書狼書豚

辰野隆




 いにしへは渇して盗泉の水を飲まず、今は盗泉の名を改めて飲む。といふのは、今から二十五六年前に、長谷川如是閑氏の吐いた警句であるが、氏は近頃た、悉く書を信ぜば書なきに如かずといふ怠け者の格言を、悉く書を信ぜざれば書あるに如かず、と訂正した。蓋し真に書を読む人の体験でもあり、達人の至言でもある。
 元来、書物などは実生活には無用の長物であるから、読まぬ奴は読まぬし、信ぜぬ輩は信ぜぬのだから、すくなきを患ひともせず、多きを妨げずと悟つた方が温くて涼しからう。ところが、同じく書物でも珍本、稀覯書、豪華版と来ると、こいつは多きを惧れ、少なければ少ないほど所有者は鼻を高くする。斯ういふ病が高じると、世界に二冊しかない珍本を二冊とも買取つて一冊は焼捨ててしまはねば気がすまなくなつて来る。親友山田珠樹、鈴木信太郎の両君が正に此種の天狗のカテゴリイに属する豪の者である。彼等の言ひ草に依ると、『あれほど味の佳い秋刀魚や鰯が、あり余るほどれて、安価やすいのが、そもそも怪しからん』のださうである。なるほど秋刀魚や鰯も、若し尠ければ、たしかに、豪華版になる価値がある。
 鈴木信太郎君は嘗て僕を『豪華版の醍醐味を解せぬ東夷西戎南蛮北狄の如き奴』と極めつけた。山田珠樹君は先頃たまたま、『彼は本は読めればよし酒は飲めればよし、といつた外道である』と、まるで僕を年中濁酒どぶろくを飲みながら、普及版ばかり読んでゐる書狼(ビブリオ・ルウ)扱ひにした。寔に心外の事どもである。然しながら、つらつら往時を顧み、二昔以前に溯つて、未だ両君が型のくづれぬ角帽を頂いてゐた秀才時代から、次第に書癖が高じて、やがて書痴となり書狂となり遂に今日の書豚(ビブリオ・コッション)と成り果てた因果に想ひ到ると、僕にも多少の責任が無くはない。そもそも両君が物心がついて、書物を恋するやうになつた狎れそめは、当時、両君が一日僕を訪れて、書斎の書架に気を付けの姿で列んでゐた仏蘭西の群書を一目見てからの事で、その時から、二人ながら手を携へて、ふらふらと病みついたのであつた。その後僅か数年の間に、僕の蔵書数は山田君に追越され、鈴木君に追抜かれ、今では僕もつくづく、後の雁が先になる悲哀を楽しむ境に残された。病雁の夜寒に落ちて旅寝哉、といふと如何にもしほらしく聞えるが、雁過ぎていよいよ旨き夕餉哉、では洵に疏懶恥多しである。
 僕は山田君から、『酒は飲めればよし、ほんは読めればよし、』と評せられたが、此の酒に関する山田君の評は全く当つてゐない。葡萄酒にかけては山田君に甲を脱ぐが、日本酒なら、僕にも一家言がある。僕は年来、菊正宗の信者フイデエルなのである。これ以上の酒は、日本は愚か、朝鮮中国、欧米にも断じてある事なしと信じてゐる。ウイスキイなどは無論酒の数にもはいらぬが、如何に優良な葡萄酒、シャルトルウズ、フィイヌ・シャンパアニュと雖も、一献の菊正宗には遠く及ばぬ。唯僅かに菊正宗に雁行するものは、辛口セツクな最上の白葡萄酒の中に罕に存するのみである。されば、僕の『飲めればよし』の『飲めれば』は『此酒こいつは飲める』といふ意味の『飲めればよし』なのである。僕は山田君の所謂酒狼では、断じてない。
 然しながら、書物に至つては之は、全く文義通りの『読めればよし』で、紙質、印刷、装幀、新旧版、何でもよし。珍本、稀覯書、豪華版に対しては頗る冷淡であると言ふよりも寧ろ昔日の熱がさめてしまつたのである。それでは、ラリッシイムやリュックスの所有慾が全くないかと言ふにさうではない。所有慾は充分にありながら、保存慾が殆どないのである。どうも、僕の珍・稀・豪書趣味は小児の翫具に対する興味と酷似してゐる。買つたり貰つたりすると、二三日は撫でたり擦つたりして悦に入るのだが、それが過ぎると、如何なる豪華版でも普通版扱ひになつてしまママ。斯うなると、僕の珍・稀・豪書興味は、羅馬法に所謂、所有ポゼッショ占有オクパチョの慾ではなく、寧ろ単なる握持テテンチョの興趣にすぎぬのだらう。つまり、豪邁な平賀元義の、五番町石橋の上にわが××を手草にとりし吾妹子あはれ、といふあのラブレエ風の名歌の、『手草にとる』程度の逸興で、興去れば路傍の花の如く顧みなくなる。これでは、豪華版が泣くばかりであらう。
 愛書癖と言へば、アナトオル・フランスが有名な珍・稀・豪書好きで、而も門外不出主義の大家であつた。然るに、フランスの親友であつた露西亜の老共産主義者ラポポオルは、所有の普及化論者であるから、フランスの書架から手当り次第に書物を引出して読み散らし、而も往々何処かに置き忘れて来る癖があつた。或日のことフランスが邸の裏庭を散歩してゐると、洗濯物を乾す綱の上に、彼の無二の珍書が馬乗りに跨がつて、ゆらゆらと揺れてゐたさうである。山田、鈴木両君に此の話を聴かせたら、さぞ寒気がすることだらう。
 僕等の仲間で蔵書家と云へば、先づ山田、鈴木両君を推さねばならぬが、蔵書の数に於いては、山田君に一日の長があり、豪華版の多種な点では、何と言つても鈴木君に指を屈せざるを得ない。山田君の好んで蒐めてゐるのは、仏蘭西小説とそれに関する文献であるが、鈴木君のは仏蘭西詩歌殊に象徴詩とその文献で、全く見事なコレクションである。加之、両君の書斎が又愛書家にふさはしい洵に立派なものである。両君の書斎に比べると、僕の書斎はまるで穴熊の巣だ。採光、通風ともに甚だ不充分で、床の下には大きな青大将が住んでゐるし、ゆかの上には古びた普及版ばかりが恰も骨塚のやうに重なり合つて、小雨そば降る停電の夜などは何となく鬼気人に迫るものがある。尤も、ネルヴァアルやポオやホフマンは斯ういふ書斎で、静かに読まなければ本統の味は解らない。ゆくゆく、年を積んで、此の書斎が愈々古くなり、瓦が落ちて雨が漏り、残燈焔なくして影憧々たる一夜、旧友の遠きに謫せらる淋しさを想うて、

