昨年の夏は油汗を流しながら、改造社から頼まれたフローベールの短篇『エロディヤス』を訳して暮した。秋から冬にかけては、河出書房の『モーパッサン傑作集』のために、時々思い出したように『水の上』と『狂女』とをぼつぼつ訳した。暫く翻訳というものから遠ざかっていたので、フローベールやモーパッサンを訳しつつ、
罕には翻訳も修業になってよいものだと思った。読んだだけでは逸し易い文体の特質が訳して見て
明瞭する点も頗る多かった。僕の多くもない翻訳の中で今思いだしても、あんなものを訳さなければよかったと思うのは、鈴木信太郎君と共訳したポール・ジェラルディーの『愛する』である。あの訳はどう考えても不出来であった。鈴木君も同意見で「ああいうものは俺達には向かないよ」と云って、いつも苦笑を繰返している。「僕はお前を愛している」、「私もあなたを愛しています」なんて、僕等に取っては他界の言語がとめどもなく出て来るので、「こりゃ俺の畑じゃないや」と僕は幾度か筆を投じて溜息をついた。一昨年であったか、東山ちえ子氏の一座が『愛する』を上演した時、僕も訳者として招かれて見物したが、鈴木君が病気で来られなかったのを僕は寧ろ羨んだ。始めから終りまで妙に気がさして観ていられなかった。一座の俳優の芸が観ていられないのではなく、僕等の翻訳の
拙さ、甘ったるさが――原文も無論だが――どうにもこうにも我慢が出来なかったのである。
一体、翻訳は自分の柄に合ったものを択ばないと、どうも後口が悪くていけない。
『愛する』に比べると、『エロディヤス』や『水の上』乃至『狂女』の方は訳していて楽しかった。殊にモーパッサンはフローベールよりは遥かに
易いので、訳していても気が楽であった。原文で読んでもフローベールより、ぐっと呑気な気持で読み流せるのが僕等にはありがたいのである。
今年の夏も、午食後には、一時間か二時間、ひるねをすることに決めていたが、時々ひるねの前にオルランドルフ版の『モーパッサン全集』の一冊を書架から取り出して来て、一二篇ずつ読んだ。その中でも『トワーヌ』という田園コントが、天来の滑稽味があって、堪らなく
可笑しかった。この話は河出書房の傑作集の中にも訳されているが、その筋は、楽天家で饒舌で酒好きの亭主が中風で寝釈迦になってしまう。口やかましくて、働き者の古女房が、亭主をただ寝かして置くのも無駄だと思って、試しに、鶏の卵を病夫に抱かせると、数日の後にそれが見事に
孵って布団の中から雛が幾羽も飛び出したというのである。
僕はこのコントを読んで心からアッハハアと笑った。今思い出しても、やっぱり可笑しい。
これと行き方は違うが日本の狂言に『鬼瓦』というのがある。都に出た田舎びとが京の六角堂の鬼瓦をしげしげと眺めて、
図らずも国もとに措いて来た女房を思い出し、落涙するという筋である。これは又これで、如何にも沁々とした可笑味が自ら流れ出す洵によいものである。恐らく、狂言中の傑作の一つであろう。
モーパッサンと云えば、数日前に杉捷夫君の近訳『ピエールとジャン』を白水社から送って来た。巻頭の序文はモーパッサンの小説観や描写論を知る上に極めて必要な、名高い文章であるが、杉君の訳を読んで旨いものだと感服した。
本書の表紙には女の肖像が掲げてあるが、その肖像の下部に点じてある二艘の船の挿絵ならびに、本文の所々に挟んである数葉の挿絵を僕は久し振りで眺め入った。その挿絵を描いた画家がジェオ・デュピュイなのである。僕はオルランドルフ版の『モーパッサン全集』の中では、デュピュイの挿絵を出色だと昔から思っていたので、杉君訳の『ピエールとジャン』にも原書の挿絵が取入れてあるのを懐しく思った。
デュピュイのカットには何処かに石井鶴三氏のカットに似たところがある。絵そのものよりも寧ろ描く意気に於て二人の間に
幾いものがある。尤も、それは僕が石井氏の絵を好むと同時にデュピュイの絵を愛するという、僕の主観裡に於て二人が握手しているのかも知れない。
兎に角オルランドルフ版の『ピエールとジャン』をお持ちの方々は、もう一度その挿絵の巧さを味われんことを。ジェオ・デュピュイ(G

o-Dupuis)に就ては、フランスに彼を論じた文献があるかないか知らぬが、僕の記憶では、十数年前に美術雑誌「スタディオ」に、彼の人及び制作を論じた文章が載せてあったと思う。上野か東大の図書館にでも行って、古い「スタディオ」を探せば判るだろう。
(昭和十一年夏)