仙台の夏

石川善助




盆火紀元

 玻璃器ぎやまん和蘭魚きんぎよが、湯のやうな水にあえいでゐた、蒸暑い室を出て政宗は新しい青葉の城楼に立ち、黄昏の市を眺めてゐた。光は次第に影つてしまひ、暗に町は沈んで行つた。兵は長い戦も終へ、静かな心のゆとりの中に、かすかな信仰の願ひさへ芽ぐんでゐた。広瀬川原は河鹿のなく、寂びまいぞ寂びまいぞと張る感情に、何時しか京洛外の、典雅な焚事の思ひ出が写つてゐた。「ああ」「府下一家一炬を出して施火せよ街衢まちまちに冥界の霊を迎火せよ送火せよ」
 急ぎ役徒は、戸毎に汗をふきながら告知した。黒い樹蔭のはるか彼方此方あちこちに、やがて仏火の聖く炎ゆるをみた。老僧は七月の夜天に高く、盂蘭盆経を唱へ三世諸仏の御名を讃へた。

七夕祭

 日時計は午后を指してゐる、西班牙国せびゐるびとそてろは物珍しげに、竹に金銀短冊をさげ、晴衣をさげ、折鶴をさげ、軒軒にかざし、さては花火どんどろをあげ、はるか、宙の乳街あまのかはを祝ふ異風の祭の中にたたづんでゐた。あやめ色の空の下で、士も、町人も、婦童をんなわらしも着飾つて、七夕や、七夕やと、喚き町を流れて行つた。華やかな、※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)たる伊達模様の優雅あでやかさ、この美麗な豪奢はそてろ蕩魔さたんの試みでないかとさへ思はれた。ふと、支倉六右衛門の面へ作笑ひを送つたが、乾いた喉の中では、幾度も、天帝でうす聖瑪利亜さんたまりあ 童女びるじん聖瑪利亜さんたまりあと叫んでゐた。
 ささとなる竹の葉、色紙細工、紅白の長い吹流し、北から来る、かすかな季節風は、この都に、はや夕暮を告げてゐた。人形しかけもの台には灯烙ぼんぼりがともり多彩な幾つもの車楽はやし飾車だしは、群集にゆれながら近づいて来るのであつた。

 古城は川瀬に何をなげく、今もかなかなのなく森のまち、昔の行事は次第に廃れて、わづかに旧家の中に名残をとどめるばかりだ、何時か、あれら風雅も午睡の夢や物語となるであらう。私の様な懶い零落末裔おちぶれものは、廃寺、無縁の石仏に、水打ち慰めたり、蝙蝠の飛ぶ、士族屋敷の土塀のかげに、団扇して、遠い空しい昔ばかりを語るきりだ。





底本:「日本随筆紀行第四巻 岩手|宮城|福島 川面燦めき岸辺萌ゆ」作品社
   1987(昭和62)年12月10日第1印発行
底本の親本:「石川善助作品集 ※(ローマ数字1、1-13-21)散文篇」駒込書房
   1980(昭和55)年12月
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2022年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード