凡人凡語

梅崎春生




 その子は、ぼくを嫌っています。いや、たしかに憎んでいるのです。
 今子供と言いましたが、もう子供じゃないのかも知れない。戦後子供の背丈がにょきにょきと向上して、どこで大人と子供の区別をつけるのか、どうも判らなくなって来たようです。言うことは子供っぽくても、身長が百八十センチもあったり、あるいは逆に、恰好は子供子供としているのに、言うことだけはぺらぺらと悪達者だったり、けじめのつかない場合がしばしばある。ぼくはもう三十七歳になって、彼等の世界と相かかわることがないので、どうでもいいようなもんですが、やはりけじめのつかないということは、良いことじゃありません。
 先年先輩のお伴をして、九州へスケッチ旅行に行きました。いろいろ見たり聞いたり描いたりして来ましたが、驚いたのは向うの食用植物の大ぶりなことですな。ビールのさかなにするから、モロキュウを呉れと頼んだら、一尺近いキュウリがでんと皿の上に乗って出て来る。びっくりして、も少し細いのを、と頼むと、
「こっちの方がおいしかとです。花のついて痩せたのは、栄養はなか!」
 ナスもそうです。東京で煮物に使う長いナスが、姿を変え形を改めては、皿の上に現われる。ふしぎに思ってわけを聞いてみると、向うでナスビと言えばこれで、丸っこいのは特別に巾着ナスと言うのだそうです。関東では丸っこいのが普通で、長いのを長ナスと呼ぶでしょう。つまりその反対ですな。考えの基本が違う。
 近頃の子供(または半大人)は、この九州のキュウリやナスに似ているような気がします。こちらの食慾や理解を頑強に拒否するようなものを、たしかに持っている。何に由来するのか、ぼくはよく判らない。特に判りたいとも思わない。
 その子の名前は、平和ひらかずと言うのです。平和と言うからには、終戦後に生れたのに違いありません。何が何でも勝ち抜くぞの時代に、自分の子供に平和なんて名がつけられる筈はないですからねえ。
 平和君の声は、ぼくは前から聞いていました。私の斜めうしろの家に、亀田さんという家があります。そこへ二日に一度、三日に一度ぐらい、少年の声が遊びにやって来る。
「亀田クーン」
「亀田クーン」
 亀田家に到る小路の、ドブすれすれにぼくの画室は建っている。けれどその路に面したところは、一面の板壁になっていて、明り取りが上の方に小さくついているだけで、ぼくの方からは全然見えない。ただ声を聞いているだけで、どんな顔の、どんな身なりの少年かは、ぼくは見たことがありません。でも、少年が友達を呼ぶ声は、その抑揚や発声法には、一種の感じがありますねえ。
「亀田クーン」
 のクーンにアクセントをつける。春の日の昼下りに、竿や竿竹、の呼び声を聞く時や、夜更よふけに耳に届いて来るチャルメラの響き、そんなのと趣きは違うけれど、何か郷愁を伴ったような、妙な哀感がある。
 その少年の声が、この間からすこしずつ変って来ました。もちろん呼び方や抑揚は同じですが、声の質が変化したわけです。以前は澄んでよく徹る声だったのに、妙に濁って乾いて来たのです。
「ははあ。奴さん。風邪を引いたんだな。早く薬でものんだらいいのに」
 画業を続けながら、あるいは即席ベッドに寝ころびながら、ぼくはそんなことを考えていました。
「ひどくなると大変だぞ。学校じゃワクチンなんかやって呉れないのか」
 ところがそれは、風邪じゃなかったんですな。声変りだったのです。風邪声にしちゃ、少々野太いと思った。風邪ならやがて直るのに、この濁りはなかなか取れないだけでなく、そのまま定着して行く傾向がある。
「とうとう変声期が来たのか」
 そう気が付いた時、いくらかの衝動と感慨がありました。衝動とは、向うが変声期にまで成長したことは、ぼくがそれだけ馬齢を重ねたということでしょうか。でも、このような人間関係は、ぼくは好きです。板壁の向うの人生で、顔も姿も知らぬ少年が、それまでに成長した。友達を呼ぶ声だけで、ぼくがひそかにそれを知っている。向うから犯されることなく、こちらからも邪魔することなく、一方交通的に、そこはかとなくつながっている。そんな人間関係を、人間同士の乾いたつながりを、ぼくはしとするんですがねえ。たとえば水族館に行くとします。ガラスの向うには魚たちがそれぞれの姿体で、泳ぎたいやつは泳ぎ、じっとしていたいやつはじっとしている。見物は見物でガラスのこちらから、それをぼんやり眺めている。――そんな関係が、ぼくは割に好きなのです。だからぼくは日頃から、自分に言い聞かせている。自分から動くな。働きかけるな。身を乗り出すな。これが三十何年かかってぼくが身につけた、趣味と言いますか、処世法と言うか、まあそう言ったものですな。しかし現実には、そうそううまくは行きませんね。絹の布で坊主頭をで廻すようなもので、どこかが引っかかったり、けばだったり、ささくれだったりしてしまう。ままならぬものです。

