ボロ家の春秋

梅崎春生




 野呂旅人という名の男がいます。そいつはどこにいるか。目下僕の家に居住している。つまり僕と同居しているというわけです。しかしこんな場合、同居という呼び方が正しいかどうか、僕にはよく判らない。貴方あなたも御存知のように、僕は世間知らずの一介の貧乏画家だし、言葉の使用法にあまり敏感なたちじゃありません。でも僕の感じからすれば、同居というのは、同じ権利をもって一家に住みあうこと、一方が他方に従属することなしに住み合うこと、(もし従属すればそれは居候いそうろうとか間借人などと呼ばれるべきでしょう)そんなことじゃないかと思うんですが、そこらの関係が僕等の間ではたいへん複雑になっているのです。第一この家は一体誰の所有物なのか、僕のものか、野呂のものか、僕等以外の第三者のものなのか、それが全然ハッキリしていないのです。まことに困った話です。
 野呂旅人という男は、歳はたしか三十一。背丈せたけはせいぜい五尺どまり。身体も痩せていて、体重も十貫か十一貫というところでしょう。しかしこの男はもっともっと肥る素質はあると思います。なんとなくそんな感じがします。それなのに一向肥らないのは、栄養を充分にっていないせいだと、僕はにらんでいます。もっともその点にかけては、僕もあまり大口たたく権利はないのですが。――で、今申したように野呂という男は、ミバも良くないし、頭も切れる方じゃなし、パッとした男じゃないのですが、ひとつだけ外見上の特徴がある。それはいぼです。疣というのは辞書を引くと、『皮膚上に、筋肉の凝塊ぎょうかいをなして、飯粒ぐらいの大きさに凸起せるもの』とありますが、野呂のは飯粒よりももっと大きい。ゆで小豆あずきぐらいは充分にあります。それが一つだけならいいのですが、御丁寧にもおでこに三つ、あごに二つ、合計五つの疣が、ちりばめたるが如くに散在しているのです。で、このイボ男が僕と同居している。どういう事情といきさつで野呂が僕と同居することになったか、それを話す前に、先ず家のことについてお話ししたいと思います。
 家と言っても、僕が住んでいるくらいだから、大した家じゃありません。アバラ家と言った方が近いでしょう。部屋は三つ。八畳の洋室が中央にあって、四畳半の和室が両側についている。部屋はそれだけです。洋室なんて言うとしゃれたふうに聞えますが、まあ何のことはない、ザラザラの板の間です。あとは台所、便所、風呂場など。それに五十坪ほどの庭。それで全部です。たいへん古い家で、僕の推定では少くとも建ってから三十年は経過しているでしょう。雨は漏るし風は入るし、柱はかたむきひさしは破れ、形容枯槁ここうして喪家そうかいぬの如く、ここらで金をかけて根本的にテコ入れしなきゃ、大変なことになりそうなのですが、そこはそれ誰の持ち家か判然はっきりしないものですから、誰も手出しをせず、ついそのままになっているのです。だんだん梅雨が近づくというのに、まったく憂鬱な話です。
 こんなボロ家に、どんないきさつで僕が住み込むことになったか。先ずそれをお話し申し上げたい。
 不破数馬という人物がいました。僕はこの男と昨年の春、都電の中で知り合ったのです。
 都電の中で知り合ったなんて、ちょっと不思議に聞えるかも知れませんが、話はかんたんなのです。ある日僕が都電に乗っていると、僕の前に不破が立った。わりに混んでいて、僕は腰かけていたが、不破は空席がなくて釣革にぶら下っていたというわけです。もちろんその時、前に立っているのが不破という人物であるとは、僕は全然知らないし、また関心もなかった。同車の乗客に一々関心を持ってたら、神経がすり減ってしまうだけですからねえ。僕は疲れてぼんやり電車に揺られていました。ところが終点近くになって、ふと僕の興味を非常にひきつける現象が、その不破の身辺に起ったのです。
 不破の隣りに若い男が同じく立っていました。眼鏡めがねなどをかけ、一見サラリーマンふうに見える。そいつが夕刊をひろげて読んでいるのです。いや、実際読んでいるのか、ただ拡げてるだけなのか、それはよく判らないのですけれども、その夕刊のかげからその男の手がじわじわ伸びて、時々不破の上衣のポケットをそっと押えてみるらしい。車体の動揺のためかと思ったのですが、それにしては指の動きが不自然だ。スリかな、と思ったけれど、僕は黙っていました。電車はごうごうと走って行く。僕は眼を薄眼にして居眠りをよそおいながら、その手の動きに注意していました。指が女みたいにしなやかに動いて、ポケットの表面を小当りするのですが、なかなか本儀には及ばない。僕は少しずつ胸がどきどきして来ました。こういうことは他人事ひとごとながらスリルがあるものですな。それはちょいと魚釣りの気分に似ていました。もう掛かるか、もう掛かるかと、ワクワクしながら観察していますと、その手がとたんにグニャリと平たくなって、するするとポケットに忍び込んだ。次の瞬間、人差指と中指にはさまれて、革の財布が無雑作に引き出されて来たのです。僕の心臓は大きくドキンと脈打って、少々きたない話ですが、不覚にも下半身においてある種の生理現象を、ほんのちょっぴりとではあるが起したくらいです。僕は小さい時から大へん緊張すると、とたんにそういう現象をおこす因果な癖があるのです。黄昏たそがれ時の車内だし、新聞紙にもさえぎられているし、おそらくそれを見たのは僕だけでしょう。当の不破ものんびりした表情で窓外薄暮の風景などを眺めています。そして財布を抜き取った手の持ち主は、徐々に身体をずらして、出口の方に移動して行くらしい。僕は思わず不破の膝頭ひざがしらをこつんとこづいた。
 何故なぜ、どんな心算つもりで、僕が不破の膝をこづいたか。正直に言ってそれは社会的な正義感というものではなかったようです。言うならばお節介ですか。そんな気合いだと言った方が正しい。僕は生れつき相当のオセッカイ屋で、他人との関係にもこれなくしては入れなかった。でも、大ざっぱに言えば、人間と人間とを結び合うものは、愛などというしゃらくさいものでなく、もっぱらこのオセッカイとか出しゃばりとかの精神ではないでしょうか。大づかみに僕はそう了承しています。オセッカイこそ人間が生きていることの保証であるという具合にです。それにもう一つ、その時嫉妬の気分も多少は僕にあったらしい。もちろんスリ手の若い男に対してです。あいつだけにうまい汁を吸わしてなるものか。一体目撃者の俺をどうして呉れるんだ、というようなあんばいに。
 不破はきょとんとした表情で僕を見ました。そこで僕は腰を浮かして、不破の耳に顔を近づけた。不破の耳たぶは大きかったですな。所謂いわゆる福耳というやつで、こんな耳の持ち主に悪人はめったにいないと言われています。その大きな耳たぶに、僕が今目撃したあらましを口早に吹き込みました。すると不破の顔がさっと紅潮して、出口の方をにらみつけるようにした。電車は新宿終点に停止しかかっていたのです。
 たちまち不破は人混みをかきわけて、出口へ突進しました。つづいて僕も。そして停留場から二十メートルぐらいの地点で、その若い男の肩をがっしとつかまえたのです。僕らが追っかける跫音あしおとを聞いても、若者は逃げ出そうとはしなかったですな。よほどしたたかな奴だったに違いありません。そいつは肩をつかまれたとたんに、かねて予期した如くひょいと振り返り、財布を両手に捧げ持って、ぱっと最敬礼をいたしました。まるで戦時中の『××に対し奉り最敬礼』とでも言った恰好なのです。ふしぎなものでそうやられると、こちらの気合いがスポッとちぢこまってしまい、不破はその財布をあいまいに受取ってしまった。すると若者は最敬礼のまま四五歩後退し、おもむろに頭を上げ、廻れ右をしてしずしずと彼方かなたに歩き去って行きました。まことに天晴あっぱれな進退で、僕らはすっかり気を呑まれて、ただ茫然と見送っているばかりでした。交番にしょっぴくことに思いを致したのは、人混みにまぎれ去った後のことなので、どだい話にもなりません。
 しかしそれでも、財布が戻ってきたことだけでも不破は大喜びして、僕に一度御馳走したいと申し出ました。僕もそれを拒む理由はないし、欣然きんぜんと応諾しました。不破が連れて行ったのは、花園町のあるウナギ屋の二階です。不破は革財布を掌でパタパタと叩きながら、
「どうせすられたものとあきらめて、ひとつ今夜は豪勢に行きましょう」
 と言いました。そしてその財布から名刺を一枚出して僕に呉れたのですが、それは『不破数馬』と印刷してあった。不破は鼻翼をびくびく動かしながら、自分は不破数右衛門の直系の子孫であると、やや誇らしげに語りました。なるほどいい福耳はしているし、顔付も柔和だし、そんな名門の出であることもまんぞらウソではなかろうと、僕はその時思いました。スリにり取られるのも、性根しょうねが間抜けなせいでなく、おっとりした人柄のせいに違いない。そう僕は思った。そして僕らはウナギを食べ、酒を飲み始めました。さすが数右衛門の子孫だけあって、不破のはいさぎよい飲みっぷりでした。チョコではなく、コップのがぶ飲みです。すっかり意気投合して大いに飲み、ふと気がつくともう十二時近くです。僕はびっくりして立ち上った。当時僕の家は八王子にありまして、早いとこ行かねば電車がなくなってしまうからです。
 ところが不破数馬はがぶ飲みの故か、にわかにがたっと参ってしまって、畳に伸びてしまった。ねえさんが勘定書を持って来ても、ぐにゃぐにゃしてさっぱり正体がないふうなのです。仕方がないから僕が不破のポケットを探って、ずっしりふくらんだ革財布をつまみ出し、それをあけて見ますと、現金はたった二百二十五円しか入っていない。ふくらんでいるのは古ハガキを五六枚折りたたんで押し込んであるせいで、その一枚をちょっと拡げて見たら、都民税か何かの督促状のようでした。督促状じゃ仕方がありません。そこで僕は渋々自分の財布を取出して、勘定の決着をつけました。そしてひとりで帰ろうとすると、この伸びた男も連れて帰れと女中が強硬に言い張るものですから、余儀なく不破をひっかつぐようにしてハシゴ段を降りた。降りて外に出ると、不破はすこし正気を取戻したようで、自分を送りがてら家に泊りに来いと言う。時刻からみて八王子行きの終電は出たあとらしいし、僕も少々酔ってどうでもいいような気分になっていたし、即座に不破の家に泊りに行くことに決め、タクシーを呼びとめました。不破の家は京王線の代田橋駅の近くにあるのです。僕らを乗せた小型タクシーは、たんたんたる月明の甲州街道をひた走りに走り、とある横丁に折れて一町ばかり行き、そして不破家の門前で停止しました。そのタクシー代も僕が支払いました。この不破家が現在僕が居住しているところの家なのですが、夜のことではあるし、またさんさんたる月光の下では、そんなボロ家屋には見えず、結構ひとかどの邸宅に見えましたな。門をたたくとやがてごとごとと寝巻姿の不破夫人が出て来た。どうも夫人の方が不破より年長のようで、不破を四十ぐらいとすると、夫人は四十五歳ぐらいに見えました。無愛想に門をあけ、僕らを見てもおどろいたような顔もせず、さっさと引込んでしまいました。その夜僕は東の四畳半で、不破と同じ布団ふとんに寝ました。夫人は西側の四畳半です。
 それから夜が明けて、朝飯を御馳走になりました。朝になって見るとさすがにボロ家で、それに感心したことは家財道具がほとんど無い。全くがらんとしているのです。布団や食器類、そんなぎりぎりの生活必需品だけで、あとは何もない。チャブ台すらないのです。僕らは茶碗を畳にじかに置いて、朝餉あさげをしたためました。四辺あたりを見廻しながら、ずいぶんサッパリしておりますな、と僕が感心して見せたら、自分は物に執着を持たないたちだという意味のことを、不破はにこにこしながら説明しました。夫人は終始仏頂面ぶっちょうづらで飯をかっこんでいました。酔った翌朝のことですから、味噌汁が非常においしかった。またつくり方も上手でした。うまい味噌汁をつくる女は世帯持ちがうまい、そういうことをよく耳にしますが、そうだとすればこの不破夫人は、仏頂面はしてても、きっとやりくりが上手に違いありません。僕はそのワカメの味噌汁を三杯もお代りをしました。
 このがらんとしたボロ家に、不破と夫人と二人だけで住んでいる。もったいない話だ。では、半分僕に貸してやろうという話が、どんなきっかけから起ったのか、僕はもうほとんど覚えていません。どちらから言い出したのか、それも忘れてしまった。しかし僕は当時八王子の親爺おやじの家に住んでいたのですが、東京には遠いし、また八王子の家は手狭で画を描くにも不便だし、いずれは東京で部屋を借りて独立しようという気持はあったのです。この家の八畳の板の間なら、アトリエとして充分に使える。それに不破もおっとりした柔和な性格だし、夫人も無愛想ではあるが意地悪なひとではないらしい。万事好都合なわけですから、たちまち話はまとまりました。
「ほんとに君に来てもらうと、用心にもなるし、僕らもたすかるよ」
 不破は機嫌よく笑いながら、そんなことを言ったりしました。僕が東側の四畳半に住み、不破夫妻は西側に住む。板の間は両方の共同にする。そういう条件でした。
「それで――」と僕は最後に訊ねました。「間代の方はいかほどですか」
「うん。月に五百円もいただくか」
 と不破は無雑作に言いました。金のことなど問題でないというふうな言い方でした。
「では、権利金は?」
「うん」不破は面倒くさそうにあごのあたりをがしがし掻きました。「五万ほどいただくとするか」
 僕はちょっと黙り込みました。間代は法外に安いのですが、その割にしては権利金が少々高過ぎるような気がしたからです。するとその気配をさとったのか、不破はひょいと顔を向け、ニコニコしながら言いました。
「いや、何なら四万でもいいんだよ」
「そうですか。じゃあ、そうお願いします」
 それで話がきまってしまいました。スリが取り持つ縁で、家主と間借人の仲になるなんて、まことに面白く浪曼的なことで、小説のタネにでもなりそうな話ですな。で、その日は不破家をおいとまして八王子に帰り、親爺を口説いて四万円出して貰いました。親爺も四万という金には少し渋ったようですが、僕だって何時までも親がかりでは困るし、以後経済的にも独立するという条件で、やっと出して貰ったのです。もちろん不破家に引越したとて、すぐに画が売れ出すというわけはない。でも僕にはひとつの目論見もくろみがあったのです。あの不破家の八畳の板の間、あるいは好天気の折は庭先を利用して、毎日曜毎に小学生相手の画の講習実習をやったらどうだろう。さいわい不破家近辺は住宅地域ですから、二十人や三十人は集まるだろうというのが僕の日算でした。一人から月謝を三百円取れば、三十人で九千円になります。間代は五百円だし、八千五百円あれば一人口はらくらく養えるでしょう。そういう我ながら抜け目のない計算でした。
 不破と知合いになって三日目に、僕は世帯道具や画の道具一式をオート三輪に積みこんで、はるばる八王子から代田橋にバタバタバタと引越して来ました。世帯道具の方は不破にならって、ギリギリの必需品だけにしたのです。その夜不破とかんたんな契約書を作成し、四万円を手交し、それから近所のソバ屋から引越しソバを取り、ソバをさかなにして簡略な祝宴を開きました。不破夫人もその祝宴に参加して来ましたが、おどろいたことには夫人はその風貌に似ず、亭主を上廻る酒豪で、二升用意したのが足りなくて、もう一升買い足したほどでした。典型的なウワバミ夫婦とでも言うべきでしょうねえ。

