妖星人R

江戸川乱歩




Rすい星


 はじめて、そのふしぎなすい星を発見したのは、イギリスの天文学者でした。そのすい星はいままでに知られている、どのすい星ともちがった、奇怪なすい星でした。
 すい星といえば、天空のまい子のような星で、うしろに、ほうきのようにひらいた、白い光の尾をひいているのがふつうですが、こんどのすい星は、その光の尾が、ネジのように、グルグルまわっているのです。光のネジは、さきのほうほどふとい輪になって、それがゆっくり、まわっているのです。
 発見されるとすぐ、その望遠鏡写真が、世界じゅうの新聞にのり、大さわぎになりました。各国の天文学者は、大望遠鏡にしがみついて、そのすい星をしらべました。
 それは、ふつうのすい星とは、まったくちがった、きみょうな星でした。すい星がなにでできているかは、まだよくわからないのですが、ふつうは、小さなつぶがあつまって、光のかたまりとなったものだといわれています。
 しかし、こんどのは、粒のあつまりでなくって、ひとつの小さな星が、うしろにネジネジの光の尾をひいて、とんでいるのです。
 このふしぎな星は、形がすい星ににているので、Rすい星と名づけられました。さいしょ発見した学者の名まえのかしら文字をとったものです。
 しばらく日がたつと、Rすい星は肉眼でも見えるほどに、ちかづいてきました。ネジのような光の尾が、グルグルまわっているのも見えるのです。
 夜になると、東京でも、ニューヨークでも、ロンドンでも、パリでも、モスクワでも、世界じゅうの人が、空をあおいで、この気味のわるいすい星をながめるのでした。そして、しんぱいそうに、ボソボソと、ささやきあうのでした。
 そのうちに、おそろしいうわさが、ひろがってきました。
 Rすい星は地球にむかって進んでいる。地球の軌道きどうにぶっつかるかもしれない。大しょうとつをおこして、地球は分解してしまうかもしれない。そういうことを、どこかの国の天文学者がいいだすと、つぎつぎと、それに同意する天文学者がでてきたのです。
 各国の天文学者は、むちゅうになってRすい星の軌道を計算しました。そして、地球としょうとつする、しないと、二つの説にわかれて、大論争がつづきました。
 全世界の人びとは、ふるえあがってしまいました。もし大しょうとつがおこれば、地球そのものが、くだけちってしまうのです。原子力戦争どころのさわぎではありません。原子力戦争ならば、ふかく地下に穴をほって、たすかるくふうもありますが、すい星の大しょうとつには、なんの方法もないのです。地球は大爆発をおこしこなごなになって、人間も、動物も、植物も、いっしゅんにとけてなくなってしまうのです。
 地球にしょうとつするか、しないかという天文学者の論争は、ますますはげしくなってきました。天文学者ばかりではありません。人がふたりよれば、その議論がはじまるのです。そして、世界じゅうの人間が、しょうとつするという派と、しない派と、二つにわかれて、毎日毎日、あらそっているありさまでした。
 もし、しょうとつするときまってしまえば、世の中はたいへんなことになったでしょう。地球の人類が、みんな死んでしまうときまれば、だれも働かなくなるでしょう。工場の機械はうごかなくなり、学校へはだれもいかなくなり、裁判官も警察官も、つとめをなげだしてしまい、みんなは、したいほうだいのことをして、あそびまわったでしょう。どろぼうなんかあたりまえになり、とりたいものをとり、たべたいものをたべるというありさまで、おまわりさんも、そのなかまになってしまうのですから、もうめちゃくちゃです。ほんとうに、この世のおわりなのです。
 気のよわい人は、大しょうとつまで生きている勇気がなくて、自殺するかもしれません。あちらにも、こちらにも、自殺者がぞくぞくあらわれることでしょう。
 しかしさいわいなことに、そこまでにはいきませんでした。世界の半分以上の天文学者が、しょうとつしないといいはっていたからです。その中には天文学の権威けんいといわれるような、えらい学者も、たくさんありましたので、人びとはその説にすがって、わずかな心をおちつけていました。この世のおわりの、めちゃくちゃさわぎは、まだおこりませんでした。
 すると、こんどは、またべつのうわさが、ひろがってきました。
 ある国の天文学者がいいだしたのが、たちまち、新聞や、テレビ、ラジオで、世界じゅうにひろがったのですが、Rすい星の軌道が、どうもおかしい。天文学上の法則どおりに進んでいない。もしかしたら、あれは、自分かってにとんでいる、巨大な宇宙船ではないか、という説なのです。
 どこか、遠い遠い星に、ひじょうに進歩した生物がすんでいて、すい星のような巨大な宇宙船をつくり、宇宙をとびまわっているのではないかというのです。もし、そうだとすれば、Rすい星の大きさからかんがえると、この宇宙船には何千何万の生物がのりこんでいるにちがいありません。一つの都会が空をとんでいるようなものなのです。
 それが地球のほうにむかって進んでくるのですから、かれらは地球に人間という進歩した生きものがいることを知っていて、地球を見物するために、やってくるのかもしれません。
 それならば、大しょうとつをおこすようなことはないでしょうが、そのかわりに、こんどは、どんな気味のわるい生物がやってくるかと、それがしんぱいになってきます。もし、あいてが、地球を征服せいふくしようなどとかんがえているとすれば、たいへんなことです。
 各国の天文台から、強力な電波で、Rすい星にむかって通信が発せられました。もし生物がのっていれば、こたえの通信があるだろうとかんがえたからです。
 しかし、なんのこたえもありません。先方のことばがわからないのですから、いみをつたえることはむずかしいけれど、いろいろなやりかたで、通信してみましたが、なんのてごたえもないのです。
 ソ連やアメリカでは、Rすい星と通信をかわすために、人工衛星をうちあげる計画がたてられました。
 そんなさわぎのあいだに、Rすい星のぶきみな姿は、グングン地球に近づいていました。
 夜になると、それがおそろしい大きさで、空にかかっているのです。昼間でも、目をこらせば、うっすら見えるほどになってきました。

カニ怪人


 そんなさなかの、ある夜のことです。千葉県の銚子ちょうしにちかいSという漁師町に、ふしぎなことがおこりました。
 午前三時ごろ、朝のはやい漁師たちも、まだおきない、真夜中に、海のほうでおそろしい音がしたのです。
 町の人は、みんな目をさましましたが、なんの音だかわかりませんでした。軍艦ぐんかんにのって戦争にいったことのある老人は、大きな砲弾ほうだんが海におちて爆発した音に、にているといいました。しかしいまごろ、こんなところへ砲弾をうちこんでくるわけがありません。
 朝になって、船をだしてみますと、海岸から一キロほどいった海面が、一面に赤黒くにごっていることがわかりました。そのへんに、なにか大きなものが、おちたにちがいありません。しかし、ふかい海ですから、なにがおちたか、きゅうに、しらべることもできません。大きないん石でもおちたのではないかということで、うやむやにおわってしまいました。
 別所次郎べっしょじろう君はS町の漁師の子で、小学校六年生でした。おとうさんや、にいさんは、朝の四時ごろには、もう船にのって漁にでかけるので、次郎君も早起きです。朝早く、町からすこしはなれたところにある、岩山の上へいって、朝日ののぼるのを見るのがだいすきでした。あのおそろしい音のしたあくる朝も、次郎君は、その岩山の上に立って、太平洋の水平線をみつめていました。
 水平線には、雲がながくたなびいて、それがまっかにそまっています。太陽が、いま、のぼろうとしているのです。
 雲のあいだから、もえるような金色の太陽がのぞきました。そして、みるみる大きなまるい姿をあらわしてきます。あたりが、にわかにあかるくなってきました。
 頭のうえには、Rすい星が、まだぼんやりと、ひかっていました。さっきまでは、はっきり見えていたのが、太陽の光にけされて、だんだん、うすらいでいくのです。
 岩山のきゅうながけの下をのぞいてみると、ドドドン、ドドドンと波がうちよせて、白いあわをたてています。
 ふと気がつくと、岩山の下のほうが、なにかモヤモヤとうごいているようにおもわれました。
「へんだなあ、岩がうごくはずがないが。」
とおもって、よく見ると、それは、たくさんのカニが、岩はだをのぼってくるのでした。大きいのや、小さいのや、何十ぴきというカニが、むらがって、のぼってくるのです。
 次郎君は、こんなにたくさんのカニを見たのは、はじめてでした。ウジャウジャと、八本の足をうごかして、のぼってくるのを見ていると、なにかわるいことのまえぶれのようで、おそろしくなってきます。
 カニどもは、もう岩山の上まで、のぼりついてきました。そして、次郎君の立っている足のほうへ、ゾロゾロとはいよってくるのです。
 そのときです。
 次郎君は、岩山の下の海面に、へんなものを見ました。たくさんのカニは、やっぱり、なにかのまえぶれだったのです。そのものは、あわだつ海面からヌーッと、青黒い姿をあらわしました。
 それは大きな海ガメのこうらのように見えました。青銅色せいどうしょくをした海ガメです。
 それが、だんだんあらわれてくると、青黒いこうらの下に、ピカピカ光る、二つのまるいものが見えました。黄色く電灯のようにひかっているのです。あっ、目です。怪物の二つの目です。
 次郎君は「キャッ。」といってかけだしました。岩山からとびおりて、ちかくの森の中へ、いちもくさんに、にげこみました。それが、うちにかえる近道だったからです。
 そのとき、怪物は、水面から全身をあらわしていました。頭は巨大なカニの形をしています。そこに二つの目がひかっているのです。頭の下に胸のようなものがあって、そこからカニのはさみににた、二本の腕が、ニューッとでています。そして、二本の足があって立ってあるくらしいのです。全身青黒くて、青銅でできているようなかんじです。
 怪物はおそろしいはやさで、岩山の上にのぼりつきました。そして、次郎君が森の中へにげこんでいくのをみつけると、パッと四つんばいになって、そのあとをおいました。その速いこと。巨大なカニが、えものをおっかけるのと、そっくりです。
 次郎君は、森の中へにげこみながら、うしろをふりむきました。あっ、怪物がおそろしい速さで、ちかづいてきます。
 もうだめだとおもいました。気がとおくなりそうです。足がうごかなくなって、グタグタと、ひざをついてしまいました。
「アナタ、ニンゲンデスカ。」
 へんてこな声が、耳のそばで、きこえました。「あなた人間ですか。」ときいているのです。怪物がものをいったのです。それにしても、「人間ですか。」なんて、なんというへんな聞きかたでしょう。
 つむっていた目を、おもいきってひらいてみると、すぐ目の前に、あのいやらしい青黒いカニのおばけが、立ちはだかっていました。
 おそろしい目が黄色くひかっていますが、べつに、くいついてくるようすもなく、「人間ですか。」なんて、まぬけたことをいっているので、いくらか安心しました。
「アナタ、ニンゲンデスカ。」
 カニのおばけは、また、おなじことをくりかえしました。ばかばかしくても、こたえないわけにはいきません。
「そうです。人間です。」
 次郎君は、勇気をだして、大きな声で、こたえました。
「ココハ、チキュウノ、ニホンデスカ。」
 地球の日本ですか、ときくのです。これもへんな聞きかたです。
「そうです。日本です。」
「トウキョウデスカ。」
「ちがいます。東京は、ずっととおくです。」
 すると、カニのおばけは、どこからか、一枚の銀色にひかった紙のようなものを、とりだしました。胸のへんに、そういうものを、いれておく場所があるのでしょう。
 その紙には、日本の地図が書いてありました。地図には、こまかい字のようなものが、いっぱい、書きいれてあるのですが、一度も見たことのない字ですから、次郎君には、さっぱりわかりません。
「ココハ、ドコデスカ。」
 カニの怪物は、地図を次郎君の目の前にさしだして、たずねました。
 次郎君は、あいてが、おとなしいことがわかったので、安心して、地図をよく見て、銚子のところを、ゆびさしてみせました。
「チョウシデスカ。トウキョウハ、ココデスカ。」
 怪人は、地図の東京のところを、大きなはさみで、さししめしました。
「そうです。」
 それを聞くと、怪人は大きなカニの頭を、ガクンガクンと、うなずかせて、そのまま、たちさろうとします。
 次郎君は、もうすっかり、安心していましたから、怪人をよびとめました。
「まってください。あなたは、いったい、なにものですか。」
「ナニモノ?」
 怪人は、ギラギラ光る二つの目で、こちらをにらみつけました。
「どこからきたのですか。」
「アソコカラキマシタ。」
 怪人は、大きなはさみのある手で、空をゆびさしました。それは、ちょうどRすい星のへんです。
「チキュウノニンゲン、アレRスイセイトイウ。ワタシ、Rスイセイカラキタノデス。ワタシノナマエモ、Rトシテクダサイ。」
 怪人は、はさみで地面にRという字を書いてみせました。
「コノジ、ニホンノジデナイ。イギリス、アメリカノジデス。」
 怪人の書いたRという字は、へんな形をしていました。上のまるいところがまるでカニのこうらのようにふくらんで、カニ怪人の頭にそっくりです。Rの下の二本の棒は、カニ怪人の足のようです。自分の姿をあらわすためにわざと、そんなふうに書いたのかもしれません。
「Rすい星には、あなたのような生きものが、たくさんすんでいるのですか。」
「タクサンイマス。シカシ、アレハスイセイデハナイ。ウチュウノ、ノリモノデス。トオイトオイ、ホシカラキタノデス。ワタシ、ニホンヘオリタ。イギリス、アメリカ、ソビエトヘオリタノモアル。」
 やっぱり、あれは宇宙船だったのです。そこから、カニ怪人のはいったロケットのようなものをうちだして、地球へやってきたのでしょう。真夜中の、あのおそろしい音は、そのロケットのようなものが、海へおちた音にちがいありません。
 しかし、次郎君には、ふにおちないことが、たくさんあります。
「そんなとおい星の生きものに、どうして日本語がはなせるのですか。」
 まるで先生に質問するような口調でたずねました。
「ワタシ、ニホンゴ、イギリスゴ、ロシアゴ、ミナワカリマス。ワタシノホシデハ、ウチュウノコト、ミナ、シラベテ、ワカッテイルノデス、ワタシ、チキュウノニンゲンヨリ、百バイ、カシコイ。チキュウノニンゲンノ、デキナイコト、デキル。コノチズヲミナサイ。コレモ、ワタシノホシデ、コシラエタノデス。」
 次郎君は、びっくりしてしまいました。とおいとおい星で、地球のことをすっかりしらべて、日本地図までつくり、日本語も英語もロシア語も話せるというのですから、まるで神さまのような知恵です。
 ひろい宇宙には、こんなに進歩した生物もいたのかと、おったまげてしまいました。こんなカニのおばけみたいな、みにくい姿をしているくせに、その知恵は、地球のどんな学者だって、あしもとへもよりつけないのです。
「日本でなにをするのですか。だれにあいたいのですか。」
 次郎君は、こんな知恵のあるやつが、地球を征服にきたのだったら、たいへんだとおもったので、それとなくたずねてみました。
「ニホンハ、ビジュツノクニトワカッテイル。ワタシ、ニホンノビジュツヒン、アツメテ、モッテイク。ニンゲンモ、モッテイクダロウ。」
「えっ、だまってもっていくのですか。日本には警察というものがあって、そんなことゆるしませんよ。」
「ケイサツ、シッテイマス。ダマッテ、モッテイク、ドロボウデスネ。ワタシ、ドロボウシマス。ケイサツ、コワクナイ。ワタシ百バイノチエアル。」
 とんでもないことを、いいだしました。日本の美術品をぬすんでいくというのです。こんな知恵のある怪物なら、どんな美術品でも、わけなくぬすみだすにちがいありません。次郎君は、
「これはたいへんだ。すぐにこのことを学校の先生にしらせなければいけない。」
とおもいました。
「ワタシノコト、ダレニモイッテハイケナイ。ワカリマシタカ。イッタラ、アナタ、ホシヘ、ツレテイクヨ。」
 カニ怪人は、ひらべったいカニのこうらのおくののどで、ケタケタとわらいました。そして、また四つんばいになって、あの岩山のほうへ、おそろしい速さでかけだしていきました。次郎君は、ぼんやりして、そのおそろしい姿を、見おくっていましたが、怪物のかげは、たちまち岩山のむこうに、きえさってしまいました。
 海の底にあるロケットのような乗り物にもどって、それで東京港までいくつもりかもしれません。あれほど進んだ知恵をもっているのですから、ロケットはそのまま潜航艇せんこうていとしてつかえるように、できているのかもしれません。
 次郎君は夢を見たような気持でした。あれがほんとうのできごとだったのかしら。まだねむっていて、夢を見ているのではないだろうかと、うたがってみましたが、どうも夢ではなさそうです。それから、いそいで学校の先生のうちへかけつけました。先生は庭で顔をあらっているところでした。
「先生、たいへんです。」
 次郎君は、いきせききって、カニ怪人のことをはなしました。
「アハハハ……、きみはなにをいっているんだ。夢でも見たんだろう。そんなばかなことがあってたまるか。」
 先生は、とりあってくれません。
「それじゃあ、あれはやっぱり、夢だったのかしら。」
 次郎君は、自信がなくなってきました。

古山ふるやま博士


 ひとりの新聞記者が、この話を聞きつけて、別所君をたずねてきました。そして、いろいろ質問して、これはうそじゃない、とおもいました。かれは東京の毎朝まいちょう新聞の銚子支局の記者でしたが、さっそく、くわしい記事を書いて、本社に送りました。その記事が毎朝新聞に大きくのったのです。それには別所次郎君の書いた、怪物の写生図しゃせいずまではいっていました。
 カニ怪人Rのことは、これで東京じゅう、いや、日本じゅうに知れわたりました。どこへいっても、カニのおばけのうわさで、もちきりです。さかな屋さんの店で、カニをみても、なんだか、うすきみわるくなるので、さっぱりカニが売れなくなったといわれるほどでした。
 そんなある日のことです。みなと区の古山博士のうちで、へんなことがおこっていました。
 古山文学博士は、岩谷いわや美術館の館長でした。この美術館は、岩谷というお金持ちがたてたもので、陳列室が五つぐらいしかない、小さな美術館でしたが、美術品は、つぶよりのものが、そろっていました。ことに、仏像の部屋には、奈良なら時代から鎌倉かまくら時代までの、国宝や重要美術品がいっぱいならんでいるのです。
 古山博士は、古美術研究の大家たいかで、三年ほどまえから、この美術館の館長をつとめていました。美術館も港区にあり、博士のうちからは、一キロぐらいのちかさでした。
 博士の家族は、奥さんと、ひとりっ子の古山忠雄ただお君と、書生さんと、女中さんの五人暮らしです。
 この忠雄君は、小学校六年生で、名探偵明智小五郎あけちこごろうの助手の小林こばやし少年が団長をやっている、少年探偵団の団員でした。
 その日は、古山博士は美術館から、はやくかえっていましたが、午後四時ごろ、洋室の書斎にはいったかとおもうと、大声で、忠雄君をよびつけました。
「パパ、なに。」
 忠雄君が、いそいで書斎にはいっていきますと、おとうさんは、デスクの前に、つったって、じっと、その上をみつめているのです。
「これ、おまえが書いたのか。」
Rの中に○が2つ入った図
 みると、デスクの上に、おとうさんの大型の日記帳がひらいてあって、そのページいっぱいに、字だか、絵だかわからないような、上のような形のものが書きなぐってあるのです。それをひと目みると、忠雄君が、とんきょうな声をたてました。
「あっ、ここにも……パパ、おんなじものが、ぼくのノートにも書いてあったよ。」
 忠雄君は、いきなり、書斎をかけだして、じぶんの勉強部屋から、一冊の大学ノートをもって、もどってきました。そのノートにも、ページいっぱいに、おなじいたずら書きがしてあるのです。
 ふたりは、だまって、目を見あわせていましたが、やがて、忠雄君が、青ざめた顔で、ささやくようにいいました。
「パパ、これ英語のRという字じゃない?」
「うん、そういえばRだね。だが、この二つのまるは、なんだろう。」
「目だよ。」
「えっ、目だって?」
「カニ怪人の目だよ。そして、あいての名はRっていうんだ。Rすい星からきたやつだからね。」
「おまえは、なにをいうんだ。まさか……。」
「だって、新聞にそう書いてあったでしょう。カニ怪人は、じぶんのことをRとよんでくれといって、地面にRの字を書いてみせたって。そのRがカニ怪人の形とよくにていたと書いてあったでしょう。きっと、あいつだよ。」
「おまえは、少年探偵団だから、そんなふうに考えるんだよ。こんないたずら書きをするのには、その怪物が、うちへしのびこまなければならない。そんなことができるものじゃないよ。だれかが、いたずらをしたんだ。カニ怪人なんかじゃない。ひょっとしたら、おまえの友だちがやったんじゃないかい。さっき、二―三人、あそびにきてたじゃないか。」
「ぼくの友だちは、こんないたずらしませんよ。ねえ、パパ、あいつは、あの推古仏すいこぶつをねらってるんじゃないのかしら。書庫の中においてあるんでしょう。だいじょうぶなの。」
 推古仏というのは、高さ二十センチぐらいの小さな仏像ですが、七世紀ごろの作品で、たいへん貴重な宝物なのです。それを、あるお金持ちからかりだして、岩谷美術館に陳列することになったのを、博士が一時あずかって、本を入れてある書庫の中においてあったのです。
「パパはいま書庫からでてきたばかりだ。推古仏はちゃんと、たなの上にあったよ。いつものように、錠前じょうまえをおろしてきた。窓には鉄ごうしがはめてあるし、壁はコンクリートだ。いくら怪物でも、あの書庫はやぶれないだろう。……いや、おまえのおもいすごしだよ。そんなへんなかっこうのやつがウロウロすれば、町でも、家の中でも、すぐみつかってしまうはずだ。あの新聞の記事だって、漁師のこどもがみたというだけで、そのまま信用はできないのだからね。」
 でも、忠雄君はどうも安心ができません。きっと、どこかに、あいつがかくれているんだとおもいました。新聞にでていた、あの頭でっかちのカニのおばけが、そのへんにいるのかと考えると、ゾーッと、さむけがしてくるのでした。

