水墨

小杉放庵




 九月二日の頃、下町の火の手怖ろしく、今にも根津の方角へ延びて来そうに見え、根津に来れば、自分の宅あたりも一なめになるかならぬかというところ、ともかく家中のものの不安が、遂に一応家財の始末をせしむる事となる、妹が、兄さんのものは何と何ですか、と問う、文徴明ぶんちょうめいの軸と墨だけ、行李の隅へ入れて置いてくれと答えた。
 古の大家も、作ったもの必ずしもみな名作ならず、名作は又、どんな素人にも、永い間にはその尊い匂いを浸潤し、何かの際には、まずあの絵だけはと、持ち出して立ち退くであろう、かかることが度重なって、名作は残る場合多く、然らざるものの方が、より多く水火に亡びたであろう、私の持っている掛物らしい掛物は、文徴明の一軸のみながら、出来が良いので、いつも心にかけて粗末にせぬ。
 墨は、唐墨の古いのを、一生には用い尽すまじき程貯えた、いにしえの言葉に、墨を惜しむ事金の如しというが、金は得ることある可し、古墨の良きものは再び作られず、もし心にも手にも合った良墨であろうならば、同量の金とは換えかぬるであろう、文徴明の一軸は、良き芸術なるが故に惜しみ、十数片の古墨は、これから良き芸術を作ろうと思うが故に惜しむ。
 水墨の絵を作る程の人にして、墨の良否に関心せぬという者あらば、あれは水墨というものについて、根本的に智識なく、又愛なきものである、薪の燃えさしを以て、台所の壁に描いても、勿論、良きデッサンは獲られる、水墨の妙味は、かかる問題の外に在る、良き紙もしくは絹の上に、よき墨の色の、淡く濃くかかった味わい、淡きにも限りなき階段、濃きにも限りなき節調、水と墨、紙と絹との間に、あるいは偶然の妙趣を現わす、この偶然がホントでないという人もある、知らぬ人のいう事、予期されたる偶然は、実は偶然の部類に入らず、拙なき画人は、悪しき偶然にのみ出会い、巧みなる画人は善き偶然にのみ出会う。
 水と墨の、紙ないし絹の上に、集散離合する魔術のような美しさは視覚より深く、殆んど触覚的の撫愛を惹く、美人を品して皮膚の粗密に及ばざるは、まだ真に美人を知れりとはいわれぬ、油絵においても、名手は手触りまでも好もしく感ぜられ、凡作は然らず、他のいずれの造形美術にもまた、この差を認めるけれども、殊に東洋の水墨に濃やかな、ほのかな触覚的の魅力を見る。
 墨の古くして良きは、その粉粒が非常に細かく、膠が枯れている為に、紙や絹の繊維の目に見えぬ細さにまで透って行く、墨色は単に表面に留まるにあらざるが故に、即ち墨液が網状をなしてみて、ある厚さの間に交わるが故に、自然に一種の深みと暖かみとを含むのである、表装をした上で、水墨の絵は三割程もその濃度を加えるというのは、この潜入せる厚さが裏付けされる為である。
 筆は羊毛をもって最適となす、羊は支那に古より多く、毛の吟味も従って古くより重んぜられている筆工の技術は、今に到っては日本も支那もさようには違ってはいまいけれども、羊毛の筆は支那製に限る、非常に腰弱く、非常に柔軟、それ故に腕の力と紙との間に、よき緩衝作用をなす細き筆も大点を打つに足り、太き筆も細線を引くに障りあらず、さて又かの筆の穂の尖の半透明な銀色の美しさ、ある人の説に、雪舟は強き筆を用いず、羊毛の柔らかなるを使ったその為にあの如く勁技剛健なる線の下に、得もいえぬ奥行きを現わした、というを味わうに足ると思う。
 紙は支那では多く竹を砕き、日本では楮をのみ使う、支那の紙はいろいろの種類あり、画法に依りて各々その用途を別にする、支那紙の製法は古からは大分に堕ちたという、越前では明治初年来、紙幣の料紙の御用を務めてから、製法の発達を促したらしい、日本式の絵には日本の製紙が向き支那的の絵には支那のが適することは普通の理である、私の画風は南画的であるとも思うが、紙は越前紙を用いている。
 古の支那人が、水墨画についての研究と苦心とは、他のいずれの国のいずれの画風についてのそれに比して、決して優るとも劣りはせぬ、今迄に書かれた画論を読めば、彼等の画道の詮索のいかに精しく深かったかを窺い得る、種類の多い単語を使って、抽象的に物を言うが故に、今にしては一応ただ古めかしく謎を懸けているようにも見える、親切に読んで行けば、存外手近な技巧などを疎かにせず、結局、頭と手とが一元になり、芸術と生活とが、ピッタリと合った不二の境地を開く、沈静にして永久なること、まことに東洋思想の根元より湧き出ずると思われる。
 西洋において、漸くこの百年ばかり前まで、独立せる風景画が作られなかったのはいかなるわけであったろう、また支那日本において、いかなるわけで絵画に、物の陰影が認められなかったろう、この一対の不思議な疑間は、つねに私を興がらせる、支那の水墨画は、西洋的に言えば、単色画とか素描とかの部に属するが、この水墨画の風景は千余年も前から作り続けられてある、この間決して山川林木の日なた日かげに目をつけない、物の陰影が普通目に見る如く写されていない、それが風景画として不完全かといえば、決して不完全ではない、モハヤこの後どんな名人が現われても、ここまでは進めまいと思われる程のところに行っている、もし不完全を探せば、全く画家を客観的自然に解放したといわれる、かの仏国の初期印象派の風景の方が、まだ不完全と思う、あれは先方の自然にばかり気を取られて、写す当人もまた自然の一部であり、それ故自然そのものと同じく当人自身にもいろいろの変化あるを忘れていた、支那の山水家の目は、心の目であり、印象派の目は、レンズに過ぎぬようにも取れる、自然にもまた心あるを、西洋の人は気が付かぬ、自然を草木土石の集合とのみ思う故に、風景画の独立が遅れたのでもあろう、明暗陰影の外廓を通りぬけて、常に自然胸臆に参じていたところの、古支那の山水家の水墨は一応不完全の如くして、ホントの完全であったと考える。





底本:「日本の名随筆27 墨」作品社
   1985(昭和60)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「放庵画談」中央公論美術出版
   1980(昭和55)年7月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月1日作成
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