青バスの女

辰野九紫




 新聞雑誌製作者は常に言う。――無責任な読者の投書が多くて困ると。そして必ず附言する――英人は片言隻句へんげんせっくにも、本名を記すことを忘れないと。ジョンブル気質礼讃かたぎらいさんである。しかり、匿名での一言居士いちげんこじは、卑怯でもあり、罵詈雑言ばりぞうごんは慎しまなくてはならぬ。いわんや、名誉に関する言議に、覆面の偽人は戒心を要する。さりながら、英人といえども、ハイド公園パアクの散策に、
「モシモシ、あなた、手巾ハンカチーフが落ちましたよ。……私はジョージ・バーナード・ショウで御座います」と、名乗りを上げるであろうか。
 これが又、舞台をお江戸、湯島天神の境内に廻して、
「ええ、旦那扇子が落ちましたよ」
「ハイ、御親切に有難う御座います。シテ、あなた様のご尊名は……」
「ウム……言われて名乗るも烏滸おこがましいが、練塀小路ねりべいこうじかくれのねえ、河内山宗俊こうちやまそうしゅんたァ俺のことだッ」とでもやられて見ろ、仮令たといその扇子が親譲りの、両替商初代山城屋久兵衛遺愛の重宝にしたところで、相手が相手、下手へたな包み金でもしようものならかえってどんな言いがかりの種にされないものでもない。なまじっか、律儀に、ご尊名などを聞かなければ、雲州侯うんしゅうこうも手玉に取った、御数寄屋おすきや坊主の宗俊が、蔭間かげま茶屋通いの、上野東叡山とうえいざん生臭なまぐさか、そんなことに頓着なく、
「ハイ、有難う御座います」で、百文も失わずに済んだではないか。
 さて又、本所太平町のバラック長屋に住い、可憐なる孝行娘の納豆売りを、薄給の身でありながら、人知れずたすけてここに六箇月という感ずべき青年巡査表彰の記事が新聞に出ると、これまた薄給の小店員が、日本橋区KN生などと、夜学で覚えた羅馬ローマ字で、金一円也を孝行娘に届けて貰いたいと、天下御法度はっとの現金輸送という奴で、紙幣のまま封込ふうじこんだ添手紙が新聞社宛に托される。そうかと思えば、貧者の一灯、長者の万灯、太平洋横断飛行に、東京、無名氏より、金一万円寄附の記事が、同じ新聞に掲げられる。両者共に美事善行である。だが然し、住所姓名明記なきものとして、所謂いわゆる没にはならないのである。
 そこで、僕おもうに、人身攻撃、悪口の斬捨御免でない限り不注意な誤謬ケヤレスミスを注意してやる程度のものならば、あえて堂々と本名を名乗るにも及ぶまいと、マイナスをプラスにする家常茶飯の注意を促すには、すべて無名をもってしている。たとえば、府下大井町の呑み友達の家へ行く省線から降りての途中、床屋の新店が出来てたとする。然り、床屋――理髪店とか、調髪師と称するには、余りに狭い間口であり、余りに二十箇月月賦販売丸丸商会仕入れの椅子である。その新看板に、よせばよいのに、何の足しにもならないが、不思議に何店どこでもやっている通り、羅馬綴りでSAKACHITAと、店名が入れてある。さはさり乍ら、この店主、姓をサカチタとは申さで、坂下であるのを看過かんか出来ないのが、僕の性分である。といって、のこのこその店へ入り込んで、天下の重大事であるごとく、誤記を指摘訂正してやる勇気をもたぬ性分でもある。そこで、全国一斉に、「番地札を掲げましょう」の国家動員で、近頃おおいに助かる。新らしき床屋の番地を、心底深く牢記ろうきして呑み友達の家で、酒盃を挙ぐる間に忘れもせず、自家うちへ帰ってから、CとSの書損いを、ハガキで注意してやるのである。――どうもこの場合、住所姓名を書いてやると、兎角とかく日本人という奴の国民性が然らしむるのか、無料理髪券でも謎をかけたように思われ勝ちな気がして、本姓を名乗る気になれないのは、敢て僕ばかりではあるまい。
