新宝島

江戸川乱歩





 この物語は、大東亜戦争勃発ぼっぱつ以前、昭和十五年度に執筆したものであるが、当時既に我々の南方諸島への関心は日に日に高まりつつあったので、その心持が、物語の舞台を南洋に選ばせたものであろう。又当時は対米貿易の行われている頃で、短時日に出来るだけ多くの物資をかの国から輸入しておかなければならぬ事情にあり、政府は貿易尻決済のきんの獲得に百方苦慮していたのであるが、その事が日本少年による黄金境発見の空想となって、ここに反映したものであろう。しかしながら、この物語の主眼はむしろ前半の、三少年の海洋と孤島にける冐険生活にある。次々と襲い来る艱難かんなんを、少年の智慧ちえ工夫くふうによって一つ一つ克服して行く、百折不倒ひゃくせつふとうの精神にある。そういう点で、この物語がいくらかでも年少読者の精神を鼓舞こぶするの資たるを得ば、作者のさいわいこれに過ぎぬものである。

昭和十七年六月
江戸川乱歩
[#改ページ]

不思議な帆船


 ある夏休のことでした。
 小学校六年生の琴野一郎ことのいちろう前田保まえだたもつ西川哲雄にしかわてつおの三少年は、琴野君のお父さまにつれられて、九州の長崎市ながさきしへ旅行しました。
 三少年のおうちは東京の芝区しばくにあって、お父さん同志が大へん親しくしていらっしゃるので、まるで親戚しんせきのように、たえず行き来をしている間柄でした。
 三人とも一学期の試験の成績が、これまでよりもずっとよかったものですから、その御褒美にというので、ちょうど琴野君のお父さまが、長崎の親戚に御用があって旅行なさるのをさいわい、兄弟のように仲よしの三少年を、長崎見物につれて行って下さったわけでした。
 長崎港は日本で一番早くひらけた、外国との取引の港として、国史や地理の時間に、いろいろ面白いお話を聞いていましたので、三人はもう大喜びです。
 少年たちは、長崎に着きますと、琴野君の親戚のお家に泊って、そこの小父おじさんの案内で、毎日市内を見物してあるきましたが、町には東京などでは見られない古い洋館や支那しな人の家がならんでいて、西洋人や支那人がたくさん歩いていますし、すぐ町つづきの港には、支那や台湾たいわんへ行く大きな汽船が毎日出入りしていますし、昔のオランダ屋敷の跡だとか、古い古いキリスト教の会堂だとか、支那人の建てた妙な形の寺院だとか、どれもこれも珍しいものばかりで、なんだか外国へでも来たような気持がするのでした。
 さて三人が長崎へ着いて五日目のことです。もう一とおり市内の見物をおわって、近いところならば、少年たち三人だけで遊びに行ってもいいというおゆるしが出ていましたので、夕方から、子供ばかりで散歩に出たのですが、三人の足はいつとはなく、海岸の桟橋さんばしの方へ向いていました。三人はそれほど船が好きだったのです。広い桟橋に横づけになっている、大小さまざまの汽船が、なんだかなつかしくて仕方がなかったのです。
 古めかしい西洋館の建並んだ町つづきに、汽車の駅のような建物があって、その広い待合室には、台湾や、支那の上海シャンハイなどへ旅行する人達が、たくさん集っていて、ガヤガヤと、海の向こうの珍しい町の話などをしているのです。そこを通りぬけますと、すぐにもう青々とした広い海で、その岸にコンクリートの白い道が、目もはるかにズーッとつづいていて、そこへ黒いのや黄色いのや、いろいろの形の船が、横づけになって、日に焼けた船員や水夫達が、行ったり来たりしているのです。
 本当は係の人のほかは、桟橋へ出てはいけないのですが、三人は子供のことですから、ついそれとも知らず、いつの間にか、大きな汽船の横づけになっている白い道をあるいていました。
 海のにおい、汽船のペンキの匂、石炭の煙の匂などがゴッチャになって、いかにも港らしいなつかしい匂が、あたりにみちています。全体が真黒まっくろで、水に近いところだけ、真赤に塗ってある、まるで高い高い壁のような汽船の横腹、その前を、海軍将校のような金モールの徽章きしょうの帽子をかぶった船員が、大きなパイプをくわえて歩いて来るかと思うと、腕に入墨いれずみのある西洋人の水夫が、白い水夫帽を横っちょにかぶって、妙な歌をうたいながら通りすぎます。そういう景色が、どれもこれも、三人の少年にはなつかしくてたまらないのでした。
 三千トンもある黒い支那通いの船の次には、その半分ほどの大きさの、全体を黄色くぬった、外国の貨物船らしいのが、横づけになっています。見上げますと、その高い甲板のはしに、一人の西洋人の水夫が腰かけて、足をブランブランさせながら、煙草をすっていましたが、下を通る三人の少年を見て、ひょいと挙手の礼をして、にっこり笑って見せました。三人も思わず手をあげて、にっこり笑って、それにこたえましたが、そんなことが、少年たちの気持を一そうウキウキさせるのでした。
 もう家へ帰ることなど、すっかり忘れて、どこまでも白い道をあるいて行きますと、黄色い汽船の次に、それよりは又少し小さい黒い貨物船がいて、その次には、今までの船よりはずっと小さい、めずらしい型の帆船はんせんが横づけになっていました。
 帆はすっかりおろしてありましたが、帆桁ほげたのいくつもついたマストが三本立っていて、その頂上からたくさんの綱が、蜘蛛くもの巣のように張ってあって、縄梯子なわばしごのようなものもかかっています。そして、帆船のくせに、その船の真中には、細い烟突えんとつが一本ニューッと突出ているのです。風のない時には、蒸気機関ではしる、補助機関つきの帆船なのでしょう。
「ヤア、すてき、トラファルガルの海戦の絵にあるような船だねえ」
「ウン、ほんとだ。いつか見た商船学校の練習船もこんな形だったぜ」
「ワア、ごらんよ、ごらんよ。恐しい怪物がいるよ」
「どこに? どこに?」
へさきだよ。舳のかざりだよ」
 いかにも、その帆船の舳には、人間とも動物ともわからない、奇妙な姿の彫りものがついているのです。頭に角があって、目がまん丸で、口は耳までさけて、そのくせ人間のような姿をした、怪物の半身像です。
 三人はその不思議な彫刻にすっかり夢中になって、いつまでもそこに立止っていましたが、すると、一人の水夫がそばへよって来て、にこにこしながら、少年たちに話しかけるのでした。
「あれかい? あれはこの船のマスコットだよ。あいつが、ああやって目玉をむいている間は、この船は決して沈むようなことはないのさ」
 縞模様のある薄いシャツに白ズボンをはいた、三十四五歳のやさしい顔の水夫でした。
「じゃ、小父さんこの船の人かい」
「ウン、こう見えても、小父さんはこの船の水夫長ボースンなんだぜ。この船のことなら、船長よりもよく知っているんだ」
「じゃ、この船日本の船なんだね」
「そうとも。日本の船とも」
 水夫長と名のる男は、目を細くして、いやに力を入れて答えました。
「これからどこへ行くの?」
「南洋だよ。南洋貿易をやっているのさ」
「ねえ、小父さん、この船の中も、やっぱり普通の汽船みたいになっているの?」
「ウン、まあそうだがね。しかし、ちっとは変ったところもあるよ。なにしろ今時めずらしい三しょうスクーナーだからな。君たちが聞いたこともないような妙なものも、いくらかあろうっていうもんだ」
 それを聞きますと、三人はもうたまらなくなって来ました。
「ねえ、小父さん、僕たちに船の中を見せてくれない? ちょっとでいいんだから、ねえ、小父さん」
「ワハハハハハハ、そう来るだろうと思ったよ。ウン、よしよし、見せてやるよ。じゃ、君たち、小父さんのあとからついて来な」
 船の横腹に、四角な船艙せんそうの入口がひらいていて、桟橋から厚い渡板がかけてあります。水夫長は先に立って、その渡板を渡り、薄暗い船の中へ入って行くのです。三少年は、フワフワ動く渡板をふんで、そのあとにつづきました。
 せまい急な階段をのぼって、上甲板に出て、あちこちと、めずらしい道具などを見せてあるいたあとで、水夫長は三人をつれて、又別のせまい階段をおり、小さな船室に入りました。
「まだいろいろ見せるものがあるがね、マア、ここで一ぷくしよう。ここが俺の部屋だよ。どうだい可愛い部屋だろう。ところで、君たちのどがかわかないかね。コーヒーを一ぱいごちそうしよう。ちょっと待っていたまえね」
 水夫長はひとりでしゃべって、少年たちが何も答えないのに、そのままそそくさと、どこかへ出て行きましたが、やがて、銀色の盆にコーヒーの茶碗を四つのせて帰って来ました。
「サア、えんりょなくやりたまえ。船のコーヒーは、とてもうまいぜ」
 少年たちはすすめられるままに、コーヒーを受取って、三人ともそれを飲みほしました。何だか普通のコーヒーよりにがいような気がしましたが、喉がかわいていたものですから、ひとたらしも残さず、飲んでしまったのです。
「ハハハハハハハ、みんな飲みっぷりがいいぜ。一息にやってしまったね。サア、もうちっとここで休んでね。それから面白いものを見せて上げるよ」
 水夫長は何か意味ありげに言って、にやりと妙な笑い方をしました。そして、少年たちの様子をじろじろとながめているのです。
 三人の少年は、小さな木の椅子に腰かけて、水夫長の顔を見ていましたが、そのにやにやしている顔が、スーッと遠くなって行くように思われました。そして、あたりがもやでもかかったように、ぼんやりして、それがだんだん暗くなって、地の底へでも落ちこんで行くような気がしたかと思うと、そのあとはもう、何が何だか少しもわからなくなってしまいました。
 つまり、三人が揃いも揃って、居眠いねむりをはじめたのです。はじめは椅子にかけたままコクリコクリやっていましたが、やがて、次々と椅子からすべり落ち、床の上にグッタリとなって、いびきさえ立てはじめました。
「ウフフフフフフ、うまく行ったぞ。眠薬ねむりぐすり利目ききめは恐しいもんだな。だが、食料品積みこみのついでに、こんな可愛い子供が三人とは、悪くない獲物だぞ。これで又一もうけ出来るというもんだ」
 水夫長と名のる男は、そんな恐しいことをつぶやきながら、薄気味悪くにやにやと笑って、そっと部屋を出ると、外からドアをしめて、カチンと鍵をかけてしまいました。

闇の中の綱渡


 琴野一郎君は、なんともいえない恐しい夢を見つづけていました。その夢のおしまいには、真暗なところに一人ぼっちで立っていますと、帆船の舳についていた、あの木彫の怪物が、耳までさけた口をひらいて、一郎君にとびかかって来るのです。そして、肩のところを、ガブッと食いついたものですから、「ワッ」と叫んだ拍子に、ふと目を開きますと、それは夢だったことがわかりましたが、ちょうど怪物が食いついた肩のへんを、誰かの大きな手がつかんでいるではありませんか。「オヤッ」と思って、見上げますと、すぐ頭の上に、恐しい人がしゃがんで、一郎君の顔をのぞきこんでいました。
 それは青い絹の上着を着て、同じ絹のダブダブのズボンをはいた、顔中ひげだらけの大男でした。まるで五月のぼり鍾馗しょうきさまみたいな恐しい奴です。その大男が、獅子ししえるような声でしゃべっているのですが、何を言っているのかサッパリわかりません。日本語ではないのです。
「ワハハハハハハ、オイオイ、チンピラ、何をきょろきょろしているんだ。そのおかたはこの船の船長さまだぞ。お前たちが可愛い顔をしているといって、ほめておいでなさるのだ」
 声に驚いて、その方を見ますと、例の水夫長という男が、部屋の戸口に立ちはだかって、さもおかしそうに笑っているのでした。「アア、それじゃ、ここはあの三本マストの帆船の船室なんだな」と、やっと気がついて、うしろを見れば、前田君と西川君の二少年も、今、目をさましたばかりとみえ、ボンヤリした顔で、隅っこにうずくまっていました。
 部屋がいやに薄暗いと思ったら、もう夜になったのでしょう。一方の壁にかけてある、妙な形の石油ランプが赤ちゃけた光をはなって、ユラユラと左右にゆれているのです。
「ア、僕たち眠っていたんですか。変だなあ。どうしたんだろう。でも、もう帰らないとしかられます。サア、保君、哲雄君、早く帰ろう」
 一郎君が、そういって、ヨロヨロと立上りますと、髭むしゃの大男と、水夫長とは、声をそろえてゲラゲラと笑い出しました。
「ワハハハハハハハ、帰るって、どこへさ。海の中へかい?」
「エ、海の中ですって?」
 一郎君は、なんだかギョッとして、思わず聞返ききかえしました。
「ハハハハハハハ、まだわからないのかい。この船はもう港にはいないんだぜ。はしっているんだ。見ろこのゆれることを。広い広い海の中をはしっているんだ」
 三少年は、それを聞いて、はっと顔見合わせました。なるほど、言われて見れば、エレベータにでも乗ったように、スーッと下へさがって行くかと思うと、フワッと上の方へ持上げられるような気がするのは、たしかに船が波をのりこえて進んでいる証拠です。耳をすませば、ザブンザブンとふなばたを打つ物凄い波の音も聞えて来ます。壁のランプが妙にゆれていたわけも、すっかりわかりました。
「小父さん、なぜです。なぜ船を出してしまったんです。僕たちどうすればいいんです」
 一郎君は真赤な顔になって、二人の大人をにらみつけました。
「ハハハハハハハ、今さらいくらわめいたって、泣いたってだめだよ。お前たちは今日からこの船のボーイをつとめるんだ。コックの手伝をして皿を洗ったり、御馳走を運んだり、それから、そっちの一番小さい可愛いの、お前は船長さまの部屋つきボーイにしてやろうとおっしゃるのだ。ありがたく思うがいい」
「いやです。僕たちは東京の小学生です。ボーイなんかになるのはいやです。船をもどして下さい」
「ハハハハハハハ、感心感心、お前はなかなか負けん気の小僧だねえ。だが、もう東京へは二度と帰れないんだ。支那にはね、お前たちぐらいの子供を買いたがっている親分がたくさんいるんだぜ。そして、立派な泥棒や、軽業師かるわざしなんかに仕立てて下さるんだ。しばらくこの船で働いた上、お前たちはその親分に売られるんだよ。チンピラだってばかにはならねえ。なかなかいい値に売れるんだからねえ」
 水夫長はにくにくしく言いはなって、髭の船長と顔見合わせ、又ゲラゲラ笑うのでした。
 読者諸君はもうお気づきになっているでしょうが、この奇妙な帆船は海賊船だったのです。日本人が海賊などするはずはありません。支那人です。髭の船長というのが賊の首領で、三十人ほどの手下が乗っているのですが、みんな支那人なのです。水夫長と名のる男も、実は支那人なのですが、子供の時日本に育って、支那人とはわからぬくらい、うまく日本語を話すものですから、三少年は、そのたくみな日本語に、ついだまされてしまったのでした。
 この海賊船は、南支那海から、蘭領東印度ひがしインド諸島や南洋の島々にかけて荒しまわり、自分より小さい、速力のにぶい船と見れば、おそいかかって、乗客の持物や積荷をうばい取り、ジャバ、ボルネオの不正商人に、それを売りわたして、恐しいお金もうけをしているのです。
 そういう荒仕事をする船ですから、なかなか武器も揃っています。乗組員は皆一挺ずつ小銃と青龍刀せいりゅうとうを持っている外に、船の底に機関銃が二挺も隠してあって、いざという時には、それを甲板に持出して、相手の船をうちまくるのです。人の命をとることなど、なんとも思っていない、鬼のような悪者共です。
 三少年は、入ってはいけない桟橋などを、ウロウロしていたばかりに、実に思いもかけぬ恐しい運命におちいってしまいました。それから一箇月ばかりというもの、昼は鬼のような奴らに追い使われ、こづきまわされ、夜はお父さまお母さまのことを思っては枕をぬらしながら、言うに言えない悲しい恐しい朝晩を送りむかえたのでした。
 ある時は大嵐にあって、甲板に襲いかかって来る小山のような波に、いよいよ死ぬのかと、三人が抱きあって、東京のお母さまの名を呼びつづけたこともありました。又ある時は、海賊船が小さな汽船を追跡して、機関銃でおどしつけ、荒くれ男どもが、青龍刀を振りかぶって相手の汽船に乗りこんで行き、乗組員を片っぱしから縛りあげて、積荷をドシドシこちらの船へ運ぶという、戦争のように血なまぐさいありさまを、見せつけられたこともありました。
 その恐しさ、気味悪さ、それらの出来事をくわしく書きつづれば、それだけでも一冊の本が出来るくらいなのですが、残念ながら、今はそれをしるしているひまがありません。なぜといって、かわいそうな三人の少年は、そのあとで、海賊船での出来事なぞよりは、もっともっと不思議な、恐しい、魂も消えるような目にあわなければならなかったからです。そして、その世にも奇怪な冐険談をお話しするのが、この物語の本筋だからです。
 少年たちは、海賊船のとりこになってからというもの、この船がどこかの港へ寄港するのを一縷いちるの望にしていたのですが、賊もさるもの、船が港に近づくと、三人の少年を、あの最初麻酔薬を飲まされた小部屋へおしこめて、ドアに鍵をかけてしまうのでした。そして、船が用事をすませて港をはなれるまで、けっして外へ出してはくれないのです。
 救を求める望は全くたえてしまいました。この上は、海賊船をのがれるためには、海へ飛びこみでもする外はありません。三人の少年は、海や船が好きなだけあって、泳はよく出来るのですが、港に遠い荒海の中へ飛びこんで、どう泳ぎきることが出来ましょう。そんなことをすれば、ただふか餌食えじきになるばかりです。
 でも、少年たちは、どうにかして賊の船をのがれたいと、昼も夜もその事ばかり考えていました。人のいないすきを見ては、三人が額をよせて、ひそひそとそのことばかり相談していました。
 すると、長崎を出て一月ほどたったある夜のこと、思いがけぬ機会が来たのです。非常な冐険をすれば、ひょっとしたら、逃げだせるかも知れないような、たった一つの方法を発見したのです。
 その時、海賊船はオランダ領セレベス島のメナドという港に入って、盗みためた荷物を、たくみに売りさばき、しこたまお金をもうけたのですが、そのお祝だというので、港の酒場でたらふくお酒を飲んだ上、夜になって、出帆してからも、船の中で又さかもりをはじめるというさわぎでした。
 そんなわけで、三人の少年は、船が港を出るか出ないに、もう監禁の小部屋から引出され、酒もりのお給仕などさせられました。
 ところが、そうしていそがしくはたらいているうちに、三人の中の一郎君の姿が、どこかへ見えなくなりましたので、あとの二人の少年は、どうしたのかと心配していますと、やがて、一郎君がどこかから帰って来て、向こうの入口から、そっと二人を手まねきするのです。
 酒もりの真最中で、みな夢中になって飲んだり歌ったりしているのですから、誰も気がつく者はありません。少年たちは料理場へ行くような顔をして、コッソリ部屋をぬけ出しました。
「一郎君、どうしたの? 君の顔まっ青だよ」
 せまい通路を、甲板へののぼり口まで来た時、前田保君が、そっとたずねました。
「君たち、決心したまえ。逃げるなら今だよ」
 一郎君は二人の手をにぎって、はげしい息づかいで言いました。
「エ、逃げるって?」
「ウン、逃げるんだよ。僕は今甲板へ上って見て来たんだけどね。甲板には舵手だしゅ一人っきりしかいないんだ。それにね、うまいことがあるんだよ。ボートが船尾ともにつなぎっぱなしになっているんだ。オールもちゃんとついている。あいつたち、酒に酔っていて、面倒くさいものだから、ボートを船に上げなかったんだよ」
「エ、ほんとうかい。じゃ、行って見よう」
 三人は階段を上って、甲板に出て、舵手に気づかれないように注意しながら、物の陰を伝って、船尾にたどりつきました。
 暗い海をのぞいて見ますと、いかにも一艘のボートが、船尾につながれて、親舟の四五メートルうしろから、ガクンガクンと首を振るようにゆれながら、ついて来るのです。
 風は静かで、波というほどの波もなく、空には砂をまいたような星の光、メナド港の方角を見れば、まだ港のともし火が、空の星とはちがった色で、チラチラと見えています。さいわい、船の速度がにぶい上に、天候といい、港からそれほど遠くないことといい、おまけにボートまでそろっているのですから、こんなよい折がまたとあろうとは思われません。
「綱渡をするんだね」
「ウン、でも、ぐっとたぐりよせれば、三メートルぐらいの長さだよ。わけないよ。ただ、決心さえすればいいんだ」
 三人の中では一番豪胆な一郎君が、ほかの二人をはげますように言いました。
「よし、やろう。……じゃあね、僕、みんなの帽子と上着を取ってくらあ。正服正帽でなくちゃ、南洋の土人にたいしても幅がきかないからね」
 前田保君は学校でも評判のチャメ公でした。こんな命がけの場合にも、日頃のたしなみを忘れないところ、さすがはチャメのター公だけのことはあります。
 保君はほかの二人が「見つかると大へんだから」ととめるのも聞かないで、栗鼠りすのように闇の中を走って行きましたが、五分もたたないうちに、三つの帽子と、三枚の上着と、それから何だか大きな白い袋をかかえて帰って来ました。
「その袋はなに?」
「いいんだよ。なんでもないんだよ」
 保君は、なぜかその袋を隠すようにしています。
 そこで、三人が手ばやく上着を着て、さて、ボートへの綱渡をしようと身がまえた時、とつぜん、うしろに物音がして、人の息をしているようなけはいを感じました。
 ギョッとして、振向きますと、ナアンだ、それは人間ではなくて、一匹の犬でした。海賊船に飼われているぶちのポインターで、この一月の間に、三少年にひどくなついてしまっていたのです。
 それを見て、チャメの保君が何か思いついたらしく、ほかの二人の腕をつかんでいいました。
「ねえ君、こいつも連れてってやろうよ。こんなになついているのを、残しておくのはかわいそうだよ。それに、こいつだって、海賊船なんかにいるよりは、僕たちのお供がしたいんだよ。ホラね、こんなに体をすりつけて来るじゃないか」
 これには一郎君も哲雄君もすぐ賛成しました。淋しい異境の空で、たとえ犬一匹でも、なかまの多いのは心丈夫というものです。
「じゃ、僕が一番のりだよ」
 勇敢な一郎君が、ボートの綱を出来るだけ引きよせて、手すりにしっかりしばりつけ、ヒラリと身をおどらすと、その綱をつたって、スルスルとおりて行きました。学校の鉄棒できたえた腕前です。
 次には哲雄君、それから、保君がさし出す犬を、下の二人が苦心をして受取り、最後に、保君が、例のえたいのしれぬ白い袋を、首にくくりつけて、珍妙な恰好ですべり落ちて来ました。
「じゃ、いいね、綱を切るよ」
 一郎君は小声で言って、ポケットから愛用のジャック・ナイフを取出すと、それでボートの索綱ひきづなをプッツリと切断しました。
 こうして、三人はとうとう目的を達したのです。でも、ボートに乗りうつっただけでは、まだ安心は出来ません。船をはなれない中に、どんなことで海賊共に見つからぬとも限りませんし、たとえ無事に逃げだすことが出来たとしても、港までは相当の距離があるのです。
 真暗な海。はるかはるか向こうにチラチラしている港のともし火。それも、日本の港ではありません。南洋の未開の島の、淋しい淋しい港です。
 子供の腕で、この海がはたしてこぎ通せるでしょうか。にわかに嵐が起るようなことはないでしょうか。そして、漕いでも漕いでも、港から遠ざかるばかりというような、恐しい目にあうのではないでしょうか。アア、なんだか心配です。三少年の運命は、これから一体どうなって行くのでしょう。

ボートの中の三人


 三人はボートの中に身を伏せて、頭だけを持ちあげて、じっと親船を見つめていました。もし海賊の一人がともの方へ出て来て、ボートの三人を見つけるようなことが起ったら、何もかもおしまいです。今度とらえられたら、どんな恐しい目にあうかわからないのです。
 じっと息をころして見つめていますと、すぐ目の前にあった、海賊船の大きな船尾が、見る見る向こうへ遠ざかって行きます。五メートル、十メートル、二十メートル。そして、いつの間にか、もう大きな声で呼んでも聞えないほど、遠くへ隔ってしまいました。
 少年達は助かったのです。賊はお酒によっぱらっていて、すこしもそれと気づかなかったのです。
 もうあとは、メナド港までこぎもどるだけです。そこには日本人の商館もあるのですから、そこへかけ込んで、すくいを求めさえすればいいのです。港の方角を見ますと、遙か遙か向こうに、星のような燈火ともしびが、チラチラとまたたいています。約五キロもあるでしょうか。でも、三人が力をあわせてボートを漕げば、きっと港へ着くことが出来るでしょう。
「サア、保君、君と僕とで漕ぐんだ。そして、つかれた方が哲雄君に代ってもらうんだ。哲雄君は舵手コクスンをやっておくれ。いいかい」
 琴野一郎君が大人のようなまじめな調子でさしずしました。
 少年達には、オールが重すぎて、なかなか自由になりませんでしたが、そんなことを考えているひまもありません。一郎君と保君とは、太いオールにしがみついて、死ものぐるいに漕ぎはじめました。
 さいわい、海は静かでした。外海のことですから、むろん波はあるのですが、いつか出あった嵐にくらべたら、このくらいの波は波のうちには入りません。
 ボートはガクンガクンとうなずくようにゆれながら、港に向かって、おぼつかなく進んで行きました。はじめの中は、たしかに、一漕ぎずつ、港の燈火に近づいて行くように思われたのです。いくらおそくても、夜明までには、きっと港に着けるにちがいないと、三人は勇みに勇んでいたのです。
 ところが、どうしたことでしょう。二百メートルほども漕いだかと思うと、とつぜん、ボートが進まなくなってしまったではありませんか。漕いでも漕いでも、同じ所にいるような気がするのです。イヤ、同じ所にいるのなら、まだいいのですが、どうやら港とは反対の方角へ、だんだん遠ざかって行くような気がするのです。
「オイ、君たち、しっかり漕いでくれよ。何だかボートがあと戻りしているみたいだぜ」
 舵手コクスンの哲雄君が、けげんらしく叫びました。
「漕いでいるんだよ。ねえ、一郎君、こんなに一生懸命に漕いでるのに……」
 保君が不平らしく、大声に答えました。
「でも、変だねえ。何だかボートは進んでいないようだよ。保君、ためしに漕ぐのよしてごらん」
 一郎君のさしずで、二人ともオールを上にあげて、しばらくじっとしていました。すると、どうでしょう。ボートは何かいきものに引っぱられてでもいるように、目に見えてグングンあともどりをはじめたではありませんか。
「オヤ、変だね。気味が悪いや。さめかなんかが引っぱってるんじゃないのかな」
 保君がおどけた調子で言いましたが、その実、内心ではゾーッとしているのです。黒い波頭が、何だか大きな怪物の背中のように見えて、じっとしていると、無性に怖くなって来るのです。
「ア、わかった。わかったよ」
 とつぜん舵手コクスンの哲雄君が叫びました。
「ここに強い潮流が流れているんだよ。僕達はその中にまきこまれたんだよ」
 海の中に強いいきおいで一方に流れている川のようなところがあります。それを潮流とか海流とかいうのです。
「ア、そうだ。潮流だね。じゃ、ここを突切れば静かな所へ出るんだね。サア、保君、漕ごう。ウンとがんばるんだぜ。哲雄君、舵をまげてくれよ。潮流を横切るんだから」
 一郎君が力づけるように叫びました。そして、二人は又オールにしがみついたのですが、もう疲れているものですから、思うように漕ぐことも出来ず、いくらがんばっても、ボートは流されるばかりです。潮流の幅がどのくらいあるのか、漕いでも漕いでも、なかなか突切れないのです。
「いけない。風が吹いて来たよ。ホラ、あんな大きな波が……」
 哲雄君が叫びました。三人の頬にサーッと風が吹きつけました。そして、見る見る黒い波が高まり、ボートは矢のように流されるのです。
「哲雄君、代っておくれよ、僕はもうだめだ」
 保君が弱音をはきました。そして、今にもひっくりかえりそうなボートの中で、やっとのことで哲雄君と席を代りましたが、しかし、いくら漕ぎ手が代っても、風と潮流と二重の力におし流されるこのボートを、どう漕ぎ返すことが出来ましょう。それに哲雄君は三人の中で一番かしこいかわりに、力は一番弱いのです。太いオールととっ組みあって、今にもうしろに倒れそうに見えます。
 舵手コクスンの前にうずくまっていた犬が、このさわぎにおびえて、悲しい声で吠えはじめました。風の音、波の響、遠吠に似た犬の声、右から左からおそいかかって来る、大入道のような波頭、その中を吹き流され、おし流される小さなボート。もうこうなっては、いくらがんばっても、子供の力ではどうすることも出来ません。
「ア、いけない」
 哲雄君のけたたましい叫び声が聞えました。
「エ、どうしたの?」
「オールを流しちゃった。ア、あすこだ」
 哲雄君は夢中になって、ボートから体をのり出し、流されたオールを拾おうとしましたが、ちょうどその時、ドーッとおしよせた大波に、ボートがガクリと横倒しになったものですから、ハッとして身を引くと、その間に、オールは黒い波に呑まれて見えなくなってしまいました。
 あとにはオールがただ一本。一本のオールでは漕ぐわけに行きません。いよいよ運のつきです。泣いたとて、わめいたとて、遠く海岸をはなれた真夜中の海の中、誰が助けに来てくれるものですか。
 それに、アアどうすればいいのでしょう、さいぜんまで星のようにきらめいていた、メナド港の燈火さえ、いつしか見えなくなっているではありませんか。ボートはもう、それほど遠くおし流されてしまったのです。
 ただ一面の闇の中、黒い風、黒い波、その恐しいざわめきにまじって、子供の泣声が聞えて来ました。一番無邪気な保君が、犬といっしょに泣いているのです。
 一郎君も哲雄君も、その悲しげな声を聞きますと、胸の底からグーッと何かがおし上げて来て、ポロポロと涙が流れるのを、どうすることも出来ませんでした。
 三人は声をそろえて泣き出してしまったのです。なつかしいお父さまやお母さまの名を呼んで、まるで赤ん坊のように、泣き叫ぶのでした。そのまにも、ボートは暗闇の沖へ沖へと、行方ゆくえもしらず流されて行くのです。矢のようにおし流されて行くのです。アア、かわいそうな三少年の運命は、一体どうなることでしょうか。