 こういうしゃべり方では、話がいっこう緒につかないようですね。語り口を変えましょう。あなたは、
「ちッ、けッ、たッ!」
 という言葉を知っていますか? いや、ちッ、けッ、たッ、の件は後廻しにしましょう。
 御存じのように、ぼくの画室は、ある家の離れを改造したもので、ぼくはここにもう五年近く住みついています。家主はぼくの遠縁に当る老婦人で、割合わがままがきき、また気楽なものですから、つい根を生やしてしまったような次第です。
 離れの独り住居ですから、世帯を張っているのではなく、と言って居候というわけでもない。中ぶらりんな身の上で、それがかえってぼくにはラクなのです。町内との交渉も限られていて、たとえば銭湯、タバコ屋、惣菜そうざい屋、八百屋や酒屋、その他ぼくの生活の幅だけのつき合いで、あとは無視してもよろしい。無視すると言っても、強いて眼をつむるのではなく、ぼくも生身の人間なので、見える部分はやはり見る。かき分けてまで見ようと思わないだけです。つまり水族館のガラス越しみたいなものですな。
 しかし世間では、ぼくのような生き方を、どうもまともなものとして受取って呉れないようです。かげでは変人呼ばわりをしている向きもあるらしい。ぼく自身は、ぼくが一番まっとうだと思っているんですがねえ。それが陽の形や陰の形であらわれて来ます。陽の場合は、
「独りでは不自由でしょうねえ」
 とか、あるいはもっと、
「自炊もたいへんでしょうから」
 と、菜っ葉や肉を押しつけがましくおまけして呉れたりする。ぼくは別段おまけは欲しくはないが、呉れるものを拒否するほどの気持もない。にこにこしながら、受取ってしまう。おそらくぼくは彼等にとって、水族館の魚じゃなく、魚籠びくの中の魚みたいに見えるのじゃないでしょうか。眺めるだけにあき足りず、つついて見たり、ちょっとえらをあけて見たり、どうもそんなふうなのです。先ずはオセッカイと言うべきでしょう。受けている当人がそう思うのですから、これは間違いはありません。好意か親切か余計なオセッカイか、それは発する者が決めるんじゃなく、受取る方で決めるものだからです。
「そろそろ身を固めたらどうなの。あんた」
 ぼくはわらうだけで、原則として返事をしない。返事する必要がないし、すれば事がけばだつだけのことですから。――その返事をしないことだけでも、ぼくは変人ということになっているらしい。変人というよりは、もっとひどいことが、陰の形で流布されている気配もある。面と向ってはっきりと言う人はあまりないようですが。
「あんな棺桶みたいな家に、ひとりでガマガエルみたいに住んでいるから、病気になるんだよ」
 ぼくの画室は離れの古家を改造して、天井を高くした関係で、ちょいと見には四角な形をしています。しかし棺桶みたいに細長くはない。
「わしが魚釣りに行く時、誘ってやるから、いっしょに来なさい。君はもっと日光に当る必要がある。鬱屈しちゃいかん。なに、釣竿は用意しないでもいい。うちにあるのを貸して上げる」
 そう言って呉れるのは、町内に住む赤木医師です。赤木さんはもう六十を越えた、でっぷり肥った医者で、何でもアメリカに渡って苦学力行して、医術を勉強したんだそうです。当人の言ですが、町内の一部にはちょっと眉つばだという噂もある。出身は北国の寒村で、ぼくの画室を棺桶みたいだというのは、あながちこじつけではなく、子供の時に見た座棺を連想するのかも知れません。この老医が何故ぼくを病気だと思うのか、そう決めてしまっているのか、よく判りません。彼には彼なりの根拠があるのでしょう。
 赤木医師は風貌に似ず狷介けんかいな性格で、気に入らないとがみがみ叱ったり、診察を拒否したりするものですから、町内の評判はあまり良くないようです。だから患者の数もごくすくないのですが、老医は、
「なんだ。町内の連中におれの腕が判るものか」
 と歯牙しがにもかけない。すくなくともかけていないポーズを取っています。それに齢が齢なので、ごしごし働く気もないし、息子もそれぞれ独立して大病院に勤めていて、後顧の憂いは一応ないからでしょう。一日三人か五人の患者を見たら、それで店じまいです。もっとも老医はここらでは草分けの医院で、古い門構えになっていて、ちょっと入りにくい趣きがあるのです。門柱は傾いていても、形はいかめしいし、それをくぐって植込みを縫い、暗い玄関の式台を上るのは、ここらの人にはやはり抵抗を感じるのではないでしょうか。で、町内の連中はここを敬遠して、近頃出来の瀟洒しょうしゃな診療所風の医院におもむき、乾いたスリッパをつっかけて、日射しの明るい待合室でテレビなどを見ながら、辛抱強く順番を待っている。
