庭の眺め

梅崎春生




 庭というほどのものではない。方六七間ばかりの空地である。以前ぐるりを囲っていた竹垣は、今は折れたりちたりして、ほとんど原形を失っている。おのずから生じた羊歯しだや灌木や雑草の類が、自然の境界線をなしているものの、あちこちが隙間だらけなので、鶏でも猫でも犬でも自由に通れる。事実それらの小動物は、毎日顧慮することなく、私の庭を通過する。その隙間は、人間でも楽に通れるほどだから、時には人間も通る。一度などは、馬が通過したこともあった。
 坂下に止っていた汲取屋の馬車馬が、どうしたはずみかながえから脱けて、そのままトコトコと坂をのぼり、百日紅さるすべりの枝の下をくぐって、いきなり私の庭に入ってきた。茶色の外套を着た大男が入ってくる。そう思っていたら、それがその栗毛の馬であった。別段ためらうことなく、珍しそうにあたりを見廻しながら、ゆっくりと庭を横切ってゆく。私はその時縁側に腰かけて、それを眺めていたのだが、どういう関係からか、馬の頭や胴体や四肢などが、つまり馬の体躯全体が、ことのほか巨大に見えた。まるで庭中が馬になったような感じがした。風景のプロポーションが、急に狂ったせいだろうとも思う。道端で轅につながれているときは、いつも不活溌で矮小わいしょうな汲取屋の馬なのである。――それが私の眼の前を通りすぎて、庭の端で足をそろえて、急に立ちどまった。いつの間に縮んだのか、もうその時は、ふだんの大きさになっている。そこらに生えた青紫蘇あおじそを、四つのひづめが踏みしだいている。そして立ちすくんだまま、くびを不自然に前に伸ばして、おくびをするような仕草をした。
 馬のすぐ前から、庭の隅にかけて、カスミ網が細長く張ってあるのだ。それを気にして、馬は脚を踏み出さない様子である。一定の間隔をおいて青竹をたて、その間にひっそりとその網はかけ渡してある。小鳥にさえも見えないほどの繊細な網目なのに、馬の眼にはそれがはっきり見えるらしい。そしてその姿勢で、馬は唇を四方に拡げて、声もなく笑い出した。と思ったら、口の中で白い太い歯がぐっと開いてカスミ網の糸目にいきなり噛みついたらしかった。もちろん私のところから、その網目はぜんぜん見えないので、そのとき馬の頸の動きと一緒に、青竹二三本が地面からはじけ飛んで、ばさばさと地面に倒れかかったり、また操り人形の腕のように、ひょこひょこと踊り揺れるのが見えただけである。馬は口でくいしめ、歯をすり合わせながら、目に見えぬその網目を、しきりに噛み破ろうとしていた。歯を鳴らす音が、ここまで聞える。生乾きの掌で数珠じゅずをしごくような音だった。
「汲取屋さんの馬が、カスミ網を食っていますよう」
 もし叫ぶとするなら、こんな風に呼べばよかったのだろう。そう気がついた時は、実際にもう手遅れだったし、叫び出すきっかけもすでに失われていた。誰に聞かせるために叫ぶのか、それも私には曖昧あいまいであった。見る見るうちに、馬は地団太じだんだを踏むようにしながら、網のあちこちを食い破ったり、引き裂いたりしてしまっていた。そして自分の体が充分通れる裂目をつくると、馬は急におとなしくなって、一段低くなった隣家の庭に、自分の胴体をもて余すようなゆっくりした動作で、しずしずと降りて行った。そしてすぐその栗毛の姿は、低い家のかげに消えた。すこし経って、その家の裏手にあたって、キャッという甲高かんだかい女の叫び声が聞えた。古畑ネギという、私の隣家のお内儀かみさんの声なのである。四十過ぎの、いつも地味な恰好かっこうをして、ぼそぼそと口をく女だけれども、その時はよほどびっくりしたのだろう。その悲鳴とともに、なにか固いものが、がらがらとくずれ落ちる音がした。その単純な因果関係が、すこしばかりの笑いを私にさそった。
 それからその馬が、どういう風に処置され、持主の手にかえされたのか、私はよく知らない。しかし近頃でもよく町角に、汲取車の轅につながれて、彼はうなだれて立っている。すっかり平凡な馬にかえってしまった。網を破ったことなどは、すっかり忘れてしまっているように見える。
 あのカスミ網も、もうあれで、使いものにならなくなったのだろう。青竹は折れ倒れ、千切れた網目が雑草にからまったまま、二三日雨に打たれていたが、いつの間にか取りはらったと見え、すっかり姿を消していた。そのあとにこの頃は、赤松か何からしいウロコのついた腐木が、二本ほど横にして置いてある。カスミ網を破損した弁償金を、汲取屋の主人が払ったかどうかは、今私は知らない。多分まだ支払っていないだろうと思われる。あの汲取屋はなかなかずるくて、馬の飼料にも事欠くからという理由で、汲取券のかわりに、現金を要求するような強引な男だから。汲取券だと、相当金額の大部分は都に持って行かれて、汲取人は手数料程度の収入にしかならない、と言うのである。汲むたびに、それを言う。押しつけがましく言う。だからその都度つど、私もたずねてみる。