土の中から


 それからしばらくして、忠雄君はしんぱいでしかたがないものですから、うらの書庫へいってみました。
 書庫は、母屋おもやから、すこしはなれた庭にたっていました。コンクリートづくりのくらです。くつをはいて、書庫の前にいって、錠前をしらべてみましたが、べつじょうありません。
「やっぱり、パパのいうとおりかもしれない。もし、推古仏がほしいのなら、あんないたずら書きをするひまに、書庫にはいればいいんだ。R怪人には錠前をやぶるぐらい、なんでもないだろうからな。」
 そうおもって、なにげなく庭のほうに目をやりましたが、ふしぎなものをみたので、おもわず、「おやっ。」と、声をたてました。
 もう夕方であたりはうすぐらくなっていましたが、庭のおくの木の下の地面が、なんだかモゾモゾと、うごいているようなかんじがするのです。
「へんだな、土がうごくはずはないのだが、モグラかしら。」
 おもわず、そのほうへ近づいていきました。木がしげっているので、そのへんは、ひどくくらいのです。そのくらい地面に、ウジャウジャとたくさんのものが、うごめいていました。
 カニです。大きいのや、小さいのや、何十ぴきというカニの一連隊が、こちらへ進んでくるのです。
 忠雄君は、ギョッとしました。新聞の記事をおもいだしたからです。R怪人が海からあらわれるまえに、たくさんのカニが、がけをのぼってきたと書いてありました。
 町の中に、こんなにたくさんのカニがいるはずはありません。このカニどもは、R怪人といっしょに、どこからか、やってきたのではないでしょうか。
 忠雄君は、ゾーッとしました。にげだしたくなりました。しかし、にげるよりもはやく、そのことがおこったのです。
 カニのはっているむこうの地面が、ムクムクと、うごきはじめたではありませんか。こんどこそモグラかもしれないとおもいました。
 土がひびわれてきました。そして、その下から、なんだか黒っぽいものが、ヌーッとあらわれてくるのです。
 ひびわれが、いっそう大きくなりました。そこからでてきたのは、びっくりするほど大きなものでした。モグラではありません。モグラの何十倍もあるものです。
 それは大ガメのこうらのようにみえました。黒っぽい大きなかさのようなものが、すっかりでてしまうと、パッと目をいるように光る、二つのまるいものが、あらわれました。あっ、目です。カニ怪人の目です。
「ワーッ、たすけてえー。」
 忠雄君は、さけびながら、いちもくさんに、かけだしました。そして、うちの中にとびこむと、
「パパ、パパ、たいへんだ。あいつが、あいつが……。」
 おとうさんの古山博士と、書生さんとが、おどろいてでてきました。
「どうしたんだ、忠雄。」
「あいつだ。カニ怪人が、土の中から……。」
 息をきらせて、庭のほうをゆびさすのです。
「えっ、カニ怪人だって。ほんとか。」
「モグラみたいに、土の中からでてきたんだ。いまに、こっちへやってくる。」
 博士は書生さんにいいつけました。
「きみ、いってみよう。懐中電灯を。」
 書生さんはとんでいって、懐中電灯をもってきました。そして、ふたりは、えんがわの下のサンダルをつっかけて庭へかけだしました。
「忠雄、どのへんだ。」
 忠雄君は、ふたりについて庭にでましたが、その場所までいく元気がありません。「あそこ、あそこ。」と、ゆびさすばかりです。
 博士と書生とは、それとおもわれる場所へいって、懐中電灯をふりてらしました。しかし、なにもありません。
「忠雄、きてごらん。なにもいやしないじゃないか。」
 忠雄君は、おずおずと、そこへ近づきました。
「おや、へんだなあ、たしかに、ここだったのに。」
 あのたくさんのカニは、どこへいったのか、一ぴきも姿がみえません。そして、カニ怪人も、どこかへきえてしまったのです。
「おまえ、まぼろしでもみたんじゃないのかい。」
 博士が、にがわらいをして、いいました。
 忠雄君はキョロキョロと地面をみまわしていましたが、やがて、あっと、声をたてました。
「パパ、みてごらん。あれだよ。ほら……。」
 そこには、なにかがぬけだしたような、大きな穴があいていました。懐中電灯でてらしてみると、その穴は、ふかさ二メートルもあって、その下のほうに、よこ穴がつうじているらしいことがわかりました。なにものかが、地の底をもぐって、ここからでてきたのにちがいありません。
「うん、モグラなんかじゃないよ。よほど大きなやつだ。すると、やっぱり……。」
 博士も、忠雄君のことばを信じないわけにはいきません。
 それから、三人がかりで、庭じゅうを、すみからすみまで、しらべましたが、怪物の姿はどこにもありません。
 うちの中へ、はいったのではないかと、こんどは、うちじゅうをしらべましたが、やっぱり、なにも発見できません。
 しかし、こうなっては、もうほっておけないというので、博士は、すぐに警察に電話をかけて、知りあいの署長さんに、みはりの刑事さんをよこしてくれるようにたのみました。

消える怪人


 まもなく、三人の刑事さんがやってきて、ひとりは書庫の前、あとのふたりは、庭や、家のまわりを、あるきまわって、夜通し、みはりをしてくれることになりました。
 うちの人たちは、おちおちねむることもできません。古山博士は、夜中に、なんどもおきて、懐中電灯をもって書庫をみまわりにいくのでした。
 しかし、その夜はなにごともなく、朝になりました。刑事さんたちは、食事をすますと、新しくやってきた三人の刑事さんと、こうたいしました。そして、昼間も、ずっとみはりをやってくれるのです。
 その日は日曜日なので、博士も忠雄君も、家の中にとじこもっていました。
 なにごともおこりません。
 それでは、やっぱり、きのう忠雄君がみたのは、なにかのまちがいだったのでしょうか。こわいこわいとおもっていたので、まぼろしでもみたのでしょうか。
 忠雄君もきのうのことは、なんだか、夢のように、おもわれてきました。
 もう夕方の五時でした。忠雄君は便所にはいって、ふと、ガラス窓から、むこうをみました。
 そこからは、書庫の正面がみえるのです。
 ひとりの刑事さんが、書庫の入口の前に、いすをおいて、それにこしかけています。
「おやっ、あれはなんだろう。」
 書庫のてまえの地面が、またウジャウジャとうごいているではありませんか。
 カニです。
 大小何十ぴきというカニが、行列をつくって、書庫のほうへ、進んでいくのです。
「あっ、カニ怪人だっ。」
 どこからか、青銅でできたような、あいつの姿があらわれ、カニの行列のあとから、あるいていくではありませんか。
 忠雄君は、はじめて怪人の全身をみました。
 カニのこうらとそっくりの頭、頭の上には二本のアンテナのようなものがつきでていて、それが、あるくにつれて、ピリピリとふるえています。
 巨大なカニのこうらの下に、おそろしく光る二つの目玉、カニのはさみのような二本のうで、カニの腹ににた胴体、それから、するどいツメのついた二本の足。
 なんという、いやらしい形でしょう。
 一目みると、ゲッとはきけをもよおすような、みにくい、姿です。
 刑事さんは、まだそれをしらないでいます。
 窓をあけて、ここから、さけべばいいのですが、忠雄君は、のどがつまったようになって、声もでないのです。
 しかし、目は怪物にくぎづけになって、みまいとしても、みないわけにいきません。
 あっ、怪物は刑事さんのうしろから、ちかよっていきます。胸のへんから、なにかとりだしました。黒いマフラーのようなものです。
 あっ、とびかかりました。はさみのついた腕が刑事さんの首にまわりました。そして、黒いマフラーで、刑事さんに、さるぐつわをかけてしまいました。
 マフラーは二本ありました。刑事さんをたおしておいて、もう一本のマフラーで、足をしばりました。刑事さんは、もうおきあがることも、声をたてることもできません。
 そうしておいて、カニ怪人は書庫の大戸おおどにちかより、錠前をいじっていましたが、どういうやりかたをしたのか、たちまち錠がはずれ、大戸がひらきました。怪人はサッと、その中へとびこむと、また大戸をぴったりしめてしまいました。
 忠雄君は、そこまでみとどけたとき、やっとからだをうごかすことができました。いきなり便所からとびだすと、ありったけの声をふりしぼって、さけびました。
「みんなきてください。カニ怪人が書庫へはいった。刑事さんがしばられた。はやく、だれかきてください……。」
 まず書生さんがかけつけてきました。そして、庭内を見まわっているふたりの刑事さんをおそろしい声で、よびたてました。
 やがて、ふたりの刑事さんが、とんできました。そして、書生さんと三人で、書庫のまえにいそぎ、たおれている刑事さんを、だきおこして、さるぐつわと、足のマフラーをときました。さっきのカニの一連隊は、どこへいったのか、もうそのへんにはみえませんでした。
「あいつは、この書庫の中にいるんだな。」
「うん、いまはいったばかりだ。大戸は中からしめたまま、一度もひらかなかった。中にいるにちがいない。」
「よしっ、ふみこもう。」
「だいじょうぶか。あいてはおそろしいやつだぞ。」
「こっちは四人だ。ピストルももっている。」
 刑事さんたちは、かくしていたピストルをとりだしました。
「さあ、いいか、ひらくぞっ。」
「よしっ、一、二、三っ。」
 大戸がいっぱいにひらかれ、四人は、ひとかたまりになって、とびこんでいきました。そのあとから、古山博士も、おくればせに、書庫の中へはいってきました。
 書庫の中は、四方の壁がてんじょうまで本棚になっていて、まんなかに、大きなデスクがおいてあるばかりですから、一目でみわたせます。
 なんにもいないのです。デスクの下も、からっぽです。本棚をグルッとみまわりましたが、怪物のかくれるすきはありません。窓の鉄ごうしもちゃんとしていて、こわれたようすはないのです。
「きえてしまった。」
「きみ、あいつがはいったことは、まちがいないだろうね。」
「まちがいない。それにぼくは、ずっと大戸を見つづけていた。一度もひらかなかった。」
 じつにふしぎです。まったく出口のないところから、あの大きな怪物がきえてしまったのです。R星人は、地球ではわからない魔法をこころえているのでしょうか。
「やっぱりそうだ。推古仏がなくなっている。」
 古山博士が、やっとそれに気がついたように、大きな声をだしました。
「えっ、それはどこにあったのです。」
「あの棚のあいているところです。あそこにおいてあったのです。」
「じゃあ、怪物は宝物といっしょにきえてしまったのですね。」
 それからまた、ながい時間、書庫の中をしらべました。窓の鉄ごうしをゆさぶってみたり、床やてんじょうに、秘密の出口ができているのではないかと、たたきまわったり、本棚の本を、ぜんぶ、ぬきだしてしらべたり、もうこれ以上しらべようがないほどしらべましたが、どこにもあやしいところはないのです。
「完全な密室だな。」
「うん、だが、地球の人間には密室だが、星の怪物には密室でないかもしれない。われわれの知恵ではわからない、ぬけだしかたがあるのかもしれない。」
「もしそうだとすれば、こいつはてごわいぞ。おばけか幽霊をあいてにしているようなもんだからな。」
 刑事さんたちは、くちぐちに、そんなことをいいあって、カニ怪人の魔力におびえるのでした。

カニじいさん


 妖星人R、カニ怪人といわれる怪物は、古山博士の書庫にしのびこんで、たいせつな美術品、推古仏をぬすみさってしまいました。
 コンクリートだてで、窓には鉄棒のはまった書庫の中で、小さい仏像といっしょに、きえてしまったのです。えたいのしれぬ星のいきものですから、どんな力をもっているか、わかりません。コンクリートの壁でも、スーッと、つきぬけてしまうかもしれません。それとも、じぶんの姿を、おもうままにけすという、ふしぎな力をもっているのでしょうか。
 空には夜ごとに、あのあやしいRすい星が、ぶきみな赤ちゃけた光をはなっていました。新聞などでは、仮にRすい星とよんでいましたが、これまでのどのすい星ともちがった、ふしぎな天体なので、天文学者のあいだに、大議論がおこっていました。それが毎日、毎日、新聞に大きくのせられるのです。
 海からあらわれたカニ怪人が、千葉の別所少年に、へんなかたことで、しゃべったところによりますと、Rすい星は、怪星人が宇宙をとびまわる巨大なのりものだというのですが、それはほんとうなのでしょうか。
 古山博士邸の盗難事件も、むろん、デカデカと新聞にのりましたので、日本じゅうがそのうわさで、もちきりでした。
 もし、あの妖星が、大きなのりものだとすれば、それには何百ぴき、何千びきのカニ怪人がのっているかもしれない。東京にあらわれたのは、まだ一ぴきだけれど、やがて、日本全国に、あのいやらしいカニ怪人が、ウジャウジャとおりてきて、われわれは、みんな、ほろぼされてしまうのではないかと、日本じゅうの人がふるえあがってしまいました。
 そんなある日のことです。明智探偵事務所では、明智探偵と助手の小林少年とが、テーブルにむかいあって、はなしこんでいました。
「古山博士のこどもの忠雄君は、少年探偵団員なのです。ですから、ぼくは忠雄君から、くわしい話を聞きました。カニ怪人というやつは、人間わざではできないことをやったのです。地球の人間にはしられていない、おそろしい力をもっているのでしょうか。」
 小林君がいいますと、明智探偵は、じっと小林君の顔をみつめていましたが、やがて、みょうな笑いをうかべて、
「わたしは信じない。」
と、ぽつりといいました。
 小林君は、ふしぎそうに、先生の顔を見かえします。
「ネジネジのしっぽをもったすい星が、あらわれたのは、だれもうたがうことのできない事実だ。これは天文学者にまかせておけばいい。だが、カニ怪人とかいうやつが、ロケットみたいなものにのって、地球へおりてきたということは、ぼくは信じない。怪すい星とカニ怪人とは、なんのかんけいもない、べつのできごとだとおもう。」
「それは、どういういみですか。」
 小林君が、びっくりしてたずねました。
「いまにわかるときがくる。しかし、これは、ぼくらにとっては、大事件だよ。命がけのはたらきをしなければならない。きみもじゅうぶん、かくごしておくがいい。妖星人Rとなのるカニ怪人は、われわれ人間が、いままで、一度もであったことのない、おそろしいやつだからね。そのいみでは、あいつは妖星人にちがいないのだよ。」
 小林君には、まだよくわかりませんが、いくらたずねても、先生は、それ以上、なにもおしえてくれないのです。でも小林君は、なんだかボンヤリと、わかったような気がしました。すると、あの、みにくい姿をした、カニのおばけみたいな怪物が、目のまえいっぱいのまぼろしとなって、ボーッと、みえてくるようです。
 しかし、小林少年がカニ怪人に対面するのは、もっとあとのお話です。古山忠雄少年のつぎに、カニ怪人にぶつかったのは、おなじ少年探偵団員の井上一郎いのうえいちろう君でした。
 井上君は、もとボクサーのおとうさんから、ボクシングをならって、うでにおぼえのある、強い少年です。
 ある日の午後、井上君は、渋谷しぶや区のはずれのさびしい町をあるいていました。ふと気がつくと、道のわきに、草のはえた空地あきちがあって、そこに人だかりがしているのです。
 あつまっているのは、中学生や小学生のこどもばかりでした。十五―六人が、なにかをとりまいて、みているのです。
 井上君は、なんだろうと思って、そのほうへ、ちかよっていき、こどもたちの肩のすきまから、中をのぞいてみました。
 少年たちにかこまれて、こじきのようなじいさんが、地面にしゃがんでいます。そのまえに、二つのたらいのようなブリキのおけが、おいてあり、そばに、一本の棒が、よこたわっていました。
 じいさんは、二つのおけを、その棒の両はしに、縄でさげて、ここまでかついできたのでしょう。
 ブリキおけの中には、大きいのや小さいのや、何百ぴきというカニが、ウジャウジャと、うごめいていました。このじいさんは、カニを売っているのです。
 しかし、少年たちは、だれも、カニをかおうというものはありません。ただ目をみはって、じっと、じいさんの顔をみつめているばかりです。
 それほど、このじいさんは、気味のわるい顔をしていました。
 腰が二つにおれたように、まがった、もう七十ぐらいのおじいさんです。ネズミ色のダブダブのズボンに、シャツの上から、赤いチャンチャンコのようなものをきて、頭には赤い大黒だいこくずきんをかぶっています。
 チャンチャンコにずきんというと、なんだか、ふくぶくしい、じいさんのようですが、そうではありません。そのチャンチャンコも、ずきんも、おそろしくよごれてしまって、赤だか、黒だか、わからないほどになっているのです。
 それに、このじいさんの顔ときたら、おもわず身ぶるいするほど気味のわるいものでした。
 かぞえきれないほど、横じわのあるひたい、ギョロリとした目、ひらべったい鼻、歯がないのか、ぺっちゃんこになった口、その口の上にも下にも、また、いっぱい、横じわが、きざまれています。そして、顔ぜんたいが、日にやけて、茶色になっているのです。
「だれもかわねえのか。いくじのねえガキどもだな。かわなきゃあ、おら、もう、いっちまうぞ。」
 じいさんはジロジロと、少年たちをみまわしながら、しわだらけの顔で、にくまれ口をききました。
 井上一郎君は、その顔をみて、ゾッとしました。カニとそっくりなのです。
 おそろしく大きなカニです。
 じいさんの目が、みんなのうしろにいる、背の高い井上君の目とぶっつかりました。
「あっ、そこへきた子、おめえ、かわねえか。」
 井上君によびかけました。
 井上君がだまっていますと、じいさんは、じっと井上君の顔をみつめたあとで、気味のわるい笑いをうかべながら、またよびかけました。
「うん、おめえだ。おらが、さがしてたのは、おめえだよ。ちょっと話がある。ええ話だ。おらといっしょに、むこうの森の中まで、きてくんろ。おめえのよろこぶ話だぞ。」
 みょうなことになりました。このあやしいじいさんは、井上君を、むこうにみえる神社の森の中へ、つれていって、なにか話すことがあるというのです。
 井上君は、にげだそうかとおもいました。しかし、考えてみると、あいては、よぼよぼのじいさんです。とっくみあったって、まけるきづかいはありません。それに、少年探偵団員として、こういう、あやしいじいさんと、話してみるのは、むだではないとおもいました。冒険はのぞむところなのです。
「おめえたちは、ここであそんでろ。おら、この子にちょっと話があるでな。」
 じいさんは、少年たちに、そういいのこすと、二つのカニおけを、棒でかついで、えっちらおっちらと、むこうの森のほうへ、あるいていくのです。
 井上君は、しかたがないので、そのあとから、ついていきました。
 すると、うしろから、少年たちの声が、ひびいてきました。
「やーい、カニじじい……。」
「おまえの顔、カニとそっくりだぞう……。」
「カニ怪人だ、カニ怪人だ……。」
「ワーイ、ワーイ。」
 井上君は、それをきいて、またゾッとしました。
 ほんとうに、このじいさんは、あのおそろしいカニ怪人となにかかんけいがあるのかもしれないとおもったからです。
 しかし、にげだす気には、なれません。カニ怪人にかんけいがあるなら、いっそう、このじいさんの正体をたしかめてやろうと決心しました。

