすめることにします。
 小林君が公衆電話をかけてから、三十分もたったころです。にせの明智探偵は、あの鏡の部屋のアームチェアに、ゆったりと腰かけて、タバコを吹かしていました。まだ変装をとかないで、明智探偵のすがたのままです。このすがたで、まだ、一仕事するつもりなのでしょうか。
 このとき、こつこつと、ドアをたたく音がしました。にせ明智の部下のものかもしれません。
「はいりたまえ。」
 にせ明智は、ゆったりとして答えました。
 ドアがスウッとひらきました。そして、そこに立っていた人は……。
 にせ明智が、「アッ。」といって、いすから立ちあがりました。
 ごらんなさい! ドアの外に立っていたのは、明智探偵だったのです。部屋の中にも明智探偵、ドアの外にも明智探偵、顔から洋服から、そっくりそのままの人間がふたり、むかいあって立っているのです。
 にせ明智は、じぶんのすがたが、鏡にうつっているのではないかとおもいました。しかし、大鏡は、ドアのよこのほうに、ちゃんとあるのです。そして、そこにも、じぶんのすがたが、うつっているのです。明智探偵が三人になりました。じぶんと、ドアのところに立っているのと、鏡にうつっているのと、あわせて三人です。
「ハハハハハ……、おどろいているね。だが、きみは、じつに変装がうまいねえ。ぼくだって、そこにいるのは、じぶんじゃないかと思うくらいだよ。ハハハハハ……。」
 ほんものの明智探偵が、ゆっくり、部屋の中へはいってきました。
「き、きみは、どうして、ここへ……。」
 にせものは、すっかり、どぎもをぬかれて、はっきり口をきくこともできません。
「小林だよ。きみは赤森さんのうちから、小林をおいかえしたそうだね。ぼくはいままで、そんなことをしたためしがないから、小林がうたがったのだ。かしこい少年だからね。そして、きみのあとをつけたのだよ。
 ぼくは今夜八時三十分に、東京駅について、すぐ事務所に帰ったのだが、そこへ小林から電話がかかってきた。その小林が、このうちをおしえてくれた。それで、にせの明智探偵にあうために、ここへやってきたというわけさ。ハハハハハ……。」
 ほんものの明智探偵は、そういって、右手をポケットにいれました。にせ明智も、右手をポケットにいれています。
「ハハハハ……、ポケットから手を出したまえ。ピストルなら、ぼくも持っているんだからね。」
「うん、とび道具はよそう。話せばわかることだ。」
 にせ明智は、やっと決心がついたらしく、もうへいきな顔になって、ポケットから、手を出しました。ほんものの明智も、ピストルをはなして、手を出し、にこにこしながら、話しつづけるのでした。
「夜光人間とは、うまく考えたねえ。あのきみのわるい顔でおどかしておいて、どろぼうをやるなんて、きみでなければ思いつかないことだよ。」
「それじゃ、きみは、おれの秘密を、なにもかも知っているというのか。」
 にせ明智が、ふてぶてしく、たずねます。
「うん、知っている。このまえの杉本さんの推古仏をぬすんだ事件も、こんどの赤森さんの白玉をぬすんだ事件も、すっかりわかっている。
 ぼくは旅行をしていたが、新聞を読んで、おおかたはさっしていた。そして、今夜帰って、事務所の者から、くわしい話をきいたので、すっかりわかってしまった。」
「ふうん、そうか。さすがは名探偵だな。よろしい、きみの話を聞いてやろう。だが、この部屋はおちつかない。もっとおくの部屋へいこう。いごこちのいい部屋があるんだ。」
「どこへでもいく。もう、この建物は、おおぜいの警官隊に、かこまれているころだからね。小林が警視庁の中村警部にしらせて、その手配をしたのだ。だから、きみがぼくをごまかして、逃げだそうとしたって、逃げられるはずはない。どこへでもいく、さあ、案内したまえ。」
「ふうん、よく手がまわったな。よろしい、おれも、いまさら逃げかくれはしない。じゃあ、こちらへきたまえ。」
 にせ明智は、そういって、さきにたって、ドアの外へ出ていきました。廊下を一つまがった、おくまったところに、こぢんまりした、きれいな部屋があります。ふたりは、その中へはいって、むかいあって立ちました。
 その部屋には、窓というものが、ひとつもありません。たったひとつのドアには、にせ明智が、中からかぎをかけました。ですから、その部屋は完全な密室になってしまったのです。

魔法のたね


「さあ、聞こう、きみがどこまで、おれの秘密を知っているか、話してみたまえ。」
 にせ明智は立ちはだかったまま、あざけるように、いうのでした。
「夜光人間には、きみが化けることもあるし、きみの部下が化けることもある。夜光塗料をぬったビニールのシャツとズボンをはくのだ。顔や手には、じかに夜光塗料をぬる。目には赤ガラスのめがねをかけ、そのめがねに豆電球をつけて、まっ赤に光らせているのだろう。口の中にも豆電球をいれて、火をはくように見せているのだ。その電球は、ほそいコードで、ポケットに入れた乾電池につながっている。これはぼくの想像だが、たぶんまちがいないだろう。え、どうだね。」
「うん、まあそんなとこだ。で、夜光人間が、空へのぼるのは?」
「高い木のてっぺんから、綱をさげて、それをのぼるのだ。夜だから、綱は見えない。そして、てっぺんまでのぼって、黒いシャツとズボンをはき、顔は覆面でかくしてしまう。すると、なにも見えなくなる。てっぺんで、すがたが消えるので、空中へ飛びさったように見えるのだよ。」
「うん、そのとおりだ。では、どうして、仏像や白玉をぬすんだのか、それをいってみたまえ。」
「夜光人間は、しめきった部屋の中へ、はいれるはずがない。だから、あいつは、窓の外をうろついたばかりで、ものをぬすんだのではない。ぬすんだやつは、べつにいるのだ。
 まず、杉本さんの書斎から推古仏をぬすんだやりかたをいうと、あの推古仏は、もともときみのものだったのだ。」
「え、おれのものだって?」
「そうだよ。杉本さんと、きみとは、おなじ人間だったのさ。」
「え、なんだって?」
「きみは変装の名人だ。だれにでも化けられる。きみはいろいろな人間に化けて、ほうぼうに家をもっている。
 ここのうちには、伊達五郎という表札が出ているが、きみは伊達五郎という人間になって、ここに住んでいる。それとおなじように、きみは杉本という人間になって、世田谷のあのうちにも住んでいるのだ。
 そして、夜光人間にねらわれたように見せかけて、きみは、じぶんの仏像をじぶんでぬすんだのだよ。あのとき、あの部屋は密室になっていた。だれもはいれるはずはない。部屋にいたのは、きみと小林だけだった。
 夜光人間は、窓の外を、うろうろしていたけれども、部屋の中へははいれない。ぬすんだのは主人の杉本、すなわち、きみだった。小林が窓の外の夜光人間に気をとられているすきに、あの小さな仏像を、内ポケットにしまいこんだ。そして、夜光人間にぬすまれたように、見せかけたのだ。
 夜光人間が幽霊のように、しめきった部屋へしのびこめるということを、世間に見せつけたのだ。そうしておけば、こんど他人のものをぬすむときにも、やっぱり夜光人間のしわざだと、思わせることができるからね。今夜は、きみは、ぼくに化けて、赤森さんの美術室に、ひとりでいた。ドアには、中からかぎをかけ、刑事たちが、はいってこないようにしておいて、きみは、ひとしばいをやったのだ。
 夜光人間が、部屋にはいってきて、きみと取っくみあっているように、見せかけたのだ。どすんどすんと、音をさせたり、うめき声をたてたりしてね。
 みんなが心配して、ドアをやぶって部屋にはいってきたときには、夜光人間にやられたようにして、たおれていた。そのじつきみは五つの白玉を、ほうぼうのポケットにひとつずついれて、たおれていたのだ。ちゃんと、ぬすんでしまっていたのだ。
 そして、名探偵明智小五郎が、大失敗をやったということにして、こそこそ赤森さんのうちを逃げだしたというわけさ。ぼくこそ、いいめいわくだ。ぼくは夜光人間と、取っくみあって、気をうしなうような弱むしじゃないからね。」
「うん、えらいッ! なにもかも、きみのいうとおりだ。さすがによく見やぶった。それじゃあ、もうひとつの秘密も、きみは、とっくに感づいているのだろうね。」
 にせ明智は、そういって、じっと、あいての顔を見つめました。どちらがどちらと、見わけのつかないほどそっくりのふたりの明智探偵が、立ちはだかったまま、おたがいの目を、見つめあっていました。たっぷり一分間ほども、そうして、じっと、にらみあっていたのです。
「むろん、知っている。」
 しばらくして、ほんものの明智探偵が、にっこりして、いいました。そしてかれの右手が、スウッと前にのびたかとおもうと、まっこうから、にせ明智の顔をゆびさしました。
「きみは四十面相だッ! そのまえの名は二十面相といったね。」
 ピシッ、むちをうつような、するどい声でした。
「で、おれが四十面相なら、どうしようというのだ。」
「警察にひきわたすのだ。さっきもいったとおり、このうちは警官隊にとりかこまれている。きみはもう、ぜったいに逃げることはできないのだ。」
「ふふん、いよいよ、ふくろのネズミというわけか。だがね、明智君、おれはたびたび、こういうにあっている。そのたびに、おくの手が用意してあるかもしれないぜ。」