「他の家でも、皆そうなのかね?」
「へえ。皆さんから、そうしていただいていますんで」
「そうかねえ。川島さんも、遠藤さんも、古畑さんも?」
「ええ。ええ。(舌打ちしながら)古畑さんは、別ですよ。あそこは、あんなんだから」
 古畑夫妻は方面委員の生活保護を受けていて、汲取券も現物でどっさり来るらしい。余ると見えて、その分を一枚五円で、ネギさんが私の家に売りに来ることがある。買っても汲取屋が取って呉れないのだから、私はなかなか買わない。しかしネギさんも、なかなかあきらめようとはしない。そんな時の彼女は、卑屈なほど哀れっぽいくせに、執拗しつようなほど強情である。その口説を私がもて余す瞬間を、じっと待ち伏せているように見える。しかし私はなかなかもて余しはしない。
「ねえ。一枚五円でございますよ。ふつうの値段の半分ですから、お宅さまにしましても、その方がお得じゃございませんか。ねええ」
 彼女は汚れをふせぐために、いつも白い布片を、着物の襟にかけている。髪を引詰めるようにっているので、眼尻がすこし上に引きつれている。私がちょっとでも黙りこむと、いちはやくその隙間に早口でぼそぼそと言葉を並べたてる。言葉の量でもって実績をかせごうとするかのようだ。すこしずつでも言葉の版図を拡げて置こう、という感じを露骨に出す。いつも同じシステムでやってくる。縁側から上半身を乗り出すようにして、私をじっと見詰めながらしゃべる。その彼女の網膜に映っている私自身の姿を、私はいつもある感じをもって、まざまざと想像している。
「いまお使いならなくても、あとでお使えにもなれますし、もし何なら、他に転売なさっても、よろしいじゃございませんか。え?」
 私の庭の一隅に、私に無断でカスミ網を張って、それで捕えた小鳥の数は、おそらく三四十羽にのぼるだろう。古畑家ではそれを飼い慣らして、欲しがる人に売ったり、小鳥屋に売ったりしていたようだ。一度などは、私の家にも売りにきた。つがいのうぐいすであったけれども、その値段も法外であったように思う。法外でなくとも、私の庭には小鳥が多いのだから、買い求める必要もないのである。しかしあれは、私に売りこむつもりではなく、見せに来たのではないか、反応をさぐるために、とも私は想像する。もしそうだとすると、私は見るだけは見たのだから、それでいい訳だ。その私からどんな反応を、彼女が得て帰ったかは、それは別のことで、私もうまく推定できない。カスミ網に小鳥がかかるのは、たいてい昼間である。微細な網目に両脚をつっこんで、逆さにぶら下って、チイチイとき叫んでいる。騒げば騒ぐほど、網がからまってゆく仕掛けになっているらしい。しかしどんなに啼き騒いでも、私が居る限りは、古畑の家から誰も取りに出て来ないのだ。小鳥はむなしく啼泣ていきゅうしているのみである。ところが私が外出して帰ってくると、あるいは夜寝て朝起きて見ると、小鳥の姿はもう見えなくなっている。上厠じょうしして戻ってきたとたんに、消えてなくなっていたこともあった。だから本当を言えば、カスミ網にかんする限り、誰がこれを張り、誰が小鳥を獲得しているのか、その現場を私は未だ見たことがない。しかし西窓をあけてのぞくと、古畑家のふるびた軒端や縁側の鳥籠に、それらしい小鳥がホーホケキョと啼いていたりするから、それだと推定できるけれども、それをやるのは古畑の主人なのかお内儀かみさんなのかは、私にもよく判らない。またどちらでもかまわない。小鳥にしても、カスミ網から鳥籠に移動しただけだから、それも別段言い分はない。捕えられたのは、小鳥の不運であって、私の不運ではないのである。
 しかしカスミ網に引っかかった小鳥を、私が逃がしてやったことは、三四度ある。その啼き声がうるさかったからだ。からまった網目を細い脚やあしくびから外してやると、私の掌を力いっぱい蹴りつけて、小鳥は空へ飛んでゆく。掌に筋が残るほど、その力は強い。そこにわけのわからない、快感のようなものがある。しかしそれを味わうために、わざわざ小鳥を逃がしてやるような手数は、私もとらなかった。