R変身


 まだ昼なのに、夕ぐれのように、うすぐらい森の中へはいると、じいさんは、カニおけをかついだ棒を、かたからおろして、こちらにむきなおりました。そして、カニとそっくりの顔で、ニヤリと笑いました。
「きみは、りっぱな少年だ。わしは、きみのような少年が、ひとり、ほしかったのだ。どうだ、おれの弟子にならないかね。」
 じいさんは、さっきのいなかことばとは、まるでちがった、標準語で、そんなことをいいました。じいさんとはおもえないわかわかしい声です。
「弟子になるって、どうすればいいんだい?」
 井上君は、勇気をだして、たずねてみました。
「つまり、おれの命令どおりに、うごくのさ。そのかわり、きみは、地球の人間のだれもしらないものをみることができる。このひろい宇宙を旅行することができる。」
 とんでもないことを、いいだしました。ひょっとしたら、このじいさんは、気がちがっているのではないでしょうか。
「どうして、宇宙旅行をするんだい?」
 井上君はあいてをばかにしたように、聞きかえしました。
「Rすい星にのってさ。」
「えっ、Rすい星だって?」
 この、よぼよぼのじいさんの口から、Rすい星なんてことばがでるのは、ふしぎです。
「だって、Rすい星まで、どうしていけばいいんだい?」
「カニ怪人といっしょにいけばいいのさ。ちゃんとのりものが、海の底にまっている。それにのりこんで、ピューッと、空へとびだしていくのさ。」
 じいさんは、千葉県の銚子の近くの海に、おそろしい音をたてておちた、あのロケットのようなもののことを、いっているのかもしれません。井上君は、いよいよ、気味がわるくなってきました。
「だって、カニ怪人はきえてしまったじゃないか。それに、カニ怪人が、ぼくをRすい星へつれていってくれるかどうか、わからないじゃないか。」
 井上君は、まるで、夢の中で、ものをいっているような気持でした。Rすい星へいくなんて、できっこないことを、しっていながら、つい、じいさんのことばに、まきこまれてしまったのです。
「わからなくはないよ。カニ怪人さえ、しょうちすればいいのだ。」
 じいさんは、わかわかしい声で、自信ありげにこたえました。
「じゃあ、おじいさんは、カニ怪人をしっているのかい?」
「しっているとも、いや、しっているどころじゃない。いま、そのしょうこをみせてやるぞ。」
 じいさんは、みょうなことを、いったかと思うと、パッと、姿をけしてしまいました。
 じいさんのすぐうしろに、直径一メートルもある大きな木が立っていました。とっさに、ひととびで、その木のうしろへ、かくれたのかもしれません。しかし、あのよぼよぼのじいさんに、そんなはやわざができるでしょうか。おばけか、忍法にんぽうつかいのように、パッときえてしまったとしか、考えられないのでした。
 井上君は、つぎつぎと、いがいなことばかりおこるので、あっけにとられて、ボンヤリと、つったっていました。夢に夢みるここちです。
 ふと気がつくと、二つのブリキおけがすっかり、からっぽになっていました。あの何百というカニは、どこへいってしまったのでしょう。
 井上君は、目をこらして、まえに立っている大きな木のみきをみつめました。木のみきがウネウネと、ゆれていたからです。
 コケのはえた、大木のみきが、ヘビの背中のように、うごいているのです。
「あっ、カニだっ。」
 それは、何百ぴきというカニが、かさなりあって、木のみきを、のぼっているのでした。それがモゾモゾとうごくたびに、木がゆれるようにみえたのです。
 井上君は、ハッとおもいだしました。カニ怪人が銚子の近くの海から、あらわれたときにも、また、古山博士の庭にあらわれたときにも、そのまえぶれのように、たくさんのカニが、はいだしてきたというではありませんか。
 すると、いま、この大木のみきを、はいあがっているカニのむれも、やっぱり、おなじまえぶれではないのでしょうか。
 井上君は、サーッと、からだじゅうから、血がひいていくような恐怖を感じました。
 そのときです。大木のみきのうしろから、なにか黒いものが、チラッとあらわれました。
 ひらべったい、かさのようなものです。ピカッと光りました。電気のように、つよい光です。やがて、その光が二つになりました。
 あっ、目です。怪物の目です。
 その上にかぶさっている、かさのようなものは、巨大な、カニのこうらです。目の下に口があります。口からはブツブツと、白いあわをふきだしています。
 カニのこうらの上には、アンテナのような二本の触手しょくしゅ、口のよこからは、するどいはさみのついた二本の腕、それから、カニのはらのように、気味のわるい胴体、二本のまがりくねった足。
 ああ、カニ怪人です。カニ怪人が、井上君の目のまえに、姿をあらわしたのです。
「しんぱいしなくてもよろしい。きみを、とってくうわけじゃない。」
 口のあわの中から、カニ怪人のことばが、もれてきました。
 銚子の近くの海からあらわれたときには、まだ、かたことにしかいえなかったのに、あれから、十日もたたないうちに、こんなにうまく、日本語がしゃべれるようになったのでしょうか。
「おれたちR星人は、みたもの、きいたものをすぐ、じぶんのものにできるのだ。ことばでも、顔でも、姿でも、地球人は、ならって、おぼえるのだが、おれたちは、ことばでも、姿でも、そのまま、こちらへ、のりうつってしまうのだ。さっきは、地球人の七十のじいさんにばけていた。おれは、きのう、あのとおりのじいさんを、道でみかけて、それにばけたのだよ。地球には変身ということばがあるね。だから、これはR変身とでもよべばいいだろう。」
 みにくい大ガニのばけものが、じつにただしい日本語をつかっているのです。地球人の知恵では、想像もできないことでした。
「まだある。おれはじぶんのからだをけすことができる。いや、じぶんばかりじゃない。だれのからだだってけせるのだ。地球人のからだだってね。だから、きみの姿をみえなくすることだって、わけはないのだよ。」
 いよいよ、ふしぎなことを、いいだしました。
 井上君は、じぶんのからだが、けされて、なくなってしまうことをかんがえると、ゾーッと、身ぶるいしないではいられませんでした。
「日本には忍法というのがあるそうだね。やっぱりからだをけす術だね。その術はもうわすれられてしまったそうじゃないか。いまでは、だれもできるものがないというじゃないか。だが、R星人には、わけのないことだよ。それには、きまったやりかたがある。それをしらないと、きえられないのだ。ひとつみせてやろうか。」
 井上君は、いよいよ、夢みごこちで、ぼうぜんとしていました。ふつうの、ものの考えかたが、すっかり、ぎゃくになってしまったみたいで、なにがなんだか、わけがわからないのです。
「ほら、よくみてるんだよ。」
 カニ怪人の、あわだらけの口から、そんなことばが、もれたかとおもうと、カニのこうらの上の二本の触手のさきが、パッと光って、そこからこまかい白いあわのような、煙のようなものが、もうもうと、ふきだしてきました。
 その煙のなかで、カニ怪人は、いきなり、グルグルと、からだをまわしはじめたのです。まるでコマのようにまわるのです。
 ああ、そのはやさ。もう怪人の姿は、よくみえません。なにか気体のようなものが、クルクル、クルクル、まわっているばかりです。それが触手からふきだす、白い煙につつまれて、いよいよ、ぼんやりしてくるのです。
 プロペラが早く回転すると、目にみえなくなります。あれと同じりくつなのでしょうか。
 白い煙まで、いっしょになって、グルグルと、まわりはじめました。そして、それがスーッと、上のほうへ、たちのぼっていきます。
 ああ、もうみえなくなりました。木のみきのまえには、なにもありません。井上君は木のうしろにまわってみました。そこにも、なにもありません。まったくきえてしまったのです。
 古山博士の書庫の中できえたのも、このやりかただったのでしょうか。そうおもうと、井上君は、なんともいえない、へんな気持になっていきました。
「アハハハハ……、おどろいたかね。これがR星人の忍法だよ。地球人はおどろくだろうが、R星では、からだをけすなんて、なんでもないことだよ。アハハハハ……、こんどは、ひとつ、きみのからだをけしてみようか。」
 井上君はギョッとして、へんじをする力もありません。

消えた少年


 すると、大木のみきのうしろから、さっきのカニ売りのじいさんが、すばやく変身をして、にやにやわらいながらあらわれ、いきなり井上君のそばによると、両手で井上君のからだを、グルグルまわしはじめました。
 すると、どこからともなく、白いあわのような、けむりのようなものが、とんできて、井上君の顔のまわりを、つつみます。目がまわって、いまにも、たおれそうです。
「さあ、これでよし。きみは消えたんだよ。」
 じいさんが、いいました。
 井上君は、おもわず、じぶんのからだをながめましたが、消えてはいません。手でさわってみても、顔も、胸も、腹も、足も、ちゃんとあるのです。
「消えちゃいないよ。」
 井上君が、そういいますと、じいさんは、わらいだして、
「アハハハ……、じぶんには見えるんだよ。だが、ほかの人には見えないのだ、わしにも見えない。しかし、わしが見えないといっても、きみは信用しないだろうね。……あ、いいことがある。むこうから、さっきの子どもたちがやってきた。わしが、いつまでも、もどらないものだから、さがしにきたんだよ。あの子どもたちに、きみの姿が見えるかどうか、ためしてみるがいい。」
 さっきカニ売りじいさんをかこんでいた、十数人の子どもたちが、森の中へかけこんでくるのが見えました。
「やあ、おじいさんは、あそこにいるよ。」
「おじいさん、さっきのカニ、どうした。」
 子どもたちは、口々に、なにかさけびながら、近づいてきました。
「みんな、こっちへおいで、いいもの見せてあげるよ。」
 じいさんが手まねきすると、みんなは、そのまわりへ、かけよってきました。
 井上一郎少年の立っているそばを、子どもたちは、とおりすぎていくのです。しかし、だれも井上君に気づいたものはないようです。井上君のからだと、すれすれに走っていきます。井上君が見えれば、もっとはなれたところをとおるはずなのに、いまにもぶっつかりそうになるのです。
 あっ、とうとう、ぶっつかりました。
 小学校三年ぐらいの小さい子どもなので、大きなからだの井上君にぶっつかると、ころんでしまいました。
「あ、いたいっ。」
といいながら、みょうな顔をして、おきあがりました。どうしてころんだのか、わけがわからないらしいのです。
しょうちゃん、どうしたの?」
 六年生ぐらいの大きい少年が、たおれた子どもをだきおこしながら、ききました。
「なにかに、ぶっつかったんだよ。」
「ぶっつかるものなんて、なんにもないじゃないか。つまずくものもないよ。」
「空気にぶっつかったんだよ。」
 正ちゃんが、へんなことをいいました。
「ばかだな。空気にぶっつかるやつがあるもんか。」
 大きい少年は、そういって、じょうだんのように、手をふりまわして、そのへんに、なにもないことを、たしかめるまねをしました。
「あっ、いたいっ。」
 その手のさきが、ぶっつかったのです。空気の中に、なにかかたいものがあったのです。
 井上一郎君はびっくりして、身をよけました。大きいほうの少年の手は井上君の肩にあたったのでした。少年は、へんな顔をして、そのへんをキョロキョロと、見まわしています。井上君の姿が、すこしも見えないらしいのです。
「おおい、みんなここへきてごらん。空気の中になんだか、かたいものがあるんだよ。」
 五―六人の少年が、あつまってきました。井上君は、またぶっつかってはいけないとおもって、二メートルほど、横に身をよけましたが、少年たちは、井上君のほうを見ようともしません。
「どうしたの?」
 さっきの大きい少年を、とりかこんで、みんながたずねます。
「ここだよ。ぼくが、手をふりまわしたら、なにかにぶっつかったんだよ。かたいものだ。しかし、なんにもありやしない。空気ばかりだよ。」
「このへんかい。」
 二―三人の少年が、そういって、両手をグルグル、ふりまわしました。井上君はそれを見ると、おどろいて、いっそう遠くへ身をよけましたので、こんどは、なにもぶっつかるものはありません。
「きっと、きみの気のせいだよ。空気にぶっつかるはずはないもの。」
「ほら、なんともないよ。なんにもぶっつからないよ。」
 少年たちは、手をふりまわして、そのへんを、歩きまわりながら、口々に、いうのでした。
 井上君はおかしくなってきました。小さいころ、かくれみのの童話を読んだことがありますが、いま井上君は、かくれみのを着たのとおなじなのです。いたずらがしてみたくなりました。
「アハハハハ……。」
 いきなり、わらってみました。少年たちは、びっくりして、キョロキョロあたりを見まわしています。
「だれだい、いまわらったのは?」
「だれも、わらわないよ。」
「でも、わらい声がきこえたじゃないか。」
「うん、きこえた。おじいさんじゃないだろうね。」
「おじいさんの声じゃない。子どもの声だったよ。」
「そうだな。へんだねえ。」
 井上君はおもしろくてたまりません。こんどは、ひとりの少年にちかづいて、指で、その顔をチョイと、つついてみました。
「だれだっ、いま、ぼくの顔にさわったのは?」
 みんな、シーンとして、身動きもしません。だれもさわったおぼえがないからです。なんだか、こわくなってきました。
「この森には、魔物がいるのかもしれないよ。」
 少年のひとりが、わざとひくい声で、おそろしそうにいいました。
「わあ、魔物だあ……。」
 だれかが、さけびながら、かけだしました。すると、みんなも、そのあとについてかけだすのです。
「おい、カニ売りじいさんがあやしいよ。あれも魔物かもしれないぜ。」
 ひとりが、はしりながら、息をはずませていいました。
 それをきくと、みんなは、いっそうこわくなり、「ワーッ。」とさけび声をたてて、走るのでした。

地からわく


 カニ怪人のために、からだを消された井上少年は、それからどうなったのでしょうか。
 それは、しばらくのちのお話として、ここには、もっとべつな、もっとふしぎなできごとを、みなさんにおしらせしなければなりません。
 カニ怪人が岩谷美術館の館長古山博士のうちから、貴重な美術品、推古仏をぬすみさったことは、前に書きましたが、こんどは、岩谷美術館そのものが、おそわれることになったのです。
 ある夜のこと、古山博士から警視庁に電話がかかりました。電話口によびだされたのは、捜査一課の中村なかむら警部でした。中村警部は、いま日本じゅうをさわがせているR怪人の係りのひとりだったからです。
「R怪人があらわれました。」
「えっ、いつ、どこへです。」
「つい、いましがたです。しかし、もういなくなってしまいました。電話ではなんですから、岩谷美術館まで、おでかけくださいませんか。ねんのため、部下のかたをおつれくださるほうがいいとおもいます。」
「しょうちしました。すぐ車でいきます。」
 中村警部は五人のうでききの刑事をつれて、大型自動車をとばしました。そして、岩谷美術館についたのは、もう夜の七時半でした。美術館は五時に閉館になり、のこっているのは古山博士と、三人の館員ばかりでした。
 警部と刑事たちは、会議室のような広い部屋にとおされました。そこに古山博士と館員たちがまっていたのです。
「電話では、くわしいお話ができませんでしたが、実に奇怪なことがおこったのです。わたしはこの目で見たし、ここにいる館員たちも見ているので、まちがいはありませんが、それをお話ししただけでは、信用していただけないかもしれません。」
「カニ怪人があらわれたのですか。」
「そうです。しかも、ひとりではありません。全部で十人に近いでしょう。ほうぼうにあらわれたのです。そして、そのあらわれかたが、じつにふしぎせんばん。ありえないことがおこったのです。」
「といいますと?」
「地の中から、わきだしたのです。」
「それならこのあいだ、先生のお宅でも、地の中からあらわれたではありませんか。」
「いや、あれとはちがうのです。あのときは地面に穴があいていました。ところが、今夜は穴がないのです。地面にはなんの異状もなくて、しかも、そこからカニ怪人が幽霊のようにわいてきたのです。そして、また、そこから地面の下へ消えてしまって、地面には、なんのあとものこらないのです。」
「さいしょ、それを見たのは、わたしです。」
 館員のひとりが話をひきつぎました。
「五時に閉館したあとに、われわれ三人がのこって、カードの整理をしていました。館長さんも、今夜はのこっておられました。わたしたちの事務室は庭にめんしているのですが、暗い窓の外に、なにか動いているものが見えたのです。
 コンクリートのへいまで、十五メートルほどあります。そこにヒマラヤスギが、ならんで立っているのです。その一本のヒマラヤスギのねもとに、なんだか、動いているものがありました。
 くらくて、よくは見えません。犬かしらとおもいましたが、どうも犬やなんかではなさそうなのです。みんなが、立って、窓からのぞきました。
『へんだぞ。いってみよう。』
 わたしはそういって、懐中電灯をもつと、外へとびだしていきました。あとのふたりも、ついてきました。
 ヒマラヤスギに近づいて、懐中電灯をてらしてみると、そこにおそろしいものが、うごめいていたのです。あのカニのこうらのような頭をもった、カニ怪人です。こうらの下に二つの目が、青い火のように光っていました。
 いま地面から、はいだしたところでした。青い目で、じっとこちらをにらんでいるのです。
 わたしたちは、キャッといって、にげだしました。しかし、あいても、おどろいたのでしょう。そのまま、地面の中へ、もどっていったのです。二十メートルもにげて、ふりかえってみると、カニ怪人は、からだをぜんぶ、地面の下にいれて、大きな頭だけが、地面の上にのこっているのでした。そして、その頭も、わたしたちの見ている前で、地面の中へ、すいこまれてしまったのです。
 わたしたちは、しばらくして、そこへもどってよくしらべてみましたが、地面には、なんのあとものこっていませんでした。むろん、穴なんかあいていないのです。」
 古山博士が、そのあとをひきとって、話をつづけました。
「それからまた、あいつらは、庭のほうぼうにあらわれたのです。ひとりのカニ怪人が、つぎつぎとあらわれたのではありません。すくなくとも、五―六人はおなじやつがいました。いっぺんに、五本のヒマラヤスギの下にあらわれたこともあるからです。
 わたしたちは、きちがいのようにあちこちと、走りまわりました。しかし、こちらが気づいたときには、怪人は、地面の中へ、姿をかくしてしまうのです。
 わたしたちを、からかっていたのです。べつに、危害をくわえるわけではありません。
 おれたちは、こんな神通力じんつうりきをもっているのだ。美術品をぬすむぐらいわけはないぞと、おどかしにやってきたのです。
 これは、わたしが、そうおもうだけではなくて、あいつの口からきいたのです。」
「えっ、あいつが、なにかしゃべったのですか。」
 中村警部が、おもわずききかえしました。
「美術館には地下室があります。物置きにつかっているのです。その地下室に、ゴトゴトと音がしたのです。
 わたしは、それに気づくと、懐中電灯をもって、おりていきました。地下室のドアをひらくと、あいつが、コンクリートの床から、わきだしてくるところでした。もう、腰のへんまででていました。そして、わたしの目の前で足まであらわれたのです。すると、いきなり、こんなことをいいました。
『いくら、用心してもだめだよ。きょうから五日のうちに、ここの美術品をぜんぶ、ちょうだいするからね。』
 そして、カニ怪人は、すいこまれるように、コンクリートの床の中へ、消えていったのです。
 地面ばかりではありません。あのかたいコンクリートでも、自由に、ぬけてでる力をもっているのです。
 コンクリートの床には、なんのあとも、のこっていません。わたしは信じられませんでした。夢をみているのではないかとおもいました。
 しかし、かんがえなおしてみると、妖星人Rのいきものには、地球上の物理では、はかることのできない力があるのかもしれません。
 そんなさわぎがおこったすぐあとで、あなたにお電話したのです。また、あいつがあらわれるかもしれないとおもったからです。」
「すると、今夜は、いくにんものカニ怪人があらわれて、あなたがたを、おどかしただけなんですね。」
「そうです。いままでのところは、そうです。五日のうちに、美術品を、ねこそぎ、ぬすみだすぞと、予告をするためにやってきたのです。」
「ふせがなければなりません。」
「そうです。ふせがなければなりません。」
「しかし、おそろしいあいてだ。」
「そうです。ふせげないかもしれません。あいつは、地面でも、コンクリートでも、自由に、もぐってくることができるのです。そうして、地面の下をくぐって、美術品をはこびだすかもしれません。」
「しかし、警察は、あらゆる知恵をしぼって、これをふせがなければなりません。われわれは戦うのです。地球の名誉にかけて、あいつをとらえなければなりません。」
 古山博士と中村警部が、むちゅうになって話しているあいだに、おそろしいことが、おこっていました。
 部屋のガラス窓の外に、四つの青い光が、じっと、こちらをにらみつけていたのです。
「あっ!」
 それに気づいた刑事が、いきなり立ちあがって、窓のほうへ、かけだしました。
 みんなが、一度に、そのほうを見ました。ふたりのカニ怪人が、窓からのぞいていたのです。
 刑事たちは、みんなピストルをもっていました。四つのピストルが、ふたりのカニ怪人に、ねらいをさだめ、ガラス窓が、おそろしいいきおいで、ひらかれました。
 しかし、怪人のほうが、はやかったのです。ひととびで、むこうのヒマラヤスギのねもとに、もどっていました。そして、スーッと消えていったのです。地面にすいこまれたとしか、かんがえられません。
 中村警部と刑事たちは、外にでて、懐中電灯で、ヒマラヤスギの下をしらべましたが、地面には、なんのあとものこっていませんでした。
 中村警部は青ざめた顔で、もとの部屋にもどってきました。そして、おそろしくまじめなちょうしで、古山博士にいうのでした。
「いよいよ重大なことになってきました。すぐに本庁にかえって、会議をひらきます。自衛隊の力をかりることになるかもしれません。学者の知恵をかりるのは、もちろんです。これは日本だけの問題ではありません。地球の大事件です。
 いまのところ、美術品をねらっているらしいけれども、それだけですむとはおもわれません。なにしろ、あいては地球の物理では、考えられない魔力をもっているのですからね。
 世界じゅうの警察と軍隊が、力をあわせて、戦わなければならないときがきたのです。むろん、これは国連がとりあげるべき問題ですね。」
 警部の青ざめたひたいに、玉のあせが、うかんでいました。
 刑事たちも、古山博士も、美術館員も、警部の話をきくと、ことの重大さが、ひしひしと、身にこたえるように、わかってきました。
 あいてはコンクリートをつきぬけて、なんのあとものこさない魔力をもっているのです。いや、そればかりではありません。古山博士や中村警部は、まだしりませんが、カニ怪人は、おもうままの人間や動物にばけるR変身の術をこころえているのです。また、そのうえ、じぶんが消えるだけでなくて、だれでも消すことができるのです。
 こんなおそろしい力をもったやつをどうして、ふせげばよいのでしょう。妖星人Rがその気になれば、地球ぜんたいを、ほろぼしてしまうことも、できるのではないでしょうか。