 そうして置いて、頃合いを計って、府下大井町へ出掛けるのは、呑み友達の家が終点ではあるが、酒よりもず床屋の看板が、果して訂正されているか否かを確かめるのが楽しみなのである。案の定、Cの字が一壁、ペンキで塗りつぶされて、Sの字が、ちと他の文字と釣合いを失いながらも、盛り上っているのを見ると、僕は無上によろこばしくなって、つかつかとその店へ入って、僕自身の理髪日を繰上げてまでも、店主坂下君を煩わし、壁間に掲げてある、東京美髪協会総裁×爵大××麿閣下よりたまわりし、トンソリアル・アーテストの称号免状?と、何も知らぬれ坂下美髪師とを、等分に鏡の中で見分けながら、慈悲善根を施した高僧の如くでないまでも、兎に角法悦らしいものにひたれるのだから、ハガキ代一銭五厘は安いものではないか。――そこで銭のことを言い出す奴があるものか。ちぇっ[#感嘆符三つ、227-14] この凡夫の浅ましさよ。

 又々例えば、時候も春めいて、僕の大好きな「鳥の竹の子煮」と称する、名の示す如き甘煮うまにが、京都名産と銘打って、百貨店デパートの食料品部の一役を勤める頃となれば、僕はその辺に行ったついでの、出たとこ勝負で、最寄りの百貨店デパートで求めることにしている。まだ二三年前の東京お目見えなので、何処どこの佃煮屋漬物店にもとは普及していないが、百貨店デパートへの卸元が同一の為めか、何店どこにもあるようだ。その銀座街頭、両々相対峙して、万引多きを売上高のバロメーターとして誇り、T署の刑事を予算超過に増員しても追付かぬ殷盛はんじょうに、不景気挽回策如何いかんなんて論説を書く経済学者、財政記者の迂愚うぐわらうかの如きM百貨店、双方恨みなしに屋上投身のありし通り、どっちも頭文字が同じだから書くのだが、その、わが親愛なる鳥の竹の子煮が百に付、片や七十銭、片や六十五銭と附け札が出たから、僕にとっては充分問題になるだろう。わずか五銭の差だと言いなさんな。金五銭出せば、溢れるような銭湯に入って、心身共に延び延びとなれるではないか。諸君は経験があるまいが、もって帳尻不足の銀行電話の口実にもなるし又以て債権者避けの楽天境でもある。――その五銭だから、僕の問題になる。ことに高い方のM百貨店は、僕の先祖代々ろくんだ北越百万石の領主が、東照神君とうしょうしんくん御霊みたま詣での途次とじ、お供先が往来の真ン中で、とびの者と喧嘩になった為めに、殿様の万一をおもんぱかる家来が思案に暮れている矢先き、
「むさ苦しゅうは御座りまするが、手前共でおよろしければ……」と、要領のいい平身低頭したのが、御贔屓ごひいきになる縁の初まりで、殿様が侯爵になってからも、邸内にM屋出張所を設け、毎日店員が伺候しこうして新柄珍品を御覧に入れ、お料理してたてまつる玉子しか御承知のない、家附女房のお姫様ひいさまに、生みたての地玉をお目にかけ、
「ああら、玉子とは丸いものかや。わらわは初めて拝見しまする」と、下情に通じさせながら、毎月のお買上げ金二万円也も、可成かなり古いおうわさであるが、――その先祖以来、全く他人と思われぬ方が高いのだから、僕は早速、その店の休憩椅子に腰を下ろして「支配人足下」と書き出した。それかあらぬか翌日から同値になったことを書いては蛇足だ。

 諸君、実に下らぬ家常茶飯ではあるまいか。それを又、一々、神経をとがらせて、その都度誰れに頼まれたでもなく、すくなくともハガキ代の自腹を切ってやる馬鹿があるかと、蔑視されもしよう。だが、然し……やっている僕自身にとって、こんな愉快な仕事はないのだ。代議士は国民の公僕になりたいと言って、法定額に数倍する金を費し、虚偽の清算書を出してまでも、日比谷で乱舞狂踏するではないか。新聞は一鬼熊を追跡する為めに、数万金も費して、しかして社会の指導者リーダーと称している。然るに、僕は、僕は大枚一銭五厘のハガキ代を原則として、社会の忠告者アドヴァイサアを以て任じているのだ。なんと、安価にして善良なる社会奉仕であることよ。――と、僕は主張するし、家人も、そんな高遠なる理窟のわかる、わからぬは別として、兎に角モノが一銭五厘なんだから、敢て問題にせぬようだ。