生か死か


 それから夜明までの数時間、風はたえまなく吹き、波はいつまでもさわいでいましたけれど、さいわい、嵐にもならず、ボートは果しもなく流されるばかりで、転覆するような心配はありませんでした。
 泣きたいだけ泣いて、やっと泣きやんだ三少年は、さいぜんからの働きとおそれのために、身も心も疲れはてて、もう何が何だかわからなくなっていました。眠いけれども、眠るわけには行きません。といって、はっきり起きているのでもなく、生きているのか死んでいるのかわからないような数時間が、ようやくすぎ去って、やがて、空がほんのりと明るくなり、海のはてに血のような真赤な色が流れて、びっくりするほど赤い太陽が、水平線の上にジリジリとさしのぼって来ました。
 とうとう夜が明けたのです。ふと気がつきますと、いつの間にか風がやんで、波も静かになっていました。
「ア、波が静まったよ。僕らは助かるかも知れないぜ」
 泣き出すのも早ければ、元気になるのも早い保君が、ボートの中にムックリと起き上って、大きな声で叫びました。
 ほかの二人も、その声にはげまされて、思わず起き上り、泣きはれた顔で、ホノボノと白んだ海の上を見わたしました。
 太陽は見る間に波を離れて、水平線の一メートルほど上に、真赤なお盆のような姿を見せています。空は一面に明るくなって、暗かった西の方の水平線も見わたせるようになりました。
 ところが、どうしたというのでしょう。東にも西にも北にも南にも、ただ糸のような水平線がつづいているばかりで、陸地らしいものはどこにも見えないではありませんか。
 三人はびっくりして、青ざめた顔を見合わせました。そして、自分達の目がどうかしたのではないかと疑うように、しきりと目をこすりながら、遙かの水平線を探しつづけました。
「ア、あれだよ、ホラ、あれは雲じゃないよ。たしかに陸地だよ、きっとあれがセレベス島にちがいないよ。でも、遠くまで流されたんだねえ。もうとても、あすこまで帰ることなんか出来やしないよ」
 哲雄君が、ズーッと向こうの水平線にかすんで見える、長い陸地らしいものを指さして、涙ぐんで言いました。いつの間に、こんなに遠く流されたのでしょう。三人はまるで夢を見ているような気がしました。
 それにしても、なんという海の広さでしょう。世界中が空と水ばかりになってしまったようで、そのまん中に、ポツンと小さな小さなボートが浮かんでいるのです。
 三人はもう物をいう力もありませんでした。ただじっと泣き出しそうな顔を見合わせているばかりです。長い長い間、まるで死んででもしまったように、そうしてじっとしていましたが、やがて一郎君が何かを思いついて、元気に叫びました。
「でも、まだ助からないときまったわけじゃないよ。どこかの汽船が通りかかりさえすればいいんだ。そして、僕達を見つけてくれさえすればいいんだ」
「だって、いつになったら、汽船に出くわすかわかりやしないよ。それに、ここが汽船の航路からずっと遠くだったらどうするの?」
 考え深い哲雄君はなかなか安心しません。
「そんなこと言ったって仕方がないじゃないか。僕達は運を天にまかせて、汽船が通るまでじっと待っているほかに、どうすることも出来やしないんだ」
 一郎君が怒ったような声で言いかえしました。
「そりゃそうだけど、でも、おなかがすくし喉がかわくよ。汽船が来るまでに僕達はうえ死してしまうかも知れないぜ」
 哲雄君のいうところももっともです。そういえば、三人とも実はもう腹がペコペコになっているのです。犬も何かたべたいのか、さいぜんからクンクン鼻をならしつづけているではありませんか。
「オイ、それなら安心したまえ。僕達はちゃんと食料を持っているんだよ」
 二人の話をだまって聞いていた保君が、なぜか急にニコニコして口だしをしました。
「エ、食料だって? 何いっているんだい。からかうんじゃないよ」
「へへへ……、そうくるだろうと思った。ところがちゃんとここに食料がかくしてあるんだよ。ほしくないのかい。僕一人でたべてもいいのかい。エヘン、僕さまはやっぱりえらいなあ」
 保君は肩をいからせ、両手で握りこぶしを造って、それを自分の鼻の上に重ねて、天狗てんぐの真似をして見せました。茶目ちゃめのタア公は、こんな時でも、つい日頃のくせが出てしまうのです。
「ほんとかい? じゃあ見せてごらん」
 一郎君がそれにつられて、笑顔になって言いますと、保君はボートの底から白い布の袋のようなものを取出し、その中から、大きなバナナのふさをニューッとさし出して見せました。
「アッ、バナナ!」
 一郎君と哲雄君とは、思わず一しょに叫んで、その方に手を出しました。そして、保君がちぎってくれたバナナを受取りますと、いきなり皮をむいて、その水々した白いおいしい実にかじりつくのでした。
 海賊船を逃出す時、保君が白い袋を大切そうに持っていたのを、読者諸君はごぞんじでしょう。その袋にはバナナと缶入りのビスケットが、どっさり入っていたのです。ことにバナナの方は、メナド港で積みこんだ、木からちぎったばかりの新しいやつで、日本の内地などでは思いも及ばぬほどおいしいのです。
「じゃ君は、僕達がこんな目にあうことを、ちゃんと知っていたのかい」
 一郎君が、さもおいしそうに、口をモグモグやりながら、不思議らしくたずねますと、自分も口を動かしながら、片手で犬にビスケットをたべさせていた保君が、ニコニコして答えました。
「そうだとえらいんだけどね、ハハハ……、ほんとうは、僕が食いしんぼうなのさ。あの時、メナド港につくまでの間に、おなかがすきそうな気がしたので、賊の料理場から失敬して来たのだよ」
「どうして、それを今までかくしていたのさ」
「だって、君達はいつでも、僕を食いしんぼう、食いしんぼうっていうんだもの。はずかしかったんだよ」
 保君は無邪気に笑いながら、とうとう白状してしまいました。
 でも、保君の食いしんぼうのおかげで、三人は、倹約してたべれば、二日ぐらいは、腹をすかさないでもいいことがわかって、大安心でした。保君が慾ばってうんとこさと持出して来てくれたのが、思いもかけぬ仕合せになったのです。「食いしんぼう」なんて、からかうどころではありません、ありがたくっておがみたいくらいです。
 おなかがふくれてしまうと、三人はボートの中に横になって、グウグウ寝こんでしまいました。あんなにひどい働きをした上、一晩中眠らなかったのですから、もう我慢にも目をあいていられなくなったのです。
 静かといっても大洋のことですから、時々大きな波のうねりが襲って来るのですが、三人はもうそのくらいのことにはおびえません。グウグウいびきをかいて眠りつづけるのでした。
 それから二日間は、何事もなく過ぎ去りました。三人が待ちに待っていた汽船は、一向通りかかる様子もありませんでしたが、海は鏡のように静かでしたし、食料はありますし、命には別状もなくすごすことが出来ました。
 何より困ったのは、赤道に近い太陽の熱さでしたが、三人は残っていた一本のオールをボートの中にはすに立てて、みんなの上着をつないで日覆ひおおいのようなものをこしらえ、やっと熱さをしのぎました。
 それに、南洋では、どんな天気のよい日にも、一日に二回も三回も、スコールという夕立のような雨が降りますので、その度に体中がずぶぬれになって、暑さを忘れ、その雨を両手にうけて、かわいた喉をうるおすことも出来るのでした。
 でも、それは今生きているというだけのことで、とぼしい食料がつきてしまえば、もうおしまいなのです。それまでに汽船が通ればよいけれど、もし通らなかったら、誰も知らない大洋の真中で、うえじにしなければならないのです。世の中にこれほど心細い恐しいことが、またとあるでしょうか。気の弱いものは、それを考えただけでも死んでしまうほどです。
 ところが、アア、何という運の悪いことでしょう、少年達の行手には、もっと恐しいことが待ちかまえていました。汽船が通らないとか、うえ死をしそうだとか、そんな心の中の苦しみではなくて、もっとさしせまった命がけの危難が、三人の上におそいかかって来たのです。
 それは、海の上では何よりも怖い暴風雨でした。賊の船を逃出した夜も、風が吹きましたけれど、嵐というほどのものではなかったのですが、今度はほんとうの嵐がやって来たのです。海の魔物が小さなボートを一なめにしようと、恐しいうなり声を立てて攻めよせて来たのです。
 二日目の夜のことです。ボートの中で、心細そうに話をしていた三人の頬を、とつぜん、ヒューッと音を立てて妙な風が吹き過ぎました。
「アレ、今のなんだろう。変な風だねえ」
 びっくりして、思わず空を見上げましたが、すると、つい先程まで、砂をまいたように美しく光っていた星が、一つも見えなくなっているではありませんか。
「オヤ、空が真黒だよ。雨かしら」
 言う間もなく、又してもヒューッという物凄いうなり声を立てて、気でも狂ったような風が吹きつけ、大つぶな雨がポツリポツリとボートの上に落ちかかって来たかと思うと、たちまち滝のような大雨になり、それが海面を打って、海全体が白く泡立ちゆらぎはじめました。むろんスコールではありません。そんな生やさしいものではないのです。
「嵐だ! みんな気をつけて、しっかりボートにつかまっているんだよ」
 一郎君が叫びましたが、もうその叫び声さえ耳に入らないほどです。
 海は見る見る波立って来ました。そして、ボートがまるでブランコのようにゆれ出したのです。ブランコが一振りごとに高くなって行くように、波は一波ごとにその勢をまして来ました。
 海賊船で働いている間に出合った、あの嵐にもおとらない、恐しい風と雨と波です。
「だめだ! 今度こそボートがひっくりかえるかも知れない。君達しっかりつかまっているんだよ。ア、いいことがある。この縄でみんな体をボートにしばりつけよう。サア、手つだっておくれ」
 こういう時に一番しっかりしているのは一郎君です。とっさに、うまい工夫をしました。ボートの底に予備の引綱が、丸く巻いておいてあったのを思い出したのです。
 三人はその綱をのばして、互に助け合って、みんなの体を、次々とボートの腰かけ板にしばりつけました。犬も保君に抱かれたまま、同じようにしばられて、身もだえしながら、吠え立てています。
 ゴーッ、ゴーッと闇の空をかすめ去る風の音、波は刻一刻と高くなって来ます。三人はもう目も見えず、耳も聞えず、ただ死ものぐるいで、ボートの腰かけ板にしがみついているばかりです。
 スーッとエレベーターにでも乗ったように、上へ上へと持上げられる感じ、それからまた、スーッと地底へ吸いこまれて行くような感じ。
 ボートは山のような波に乗せられたかと思うと、次のせつなには、波と波との谷間ふかくすべり落ち、落ちたかと思うと、又高い高い山の上へ吹き上げられて行くのです。
 アア、もう運のつきです。この大嵐がにわかに静まるはずはありません。ボートは転覆するにきまっています。転覆すれば三人の命はないものです。
 何という気の毒な少年達でしょう。やっとのことで海賊船をのがれたかと思えば、潮流といういたずらもののために、恐しい大洋のまっただ中へおし流され、それでもまだ足りないで、今度はこの大暴風雨です。なんてまあいじわるな神様でしょう!
 神様はほんとうに、三少年の命を取っておしまいなさるのでしょうか。それともまた、少年達をえらい人にするために、わざとこんな恐しい目にあわせて、その勇気をおためしになっているのでしょうか。

椰子やしの実


 ゴーッ、ゴーッという風のうなり声、次から次へとよせて来る黒い山のような大波、渦巻になって吹きつける雨と波しぶき、気ちがいエレベーターにでも乗っているように、天まではね上げられたかと思うと、次にはスーッと地の底へもぐって行くような気持、三人の少年はもう生きた心地もなく、ただ心の中に神様を念じながら、必死になって、ボートの腰かけ板にしがみついているばかりです。
 三人はめいめいの体をボートの腰かけ板にしばりつけて、波にさらわれないようにしていましたが、波にはさらわれなくても、ボートそのものがひっくりかえれば、もうそれでおしまいです。なつかしい故郷を何千里はなれた、熱帯の海のもくずと消えるのです。誰知るものもない、はかない最期さいごをとげなければならないのです。
 しかし、少年たちはそんなことを考えているひまもありません。次から次とおそいかかって来る波しぶきに、息をするのもやっとの思いで、舟の上にいながら、今にもおぼれじにしそうな気がします。
「お父さーん、助けて下さーい」
 三人は心の中で、何度そう叫んだか知れません。でも、お父さまも、お母さまも、遠い遠い日本にいらっしゃるのです。いくら叫んだとて聞えるはずもなく、助けに来て下さるはずもありません。
「ア、苦しい、助けて……」
 一番体の弱い哲雄君が、波のために息も出来ぬ苦しさに、思わず悲鳴をあげました。でも、誰も答えるものもありません。みんな自分のことで精一ぱいなのです。
 波はいよいよはげしく、ボートは浮いているのか、沈んでいるのか、わからなくなってしまいました。もう波しぶきというようなものでなく、三人の顔はたえ間なく水の中につかっていて、まったく息が出来なくなってしまいました。
「アア、今死ぬんだな」
 三人はめいめいそれを感じました。もう何も聞えず、何も見えず、ただ自分の魂だけが、スーッと深い深いところへ、沈んで行くような気持がして、そして、少年たちは、次々と気を失って行くのでした。
     ×     ×     ×
 一郎君は、誰かに呼び起されているような気がしました。
「ア、お母さんが起していて下さるんだな。寝坊をしてしまった。早く起きて、ラジオ体操をしなくっちゃあ」
 そんなことを考えて、フッと目をひらきますと、鼻の先に犬の顔が見えました。一匹の犬がクンクン言いながら一郎君にすりよっているのです。
 オヤ、変だなと思いながら、寝たままで遠くの方に目をやりますと、何だか見なれぬ青々とした木が立ちならんでいます。お部屋ではないのです。
「じゃ僕は原っぱで寝ていたのかしら」
 しかし原っぱでもありません。体の下には白い砂がギラギラと光っています。その砂っ原をズーッと目でたどって行きますと、白い波頭が見えました。ドドン、ドドンとうちよせている波です。
「ア、海岸だ、それじゃあ……」
 一郎君は、やっと頭がハッキリして来ました。
「なんてのんきなことを考えているんだ。お家なもんか。僕は南洋の海でおぼれ死んだんじゃないか。でも、死んでしまった僕が、どうしてこんな海岸に寝ているんだろう。ア、わかった。助かったんだ。気を失っているうちに、あの恐しい嵐が、僕をどこかの海岸へ運んでくれたんだ。……それじゃ、哲雄君や保君はどうしたんだろう」
 そこまで考えた時、うしろに犬の吠える声が聞えました。ハッとして、いそいでその方へ首をねじむけますと、そこに一艘のボートが横倒しになっていて、二人の少年が、ボートの腰かけ板に体をしばりつけたまま、グッタリとしているのが目に入りました。むろん哲雄君と保君です。
「それじゃ、僕と犬だけ縄がゆるんで、ボートの外にほうりだされたんだな。……早く二人を助けなくちゃあ」
 一郎君は、いきなりとび起きようとしましたが、体中の力が抜けてしまっていて、思うように身動きも出来ません。やっとの思いで、ようやく上半身を起し、うようにしてボートに近づき、二人の縄を解きはじめましたが、すると、うれしいことには、保君も哲雄君も、死んでしまっているのではないことがわかりました。
 それから長い時間かかって、二人を砂の上に寝かせ、いろいろと介抱かいほうしているうちに、二人とも次々に目を開き、口をきき、とうとうまったく正気にかえることが出来たのです。
 しばらくすると、抜けていた体の力もだんだん元に戻って、三人とも立って歩けるほどになりましたが、すると、まず気がついたのは、のどが焦げるようにかわいていることでした。水が飲みたくてしかたがないのです。
 水は目の前にあるのですが、海の鹽水しおみずではしかたがありません。
「どこかに川か井戸がないかしら」
 保君が、青々とした深い森の方を見ながらつぶやきました。
「井戸だって? どこにも人の家が見えないんだから、井戸なんてあるはずがないよ。……でも、いったいここは、どこの国なんだろうね」
 哲雄君が、心細そうにつぶやきます。
「いやに淋しい海岸だね。一艘の舟も見えないし、家らしいものもないし、……やっぱり南洋のどこかの島にちがいないけれど……ひょっとしたら野蛮人の国かも知れないぜ」
 保君はそういって、おそろしそうにあたりを見まわしました。眼もはるかにズーッとつづくでこぼこの岩と砂の海岸に、舟はもちろん、人の姿も動物の姿も見えず、まるで死にたえたように静まりかえっている様子が、何となくただならぬ感じです。
 こんな荒れはてた土地に、もし人が住んでいるとしても、どうせ恐しい野蛮人にきまっています。もしかしたら、話に聞く人喰人種の国かも知れません。その上、あの深い森林の奥には、どんな猛獣がすんでいるかわからないのです。
 三人はそこへ気がつくと、思わずおびえた目を見かわしました。日本にいる時、映画で見た野蛮国の猛獣狩のありさまなどが、マザマザと目に浮かんで来るのです。
 森といっても、海岸に近いところは一面の椰子の林で、その向こうがズーッと山のように高くなり、その山全体が名も知れぬ大木の森で覆われているのです。
「ねえ、大丈夫だろうか。あの森の中には、何か変なものがいやしないだろうか」
 チャメ公の保君も、あたりのただならぬけはいに、いつもの元気はありません。青い顔をして、ヒソヒソとささやくように言うのです。
「でも、どこかで水をさがさなきゃ、もうがまんが出来ないよ。あの森の中には川か泉があるかも知れない。それに、何か果物がなっているかも知れないぜ。勇気を出して、森の方へ行ってみようじゃないか」
 一郎君はそういって、先へ立って椰子の林の方へ歩きはじめました。保君も哲雄君も、のどのかわく苦しさにはかえられませんので、気味が悪いけれど、そのあとにつづきます。それを見ますと、犬はにわかにはやりたって、いきなり三人を駈けぬけ、向こうの林の中へひじょうな勢で飛びこんで行きました。
 三人はそれを見て、思わず立ちどまりました。今にも林の中から、けたたましい犬の声が聞えて来るのではないか、そして、なにか恐しい動物に追われて逃げ帰って来るのではないかと思われたからです。
 しかし、しばらく待っていても、そんな様子はなく、犬は一度木立の中へ姿をかくしたかと思うと、又そこから飛びだして来て、さも「大丈夫だから早くいらっしゃい」と言わぬばかりに、はしゃいでいます。
「大丈夫らしいよ。行ってみようよ」
 三人はいくらか安心して、林の中へ入って行きましたが、土地はすっかり乾ききっていて、泉らしいものも見あたらず、近くに川が流れている様子もありません。
「オヤ、妙なものが落ちているぜ」
 保君が立ちどまって、靴の先で、フット・ボールの球を小さくしたような、茶色の丸いものをコロコロころがしたり、ふんづけたりしていました。
「こんちくしょう、これでもか、これでもか」
 いくらふんでもなかなかつぶれません。
 保君は、それがあまり固いのにすっかり腹を立てて、ポケットにもっていたジャック・ナイフを出して、グサッとつきさしました。すると、その中からドロドロした液体が流れだしました。そして、そこから何とも言えない甘いにおいがただよって来ました。
「これ椰子の実だよ。ホラ学校の標本室にあったじゃないか。あれだよ、あれだよ。もう川なんか探さなくてもいいよ。あれをごらん、椰子の実がどっさりなっているじゃないか。あれをもいで、中のつゆをすえばいいんだよ」
 何事にも頭の働きの早い哲雄君が、一本の椰子のてっぺんを指さして、うれしそうに叫びました。
「ア、ほんとだ。椰子の木があるのに、椰子の実に気がつかないなんて、僕たちどうかしているね。でも、これは何だかくさっていそうだから、やっぱり木になっている奴を取った方がいいね。三人の中で木登きのぼりのうまいのは誰だっけ」
 一郎君が保君の顔を見て、クスリと笑いながら言いました。たずねるまでもなく、木登といえば保君がその方の名人だったからです。
「ハイ、僕!」
 保君は教室でするように、右手を高くあげて、それに答えました。でも、日本にある木とちがって、下枝というもののまったくない、まるで太い竿を立てたような椰子の木登は、さすがの名人にもちょっと自信がないらしく、小首をかたむけていましたが、しかし、すぐ何か思いついたらしく、
「ああ、うまい方法がある。ちょっとまっててね」
 そういいながら、保君は一目散に海岸の方へ走って行きました。そして、しばらくしますと、一メートルより少し短い麻縄の両端をむすんで、輪にしたものをもって帰って来ました。縄は三人の体をボートの腰かけ板にしばったあの縄、ジャック・ナイフでそれを手ごろの長さに切りとったのです。
「この縄が木登の秘伝だよ。僕いつかお父さんに教わったんだ。見ててごらん。いいかい」
 保君は得意らしく言って、靴をぬぎますと、その輪になった縄を、両足にはめて、そのまま椰子の木にとびつきました。そして、幹に抱きついて、グイグイと登って行きます。縄の輪を両足にはめて、それを力にしてふみこたえるのですから、すこしもすべり落ちる心配がありません。なるほどうまい考えです。保君が秘伝だといって、じまんするだけのねうちがあります。
 保君は、見る見る高い椰子の木のてっぺんに登りつき、持って行ったジャック・ナイフで大きな椰子の実を切りとりました。
「いいかい。投げるよ」
 と空からほがらかな声が響いて来ます。
「いいよ。サアここへ……」
 下の二人は、椰子のてっぺんの保君の小さな姿を見上げて、両手をひろげました。
 椰子の実は固くて、その上高いところから投げるのですから、ずいぶんひどい手ごたえでしたが、二人はうまくそれを受取ることが出来ました。一つ、二つ、三つ、大きな実ですから、三つあれば十分です。
 保君は、凱旋将軍のような顔をして、スルスルと椰子の木をおりて来ました。そして、三人はそこにすわって、椰子の実にナイフで穴をあけて、そこへ口をつけて、まだ熟しきっていない肉の中の、甘い甘い汁をすするのでした。
 南洋の土人なれば、そんな下手なことをしないで、実を手ぎわよく二つに割って、皮についたドロドロした白い肉をたべるのですが、少年たちにはそんな上手なたべ方は出来ません。でも、それで十分なのです。つゆだけでも胃袋が一ぱいになるほどでした。
「おいしいね。僕、こんなうまい汁、生まれてからはじめてだよ」
 保君は、唇につたう汁を、手のひらで横なでにして、ベタベタ舌つづみをうって、感じいったようにいうのでした。
「ウン、僕も。椰子の実って、こんなにおいしいものとは知らなかったよ」
「まるで舌がとけるようだね」
 口々にそんなことをいいながら、おなか一ぱい甘い汁をすってしまいますと、のどのかわきがとまったばかりでなく、おなかもくちくなって、すっかり元気を取りもどすことが出来ました。
「オヤ、犬はどうしたんだ。あいつもおなかがすいているだろうに」
 一郎君はそれに気がついて、ふしんらしく言いました。最前まで、あんなにはしゃいで、三人のまわりを走りまわっていた犬の姿が見えないのです。
 この犬にはまだ名がついていませんでした。もと海賊に飼われていた犬で、支那人の船員たちは何だか妙な名で呼んでいましたが、少年たちはこの可愛い犬を、海賊のつけた名で呼ぶ気にはなれないのです。やっぱり日本の国籍に入れてやって、日本の名で呼びたいのですが、いろいろな危難にあって、まだ犬の名をきめるひまもなかったのです。
「こまったな、あの犬、なんて呼んだらいいんだい。かまわないや、僕んの犬の名をつけちまえ。オーイ、ポパイ、ポパイ、ポパイ――!」
 保君がおどけた調子でさけびました。保君のお家の犬はポパイという名だったのです。あの漫画映画の豪傑のポパイから取ってつけた名です。
「変なの。ポパイっていうのかい?」
 哲雄君が、ちょっと不服らしくいいましたが、保君は耳もかさず、ポパイポパイとよびつづけています。保君にしては、ポパイはどんな相手にもまけない豪傑で、その上なんとも言えない親しみがあって、こんないい名はないじゃないかと考えているのです。
 三人は犬を呼びながら、林の奥へ入って行きました。そして、椰子の林をぬけますと、そのへんからだんだん背の低い木が多くなって、それが向こうの山の大森林へとつづいているのですが、むろん道があるわけでなく、木のしげみが深くなるにつれて歩きにくくなり、むやみに入って行っては道に迷いそうで、もう進むことも出来なくなってしまいました。
 しかたがないので、そこに立ちどまって、なおしきりと「ポパイ、ポパイ」と呼びつづけていますと、やがて、ガサガサと木の枝のすれあう音がして、三人の目の前に、ヒョッコリ犬が姿をあらわしました。
 少年たちは「アア、よかった」と思いながら、犬の頭をなでてやろうと、その方へ近づいたのですが、ふと犬の口もとに気がつきますと、三人は「アッ」と声を立てて立ちすくんでしまいました。
 ごらんなさい。犬の口から下顎にかけて、真赤な血がしたたっているではありませんか。それに肩のへんや足などに傷が出来て、そこから血がふき出しています。
 一体どうしたというのでしょう。ポパイは何ものと戦って来たのでしょう。動物にはちがいありませんが、それはどんな動物なのでしょう。もしかしたら恐しい猛獣に出あったのではないでしょうか。そして、その猛獣に追われて逃げて来たのではありますまいか。
 三人はハッと目を見かわしました。そして、今にも、その恐しい奴が、むこうのしげみの中から、ヌーッと姿をあらわすのではないかと、思わず身がまえました。

鹿と鸚鵡おうむ


 少年達は、今にもその猛獣が、ポパイを追っかけて、飛び出して来るのではないかと、思わず身がまえましたが、いくら待っても、何事も起らず、あたりはシーンとしずまりかえっているのです。
「へんだなあ。オイ、ポパイ、お前どんな奴に出くわしたんだい?」
 一郎君がそういって、犬の方へ近づいて行きますと、ポパイはしきりに尻尾をふって、一郎君をふり返りながら、なぜか又、しげみの中へ引きかえして行きそうにするのです。
「ア、そうだ。君、ポパイが勝ったんだよ。相手の奴をやっつけたんだよ。でなけりゃ、こんなに尻尾をふって、おちついているわけがないよ」
 保君が息をはずませていいました。保君はお家に犬を飼っていただけに、そういうことは、ほかの二人よりも早くわかるのです。
「ウン、そうかも知れないね。じゃ、こいつのあとからついて行ってみようか」
 一郎君が、保君と哲雄君を見くらべるようにしていいました。三人ともまだ何となく怖いような気持が残っていましたが、でも勇気を出して、ポパイのあとをつけて見ることにしました。
 見なれない色々な木のまじったしげみを分けて、道もなにもないところを進むのですから、人間には、とても犬のように早くは歩けません。木の枝で顔や手を傷つけられながら、ポパイを見うしなわないように、夢中になって進んで行きますと、やがて、木立がまばらになって、歯朶しだ類が一面にはえしげっている場所に出ました。
「ア、あれだ」
 保君が指さすところを見ますと、歯朶の葉にうずまるようになって、一匹のけものが倒れていることがわかりました。猛獣ではありません。ポパイよりも少し大きい、脚の細いきゃしゃなけものです。
「ナアンだ。これ鹿じゃないか」
 動物園で見なれている日本の鹿とは少し変っているようでしたが、でも鹿の一種にちがいありません。
「かわいそうに、ポパイが食い殺してしまったんだね。でも、こんな奴なら安心だ。僕は恐しい猛獣じゃないかと思ったんだよ」
 一郎君が鹿の死骸をのぞきこみながら、いいますと、保君は、
「ウン、僕もさ。だが、ポパイ、お前強いんだねえ。まるで映画のポパイとそっくりじゃないか」
 とたのもしげに、ポパイの頭をなでてやるのでした。
「でも、安心は出来ないぜ。こんな鹿ばかりならいいけれど、この森の奥にはどんな猛獣がいるかも知れないからね」
 一郎君が気味わるそうに、しずまり返ったあたりを見まわしました。
「ウン、そうだよ、椰子が生えているのを見ると、ここはやっぱり南洋のどこかの島にちがいないが、地理で教わったように、南洋にはずいぶん恐しい猛獣がすんでいるんだからね」
 哲雄君も心配そうにいいます。
「猛獣って、ゴリラかい」
 保君が目をまんまるにして、哲雄君にたずねました。
「ゴリラはどうかしらないけど、オラン・ウータンがいるんだよ。ゴリラと同じような、あの恐しい類人猿さ。ホラ、いつか先生から、南洋の動物っていうお話を聞いたじゃないか。大蛇や大蜥蜴とかげわにも南洋の名物だし、それから、いのししだとか虎なんかもいるんだって」
「ア、そうだったね。思い出したよ、大蛇や大蜥蜴の絵を見せてもらったんだね。それからオラン・ウータンも」
 保君はキョロキョロあたりを見まわしながら、さも気味わるそうにささやきました。ずっとむこうの山の上までつづいている、はてしもない深い森の奥には、あの絵で見たような恐しい動物が、ウジャウジャいるのかと思うと、ゾーッとしないではいられませんでした。
 森の中の見なれないウネウネまがった木の幹が、その大蛇ではないかと思われたり、つい足元の大きな歯朶の葉かげに、その大蜥蜴がかくれているような気がして、気味がわるくてしかたがないのです。
「だが、そんな猛獣よりももっと恐しいのは人間だよ」
 哲雄君が考え深い顔でいいます。
「エ、人間だって?」
「ウン、人間だよ、人喰人種だよ。やっぱりあの時、先生がおっしゃったじゃないか。南洋の島の開けない地方には、まだ今でも首狩をする野蛮人がすんでいるって。首狩人種がいるとすれば、人喰人種だっているかも知れないよ」
「ア、そうだ。南洋の野蛮人は、毒矢の名人だね」
 話せば話すほど、恐しいことばかりです。森のしげみの間から、そのドス黒い顔をした野蛮人が、ギロギロ目を光らせて、ジッとこちらを見ているのではないかと、もう気が気ではありません。
「ねえ、こんなところにいないで、早く海岸へもどろうよ」
 ちゃめの保君が第一番に弱音をはきました。そして、三人が元の椰子の林の方へ引返そうと歩き出した時です。哲雄君が何を見つけたのか、とつぜん立ちどまって、さけびました。
「ア、あれをごらん。ホラ、あのむこうの大きな木をごらん」
 一郎君と保君は、びっくりして、哲雄君の指さす、はるかむこうの大きな木をながめました。
「ワア、きれいだね。まっしろな花が一ぱい咲いている。でも、なんてでっかい花だろう」
 二十メートル以上もあるような大木の、こんもりとしげった、青々とした葉の間に、大きな白い花が一面に咲いているのです。その花の大きさは、目分量で四五十センチもありそうです。
 熱帯には大きな花が咲くと聞いていましたが、こんな美しい花の咲く木は、話に聞いたことも、本で読んだこともありません。
「オヤ、あの花うごいているよ」
 いちはやく、それを見つけたのも哲雄君でした。
「エ、花が動くって?」
「ホラ、あれだよ。ピクピク動いている。ア、ごらん、あの花、みんな動いているよ。生きているみたいだねえ」
「ほんとだ。生きている。ア、飛んだよ、空へ飛び上ったよ」
 不思議、不思議、まっしろな花がパッとはねをひろげて、空高くまい上ったではありませんか。三人はそれを見てあっけにとられてしまいました。花がひとりで動いたり、飛んだりするなんて、まるで魔法の国へでも来たようで、おもしろいよりは恐しさが先にたつのです。
「ア、わかった。あれ鳥だよ。まっしろな鳥が、一ぱいあの木にとまっているんだよ。見ててごらん」
 一郎君は小石をさがして、いきなり、勢こめてその木の方へなげつけました。遠くなので、石は木までとどかないで落ちましたが、でも、その物音におどろいたのか、今まで花と見えていた白いものが、一度にパッと、花ふぶきのように飛立って、やがて又別の木に、花が咲くようにとまるのでした。
 あとでわかったのですが、それは白い鸚鵡だったのです。日本などでは思いもよらない、野生の鸚鵡が何千羽となく大木にむらがっていたのです。