ねこそぎ盗難


 中村警部は、いったん警視庁にかえって、相談したうえ、二十人の警官で五日間、夜も昼も、美術館をみまわることになりました。
 陳列室が五つしかない、小さい美術館ですから、これだけの人数でじゅうぶんなのです。
 ひとつの陳列室にふたりずつ見はりに立ち、のこる十人は、美術館のまわりを、あるきまわっているのです。
 しかし、怪人は、いっこうに、あらわれません。
 二十人の警官隊におそれをなして、ぬすむことを、あきらめたのでしょうか。いやいや、まだゆだんはできません。きょうは四日めです。あとに一日のこっているのです。
 そして、とうとう、その五日めとなりました。昼間は、なにごともなく、夜がきました。
 美術館の館長室では、古山博士と中村警部とが、むかいあって、いすにかけていました。
「いま七時です。もし、怪人が約束をまもるとすれば、あと五時間のうちに、なにごとかが、おこるでしょう。あと五時間です。」
 古山博士が、まるで、それをまちかねているように、つぶやきました。
「あてになりませんね。五日間なんていっておいて、その五日がたってしまって、われわれがゆだんしたときに、やってくるのではありませんか。だから、この見はりは、とうぶん、とくわけにはいきませんね。」
「いや、あいつは、約束をまもるでしょう。中村さんは、あいつにであったことがないので、おわかりにならないでしょうが、わたしは、この目で、いろいろなふしぎを見ているのです。二十人ぐらいの警官では、じつは心ぼそいのですよ。きっと、やってくるとおもいます。」
 古山博士は、そういって、中村警部の顔を、じっと見つめるのでした。
 そのとき、ドアがひらいて、小使さんが、はいってきて、ふたりの前のテーブルにコーヒーをならべました。
「あ、コーヒーをいれたのか。それは気がきいたね。わたしたちばかりでなく、おまわりさんたちにも、あげてください。外にいる人にも、のこりなくね。」
 博士がいいますと、小使さんはニヤリとわらって、
「はい、わかりました。ちゃんと、用意ができております。」
とこたえて、そのまま、部屋をでていきました。
 古山博士と中村警部は、そのコーヒーを、すっかりのんでしまいましたが、しばらくすると、みょうなことがおこりました。
 中村警部が、いすにかけたまま、コックリ、コックリと、いねむりをはじめたのです。
 古山博士は、それを見ると、立ちあがって、警部の肩に手をかけて、ゆりうごかしながら、
「中村さん、どうなすった? 昼間のつかれで、ねむくなったのですか。中村さん、中村さん……。」
と、いくらよんでも、警部は目をさましません。
 博士はそれをたしかめると、なぜか、みょうな笑いをうかべて、そのまま、部屋をでていってしまいました。
 とりのこされた中村警部は、いつまでも、ねむっていました。もう九時をすぎたのに、まだねむっています。そして、夢をみていました。おそろしい夢です。
 砂漠のように、見わたすかぎり、なにもない地面、その上にひろがる灰色の空。そのひろいひろい地面から、ニョキニョキと、黒い気味のわるいものが、はえてくるのです。あちらからも、こちらからも、みるみる地面いっぱいにひろがって、かぞえきれないほど、黒い頭を、もたげてくるのです。
 それは何百ともしれぬカニの怪人でした。それが地面からわきだして、こちらへあるいてくるのです。
 中村警部は、にげだそうとしましたが、どうしたのか、足がすこしもうごきません。さけぼうとしても、声がでません。
 そのうちに、むらがるカニ怪人が目の前に、せまってきました。そして、あの気味のわるい、カニの頭が、警部の顔の上に、のしかかってくるのです。
 もがきにもがいているうちに、ふっと目がさめました。
「なあんだ、夢だったのか。」
 やれやれ、夢でよかったとおもって、テーブルのむこうを見ると、古山博士がいすにもたれて、ぐっすり、ねむっているではありませんか。
「古山さん、おきてください。古山さん。」
 そばへいって、からだをゆすぶると、博士は、やっと目をさましました。
「あっ、いつのまに、ねむったのかしら。」
と、ふしぎそうに、あたりを見まわしています。
「ぼくも、いままで、ねむっていたのですよ。どうもへんですね。ふたりが、そろって、いねむりをするなんて。」
「あなたもねむっていたのですか。すると、われわれだけじゃないかもしれませんよ、ねむらされたのは……。」
「えっ、ねむらされたって。」
「そうです。ともかく、しらべてみましょう。ひょっとすると、たいへんなことが、おこっているかもしれない。」
 博士は、あわただしく、部屋をかけだしていきました。中村警部も、そのあとを、おいました。
 博士は、第一の陳列室にとびこみました。
「あっ、やっぱり、そうだっ。」
 ふたりのおまわりさんが、部屋のすみにたおれていました。いびきをかいて、ねむっているのです。
 中村警部も、そこへはいってきて、いきなり、ねむっているおまわりさんのからだを、ゆすぶりました。
「おい、おきたまえ。いったい、どうしたんだ。」
 ふたりの警官は、目をこすりながら、よろよろと、たちあがりました。
「見たまえ、陳列だなは、ぜんぶ、からっぽだっ。」
 古山博士がさけびました。
 その部屋には、六つの大きな陳列だなが、おいてあるのですが、それが、みんな、からっぽになっていたのです。
「あ、やられたっ。」
 警官のひとりが、とんきょうな声をたてました。
「ほかの部屋も、しらべてみましょう。」
 それから、博士と警部とは、第二、第三、第四、第五と、ぜんぶの陳列室をしらべましたが、どこも、第一の陳列室とおなじでした。
 見はり番のおまわりさんはグウグウねむっていて、陳列だなは、みんな、からっぽになっていたのです。
「事務室へいってみましょう。館員がいるはずです。」
 博士はそういって、かけだしました。事務室のドアをあけると、四人のわかい館員が、机の上に、うつぶせになって、グウグウねむっているではありませんか。
 それから、外をしらべました。すると、美術館のまわりを見はっていた十人の警官も、みんな地面にころがって、ねむりこんでいたのです。
 ききただしてみますと、ぜんぶの人が、小使のもってきたコーヒーを、のんでいることがわかりました。
「そうだ、あいつがあやしいぞ。」
 古山博士が、さきにたって、小使室へかけこみました。しかし、そこは、もぬけのからでした。
 それから、てわけをして、ほうぼうを、さがしましたが小使の姿は、どこにもみあたりません。にげだしてしまったのです。
「みんなをねむらしておいて、そのまに、美術品をもちだしたのですね。しかし、小使ひとりの力では、どうにもできないはずだが……。」
「そうです。あの美術品を、ぜんぶはこぶのには、すくなくとも、大型トラック三台は、いります。むろん小使ひとりの、しわざではありません。」
「じゃあ、あのカニ怪人たちが……。」
 中村警部は、さっきの夢をおもいだして、ゾッとしました。
「やっぱり、ひとりや、ふたりじゃない。十人以上のカニ怪人が、やってきたのだ。」
 あの気味のわるい、カニ頭の怪物が電灯のような目をギョロギョロさせて、陳列室の美術品をつぎつぎと、はこんでいったかとおもうと、なんともいえない、おそろしさでした。
 そのあくる日の新聞には、岩谷美術館の、ねこそぎ盗難事件が、デカデカと書きたてられ、日本じゅうの人を、ふるえあがらせました。
 それにしても、美術館の陳列品が、ひとつのこらず、きれいにぬすみさられるなんて、きいたこともない、ふしぎな事件でした。ほんとうに、ねこそぎ盗難事件にちがいありません。

地底の囚人


 お話かわって、こちらは井上一郎君です。渋谷区のはずれの、神社の森の中で、カニじいさんのために、からだをけされてしまった井上君は、あれから、R怪人のすみかに、つれていかれました。R怪人は、はやくも、東京のどこかへ、仮のすみかを、つくっていたのです。
「きみはにげだすことができない。からだがきえてしまったのだから、だれも、きみをみとめてくれないからだよ。それよりも、いいところへつれていってやろう。きみにはすこし、用事があるのだ。だが、しばらく目をかくすよ。そこへいく道をきみにしられたくないのでね。」
 カニじいさんは、そういいながら、黒いきれで、井上君に目かくしをしてしまいました。
 井上君は、もうかくごしています。むこうのいうままになって、R怪人の秘密をさぐってやろうと、けっしんしているのです。
 目かくしをされたかとおもうと、スーッと、からだが、ちゅうにうきました。カニじいさんに、だきあげられたような気持です。
 それから、なにか、いすみたいなものの上に、おろされましたが、いすそのものが、フワフワと、宙にういているのです。
 それから三十分ほど、空中をただよっているようなかんじが、つづきましたが、やがて、それがピッタリとまると、またじいさんにだきあげられ、家の中にはいって、階段をのぼったり、くだったりしました。
 あんなヨボヨボのじいさんが、からだの大きい井上君を、こんなにらくらくと、はこぶのは、へんですが、カニじいさんは、じつはR怪人がばけているのですから、井上君をはこぶぐらい、なんでもないことです。
「さあ、もう目かくしをとるよ。きみには、あとで、ゆっくりはなしたいことがあるんだ。しばらく、ここにまっていなさい。」
 そういって、目かくしをはずすと、カニじいさんは、部屋をでて、ドアをしめ、外からカチンと、かぎをかけてしまいました。
 窓のない、みょうな部屋です。てんじょうから小さな電球が一つさがっているだけで、うすぐらいのです。
 井上君は、なんだか、めまいがするようなかんじでした。部屋ぜんたいが、モヤモヤと、ゆれうごいているのです。
 部屋というよりも、壁です。四方の壁が、へんなぐあいに波うち、うごめいているのです。
 R怪人の魔法にかかっているのでしょうか。
 いや、そうではない。壁がうごくのに、なにかわけがありそうです。もっと壁のそばによって、たしかめてみなければなりません。
 井上君は、右手の壁に、近よって、目をこらして、見つめました。
 ウジャウジャと、うごめいています。なにか小さいものが、かずしれず、ひしめきあっているのです。
「あっ、カニだっ。」
 そうです。それは何千びきのカニが、四方の壁いっぱいにはいまわり、ひしめきあっているのでした。
 カニ怪人があらわれるときには、かならず、カニの大群が、まえぶれをつとめます。あのカニは、みんなここにかってあるのでしょうか。
 そのとき、うしろのドアがサッとひらいて、何者かが、はいってきました。
 井上君は、それに気づきましたが、こわくて、ふりむくことができません。壁をはいまわっているカニを、何万倍にしたような怪物がうしろに立っているにちがいないからです。
「アハハハ……、きみをここへつれてきた、カニじいさんだよ。そのカニじいさんが、もとの姿にかえったまでさ。」
 しかたがないので、井上君は、おそるおそる、ふりむきました。ああ、やっぱりそうです。あのおそろしいカニのおばけが、そこにたちはだかっていたのです。
「きみは少年探偵団の井上一郎君だね。おれはちゃんとしっている。それで、きみをここにとじこめ、きみをおとりにして、ほかの少年探偵団員を、おびきよせようというわけなのさ。ハハハ……なぜかって? これには、ふかいわけがあるんだよ。
 きみ、ポケットをさぐってごらん。B・Dバッジがなくなっているだろう。きみたちはいつも、二―三十個のB・Dバッジをポケットにいれている。それをぜんぶとりだして、このうちの門の前へ、ばらまいておいた。
 わかるかね。そうして、きみのなかまを、ここにおびきよせるのさ。
 小林団長がきてくれれば、おれは、じつにうれしいのだがね。ハハハハハハ……。」
 ふしぎです。地球へやってきたばかりのR妖星人が、少年探偵団のことを、こんなにくわしく、しっているなんて、じつにふしぎです。
 そして、少年探偵団員を、おびきよせるとは、いったい、どういうわけなのでしょう。なんのためなのでしょう。
「わかったかね。きみはもう、おれたちのなかまだ。からだをけされているんだから、うちへかえったって、だれもあいてにしてくれない。ここにいるのが、きみのためだよ。そのうちに、また、もとのからだにしてやるからね。」
 井上君はふしぎでしかたがありません。妖星人が、どうして、こんなにうまく日本語がしゃべれるのでしょう。地球人とは、まったくちがった、知恵や力をもっているにしても、やっぱり、ふしぎというほかはないのです。
 それから、井上君は、この、どこともしれぬあやしい家の中に、すむことになりました。
 カニ怪人は十人ぐらいいるようでした。しょっちゅう、でたりはいったりしているので、はっきりした数はわかりませんが、だいたい十人ぐらいのようでした。
 怪人たちは、なにをたべているのか、わかりませんが、井上君には、パンやミルクやコンビーフなどを、たべさせてくれました。そのうえ、やわらかいベッドのある、小さい部屋を、あてがってくれましたので、井上君は、なに不自由なく、暮らすことができたのです。
 怪人たちは、なにかいそがしそうに、でたり、はいったりして、ときには、みんなでかけて、井上君ひとりになることもあります。
 井上君は、そういうときを、まちかねて、怪人のすみかを、しらべました。
 この家は二階だての西洋館で、地下室もあるし、十五ほどの部屋があることがわかりました。
 井上君は、だれもいないとき、それらの部屋を、かたっぱしから、のぞいてまわりました。どの部屋にもベッドとたんすがありましたが、ある部屋には、ベッドもなにもなくて、大きな金庫が、ドッカリと、すえてあるのに、びっくりしました。カニ怪人が金庫をもっているなんて、まったく、おもいもよらないことでした。
 それから、井上君は地下室へおりていきました。さいしょ、いれられた、カニの部屋は、この地下室にあるのです。
 カニの部屋のほかには、ひろい物置部屋のようなものが、あるだけですが、そこにおいてあるがらくたものをしらべているうちに、ふと、みょうな音に気がつきました。
 コツコツ、コツコツという、かすかな音です。
 どこか、壁のむこうから、きこえてくるようです。
 息をこらして、じっと、耳をすましました。
 コツコツ、コツコツ。やっぱり、壁のむこうです。壁はレンガでできていました。どっかに、かくし戸でもあるのじゃないかと、井上君は、壁をなでまわしながら、おくのほうへすすんでいきました。
 ある場所へいきますと、コツコツという音が、いままでより、はっきりきこえてきます。
「このへんが、あやしいぞ。」
と、おもって、手さぐりしていますと、レンガの一つが、グラグラと、うごきました。
「あっ、これだぞっ。」
と、指をかけて、ひっぱると、スルスルと、ぬけてくるではありませんか。
 そのレンガを、ぬいてしまうと、おくに、かぎ穴が見えました。そこへ、かぎをさして、まわすと、レンガの壁が、ドアのように、ひらくのかもしれません。
 しかし、かぎがなくては、どうすることもできないのです。
「よしっ。針金をさがすんだ。」
 井上君は、ひとりごとをいいました。たいていの錠は、針金一本あれば、ひらくものです。井上君はそのやりかたを、しっていました。どろぼうのためではなくて、探偵のためにも、必要だからです。
 物置きをさがしまわって、なにかをくくってあった針金を、ちぎってきました。そして、それを、いろいろにまげて、かぎ穴にさしこみ、なんども、やりなおしたあとで、とうとう、カチンと、手ごたえがありました。
 錠がひらいたのです。
 力をこめて、グッとおしますと、レンガの壁そのものが、ドアのように、スーッと、おくへ、ひらいていくのです。
 そこは、小部屋でした。ひらいたかくし戸の穴から、物置部屋の電灯が、さしこむので、そこだけがあかるくなっています。
「だれかいるんですか。」
 井上君が、よびかけますと、おくのくらやみの中から、
「ウ、ウ、ウ。」
と、気味のわるい声がきこえました。
 井上君は、部屋の中へ、はいっていきました。
「だれです。こちらへ、でてきなさい。」
 すると、くらやみの中で、ゴソゴソと音がして、何者かが、電灯の光の中へ、はいだしてきました。
「あっ、あなたは日本人ですね。」
「うん、日本人だ。きみも日本人の少年だね。カニのばけもののなかまではなさそうだね。」
 それは、五十歳ぐらいの男のひとでした。

カニのぬけがら


「そうです。ぼくは、あいつらに、つかまえられたのです。」
といって、ふっと、気がつきました。
 井上君は怪人の魔力によって、からだを消されていました。ですから、井上君の姿は、だれにも見えないはずです。
 ところが、この紳士には、ちゃんと、井上君が見えているらしいではありませんか。
「おじさんぼくが見えるのですか。」
 井上君は、へんなことを、たずねました。
「見えるとも。きみは、なかなか、つよそうな少年だよ。」
 紳士は、にこにこわらって、こたえました。
 では、カニ怪人の魔法がとけて、井上君のからだは、見えるようになっていたのでしょうか。なんだか、へんではありませんか。
 しかし、それを、ふしぎがっているひまはありませんでした。
 その紳士と、二言三言、はなしあったかとおもうと、井上君は、
「えっ!」
と、さけんで、うしろへ、たおれそうになりました。
 それほど、びっくりしたのです。
 それから、しばらく、ふたりは、ヒソヒソ話をつづけていましたが、いつまでもはなしていて、だれかにみつかっては、たいへんですから、ひとまず、わかれることにしました。
「もうすこし、ここに、がまんしていてください。ぼくひとりの力では、どうにもなりません。しかし、きっと、うまくいきます。ぼくたちには、明智先生や小林団長がついているのです。けっして、まけることはありません。」
 井上君は、そういって、紳士をはげましておいて、秘密の部屋を出ました。そして、レンガのかくし戸を、もとのとおりにしめ、さっきの針金で錠をおろして、一階のじぶんの部屋にかえりました。
 井上君は、すっかりめんくらっていました。地下室にとじこめられていた紳士が、じつに意外な人だったからです。また、消されたと信じていた、じぶんのからだが、消えていないこともわかりました。
 妖星人Rのカニ怪人がいっそう、えたいのしれない、へんてこなものに、かんじられるのです。
 この家の中は、自由に、あるきまわれますが、外へ出ることだけはできません。井上君は、いくども、にげだそうとして、しっぱいしているのです。
 出入り口には、表も、うらも、ちゃんとカニ怪人が、番をしていますし、窓から、とびだそうとしても、みんな、鉄ごうしがはまっていて、どうすることもできません。
 井上君は、上着をぬいで、ベッドに、よこたわりました。もう夜もふけていたからです。考えれば考えるほど、ふしぎなことばかりで、なかなか、ねむれません。
 でも、昼間のつかれで、すこしウトウトしたかとおもうと、にわかに、家の外が、さわがしくなりました。
 なんだろうと、ベッドをおりて、窓からのぞいてみました。そこからは、この家の門が見えるのです。
 門の外に、自動車が、とまっているようです。それも一台ではなくて、二―三台とまっているらしいのです。
 腕時計を見ると、もう十二時でした。
 自動車から、おおぜいの人がおりて、門をはいっていきます。あたりは、まっくらですが、門灯の光で、かすかに見えるのです。
「あっ、カニ怪人だっ。」
 そうです。はいってくるやつは、みんな、あの気味のわるい、カニの姿をしていました。しかも、てんでに、なにか、へんてこな荷物を、かついでいるのです。
 四角い大きな額のようなもの、でこぼこした彫刻のようなもの、小さい箱のようなもの、それらが、みんな白いきれでくるんであるのです。
 六―七人のカニ怪人が、いろんな形の、白い荷物をかついで、行列をつくって、家の中へはいってきます。まるで、おそろしい夢でも見ているような、ぶきみな光景でした。
 怪人たちは、なんども、自動車へひっかえして、新しい荷物を、はこびました。ひっこしのような、さわぎです。それらの、白いきれでくるんだ荷物は、いったい、なんだったのでしょう。
 井上君は、それをたしかめてやろうとおもいました。
 そっと部屋を出て、玄関へ、いってみますと、そこに、白い荷物が、山のように、つんでありました。まだ、白いきれをとかないままです。
「あっ、いけないっ。」
 井上君は、廊下の壁ぎわに立って、のぞいていたのですが、ひとりのカニ怪人が、こちらへやってくるのです。
 井上君は、大いそぎで、廊下を、にげだしました。
 ところが、二十歩もいかないうちに、むこうのまがりかどから、ヒョイとあらわれたものがあります。
 べつのカニ怪人です。
 井上君は、前とうしろから、はさみうちになっていました。さあ、こまった。どちらへにげても、つかまるばかりです。
 ヒョイと、横を見ると、廊下にならんでいるドアのひとつが、二―三センチひらいていました。
 なにを考えるひまもありません。井上君は、そのドアの中へ、とびこんで、ドアをしめて、息をころしていました。
 ひとつの足音は、ドアの前を、とおりすぎました。しかし、もうひとつの足音は……、ピッタリと、ドアの前に、とまったではありませんか。そして、ドアのとってが、ぐるっとまわるのが見えました。カニ怪人が、この部屋へ、はいってくるのです。
 井上君は、キョロキョロと、部屋の中を見まわしました。一方の壁に、大きなおしいれがついています。その中へ、かくれるほかはありません。
 おしいれの、板のドアをひらいて、中へとびこみました。まっくらです。上から、なにかがぶらさがっていて、それが、顔に、ぶっつかってきました。ジャラジャラと、音がしました。
 うすい金属が、何枚も、かさなったような、へんなものです。
 しかし、そんなことを、考えているひまはありません。怪人にみつかりはしないかと、そのおそろしさで、いっぱいなのです。
 あっ、たいへんです。怪人はおしいれのドアをひらきました。
 井上君をみつけたのでしょうか。そして、つかまえようとしているのでしょうか。
 井上君は、おしいれのおくに身をかくして、息をころして、ドアのほうを見つめていました。
 すると、ドアの前に立ったカニ怪人が、ギョッとするようなことを、はじめたのです。
 はさみになった両手で、自分の大きな頭を、グーッと、もちあげているではありませんか。
 やがて、おどろいたことには、巨大なカニのこうらのような、あの頭の部分が、スッポリと、とれてしまいました。
 それから、顔、手、足、胴体と、みんな、べつべつにとれるようになっていることが、わかりました。それらは、うすい金属で、できていて、ちょうちんのように、おりたためるのです。カニのこうらのような頭の部分も、四つか五つにおりたためるし、顔や手や足や胴体は、ちょうちんとおなじしかけで、小さくかさなりあってしまいます。顔のおそろしい目は、青いガラスの中にしかけた、電池でひかる豆電球なのです。
 こうして、衣装をぬいだ下からは、いったい、なにがあらわれたのでしょうか。そこには、妖星人Rの、想像もできない奇怪ないきものが、うごめいていたのでしょうか。
 いや、そうではありません。衣装の下から出てきたのは、意外にも、シャツとズボン下を身につけた地球の人類でした。しかも、日本人とそっくりの顔をしているのです。
 ああ、なんということでしょう。妖星人のカニ怪人は、奇妙な衣装をつけた、日本人だったのです。
 そこに井上少年がかくれているともしらず、その男は、いまぬいだカニ怪人の衣装を、おしいれの中のくぎに、ひっかけて、またドアをしめてしまいました。
 このおしいれは、カニ怪人の衣装、つまり、カニのぬけがらを、かけておく場所だったのです。さっき、井上君がおしいれに、とびこんだとき、ジャラジャラと音をたてて、顔にぶっつかったのは、前から、そこにさがっていた、おなじようなカニの衣装だったのでしょう。それが三つも四つも、さがっていたのです。