 以上、どこまで行ったら、閑話休題という字に出会うか、見当のつかぬ程数限りのない一書を呈上ていじょうしなくてはならぬ僕のことを、知人間では「一書呈上病患者」と、称しているそうな。それと同時に僕のことを、彼等は「憤慨居士ふんがいこじ」とも称しているそうな。けだし気に喰わぬことがあれば、事毎ことごとに憤慨する。かの「大菩薩峠だいぼさつとうげ」において怪奇なる役割を演ずる愛嬌者宇治山田の米友よねともの如く、内心鬱勃うつぼつたる憤懣ふんまんを槍に托し、腕力に散ずることの出来ぬ僕は、文書を以てするのである。この憤慨たるや、決して私憤を意味しない。正しく一片の私情をも挟まざる公憤であると、僕は信じ、つ、人、何が故に黙視するかを疑うものに対してのみ発するので、って来る所またひさ。――
 僕、十二三歳の頃、僕の家と隣家と共有の、約三十度の坂になった私道が、その奥に位するお寺への近道になっていた。然るに隣家の若主人が相続すると、先代の初七日も済まぬうちに、半分は俺のものだといって、お寺への通行人の迷惑をもかえりみず、自分の持分だけを崩し始めた。急に財産をけたので慢心したのだろうと、世人は嗤った。が、嗤って済まされないのが、子供ではあるが、僕だ。美濃紙みのがみ一枚に、学校のお清書の如く「公徳を重んぜよ」と大書して、夜になってその切取工事をしている所へ、四隅に重石おもしをして拡げて置いたものである。然し不幸な努力であったことには、隣家の若主人はじめ、土工も近所の人々も、公徳という意味がわからなかったらしい。現今いまでもそうではあるが、当時の日本人には、公徳心なんて小学修身書にも珍らしい文字であった。
 かくの如く僕の公憤心?は幼にして衆に優れていたらしい。されば長ずるに及んで、「空前絶後大捷たいしょうを博せる云々うんぬん」と、日露戦役に於ける日本海大海戦の勝利を、二十年後に歓喜している在郷軍人会××分会の記念表祝ポスターが町の辻々に貼られた時には「絶後とは何だ。分会長健在なりや」と、早速、忠勇義烈の日本国民を代表せる公憤を、一銭五厘に托して発したこともある。その他、講釈師見山けんざんが、田宮坊太郎の先祖を「北朝忠臣」なんて臆面もなくやったり、浪花節の燕月えんげつが「テームス河の上流に於て、海の藻屑と消え果てたり」なんて、新人ってうなるのを聴いて、僕がどんな態度に出たか、等、等、等、書けば際限もないが、この憤慨居士の公憤の余波をこうむって、立身出世に大障碍だいしょうがいかもした女があるのだから、僕も亦罪な男ではある。

 事柄は至って簡単だ。昨夏、日本橋から銀座まで、何かの用で急ぐことがあって、青バスに乗った。乗ってから一寸ちょっと困ったことには、小銭が五十銭玉と銅貨二個。――僕自身の内規では、二割以上の買物をしないで大銭を崩すことは仮令当方こっちがお客様であっても罪だと思っている。いつだか六十銭の鰻丼を食ってしまってから、えらそうに百円紙幣さつを出して釣銭を強要している奴と、椅子を二三隔てた時には、憤慨のやり場に困ったことすらある。だから、僕は次の停留場、通三丁目にさしかからない間に、先方も釣銭の出し易いようにと五十銭玉に二銭つけて、一区七銭を払おうとしたが、靴下の細っそりした白襟嬢は、車掌用語にでもあるらしく、
「細かいのはありませんか」とつんとしている。当方こっちは掛値なしの小銭払底なのだから、然らば他の乗客相手の取引で車掌に釣銭の出来るのを待つ外なしと観念して、後部座席に着いた。すると、京橋で車掌が切符を切りに奥へ入って来たから、僕は再び前の通り繰返したが、今度は見向きもせずに、前部へ引返して終った。其間そのかん回数券の客ばかりで、現金の収入はなかったようだ。そこで、僕の下りるのは銀座の四角であるが、しそれまでに釣銭が出来なかったら仕方がない。暑い盛りではあるが、終点新橋の青バス溜りまで乗って行って釣銭を貰い、徒歩で引返す外はないと覚悟を決めたものの日中そのテクがやり切れないから、出来ることならと、尾張町近くなって、三度五十銭玉に二銭添えて出すと、その女車掌がいうには、