 そこで老先生は暇なので、魚釣りに行ったり、太いステッキを突いて散歩したり、そのついでにぼくの画室に立寄ったりするのです。退屈しのぎなのか、何かぼくに関心があるのか。
 ぼくが赤木医院の門を初めてくぐったのは、二年ほど前のことです。ある日、ふと大根おろしが食べたくなって、八百屋から大根を買って来て、シラス干しをたっぷりふりかけ、勢い込んで食べようとしたら、箸が妙な具合にピョンとはねて、シラス干しが一匹大根おろしをお伴につれて、いきなりぼくの眼の中に飛び込んだのです。びっくりしましたねえ。びっくりと言うより、眼玉がキリキリと塩辛く、ぼくは思わず飛び上った。
 急いで眼を洗ったけれど、まだ塩辛さが残っていて、それにごろごろと異物感がする。医者に見せた方がいいと判断して、早速赤木医院にかけ込んだわけです。赤木医師は眼科じゃないが、そんなことを考えている余裕はない。他の医院じゃ、待たせられますからねえ。シラス干しが眼の中で泳いでいるなんて、一見風流なようですが、当人としてはメクラになるかも知れないぞと、気が気じゃない。運よく赤木医師は在宅していました。瞼をひっくり返したり、懐中電燈で照らしたりして探したが、シラス干しはいないとのことでした。
「大丈夫だよ。人間の眼なんて、そんなにかんたんに失明するもんじゃない」
 眼薬をさして貰って帰ろうとすると、老医はぼくを呼びとめて、ついでにタダで健康診断をしてやると言う。老先生もよほど退屈していたんでしょうな。平素のぼくなら、この種のオセッカイはお断り申し上げるのですが、その時はつい応じる気になった。タダということの魅力も若干はあったようです。診察の結果、血圧は異常なし、肝臓が少々肥大しているとのことで、
「あまり酒タバコは過さない方がいいよ」
 その日はそれで帰り、半月ほど経って画室でひとり酒を飲んでいたら、妙に顔が熱っぽくなり、へんだなと思っていたら、心臓がゴトンゴトンと早鐘のように打ち始めました。母屋の人に頼んで、赤木医院に電話をかけ、その間ぼくはベッドに横になって、はあはあとあえいでいました。やがて赤木医師は大きな鞄をげてあらわれました。
「大丈夫だ。心悸亢進しんきこうしんで死んだ例は一つもない」
 かんたんな診察の後、そう言って、何か注射をして呉れました。亢進がおさまるまで、老先生は画室の中を歩き廻ったり、描きかけの画を眺めたり、そして不審そうな声で言いました。
「君、これ、画かね? わしにはどうも画とは思えんが」

 赤木医師が散歩の途中、時々ぼくの家に立寄るようになったのは、その時からです。時には一時間も二時間も縁側に腰をおろして、話し込んで行くこともある。話題はおおむね世間話や昔話など。アメリカで皿洗いをした話なんかは、五度か六度か聞きました。しゃべるのは大体老先生の方で、ぼくはいつも聞き役です。立ち去る時、必ず彼はぼくに忠告する。
「こんな妙な建物の中で、そんな画ばかり描いてちゃ、甚五みたいになるよ。悪いことは言わない。魚釣りをやりなさい。魚釣りを!」
 ぼくは別に老先生の来訪を歓迎するわけじゃないが、さりとて迷惑というほどのこともない。ただ話を聞いていればいいのですからねえ。忠告に対しては、黙ってわらっていれば済む。
 で、その甚五のことですが、老先生は彼を快よくは思っていない。彼と言うより、彼一家と言った方が正しいかも知れません。なぜかと言うと、老先生が推した病院に甚五は入院せず、他の病院に入ってしまったからです。こういう点、医者というものは、案外神経質になるもののようですな。ことに赤木医師は性格が性格だから、ひどく自尊心を傷つけられたように感じたらしいのです。
「あんな病院に入るなんて、ほんとにあいつはバカだよ。君。あの病院の資金を出してるのは、ある区会議員だが、本業はヤクザの親分だということだぜ。精神病者を対象にしてもうけようなんて、怪しからん」
 赤木医師が推挙したのは、都立のM病院です。実は赤木先生も一年に一度ぐらい、変になる。医者のことですから、自分の変調にはすぐ気がつく。すると自分からさっさとM病院におもむき、入院してしまう。町内の人々は大体そのことを知っています。赤木医院がはやらないのは、ひとつはそのせいもあるのです。
「赤木さん、また松沢入りしたってよ」
「あら、そう。困ったわねえ、あの先生も」
 市場でそんな会話を聞いたことがあります。でも、自ら進んで入院するなんて、かえって健全な証拠じゃないでしょうか。町の連中の考え方は、どうも逆のような気がします。――その赤木医師とウマが合うという点で(老先生がぼくの画室に遊びに来ることは、すでに周知のことですので)彼等はぼくをその部類に近いと判断しているんじゃないかと、思われる節がある。変人というより、たとえばキジルシだなどと言う風にです。そう思われても、ぼくは別段痛痒つうようは感じません。人間、誰だって、その要素はあるのですから。
