如何なる星の下に

高見順




[#ページの左右中央]


如何いかなる星の下に生れけむ、われは世にも心よわき者なるかな。やみにこがるるわが胸は、風にも雨にも心して、果敢はかなき思をこらすなり。花や採るべく、月や望むべし。わが思には形なきを奈何いかにすべき。恋か、あらず、のぞみか、あらず……。
樗牛ちょぎゅう


[#改ページ]


第一回 心の楽屋


 ――アパートの三階の、私のわびしい仕事部屋の窓の向うに見える、盛り場の真上の空は、暗くどんよりと曇っていた。窓の近くにあり合わせのひもで引っ張ってつるした裸の電灯の下に、私は窓に向けて、小さな仕事机をえていたが、その机の前に、つくねんと何をするでもなく、莫迦ばかみたいにすわっていた。できるだけ胸をせばめ、できるだけ息を殺そうと努めているみたいな恰好かっこうで両ひじを机の上に置いて手を合わせ、その合掌した親指の先に突き出したあごを乗せて、私は濁った空を眺めていた。そらというより、くうをみつめていたと言った方がよろしいかもしれぬ。空には何も見えないのであったが、眼もまた何も見ていないごとくであった。だが、するうち、異様なものが、――それはちょうど滅多に掃除そうじしない部屋をたまに掃除したりすると、黴菌ばいきんみたいな形の、長い尻尾しっぽを生やした黒いほこりがフワフワとそこらに飛び立って驚くことがあるものだが、まるでそんなようなヘンなゴミみたいなものが、盛り場から休みなく立ち上る埃で曇っているように見える向うの空に飛んでいるのが眼にとまった。そのゴミは黴菌のようにごちゃごちゃと集団をなしていたが、見ているうちに細長く延びてへの字を描いた。
 がんであった。――空飛ぶ雁をゴミのようだったと私が言うのを、読者はあるいは私の下手へたな作り話、大げさな言い方と笑いはせぬかと、私は恐れる。そうした誤解を解くためには、私が見た実際の光景を読者に見てもらうよりおそらく他に手がなく、そしてそんなことは願っても不可能なことであるのはなんともくやしいことだ。実際に見ないと、ゴミのようだったその異様さはわかって貰えぬほど、雁は実にとんでもない、全くあきれ果てた高いところにいたのである。雁の飛行は、いつもそうしたものなのか。――私はその前にかつて雁の飛んでいるところを見たことがあるかどうか、あるいは絵でしか見たことがないのではないか、そこのところがはっきりしない。だから、雁がそんなに物凄ものすごく高いところをいつも飛ぶものかどうか、私にはわからない。だから、――私はそうして浅草の盛り場の近くの部屋から偶然見た雁の姿に、ほう雁だというのと、なんてまあ魂消たまげたところにといった二重の強い印象を与えられた。何か今は忘れた、――今は私のところから去って行った昔のなつかしい夢のようなものに、ふと邂逅かいこうすることができたみたいな、胸のキュッとなる想いであった。――夢が遠くの空を飛んで行く。手のとどかない、とらえられない高さ。夢は、すげなく見る見る去って行く。
 私は机の上に乗り出して、雁の飛び去るのを眼で追った。しまいに私は机から離れて、窓辺まどべに立った。雁は隅田川の上流の方へ飛んで行った。ながいこと、私は窓際に突き立っていた。
 ――秋も、はや終ろうとしている。
 この浅草のアパートに六畳間十二円のこの部屋を借りたのは、春が終ろうとする頃であった。小さな机に座蒲団ざぶとん一つ、寝る蒲団が上下、洗面器一個、それからあとはトランクのなかにおさまるインキとか灰皿とかコップとか手拭てぬぐいとか茶筒とか、――こんな工合に一々書き立てても造作のない、それだけの荷物を、人間の乗る自動車に詰め込んで大森の家からここへ運んできたのだが、夏に向う時分だったから、寒い季節に備えるものは持ってきてなかった。ところが、――雁がはるか向うに去って、のみのように小さくなった頃(それまで私はずっと見つづけていたが)あたかも雁が黄昏たそがれの先触れででもあるかのように、急に空から黄昏が降りてき、黄昏は急に身にしむ寒さを一緒に連れて来た。
 私は窓を閉めて机の前に帰った。両手をふところに入れて身を縮めた。寒い。ほんとうはそんなに寒くなかったのかもしれないが、防寒の備えのないことが神経的に寒さを呼んだのであろう。ないものへはほしいと思う心が一層つのるものである。
 ――私はひどくみじめな気持で坐っていた。誰に命令されてそうしているわけでもない。自分でそうしているのだ。すなわち別にそうして坐っていなくてはならないわけはないのだが、私はじッと坐っていた。そして、
「――なんでおれはこんな佗しい部屋にひとりでポツンと坐っていなくてはならないのだ」と返事のできない問いを自分に投げていた。そこは仕事部屋に借りたものだ。だから私は仕事をするために、そこに坐っている理屈である。だが、一向に仕事に手がつかず、そして、そうしてじッと坐って待っていたところで私の心が仕事へと立ち向うべく奮起する見込みはまずないと自分でも諦めていた。だったら外へ出たら、よかりそうなものだ。大体私が盛り場の近くに部屋を借りたのは、放って置くとぼやッとしている自分を、めまぐるしい雑踏のなかへ突き込み、神経に刺激を与えて仕事へと追いやろうという策略からであり、またそれがいつか習慣になっていたからである。――したがって本来なら、仕事ができそうもないと坐り込んでないで、できそうもないならできそうになるように盛り場の方へ行くべきところである。それが、私はできなかったのである。盛り場へ行っても、仕事ができるような心のコンディションを得られそうもない、それどころか、心がちぢに乱れ、精神がしどろもどろになってしまうことが、ちゃんとわかっていたからだ。
 少し誇張して言えば、私は外へ出ても無駄むだだという以上に出るのが何かこわかった。といって、部屋にとどまっていても、そのうち精神が統一されようとも思われない。かくて部屋にいても、外へ出ても、どっちも駄目なら、いっそ家へ帰るのがいいわけだ。うすら寒い部屋に惨めな気持で坐り込んでいるくらいなら、家へ帰った方がいい。家だったらアパートと違って火がほしいと言えば、すぐ用意されるし、心も暖められるというものだ。ところがそれがまた帰れなかった。彼女のいる浅草にやはりとどまっていたかった。
 彼女というのは、小柳雅子まさこというレヴィウの踊り子。十七。……
「――いいなアというのは、どういうの。踊りがうまいという意味か。それともその子がいいという意味か……」
 私は「小柳雅子はいいなア」と言って、レヴィウ・ファンの友人からそう問われたことがあった。
「――なんて言うか、うーん」と私は口ごもった。
 またある時、友人のレヴィウ作者に、
「あんな子供を、――君」と言われた。「あんな子供、しょうがないじゃないか」
「しょうがないッて」
「てんで子供だぜ、なんにも知らないまだ子供だぜ」
 とがめるように言うのに、私は「いや……」とさえぎり、羞恥しゅうち真赤まっかになりながら「いや僕は、な、なにも……」とどもって言った。私は、――さようこの小柳雅子に関する話は、いずれ彼女が可憐かれんな姿をこの物語に現わすのであるから、その登場の際にゆっくり語るとして、今はアパートの部屋につくねんと坐っている私の憐れむべき姿に話を戻そう。ただちょっと言いして置くなら――先に私は外へ出るのが何か恐い感じだったと言ったが、それは、たとえば、どこそこへ自分はこれからメシを食いに行くのだと自分に言いきかし得る、ちゃんとした外出の目的がある場合は別だが、そうでなく何の目的もなくブラリと散歩に出たりすると、きまって彼女の踊っているレヴィウ劇場に何か眼に見えない、そして全く抵抗できない糸で引き寄せられるようにして、足が向いてしまうからである。あれよあれよと言っているうちに、私はレヴィウ劇場の前に立っている夢遊病患者みたいな自分を見出さねばならない。そして、たとえばへびが自分の前にヒョロヒョロと立ち現われた愚かな蛙を造作なく呑み込んでしまう要領で、劇場は愚かな私をあっさりと呑み込んでしまう。……
 雁がわたるのを見ての連想からか、私は前の日、浅草へ遊びに来た画家の友人から聞いた、ある外国人の話を思い出した。その人は相当著名な詩人だそうだが、数年前に国を離れ、詩も捨てて、当てのない旅に出、日本へも来たのであった。「僕の友人がその通訳になって、――それで、こんな話を僕にしてくれたのだが」と画家の友人は言った。箱根へ案内した時のことだという。その外国人と通訳とが散歩に出た。人気ひとけのない寂しい道を歩きながらのつれづれに「あなたはどういう目的で旅行しているのだ」と通訳が質問した。外国人はなんにも答えない。詩嚢しのうを豊かにするための遍歴かというような意味のことを尋ねると「――いな」という、はっきりした返事。では単なる興味からの世界漫遊かと聞くと、また「――否」とはっきり言う。