 ところがこのウワバミ夫婦との同居生活は、わずか一週間をもってはかなく終りを告げました。一週間目に夫妻もろとも、夜逃げというか昼逃げというか、どこかに失踪してしまったのです。これはまったく予想外な出来ごとでした。
 失踪の前の晩、不破数馬はすこし酔って僕の部屋にやってきて、壁にかかっている僕の画を批評したり、あやしげな画論をはいたりしていましたが、やがてもじもじしながら、部屋代の前納という形でもいいから、二千円ばかり貸して欲しいと切り出した。夫婦で赤穂に行き、先祖の墓参りをして来たいというのです。一週間前四万円という金を渡したのに、もう二千円貸して呉れとはすこし妙だとは思ったのですが、僕が知らない事情があるのかも知れないし、まさか失踪するとは思わないから、間代前納の形式ならそれでもいいと思った。しかし念のために訊ねてみました。
「先祖のお墓って、なにも赤穂まで帰らずとも、泉岳寺にあるじゃありませんか」
 すると不破はあわれむような笑い方で僕を見て、
「僕の先祖というのは、なにも数右衛門だけじゃありませんよ。数右衛門の息子だってそうだし、そのまた息子だってそうだし、代々が僕の先祖様なんだ」
 なるほど、そう言えばそうですから、僕も納得して、なけなしの財布から千円札二枚渡してやりました。不破の言によると、赤穂行は墓参のためだけでなく、あちらにある山林を処分する用も兼ねているから、一週間や十日はかかるかも知れない。その間の留守番として、遠縁の野呂という男をここに寝泊りさせるから、仲良くしてやってくれ。野呂は明後日頃やって来る筈だ、と言うようなことでした。僕だって留守番の全責任を持たせられるのは重荷ですから、よろこんでその申し出を承諾しました。
 翌朝、十一時頃まで朝寝して、起き出した時には、もう不破夫妻の姿は見えませんでした。朝立ちをしたものと見えます。飯をこうと台所に行くと、僕の飯盒はんごうの上に一枚の便箋びんせんが置いてあって、なかなかの達筆で、
『野呂君と仲良くしてやって呉れ給え。彼はしんからの好人物であります』
 そう書いてありました。もちろん不破の筆跡です。僕と野呂という男の仲を妙に心配しているんだな。ちょっとそういぶかっただけで、直ぐその便箋は折り畳んでポケットにしまいました。
 野呂がやって来たのは、それから二三日った正午頃でした。僕が板の間にイーゼルを立てて庭の写生をしていると、表の方で大八車の音が聞え、やがて跫音あしおとが庭に入って来ました。庭に入って来た男は僕を見て、少しおどろいたらしく立ちすくんだ。僕は絵筆を置いてそいつの顔を見ました。汗だらけのその顔にはあちこちいぼがくっついていて、それがまず印象的でした。
「野呂君ですか?」
 と僕は訊ねました。
「いかにも僕は野呂ですが――」野呂は訝しげに板の間をのぞき込みました。「不破さんは居ないんですか」
「不破さんは昨日兵庫県に立ちましたよ」僕も不審に思った。だって留守番に来るんだったら、当主の旅行ぐらい知っていそうなもんですからねえ。「十日ぐらいかかるって言ってましたよ」
「十日?」野呂は眉をひそめました。「そりゃ困るなあ」
「困ることなんかないでしょ」
「困るよ」そして野呂はじろじろと僕を上から下まで眺め廻して、急に言葉がぞんざいになりました。「一体君は何だね。留守番かね?」
「留守番じゃないよ」少々僕もむっとして言い返しました。「留守番は君じゃないか。僕はここの居住者だ」
「居住者?」バカじゃなかろうかというような眼付で、野呂は僕を見た。「何を君は言ってるんだね。この家は僕のものだよ。不破氏から僕が買い受けたんだ。君は早々に出て行って呉れ」
「買い受けただって?」
 今度は僕がびっくりして棒立ちになりました。
「そうだよ。早く荷物をまとめて出て行って呉れ。僕は僕の荷物を大八車でエンヤコラ運んで来たんだ」
「そ、そんな無茶な。僕だってちゃんと権利金を払い、きちんと賃貸借の契約をしたんだぞ」
 僕は僕の部屋にかけこんで、領収証と契約書を急いで取出し、引返して野呂の前につきつけてやりました。野呂はそれを受取って調べ始めた。やがて不安と困惑の色が彼の顔いっぱいに拡がって来たようでした。
「不思議だねえ」彼はがっくりと板の間に腰をおろし、嘆息するように言いました。「何か誤解がある。まるでこの世には誤解が充ち満ちているようだ」
「君が買い受けたってのは、どんな事情だね」と僕もおろおろと訊ねました。「不破数馬氏からちゃんと買い受けたのかい?」
「そうだよ」
 野呂はそれからいじめられた子供みたいな表情になって、語り始めました。それによると、半月ほど前、新聞広告欄で売家の広告を見て、この家に不破を訪れたんだそうです。すると不破は家の内外をくわしく見せ、土地も借地であるし、家もボロ家であるからして、十五万円にお負けしようとのこと。野呂の方も大体手頃の値段だと思ったが、言い値で買うのは野呂家の家憲に反するので、とりあえず一万円値切った(ケチな男ですな)というのです。すると不破はニコニコしながら快諾した。そこで野呂は四万円を手付けとして置き、残余の十万円が都合出来次第引越して来て、その節登記の変更をしようという話にまとまったんだそうです。
「だから僕は引越し車を引いてやって来たんだ」と野呂は悄然しょうぜんと頭を垂れました。「一体僕はどうなるんだろう。だまされたのかしら」
「そうかも知れないね」僕も不安げに相槌あいづちを打った。「でも、それにしてはおかしい。不破氏はまだ君から十万円取り分があるんだからね。逃げ出すわけがない。逃げたら損だものね」
「そうだねえ。それじゃやっぱり墓参に出たのかな」
「しかし、それにしても、君に売渡す約束をしながら、この僕から権利金を取ったのは、どういう心算つもりだろう?」
「十万円が入ってから戻すつもりじゃなかろうか」
「そりゃあんまり僕を踏みつけにしたやり方だよ」僕はすこし怒りました。「それじゃ僕はツナギに使われたようなもんじゃないか」
「まあそう決ったわけじゃない」野呂は僕をなぐさめました。「とにかく不破氏が帰って来てから、その所存をただしてみよう」
「とにかく荷物を搬入した方がいいね。置き放しは物騒だからね」
「あっ、そうだ」
 野呂はぴょこんと飛び上って、あたふたと表の方にかけて行きました。そこで僕もサンダルをつっかけて、そのあとを追った。門前に大八車がとまっていて、荷物がわんさと積んであります。どこから引っぱって来たのか知らないが、こんな大荷物をひとりで引っぱって来るなんて、痩せっぽちのくせに相当な体力だと内心舌を捲きながら、僕は荷物の搬入をせっせと手伝ってやりました。ところが野呂はそれを特に感謝するふうでもなく、至極あたり前の表情で、時には僕に指図がましい口まで利くのです。この椅子いすを持てとか、これはこわれやすいから大切に運べとか、そんな具合に命令する。好意で加勢してやっているのに身勝手なことを言うなと思ったけれども、とにかくすべてを運び入れました。ところがそこで一悶着起きた。運び入れた洋服箪笥だんすや机のたぐいを、野呂がせっせと中央の板の間にえ始めたものですから、僕が一文句をつけたのです。
「板の間にあまり置かないで呉れ。西の四畳半に置けばいいじゃないか」
 野呂は顔を上げて、じろりと僕を見ました。
「そんなことを指図する権利が、一体君にはあるのかい」
「あるんだよ」
 そして僕は、僕と不破との間にかわされた板の間共同使用の約束を、野呂に説明してやりました。すると野呂は口をとがらせて言いました。
「だって、そんなこと、契約書には書いてなかったじゃないか」
「書いてなくっても、そういう口約束になっているんだ」
「そりゃおかしい。ウソだろう。ふつう間借人なんてものは、一部屋だけに決ってるものだよ。それを不破氏がいないからと思って――」
「ウソじゃないってば」僕も大声を出しました。「契約書に板の間共同をうたってないと君は言うが、一部屋だけだとも書いてないじゃないか。君の言い方は実証的でないぞ」
「それじゃ水掛け論は止しにして、現実的に行こう。失礼ながら拝見したところ、君は道具類をろくに持っていない。全然ないといってもいいくらいだ。ところが僕はごまんと持っている。持てるものが場所を広く取るのは、こりゃ当然の話じゃなかろうか」
「そんな横車があるものか」
 さかんに言い争っておりますと、庭の方から、ごめん、という大声が聞えてきました。見ると何時の間に入って来たのか頑丈そうな男と肥った男が、二人並んで立っています。頑丈な男が急に眼付をするどくさせて言いました。
「不破数馬はいないかね」
「旅行に出かけました」
「トンズラしやがったな」
 肥った方の男が、騎手が馬の尻をひっぱたくような恰好で、自分の尻をピタンと叩き、口惜しげに言いました。頑丈男は一歩足を踏み出し、僕ら二人を指差しながら、威圧するような声で、
「君らは一体何だ!」
「それよりもあなたは一体誰ですか」と野呂が肩をそびやかした。
「僕はその筋のものだ」
 そして頑丈男がポケットから、警察手帳みたいなものを出して見せたものですから、野呂の無理していからせた肩は見る見る低くなって、すっかり撫肩なでがたになってしまいました。
「はあ。僕は不破さんからこの家を買った者です」
「僕は不破さんからこの家を半分借りた者です」と僕も遅れじと言いそえました。「ともかくも一応おあがり下さい」
 二人は靴を脱いでのそのそと上って来ました。僕は台所に行ってお茶を沸かし、そして板の間に四人は車座になって坐りました。肥った男が名刺を出しましたが、それによるとこれは刑事ではなく、陳根頑という第三国人でした。
「わたしは台湾生れで、現在渋谷の方で中華飯店を経営しております」と陳さんは茫漠たる笑顔で、そう自己紹介をしました。笑顔といっても、笑っているのは顔の筋肉や贅肉ぜいにくだけで、眼は全然笑っていなかったようでした。「実は、わたし、不破君に十八万円の貸しがあってね。こりゃ、してやられたかな。はっはっはあ」
「君たちが家を買ったり借りたりしたいきさつは?」
 と刑事が僕らに訊ねました。僕らは思わず顔を見合わせた。どうも面白くない方向にことが進行しているらしい。野呂もそんな表情をしていました。そして僕らは書類を提示したりしてこもごもその事情を説明し始めました。刑事は角張ったあごで一々うなずきながら、黙って聞いていました。新聞などによく警察官が『事情を聴取する』という表現がありますが、如何にも『聴取』とはピッタリした語感ですな。僕らが話し終ると、刑事は首をかしげて、腕を組みました。野呂が心配そうに聞きました。
「やはり僕はだまされたんでしょうか。不破氏は戻って来ないでしょうか」
「おそらく戻って来ないでしょうな」刑事の言葉はいくらか丁寧になりました。こちらも被害者だと判ったせいでしょう。「あいつは他にも詐欺の容疑がある。手が廻るのを予知して、高飛びしたらしいです」
「じゃ僕の四万円は?」野呂がおろおろ声を出した。「そうすると一体この家は?」
「不破の名義になっている限り、不破の所有物でしょうな。その方の法律のことは良く知らないけれども」と刑事は面倒くさそうに答えました。「いや、お邪魔しました。不破が万一戻って来たとか、また何か連絡があった場合は、すぐ署の方に電話して下さい」
 刑事は僕が出した茶に手もつけず立ち上り、さっさと靴を穿いて出て行きました。つづいて陳根頑も。残された僕ら二人は茫然となり、ポカンと顔を見合わせていると、陳さんがあたふたと戻って来た。何か忘れ物でもしたのかと思ったら、そうではなかった。靴を脱いでどしんと坐り、僕の肩をぽんと叩きました。なにしろ二十数貫もあろうという陳さんのことですから、床板がめりめりっと鳴ったほどです。
「なあ。くよくよしなさんな。だまされたのは僕たちの不運だが、刑事の方にその方はお任せしてあるから、どうにかなるだろう」
「そうでしょうか。僕らはここに住んでてもいいでしょうか」
「うん。それについて、被害者同士として、いろいろ対策を立てる必要があると思うんだよ。だから明晩、あんたたち二人で、わたしの店に来て呉れませんか。晩飯でも食べながら相談をしましょう」
 陳さんは手帳を一頁破って、店の地図を書き、それを僕に手渡しました。そしてまたあたふたと帰って行きました。
 残された僕ら二人も、何時までも茫然としているわけにも行かず、もそもそと立ち上ってあたりを片付け始めました。とりあえずここに住むだけは住めそうですから、面白くない気持の半面、ほっとした気分もありました。論争中であった八畳の板の間の件も、そのままうやむやとなり、野呂も自発的に道具を西室へ移し始めたのです。これはお互いが共通の被害者であり、被害者同士の気持の寄り合いが、お互いの心をなごめたためでしょう。僕も野呂の荷物の整頓に力をかしてやり、そして夕方になりました。二人はますます団結的な気持になり、うちそろって銭湯に行き、野呂は僕の背中を、僕は野呂の背中を流してやりました。げにうるわしきは友情です。人間同士の和解だの団結だの、案外かんたんに成立するものですねえ。風呂から戻って来ると、僕の提案で簡略な引越し祝いをすることにしました。先日同様ザルソバと合成酒です。野呂もケチケチせず、こころよく割前を出しました。後日の野呂の言動から考えると、よくも文句なく割前を出したものだと、うたた感慨に堪えません。
 ところがこの祝宴は、飲むほどに食うほどに、段々しめっぽくなって来た。話題が不破のことになり、僕も愚痴っぽいたちですが野呂も同様らしく、自然に会話がじめじめして来るのです。今思えば、両者とも四万円ずつ出し、当分ここに居住できそうな調子だから、別に愚痴をこぼすことはない筈ですが、当時の僕らの気分としては、四万円をタダ取りされた感じで、腹が立って腹が立ってたまらなかった。あんな福耳を持ってるからつい信用してしくじった、と僕が嘆くと、
「そうだ。そうだ。僕もあのキクラゲ耳にはすっかりだまされた」
 と野呂が熱っぽく共鳴する。果ては、あんなインチキ野郎が得をして、自分みたいな正直者が損をする、神も仏もないものか、と野呂が男泣きに泣き出す有様で、さすがの僕も始末に困りました。さんざんなだめ、やっと泣き止んで貰って、これより当分同居することだから、お互いに理想的同居人たるべく努力しようとちかい合い、西東にわかれてやっと寝に就きました。その夜僕は、自分の手がいぼだらけになった夢を見ました。
 さて翌日、野呂ははやばやと起き出し、台所で派手な音を立ててうがいをした。その音で僕は目が覚めました。それから野呂は飯をたき、庭で体操をして、弁当をかかえて出かけようとする。どこに行くんだと訊ねてみますと、学校に行くんだと言う。よく聞いてみると、野呂の職業は中学の国語教師なのでした。
「今晩は陳さんのタロコ亭に行くんだから、間に合うように帰って来てお呉れよ」
 と僕は念を押しました。
 野呂が出て行ったあと、僕はかねて考えていた画塾の塾生募集のポスターを十枚ばかりつくり、そして近所の電信柱に貼って廻りました。貼って廻りながら、以後俺は誰に家賃を払うのだろう、不破が失踪した以上誰にも払わなくて済むんじゃないか、などと考えてちょっと愉快になりました。