 しかし、赤木医師の話は、後廻しにしましょう。問題は甚五のことです。

 正確に言うと、彼は森甚五という名で、赤木医師が、
「甚五。甚五」
 と呼ぶので、ぼくもそれに従いますが、うちの近くのタバコ屋のおやじです。小柄で顔色の悪い五十がらみの男で、いつも何かおどおどした感じの風態の人物です。この甚五は今でこそおどおどしているが、僕には想像出来ないけれど、かつては大いに威張っていた時期があったそうです。それは戦後のタバコ不足の時代で、丁度ピースやコロナが売り出された頃のことです。一日何箇と数を決めて売り出す。時間は午前の六時です。皆が行列して待っていると、六時少し前に表の板戸をがたがたとあけて、甚五は売場に悠然と坐る。すぐ売り始めるかと思うと、そうではない。傍の電熱器に乗せた薬罐やかんをとって、自分でゆっくりと茶をいれ、お客は待たせっ放しにして、うまそうに茶をすする。時にはタンと舌つづみを打ったりして、調子がつくと一杯だけじゃなく、二番茶をいれる。お客はじりじりしているんですが、文句を言うと売って呉れないから、黙って辛抱している。やっと茶を飲み終ると、面倒くさそうな声で宣言する。
「おつりが要る人には売りませんよ。判ったね」
 今日は何箇売り出すと初めから判っているし、その箇数だけの人間が並んでいるんですから、直ぐ売り出せばいいんですがねえ。わざとそういう意地悪をする。権力を誇示したいんですな。やがてお客の握りしめたお金が、次々タバコと交換に売場のガラス台の上に置かれる。冬の朝なんか、積み重なったお金から湯気がゆらゆらと立ちのぼっていたそうです。よほどお客の恨みと執念がこもっていたのでしょう。
 しかしこの高姿勢も、タバコがたくさん出廻るようになると、とたんに通用しなくなったのも当然です。甚五としては、まだまだそんな状況は続くと予想していたのに、意外に復興が早かった。神通力を失った甚五はがっかりして、それに今まで意地悪をした連中から、ざまあ見ろと白い眼で見られるし、自分が坐ってたんじゃ誰も買いに来て呉れないので、とうとう売場を女房のフクに明け渡した。そして自分は外廻りの仕事を始めました。ぼくがここに引移って来た頃、ぼくはよく彼が鞄を抱くようにして、うつむき勝ちにとっとっと道を歩いている姿をよく見かけました。おそらく金貸しか、金貸しの手代みたいな仕事をやっているんじゃないか。おそらく後者だろう。歩いている感じから、そんな印象を受けたことがあります。何か暗い影を引きずっているような具合なのです。
 その甚五が一年ほど前から、挙動がおかしくなりました。赤木医師の話では、自分は専門医じゃないし、正式に診察したわけでないからよく判らないけれど、アル中のもあるようだし、鬱状態が歴然とあらわれているようだとのことでした。元来が小心で意志の弱い男なのです。それに更年期という条件が加わり、やり切れなさを酒でごまかしている中に、ついにアルコールの捕虜になってしまったのでしょう。フクさんに聞くと、
「へんなんですのよ。出かけたかと思うと、しばらくして突然戻って来て、家の中をキョロキョロ見廻したり、押入れをあけたりするんですよ。男が来てやしないかって。あたしが浮気でもしてるかと、疑ってんです」
 フクさんはふやけたような笑いを見せました。彼女は亭主と違って肥っていて、肥っているというよりアンパンみたいにふくらんでいます。あまり魅力のある女性じゃないことは、ぼくが太鼓判をおしてもよろしい。
「そんなに疑われると、子供の手前、恥かしくってねえ」
 森タバコ店は、タバコ屋のかたわら駄菓子などを売っていますが、近頃店の中を仕切って、惣菜そうざい用のおでんを売り始めました。一串十円ぐらいの安おでんで、ちょっと醤油しょうゆ味が濃過ぎるようですが、簡便なので結構売れているらしい。ぼくもおかずつくりが面倒な時は、時々利用しています。それにおおっぴらにやれることじゃないんですけれど、いつも二級酒だの焼酎がそなえつけてあって、こっそりとコップに注いで出して呉れる。すなわちおでんをサカナにして、ひやであけるわけです。甚五がおかしくなって以来、収入が激減したので、窮余の一策としてこのヤミ商売を思いついたらしいのです。なにしろ簡便なので、常連も出来ている。
 酒類は戸棚の中にしまってあり、鍵がかかってる。注文があると取り出して注ぎ、また鍵をかける。取調べがあった時の用心かと思っていたら、そうじゃないんですな。常連の一人に大久保という独身男がいて、齢の頃は三十前後ですが、どこかの役所に勤めているとのことで、これがまた眼のぎょろりとした詮索好きな男なのです。これが聞きました。