人間のいない国


 三人はしばらくの間、この夢のような美しい景色に、見とれていましたが、いつまでもそうしているわけには行きません。やがて、低い木のしげみを分けて椰子の林にもどり、もとの海岸に帰りつきました。
「ともかく、この海岸をずっと歩いてみようじゃないか。ひょっとしたら村かなんかがあるかもしれない。土人といっても、みんな人喰人種ときまっていないんだからね」
 一郎君のそういう意見にしたがって、三人は海岸を出来るだけ遠くまで歩いてみることにしました。まず右の方へ道をとって、岩の多いでこぼこ道を、五六百メートルも行きますと、とつぜんそこで平地がつきて、けわしい岩山がそびえ、その海に面した方は、何の足がかりもない断崖になっているところに出ました。そこで、一まずその方へ進むことは見合わせて、又元の場所へもどり、今度は左の方へ海岸づたいに歩いてみましたが、三十分ほど行きますと、こちらも同じように高い岩山になっていることがわかりました。
「アア、僕たちは運がよかったんだねえ。ボートが少しどちらかへ寄って、ふきつけられたら、こんなひどい断崖だもの、とても助かるみこみはなかったんだよ」
 哲雄君がいうとおり、遠浅になったたいらかな海岸は、三人が流れついた二キロあまりの間だけで、そのほかはズーッと恐しい断崖がつづいているらしいのです。
 岩山はそのまま、だんだん高い山になって、ズーッと奥の方までつづいていますので、まわり道をして向側に出るわけにも行きません。むこうへ行こうとすれば、どうしてもそのゴツゴツした、あぶない岩山をよじのぼるほかはないのです。
 三人はさいぜんから、あつい日に照らされて、ずいぶん歩きまわったので、すっかりつかれてしまって、のどもかわいていました。
「ねえ、少しやすもうよ。僕はもう一度椰子のつゆが飲みたくなった」
 保君がまた弱音をはきました。椰子の林はそのへんまでもつづいていて、海岸から百メートルも森の方へ行けば、おいしい椰子の実がどっさりなっているのです。
 一郎君や哲雄君も同じ思いでしたから、すぐ賛成して、岩山のすそづたいに、海岸をあとにして、椰子林の方へ歩いて行きましたが、林の入口にさしかかった時、とつぜん、哲雄君がさけびました。
「ア、見たまえ。あすこに大きな洞穴があるぜ。なんだろう」
 見ると、なるほど、岩山のすその少しくぼんだあたりに、大きな洞穴が真黒な口をひらいているのです。
「なにか動物がすんでいるのかも知れないね」
 保君はもう逃腰になりながら、てれかくしのように、妙な身ぶりをして、キョトンとした顔でいいました。
 それを聞くと、ほかの二人も思わず立ちすくんで、そのまま一分間ほども、おしだまって、洞穴を見つめていましたが、やがて、一郎君が安心したような声でいうのでした。
「大丈夫、大丈夫。ごらん、ポパイがこんなにおとなしくしているじゃないか。もしあの中に何か生きものがいるとすれば、ポパイがだまっているはずがないよ。大丈夫だよ。一つあの洞窟の中を探検してみようじゃないか」
 一郎君はこういうことにかけては、なかなか考えぶかい上に、三人の内では一番勇気があり、決断力もすぐれていました。一郎君は例のジャック・ナイフを開いて、万一の場合の身がまえをしながら、先に立って洞穴に近づき、しばらくその中をのぞきこんでいましたが、やがて、まっくらな穴の中へ姿を消してしまいました。すると、それにつづいて、ポパイも勢いよく洞穴の中へ飛びこんで行きましたが、しばらくすると、一郎君の姿が穴の入口に現れて、大きな声で呼び立てました。
「オーイ、早くおいでよ。すばらしいおうちを見つけた。僕らはこの穴をお家にするといいよ」
「なんにもいないの?」
 保君はまだビクビクしています。
「いるもんか。虫けら一匹だっていやしない。それに、この中は涼しくって、そりゃあいい気持だよ」
 保君と哲雄君は、いきなりかけ出して、穴の中へ入って行きました。
「ヤア、すてきだ。ちゃんとお部屋のようになっているんだね」
 保君は穴の中を見まわして大喜びです。
 そこは十畳敷ぐらいの広さで、天井の高さは二メートルあまり、床はだいたい平になっていて、岩で出来たお部屋といってもいいような、三人の住まいにはちょうどおあつらえ向きの場所なのです。
「つめたくていい気持だね。僕はここで寝ようっと」
 保君はおどけた顔をして、ゴロッと岩の床の上にころがったかと思うと、うつぶせになって、頬杖ほおづえをついて、両足をバタンバタンとやって見せました。
 一郎君と哲雄君も、笑いながら岩のかべにもたれて足をなげ出し、つかれをやすめました。犬のポパイまでが、まねをして、つめたい岩の上に長々とねそべるのでした。そして、三人はしばらくの間、のどのかわきも忘れて、そのすばらしい住宅をほめたたえるのでした。
「今夜はここで寝ることにしようよ。ここなら大丈夫だよ。あの入口の穴を何かでふさいでおけば、どんな猛獣だって、野蛮人だって、僕たちをどうすることも出来やしないよ。それに、雨が降っても大丈夫だし」
「ウン、そうだ。これは僕たちの岩のお城だね」
歩哨ほしょうにはポパイという強い奴がいるしね」
 三人は口々にそんなことをいい合って、まずまずこれで安心と、胸をなでおろすのでした。
「でもね、僕は一つ心配なことがあるんだよ」
 しばらくして、哲雄君が考えぶかそうな顔でいい出しました。
「エ、心配なことって?」
 保君がうつぶせになっていた顔を、ヒョイと持ちあげて、眉をしかめて聞きかえします。
「君たちは野蛮人、野蛮人っていうけどね、ここには野蛮人だっていないかも知れないと思うんだよ」
「野蛮人がいなけりゃ、なおいいじゃないか」
「そうじゃないよ。野蛮人でもなんでも、人間がいてくれれば、僕たちは何とか工夫して助かる見込があるんだけど、人間が一人もいないとすると、僕たちは、ホラあのロビンソン・クルーソーのお話とおんなじになってしまうじゃないか。ロビンソン・クルーソーはあの淋しい無人島に二十五年も一人ぼっちでいたんだよ。二十五年目にやっとフライデーという野蛮人を手下にして、やっと二人になったんだ。そして、助けられてイギリスの本国へ帰ったのは三十五年目なんだぜ」
「それじゃ君は、ここが無人島だっていうの?」
「ウン、そうじゃないかと思うんだ。あれだけ歩きまわって一人の人間にも出あわなかったし、砂の上に人の足あともなかった。どちらを見ても、家らしいものはないし、煙も立っていないし、まるで死んだように静まりかえっているじゃないか。無人島でないにしても、人間の住んでいるところからは、ずいぶん遠いんだよ」
「もし無人島とすれば、僕らはどうなるんだろう」
「三人のロビンソン・クルーソーになるんだよ」
 そのままぷっつり言葉がきれて、三人ともおびえた目を見かわして、だまりこんでしまいました。
 読者諸君、その時の三人の心持がどんなだったか、おわかりになりますか。ロビンソンのお話は、読んだり聞いたりしては、たいへん面白く思われますが、もし自分がそんな身の上になったとしたらどうでしょう。
 お父さまやお母さまは、ちゃんと日本にいらっしゃるのですが、そこへ行くことも、手紙を出すことも出来ないのです。先生やお友達にももうあえないのです。それも一月や二月ではありません。ロビンソンは三十五年も島から外へ出られなかったではありませんか。三十五年といえば三人の少年が青年になり、大人になり、今のお父さまよりもっと年よりになってしまうわけです。その長い長い間、ただ三人きりで、世界中の誰もしらない淋しい島で暮らさなければならないのです。
 それでもロビンソンはおしまいには本国へ帰れたからよかったのですが、もしここが近くを船も通らないような無人島だとすれば、三人は生きているうちに、日本へ帰れるかどうかさえ、わからないわけです。
 三人の少年の前から、とつぜん人間の住んでいる世界が消えてなくなったのです。世界には、たくさんの人間がにぎやかに暮らしているのに、その人達に今の身の上を知らせることも、助けをもとめることも出来ないのです。まるでまったく別の世界へ……そうですね、たとえば月の世界へ流しものにされたのも同様ではありませんか。
 三人はそれを考えると、何ともいえない淋しい気持になりました。淋しいよりもこわいのです。何ともいえない、心の底が寒くなるような恐しさです。
 日はカンカンとてりつけています。空は青々と晴れわたっています。海岸の砂は真白にかがやいています。海は弓なりの水平線をえがいて、はてしもなくひろがっています。うしろの山には緑の森がどこまでもつづいています。それは私達の世界と同じですが、ただ一つ足りないものがあるのです。人間です。人間のまったくいない世界なんて、考えただけでも恐しくなるではありませんか。
 三人はながい間、一ことも物をいわないで、じっと考えこんでいましたが、やがて、一番気持のしっかりしている一郎君が、思いなおしたように、キッと[#「キッと」は底本では「キット」]顔をあげました。
「よそうよ。まだ無人島だかどうだか、はっきりわかりもしないのに、つまらない心配するのはよそうよ。たとえ無人島にしたって、僕たちは三人なんだ。一人ぼっちのロビンソンとはちがうよ。三人が力をあわせて助けあえば、どんな苦しいことだって、恐しいことだって、がまん出来るよ。
 それからねえ、もっといいこといってあげようか。もしこの島が無人島だったら、僕たちはここを占領して王様になれるんじゃないか。王様になって、この島を治めて、そして日本の国旗が立てられるんだよ。すばらしいじゃないか。ねえ、哲雄君、そうだろう。保君、みっともない泣顔なんかするんじゃないよ。サア、元気を出して、又木のぼりをして、おいしい椰子の実を取っておくれよ」
「ウン、そうだね。一郎君はやっぱりえらいなあ。僕も考えなおしたよ。ロビンソンを見ならうんだ。ロビンソンは一人ぼっちで、舟もつくるし、稲もうえるし、牧場までつくって、無人島をすっかり住心地のよいところにしてしまったんだからね。僕たちもやろうよ。ねえ保君、早く椰子の実を取っておくれよ。そして、おなかがくちくなったら、三人でゆっくり、これからのことを相談しようじゃないか」
 哲雄君も、しょげている保君をはげますようにいいました。
 保君だって、チャメのター公の名にかけても、いつまでも泣顔してなんかいるわけにはゆきません。いきなりピョコンと飛びおきると、
「よし。じゃあ君達も下へ来て受けとるんだよ」
 と、さけんだかと思うと、いきなり兎のように洞穴の外へ飛出して行きました。
 そして、三人は又あのおいしい椰子の実のつゆをすすったのですが、その時はちょうど真昼で、外を歩きまわるのは熱くてしかたがありませんので、夜になってどんなことが起るかも知れないのだから、今の間に眠っておこうということになり、三人はすずしい洞穴の中にころがって、三時間ほどぐっすり昼寝をしました。
 そして、目をさました時には、太陽も西にかたむき、海岸の砂の照り返しも、いくらか弱くなっていましたので、三人はまずそこの岩山にのぼってみることに相談をきめました。岩山の上から見わたせば、島の様子がもっとよくわかり、人が住んでいるかどうかも、たしかめられると考えたからです。
 岩山はずいぶん急ではありましたが、でこぼこが多いので、そこへ手と足をかけて、よじのぼれば、のぼれないことはないのです。先頭をうけたまわったのは、木のぼりの名人保君です。さすがに名人だけあって、実に身軽に、ヒョイヒョイと岩角から岩角へとつたって、のぼって行きます。まるで猿のようです。それにつづいて一郎君、力の弱い哲雄君はびりっこけです。
「オーイ、早く、早く、たいへんだよ。大きな船が、アレアレ横っ倒しになって沈んでいるよ。早く来てごらん」
 いつの間にか頂上にのぼりついた保君が、大声にわめき立てました。
「エ、船だって?」
「ウン、帆前船ほまえせんだよ。メチャメチャにこわれている。マア、早く来てごらん」
 一郎君と哲雄君は、この驚くべき知らせに、にわかに活気づいて、大急ぎで頂上によじのぼって、保君の指さす方を眺めました。
 岩山の海に面した側は、先にもいった通り高い断崖になって、それがズーッとむこうの方までつづいているのですが、断崖の前の海面には、大小さまざまの形の岩が、ニョキニョキ頭を出していて、それに波頭がぶつかって、白く泡立っています。その内の大きな二つの岩にはさまれて、一艘の帆前船が沈んでいるのです。
 帆柱は折れ、甲板上のいろいろな道具は何もかもメチャメチャにこわれ、船体の三分の二は海に沈んで、舳先の方だけが、ニューッと海面につきだしているのです。
「昨日のあらしにやられたんだね。僕たちも、ここへ吹きつけられたら、あの船と同じ目にあっていたんだね」
 保君が柄になくしんみりした声でいいました。
「帆前船だというので、僕はあの海賊船かと思ったが、そうじゃないね」
「ウン、まるでちがうよ。海賊船はもっと大きいし、色もちがうよ」
 その時、じっと沈没船を見つめていた哲雄君が、はじめて口をききました。
「僕たち、あの船へ行ってみようじゃないか。もしあの中に、まだ生きている人があったら、助けてあげなければ」
「でも、どうして行くの? このけわしい断崖をおりることなんか、とても出来やしないよ」
「ボートで行けばいい。僕たちのボートは砂に埋まっているけれど、まだこわれてやしないんだから」
「アア、そうだね。でも、オールがないぜ。一本は君が流してしまったし、あとの一本もあらしで、どっかへなくなってしまったから」
「一郎君のよく切れるジャック・ナイフがあるじゃないか。あれで、手頃の木を切って、オールを作ればいいよ」
「ヤア、たいへんだなあ。そんなことしてたら、一日も二日もかかってしまうぜ」
「そりゃそうだよ。でも、二日かかっても、三日かかっても、僕たちにはそのほかに手だてがないんだから、やっぱりオールをつくるほかはないよ。ロビンソンをごらん、四箇月もかかって、丸木舟を造ったんだぜ」
 結局、哲雄君の考えぶかい意見にしたがって、オールを造ることに相談がまとまりました。なんという気のながい話でしょう。でも、少年たちには、それよりほかにしかたがなかったのです。

難破船


 道具といっては、ジャック・ナイフ一挺なのですから、その苦労は一通りではありませんでしたが、でもまる一日かかって、やっと、オールのような形をした木切きぎれを二本造ることが出来ました。
 そして、いよいよボートを海に浮かべ、沈没船にむかってこぎ出したのは、三人が島に流れついた翌々日の朝のことでした。その間、少年達は一日に何度も椰子の実をもいで、うえをしのぎ、真昼のあついさなかと、夜なかには、洞窟のかたい岩の上に、ゴロリと横になって眠ったのです。猛獣におそわれては大へんだというので、洞穴の入口には、森から切って来た木でかきのようなものを造って、戸のかわりにしました。
 そのまる二日間には、いろいろ恐しいことや、おかしいことがあったのですが、それを一々書いていては、かんじんのお話がおくれますので、残念ながら、それらの出来事ははぶくことにします。
 さて、三少年は、朝の海の静かな時をえらんで、ボートを海に浮かべ、妙なかっこうの手製のオールをあやつって、断崖の下の難破船に近づいて行きました。
 近づいて見ますと、それは案外大きな帆前船で、その舳先の方が三分の一ほど、ななめにニューッと海面からつき出して、奇妙な三角形の塔のように、空にそびえているのです。
 そのへんは岩の多い波のあらい場所ですが、今はまったく波がなく、ズーッと底の方まで見すかせる美しい青い水が、気味の悪いほどしずまり返っています。
「オーイ……」
 一郎君が、ボートの中から、大きな声をはりあげて、沈没船に呼びかけてみました。その船の中に、誰か生き残っているのではないかと思ったからです。しかし、二三度呼んで、しばらく待ってみても、何の答もありません。
 波もなく、風もなく、シーンとしずまり返った海面に、雲一つない青空を背景に、大昔の建物ででもあるように、ところどころこわれた三角がたの舳先が、ニューッとそびえているありさまは、何だかこわいようです。
「誰もいないのだろうか」
「みんな死んでしまったのかも知れないね」
「気味がわるいね」
 三人はヒソヒソとささやきかわして、顔を見合わせていましたが、いつまでもそうしているわけにも行きませんので、思いきって、船の中をしらべてみることにしました。
 そこで、ボートを難破船につけて、急な坂道のようにかたむいている甲板の上へ、一人ずつはいのぼって行きました。甲板は嵐のためにひどくあらされて、船内へ下る昇降口ハッチのふたなども、どこかへふっ飛んでしまっていて、穴蔵のような口がポッカリ開いているのです。
 三人は気味のわるいのをがまんして、その昇降口の急な梯子はしごを、暗い船内へとおりて行きました。そして今にも恐しい人間の死骸にぶつかるのではないかと、ビクビクしながら、廊下のようなところや、小さな船室などを、次々と見てまわりました。床が皆急な坂のようにかたむいているのですから、むろん立って歩くわけには行きません。物につかまって、這うようにして見まわったのです。
 ところが、不思議なことに、もしやと思っていた人の死骸などは、どこにも見あたりません。むろん生きた人間など影も見えないのです。ともの方の水につかっている部分へは、入ることが出来ませんけれど、でも、水をすかしてのぞいて見たところでは、そちらの方にも死骸があるように思われません。
「へんだねえ。どうしたんだろう。これは何年も前に沈んだ船かしら」
 一郎君が不思議そうにつぶやきました。
「そんなことはないよ。いろんな道具がまだ新しいんだから、そんなに古い沈没船じゃないよ。……ア、わかった。きっとそうだ。この船が岩にぶつかって沈んだものだから、船員はみんなボートに乗って逃げだしたんだよ。そして、そのボートがまた転覆して、一人も残らず死んでしまったのかも知れないよ」
 哲雄君がもっともらしい意見を持ち出しました。なるほど、そのほかにはちょっと考え方がないわけです。
 すると、その時、むこうの部屋の中から、チャメの保君が、大きな声で叫んでいるのが聞えて来ました。
「オーイ、すばらしいもの見つけたよ。早く来てごらん。早く、早く」
 こちらの二人は何事かとびっくりして、いそいでその部屋の中へ入って行きますと、そこはこの船の料理場らしく、壁に色々な形の鍋がかけてあって、流し台のようなものもあり、大きな戸棚の中には、茶碗や皿やコップなどが、こなごなに割れてかたまっています。保君はその戸棚の横の四角な木の箱のふたを取って、中をのぞきこんでいるのです。
「ここだよ、ここだよ。ごらん、お米が一ぱいあるんだ。それから、そっちの袋の中には、メリケン粉がどっさり入っているんだよ。僕たちの食糧が見つかったんだ」
 二人は思わずかけよって、箱の中のお米を両手ですくって見ました。すこしも水にぬれていない、サラサラとした真白なお米です。
「ワー、すてき。おいしそうだね」
 あまい椰子の実ばかりで、もうあきあきしていた少年達は、久しぶりのお米を見て、どんなにうれしかったことでしょう。
 それに勢を得た三人は、それから船の水につかっていない部分を、くまなく探しまわって、島の生活に必要ないろいろな品物を見つけ出しました。
 そして、それらのたくさんの品物をすっかり整理して、さし当って必要なものだけをボートにつんで、ひとまず元の海岸へ引上げることにしたのですが、そのボートにつんだ品々を表にして見ますと次のようなものです。
○白米一箱(二十キロ余)○メリケン粉一袋○ブドウ酒二瓶○しおの入った大きな壺一個○砂糖壺一個○ソース一瓶○鉄の鍋大小二個○ふちのかけた茶碗やコップなど数個○フォーク、ナイフ、さじなど数挺○航海日誌の大きな帳簿一冊○ペン、鉛筆数本○青と赤のインキ壺各一個○置時計一個○双眼鏡一個○磁石一個○バケツ二個○料理用の大ナイフ二個○蝋燭ろうそく数挺○猟銃一挺○ピストル一挺○それらの弾丸数十発○魚釣りの道具一揃○白麻のテーブル掛やシーツ数枚○麻紐と麻縄各一まき○裁縫用の糸と針。
 そのほかに細かいものがまだ色々あったのですが、そんなには書ききれません。
 料理場には、パンや肉類や野菜、果物なども残っていましたが、それらは皆くさったり、かびが生えたりしていて、役には立ちませんでした。
 この難破船はやはり支那人の船でした。舳先に刻んである船名も、むずかしい漢字でしたし、船室にあった本や航海日誌や、残っている着物などによって、船員が支那人であったことがわかりました。でも、三少年がかどわかされた、あの海賊船ではありません。海賊船が沈没したのだと気味がよいのですが、そう何もかもうまいぐあいにはいきません。
 それにしても、少年達はなんという大きなえものを手に入れることが出来たのでしょう。
 つい朝の間の一仕事で、家財道具から食糧までが、すっかりそろってしまったのです。無一物の貧乏人が、にわかに大金持になったようなものです。三少年は、まるで鬼が島から、がいせんする桃太郎のような気持になって、元気よく校歌を合唱しながら、それらの品々をつみこんだボートを、その砂浜へこぎもどすのでした。

火と水


 それから三十分ほどのちには、難破船から持ちかえった品々が、洞窟のお家の中に、手ぎわよくならべられていました。
「すてきだねえ、いよいよここは僕らのお家になったねえ、武器もあるし、僕たちの記録を書きとめておく紙やペンもあるし、寝る時のシーツも出来たし、食糧はどっさりあるし、その上に魚釣やお裁縫の道具までそろったんだからねえ。これでもう何も心配することはないよ」
 一郎君がその品物を見まわしてうれしそうに言いました。
「そうだねえ。僕たちはいよいよ島の王様だねえ」
 保君も小おどりしながら答えました。ところが、哲雄君だけは、何だか困ったような顔をして、
「だが、僕はたった一つ残念なことがあるんだよ」
 というのです。
「エ、どうしたの? 何が残念なの?」
 保君が哲雄君の顔をのぞきこむようにしてたずねます。
「マッチが手に入らなかったことさ。君たちも知っているとおり、あの料理場にあったマッチは皆、波にぬれて役に立たなくなっていただろう。だから僕は、ほかの部屋をずいぶん探したんだけれど、どこにもマッチはなかったのさ」
「ア、そうだね。マッチがないのは残念だね。僕たちは又毎晩、まっくらな中でくらさなければならないんだね」
 一郎君も困ったように腕ぐみをしました。
 少年達は、猛獣を防ぐのには、焚火をするのが一ばんいいということを、少年雑誌で読んで、よく知っていました。ですから、きのうはオールをつくるかたわら、いくどもそのことを話しあい、やはり少年雑誌に教えられた智恵で、野蛮人が火をつくるやり方をまねて見たくらいです。
 それはかたい木の棒の先をけずって、するどくとがらせ、木の板の上にあてて、きりをもむように早くまわしますと、木と木との摩擦で熱が起って、そのそばへよくかわいた枯草などをおけば、それが燃えて、火が出来るのです。
 少年達はいくども、そういう木の棒をつくって、みんなの手の平が痛くなるほどやって見ましたが、どうしてもうまくいきません。木の板と棒の先が熱くはなりますが、力がたりないせいか、なかなか火は燃えないのです。火をつくるのには、何か特別の木でなくてはいけないのかも知れません。又火を燃えつかせる枯草も、よほど燃えやすいものでないとだめなのかも知れません。少年達は、何度やっても火が燃えないので、とうとうそのやり方をあきらめてしまったのでした。
 そういうわけですから、こんなに色々なものが手に入ったのに、マッチだけがないのは、三人にとって実に残念なことでした。中にも考えぶかい哲雄君は、誰よりもそれを残念がっていました。
「クヨクヨしたってしかたがないよ。そんなことより、早くごはんを食べようじゃないか。白いお米のごはん、おいしいだろうな。……君たちだって、おなかがすいているんだろう」
 無邪気な保君は、もうがまんが出来ないという調子で、さいそくしました。いつかは、海賊船からバナナやビスケットを持出した保君です。食べることにかけては、人一倍熱心なのです。
「またター公の食いしんぼうがはじまった。君、そんなこといったって、お米をどうしてくんだい。火がなけりゃ、ごはんは出来ないじゃないか」
 一郎君がたしなめるようにいいますと、保君はハッと気づいて、頭をかきました。
「ア、そうだっけ。困ったなあ。オイ、哲雄君、君の智恵で考えておくれよ。火がなくってごはんのたける法か、それとも、マッチがなくて火の燃える法でもいいや」
「ウン、僕もそれを考えているんだよ」
 哲雄君は保君のじょうだんに、まじめな顔で答えました。そして、又言葉をつづけて、
「だが、まだたりないものがある。火だけじゃだめだよ。水がなけりゃごはんは焚けやしない」
「ア、そうだ。水もないんだねえ」
 保君は又頭へ手をやって、目の前一ぱいにひろがっている海の水を、うらめしそうにながめました。
 そういえば三人とも、きのうあたりから、がまんが出来ないほどのどがかわいていたのです。椰子の実もはじめはおいしかったのですが、そればかりでは口の中が甘くなってしまって、味のない水が飲みたくてしかたがなかったのです。難破船の料理部屋には、大きな水槽があったのですが、底がやぶれて、中の水はみな流れ出してしまっていました。
「アア水が飲みたいなあ」
 無邪気な保君は、何でも思ったことを、そのまま口に出します。
 ほかの二人も、それを聞くと、にわかにのどがかわいているのを感じました。そして、あの水道や井戸の中にいくらでもある、すこしのねうちもないような水が、どんなにとうといものかということが、ハッキリわかったような気がしました。今の三人には、どんなごちそうでも、果物でも、お菓子でも、あのすきとおったつめたい水ほどおいしくはないように思われました。
「水でも火でも、僕たち日本にいる時は、なんでもないように思っていたけれど、ほんとうに大切なものなんだね」
 一郎君が感じ入ったようにつぶやきました。
「ウン、そうだね。もし僕がお金持だったら、今コップに一ぱいの水をくれれば、一万円だって出すよ。マッチだってそうだ。一本のマッチが一万円したってやすいもんだよ」
 保君がまじめな顔でいいました。
 少年達は、まるでただのように思っていた水や火が、人間にとってどんなに大切なものだかということを、今こそつくづくと、身にしみて感じたのでした。
「でも、水の方は探せばきっとあるよ。あんな高い山や森があるんだから、川が流れていないわけはないよ。もっとよく森の奥を探せば、きっと川か泉があるにちがいないよ」
 哲雄君がいいますと、保君はすぐそれを引きとって、にわかに元気な声を出しました。
「そうだ。もっと探せばいいんだ。じゃ、僕たち今から川を探しに行こうよ。あの銃を持ってね。猛獣に出くわすと大へんだから。……一郎君、君はよくお父さんの銃猟について行っていたから、銃のうちかた知ってるだろう」
「ウン、知ってるよ。銃を持って行こう」
「それじゃ、君たち二人で行って来たまえ。僕はその間に、火をこしらえておくよ」
 哲雄君が意外なことをいい出しました。
「エ、火を? 君何か考えがあるのかい」
「ウン、ちょっと思いついたことがあるんだ。きっと君たちが帰るまでに、火を燃やして見せるよ」
 哲雄君は自信ありげに、ニッコリ笑って答えました。
 そこで、一郎君と保君は犬のポパイをつれて、森の奥へ川を探しに出かけることになったのですが、うまく川が見つかるでしょうか。いや、それよりも、哲雄君はいったいどんな方法で火を燃やすつもりなのでしょう。「マッチがなくて、火を燃やす法」なんて、そんな魔法のようなことが、ほんとうに出来るのでしょうか。