「両替屋じゃないんですからね。気をつけて下さい」と、早口で大した権幕で、僕が心づくしの二銭など眼中にないらしく、ちゃんと四十三銭の釣銭を出すではないか。そこで僕はステップから下りながら、憤然として、
「悪いと思うからこそ下手に出てるんじゃないか。間抜奴まぬけめ」と柄にもなくタンカを切って、去り行く青バスの尻番号ナンバアを忘れないように手帳にけた。僕が無神経に五十銭玉で四十三銭の釣銭を強要したなら、一言もない。然し、僕自身では常々人一倍、これに苦労しているにもかかわらず、こんな雑言を浴せかけられたのだから、口惜くやしかろうじゃないか。僕は相手が女だからとて容赦は出来ぬ。彼女は恐らく僕のみにそうするのではあるまい。かる不親切な車掌は大に膺懲ようちょうせざるべからずと、例に依って公憤を発した。その夜ただちに筆を執って、事の顛末、日時、車体番号等を明記して女車掌大西冬子の糾弾状を、青バス株式会社女車掌監督係長宛に発送した。もっともこれは長文だから三銭奮発した。
 諸君は、よくも又、いつの間に、彼女の姓名を僕が承知したか、不審に思われるであろう。そこで言わねば話の順序がつかぬことになる。言えば憤慨居士の名誉にも関しようというジレンマに陥るが、実は最初、その青バスに乗った瞬間、女車掌のうちでは有数のシャンだなと、見るともなく運転手と並べて掲げてある首部の名札を見たものだ。それが一遍で覚えられた大西冬子嬢である。憤慨居士だってまだ若いんだ。少壮実業家の卵なんだから、美しいものを美しく評価するに無理はあるまい。公平こそは憤慨当否の最要力点ではないか。然し、青バス、円太郎を通じて珍らしい玉だなどと、敬意を表して名札を見たのが、公憤糾弾の役に立つのも変な廻り合わせである。それは兎に角として、僕惟うに、令嬢でも、芸者でも、女給でも、女群一座の中で美人と言われる女は、大抵それを自分に意識して、いやつんとすましていて、愛嬌に乏しいのが多い。わが白襟嬢もその部類であるまいか。
 却説さて、翌日の昼頃、広からぬ僕の家の玄関に、改まって人の訪ずれる声がする。女中が出たが、何やら見なれぬ人が要領を得ぬことを言っていると、又それがわけのわからぬ取次ぎ方である。恰度ちょうど日曜なので、気軽に僕が応対に出たものだ。すると詰襟の洋服を着た五十過ぎの年輩の、尤もらしい顔のおっさんが来客である。
「私は青バス会社から参りました者で……」と皆まで聞かずおいでなすったなと、僕は心に独りでうなずいた。
 僕は前日の手紙に『大人気ない話だが、小生一個の問題でなく、多数乗客相手のことだから、今後の為めを思い、且つ無根の事実でない責任の所在を明かにして、住所姓名を名乗る』と、大きく出た為めに、その挨拶に本社の監督が罷出まかりいでたのである。
「何分多勢おおぜいのことで御座いますから、つい、私共の不行届も生じまして……平素はあんなではありませんので、極く温厚な、どちらかと申しますと、成績も上の部なのですが……」とすこぶ叮嚀ていねいで、却って当方が恐縮する位。――僕の影弁慶は意気地もなく、こんなことを言って終った。
「さあ、何ですか、主人が不在るすでわかりませんが、……そういえば兄は昨日帰ってから、そんなことを一寸言っているようでした。何にしても、お話はよくわかりましたから、帰り次第、その旨申伝えて置きましょう」
「ではどうぞ宜しく御伝え下さいませ。実は課長が伺うのですが……それからこれは昨日の切手代にお納め下さいますように、はなはだ失礼では御座いますが……では御免下さい」
 取り出されたものを見て、僕はドキリとした。――三越の切手か、なんて下卑た考え方をしてはいけない。即ち僕の昨日の出費三銭切手を、そのまま返しても悪かろうと思ってか、一銭五厘の忠告者アドヴァイサアにとって皮肉ではないか。ハガキ二枚。――まさか、青バス会社で、僕を私立警告発信所長と知ってではあるまいけれど――いささか気がさしたね。