「――では、何ですか」
「わからない」
 自分でも、なぜ追われるように、海から海を渡って知らない国を旅するのか、わからない。しかしそうして心に「何か」を求めていることだけはわかるが、その「何か」がなんであるかわからない。いわばそのわからない「何か」を自分にわからせるために放浪しているようなものだ。碧眼へきがんの詩人は案外落ち着いた声でそう言った。
 二人はそれから黙りこくったまま歩いていた。外国人の顔は激しい喧嘩けんかのあとのように白ッちゃけ、赤いむらむらが皮膚の下に沈んでいた。
 突然、横合いの道から、若い男女のはなやかな笑い声が聞えてきた。青春の喜びをただもう謳歌おうかしているような、明るい大胆な輝いた声に、外国人はほおに石でも投げつけられたような表情を見せたが、そうした顔の前に、颯爽さっそうと腕を組んだ若い男女が、――男は二十二三の艶々つやつやしい皮膚をした、外国人に負けない背のすらりと高い、肩はばも広い運動選手風の大学生で、女は十八九のこれも体格のいい、新鮮なピチピチした肢体したいで、――その二人が悪びれず、あふれるような若い生命の息吹きを吹きつけながら近寄ってきた。そして呆然ぼうぜんと立った外国人の前で、くるりと背を見せて何やらまた楽しげに笑い興じながら、うららかなさんさんと降りそそぐ道を歩んで行った。漂泊の詩人は、深い感動と哀傷に打たれた風で、じっとそれを見送っていた。通訳が何か話しかけようとした。すると詩人は顔を隠すようにして、素速くきびすを返し、何も言わずさっと来た道を駆け戻って行った。――倒れるように駆け出していた。
 通訳が後を追ってホテルに帰ってみると、その人はベッドにうち臥して、気が狂ったのかとおもわれるような号泣ごうきゅうのうちに激しく身悶えていたという。
「その人は年寄りなの?」
 話の中途に私は口をはさんだ。問わずにいられなかったのである。
「いいや、まだ若いんだ。――僕らと同じとし恰好らしい。三十三四というところ……」
 画家の友人は沈んだ声でそう言って、私の眼をのぞき込むようにした。私は、何か心がカラカラに乾き飢えていて、うつろな抜けのようなぼんやりした状態ながら、同時に激しく何かをあえぎ求めて心がヒリヒリしているこの日頃の、どうにも始末のつかない自分の有様をその友人に訴えたところ、――友人に、というよりそうして自分自身に言っていた感じだが、画家の友人がそんな外国人の話を私にしたのだ。
「僕らと同じ齢なのか。ふーん」と私はうなずいた。
 しばらく沈黙があったのち、友人はつづけた。「――その外人は発作のような号泣がおさまると、直ちにホテルを引きあげて東京へ帰り、そしてすぐ日本を去った。フランスへ行ったのだが、その外人は金持で、――通訳を勤めた友人を一緒に連れて行った」
「齢は同じでも金持というところが、僕らと違うね」
 私はいわば自分から呼んでおきながら重苦しい空気に耐えられないで、それを払いのけるようにそう言った。
「――ところでそこにまた面白い話があるんだ。友人がフランスへ行くようになったについては……」
 それには、こういう話があるという。箱根のホテルを引きあげる時、通訳が宿料を払うと、その一部を番頭がこっそり彼の手に戻した。なんだと聞くと、外人の観光客を連れてきてくれた謝礼だという。いらないというと、そのホテルではガイドにコミッションを割り戻すならわしになっていると言う。「では、それだけ宿料が高くなっているわけだね。じゃ俺はコミッションなんかいらないから、それだけ宿料をまけて貰うことにしよう。ビルを書き換えてくれ」そう言うと、そんな工合にはいかないと言う。いかないわけはないじゃないか。――そんな押し問答をしているところへ、外人が現われて、なにを争っているのだと言う。受け取らないと言ってテーブルの上に投げ出してあった金が、すでに外人の眼にとまっているので、仕方がないから通訳はそのまま事情を語った。聞いて外人は黙ってその場を去ったが、あとで通訳に、お前の望みをなんでもいいから遠慮なく言ってみろ、自分ができることなら望みをかなえてあげようと言った。
「まるでお伽噺とぎばなしに出てくる神様みたいなことを言ったんだね」と画家の友人は私に言うのだった。「友人は一風変った男で、――神様が言うようなことを人間が言うのに、なにをといったムッとした気持になったという。そこで、あんたはすぐ日本を去るというが、どこへ行くのかと聞いた。わからないという返事に、フランスへ行かないかと言った。どうして、と外人が聞いた。――フランスへ行くようだったら、自分を一緒に連れて行ってほしい。望みというのは、それだ。――駄目だろうと、半分思いながら、つまりムッとした気持から難題を吹きかけるようなつもりでそう言ったそうだが、半分は本気で、画の勉強にパリへ行きたがっていたんだ。――ところが、よろしいというわけさ。自分もこれで行き先が決ってうれしいと外人はほんとうに嬉しそうに握手を求めたそうだ」
 私はそうした話を聞いて、その外人の、パリに行こうと思えば人まで一緒に連れてすぐ行ける、その富裕な身分に羨望せんぼう嫉妬しっとと反感を覚え、――(それは私のうちに苦痛を呼んでいた。)
「面白い話には違いないが、ちょっと嫌だね」と言った。前の、若い男女を見て泣いたという話が私に与えた純粋な切々たる哀しさが、そのため薄らぐようであった。だが話し手としては、秋風落莫らくばくたるところへ明るい光をささせる効果を狙って、そうした話を加えたようであった。
 ――気がつくと、部屋のなかは真暗だった。私は物倦ものうげに立ち上って、部屋の外の、扉の横にあるスウィッチを、半開きにした扉から手をのばして、パチリとひねった。
 机の前に戻ろうとして、ふと私は部屋の隅に赤くびたガス焜炉こんろがあるのに眼をとめた。部屋で自炊じすいができるようにガスが引いてあるのだ。私は、そうだ、こいつは火鉢の代用になるぞと思った。今までそれに気がつかなかった自分のうかつさを笑いながら、工合をためすべく、さっそく火をつけた。ボッと景気のいい音を立てて燃え上った青い炎の上に、しめしめと手をやると、もちろんいい加減離れた上へやったのだが、――熱い。そこでわきから手をかざすようにしたが、そもそもガス焜炉はそういう仕掛になっているのだろう、脇へはウソみたいに熱を放射しないのである。熱を受けるには、やはりまっすぐ炎の上に手を置かなくてはならない。それがまた随分上でも熱いのだった。そして手を上下させてしらべて見ると、熱いところから急に熱くない冷たいところへと急変的に移り、その間に、ちょうどいい工合だと思われるような、暖かいという部分を持ってなかった。私は、あまり頼みにならない代用品だと落胆しながら、それでも手をまめに裏返しては、あぶっていると、そのうち自分のせ細った骨と皮だけのような手が、なんだか火に焼かれているするめの足かなんかみたいに哀れ深く見えて来て、いやな気持になった。
 私は火鉢の火が恋しくなった。「――そうだ。お好み焼屋へ行こう」
 本願寺の裏手の、軒並芸人の家だらけの田島町の一区画のなかに、私の行きつけのお好み焼屋がある。六区とは反対の方向であるそこへ、私は出かけて行った。
 そこは「お好み横町」と言われていた。角にレヴィウ役者の家があるその路地の入口は、人ひとりがやっと通れる細さで、その路地のなかに、普通のしもたやがお好み焼屋をやっているのが、三軒向い合っていた。その一軒の、森家惚太郎ほれたろうという漫才屋の細君が、ご亭主が出征したあとで開いたお好み焼屋が、私の行きつけの家であった。惚太郎という芸名をそのまま屋号にして「風流お好み焼――惚太郎」と書いてある玄関のガラス戸を開くと、狭い三和土たたきにさまざまのあまり上等でない下駄が足の踏み立て場のないくらいにつまっていた。
「こりゃ大変な客じゃわい」
 辟易へきえきしていると、なかから、「――どうぞ」と細君が言い、その声と一緒に、ヘットのにおいと、ソースのげついた臭い、そういったお好み焼屋特有の臭いをはらんだ暖かい空気が、何やら騒然とした、客の混雑というのとはちょっと違った気配をも運んで、私の鼻さきに流れて来た。――玄関脇の三畳間に、三つになる細君の子供が、昼寝のつづきか、奥の、といっても二間ふたましかないが、奥の六畳間の騒ぎに一向平気で、いと安らかに眠っていた。
 さてここで、芝居にたとえるなら、いわば初めて物語の幕は開かれるのである。では、今までのおしゃべりはなんであったか。私というこの物語の語り手の心の楽屋をちょっと覗いて見たのであるが、思えば、そんなことは不必要であったかもしれない。
[#改ページ]