日の丸


 一人洞窟の中に残った哲雄君は、何を思ったのか、難破船から持ちかえった双眼鏡を手にとって、しばらく考えていましたが、やがて、
「双眼鏡もだいじだけれど、ナアニかまわないや。片方の筒だけこわしたって、もう一つの方で見られるんだから」
 と、ひとりごとをいいながら、何か決心した様子で、そこにあった料理用のナイフをとると、いきなり双眼鏡の片方の筒をこわしはじめました。哲雄君はそんな乱暴なまねをして、いったい何をしようというのでしょう。
 しかし、こわすといっても、たたきつぶすのではなくて、まるで機械を分解するように、金具やレンズになるべく傷をつけないように、ときほごして行くのですから、なかなかめんどうな仕事で、一方の筒がバラバラになるまでには、三十分あまりもかかりました。
 哲雄君は、そうしてときほごした筒の中から、一枚のとつレンズをえり出して、それを大切そうに手ににぎり、洞窟の外へ出て行きました。
 洞窟の近くの砂浜には、午前の日光がまぶしく照りつけています。哲雄君は、きのう野蛮人のやり方で火を作ろうとした時に使った、枯草や木のけずりくずなどを拾って、ギラギラと白く光っている砂の上の一ところに集めました。
 読者諸君、哲雄君はそれからどんなことをしたと思いますか。もうおわかりでしょう。そうです。哲雄君はその枯草の上に、双眼鏡から取出して来た凸レンズをかざして、太陽の光が、枯草のまん中に焦点をむすぶようにして、そのまましんぼうづよく、じっと手を動かさないでいたのです。
 読者諸君は、凸レンズを太陽にあてれば、その焦点が物を焼く力のあることを、よくごぞんじでしょう。かしこい哲雄君は、あの理科の知識を応用して、火を燃やすことを考えついたのでした。
 間もなく、枯草はチリチリと黒くこげて、うすい煙を立てはじめました。哲雄君は一生けんめいになって、じっと焦点をあわせています。そうして一分間ほども、しんぼうづよく、同じところをこがしていますと、とうとうその黒こげの中から、チラッと小さなほのおが燃え上りました。
「しめた!」
 哲雄君は思わず叫びました。その小さな焔は、見る見るひろがって行くのです。枯草はもう一面の火となって燃えはじめました。
 哲雄君は大急ぎで、そのへんに落ちている木のけずりくずを拾い集めては、枯草の上にソッとのせて行きます。きのうオールをつくった時のけずりくずが、たくさんあるのですから、火さえつければ、あとはもうしめたものです。
 あの小さなレンズの焦点でつくった火が、今はもう大きな焚火になって、パチパチと木のはぜる音と共に、白い煙がいせいよく空に立ちのぼっています。
 そうして、火をたやさないように注意しながら、三十分ほども待っていますと、うしろの森の方から、保君の元気な声がひびいて来ました。
「ワーッ、燃えてる燃えてる。哲雄君バンザイ。僕たちもどっさりおみやげがあるよ。きれいな小川を見つけたんだよ。つめたくてとてもおいしい水だよ。君も早く行って飲んで来るといいや。それからね、まだおみやげがあるよ。一郎君が大きな鹿を射とめたのさ」
 つづけざまにしゃべりながら、おどるようにして近づいて来ましたが、焚火の前に立つと、めずらしそうに、燃えさかる木くずに見入って、又よろこびの叫声をあげるのでした。
 一郎君も銃を肩にして帰って来ました。ポパイも小川の水をたらふく飲んだせいか、おそろしく元気になって、そのへんをうれしそうにかけまわっています。
 読者諸君、さて、それから何がはじまったと思います? 三人の少年は、にわかにコックさんに早がわりをしたのです。一人がバケツをさげて小川へ水くみに走れば、一人は土をつんで不恰好なかまどをきずき上げる。一人が大鍋にお米と水を入れてガシャガシャかきまわせば、一人は出来たばかりの竃の下へ枯枝をつみ重ねて燃やしつける。
 一方では又、一郎君の射とめた鹿の肉を切りとって、それを木の枝をけずったくしにさして、焚火の上であぶりはじめる。それもだまってやっているのではありません。皆が校歌を合唱したり、じょうだんをいいあったり、笑ったり、叫んだり、そのさわがしさは一通りではありません。
 そうしてやっとごちそうが出来上って、鹿の焼肉にソースをかけて、湯気の立つ白いごはんを食べた時のおいしさ。ごはんはなんだかあまりうまくけていなかったようですが、でも、三人はそのおいしさが一生涯わすれられないほどでした。むろんポパイも、たらふくごちそうになったことはいうまでもありません。
 食事がすんだ時には、あまりたくさんつめこんだので、三人とももう動くのもいやになって、ちょうど午後の日ざかりでもあり、しばらく涼しい洞窟の中でやすむことにしました。
 そうしてゆっくりくつろぎながら、又いろいろと今後のことを相談したのですが、その時一郎君が一つの名案を考えつきました。
「このテーブル掛の白麻で、国旗をつくろうじゃないか。そして、僕たちのけずったオールにむすびつけて、あの岩山のてっぺんに立てるんだよ。そうすれば、遠くを通る船にだって、国旗が見えるにちがいないよ。ここに日本人がいるというしるしなのさ。こんな無人島に日本の旗が立っているなんておかしいと思って、きっとボートをこぎつけて調べるよ。そうすれば、僕たちは助かるじゃないか」
「ウン、それはいい考えだね。この海を汽船が通るかどうかわからないけど、万一通った時に、気づかないで行きすぎてしまったら、残念だからね」
 哲雄君が大人らしい口調で賛成しました。
「僕もさんせい。それに、僕たちはこの島の王様なのに、国旗がなくっちゃおかしいからね」
 保君は保君らしい意見をはきましたが、ふと気づいたように、
「だって、国旗っていえば、日の丸なんだろう。こんな真白なテーブル掛じゃ変じゃないか」
「むろん、日の丸をかくのさ」
「絵の具は?」
「オヤ、君は忘れたのかい。難破船から赤インキの壺を持って来たじゃないか」
「ア、そうか。でも、筆がないぜ」
「筆はつくるのさ」
 一郎君はそういって、手製の筆のつくり方を説明しました。それは筆ぐらいの太さの木の枝を切って、その先をナイフでメチャメチャに切りさいた上、そこを石でたたいて、刷毛はけのようにする方法です。
 一休みしたあとで、一郎君が木の枝を切って来て、その手製の筆をつくりあげました。き役は手先の器用な哲雄君です。まずテーブル掛を手頃の国旗の大きさに切って、その真中にありたけの赤インキを使って、みごとに日の丸をかきあげました。
 そして、頂上の岩のさけ目にオールを立て、倒れないように三方から木の棒でささえをしたのです。
 この仕事では、木登の上手な保君が、岩山をのぼったりおりたりして、一番よく働きましたが、最後には、ポパイにも国旗をおがませてやるのだといって、犬をだいて岩山をよじのぼるのでした。
 インキの色も生々しい日の丸の国旗は、オールの旗竿の上で、ヒラヒラと風になびいています。青々とした大空を背景に、真白な白麻、真赤な日の丸、なんともいえぬ美しさです。
 少年達はそれを見ているうちに、いつともなく、胸の底から「万歳」という声が湧き上って来ました。両手が思わず空にあがりました。そして、声をそろえて、いくどもいくども、「バンザーイ、バンザーイ」とくりかえすのでした。ポパイもうれしそうに尾をふって、妙な声で吠えたてました。それらの声が一つになって、はてしもない大海原の上をただよい、はるかの沖合へ消えて行くのです。
 その日は朝からうれしいことばかりで、少年達は不幸のうちにも仕合せな一日を送りましたが、この喜びがいつまでつづくことでしょう。にぎやかな日のあとには、前にもましてさびしい日が来るのです。そして、少年達の行手には、ある恐しい運命がまちかまえているのです。ほんとうの冐険がこれからはじまるのです。

 

哲雄君の第二の手柄


 そして、一箇月ほどは、これという大事件もなくすぎさりました。何よりも恐しいのは、夜寝ている間に、猛獣におそわれることでしたが、少年達の用心がきびしかったためか、しあわせにも、まだ一度もそういう事は起りませんでした。しかし、その一月の間には、いろいろ苦しいことや、気味の悪いことや、おかしいことや、たのしいことがあったのです。それらをくわしく書いているひまはありませんが、おもなことを二三しるして見ますと、まず第一に困ったのは、一週間ほどたった時、お米がすっかり無くなってしまった事です。度々ボートで沈没船に行って、料理場にあるお米を運んで来たのですが、それもみんなたべつくしてしまったのです。しかたがないので、メリケン粉で、だんごのようなものを作って、お米の代りにしていましたが、それもやがて残りすくなになって来ました。
 一方では、沈没船から持って来た釣道具で、魚を釣ったり、森の中を歩きまわって例の鹿をうったりして、副食物の方はどっさりあったのですが、そういう肉類ばかりでは、ごはんをたべたような気がしません。どうしてもお米かパンがなくては、がまんができないのです。
 ところが、ある日のこと、三人が森の中を歩いていて、ふと妙な木の実を見つけました。高い木の青々とした葉の間に、まるい果物のようなものがたくさんなっているのです。果物なら椰子の実だけで十分ですから、はじめは見向きもしなかったのですが、保君がじょうだん半分に木登をして、もいで来たのを、ナイフで割って見ますと、中には白い肉が一ぱいつまっていて、その味が普通の果物とはちがっているのです。
「ア、もしかしたら、これパンの木じゃないかしら」
 物しりの哲雄君が叫ぶように言いました。
「エ、パンの木だって?」
「そうだよ。写真で見たことがあるんだよ。もしパンの木ならね、土人達はこの実を土の中に埋めて、蒸焼きにしてたべるんだって書いてあったよ。一つためして見ようじゃないか」
 ちょうどお米が無くなって困っていた時ですから、一郎君も保君も、すぐに賛成して、その実を海岸の方へ持帰り、土の中に埋めて、その上で焚火をして、ためして見ることになりました。
 十分焚火をして、土の中から、ホカホカと湯気を立てている実を取り出し、ナイフで切ってたべて見ますと、これはどうでしょう、まるでトースト・パンのような味がするではありませんか。
「すてきすてき、やっぱりパンの木だったね。これでもうお米がなくても大丈夫だ。あの木なら、この間から方々で見かけたよ。森の中にいくらだってあるんだよ」
 食いしんぼうの保君が、うれしそうにおどり上って言うのでした。
 たべ物の方はこの大発見で、もう心配はなくなりましたが、まだほかに、たべものよりはもっと大切な仕事があったのです。それは夜のともし火のことでした。
 夜、まっくらな中で寝るのはかまいませんが、いざという時、いつでも火が燃やせるように、火の種を用意しておかなければなりません。凸レンズで火をつくることは出来ても、それは太陽が出ていなくてはだめなのですから、夜の間や、雨の日、曇の日のために、どんな小さな火でも、たえず燃やしておかなければならないのです。
 はじめは、洞窟の前で焚火をして、夜も昼もそれを燃やしつづけて置くことにしましたが、それにはたれか一人、いつも番をしていて、火が消えないようにしなければならないので、夜も寝ずの番がいるわけで、ひどく不便です。それに洞窟の外で、一人ぼっちで火の番をしているなんて、心細くてしかたがありません。
「僕たちの手で蝋燭ろうそくを作ることが出来ればいいんだがなあ」
 少年達は腕を組んで考えこみましたが、すると、三人の頭に申しあわせたように同じ考がうかんで来ました。それはロビンソン・クルーソーの物語です。
「ロビンソンは、こんな時、どうしたんだっけ。自分で蝋燭を作ったんじゃないのかい?」
 一郎君が物しりの哲雄君の顔を見て言いました。
「ウン、そうだよ。だが、最初は蝋燭でなくて、山羊の脂身あぶらみをしぼって、燈心を燃やす油を取ったのだよ」
 哲雄君は実に物おぼえがいいのです。
「ア、そうだったね。じゃ、僕らも鹿の脂身から、油を作れないかしら」
「そうだね。でも、なんだかむつかしそうだよ。……」
 哲雄君はしばらく考えていましたが、何を思いついたのか、にわかに目をかがやかしながら、いきおいよく言いました。
「ア、いいことがある。椰子の実の白い肉ね、あれを干して、油を絞るんだって、本に書いてあったよ。椰子油っていうのさ。動物の脂なんかより、あれを絞る方がらくらしいぜ」
「ア、そうだ。君はえらいねえ。何でも知っているんだねえ。そういえば、椰子油のこと学校で教わったの思い出したよ。エエと、何だっけなア、そうそう、コプラっていうんだろ。その椰子の実の干したの」
「ウン、そうだよ。だが、絞り方がむつかしいね。手なんかではだめだし、一つその道具を考え出さなくっちゃ」
 哲雄君は、それからそれへと、すばしこく頭を働かせるのでした。
 ほんとうの椰子油製造工場では、いろいろこみ入った機械をつかって、進んだ方法で油をしぼっているのですが、そんなほん物のまねはとても出来ませんし、いくらかしこい哲雄君でも、そういうこみ入った機械のことを知っているはずはありません。
「ほした椰子の実の肉を石でたたいても、つぶせないことはないけれど、それでは、手間がかかって仕方がないし、ア、いいことがある。沈没船から持って来た洋酒の空樽があったねえ。あれを使えばいい。あの樽の中へ干した椰子の実をたくさん入れて、樽の底に近いところに錐で小さな穴をいくつもあけて、上からおしつぶせばいいんだ。そうすれば、椰子の油が、その小さい穴から、しぼり出されるわけだからね」
 哲雄君は考え考え、ひとりごとのように言うのでした。
「だって、上から手でおしたぐらいじゃ、とてもだめだぜ。くだくだけでなくって、油をしぼり出すんだからねえ。とても僕たち三人の力ぐらいではだめだよ」
 一郎君が首をかしげながら言いました。
「だから、人間の何十倍もある強い力をつくり出すんだよ」
 哲雄君はすました顔で、妙なことをいいます。
「エ、人間の何十倍の力だって?」
 一郎君と保君は、びっくりしたように、口をそろえてさけびました。
「ウン、そうだよ。なんでもない事じゃないか」
 哲雄君はそういって、自分のかんがえを説明しました。すると二人は、
「ナアンだ。そんな事か」
 といって、笑いましたが、みなさん、この哲雄君の考がわかりますか。電気も蒸気機関もない無人島で、人間の何十倍もある力をつくり出すなんて、ちょっと聞くと、まるで魔法のような気がするではありませんか。いったい哲雄君はどんな方法を考え出したのでしょう。みなさんも、一つ考えてみて下さい。
 その日から、哲雄君は、洞窟の前の地面を仕事場にして、油しぼり機械の製造をはじめました。いわばそこが少年達のお国の製造工場になったわけです。
 哲雄君は二人の少年にてつだってもらって、森の中から、四メートルもある長いまっすぐな木を一本きり出して来て、その枝をはらって、太さも長さも、この間こしらえたオールの二倍ほどもある、一本の丈夫な棒をつくりました。
 棒をつくるのにまる二日かかりましたが、そのあくる日には、沈没船から運んで来て、洞窟の中においてあった、西洋酒の樽を持ちだし、その一方の底をぬいて、その丸い板のふちをけずって、それが樽の中へ自由に入るようにしました。つまり、その丸い板で椰子の実を、上からおしつけようというわけなのです。
 西洋酒の樽は、日本のお酒の樽とはちがって、まるで石のようにかたい木でこしらえ、それに厚い鉄の輪がいくつもはめてあるのですから、よほど強い力をくわえても、こわれるようなことはありません。
 それから、その丸い板のまん中に、樽の深さよりはちょっと長いくらいの、太い木の棒を、まっすぐに立てて、紐でむすびつけました。ちょっと見ると、大きな独楽こまのようなものが出来たわけです。
 十分道具もなくて、かたい木を切ったり、けずったりするのですから、とても大へんな仕事です。いく度も失敗して、やりなおしたりしたので、それが出来上るまでには、三人がかりで五日もかかってしまいました。
 さて、六日目には、いよいよ機械の組立作業です。三人は朝早く起きて、かいがいしく仕事にとりかかりました。洞窟の入口のわきの岩山のすその、地面とすれすれのところに、一箇所岩角の出っぱった部分があります。哲雄君はその岩角から六十センチほどはなれた地面に、例の洋酒の樽をおいて、その中に、椰子の実の肉の干したのを、どっさりつめこみました。椰子の実は、この仕事をはじめた日、たくさんもぎ取って、中の白い肉を天日に乾かして、用意しておいたのです。そして、その上から、あの独楽のような丸い板を、棒の方を上にして、ふたをしました。まわり二十センチもあるその棒は、ニュッと樽の上につき出ているわけです。
 それから、最初につくった四メートルもある長い棒を、三人がかりで、その場に運び、棒の一方の端を、さっき言った地面とすれすれの岩角の下へ突込んで、動かぬようにしておいて、一方の端をグッと高く持ち上げました。
 そして、その棒がさっきの樽の中から突出している棒の上に、Tの字形に乗るようにして、棒と棒とを丈夫な紐でくくりつけたのですが、すると、長い棒は、ちょうど井戸のポンプの柄をグッと上におし上げたような形になりました。
「サア、みんな、棒の先にぶら下っておくれよ」
 哲雄君のさしずで、二人の少年はその空にはね上っている長い棒の先の方へ、椅子をふみ台にして、両手でぶら下り、二人の体の重みで、ちょうど井戸のポンプをくむように、下へ引下げようとしました。哲雄君は樽に抱きついて、それが倒れないようにがんばっているのです。
 みなさん、おわかりですか。これは物理学の挺子てこの原理というのです。この棒を長くすればするほど、どんな強い力でも出せるのです。井戸のポンプの柄と同じわけなのです。むかし西洋のある物理学者は、「もし私にそんな大きな棒と、それを支える場所とを造ってくれる人があれば、私は一人の力で、この地球だって動かして見せる」といいましたが、挺子の作用はそれほど恐しい力をつくり出すのです。
 哲雄君は実にうまいことを思いつきました。これなら本当に人間の何十倍の力が出せるのです。でも、椰子の油はなかなか思うようにはしぼれません。岩角にはさんである棒の先が飛出したり、樽の上の棒と棒とがはずれたり、樽が横倒しになったりして、何度も何度もやりなおさなければなりませんでした。
 しかし、失敗しては工夫をし、又失敗しては工夫をして、三時間ほど、汗びっしょりになって働きましたが、どんな事だって、うまずたゆまずやりつづけていれば、しまいにはなしとげられるものです。三少年のがまんづよい努力はとうとう成功しました。油がとれたのです。樽の横腹の小さな穴から、受けてある鍋やどんぶりの中へ、油がどっさりしたたり落ちたのです。
 哲雄君はなんという感心な少年でしょう。何もないところからまず火をつくり出し、今度はその火をたやさないように、油までつくり出したのです。
 しぼり取った油を、シーツの布でこして、それを少しお皿に入れて、それから、シーツのはしを細く切ったきれこよりにして、燈心の代りにお皿の中へ入れ、そのはしへ火をつければ、りっぱなともし火が出来るのです。
 こうして、少年達はその夜から、気味のわるい暗闇の中で寝ないでもすむようになったのでした。

やまとじまの住民


 少年達が一箇月の間になしとげたことは、パンの木の発見や、油しぼり機械の発明だけではありません。まだほかにもいろいろな事があったのです。
 まず第一はその無人島に名をつけたことです。その島はちゃんと地図にのっていて、名のある島かも知れませんけれど、少年達はそれを少しも知りませんので、「仮に僕たちで名をつけておこうじゃないか」ということになり、いろいろ名前を相談したあげく、三少年の通っていた小学校の名をとることにきまりました。それは大和小学校というのですが、その「やまと」をとって、無人島を「やまと島」と名づけました。
「やまと島か、すてきだなあ。僕達はやまと島の国民なんだねえ」
「そして僕たちはこの島の王様だよ」
「ア、そうだ三人も王様がいるなんて、おかしいけれど、この島はマア僕達のものなんだからねえ」
 少年達は口々にそんなことをいって、大はしゃぎをするのでした。
 それから、やまと島の政府の日記をつけなくちゃいけないということになり、日記がかりは文章のうまい哲雄君ときまりました。そこで哲雄君は、沈没船から持って来た、あの大きな航海日誌の帳面に、その日その日の出来事を、くわしくしるして行くことになったのです。
 病気になっては大へんだというので、出来るだけ規則正しい生活をするという取りきめもしました。朝は四時起床、正午から三時まで昼寝、夜は日がくれると洞窟の中に入って、今後の計画について相談したり、学校で習ったことを忘れないために、お互に問を出しあって、学科の復習をしたりして、九時には眠りにつくというわりあてです。もっとも少年達には正確な時間はわかりませんでしたが、沈没船から持って来た置時計を、太陽が頭の真上にのぼった時を正午として、時間を合わせたのです。
 その外まだいろいろの事があったのですが、何もかも書いていては際限がありませんので、こまかいことははぶいて一箇月のうちで一番たのしかった出来事をしるしておきましょう。
 それは三人の少年と一匹の犬だけの淋しいお家に、二人の――ではありません、二匹、の新しい家族がふえたことです。その新家族というのは、一匹の可愛らしい眼鏡猿と、一羽の白い鸚鵡でした。
 眼鏡猿というのは、南洋の諸島にすむ小さな可愛らしい猿で、目のふちだけが白くなっていて、ちょうど眼鏡をかけたように見えるために、眼鏡猿と名づけられたのですが、この小猿はおもに夜森の中で、コソコソと獲物をあさる、ごく臆病おくびょうなおとなしいやつです。
 この猿が森の中にたくさんいるのを見つけ出したのは、そういうことにかけては目の早い保君でした。どうかして一匹とらえたいものだと、たびたび森の中を歩きまわって、ひどく苦心をして、やっとのことで生虜いけどりにしたのです。猿のように木登のうまい保君は、いわば眼鏡猿なんかの親方みたいなものですから、こんなにうまく行ったのかも知れません。
 鸚鵡の方は一郎君が銃でうちとったのです。うちとったといっても、からだに弾丸たまをあてたわけではありません。前にも言った通り、この島の鸚鵡は、高い木の枝にとまったり、その辺を飛びまわったりしているのですが、ある日一郎君は、一つおどかしてやろうと思って、そのたくさんの鸚鵡のむらがっている近くへ、猟銃を一発ぶっぱなしたのです。すると、その弾丸が一羽の、鳥のはねにあたって、飛ぶ力を失って地上へ落ちて来ました。それを、犬のポパイといっしょにかけつけて、とりおさえ、生虜いけどりにしたというわけでした。
 三人と犬だけの家族で、さびしく思っていたところへ、可愛らしい生きものが二匹も加わったので、少年達はもう大よろこびでした。
「この鸚鵡は僕が教育するんだ。今に日本語がしゃべれるようにして見せるよ」
 一郎君が大はしゃぎでいいますと、保君もまけないでいい返しました。
「僕はこの猿に曲芸を教えるんだ。トンボ返りだとか、綱渡だとか」
 二匹の新しい家族は、それぞれ足を紐でくくって、洞窟の中へつないでおきましたが、日がたつにつれて、少しずつ少年達になれて来ました。二匹が最もおそれていたのは犬のポパイでしたが、ポパイの方では、二匹が自分よりズッと小さい動物なので、取るにたらぬ相手とでも思ったのか、別にいじめるようなことはなく、かえっていたわってやるようなそぶりさえ見せるのでした。
 犬と猿とは仲がわるいといいますけれど、相手がこんな小さな豆猿では、いがみ合うはりあいもなかったのでしょう。
 そんなぐあいで、二匹の新しい家族は、ポパイをも恐れぬようになり、しまいには、三人の少年と三匹の動物とが、仲よく一つのテーブルでごはんをたべるようにさえなりました。
 やまと島の一家族――といっても、それが島の全国民なのですが――その一家族の食事のありさまは実に奇妙な、ほほえましいものでした。
 何かの仕事でいそがしい時には、洞窟の中で手がるに食事をすませてしまいますが、くもった涼しい日などには、洞窟の外にテーブルや椅子を持出して、みんなでたのしい食卓につくのでした。
 そのテーブルや椅子は、その後沈没船から運んで来たものですが、大きなテーブルの上には、白布をかけ、その上に御馳走の入った鍋や、どんぶりや、お茶碗や、コップや、葡萄酒の瓶までならべられ、それをかこんで、三人の少年は椅子につき、ポパイも椅子の上にチョコンとすわって、まるで人間のように、食卓の一員となるのです。
 それから、眼鏡猿と鸚鵡とは、椅子にすわるのには小さすぎますから、テーブルの上にのって、お皿にわけてもらった御馳走をたべるのです。二匹とも逃げ出せないように、足をくくった紐のはしが、テーブルの下にむすびつけてあるわけです。
 そして、三人と三匹とは、パンの木の実や、椰子の実や、鹿の肉や、お魚や、鸚鵡のためには特別に木の実の御馳走などもそろっていて、それをみんながおいしそうにパクつくのです。そういうの時には、少年達は葡萄酒を少しずつ飲むことにしていましたが、三人はその葡萄酒のコップを、たがいにカチカチとうちあわせて、やまと島の国民の健康を祝い、今後のしあわせをいのるのでした。
「僕達はもう、ちっともさびしくないねえ。こんなに大ぜい、なかまが出来たんだもの」
「そうだね。けど、どっかの汽船が、この島のそばを通りかかって、あの日の丸の国旗を見つけて、助けに来てくれれば、なおいいんだがねえ」
「ハハハハハ……、慾ばってらあ。そんなうまいわけには行かないよ。一月の間毎日海を見ているんだけど、船の煙さえ見えないじゃないか。もう船のことなんか、あきらめた方がいいよ。僕達はこんなりっぱな島の持主になったんだもの、ちっとも悲しいことなんかないじゃないか」
「でも、なんだか変だねえ」
「何がさ?」
「あんまり平和すぎると思うんだよ。僕達は少ししあわせすぎやしないだろうか。無人島って、こんな平和なもんだろうか。そのうちに何か恐しいことが起るんじゃないかしら。僕はねえ、あの森の奥がこわいんだよ。あの中に何があるか、僕達にはまだちっともわかっていないんだからねえ」
 少年達はそんなことを語り合いました。何か恐しい事が起るんじゃないかと、心配そうに言ったのは哲雄君でしたが、ほんとうに、考えて見れば、三人は少ししあわせすぎるようです。この一月、いろいろ苦労もしましたけれど、これという恐しい出来事には、一度も出あっていないのです。あまり平和すぎて、気味がわるいほどです。
 間もなく、何かびっくりするような事が起るのではないでしょうか。あの奥底の知れぬ森の中から、えたいの知れぬ悪魔が、じっと三人の方を見守って、時の来るのを待っているのではありますまいか。
 やがて、この哲雄君の心配が、思いもよらぬ形であらわれて来る日が来ました。ほんとうにゾッとするような事が、三人の行手にまちかまえていたのです。
     ×     ×     ×
 ある日のこと、保君は一人で森の中を歩きまわっていました。お猿のしょうの保君は、誰よりも森がすきなのです。眼鏡猿やパンの木に味をしめて、また何か見つけたいものだと、道もない森の中を、奥へ奥へと歩いて行きました。
 はじめの内は、気味がわるくて、ほんの森の入口だけしか入らなかったのですが、このごろでは、もうなれてしまって、少年達はかなり奥深いところまで、平気で入りこむようになっていました。
 頭の上には高い木が枝をかわして、日の光もささないくらいですから、森の中は夕ぐれのようにうす暗いのです。足の下には落葉が一面につもって、まるでごみ箱の中でも歩いているような気持です。
 何かめずらしいものを見つけようと、夢中になって歩いているうちに、ふと気がつきますと、いつのまにか、一度も来たことのない森の奥へ入りこんでいました。
 これはいけない。道にふみまよっては大へんだから、早く帰ろうと、海岸と思う方角へ歩きはじめましたが、その時はもうおそかったのです。行けば行くほど森がふかくなって、どうしても見おぼえのある場所へ出られません。保君は深い森の中で、とうとう道に迷ってしまったのです。
 泣き出しそうになりながら、無我夢中で歩いていますと、ふと五六メートルむこうに、何かが動いているのに気づきました。
 ハッとして、思わず立止って、よく見ますと、大きな木に、別の木がからみついて、その木の幹が、風もないのに、静かに動いているではありませんか。
 木の葉や小さい枝が動くのなら、あたりまえですが、太い木の幹が、ユラユラと動くなんて、そんなばかなことがあるものでしょうか。
 なんだかおばけにでも出くわしたような気がして、保君はゾッとふるえ上ってしまいました。
 見てはいけない。早く逃げなければと、気はあせりながらも、こわいもの見たさで、ついその方へ目がひきつけられて行きます。
 保君はその動く木を、じっと見つめていました。そして、そのものの正体をたしかめたのです。保君の顔がたちまち真青まっさおになって、口が大きく開いて、その中から、今にも殺されるような、何ともいえぬ恐しいさけび声がほとばしり出ました。
 その動くものは、木の幹ではなくて、一匹の大蛇だったのです。夢にも見たことのない大きな蛇が、木の幹にからみついて、鎌首をもたげて、りんのように光る目で、ジーッとこっちをにらみつけていたのです。