死に垂たる病中驚いて坐起せば
暗風雨を吹いて寒窗に入る

 などといふ、多恨な老衰境が沁々味はへるかと思ふと、今から、なかなかに楽しみである。
 数年前、僕は九州大学の成瀬教授から一本を贈られた事がある。書名は『ポン・ヌッフ橋畔、シラノ・ド・ベルジュラックと野師ブリオシエの猿との格闘』といふものである。原名は Combat de Cyrano de Bergerac avec le singe de Briochet au bout de Pont-Neuf といふ戯作である。作者はシラノの友でもあり、モリエエルの友でもあつた飲んだくれ詩人ダスウシイであると今日では推定されてゐる。此の作は、ダスウシイがシラノと仲が悪くなつてから腹癒はらいせに書いたものらしく、シラノの生前に発表すると決闘を申込まれる倶れがあるので、シラノの死ぬのを待つて公にしたものださうである。之は非常に稀覯書で、而も扉の見返には近代の愛書家四名の書蔵票エキス・リブリスが連貼してある。シャルル・ノディエ、ジュウル・ルナアル、エドワアル・ムウラ、及びド・フルウリイ男爵の蔵書票なのである。此の中で、ムウラは単なる蔵書狂、ド・フルウリイはへつぽこ詩人であるが、ルナアルは岸田国士氏の名訳で日本にも知られてゐる。『葡萄畑の葡萄作り』の著者である。而も此の中で特に見逃がしてならぬのはシャルル・ノディエの蔵書票なのだ。シャルル・ノディエは十九世紀浪曼主義運動の中心人物の一人で、小説家であり、アルスナル図書館長であり、且又有名な書狂でもあつた事は遍く人の知るところであるが、それ以上に、彼は十八世紀を通じて全く忘れられてゐたシラノを埋没の底から拾ひ上げて世に紹介し、シラノの才能を高く評価して、トロイの戦士の武勲に掩はれて忘れられた木馬に擬したのであつた。
 此の『シラノ猿猴格闘録』は小型の渋い美装本であるが、僕はそれを手に把つて眤と眺め入りながら、これは大した代物だぞ、と思つた。こんな豪華版の稀覯書を僕が頂戴して果してよいものだらうかと、少々心配になつて来た。握持慾だけ旺盛で、保存慾の稀薄な僕が、若し此の珍籍を失くすやうな事があつたら、それこそ一大事だと思つた。
 数日後、山田、鈴木両君に会つて、此の奇書の話をすると、両君の目の色が見る見る変つて来た。僕は心の中で、奴さん達垂涎三千丈だな、とほくそ笑みながら、どうせ俺には保存慾はないのだから、欲しければつてもいいよ、と軽く言つて見た。二人は欲しいとも何とも言はずに、唯うむと唸つただけであつた。その後更に数日を経てから改めて図書館に山田君を訪ねた。すると、虫が知らせたとでもいふのだらう。その席に偶然鈴木君も来てゐるのだ。僕は二人の顔を見比べてつとめて冷静を装ひながら、例の珍本を取り出して、先日話した本は実は是なんだがね、と独言のやうに言つて、この本を卓の上に抛り出した。すると、その瞬間に――全く打てば響くと言ふか、電光のやうな速さで鈴木君が、
 ――ありがたう! と呶鳴つた。
 見ると、山田君はたゞ飽気に取られて、
 ――早えなあ! と言つたまま、眼を白黒させてゐる。いやどうも、早いの早くないの!
 好きこそ物の速さなれで、あの時の鈴木君の先手の打ち方の素早さと言つたら。
