昨年の夏は油汗を流しながら、改造社から頼まれたフローベールの短篇『エロディヤス』を訳して暮した。秋から冬にかけては、河出書房の『モーパッサン傑作集』のために、時々思い出したように『水の上』と『狂女』とをぼつぼつ訳した。暫く翻訳というものから遠ざかっていたので、フローベールやモーパッサンを訳しつつ、
一体、翻訳は自分の柄に合ったものを択ばないと、どうも後口が悪くていけない。
『愛する』に比べると、『エロディヤス』や『水の上』乃至『狂女』の方は訳していて楽しかった。殊にモーパッサンはフローベールよりは遥かに
今年の夏も、午食後には、一時間か二時間、ひるねをすることに決めていたが、時々ひるねの前にオルランドルフ版の『モーパッサン全集』の一冊を書架から取り出して来て、一二篇ずつ読んだ。その中でも『トワーヌ』という田園コントが、天来の滑稽味があって、堪らなく
僕はこのコントを読んで心からアッハハアと笑った。今思い出しても、やっぱり可笑しい。
これと行き方は違うが日本の狂言に『鬼瓦』というのがある。都に出た田舎びとが京の六角堂の鬼瓦をしげしげと眺めて、
モーパッサンと云えば、数日前に杉捷夫君の近訳『ピエールとジャン』を白水社から送って来た。巻頭の序文はモーパッサンの小説観や描写論を知る上に極めて必要な、名高い文章であるが、杉君の訳を読んで旨いものだと感服した。
本書の表紙には女の肖像が掲げてあるが、その肖像の下部に点じてある二艘の船の挿絵ならびに、本文の所々に挟んである数葉の挿絵を僕は久し振りで眺め入った。その挿絵を描いた画家がジェオ・デュピュイなのである。僕はオルランドルフ版の『モーパッサン全集』の中では、デュピュイの挿絵を出色だと昔から思っていたので、杉君訳の『ピエールとジャン』にも原書の挿絵が取入れてあるのを懐しく思った。
デュピュイのカットには何処かに石井鶴三氏のカットに似たところがある。絵そのものよりも寧ろ描く意気に於て二人の間に
兎に角オルランドルフ版の『ピエールとジャン』をお持ちの方々は、もう一度その挿絵の巧さを味われんことを。ジェオ・デュピュイ(Go-Dupuis)に就ては、フランスに彼を論じた文献があるかないか知らぬが、僕の記憶では、十数年前に美術雑誌「スタディオ」に、彼の人及び制作を論じた文章が載せてあったと思う。上野か東大の図書館にでも行って、古い「スタディオ」を探せば判るだろう。
(昭和十一年夏)