「おかみさん。どうして一々鍵をかけるんだね。面倒くさいじゃないか」
「そう思うんですがねえ」
 フクさんは困ったような顔になりました。
「つまりおやじさんの自家用酒という名目にしてあるのかね?」
「それが逆なんですよ」
 フクさんは以前はぶすっとした無愛想な女で、タバコ商売はそれで通ったけれど、酒やおでんの商売ともなると、適当に相槌あいづちなんかも打たなきゃならない。割に正直な女で、ウソがつけないたちなのです。
「鍵をかけとかなきゃ、うちの人がいつの間にか飲んでしまうんですよ」
「ふうん。商売用を飲まれては、立つ瀬がないやね。困ったもんだ」
 大久保はおでんを横ぐわえにしごきながら、わざとらしい嘆声を発しました。
「早いとこ神経科の医者に診せたらどうだね? 今のままじゃ、果てしがないよ」
「そう思うんですけどね、それを言い出すとぷんぷん怒るんです。困っちゃうんですよ」
 ぼくなら余計なお世話だと黙殺するところですが、ここらは向う三軒両隣的人情でつながっているので、突っぱねるわけには行かない。大久保はよせばいいのに、図に乗って提案しました。
「なんならおれが説得して上げようか。おれは役人だし、おかみさんより少しは睨みがきくだろう」
 全く余計なことを言ったもんです。タバコ売場の方では、息子の平和ひらかずが坐って、勉強していました。時々耳が動くところを見ると、こちらの話が聞えているのに違いありません。平和は体つきは母親似で、たいへん大柄ですが、顔はおやじ似で、むっとした表情で眉間みけんかげをたたえています。こんな世代が大きくなると、案外この町の両隣的性格も消滅してしまうかも知れませんねえ。

 大久保が余計なでしゃばりをしたばかりに、甚五から引っかかれるという事件が起きたのは、それから間もなくです。ぶん殴らずに引っかいたところに、甚五の面目躍如たるものがありますな。しかしぼくはその現場を見たわけじゃない。
 もっとも大久保は診察を勧めて、それで引っかかれたわけじゃない。まあそれが遠因になってはいるのですが、直接の原因は他にある。ある日甚五宛のハガキが、間違って大久保のところに配達されて来た。東京地方検察庁からのハガキです。間違いならそのままポストに再投入すればいいのに、大久保はそのハガキを持ってのこのこと森タバコ店に届けに行った。内容は処分通知で、
『貴殿から告発のあった誰某に対する偽証被疑事件は何月何日左記の通り処分しましたので通知します。
 記。不起訴』
 検察官の印がでんと押してある。甚五が偽証罪で誰かを訴えたのに、不起訴と判決が下ったわけですな。大久保みたいな詮索好きの男が、それを見逃す筈がない。
「一体どんな事件で、どんな証人を呼んで、どんな証言がなされたのか。このハガキだけじゃ、全然判らないじゃないか。ねえ。君もそう思うだろ」
 大久保は口をとがらせて、ぼくに報告をしました。
「だからその事情を聞きに行ったのさ」
「君にその権利があるのかね?」
「そりゃあるさ。わざわざハガキを届けに行ってやったんだもの」
 こういうこの世の論理(?)がどうしてもぼくには理解出来ないのですが、当人がそう思い込んでいるし、何だったら助言をしてやろうとの好意(?)から出ているらしいのです。介入するわけには行きません。
「するとあいつ、二言三言話している中に、おれの顔を引っかきやがってね。まるで猫みたいな奴だ。どうしても病院に入れなきゃ、あぶなくって仕様がない」
 こめかみから頬ぺたにかけて、引っかき傷が出来ていました。それをぼんやり眺めていると、大久保はむっと言葉を荒らげました。
「なぜにやにやするんだい。笑いごとじゃないんだぞ!」
 たかが引っかきでも、とにかく人に傷を負わせたのですから、フクさんも放っては置けません。相手の大久保は詮索好きと同時に、かなりのウルサ型なので、とうとう赤木医院に相談に行ったのです。赤木医院を選んだのは、医師にもそのがあるから親身になって呉れるだろうということ、それに患者がすくなくて待合室もがらがらだから、噂が立ちにくいということ、そんな理由からです。すると赤木医師は言下に答えました。
「わしは専門医じゃないから判らん。M病院に行きなさい。M病院に!」
 あとでフクさんはぼくにこぼしました。
「いくら何でもM病院じゃねえ。まるでほんとの気違いみたいじゃないの。見っともなくて、人にも言えないわ」