地底の声


 こちらでは、晩のごはんの時間になっても、保君の姿が見えないものですから、一郎君と哲雄君は、犬のポパイや眼鏡猿や鸚鵡などといっしょに、先にごはんをすませましたが、それから、日がとっぷりと暮れて、あたりが真暗になり、空に美しい星が輝き出しても、保君は帰って来ませんでした。
「どうしたんだろうね、変だなあ」
「森の中に迷って、困っているんじゃないだろうか」
「そうだね、アア、いいことがある。鉄砲をうって、方角を知らせてやろうよ。そうすれば、もし道に迷っているとすれば、こちらがお家だっていう事がわかるわけだからね」
「ウン、それがいい。じゃ僕が銃をうつよ」
 そこで、一郎君が、猟銃を取出して、空に向かって、一発ドーンと発砲したのですが、それからしばらく待っても、保君は一こう帰って来る様子もないのです。
「じゃ、今度は焚火をしようよ。ドンドン火をもやせば、遠くからでも見えるわけだからね」
 哲雄君の考えで、すぐさま枯枝を集めて、焚火をはじめました。すると、モクモクと立ちのぼる煙に、真赤な焔がうつって、二十メートルも高い空が、赤々と輝いて見えるのですが、その焚火を一時間もつづけていても、やっぱり保君は帰って来ません。
「おかしいなあ、どうしたっていうんだろう。猛獣にでも出あって、ひどい目にあっているんじゃないかしら」
 二人は思わず目を見合わせて、黙りこんでしまいました。何ともいえぬ不安な気持です。大きなオランウータンにつかまってもがいている、保君のかわいそうな姿が、マザマザと目に見えるような気さえします。
 二人は何も知りませんでしたが、読者諸君はごぞんじです。前の章にちょっとしるしておいた通り、保君は恐しいものに出あっていたのです。オランウータンではないけれど、同じように恐しい大蛇に出あっていたのです。
 保君はあの時、うまく逃げ出すことが出来たのでしょうか、蛇というやつは、足もないくせに、非常に早く走るのです。いくら猿のようにすばやい保君でも、大蛇にはかなわなかったのではないでしょうか。そして、あの恐しい蛇にからだをまかれて、骨もなにもクタクタにしめつけられ、ついにはそのえじきとなってしまったのではないでしょうか。
 一郎君と哲雄君は、そこまでは考えおよびませんでしたが、何にしてもただ事ではないと思ったので、出来るだけ手をつくしてみようと、何度も空砲をはなったり、又二時間ほども焚火をつづけたりしましたが、いつまでたっても、保君は帰って来る様子もありませんので、あすの朝早くから、二人で森の中を捜索することに相談をきめ、その夜は、ひとまず洞窟の中の寝床に入りました。
 でも、心配で心配で、とても眠られるものではありません。一晩中まんじりともしないで、東の空がしらむのといっしょに、二人はもう洞窟を飛び出し、出発の用意をはじめました。
 まず大いそぎで食事をすませ、一郎君は猟銃を肩にかけ、弾丸たまも十分用意しました。哲雄君は銃がうてないので、武器としてはジャック・ナイフと、木の枝でつくったステッキを持ち、ポケットに麻縄の丸めたのと磁石を入れることを忘れませんでした。お供はいうまでもなく、猟犬のポパイです。ポパイは保君のにおいをよく覚えているでしょうから、こういう場合には、たいへん役に立つわけです。
 少年二人犬一匹の捜索隊は、やがて森の奥深く入って行きました。小川のへんまでは、いつも水をくみに来る道なので、わけなく進みましたが、そこから先は、まったく道もないしげみの中、どの方角へ行けばよいのか、まるで見当もつきません。
「保クーン!」
 二人は声をそろえて、何度も呼んで見ましたが、むろん答のあろうはずもありません。
 すると、ポパイが何を感じたのか、一方のしげみの中へグングンと進んで行きます。
「オヤ、ポパイの奴、保君の匂をかぎつけたのかも知れないぜ」
「ウン、そうだね、ついて行って見よう」
 二人は両方からおおいかぶさって来る木の枝をわけながら、犬のあとについて進みました。
 ポパイはところどころで立ちどまって、しきりと地面をかぎながら、だんだん森の奥へ入って行きます。
「何かいやしないだろうか。気味がわるいね」
 一郎君は銃を両手にかまえて、いざといえば、いつでもうてるようにしながら、哲雄君をふり返っていいました。
「大丈夫だよ。もし何かいたら、ポパイが吠えて知らせてくれるよ。あいつがだまっている間は大丈夫だよ」
 と、哲雄君は注意ぶかくあたりを見まわしながら答えました。
 いかにもそうです。何かがいれば、ポパイが真先まっさきに気づくはずでした。こうなると、一匹の犬が何よりのたよりです。
 森の奥といっても、しげみばかりではなく、ところどころには広っぱのような場所もあり、自然に道のようになったところもあって、思ったほど進みにくくはありません。犬のあとについて、夢中で歩いているうちに、もう小川の処から二キロほども奥に入ったように感じられました。
 すると、その時、ポパイがふと立ちどまって、二人の方をふり返りながら、妙なうなり声を立てはじめたではありませんか。
 ギョッとして、思わず立ちすくみましたが、四五メートル先の地面を見ますと、ポパイのうなったわけがわかりました。
「ア、足あとだ! 靴のあとだよ。保君の足あとにちがいない」
 一郎君が大きな声を立てました。そこのやわらかい地面に、一つの靴のあとがハッキリとしるされていたのです。
 二人がそれに気づいたと知ると、ポパイは安心したように、うなるのをやめて、又グングンと進んで行きます。
「保さんのいる処は、もうじきですよ」といわぬばかりです。
「呼んでみようか」
「ウン、呼んでみよう」
 そこで二人はまた、声を合わせて、何度も何度も保君の名を叫ぶのでした。
「ちょっと、静かにしてごらん。何だかきこえやしない?」
 一郎君の言葉に、二人は息を殺して、しばらくきき耳を立てました。
 すると、かすかにかすかに、どこかから人の声がきこえて来るではありませんか。
「ア、人の声だ。保君だよ。オーイ、どこにいるんだよウ!」
 それに答えて、又どこからともなく、かすかな声がきこえて来ます。
「へんだなあ、どこにいるんだろう」
「なんだか、地の底からきこえて来るような気がするね」
 そのかすかな声は、前からのようにもきこえ、後からのようにもきこえ、右のようでもあり、左のようでもあり、まったく見当がつきません。
 すると、その時、又しても、ポパイの声がきこえて来ました。今度はうなり声ではなくて、けたたましく吠えたてているのです。
「ア、あすこに何かあるんだよ。哲雄君、行って見よう」
 二人がそこへかけつけますと、ポパイは前足で、しきりと落葉をかきのけながら、鼻を地面につけるようにして、吠え立てています。よく見れば、そこにつもっている落葉には、ところどころすき間があって、その下に穴があいている様子です。
 一郎君は、いそいで、靴でその落葉をかきのけましたが、すると、そこには大きな穴があって、穴の上に、枯枝を縦横にくみあわせ、その上に落葉がしきならべてあることがわかりました。おとし穴です。
「オーイ、僕だよ。そんなにしちゃ、土が落ちてしかたがないよ。しずかにしておくれよ」
 穴の底の方から、あわれっぽい声がきこえて来ました。保君です。保君はこの不思議なおとし穴の底に落ちこんでいたのです。
 一郎君と哲雄君は、その声におどろいて、穴の中をのぞきこみましたが、底までは三メートルあまりもある、深い大きな穴で、そのまっくらな底の方に、保君がグッタリとなってうずくまっているのが、ボンヤリ見えています。
「ア、やっぱり保君だ。オーイ、今助けてやるよ。どうしてこんなところへ落ちたんだい。馬鹿だなあ君は」
 哲雄君はポケットに用意していた麻縄を出して、それを穴の中へたらしてやりました。
「この縄につかまるんだよ。僕たち二人で引っぱってやるからね」
 そして、やっとのことで、保君は穴の外へはいだすことが出来たのですが、穴の中には雨水がたまっていたと見えて、ズボンやシャツはもちろん、手も足も、顔までも、どろまみれです。
「どうしてこんなところへ来たのさ。僕たちゆうべから、どんなに心配したかしれやしないぜ」
 一郎君にたしなめられて、保君は泣き出しそうな顔をしています。かわいそうに昨日の昼から何もたべないで、一晩中穴の底でたすけを呼んでいたのですから、もうグッタリつかれてしまって、あの元気なチャメのター公のおもかげは、どこにもありません。
 二人にせめ問われるままに、保君は昨日森の中で大蛇に出あったこと、夢中になって逃げているうちに、この穴の中へ落ちこんだこと、そして一晩中、大声に叫んでいたことなどを物語りました。
 二人は大蛇と聞いてギョッとしましたが、でも、保君がその大蛇に危害を加えられなかったのは、何よりでした。それを思えば、おとし穴へ落ちたのなぞ、なんでもありません。
「森の中を一人でなんか歩きまわるからだよ。これから気をつけておくれよ。もし君が死ぬようなことがあれば、僕たちどうすればいいんだい。たった三人の家族なんだからね。ほんとうに気をつけておくれよ」
 一郎君は三人の内で体も大きく、いわば兄さんのような立場でしたから、兄が弟をしかるように、しんみりといいきかせるのでした。
 保君は大失策をやったわけです。でも、あとになって考えて見ますと、この失策はただ失策として終ったのではなく、保君の向こう見ずな行為が、はからずも、一つの驚くべき事実を発見するいとぐちとなったのでした。

洞窟の怪人


「だが、変だなあ。このおとし穴は、いったい誰がつくったのだろう」
 考え深い哲雄君が、ふとそれを気づいて、妙な顔をしていいました。
 そういえば、いかにも不思議なことです。このおとし穴は、枯枝をならべて、その上に落葉をつみ重ね、そこに穴があることを気づかれぬようにしてあったのですから、むろん人間がつくったものにちがいありません。オランウータンがいくらかしこいといっても、おとし穴をつくるほどの智恵はありません。といって天然自然に、こんなおとし穴が出来るというのも考えられないことです。
「保君、君じゃないのかい。君は自分でつくったおとし穴へ落ちたんじゃないの」
「ウウン、僕じゃないよ。僕一人で、こんな深い穴なんか掘れやしないよ」
「じゃ誰だろう。哲雄君も知らないんだね。おかしいなあ」
 一郎君は腕ぐみをして、おびえたような目で、二人の顔を見くらべました。
「この島には、僕たちのほかに、人間がいるのかも知れないぜ。その人間が動物をいけどりにするために、つくっておいたおとし穴にちがいないよ」
 哲雄君がささやくような声でいいました。
「だって変だなあ、人間がいれば、海岸の方へも出て来るはずだし、それに火を焚くこともあるだろうから、その煙が見えないわけはないよ」
「そりゃ、そうだけれど……」
 哲雄君はいいさして、ふとだまりこんでしまいました。目を大きく開いてじっと一つところを見つめているのです。三メートルほどむこうに立っている、大きな木の幹を、穴のあくほど見つめているのです。
「オヤ、どうしたの? 何をそんなに見ているの?」
「あれをごらん。あの木の幹に何だか妙なものが……」
 哲雄君は、まるで化けものにでも出あったような、おびえた顔をして、その幹を指さしているのです。
「アア、変だねえ。矢の印がほりつけてあるじゃないか」
 一郎君もそれに気づいて、ツカツカと木の幹のそばへ近づきました。
 二かかえもあるような太い幹の、少年たちの頭ぐらいの高さのところに、十センチほどの横向きの矢の印がほりつけてあるのです。たしかに鋭いナイフでほりつけたものです。
「やっぱり人間がいるんだぜ。動物にこんなこと出来るはずはないからね」
「野蛮人だろうか」
「そうかも知れないよ」
 三人はゾッとしたように顔を見合わせました。
 おとし穴といい、矢の印といい、もううたがうところはありません、この島には人間がいるのです。無人島とばかり思いこんでいたこの島に、人間が住んでいたのです。
 ポパイも何かの匂を感じたのか、不安らしく、その辺をかぎまわっています。哲雄君は、ポパイの様子をじっと見ていましたが、やがて、何を見たのか、ハッとしたように、いきなりポパイの歩きまわっているそばへ走って行きました。そして、腰をかがめて、そこの地面をじっと見つめながら、
「ちょっと、ここへ来てごらん。又靴のあとだよ。でも、今度は保君のじゃない。大人の靴だよ。びょうの打ってない上等の靴だよ」
 二人もそこへかけつけて、それを見ました。たしかに大人の靴のあとです。少年たちの靴の二倍もあるような、大きな足あとです。
「野蛮人はこんな靴はかないね」
「ウン、野蛮人じゃないよ。文明国の人だよ。すると、おとし穴は、この靴をはいている人がつくったのかも知れないね。それから、矢の印も……」
 するとその時、保君が又一つ発見をして、とんきょうな声を立てました。
「あれ、あの木にも矢の印が……」
 さっきの大木から十メートルほどはなれた、大きな木の幹に、同じ矢の印がほりつけてあったのです。
 いよいよただ事ではありません。一つ発見するごとに、誰かしら奇妙な人間が、この島に住んでいることが、いよいよはっきりして来るのです。
 三人はそこで又顔見合わせて、しばらくだまりこんでいました。これらの発見を、どう判断していいか、ちょっと見当がつかなかったからです。
 その人間は少年たちにとって、恐しい敵なのでしょうか、それとも、たよりになる味方なのでしょうか。
「この人が、もし文明人だとしたら、なにもこわがることはないわけだね」
「ウン、そうだよ。探し出して、僕たちの仲間になってもらえばいいんだよ。大人だから、僕たちの知らないいろいろな事を知ってるだろうからね」
「じゃ、早く、その人を探し出そうじゃないか」
 三人は、何かしら一つののぞみが出来たような感じがして、にわかに元気になるのでした。
「この矢の印はきっと道しるべだよ。矢の方角へ進んで行けば、その人のいる所へ出られるのかも知れないよ」
 哲雄君がいいますと、一郎君はいさみ立って、
「じゃ、第三の矢の印を、早く探そうじゃないか」
 と、グングン森の奥へ進んで行きましたが、たちまち、第三の矢印を見つけました。それも前の二本におとらぬ太い木の幹にほりつけてあったのです。
「ア、あった、あった。この方角に進めばいいんだよ。サアみんな、こちらへ来たまえ」
 そして、三人は次々と木の幹の矢印を見つけて、奥へ奥へと進んで行きました。ポパイも、御主人たちの元気な様子を見て、うれしそうにそのへんを走りまわるのでした。
「ねえ君、それはいいけれど、僕おなかがペコペコなんだよ。何かたべるものないかしら」
 意外な発見に、保君もだいぶ元気になっていましたが、ひもじさだけは忘れるわけに行きません。
「それなら、パンの木を探せばいいや。きっとこのへんにもあるよ」
 三人はひとまず矢印を追うことをやめて、手わけをして、パンの木を探しまわりましたが、やがて哲雄君が一本のパンの木を見つけ、三人でその実をもいで、立木のとだえた広っぱのような場所に出ました。
 哲雄君は用心深く例のレンズをシャツのポケットに入れて持っていましたので、それを太陽の光線にあてて火をつくり、パンの実を蒸しやきにして、三人でお弁当をつかいました。ポパイもおすそわけにありついたことはいうまでもありません。
 さいわい、例の小川がまがりまがって、その近くを流れていましたので、水もたらふく飲み、弱っていた保君もすっかり元気を取りもどしました。
「君たち僕にお礼をおいいよ。僕が穴へおっこちたおかげで、矢の印が見つかったんじゃないか。一郎君なんか、こわい顔をして僕をしかったけれど、本当はお礼をいわなくちゃいけないんだぜ。ワーイだ。エヘン、やっぱりター公はいいとこがあるなあ」
 などと、日頃のチャメが出るほどですから、もう大丈夫です。それから三人は、矢印から矢印へとつたって一時間ほども歩きました。道はだんだんのぼり坂になって、ところどころかなりけわしい箇所もありましたが、身軽な少年たちは、物ともせず、グングンのぼって行くうちに、いつの間にか、山の頂上近くに達していました。
 矢の印がついている程ですから、そこは人が通ったことのある道で、邪魔な木の枝などの切りはらわれたあともあり、思ったほどの苦労もなく、進むことが出来たのです。
「アレ、あんなところに海があるよ」
 保君がとんきょうな声を立てて、指さすのを見ますと、なるほど立木のすき間から、青々とした海が見えています。
「変だなあ。こんな山の上に海があるなんて」
 三人は立ちどまって、不思議そうに、その青い水をながめました。
「ア、わかった。きっと山の上の湖だよ。日光の中禅寺湖ちゅうぜんじこへ行った時にも、ちょうどこんな風だったよ。僕は山の上に海があるのかと思って、びっくりしたんだよ」
 哲雄君がいちはやく、それと気づいていいました。
 いかにもそれは大きな山上湖でした。進むにつれて、だんだん見はらしがきくようになり、やがて湖の全景が目の前にひろがりましたが、それは実に何ともいえぬ不思議な景色でした。
 直径二キロほどもあろうかと思われる、広い広い湖、その水は青々として海とそっくりの色をしています。しかも、アッと驚いたことには、湖の向こう岸には、恐しく高い岩山が、城郭のようにそびえているのです。とほうもなく大きなけだものの牙をならべでもしたように、切りそいだような岩山が、鋸型にズーッとつらなって、この世のはてとでもいうように、立ちふさがっているのです。
「ワー、すてき。すばらしい景色だねえ」
 少年たちは思わず立ちどまって、その恐しいような、雄大な景色に見とれるのでした。
「アレ、変なものがあるぜ。なんだろう」
 一郎君が指さすのを見ますと、湖のこちら岸の、でこぼこの岩の間に、妙な十字架のようなものが立っているのです。
 その辺の立木を切ったのでしょう、丸太ん棒のまま十文字に縛りつけ、岩の間のやわらかい地面に立ててあるのです。その高さはちょうど一郎君の背の高さと同じほどでした。
 むろんそんな十字架が、ひとりでに出来るはずはありません。やっぱりあの矢印をほりつけた、不思議の人物がたてたものにちがいありません。
 三人はそのそばへよって、つくづくながめましたが、よく見ると、十字架の横の棒に、何か文字のようなものがほりつけてあります。日本語ではありません。横文字です。少年たちはまだ外国語を習っていませんので、どこの国の字だかよくわかりませんでしたが、たしかに外国語にちがいないのです。
「ア、もしかしたら、これ西洋人のお墓じゃないかしら、いつか写真帖で、こんな形の墓場を見たことがあるんだよ」
 何事によらず、まず最初判断を下すのは哲雄君でした。そして、その判断がたいていは当るのです。そういう事にかけては、三人の内、哲雄君にかなうものはありませんでした。
 しかし、墓場としても、いったい誰の墓場なのでしょう。
 おとし穴から矢印、その矢印をつたって来ると、今度は奇妙な十字架です。少年たちは意外なものばかり見せつけられて、むつかしい謎でもかけられたように、何が何だかさっぱりわけがわからなくなってしまいました。
 ところが、意外はそればかりではなかったのです。
「オヤ、あんなところに、ほら穴があるぜ」
 今度は保君がそれを見つけて叫びました。
 やはり湖のこちらの岸に、ちょっとした岩山があって、その岩山のすそに一メートル四方ほどの、いびつな穴が黒く見えているのです。
「行って見ようか」
「ウン、行って見よう」
 三人は何だか気味悪く思いましたけれど、こわいもの見たさで、その穴のそばへ行ってみないではいられませんでした。
 そこで、でこぼこの岩の上を、飛ぶようにして、その穴のそばに近づき、ソッと中をのぞいて見ましたが、のぞくやいなや、三人はギョッとして、身動きも出来なくなってしまいました。
 その暗い穴の奥には、何かしらえたいの知れぬ生きものが、うごめいていたのです。
 暗くてよくは見えませんが、そのものは四つんばいになって、じっとこちらを見つめているように思われました。這ってはいても、普通のけだものとはちがいます。何だか人間のように思われるのです。
 でも、人間とすれば、何という奇妙な人間でしょう。頭と顔はモジャモジャの毛でおおいかくされていて、二つの目だけがギロギロと光っています。手や足はよく見えませんが、体には、白いボロぎれのようなものをまとっているらしい様子です。
 やがて、その生きものが、何ともいえぬいやらしいうなり声を発しました。
 長く長く引っぱった異様にひくいうなり声。少年たちはそれを聞きますと、背中に水でもあびせられたように、心の底からゾーッとふるい上ってしまいました。

黄金の国


 三人は洞窟の入口から五六歩あとにさがり、猟銃を持っている一郎君は、その銃を両手にかまえて、怪物にねらいをさだめました。犬のポパイも、しっぽをあと脚の間にはさんであとじさりしながら、けたたましく吠え立てます。
 怪物はますます高い声を立てて、洞窟の奥から入口の方へ這い出して来ました。そのものは、頭も顔も一面に赤ちゃけた毛がモジャモジャと生えていて、口も鼻もわからないほどですが、ただ二つの目ばかりは、きちがいのように不気味に光っています。不思議なことにはその大きな目は、青い色をしているのです。
 少年達は一瞬間、あのオラン・ウータンという大猿に出くわしたのだと思いました。一郎君はあまりの恐しさに、無我夢中で、銃の引金に指をかけました。
 でも、今にも発砲しようとして、ふと気がつきますと、怪物はボロボロに破れたシャツのようなものを身にまとっていることがわかりました。猛獣オラン・ウータンがシャツを着ているなんて、なんだか妙ではありませんか。
 そうして、ためらっている時、そばにいた哲雄君が、又別の事に気づいて、一郎君の腕をつかみながら、あわただしく叫びました。
「一郎君、うっちゃいけない。あれは人間だよ。ホラ、何か言っている、けもののうなり声とはちがうよ」
 三人は思わず耳をすましました。ポパイの声がやかましくて、よくは聞きとれませんが、怪物はたしかに何か物を言っています。しかし、その意味はまるでわかりません。日本語ではないのです。
 哲雄君はすばやく頭をはたらかせて、そのわけのわからない言葉と、さいぜんの十字架に彫りつけてあった外国語とをむすびつけて考えました。
「ア、わかった。あれは西洋人だよ。青い目をしているから、野蛮人じゃなくて、ヨーロッパかアメリカの文明人だよ」
 少年達はそれとわかると、いくらか安心して、オズオズと怪物に近づいて行きました。ポパイも主人達の様子を見て、吠え立てるのをやめました。
 怪物の方でも、少年達の気持がわかったのでしょう。モジャモジャのひげの中から、白い歯を見せて、笑いながら、しきりと何か言っています。
 洞窟の入口に近づいて、よく見ますと、それは背の高い、ひどくやせた西洋人で、破れたワイシャツに、泥まみれのズボンをはいていることがわかりました。顔も見わけられぬほど、濃いひげにおおわれているので、大猿かなんかのように見えたのです。きっと永い間剃刀かみそりをあてたことがないのでしょう。
 でも、この西洋人はどうして四つん這いになっているのでしょう。少年達が近づいて行っても、立上ろうともせず、洞窟の入口に這ったままこちらを見上げています。
 やがて、西洋人はひどい病気にかかっていることがわかって来ました。這っているのさえもたいぎらしく、間もなく、そこの地面に犬のように寝そべってしまったのですが、そのやせた肩が、息をするたびに、はげしく上下に動いています。
 洞窟の奥を見ますと、一方の隅に草や木の葉をつみかさねてベッドのようなものが出来ています。病気の西洋人は、きっと今までそこで寝ていたのにちがいありません。
 哲雄君はソッと西洋人の額の辺に手をあててみましたが、まるで火でも燃えているようにあついのです。
「この人熱病にかかっているんだよ。早くあの草の上へ寝させて上げよう」
 三少年は力をあわせて、西洋人を抱きかかえるようにして、洞窟の奥へつれて行き、草と木の葉のベッドの上に寝させました。
 西洋人はやわらかい草の上に、グッタリと横になって、苦しい中から無理に笑顔をつくりながら、何かしきりとお礼をいうのでした。
 少年達は、こうして、思いもよらぬ場所で、思いもよらぬ西洋人に出あい、お互に親愛の情を示し合ったのですが、困ったことには、言葉がまるで通じないものですから、事情を聞きただすことが出来ません。
 でも、お互に手真似をしながら、永い間かかって、やっと国籍だけは知り合うことが出来ました。西洋人が「イングリッシュ」という言葉を何度もくりかえすのを聞いて、哲雄君はイギリス人にちがいないと判断したのです。英語はまだ習っていませんでしたが、イギリス人のことを英語で「イングリッシュマン」というのだと、何かの本で読んだことを思い出したのです。
 そこで、こちらも、「ジャパニーズ、ジャパニーズ」とくり返して、日本人であることを相手に知らせました。
 無人島とばかり思いこんでいたこの島に、人間がいたのです。たとえ言葉の通じない病人にもせよ、少年達がなつかしく思ったのはいうまでもありません。水をくんで来てのませてやったり、木の葉や枯草を拾いあつめて来て、ベッドの寝心地をよくしてやったり、見知らぬ外国人を、まめまめしく介抱するのでした。
 それにしても、このイギリス人は、どうしてこんな所に、一人ぼっちで病気をしていたのでしょう。いったい何のために、どこからこんな山の上へやって来たのでしょう。
 少年達はいろいろ手真似をしてそれをたずね、イギリス人も、やはり手真似で答えようとするのですが、どうしてもその意味がわかりません。
 しばらくすると、イギリス人は、ふと思いついたように、草のベッドの下に入れてあった、一冊の大きな手帳を取出して、鉛筆で、それに絵を描きはじめました。絵で話をしようというのです。少年達はその意味をさとって、一心にその手帳をのぞきこみました。
 イギリス人はベッドにあおむけに寝たまま、手帳を開いて、胸の上に立てるように持って、熱病にふるえる手で、まずい絵をいくつもかきつづけるのです。
 岩の多い海岸に沈没している帆船の絵、その乗組員達の乗ったボートが、嵐のために沈んでいる絵、二人の西洋人らしい男が、荒波の中を泳いでいる絵、その二人の西洋人が、椰子の木の立ち並んでいる下で、何かたべている絵、一人の西洋人が、グッタリと死んだようになったもう一人の西洋人を抱いて、大きな涙の玉をポロポロこぼしている絵、一人の西洋人が土を掘って、木の十字架を立てている絵。
 そういう絵を次々とかいて、その間にはいろいろ手真似をして見せるので、少年達にもだいたいの意味がわかりました。
 つまり、二人の西洋人が、沈没船から、この島の砂浜に泳ぎついて助かったのです。たくさんの乗組員が皆おぼれ死んだ中で、二人だけが命びろいをしたのです。
 沈没船というのは、少年達が道具や食料を運び出した、あの断崖の下の沈没船にちがいありません。
 二人の西洋人は、この島に泳ぎついて、それから永い間、二人だけの淋しい暮しをつづけたのでしょう。そして、どれほどの日数ひかずがたったかわかりませんが、二人のうちの一人が、病気かなんかで、死んでしまったのにちがいありません。そこで、たった一人生残ったこのイギリス人は、涙をポロポロこぼしながら、その友達の死骸を湖の岸に埋めて、その上に十字架をたてたのです。そして、今では、生残ったイギリス人も、重い病気にかかって、一人淋しく洞窟の中に横たわっていたというわけなのです。
 少年達は、あの沈没船に残っていた衣類などから、支那人の船とばかり思っていましたが、それではイギリス人の船だったのかと、手帳を借りていろいろの絵をかいたり、手真似をしたりして、たずねてみますと、やはり船には支那人ばかりが乗組んでいて、その中に二人だけイギリス人がまじっていたのだということがわかりました。
 事情がはっきりしますと、少年達はいよいよこのイギリス人に同情しないではいられませんでした。
「この人を一人ぼっちにしておくわけには行かないから、いっそ僕達の方で、ここへ引越しをすることにしようじゃないか」
 一郎君がその考えを話しますと、ほかの二人もたちまち賛成しました。イギリス人の洞窟は、海岸の少年達の洞窟と同じ位の広さですから、ここを新しいお家にしても、すこしも不便ではありません。それに、大きな湖水を目の前にひかえていて、飲み水もそこからくむことが出来ますし、見はらしもよく、海岸の洞窟よりは、ずっと居心地がよいように思われます。
 相談が一決して、病人のみとりは哲雄君が一人で引受け、ほかの二人は、ポパイをつれて大いそぎで山をくだって、海岸の洞窟から入用いりようの品々を運ぶことになりました。
 むろん一度には運びきれませんから、翌日も山をのぼったりおりたりして、何度にも運んだわけです。例の眼鏡猿と鸚鵡も、新しいお家へつれて来られたことは申すまでもありません。
 それから五日ばかりの間、三人はこのひげむじゃのイギリス人と同じ洞窟に、家族のようにして暮しました。今では日本とイギリスとは仲のよい国とは言えませんけれど、たとえ敵性を持つ国の人でも、国民の一人一人をにくむことはないのですし、ことにこういうあわれな境遇にいる人を、介抱しないで捨てておくわけには行きません。三少年は心から、この気の毒なイギリス人を看護してやりました。
 イギリス人も、少年達の親切に深く感じたらしく、少年達にもわかる「サンキュー、サンキュー」(ありがとうという英語)を、折さえあればくりかえして、ポロポロと涙さえこぼしているのでした。
 その五日の間には、お互にだんだん手真似もわかるようになり、手帳に絵をかいて話をするやり方も上手になって、少年達もこれまでの恐しい身の上話をして聞かせますし、イギリス人の方でも、いろいろと詳しい物語をするのでした。
 そうして、わかったところによりますと、イギリス人は二十年も海の上ばかりで暮して来た船乗で、世界中を航海してまわり、いろいろ面白い話やおそろしい話を知っているということでした。年は四十五歳で、ヘンリーという名前、十字架の下にねむっている友達は四十二歳で、アントニーという名前だったということもわかりました。
 ヘンリーとアントニーとは、五六年も前から、一度この島へ来たい来たいと思っていたのですが、よい折がなく、今度やっと支那人の船にたのんで、普通の船は近よりもしないこの島へ上陸させてもらうことになったのです。
 ところが、島の近くまで来た時、大嵐にあって、船は沈没する、乗組員は皆おぼれてしまうというさわぎが起り、ヘンリーとアントニーの二人だけが、九死一生の思いで、島の海岸に泳ぎついたというのです。
 では、二人のイギリス人は、どうしてそんなにこの島へ来たがっていたのかといいますと、それには深いわけがあったのです。二人はこの島の中にかくされている莫大な宝物を探すためにやって来たというのです。
 ヘンリーは例の手帳に、この島の見取図らしいものをかいて、少年達に示しました。ここが少年達の上陸した海岸、ここが少年達ののぼって来た山、ここがヘンリーの洞窟、ここが湖と、いちいち手真似で教えて、その湖の向側に、四方を大きな高い山でとりかこまれた、丸い平地の形をかいて、その丸の中にたくさんの人間の姿をかきあらわしました。
「オヤ、それじゃ、この島は無人島ではなくて、山のむこうに土人が住んでいるのかしら」
 と、びっくりして、手帳を見つめていますと、ヘンリーは、その人間の姿から、スーッスーッと四方に線を引いて、仏像の後光のようなものを書き加え、「ゴールド、ゴールド」と、さも一大事のようにくり返していうのです。
 少年達は「ゴールド」というのは「金」という意味の英語であることを知っていました。
 すると、この島の山と山とにはさまれた、お盆のような平地に住んでいる土人は、金のように光っているのかしらと考えましたが、しかし、そんな金色きんいろの人間なんて、あるはずがありませんから、きっと土人の身につけている衣類が金色なのだろうと察しました。
 哲雄君が、自分のシャツをひっぱって見せて、「ゴールド?」とたずねますと、ヘンリーは、何度もうなずいて、そうだと答え、又手帳に一人の大きな人間をかきましたが、その人間は、妙なよろいのようなものを着て、丸いかぶとのようなものをかぶっているのです。そして、ヘンリーは、その鎧と兜が黄金で出来ているのだということを、はっきり示しました。
「変だなあ。この小父さん、熱にうかされて、夢でも見たんじゃないかしら。こんな島に、金の鎧を着た土人が住んでいるなんて、まるで童話みたいじゃないか」
 一郎君がそういいますと、ほかの二人の少年も、ばかばかしいというように、笑い出しました。ところが、それを見たヘンリーは、いきなり大きな目をむいて、少年達をしかるようににらみつけました。そして、真剣な顔をして、けっしてうそではないという身振りをして見せるのです。

魔の湖


 ヘンリーは、それからしばらくの間、話しつかれたのか、グッタリとなって、目をつむり、苦しそうに肩で息をしていましたが、やがて又目を見ひらくと、手帳を開いて一つの絵をかきました。
 それは頭もひげも真白な、イギリス人らしい一人の老人の姿で、手に一枚の地図をひろげて、前にひざまずいているもう一人の人物に、何か教えているところです。地図にはこの「やまと島」の形が記され、教えられている人物は、ヘンリーによく似た姿をしています。
 それから、ヘンリーは、いろいろの手真似をして、自分はその絵の老人に、この島のことを教えられたのだということ、そして、その老人はやはりイギリスの水夫で、今から二十年も前に、この島に漂流して、あの鋸のような山の向側にたどりつき、不思議な黄金の国を発見したのだという事を、少年達にわからせました。そして、そこには、鎧や兜ばかりでなく、大きな石の建物の中に、沢山の金のかたまりが、しまいこんであるということを、又別の絵をかいて示しました。
 そうして、話を聞いているうちに、少年達にも、それがまんざらうそではないらしく感じられて来るのです。ヘンリーの恐しいほど真剣な顔、驚くほど熱心な身ぶり手真似を見ていますと、けっして夢の話や童話ではなくて、なんだかほんとうのことのように思われて来るのです。
 湖水のむこう岸にそびえる、高い高い岩山、まるでこの世のはてかとも見えるあの鋸山のうしろに、ひょっとしたら、そんな不思議な世界が隠されているのではないか、金色こんじきに光りかがやく宝の国があるのではないかと思うと、少年達は、楽しいような怖いような、なんともいえない気持になって、ゾーッと背筋が寒くなるのでした。
 ヘンリーは、少年達がまだ疑っているらしい様子を見て、何を思ったのか、左手のシャツの袖をグッとめくり上げ、そこにはめていた金色の腕環うでわをぬきとって、哲雄君に手渡し、「これが何よりの証拠だ」というような身ぶりをして見せました。そして、又手帳をひらいて、さっきの白髪の老人が、その腕環をヘンリーに手渡している図をかくのでした。
 つまり、その腕環は、老人が黄金の国から持ち帰ったお土産の一つで、それをヘンリーが老人からもらったのだという意味です。
 それは、全体が蛇の姿に彫刻してある、何ともいえぬ妙な感じの腕環でした。まるで子供がいたずらでもしたような、あらけずりの下手な彫刻ですが、それでいて、グッと鎌首をもたげた蛇の頭が、いきいきとして、今にも動き出しそうに見えるのです。
 少年達は、それを次から次と手に持って、しらべてみましたが、キラキラ光る美しい色といい、重さといい、いかにもほんとうの金製品らしく思われるのです。
 哲雄君は、ふと思いついて、その腕環をかるく指にかけ、小石を拾って、たたいてみましたが、すると、リーンというような、なんともいえぬ美しい音色がします。ほんとうの金でなくては、そんな音がするはずはないのです。
 ヘンリーは、哲雄君のかしこいやり方を見て、ニッコリ笑いました。そして、「その腕環は君達にあげるのだよ」という手真似をして見せるのでした。きっと少年達から受けた親切な介抱のお礼のつもりなのでしょう。
 そして、その夕方、このかわいそうなイギリス人は、言うだけのことを言って安心したのか、せまって来る夕闇の中で、ともしびの消えるように息をひきとってしまいました。奇妙な黄金の腕環が、少年達へのかたみとなったわけです。
 たった五六日の間のお友達ではありましたが、少年達は、気の毒な外国人の小父さんの死を、心からいたまないではいられませんでした。
 その晩は、お通夜つやのつもりで、ヘンリーの死体の上にシーツの白布をかけ、森の中から探して来た草花を、その枕もとに供えて、少年達は、例の椰子の油のともしびをかこみ、何かとなき人のことを語り合うのでした。
 翌日は朝早くから、森に出かけて、手ごろの木を切り、ヘンリーがその友達のためにこしらえてやったのと同じ十字架を、少年達の手で造って、ヘンリーの死体をうずめた土の上に立てました。淋しい山上湖の岸べに、二つの十字架が立ちならんだのです。そして、ヘンリーとアントニーとは、その下で、仲よく眠っているのです。
 そうしてヘンリーのお葬式をすませてしまいますと、三人の少年は、岩山の裾の日陰に車座になって、目の前の気味悪いほど静かな青々とした湖水を眺めながら、これからのことを相談するのでした。
「ヘンリーは、僕たちに黄金の国へ行けとは言わなかったけれど、きっと自分の代りに僕たちが探検すればいいと思っていたのだろうね」
 三人の中では一番勇気のある一郎君が、探検旅行に出かけてみたくてしかたがないという顔で、口を切りました。
「そりゃそうかも知れないけれど、ヘンリーでさえ、黄金の国へ行く道をハッキリしらない様子だったから、子供の僕たちが、うまくそこまで行けるかしら。それにヘンリーの話では、そこへ行く道にはずいぶん危険なところがあるっていうのだから」
 哲雄君は、考えぶかいだけに、ちょっと聞くと臆病とも取れるような口のきき方をします。
「でも、いくら待っていたって、僕たちを助けてくれる船なんて、来っこないよ。どうせこの島にいるくらいなら、もっと奥の方へ行ってみたいなあ。あの高い山のむこうに、そんな美しい国があるのかと思うと、僕はなんだかゾクゾクして、我慢が出来ないような気がするんだよ」
 保君はあくまで無邪気です。
「そうだよ、保君のいう通りだよ。僕たちは、わるくすれば、一生涯この島にとじこめられているのかも知れないんだ。どうせ島から出られないとすれば、同じところにグズグズしているより、出来るだけ島の中を探検して見る方がいいと思うよ。それに、もし危険だと思えばそこから引返せばいいんだからね」
 一郎君は言葉をつくして、哲雄君を説きふせようとします。それから、しばらくの間、三人の間に議論がたたかわされましたが、おしまいには、さすがに用心深い哲雄君も、とうとう二人の考えに賛成することになりました。
「それじゃ、行けるところまで行ってみようよ。ほんとうに、同じ場所にじっとしていたって仕方がないんだからね」
 それを聞いて、おどり上ったのは保君です。
「バンザーイ! いよいよ探検隊の出発だ。サア、早く用意をして、出かけようよ」
「マアお待ちよ。僕たちはいったいどの方角へ進んだらいいのか、まずそれをめなけりゃあ。湖水の岸はすっかり岩山でかこまれているんだから、なるべく通りやすい所をさがして、ちゃんと見込みを立ててから出発するんだよ」
 一郎君が、はやる保君をおさえるように言いました。
「それには僕に一つ考えがあるよ。いかだを造るんだよ。そして、それに乗って湖水を渡るんだ。そうすれば、けわしい山をよじのぼるより、どんなに楽かしれないし、荷物だって、ウンとのせて行けるんだからね。筏をつくる時間を加えたって、かえってその方が早く向岸へ着けるかも知れないぜ。僕たちの目ざす黄金の国は、ちょうどこの向岸の方角なんだから……」
 例によって考え深い哲雄君が、名案を持出しました。
「アア、そうだね。そうすれば、食料も沢山つめるし、猿や鸚鵡も一緒につれて行けるからね。じゃあ筏をつくることにきめよう」
 一郎君が感心したように言いますと、保君も「すてき、すてき」と賛成するのでした。
 そこで、その日の午後から、三少年の手で、筏の製作がはじまりました。立木を倒すには、その後沈没船から探し出して来たまさかりのこぎりがありますので、その鉞を一番力の強い一郎君が立木の根元にうちつけ、保君が鋸を使い、きり倒した木を湖水に浮かべて、それを三人がかりで結び合わせるというわけです。結ぶのに、だいじな麻縄を使ってしまうのはもったいないので、森の中の木蔦きづたのるいを切り取って縄の代りにし、かんじんの部分だけほんものの麻縄を使うことにしました。
 そして、その翌日の夕方には、湖水の岸に、大きな筏が、子供の手際とは思えないほど立派に出来上って、浮かんでいました。保君はそれを見て、筏の進水式だといって、大はしゃぎです。
 その晩は洞窟の中で眠って、夜のあけるのをまちかねて、筏の上に道具るいのつみこみがはじめられました。二挺の猟銃と弾丸たまはもとより、食料品、鍋や食器のるい、釣道具、麻縄、シーツその他の布るい、椰子油を入れた瓶とともしびの道具など、三人の家財道具の大部分がつみこまれ、少年達の外にポパイも眼鏡猿も鸚鵡も、家族のこらずが乗りくみました。
 筏の両側には、哲雄君の考案になる妙なかいが一本ずつついています。筏の材木のはじに麻縄の環を作って、そこにボートのオールのようにけずった木の棒が通してあります。少年達はかわるがわる筏のはじに立って、それをこぐというわけです。
 天気は申分ありません。湖水は鏡のように静かです。それに、山上湖のことですから、海岸よりはずっと温度もひくく、真昼になっても、太陽の熱にたえられぬというほどではありません。
 そして、筏はいよいよ岸をはなれました。三少年の一家族は、かくして黄金の国探検のについたのです。
 筏は気持よくスーッスーッと進んで行きます。しばらく行くと、保君が大きな声で叫びました。
「一郎君、あれごらん、白い鳥がいるよ。今晩のごちそうに、君の銃で打っておくれよ」
 湖水の上に、白い水鳥が泳いでいるのです。
「ウン。じゃあ漕ぐのをおよし。僕があいつを打ちとめて見せるから」
 一郎君は元気よく答えて、銃を持って、筏のまん中に立上り、水鳥にねらいをさだめました。そして、名射手一郎君は、ただ一発のもとにえものを打ちとったのです。
 大急ぎで筏をその場に近づけますと、猟犬のポパイはたまりかねたように、一声高く吠えたかと思うと、いきなりザブンと水中に飛びこみ、みごとに泳いで、えものをくわえて帰って来るのでした。
 ああ何という楽しい船旅でしょう。もし少年達の探検旅行が、おしまいまで、こうして楽しくつづいたら、こんな仕合せなことはありません。
 しかし、そうは行かなかったのです。三人の行手には実に恐しい危険がまちかまえていたのです。少年達の一生を通じて、最大の危難がまちかまえていたのです。
 それは、湖水にすむ鰐だったでしょうか。空から襲いかかる猛鳥だったでしょうか。それとも人喰人種に出くわしたとでもいうのでしょうか。イヤイヤ、そういう生きものの危難ではありません。では、とつぜん嵐でも起って、筏をくつがえしたのでしょうか。
 イヤ、そういう天変地異でもありません。それは、この世の何人もまだ味わったことのない、どんな言葉でも言いあらわせないほど、恐しい事柄だったのです。

ポパイの最期


 この死んだような湖水の中を、筏にのった三人の少年は、いったいどこへ行くのでしょう。少年たちにもそれはハッキリはわかっていません。夢のような話なのです。湖水の向こうの高い高い岩山のうしろに、黄金の国がかくされているというのです。その国の土人たちはキラキラと美しい黄金のかぶとをかむり、黄金の鎧を着ているというのです。
 このあれはてた無人境の山のかげに、そんな美しい世界が、ほんとうにあるのでしょうか。少年たちはその話をヘンリーという不思議なイギリス人から聞きました。そして、そのイギリス人はもう死んでしまったのです。
 少年たちは半信半疑でした。でも、もしそんな童話のような国が、あの山の向こうにあるのだとしたら、どんなにすばらしいことでしょう。少年たちは、なんともいえぬ奇妙な心持になって、まるで目に見えぬ糸に引かれでもするように、その方角へ行ってみないではいられなかったのです。
 山の上の湖ですから、熱帯のあつさもそれほどには感じません。奥底の知れないほど晴れわたった空、青々としずまりかえった湖水、その水の上を、少年たちの手製の筏は、さもたのしそうに、スイスイと進んで行きました。
 三人がかわり合って、筏の両側にとりつけた櫂をこぎ、岩山の岸からあまり遠ざからないように用心しながら、ゆっくりこいで行ったのですが、おひる頃にはもう、湖水の真向こうの鋸山の下へ近づいていました。
 少年たちは、その岩山の岸に、上陸できるような場所はないかと、注意ぶかく見はっていましたが、みな削ったようなきりぎしばかりで、どこにもそんな場所は見あたりません。
「だめだなあ。崖ばかりじゃないか。あの山を越してむこう側へ行く道なんて、どこにもありゃしないじゃないか」
 一郎君ががっかりしたように、高くそそり立つ断崖を見上げていいました。
「きっとあのイギリス人は、うそをいったんだぜ。熱病にうかされて夢を見ていたのかも知れないよ」
 保君も残念そうにいうのです。どんな大人だって、この高い崖をよじのぼることは、思いもよりません。ですから、山のむこう側の黄金の国とやらへは、全く行く道がないわけです。
「だって、それじゃあ、この腕環はどうしたんだろう」
 哲雄君は櫂をこぐ手をやすめて、シャツの胸のポケットから、あのイギリス人にもらった黄金の腕環を取り出し、つくづく眺めながら、さもいぶかしそうにいいました。
「それはきっとなんでもないのだよ。ほんとうの金かも知れないけれど、金の腕環なんて、どこでだって出来るんだからね。なにも、この島の黄金の国から持って来たとはきまっていないよ」
 一郎君は、だまされたのが、くやしくてたまらないという調子です。
「でも、何だか変だよ。ごらん、この腕環の蛇の形は、野蛮人が彫ったとしか思えないよ。僕たちの手工だって、もっと上手にやれるからね。それでいて、なんだかこの蛇、生きているような変な気がするんだ。やっぱり、ヘンリーはほんとうのことをいったんじゃないかしら」
 哲雄君は、どうも腑におちないというように、小首をかしげています。そして、
「もう少し行ってみようよ。僕たちは湖水の岸をすっかり見たわけじゃないんだからね。そして、湖水をグルッと一周して、元の場所へ帰ればいいんだ」
 と、あきらめきれないようにいうのでした。
 そこで、また少年たちは櫂をこぎはじめ、断崖にそって、筏を進めましたが、しばらく行きますと、保君が、
「ア、大きな水鳥がいる。今までのよりずっと大きいよ。一郎君、あれ撃ってごらん」
 と、さけびました。
「ア、ほんとだ。よし」
 一郎君はすぐさま銃をとって、その水鳥に狙をさだめ、ドンと発砲しました。
「しめた。さあ、ポパイ、あれをとって来るんだ」
 見事に命中したのです。一郎君は出発してから、もう三羽も水鳥を撃ちとっています。これが四番目の最も立派なえものでした。
 ポパイは主人のいいつけを待つまでもなく、もう水中に飛びこんでいました。そして、少年たちの賑やかな声援をうしろに、グイグイと水鳥に向かって泳いで行きます。
 やがて、泳ぎつくと、まだはばたいている水鳥に、サッと飛びかかって、しばらく水煙をあげてもつれあっていましたが、やがてグッタリとなったえものを、口にくわえ、筏の方に向きかえて、得意そうに泳ぎはじめました。
「すてき、すてき、ポパイえらいぞ」
 少年たちは手をうって、はやし立てましたが、その時です。実に何ともいえない奇妙なことが起りました。
「オヤ、どうしたんだろう。ポパイ、ポパイ、早く泳がないか。何をぐずぐずしているんだ」
 保君がさけびました。
 しかし、ポパイは決してぐずぐずしていたわけではありません。一生懸命にこちらへ泳いでいたのです。でも、少しも進めないのです。進めないどころか、グングンあとずさりをして行くように見えます。
 少年たちはこの不思議な出来事を、しばらくはポカンとして眺めているばかりでしたが、やがて、哲雄君がハッと気づいてさけびました。
「アッ、いけない。流されてるんだ。ポパイは流されているんだよ」
 このしずかな湖水に、そんなはげしいながれがあるなんて、想像もしていなかったのですが、泳ぎ上手のポパイがあんなに苦しんでいるのを見ますと、そこには、よほど早い水の流があるのにちがいありません。ひょっとしたら、渦巻うずまきかも知れないのです。
 ポパイは見る見るおし流されて行きます。もがけばもがくほど、筏から遠ざかるばかりです。そして、今は苦しさに、くわえていた水鳥を口からはなして、死にもの狂いに水をかきながら、何ともいえぬ悲しい声で吠え立てました。
「ア、早く助けなくっちゃ。ポパイが死んじまうよ。早く、早く」
 保君はあせりにあせって、櫂をこぎました。一方の哲雄君も調子をそろえてこぎました。
 筏は二人のこぐ力よりも早い速度で進んで行きます。筏までも、その水の流に乗っていたのです。
 ポパイとは二十メートルもへだたっていたのですが、そのへだたりがだんだんせばまって行きます。十五メートルになり、十三メートルになり、やがて、十メートルほどに近づきました。
 筏はその時、大きく出ばっている岩角を通りすぎ、今まで見えなかった断崖の前に出たのです。
 それと同時に、三少年の口から、叫声がほとばしりました。
 アア、ごらんなさい。今まで大きな岩角にかくされて、少しも気づかなかった、地獄の入口が、そこにひらいていたではありませんか。断崖の裾に、怪物の口のような真黒な洞穴があって、湖水の水は、はげしい勢でその穴の中へ流れこんでいたではありませんか。
 ポパイは、もがきにもがきながら、穴の方へぐんぐん吸いよせられて行きます。
 そして、穴の入口から二メートルほどのところまで流されたかと思うと、そこに恐しい渦巻が出来ていて、ポパイはクルクルと独楽こまのように廻りながら、悲しいなき声を残して、水中に姿を消してしまいました。
 少年たちは愛犬ポパイの最期をあわれんでいるひまはありませんでした。ポパイと同じ運命が、少年たちを待ちかまえていたからです。
「いけない、筏をもどさなくっちゃ。僕たちも吸いこまれてしまう。一郎君、早く、ここへ来て、手伝っておくれ」
 哲雄君は真青な顔になって、力かぎり櫂をおしながら、一郎君の助けをもとめました。
 一郎君が、その櫂にとびついて、哲雄君と力をあわせたのはいうまでもありません。
「保君も、しっかりこぐんだぜ」
 いわれるまでもなく、保君も歯をくいしばって、一生懸命です。
 しかし、こうした三少年の死にもの狂いの力も、はげしい水の流には及びませんでした。筏はグングン黒いトンネルの方へ近づいて行きます。目に見えぬ綱で引きよせられでもするように、見る見る魔の洞穴へ吸いこまれて行きます。
 汽車がトンネルへ入る時のように、その真黒な怪物の口が、恐しい勢で、目の前にぶっつかって来ました。
 ワーッとあがる三人の悲鳴。ガクンと何かにぶつかって、筏はグラグラとゆれ、少年たちは筏の上に尻餅をついてしまいました。
 そして、次の瞬間には、もう洞穴の形は見えませんでした。目の前にはただ一面に、大きな大きな暗闇がひろがっているばかりでした。

地獄への旅


 洞穴に吸いこまれる勢が、あまりはげしかったものですから、少年たちは一瞬間気を失ったように、何が何だかわからなくなってしまいました。
 少年たちにとっては、そのまま気を失って、いつまでも目ざめない方がしあわせだったかもしれません。でも、三人とも、普通の子供にくらべては、ずっと心のしっかりした少年たちでしたから、気を失ったままになるようなことはありません。中にも一番勇気のある一郎君は、たちまち正気にかえって、いかだが洞穴の奥の方へ、非常な早さで流れているのに気づきますと、いきなり、
「頭を下げて、みんな、頭を下げて、筏の上にうつぶせになるんだよ!」
 と、喉もやぶれるような大声で、さけびつづけました。
 どうしてそんな大声をしなければならなかったかというと、洞穴の中の水の流は、ゴーッゴーッと、まるで雷のような恐しい音を立てていたからです。
 保君と哲雄君とは、その声をかすかに聞いて「ア、そうだ」と気づいて、大いそぎで、筏の上に平べったく、「伏せ」の姿勢になりました。それはいうまでもなく、洞穴がせまくなっていて、頭をうつといけないからです。すごい早さで流れているのですから、岩角で頭でもうとうものなら、そのまま死んでしまうかも知れないからです。
 そうして、三分ほどの間、少年たちは生きた心地もなく、筏の上にうつぶせになったまま、身動もしませんでした。あまりの恐しさに、物を考える力も失ってしまって、何をどうしていいのか、まるでわからなかったのです。
 その三分間に、筏は一マイルも進んだような気がしました。それほど穴の中の水の流が急だったのです。
 しかし、やがて、流がいくらかゆるくなり、水の音も、はじめほどやかましくないようになりました。きっと洞穴がひろくなったからなのでしょう。
「みんな大丈夫かい? けがはしなかったかい?」
 一郎君の声が暗闇からひびきました。
「ウン、大丈夫だよ。君は?」
 保君と哲雄君が、声をそろえて聞きかえしました。
「僕も大丈夫だ。みんな、しっかりしているんだよ。まだ運のつきとはきまっていないんだからね」
 一郎君は二人を元気づけるように、しっかりした声でいいました。
「眼鏡猿も鸚鵡も無事だよ。僕がさっきから、しっかり抱いているんだ。こいつたち、声も出ないほどびっくりして、ブルブルふるえているよ」
 さすがに動物ずきの保君です。こんな場合にも、かわいそうな家族のことを忘れなかったのです。
かいは? 櫂は流しやしない?」
 哲雄君の声です。
「ア、櫂がない。流れちゃったよ。君の方は?」
「僕も流しちゃった。櫂があれば、岩にぶつからないように、用心が出来るんだけどなあ」
 哲雄君の残念そうな声がしたまま、しばらくの間、誰の声も聞えませんでした。ただ真暗闇の中に、ゴーゴーと水の流れる音が聞えているばかりです。
 夜のくらさは、どんな真夜中でも、どこかしら空がほのあかるく、家や立木の形ぐらいは見わけられるものですが、この洞穴の中のくらさは、そんな夜のくらさなどにはくらべられないほど真暗で、三人とも盲になってしまったのと、すこしもかわりがありませんでした。
 深海魚という、深い深い海の底にすんでいる魚は、全く光というものがないために、物を見る必要がなく、目がなくなってしまっているということですが、この洞窟の流の中に、もし魚がすんでいるとすれば、きっとその深海魚のように、目のない魚にちがいありません。それほど闇がこいのです。墨を流したように真暗なのです。
「ねえ、僕たちはどうなるんだろうねえ。この水は、いったいどこまで流れていると思う?」
 保君の悲しそうな声が聞えました。だまっていては、ひとりぼっちになったような気がして、こわくてたまらないので、なんでもいいから、物をいわないではいられなかったのです。
「それはわからないけれど、あんなに早く流れたんだから、ここは湖水の水面よりは、うんと低いところにちがいないよ。そして、まだまだ下の方へ、下の方へと流れて行くらしいね」
 哲雄君が考え考え答えました。
「下の方へって、じゃ僕たちは地球の中心の方へ流されているわけなんだね。このまま、地球の真中へ吸いこまれてしまうんじゃないだろうか」
 保君がべそをかいたような声で、とっぴなことをいい出しました。でも、保君を笑ってはいけません。誰だって、この時の三人のような境遇になれば、普通では想像もつかない恐しいことを、考え出すにちがいないのです。
「ハハハハハハハハ」
 一郎君と保君とが、声をそろえて笑いました。しかし、それはさびしい笑声でした。
「まさか、そんなことはないよ。でもね、考えてみると、一つだけ、恐しいことがあるんだよ」
 哲雄君の声が、云おうかいうまいかと、ためらうような調子で聞えました。
「エ、恐しいことって? 何さ? いってごらん。早く、いってごらん」
 保君のおびえきった声です。
「それはね……」
 哲雄君はなぜかいいしぶっています。
「エ、それは何さ?」
「この流の先が滝になってやしないかということだよ」
「エ、滝?」
「ア、そうだ、そうかもしれない」
 豪胆な一郎君までが、びっくりしたように声をあげました。
 かならず滝になっているときまったわけではありませんが、しかし、そうでないといいきることも出来ません。
 もし滝になっていたら!
 それを思うと、三人はからだ中ビッショリ冷汗が出るほど、こわくなって来ました。
 真暗で何も見えないのが、なおさらいけないのです。耳をすますと、ゴーゴーという水の音の中に、何だか音色のちがう一種異様のひびきがまじっているように感じられます。もしやそれが、遠くの方で、滝の落ちている音ではないかと思うと、もう生きたそらもありません。
「みんな、出来るだけ手をのばして、岩にさわってごらん。岩をつかめば、筏の流れるのをとめられるかもしれないよ」
 一郎君がさすがにおちついた声で命じました。こういう時には、智恵よりも勇気です。力強い一郎君の声を聞いた二人は、どんなに心丈夫に思ったかしれません。
 少年たちは危険も忘れて、筏の上に立上り、右、左、上と三方に、出来るだけの手をのばしてみました。しかし、いくら闇の中をさぐっても、三人の手には、何もさわらないのです。一郎君はふと気づいて、長い銃を持って、あちこちとさぐってみましたが、それでも何もさわりません。
「ここは広いんだよ。ウンと広いんだよ。銃でさぐってみたけれど、ちっとも手ごたえがないや」
 でも、少年たちは、なおしばらくの間、根気よく手さぐりをつづけていましたが、いつまでやっていても、何の効能もないとわかると、がっかりして、又筏の上に寝そべってしまいました。
 こんな時、櫂がのこっていれば、すこしでも流にさからって、筏をこぎもどすことも出来たのでしょうが、その櫂は二本とも、とっくに流してしまっていたのです。
 もう運を天にまかせるほかはありません。少年たちの目に涙がこみ上げて来ました。そして、真暗闇の目の前に、なつかしいお父さまやお母さまの姿が、まざまざとあらわれて来るのです。みんな、心の中で、「お父さーん! お母さーん!」と呼びつづけました。無邪気な保君などは、口に出して、「お父さーん、助けて下さーい!」とさけんだほどです。
 やがて、洞穴に吸いこまれてから、二十分ほどもたったでしょうか。三人は夢中になって、神様を念じたり、お父さまお母さまのことを思い出したりしていたのですが、そのうちに、何だか妙なことが起って来ました。
「アアあつい、あつくってたまらないや」
 まず最初、保君がそんなことをいって、いきなりシャツとズボンをぬいで、はだかになってしまいました。
「ほんとだ。どうしてこんなにあついのだろう」
 一郎君も哲雄君も、つづいてシャツとズボンをぬぎ、三人とも猿股さるまた一つになってしまいました。それでも、まだあつくてたまらないのです。
「変だなあ、地の底でこんなにあつくなるなんて」
 哲雄君はどうもがてんがいかないものですから、ふと気づいて、筏のふちへ這いよって、手を流の水の中へ入れてみましたが、入れたかと思うと、「アッ」とさけんで、手を引きました。
「どうしたの? 哲雄君じゃないか」
「ウン、一郎君、水の中へ手を入れてごらん。あついんだよ。お湯みたいだよ」
 一郎君も保君も、いそいで手を入れてみましたが、二人とも「アッ」といって、その手をひっこめました。
「あつかったはずだよ。僕たちはわき立っている湯の中を流されていたんだもの。でも、どうしたんだろうね。気味が悪いね」
「今さっきまで、つめたい水だったよ。急にあつくなったんだよ。何だか進むほどだんだんあつくなるような気がするね」
 いったいこれはどうしたというのでしょう。何ともえたいの知れぬ不気味さです。三人は思わず筏の真中の方にすりよって、ドキドキしながら、次に起ることを待っているほかはありませんでした。
 そして、すこしたつと、今度もまた、保君が一番早くそれに気づいて、頓狂とんきょうな声を立てました。
「アラ、一郎君、君の顔が見えるよ。ホラ、ボーッと白く見えているよ」
「ア、ほんとだ。君の顔も見える」
「どっかから、かすかな光がさしているんじゃないかしら」
 三人はなんだかひどくうれしいような気がしました。すこしでも光がさしてくるとすれば、洞穴の出口へ近づいたしるしではないでしょうか。
「だんだんはっきり見えて来るよ。君の顔赤いね。ア、哲雄君も真赤な顔してる」
 一郎君にいわれて、三人がお互の顔を見ますと、妙に赤い顔をしているではありませんか。あつさに上気していたからでしょうか。いや、どうもそのためではないようです。どこからか赤い光がさしているような感じなのです。
 やがて、お互の顔がこまかいところまで見わけられるようになりました。
「オヤ、ごらん。あんなに湯気が立っている。ワーッきれいだなあ」
 保君の叫声に、筏のまわりを見ますと、その辺一ぱいに、もうもうと煙のような水蒸気が立ちのぼっていることがわかりました。それも、やはり赤い光に照らされているのか、焔のように不気味に赤く見えるのです。メラメラと一面に火がもえているようです。
「ア、あつい。グラグラわき立っているよ」
 哲雄君が水に手を入れようとして、びっくりしてさけびました。うっかりすると指先をやけどするところでした。
 あたりはますますあかるくなって来ました。もう洞穴の岩の形もハッキリわかるのです。汽車のトンネルの五倍もあるような大きな岩の天井と壁とが、どこから来るのか、真赤な光に照らされて、ものすごくテラテラとかがやいています。その光が水面にも反射して、水全体がもえるように赤く、そこから、今いう焔のような水蒸気が立ちのぼっているのです。
 美しいといえば、これほど美しい景色はありません。しかしまた、恐しいと思えば、これほど恐しい景色はないのです。
 地の底で、水が熱湯となってわき立ち、湯気を立て、何ともえたいの知れぬ真赤な光が、洞穴全体を、話に聞く地獄のように照らし出しているのです。
 三人が洞穴の出口に近づいたと考えたのは、とんでもない間違だったようです。いったいぜんたいこの赤い光は何物でしょうか。太陽の光ではありません。日の出や日の入の光が赤いといっても、こんな不思議な、気味の悪い赤さではありません。
「ア、なんだか音がする。恐しい音がする」
 哲雄君が、光に照らされた、鬼のような真赤な顔をゆがめて、ゾッとするような声でさけびました。
 流の音もかなりはげしいのですが、それにもまして、不気味なドド……、ドド……という物音が、どこからか聞えています。そして、その音は筏が進むにつれて、だんだん高くなって来るようです。赤い光も刻一刻強くなって来るようです。