 その夕方、更に鉛筆の走り書き、一封の女文字の手紙が僕に来た。それが例の女車掌、大西冬子嬢からであるには汗顔至極かんがんしごくさ。彼女はいい加減、監督に油を絞られたらしく、昨日の無礼を詫び『今後叮嚀親切を旨として乗務致します云々うんぬん』とある。――その乗務という車掌用語めいたものに、僕は如何にも職業婦人らしい文章を見たのであった。そして末尾に三銭切手が返してあるのだ。そうすると僕は二重取得になるから、僕の正義心が承知しないし、又車掌君のしおらしさが気の毒にもなって、切手の逆送に添えて挨拶状を出した。
『話がわかれば僕は敢て何とも思うものではない。ただ心配なのは、僕が余計なことを抗議した為めに、あなたに対する会社の待遇、進級、賞与等に影響を及ぼすおそれはないかということで、不幸にしてそんなことにでもなればお気の毒でお詫びのしようもない。云々』と書いてやったのである。この時ばかりは、女房御免の忠告者アドヴァイサアも亦、油を絞られた。
「可哀想に……若し馘首くびにでもなって御覧なさい。あなた、御自分の会社ででも引取って上げなければ申訳ありませんよ。それが出来ますか。あなたの責任だわ」なんてね。僕は一言もなかったのみならず、彼女が美人だということは※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびにも出さなかった。斯かる場合、沈黙こそは家庭円満の安全弁である。
 それから僕は好んで青バスの愛用者となった。もう一遍、大西冬子嬢の所謂いわゆる乗務振りを拝見しようとしたが、流石さすが東京のことで、広くて狭くもあるが、狭くて広くもある。――新橋を基点として、上野浅草両方面に本石町で分れて循環するのと、新宿築地、丸ノ内廻りと、――至って簡単な運転系統である青バスの女車掌と限定されてあって、そのコース以外にはのがれる気遣いのない白襟嬢に、めぐり合うことすら、仲々天日に恵まれないのだから、思えば昔の仇討ちなんて、余程精神修養を積まないと、あんな悠長な真似は出来るものではない。況んや、僕は別に白襟嬢に恨みがあるわけでもなし、貸金があるのでもないから、忘れるともなく探す気持ちは薄らいで終った。

 年々歳々春が来て、桜花さくらの外に、今年は特に博覧会が人気を呼んで上野はおおいに賑わった。どこの勤労階級の家庭でもそうであるように、僕も一休日に、女房子供のお供を仰付おおせつかり折角の安息日を骨折損にくたびれて、一日の奉仕を終り、例に依って僕愛用の青バスに、僕の一小隊を乗せて万世橋へと向った。上野広小路から御成道に進行中、僕はふと買物を考付いたので、突然女房に向って、
「オイ、俺はうさぎ屋で買ってくるから、みんな広瀬中佐の銅像んとこで待ってろ」と、言い放つと同時に、僕の小隊に振り向きもせず、黒門町で下車して終った。そして籠詰めの最中もなかをぶらさげて万世駅に辿たどりつくと、軍神の銅像の下なる僕の女房の御機嫌、晴のち※(感嘆符疑問符、1-8-78)
「あなた、マア、どうなすったんです。急に独りで勝手に下りちまって……私、困るじゃありませんか。小さい坊やだけでも大変なのに、芳子ちゃんでしょう。それにあなた、御自分だけ回数券を切って下りちまってさ。私、後であんなに困ったことありませんでしたわ。生憎あいにく又、おたからが細かいのが足りないんでしょ。仕方がないから五円紙幣さつ出したの……」
「馬鹿ッ。お前は俺の家内じゃないか。日頃釣銭の原則位は……」
「だって、あなたが悪いのよ。回数券を持ってる癖に、置いてって下さらないんですもの」
「俺は急いだから、つい、その……」
「なにも、うさぎ屋の最中位、子供や私達を放置ほったらかして買う程のことないでしょう」
「買ったっていいじゃないか。お前が一番余計食べる癖に……」
「あなた、何を人中でおっしゃるの……外聞みっともない……」
「だって、俺は真実のことを言うんだ」
「それどころですか。私、ひどい目にあっちゃった。もう懲々こりごり、これからはもう御一緒にれて来て頂きませんわ」