第二回 風流お好み焼


 たとえば学校の小使部屋などによくある大きな火鉢、――特に小使部屋などというのは、あまり上等でない火鉢を想像してもらいたいからであるが、その上に大きな真黒なテカテカ光った鉄板をせたもののまわりを、いずれも一目見てこれもあまり上等の芸人でないと知れる男女が、もっとも女はその場に一人しかいなかったが、ぐるりと眼白めじろ押しに取り巻いて、めいめい勝手にお好み焼を焼いていた。大体その「風流お好み焼――惚太郎」の家に出入する客は、惚太郎が公園の寄席よせの芸人である関係から、芸人が多く、そしていつも定った顔触れの、それもあまり多数ではない常連ばかりだったから、私は一回り顔を見知っていたが、その日の客は初めて見る顔ばかりであった。何かみじめな生活のあかといったものをしみ込ませたようなくすんだ、しなびた、生気のない顔ばかりで、まるでヘットそのものを食うみたいな、ぶたの油でギロギロのお好み焼を食っていながら、てんで油気のない顔がそろっていた。そしてその顔の下に、へんにどぎついあさましい色彩の、いかにも棚曝たなざらしの安物らしいヘラヘラのネクタイやワイシャツをつけていて、それらは、それらの持主の人間までを棚曝しの安物のように見せるのにみごとに役立つのであった。――さよう、こうした私の書き振りは、その人々を見た時の私の眼にさげすみと反感が浮んでいたかのように、読者に伝えるかもしれないが、事実はまさに反対なのである。私の眼には、――その人々を見るとたちまち私のうちに湧き上ってきた、なんとも言えない親愛の情、なごやかな心のやすらい、それらのもたらした感動がありありと光っていたに違いないのである。
 その感動に背後からかれるようにして、私は、火鉢の前にとても割り込めないとわかっていながら、部屋に上って行った。すると、火鉢をギッシリ取り巻いたそのわびしい一団の一人の、女持ちみたいな人絹のマフラを首に巻いた、脾弱ひよわそうな身体つきをした、ちょっと二枚目の顔をした若者が、私を上目越しに見て、
「――すみません」
と言った。「すぐきますから、――すみません」
 細い胸を縮めてお辞儀をするその恰好は人のいい感じの慇懃いんぎんさを通り越していかにも卑屈な哀しいものだったが、その声も哀しく卑屈だった。
「どうぞ、ごゆっくり」
 私も、――こうすれば何かいたいたしい相手の心を傷つけないですむ、負けない卑屈さになるだろうと努めた声でそう言い、またそのように努めた物腰で、部屋の隅に坐った。
 若者は滅茶滅茶にソースをぶっかけた「ぎゅうてん」をおかずにして、メシを食っていた。血みたいに生々しく赤いその薄い唇は、私の眼にそれが何やら年若い彼をむしばんでいる薄幸の暗示のように映り、胸に病いでも秘めているのではないかと、ふとそんなことを私に想像させるのだったが、そうした口のなかへ、若者はヤケに白い飯を押し込んでいた。ガツガツと食う形の癖に、不味まずそうな、食欲がないので、無理やり食っているといった感じを一方で出していた。たちまち茶碗をからにすると、
「ミーちゃん。すンません」
 台所にそう声をかけて、茶碗を頭上にかかげた。
 ミーちゃんと呼ばれた、緑色の洋服をきた若い女が、指にからんだ黄色い支那蕎麦シナそばをうるさそうに取りながら、台所から早速飛んで来た。私は、このミーちゃんなる女性とは顔なじみであった。
 私を見て、ピョコンと男のような乱暴さでお辞儀をすると、
「――転手古舞てんてこまいだわ」
と、怒ったみたいに言った。
「大変だね」と私が言うのと、「すまないなア」と若者が、女のようなしなやかな細い手で茶碗を渡しながら、そう言うのと同時だった。するとミーちゃんが「そう、すまない、すまない、言うのよしなさいよ」と、姉のような調子で、きめつけた。
「――だって」
きらいだわ。男の癖に」
「――すみません」
 今度はおどけて言ったが、おどけていてもその声は細い金属の線を思わせる、繊弱な、かすかに震えを帯びた感じの声だった。
 座のなかから「――とっても、いけねえや」という頓狂とんきょうな、やや卑猥ひわいな調子をこめた声があがった。ミーちゃんとその若者との間に何かあるのだろうか、どうやらその何かを弥次やじっているらしいことが事情を知らない私にも、その声から察せられた。だがミーちゃんは、ちっとも動じないケロリとした顔で、ここの細君が小皿をチャラチャラいわせて、注文のお好み焼の材料を忙しそうに盛り分けている台所へ去って行った。若者は照れ隠しのように、
「もう焼けてるね」
と、側の女優風の女が焼いている支那蕎麦を指さした。
けるですよ」と、すかさず誰かが言った。
 ――ここでミーちゃんのことを、ちょっと。私は初めてこのお好み焼屋へ来て、ミーちゃんに会った時、彼女がお客のようでありながら、この場合のように何くれとなく小まめに手伝っているのを見て、この娘はなんだろうと思った。ここへ私を案内してくれたレヴィウ作者に、そこでそっと聞いてみると、彼女はみね美佐子といって、以前T座のダンシング・チームにいて、その後O館に移った踊り子で、今は公園の舞台に出ていないという。――それ以上のことは、彼も知らなかった。
 浅草の舞台は大変な労働で、その舞台をやめると、踊り子は急にふとる。身体を締めつけていたたがを外した途端にぷうふくれたといったような、その奇妙な肥り方を美佐子も示していて、まだ若いのだろうに、年増としま贅肉ぜいにくのような、ちょっといやらしいのを、眼に見えるところではたとえばあごのあたりに、眼に見えなくてもはっきりわかるところでは腰のあたりに、ぶよぶよとつけているのに、私は「なるほどねえ」といった眼を注いだ。――はちにでもさされたみたいなれぼったい眼蓋まぶたで、笑うと眼がなくなり、鼻は団子鼻というのに近く、下唇したくちびるむッと出ているその顔は、現在のむくみのようなものに襲われない以前でも、そう魅力的な顔だったとは思えない。ただ声が、――さて、なんと形容したらいいだろう、さよう、山葵さびのきいたのを口にふくむと鼻の裏側をキュッとくすぐられる、あの一種の快さ、あれにちょっと似た不思議な爽快そうかい感を与える声で、少なくとも私には少なからず魅力的であった。
 その後、私はそのお好み焼屋の、これまたなんというか、――何か落魄らくはく的な雰囲気ふんいきかれて足しげく通うようになったが、行くたびに、ミーちゃんこと美佐子は大概いた。そしていつも、お客のようでありながら、お客にしては気のききすぎる手伝いをしていた。――ここの、三十をちょっと出た年恰好の、背のすらりとした、小意気な細君を美佐子は「おねえさん」と甘えるように言っていた。(この「お姉さん」というのは、に強いアクセントを置き、さんは「さん」と「すん」の間の音で、言葉では現わし得ない微妙な甘さである。美佐子は、黙ってって置くと、いかにも気の強そうな、男を男とおもわぬ風の女としか見えない、――たとえば墨汁ぼくじゅうたっぷりつけた大きな筆で勇ましく書いた肉太の「女」というような字を思わせる、圧迫的な印象をやや強烈にまいているのだが、時々、そうした甘い言葉のうちに、おや? とびっくりさせるやさしさを放射した。)――ここの細君は美佐子を「ミーちゃん」と妹のように、(あるいは愛するねこに向ってのように)呼んでいた。
 レヴィウの幼い踊り子たちは、親しい男性を呼ぶ時、いかにも人なつこい調子で「おにいさん」と言う。私は美佐子が「お姉さん」と言うのを聞くたびに、心をふるわすその甘さをそッと捉えて、「お兄さん」という言葉を、それに当てはめた。私は眼をつぶって、ひそかに、その甘い調子になぞらえて、
「――お兄さん」
と口の中でつぶやくこともあった。心のなかで、私はあこがれの踊り子の美しい甘い顔、美しい甘い姿態を思い描いていた。ああ、憧れの彼女が、――あのいとしい小柳雅子が私に向って「お兄さん」と言ってくれるのは、いつの日か。私はその日のくるのを、どんなに待ち望んでいたことだろう。だが同時に、そうした日のくることが何か恐い感じでもあった。なぜかそうした日の来ないことを願ってもいた。……
 話は美佐子に戻って、――はてさて、恋心持の話から食いものの話に突然移るのは妙な工合であるが、――「ビフテキ」、お好み焼の「ビフテキ」である。その「ビフテキ」というような、ただ油をひいて焼くだけでなく、焼きながらその上に順次、みつ、酒、胡椒こしょう、味の素、ソースのたぐいを巧みに注ぎかけねばならぬところの、ちょっと複雑な操作を必要とするものは、私は美佐子に調理を頼んだ。「ひとつ、願いましょうかな」というような言葉で頼むのだが、それは、焼き方が難しいから未熟な私の手に若干負えないせいもあるけど、美佐子がそばで何か手ぐすねをひいて、まかされるのを狙っている風だったからもある。そうした、明らさまに感ぜられる希望、――というより欲望を無視して、自分で洒蛙洒蛙しゃあしゃあと焼くというようなことは、ちょっとできがたい私の性分である。だが知らるる通り、お好み焼の面白さというのは、自分の手で焼くところにあって、食うだけでは、面白さ楽しさのほとんど大半が失われると言っていい。私はそれを忍んで、美佐子にまかせる。それは美佐子にも通じるにちがいないから、そのことは何やら美佐子の甘心を買うごとき形になるのである。私は自分のうちに、美佐子の甘心を買わねばならぬ必要を、どこにも見出すことができなかったが、――そうした、それは、前述のような私の性分からもあるが、美佐子が調理を狙っているのは、そうしてお好み焼の大半の楽しみを楽しみたいとか、または調理の妙技を示したいとかいった浮いた気持からだけではないように私にはうかがえたからである。男のために、おいしい料理を作って食べさせてやりたい。そういった心の奥にひめられた家庭生活への憧れ、男につくすことへの女らしい渇き、そうした哀しさが私に窺えたからであった。――もしかすると、私の窺ったそうした哀しさを、美佐子自身は気づいてないかも知れなかった。美佐子は、表面では、難しいから代って焼いてあげましょうといった顔をしていたが、勝気な彼女のことだから自分でもあるいはそのつもりでいるのかもしれなかった。
 そんなような場合の、あるとき、私はさりげない調子で、
「あんたは、どうして舞台をやめたの」
と尋ねた。火鉢の前には、美佐子と私だけしかいなかった。珍しく客のない静かな晩だった。いつもなら、火鉢のまわりにウロウロしていて、客の誰彼にかまわずまつわりつく小さな子供も珍しくいなかった。
「――つまんないから」
「ふーん」
 焼くのを美佐子にまかせて手持ち無沙汰の私は、真鍮しんちゅうはがしで火鉢の縁をたたいていた。
「つまんないッて言うと……」
 舞台にあきたのか。彼女はそれをさえぎって、女房のような調子で、
「ちょっと蜜を取ってちょうだい」
 私は、ほいきたとあわてたような声を出して、手をのばして蜜の容器いれものを取った。蜜を彼女は、焼けば焼くほどチリチリに縮みあがる肉の上に注ぎながら、
「いい年をして、十六七の娘と一緒に踊ってもいられませんわ」