 そんな時の私を、隣家の夫妻は、見て見ぬふりしている気配がある。ことさらに背をむけて、そのくせ私の挙動を、全神経でうかがっている。そんな感じである。その気持は私にも判らないことはない。ある笑いとともに、うすうす判る。ことに主人の古畑大八郎氏はそうだ。大八郎は六十歳位の、骨張った感じの老人だが、まだ腰はしゃんと伸びている。しかし顔色はひどく悪く、土色をしている。そして右の手の、手首から先がない。空襲の爆弾で、もぎとられたということである。それも古畑から直接聞いたのではなく、はたから聞いた話だ。私は古畑氏とまだ一度も、口をいたことがない。話し合うような用事がないせいでもある。古畑の眼は四角な感じの眼で、ブリキの貯金箱の差入口を連想させる。偶然に視線があったりすると、とたんに人をとがめるような眼付きになる。弱い動物が威嚇的に怒る、あの感じにも、それはどこか似ている。
 ずっと前、カスミ網よりずっと前のこと、ある夕暮時、私の家の台所口の近くで、ガヤガヤという人の気配がした。話し声の抑揚からして、私の家とは関係なさそうであったけれども、とにかく台所まで出かけて行って、外をのぞいて見ると、三四人の男たちの影が、そこらにうじょうじょ立っていた。皆空の方を見上げている様子である。その中の一人がふと気がついたように、私の方をちらと見て、またあわてたように、顔を元の方にそむけた。そして強いて怒ったような、へんなつくり声を出して、こう言った。
「――枝、枝を切るって、枝はまた直ぐ伸びて、こすれ合わあな。元から切るんだな。根元からよ」
 古畑大八郎の声である。皆の前には、私の家の大きな無花果いちじくの樹が、夕空に立って枝を拡げている。ここから下の方いったいの電燈を支配する電線が、その枝の中を通っていて、風が吹くたびに梢や枝とこすれ合い、そのために電燈がちらちらしたり、停電したりするというのである。なるほど見上げると、風が吹いて梢が動いていて、電線が二箇所ほど被覆がけ、白っぽい地金のまま揺れているのが見える。するとまた古畑老人が、そっぽ向いたまま、かすれたような声を出した。
「さ。誰かノコ持ってきなよ。早くしないと、今夜もまた、停電さまだぜえ」
 結局その樹が根元から切り倒されるまで、私は台所の土間で見物していたし、古畑もその位置から離れなかった。ただし私の方を再びは見なかったようである。手首がない方の腕をふところ手にして、したがってその側の肩をすこしそびやかして、最後まで口うるさく、いろいろと指図をしていた。私も何か言っていいことがあるような気がしたが、よく考えると何もなかったし、向うにしてみても、私に言っていいことを、動作や懸け声でごまかしているようにも見えた。そんな具合に進行して、つまり無花果は完全に切り倒された。切り倒してしまうと、古畑もふくめて、皆は安心したようにしゃべり合いながら、向うの低地に飛び降りて、それぞれの家に戻って行った。無花果の樹は翌日一日つぶして、私がたきぎにした。この樹は水っぽいのか、薪としては不適当のようである。風呂をたく時だけに使っているが、今まだ半分以上物置きに残存している。無花果の根株からは、近頃また新芽がふき始めてきたようだ。しかしそれが伸びて、再び電線をさまたげるまでには、あと少くとも七八年はかかるだろう。そしてその時には、もう古畑老人も生きてはいないだろうと思われる。古畑が生活保護法を受けているのも、心臓がひどく悪くて、そのお蔭だという話だから。
 古畑が人と顔を合わせると、何かとがめるような眼付きになるのも、この心臓病と関係があるのだと私は考えている。科学的根拠もなく、ぼんやりそう思うだけだが、つまり外界からの刺戟を拒否する気持が、そんな擬態を彼にとらせているのだろう。古畑の前歴(どんなものかは知らないが)が、そんな眼付きを彼に植えつけたとも考えられるが、それにしてはあの四角な眼は、どこか無意思な色をただよわせていすぎる。