警官隊


「ハハハハ……やせがまんはよしたまえ。ほら、聞こえるだろう。ドアのそとの廊下に、おおぜいのくつ音がする。警官隊がやってきたのだ。五人や六人じゃない。何十人という警官が、この家をとりまいている。そのうちの一隊が、ここへやってきたのだ。」
 明智のことばが、おわらないうちに、どんどんと、ドアをたたく音がして、
「明智君、ここにいるのか。ぼくは中村だ。犯人はだいじょうぶか。」
 ドアのそとから、かすかな声が聞こえました。警視庁の中村警部です。警部がおおぜいの部下をつれて、やってきたのです。
「だいじょうぶだ。この部屋には、窓がない。出入り口は、そのドアばかりだ。ドアのそとで、見はっていてくれたまえ。いまに犯人をひきわたすからね。」
 明智が大声で、ドアのそとへ呼びかけました。
「ハハハハ……、おもしろい。おれは、ふくろのネズミだね。ハハハハ……、さすがの四十面相も、とうとう、名探偵のわなにかかったというわけか。ところがね、明智君、いまもいうとおり、おれには、まだ、さいごのおくの手が残っている。それをお目にかけるときが、きたようだね。」
 四十面相は、あくまで、ふてぶてしく笑いとばしています。いったい、なにを考えているのでしょう。
 そのとき、みょうなことが、おこっていました。ほんものと、にせものと、ふたりの明智探偵の立っている部屋が、かすかにゆれはじめたのです。
「おや、地震のようだな。」
 明智探偵がいいますと、四十面相は、また、笑いだしました。
「うん、地震だ。ハハハハ……、ゆかいゆかい。おれは地震がだいすきだよ。この地震が、おれのすくいぬしなんだからな。ハハハ……。」
 地震で家がこわれたら、逃げだせるといういみでしょうか。しかし、そんなに、強い地震ではありません。ごくかすかな、いつまでもつづく長い地震です。
 明智探偵はドアに背中をむけて、部屋のおくにいる四十面相を、ゆだんなく見つめていました。なにか、へんなまねをすれば、すぐにとびかかる用意をしながら、じっと見つめていました。
         ×    ×    ×    ×
 ドアのそとの廊下には、中村警部をさきにたてて、十名ほどの制服警官が、ひしめきあっていました。
 ドアにはかぎがかかっているので、中から明智探偵があけてくれるのを、待ちかまえていたのです。
 もうひらくか、もうひらくかと、みんなの目が、そのドアをにらみつけていたのです。
 なにをしているのでしょう。明智はなかなか、ドアをあけてくれません。中村警部はしびれをきらして、また、どんどんとドアをたたきながら、声をかけました。
「明智君、はやくドアをあけてくれたまえ。おい、明智君、どうしたんだ。」
 耳をすましても、なんの答えもありません。
「おい、明智君。どこにいるんだ。へんじをしたまえ。」
 いくらどなっても、部屋の中は、しいんと、しずまりかえって、なんの物音もしないのです。
 中村警部は、心配になってきました。こぶしをにぎって、ドアをめちゃめちゃに、たたきつづけました。しかし、なんの答えもないのです。
「どうしたんだろう。おかしいぞ。よしッ、しかたがない。きみ、このドアへ、からだでぶっつかって、やぶってくれたまえ。」
 とうとう決心して、部下にめいじました。
 ひとりのがっしりした警官が前にでて、「わたしがやります。」といいながら、どしん、とドアにからだをぶっつけました。
 どしん、どしんと、二、三どやると、ドアの板がわれ、ちょうつがいがこわれて、大きなすきまができました。
 中村警部は、そこから部屋の中をのぞいてみましたが、アッ、これはどうしたというのでしょう。五坪ほどのせまい部屋の中は、まったく、からっぽでした。人のかくれるような場所もないのです。ああ、ほんとうの明智探偵と、にせものの明智探偵は、いったい、どこへ行ってしまったのでしょう。
「きみたち、ピストルをだして、ここに見はっていてくれたまえ。ふたりだけ、ぼくといっしょに中へはいってみよう。人間が煙のように消えてしまうなんて、考えられないことだ。どっかに、かくれているにちがいない。さがすんだ。」
 中村警部は、そういって、さきにたって、ドアのすきまから中へはいっていくのでした。

大秘密


 それとおなじときでした。
 部屋の中には、明智探偵と、明智に化けた四十面相とがむかいあって、立ちはだかっていました。四十面相は、部屋のおくのほうに、明智探偵は、ドアに背中をむけて、じっと、にらみあっていたのです。
 オヤッ、なんだかへんですね。中村警部がすきまのできたドアから、部屋の中をのぞいたときには、そこには、だれもいなかったではありませんか。それなのにそのおなじときに、明智探偵と四十面相は、ちゃんと、そこに立っていたのです。
 作者が、でたらめを書いているのでしょうか。いや、けっして、そんなことはありません。両方とも、ほんとうなのです。読者のみなさん。これはいったいどうしたわけなのでしょう。そんなばかなことは、ありっこないと考えるでしょうね。ところが、じっさい、そういうことが、おこったのです。おわかりですか? よく考えてみてください。そこには、びっくりするような、ひとつの秘密があったのです。
 さっきまで、ゆれつづけていた、あの地震は、いつのまにか、ぴったりととまっていました。
 どこかで、かすかに、人の叫ぶ音がしたようです。それから、どしん、どしんと、なにかが、ぶっつかる音、めりめりと、板のわれる音、しかし、それが、ひどく遠いところから聞こえてくるのです。さすがの明智探偵も、それらのもの音が、なにをいみするのか、さとることができませんでした。
 そのとき、にせ明智の四十面相は、なにを思ったのか、つかつかとドアのほうに近づいて、持っていたかぎを、ドアのかぎ穴にさしこみました。
「おい、きみは、なにをするのだ。」
 明智探偵がおどろいて、たずねますと、四十面相はあざ笑って、
「部屋の外へ出るのさ。もう、きみの顔も見あきたからね。」
「エッ、なんだって? そのドアの外には、警官隊がつめかけているんだぜ。きみは、そこへ出て、はやくつかまりたいというのか。」
「うん、おれはつかまりたいんだよ。だが残念ながら、つかまりっこないね。おれは魔法をこころえているんだからね。じゃあ、あばよ。」
 そういったかとおもうと、いきなりドアをひらいて、外にとびだし、また、バタン、とドアをしめてしまいました。それが、あまりすばやかったので、明智探偵は、うっかり部屋の中にとりのこされたのです。
 しかし、あわてることはありません。外には警官隊が見はっているのですから、四十面相のやつ、たちまち、つかまってしまったにちがいありません。
 そのようすを見ようと思って、ドアをおしましたが、外から、かぎをかけたとみえて、びくとも動かないのです。
 明智は「オヤッ。」と思いました。なんだか、ようすがへんです。いきなりドアをたたいて、外へ声をかけました。
「中村君、いま、外へ出たやつが犯人だッ。ぼくとそっくりの顔をしているが、にせものだ。おい、中村君、そいつは怪人四十面相だ。わかったか……。」
 ところが外からは、なんの返事もありません。しいんと、しずまりかえっています。いよいよへんです。廊下にはおおぜいの警官がいるのですから、取っくみあいの音が聞こえてくるはずです。それが、まるで死んだようにしずかなのは、いったい、どうしたわけなのでしょう。
         ×    ×    ×    ×
 こちらは中村警部の一隊です。ドアをおしやぶって、警部とふたりの警官が、部屋の中へふみこみました。
 かんたんなイスとテーブルと、部屋のすみに、かざり棚がおいてあるぐらいのもので、どこにも人間のかくれられそうな場所もありません。
 中村警部たちは、きつねにつままれたような気持ちで、ぼんやりと、部屋の中を見まわしていました。
 すると、とつぜん、部屋の中がまっ暗になってしまいました。
「アッ、停電だ。」
 外の廊下からも、警官たちの声が聞こえてきました。廊下の電灯も消えてしまったのです。あたりは、しんの闇でした。
 そのときです。部屋のすみの天井の近くに、ボウッと白く光るものが、あらわれたではありませんか。
 人間の頭ほどの大きさの、まるいものです。それにまっ赤なものが、三つ、ついていました。二つは目、一つは口です。
 大きなまっ赤に光る目が、じっと、こちらをにらんでいました。耳までさけた口が、いまにも火を吹きそうに赤くもえています。
「アッ、夜光怪人だッ。」
 警官のひとりが、ふるえ声で叫びました。
「エヘヘヘヘヘ……。」
 身の毛もよだつ、笑い声。夜光怪人が笑っているのです。
「かまわないッ! ピストルだッ!」
 闇の中から、中村警部がどなりました。
 ふたりの警官のピストルが、恐ろしい音をたてて、赤い火を吹きました。
 空中の白く光る顔が、ぐらぐらとゆれました。たしかに一発は命中したのです。しかし、怪人はへいきです。
「エヘヘヘヘ……。」と、ものすごい笑い声をたてて、まっ赤な目をむいた顔が、サアッと、こちらへ、とびついてきます。
 またピストルが火を吹きました。しかし、相手はへいきです。めちゃめちゃに空中を飛びまわりながら、きみのわるい笑い声をたてているのです。
 怪物はピストルのたまがあたっても、死なないことがわかりました。お化けは、死ぬということがないのかもしれません。
「だれか、懐中電灯を持っていないか。」
 中村警部が、大きな声でどなりました。
 その声におうじて廊下から、パッと、光がさしてきました。三人の警官が懐中電灯をつけて、こちらへはいってくるのです。
 その三本の光が、夜光怪人の飛んでいる天井にむけられました。
 オヤッ、なんにもいないではありませんか。
 さっきまで、赤い目をむいて、飛んでいた怪物の顔が、もう、かげも形もありません。どこかへ消えてしまったのです。
 ふしぎは、いよいよ、くわわるばかりです。さっきは明智探偵と四十面相が、かき消すように消えたかとおもうと、こんどは、夜光怪人の首がなくなってしまったのです。
 銀色に光る首の下には、むろん黒いシャツでつつんだ人間のからだがあるはずです。そのからだもろとも、消えうせたのです。窓のない部屋、たった一つのドアのそとには、警官隊ががんばっています。ですから、逃げ道は、どこにもないのです。いったい、どうして消えうせたのでしょうか。
 ふしぎにつぐふしぎ、ここはまるでお化けやしきです。