 そう言うと、まるで容器にあたるみたいに、ガチャリと乱暴にそれを置いた。十六七という言葉から、私は小柳雅子を思い出した。いつもはっきりと頭に刻まれている十七歳のその可憐な脆美スレンダーな肉体と、眼前の(やや誇張的に言えば)あぶらぎったぶよぶよの美佐子の身体とを比較した。――これは、たしかに並んで踊ったらおかしなものだ。いや、おかしいといっては気の毒だ。私はその光景を想像するまでもなく、そうしたチグハグな踊り子の踊りを実際見ている。はつらつたる肉体にまじっての、年のいった、身体のくずれた踊り子の、なんと惨めな恰好よ。対比的に際立きわだつ醜怪もさることながら、敗残的なその姿は目をおおいたいくらいだ。……
「いい年って、失礼だが」
「ほんとに失礼だわ」
 眼にびを、無意識的な媚びをたたえてにらむようにした。
 私はぬるくなった茶を飲んで、
「そう言えば、公園の踊り子さんたちは、いつも子供ばかりだな。大きくなると、次々にやめて行って、――かわりにまた子供が出てくる」
 私はこの数年、公園の舞台に花のようにパッと咲いてはいずれも花のように散ってどこかへいなくなってしまった実にたくさんのレヴィウの踊り子たちのことを考えさせられた。何か寂しい想いが胸に来る。
「どうしてやめるのかしら」
「だって、踊っていたってしょうがないんですもの」
「しょうがないといえば、しょうがないが……」
「――焼けたわ。お皿」
 ほいきたと皿を渡しながら、
「――やはり舞台にあきるのかね」
 彼女はそれに答えず、慣れた手つきで、四つに切った肉片を素早く小皿に取ると、鉄板に残った肉汁が赤褐色のあわを立ててジジジと焼きつくのを、扁平へんぺいはがしで器用にすくい上げて皿に移し、
「このおつゆがおいしいわね」
 そう言って、はいと皿を私にくれ、
「――あたしなんか、あきたわけじゃないんだけど」
 つぶやくように言った。
 じゃ、どうしてやめたのか。聞こうとして、あんまり立ち入りすぎると思って、ひかえ、銚子ちょうしに手をやると、
「おしゃくしましょうか」
「――いや、どうも」
 銚子を取り上げて、私にしてくれた。白い、肌理きめのこまかい手で、指のつけ根にえくぼが浮ぶ。
「そりゃねエ」
 ポツンと言って口をつぐむのに、
「――え?」
と、私が言った。
「いえね、さっきの話」
 ああそうかとうなずくと、
「そりゃ、あきてやめる人もあるかもしれないけど、でも、大概の人はあきてやめるわけじゃないと思うわ」
 私は黙ってさかずきを傾けていた。
「なんていうんでしょう。自然とやめなくちゃならないようになってるのね。そう思うわ」
 最後の言葉を急に強く力むように言って、ひとりでうなずくと、
「あたしも、お酒飲もうかしら」
「あんた、いけるの?」
 知らなかったものだからとびながら、――(今まで、ここで彼女が飲んでいるのを見たことがなかった。)急いで盃をした。そしてそれを彼女に回そうとして、ふと何かなれなれしすぎると反省され、
「盃を持ってらっしゃい」
「――あまり飲めないんだけど」
 躊躇ちゅうちょが来たのか、動こうとしないので、
「おばさん。――盃をひとつ」
 台所に声をかけた。
「いえ、あたし……」
 立ち上って、細君に、
「――お姉さん、あたし、お酒飲むわ」
 訴えるような声だ。
「おや、おや、ミーちゃん。大丈夫?」
「大丈夫ってなアに」
「なんだか知らないけど」
「大丈夫よ」
 盃を持って戻って来て、
「お姉さんも、こっちへ来ない。一緒に飲まない?」
「――大変ね」
 細君は取り合わぬ声で、
「――あんまり荒れないでちょうだい」
「荒れるかもしれない」
 男みたいに言って、今度はしんみりと、だが別に聞かせる調子でなく、
「あたし、なんだか、急に但馬たじまに会いたくなった」
「恋人?」
と、ここで私はおどけた調子で口をはさんだ。
「――ご亭主」はっきり言ってのけた。
旦那だんなさん、そう、――会ってらっしゃい」
 といった顔をして、銚子をさした。彼女はなんとなく鼻をすすって、こっちの戯けに乗らなかった。眼を細め、しかし口もとはにがそうにして盃をぐいと傾けたのち、
「ところがねえ、簡単に会えないの」
「どうして」
「東京にいないんだもの」言葉が親しみをこめて漸次ぜんじ乱暴になっていく。
「そりゃ、つらい。どこにいるの」
「――静岡」
「静岡、ふーん」
 別れている理由を尋ねるのは控えた。――彼女たちの世界では、男女関係がちょっと常識で考えられない乱れを見せていて、たとえば、こんな会話を私はよく聞くのである。「――A君は元気かい」「くさってるようだね」これまではいい。これは、どこででも聞かれる普通の会話だ。だが、それからきまって次のような言葉が追加される。「――A君はB子とまだ一緒かい」「なんだか、まだ一緒らしいね」一緒なのが不思議みたいな調子だ。
 私は、うっかり聞いて、――彼女の言いづらい別居だったりしたらと思って控えたのだが、こっちが黙っていたため、かえって彼女の方で言った。
「――病気で郷里くにへ帰ってんの」
「ふーん。――こいつ、つままない」肉をすすめると、
ふとるから……」
 首を振った。にべもなく断わる感じで、普段なら、「これ以上肥ったら大変だから」といったような冗談口のあってしかるべきところだったが……。
 沈黙が来た。鉄板の上で酒をしていたので、時々酒が熱した鉄の上にこぼれ、ジジと焦燥的な音を立てた。重苦しい空気である。それを払いのけるように、
「そうか、わかった」
 私は精一杯ひょうきんな声にして、
「あんたは、その旦那さんと一緒になったので、舞台をやめたんだね」
 言ってから、あまり気のきいた科白せりふでもないと気づいた。ううんと彼女は首を横に振った。
「結婚と舞台とは違うわ。どっちも大事。――そりゃ、結婚してやめる人もあるけど」
 そう言うと彼女は急に酒が回ったみたいに、とみに饒舌じょうぜつになって、彼女が舞台をやめた理由を話し出した。その話し方は、話の後の方に回した方がいい話を前に話したり、前に話した方が話がはっきりする部分を後にしたりして、メチャメチャであったから、一応秩序立てて述べると、――公園のレヴィウ劇場は大概出しものが芝居と踊りの二つに別れている。そして「幹部さん」というのは主として芝居をやって、――言い換えると芝居の方の役者が幹部の地位を独占していて、踊りの方は主として大部屋である。ダンシング・チームの彼女たちは、何年小屋にいても、舞台で踊っているかぎりは、つまり芝居の方に転向しないで踊り専門である以上は出世の見込みのない万年大部屋で、幹部に浮び上れないという。「こんなわけのわからない、しとを馬鹿にした話ッて、ありゃしないわ。――入った当座は、早く前列に出たいと思って、――前列というのは踊りの前列、――ダンシング・チームのなかでの、まあ幹部というところね、――それを最初は望みにして踊っているけど、さて何年か経って、やっとこさ前列になったところで、なんのことはない。それでおしまい」――芝居の方に移らないと幹部に出世できない。そして移りたくてもまたそこには人がつまっていてなかなか割り込めない。踊りはうまいが、芝居は下手へたというようなのは、年がいくと共に腐って、やめてしまう。やめるそばから、若い子が入って来て、そんなのが顔が綺麗きれいだったりするとたちまち人気を呼び、そうした子が、ろくすっぽ踊れないのに人気のために天狗てんぐになって古い先輩を軽蔑し、しかも踊りとなると舞台で踊りながら「二二三四、三二三四」などと客席に聞えるような声で計算していたりするのの隣で、踊っていると、なんとも馬鹿くさく腹立たしく、「――やめちまえ」ということになる。たとえ出世は駄目でも、好きな踊りは踊っていたいと思っても、そんなことで、どうしてもやめたくなる。
「T座の文芸部の人で、あたしたちのことを舞台の消耗品だと言った人があるわ」
 私はレヴィウをしょっちゅう見ているし、レヴィウ小屋に友人もいろいろとあるが、今までレヴィウの踊り子に対しては何か甘い夢想的な憧憬どうけい的な、一種エキゾチックなものを見るような気持で見ていて、このような暗い現実を知らされたのは初めてであった。私は眼をそむけながら言った。
「あんたは、じゃ今でも、気障きざな言葉だが、舞台の情熱をなくしたわけじゃないんだね」
「あたし、できたら一生踊ってたい」
 再び沈黙が来た。
「――ミーちゃんたら、大気炎だね」と言って、細君が台所から出て来た。美佐子は話題を変えて、
おたくは、――高勢たかせさんは、ご商売は?」
 この言葉に、私は破顔一笑、――重くおさえつけられたような気持からほッと救われた。ここで私は高勢という名で通っていた。それは、ここへ初めて来たとき、ここへ案内したレヴィウ作者がふざけて私を高勢と呼んだのに始まる。ここへ来る道々、その友人は、私が何かの拍子に大きな眼をギョロギョロさせると、喜劇俳優の高勢某とそっくりになるとからかった。その延長で友人が、ここへ来て「――高勢君」とやった。それが、ここで私の名として通ってしまったのである。
「サア、何かなア」
 とぼけると、
「但馬さんと同じほうのご商売じゃないかしら」
 細君が油坊主で鉄板を拭きながら美佐子に言った。
「但馬さんというかたは……」私が問うと、
を書いていたんですよ」と細君の答え。とは脚本のこと。
「まあ、同じような商売ですね」
 そこへ、ここの定連のひとりである漫才屋さんの「ぽんたん」が「今晩は」とにぎやかに入って来た。(「鶴家つるやあんぽん」というのがこの「亀家かめやぽんたん」の相棒であったが、「あんぽん」はここへは姿を見せたことがない。)
だよ。ドサカン」
 台所に二階の昇り口がある。その階段の上から誰かがどなった。二階では、私が入って来た時から、何かドタバタと音がし、数人のものがボソボソつぶやいたり、と思うと急にわめいたり、笑ったり泣いたりする声がしていた。
「――あいよ」
 返事をしたのは、例の若者であった。ドサカン? あだなに違いないが、妙なあだなだと、私は、あたふたと立ち上る若者の背に、その意味を探ろうとでもするような眼をやった。――後日、私はドサとはドサ回りから、カンは金色夜叉こんじきやしゃの貫一から取ったもので、その若者のことを、東京では二枚目とはいえないが、田舎回りの劇団だったら、まあ貫一役の二枚目で通るだろうと誰かがからかってつけたのが仲間のなかにパッとなったあだなと知らされた。
 ドサ貫の席が空いたので、「どうぞ」とすすめられたが、私は若干気後れがして割り込めなかった。かえって後退あとずさりして唐紙からかみに背をもたせた。そして何か恰好がつかないで弱ったが、そうだとつぶやくと私は懐中から、――茶褐色の表紙の片方には ALGEBRA 片方には TIMETABLE と書いて時間表が出ている、多分小学生用のらしいのだが安いので買ってメモ用に使っている、ちょっと人前に出せないおかしな手帳をこっそり取り出し、かねてこのお好み焼屋を舞台にして小説を書くような場合には何か参考になるかもしれないという考えから書きしるして置こうとおもっていた、お好み焼の品目を写しはじめた。ここにそれを、その手帳からさらに写し取って読者に紹介しよう。ただし、お好み焼屋の壁に貼ってあるほんものはズラリと横組みになっているが、ここでは横に並べては紙が不経済で不都合であるから、縦書きにする。