火の柱


 少年たちはみんな生きた心地もないのですが、中にもさとりの早い哲雄君は、ある恐しいことを考えて、身の毛もよだつ思いをしていました。
 哲雄君は何かの本で読んだ「地底の噴火山」ということを思いうかべていたのです。
 地球の真中には、鉄も石もどろどろにとけた、火のかたまりがあって、それが地面の弱い所をつき破って吹きだすのが噴火山ですが、そういう火山は、地面の上ばかりにあるとはきまっていません。地の底の洞穴の中にだってないとはかぎらぬのです。
「もしかしたら、ここにその地底の火山が吹きだしているんじゃないかしら」
 哲雄君はそう考えたのです。そして、もう命はないものと覚悟をきめていました。
 少年たちは三人とも、さいぜんから、熱さにたえられなくて、皆まっぱだかになっていました。それでも、まだ熱くてたまらないのです。
 顔にも、背中にも、腹にも、たらたらと汗が流れて、その汗が見る見るかわいて行きます。
 三人は口々に何かさけんで、筏の上に身もだえしていますが、その声も、例のあやしい物音に消されて、よくは聞きとれません。
 やがて、洞穴のまがり角にさしかかり、筏はすばらしい勢で、大きな岩角を通りすぎました。そして、それと同時に、少年たちの口から、悲鳴がほとばしったのです。
 おお、ごらんなさい。今や、あの真赤な光るものの正体が、まざまざと少年たちの目の前に、姿をあらわしたのです。
 洞穴はそこで、汽車のトンネルの十倍もあるかと思われる広さになっていましたが、その五六十メートルむこうの水面の真唯中から、高い岩の天井にむかって、目もくらむばかりの火の柱が立ちのぼっていたのです。それは、哲雄君が想像したとおり、地の底の噴火口だったのです。
 火の柱そのものは、赤いというよりは、白く見えました。白熱の光です。水面から吹きだしたところでは、四五十センチの太さですが、上の方ほどひろがって、二十メートルもある岩の天井にぶっつかると、まるで噴水のようにパッと四方にひらき、光の粉となって下におちて来るのです。
 少年たちはあまりのこわさに、もう気を失わんばかりでしたから、何を考えるひまもなかったのですが、もしその火の柱に危険がないものとすれば、世にこれほど美しい景色は、またとないといってもよかったでしょう。
 それは真の闇の地下道の中に、とつぜんおこった花火です。いや、花火の何十倍も大きな焔の花びらです。ほんとうに、その火の柱が天井にあたってくだけているありさまは、一つの大きな百合の花のように見えたことです。
 夢に見たこともない美しい景色、そして、それは又、夢に見たこともない恐しい景色でした。
 筏は刻一刻その噴火口へ近づいて行きます。近づくにしたがって、ものすごい焔の花は、見る見る大きくなって、三人の目の前は、ただもう白熱の光で一ぱいになってしまいました。
 保君と哲雄君は、気絶しないのがやっとでした。ただ筏の材木にしがみついて、うつぶせになったまま、死んだように身動きもしないでいます。
 その中で、ただ一人、物を考える力をもっていたのは一郎君です。三人のうちで一番胆力のあるのは一郎君です。
「君たち、しっかりするんだ! まだ助かる見込があるよ。筏を出来るだけ隅の方へ流せば……」
 しかし、その声も二人の耳には通じぬのか、なんの返事もありません。
「よし、僕がやって見せるぞ」
 一郎君は声をふりしぼって叫ぶと、いきなり筏の上に仁王立になりました。子供ながら、それは見るも恐しい形相でした。兵隊さんが敵の中へおどりこむ時には、きっとこんなだろうと思われるような、ものすごい形相でした。
 無理もありません。一郎君は今、死の瀬戸ぎわに立って、三人の命を救おうとしているのです。からだに残っている力を使いつくしても、自分一人の腕で、この大危難をのがれて見せようと決心したのです。
 一郎君は、筏の一方につんであった、食料を入れた木の箱のところへとんで行きました。そして、その箱の蓋の板を両手につかむと、そのまま筏のはじに坐って、満身の力をこめて、湯のように熱い水を掻きはじめました。
 いくら水を掻いたところで、むろん、筏をもどすことは出来ません。その場所にとめることも出来ません。流はそれほど急なのです。でも、死にもの狂いになれば、筏の流れる方角を、すこしかえるぐらいは出来るはずです。一郎君はそれを思いついたのです。板で水を掻いて、筏が出来るだけ火の柱からはなれた隅の方を流れるようにすれば、万に一つも助かるかも知れないと考えたのです。
 ゴウゴウという噴火の音は、まるで雷のようにひびいています。しかし、一郎君にはもうその音さえ聞えませんでした。熱さはだんだんに高まり、今では燃えさかる火の中へ飛びこんだような苦しさです。しかし、一郎君はその熱ささえも感じませんでした。
 目の前には、ただ一枚の板が、――三人の命の板ともいえる一枚の板があるばかりです。一郎君の二本の腕は、まるで鉄でつくった機械のように、その板で水を掻きつづけました。もう人間わざとは考えられません。一郎少年のからだには、何かが乗り移っているようです。
 おお、ごらんなさい。非常な早さで流されている筏が、少しずつ少しずつ洞窟の左側へ向きをかえて行くではありませんか。うまいうまい、この調子なら、筏が火の柱を通りすぎる時には、洞窟のすみの一番安全な所を流れるにちがいありません。ああ、少年たちは助るかも知れません。
 一郎君は何も見えませんでした。ただもう機械のように板を動かしていました。しかし、筏は火の柱から十メートルほどにせまっていたのです。
 その時、かわいそうなことが起りました。
 例の眼鏡猿と鸚鵡とは、いつの間にか、抱かれていた保君の手をはなれていたのですが、怖わさのあまり、けたたましい鳴声を立てて、死にもの狂いに飛びまわるものですから、とうとう二匹とも、くくってあった紐がとけてしまったのです。
 紐がとけると同時に、眼鏡猿は流の中へ身をおどらせ、鸚鵡はパッとまいあがって、何と思ったのか、火の柱を目がけてとびこんでいったのです。それがあわれな二匹の最期でした。
 一郎君は、そんな出来事さえ知りませんでした。ただ耳も聾するゴウゴウという物音と、目もくらむばかりの白熱の光の中で、両手ににぎった板ばかりを見つめていたのです。腕がちぎれるまでも、その板を動かしつづけようと、夢中になっていたのです。
 一郎君の手のひらからは、血が流れ出しました。それでも水を掻くことをやめようとはしません。両腕が棒のようになって、動いているのかどうか、自分でもわからなくなって来ました。それでも、板をはなそうとはしません。
 ゴウゴウという噴火の音は、この世の終かと思われるほど、恐しいひびきになって来ました。白熱の光は、一郎君の両眼を焼きつくすほどのはげしさです。
「ああ、今、火の柱を通りすぎるんだな」
 一郎君はそれをハッキリと感じました。その瞬間、とうとう最後の力を使いつくしたのか、ガックリと筏のすみにうずくまってしまいました。今まで水を掻いていた板は、一郎君の手をはなれて、わきかえる流の中へまきこまれて行きます。
 哲雄君も、保君も、筏の上にうつぶせになったまま、とっくに気を失っていました。そして、最後まで戦った一郎君も、とうとう倒れてしまったのです。

大暗黒


 みなさん、少年たちは火の柱に焼かれてしまったのでしょうか。いやいや、そうではなかったのです。勇敢な一郎君の、はたらきが、功を奏して、筏は火の柱からずっとはなれた、洞窟のすみを通りすぎたのです。
 あまりの熱さ苦しさに、三人が三人とも気を失ってしまいましたけれど、けっして焼死はしなかったのです。筏は気絶した三少年を乗せて、たちまち火の柱をあとにし、非常な早さで、その恐しい地獄を遠ざかって行ったのです。
 それから、どれほどの時がたったのか、少年たちは誰も知りませんでしたが、まず最初に気をとりもどしたのは、一番からだの丈夫な一郎君でした。
 フッと目を開いて、あたりを見まわしましたが、そこには何もありませんでした。ただ一面の墨を流したような闇ばかりです。
「おや、僕はもう死んでしまったのかしら?」
 一郎君がそう思ったのもむりはありません。そこには何の物音もなく、何の動くものもなく、つめたい闇が、墓場の底のように静まりかえっていたのです。さっきまでの、目もくらむ光や、恐しい物音にくらべて、何というちがいでしょう。
 でも、死んでいない証拠には、さわってみると、からだの下に、筏の材木がありました。ちょっと手をのばすと、筏の外には氷のように冷たい水がありました。しかし、ふしぎなことには、その水が少しも流れていないのです。まるで古沼かなんぞのように、不気味に静まりかえっているのです。
 水があるとわかると、一郎君はすぐその方へ首をのばして、まるで犬が水を飲むように、その黒い冷たい水を、思うさま飲みました。それほどのどがかわいていたのです。
 そうして、やっと人心地がつきますと、はだかになっているからだ中がひりひりと痛むのに気づきました。直接火の柱にさわったわけではありませんけれど、そのそばを通ったので、やけどをしていたのです。
 そこで、手で水をすくっては、からだの痛むところをぬらしましたが、だんだん気持がハッキリして来るにつれて、心配になるのは保君と哲雄君のことでした。
「保君……哲雄君……」
 一郎君は闇の中へ声をかけながら、筏の上をはって、手さぐりをしました。すると、ちょうどその時、保君が正気にかえって、身動きしているのにぶっつかりました。
 つづいて、哲雄君も正気づいた様子なので、一郎君は、まず何よりも、二人に水を飲むことをすすめました。
 二人が筏のはじへ這って行って、たらふく水を飲み、やけどの手あてなどをしたあとで、三人は、お互の顔も見えぬ闇の中で、手を取りあって、命の助ったことを喜びあいました。
「よかったねえ。でも、どうして助かったんだろう。僕はもう焼け死ぬものと覚悟をきめていたんだよ」
 哲雄君が不思議そうにいいました。
 一郎君は自慢にならないように注意しながら、板で水を掻いて、筏を火の柱から遠ざけたことを語りました。
「ああ、そうだったの。じゃ、君が助けてくれたんだねえ。君は僕たち二人の命の恩人なんだねえ」
 哲雄君はしっかり一郎君の手をにぎって、感謝にたえないようにいうのでした。
「ありがとう、一郎君。僕も君に助けてもらったんだねえ」
 ちゃめの保君も、いつになくしんみりといって、一郎君の手をにぎりました。
 そうして、しばらくの間、三人は涙ぐみながら、お互の手をにぎり合っていましたが、やがて、三人とも、寒くてたまらないことに気がつきました。
 ほんとうに、そのくら闇の世界は、何から何まで、さいぜんの火の柱のそばとは、あべこべだったのです。温度までも、熱帯からいきなり寒帯に来たほど、ちがっているのです。
 三人は、寒い寒いといいながら、手さぐりで、さいぜんぬぎすてたシャツとズボンをさがし、いそいでそれを着こみましたが、それでもまだ寒くてたまりません。そこで、筏につんであったシーツの白布をさがして、てんでにそれをシャツの上からぐるぐるとまきつけ、やっといくらか寒さをしのぐことが出来ました。
「君たち、お腹がすきやしない? 僕はぺこぺこだよ」
 大ばたらきをした一郎君が、第一に空腹をうったえました。
「うん、僕もだよ。箱の中に食料が入れてあったね。あれをたべようよ」
 保君がさっそく賛成しました。
 そこで、三人は又手さぐりで、筏につんである木箱のそばにより、その中の鳥のあぶり肉だとか、パンの木の実だとかを取出して、たらふくつめこみました。
「ああ、おいしかった。まだたくさん残っているね。あと五日分ぐらい大丈夫あるよ」
 たべることにかけては、保君が一番ぬけ目がありません。手さぐりで、箱の中の食料をちゃんと計算していたのです。
 みんなお腹がくちくなると、しばらくはだまりこんでいましたが、そうしていますと、くら闇というもののこわさが、だんだん心の中にひろがって来るのでした。
「何だかへんだねえ。ここはどこなんだろう。どうしてこんなに静かなんだろう」
 まず保君が、たまりかねたように口をきりました。
「やっぱり洞穴の中だよ。もし穴の外にいるんだったら、いくら夜でも、かすかに何か見えるはずだからね」
 哲雄君が考え深い調子で答えます。
「じゃ、どうしてこんなに水が動かないんだろう。まるで沼みたいじゃないか」
「それは、ここがちょうどふちのようになっているんだよ。川にだって、ちっとも水の流れない淵というものがあるだろう。あれだよ。ここは洞穴の中の淵にちがいないよ」
「まっ暗でわからないけれど、ここは広いのだろうか」
「どうも広そうだよ。僕はさっきから、銃を持って、岩にあたらないかと思って、さぐってみたんだけど、どこにもさわるものがないんだよ」
 これは一郎君の声でした。
「あ、いいことがある。僕何か投げて、ためしてみるよ」
 保君はそういったかと思うと、木箱のそばの鍋の中に入れてあった一枚の皿を取って、いきなり闇をめがけて投げつけました。
 きっと岩にあたってくだける音がすると思ったのですが、そんなけはいはなくて、しばらくしてから、はるか向こうの方で、ドボンと水のはねる音がしました。
「よし、それじゃ、こっちの方だ」
 と、又別の皿を取って、反対の方角へ投げましたが、今度も同じように水音がするばかりでした。
「ワア、広いんだなあ!」
 保君は思わず大きな声でさけびました。すると、どこか遠くの遠くの方から、かすかな声で、
「ワア、広いんだなあ!」
 と、誰かがさけび返しました。
 ちょっと考えれば、それはこだまだということがわかるのですが、お互の顔も見えない、まっくら闇の中ですから、向こうに誰かいるような気がして、何だかこわくなって来ました。
 ためしに、大きな声で「オーイ」と呼んでみますと、ワーンとうなるような音で、どこからか「オーイ」と答えて来ました。そして、しばらくすると、ずっと向こうの方から、最初のよりは小さな声で「オーイ」と聞え、それから又もっとかすかな声が、遠くの遠くの方から「オーイ」とひびいて来ました。反響が反響を生んで、一つの声が二重三重にこだまするのです。
「広いんだねえ」
 一郎君が、こだまにこりて、ささやくような声でいいました。
「とても、広そうだねえ」
「僕たち、いつになったら、ここを出られるんだろう」
 保君は心ぼそい声を出しました。
「このままじっとしていたら、いつまでたっても出られないわけだよ。水がちっとも流れていないんだもの」
 哲雄君もおびえたような声です。
「じゃ、僕たちで筏を漕いでみようじゃないか。どっちへ行っていいのかわからないけれど、ともかく漕いでいれば、どこかへ出るよ。じっとしているよりはましだよ」
 一郎君が二人を元気づけるようにいいました。
「漕ぐといって、櫂を流してしまったじゃないか。漕ぐものがないよ」
「なくはないさ。ホラさっき僕は箱の蓋で水を掻いたっていったろう。その蓋の板は流してしまったけれど、まだ箱がのこっているよ。あれをこわして、その板で漕げばいいんだ。早くは進まないけれど、一生懸命に漕げば、どっかへ出られるかも知れないじゃないか」
「あ、そうだね。じゃ、やってみようか」
 そこで、少年たちは食料のはいっている木箱をこわして、手ごろの二枚の板をつくり、一人ずつ筏の両はじにすわって、その板で水を掻きはじめました。
 まっくら闇の中ですから、筏が進んでいるのかどうか、すこしもわかりません。いくら水を掻いても、同じ所にいるような気さえします。なんという心ぼそい仕事でしょう。
 でも少年たちは、代りあって、いつまでも根気よく、板の櫂をあやつりました。そうするほかに、この恐しい洞窟をぬけ出す道がないことが、よくわかっていたからです。
 しかし、漕いでも漕いでも、行手にはかすかな光さえ見えませんでした。どこまで行っても闇なのです。果しもない、大きな大きな闇の世界なのです。
 漕いでいるうちに、腹がへって来ますので、三人は代りあって、食事をしました。その食事がもう二度もくりかえされたのです。時計がないので、よくはわかりませんけれど、漕ぎだしてから、たっぷり半日以上もたったように思われます。それでも、あたりには少しの変りもありません。やっぱり幾重にも幾重にも重なった闇が、三人をしっかりと包んでいるのです。

星だ! 星だ!


 みなさん、もし私たちに目というものが無かったら、世の中が、どんなに淋しく、たよりないものでしょう。世界中がかぎりもない真暗闇なのです。木でも花でも、戸でも障子でも、机でも、お父さまやお母さまやお友だちでさえも、色や形で見ることは出来ないのです。ただ、手でさわってみて、そういうものがあるということがわかるだけなのです。
 一郎君、保君、哲雄君の三少年は、今ちょうど、そういう目のない世界にいるのもおなじことでした。三人は決してめくらになったのではありません。目はちゃんとありながら、何も見えなくなってしまったのです。
 なぜかというと、そこには、どんなかすかな光も無かったからです。物が見えるのは、光というもののおかげですから、その光が少しもなければ、ちょうど目が無くなってしまったのと同じわけになるのです。
 どんなまっくらな闇夜でも、空のうすあかりで、かすかに物の形がわかるのですが、ここにはそういううすあかりさえありません。ほんとうにめくらになったのと同じ、黒暗々こくあんあんの闇なのです。
 少年たちは、どうかして、この恐しい暗闇を、のがれ出ようと、筏につんであった木箱の板で、しきりに水をかいて、筏を進めましたが、そうして半日ほども漕ぎつづけたのに、なんの変ったことも起らないのです。いくらさぐっても、手にさわるものは何もありません。闇はいよいよ深くなるばかりです。
「変だねえ、漕げば漕ぐほど、洞穴の方でひろがって行くじゃないか。いったい、ぼくらの筏は進んでいるのかしら。なんだか、いつまでも同じ所にいるような気がするぜ」
 一郎君のがっかりしたような声が、闇の中から聞えました。
「進んでいなくはないよ。水に手をつけてみると、筏の動いているのがわかるよ」
 考えぶかい哲雄君は、筏のふちにしゃがんで、水に手を入れているらしく、低い所からその声がしました。
「だって、変だなあ。いくら広いったって、僕たちはもう七八時間も漕ぎつづけたんだぜ。どっちかの岩の壁につきあたりそうなものじゃないか。壁の方で逃げて行くとしか思えないよ」
「いやだなあ、そんなこと言っちゃあ。僕こわいよ。まるで、その辺に魔物でもいるようなこと言うんだもの」
 保君のべそをかいたような声です。
 ほんとうに、この暗闇には、何か地の底の魔物というようなものがいて、少年たちをいじめているのではないでしょうか。それを考えると、三人はゾーッとして、思わずだまりこんでしまいました。
「ア、誰だい。びっくりするじゃないか」
 一郎君がとんきょうな声を立てました。
「僕だよ。僕こわいんだよ」
 保君が、たまらなくなって、手さぐりで一郎君にしがみついたのです。
「僕なんだか気違にでもなりそうだよ。ね、君たち、僕を抱いとくれよ。ね、早く」
 いつも無邪気でほがらかな保君ですが、それだけに、こういう時には、誰よりも先にこわがるのです。すこしも隠しだてをしないのです。
 それをきっかけに、三人は漕ぐのもやめて、筏のまんなかに、ひとかたまりになって、おたがいの体を抱きあうようにして、じっとしていました。
 しばらくすると、哲雄君が何か思いついたらしく、例の考えぶかい口調でいいました。
「魔物なんていやしないよ。そんなばかなことあるはずがないよ。でもね、僕、今ひょいと思いついたんだけど、僕たちの筏は同じところを、グルグルまわっていたのかも知れないと思うのだよ」
「エ、グルグルまわっていたって? どうしてさ」
 一郎君の声がびっくりしたようにたずねます。
「僕たちは筏の両方のはじで、板で水をかいていたんだろう。だからね。もしその漕ぐ力が、右と左で少しずつちがうとしたら、どうなると思う?
 力の強い方が、弱い方の側より、少しずつ早く進むわけだね。そうすると、筏は力の弱い方の側へ曲っていくわけじゃないか。少しずつ、少しずつだよ。でも二時間も三時間も漕いでいるうちには、グルッと一まわりして、又もとのところへもどってくることになるだろう。そして、大きな輪のように、いつまでも、同じところをまわっているのかも知れないぜ」
「ア、そうだ。僕そんな話を聞いたことがあるよ。曇った日に沙漠を旅している人が、向こうに何も目じるしがないものだから、知らず知らず同じところをグルグルまわっている話だよ。右の足と左の足と、少しずつ歩く力がちがうからだって」
「そうだよ。僕もその話を思い出したのさ。ここも真暗闇で何も見えないんだからね。その沙漠と同じわけだよ」
「それじゃ、どうすればいいんだい。右側と左側と、少しもちがわない力で漕ぐなんて、できっこないじゃないか」
 もし哲雄君の考えがあたっているとすれば、少年たちの筏は、広い広い闇の空洞の中で未来永劫大きな輪をえがきつづけていなければならないのです。沙漠の旅行者は、空さえ晴れれば、太陽や星を目あてに方角をさだめることが出来ますけれど、この洞窟には、いつまで待っても、太陽も星も出てはくれないのです。
 実にちょっとしたことです。ただ右と左と漕ぐ力が、ほんの少しずつちがうというだけのために、永久にその暗闇の世界からぬけ出せないなんて、考えても恐しいことではありませんか。
「僕たちどうすればいいんだろう。ね、どうすればいいんだろう」
 保君が悲しい声で言って、一そう強く二人に抱きつくのでした。
 三人はそうして抱きあったまま、しばらくだまりこんでいましたが、やがて、哲雄君の声が聞えて来ました。
「僕、君たちの顔が見たいなあ。こうして抱きあっていても、なんにも見えないんだもの。ほんとに変な気がするねえ。暗闇がこんなにこわいものだっていうことを、僕、今まで知らなかったよ。保君じゃないけど、こうしてじっとしていると、気がちがいそうになって来るよ」
 すると、誰かの声が、いきなりワーッと泣き出しました。保君です。そして、泣きながら、何かしゃべっているのです。
「神様、神様、……どうか僕たちを助けて下さい。……神様お願いです。……助けて下さい。……助けて下さい」
 それにつられて、ほかの二人も、口の中でおいのりをはじめました。もう人間の力では、どうすることも出来なかったのです。哲雄君の智恵も、一郎君の勇気も、このふしぎな運命を切りひらく力はなかったのです。
 三人はお祈をしながら、泣きました。まだ学校へ上らない幼い子供のように泣きました。でも、この少年たちを笑ってはいけません。いくらえらいといっても、みんな子供なのです。こんな目にあったら大人だって泣くかもしれません。しかも三人は、今までありとあらゆる苦しみに耐えて来た上なのです。もう力も智恵もつきはててしまったのです。
 それから長い時間がすぎ去りました。泣きくたびれた三人は、筏のまんなかに一かたまりになって、死んだようにグッタリとしていました。眠っていたのかも知れません。イヤ、眠るなんてのんきな気持になれるものですか。眠ったのではなくて、頭がしびれたようになって、夢うつつの境をさまよっていたのです。
 どれほどの間、そうしていたのでしょう。あとになって考えても、三人はその時間の長さをハッキリ思い出すことは出来ませんでした。たった一時間ほどのようにも思われました。又、二日も三日もたったようにも感じられました。
 最初気がついたのは、保君でした。保君は三人の内で、一ばん物に感じやすいのです。笑うのも泣くのも誰よりも早いかわり、目や耳や、皮膚の感じもすばやいのです。
 夢うつつでいた保君は、何かかすかな風のようなものが、頬のあたりをかすめて行くのを感じました。
 やっぱり何も見えない暗闇の中ですけれど、どうも今までとはちがったことが起っているように思われたのです。「オヤッ」というような気がしたのです。
 そこで、保君はすばやく頭をあげて、あたりをキョロキョロ見まわしました。しかし、右左みぎひだり前後まえうしろと見まわしても、何も見えません。次に保君の目は洞穴の天井を見上げました。
「アラッ!」
 保君は思わず叫びました。その天井に、何だか宝石のようにピカピカ光ったものが、一つ、二つ、三つ……、数えてみると二十以上も見えるのです。
「一郎君、哲雄君、ちょっと起きてごらんよ。何だかピカピカ光っているよ」
 力をこめて、二人をゆり起しました。
「エ、どうしたの?」
 一郎君も哲雄君も、夢からさめたように、びっくりして起きあがりました。
「あれだよ。ホラ、あんなに光っている」
 三人は、何度も目をこすりながら、その小さな光るものを見つめていましたが、やがて、哲雄君が、大きな声で叫びだしました。
「ア、星だ。あれは空に光っている星だよ。星が見えるんだよ。星だ、星だ!」
 言われてみると、いかにもそれは星にちがいありませんでした。保君は洞穴の中だとばかり思っていたので、その遠い遠い空の星が、すぐ頭の上の岩の天井で光っているように感ちがいしていたのです。
 星が見えるからには、もう洞窟の中ではありません。筏はいつの間にか、恐しい地底の闇の国をぬけ出していたのです。
「ワー、助かった。僕たちは助ったんだよ。神様が助けて下さったんだよ」
 一郎君が思わず叫びだしますと、ほかの二人も、口々に何かわめきながら、筏の上におどり上って喜びあうのでした。