あらわれた名探偵


 そのときあたりが、パッと、まひるのように明るくなりました。電灯がついたのです。
 その光で、もういちど部屋の中をしらべてみましたが、どこにも、あやしいところはありません。明智探偵と四十面相と、それから夜光怪人の三人は、すこしのすきまもない部屋の中から、完全に消えうせたことが、はっきりとわかりました。
 しばらくすると、廊下のほうから、
「アッ、明智先生!」
という声が聞こえ、警官たちのざわめきがおこりました。
 その声に、中村警部たちが廊下へとびだしてみますと……。
 ごらんなさい、むこうから名探偵明智小五郎が、ゆうゆうと歩いてくるではありませんか。
 警官たちが、左右に道をひらいたなかを、明智探偵は、にこにこしながら、こちらへやってきました。
「おお、明智君、きみは、いったいどこへ行っていたのだ。どうして、この部屋をぬけだすことができたんだ。」
 中村警部が、明智をでむかえながら、ふしぎそうにたずねました。
「じつに、恐ろしい奇術だ。四十面相でなければ、できないことだ。」
 明智探偵は、感心したようにつぶやくのでした。
「エッ、四十面相だって?」
 警部が、びっくりして聞きかえします。
「ああ、きみにはまだ、いっていなかったね。ぼくに化けて、白玉をぬすみだしたやつは、じつは怪人四十面相なのだ。四十面相でなくては、あんなにうまく化けられるはずはない。」
「エッ、それじゃあ、こんども四十面相のしわざだったのか。ちくしょう、また世間をさわがせる気だなッ。それで、きみは、あいつをつかまえたのか。」
「いや、残念ながら逃げられてしまった。あいつは奥の手があるといったが、まさか、こんな大じかけな奥の手とは、夢にも思わなかったのでね。」
「じゃあ、逃げたんだな。どこへ逃げたんだ。すぐに、追っかけなけりゃあ。」
「いや、もう追っかけても、まにあわない。それに、ぼくのほうにも、もうひとつ奥の手があるんだ。そこから知らせがあるまでは、さわいでもしかたがない。それよりも、ぼくたちが、どうしてこの部屋から消えたのか、その秘密をお目にかけよう。」
 明智はそういって、ひとりで部屋の中へはいると、ドアをもとのとおりになおして、入口をふさぐようにさしずをしました。
「いいかい、三分たったら、このドアをあけるんだよ。それまでは、みんな廊下で待っていてくれたまえ。いま四十面相の大秘密を、といてみせるからね。」
 やぶれたドアをなおして、入口がふさがれました。
 中村警部は、なにがなんだかわけがわかりませんが、ともかく腕時計とにらめっこをして、三分がたつのを待ちました。
 やっと三分がすぎたので、待ちかねて、ドアをひらかせてみますと、アッ! これはどうでしょう。部屋の中は、また、からっぽになっていたではありませんか。
「明智君、どこへかくれたのだ。おい、明智君……。」
 警部は、大きな声で、どなりました。すると、どこか遠くのほうからかすかに、明智の声が聞こえてきました。
「おうい、中村君、もういちど、ドアをしめるんだ。そしてまた、三分したらあけてみたまえ。」
 おなじことばが、二どくりかえされました。それで、やっといみがわかったのです。それほど、かすかな声でした。
 中村警部は部屋の壁を、こつこつ、たたきまわってしらべましたが、どこにも、あやしいところはありません。
 明智探偵は、壁の中に、かくれているのではないことがわかりました。
 そこで警部は、また廊下に出て、ドアをしめ、腕時計をにらみはじめました。
 そして、三分たったときに、もういちど、ドアをひらきました。
「ハハハハハ……。どうだい、秘密のたねがわかったかね。」
 部屋の中で、明智探偵が笑っていたのです。
 中村警部は「アッ。」とおどろいて、あいた口がふさがりません。
「わからないね。いったい、これはどうしたわけなんだい?」
「四十面相でなくてはできない大奇術さ。そのいみはね……。」

エレベーター


「口で説明するよりも、もういちどやってみよう。こんどは、ドアをしめないでね。そうすれば、この大魔術のたねが、はっきりわかるんだよ。」
 明智はそういって、にこにこ笑いながら部屋の中にはいり、おくのほうへいって、くつで床のある場所を、とんと、ふみました。そこに、おしボタンがあるのでしょう。
 すると部屋ぜんたいが、スウッと下のほうへ、しずみこんでいくではありませんか。ひらいたドアの上のほうから、コンクリートの壁がおりてきて、それが下へ下へと通りすぎてしまうと、そこにあらわれたのは二階の部屋でした。
 つまり部屋ぜんたいが、大きなエレベーターになっていたのです。
 さいしょの部屋が地下室へおりてしまうと、そのあとへ二階の部屋がきて、ぴったりドアの入口にあうようにできているのです。
 明智探偵のいる部屋は、地下にさがって、だれもいない二階の部屋が、一階へおりてきたわけです。
 しばらくすると、こんどは部屋が、ぎゃくに動きだし、二階が上にあがって、明智の立っている部屋が、下からあらわれてきました。
「なるほど、部屋ぜんたいのエレベーターとは考えたね。」
 中村警部が、感じいったようにいいました。
「で、四十面相は逃げてしまったのか。」
「うん、ぼくは、この部屋が地下室へさがっているとは夢にもしらないものだから、四十面相がドアのそとへ出ていくのを、とめもしないで見おくっていた。ドアのそとの廊下に、きみたちがいると思いこんでいたのでね。
 ところが、部屋は地下室へさがっていたので、ドアのそとにはだれもいなかった。四十面相は、そのまま、地底のやみの中へ、すがたをくらましてしまった。」
「しかし、この西洋館のまわりは、警官隊がとりまいている。逃げだせば見つかるはずだよ。」
と、中村警部が、いぶかしげに口をはさみました。
「警官隊がいるのは、この建物の塀の中だろう。ところが地下室の出入り口は、塀のそとの、ずっと遠いところにあるかもしれないからね。」
「エッ、それじゃ、地下道が、やしきのそとへ通じているというのか。」
「でなければ、いまごろは、警官隊につかまっているはずだからね。
 しかし、ぼくのほうにも、奥の手があるんだよ。それは小林少年だ。小林君はチンピラ隊の子どもたちをつれて、この西洋館の塀のそとの原っぱを、ぐるぐる見まわっている。そして、あやしいやつを見つけたら、尾行して、いくさきをつきとめることになっている。いまは、その小林君の報告を待つばかりだよ。」
「うん、そうか。小林君ならぬかりはないだろう。うまく尾行してくれればいいがね。……それにしても、もうひとつ、わからないことがあるよ。さっき、ぼくらがドアをやぶって、この部屋へとびこむと、電灯が消えて、夜光人間の顔が、部屋の中をとびまわった。
 それが、懐中電灯をつけて照らしてみると、もう、どこにもいないのだ。消えうせてしまったのだ。ドアから出ていったはずはない。そこには、いっぱい警官がいたんだからね。といって、ドアのほかには、人間の出られるようなすきまは、どこにもないのだ。明智君、きみは、このふしぎをとくことができるかね。」
 中村警部のことばに、明智探偵は部屋の中にはいって、天井を見まわしていましたが、なにを見つけたのか、にこにこして警部を手まねきしました。
「ほら、あすこを見たまえ、さしわたし二センチほどのまるい穴がある。夜光人間はあそこからとびだしてきて、また、あそこからもどっていったのだよ。」
「エッ、なんだってあんな小さな穴から、人間が出入りできるというのか。」
 中村警部はびっくりして、明智の顔を見つめました。
「人間は出入りできない。しかし、ビニールの風船玉なら出入りできるよ。四十面相というやつは、『青銅せいどうの魔人』いらい、風船をつかうくせがあるから、こんども、その手にちがいない。ビニールで夜光人間の首だけをつくって、しぼませたまま、あの天井の穴から下へだし、息を吹きこんでふくらませ、それをひもで、ぶらんぶらんと動かしてみせたんだよ。
 むろん顔には、いちめんに夜光塗料をぬり、目と口には赤い豆電球をつけてね。天井に乾電池をおいて、そこからコードが、豆電球につながっているのさ。
 それから、この首を消すときには、空気をぬいてしぼめたビニールを、あの穴から、ぬきだせばいいのだから、わけはない。四十面相の手下が、天井の上にかくれていて、夜光人間の首を、あやつったのにちがいないね。
 四十面相というやつは、こういう手品が大すきだ。とほうもない魔術を考えだして、世間をさわがせるのが、なによりもうれしいのだから、こまったやつさ。」
 明智探偵は、そういって、にが笑いをするのでした。

白ひげのじいさん


 お話かわって、こちらは小林少年が四人のチンピラ隊員といっしょに、西洋館のそとの原っぱの草の中に、寝そべっていました。
 そこに地下道の入口を発見したからです。くさむらの中に、ぽっかりと穴があいていました。いつもは大きな石で、ふたがしてあるらしく、その石が、そばにころがっているのです。なぜ、ふたがひらいてあるのでしょう。もしかしたら、四十面相は、ここから逃げだすつもりではないでしょうか。
 小林君は懐中電灯で、その穴の中を照らしてみました。石の階段が、ずっと下の方へつづいています。たしかに地下からの出口です。
 そこで懐中電灯を消して、四人のチンピラといっしょに、穴のそばの草の中に寝ころんで、待ちぶせすることにしました。
 このへんは、さびしい場所なので、商店のネオンなども見えず、自動車のひびきも聞こえず、空を見あげると、おどろくほどたくさんの星が、砂をまいたように美しく光っています。
 それから、長い長いあいだ、しんぼうつよく待ちぶせしていましたが、そのかいがありました。穴の中から、何者かが、ヌウッと出てきたからです。
 明智探偵に化けた四十面相かと思うと、そうではありません。穴からはいだしてきて、ステッキを力に、よろよろと立ちあがったのは、おそろしく年をとったおじいさんでした。
 やみに目がなれているので、星あかりで、そのすがたが、かすかに見えます。しらが頭に、胸までたれたふさふさした白ひげ、背広をきて、ステッキをついているのですが、腰がふたつにおれたようにまがっています。
「ははあ、四十面相のやつ、こんなじいさんに化けて逃げだすつもりだな。」
 小林君はそう思って、四人のチンピラに、尾行をはじめるというあいずをしました。
 白ひげじいさんは、原っぱを、チョコチョコと歩いていきます。そんなに腰のまがったじいさんにしては、なかなか足がはやいのです。
 原っぱを出ると、なにかの工場のコンクリート塀が、ずっとつづいています。街灯もすくなく、おそろしく暗い町です。
 白ひげじいさんは、その町を、テクテクと歩いていきましたが、まがりかどにくると、ヒョイとうしろをふりむきました。
 小林君たちは、コンクリート塀にくっつくようにして、尾行していましたから、見つかるはずはないと思いましたが、それでも、なんとなくきみがわるいので、立ちどまったまま、身うごきもしないでいました。
 白ひげじいさんは、じっとこちらを見て、なにか、ぶつぶつと口の中でつぶやいていましたが、やがて、
「エヘヘヘヘ……。」
と、うすきみのわるい笑い声をたてて、そのまま、また、むこうへ歩きだすのでした。
 どうも気づかれたようです。じいさんに化けた四十面相は、小林君たちの尾行を気づいて、あんなきみのわるい笑い声をたてたのかもしれません。
 しかし、たとえ気づかれても、尾行をよすわけにはいかないので、小林君たちは、なおも、白ひげじいさんのあとをつけていきました。
 工場のコンクリート塀をすぎると、神社の森がありました。じいさんは、その森の中へはいっていきます。少年たちも、あとにつづきました。
 石のとりいをくぐって、しばらくいきますと、社殿しゃでんの前に、石のコマイヌが石の台の上に、ぶきみな猛獣もうじゅうのようにうずくまっていました。
 白ひげのじいさんは、そこをとおりすぎて、社殿のうらの深い森の中へはいっていきます。少年たちは、ますますきみがわるくなってきましたけれど、逃げだすわけにはいきません。
「エヘヘヘヘ……。」
 気がつくと、白ひげのじいさんが、こちらをむいて、いやな声で笑っていました。少年たちはおもわず立ちどまりましたが、相手に気づかれたことは、もう、うたがうよちはありません。
「エヘヘヘヘ……、そこにいるのは小林君だね。それから、チンピラ隊の子どもたちだね。おれをつけてきたのは感心だ。よくあの地下道の口に気がついた。で、きみたちは、おれの正体を知っているのかね。知らなければ、いま、見せてやろう。ほら、これがおれの正体だッ。」
 いったかとおもうと、じいさんのからだが、パッと木のみきにかくれ、そこから、青白く光るものが、スウッと浮きだしてきました。
 夜光人間の首です。
 青白くリンのように光る顔、巨大なまっ赤な目、赤くもえている口、あの恐ろしい夜光人間の首です。