 やきそば。いかてん。えびてん。あんこてん。もちてん。あんこ巻。もやし。あんず巻。よせなべ。牛てん。キャベツボール。シュウマイ。(以上いずれも、下に「五仙」と値段が入っている。それからは値段が上る)。テキ、二十仙。おかやき、十五仙。三原やき、十五仙。やきめし、十仙。カツ、十五仙。オムレツ、十五仙。新橋やき、十五仙。五もくやき、十仙。玉子やき、時価。

 この「仙」という字が、ちょっと私は気に入らなかった。「銭」でいいではないかと思い、その後、なんとなく細君に言うと「仙」というのは、人に山で、――「人が山と来るというんで縁起がいいそうで」と説明された。
 ――写している途中、二階から新顔が降りて来た。すると火鉢を囲んだ一人が、
「○○君は死んだ?」
 大きな声で、降りてきたのに言った。
「いいや、まだ殺されねえ。――でも、もうすぐ殺されるよ」
「そうか。しからば、急いで食わざなるめえ」

 ――芝居の稽古けいこであった。一座を組んで、出しものを用意して、映画館のアトラクションとして売り込もうというのであった。その役者の一人が、お好み焼屋の二階に間借りしていたので、とても稽古場にならない狭い二階だったが、席料を取られないところから、借りたのであった。二階にいるその役者は末弘春吉といって、私は下の火鉢で顔なじみであった。浅草に住んではいるが、公園の舞台とは関係のない恵まれない役者であった。そうした役者が老若男女を問わず、公園の周囲に数えきれないほどゴロゴロしている。……

 やがて波が退くようにして、――さよう、大森海岸あたりの、古下駄げたとか猫の死骸しがいとかゴム製品とか、そんなような汚いものを一面に浮べた真黒な波が退くような感じで、二階の一団は稽古をすませて去って行った。部屋のなかには、ヘットの臭い蒸発体、ソースその他いろいろのもののげて気体化したもの、煙草のけむり、雑多な肺から吐き出された炭酸ガス、一団の人々があらゆる身体の部分から落せるだけ落して行ったおびただしい塵埃じんあい、それらがギッシリつまって、その凄い空気に私はすっかり参ってしまって、胃袋は折から空っぽのはずなのに吐きそうな感じである。だが、ここまで頑張がんばっていて何も食わないで出るというのは、どうも都合が悪いから、私はゆっくりでいいと断わって「オムレツ」を頼んだ。
 すると美佐子はすぐ皿を用意して、台所から出てきて、私の正面にべたりと坐った。
「――大変な騒ぎ」
 私は口をきくのも億劫おっくうで黙ってうなずきながら、大型のはがしで、よごれによごれた鉄板の上をのろのろと掃除していた。そして何気なく眼を挙げると、美佐子が私の顔にじッと眼をすえている。視線が合うと、彼女はあわてて、そのれぼったい眼をらしたが、すぐまた勝気に前に戻して、
おたく、倉橋さんッて言うんですってね」
 倉橋というのは私のほんとうの名である。私は苦笑しながら、
「――誰が言った?」
 その言葉で私がみずから倉橋であることを認めたことになる。
「――やはり倉橋さんというのね」
 うんとうなずくと、
「小説家の倉橋さんね」
とさらに念を押す。私はどういうものか、小説家と言われると妙に照れ臭いので、おでこをむやみにきながらうなずくと、
「倉橋さんッて、前に奥さんと別れた……その奥さんが、倉橋さんと別れてから女優さんになった……。その倉橋さんね」
 ひどい念の押し方である。私はことごとく照れてあぶらの浮いた汚い顔をでくり回した。
「たったいま、おたくが倉橋さんだって聞いたんだけど、――驚いたわね」
「いま聞いた?」
ドサ貫ちゃんが教えてくれたの」
 そう言われれば二人は台所の隅で私の方にチラチラと眼をやりながら何かコソコソ内証話をしていた。私はそれを、座の連中が二人をからかったことに結びつけて見ていた。
ドサ貫君が?」
 つづけて言おうとするのをおさえ、き込んで彼女は言った。
「――あのね。(この「あのね」は高勢某のおはこの、滑稽こっけいな、だが私の恐ろしく嫌いな「あのね」にちょっと似ていた。)――あたし、今までおたくが倉橋さんとは知らないで、つきあっていたけど、――実はあたしと倉橋さんとの間には、とても妙な因縁があんの」
 美佐子の眼には、私をギョッとさせた何か憎悪に似た光が燃えていた。
「因縁というと……」
 私は気味が悪かった。
「――いずれ話すわ」
らさないでくれよ」
 迫ったが、彼女は唇をキッと結んだ、今まで私についぞ見せたことのない固い顔をソッポに向けて、取り合おうとしない。……

 私は「オムレツ」を無理に咽喉のどの奥に押し込むと、もはや濁った空気に一刻も堪えられず、立ち上った。どこへ行くのかと美佐子が問うので、そこらをブラブラするのだと答えると、
「一緒に行こうかしら。いい?」
「――どうぞ」
 言い出しておいて結局何も言わない因縁の話を、彼女から、歩きながら聞き出せるかもしれないと思って、私はさらに積極的に、行こうと誘った。
 美佐子は六区へ行こうと言った。――そしてやがて、次のページに掲げられた挿絵のような風景の見られる場所へ足を運んでいたが、そこはどこか、そしてそこらで私たちはどんな会話を交したか、それらのことは、――この物語の第二回分として作者に与えられた紙数がもはや尽きたから、遺憾いかんながら次回に譲らねばならぬ。
[#改ページ]