 古畑は一日中、家にじっとしている。ほとんど外出しない。家にいて、のろのろ動きながら、庭の手入れをしたり、小鳥の世話をしたり、そんなことだけで一日を過している。古畑家の庭は猫の額ほどの広さで、そのかわり私の庭とちがって、徹底的に整備してある。その黒い土は完全に踏み固められ、雑草などは全然生えていない。それこそ一本も生えていない。庭のすみには一列に、草花の鉢がならんでいるが、その花々も、不要な枝や葉を丹念に払い、ぎりぎりにいためつけて、ほとんど一輪ざしみたいな風に仕立ててある。古畑老人は一日のうち何度もここに降りてきて、肩をそびやかせてうろうろ見廻ったり、しゃがみこんで草花の虫を殺したりしている。その姿勢や挙動は、庭にたいする偏愛というより、もっと原始的な本能みたいなものを感じさせる。磨き立てられたようなその庭から、境界をひとつ越えると、私の家の庭がつづくわけだが、ここは草が茫々と生い茂り、樹々は枝を自在に伸ばして、おどろおどろと荒れている。垣もすっかりち果てて、犬や猫も自由に通るし、蜘蛛くももあちこち巣を張るし、空には小鳥やアブや蜂がとび廻り、地には蟻やトカゲや斑猫はんみょうが這い廻っている。しかしこれは、家に付属しているからには、空地というよりやはり庭だろう。その庭の、縁側から一番遠い部分に、大きなモグラが一目散に這って行ったような、地面の直線的な隆起を、ある日私は偶然に発見した。
 ふだん私は庭に対しては、眺めるだけの眼で眺めているだけで、歩き廻ったり分け入ったりすることも、ほとんどないのだが、その日は笹の葉かなにかが必要なことがあって、それを探しに入ったのだと覚えている。すると雑草のカーテンの彼方に、そのような隆起がいっぽん横たわっていたのである。モグラにしては大きすぎるし、そこだけ草が生えていないし、少しおかしいとは思ったが、まさか畠のウネとは、その時は気付かなかった。しかしそれから半月ほど経って、再びそれを見た時には、その隆起の筋は三本に殖えていて、食用になりそうな柔らかい植物が、そこらにずらずらと密生していたのである。私の庭にこんなものが生えようとは、予想もしていなかったので、すこしは私も驚く気持にもなった。しかしそれらが生えてくるのを妨げる理由は、私にある筈がない。
 生えるなら、生えてもいいのである。私はその小部分を引抜いて、朝のおつけの実にして食べてみた。しかしその葉はまだ稚すぎたと見えて、歯ごたえがほとんどなく、それほど旨くはなかった。そのくせ細い繊維が、しきりに歯の間にはさまった。妻楊枝つまようじでそれをほじくりながら、あのウネの長さも更に伸び、数も三本から五本と殖えてくるだろうということを、私は漠然と考えたが、その感じも奥歯にはさまったような具合で、どうも歴然としなかった。あの畠のウネのことも、いつ耕され、いつ種をまかれたのかも、私は見ていないから、知らないのである。
 今は十月。庭にむかって縁側に坐し、視界に入る庭樹を、左側からあげてみると、百日紅、朝鮮松、サンショウ、柿(小さな実が二つなっている)、もみ、青桐、しいの木、桜の木、モミジの木。そこで一段土地が低くなって、そこから古畑家の庭。古畑大八郎が向うむきに立っている。背丈は五尺七寸位。ただしここから見えるのは、その上半身だけ。ネギさんの姿は見えない。また眼をもとに戻して、うちの庭の地面は、一尺ほどの高さの雑草ばかり。名はほとんど知らない。小さな花をつけてるのもいる。草の背丈にかくされて、畠のウネは見えない。樹々の中では、モミジの葉がいちばん綺麗きれいだ。もう半分ばかり紅葉こうようしている。かつてカスミ網が張ってあったのは、この樹の根元である。ここからは見えないが、今は赤松か何かの腐木が横たわっている筈だ。いずれあれから椎茸しいたけが生えて来るだろう。ネギさんが向うの庭から手を伸ばして、その腐木に何か細工しているのを、何時かチラと見たことがあるから。きっとあれは、新聞広告などによく出ている、椎茸の素人栽培のやり方なのであろう。もし椎茸が見事に生えてきたら、私はどうするか。食べてみるか食べないかは、その時にならねば判らない。眺めてみて、食慾を感じたら食べるし、そうでなければ、止しにする。しかしそれを今から、予想するのはいやなことだ。予想にしばられるのが面白くない。その時々の感じで、どうにかやればいい。
 このようにして、我が家の庭の眺めは、充分とはいえないが、一応は佳良である。そのように私には見える。





底本:「ボロ家の春秋」講談社文芸文庫、講談社
   2000(平成12)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「梅崎春生全集 第6巻」新潮社
   1967(昭和42)年5月10日発行
初出:「新潮」新潮社
   1950(昭和25)年11月
入力:kompass
校正:酒井裕二
2016年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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