天にのぼる怪人


 夜光の首は、赤い目をかがやかせ、もえる口をひらいて、まっ暗な森の中を、あちこちと、飛びあるきながら、ケラ、ケラ、ケラと、あのものすごい笑い声をたてました。
「おれは明智をだしぬいてやった。警官隊もだしぬいてやった。そして、いまは、きみたちを、アッといわせるのだ。あの地下道の出口には、警官隊が見はっていると思った。その警官たちを、アッとおどろかせる魔法を考えておいたのだ。
 ところが、あそこに待ちぶせしていたのは警官隊でなくて、きみたちばかりだった。きみたちチンピラでは、いささか相手にとってふそくだが、しかたがない。いま、そのおどろくべき魔法を見せてやる。帰ったら、明智探偵に、ちゃんと報告するんだぞ。」
 夜光の首が、みょうなしわがれ声で、そんなことをいいました。
 そして、しばらくのあいだ光る首ばかりが、木のあいだを、ふわふわと飛んでいましたが、森の中でもいちばん大きな木の前にとまると、胸から腹、腹から腰、腰から足と、だんだんに、銀色に光る全身を、あらわしていくのでした。
 それは、ぴったりと身についた黒シャツと黒ズボンをぬいでいるのだとわかっていても、ピカピカ光るからだがあらわれてくるにつれて、なんともいえぬぶきみさに、心のそこから、ゾーッとしないではいられないのです。
 リンのように光るからだが、すっかりあらわれ、大きな木の下に、またをひらいて、すっくと立ちました。
「おい、小林君、おれがいま、どんなはなれわざをやるか、よく見ているがいい。そして、そのありさまを明智君につたえるのだ。
 おれは、ひとまず、ここを逃げだすけれども、すぐにまた、きみたちの前にあらわれる。そして、美術品を集めるのだ。これがおれのたのしみだからね。おれの美術館がいっぱいになるまでは、このたのしみをやめないつもりだ。明智君に、そうつたえてくれ。いまにまた、知恵くらべをやりましょうってね。」
 夜光怪人は、そういいながら、スウッと木の上にのぼりはじめました。
 いつものとおりです。木のてっぺんから綱がさげてあって、それをのぼるのだとわかっていても、銀色にかがやくはだかの男が、まっ暗な木の上へのぼっていくすがたは、なんともいえぬ異様なものでした。
 とうとう、高い木のてっぺんまで、のぼりつきました。いつもは、そのてっぺんで、黒シャツと黒ズボンをはき、黒い覆面をして、すがたを消してしまうのです。そして、空へのぼったように見せかけるのですが、こんやは、ちがっていました。
 いつまでたっても、銀色のすがたは消えません。消えないばかりか、なにかしらへんなことが、はじまったのです。
 ぶるるん、ぶるるん、ぶるん、ぶるん……と、みょうな音が聞こえてきました。木のてっぺんから聞こえてくるのです。
「アッ、飛んでる、飛んでる……。」
 チンピラのひとりが、とんきょうな声をたてました。
 たしかに、飛んでいるのです。銀色の夜光怪人のからだは、木のてっぺんをはなれて、星空たかく舞いあがっていくのです。
 砂をまいたような星空を、赤い目をかがやかせ、口からほのおをはいた銀色の人間が、スウッとのぼっていくのです。まるで童話のさしえでも見ているような夢のようなけしきでした。
 夜光怪人は、はねもないのに、どうして空へのぼっていくのでしょう。なにか、しかけがあるのでしょうか。
 読者諸君は、『宇宙怪人』の事件で、二十面相が、空を飛んだことをおぼえているでしょう。あれはヘリコプターのプロペラのようなものを、小さい発動機につけて、背中にしょっていたのです。そういう機械を発明したフランス人から、二十面相が買いいれて、宇宙怪人に化けたのでした。
 夜光怪人は、あれとおなじ機械を、木のてっぺんにかくしておいて、それを背中にくくりつけて飛んだのかもしれません。
 いずれにしても、銀色に光る人間のからだが、ふわりふわりと、星の世界へのぼっていく光景は、じつにみごとなものでした。
 そのすがたが、だんだん小さくなっていきます。はじめは一メートルほどに見えたのが、五十センチになり、三十センチになり、十センチになり、そして、いちめんの星の世界へ、とけこんでしまいました。
 小林少年と四人のチンピラ隊員は、夢みごこちで星空を見あげていました。夜光怪人の銀色のすがたが、星とまちがえるほど小さくなって、星のあいだに消えてしまっても、そこに立ちつくしたまま、ぼうぜんとしていました。
 しかし、いつまでも、そうしているわけにはいきません、小林少年は、やっと正気づいたように、四人のチンピラをうながして、四十面相の西洋館にひきかえすのでした。
 西洋館へはいってみると、明智探偵も、中村警部も、まだそこにいて、小林君の知らせを待っていました。
「あ、小林君、どうだった? あいつの逃げだすのを見なかったか。」
 明智探偵が、まずそれを聞きました。
「ええ、うしろの原っぱに、地下道のぬけ穴があります。あいつは、白ひげのじいさんに化けて、そこから出てきました。むろん、ぼくたちは、そのあとをつけましたが、神社の森の中で逃げられてしまいました。あいつは木のてっぺんから、空へ舞いあがったのです。宇宙怪人のときと、そっくりの飛びかたでした。
 空へ逃げられてしまっては、どうすることもできないので、ぼくたちは、そのまま帰ってきたのです。」
「いや、そこまで見とどければ、じゅうぶんだよ。ごくろうさん。あいつはぼくを、その森の中へおびきよせたかったのかもしれない。そして、ぼくの目の前で、空へ飛んで見せたかったのだろう。じつに、しばいたっぷりなやつだからね。」