第三回 冬の噴水


 上に藤棚ふじだなのある、瓢箪池ひょうたんいけの橋の上に、私たちはたたずんでいた。――嶺美佐子と私とは映画館街を、瓢箪池に面したK劇場の前まで来て、急にまるで言い合わしたように、そして二人ともそろって何かのがれるような足どりで、その前から直角に、暗い瓢箪池の方へそそくされたのであった。――なぜ逸れたか。私の方は、――私の小柳雅子は(人よ、いい気なものだと私を笑うなら、笑え!)K劇場にいるのである。だからである。――もし私がその場合ひとりだったら、私の足は劇場のなかに当然のような恰好で吸い込まれていたに違いない。いつだっても、K劇場の前まで来たら、もうおしまいなのである。それは私自身の愚かな、いや、単に愚かなと言ったのでは充分でない、なんとも手のつけられない、なんともはや言いようのないほど愚かな、そんな愚かさの慕情のせいなのだが、何か私には、外部的な、抵抗できない、眼に見えない暴力が私の上に襲って来て、ぐいと私をK劇場のなかに押し込む感じである。そうした暴力を、そのときは美佐子が側にいたために、私はえいと受けとめる思わぬ力を持ち得た。ところが、その力のこれまた思わぬ反動で、私はK劇場と反対の垂直の方向にえいはじき飛ばされたというのが、私が逃れるようにして瓢箪池へ逸れたことの真相を伝えるようである。ああなんたる、くだくだしい言い方だ。もっと直截的ちょくせつてきに言うことができぬものか。そうみずから思うものの、私にはどうもできないから、読者の寛容をうより致し方ない。
 で、美佐子の方は? 美佐子もひとしく逃れるごとき足どりだったのは!
 一体美佐子が私に六区へ行こうと誘ったのは、今は離れている六区への郷愁、離れたくなかったのに離れ、それへの未練が絶ち切れない六区の舞台へのやるせない想い、そのせいと察せられた。そうと明らかに察せられるような言葉を美佐子は道々口にした。ところが、いざ来て見ると、火に誘惑されてそのなかに飛び込んだ虫とあたかも同じような苦痛に襲われたようであった。その苦痛から逃れるため、暗い池へと逸れたらしいのであった。
 私たちは橋の上へ来て、ほッとした。それが私たちの足を思わず橋の上にとどめさせた。私はそうした腑甲斐ふがいないような自分に照れ、池の彼方に「びっくりぜんざい」と「大善」のネオンが河にかかった仕掛花火のように大きく美しく輝いているのに眼をやって、「ほう、綺麗だな」と言った。それが私の足をとどめさせた体裁にした。
 映画館街をそのまま終りまでずっと行って、ちょっと右へずれてまっすぐに千束せんぞくへ通ずる通り、米久よねきゅうがあるので普通「米久通り」と言われている「ひさご」通り、その入口の片方にある「びっくりぜんざい」は、大きな二重丸のなかに、二行に分けたびっくりという字を入れた赤いネオンを掲げ、片方の「大善」は、その二重丸の方へ泳いで行く恰好の、ひれのヤケに大きい、赤い線画のまぐろのネオンを掲げ、上に大善と青いネオン、下に明滅の工合で波の動くさまをあらわした、手のこんだ青い電球板をつけている。それが藤棚の下に立つと、真正面に見え、黒い池の面に、その派手なあざやかな倒影が映っている。店の光、ひさご通りの鈴蘭すずらん型の電球も一緒に映しているその池の面は、底に何か歓楽境めいたものを秘めていて、その明りがれ出ているようなあやしい美しさであった。「――綺麗ねえ」美佐子も照れ隠しのような口調だった。風らしいものは感じられないのに、池には縮緬皺ちりめんじわのような小波が立っているらしく、倒影が細く揺れている。いや、震えているような倒影の揺れから小波が立っているらしいと知らされたのだが、橋から見える限りのあたりの水面は、油のようなべっとりした感じの黒光りを放った、いっこうに皺のないなめらかさであった。
 二人ともしばらく黙って突き立っていた。するうちえたいのしれない焦燥が私のうちにくすぶりはじめ、美佐子のうちにもひとしく何か焦燥が燻り出したらしいのが私に感ぜられた。美佐子が突然、突っかかるように言った。
「倉橋さんは、なんで浅草をブラブラしてんの?」
「――さあ」正面切って説明するのが億劫おっくうだったので、言葉を濁した。
「ネタ取り?」
「そうじゃない」
 これは、はっきり言った。
「じゃ、なアに」
「――浅草が面白いからさ」つい、出まかせを言った。すると美佐子は顔をしかめた。暗いなかでもはっきりとわかるしかめ方であった。そしてきびしい調子で、おたくは猟奇の気持で浅草をブラついているのかと言った。――猟奇という言葉を初め耳にした時、私はそれとわからないで、え? と首をかしげたが、あ、そうかと気づくと、珍しい言葉にめぐり合った感じが微笑を呼び、黙って微笑していた。美佐子は靴先をコツコツと鳴らしながら、
但馬たじまは猟奇趣味で浅草を見る人を、とても嫌っていたわ」と言った。
 但馬はと美佐子が言うのが、いかにも私には唐突の感じだったので、「ふーん。但馬さんがね」と私は言った。(その後、しばしばそうした唐突さに会っているうちに、私は慣れて、唐突を感じなくなったが、それと共に、美佐子のそうした唐突さは、彼女の心のうちに、何かというと但馬が入ってくる、知らないうちに彼女のなかに但馬が坐っている、そうしたことから来ているものと知らされた。)
「ええ、但馬はそういう人を、とても憎んでいたわ」
 美佐子は彼女も但馬と同じ気持らしいのを語調に出してズケズケ言った。
「――但馬がもし浅草にいて、おたくに会って、おたくの猟奇趣味を知ったら、きっとカンカンに怒ったに違いない」
 そう言われて、私はあわてた。私はいわゆる猟奇的な気持で浅草へ来ているのではないと、そこで弁解したが、しかし――浅草のアパートに部屋を借りたのは、仕事をするためという理由を立てているが、浅草を見る私の眼には幾分猟奇的なものがないと言えない。それだけに、そう言われると、浅草へ来はじめてからすでに半年経った現在、何か半分だけ自分が浅草の内部の人間のような気持になっている私として、但馬が浅草を猟奇的に見る外部の人間に対して憤怒と憎悪を持つというその気持は、私にわからないではなかった。だが私は、わからないような顔をして、美佐子に、どうして但馬さんは怒るのかといた。但馬という人物に、私はとみに何か興味を覚えさせられた。見当のついている、但馬の怒るわけよりも、そうして美佐子から但馬の人柄を聞き出したい気持だった。
 美佐子の返事は曖昧あいまいで、不満足なものだった。曖昧さはうまく言えないところから来ていた。うまく言えないで苛立いらだち、苛立つと余計うまく言えなくなるのだったが意味はわかった。意味はわかっても、但馬の人物を知ろうとした私の想いは満足させられなかった。
 こっちが真剣に生きているその生活を、はたから何か興味的な眼でのぞかれては、はらが立つのも当然ではないか。つづめればそういう意味だったが、それをうまく言えないことが、何か不機嫌な美佐子をいよいよ不機嫌にした。そうした美佐子と、私がお好み焼屋を出ようとすると「一緒に行こうかしら。いい?」と言ってついて来た美佐子とは、私の心のなかで、どうも一緒にならない別々のものだった。
 だが、それは美佐子が言った、私と彼女の妙な因縁というのを、私が知らないからであった。そして、――(あるいは)そのため、彼女がどういう気持で私についてきたか、そしてまたどういう気持で私の猟奇趣味をズケズケといたか、私にはわからないからであった。――

 その因縁というのを(ほんの一部だが)間もなく私は聞くことができた。
 私たちは橋を渡ったすぐ右手にある「おまさ」という茶店に寄った。夏のうち、よくそこで食べた三盃酢さんばいずのところてんを、――涼しくなると共に忘れていたが、ちょうど無理に詰め込んだお好み焼で胸がやけていた折柄、食べようと思いついて、美佐子を誘ったのだ。「――寒いわね」と美佐子は言ったが、反対はしなかった。
 瓢箪池の島には「おまさ」のほかに、そうした店が左手にもう一軒あって、これは私たちが橋の上から眺めていたネオンの方へ向いていて、この店は反対側の噴水のある方に向けて縁台を並べていた。夏向きでこの季節むきではない縁台に腰をおろすと、瓢箪池がまるでこの店に属している私有の池のような感じで眺められた。美佐子も、ところてんを注文した。
 さて因縁の話だが、――気になるから聞かせて貰いたいと私としては珍しく強気に、要求的に言ったのである。美佐子が何やら私にふくむところがあるような感じでズケズケ言ったことが、反射的に私の気をも強くさせたのである。――美佐子は口を吸盤のようにとがらせて、ところてんをツルツルと吸い込んでいた。
「どういうんだか知らないが、――聞かせてほしいね」
 美佐子は皿を持った手をひざに置くと、
「前の奥さんにお会いになります? 今なにしてらっしゃるの」
 何か皮肉な調子の丁寧さだった。
「――上海シャンハイにいる」
「上海に?」
 口には出さないが、なにしに上海に行ったか、聞きたげな顔である。私はしかし黙っていた。池の噴水が、今は夏場とちがって誰にも顧みられないにもかかわらず、熱心に忠実に、だが佗しげに、そしてやや憤然たる趣きで、寒い水を吹きあげているのに、眼をやっていた。
 ――私の以前の妻の鮎子あゆこは、上海のバーにいた。もと彼女がいた銀座のバーが、上海に新しくバーを開いた。それに呼ばれて行ったのだ。――私の友人の一人は、彼女の上海行を聞いて、私にこう言った。
「そう言っちゃ、なんだが、――他のひとの場合は、上海へ行くと聞くと、上海へね、ふーむとちょっとうならせられるのだが、鮎子君の場合は自然な感じで、すッと受け取れるね。ついにといった感じで、鮎子君と上海とは何かピッタリしているね」
 私は苦笑して何も言わずうなずいていた。鮎子の上海行は、鮎子ならというんで、聞いてもびっくりさせられない、――ということには私も同感だが、友人の言葉にはさらに、鮎子もとうとう落ちるところへ落ちたという意味が付加されている。それには私は同感できなかった。鮎子への同情、哀憐からでなく、鮎子の上海行は、私に、落ちるところへ落ちたという感じを少しも与えないからである。
 鮎子が私のところを出て行ってからのこの数年間の生活は、そのうわさを人から聞いたり私自身鮎子に銀座などで会って話を聞くたびに、いつも、前と違った新しい状態を知らされる、実に変転常なき生活で、――なにがなんだかさっぱりわけがわからない。そういう言葉以外には、その生活の様相を言いあらわし得ない感じだ。しかし、なにがなんだかさっぱりわけがわからないながら、そこには、そうした現象をあざやかに貫いて通っている。それだけははっきりわかる一本の線のようなものがある。生活力の旺盛ということだ。鮎子は常に、実にたくましく生きている。大胆に颯爽さっそうと生きている。――私は自分の生活力の稀薄を感じているだけに、(その稀薄さのため、鮎子は私のもとから去ったのだが)鮎子の逞しい生き方が余計あざやかに感じられるのであった。――上海行を聞いても、まずもって感じたのは、逞しい生活の触手を上海にまでのばしたかという驚歎であった。
 数日前、私は上海からの鮎子の手紙を受け取っていた。それには、従軍作家部隊に参加して渡支した、私と親しくしている作家のN君などに、鮎子が上海で会った模様等が書かれてあり、あなたもぜひ一度、なんとか都合してこっちへ来るよう、切におすすめします。あなたのジメジメした性格、ジメジメした小説がきっと強いものに鋳直いなおされるとおもいますというような意味のことが颯爽たる文字で書かれていた。――
「上海というと、――大屋五郎さんとはどうしたのかしら」
 そういう美佐子の顔は(友人の言葉を借りれば)上海へね、ふーむと唸っている顔だった。
「さあ――」
 鮎子と大屋五郎の仲は、――別れたと聞いたと思うと、また一緒になったという話だったり、一緒だと思っていると、別れたと聞かされたり、これまたなにがなんだかさっぱりわけがわからない。大屋五郎というのは新川六波一座のレヴィウ歌手で、鮎子は齢の上では一つ下だが、年上のような態度で「ゴロちゃん」と呼んでいる。二人の同棲を聞いたのは、二年ばかり前だった。
「――君はゴロちゃんを知っているの?」
 私が言うと、
「知ってるも何も……」
 美佐子は、ふんと鼻を鳴らすような冷笑的な口つきをして、
「――大屋五郎はね」
と今度は呼びすてにして、
「あたしの妹の……」
 亭主と言おうとしたのか、恋人と言おうとしたのか、――言いにくそうに唇をゆがめ、それを抜かして、
「――おたくの前の奥さんと出来る前の話だわ」
「ほう」
 初めて聞く話である。全くもって妙な因縁だ。私は驚いた。この時、美佐子が何か泣くのを抑えているみたいな、ヘンに歪んだ、――つまりこの話がうそでないことを私の眼に明らかにするところの深刻な表情をしてなかったら、うその作り話と思ったかもしれない。そんな疑いが浮んだかもしれない。それほど、私は驚かされた。
 さよう、現実においてさえ、作り話めいた感じのするこの話だ。まして、こうして小説の形で語られる以上、読者はこの妙な因縁というのを私の小説的作り話と思われるに違いないだろうが、小説的作り話だったら、私は、――いかにへたな小説書きの私だといえ、こんないかにも作り話然とした作り話は作らない。もっとほんとうらしい感じの作り話を作って、お眼にかける。――(さらに、ずっとあとになって知らされたのだが、この他になおひとつ、これは小柳雅子にからんで、もっと作り話めいたものがあるのだが、――それは今は言うまい。)
「で、妹さんはやはりレヴィウの方でもやってたの?」
 私は手をこすりながら言った。――池の傍は冷えてくる。
「ええ、私と同じにT座にいたの。その時分、大屋五郎さんもT座にいて……」
「で、妹さんは今は……」
「――死んじゃったわ」
 びっくりするような大きな声で、はき出すみたいに言うと、ぷいと顔をそむけた。
 しばらく私たちは無言だった。
 私は池の向うにぼんやり眼をやっていた。そこには、――映画館街から言うと、O館の裏手に当って、いままでちっとも気がつかなかったことだが、「親子どんぶり、すし、天丼てんどん」と書いた同じような看板を、池に向けて出した店が、五軒かたまって並んでいた。
「名前は、――なんて言う名だったの」
 美佐子は口をつぐんだままだった。だが、やがて、
「市川玲子れいこ
 震えを帯びた低い声だった。
 ――美佐子と私との妙な関係の話は、それで打ち切られた。だがそれだけでは、ほんの外郭を示されたにすぎないのである。それゆえ、それだけでは、前節の終りに書いたような、美佐子がどういう気持で私についてきたか等々のことは、私に依然として不明なわけであった。後に、話のすべてを知るに及んで、初めてそれを察せられたのだったが、――今はまだそれを語る時ではないようだ。
 ――さて、ここは、私たちのいる池畔ちはんは、映画館街のすぐ裏で、手をのばせば通りの人にとどきそうな近さなのであったが、池のふちにぎっしり並んだ夜店がへいのようになっているせいか、通りの賑やかな激しいざわめきが、ここへは何か信じられないような遠い物音の感じ、耳を疑いたくなる頼りなさでしか響いてこないのであった。それは、この寒い、見捨てられたような場所を一層佗しくさせた。それはまたそこにいる私の気持をも佗しくさせ、何か心細いものにさせた。……
[#改ページ]