小林少年


 そのあくる日のお昼すぎのことです。
 井上君が、あてがわれた部屋のいすに、こしかけていますと、いきなりドアがひらいて、ひとりの少年が、ころがりこんできました。だれかが、外から、つきとばしたのです。
「あっ、小林さん。」
 井上君がびっくりして、その少年をだきおこそうとしました。
「アハハハ……、井上、おまえの団長さんを、つれてきてやったぞ。まあ、ゆっくり、ふたりで、話でもするがいい。」
 そして、パタンとドアがしまり、カチカチと、かぎをかける音が、きこえました。
 井上君ひとりのときは、かぎもかけなかったのに、小林少年とふたりになったので、カニ怪人は、用心ぶかく、かぎをかけて、たちさったのです。
「B・Dバッジだよ。あれをひろって、とどけてくれた人があったので、ぼくは、こっそりしのびこもうとしたんだが、すぐにみつかってしまった。ひょっとしたら、あのバッジは、敵がわざとおとしておいたのじゃないかな。」
 小林少年がいいますと、井上君はうなずいて、
「そうだよ。カニ怪人のしわざさ。しかし、ね、小林さん、ぼくは、たいへんなことを発見したんだよ。」
 井上君は、そういって、いままでのことを、すっかり、はなしてきかせました。
「ふうん、きみは消されちゃったのかい。これには、なにか、わけがありそうだね。ぼくには、こうして、ちゃんと、きみの姿が見えるんだからね。」
「でも、子どもたちには、ぜんぜん見えなかったんだがなあ。ぼくにぶっつかって、ころんで、ないた子があったくらいだよ。ぼくは、かくれみのをきたようで、ほんとうにおもしろかった。」
「うん、きっと、わけがあるんだ。それから、地下室にとじこめられている人のこと、カニ怪人の衣装の下から日本人があらわれたこと、みんな明智先生の考えとあうのだよ。やっぱり先生はえらいなあ。」
「じゃ、どういうことになるんだい? カニ怪人は、いったい、何者なんだい?」
「ぼくには、まだわからない。そんなことを、ここで議論しているよりも、はやく、このことを、明智先生にしらせたい。なににしても、ふたりで、ここを、ぬけださなくっちゃあ。いや、ふたりじゃない。できれば地下室の人も、いっしょに、つれだしたいね。」
 小林君は、そういって、しばらく考えていましたが、にわかに、目をかがやかせて、
「あっ、いいことがある。三人でぬけだせるよ。こんばん、それをやってみよう。きっと、うまくいくよ。」
 そうして、ふたりは、しきりに、なにかささやきあうのでした。
 さて、そのばん、八時ごろのことです。
 小林少年は、いつもポケットにいれている万能ばんのうかぎで、ドアをひらいて、井上君といっしょに、部屋を出ました。
 それから三十分ほどたつと、三人のカニ怪人が、玄関から出ていきました。玄関には、番人のカニ怪人がいましたが、三人を見ると、はさみのある手をふって、あいさつしました。三人づれのほうも、おなじように、手をふって、それにこたえ、そのまま外へ出ていきました。
 門を出ると、あたりは、いちめんの原っぱで、おそろしく、さびしい場所でした。
「このへんは、北多摩きたたま郡なんだよ。」
 カニ怪人のひとりが、あとのふたりに、いってきかせました。
 怪人の家から二百メートルほどへだたった林の中に、一台の自動車が、ライトを消して、とまっていました。三人の怪人は、じゃまになる頭のカニのこうらだけとって、おりたたんで手にもつと、自動車にのりこみ、ひとりがハンドルをとって、都心にむかって、車をすすめました。
 車は広い街道を、まっしぐらに、走っていきます。
「へんだな。あの車、さっきから、ずっと、つけてくるよ。おやっ、パトカーじゃないか。ほかに車はいないから、きっとこの車を、おっかけてくるんだよ。」
「ぼくたちの、へんな姿を見て、あやしんだのかもしれないね。かまわないよ。おっかけさせておくさ。」
 ハンドルをにぎっていた怪人が、こたえました。
「あっ、パトカーが二台になった。二台で、おっかけてくるよ。」
というまに、二台のパトカーは、サイレンをならしはじめました。ねらわれているのは、三人の怪人の車にちがいないことが、わかってきました。
 しかし、けっして、速度をゆるめません。そのまま、走っていますと、あっ、こんどは、前のほうから、べつのパトカーが、走ってくるではありませんか。
 はさみうちにされたのです。
 こうなっては、車をとめるほかありません。怪人たちの車は、さびしい、いなか道で、ピッタリと、停車しました。
 前とうしろのパトカーも、とまりました。そして、三台の車から、五人の警官がおりてきて、怪人の車を、とりかこみました。
 警官の懐中電灯が、パッと、こちらの車内へ、さしつけられます。
「きみたちは、何者だっ。」
 どなり声といっしょに、二ちょうのピストルが、こちらをねらっています。
 車内の三人は、無言のまま、大いそぎで、怪人の衣装をぬぎはじめました。
 さいしょに、顔をあらわしたのは、小林少年でした。
「ぼく、明智探偵の助手の小林です。」
「あっ、小林君か。」
 新聞写真でおなじみの小林少年ですから、おまわりさんたちも、よくしっています。
「どうして、そんなへんなふうをしているんだ。カニ怪人の仮装なんて、ぶっそうじゃないか。」
「これには、わけがあるんです。まずさいしょに明智先生、それから警視庁の中村警部にはなさなければなりません。それまでは、くわしいことはいえないのです。ここはみのがしてください。けっして、ごめいわくはかけません。では、いそぎますから……。」
 そういったかとおもうと、小林君は、いきなり、車を発車させました。
 五人の警官は、やにわに車が走りだしたので、おどろいて、とびのきました。
 ふりかえってみると、警官たちは、しきりに手をふって、なにかどなっています。しかし、小林君は、かまわず車をとばして、明智探偵事務所へと、いそぎました。
 この三人は小林少年と、井上少年と、それから、地下にとじこめられていた、あの紳士です。
 井上君がみつけておいた、おしいれの中にさがっている、カニ怪人の衣装を、三つとりだして、三人が身につけ、なかまとみせかけて、番人の目をくらまし、なんなくにげだすことができたのです。
 林の中にとまっていた自動車は、小林君がのりすてておいた、アケチ一号でした。
 さあ、なんだかへんなことになってきました。妖星人Rというのは、いったい何者でしょう。星の住人ではなくて、もっとちがった、おそろしい怪物かもしれません。
 ともかく、かれらは、地球人にはまねのできない、ふしぎな妖術をつかうのです。
 さいしょ、かれらのひとりは、銚子の近くの海の中から、姿を、あらわしました。
 それから、古山博士邸の庭の土の中からわきだし、書庫にはいって、貴重な推古仏をぬすむと、そのまま書庫の中で消えてしまいました。おおぜいの人にとりかこまれたのですから、ぜったいに、にげるすきはなかったのです。
 そのつぎには、カニじいさんにばけて、井上少年を、森の中にさそいこみ、じぶんも消えてみせたうえ、井上君も消してしまいました。井上君の姿は、十何人の子どもたちにも、まったく見えなかったのです。
 さいごに、岩谷美術館の、ねこそぎ盗難です。ここでは、庭のヒマラヤスギのねもとや、地下室のコンクリートの中から、カニ怪人が、姿をあらわし、また、そこから消えていきました。古山博士の庭のときには、怪人のあらわれた穴がのこっていましたが、美術館のときには、穴なんかあけないで、たいらな土の中から、また、あついコンクリートの中から、やすやすと、あらわれたり、消えたりしたのです。
 これらのふしぎを、どう説明すればよいのでしょう。そこに妖星人としょうする怪人の知恵があるのです。明智探偵や小林少年が、この知恵と戦うのです。そして、いつものとおりに、きっと、勝ってしまうにちがいないのです。
 その知恵くらべの場面は、すぐこのあとに、まちかまえています。
 そのときこそ、これらのすべての疑問が、ときあかされるでしょう。そして、さらに、それ以上の大秘密が、ばくろされるでしょう。

名探偵登場


 小林、井上の二少年が、ひとりの紳士をたすけて、カニ怪人のすみかを、ぬけだした、ちょうどそのころ、岩谷美術館の館長室には、館長の古山博士と、警視庁の中村警部と、私立探偵の明智小五郎の三人が、テーブルをはさんで、はなしあっていました。
 美術館の陳列品が一夜のうちに、ねこそぎぬすまれるという、とほうもない事件がおこり、いくらしらべても、そのやりかたがわかりませんので、古山博士が、明智探偵の知恵をかりてはどうかといいだし、中村警部が、友だちの明智探偵をつれてやってきたのです。
 古山博士は、いままでのことを、くわしく、明智探偵にはなしました。
 まずさいしょ、古山博士の自宅へ、カニ怪人があらわれ、書庫の中の推古仏をぬすんで、そのまま消えうせてしまったこと。
 それから、美術館の庭や地下室のコンクリートの床から、カニ怪人がわきだすようにあらわれたり、消えたりしたこと。そして、一夜のうちに、美術品がねこそぎぬすみさられたことなどを、じゅんじょをおって、はなしました。
 その話が、おわったころ、ドアがひらいて、ひとりの警官がはいってきました。そして明智探偵のそばによって、なにかささやきました。美術館のまわりには、まだ、数人の警官が見はりをつづけているのですが、この警官はその中のひとりでした。
「ちょっと、失礼します。」
 明智探偵は、そういって、警官といっしょに、部屋を出ていきました。
 どこへいったのでしょう。ひどく、てまどるようです。やがて十分もたったころ、やっと明智探偵が、かえってきました。
 明智はみょうな顔をしていました。なんだか、くるしそうです。なにかをじっと、がまんしてるようです。
 しかし、もうがまんができなくなりました。名探偵は、おかしくてたまらないというように、いきなり、わらいだしたではありませんか。
「ハハハハ……、いや、しつれい。あまりおかしいものだから、つい、わらってしまいました。古山博士、それから中村君、大笑いだよ。日本じゅうの、いや、世界じゅうの大笑いだよ。」
 古山博士と中村警部は、あっけにとられて、明智探偵の顔を見つめました。なにがおかしいのか、すこしもわからないからです。
「新聞がだまされたのです。いや、われわれみんなが、だまされたのです。あいつは世界一の奇術師です。ふしぎなすい星があらわれたのは事実です。しかし、そこにカニのような怪物がすんでいるなんて、うそっぱちですよ。千葉県の海の中からあらわれたやつ、それから東京をさわがせたやつは、すい星人ではなくて、地球の人間にすぎません。
 あのすい星があらわれたのを、さいわいに、すい星人にばけて、世界をあっといわせようと、たくらんだのです。じつに、とほうもない考えです。
 新聞が、そのたくらみに、ひっかかりました。そして、世界じゅうの、うわさの種になったのです。この大奇術を考えだしたやつは、さぞ、とくいがっていることでしょう。世界をだましたのですからね。大笑いですよ。世界じゅうの大笑いですよ。」
 明智探偵は、そういって、また、わらいだすのでした。
 しかし、博士と警部には、なにがなんだかわかりません。
「しかし美術館の陳列品を、ねこそぎぬすみだすなんて、人間わざでは、とてもできないことだし、そのほか、説明のつかないふしぎなことが、たびたびおこっている。」
 中村警部が、明智の顔を、にらみつけるようにしていうのでした。
「順序をおって、はなしましょう。もう、ぼくには、すべての秘密がわかっているのだ。まず、さいしょのふしぎは、古山博士の書庫から、カニ怪人が消えうせたことですね。」
 明智がそこまでいったとき、いきなりドアがあいて、三人の警官がはいってきました。そして、明智探偵の目のさしずにしたがって、入口のドアと、二つの窓の前に、ひとりずつ立ち番をはじめました。だれも、この部屋から、にげだせなくなったのです。
 それにしても、これは、いったい、どうしたわけでしょう。この部屋には、古山博士と、中村警部と、明智探偵の三人だけで、にげださなければならないような人は、だれもいないではありませんか。
「カニ怪人が、書庫から消えたわけを、おはなしします。」
 明智がつづけました。
「カニ怪人は、うすいプラスチックでできた、よろいのようなものをきていて、中には人間がはいっていたのです。ですから、てばやく、そのよろいを、ぬいでしまえば、人間にもどるわけで、そこに、あいつの手品の種があったのです。
 カニのよろいは、たためば、ちいさくなるようにできていました。書庫には木の箱がたくさんおいてあります。あいつは、大いそぎで、その木箱のひとつに、ぬすんだ推古仏と、おりたたんだカニのよろいとを、かくしたのです。
 あとで、みんなが、書庫の中を、くまなく、さがしました。カニ怪人が、かくれていないかと、さがしたのです。本だなの本のうしろまで、さがしました。しかし、カニ怪人がはいれそうもない、小さな木箱などは、しらべなかったのです。あいつの、おもうつぼにはまったのです。では、カニのよろいをぬいだ犯人は、どこにいたのか。それは、みんなが書庫の内がわの、観音かんのんびらきのとびらを、おしあけてはいっていったとき、とびらのうしろにかくれていて、みんなが書庫のおくをさがしているときに、あとからきたような顔をして、姿をあらわしたのです。
 あのとき、さいごに、書庫へはいってきたのは、だれでしたか。」
「それは、わたしでした。わたしは、あのとき、母屋にいたので、庭にいた刑事さんたちより、ちょっと、おくれたのですよ。」
「ところが、あのとき、あなたが、母屋にいたかどうか、だれも見ていたものはありません。カニのよろいをきて、庭の土をほって、半分ほどからだをうずめ、そこから、はいだしたように見せかけて、書庫にはいり、てばやく、カニのよろいをぬいで、かくしてしまえば、それでよかったのです。」
「ハハハハ……、これはおかしい。きみはなにをいいだすのです。あのぬすまれた推古仏は、わたしの美術館のものですよ。自分のものを、自分でぬすむなんて、そんなばかなことが、ハハハ……。」
 古山博士が、あきれたように、わらいだしました。
「そうです。だれでも、そうおもいます。自分で自分のものをぬすむやつはありません。しかし、あいつは、そこにつけこんで、魔法をつかってみせたのです。妖星人Rというふしぎな生きものが、地球へやってきたとおもわせようとしたのです。
 ところで、第二のふしぎな事件は、あなたがたも、ぼくも見ていません。これを見たのは、井上君という少年探偵団員です。その井上君をここに呼びましょう。」
 それをきくと、古山博士が、ギョッとしたように、いすから立ちあがりました。
「博士、おちついてください。まだ、ぼくははなしはじめたばかりです。これから本題にはいるのです。いすにかけてください。」
 古山博士は、青ざめた顔で、部屋の中を見まわしました。入口にも、二つの窓にも、つよそうな警官が立ちはだかっています。とてもにげだすことはできません。
 明智探偵がドアの前に立っている警官に、あいずをすると、警官はドアをひらいて、廊下にまっていた、ふたりの少年を、中にいれました。小林君と井上君です。怪人のすみかをぬけだしたときのカニのよろいはぬいで、ふだんの服をきていました。
 古山博士は、少年たちの姿を見ると、
「あっ、しまった。」というような表情でキョロキョロと、あたりを見まわすのでした。

怪人の正体


 ふたりの少年が、壁ぎわの長いすに、ならんでこしかけるのをまって、明智が声をかけました。
「井上君、きみのであったふしぎについて、はなしてごらん。カニじいさんに、きみが消された話だよ。」
「はい。」といって、井上君は、その話をしました。カニじいさんに出あったこと、じいさんに森の中へつれこまれ、じいさんがカニ怪人の姿になって、消えてみせたこと、そして、井上君も消されてしまったこと、おおぜいのこどもに自分の姿が見えず、自分にぶつかって、ころんだこどもがあったことなどを、かいつまんではなしました。
「それで、きみはいまでも、自分が消されたとおもっているのかね。」
「いいえ、ぼくは、いっぱいくわされたらしいのです。ぼくが見えなかったのは、子どもたちばかりで、そのあとであった人には、ぼくの姿は、よく見えたのですから。しかし、どうして子どもたちに見えなかったのか、ふしぎでしかたありません。」
「まず、森の中でカニ怪人が、消えてみせた。そして、姿を消す力をもっていることを、きみに信じこませた。そのとき、怪人は、ほんとうに消えたのだとおもうかね。」
「わかりません。しかし、消えたように見えました。」
「カニ怪人は星の生きものではなくて、地球の人間なのだから、消えられるはずはない。それも、あいつの手品だよ。そのとき、怪人は大きな木の下にいたんだね。おそらく、その木の上のほうの、葉のしげった中に、なかまがかくれていたんだよ。
 そいつが、車にまきつけた、黒いナイロンのひもを、上からさげる。そのひものさきには、かぎがついていて、怪人がそのかぎを、自分の背中にひっかけるようなしかけになっていたにちがいない。うすぐらい森の中だから、ナイロンのほそいひもは見えはしない。
 かぎをひっかけると、木の上のなかまは、木の枝にとりつけた車をまわす。怪人は上にひきあげられ、葉のしげみの中に、かくれてしまうというわけだよ。
 しかし、ただひきあげたのでは、すぐわかってしまうから、煙をはきだして、自分のからだを、煙につつんでしまった。からだのどこかに、こい煙が出るしかけを、よういしておいたんだね。
 それから、きみが消された。それをたしかめるために、またカニじいさんがあらわれて、子どもたちをよんだ。その子どもたちは、みんなカニじいさんの味方だったのさ。みんなにカニをやるからという約束で、おしばいをさせたんだよ。
 子どもたちは、きみの姿がすこしも見えないような、おしばいをやってみせた、きみにぶつかって、たおれて、なきだした子どもさえある。子どもは、やる気になれば、うまいおしばいができるものだ。カニじいさんは、子どもの心を、よくつかんでいたのだよ。
 まさか、子どもたちが、そろっておしばいをしているなんて、おもいもよらないものだから、つい、信じてしまう。井上君は、自分のからだが消えてしまったと、信じたわけだよ。」
 そのとき、中村警部が、首をかしげながら、口をだしました。
「井上君に、自分が消えたとおもいこませるために、ずいぶん手数をかけたものだね。どうして、そんな必要があったのかね。」
「必要なんかないさ。いたずらだよ。カニ怪人にばけたやつは、とほうもないいたずらずきなんだ。どんな手数をかけても、いたずらがやってみたかったのさ。だいいち、妖星人Rとなのって、カニ怪人にばけたことだって、世界をあいての大いたずらだからね。
 それから、もうひとつは、カニ怪人は、少年探偵団をやっつけようとしたんだ。幹部かんぶの井上君を、まず、とりこにして、B・Dバッジを道にまいて、小林団長を、よびよせようとした。小林君は、その手にのって、怪人のとりこになってしまった。しかし、ふたりの少年は、じつにうまいやりかたでそこをにげだした。ぼくは、ふたりの話をきいて、カニ怪人の秘密を、すっかり、さとることができたのだよ。」
「なるほど、そんなことがあったんだね。しかし、もっとふしぎなことがある。これは、どうにも、ときようがない。カニ怪人の出入りをした地面に、穴もなにもなかった。コンクリートの床や壁から、自由にあらわれたり、また、そこへ消えたりした。それは、この美術館の庭と地下室でおこったことだ。カニ怪人が地球の人間だとすると、このなぞが、どうしても、とけないことになる。」
「それはなんでもないことだ。わけなくとけるのだよ。」
 明智探偵が、こともなげに、こたえました。
「じゃあ、といてくれたまえ。ぼくには、どうしても、わからない。」
 中村警部は、かぶとをぬぎました。
「正面から考えると、わけがわからないのだよ。しかし、きみは、それを自分の目で見たかね。」
「見たわけではない。古山博士からきいたのだ。しかし、博士とその話をしているときに、窓の外からカニ怪人がのぞいていたので、みんなで、おっかけたのだが、怪人は、庭のヒマラヤスギのねもとで消えてしまった。そして、地面には、なんのあとものこっていなかった。」
「それは、さっきはなしたように、なかまが木の上にいて、車にまいたナイロンのひもで、ひきあげたんだよ。夜のことだから、よくわからなかった。それに博士から、地面にすいこまれるように消えるという話を、きいていたので、つい、そう信じてしまったのだよ。」
「すると、博士は、つくり話をしていたのか。」
「そうとしか考えられないね。」
 それをきくと、古山博士が、ぐっと、こちらをにらみつけて、どなるようにいいました。
「明智さん、あなたをおよびしたのは、この美術館の盗難事件のなぞをといてもらいたかったからです。よぶんな話はどうでもよろしい。どうして、美術品がねこそぎぬすまれたか、その犯人はどこにいるのか、それがしりたいのです。」
 明智探偵は、ニッコリとわらいました。
「ほんとうにしりたいのですか。」
「もちろんです。」
「では、いいましょう。その犯人は……。」
「その犯人は……。」
 明智と古山博士とは、おたがいの目を、のぞきこむようにして、むかいあってました。
「その犯人は、ここにいます。」
 明智が、ピシリとむちをならすように、いいきりました。
「こことは?」
「この部屋です。古山博士、犯人はあなたです。」
 明智のひとさし指が、まっこうから、博士をゆびさしました。
「ワハハハ……、こいつはおかしい。またしても、わたしは、わたしのものを、ぬすんだのですね。自分が館長をつとめている美術館の品物を、ぬすんだといわれるのですか。」
「あなたは、岩谷美術館の館長ではありません。」
「え、え、なんといわれる?」
「きみは、古山博士ではないというのだ。」
 それをきくと、博士は、すっくと、いすから立ちあがりました。
「このわたしが、古山ではないといわれるのか。いったい、なにをしょうこに……。」
「小林君、そのしょうこをつれてきたまえ。」
 明智にいわれて、小林少年は、部屋からかけだしていきましたが、まもなく、ひとりの紳士をつれて、あらわれました。
 それは、井上少年が、カニ怪人のすみかの地下室で発見した、あの紳士でした。半月のあいだ、とらわれていたので、服はしわだらけになり、顔はひげでおおわれていましたが、見くらべると、古山博士とそっくりでした。
「あなたは、古山博士ですね。」
 明智が、その紳士にたずねました。
「そうです。わたしは、カニ怪人というばけものにつれさられて、いままで地下室にとじこめられていたのです。」
「ここにいる人も、古山博士となのっています。古山博士がふたりになりました。よくにていますね。いったい、どちらがほんもので、どちらがにせものでしょう。」
 明智がおどけたようにいいました。
 ふたりの古山博士は、立ったまま、正面から、にらみあっています。
「こいつがにせものです。きけば、美術館の品物が、ねこそぎぬすまれたそうですが、そのぬすみをやるために、わたしを地下室にとじこめておいて、わたしにばけたのです。館長がどろぼうとは、だれも考えない。そこが、こいつのつけめだったのです。」
「ふうん、そうだったのか。」
 中村警部が、やっと、気づいたように、いいました。
「すると、ゆうべ、睡眠薬のはいったコーヒーでねむらされたのは、われわれ警官だけで、館長や事務員は、ねむったといっていたが、じつはねむったのではなかった。そのあいだに、なかまがのってきたトラックに、美術品をつみこむてつだいをしたのだ。そして、すっかり、はこびだしてしまうと、もとの部屋にもどって、ねむっているように見せかけたのだ。まてよ、すると、あの四人の事務員も、ほんとうの館員ではなくて、犯人のなかまがばけていたんだな。」
 これで、すっかり、なぞがとけたわけです。しかし、にせものの古山博士は、なかなか、へこたれません。ごうぜんとして、つったっています。
「どこの馬の骨かわからない、こんな男をつれてきて、わたしをにせものだなんて、とんでもない、いいがかりだ。わたしが古山であることは、妻や子どもが証明してくれるよ。」
「いかにも、きみはこの半月ばかり、奥さんや子どもまでだました。それほど、きみの変装は手にいっているのだ。そういう変装の名人は、日本じゅうに、たったひとりしかいない。わかるかね。ぼくは二十のちがった顔をもつ男のことを、いっているんだよ。」
 古山博士が、ギョッとしたように、からだをかたくしました。みるみる顔色がかわっていきます。
「きみは、怪人二十面相だっ。」
 明智がたたきつけるように、さけびました。
「アハハハハ……、妖星人R、カニ怪人の正体は二十面相だった。このとほうもない知らせは、日本じゅうを、いや、世界じゅうを、ゲラゲラと、大笑いさせるだろう。きみは、これで、もうじゅうぶん目的をたっしたのだ。どうだね、二十面相君。」