水中の怪光


 二、三年まえ、あるフランス人が、ヘリコプターのプロペラのようなものを背中にしょって、空を飛ぶ発明をしたことが新聞にのっていましたが、四十面相は『宇宙怪人』の事件のとき、それとおなじようなプロペラを身につけて、たびたび空を飛んでみせました。
 こんども、そのプロペラなのです。四十面相の夜光怪人は、木のてっぺんに、かくしておいた飛行具を身につけて、星空を飛んでみせたのです。
 こうして夜光怪人は、またもや逃げさってしまいましたが、それから十日ほどたった、あるばんのことです。
 夜光怪人は、こんどはみなと区の上山かみやまさんというお金持ちのやしきに、そのぶきみなすがたをあらわしました。
 上山さんのうちには、小学校六年生の上山一郎という少年がいました。それが上山さんのひとりっ子なのです。
 一郎君は、少年探偵団にはいっている勇気のある少年でした。
 そのばん、一郎君は、二階のじぶんの部屋で勉強していましたが、ふと、窓から広い庭をのぞきますと、なんだか青く光るものが、木の間を、スウッと飛んだように見えました。
「へんだな。だれか懐中電灯を持って、庭へはいってきたのじゃないかしら。」
 一郎君は、勇気のある少年ですから、すぐに部屋を出て、階段をおり、庭にとびだしてみました。
 さっき光の動いていた木立ちの中へ、はいっていきましたが、あたりはまっ暗で、もうなんの光も見えません。
 しばらく、暗やみの中に立ちどまって、耳をすましましたが、あやしいもの音も聞こえません。
「おや、あれはなんだろう?」
 木立ちのむこうに池があります。その池の水面が、ボウッと青く光っているのです。
 一郎君は、池のそばへいってみました。
 水の中に、なにか光るものがしずんでいるではありませんか。
 岸にしゃがんで、水の中をのぞきますと、さすがの一郎君も、まっ青になって、ふるえあがってしまいました。
 池の底に、人間のすがたをした青く光るものが、よこたわっていたのです。そいつが、首をねじむけて、一郎君のほうをにらみました。
 ああ、その顔!
 まっ赤に光る三センチほどもあるまんまるな目、耳までさけたまっ赤な口、その恐ろしい顔が、水の中から、じろっと、一郎君をにらみつけたのです。
「アッ、夜光怪人だッ!」
 一郎君は、おもわずそう叫んで、うちのほうへかけだしました。そして、おとうさんの書斎へはいると、
「たいへんです。夜光怪人が、庭の池の中にいます。」
と、いきせききって知らせました。
 夜光怪人と聞くと、おとうさんもびっくりして、それをたしかめるために、ひとりの書生をつれて庭に出ていきました。
 そして、懐中電灯を照らしながら、池のまわりを、ぐるっと回ってみましたが、青く光る人間のすがたなんて、どこにもありません。
 夜光怪人は、かってに、じぶんのからだの光を消すことはできないでしょうから、池の中にいれば、かならず見えるはずです。
 おとうさんと書生とは、なお、そのへんの木立ちの中を、よくしらべましたが、べつにあやしいこともありませんでした。
「一郎、おまえは少年探偵団なんかにはいっているので、いつも夜光怪人のことばかり考えている。それで、まぼろしを見たんだよ。もう探偵のまねなんか、よすんだね。」
 おとうさんは、そういって、一郎君をたしなめました。
 しかし、あれがまぼろしだったのでしょうか。一郎君は、どうしても、そうは思えないのです。すきとおった池の水の中に、ゆらゆらゆれながら、青く光る人間がよこたわっていました。目と口だけがまっ赤な、人間です。
 一郎君は、その美しさをわすれることができません。そのばんは、水の中によこたわっている夜光怪人の夢を見ました。おきていても、ふと目をつぶると、まぶたのうらに、あの青い人間の姿が、スウッと浮かんでくるのです。
 そのあくる日は、空が黒雲くろぐもにとざされた、うす暗い日でした。
 一郎君が学校から帰って、おとうさんの書斎へはいっていきますと、おとうさんはデスクの前に立って、ゾウッとしたような顔で、壁のだんろを見つめていました。その書斎は、窓が小さくて、うす暗い広い洋室でした。
 一郎君も、おもわずそのだんろに目をやりました。いまは火をもやしていないだんろのおくに、青いまるいものが、ぶらさがっていました。
 青く光るまるいものに、三つのまっ赤なところがあります。
 なんだか、えたいのしれないものでした。
 アッ、夜光怪人だッ!
 一郎君は、やっとそこへ気がつきました。怪人の顔が、だんろの中にさかさまにさがって、口が上になり、目が下になっていたので、えたいのしれないものに見えたのです。
 おとうさんも一郎君も、それが夜光怪人とわかると、立ちすくんだまま身動きもできません。
 目はくぎづけになったように、じーっとだんろの中の怪物を見つめているのです。
 すると怪物は、スウッと、だんろの煙突のほうへあがっていって、見えなくなってしまいました。
 おとうさんと一郎君は、やっと、じゅ文をとかれたみたいに、からだが動くようになりましたので、すぐに、だんろのそばへいって、中に首をつっこむようにして、上をのぞいてみました。
 だが、ぜんたいにまっ暗で、青く光るものなど、どこにも見えないのでした。
「やっぱり、一郎のいったことは、ほんとうだった。夜光怪人は、このうちを、ねらいはじめたんだ。」
 おとうさんは、そういって、じっと一郎君の顔を見るのでした。
「ねえ、おとうさん、やっぱり明智先生にたのみましょうよ。ね、いいでしょう。」
 一郎君は、少年探偵団員ですから、明智探偵が、いちばんえらいと思っているのです。
「うん、すぐに明智先生に電話をかけて、きていただこう。むろん警察にも知らせるけれども、まず明智先生に相談してからだ。」
 おとうさんは、そこの卓上電話のダイヤルをまわして、明智探偵事務所を呼びだしました。
「明智先生はおいでになりますか。」
「おでかけになっています。きょうは、お帰りがおそいかもしれません。」
「ああ、そうですか。で、あなたは、どなたです?」
「ぼく、助手の小林です。」
「おお、小林君ですか。わたしは上山というものですが、至急、ご相談したいことがあるのです。明智先生がおいでにならなければ、あなた、きてくれませんか。あなたのてがら話は、ずいぶん聞かされていますよ。あなたなら信用します。ぜひ、きてください。」
「いったい、どんなご用件なのですか。」
「夜光怪人です!」
 上山さんは、受話器に口をつけるようにして、ささやき声でいいました。
「エッ、夜光怪人ですって?」
 小林少年のびっくりした声。
「そうです。あいつが、わたしのうちにあらわれたのです。わたしのもっている美術品を、ねらっているにちがいありません。」
「では、すぐにまいります。住所をおしえてください。」
 そこで上山さんは、住所をくわしくおしえたあとで、つけくわえました。
「チンピラ隊のポケット小僧というのが有名ですね。あの子もいっしょに、つれてきてくださると、ありがたいのですがね。わたしは、あの子にも、いちどあいたいと思っていたのですよ。」
「ああ、ポケット君ですか。しょうちしました。つれていきますよ。あの子は、ぼくのかたうでですからね。」
 小林少年は、じまんらしく答えるのでした。

古井戸の底


 それから一時間ほどのち、上山さんの書斎で、上山さんと、一郎君と、小林少年と、ポケット小僧の四人が、テーブルをかこんで腰かけていました。もう日がくれて、書斎には電灯がついているのです。
 窓はぜんぶしめきって、ドアには中からかぎをかけ、壁のだんろの前には、さっきの書生が棍棒こんぼうを手にして、立ち番をしていました。そこから夜光怪人が、はいってくるといけないからです。
「やつらがねらっているものを、見ておいてもらいましょう。あの金庫に入れてあるのです。いまわたしが、それを出して、ここへ持ってくるから待っててください。」
 上山さんは、そういって、いすから立ちあがると、部屋のすみの小型金庫の前へいって、からだでかくすようにしてダイヤルをまわし、扉をあけて、むらさきのふくさにつつんだ小さいものをとりだし、テーブルにもどってきました。
 そして、むらさきのふくさをひらきますと、中から二十センチほどの、ほそながいきりの箱が出てきました。
「さあ見てください。これがわたしのうちの家宝です。むかし中国からわたってきたもので、ヒスイばかりを組みあわせてつくった三重の塔です。」
 そういって、きりの箱の中から、それをとりだして、テーブルの上に立てて見せるのでした。
 黒っぽい緑色の、つやつやとした、かわいらしい三重の塔です。高さは十五センチほどしかありません。
「きみたちには、この値うちはわからないだろうが、千万円もする美術品です。夜光怪人は、さいしょに推古仏をぬすみ、二どめには白玉の小仏像をうばい、そして、こんどは、このヒスイの塔をねらっているのです。みんなふるい東洋の美術品ばかりです。あいつは、そういうものを集めようとしているらしい。」
 上山さんは説明をおわると、ヒスイの塔をきり箱に入れ、ふくさでつつんで、もとの金庫におさめました。
「このダイヤルの暗号は、わたしのほかには、だれも知らないのです。いくら夜光怪人でも、その金庫をひらくことはできませんよ。」
 上山さんは、もとの席にもどって、自信ありげにいうのでした。
 そのときです。
「アッ!」
と叫んで、小林少年が、いすから立ちあがりました。そして、むこうの窓を見つめています。
 みんなが、そのほうを見ました。
 窓ガラスのすぐむこうがわに、夜光の首が、さかさまに、さがっているではありませんか。
 まっ赤な口が上になり、まっ赤な目が下についています。二階からぶらさがって、顔だけで、窓の上のほうからのぞいているのです。
「よしッ、ピストルで、うちころしてやる。」
 上山さんは、デスクのところへ走っていって、そのひきだしからピストルをとりだすと、いきなり窓の首にむかって、ひきがねをひきました。
 ガチャンと恐ろしい音がして、窓ガラスがわれ、そこに大きな穴があきましたが、夜光の首は、スウッと上のほうへかくれてしまって、べつに、きずついたようすもありません。
 部屋の中の四人は、身動きもしないで立ちつくしていました。
 そのとき、
「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ……。」
という、あやしい鳥のなき声のようなものが聞こえてきました。
「アッ、あすこだッ!」
 小林君が叫びました。
 まっ暗な庭の木立ちのあいだを、夜光の首が、飛んでいるのです。首ばかりでなく、胴体もついているのでしょうが、それは、黒いシャツでかくされていて見えないのです。首ばかりが、宙を飛んでいるように見えるのです。青く光る顔、まっ赤な目、火を吹きそうなまっ赤な口、その首が、「ここまでおいで。」といわぬばかりに、ふわりふわりと、闇の中をただよっていくのです。
「ちくしょうめ! からかっているんだな。よしッ、ひっとらえてやるぞ。みんなも、ついてきたまえ。」
 上山さんは、いきなり窓をひらくと、まっ暗な庭へとびだしていきました。手には、さっきのピストルをにぎっています。
 小林君も、ポケット小僧も、一郎君も、書生も、つぎつぎと窓をのりこして、はだしで庭におり、上山さんのあとにつづきました。
 夜光の首は、「ケ、ケ、ケ、ケ……。」という、あのあやしい笑い声をたてながら、ふわふわと、むこうへ逃げていきます。
 上山さんは、どこまでも追っかけていきます。三人の少年と書生も、夢中になって走るのです。
 木立ちのあいだを、あちこちとくぐりながら、とうとう、庭のはずれまできてしまいました。そこは、つき山のうしろのくさむらで、水のかれた古井戸のあるところです。
 夜光の首は、その古井戸の上を、しばらくただよっていましたが、やがて、地面の中へ、スウッと消えていってしまいました。
「アッ、古井戸の中へはいった。もう、ふくろのねずみだぞッ。」
 上山さんは、そうどなって、古井戸に近づき、中をのぞきこみました。
 深い井戸の底に、夜光の首がうごめいているのが見えます。
 小林少年も、ポケット小僧も、こけのはえた井戸がわにとりついて、中をのぞいています。
 上山さんは、いきなり上着をぬいで、シャツとズボン下だけになりました。
「きみたちは、ここに待っていたまえ。わたしはおりていって、あいつをつかまえてやる。この井戸の内がわは石がけになっているから、それに足をかけて、おりられるのだ。」
 上山さんは、そういって、もう古井戸の中へすがたを消してしまいました。
 一郎君は、おとうさんが、こんな大胆な人だとは知りませんでした。いつものおとうさんと、まるで、人がかわってしまったようです。
「おおい、井戸の底に、よこ穴がある。あいつは、そのよこ穴へ逃げこんでしまった。だれか、うちへいって、縄をさがして持ってきてくれたまえ。それをつたって、きみたちも、ここへおりてくるんだ。」
 井戸の底から、上山さんの声がひびいてきました。
「縄をさがさなくても、少年探偵団のきぬ糸の縄ばしごを持っています。それで、いま、おりていきます。」
 小林君は、腰にまいていた長いきぬひもをほどいて、そのはしについている鉄のかぎを、井戸がわにひっかけ、ひもを井戸の中にたらしました。そのきぬひもには、三十センチおきに、まるいむすび玉がついていて、それに足の指をかけておりるようになっているのです。
「ぼくと、ポケット小僧だけ、おりていきます。一郎さんは、あぶないから、そこに待っていらっしゃい。書生さん、番をしててください。」
 そういいのこして小林君は、もう井戸の中へはいっていきました。小林君が下へおりるのを待って、ポケット小僧も、きぬひもをつたうのです。
 小林君が、水のない井戸の底に、おりたときには、上山さんは、もうよこ穴に、はいっていきました。
「ここだよ。石をくんだトンネルのようなものができている。いつのまに、こんなよこ穴ができたのか、わたしは、すこしも知らなかった。あいつは、このおくへ逃げこんでいった。追いつめて、ひっとらえてやろう。なあに、わたしはピストルを持っているから、だいじょうぶだよ。きみたちも、あとから、ついてきたまえ。」
「ええ、ぼくと、ポケット小僧だけついていきます。それから、ぼくたちふたりとも、万年筆型の懐中電灯を持っているのですよ。これをおかししますから、照らしながら進んでください。」
 小林君はそういって、ポケットから、探偵七つ道具のひとつの万年筆型懐中電灯をとりだし、上山さんにわたすのでした。
 よこ穴は、やっと、おとながはって通れるほどの広さでした。上山さんは右手にピストル、左手に懐中電灯をかざしながら、ぐんぐん、奥のほうへはっていきます。小林君とポケット小僧も、それにつづきました。
 ポケット小僧も、万年筆型懐中電灯をとりだして、照らしましたので、あたりは、ぼんやりと明るくなり、よこ穴の石ぐみが見えてきました。
 せまいよこ穴がつきると、そこに、広い洞窟どうくつがありました。立って手をのばしても、天井にさわらないほど広いのです。
「おどろいたなあ。わたしのうちに、こんな地下道ができているなんて、思いもよらなかった。それにしても、なんのために、こんなものをつくったのかなあ。」
 上山さんが、あきれかえって、つぶやきました。