 M病院入りがなぜ見っともないのか。病気なら仕方がないじゃないか。通念によりかかってばかりいるのは、ばかげた話だと思うのですが、ぼくは別段口には出さなかった。身を乗り出すな、という信条からです。うっかり口を出すと、あの変人画描きはM病院をひいきにしている。すこし怪しいぞ、ということになりかねないですからねえ。噂を立てられてもかまわないけど、ひっそりと人眼に立たず生きて行く方が、ぼくの性分に合っている。
 こういう事情で、甚五はとうとう入院することになりました。もちろんだまして連れて行ったのです。入院に際してせっせと骨を折り、公費患者の手続きを取ってやったりしたのは大久保で、役所勤めなのでその方面の伝手つてが多いのでしょう。しかしいくら伝手があると言っても、身内でもない赤の他人の世話を焼くなんて、その情熱は一体どこから来るのでしょうか。人に親切にするのは悪いことじゃないが、それにかかりきるということは、生き方として間違っているような気がします。もっともそれだけに生甲斐を感じると言うのなら、仕方がありませんが。
 その病院の名を、仮にQとしましょう。赤木医師の話によると、インチキ病院のひとつで、精神病院というのは経営次第によっては、なかなかもうかるものだそうですな。相手が気違いだから、何を食わせても文句は言わないし、大部屋にごしごし詰め込んでも差支えない。保護者も世間ていを考えて、抗議しない。結核患者だと、待遇が悪いと団結して反抗するが、気違いには団結力がない。つまりどんな待遇をしてもいいと言うわけです。うっかりノイローゼにもなれませんねえ。公費患者は入院費が月額一万五千円、薬代が三千円で、合計一万八千円になります。大部屋に押し込み、粗悪なものを食わせて、それで一万八千円とは、経営者は笑いがとまらないでしょう。可哀そうに甚五はとうとうその一万八千円組の一人となりました。
 だまされて連れて来られたと判った時、甚五は少しあばれたそうです。しかし屈強な看護人がぬっと姿をあらわしたので、とたんにおとなしくなり、診察を受けて、素直に大部屋に入って行った。つきそって行ったのはフクさんと大久保で、日曜日でもないのに大久保が同行したのは、手続きの責任もあるのでしょうが、勤め先がよほど暇な役所と見えます。こんな連中の給料まで皆が負担しているんですからねえ。税金が高いのもムリはありません。
 それから四五日経った夜、甚五はとことこ森タバコ店に帰って来ました。いきなりガラス扉をあけ、死んだ魚のような眼で家の中をぐるりと見廻し、フクさんを押しのけて押入れをあけたり、果ては箪笥たんすの引出しまで調べたんだそうです。そして言いました。
「おい。男はどこに隠した?」
「男なんかいるもんですか。ばかばかしい」
 フクさんは少し気味悪くなったが、それでもつんけんと言い返しました。
「一体病院の方はどうしたの?」
「あそこはイヤだよ。食い物はまずいし、それにいるのは気違いばかりじゃないか。おれの肌に合わんよ。さあ、男を出せ!」
「男、男って、誰さ」
「うん。名前は知らんがちゃんと判ってるんだ。あんまり亭主を踏みつけた真似をするな。バカにしやがって。平和ひらかず。おい。酒を買って来い。飲みながらとっちめてやる」
 平和は売場に坐ったまま、石のように顔を硬直させて、返事をしなかった。
「大久保をついでに呼んで来い。あの野郎、おれをだまして、あんな病院に押し込みやがって、怪しからん奴だ」
 大きな声でわめくものですから、近所のおかみさんが大急ぎで大久保を呼びに行った。大久保がかけつけると、ふしぎなことにはとたんに甚五はしゅんとして、おとなしくなってしまったのだそうです。看護人の姿でも連想したのでしょうか。もっとも正気の人間の心の動きでも、ぼくらは理解出来ないのですから、調子の狂ったものの動きなど判ろう筈はない。
 で、その日は病院に電話をかけて、年配の看護婦みたいなのがやって来た。いろいろなだめられて、甚五は素直にその女に連行されて、病院に戻って行ったそうです。その時その女が言った。
「患者に一切こづかいを持たせないで下さい。金はこちらで預って、必要な度に与えることにしますから」
 それから病院での看視も、いくらか厳重になったようです。大久保の話によると、甚五のようなのは乱暴を働いたり、他人に迷惑をかけたりする病状ではないので、開放的な大部屋に収容されているという。それで一ヵ月ばかりは戻って来なかったのです。こづかいを取り上げられて、電車に乗りたくても乗れないからです。歩いて帰るには、あまりにもわが家は遠過ぎる。
 しかし甚五の嫉妬妄想は、それでおさまったわけじゃない。時々むらむらと、周期的に発するものらしいですな。個人差はあるのでしょうが、甚五の場合はそうでした。突如として身支度をして、
「おれは今から帰宅する」