 その夜タロコ亭についたのは、午後の七時頃です。タロコ亭は横丁のどんづまりにある小さな中華飯店で、飾窓にはうまそうな鶏の丸焼きだの豚の脚などがぶら下っていました。僕らが入って行くと、奥の調理場から陳さんが肥躯をあらわして、やあやあどうぞ、と二階の小室に案内してくれました。壁には峡谷を描いた中華風の絵がかけてあって、陳さんはそれを指しながら、これが台湾のタロコ峡だと説明しました。陳さんの生家はその近くにあるということです。ただし画家の僕から見て、あまりその絵は上出来だとは思えなかった。
 卓を囲んだのは、僕、野呂、陳さん、それにもう一人、陳さんの下で働いている孫伍風という若い男。なかなか機敏そうな筋肉質の若者で、陳さんの紹介によると、少林拳法の達人なんだそうです。宴なかばに孫はもとめに応じて、その拳法の型を見せてくれましたが、その拳の動きの早いことと言ったら、まるで流星みたいで、こんな男と喧嘩でもしたら、一瞬に即死させられるだろうと思ったほどです。ちょっと沖縄の唐手にも似ています。孫の右頬には一筋大きな切り傷のあとがありますが、やはり喧嘩か何かで受けた創傷なのでしょう。
 卓には御馳走が次々出ました。白片鶏パイペンチイだの炒鶉蛋チャオアムタンだの蝦仁吐糸シャーレントウスウだのその他いろいろ。あまり食べたことのない御馳走ばかりです。僕はあまりガツガツすると日本人の名誉に関すると思い、あまり食べないようにしたが、野呂と来たらわき目もふらずせっせと食べました。まったく自意識のないやり方です。酒は老酒ラオチュウでした。この方は僕も遠慮なくゴシゴシ飲んだ。
 陳さんの話では、不破という男はもともと悪い男ではないが、少々金銭的にはだらしない方で、それで今度のような事件をおこして身を誤ったのだという。戦後しばらく不破は『ニュー小説』という純文芸雑誌の編集長をやっていて、そこで陳さんと知り合ったということです。陳さんはビール(健康上の理由で老酒はっているとの由)のコップを傾けながら、自慢しました。
「わたしはこれでもね、芸術にはとても理解があるんでね」
 この中華飯店のデブ主人が芸術に理解があるなんて、意外でもあり、またとても嬉しくなったものですから、僕も胸を張って言いました。
「実は僕も及ばずながら、芸術家のはしくれです」
「ほう。ほう」と陳さんは感嘆の声を上げ両掌をかるく打ち合わせました。「して、どの方面の芸術で?」
「絵画です」
 そして僕は自分の所属団体や現在までの業績について、ささやかな説明をこころみました。すると陳さんはすっかり感激して、もっと飲みなさいもっと飲みなさいとコップに老酒をいで呉れ、以後友人としてつき会って欲しいなどと言う。がらりとかわった歓待ぶりになったものですから、野呂はそれを見て面白くなくなったのでしょう。僕らのやりとりをしばらく横目でにらんでいましたが、頃あいを見はからって、ぐふんとわざとらしいせきをして、おもむろに、
「僕も小説を勉強して、今までに十編ばかり書きましたが、なかなかうまく行かないものですなあ。ハッハッハア」
 と突拍子もない笑い声をつけ加えました。すると陳さんは且つは驚き、且つは相好そうごうをくずして、芸術家がかくも一堂に会するはめでたいことだなどと言いながら、野呂のコップにもせっせと老酒を注いでやりました。野呂はすっかり面目をとり戻して、にこにこしながら老酒をめています。昨夜の引越し祝いとは打ってかわり、陽気は堂に満ち、飲むほどにいささかの躁狂的な傾向もあらわれて来たようです。もっとも躁狂的傾向といっても、それは僕と野呂だけで、孫伍風は酒は一滴も飲まないし、陳大人はビールだけですから、どうも躁狂の原因はかの老酒にあったらしい。老酒は老酒でも、ふつうの老酒ではなかったらしい。笑いだけか何かのエキスを混ぜてあったんじゃないか、と僕は今でも考えているのですが、もしそうだとすれば、僕らはうまうまと陳さんのハメ手に引っかかったわけです。すっかり陽気を発した僕ら二人は、下手糞へたくそな浪曲をうなってみたり、立ち上って孫伍風の拳法の型の真似をしたり、わいわい騒いでいるうちに、陳さんがポケットからやおら書類のようなものを取出した。不破に関する書類だけれども、一応目を通して、もし賛成ならば署名と拇印ぼいんを押して呉れと言う。僕らはすっかり浮かれていたものですから、不破に関しては陳さんは最大の被害者だし、言わば被害者の総代みたいなものだから、万事陳さんにお任せすると、ろくに書類も見ず、即座に唯々諾々いいだくだくと署名し拇印を押しました。これひとえにかの特別製老酒のなせるわざです。ほんとに注意すべきことですねえ。陳さんはその書類を満足げに受取り、内ポケットにしまい込むと、掌をぽんぽんと叩きました。すると階下から給仕の足音がして、上って来たのは糖醋鯉魚タンツーリーギョです。これがすなわち料理のコースのめで、僕らはそれをむさぼり食い、最後の乾盃をしておいとますることになりました。外に出ても心が浮き浮きして、鳩の街にでも行こうかと僕が誘ったが、野呂はイヤだと言う。かりそめにも自分は先生と呼ばれる身分であるからして、そんな不倫のちまたにおもむくわけにはいかない、そう野呂は言うのですが、やはり金を使うのが惜しかったんじゃないでしょうか。
「お互いに若い清純な芸術家なんだから、まっすぐ家に帰ろうよ」
 そこで僕も鳩の街はあきらめて、小型タクシーに乗って、まっすぐ代田橋に戻って来ました。このまま眠るのは惜しいような夜でしたが、二人とも台所で歯をみがき、肝臓薬を五粒ずつんで、東西両室にわかれてグウグウ眠ってしまいました。
 さて、翌朝目が覚めたのが午前六時半です。宿酔ふつかよいの気味もなく、頭はさっぱりして、さっぱりというよりポカンと空虚になっていて、狐でもおちたような気分でした。台所に行くと野呂はもう起きていて、がばがばと顔を洗っておりました。
「おはよう」
「やあ、おはよう」
「さっぱりした気分だね」
「うん。まるで頭がバカになったようだ」
「昨夜はたのしかったね。陳さんってとても好い人だなあ」
「そうだね、え。それに料理がうまかったよ。毎日あんな旨いものが食えるといいねえ」
老酒ラオチュウもおいしかった。でも、ちょっとへんな酔い方をしたようだったねえ」
「そうだ。僕も今それを変に思っていたところだ」
「酔っぱらった揚句あげくに、書類か何かに捺印なついん署名したっけねえ」
「あっ、そうだ。あれは何の書類だったんだろう」
「僕も今思い出そうとするんだが、どうしても思い出せないんだ」
「ふしぎだねえ。やっぱり老酒のせいかな。そう言えばあの老酒は、ちょっと茗荷みょうがのにおいがしたようだ」
 そして二人はあれこれと考えてみましたが、どうしても思い出せない。そこで仕方なく二人は顔を見合わせて、ハッハッハアと笑い合ったのですが、外国のことわざに、最後に笑うものがもっともよく笑う、というのがあるそうですねえ。どうも僕ら二人は最初に笑い過ぎた傾向がある。と言うのは、それから三日目の夕方のことです。コンニチハという声と共に、一人の若者が跫音あしおとも立てずスイスイと庭に入って参りました。見るとあの孫伍風です。
「やあ、いらっしゃい。先日は御馳走さまでした。何か御用ですか?」
「今月の家賃、いただきに、来たヨ」
「え。家賃?」
 僕がびっくりしたような声を出したものだから、野呂も西室からごそごそと首を出しました。孫は平然たる表情で言いました。
「そう。家賃よ」
「家賃って、誰にはらうんですか」
「誰にって、あんた、陳大人によ」
「そりゃ無茶ですよ。孫さん」と野呂が半身乗り出して口を入れました。「だってこの家は不破氏のものでしょ。陳さんに僕らが家賃払うわけがないよ」
「この家、陳大人が、押えた。早く家賃払うよろし」
「押えたって、孫さん」僕は笑いながら孫をたしなめました。「僕らの同意もないのに、そんなことは出来ませんよ。さては陳さん何かかん違いをしてるな」
「同意したではないか」
 孫伍風は多少むっとしたらしく、眼をキラリと光らせました。見ると両方の手がもう半分ぐらい拳固げんこの形になっています。先日の手練のほどを思い出して、僕はすこし気持がひるみましたが、それでもなお元気を出して、
「僕らがいつそんな同意をしました?」
「あの晩、ちゃんと、拇印を押したでないか。ずうずうしいぞ」
 僕と野呂は同時にアッと叫び、顔を見合わせました。
「今月の家賃四千円、すぐさま払うよろし。払えなければトットと出て行くよろし」
 そして孫伍風は拳固をピッタリと構え、じりじりと板の間に近づいて来る。たどたどしい日本語がかえって凄味をそえました。
「払うか、払わないか、一体どっちよ!」
「払うよ。払いますよ」
 ついに僕は悲鳴に似た声を出した。そしてあわてて部屋にかけこみ、財布の中から千円札四枚をとり出して、孫に手渡しました。すると孫はにやりと笑ってポケットから賃貸借通帳を取出し、それにぽんと印をしてこちらに寄越よこした。それを見ると家の借り手は、僕と野呂の二人の連名になっています。野呂も孫の気魄きはくに圧倒されたのか、若干あおざめていました。孫は入って来た時と同じように、全然跫音を立てず、スイスイと庭を出て行きました。跫音を立てないのも、修練のひとつなのでしょう。
「バカにしてやがる」
 と僕はつぶやきました。陳の横暴もさることながら、うかうかと捺印したマヌケな自己に対する嫌悪。それにもう一人この家に野呂というマヌケがいる、そのことのうとましさで、僕は腹の中が真黒になったような気がしたのです。野呂も同じ思いだと見えて、唇を噛んで僕をにらんでいる。その野呂に僕はつけつけと言ってやりました。
「さあ。これでお互いが極め付きのマヌケだということが、はっきり判っただろ。家賃の割前二千円、早く出せよ」
「イヤだよ。君が勝手に払ったんじゃないか」と野呂は口をとがらせました。
「なに。払わない。じゃ払わなくてもよろしい。その代り君はこの家の借り手じゃなくなるぞ。君は僕の居候いそうろうだ!」
「居候? 居候でも結構だ」
「断っておくが、家主は居候を何時でも追い出す権利があるんだぞ。出て行かなきゃ刑事を連れて来るだけだ。そうすれば家宅侵入罪でひっくくられるぞ!」
「そんな滅法なことがあるもんか」
 三十分間もそんな言い合いをしたでしょうか。いくら横車を押そうとしても、野呂自身も捺印したことだし、少しずつ自分の非を認めて折れてきました。そして結局四千円のうち千八百円を野呂が持ち、僕は二千二百円ということになりました。どうしてこんなことになったかと言うと、野呂の部屋は西側だから西日が射す。部屋の条件として四百円がた悪いというのが野呂の主張で、その主張を僕が呑んだわけですな。それも初めは八百円がた悪いと言い張るのを、やっとのことで半分に値切ったわけです。野呂にかかっては夕日ですら金銭に換算される。こういう男と今後同居して行かねばならない。それを思うとほんとに情なくなって、全く涙が出そうな気分でしたな。
 で、またその夜も酒になった。しょっちゅう酒ばかり飲んでいるようですが、我々しいたげられたる者は、虐げられたる苦しみをごまかすために、酒でも飲まなきゃやりきれないのです。この夜の酒宴は、今後の対策の協議という名目だったのですが、ろくに結論も出ずに終った。警察に訴えようかという案も出たけれど、うかうかと捺印してしまったことだし、相手はすでに差押え処分か何かを完了しているに違いないし、しかも第三国人のことだし、憎まれると大変なことになりそうだというわけで、それはお流れになりました。弁護士に相談する案もありましたが、これは野呂のケチンボ根性でぜんぜん駄目。そのうちにまた野呂の泣き上戸が始まって、れいの如く、神も仏もないものかと泣きわめく始末で、九時頃には大叫喚にこのヤケッパチの酒宴は終りを告げました。
 そして十日過ぎ、半月過ぎても、不破夫妻はとうとう戻ってきませんでした。