怪電話


 日本じゅうが、いや、世界じゅうが、笑いにつつまれるときがきました。
 妖星人Rのカニ怪人が、日本にあらわれたことは、世界じゅうの新聞にのせられたのです。そのカニ怪人が、じつはにせもので、怪人二十面相という宝石どろぼうが、ばけていたのだとわかったときには、世界じゅうがあっとおどろき、あまりのことに、笑いだしてしまったのです。
 中村警部は、二十面相を警視庁へつれていくのに、普通の自動車では、安心ができないと思ったので、電話で、げんじゅうな犯人護送車をよび、二十面相に手錠をはめ、ふたりの警官をつきそわせて、その護送自動車にのせることにしました。
 護送車が出発すると、明智探偵と、中村警部と、のこったひとりの警官とは、美術館の中を、あるきまわって、二十面相の部下が、どこかにかくれていないかと、しらべましたが、なにも発見することはできませんでした。
 館内をしらべおわったとき、明智探偵は、ある部屋の窓の外をのぞいていましたが、なにをみつけたのか、あっと声をたてました。
「明智君、どうしたんだ。」
 中村警部が、おどろいてたずねます。
「あれをみたまえ。あそこに物置小屋がある。そのやねの下に、電線がひっぱってあるじゃないか。あれは電灯線ではない。電話線のようだ。物置小屋に電話線がひいてあるのはおかしいね。」
 こちらの部屋の電灯が、ガラス窓をとおして、むこうの物置小屋をボンヤリてらしています。そのやねの下に、かすかに電線が見えているのです。
「いってみよう。」
 明智はいいすてて、部屋をとびだしていきました。中村警部と警官も、そのあとにつづきます。
 庭へ出て、物置小屋へいくと、明智はいきなり、その小屋の戸をひらきました。
「やっぱりそうだ。ここに電話器がある。」
 明智が、さけびました。
 物置きのすみに、電話器がおいてあるのです。
「きみ、小使をよんできてくれませんか。」
 明智のことばに、中村警部のあとからついてきた警官が、むこうへかけだしていきましたが、やがて、美術館の小使さんをつれて、もどってきました。
「ここに、前から電話がひいてあったのかね。」
 明智にたずねられて、小使さんは、びっくりして、小屋の中をのぞきこみました。
「おやっ、いつのまに、こんな電話が……。いいえ、いま見るのがはじめてです。こんな物置小屋に電話をひくはずがありませんよ。」
「やっぱりそうだ。これは二十面相の部下がひいたのだよ。」
 明智探偵が、中村警部に説明しました。
「二十面相の部下は、ここにかくれて、美術館からの電話を、ぬすみぎきしていたんだよ。用心ぶかい二十面相は、自分に危険がせまったときには、なにか、うまい方法で、たすかるくふうをしておいたのにちがいない。」
 明智はそこで、ふっとだまりこんでしまいました。なにか考えています。やがて、明智の目がキラっとひかりました。
「あっ、そうだ。あれがあやしい。中村君、いま二十面相をのせていった護送車は、ほんとうに警視庁からきたのかね。」
「なんだって? きみは、あれがにせものだったというのか。」
「うん、そうなんだ。もう一度警視庁へ電話をかけて、たしかめてくれたまえ。」
 それをきくと、中村警部はあわてて、美術館のほうへかけだしていきました。
 あとにのこった明智は、物置小屋の受話器を耳にあてました。警官と小使さんは、そのそばに立って、明智の顔を見つめています。
「あっ、中村君の声がきこえる。警視庁が出たよ。……やっぱりそうだ。警視庁では、護送車を送ったおぼえがないといっている。さっき中村君が警視庁へ電話をかけたとき、この電話で、ぬすみぎきしていたやつが、電話線のスイッチをきって、警視庁のかわりに、自分がこたえたんだ。ためしに、やってみようか。」
 明智はそういって、電話器の横にあるスイッチをきりかえました。
「もしもし、ぼくだよ。明智だよ。」
「あっ、物置小屋からだね。すると……。」
 中村警部のびっくりした声です。
「そうなんだ、ここにかくれていた二十面相の部下のやつが、警視庁だといって、きみと話をしたんだ。そして、護送車を送ることをひきうけて、電話をきったのだから、警視庁はなにもしらない。あの護送車は警視庁からきたのじゃない。」
「じゃあ、どこからきたのだ。」
「二十面相のどこかのかくれがからきたのさ。二十面相は、まんいちの場合にそなえて、にせの護送車をつくっておいたのだ。そして、それにのりこんで、にげだしたというわけだよ。」
「しかし、部下がふたり、のりこんでいる。」
「あのふたりは、ひどいめにあっているかもしれないよ。
 すぐ、手配するように、もう一度警視庁へ電話したまえ。どの方角へにげたかわからないが、とくちょうのある護送車だから、うまくつかまるかもしれない。」
「よし、それじゃ、スイッチをきってくれたまえ。」
 そして、警視庁に電話がかけられ、東京のぜんぶの警察に、にせ護送車のことが、つたえられたのでした。

壁から手が


 手錠をはめられた二十面相は、ふたりの警官にまもられて、護送自動車にのりこみました。四角な箱型で、出入り口のドアはうしろについています。あかりとりの小窓ばかりで、外をながめるような窓はありません。
 片がわが、たてにながいいすになっています。ふつうの護送車は、両がわにいすがあるのに、これは片がわにしかありません。
 ふたりの警官は見なれない護送車だとおもいましたが、運転席にはふたりの制服警官がのっていて警視庁の車にちがいないので、べつにあやしみもしません。二十面相をまんなかにはさんで、そこに腰をおろしました。
 護送車が出発して、五分も走ったとおもうころ、おそろしいことがおこりました。
 ふたりの警官が、腰かけているうしろの、窓のない鉄板てっぱんの壁から、ヌーッと四本の手が、あらわれたではありませんか。
 鉄板の人間の首の高さぐらいのところに、よこにずっと、すきまができていて、ちょうつがいで、ふたがさがっているのです。そのふたを、なかのほうへ、もちあげて、ひらいたすきまから、四本の手が、ふたりの警官の首のあたりへのびてきたのです。
 この護送車は、片がわの壁が、人間がかくれるほど、あつくできていたのです。そこにふたりの人間がかくれていて、すきまから、両手を出したのです。
 二十面相をまもっている、ふたりの警官の首の両がわから、二本の手があらわれ、一方の手には、ハンカチのような白い布がにぎられていました。
 あっとおもうまに、その白い布が、ふたりの警官の口に、おしつけられ、両手でグッと、おさえられました。
 警官はおどろいて、その手をはねのけようとしましたが、おそろしい力でしめつけているので、どうすることもできません。口にあてられた白い布からは、なんともいえない、いやなにおいが、のどのおくへ、はいっていきます。そして、しばらくすると、スーッと気がとおくなっていきました。その布には麻酔剤が、しみこませてあったのです。
 まもなく、ふたりの警官は、グッタリとなって、いすの上に、のびてしまいました。
「よし、もうだいじょうぶだ。このふたりをねかしたまま、車をどこかさびしいところにすてるんだ。そして、にげだすのだ。明智のやつ、いまごろは、あのかくし電話に気がついたかもしれない。そして東京じゅうの警察に、手配をしたのかもしれない。いつまでもこの車にのっていては、あぶないのだ。」
 二十面相は、いすのうしろの壁の中にかくれている部下に、はなしかけながら、カチンと、手錠をはずしてしまいました。かれは手錠ぬけの名人なのです。
 それから、いすの前にしゃがんで、クッションの下の、かくし戸をひらき、大きなひきだしを、ひっぱりだしました。
 その中に変装の道具がはいっているのです。二十面相は、そこからかがみを出して、自分の顔をうつしながら、変装をはじめました。そして、六―七分のあいだに、ちがった服をきた、ちがった顔の、まったくべつの人間になってしまいました。
 いままでは古山博士にばけていたのですが、こんどは六十ぐらいの老人にかわったのです。
 そのとき、車はさびしい原っぱに、とまっていました。
「さあ、みんなおりるんだ。この車はすてておけばいい。そのうち、だれかがみつけて、このおまわりさんたちを、たすけてくれるだろう。」
 老人にばけた二十面相は、うしろのドアをひらいて、外にとびおりました。運転台のふたりの部下が、とびだしてきました。このふたりとも、いつのまにか、警官の制服をぬいで、ジャンパー姿に、かわっていました。
 そのあとから、秘密のかくれ場所をぬけだした、ふたりの部下がおりてきました。このふたりもジャンパーをきています。そして二十面相と四人の部下は、暗い原っぱをよこぎり、どこともしれず、たちさってしまいました。
 明智探偵はみごとに二十面相の秘密をあばきました。そして、かれをとらえたのですが、二十面相は、いつものように、さいごのおくの手を用意していました。にせ護送車のおくの手です。
 明智は、かくし電話の発見から、にせ護送車にもすぐ気がつき、いそいで手配をしたのですが、とうとうまにあいませんでした。二十面相はにせ護送車を、おしげもなくすてて、にげだしてしまったからです。

あやしい小包


 妖星人Rは宝石どろぼうのいたずらでした。名探偵明智小五郎は、その秘密を発見して、一度はどろぼうをつかまえたが、なにしろ、あいては怪人二十面相という魔術師のようなどろぼうだから、ちゃんとおくの手を用意していて、とうとう、にげさってしまったということが、日本の新聞はもちろん、世界じゅうの新聞にのりました。
 世界の人がそれを読んで、あっとおどろきましたが、なんともいえないおかしさに、ゲラゲラ笑いだしてしまいました。しかし、笑うだけ笑ってしまうと、こんどは、なんだか、うすきみわるくなってくるのでした。
 ことに東京の人は、身にせまるぶきみさを、かんじないではいられませんでした。二十面相は、いつも東京にあらわれるからです。そして、魔法つかいのような、ふしぎなあらわれかたをして、みんなをギョッとさせるからです。
 二十面相がにせの護送車でにげだしてから、一月ほどたちましたが、そのころ、またしても、ふしぎなことが、はじまったのです。
 小林少年をはじめ、少年探偵団のおもな少年たちのところへ、おなじような小包郵便がつきました。ひらいてみると、中にはボール箱がはいっていて、その中に一ぴきのカニがいれてあったのです。もう死んでいるのもあれば、まだ生きていて、小包をあけると、ゴソゴソと、はいだすのもありました。
 さしだし人は書いてありません。手紙もはいっていません。ただカニが一ぴき、はいっているばかりです。まったく、わけがわかりません。しかし、ひじょうにぶきみです。カニを見るとすぐカニ怪人をおもいだすからです。
 あのおそろしい怪物が、あらわれるときには、そのまえぶれとして、小さいカニがたくさん、はいだしてきました。すると、この小包でおくられたカニは、やっぱりカニ怪人のあらわれるまえぶれなのでしょうか。
 しかし、カニ怪人というのは、二十面相がばけていたのです。では、これは、二十面相が、なにかおそろしいことをやる、まえぶれなのでしょうか。
 いずれにしても、カニをおくられた少年たちは、気味がわるくてしかたがありません。小林団長のところへ、よりあって、相談しましたが、べつにいい知恵もうかびません。もうすこし、ようすを見ることにして、わかれました。
 ある日のこと、小林少年と井上一郎君とが、渋谷区のはずれの、さびしいやしき町を歩いていて、へんなものをみつけました。
「井上君、さっきの町かどにも、これとおなじ絵がかいてあったね。なんだろう。」
 小林君が、町かどのみぞのふちの石をゆびさしました。その石にこんな絵がかいてあるのです。
カニの絵の図
「カニのようだね。」
「うん、カニだよ。カニといえば、このあいだ、小包でカニをおくってきたばかりだから、あいつのことをおもいだすね。」
「あいつって?」
「怪人二十面相さ。カニをおくってきたのは二十面相にきまっているよ。あいつ、ぼくたちに挑戦してきたのさ。明智先生もそうだろうって、いっていたよ。」
「じゃ、この石にチョークで、カニの絵をかいたのも、二十面相か、あいつの部下かもしれないね。」
「うん、気をつけて、地面を見ていこう。まだほかにも、かいてあるかもしれない。」
 ふたりは、つぎの町かどで立ちどまりました。そこのマンホールの鉄のふたの上に、おなじような絵がかいてあったからです。
「あっ、わかった。このカニの目玉のほうへまがっていけば、きっと、つぎのまがりかどに、またこの絵がかいてあるよ。さっきから、ぼくたちは、カニの目のむいているほうへ、あるいてきたんだからね。」
 そういって、つぎの町かどへいってみますと、思ったとおり、そこにも、絵がかいてありました。
 ふたりは、なにかにひきよせられるように、カニの絵のある町かどへと、たどって、さっきから一キロほども、あるきました。すると、こんどは、ある大きなやしきの門の石の柱に絵がかいてあったではありませんか。
「井上君、ここが終点かもしれないぜ。」
「うん、そうらしいね。このうちへ、はいってみようか。」
 門には鉄のとびらがしまっていて、おしてみても、びくともしません。そのへんに、よびりんはないかと、さがしても、みつかりません。
「きみ、だれかにきいてみよう。むこうにタバコ屋があったね。じいさんがいた、あすこへいって、きいてみよう。」
 ふたりは、タバコ屋までもどって、じいさんにたずねました。
「むこうの石の門に鉄の戸のしまっている家ね、あそこには、どういう人が住んでいるのですか。」
「あの家かね。」
 じいさんは、にやにや笑いながら、ふたりの少年の顔を見くらべました。
「あそこには、だれも住んでいないよ。」
「じゃあ、空家ですか。」
 いまどき、空家なんて、めずらしいと思いました。
「うん、まあ、空家だね。だれも住みてがない。借りる人も、買う人もいないのだ。」
 じいさんは、いみありげに、片目をつぶってみせました。
 そのへんは、やしき町のつづきで、店屋といっては、そのタバコ屋が一軒あるきりです。もう夕方で、あたりは、すこしうすぐらくなっていました。なんだか別世界へ、はいってきたような気がしました。ぽつんとタバコ屋があって、じいさんがひとりきりで、店番をしています。そのじいさんのくちびるが、ひどく赤いのも、魔性のもののようで、気味がわるいのです。
「どうして、住みてがないのですか。」
 井上君が、たずねてみました。
「あの家には、あやしいことがあるのさ。なんだかおそろしいものが、住んでいるということだよ。」
「おそろしいものって?」
「わしは見たことはない。人のうわさだ。しかし、いつまでたっても、住みてがないところをみると、まんざら、うわさばかりではなさそうだね。」
「おじいさんは、あのうちの門の柱にチョークでカニの絵がかいてあるのをしっていますか。ここへくる道にも、たくさんのカニの絵がかいてあって、ぼくたちは、その絵にみちびかれて、ここまで、やってきたのですよ。」
 それをきくと、なぜか、じいさんの顔色がかわりました。さもおそろしそうに、目はひとところを見つめて、赤いくちびるがブルブルふるえています。
「カニだって? ああ、おそろしい。もうききたくない。きみたちは、はやく、家へかえるんだ。こんなところに、ウロウロしてはいけない。どんなおそろしいめにあわされるか、しれたものじゃない。かえりなさい。かえりなさい。」
 小林君と、井上君は、顔を見あわせました。
「おじいさん、どうして、そんなにこわがるんです。なにかしっているんでしょう。」
 じいさんは、しきりに手をふりました。
「しらない。わしはなんにもしらない。ああ、おそろしい。ほんとに、わるいことはいわない。はやくかえりな。ぐずぐずしていて、くらくなってきたら、たいへんだよ。かえりな、かえりな。」
 ふたりは、また、顔を見あわせました。そして、目であいずをしながら、じいさんを安心させるために、心にもないことをいいました。
「うん、かえるよ。じゃあ、おじいさん。さよなら。」
 そして、二少年は、そのままタバコ屋の前を立ちさりましたが、けっして、かえる気はありません。グルッと一まわりして、あの石の門の前に、ひきかえしました。なんとかして、このうちの中へ、しのびこもうと決心しているのです。

メフィスト


 じいさんには、すぐにうちへかえるように見せかけて、まわり道をして、おばけやしきへ、ちかづいていきました。
 そのとちゅうで、小林君は、赤電話で、明智探偵事務所をよびだし、明智先生に、これから、あやしいおばけやしきを探検することをつたえ、その場所を、くわしく、しらせておいたのです。
 おばけやしきの洋館の鉄の門を、おしてみますと、しまりもしてないとみえて、なんなくひらきました。ふたりはその中へしのびこんでいきました。じゃりをしいた道を、二十メートルほどすすみますと、がんじょうなドアのついた、玄関があります。小林君たちは、そのドアを、そっとおしました。すると、これもまた、スーッと、音もなくひらいたではありませんか。
「ごめんください。」
 小林君が、大きな声で、どなりました。
「ごめんください。」
 しかし、いくらよんでも、ひろい家の中は、シーンとしずまりかえっていて、だれもでてきません。空家みたいなかんじです。
「はいってみようか。」
「うん、そうしよう。」
 ふたりは、うなずきあって、くつをぬいで、上にあがっていきました。
 玄関に、ひろいホールがあって、それから、廊下が、おくのほうへつづいています。ふたりは、かまわず、そこの廊下へ、はいっていきました。
 廊下の両がわには、いくつもドアがならんでいますが、みんなピッタリとしまっているのです。どれも中に人がいるようすはありません。
 なおも、おくのほうへ、すすんでいきますと、ドアがひらきっぱなしになった、大きな部屋の前に出ました。のぞいてみると、まんなかに大テーブルがすえてあって、それをかこんで、アームチェアがならべてありますが、人の姿はありません。
「はいってみようか。」
 小林君が、ささやき声でいいますと、井上君もうなずきました。
 ふたりは、ひろい部屋にはいって、その中を、グルグルあるきまわりました。
 窓には、あついカーテンが、しめきってあるので、太陽の光はすこしもはいりませんが、てんじょうからさがった、りっぱなシャンデリアに、電灯がついているのでこの部屋だけが、夜のようなかんじです。
 ふたりは、アームチェアにこしかけて、顔を見あわせました。
「なんだかへんだね。夜みたいに電灯がついていて。」
「おばけがでるのかもしれないよ。」
 そのときです。部屋のすみに、シューッという、みょうな音がしたかとおもうと、モヤモヤと白い煙がたちのぼりました。
 二少年は「さては。」とおもって、その煙を見つめました。
 白い煙は、ますますこくなって、むこうの壁が見えなくなりましたが、しばらくすると、こんどは、煙が、だんだん、うすくなり、その煙のおくから、もうろうとして、人の姿があらわれました。
 四十歳ぐらいの、やせて、背の高い男です。
 ツバメのようなしっぽのある黒いイブニングをきて、メフィスト(西洋悪魔)のような顔をしています。さきの二つにわかれたあごひげ、ピンとはねあがった口ひげ、頭の毛は、みょうな形に、チックでかためてあって、まるで二本のツノのように見えます。
 ふといまゆ毛の下に、四角なふちなしめがねがひかっています。度のつよいとつレンズらしく、そのめがねのおくの両方の目は、おそろしく大きく見えるのです。そして、その目には、なにかぞっとするような光がかがやいていました。
 うすくなった煙を、はらいのけるようにしながら、そのあやしい男は、ゆっくりと、こちらへあるいてきます。
「アハハハハ……、とうとう、やってきたね。おおいに歓迎するよ。まあ、ゆっくりあそんでいきたまえ。」
 男はひくいバスの声でそういいながら小林君たちのむこうがわのアームチェアに、ゆったりと、腰をおろしました。
「じゃあ、ぼくたちのくるのを、まっていたんですか。」
 小林君があいてにまけないくらい、おちついた声でいいました。
「そうだよ。きみたちは、あのカニの目じるしに、みちびかれて、ここへやってきたんだろう。え、小林君。そちらは、たしか井上君だったね。」
「あっ、ぼくたちの名まえもしっているんですか。」
「そうとも、きみたちには、いろいろ、おせわになったから、お礼をしなくちゃならないとおもっているんだよ。」
「あなたは、だれです。もしや……。」
 小林君が、身がまえをして、あいてをにらみつけました。
「アハハハハ……、そうだよ。おさっしのとおり、おれは二十面相さ。だが、しんぱいすることはない。お礼といっても、きみたちをどうこうしようというわけじゃない。おれはけっして、人をきずつけたり、ころしたりしないのだからね。
 ひどいめにあわせるのではなくて、おもしろいものを見せてあげるのだ。
 きみたちは、タバコ屋のじいさんに、このうちがおばけやしきだときいても、こわがらないで、はいってきた。さすがは少年探偵団だよ。だから、おれが、おもしろいものを見せてやるといっても、けっして、しりごみなんかしないだろうね。」
 二十面相のいうとおりです。小林君たちは、いまさら、にげだす気はありません。
「おもしろいものって、なんです。」
「アハハハハ……、いままで、きみたちの一度も見たことのないものさ。ひじょうにめずらしいものだ。さすがのきみたちも、あっとおったまげて、腰をぬかすような、ふしぎなものだ。」
「それは、どこにあるのです。」
「ここにあるんだよ。いいかい。ほらあれだ。」
 メフィストの姿をした二十面相は、てんじょうを見あげて、手まねきをしました。
 すると、てんじょうから、チカチカひかった、直径十センチぐらいの玉が、スーッと、テーブルの上へおりてきたのです。
 玉には、ほそいひもがついていて、たぶん、機械じかけで、てんじょうからさがってきたのです。
 玉はテーブルの上、二十センチぐらいのところでとまって、宙にさがったまま、グルグルと、まわっています。
 小さい鏡を、何百個も、よせあつめたような玉で、それがシャンデリアの光をうけて、宝石のようにうつくしく、キラキラとひかっているのです。
「きみたちは、妖星人Rなんて、おれがつくりだした、うそっぱちだとおもっているだろうね。カニ怪人は、もう正体を見あらわされて、どっかへ、きえてなくなってしまったと、おもっているだろうね。
 だが、そうきめてしまうのは、まだはやいよ。二十面相のいたずらだとわかって、世界じゅうの人が、大笑いをした。しかし、あれは、ほんとうに、おれのいたずらだったのだろうか。もっとふかいいみがあったのじゃないだろうか。いまにわかるよ。いまにそのわけがわかるよ。
 じゃあ、いよいよ、おもしろいものを見せてやる。いいかい。きみたちふたりとも、ここにさがっている、ひかる玉を見つめるのだ。ジーッといつまでも見つめているのだ。」
 メフィストの二十面相は、にやにやとうすきみわるい笑いをうかべながら、まるで音楽のコンダクターのように、両手をあげて、それをしずかにゆりうごかすのでした。
 小林君と井上君は、いわれるままに、ひかる玉を見つめていました。
 どこからか、ひくいピアノの音がしずかにきこえてきました。ねむくなるようなリズムです。
 ふたりの目は、ひかる玉に、くぎづけになっていますけれど、そのむこうがわに、メフィストの両方の手がゆるやかに、あがったり、さがったりするのが見えています。
 なんともいえないへんな気持になってきました。
 ひかる玉が頭のしんまで、とびこんでくるようなかんじです。そして、頭の中が、ギラギラする光でいっぱいになり、ほかのものは、なんにも見えなくなってしまいました。