 と宣言して、出かけようとする。帰られちゃ病院の方でも困るので、甚五を押えつけて電気ショックをかける。見たことはないが、あれは乱暴な療法だそうですねえ。双のこめかみから電気を通すと、テンカンみたいなはげしい痙攣けいれんを起して、ぐったりとのびてしまう。意識がなくなってしまうのです。
「あんなに電気ショックに強い人は、ちょっとめずらしいですな」
 医者が言っていたそうです。たいていあの荒療治を一度受けると、数時間は昏睡こんすいし、覚醒かくせいした後も記憶がはっきりしなくなるが、甚五はそうでなかった。ショックを受けて、五分ぐらい経つと、けろりと眼覚めて、また外出しようとする。また押えつけて電気を通す。今度は十分ぐらいでめて、ふらふらと玄関の方に歩き出す。医者も意地になって、三度目をかける。三度もかけると、さすがの甚五もぐったりとなって、
「ええ、ここはどこですか。何故わたしはここにいるんですか」
 と言う具合になって、大部屋に戻り、せんべい布団にくるまってぐうぐう寝てしまう。あのおどおどした甚五に、どうしてそんな電気に対して強烈な抵抗力があるのか。これは執念とか何とか、その式の精神力ではなく、体質の問題なのでしょう。それに違いありません。

 その甚五の嫉妬妄想の対象が、彼の心の中でどんな屈折をして、ぼくに結びついたのか、ぼくにはよく判らないのです。身に覚えはないし、前にもお話したように、フクさんはアンパンみたいで、全然魅力のない女性なのですから、甚五から問いつめられた時、フクさんは呆れたように突っぱねたそうです。大久保からその話を聞きました。
「あんなかにみたいな男と浮気するほど、あたしは落ちぶれてやしないよ、見当違いもいい加減にしてちょうだい」
 ぼくは大久保にたずねました。
「その、蟹みたいな男というのは、ぼくのことかね?」
「そうだよ。でも、おれが言ったんじゃなく、おフクさんだ。あまり気にしない方がいいよ」
「気にはしないがね、どうして君が疑われずに、ぼくが疑われるんだろう。君はずいぶん立入っているが、ぼくは何もしてない」
「何もしてないから、疑われるんじゃないかよ」
 大久保はぎょろりと上眼遣いに、ぼくをにらみました。その眼にはかすかに憎しみの色があったようです。ぼくは背中にどっと疲労を感じながら呟きました。
「そうか。どんな意味か判らないけれど、そういうことか」
 甚五はまた病院から飛び出して帰って来たのです。街の銭湯に入りたいからと、婦長に風呂銭をねだり、その金でパチンコをやり、ピースを取って金に換え、それを電車賃にして帰って来たんですな。そしてぼくの名をわめいてひとあばれしたが、銭湯からなかなか戻って来ないので病院側では、看護人を森タバコ屋に派遣して待機させていたから、甚五はあっさりと連れ戻されてしまった。看護人の話では、銭湯に行くと言いながら、いつもよごれたまま帰院するので、怪しいとは思っていたのだそうです。パチンコでもうけるのも、ラクじゃないと見えます。大久保はつけ加えました。
「大声でわめいて近所にも聞かれたから、これからあまり酒を飲みに来ないで呉れと、おフクさんに頼まれたんだ。もう行くなよ」
「来るなと言うなら、行かないよ」
 ぼくはうわの空で返事をしながら、甚五のことを考えていました。大部屋の片隅にじっと坐り込んで、毎日毎日女房のことを考えている。どこかに男がいるに違いない。その時ふっとぼくの顔が浮び上る。ワラでもつかむようにそれにすがりつき、その妄想を屈折させながら、やがて確信にまで持って行く。その努力とそれに伴う疲労の量は、たいへんなものだろうなあ。おれなんかの画業の比じゃない。――という感慨がありましたが、所詮甚五とてもぼくにとっては、ガラスの向うにいる人間に過ぎません。いくら屈折しようと、それは彼の勝手です。
「亀田クーン」
「亀田クーン」
 今声が聞えるでしょう。あれが森平和ひらかずの声です。この間たまたまそれを知ったのです。夕方ぼくがビールを飲みながら、ぼんやり庭を眺めていると、その声が聞える。亀田君がなかなか出て来ないと見えて、声は跡切れながらも呼びやめない。いつもこの声を聞いているが、一体どんな少年なのか。ふっと好奇心が起きて、ぼくは椅子を壁際に運び、その上に乗って背伸びして、明り窓から外を見た。するとそれが平和だったんですな。悪いことには、いや、悪くも良くもないけれど、きょろきょろしていた平和の視線とぼくのがぴったり出会ったんです。平和はぎょっとしたように体を硬直させ、亀田君呼出しを中止し、百七十センチの体を曲げるようにして、一目散に逃げて行きました。へんな窓からぼくの顔がぬっと出て来たので、驚いたのかも知れません。
「ああ。あれは平和ひらかずだったのか」
 椅子から降りながら、しばらくぼくは笑いがとまりませんでした。