第四回 落魄


 その夜、――なんだか妙に疲れて抜けみたいになって、私は大森の家へ帰るのが億劫おっくうになり、アパートに泊ることにした。まだ十二時前だったが、蒲団ふとんを頭からスッポリかぶって、だが頭がえて、ねつかれないでいると、やがてミシリミシリと階段をきしませて三階へ誰か上ってくる音がし、その音が私の部屋の前でとまると、
「やあ、いるいる」
 部屋に電気をつけたままだったし、スリッパが廊下に出ているので、それらが私の在室を告げるわけだ。(電気は、――暗くするとどこからともなく現われて来て私にみつく無法な虫の襲撃を防ぐためだったが、一度そいつらに腹一杯私の血を食わせてやってからは、それにもう寒くなったせいか、その頃はあまり出てこなくなっていた。)
 誰かなと私が蒲団から亀のように首を出すと、部屋の外で、
「倉橋君。――勉強ですか」
 ひどくしゃがれた、そのため無理に発音するみたいな、早口に一句一句投げつけるその声で、朝野光男とわかった。
「やあ、朝野君。どうぞ」
 朝野は扉を開けて、
「おや、もう寝てるんですか。この頃は泊っているんですか」
 そして私の返事を待たず、
「――せんの頃は、夜来ても、いつも留守るすだった。で、もうこの頃は、来るのをあきらめていたんだが」朝野は酒の入った光った顔を、あたかも猟師が獲物をつかまえた時のような満足と喜びで一層光らせていた。「昼間はおられるんでしょうが、勉強の邪魔をしてはと遠慮してましてな」
 私は浅草に住んでいる朝野を、私の方からついぞたずねたことがないのに、ふと慚愧ざんきの情を覚えさせられ、言い訳めいたことを言おうとすると、朝野は私に口を開かせまいとしているごとくに、
「倉橋君の浅草生活も、いよいよこう泊り込みで、本格的になってきたですな」
と言った。なんと挨拶あいさつしていいか、うまい言葉が見つからず、私は曖昧あいまいな微笑を浮べながら、寝間着の上に着た着物の前を合わせていた。すると、朝野が、
「――あまり感心しませんな」
と言った。これは一層挨拶に窮する言葉だった。
「仕事の方はどうですか」立てつづけに言う。
 機銃にタタタと打ち込まれる感じで、
「――駄目ですね」
と私は言って、へたばるみたいに蒲団の上に坐り込んだ。
 駄目ですねと言ったことで私は、――朝野の出現で中断されたが、それまで寝ながら頭のなかで堂々めぐりをさせていた想念を、ここでまたよみがえらした。
 それは一口で言うと、――何かたくましい強い小説を書きたいということであった。だが、その願いのすぐあとから、それを追いかけて、私にはそう思ってもしょせん書けないのではないかという反省が来る。それを堂々めぐりさせていたのである。
 私の頭には、フランスの作家のモンテルランの言葉が刻みつけられて離れない。「――文学上の仕事には、必ず劣敗者のみっともない泣き言がつきものだからいやになる。スポーツには泣き言がない。相手より五十センチ少なくんだ者も決してあとで文句なんかつけに来ない」モンテルランはこう言っている。私は、それを読んだ時、私の小説といったら、特に「劣敗者のみっともない泣き言」そのものが多いのだから、――それに、私自身もはや、そんなのでない小説、読者の精神を爽快にし健康にし高貴にし大胆にするような小説、できたら生活への強い意欲、逞しい精神力といったものを湧き立たせるような小説、――逞しい強い小説というのはそういう意味だが、そうしたまっとうな小説を書きたい気持にようやくなっていたところだから、何か激しいむちを感じた。私の小説の多くは、五十センチ多く跳んだ者に、あとからウジウジとメソメソと文句をつけて行くような小説だ。私は爽快に逞しく五十メートルも跳ぶような小説を書きたいと思った。
 こうした願いは、事変と共に私のうちに起きたものであった。外から要求されたものというより、私としては、うちにおのずと起きた一種生理的な欲求のようなものであった。だが、私にはそうした小説がどうも書けなかった。いたずらに欲求がき上げてくるだけで、それを小説に具体化することができない。そこで、その欲求はたされないで、私のうちに鬱積うっせきし、私は一種のヒステリーみたいになっていた。
 私は戦場へ行ったら、そのヒステリーみたいなのから救われるかもしれないと思った。だが、私には、同胞が生命をして戦っているところへ、戦いに加われない丙種の私が行くことは、いかにも「見物」に行くみたいな感じで、どうにも気がひける想いだった。戦場は私をそのような眼で見ないにしても、こっちで、申し訳ない想いだった。見物人ということを自他ともにあきらかにしつつ、――いわば生命安全の見物人と書いた紙をおでこり付けて歩くみたいなことは、生命をささげて戦っている兵隊さんにまない感じだった。――ある時、私はつとに現地へ二度もおもむいた先輩の評論家に、お前、現地へ行かないのかと問われ、私は「――行きたいことは行きたいのだが」と言って、そうした気持を話した。すると、評論家は、
「君は……」と私をねめつけ「おめえは駄目だ。――だからおめえは駄目なんだ」と卓を叩いて言った。評論家は、駄目だという理由を説明してくれなかったが、私は私のそうした気持は下らないということを悟り得た。現地へ行けば、そんな個人的な下らない気持は吹っ飛び、吹っ飛ぶとともに、行かないと得られない貴重なものを得られるに違いないと思った。戦場へ行くということは、そんなケチな感情など問題にならない、もっと大きい高い立場に立つものだと思った。だが、そう思っても、私のそうした気持はやはり心から払い去られないで残った。
 そして、――そのくせに、私は浅草をうろついて、一見すべての人に対して申し訳ないような、ぐうたらな生活を送っていた。私が浅草のアパートに部屋を借りた理由は、前に述べた。だが、盛り場はいろいろとあるのに、なぜ特に浅草を選んだかということについては述べなかった。私はそれまで、盛り場としては銀座を愛していたが、とみに銀座や銀座的なもの、私のうちにおける銀座的なものに嫌悪を覚え、同時に、浅草は民衆の盛り場というぼんやりした(いい加減な)概念にかれて、私は浅草へ来たのだ。私はそこで、民衆のむれのなかに自分を置きたいと思った。(これも、いい加減な概念的なものだった。)――民衆の持っている素朴さ、率直さ、強靭きょうじんさ等々で自分の神経をんで、ヒステリーを直したいと思った。だが……。
 いや、こんな調子でしゃべらせておいたら、それこそ果てしのないおしゃべりを、私はこの辺で打ち切らねばならぬ。
 ――私は朝野に、仕事がうまく行かないと言った。すると、朝野はわが意を得たりといった顔で、
「浅草の空気は僕らにはいかんです」
 僕らというのに特に力を入れて、断乎として、何か噛み付くみたいに言った。
「浅草は人間をぐうたらにさせて、いかんです。――浅草では、ふうッとしていても、生きて行かれますからね。こいつが、いかん」私の浅草生活が本格的になることは感心できないと朝野が言った意味がわかった。「――僕がいい例ですよ。全くもって、いい例だ。浅草に毒された、浅草の空気にすっかり台なしにされたいい見本ですわ」
 朝野は煙草のやにで黒くなったきたない歯をむき出して笑った。――朝野は以前いい小説を書いていたが、この数年何も発表しなくなった。(いや、その都度つどちがう変名で雑文を書いて、それで生活していた。それも最低生活費をかせぐだけで、それ以上何も書こうとしなかった。)そうしたことを朝野は、(私には真偽のほどはわからないが)浅草に移り住んで、浅草のなかに沈没したせいにした。そうして、朝野は人間を無気力にさせる浅草をのろいながら、浅草から離れようとしなかった。
「僕はこの間、『サーニン』を読んだら、――ユーリイという副主人公がいますね。サーニンと対照的な弱い男、――そのユーリイの言葉にこういうのがあった。『僕の友人は……』とユーリイが言うんですな。『僕の生活は教訓的だと言う。つまり、人間はこんな風の生き方をしてはならないという意味で……』と、こう言うんだが、この僕もまさしく教訓的な存在ですよ。浅草がどんなに人間を腐らすかという……」
