猫料理

村松梢風




 私の家には現在猫が十匹いる。どうしてそんなに猫がふえたのかというと、今から七年ほど前に一匹のメス猫が私の家へ舞い込んでお産をした。それを発見してあわてて魚屋の若い衆を頼んで子猫を海に棄ててもらった。親猫も飼うつもりはなかったが、お産をしたばかりだのにすぐ追い出すのもかわいそうだと牛乳をやったり魚をやったりしているうちに、彼女が居すわってしまったのだった。もともとどこかの飼い猫であったのが、飼い主が転居するか何かで捨てられたという境涯で、私の家へネライをつけて来たのに相違なかった。
 この地方では金沢猫とも呼ぶ、一種のキジ猫であった。伝説によると鎌倉時代に宋の船がこの猫を三浦半島の金沢へ持ってきた。その種がこの地方にふえたのだという。私の家へ来たメスは素晴らしいグラマーで美貌の点でも京マチ子以上だった。それが次々と子を生んだ。それが現在私の家にいる猫たちである。これ以上生まれては困るので土地の獣医さんに頼んで去勢をしてもらうと、運悪くその獣医さんは初めての手術とかで、親猫は腹をたち割られたままたちまち死んでしまった。息を引とる寸前に椅子にかけていた私の膝の上へピョンと飛び上がってそのまま死んでしまった。私は大声を放って慟哭どうこくした。私が泣いたのは長男が死んだ時と、昔愛人が死んだ時と、その次がこの猫が死んだ時と、三回だけである。
 母なしになった子猫たちを私の家では飼い出した。数回に生んだ同胞たちだから実際はもっとあったのだが、よそへやったのもあり、死んだのもあって、八匹だけが残った。そこへよそから舞い込んできた奴が二匹あって、現在十匹いるわけである。母猫が生きている時分は、母猫が利口であったから、よく子猫たちを統御して、晩には必ず家へ帰るようにしていたが、親猫が死んでしまうと、とうてい放し飼いでは収拾ができなくなったので、家じゅう網戸にして、一歩も外へ出さないことにし、一番上の姉猫を除いて全員を上手な獣医さんの手で去勢してもらった。
 さてこの猫たちの食物だが、最初から、私のところでは飯はやらずに魚だけで育てた。初めのうちはほとんど小アジばかりであったが、段々贅沢になり、今では魚だけでも毎日六、七種になる。鎌倉名物の小アジのナマと塩なしの干物、これは主食のようなものである。ほかに季節によって多少変化はあるが、キス、ヒラメ、カツオ、ナマリ節、マグロのさし身、夏は開きドジョーも焼いてやる。それに卵の黄身、牛乳は欠かさず、ビフテキ、レバーなども時々やる。カツオ節もかいてやる。飯へかけるのでなく、カツブシだけ食べるのだ。四寸ぐらいの小アジを裂いて無塩で天日てんぴで三時間ぐらい干したのを金網で骨のほうから骨がコンガリこげるまで焼いたのを、猫も好むが人間が食べてもすてきにうまい。時々東京から上客が来るとお相伴しょうばんをさせてやる。頭から骨ぐるみ食べるのだ。
 さし身しか食べない奴があるかと思うと、小アジしか食べないのもある。何でも満遍なく食べるのもある。猫は習慣性が強くて、同じ小アジでも鎌倉の海から上がったばかりのを食べなれているから、どうかして東京湾の方でとれたやつをやっても決して食べない。マグロのさし身でも少しでも鮮度の落ちたのだと匂いをかいだだけでプイと向うへ行ってしまう。人間のようにもったいないとか我慢して食うということは絶対にしない。
 朝夕二回魚屋が私の家へ運ぶ魚の量は大変なものだ。さし身でも何人前かを、人間の場合と同じようにツマからワサビまでつけ飾り立てて持ってくる。家じゅうどの部屋にも猫の椅子、高いヤグラ、籠などがあって、紫チリメンや、ドンスの大座布団が据えてあるし、砂箱は至るところにあって毎日その砂を取り替えるから、月に一度大トラックで海浜の清潔な砂を運んできて、帰りに古い砂を持ち去る。横浜から有名な獣医さんが十日目ごとに全員の健康診断に来る。モナコの王様くらいの生活振りだ。全く主婦連合会の奥さんたちに聞かせたら目を廻して、おこって私のところへ決議文でも持って押し掛けるだろう。その代り私の家の猫を見て「どういう猫ですか」と驚かない人はない。飼い方がいいだけだ。美男美女揃いの上に、目方も大きいのは二貫目以上あって、赤ン坊の二倍、小さい犬ぐらいある。「小ミケ」という名のオスの三毛などは二貫目あって、その美貌と気品はいかなる名優も貴公子も及ばない。
 こういうわけで、私の家ではあらゆる魚は猫の食物である。しかも有名な小坪の漁場でとれたものばかりだから、東京の天ぷら屋のタネなど生臭くて私には食べられない。日本料理店へ行くと、はなからしまいまで魚ばかりという家がある。それがみんな生臭いか水っぽいかだ。私は腹を立ててどなってしまったことがあるが、おこるのは私のほうが悪いのだから、よくよくでなければ行かないことにしている。日本人はよくよくの猫族である。しかもその味覚は私の家の猫にはとうてい及ばない。
(むらまつ しょうふう、三三・一〇)





底本:「「あまカラ」抄1」冨山房百科文庫、冨山房
   1995(平成7)年11月13日第1刷発行
底本の親本:「あまカラ 10月号 第八十六号」甘辛社
   1958(昭和33)年10月5日発行
初出:「あまカラ 10月号 第八十六号」甘辛社
   1958(昭和33)年10月5日発行
入力:砂場清隆
校正:芝裕久
2020年1月24日作成
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