 今では、問題の『シラノ猿猴格闘録』は立派な桐の箱に納まつて、鈴木君の書斎で可愛がられてゐる。その後、同学の渡辺一夫、有永弘人両君の調べで該書が愈々稀覯書中の稀覯書である事が明かにされた。十九世紀中葉の古典学者にして珍本蒐集家でもあつたエドゥワアル・フウルニエが著はした『史的文学的雑録』(一八五五年)といふ書物がある。この『雑録』は、仏蘭西の稀覯書二百五十余種を翻刻して、十巻に縮めたものであるが、第一巻に『シラノ猿猴格闘録』が収められてその解説が施されてゐる。それに依ると本書の初版は全く湮滅した、刊行年代は一六五五年前後らしいと言はれてゐる。一七〇四年の再版が唯一冊残存してゐたのが、シャルル・ノディエの有に帰し、後にそれがルウ・ド・ランシイといふ男の手に渡り、此のド・ランシイ君から借用して茲に翻刻した、と断つてあるさうである。
 鈴木君の御託宣に依ると、本書は世界に一冊しかなく、而も、その所有者が夫子自らに他ならぬと言ふわけなのである。
 然しそこに問題があるのだ。此の珍本の所有権が、日本では、初めは、成瀬正一君にあつた事は改めて断わるまでもない。而して更にその所有権が成瀬君から僕に移つた事も、之又争ふべからざる事実である。が、然し、成瀬君から僕に滞りなく流れて来た所有権が、僕から鈴木君の手に淀みなく去つて行つたと断定し得るであらうか、疑はしい。事実上は鈴木君が占有、寧ろ戦時国際法の占領の法理の方がより良く当嵌ると思ふのだが――兎に角、占有してゐるに相違ない。然し、その後、成瀬君は、あの本は僕に贈つたので僕が他人に渡すぐらゐなら、初めから誰にも与る筈ではなかつたと言つてゐるらしい。誠に道理である。知己の言でもある。斯うなると、既に形而下の法律論などは問題ではなく、形而上の所有哲学になつて来る。一体、人間の最高の道徳に於いて、私人の所有権などが認めらるるものであらうか。セザアルのものはセザアルに返せと言ふことがある。どう考へても、あの珍本は神様のものとしか思へない。
 十年前、僕は里昂で、マラルメの神話解説『昔の神々』と題する、稀覯といふ程ではないが、先づ相当な珍本の初版を手に入れた。帰朝の後、僕は該書をマラルメ専門の鈴木君に与へる約束をしたのだが、一旦約束してから後で少し惜しくなつた。丁度、その頃、鈴木君は『仏蘭西象徴詩抄』を訳し、僕が、その跋を書く事になつたので、僕は跋文の中でその本は誰にも与り度くない。自分の本箱の中で何時までも寝てゐろといふ心持を匂はせて、
神々をして安らけき眠りを眠らしめよ
 と特に書いたのであつた。然るに、鈴木君の『訳詩抄』が出来上つてから、改めて跋を読んで見ると、安らけき眠り、の上に、最もといふ二字がいつの間にやら加はつてゐるではないか。鈴木君の方が僕よりも遥に立派な書斎を持つてゐる以上、最も安らけき眠りの落ちつく先は知れ切つてゐる。此の二字のいきさつで、僕は遂に『昔の神々』から見放されてしまつたのである。
 若し火事が起つて君の蔵書を悉く焼き尽したら君は一体どうする、と僕は嘗て鈴木君に冗談半分に訊ねて見た。すると鈴木君は、その時弁慶すこしも騒がず、泰然自若として答へた。
 ――必ず発狂して見せる。





底本:「日本の名随筆36 読」作品社
   1985(昭和60)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「忘れ得ぬ人々」角川文庫、角川書店
   1950(昭和25)年5月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月28日作成
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