 こういう具合にして僕らの奇妙な同居生活は始まったのです。
 野呂は毎朝六時に起き、学校に行き、午後四時にはキチンと戻ってくる。僕とは違ってなかなか几帳面きちょうめんな生活でした。僕なんか面倒くさがり屋だから、自炊と外食をチャンポンにしていますが、野呂は自炊の一点ばりです。近いうちに田舎から老母を呼んで一緒に暮そうと思うがどうだろう。そう一度彼は僕に相談を持ちかけたので、いいだろうと答えておいたのですが、後で考えるとそれは、老母が一人ふえても家賃の割前はそのままだぞ、という意味だったらしいのです。とにかく彼は営々として倹約し、削れるところは少しでも削り、それをどしどし貯金の方に廻しているらしい気配がある。食事についてもそうです。彼は夕方や日曜を利用して、庭木を勝手に引き抜いて、そのあとにせっせと畠をたがやし始めた。初め僕はそれを黙って見ていたが、その畠の領域が見る見る庭全体に拡張しそうになって来たので、あわててそれを差止めました。野呂はれいによって、どんな権利で差止めるのかと文句を言ったが、結局は庭の半分だけを使用するという事に落着きました。そしてどこから持って来たのか、垣根のところにへんな灌木を何本もさし木をした。何の木だねと聞くと、枸杞くこだと言う。彼の言によると絶大と言ってもいいほど栄養のある植物だそうで、彼はそれをオヒタシにしたり、飯にたきこんだり、乾かしてお茶みたいにして飲んでいます。いつかそのクコ茶を馳走になったが、あまりうまいものではなかったようです。一体に野呂の食事は禅坊主のそれに似ていて、質素極まるものです。最低の栄養さえればいいという具合なのです。ところがある夜食で、彼があまりにも質素なものを食べていたので、
「も少し脂肪分でも摂ったらどうだね」
 とからかったところ、彼は憤然として、自分のこの食生活は、かのゲイロード・ハウザー博士の所論にヒントを得て、自分流に考案した日本式栄養食なのだとタンカを切りました。
「僕はこれでも信念を持ってやっているんだぞ。君如きは知るまいが、脂肪は人類の大敵だっ!」
 ところがこの野呂が、あの日タロコ亭の中華料理を、旨い旨いとむさぼり食ったんですから笑わせます。信念もクソもない、ただの経済食に過ぎません。つまり単純なケチンボ精神から出たものなのです。
 畠のことだってそうです。野呂はその二十坪余りの畠にさまざまな野菜を栽培しましたが、素人しろうと菜園にしてはかなり上成績で、彼は毎日それをんでは食べている。結構これで八百屋の厄介にはならずに済んでいるらしいのです。ある朝、僕は味噌汁をつくろうと思い立ったが、中に入れるがない。そこで野呂に呼びかけて、菜園のツマミ菜をひと掴み分けて欲しいと頼んだのです。野呂は快諾して、すぐに分けてくれました。そこまではよかったけれども、その夕方彼はツマミ菜の代金を請求してきた。それは市価の三倍ぐらいの法外な値段でした。僕はすっかりあきれて嘆息しました。
「実に高いなあ。いくらなんでも少し高過ぎやしないか」
「高くはないよ。これが普通だよ」
「そんなことはないよ。八百屋ではこれの三分の一の値段で売ってるよ」
「八百屋のと僕のとは違う」野呂はキッパリ言いました。「第一に、八百屋のより僕の方がはるかに新鮮だ。第二にうちのは人肥を使ってないから蛔虫かいちゅうの憂いがない。第三に君は八百屋に行く手数がはぶけたじゃないか。理由が三つもあれば、値段もおのずから三倍ぐらいになるのは当然じゃなかろうか」
 こういう野呂の論理には抗するすべはないので、渋々僕は代金を払った。それ以後野呂から僕は一切野菜を買いません。何かというとすぐ暴利をむさぼるから、ほんとにうんざりするのです。
 画塾のことだって同じです。前に申し上げたように募集のポスターを貼ったら、なかなかの盛況で、小学生が四十人ほど集まって来ました。日曜の午前中をそれにあて、僕が画の講習ならびに指導にあたる。月謝は三百円で、つまり一万二千円ほどになります。これが僕の生活を支える有力な財源なのですが、野呂のやつがこれに目をつけた。
 日曜日はすなわち野呂も休みで家にいるわけですが、その午前中いっぱい、板の間または庭に生徒があふれて、てんでに画板をもって写生をする。小学生のことですから、静かに描くということができません。ガヤガヤザワザワとおしゃべりはするし、中には歌をうたい出す子もいる。あまりガミガミ叱ると、次から通って来ないおそれがあるから、つい僕も手控えるのです。そこに野呂が目をつけて、日曜日の午前は自分の小説修業には大切な時間である、その大切な時間にピーチクパーチク騒がれては何も出来はしない、一体どうしてくれるというのです。野呂が小説修業を実際してるのかどうか、タロコ亭でもてないものだから出鱈目でたらめの放言をしたんじゃないか、と僕は今でも疑っているのですが、とにかく彼はそう頑強に言い張る。
「勉強出来ないだけじゃなく、台所や便所に行きたいと思っても、ウジャウジャ子供がいて、ろくに行けもしないじゃないか」
「じゃ、一体どうすればいいんだ」と僕も開き直りました。「画塾を止めろとでも言うのか」
「いや、きっぱり止めろとは言わないが――」と野呂は多少妥協の色を見せた。「僕に損害をかけた賠償として、あがりの二割ぐらいは寄越してもよかろうじゃないか。僕だってその時間は全然つぶれてるんだ」
「君は自分の時間まで金に換算するのか」
「そうだよ。時は金なりとことわざにもある。これが近代的合理精神というもんだ。大体君はわがまま過ぎるぞ。板の間は共同使用だという約束なのに、僕を無視して金もうけのために独占使用してるじゃないか。僕はほんとに君の身勝手には呆れ果てているんだ」
 どちらが身勝手かと腹が立って、勝手にしろと怒鳴ってやりたかったのですが、もし呉れなきゃ真裸になって女生徒の前をウロウロするぞ、などと言い出してきた。自分の家で全裸になる分には、誰からもとがめられる筋合いはないとの言い分です。この男だったらやりかねないことだし、そうなれば生徒は皆次回から通って来なくなるでしょう。僕のあごはたちまち干上ってしまいます。そこで僕は涙を呑んで野呂の言い分をいれた。額だけは一割に値切ったが、それでも千二百円ということになります。忿懣ふんまんを胸に蔵して僕は月末毎に千二百円を手渡すのです。
 しかし今考えると、これらは単に野呂のケチンボ根性からだけではなく、僕に対する嫌がらせの意味も充分にふくまれていたらしい。そう僕は思います。すなわち野呂は不破から家を買うために手付けを置いた。手付けを置いた以上は、この家の権利は自分にある。ところが僕の方は初めから間借人である。そういう心理からどうしても彼はぬけられないし、また頑強にぬけ出そうとしないのです。だから彼は心の奥底では、僕を間借人または居候いそうろう視していて、嫌がらせすることによって僕を追い出そうと試みているのではなかろうか。どうもそんなふうに思われます。僕の側からすれば両人とも四万円ずつ出したのだから、家に関しては同等の権利を持つべきだと思うのですが、野呂はそう考えたくないらしい。それに彼は一軒の独立家屋を所有することに異常な熱意を示しており、時々そういうことを僕にらしたこともあります。一軒の家を自分のものにして、田舎から老母を呼び、そして適当な相手を見付けて結婚したい。それが彼の小市民的な理想なのに、不破、陳の両人からしてやられ、しかも僕という男と同居の羽目に立ち到った。それが腹が立ってたまらないらしいのです。その忿懣ふんまんはほんとは自分に対して向けられるべきなのに、当面の僕にぶっつかって来るというのが真相らしい。しかしそれで黙って引き下っていては僕の立つ瀬はないじゃありませんか。
 またこんなこともありました。ある日の夕方僕が板の間で画を描いていると、折しも学校から戻ってきた野呂がにこにこしながら、いいものがあるよ、と僕に一枚の小さな板チョコレートをつきつけました。野呂にしては珍らしいことですが、念のために訊ねてみました。
「うまそうなチョコレートだが、一体いくらだね?」
「売り物じゃないよ」野呂は瞬間イヤな顔をしました。「今日学校出入りの商人から貰ったんだ。食べたきゃ上げるよ」
「へえ。君にしてはずいぶん気前がいいんだね。じゃ、いただこうか」
「どうぞ。君は近頃顔色が悪いから、こんなもんでも食べた方がいいんだよ」
 板チョコを食べて血色が良くなるなんて、とんまなことを言ってるなと思ったが、そのまま有難く頂戴して食べました。割に旨いチョコレートでした。むしゃむしゃ食べている僕を、野呂は慈善者の微笑をもってしずかに眺めていました。野呂ががらにもなくこんな微笑をうかべると、まったく嫌らしい感じです。
 さてその翌日です。学校から帰宅して来た野呂が、真面目くさった表情で僕に訊ねて来ました。
「どうだい。出たかね?」
「え。何が?」と僕は反問した。
「じゃ、まだ出ないんだな」と野呂は仔細しさいらしく合点々々がてんがてんしました。
「それならそれでもいいんだ」
「一体どうしたんだね。奥歯にもののはさまったような言い方をして――」
「いいんだよ。何でもないことだよ」
 そして野呂はにやりと嫌らしく笑いました。それから翌日になり、昼間僕が便所に入っていると、どうも尻のあたりの感じがおかしい。汚ない話で恐れ入りますが、手をやってみると、何かマカロニ状のものがぶらんと尻からぶら下っているんです。びっくりしましたねえ。僕はしゃがんだまま十センチばかり飛び上った。
 ここらはくわしく話すのもなんですから、簡略に申し上げますが、つまり僕の体内から蛔虫かいちゅうが出て来たんですな。それも一匹ではなく、大小取りまぜて数匹。すっかり排出し終って、なかば気味悪く半ばさっぱりして便所から出て来た時、僕は卒然として昨日の野呂の言葉を思い出した。あいつ変なことを言っておったが、何かやったんじゃないか。そこで僕はそっと野呂の部屋に忍び入り、机上を見ると小さく平たい紙の外被がいひが乗っている。その表の『虫下しチョコレート』という印刷文字を見た時、とたんに僕はむらむらと逆上しましたよ。その箱を裏返して見ますと、『このチョコレートは日本薬局方サントニン〇・〇五グラム海人草及び石榴ざくろ皮を主剤とし外に各種の栄養剤を配合しその相乗作用により』云々うんぬんと効能書が印刷してある。僕は怒髪天をつき、その空箱をはっしと壁に投げつけました。学校出入りの薬屋か何かが売込みに来たのを、くか効かないか、僕を実験台にして使ってみたのでしょう。立腹の余り、僕はもう画業に手がつかず、庭に出てエイエイと少林拳法の真似ごとなどしている中に夕方になりました。戻って来た野呂に、僕はいきなり怒声をあびせかけました。
「一昨日僕に食わしたのは、虫下しチョコレートだったんだな!」
 はげしい僕の剣幕に、野呂はびっくりして気を呑まれたようでした。
「そ、その通りだよ」
「一体君はそんなことをしてもいいと思ってるのか。あんまり人をなめるなよ」
「だって――」野呂も懸命に弁解しました。「虫が出たんだろ。虫が出たんなら、結果としては、君の幸福になったわけじゃないか」
「幸福とか不幸とかに、これは全然関係ない――」と僕は怒鳴った。「君は僕の意志をふみにじっている。基本的人権の問題だ」
「じゃ君は、体内に蛔虫を飼っておきたいとでも言うのか」
「そんな質問に答える必要は認めない。とにかく僕を元の状態にしてかえせ」
「だって君の顔色が悪いし、疲れてるようだったから、蛔虫の駆除を――」
「そんな言い分が通るんだったら、僕は君が眠ってる時に、安全カミソリの刃で、君の疣を全部削り落すぞ!」
 野呂はとたんに真赤になって、顎の疣に掌をあてました。ははあ、イボのことを言われるとこの男は反応を起すんだな。そう僕は思った。野呂の声は急に押しつぶされたようになりました。
「じゃ、どうすりゃいいんだい。元の身体にしてかえせって――」
 そこで僕は怒りを静めあれこれ考えた揚句、向う一箇月毎日レタスを一株僕に提供すること、それも野呂菜園のは虫の卵がないから八百屋より買い求めること、その条件で許すことにしました。野呂はしきりに一箇月を半月に値切って来たが、僕は頑として受けつけなかった。こうしてこの件は一応僕の言い分が通った形ですが、実際に八百屋のレタスを食べたのは、十日ぐらいなものです。経済的に毎日毎日レタスをあがなうことの非を悟った野呂は、ついに野呂菜園のレタスに人肥を使い始めたのです。勿論それを僕に食べさせようという魂胆からです。しかもその人肥は、我が家のそれであって、野呂の言によるとこれには卵が確実に多量に含有していると言う。それは確実に含有しているでしょうが、自分のハイセツ物をかぶって汚染したレタスを食べることは、流石さすがの僕も感覚において忍びず、仮釈放という形で以後のレタスの提供は免じてやりました。しかし野呂の側からしても、賠償義務は免除されはしたものの、自分の菜園のレタスが卵持ちになったわけですから、大したトクにはならなかったでしょう。
 まあこういう具合にして、僕らの気持は一事件毎に、少しずつこじれて来た。入居の当初、お互いに理想的同居人たるべく努力しようとちかい合ったことなど、もはや夢の中の出来事のようです。もう野呂の顔を見ただけでも、闘争心みたいなものが湧き起ってくるような気がするのです。しかし闘争心だの憎悪だのというものは、ある意味で人間の日常を、すがすがしくまた生き生きとさせるものですな。野呂の側にしても同じことでしょう。僕にはその頃から自分の毎日々々が、むしろぎっしりと充実して来るようにも感じられて来ました。
 そして僕の所属する絵画団体の展覧会がだんだんと近付いて来た。僕はあれこれと題材に迷った揚句、ついに野呂の顔をテーマにして制作を開始したのです。しかしやはり芸術というものは、憎悪を基調としては成立出来にくいようですな。それでも根気よく塗り直し塗り直ししているうちに、画面の野呂の顔がしだいにふやけて、妙な抽象体みたいな面白い形になってきたのです。そうすればもうしめたものですから、僕も大いに張り切って制作をつづけて行きました。陳根頑から重大な速達が来たのは、丁度その頃のことです。