「なるほど。あいつならそろそろ声変りするのも当然だ」
 その平和がどうもぼくにある種の感情を持っているらしい。いつからその感情を持ち始めたのか、あるいは何の原因でそんなことになったのか。
 この間のことです。老婦人に頼まれて、母屋で飼っている犬を連れて散歩に出かけ、中学校の傍を歩いていると、校庭の方からヒュッと音がして野球のボールが飛んで来た。ぼくの膝をかすめて、バクの鼻柱に命中した。バクというのは、その犬の名です。バクはぎゃっと悲鳴を上げて、すてんところびました。見ると鼻から血がどくどくと流れています。鼻血なんて人間だけかと思ったら、犬も出すんですな。バクはやっと起き上り、ぼくを怨めしげに見上げ、舌でぺろぺろとそこらをめ廻すものですから、顔やあごや前肢が真赤になってしまいました。人間なら上を向いて、首筋をとんとんと手で叩くところですが、犬にはその芸当は出来ません。叩こうにも、犬には手がない。
 校庭の柵を乗り越えて、のそのそとボールを拾いに来たのが平和ひらかずなのです。彼はこの中学の生徒でしょう。ぼくの方は見ず、一切無表情でボールを拾い、また柵をぎくしゃくとまたいで戻って行きました。バクが血だらけになっているのが見えた筈ですが、それについての挨拶は何もなかった。
「ふん。九州のモロキュウ」
 と、ぼくは思いました。
「あれはどういうつもりだろうな。頑強におれというものを拒否してるみたいだ」
 校庭で亀田君あたりとキャッチボールをしている。ボールが外れて道に飛び出し、バクの顔に当った。と考えるには、あまり偶然過ぎるようだし、それ球にしては勢いが強過ぎた。こちらの油断を見すまして、意識的に投げつけたんじゃないか。ぼくに当てるつもりでコントロールが狂って、バクに命中してしまった。――もちろんこれはその場で組立てた仮説で、相手は巨大なモロキュウなんだから、何を考えているか判らない。もしその仮説にしたがってわめけば、ぼくも甚五並みということになるので、不機嫌なバクをなだめなだめして獣医に連れて行き、止血の手当をしてもらいました。バクの散歩を引受けたばかりに、とんだ物入りでした。
「亀田クーン」
「おおお」
 亀田君が出て来たようです。門のところに二人が向い合い、拳を振り上げる。
「ちッ、けッ、たッ!」
「ちッ、けッ、たッ!」
 近頃の子供たちは、じゃんけんをする時、そんなかけ声でやるのです。一昨年あたりまでは、
「じゃんけんポカポカどっこいしょ!」
 そのしょで拳を出していたようですが、長ったらしいからやがてすたれて、今は簡明に、
「ちッ、けッ、たッ!」
 意味は知りません。意味はなく、ただ気合のものなのでしょう。
 この「ちッけッたッ!」のあとはどうなるか。バレーボールかバスケットボールの球だろうと思うのですけれども、それをぼくの画室の板壁にどしんどしんとぶっつけて、どんな仕組みになっているのか、何点何点と点を取り合う遊びが始まるのです。向うでは遊びかも知れないが、板壁のこちらはその球の圧力を受けて、その度にぐらぐらと揺れる。棚に乗せたものなんかは、時にころがり落ちることもある。ですからぼくは日曜日が来る度に、棚の上のものを、皆床の上に移し、防備にこれ努めています。この遊びは、毎日でなく、日曜日だけに限っているので、まだいいのです。
 ――春の今頃の時節の、日曜日の昼下りというのは、へんにむしむしして、気分がうつするものですねえ。赤木医師も毎年今頃の気候が、一番体や頭に悪いと、いつか問わず語りに話していました。その赤木老先生もこの二週間ばかりさっぱりここに姿をあらわしません。おそらく彼もむしむしとしているのでしょう。
 でも、へんなものですねえ。ぼくはひたすら透明に、自分から動かないでいるのに、じたばたは一切避けているのに、ほとんど何の理由もなく憎まれたり、嫉妬されたり、頼もしがられたり、軽蔑されたり、オセッカイを受けたりすると言うのは、何でしょう。じたばたしているのはぼくじゃなく、ガラスの向うの現実なのです。しかしそれらは遠くからぼくを脅かす。何をじたばたしておるのかと、わらっているだけで済めばいいんですがねえ。ままならぬ世の中です。





底本:「ボロ家の春秋」講談社文芸文庫、講談社
   2000(平成12)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「梅崎春生全集 第6巻」新潮社
   1967(昭和42)年5月10日発行
初出:「新潮」新潮社
   1962(昭和37)年6月
入力:kompass
校正:酒井裕二
2016年3月4日作成
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