 こんな次第で自家うちへ帰ってからも、女房のぶつぶつは納まらなかったが、犬も喰わぬうさぎ屋の最中を食べながらの報告、――然りもはや抗議ではない――に依れば、あの青バスの車掌は、世にも珍らしい親切なる乗務振りであったという。
「五円のお両替はして頂くし、芳子ちゃんは抱ッこして下ろして貰うし、ほんとに助かったわ」
「へえ、彼女あいつがか……」
「ええ、何もそんな事虚言うそいわないわ。それに仲々美人いいひとよ」
「あたい、あの車掌さん大好きよ。おんりさせて貰ったときあの姉ちゃんもそう言ったわ。――『お父ちゃん悪い方ね』って……」そばから幼稚生芳子まで口を出した。
「馬鹿ッ。お前までそんなことをいう」
「なにさ、あの姉ちゃん、知ってんの……」
「え、むむ」と息をついて、更に僕は女房に向って言った。
「オイ、あれが、その、あの……あれだよ」
「なんですの?」
「わからない奴だな。あれが、それ、去年の夏、俺が憤慨した女車掌なんだよ」
「マア、そう。――だって、あんな親切な車掌さん、めったにないわ。不思議ね」
「そこが、それ、憤慨居士の功徳くどくだろうさ」
 なんかんと、いやにしんみりしながら、又しても犬も喰わぬうさぎ屋の最中を一つ口に入れたものである。

 だが、然し、世間はそれ程甘く出来ていないことも、僕はその後五日目にようやく承知したのである。――それは、さきに不親切にして、今親切なる青バスの女車掌、大西冬子嬢から僕に来た手紙を読んで貰えばわかる。――
     ×  ×  ×  ×
 先日は久し振りでお目にかかれて本望でした。あなたは広小路から黒門町へのカーブの地点で、私の名札を見て、ようやく私であることにお気がつかれたようでしたが、私は上野でお乗りになる時から存じて居りました。でも、あんな慎しやかな奥様があって、あんな可愛らしいお嬢さんや赤ちゃんがおあんなさるお方とは夢にも存じませんでした。
 何故あなたは急に周章あわてて、御自分だけ途中下車なさいましたの。随分卑怯な方ね。私こそ、別に恨みがあるわけでなしお詫びと御礼を申上げなければならない。忘れられないあなたでは御座いませんか。それに奥様ばかりでは、ちとお骨の折れる程、こぶ付きなのに、生憎車掌が私であった為めに、邪けんにも買物にかこつけて逃げるなんて、私、奥様がお気の毒でしたわ。其後私がどんなに忠実な車掌であるかは、お帰りになってから、奥様が御報告なさったことと、蔭ながら悦ばしく思います。
 昨年の夏は心にもない失礼を致しまして申訳御座いません。それと、先日と、――あなたに私がお目にかかったのは二度と思召おぼしめすかも知れませんが、私は実は何遍もお目にかかっているのです。おわかりですか。――いいえ青バスでは二度ですが、その前に一度、私はあなたのお頭髪つむをお洗いしたことが御座いますのよ。……まだおわかりになりませんの……
 一昨年の秋、私の従兄が、長らく奉公していました本郷の××床の年期も明け、御礼奉公も済ませましたので、大井町に新店を開きました。それがサカチタ事坂下理髪店で御座います。やっとおわかりですか。従兄はその頃、開業早々で手が足りないからと、恰度遊んでいた私が、それに助けに参りましたのでした。あなた様から看板の英語が間違っているとの御注意を受けたのは(人違いかも知れませんが従兄も私もそう思っています)私が行って三日目でした。お蔭様で恥をさらさなくてよかったと、従兄も悦びました。わざわざそれを教えて下さるお方があるのだから、東京だって親切な人がいないわけでもない。それにしても随分おせっかいな方だなんて、……御免なさい。家中でよく笑いました。それから五六日経って、あなたは私共の店へ、後にも先にも、たった一度切りおいでなさいましたわね。後で従兄が申しますには、「冬ちゃん、お前どう思う。俺はどうも今の人がそうだと思うんだが……」と、看板の英語の一件の御当人らしいと言うのです。あの店は御承知の通り、正面にも鏡がありますので入口の横の窓を開けて置きますと、往来の人は一度は必ずあの中に映ります。それであのおハガキを頂いてから、従兄は「其看板が直ったかどうか、きっと見に通るに違いない。通れば並みの人と視線のやり場がちがう」と申しまして、注意を怠らなかったそうです。その怪しい視線とやらを、看板に投げたあなたが、お客様になってお入りになりました。それもまだお頭髪に手入れしなくても宜しい位なのに、お刈りになったので、的確てっきりそうと決めたのだそうです。が、あなたからは一言も看板のお話しはなさらないし、又当方から申上げるのも失礼と存じてそのまま、只今まで過ぎて終いました。遅蒔おそまきながら従兄に代りまして、改めて私から御礼申上げます。