 ある土曜日の午後、僕は画布を前にして、レモンイェローの効果に苦心惨憺さんたんしていますと、速達、という声がして、一通の手紙がヒラリと舞い込みました。裏を返すと、渋谷・陳根頑と記してある。宛名は僕と野呂の連名です。急いで開封して見ますと、これが達筆の候文です。候文が書けるなんて、器用な台湾人もあればあったものですが、その内容がまた僕を驚かせた。この家を売却したいというのです。
 候文ですから感情が露骨でなく、紋切型の文体ですが、その要旨は、この家を売却したい意向を陳は持っている、売価は事情が事情であるから十万円とする、向う三十日以内に支払って貰いたい、もし支払い能力がなければ立退たちのきを要求する、但し立退き費として一人宛一万円程度を支払う、以上のようなことです。僕は愕然がくぜんとし、また茫然として部屋中をぐるぐる歩き廻った。また新しい災厄がふりかかって来たわけです。手紙の末尾には、家の買い手は僕ら二人でもいいし、どちらかの一人でもいいと書いてある。ぐるぐる歩き廻りながら僕は考えました。野呂の奴もこれにはビックリするだろう。また今夜あたりあいつは、神も仏もないものかと泣きわめくだろうな。
 ところが夕方、戻って来た野呂に速達を見せたのですが、期待に反して別にわめきもせず、髪をかきむしることもしない。割に平然とそれを読み終って言いました。
「そうか。そんなことか。じゃあ僕が買うことにしよう」
 その一言がぐっと僕のカンにさわった。
「買うことにしようって、何もこの手紙は君一人宛てに来たんじゃないんだぜ」
「そりゃそうだよ。でも君は初めから間借人なんだから、家を買う気持はないんだろ?」
「間借人は不破数馬に対してだ。僕は君から部屋を借りてる覚えはない。第一手紙を読んだとたんに、僕が買いましょうなんて、身勝手もはなはだしいじゃないか。いいか。手紙は二人宛てに来たんだぜ。二人で相談し合うのが当然だ」
「相談するって、何を?」
「先ず手紙の内容だよ。ずいぶんこちらをなめた話じゃないか。一方的に売却を宣言するなんてさ」
「そうかねえ。僕はそう思わないがねえ」
「買わなきゃ立退き料が一万円だとさ。バカにしてるとは思わないか」
「思わないねえ。だって立退くんじゃなくて、買うんだもの」
「ほんとに君は慾張りで身勝手のくせに蒙昧もうまいな男だなあ。だからバカにされるんだよ」
「誰が僕をバカにした?」
「陳だってそうさ。それに不破だって――」
「なに。不破がいつ僕をバカにした?」
「バカにしてるさ。あたりまえじゃないか。不破の置手紙を見せてやろうか」
 僕は僕の机にしまっていた不破数馬の置手紙を出してつきつけてやりました。失踪の朝飯盒はんごうの上に乗せてあった『野呂君と仲良くしてやって呉れ給え。彼はしんからの好人物であります』という紙片です。野呂はそれを読み終って、きょとんとした顔で僕を見ました。
「これのどこがバカにしてるんだ」
「判らないのか。じれったいなあ。その好人物というところさ」
「こりゃ賞めてるんじゃないか」と野呂はむずむずと頬をゆるめてニコニコ顔になりました。「好人物というからには、良好な人間という意味だろ。すなわち人間として僕を優秀だと賞讃しているわけだよ。何だな。君はそのことにおいて僕をそねんでるんだな」
「まさか」
 僕は呆れて二の句がつげなかった。こんな鈍感な男が小説家志望だなんて、もう世も末ですな。
「それにこれには、僕と仲良くしろと書いてあるのに、君は僕につっかかってばかりいるじゃないか。すこしは反省したらどうだ」
「僕だって別につっかかりたくはないよ。僕らは被害者同士なんだから、仲良く団結してことに当らなきゃいけない。そう思ってる。そう思ってるがだ、君があまりにも身勝手で、ワカラズヤだから――」
「なに。ワカラズヤだと?」野呂はすこし顔色を変えました。「僕のどこがワカラズヤだ。陳さんが売ろうというから、買おうと言うまでじゃないか。ちゃんと筋道は通ってるぞ」
「何を言ってる。じゃあ僕だって買う資格があるんだ」
「そりゃ君にも資格はあるだろう。しかし資格があっても、買えるとは限らないさ」そして野呂はにやりと笑って、人差指と親指で丸い形をこさえました。「先立つものがないとねえ」
 その嫌らしい笑い方が僕を激怒させた。こんりんざいこの家を野呂だけに所有させてやるものか。全力をつくして妨害してやる。そういう決心がむらむらと胸中に結実したのも当然でしょう。僕は叩きつけるように言った。
「金ならいくらでも都合する。何だい、たかが十万円ぽっち」
 すると野呂は少し狼狽したようでした。僕を怒らせてはまずいと、とっさに考えたのでしょう。とたんに妥協的な態度になって、もし自分に買う権利を譲って呉れるなら、立退き料を充分に出そう、などと言い出して来ました。しかし僕はもう意地になっていたから頑として承諾しない。すると野呂は困り果てたらしく、哀願的にさえなってきました。
「ねえ。エッフェル塔から飛び降りるような気持で言うが、立退き料を四万まで出そう。四万だよ」
「イヤだ」
「四万あれば君は元が取れるじゃないか。しかもその金で他のいい部屋に引越せる。そうだろ。すこしは損得を考えてみたらどうだ」
「イヤだ」
 四万円貰って立退けば、こんな身勝手なワカラズヤと同居しないで済む。そう思って、よほど首を縦にふろうかと考えたのですが、イヤここが我慢のしどころだと頑張った。人間の意地なんて奇妙なものですな。すると四万円が野呂の譲歩の限度だったと見え、彼はにわかにかたちをあらため、妥協の態度をかなぐり捨てました。
「じゃあ一体どうするというんだ」
「ハッキリ言っておくが、僕らはこの家に関する限り、現在半分ずつの権利を持っている。だから買うにしても、半分ずつ出し合って買うんだ。それがイヤなら君が出て行け。それ以外の如何なる方法をも僕は拒否する!」
 野呂の顔色がサッと変りましたな。憎しみの色が見る見る眼にあふれて、キッと僕をにらみつけました。
「じゃ、よし。明日は日曜で郵便局が休みだし、明後日の月曜の夜、僕は陳さんに会いに行く。君も同行したけりゃそれまでに五万円調達しろ。調達出来なきゃ、権利を一切放棄したものと認めるが、それでいいか」
「合点だ!」
 僕も騎虎のいきおいで、雲助のような言葉で承諾しました。そしてお互いにプンプン怒りながら、西東の部屋にそれぞれわかれて引込みました。
 さて翌日の日曜日です。僕は朝早く起き出て、急いで朝飯を食い、それから東京中を飛び廻って、あらゆる先輩知己を訪問し、借りられるだけの金を借りて廻った。昼飯も抜いてかけ廻り、夕方がっくりした気持で新宿の外食券食堂でメシを食いながら、借り集めた金を勘定してみると、約四万円です。あと一万円足りない。メシを食い終えて直ちに中央線に乗り、八王子にすっ飛んだ、あとの頼みはオヤジばかりです。運よくオヤジは在宅していました。僕はその前に両手をつき、日頃の不孝を詫び、一万円貸して欲しいと頼み込みました。今日中に一万円つくらねば僕の男が立たないのだと、はらはらと落涙にまで及んだものですから、オヤジはびっくりして手提てさげ金庫の中から千円札十枚を取出して、僕に渡してくれました。ほんとに無意味な意地っぱりのために、実のオヤジにまで苦労をかけました。こうしてやっと五万円を調達することができたのです。
 月曜日の夕方、学校から帰って来た野呂は僕の部屋をのぞいて、つめたい声で言いました。
「タロコ亨に一緒に行くか」
「行くよ」
 僕もむっくり起き直って、無愛想に答えました。急いで身支度をととのえて、肩を並べて表に出た。両者とも終始黙々として、タロコ亭につくまで一言も口をきき合いませんでした。すでに戦いは冷戦の様相を呈し始めて来たのです。
 陳根頑は調理場の片すみの椅子に腰をおろして、たばこっておりましたが、僕らの姿を見るとにこにこ立ち上って、先日と同じく二階に招じ上げました。席につくや否や野呂は、金を持って来たから家を売って欲しい、と切り出しました。すると陳は瞬間ですがちょっと意外そうな表情をしました。僕の推察では、陳はそんなにカンタンに金を持って来るとは思わず、おそらくこの件では一悶着を予想していたのでしょう。しかし陳は直ぐににこにこした笑顔に戻って、
「そうですか。それは御苦労さまです」
 というようなあいさつをして掌をたたき、孫伍風を呼んで書類や紙筆の類を持って来させました。おもむろに筆をとりながら、
「じゃあ売渡書を作成しましょう。買い手はあんたら二人ですか」
「そうです」
 と僕らは異口同音に答えました。すると陳はじろりと僕ら二人を見くらべ、さらさらと筆を動かしました。売渡書の内容は左の通りです。