おとし穴


 夜光怪人はどこへいったのか、洞窟の中はまっ暗で、なにもいないようです。
 三人はその入口に、からだをくっつけあって、立ちすくんでいました。そして、どこからか怪人の声が聞こえてこないかと、耳をすましていました。
「アッ、あそこにいる。」
 上山さんが、おさえつけたような声でいいました。
 洞窟の奥のほうに、ボウッとまるい青白いものがあらわれ、その中へ、まっ赤な目と口が浮きだしました。夜光怪人の首です。
 スウッと、それが空中をただよって、こっちへ近づいてきます。
「あいつには、からだがあるんだ。黒いシャツをきているから見えないだけだ。とびかかって、おさえつけるんだ。いいか、そらッ!」
 上山さんにつづいて、小林少年も、ポケット小僧も、夜光の首にとびかかっていきましたが、たちまち三人とも、そこへころがされてしまいました。
「ケ、ケ、ケ、ケ、……どうだ。つかまえられるなら、つかまえてみるがいい。」
 いやらしい声が、洞窟にこだまして、ひびきました。
 小林君も、ポケット小僧も、夜光怪人にたおされたとき、ひどく腰をうったので、きゅうには起きあがれません。たおれたまま夜光の首を見つめていました。
 青白く光る首は、ツーッと、むこうのほうへ遠ざかっていきましたが、そこで黒いシャツをぬぎはじめたとみえて、銀色の肩、胸、腹、それから、腰、ふともも、足のさきまで、夜光怪人の全身があらわれました。
「ケ、ケ、ケ、ケ……、おい、チンピラども、とうとう、おれのわなにはまったな。いまに恐ろしいことがおこるから、待っているがいい。」
 怪人は、そういったかとおもうと、銀色に光るからだで、洞窟の中をかけまわりはじめました。
 まっ赤な目、まっ赤な口、その口から、ハッ、ハッと、赤いほのおをはきながら、闇の中を、めちゃくちゃに走りまわるのです。気がちがったように走りまわるのです。
 三人は、それをよけて、洞窟のすみへすみへと、逃げていきましたが、すると、とつぜん、小林君の足の下の地面が消えてなくなってしまいました。
「アッ!」
と叫んだときには、深い穴の中におちこんでいました。洞窟のすみに、一坪ぐらいの広さの、おとし穴がひらいていたのです。深さは三メートルもあって、四方は、きりたった壁ですから、とてもよじのぼることはできません。
 そこへ落ちたのは、小林少年とポケット小僧だけで、上山さんは、穴の上にいるのです。
「上山さん、助けてください。おとし穴に落ちてしまったのです。」
 小林君が叫びますと、穴のふちに上山さんの顔があらわれました。ポケット小僧のもつ万年筆型の懐中電灯が、その顔を、下からかすかに照らしています。
「きみたちは、いっぱいくったねえ。」
 上山さんが、へんなことをいいました。
「エッ、なんですって? もういちど、いってください。」
 小林君が、びっくりして聞きかえします。
「そこをよく見たまえ、きみたちのそばに、だれかが、たおれているはずだ。」
 上山さんが、また、みょうなことをいいました。
「エッ、どこに?」
 小林君とポケット小僧は、懐中電灯で、穴の底を照らしてみました。
「アッ、だれか、たおれている。」
 かけよってみますと、ひとりの背広姿の男が、さるぐつわをはめられ、手足をしばられて、そこにころがっていました。
「上山さん、これ、だれです。」
 小林君が、穴の上を見あげてたずねますと、上山さんは、うすきみわるく笑いました。
「ウフフフフ……、さるぐつわをとってごらん。だれだかわかるから。」
 どうもへんです。なんだか、とほうもないまちがいが、おこっているような気がします。
 小林君は、いそいで、ころがっている男のさるぐつわをとり、懐中電灯で、その顔を見ましたが、見たかとおもうと、
「アッ!」
と叫んで、おもわず逃げごしになりました。
 小林君は、恐ろしい夢を見ているのでしょうか。
 そこにころがっていた男は、上山さんとそっくりの顔をしていたのです。上山さんが、ふたりになったのです。こんなばかなことがあるものでしょうか。
 小林君は立ちあがって、叫びました。
「上山さん。顔を見せてください。」
 すると、上にいる上山さんは、
「え、わしの顔が見たいのかね。さあ、よく見るがいい。」
といいながら、穴のふちから、グッと顔をだしてみせました。小林君の懐中電灯が、その顔を照らしました。
「アッ、やっぱり上山さんだ。ふしぎだなあ。この穴の底にたおれている人は、上山さんとそっくりの顔をしているのですよ。まるで、ふたごの兄弟みたいだ。」
「ウフフフフ……、ふたごはよかったねえ。……おいッ、小林、そこのポケット小僧も、よく聞くんだ。上山にはふたごの兄弟なんてないよ。ウフフフフ……、どちらかが、にせものさ。いったいどっちが、にせものだと思うね……、では、ひとつ、その証拠を見せてやるかな。」
 上山さんは、そういったかとおもうと、いきなり、ヒューッと口ぶえを吹きました。
 すると、その口ぶえがあいずだったのでしょう。洞窟のむこうのほうを、グルグルまわっていた夜光怪人が、クルッとむきをかえて、上山さんのほうへ近づいてきたではありませんか。
 上山さんは、夜光怪人が、そばまでくるのをまって、なつかしそうに、手をその肩にまわして、ピッタリからだをくっつけました。そして、穴のふちへひざをついて、顔をそろえて、穴の中をのぞきこみました。
 小林少年とポケット小僧は、穴の底から、それを見たのです。
 ああ、なんということでしょう。上山さんと夜光怪人とは、なかよく肩をくんで、ほおをくっつけんばかりにして、穴のふちからのぞいているではありませんか。フサフサしたかみの毛と、チョビひげのある上山さんの顔、それにならんで、あのまっ赤な目と、火を吹く口の、青白い夜光の首です。
「アッ、わかった。それじゃあ、きみは……。」
 小林君が、ギョッとしたような声で叫びました。
「ウフフフ……、そこに、ころがっているのが、ほんものの上山だ。すると、このおれは、だれだろうね。」
 上山さんが、からかうようにいいました。
「きみは四十面相だッ。四十面相でなくては、そんなにうまく化けられるはずがない。そして、夜光怪人に化けているのは、きみの部下だッ。」
 小林君が、ずばりといいきりました。
「ウン、さすがは小林だッ。よくさっした。そのとおりだよ。おれは四十面相さ。上山家のヒスイの三重の塔をちょうだいするために、ちょっと上山さんといれかわったのだ。いつかの推古仏のときとおなじで、宝物をぬすむのには、そこの主人に化けるのが、いちばん、てっとりばやいからな。ウフフフ……。」
 上山さんに化けた四十面相が、じまんらしくいいました。
「すると、きみは、もうあのヒスイの塔を……。」
 小林君は、はやくもそれに気づきました。
「ウン、そのとおり。さっき、金庫にしまうとみせかけて、じつは、うちポケットに入れたのだ。おれの服は手品師の服とおなじで、大きなかくしポケットが、ほうぼうについているからな。ウフフフ……、ほら、これだ。よく見るがいい。」
 そういって、穴のふちから出して見せたのは、さっき書斎で見たのとそっくりの、十五センチほどの高さのヒスイの塔でした。