青黒い液体


「さあ、おもしろいものを、見せてやるから、こちらへきたまえ。」
 その声に、ふっと目がさめたように、あいての姿をさがしました。いままで、なにも見えなかった目の前に、二十面相のメフィストが立っているのです。
 夢を見ているような気持で、時間のたつのもわからなかったのですが、たぶん、三十分ほどじっとしていたのでしょう。見ると、さっきのひかる玉はどこへいったのか、かげも形もありません。また、もとのてんじょうへ、ひきあげられてしまったのか、それとも、ひょっとしたら小林君たちの頭の中へ、とびこんで、きえてしまったのかもしれません。
 ふたりの少年は、メフィストにうながされて、立ちあがりました。
「三階のやねの上だよ。そこに、おれの天文台があるのだ。その天体望遠鏡を、のぞきにいくのだよ。」
 二十面相は、部屋を出ると、ツバメのようなイブニングのしっぽを、ヒラヒラさせながら、階段をあがっていきました。二少年も、そのあとにつづきます。
 二階から三階、そして屋上に出ますと、大望遠鏡のまるいドームが、そびえていました。
「へんだな。外から見たときにはやねの上に、こんなまるいものなんかなかったのに。」
 小林君はそうおもって、井上君の顔を見ました。すると、井上君も「ふしぎだな。」という目つきで、小林君を見かえすのでした。
「さあ、ここをのぞいてごらん。昼間だから、肉眼では見えないが望遠鏡はRすい星にあわせてある。あのネジネジの、しっぽをもったすい星が、レンズいっぱいに、ひろがっているんだよ。」
 メフィストのさしずにしたがって、小林君がまず、それをのぞきこみました。
 なるほど、望遠鏡いっぱいのRすい星です。赤いしっぽが、グルグルまわっています。すい星の頭の、まるいところは、無数の小さいつぶがあつまってできているので、地球や月のような天体とはちがうのですが、いくら度のつよい望遠鏡でも、そこまではわかりません。
 しかし、あれはなんでしょう。そのつぶつぶが、とびだしてきたのではないでしょうか。ごらんなさい。小さな黒いほこりのようなつぶが、すい星の頭をはなれて、こちらへ、とんでくるではありませんか。
 ひじょうな速さとみえて、そのつぶつぶは、みるみる大きくなってきます。一つ、二つ、三つ、……五つ、……七つ、あっ、十一もあります。十一の黒いつぶが、すい星をはなれて、こちらへとんでくるのです。
 もうつぶつぶではありません。なにかひらべったい、まるいものです。それがだんだん大きくなってきます。
 あっ、空飛ぶ円盤とそっくりです。グルグルまわりながら、地球をめがけて、とんでくるのです。
「たいへんです。Rすい星から、円盤がとんでくるのです。」
「そう、それを、きみたちに見せたかったのだよ。井上君も、かわって、のぞいてごらん。」
 こんどは井上少年が、のぞく番でした。
 円盤は、もう、すぐ目の前を、とんでいるように見えました。
 おさらのような、うすべったい円盤が、十一個、さきをあらそって、ちかづいてくるのです。つぶつぶのときには、黒く見えましたが、いまはネズミ色です。
 その円盤が、望遠鏡のレンズいっぱいにひろがりました。いまにも望遠鏡にぶっつかりそうな気がします。
「きみたち、妖星人が地球へやってくるのがわかっただろう。カニ怪人は、二十面相のいたずらときめられてしまったが、こうして望遠鏡をのぞいてみると、そうでないことがわかるのだよ。やつらは、まい日、まい日、とんでくるのだ。いまに地球は妖星人に占領されてしまうだろうよ。」
 井上君は、円盤がすぐ目の前にちかづいてくるので、こわくなって、望遠鏡から目をはなし、肉眼にくがんで空をながめました。
 しかし空には、なにもありません。望遠鏡では近くに見えても、ほんとうは、肉眼では見えないほど、とおいとおいところを、とんでいるのでしょう。
「あの円盤は、どこへ着陸するつもりでしょう。」井上君が、メフィストにたずねました。
「陸ではなくて、海の中かもしれない。さいしょのやつが、やっぱり海だったからね。あの円盤は潜航艇のように、海の底を走ることができるんだよ。」
 小林君は、もう一度、望遠鏡をのぞきましたが、のぞいたかとおもうと「あっ。」とさけんで、目をはなしてしまいました。円盤があまりに近くをとんでいるので、いまにも、じぶんの顔にぶっつかりそうだったからです。
「さあ、それじゃあ、下へおりよう。まだまだ、きみたちに見せるものがあるんだよ。」
 メフィストは、そういって、さきに立って、階段をおりました。二少年も、夢みごこちで、そのあとにしたがいます。
 一階までおりて、さっきとはちがった、ひろい部屋にはいりました。
 ここは、窓のカーテンが、すっかりひらいていますが、もう夕方なのと、窓の外に、木がしげっているのとで、部屋の中は、うすぐらくなっていました。
 メフィストの二十面相は、その部屋のまんなかに立って、しばらく、じっとしていましたが、ふっと、なにかに気づいたようで、首をかしげて、耳をすましました。
 すると、二十面相の顔が、びっくりするほど、かわってきました。四角なふちなしめがねの中の目玉が、ただでさえ大きいのに、それが、倍も大きくなって、いまにもとびだしそうです。顔色は、まっさおになっています。
 その部屋には、二つドアがあって、いま、みんなのはいってきたドアとは、べつのがわに、もう一つのドアが、しまっています。
 二十面相は、しのび足で、そのドアに近づくと、板に耳をあてて、むこうがわのもの音を、ききとろうとしました。
 四角なめがねの中の大きな目は、ひらきっきりで、まばたきもせず、なにかに、ひどくおびえているのです。二十面相ともあろうものが、こんなにビクビクするのは、どうしたことでしょう。
 二十面相は、たちぎきするだけでは、がまんができなくなったとみえて、ドアのとっ手をまわして、ほそめにひらき、外をのぞきました。
 あっ、しまった、というようすで、ひらいたドアを、しめようとしましたが、もう、まにあいません。
 ドアのむこうから、青黒い液体が、津波つなみのように、ながれこんできて、二十面相が、力まかせに、ドアをおしても、もうしめることができません。液体のながれこむ力が、強いからです。ドアは、みるみる大きくひらいて、そこから、液体がドッとおしよせてきました。
 二十面相は、ドアから手をはなして、にげようとしましたが、液体は、もうかれの足をひたしていました。ネバネバとねばりつく液体のようで、そこから足をぬくことができないのです。
 液体は二十面相のズボンを、腰のほうへと、はいあがっています。液体が上にながれるのは、へんですが、まるでナメクジかなんぞのように、ズボンを上へ上へと、のぼっていくのです。
 二十面相の腰から下は、もう液体のために、つつまれてしまいました。
 しかし、液体は、それで、はいあがるのをやめたわけではありません。ズボンから、こんどは、上着へとのぼっていきます。
「あっ、あれカニだよ。小さなカニがウジャウジャいて、液体のように見えるんだよ。何千、何万というカニのかたまりだよ。」
 井上君が、それに気づいて、さけびました。
 このあいだまでカニ怪人であった二十面相は、じぶんのあらわれるまえぶれに、小さいカニをたくさん、そのへんに、はわせたものですが、その二十面相が、このカニのれを、あんなにおそれたのは、なぜでしょう。カニどもは、いま、主人にふくしゅうしようとしているのでしょうか。
「ワーッ、たすけてくれえ。」
 二十面相が、悲鳴をあげました。見ると、カニどもは、もう肩まで、はいあがっています。二十面相はそれを、ふりはらおうとするのですが、ふりはらっても、ふりはらっても、カニは、しゅうねんぶかく、のぼってくるのです。
 もう、首から顔まで、のぼりついてきました。顔じゅうカニでいっぱいになりました。青黒い、ウジャウジャした、いやらしい顔にかわりました。
「ああ、もうだめだ。小林君、井上君、おれはもうだめだ。あとは、きみたちだけで、見てくれ。まだおもしろいものが、たくさんあるんだ。きみたちが、見たことも、きいたこともないような、おそろしいものが、まっているのだ。
 ああ、カニのやつ、あわをふきだした。このあわで、おれはとかされてしまうんだ。いや、こっちへ、近よるんじゃない。おれはもう、どうしたって、たすからないのだ。あ、あ、おれは、もうだめだっ。」
 全身をカニの群れにおおわれて、二十面相の姿は、もう見えません。やがて、カニどもが、あわをふきはじめました。ひざをついて、くるしんでいる二十面相の形は、一面の白いあわに、つつまれてしまいました。
 それから、おそろしいことがおこったのです。カニにおおわれた二十面相の姿が、とけるように、だんだん小さくなっていくではありませんか。やがて、クナクナと、くずれるように、ひらべったくなり、あっとおもうまに、もうなにもなくなってしまいました。あとには、カニの群ればかりが、ドロドロの青黒い液体となって、床一面にしずかにながれているのでした。

おばけガニ


 小林少年と井上君は、それを見て、ゾーッと、全身のうぶ毛がさかだつような気がしました。
「あっ、いけないっ、こちらへやってくるっ。」
 井上君がさけびました。
 青黒い液体が、怪物の舌のように、ズーッと、こちらへのびてくるのです。親指のつめぐらいの小さなカニが、何千何万とあつまって、ゴソゴソと、こちらへはってくるのが、まるで液体のように見えるのです。
 二少年は、いきなり、その部屋からにげだし、ドアをしめて、ひらかないように、おさえました。
 青黒い液体は、津波のように、ドアのむこうがわに、ぶっつかってきました。ドアがグーッと、ゆみのようにしないます。おそろしい力です。
「あっ、ごらん、ドアの下から、ながれだしてくる。」
 井上君が、またさけびました。
 ドアの下に一センチほどのすきまがあります。小さなカニどもは、そのすきまから、こちらへ、はいこんでくるのです。青黒い液体が、ドロドロと、ながれてくるようなかんじです。
 二少年は「ワッ。」とさけんで、にげだしました。むちゅうで、廊下を走っていきますと、ドアのひらいた部屋がありましたので、その中へとびこんで、ドアをピッタリしめました。
 青黒い液体が、ここまでながれてくるのには、時間がかかるでしょう。もし、流れてきたら、窓から庭へとびだすつもりです。
 その部屋には、旧式なおしあげ窓が三つあって、そのまんなかの窓が、ひらいていました。
「おやっ、あれなんだろう。」
 小林君が、その窓を、ゆびさしました。
 ごらんなさい。大きな木のみきのようなものが、ひらいた窓から、はいってくるのです。青黒いスベスベした木のみきです。さきが二つにわれて、ゆっくり、ひらいたり、とじたりしています。
「ワーッ、あれ、はさみだよ。カニのはさみだよ。」
 井上君がさけびました。
 しかし、そんな大きなカニがいるのでしょうか。木のみきのような巨大なはさみをもったカニなんて、考えることもできません。
 ふたりは、石にでもなったように、身動きもしないで、手をとりあって、それをみつめていました。
 巨大なカニのはさみは、グングンのびて、窓の中へ、はいっていきました。あっ、カニの目です。はさみのうしろから、とびだしたカニの目玉が、あらわれたのです。フットボールのたまぐらいの、でっかい目玉です。それが、グリッ、グリッとまわって、こちらをにらみつけています。
 それから、青黒いカニのこうら、その下に気味のわるい口、口からブクブクと、あわをふいています。人間の十倍もあるカニです。カニのおばけです。
 おばけガニは、窓から、はいろうとしましたが、からだが大きいので、はいれません。それでも、からだを横にして、むりにおしいろうとしましたので、おしあげ窓の上のほうのガラス戸が、おそろしい音をたててこわれ、ガラスがこなごなになって、とびちりました。
 二本の大木のようなはさみが、ヌーッとこちらへ、のびてきました。そして、いまにも、二少年をはさもうとするのです。フットボールのたまのような、とびだした目玉が、じっと、こちらをにらみつけています。
「ワーッ、たすけてくれえ……。」
 二少年は、悲鳴をあげて、廊下へとびだしました。そして、もとの部屋のほうへ、五―六歩かけだしたのですが、ふと、むこうを見ると、思わず、棒立ちになってしまいました。
 ごらんなさい。むこうからも、敵がおしよせてくるのです。あの青黒い液体が、廊下いっぱいにひろがって、津波のように、こちらへ、流れてくるのです。
「ワーッ。」
 ふたりは、もう一度、悲鳴をあげました。そして、いきなり、はんたいのほうへ、にげだしたのです。
 しかし、そこには、あの部屋があります。巨大なカニが、窓の戸をやぶってはいってきた、あのおそろしい部屋があるのです。
 二少年は、いま、その部屋のドアの前を走っていました。すると、そのドアがパッとひらいて、あの大木のようなカニのはさみが、ニューッと、とびだしてきたではありませんか。
 二少年は「ワッ。」とさけんで、身をかわしました。いまにも、はさまれそうになるのを、やっと、のがれることができたのです。
 ふたりは、うすぐらい廊下を、めちゃくちゃに走りました。あとから、あいつが、おっかけてくるからです。青黒い液体のほうは、そんなに速くありませんが、人間の十倍もある大ガニは、おそろしく速いのです。
 ふりかえると、おばけガニは、廊下いっぱいになって、おそろしい八本の足で、バリバリ音をたてて、フットボールのたまのような目を、クルクルさせながら、おっかけてくるのです。
 ふたりは、むがむちゅうで、走りました。
「ワー……。」
 井上君が、なにかにつまずいて、ころんだのです。おばけガニは、すぐうしろから、せまってきます。あっ、でっかいはさみが、井上君の足におそいかかりました。
 小林少年が、あともどりして、井上君の手をひっぱって、ひきおこしました。しかし、そのとき、大ガニのはさみは、井上君のズボンをはさんでいたので、井上君は、またころびました。見ると、フットボールのたまのような目玉が、すぐそばにありました。ぶきみな口が、あわをふいて、にやにや笑っているように見えます。
 井上君は、死にものぐるいで、足をバタバタやりました。はさまれたズボンが、べりべりとさけて、やっと、はさみからのがれることができました。
 小林君にたすけられて、立ちあがると、また、めちゃくちゃに、走りました。
 どこをどう走ったのか、まるでおぼえがありません。
 いつのまにか、建物をはなれて、広い原っぱに出ていました。
「おやっ、こんなところに、こんな広い原っぱがあったのかしら。」
 二少年は、ふしぎそうな顔で、あたりを見まわしました。

妖星人の林


「ワーッ、小林団長っ。」
「ワーッ、井上君。」
 気がつくと、原っぱのむこうから、おおぜいの少年が、こちらへかけてくるのが見えました。みんな少年探偵団員です。ポケット小僧もいます。ノロちゃんの野呂一平のろいっぺい君もいます。かぞえてみると、十三人です。それに小林、井上の二少年をくわえると十五人になります。十五少年が、せいぞろいをしたのです。
「きみたち、どうして、こんなところにいるんだい。」
 小林君がたずねますと、中学一年の木村きむらという少年がこたえました。
「小林さんが、電話で、みんなをよびあつめたんじゃないか。それで、ぼくたち、あのおばけやしきの洋館へ、やってきたんだよ。すると、へんなおじさんがいて、キラキラひかる鏡の玉が、てんじょうからさがってきて、ぼくたち、ねむくなってしまった。
 そして、ハッと気がつくと、いつのまにか、この原っぱへきていたんだよ。なんだか、夢を見てるような気持だよ。」
 小林少年は、電話なんかかけたおぼえはありません。これも二十面相のしわざにちがいないのです。二十面相はなんでもしっています。小林君の声をまねて、電話で、おもな団員をよびあつめたのかもしれません。
 小林君は、それよりも、おばけガニのことが気になるので、うしろをふりかえってみました。
 すると、ふしぎ、ふしぎ、うしろは、いちめんの原っぱで、あの洋館は、影も形もなくなっていたではありませんか。
 ほんとうに、夢を見ているような気持です。そういえば、空も、原っぱも、いちめんに、うすぐらく、なまり色で、夢の中のけしきのようです。
 少年たちは、小林団長をかこんで、ひとかたまりになって立っていましたが、ポケット小僧が、空をゆびさして、とんきょうな声で、さけびました。
「あれ、あれ、なんだか、たくさん、ふってくるよ。」
 みんなが、空を見あげました。
 小さな、灰色のまるいものが、かずかぎりもなく、ふってくるのです。
 小林君たちが、さっきのぞいた天体望遠鏡の中のけしきと、そっくりでした。空飛ぶ円盤が地球にちかづいてくるのです。さっきは望遠鏡でしか見えなかったのが、もう肉眼で見えるようになったのです。
 円盤はひじょうな速さで、ちかづいてきます。みるみる、形が大きくなってくるのです。一つ、二つ、三つ、四つ……十一、十二、十三、十四……二十一、二十二……、かぞえきれないほどです。はっきり見えるだけでも百以上あります。そのあとから、ほこりのように小さく見えるのが、かぎりもなくふってくるのです。
 やっぱりRすい星には、生き物がすんでいたのでしょうか。いくら二十面相が魔法つかいだからといって、こんなに空から円盤をふらせることはできないでしょう。すると、妖星人Rは、二十面相のでっちあげたものではないのかもしれません。
 いちばん近い円盤は、おさらほどの大きさに見えています。はじめは、灰色だったのが、いまは青黒い色です。
「あらっ、あの円盤には足があるよ。」
 ノロちゃんの声でした。
 なるほど、足があります。八本の足があります。それから、大きな二本のはさみが。
 カニです。でっかいカニが、空からふってくるのです。かぞえきれない、足のある円盤が、ふってくるのです。だんだん大きくなってきました。もうマンホールのふたぐらいの大きさです。あの気味のわるい、白っぽいカニの腹が、ハッキリ見えます。
 カニ円盤はグングン大きくなってきました。大きなはさみと、八本の足をモガモガやりながら、おりてきます。
 さしわたし三メートルほどに見えます。たちまち、四メートル、五メートル……七メートル、八メートル、おそろしくでっかい、おばけガニです。そして、十メートルほどにふくれあがったとき、さいしょのカニ円盤は、原っぱに着陸していました。少年たちから百メートルはなれたところです。
 つぎつぎと着陸します。十、二十、三十、もうかぞえきれません。広い原っぱが、巨大なカニ円盤でいっぱいになってしまいました。
 それらのおばけガニが大きなはさみを、おったて、八本の足をモガモガと動かしているありさまは、じつに、なんともいえないおそろしさです。
 いちばん近くのカニ円盤の背中の上で、なにか動いているものがあります。あっ、怪人二十面相です。さっき、小ガニの群れにうずめられて、消えてしまったとおもった二十面相が、いつのまにか、カニ円盤の背中にのぼっていたのです。あのいやらしいメフィストの姿です。
「ワハハハハ……、少年探偵団の諸君、どうだ、おどろいたか。Rすい星から、地球せいばつにやってきたのだ。おれはRすい星の大統領だ。いま、きみたちに、おれのなかまを見せてやろう。ピン、パン、ポン、ピン、パン、ポン……。」
 原っぱにひびきわたるような、おそろしい声でした。
 すると、たいへんなことがおこりました。ひとつのカニ円盤に三人ずつのカニ怪人があらわれて、円盤の背中に立ったのです。たぶん、カニ円盤のおなかがわれて、そこから、はいだしてきたのでしょう。円盤はまだ、降りつづいています。原っぱに着陸したのだけでも、二百以上です。その背中に、三人ずつのカニ怪人が立ったのですから、カニ怪人の林のようです。カニ怪人の大軍団です。
 みにくい姿のカニ怪人です。みなさんよく知っているカニ怪人です。カニのこうらのような頭、二本の触手、自動車のヘッドライトのような二つの目、鉄のよろいを着たからだ、鉄のはさみのついた腕、あの妖星人Rです。
「ワハハハ……、どうだ、おどろいたか。きみたちが、びっくりして、ポカンと口をあいている顔を見ると、おれはゆかいでたまらないぞ。ワハハハハ……。だが、これでおしまいじゃない。まだまだおもしろいものを見せてやるのだ。いいか、そらっ。」
 メフィストの二十面相が、両手をたかくあげて、頭の上で、グルグルとまわしました。
 すると、おもいもよらぬ、おそろしいことがおこったのです。