売渡書
一、住所 東京都世田谷区大原町×××
二、家の内容 家屋木造平屋十二坪七合五勺
但し右家屋の権利書は現在不破数馬保管の為今後上記権利書に関する一切の問題に関しては不破数馬と陳根頑との間に於て解決す
一、金十万円也
年  月  日
東京都渋谷区大和田町×××
陳根頑 ※[#丸印、U+329E、189-9]

 そして宛名は僕ら二人の連名になっています。その売渡書を野呂が受取ったものですから、僕はあわてて陳に頼んだ。
「陳さん。僕の分として今のをもう一通作成して下さい」
 もう一通つくってもらって、文面を眺めると、権利書はまだ不破数馬が保管しているではありませんか。そこでその点について発言しようとすると、陳は掌をひらひらさせて僕を制して、
「不破のことなら大丈夫です。もし上京して来たら、あいつはたちまちひっくくられる。万事わたしに任せて置きなさい」
 そして胸をどんと叩きました。そこで僕らは各自のポケットから五万円ずつ取出して、陳の前に置きました。陳はにこにこしながらそれをしまい込み、ぽんぽんと掌を打ち合わせました。すると孫伍風が丼を二つ持って階段をのぼって来ました。それを一つずつ僕らの前に置いたので、見るとただのラーメンです。支那竹しなちくと小さい海苔のりだけしか入ってない、一番安い三十円か四十円のやつでした。前回の豪華版にくらべて、何とまあ待遇が下落したものでしょうねえ。僕らが思わず顔を見合わせると、陳が猫撫ねこなで声で言いました。
「さあ。あったかいうちにお食べ」
 僕らは箸をとり、卓の粉胡椒こなこしょうをやけくそな勢いでふりかけ、もぐもぐと食べ始めました。野呂なんかは胡椒をあんまりかけ過ぎて、それが鼻孔に入ったらしく、大きなくしゃみを五つ六つ続けさまに出したくらいです。陳根頑は椅子により、僕らが食べている有様を、眼を細めた老獪ろうかいな表情でじっと眺めていました。僕はまるで夕飯のお余りを頂戴する犬か何かのようなみじめな気持になって箸を動かしつづけました。