土くれのたき


 ああ、なんということでしょう。四十面相は、上山さんの宝物を、これからぬすむようにみせかけて、そのじつは、とっくにぬすんでしまっていたのです。宝物をまもるために、小林少年たちをよんだときには、上山さんは、もうほんとうの上山さんではなかったのです。
 では、上山さんに化けた四十面相は、なんのために、小林少年やポケット小僧をよんだのでしょうか。
 むろん、それは、ふたりをアッといわせて、あざ笑うためだったのです。いや、もっと恐ろしいことを、たくらんでいるのではないでしょうか。
 この地底の洞窟を、こっそり、つくっておいたのも、四十面相のしわざかもしれません。そして、いつも、仕事のじゃまをする小林少年とポケット小僧を、そこにとじこめ、なにかゾッとするような復讐を、たくらんでいるのかもしれません。
 夜光怪人には、四十面相が、じぶんで化けることも、部下に化けさせることもあります。きょうは、四十面相は上山さんに化けていなければなりませんので、夜光怪人の役は部下にうけもたせたのでしょう。
 小林少年は、グッと上をにらんで、どなりつけました。
「おい、四十面相くん。きみはヒスイの塔をぬすんだのだから、もう、このうちに用事はないはずだ。あとは逃げだすばかりだ。しかし、ぼくたちがいては、逃げだすじゃまになるから、こうして、この洞窟の中へ、とじこめておこうというわけだね。」
 それをきくと、四十面相は、さもおかしそうに笑いました。
「ハハハ……、そのとおりだよ。きみたちは、ここにとじこめられたのさ。きみたちが、知恵をはたらかせれば、ここをぬけだすことができるかもしれない。まあ、やってみるんだね。だが、むずかしいだろうな。
 そのうちに、なんだか、とほうもないことが、おこりそうな気がするぜ。ウフフフ……。」
 それっきり穴のふちから、四十面相の顔も、夜光怪人の顔もかくれて、しいんと、しずまりかえってしまいました。たぶん、ふたりは、どこかへ逃げていったのでしょう。
 小林少年とポケット小僧は、たおれている上山さんの手足の縄をとき、たすけおこして、かいほうしました。
「おお、ありがとう、ありがとう。だが、きみたちは、いったいだれですか。」
 上山さんは、べつに気をうしなっていたわけではありませんから、さっきからの会話を聞いていましたが、ふたりの少年が、なにものであるかは、まだよくわからないのでした。
 そこで小林君は、四十面相は、にせの上山さんに化けて、明智探偵事務所へ電話をかけたこと、明智先生がるすだったので、小林君がポケット小僧をつれてでかけてきたことなどを、話してきかせました。
「フーン、そうですか。それでわかった。あいつは、わしに化けて、ヒスイの塔を金庫からぬすみだしたんだね。じつに恐ろしいやつだ。あいつはもう逃げてしまったのかもしれないが、わしたちは、ここにじっとしているわけにはいかない。どうかして、ここを出るくふうはないだろうか。」
 上山さんは、高い穴のふちを見あげて、小首をかしげるのでした。
 すると、いままで、だまっていたポケット小僧が、とんきょうな声でいいました。
「いいことがある。三人で肩車をやればいい。ね、まず上山さんの肩へ、小林さんがのるんだよ。それから、おれが、小林さんの肩の上までよじのぼる。そうすれば、穴のふちへ手がとどくよ。手さえとどけば、おれ、穴の上へとびあがれるよ。
 それから、おれが穴の上へころがって、小林さんをひっぱりあげ、そのつぎには、小林さんと、おれとで、縄をつかって、上山さんをひっぱりあげるんだ。そうすりゃ、みんな、穴のそとへ出られるよ。ね、小林さん、それがいちばんいいよ。」
 うまい考えです。小林少年は、
「よしッ、そうしよう。ね、上山さん、こいつのいうとおりです。あなたはこの壁にくっついて、むこうむきに立ってください。ぼくは、あなたの背中から肩へのぼります。」
といって、上山さんを立たせ、その背中へのぼりつこうとしました。
 そのときです。どこからか、ドドド……という、恐ろしい音が聞こえ、頭の上から、なにかが雨のようにふってきたではありませんか。
 土です。土がふってくるのです。
 おとし穴の一方は洞窟の壁にくっついていますので、その壁の上から、土がくずれて落ちると、ちょうど三人の頭の上にふりかかるわけです。
 どこがくずれているのか、たしかめようとしましたが、とても上を見ることはできません。目の中にこまかい土が、とびこんでくるからです。
 にぎりこぶしほどの土のかたまりから、こまかいのまで、水をふくんでドロドロした土くれが、ダダダ……、ダダダ……と、まるで滝のようにふってくるのです。
 三人はおもわず、穴の中にうずくまって、おたがいに、だきあうようにして、土くれのあたるのをふせぎました。
 ダダダ……、ダダダ……、土くれは、かぎりもなくふってきます。そして、その恐ろしい物音にまじって、どこからともなく、あのぶきみな笑い声が、ひびいてくるのです。
「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、……。」
 夜光怪人の声です。かれが、まだそのへんにいるとすると、四十面相も、洞窟にのこっているにちがいありません。
 あらかじめ、土が落ちるようなしかけが、つくってあったのでしょう。そのしかけをはずして、土の雨をふらせ、三人が土にうずまっていくのを、むこうの闇のなかから見て、笑っているのでしょう。
 小林少年は、そこまで考えて、ハッとしました。
「あいつは、ぼくたちを、生きうめにするつもりだな。」
 穴の底につもった土は、底なし沼のようにドロドロして、足でふむと、ズブズブとしずんでしまいます。いくら土がつもっても、それを足場にして、穴のそとへ出られるみこみはありません。ドロドロの土は、もうひざの高さまであがってきました。
「上山さん、このままじっとしていたら、ぼくらは土にうずまって、死んでしまいます。さっきの肩車で、やってみましょう。さあ、むこうをむいて、立ってください。……ポケット君も、あとからのぼるんだよ。」
 小林少年は、そういって、上山さんの背中へのぼりつこうとしましたが、ダダダ……と、ふってくる滝のような土に、頭や、顔をうたれるうえ、上山さんの背広もドロドロになっているので、手をかけると、ツルツルすべって、どうすることもできません。
 しかし、命にかかわることですから、なんども、なんども、おなじことをやってみました。あるときは、小林君がうまく上山さんの肩にのぼり、ポケット小僧も、上山さんの背中から小林君の背中へとよじのぼり、とうとう肩の上に立ったのですが、穴のふちに手をかけようとすると、そこも、ドロドロの土におおわれていたので、ツルリとすべり、グラッとよろめくと、三人ともおりかさなって、穴の壁へぶったおれてしまいました。みんな、顔から手から、全身、ドロだらけです。
 いくらやっても、だめなので、三人はもう、あきらめてしまいました。
 いまは、腰までの深さになったドロの中に、じっと立っているばかりです。
 土の滝は、いつまでもやみません。ダダダ……ダダダ……、恐ろしいいきおいで、三人の頭の上からふりそそいできます。
 底なし沼の表面は、もうポケット小僧の腹のへんまでのぼってきました。腹から胸、胸からのど、ドロの沼は深くなるばかりです。
 とうとうドロは、ポケット小僧の口までのぼってきましたので、上山さんが小僧をだきあげてくれました。
 こんどは、小林君のばんです。胸からのど、のどからあごへと、ドロドロしたものがのぼってきます。
 上山さんは、左手でポケット小僧を、右手で小林少年をだきあげなければなりませんでした。
 しかし、それも、いつまでつづくことでしょう。ドロの表面はもう、上山さんののどのところまで、すりあがってきたではありませんか。

巨人と怪人


 上山さんに化けた四十面相は、おとし穴のそばに立って、それを見ながら、ゲラゲラ笑っていました。いつも仕事のじゃまをする小林少年やポケット小僧が、苦しんでいるのを見て、よろこんでいるのです。
 あとになって、わかったのですが、この洞窟は、上山さんのまえに、ここに住んでいた人が、防空壕ぼうくうごうとしてほらせたものでした。庭の古井戸を利用したふうがわりな防空壕でした。
 しかし、戦争がすんで年がたったので、防空壕のことなんか、みんながわすれてしまっていました。上山さんも、そんなところに防空壕があるなんて、すこしも知らなかったのです。
 この古い防空壕をみつけたのは、怪人四十面相でした。四十面相は、ここをつかって、みんなをアッといわせてやろうと考えました。そして、防空壕の中へ、いろいろなしかけをつくって、いざというときに、つかえるようにしておいたのです。
 四十面相は小林少年たちが苦しんでいるのを、たのしそうにながめていましたが、そのとき、あの夜光人間の首が、四十面相のうしろから、スーッと近づいてきました。れいの黒いシャツを着ているので、からだは、すこしも見えないのです。
「かしら、もう、助けてやりましょうよ。でないと、あいつら、死んでしまいますぜ。」
 夜光の首が、四十面相にささやきました。
「うん、そうだ。おれもあいつらをころす気はないのだ。おれは人ごろしはしないのだ。もうずいぶん苦しんだから、このくらいでいいだろう。おまえ、助けてやりな。」
 夜光怪人に化けている四十面相の部下は、どこからか一本の縄をもってきて、それを、おとし穴の中へたらして、ポケット小僧、小林少年、上山さんのじゅんで、そとへ助けだしました。みんなからだじゅうどろまみれです。
「アハハハハ……、小林、ポケット小僧、すこしはこたえたか。これがおれの復讐だよ。だが、きみたちは、まだかえさない。きみたちを、ここにとらえておけば、いまに明智探偵がやってくる。おれはそれを待っているのだ。うらみかさなる明智のやつを、うんと、こらしめてやらなければ、気がすまないのだ。」
 暗やみの洞窟の中に、四十面相の声が、いんにこもってひびきました。
 すると、そのとき、どこからか、まったくちがった、みょうな声が聞こえてきたではありませんか。
「その明智探偵は、もう、ここへきているかもしれないぜ。」
「エッ、なんだって? もういちどいってみろ。明智探偵がどうしたというのだ。」
 四十面相が、びっくりしたように、聞きかえしました。
「ここへきているというのさ。」
 宙にういている夜光の首の、火のようにもえる口が、パクパクと動いていました。しゃべっているのは、夜光の首なのです。
 四十面相は、それに気がつくと、ギョッとして、タジタジと、あとずさりをしました。
「なんだ、おまえは、おれの部下じゃないか。なにをいってるんだッ。」
「きみの部下は、あそこにいるよ。」
 夜光の首の下についてる、黒シャツと黒い手ぶくろにおおわれた手が、懐中電灯をつけて、洞窟のすみを照らしました。
「アッ。」そこの地面に、黒シャツをきた男が、手足をしばられて、ころがっているではありませんか。
「頭から黒い覆面をかぶせておいたから、夜光の顔は見えないけれど、あれがきみの部下だよ。さるぐつわがはめてあるので、声をだすこともできないのだ。きみが、おとし穴の三人が苦しんでいるのを見ているあいだに、ぼくは、夜光人間に化けて、ここへはいってきたのだ。そして、きみの部下をしばりあげて、部下のかわりをつとめたというわけだよ。」
「それじゃあ。きさま、明智小五郎だな。」
「そのとおり。」
「どうして、ここがわかった?」
「きみが古井戸のそとへのこしておいた上山一郎君と書生さんが、電話で知らせてくれたのさ。しかし、それまでのことは、小林君から、たびたび電話がかかっているので、すっかりわかっていた。上山さんからよばれたとき、ぼくがうちにいないといったのは、うそなんだよ。ぼくは夜光人間に化ける用意をととのえて、事務所で待っていたのだ。
 顔に夜光塗料をぬって、豆電球のついた大きな赤ガラスのめがねをはめ、口の中にも豆電球をふくめば、たちまち、夜光の首ができあがるんだからね。わけはないのだ。そして、ふいをついて、きさまをつかまえるために、じっと時のくるのを待っていたのだよ。」
 四十面相の右手にもっている懐中電灯がパッとつきました。そして、そのまるい光が、夜光の首を照らしたのです。
 夜光怪人に化けた明智の懐中電灯も、四十面相の顔を、正面から照らしました。
 そして、ふたりは、ものもいわないで、しばらくのあいだ、にらみあっていました。
 明智探偵は全身まっ黒で、首だけが銀色に光る夜光怪人に化け、四十面相はシャツとズボン下だけになった上山さんに化けているのです。巨人と怪人は、地底の洞窟の中で、その異様なすがたで、ふしぎなにらみあいをつづけるのでした。
 二分間ほども、身動きもしないで、にらみあっていたあとで、はじめに口をきいたのは、四十面相です。
「で、きみは、おれをつかまえるというのか。」
「もちろんだ。きみはもう、つかまっているのだよ。」
「エッ、つかまっている? だれに?」
「あれをみたまえ。」
 明智の懐中電灯が、サッと動いて、洞窟の入口のほうを照らしました。
 そこには、制服すがたいかめしい警官が五人、肩をくっつけるようにして、ならんでいたではありませんか。
「アッ!」
 四十面相は、おもわず、おどろきの声をたてて、そのまま、洞窟の奥のほうへ逃げだしました。
「追っかけるんだ。みんなで追っかけてください。そして、あいつを、ひっくくってください。」
 明智探偵の声が、闇の中にひびきわたりました。
 五人の警官は、みな懐中電灯を持っていました。それが、パッと、いちどについたのです。そして、その光が、逃げる四十面相のあとを追いました。
「ワハハハハ……。」
 四十面相の笑い声が、ものすごく洞窟にこだましました。かれは、逃げながら、きちがいのように笑っているのです。
 なぜそんなに笑うのでしょう。四十面相のことですから、なにか恐ろしいおくの手が用意してあるのではないでしょうか。