名探偵と怪人二十面相


 まだふりつづいていたカニ円盤が、つぎつぎと、少年たちの頭の上へおりてきました。いやらしいすじのある、あの白っぽい腹を見せて……。
 さいしょに、ねらわれたのは、井上少年です。円盤がグーッと頭の上に、せまってきたので、びっくりして、にげだしましたが、円盤は、にげるほうへにげるほうへと、ついてくるのです。
 そして、あの大木のような二本のはさみが下へのびて、井上君の両方の腕を、はさみこんでしまいました。そして、こんどは、ぎゃくに空へと、まいあがっていきます。井上君はカニのはさみにはさまれたまま、高く高く、天にのぼっていくのです。
 おなじことが十五人の少年たちに、つぎつぎと、おこりました。ワシがあかんぼうをさらうように、カニ円盤がスーッとおりてきては、少年をはさんで、空へのぼっていくのです。十五のカニ円盤が、ひとりずつ少年をぶらさげて、とびあがっていくのです。
 飛行機やヘリコプターに乗っているのとはちがいます。大きなカニのはさみにはさまれて、ぶらさがっているのですから、いつおとされるかわかりません。おとされたら、命はないのです。
 小林少年は、カニ円盤にぶらさがったまま、考えました。
「どうも、ふしぎだ。ほんとうかしら。夢をみているんじゃないかしら。」
 そうです。おそろしい夢に、うなされているような気持です。頭がボンヤリしています。すべてが、かすみをとおして見るようなかんじです。
 小林君は、気力をふるいおこして、頭をはっきりさせようとしました。夢をさまそうとしました。しかし、どうしてもかすみがとれません。自分の心が、なにか、おそろしい力で、思わぬ方角へむけられているような気がします。
 ふと気がつくと、あたりはまっくらになっていました。日がくれるにしては、まだ早いし、こんなに急に暗くなるはずがありません。
 暗くても、自分の上や下に、ひとりずつ少年をぶらさげた、十五のカニ円盤が、飛んでいるのはよく見えます。おちついた少年は、宙にぶらさげられても、じっとしていますが、おくびょうな少年は、泣きさけびながら、もがいています。もがけば、かえってあぶないのですが、そんなことを考えるよゆうもないのでしょう。いちばん大きな声で、泣きさけんでいるのは、野呂一平君のノロちゃんでした。
 下を見ると、まっくらで、おくそこがしれず、どのくらい高くとんでいるのか、見当もつきません。ふつうなら、どんな夜中でも、町の火が見えるはずですが、一つの火も見えません。それほど高くのぼってしまったのでしょうか。
「ワハハハハ……。」
 あの、ききおぼえのある二十面相の声が、どこからか、ひびいてきました。
「ワハハハハ……、どうだ、こわいか。さすがの少年探偵団も、こうなったら、いくじがないね。きみたちが、さんざんおれのじゃまをしたおれいだ。わかったか。いまに、もっとおそろしいことがおこるぞ。」
 そして、たちまち、そのおそろしいことがおこったのです。
 小林君の、両方の腕をはさんでいた、カニのはさみが、パッとひらき、小林君のからだは、まっくらな空中を、サーッと下へおちてきました。
 おくそこのしれない深さです。はじめは、まっすぐにおちていましたが、いつのまにか、おもい頭のほうが下になり、まっさかさまについ落していくのです。
 そんななかでも、あたりの空中を見まわすと、十五人の少年たちが、ぜんぶおちてくるのがわかりました。みんな、まっさかさまです。風をきって、おちてゆきます。ノロちゃんの泣きさけぶ声が、空中に尾をひいて、下へ下へと、おちていくのです。
 おちる速度は、みるみる速くなっていきます。ヒューッ、ヒューッと、風を切る音が、耳をかすめます。しかし、いつまでおちても、下へ着かないのです。地面にぶっつかったら、死んでしまうにきまっていますが、そのときが、いつまでたっても、こないのです。速度はいよいよ速くなりました。もう人間の力では、たえられないほどの速さです。さすがの小林君も、とうとう気をうしなってしまいました。ほかの少年たちは、もっと早く気をうしなっていました。十五少年は、失神しっしんしたまま、まっくらな空間を、いつまでも、下へ下へとおちていくのでした。
 それからどのくらいたったかわかりません。小林君は、ふっと目をひらきました。
 もう風を切る音はきこえません。シーンとしずまりかえっています。ここは原っぱでなくて、広い部屋の中のようです。うすぐらい電灯の光で、そばにおおぜいの少年たちが、ゴロゴロころがっているのが見えます。みんな、まだ気をうしなったままなのでしょう。
 部屋の中に一ヵ所、スポットライトをあてたように、まぶしいほどあかるいところがありました。
「あっ、明智先生っ。」
 そうです。そこに名探偵明智小五郎が立っていたのです。それにむかいあって立っているのは、メフィスト姿の怪人二十面相でした。ああ、巨人と怪人は、五十センチの近さで、顔と顔とむきあわせて、じっとにらみあっていたのです。
 二十面相の四角いめがねのおくの目は、とびだすほど見ひらかれています。そして、かれのひたいからは、タラタラと、汗が流れているのです。
 明智探偵の目も、おそろしい光をはなって、二十面相をにらみつけていました。探偵の顔には、汗はながれていません。

大闘争


「あっ、先生が、ぼくたちを、たすけにきてくださったのだっ。」
 小林君は、すぐにそこに気がつきました。さっき、赤電話で、先生に、このおばけやしきをしらべると、報告しておいたからです。
 明智探偵と二十面相は、ひとことも、ものをいわないで、いつまでも、にらみあっていました。
 ふたりとも、なんというおそろしい目をしているのでしょう。まるで、あいてを、にらみ殺そうとしているようです。
 ことに明智探偵の目は、またたきもせず、ランランとかがやいて、そこから、いなびかりのようなものが、あいての顔をめがけて、とびだしていくように見えました。
 二十面相の顔は、まっかになり、汗びっしょりです。いまにも明智に、にらみたおされそうになるのを、ひっしになって、がんばっているのです。
 すると、おそろしいことが、おこりました。二十面相の魔法の力で、あのでっかいおばけガニが、もうろうと、姿をあらわしてきたのです。一ぴき、二ひき、三びき、四ひき、五ひき、おお、ごらんなさい。あの人間の何倍もある大ガニが、五ひきもあらわれて、巨大なはさみを、ひらいたり、とじたりしながら、明智探偵のほうへ、ジリジリと、ちかづいていくではありませんか。
「ウハハハハハ、どうだ、明智先生、おれの魔法がわかったか。いまにきみは、カニにくわれてしまうのだぞ。」
 メフィストの二十面相が、おばけガニのうしろから、ぶきみな声で、あざわらいました。
 すると、どうでしょう。こんどは、明智探偵が、魔法を使ったのです。
 立っている明智のからだから、スーッと、もうひとりの明智がわかれて、そのとなりに立ちました。
 それから、また、もうひとり、また、もうひとり、とつぎつぎにほんとうの明智探偵のほかに、五人の明智が、そこにならんだのです。
「ワハハハハハ、魔法を使うのは、きみばかりじゃないよ。ほら、これを見たまえ。」
 明智の声がひびきわたると、五人の明智が、サッと、五ひきの大ガニに、とびかかっていきました。
 カニと人間との大格闘です。すさまじい争いです。大ガニは、二本のはさみを、ふりたてて、メチャメチャに、もがきまわりました。
 五人の明智は、そのはさみを、両腕で、グッとだきしめて、おそろしい力で、カニどもを、その場に、ねじりたおすのでした。
 うしろに、つっ立って、それを見ている明智探偵の顔にも、汗が流れてきました。しかし、あのするどい目は、やっぱり、またたきもせず、メフィストの二十面相を、にらみつけています。明智の両眼から、電気の火花が、とびだしているようです。
 二十面相の、汗にぬれた顔は、もう、紫色むらさきいろです。目も口も、くるしさにひんまがっています。二十面相はまけたのです。明智探偵の目の光にまけたのです。
 五ひきの大ガニは、五人の明智のために、みんな、くみふせられてしまいました。カニどもは八本の足をモガモガやって、くるしんでいましたが、やがて、ふしぎなことに、そのでっかいカニたちの姿が、だんだん、ボーッとうすくなっていって、いつのまにか、消えてしまいました。
 カニをせいばつしてしまった五人の明智は、こんどは、メフィストの二十面相のまわりを、グルッととりまいてたちはだかりました。
「ワアアアアア……。」
 二十面相がおそろしいさけび声をたてました。そして、クルッとむこうをむくと、いきなり、死にものぐるいで、にげだしたのです。
 五人の明智は、かげのように、そのあとをおって、むこうへ、消えていきました。
「先生っ。」
 小林少年が、さけびながら、明智探偵のそばに、かけよりました。
「おお、小林君。きみたちは、みんな、二十面相の催眠術にかかっていたのだ。ぼくは、きみたちをたすけにきた。そして、二十面相と催眠術くらべをやって、勝ったのだ。さあ、あいつをおっかけよう。きみたちも、いっしょにきたまえ。」
 そういって、明智探偵は、二十面相のにげたほうへ、はしりだしました。
 十五人の少年は、いままで、催眠術をかけられていたのですが、明智が二十面相の術をやぶってしまったので、夢からさめたように正気にかえりました。
 天体望遠鏡にうつった空飛ぶ円盤も、小さいカニが液体のように、おしよせてきたのも、窓から大ガニがはいってきたのも、空からカニの大群がふってきたのも、みんな催眠術で見せられたまぼろしにすぎなかったのです。
 二十面相の味方をした五ひきの大ガニも、明智探偵のからだから、わかれて出た五人の明智も、ふたりのおそろしい心のあらそいをしめす、まぼろしでした。少年たちが、まだ催眠術から、さめきっていなかったので、そんなまぼろしが見えたのです。それにしても十五人の少年に、一度に催眠術をかけるとは、二十面相はよほどの名人ですが、わが明智探偵はさらに、それ以上の名人だったのです。さすがの小林少年も、明智先生がこれほどの催眠術師とは、すこしも知りませんでした。

たいまつの火


 明智探偵と少年たちは、二十面相をおって、廊下を走りました。
 廊下は一本道です。二十面相は、つきあたりの部屋ににげこみました。そのうしろ姿が見えたのです。
 しかし、その部屋にはいってみると、だれもいません。三つある窓は、しまったままで、中からかけがねがかかっています。二十面相は消えてしまったのでしょうか。
 明智探偵が、壁にある、かくしボタンをさがして、それをおしました。
 すると、ガタンと音がして、床に一メートル四方ほどの穴があいたではありませんか。地下室への入口です。
 それを見ると、明智が少年たちに、さしずしました。
「地下室へは小林君と、井上君だけにして、あとの諸君は、庭に出て、まっていてくれたまえ。二十面相のさいごの切りふだは、庭にかくしてあるんだ。ぼくも、それにたいして用意がしてある。ぼくは小林君の電話をきくと、まもなく、車の中に大きな道具をつんで、ここにやってきた。それが、どんな道具だかは、いまにわかる。
 また、警視庁の中村警部とも、連絡がしてあり、やがて、パトカーも、ここへやってくるはずだ。すこしも、こわいことはないのだよ。」
 明智の命令にしたがって、十三人の少年探偵団員は、広い庭へ出ていきました。もう夜の九時ごろです。このまっくらな庭にいったい、どんな切り札がかくしてあるというのでしょう。
 明智探偵と小林、井上の二少年は、床の穴から、地下室へおりていきました。いくつも、部屋のある広い地下室です。
 明智は強い光の懐中電灯を用意していました。それをふりてらしながらすすんでいきますと、みょうな部屋に、はいりました。
 その部屋には、洋服屋のショーウインドーにあるような、男や女の人形が、ウジャウジャと立っているのです。はだかではなくて、みんな洋服をきています。
 二十面相は、きっと、その中にかくれているのでしょう。
 明智探偵は懐中電灯で、ひとつひとつ、人形をてらしていきました。
 すましたマネキンの顔が、つぎつぎと、光の中にあらわれます。
 おやっ、四角なめがねをかけたメフィストの人形です。そいつが、懐中電灯の光を、まぶしそうにして、パチパチと、またたきをしました。
「あっ、きさま、二十面相だなっ。」
 明智と二少年が、とびかかろうとすると、二十面相はすばやく身をひいて、にげだしました。
「ワハハハハハ、おれは人形だよ。メフィストの人形だよ。ワハハハハハ。」
 にげながら、二十面相の高笑いです。
 明智は懐中電灯をふりてらして、おっかけます。
 二部屋ほど、とおりすぎて、いきどまりの小部屋にたっしました。シュッとマッチをする音、パッともえたつたいまつ。二十面相は小型のたいまつを、ふりかざして、仁王立におうだちになっています。
「ワハハハハハ、おい、これを見ろ。このたるの中には、火薬がいっぱいつまっているんだぞ。このとおり、ふたはひらいてある。このたいまつを、たるの中に、なげこめば、大爆発だ。この家も、おれも、きみたちも、こなごなになって、ふっとんでしまうぞ。さあ、どうだ。命がおしければ、地下から出ていけ。でないと、明智君、きみはこの二十面相といっしょに死ぬことになるぞ。ワハハハハハハ。」
 かれは、たいまつをふりながら、気でもちがったように、笑うのでした。
 ああ、あぶない。たいまつからは、火の粉がとびちっています。それがたるの火薬の中におちたら、なにもかも、こっぱみじんなのです。
 小林少年も井上君も、まっさおになって、にげだしそうになりました。しかし、明智探偵はビクともしないで、おちつきはらっています。
「ハハハハハ。」
 こんどは、明智の笑う番でした。
「そのたるの中をよく見たまえ。火薬は水びたしになっているじゃないか。たいまつをほうりこんだって、シュッと音がするばかりだよ。」
「なにっ、水びたしだと?」
 二十面相は、あわててたるの中をのぞきました。
「やっ、さては、きさまが、水をかけたんだな。」
「そうだよ。きみが少年たちに催眠術をかけているあいだに、ぼくは、このうちを、ねこそぎしらべた。そして、あぶない火薬には水をかけておいたのさ。」
「ちくしょう!」
 二十面相は、たいまつをなげすてて、いきなり、こちらへ、つきすすんできました。明智と二少年のあいだをすりぬけて、おそろしいいきおいで、にげていきます。
 パタンと、かくし戸のひらく音。そのむこうに、人間ひとり、やっととおれるほどの、トンネルのような穴が見えます。
 二十面相は、四つんばいになって、穴の中へはいこんでいきました。
 明智探偵と二少年も、やっぱり四つんばいになって、そのあとを追います。
 トンネルは二十メートルほども、つづいていましたが、やがて、ポッカリと、広い場所に出ました。庭のようです。

空中戦


 庭にまちうけていた十三人の少年たちは、やみに目がなれているので、どこからか、あらわれた二十面相に、すぐ気がつきました。
「ワーッ……。」
と、あがるときの声。少年たちは、二十面相をとらえようとして、とびかかっていくのです。
 しかし、死にものぐるいのあいてには、とてもかないません。二十面相は少年たちをつきのけ、つきのけ、庭の一方にそびえているシイの木の下にかけよりました。
 そこには、シイの木が三本ならんでいました。三本とも二十メートルもある大木です。
 二十面相は、右のはしのシイの木のみきにとびつくと、スルスルと木のぼりをはじめました。サルのように、木のぼりがうまいのです。
 ところが、二十面相のほかに、もうひとり、やっぱりサルのような木のぼりの名人がいました。それは明智探偵です。探偵は、まるで二十面相と競争でもするように、三本のまんなかのシイの木を、スルスルとのぼっていくではありませんか。
 まっくらな庭で、木のぼり競争がはじまったのです。これはいったいどうしたというのでしょう。
 小林、井上の二少年は、あまりのことに、あっけにとられて、ぼんやりと、シイの木の下にたちすくんでいました。
 そのうちに、シイの木のてっぺんのあたりから、みょうな音がきこえてきました。
「ブルン、ブルン、ブルン、ブルルン、ブルルン、ブルルン。」
 プロペラの風をきるような音です。
 小林少年も、井上君も、そのほかの十三人の少年たちも、まっくらな空を見あげました。
 そのとき、この家の門のほうに、自動車のとまる音がしたのです。
 小林君は、それをききつけると、ハッとして、そのほうへかけだしていきました。
 小林君が考えたとおり、それは警視庁の自動車で、明智探偵の知らせによって、中村警部が部下をつれてやってきたのでした。
 小林少年は、警部をつかまえて、あわただしく、ことのしだいをつげました。
「二十面相と、明智先生とが、木のぼり競争をやったのです。庭のシイの木です。そうすると、シイの木のてっぺんから、プロペラのまわるような音が、きこえてきたのです。ほらね、あれです。きこえるでしょう。」
「うん、きこえる。あいつのおとくいの、背中にくっつけるプロペラじゃないのか。」
「ぼくも、そうおもうんです。」
「よしっ、それじゃあ、サーチライトをもってきて、てらしてみよう。」
 パトカーには、小型のサーチライトがつみこんでありました。中村警部は部下の刑事にいいつけて、それを庭へもってこさせたのです。
 サーッと白い棒のようなものが、まっくらな空へのびました。サーチライトにスイッチがいれられたのです。
 おお、ごらんなさい。シイの木のてっぺんから、ふたりの人間が空へうきあがっているではありませんか。明智探偵と二十面相です。
 ふたりとも、中村警部がいった、背中にくっつけるプロペラで、とんでいるのでした。
 二十面相が、こういうプロペラを、木のてっぺんの枝の上にかくしておいて、それを背中につけて、空へにげだすことは、これまでにも、たびたびありました。これはフランス人の発明した、ひとり飛行の道具なのです。それを二十面相が買いいれたのです。
 この道具を持っているのは日本じゅうで、二十面相ひとりのはずです。明智探偵は、どうして、それを手にいれたのでしょう。
 明智は、この飛行道具のために、たびたび、二十面相をとりにがしています。それで、フランスにいる友だちにたのんで、発明家をきつけてもらい、やっと、同じ飛行道具を手にいれることができたのです。それを二十面相が道具をかくした、となりのシイの木のてっぺんに、かくしておいて、こんや、はじめて、使ってみたわけです。
 空飛ぶ二十面相、空飛ぶ明智探偵、ふたりは、追いつ追われつ、くらやみの空で戦っています。サーチライトの光は、それをクッキリと、空にうきあがらせているのです。
 ブルン、ブルン、ブル、ブル、ブルルルル、ブルルン、ブルルン、ブルルルルル。
 おそろしい戦いです。ひとりとひとりの空中戦です。にげる二十面相、おっかける明智探偵。
 モーターのはいった箱をせおって、そこからヘリコプターのようなプロペラが頭の上に出ているのですから、手も足も自由です。
 明智は、じぶんの長いプロペラを、二十面相のプロペラにぶっつけて、それをこわしてしまい、いっしょに地上におちればよいのです。地上には、たくさんの味方がいるのですから。
 サーチライトの光が、このふしぎな空中戦を、てらしだしています。
 ブルン、ブルン、ブルルン、ブルルン。
 二つのプロペラは、はげしくとびちがいました。明智がおっかけ、二十面相はにげるのです。サーッと、むこうの空へ、とおざかるかとおもうと、またこちらにもどってきます。やみの空に、大きな円をえがいて、はげしい追っかけっこです。
 明智のプロペラの回転が、おそろしく早くなりました。そして、つばめがえしに、下から上へ、二十面相のプロペラに、つっかかっていきます。
 あっ、プロペラがぶっつかりました。みょうな音がしたかと思うと、二つとも、プロペラの回転がとまってしまいました。そして、明智も二十面相も、地上へつい落してきます。
 そのとき、ちょうど、シイの木の上をとんでいましたので、ふたりとも、木のてっぺんにぶつかり、それから木の枝をつたって、地上におちてきました。おれたプロペラが、枝にひっかかったりして、おちる速度がにぶくなりひどいけがをしないですんだのです。
 中村警部と、その部下の刑事たち、小林少年をはじめ十五人の少年探偵団員たちが「ワーッ。」とさけんで、そこへかけつけました。
 二十面相は、どこかを、強くうったらしく、きゅうにおきあがることもできません。
 ふたりの刑事が、とびかかっていって、手錠をはめてしまいました。
 明智探偵は、こわれた飛行具をとりはずし、二十面相のそばに近づきました。さいわいけがもないようです。
「おお、明智君。また、きみのおかげで、こいつをつかまえたよ。こんどはにがさんぞ。」
 中村警部が、感謝するように、力強くいいました。
「うん、こんどは、きみの車にのせて、ぼくもそばについて行こう。独房どくぼうにいれて、かぎをかけてしまうまでは、ゆだんができないからね。」
 明智はそういって、中村警部と顔を見あわせ、にが笑いをしました。
「こいつは、少年探偵団のこどもたちを、目のかたきにしているんだよ。そこで、道ばたにチョークでカニの絵をかいて、小林君たちを、あの家におびきよせ、また少年探偵団の十三人のこどもたちまで、電話でよびあつめて、みんなに催眠術をかけて、こわいおもいをさせたのだ。少年たちは、いろいろなふしぎを見せられたが、ほんとうのできごとではなくて、みんな催眠術のまぼろしにすぎなかったのだ。
 小林君が、この家にしのびこむまえに、電話でしらせてくれたので、ぼくは、それをきみにもつたえ、飛行具を車にのせて、ここにやってきた。こどもたちは、二十面相のために一室にとじこめられ、催眠術にかかっていた。そのすきに、ぼくはこの家の中をよくしらべて、先手をうっておいたのだよ。
 それから、二十面相とむかいあって、催眠術のかけあいをした。どちらが心の力が強いか、おそろしい戦いだった。さいわいに、その戦いには、ぼくが勝ったのだがね。」
「いや、いつもながら、きみのうでまえには、一言いちごんもない。あやうく、にがすところだった二十面相を、またつかまえることができたのは、まったくきみのおかげだ。」
「いや、それには、小林君が、この家をみつけたこと、用心ぶかく、ぼくに電話をかけてくれたこと、これをわすれてはいけない。」
「うん、小林君や、少年探偵団の諸君にもお礼をいうよ。」
 中村警部は、にこにこしながら、ちょっと首をさげてみせるのでした。
「明智先生ばんざーい……、小林団長ばんざーい……。」
 少年たちは、声をそろえて、ひごろから尊敬する、ふたりのばんざいを、いきおいよくとなえるのでした。





底本:「おれは二十面相だ/妖星人R」江戸川乱歩推理文庫、講談社
   1988(昭和63)年9月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
   1961(昭和36)年1月〜3月、5月〜12月
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2019年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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