 この日以来、僕ら二人は同じ家に住みながら、ほとんど口をきき合わなくなりました。生活上必要な最少の会話しか交さない。つまり会話は用事がある場合だけに限り、お早うとかおやすみのあいさつも一切省略です。野呂は毎日学校に通い、僕は僕で借財のためのアルバイトに大童でした。実際家は買ったものの、まだ一向に自分の家だという実感がない。家賃を払わなくても済む、以前と違う点はそのくらいなもので、あとはほとんど変らないのです。もっとも野呂の方は、新しく犬と猫を一匹ずつ飼い始めました。訊ねてみないから判らないけれど、野呂のことですから、ムダに飼うわけがありません。おそらく犬は家屋の番をさせるつもりでしょうし、猫には鼠をとる任務が課されているに違いありません。そうだとすれば野呂は僕とちがって、これは自分の家であると実感が、はっきりと出て来たのでしょう。そう言えば彼の立居ふるまいも、以前から見るとやや重々しくなり、いかにも家主的風格を帯びて来たようでした。
 それから家賃については、僕が二千二百円、野呂が千八百円、その差の四百円は西日代というわけでしたから、野呂式論理によれば、廃止後も四百円を僕から請求できる筈だのに、何とも言って来ないのです。そのくせ、れいの日曜日の月謝の一割のテラ銭はちゃんと取立てているのですから、きっと忘れているのでしょう。あのチャッカリ屋にしては珍らしいことです。もっともまだ夏ではないから、今のところ西日代というのも可笑おかしな話ですが。
 それからもう一つ、僕らの家になって変った点は、税務署の固定資産係から督促状が舞い込み、また徴収員がやって来るようになったことです。徴収員がやって来るのは大てい平日の昼間のことですから、野呂は不在で、自然に僕だけが応対に出ることになる。徴収員は鼻の赤い四十前後の男で、その男の説明によれば、不破時代のが三期分たまっているし、陳根頑は全然の未払い、だからそれらの全部を払って呉れというのですが、もちろんこの家屋の名義人は不破数馬になっている。不破の名前で僕らが払うのは、どうも変な気がするので、僕が徴収員にそう言うと、人の好さそうなその徴収員は困ったような表情で、はあそれも一理ですな、とすたすたと戻って行く。その恬淡てんたんにして公僕的たること、戦後税務吏員の中では異例に属し、表彰したいくらいの人物でした。しかし督促がある度に、義務としてそのことを僕は野呂に伝える。すると野呂は、そうかい、と言うだけであとは何も言いません。出すものは舌を出すんだって嫌がる男ですから、固定資産税なんか飛んでもないと考えているのでしょう。
 こうして一つ家を二人で所有し合って以来、お互いにあまり口をきかなくなったが、それはお互いに無関心になったことかと言うと、飛んでもない、全然その反対なのです。表面上相手を黙殺するような態度をとり、生活の干渉を一切避けているように見えますが、内心はピリピリして、相手の一挙一動に神経をとがらせている。それはそうでしょう。家が僕らにぶら下る重みは、以前より大幅に増している。野呂は未だこの家を独占しようとの欲望は捨てていないに決っているし、すきあらば僕の弱点をつかもうとねらっているでしょう。そういう野呂に対して、僕も細心の注意を払わざるを得ないのです。毎日の日常がピリピリと緊張して、そのことがむしろ生甲斐いきがいを感じさせるほどでした。放って置けない相手が同じ屋根の下にいることは、実際張り合いがあるものですねえ。
 その間の心理は野呂にも同じらしい。画にはあまり趣味を持たない彼が、僕の出品した展覧会をそっと見に行ったというのも、そんなことらしいのです。一体あいつがどんな画を描いたのかと、放って置けなかったのでしょう。それで黙っておれば僕に知られないでも済んだのだが、野呂には黙っておられない事情がありました。ある日戻って来た野呂が、庭で草むしりをしていた僕に、いきなり食いつくような勢いでどなりました。
「君は僕を侮辱したな!」
「侮辱なんかしないよ」と僕もわけが判らないまま身構えました。「僕が君を侮辱するわけがない」
「侮辱した!」野呂は板の間でいきり立ちました。「君は展覧会に〈イボのある風景〉というのを出したじゃないか。あれは俺の顔だろ?」
「飛んでもない」と僕は抗弁しました。「君の顔なんかであるものか。あれはシュールレアリズムの風景画に過ぎん」
「いや、うそを言うな。僕の直感ではあれはたしかに僕の顔だ」
「へえ。合理主義者の君が直感なんてものを信じるのか。バカバカしいや。あれは僕が描いた画だよ。僕が描いたからには、僕が一番よく知っている。そもそもあの画のモチーフなるものは――」
 云々と僕が、いろいろ専門語を混ぜて説明し始めたものですから、野呂は口惜しげに黙ってしまいました。野呂にとっては画は専門外ですから、自分の顔だというキメ手が発見できなかったのでしょう。
 陳から家の売渡しを受けて、二ヵ月った頃、すなわち今から一ヵ月ほど前のある日のことです。僕が昼食を済ませて、玄関の手紙受け(これも家が僕らのものになって以後野呂がつくったものですが)をのぞいて見ますと、封書が一通入っています。手にして見ると、宛名人の居住先不明の符箋がついていて、つまり発信人に差戻しの手紙なのですが、その宛名を見て僕はあっと驚いた。なんとその宛名が『不破数馬』で、裏を返すと発信人は野呂旅人です。何かたくらみやがったな、とそれを持って僕は部屋に戻って来た。何を野呂がたくらんだか、封を切って中身を調べれば直ぐに判りますが、そうすれば野呂のことだから信書開封の故で難癖をつけて来るだろうし、追い出しの口実を与えるようなことになるかも知れない。と言って放っておくわけにもいかないし、とつおいつ迷ったが、ついに好奇心の方が勝ちを占めました。警察大学のやり方にならい、湯気をあててそっと開封する手を思いついたのです。早速お湯を沸かし、その湯気を封にあてていると、やがてのりがゆるんで来て、難なく開封出来た。胸をわくわくさせて、中身をひっぱり出して見ると、それは一枚の赤罫あかけいのペラペラ紙で、内容証明専用の罫紙なのです。それに文字がぎっしり詰まっている。僕は急いで読み始めました。それは次の如き文面です。

『拝啓用件のみ申し上げます。かような手紙を差上げる事情は御推察のことと存じますが、貴殿名義の世田谷区大原町×××番地の家屋につきまして、今般陳根頑氏と協議の結果、陳氏に十万円を手交して、私がその権利を譲り受けることになりました。その際陳氏は〈不破数馬氏は十八万円程自分に借金があり、目下行方不明のためこの家の登記が自分名義に変更できない始末である。しかしこの家に関する一切の問題については不破氏と陳との間において解決す〉との一札を入れて下さいました。そこで十万円を陳氏にお渡ししたのですが、固定資産税支払いの関係もあり、至急当方名義に登記する必要に迫られておりますので、こちらの意のあるところを御諒承下さいまして、登記申請のため此状到着次第印鑑証明をお送り下さいますよう、伏してお願い申し上ぐる次第でございます。なお陳氏は、貴殿が印鑑証明をお送り下されば、それだけにてすべてを水に流すつもりだと、口頭ながららしておられましたことを申し添えます。貴殿の現住所が不明でしたので、とりあえずこの手紙を本籍地宛てにいたしました非礼をお許し下さい。
昭和二十九年×月×日
野呂旅人※[#丸印、U+329E、195-14]

 そしてその欄外には、

『この郵便物は昭和二十九年×月×日第××号書留内容証明郵便物として差出したことを証明します
世田谷郵便局長』

 という黒いスタンプがぽんとしてある。僕は思わずうなりました。なにか手を考えてるには違いないと思っていたが、こんな大それたことをたくらんでるとは気がつきませんでしたな。自分で考案したのか、誰からか悪知恵をつけられたのか、名義人の不破とヤミ取引きをして、自分名義の登録をとり、そしてそれをたてにして僕を追い出そうとの方寸でしょう。マヌケな野呂にしてはなかなかの上出来で、あやうくこちらも窮地に立つところでしたが、天は不正に味方したまわず、最後の一瞬にこのたくらみは見破られた。ざまを見ろと快哉かいさいを叫びたいところですが、まだ相手は次々とどんな手を打って来るかは判らないのですから、油断はできません。また別の方法で不破の現住所をつきとめ、直接交渉に出るかも知れないのです。それについても、僕がこの手紙を開封したことを野呂に知られるのはまずいし、手紙が戻って来たことも知らないことにした方がいいようだ。そう考えて僕は再びその手紙を封じ、何食わぬ顔で元通り郵便受けに投げ入れ、すぐに外出の支度をととのえました。外出していて差戻しの手紙は見なかったという形にしたのです。
 しかし外出してそこらをぶらぶら歩いていると、何だか不破のことが心配になって来て、それでひょいと思いついて、警察署へ足を向けました。この間陳と一緒にやって来た刑事に様子を聞いてみようと思ったのです。受付にたずねてみると、折よくその刑事はいました。陰気な控え室で同僚らしい男と将棋を指しておりました。僕を見忘れていたらしく、不審げに僕を見ましたが、不破数馬の件だと口を切ると、やっと思い出したらしく言いました。
「ああ、そうか。君だったな。不破から何か連絡でもあったかい?」
 そこで僕は、イヤ、連絡があったわけではないが、何か不破について情報でもないかと思って伺った、と申しますと、刑事は小首をかたむけて、
「なにも今のところ情報は入らないが、赤穂からまた逃げ出して、今は奄美あまみ大島かどこかに行っているらしい」
 との答えでした。遠っ走りするにもこと欠いて、奄美大島とは驚きましたな。もし東京近辺にいるんだったら、僕が直接おもむいて不破に会い、権利書を譲渡して貰って、野呂の鼻をあかしてやろうかとも思っていたのですが、奄美大島じゃあ仕方がありません。そこで刑事にあいさつをして警察の玄関を出ると、そこでバッタリとあの固定資産税係の徴収員と会いました。
「やあ、こんにちは」と僕は人なつかしく呼びかけました。「どうですか、徴収の成績は?」
「どうもこうもありませんや」徴収員はハンカチを出して額の汗をふきました。「デフレでみんな参っちゃってるね。納付状態の悪いことったら」
「集めて廻るのも大変な仕事ですね。まあそこらでビールでも一杯やりますか」
 そう誘ってみますと、その赤鼻の徴収員はまんざらでもないらしく、のこのこと僕について参りました。そこで僕はそこらの食堂に彼を案内し、席についてソラ豆とビールを注文しました。午後三時頃のことですから、食堂の客は僕らだけで、あとはがらんとしています。一本のビールを飲み終えて二本目を頼もうとすると、彼はそっと僕の袖を引っぱって言いました。
「実はあたしゃねえ、ビールよりは焼酎しょうちゅうの方がいいんだ」
 他人から御馳走になるには少しでも高価なものを望むのが人情なのに、安い方を望むとは何という恬淡てんたん奥床おくゆかしい人柄でしょう。まったく当代まれに見る見上げた税務吏員です。そこで僕も感動して、早速焼酎二杯にオムレツ二つを注文しました。彼は焼酎のコップを舐めながら僕に訊ねました。
「あんたはさっき警察から出て来たようだったが、何か呼出しでも受けたんかね」
「いや。そら、あなたも知ってるでしょう、不破数馬の件でね」
「ああ、あんたの家の名義人だね。それでどうしました。居所が判明しましたか」
 と彼は鞄を押えて、ぐっと半身を乗り出して来ました。焼酎は飲んでいても、その服務意識の旺盛さにはすっかり感心しましたが、その時僕はふとこの徴収員にすべての経緯いきさつを打ち明けて、相談してみようかという気になったのです。それはいささかの酔いのせいでもあったが、それと同時にこの人物に対する信頼の念からでもあったのでした。
「実は僕が不破数馬という男と知合いになったのは、こういうきっかけなんですよ」
 と僕は、最初の都電の中のスリ事件から、権利金四万の間借りの件、野呂乗り込みの坐り込み、陳根頑、孫伍風のあらまし、そしてその後のいきさつを、出来得る限り正確にくわしく、めんめんと徴収員に打ち明けました。彼は時々相槌あいづちを打ったり、質問をはさんだり、コップを口に持って行ったりして、熱心に耳を傾けて呉れました。めんめんとくわしく話したものですから、相当に時間がかかって、そうですな、すっかり話し終えた時には徴収員は四杯目のコップに口をつけていたほどです。
「で、どうしたらいいもんでしょうねえ」
「そうですねえ」徴収員ももう顔全体が鼻と同じ色になっていましたが、やがてきっぱりと、「ひとつだけ有効な手段がありますよ。これ以外にはないだろうなあ」
「手段がありますか。一体どんなのです?」
「それはだねえ」と彼はコップを傾けました。「不破数馬氏が、野呂氏、あるいはその他の第三者に権利をゆずったとする。そうすれば権利は一応ゆずられた人のものになりますな。ところがです。ここに固定資産税が滞納している。そこでそれを払わない限りは、税務署はあの家を差押える権利がある。税金滞納による差押え、そして直ちに競売ですな」
「ははあ」
「だからそこに手段がある。不破が権利書を確かに譲渡したと判ったら、あんたは直ぐあたしに連絡して下さい。そうすればすぐ差押えの手続きを取りますから。差押えられれば、その人の所有の権利は無効になりますな。そこであんたが滞納分の全額さえ支払えば、家はあんたのものになってしまう。ま、そんなわけだ。そんなふうにとりはからって上げましょう」
「それはどうも有難うございます」と僕は胸をとどろかせて感謝の辞を述べました。「しかしお役所の仕事が、そんなに敏速に、すらすらと行くもんでしょうか?」
「そこが問題です」と彼はちょっと首を傾けました。「運動費として少し金を出せばいいかも知れませんな」
「はあ。いかほどでしょう」
「まあ、主任に二千円かな、係長に三千円、合計五千円も出せばスラスラ行くでしょう。何ならわたしが渡して上げてもいいですよ」
「ほんとですか。それはほんとに有難う。これでたすかった」と僕は安堵の吐息といきをつきました。「それで、あなたには?」
「わたし? わたしは要らないですよ」とこの高潔な徴収員はにこやかに笑って掌を振りました。「わたしはあんたに対する同情心から、口をいて上げるだけですわ」
「そうですか。それでは明日にでも、五千円持って税務署に参上します」
「いやいや、飛んでもない。あんたも忙しい身でしょうから、明日の昼頃にでも、こちらから伺いますよ」
「そうですか。重ね重ね御親切な――」
 僕は厚く礼を言い、そして伝票をつまみ上げました。時間はもう午後の五時半でした。
 それから家に戻って来ると、野呂は台所でじゃぶじゃぶと洗濯をしていましたが、僕の姿を見るなり言いました。
「やあ、お帰り」日頃とちがった調子の良さでしたが、何かムリにつくったような声でした。「どこに行ってたんだね?」
「八王子のオヤジんとこに行って来た」と僕はうそをつきました。
「家を何時頃出たんだね?」と野呂がさりげなく訊ねてきました。僕はふふんと思ったですな。
「そうだねえ。君が出て一時間ほどってだから、八時ちょっと前かな」
「そうかい」
 野呂は安心したような声を出し、それっきり黙ってしまいました。あの手紙を見られたかどうか、遠廻しに打診してみたんでしょう。こちらはうまうまと嘘をついて、身をかわしたわけです。それから僕は部屋に戻って、しばらく腹をよじり声を忍んで笑いました。野呂のやつが不破から権利をゆずり受けると、そのとたんにパタリと差押えが来て、家は僕のものになってしまう。あわてても追っつかない。そのからくりがむしょうに可笑おかしかったのです。しかもそのからくりは、僕だけが知っていて、野呂の方は全然何も気付いていない。僕を追い出すつもりで、自分が追い出される方向に進みつつある。笑わざるを得ないではありませんか。
 翌日の昼過ぎ、徴収員がひっそりと訪れて参りました。もちろん野呂は学校に行っていて、留守です。僕は先輩知己に戻そうと積立てて置いた金の中から、五千円を引き抜いて徴収員に渡しました。徴収員は赤鼻をピタピタうごめかせ、にんまりと笑いながら、五千円をポケットにしまい、そしてとことこと戻って行きました。