 其後、徒弟も参りましたし、まだ他にいろいろの事情がありまして、私は青バスに入りました。これでも英語を知らない癖に、ストップ、オーライなんて、生意気な用語を使っています。考えると変なものですわね。自分自身のことを申上げてはお恥しゅう御座いますが、青バスに入ってからの私は忠実な乗務振りで、数多い中ですから浮いた話も沢山あるようですが、私は勤め第一と思いまして、成績は上の部でした。先日奥様やお嬢様をお世話申上げた位、あれは私として普通なのです。あなたは監督さんへのお手紙から、ああなったと思召すかも知れませんが、それは男の自惚うぬぼれと申すものですわ。
 昨年夏、私は久し振りであなたにお目にかかりました。それは一度私がお頭髪をお洗いしたお方であり、其後何度も坂下理髪店の前をお通りになったお方であることに間違いはありませんが、看板の英語を御注意下さったお方か否かは、私共で独断ひとりぎめにしただけで、真実ほんとうの事はまだわかっていないのです。そこで私はふと一策を案じました。見ず知らずの何のかかわりもない新店の、僅か一字の英語すら、間違って居れば素通り出来ない位のお方だから、ここで私が何か一つ間違いをすれば、又ハガキ位はお出しなさるだろうと、はなはだ失礼なことをたくらんだ時、あの五十銭銀貨です。済みませんでした。人の悪い話ですが、あなたは私の思う壺にはまったのです。手答えは確かにありましたけれど、意想外に強い反応があって、あんな結果に終りました。
 あれからはあなたのお手紙で御心配下さいました通り、監督さんよりも、実地を見て下さらないで、机の上で私共の考査をなさる上役の人達ににらまれましたのか、賞与も昇給も、何もかも皆様より分が悪く、成績は思わしくあがりませんでした。僅か一回とは申せ、自分から物好きでああなったのですから、何も悔むことはないのですが、それからはいくら忠実に乗務しても、成績の回復は出来ませんので、口惜しくて口惜しくて、何度そうと思ったか知れませんけれども、もう一度、あなたに私の平常の乗務振りを見て頂いてからでないと、私はやめるにもやめられなかったのです。
 ところで先日、あなたは上野から私の車に乗って下さいました。それもお一人でなく、奥様やお嬢様や赤ちゃんにも、よそながらお世話申上げることが出来ましたので、もう私は青バスに用のない身体です。それで、翌日辞表を出して、只今では銀座のM百貨店に勤務しています。私の出て居ります所は×階の食料品部で御座います。どうかこれを御縁に御引立下さいませ。私の係外の品物でもお名指しでお買上げ下さいますれば、私の成績も挙ることになりますそうで、それにいくらか御勉強を願えるように伺うて居ります。でも、まだ新参ですから馴れませんが、只今の私の持場で一番よく売れますのは「鳥の竹の子煮」です。御承知かも知れませんがこの鳥の竹の子煮と申しますのは、京都の名産で御座いまして、百匁に付……





底本:「探偵小説の風景 トラフィック・コレクション(上)」光文社文庫、光文社
   2009(平成21)年5月20日初版1刷発行
初出:「新青年」
   1929(昭和4)年1月
入力:sogo
校正:noriko saito
2018年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

感嘆符三つ    227-14


●図書カード