鉄格子てつごうし


 五つの懐中電灯に追われて、逃げていく四十面相のむこうに、トンネルのような、ほら穴の口がひらいていました。石をくんで、材木でささえた、鉱山の横あなのようなものです。
 四十面相は、ワハハハと笑いつづけながら、そのトンネルの中へ、とびこんでいきました。ひょっとしたら、古井戸とはべつに、こちらにも、出入り口があるのではないでしょうか。
 いずれにしても、はやく追っかけてつかまえなくてはなりません。
 五人の警官は、四十面相のあとから、そのトンネルへかけこみました。ふたりならんで走れるほどのトンネルです。
 警官たちは、おりかさなるようにして、その中を、かけていきましたが、とつぜんむこうを走っていく四十面相の笑い声が、おそろしく高くなり、くるッとこちらをふりむきました。
 そのときです。警官たちの頭の上で、ガラガラッという音がしたかとおもうと、トンネルの天井から、鉄格子が落ちてきて、ガチャンと地面にぶつかり、トンネルをふさいでしまいました。
 さきにたっていた警官は、その鉄格子に、おしつぶされそうになって、あやうく身をかわしたのです。
 こうして、五人の警官と四十面相のあいだは、頑丈な鉄格子でへだてられてしまったので、もう追っかけることができなくなりました。警官たちは、鉄格子にとりついて、力まかせに上にあげようとしましたが、びくとも動くものではありません。
 鉄格子のむこうでは、シャツ一枚の上山さんに化けた四十面相が、五本の指を、鼻のさきでヘラヘラやって、こちらをからかっています。
「ワハハハハ……、どうだい。四十面相のおくの手を見たか。おれはいつでも、けっしてつかまらないだけの用意がしてあるんだ。きみたちは、はやく古井戸へもどったほうがいいだろう。ぐずぐずしていると、まだまだ恐ろしいことがおこるかもしれないぜ。」
 警官たちは、このまま、のめのめと、ひきかえすわけにはいきません。明智探偵に相談しようとして、あたりを見まわしましたが、どこにも、そのすがたが見えません。すがたといっても、夜光の首だけなのですが、それがどこかへ消えてしまって、うしろの洞窟の中にも見えないのです。
「ワハハハハ……。」
 そのとき、四十面相の笑い声が、また、いちだんと高くなりました。
 すると、それがあいずででもあったように、ふたたび頭の上に、ガラガラッという音がして、ガチャンと、鉄格子が落ちてきました。こんどは、警官たちのずっとうしろのほうで落ちたのです。
 警官たちは、おどろいて、そのほうへかけだしていって、鉄格子をゆさぶりました。びくとも動くものではありません。
 こうして、前とうしろに鉄格子が落ちたので、警官たちは、それにはさまれて、どちらへもいけぬようになってしまいました。とつぜん、トンネルの中に牢屋ができて、その中へとじこめられたようなものです。
「ワハハハ、……だから、さっき、はやくお帰りなさいといったでしょう。ぼくのいうことをきかなかったから、そんなめにあったのですよ。ワハハハハ……。では、ぼくは、こちらの出口から、しっけいします。……あばよ。」
 四十面相は、そういいすてて、トンネルのおくへ、すがたを消してしまいました。

あみの中


 トンネルのつきあたりには、せまい石の階段があって、それをのぼると、地上へ出られるようになっていました。
 階段をのぼりきったところに、うすい石のふたがあります。それを上におしあげると、ちょうどマンホールぐらいの穴があいて、そこから地上に出られるのです。
 その出口は上山さんの庭の中ではありません。上山さんのやしきのそとの原っぱなのです。その原っぱのすみに、ひくい木がしげっていて、防空壕の石のふたは、そのしげみの中の草むらに、かくれているのです。
 シャツ一枚の四十面相は、石のふたをおしあげて、しげみの中にはいだしました。夜のことですから、あたりはまっ暗です。四十面相は、むろん懐中電灯を消していました。光が見えて、だれかに気づかれては、たいへんだからです。
 石のふたを、もとのとおりにしめて、立ちあがろうとしました。すると、ふといクモの巣のようなものが、顔の上にかぶさってきました。
 そのクモの巣は、いくらひっぱっても切れません。へんだなと思って手さぐりをしてみました。
 それは、クモの巣ではなくて、じょうぶなひもでできた網のようなものでした。手でたぐってみると、その網は、どこまでもつづいているのです。
 おもいきって、ぐっと立ちあがってみました。そして、二、三歩あるいたかとおもうと、網に足をとられて、そこへ、ころがってしまいました。
 立ちあがろうとすると、網が四方からからんできて、手も足も、自由がきかなくなり、もがけばもがくほど、からみついてきて、どうすることもできません。
「ワハハハハ……、四十面相君。きみは、もう網にかかったさかなだよ。きみのほうにおくの手があれば、こちらにも、そのもうひとつ上のおくの手がある。どうだね、わかったかね。」
 こんどは、べつの人が笑うばんでした。四十面相は、その声に、ギョッとして、闇の中をみつめました。
 すると、五メートルほどむこうの、まっ暗な空中が、ボーッと明るくなり、夜光人間の銀色の首が、あらわれてきたではありませんか。まっ赤に光る大きな目、ほのおをはくかと見える恐ろしい口。
「アッ、きさま、明智だなッ。」
 四十面相が、くやしそうに叫びました。
「そうだよ。警官諸君に、きみを追いだしてもらって、ぼくは、ここへ、先まわりしていたのさ。この古い防空壕を発見したのは、きみばかりじゃない。ぼくのほうでも、ちゃんと気づいていたんだよ。防空壕が一方口というはずはない。古井戸とはべつの出口が、どこかにあるだろうと、少年探偵団のチンピラ隊の諸君に、さがしてもらったのさ。チンピラ隊は、そういうことが、だいとくいだからね。たちまち、さがしだしてしまった。
 ホラ、みたまえ、きみにかぶせた網を、八方からおさえているのは、八人のチンピラ隊の子どもたちだよ。」
 明智探偵の黒シャツの手が、懐中電灯をパッとつけて、地上にふせてある大きな網の八方を、つぎつぎと照らしてみせました。
 網のはしばしに、十一、二歳から十四、五歳の、きたない服をきた少年たちが、とりすがっていました。大きな目をむいて、いばっている子ども、鼻をヒクヒクさせて、大きな口をあいて笑っている子ども、チンピラ隊には、ちゃめすけがおおいのです。みんな、海岸で大漁たいりょうの地引き網でもひいているような気持ちでいます。その網にかかったのは、大ものも大もの、怪人四十面相なのですからね。
「ちくしょう、やりゃあがったなッ。」
 四十面相は、おそろしい顔で、チンピラたちをにらみつけ、網をやぶろうと、めちゃくちゃに、もがきまわりました。しかし、じょうぶな網は、いっそう、からだに巻きついてくるばかりで、なかなか切れるものではありません。
「ワハハハ……、さすがの怪人も、もう運のつきだね。もういちど防空壕にもどろうとしても、そこには五人の警官が待ちかまえている。
 また、こちらには、八人のチンピラ隊とぼくのほかに、上山さん、小林君、ポケット小僧、それから上山さんの書生さんがふたりいる。きみが、いくら強くても、とても逃げるみこみはなさそうだね。」
 夜光怪人に化けた明智探偵が、そういって懐中電灯を、べつの方角にふりむけました。そして、まだどろまみれの上山さん、小林少年、ポケット小僧などを、つぎつぎと照らしだしてみせるのでした。
 そのとき、へんなことがおこりました。さっき四十面相が出てきた穴の石のふたが、グーッともちあがって、その下から、ニューッと、警官の帽子をかぶった顔があらわれたのです。
 五人の警官たちが、鉄格子を上にあげるしかけのボタンを発見して、四十面相のあとを追ってきたのです。
 石のふたのとれた穴から、つぎつぎと警官があらわれ、すぐ目のまえに四十面相がいるのを見ると、いきなり、とびかかっていって、大格闘になりました。警官たちも、網をかぶったままの格闘です。
 ひとりに五人ですから、四十面相でも、かなうはずがありません。それに網をかぶせられているのですから、逃げだすことは、ぜったいにできません。とうとう手錠をはめられてしまいました。
 四十面相がつかまったことがわかると、網にとりついていた八人のチンピラ隊は、「よいしょ、よいしょ。」とかけ声をかけて、網をめくってしまいましたので、警官たちは、やっと自由の身になることができました。
 手錠をはめられた四十面相をまんなかに、五人の警官がそのまわりをとりかこんで、上山さんの門の前にいる警察自動車のほうへ、ひったてていくのでした。
 どろまみれの小林少年とポケット小僧は、それを見送っていましたが、ポケット小僧はもう、うれしくてたまりません。どろだらけの顔で、いきなり叫びました。
「明智先生ばんざーい! 小林団長ばんざーい! 少年探偵団とチンピラ隊ばんざーい!」
 すると、八人のチンピラ隊も、それにあわせて、うれしそうに「ばんざい、ばんざい。」を、くりかえすのでした。





底本:「奇面城の秘密/夜光人間」江戸川乱歩推理文庫、講談社
   1988(昭和63)年6月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
   1958(昭和33)年1月号〜12月号
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2018年6月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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