 どうなることかと思った三人のいのちは、まるで奇蹟のように救われたのです。それにしても、漕ぎもしない筏が、どうして洞穴の外へ出たのでしょう。信じられないほどの幸運ではありませんか。
 しかし、それは、あとになって考えてみると、何でもないことでした。つまり、三人がもうだめだと思いこんで、漕ぐことをやめてしまったのが、かえってよかったのです。あの広い洞穴の中の水は、少しも流れていないようでいて、その実は、ごく少しずつ動いていたのです、その動き方があまりのろいので、まるで感じられないほどでしたが、ともかく動くことは動いていたのです。
 ですから、漕ぐのをやめてしまった筏は、そのゆっくりした水の動につれて、洞穴の出口の方へ、ひとりでに運ばれて行ったわけです。おそらく五六時間、あるいはもっとながい間かかって、とうとう出口に達し、三人の頭の上に空の星が輝くという幸運がめぐって来たのです。
「よかったねえ。もう大丈夫だよ。ここはどこだかわからないけれど、夜があけたら、上陸する場所も見つかるにちがいないよ」
 一郎君がうれしそうに言いますと、考えぶかい哲雄君は、まだ安心は出来ないというふうで、
「でも、変だねえ。ごらん。星の見えるのはあんな細い空だけじゃないか。雲でかくれているのかしら。なんだかおかしいよ」
 といぶかりました。
「ア、わかった。雲じゃないよ。岩山だよ。僕等の両側に高い岩の崖がそびえているんだ。だから空があんなに細長くしか見えないんだよ。ね、そうだろう。よく見てごらん」
 一ばん目ざとい保君が、早くもそれに気づいて言いました。
 もうここは洞穴の中ではありませんから、いくら暗いといっても、あたりの様子がかすかに見わけられるのです。
「ア、そうだ。両側はとてもすごい岩の壁だよ。僕たちは今、深い谷底を流れているんだねえ」
 岩山の高さは何十メートルとも知れぬほどで、それがけずったように、まっすぐにそびえていて、流の幅はわずか七八メートルしかありません。大きな大きな岩の裂目のような場所なのです。筏をつけて上陸する岸などは、どこにも見あたりません。
 広い洞窟の中では、あれほどゆっくり動いていた水も、この狭い谷底では、かなり早く流れています。水に手を入れてみますと、筏がグングン進んでいるのがわかるのです。
 じっと両側の岩を見ていますと、進むにしたがって、その幅が少しずつ広くなって行くような気がします。
「アア、もう大丈夫だよ。この谷底をぬけてしまえば、きっと平地に出るんだ。ごらん、空の星がだんだんふえて来るじゃないか。それだけ谷間が広くなって行くんだよ」
「ほんとだ。夜があける頃には、どっかの岸へあがれるかもしれないね。よかったねえ。僕はもう、ほんとうに死ぬんだと思ったよ。助った、助った、神様にお礼を言わなくっちゃ」
 保君はそう言って、妙なふしをつけて、お祈のような文句を長々とつぶやいていましたが、それがおわると、びっくりするような声をはりあげました。
「アー、おなかがへった。早く何かたべなくっちゃ」
 それを聞くと、ほかの二人も、にわかに空腹を感じました。今までは無我夢中で、腹のへったことなど、考えているひまもなかったのですが、もう助かったと安心したせいか、むやみに何かたべたくなって来たのです。
 そこで、三人は、まだ筏の上に残っていた食料品を手さぐりで拾いあつめて、闇の中の食事をはじめました。あぶった鳥の肉、パンの木の実、あまい果物など、何をたべても、頬がちぎれるほど、おいしいのです。
 それから一時間もしますと、空は、はじめの十倍ほどの広さになっていましたが、その空がほのぼのと白みはじめたのです。すがすがしい青空が、だんだんあかるくなるにしたがって、星の光がうすれ、やがて、それが全く見えなくなってしまったころには、空はまぶしいくらいになって、両側の高い岩山も、まざまざと姿をあらわしました。
 少年たちはこんな美しい朝を見たのは、生まれてからはじめてのような気がしました。ほんとうに生きかえったような気持です。太陽のありがたさが、この時ほどしみじみと感じられたことはありませんでした。
「ア、青い木が見える。ホラ、あすこをごらん」
 目早い保君の指さす方角を見ますと、岩山の間から、はるか向こうに、青々としげった林がのぞいています。谷底はそこでおわって、川は平地に流れ出ているのです。その川の岸に立ちならぶ熱帯樹の林が、緑色に照りはえているのです。
「ワー、平地だ! 上陸地点が見つかったぞ。バンザーイ、バンザーイ」
 保君がおどりあがって叫びますと、二人もそれにつれて、高らかに万歳をとなえるのでした。
 漕ぐせわもなく、筏は流のまにまに、だんだん広くなって行く谷間を、静かに下って行きます。それにしたがって、向岸の帯のような緑の林が、一メートル、二メートルと右左にひろがって、こちらに近よって来るのです。その景色の美しさ、楽しさは、何にたとえるものもありません。
 それから一時間ほどのち、少年たちの筏は、とうとう岩山をはなれて、平地の川に流れ出ました。非常に広い川です。川というよりも大きな池といった方がいいかも知れません。すこしの波もなく静まりかえった水、そのまわりを、ぐるっと緑の林がとりまいているのです。
 谷間を出はなれると、たちまち流がゆるくなって、筏が進まなくなりましたので、少年たちは又、板の櫂で水をかかなければなりませんでした。
「アア、熱くなった。もうこんなものいらないや」
 保君が第一に、体にまきつけていた布を、ぬぎすてました。ほかの二人も、それにならったことはいうまでもありません。そして、シャツと半ズボンの軽快な姿になって、せっせと筏を漕ぐのです。
 筏は、油を流したようにゆるやかな水の上を、スーッスーッと進んで行きます。
 キラキラとかがやく空、青くよどんだ水、濃い緑の林、絵にかいたような景色です。
 ところが、筏が池のなかほどにきた時、突然、実に突然、その静けさの中に、ギョッとするようなことが起りました。
「キャーッ、キャーッ」というような、叫声が、まず聞えたのです。
 びっくりして、その方を見ますと、向こうの岸に近い水面に、何か小さなものが浮かんで、バチャバチャ水をはねかえしているのです。
「オヤ、なんだろう。ア、人間だ、人間だ」
「子供らしいね。土人の子供だよ」
 それは十二三歳の土人の子供が、ただ一人水泳ぎをしていたのです。しかし、なぜあんなに悲鳴をあげて、あわてているのでしょう。
「ア、子供のうしろに何か泳いでいる。変なものが泳いでいる」
「あれ鰐じゃない?」
「エ、鰐だって?」
 やがて、そのものの正体がハッキリわかりました。鰐です。一匹の大きな鰐が、土人の子供を、一呑みにしようと、追っかけているのです。
 その時、子供の叫声のほかに、また別の悲鳴が聞えて来ました。
 よく見ると、岸の林のしげみの中に、チラチラと人の姿が見えます。髪を長く肩にたらした、はだかの人です。女のようです。子供の母親かも知れません。
 その二つの叫声が入りまじって、けたたましく響きわたる中で、土人の子供と大鰐との、死にものぐるいの競争が行われています。
 子供と鰐とのへだたりは、わずか三メートルほどです。しかも、そのへだたりが、しだいにせばまって行くのです。
 いくら泳ぎがうまいからといって、子供の力では、とても鰐にかなうはずはありません。みるみる鰐は追いついて行きます。ア、もう二メートルほどになりました。あぶない! 次の瞬間には一呑みです。ごらんなさい。あの大鰐の口を、パックリと開いた口を!
 誰も助けてやるものはないようです。林の中で叫んでいる女も、飛びこんで子供を助ける勇気はないのでしょう。イヤ、たとえ勇気があっても、かよわい女の力ではどうすることも出来ません。
 三人の少年も筏の上に立って、アレヨアレヨと手に汗をにぎるばかりです。助けようにも、あまり遠くて、そのひまがありません。
「一郎君、銃を、銃を」
 哲雄君が叫んだ時には、一郎君はもうすばやく銃を取って、鰐にねらいを定めていました。一発でしとめなくてはいけない。打ちそんじたら大変です。
 その間にも、鰐はもう子供のすぐうしろにせまっていました。一メートルもないくらいです。アア、あぶない! 今にも、今にも、パックリとやられそうです。
 そのとき、グワンと空気が破裂したような感じがして、筏がグラグラとゆれ、一郎君の銃の先から白い煙が吹き出しました。
 発砲したのです。
 少年たちの目は一せいに、鰐にそそがれました。
「あたった! あたった!」
 保君のおどり上るような声。
 弾丸たまは見事に鰐の頭をつらぬいたのです。鰐はガッと口を開いて、大きな体をぐるっと一回転させたかと思うと、そのまま水中に沈んでしまいました。
 土人の子供は助かったのです。

夢の国


 子供はやっとの思いで岸に泳ぎつく、そこへ木のかげから、土人の女が駈け出して来て、なにか奇妙なさけび声をたてながら、子供をだきしめましたが、子供は岸にはい上ったまま気をうしなったものとみえて、グッタリとしています。
 筏の上の三少年は、思いがけぬところに、妙な土人がいたものですから、もしや人食人種ではないかと、うすきみわるく感じましたが、土人の女が、気をうしなった子供を見て、おろおろしている様子が、いかにもかわいそうですし、その女の顔は、土人ながらどこかやさしいところがあって、まさか人食人種の妻とも考えられませんので、ともかく上陸して、その子供を介抱してやろうじゃないかと、相談をきめました。
 熱帯樹のしげっている岸に、筏をつけて、三人が上陸しますと、土人の女は、見なれぬ服装の少年たちを見て、やっぱり気味が悪いのか、ちょっと逃げ出しそうにしましたが、だいじな我が子をすてて逃げるわけにも行かないので、そこに立ちすくんだまま、ためらっている様子でした。
 少年たちは、相手を安心させるために、ニコニコ笑いながら、そこに近づき、グッタリと倒れている子供をだき起してさまざまに介抱してやりました。
 そして、やっと正気を取りもどし、ビックリした顔で、キョロキョロあたりを見まわしている子供を、だきかかえて、「サア、君の子供を受取りなさい」というように、ニコニコしながら、女の方へ近よって行きますと、女はいきなり地面にひれふして、何かわけのわからないことをいいながら、まるで神様にでも礼拝らいはいするように、少年たちをおがむのでした。
 無智な土人の女にも、少年たちが我が子の命の親であることは、よくわかっていたのです。その上、死んでしまったのかと思っていた子供を、生きかえらせてもらったのですから、少年たちを神様のように思うのもむりではありません。
 女は三十歳くらいなのでしょう。腰のへんに布のようなものをまきつけているほかは、まっぱだかで、その肌が日に焼けて茶色になっています。でも黒ん坊ではありません。顔つきも肌の色も、どこやら日本人に似たところがあるのです。
 それが、ちぢれっ毛ではありますが、黒いフサフサした髪の毛を、肩の上になびかせて、一生懸命に、おじぎをしているのです。おじぎといっても、日本人のおじぎとはどこかちがっていて、もしこんな場合でなかったら、思わず吹き出したくなるような、へんな恰好をするのですが、でも、三人に心からお礼をいっていることは、よくわかるのでした。
 女は何度も何度もおじぎをしたあとで、オズオズと少年たちの方へ歩みより、一郎君が小脇にかかえていた子供を、受けとるために、両手をさし出しました。
 そして、子供を自分の両腕にだきかかえますと、又地面に坐って、何かいいながら、おじぎをくり返しましたが、それがすむと、サッと立上って、子供をだいたまま、いきなり林の外へかけ出して行ってしまいました。
 少年たちは、言葉はわからないでも、手まねで、この女にいろいろたずねたいと思っていたのですが、アッというまに、女は林の下をくぐって、たちまち姿が見えなくなってしまったのです。
 そこで少年たちは、思わず女のあとを追って、林の中を、川の反対の方へ歩いて行きましたが、二十メートルも進むか進まないに、もう林がつきて、三人の目の前にはパッとあかるい世界がひらけました。
「アラ!」
 保君のとんきょうな叫び声、そして、三人はそのままそこへ棒立ちになってしまいました。
 それほど、目の前の景色が異様だったのです。夢でも見ているのではないかと、うたがわれるほど、ふしぎな眺めだったのです。
 そこは、さしわたし五百メートルもあろうかと思われる広っぱでした。でも、ただの広っぱではないのです。土が真白にかがやいているのです。イヤ、土ではありません。地面全体が少しずつでこぼこのある、大きな白い岩なのです。
 その広っぱのまわりには、三人の立っている林の方をのけて、三方を、グルッと山がとりまいています。それもただの山ではなく、けずり取ったような高い高い岩山が、ニョキニョキとおそろしい姿で空にそびえ立っているのです。
 その山には土というものがないとみえ、木も草も生えていません。ただ輝くばかりの白い岩が、広っぱをグルッと取りかこんで、目もはるかにそびえ立っているばかりです。たとえていえば、そこは、ちょうど白い瀬戸物のコップのような形なのです。広っぱをコップの底とすれば、まわりの山々はコップのふちにあたります。それほど山が高くて、けわしいのです。
 それだけでも非常に変った景色ですが、そこには、もっともっと驚くべきものがありました。
 一方の白い岩山のすそに、大きな段のようになったところがあって、そこに建物の柱らしいものが、何十本となく立っているのです。屋根はありません。自然の岩山を、そのままくりぬいて、岩の柱だけが残してあるらしいのです。
 柱と柱の間は、暗い影になっていて、よくはわかりませんが、その奥に岩を掘りぬいた広い部屋がいくつもあるように感じられます。つまり、自然の岩山で造った宮殿ともいうべき、びっくりするほど大がかりな建物なのです。
 その白い柱が立ちならんでいるすぐ前から、建物全体の幅で、何十段とも知れぬ石の階段が、ズーッと地面まできざまれています。日本のやしろやお寺には、ずいぶん高い石段がありますが、こんな幅の広い石段はどこにもありません。哲雄君はそれを見て、いつか歴史写真集で見た、古代エジプトの、ある王宮の写真を思い出しました。これはその王宮ほど大きくはありませんが、何となく似たところがあります。こんな立派な建物をつくるところを見ますと、ここに住んでいる土人は、古代エジプト人ほども、知識が進んでいるのかもしれません。
 さいぜんの女は、子供を小脇にかかえて、その白い広っぱを、宮殿のような建物の方へ、一もくさんに走って行きます。黒髪を風になびかしたそのうしろ姿が、小さく見えているのです。
 ところが、目でそのうしろ姿を追って行きますと、ギョッとしたことには、女が走って行くむこう、宮殿の石段の前を、十数人一かたまりになった男の土人が、いそぎ足でこちらへ歩いて来るのが見えるではありませんか。
 少年たちは何となく気味が悪くなって来ましたが、気味が悪いよりも、びっくりする方がさきでした。それは、男土人たちの服装なのです。ごらんなさい。土人たちのからだは、まるで仏像のように、キラキラと金色に光り輝いているではありませんか。
 遠いので、くわしくはわかりませんが、土人たちは皆、金色の兜のようなものをかぶり、金色の鎧を着ているらしいのです。
「ア、そうだ。ここが黄金国かもしれない。あのイギリス人のいっていた黄金国かもしれない」
 少年たちは、ほとんど同時に、心の中でそう叫びました。
 アア、あれは夢や幻ではなかったのでしょうか。瀕死ひんしのイギリス人のうわごとではなくて、ほんとうに黄金の国があったのでしょうか。

黄金宮殿


 あっけにとられて見ていますと、子供をかかえた女は、やがて金色の人々に近づき、何かあわただしく話しています。きっと三人の奇妙な少年たちが、どこからともなく現れて、鰐を打ち殺してくれたことを、報告しているのにちがいありません。
 女の報告を受けた男土人達は、しばらく何か相談していましたが、やがて、一同そろって、いそぎ足に、こちらへ近づいて来る様子です。
「ア、僕たちのところへ来るんだぜ。僕たちをつかまえるつもりじゃないかしら」
 保君がいちはやくそれと察して、心配そうにささやきました。
「そんなことはないよ。僕たちをひどい目にあわせるはずはないよ。僕たちはあの子供の命の親なんだもの。ごらん。みんなこわい顔なんかしていないじゃないか」
 哲雄君が、近づいて来た土人たちの表情を見ていいました。
 いかにも、土人たちはみな優しい顔をしていました。中にも先頭に立っている、長い白髭を胸にたれた老人は、この土人たちの中で一番えらい人なのでしょうが、何となく威厳のある顔に、ニコニコと微笑さえ浮かべています。
 三人は、その様子にいくらか安心して、でも一郎君は、例の銃を両手にかまえて、イザといえば発射できる用意をして、じっと土人たちの近づくのを待っていました。
 近づくにしたがって、土人たちの服装もハッキリわかって来ましたが、最初考えたとおり、それはやっぱり金の兜、金の鎧だったのです。
 兜は、日本はもちろん、西洋のどこの国の兜にも似ていない、妙な形のものです。全体がキラキラ光る金色の火焔の形をしているのです。頭の上で炎々と火が燃えて、その金色こんじきの焔がうしろの方へ風になびいているような、勇ましい形につくってあるのです。
 鎧も全部金色にかがやいていますが、そのつくり方は、やっぱりどこの国の鎧とも似ていません。しいていえば、国史でおそわった日本の埴輪はにわに、どことなく似ています。神武じんむ天皇のお供をした、私たちの先祖は、ちょうどこんな鎧を着ていたのではないかと思われるような、古風なつくり方なのです。
 手や足ははだかのままで、胸と腹と腰のまわりだけ、鎧でかくされているのですが、そのはだかの足の先には、西洋の大昔の武士がはいたサンダルという革のわらじとでもいうようなものをはいていて、そのサンダルまでが、うすいしなやかな黄金で出来ているのです。
 手にはみな長いやりを持っていましたが、その鎗の柄にも、金がまきつけてあるという調子で、何から何まで黄金ずくめなのです。この土地にはよほど大きな金山があるのにちがいありません。
 そういういでたちの十幾人の土人が、ノッシノッシと大またに歩いて来るのですが、皆が足を動かすたびに、鎧のすそがふれ合うのでしょう、チャリンチャリンと美しい黄金の音色ねいろが、まるで音楽のように聞えて来ます。風鈴が、いくつもいくつも風に吹かれて鳴っているような、やさしい涼しい音色です。
 少年たちは、いよいよあっけにとられて、何を考えるひまもなく、ただもう夢でも見ているような気持で、ぼんやりと立ちすくんでいる内に、やがて、キラキラ光る土人たちは、もう目の前に近づいていました。
 先頭に立った白髪の老人が、ニコニコ笑いながら、三人に向かって何かいいました。むろん叱るような声ではなく、ごく丁寧な口調です。
 少年たちは互に顔見合わせてだまっていました。相手が何をいっているのか、少しもわからないからです。
 老人は言葉が通じないとさとると、今度は手まねをはじめました。それも、はじめの間はどういう意味かよくわかりませんでしたが、やがて、「私たちと一緒に、あすこに見える建物の中へ来てくれ」といっていることが察しられました。建物というのは、むろんあの宮殿のことです。
「僕たちをあすこへつれて行って、しらべるつもりかもしれないぜ」
「ウン、そうらしいね。でも、今さら逃げ出すわけには行かないから、ともかく行ってみようよ」
 少年たちはそんな相談をした上で、老人に向かって、いっしょに行ってもよいという意味を、手まねで知らせました。
 そこで、老人はうれしそうにうなずいて見せると、「サアどうか」というように、先に立って歩きはじめました。少年たちもそのあとにつづきます。十幾人の土人たちは、見なれぬ服装の少年を物めずらしそうに、ジロジロながめながら、三人のまわりをとりまくようにして、歩くのです。そうして歩いている間中、あの美しい風鈴のような音色が、たえず三人の耳をたのしませました。
 やがて、一同は白い広場を歩きつくし、高い石段をのぼりつめて、いよいよ石の宮殿の中に入って行きました。想像した通り、その中には大小さまざまの石の部屋がならんでいて、その間に広い石の廊下がつづいているのです。
 一同は建物の入口で、やはり黄金の鎧を着た番兵らしい土人の敬礼を受け、長い廊下をいくつもまがって、奥まった一室へ入って行きましたが、その部屋に一歩ふみ入るやいなや、少年たちは又しても、アッと驚きの声を立てないではいられませんでした。
 そこは畳にして百畳もしけそうな大広間ですが、その天井から床から四方の壁まで、すっかりキラキラ光る黄金の薄板ではりつめてあるではありませんか。天井の一部に光線をとる穴があけてあって、そこからさしこむ光が、壁や床の黄金に照りはえ、目もくらむばかりの美しさです。
 あまりのきらびやかさ、まぶしさに、少年たちはしばらくの間、その部屋に何があるのか、よくわからないくらいでしたが、やがて目がなれるにつれて、そこがこの土人達の酋長、つまり黄金国の王様のお部屋であることがわかって来ました。
 正面の一段高くなったところに、黄金の椅子のようなものがすえてあって、そこに、四十歳くらいの黒い髭をはやしたりっぱな人物が、ゆったりと腰かけていました。この人のは、兜も鎧も今まで見たのとはちがって、様々のこまかい彫刻をしたかざりが一面についている、何ともいえない美しいものでした。これが黄金国の王様だったのです。
 その王様の左右には、やはり黄金の鎧を着た土人の武士が七八十人、ズラリとならんで、めずらしそうに少年たちを見つめています。
 老人とその部下の土人達は、王様の前に平伏して、なにか神様でもおがむような恰好をしていましたが、それがすむと、老人だけが立上って、少年たちを指さしながら、しきりと何かしゃべりはじめました。いちぶしじゅうを報告しているのにちがいありません。
 老人が話しおわりますと、今度は子供を助けられた女土人が呼び出され、この女もくわしく事情を物語りました。
 それらの報告を聞くにしたがって、王様の顔には、驚きの色が浮かんで来ました。そして、しばらくの間、ふしぎそうに、三人の少年をながめていましたが、やがて、王様の口からはじめて言葉がもれ、老人に向かって何か命じた様子です。
 すると、老人は少年たちの前に来て、例の手まねをはじめたのですが、老人が同じことを何度もくり返している内に、少年たちにもやっと意味がわかって来ました。
「お前たちはいったいどこから来たのか」
 とたずねているのです、しかし、そうわかっても、言葉が通じないのでは、どうにも説明のしようがありません。三人は途方にくれて、顔見合わすばかりでしたが、やがて哲雄君がシャツの胸のポケットに手帳と鉛筆があることを思い出しました。
「アア、いいことがある。僕、絵をかいてみるよ。あのイギリス人と話したようにやればいいんだ」
 そこで、手帳を取出して、あの子供を助けた川と、そのむこうの高い岩山の谷間から、筏に乗った三少年が流れ出してくるところをかいて、手まねといっしょに老人にさし出しました。
 老人はそれがわかったとみえ、うなずきながら、手帳を受取って、王様の前に進み、その絵を見せて何か説明しました。すると、王様の顔に浮かんでいた驚きの色はますます濃くなり、左右にならぶ武士達の間にも、びっくりしたようなざわめきが起りました。
 少年たちは、どうしてみんなが、こんなに驚いているのかと、うす気味悪く思っている内に、とつぜん思いもよらぬことがおこりました。王様が椅子から立って、ツカツカと三人の前に近づいてこられたのです。そして、少年たちの手をとるようにして、壇の上につれもどり、自分の椅子のそばへ三人を立たせたではありませんか。
 それから、王様があたりを見まわして、おごそかに、何かいいますと、いならぶ臣下たちは、一人のこらず床にひざまずいて、三人の少年に向かって、例の神様をおがむような恰好をして、しばらくは頭を上げるものもありませんでした。
 その時は、少年たちはきつねにばかされたような気持で、何が何だかわかりませんでしたが、あとになって、この土人の国の言葉がわかるようになってから、聞いたところによりますと、王様をはじめ武士達に、三人がこれほどの驚きをあたえ、尊敬をうけたのには、もっともなわけがあったのです。
 その一つは、一郎君が何か棒のようなものの先から、火と煙を出して、まるで魔法のように鰐をうち殺したことです。この土人の国には、まだ銃というものがなかったので、そういう魔法を使う一郎君たちは、神様のようにえらい人としか考えられなかったのです。
 それからもう一つは、三人が川のむこうの谷間からやって来たということです。
 この国では、昔からあの谷の奥をつきとめたものは一人もなく、谷の奥にはおそろしい魔神がすんでいて、そこへ近づくものにはたたりがあると思いこんでいたのですが、そのおそろしい魔の谷間から、三人の可愛らしい顔をした少年が現れて来たというので、いよいよただの人間とは思われなくなったのです。この三人は神様のお使にちがいないと信じこんでしまったのです。
 それなればこそ、あのいかめしい王様でさえ、少年たちを自分の兄弟かなんぞのように、同じ壇の上へみちびかれたのです。王様がそれですから、家来たちの気持は、もういうまでもありません。三人の少年を王様と同じくらいに、イヤ王様以上にさえうやまい恐れてしまったわけです。
 みなさん、私たちの三少年の上に、今こそ思いもかけぬ幸運がめぐって来たのです。何度となく命がけの困苦をたえしのんだ三人の智恵と勇気には、神様も感心なさったのでしょう。最後には、まだ世界中のどんな少年も味わったことのない大幸福をさずけて下さったのです。夢かと思っていた黄金国が見つかったばかりか、その国の大切な客となって、土人達にあがめうやまわれる身の上となったのです。

凱旋の日こそ


 それからの三少年には、ただうれしいこと、たのしい事がつづくばかりでした。少年たちの黄金国での愉快なくらしを、くわしく書けば、それだけでも一冊の本が出来るくらいです。でも、三少年の冐険の物語はここで終ったのですから、それから後の出来事は、ごくかいつまんで記しておくにとどめましょう。
 それが、三人にとってどんなに得意な、楽しい日々にちにちであったかは、読者諸君のゆたかな想像力で、十分想像して下さい。みなさんが、どれほどすばらしい想像をめぐらされても、おそらく、すばらしすぎるなんていう事はないだろうと思います。
 少年たちは、その日から三日ばかりの間、黄金国のいろいろなものを見てまわるのについやしました。例の白髭の老人が、親切な案内者となって、あちらこちらと見せてくれたのです。
 まず第一に、石の宮殿の中を見物しましたが、そのりっぱなことは、これが野蛮人も同様なこの国の土人達の手で出来たのかと疑われるほどで、中にも彫刻のならべてある部屋などは、そのきらびやかなこと、筆にも言葉にもつくせないくらいでした。
 そこには美術展覧会のように、さまざまの形をした人間や動物の像が何百となくならんでいるのですが、それが、石や木の彫刻ではなくて、ことごとく黄金なのです。京都の三十三間堂には、びっくりするほどたくさんの金色の仏像がならんでいますが、ちょうどあんな風なのです。しかもそれが、三十三間堂のとはちがって、中まですっかり本当の黄金で出来ているのです。
 宮殿の中を見てしまいますと、今度は外に出て、岩山の谷間谷間にある、一万人に近いという、この国の人民たちのたくさんの家を見てまわりました。それらの家はみな、白い岩山をくりぬいてつくってあるのです。つまり、この国の人たちは、一人のこらず岩の中に住んでいるといってもいいのです。
 又、ある岩山のうしろには、金を精錬する非常に大じかけな工場のあることもわかりました。この国のまわりの山々から掘り出したおびただしい金の鉱石が、その工場で次々と美しい黄金になって行くのです。
 あの子供を助けた湖水のように広い川は、川下の方で細くなって、それが高い岩山と岩山の間をぬって、はるか山脈のむこうがわへ流れているのですが、その川下のごく近い所に、広い土地があって、そこでたくさんの果物や穀物などがとれることもわかりました。
 あとで聞いたところによりますと、そのはるか川下の、山のむこうには、人食人種の大きな部落があって、その野蛮人が、この国の穀物や黄金をうばい取ろうとして、時々攻めのぼって来るので、それをふせぐために、強い軍隊が必要となり、武術をみがくことが盛んになって、王様をはじめ武士たちが、鎧や兜に身をかためているというわけでした。
 さて、一通り国内の見物がおわりますと、三人は宮殿の中の一室をあてがわれ、いつの間にこしらえたのか、皆と同じような黄金の兜と鎧とサンダルまで、ちゃんと用意してあって、三人はそれを身につけることになりました。そして、れっきとした黄金国の一員となったわけです。
 それから、この国の言葉の勉強がはじまりました。黄金国の大臣というような、位の高い人のお嬢さんが、毎日三人の部屋に来て、言葉を教えてくれるのです。身分が高いだけあって、これが土人の娘かと疑われるほど、美しい可愛らしいお嬢さんで、教え方もなかなか上手だったものですから、三月もすると、大体この国の言葉が話せるほどに進歩しました。
 さて、言葉が通じるようになるのをまって、いよいよ三人に重い役目がさずけられることになったのです。
 まず三人の内で一番力も強く勇気もある一郎君は、この国の軍隊の長官を命じられました。まだ子供のくせに、一とびに一国の司令官と同様の役目についたのです。少年の将軍です。
 一郎君はよろこんでその役目をひきうけ、大人の武士たちに、学校で習った、日本式の軍事教練を、知っているかぎり教えてみました。そのおかげで、もとより強い黄金国の軍隊が、ますます強くなったことは申すまでもありません。もう人食人種なんか、少しもこわくはないのです。
 哲雄君は智恵がすぐれているのを見こまれて、武士やその外の人民を教育することを命じられました。これも一とびに一国の大学総長となったわけです。
 宮殿の中の一室を教室にあてて、小さな先生が大いばりで、大人たちを教えるのです。先ず何より無智な土人たちに、世界の地理を知らせなければならぬというので、哲雄君は自分で大きな地球儀をつくり、それを教室の石の机の上において、日本をはじめとして、世界各国のありさまを、知っているだけ教えて聞かせました。それを聞いた、土人たちの驚きがどんなであったかは、みなさんのご想像におまかせしましょう。
 チャメの保君は、その快活な話上手が、たいへん王様の気に入って、いつも王様のそばにいて、話相手になったり、相談役になったりする重い役目を仰せつかりました。いわば少年侍従長です。でも、保君は得意のチャメで、王様を笑わせることは上手でしたが、むつかしい政治上の相談などは苦手だものですから、そういう時には、いつも、大学総長の哲雄君の所へ飛んで行って、智恵を借りるのでした。
 アア、黄金の国の将軍! 大学総長! 侍従長! まだ小学生の身で、こんなすばらしい出世がまたとあるでしょうか。浦島太郎が竜宮へ行った時でも、これほど楽しくはなかったかも知れません。
 しかし、そのうれしく楽しい中で、たった一つ悲しいことがありました。それは、日本のお父さまお母さまに、もう一生あえないかも知れぬということです。せっかくの幸運を、お知らせするすべさえないことです。
 では、三少年は、長い長い生涯を、この南洋のはての、誰にも知られないふしぎな国で終る運命なのでしょうか。イヤイヤ、そんなことはありますまい。南洋の島々は、今世界注視の的です。それらの島々へ通う船はますます多くなり、まだ知られていない野蛮地方の探検は、日一日と盛んになって行くことでしょう。
 三少年のいる島へも、どこかの国の探検隊が出向かないとは限りません。たとえ、少年たちと同じ道を通って、黄金国に達することはむつかしいとしても、まだもう一つの道が残っています。人食人種の部落を征服して、あの川をさかのぼって来る道です。
 三年先か、五年先か、それはわかりませんが、おそらく十年とはたたない内に、きっとそういう探検隊が黄金国を発見するにちがいありません。そして、その探検隊から、黄金国のふしぎな住民と、その国の顧問こもんとして、土人たちをみちびいている感心な三人の日本少年のことが、世界中の新聞社に伝えられた時、その記事を読む世界各国の人々の驚きは、まあ一体どれほどでしょうか。アア、そのすばらしい日が、一日も早く来ますように!
 もしそうなったならば、黄金国の王様は、きっと三少年の国、日本を訪問したいとおっしゃるにはちがいありません。そして、黄金国は日本の保護を受け、日本の弟分になりたいと望まれるにきまっています。
 ああ、その日はいつ来るのでしょうか。
 みなさん、想像してごらんなさい。故郷に錦をかざるどころか、故郷に黄金をかざる三人の日本少年。黄金の衣裳をつけた王様のお供をして、自分たちもあのキラキラ光る鎧と兜を身につけて、横浜の桟橋に上陸する時の、また東京駅についた時の、そのさわぎを想像してごらんなさい。ほんとうに日本中がわきかえることでしょう。アア、何というすばらしい光景。それを考えただけでも、うれしさに、もう胸がドキドキして来るではありませんか。





底本:「江戸川乱歩全集 第14巻 新宝島」光文社文庫、光文社
   2004(平成16)年1月20日初版1刷発行
底本の親本:「新宝島」大元社
   1942(昭和17)年7月25日
初出:「少年倶楽部」大日本雄弁会講談社
   1940(昭和15)年4月〜1941(昭和16)年3月
※「持上げられる」「持ちあげ」、「洞窟」と「洞穴」、「助かる」と「助る」、「助かった」と「助った」、「オラン・ウータン」と「オランウータン」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、「江戸川乱歩全集 第14巻 新宝島」光文社文庫、光文社、2015(平成16)年6月25日初版2刷発行の表記にそって、あらためました。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:入江幹夫
2021年8月28日作成
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