 その日から今日まで約一箇月が過ぎたわけですが、まだ局面のはっきりした展開はなく、依然として冷戦の状態がつづき、時に小ぜり合いが起きる程度のありさまです。野呂もまだ不破の現住所を探り当てていないらしい。住民登録の方から探りを入れているらしい気配があるが、目下のところはまだ成功していないようです。野呂は毎日几帳面きちょうめんに学校に通い、その余暇で事をはこぶわけですから、なかなか能率が上らないのでしょう。
 小ぜり合いと言えば、先日の大掃除ではすっかり野呂にしてやられました。この界隈かいわいの大掃除日は先月の二十五日と区役所から通達があり、その日僕と野呂はそれぞれ自分の部屋の畳をかつぎ出し、庭でポンポンと引っぱたいた。お互いに協力してではなく、ばらばらに孤立してです。しかし四畳半だから大したことはありません。畳をあげたあとは床に新聞紙をしき、DDTをまき、それで畳は庭に乾したまま、ついうっかりと僕が昼飯を食べに出たんです。そして食堂から戻ってくると、もう野呂は畳を自分の部屋に運び入れ、すました顔でたばこなどをふかしていました。そこで僕もエイエイと畳を自分の部屋にかつぎ込んだが、どうもしっくりと床に入らない。陽光にさらしたので少しふやけたんだろうと、足で踏んだり蹴ったりして、やっとはめこみました。そして野呂のまねをして、部屋のどまん中にあぐらをかいて莨をふかしたが、どうも感じが変なのです。畳の色がへんに赤茶けたように曇っている。ハッと気が付きましたな。僕が昼飯に出ている間に、僕の畳を野呂はそっくり自分の部屋に運び入れ、そのあとに自分の畳を立てかけて置いたに違いありません。野呂の部屋は西側ですから、西日の関係上、僕の部屋のより赤茶けているわけなのです。僕ははらわたが煮えくりかえって、彼方で莨をふかしている野呂に文句つけようと思ったが、じっと辛抱しました。野呂が畳を入れ替えたという物的証拠がなかったからです。現行犯をおさえたと言うならともかく、畳の色だけでは、相手が詭弁の大家の野呂のことですから、水かけ論に終るに決っています。だから浮かしかけた腰を元に戻し、じっと野呂をにらみつけると、野呂はそっぽを向いてにやりと笑いました。憎らしいったらありゃしません。
 それから、ネコのこと。ネコというのは野呂が飼っている猫で、名前がネコとつけられているのです。まったく野呂らしい名付け方です。このネコが僕の部屋にのそのそと入って来て、とかくキャンバスに爪を立てたがる困った傾向がある。これはこのネコ生来の性質かと思っていたのですが、よく注意していると、どうもそうではないらしい。キャンバスを見れば条件反射的に爪を立てるような訓練を、野呂がネコにひそかにほどこしているらしいのです。いろんな手を考えては来るものですねえ。帆布でつくったリュックサックを野呂は持っていますが、この間風呂から帰って来て何気なく野呂の部屋をのぞき込むと、彼はその中に猫を入れて、ぎゅうぎゅうしめ上げていたのです。ネコは苦しがって悲鳴を上げながら、その帆布の内側からパリパリと爪を立てていました。僕がのぞいているのに気付くと、野呂はネコに向って、
「鼠をもっと取れ。努力が足りないぞ。このやくざネコ!」
 と叱声を上げました。これは鼠を取らないためのお仕置と見せかけるためのごまかしなのです。その帆布製リュックサックは、僕がまだ野呂と仲が良かった頃、油絵具を使用して模様を描いてやったやつなのです。鼠をもっと取れだなんて、どうして猫に言葉が判るわけがありましょうか。これひとえにネコに帆布の感触と油絵具のにおいを覚えさせ、その条件さえ与えればすぐ爪を立てるようにと、猛訓練をほどこしているのに違いありません。だからネコは僕の部屋に入ってきて、油絵具を塗ったキャンバスを見ると、もう夢中になって爪を立てるのです。何という卑劣な嫌がらせでしょう。
 そこで僕も自衛上余儀なく、新宿のガード下に出かけ、チョンマゲをった変な爺さんから、竹製の孫の手を三本買い求めて来ました。可憐なる小動物を虐待する気分は毛頭ないのですが、キャンバスに爪を立てられてはこちらも上ったりです。そして僕の部屋にネコが入ってくると、間髪を入れず手近の孫の手をつかみ、ネコの頭をコツンと殴る。ネコはキャッと叫んで遁走とんそうする。十日間ほどその行事を続けたら、ネコはもう孫の手を見ただけで、さっと逃げて行くようになりました。外出する時でも、孫の手を鴨居かもいから並べてぶら下げて置くと、ネコはそれをおそれて僕の部屋には入ってこないようです。
 長々とおしゃべり致しましたが、昨年春から現在にいたる悪戦苦闘のかずかずは、以上の如くほんとに涙なくしては語れません。現在とても、最後的破局が明日来るか、一週間以後に来るか、あるいは現在のにらみ合いの状態がまだえんえんと続くか、皆目見当もつかない有様です。全くおかしなものですねえ。僕ら二人は同じ被害者であり、現在でもある意味では同じ脅威にさらされているわけなのに、二人の努力はその脅威を取りのぞいて平和を取戻す方向にはむけられず、お互いを傷つけ合うことばかりにそそがれているのです。たとえば不破数馬が奄美大島において権利書を第三者に転売したらどうなるか、そして万一差押えのやりくりがうまく行かなかったらどうなるか、僕ら二人は風の前のちりの如く、第三者によってもろにこの家から追い出されてしまうでしょう。僕ら二人はお互いに対しては意地を張って頑強にねばるが、もともと二人ともひとりよがりの世間知らずなので、他人に対しては全然無抵抗と言っていいほど弱いのです。現に不破や陳根頑や孫伍風から、僕ら二人は赤児の手をひねるように軽くイカれた前歴があるわけですから、今後何か起っても同じコースをたどるでしょう。
 では、現在の状態がえんえんと続いて行く場合はどうなるか、それを強く望んでいる人物が一人います。それは僕らの家の地主です。僕らの家の界隈は同一の地主で、百姓タイプの眼のぎょろりとした四十がらみの男です。この男が地代を徴収に時をきめてやって来るのですが、来るたびに地代の値上げを要求する。これは野呂に相談するまでもなく、その都度僕がことわっているのですが、この男が二人のにらみ合いの状態の続行を望んでいるのです。なぜ望むかと言えば、先に申し上げた如くこの家はこわれかかったボロ家で、早いとこ補強工事をしない限り、地震か台風かで早晩居住できなくなるでしょう。二人がにらみ合っている限りは、家の根本的な補強工作は成立しない。せいぜいめいめいの部屋の雨漏りを直す程度で、それ以上のことはやらないでしょう。そうなれば家の崩壊の時期は早くなります。その崩壊の時期の一刻も早く近づくことを、この地主は切に待っているのです。崩壊さえすれば、もう彼は僕らに新築は許さないでしょう。地所を他に高く売り払うか、万一新築を許すとしても莫大な権利金を要求するにきまっています。そんなふうなことをこの地主が近所のある家で話して行ったことがあるらしく、そこの奥さんがある時僕に向って、早く補強工事をしないと損ですよ、という意味のことを遠廻しに忠告してくれました。僕もそうした方がいいとは思うのですが、なにしろ相棒が野呂のことですからねえ。修好を回復して団結してことに当ろうじゃないかなどとは、今までの行きがかり上僕からも言い出せないし、言い出したとしても野呂はその提案をせせら笑って一蹴するにきまっています。もう僕らの憎み合い、嫌がらせのし合いは、すでにごうの域に達していて、他人の言葉が耳に入る段階をはるかに通り過ぎているのです。まったく因果なことですが、もう仕方がありません。行くものをして行かしめ、亡びるものをして亡びしめよ。こういう悲壮な心境をもって、この日常のするどい緊張に、僕らは毎日生きているのです。御憫笑ごびんしょう下さい。





底本:「ボロ家の春秋」講談社文芸文庫、講談社
   2000(平成12)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「梅崎春生全集 第3巻」新潮社
   1967(昭和42)年1月10日
初出:「新潮」新潮社
   1954(昭和29)年8月
入力:kompass
校正:酒井裕二
2016年2月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

丸印、U+329E    189-9、195-14


●図書カード