 私は朝野がみずから敗残者みたいに言うのが聞きづらく、何か話題を変えようとあせった。(私が彼のところを訪ねて行く気がしないのは、彼を訪れることは、そうした敗残的な言葉を聞くために行くようなものだったからである。)
「そうそう――」
と、私は膝を叩いた。
「朝野君は但馬たじまというの、知らないですか。浅草で脚本なんか書いていたという……」知るわけはあるまいと思いながら、――それで話題を転ずる便宜として言ったのだ。ところが、
「但馬が浅草に現われおったのですか。――会ったんですか」
と朝野が眼を光らせた。
「いや、会ったわけではないんですが」
「そうだ、但馬はユーリイだ」
と、朝野がさえぎった。「――左翼くずれというのも、そっくりだ」
「左翼崩れ?」
「そうなんですよ。――僕は左翼が嫌いだから、その方のことをよく知らないんだが、但馬は左翼の芝居の方をやっていたらしい。――その時分、但馬はまだ学生で。しまいに、但馬は学校をやめて、芝居から政治運動の方にもいったらしいんですね。そいで左翼が駄目になると但馬は浅草へ転げ込んで来たんですわ。但馬としては、新しい生活を見出そうというつもりだったんでしょうな」
 朝野はバットの口を噛んで、
「一体、左翼崩れ、――そうだ、この頃はもうこんな言葉は流行はやらんですな。すたったですな。転向者というんですかな。そんな連中には、どういうものか、妙に生活力の強い奴が多いですな。僕は左翼嫌いだから、そういう連中が、どうも虫が好かないが。ところが但馬は、――やっこさん、左翼崩れの癖して、これがてんで駄目なんだ。まるで生活力がない。ないんじゃなくて、くしたんですね、浅草で。浅草へ来て、新しい生活力をき立たせるつもりだったらしいが、どっこい、逆に腑抜けにされちまって、とうとう身体まで台なしにしちまった。但馬が、このやっぱり浅草の空気に台なしにされたインテリの一人ですよ」
 私は美佐子によって植えつけられた但馬に対する興味をいよいよあおられた。朝野はひとりで言葉をつづけた。
「その点、僕は同病相憐れむという奴で、但馬に親愛の情を感じているんだが、ただちょっと――但馬は妙な奴でね」
と朝野は、やみに人影を探る時のような眼つきをして、
「但馬は、てめえ自身はまるで駄目なくせに、自分の周囲の、浅草の連中には、妙にその連中の生活力を湧き立たせる、――力というか、作用というか、影響というか、そんな微妙な、奇妙なもんを持ってやがって……。(朝野の声には、自分の言葉で、どういう感情かわからないが、激しい感情を波立たせられているのが感じられた。)こいつが実に妙なんですわ。――奴は意識して、そうやっているわけではないらしい。自分は駄目だが、周囲の奴は、しっかりさせよう、そんなはらでやってるんじゃない。たとえばネ、ここに悪事をたくらんでいる奴がいるとしまさア。浅草の踊り子で、仕事にあぶれて、遊んでいる奴なんかを、うまく口車に乗せて、どこか遠くの飛んでもないところへ売ろうとかなんとか、そんなことをしようとかかっている男がいるとする。そいつが、まあ、本当の悪党じゃなくて、迷っているんですな。どうしよう、やッたろか、いや、待て、といった工合に。そんな時、但馬に会うと、そうなんだ、但馬の顔だけ見ればいい。但馬がなんにも言わなくても、――但馬に会うと、たちまち、やッたれといった気持になる。但馬は、そういう奴なんですよ。こいつは実際の話ですわ。その小悪党から、その時のことを僕が聞いたんだから。――但馬というのは、そんなような妙な人間なんですよ。自身は正義派なんです。といっても、言葉の上だけの正義派。だから、そんなことになるんだろうが、とにかく、正義派の但馬が、その小悪党に、女を売っ飛ばせと言ったりするわけはない。だのに、但馬に会うと、売っ飛ばせと気持がきまる。――こんな話を聞くと、但馬が意識して、周囲に働きかけるわけではないことがわかるんだが、――但馬のそうした妙な作用は、もちろん悪事の煽動せんどうだけじゃない。そんなのは、けしからん生活力を湧き立たせることだが、いい意味での生活力も湧き立たせる。腐ってる役者なんかを奮起させたり、この頃上ったりうるさ方がまともな根性を持って、おでん屋を開くようになったり、――但馬というのは、これはもしかすると、何か異様なものを持った、普通の人間とちがう、すごい奴かもしれないですな」
 一気に言ったが、思いなしか、最後の言葉を言った時のそのしゃがれた声は、恐怖に似た畏敬いけいと憎悪に似た反撥との奇怪な混合を示しつつ、震えていた。だが、すぐ朝野は悪夢でも払うように首を振って、
「いや、違う」
と大きな声で言って、自分ながらその大声に驚いた顔をしかめたが、――つづいてそのこわばったしかめつらを、そうして直そうとでもするように、
「倉橋君。パイ一やらんですか」
 突然そう言うと、まゆを開いた。
「やりますかな」
「――倉橋君。僕は金を持ってないんだが、ありますか」
「ええ、少しぐらいなら」
 私は朝野の言葉をまるで自分の方で言ったみたいに恥かしい想いをした。そして朝野は、彼がまるで私のような顔をしていた。
 私はすぐさま立ち上ろうとした。すると朝野は抑えるように、
「その但馬ですがな、――」
と言った。
「但馬がどうというわけじゃないのかもしれんですよ。というのは、インテリは但馬だけで、周囲の浅草の連中は但馬と人間がちがう。そこで、その連中は但馬に一目置いている。尊敬している。但馬の言うことに耳を傾ける。その辺のところから、但馬がどういうわけでもないのに、但馬の作用という奴が生れてくるのかもしれないんでさ。(自分に納得させるように、朝野はうなずいて)そうだ。それに違いない。――但馬はいつもこう言っているんですよ。逞しく生きよう、とね。これが奴のオハコなんですわ。ちょっと気障きざ科白せりふだが。逞しく生きよう。そう言う自分が、からきし逞しくなんかないんだから、こいつは全く喜劇だが、――(と、どす黒い唇を毒々しく歪め)まあ、お題目みたようなもんですな。このお題目を、但馬の周囲の連中は、なんかというと但馬から聞かされて、頭にみこませている。だから但馬の顔を見ると、すぐそいつが頭に浮ぶといった工合に違いない――例の小悪党なんかも、そうなんだな、きっと。但馬の顔を見たら、逞しく生きよう。これがピンと来た。それで但馬に会っただけで、但馬がなんにも言わなくても、やッたれと気持がきまった。そういうのに違いない。但馬の、逞しく生きようというお題目は、そんな悪心を振いたたせることじゃないんだろうけど、小悪党は、インテリの但馬が言う、逞しく生きようというのがどういうことか、わからない。なんでもいいから、やッたれ、どしどし、やれ、そういう意味と、小悪党的にとっている。それで但馬を見て、悪心を振い立たせた。そういうんでしょうな。――そうなんだ。大したことはない。ちっとも驚くことはないんだ」
 朝野は自分から但馬の異様な影像を私の前に描き出して見せながら、それを自分で打ち壊した。打ち壊している最中は、朝野の得意の、自分で自分を侮蔑ぶべつする、その歓喜のようなもので眼を光らせ、全身に壮烈な力をみなぎらせている感じだったが、打ち壊してしまうと、急にガタッと身体が小さくしなびたみたいで、何か佗しそうな切なそうな面持おももちである。
 そしてボソボソとつぶやくようにして、こうつけ足した。ちょうどこわした彫像のかけらを集めるような調子で――。
「しかし但馬には、へんに人をきつけるところがあることはあるですな。――みんな今でも、しょっちゅう但馬のうわさをして、但馬に会いたがっているですわ。――但馬は今は浅草にいないが、みんなの心には但馬が依然として存在している。そんな感じですな」そう言って、唇が火傷やけどしそうなくらいにまで吸い尽した煙草を、さらに、首をのばしてパッパッと唇を鳴らして吸うと、熱そうにして灰皿に捨て、
「さあ、出ましょうか」
 そして立ち上りながら、ふと気づいた風で、
「倉橋君は、但馬をどうして知っているんですか」(朝野はいささか奇型的な感じがするくらい、あしが短かった。恐ろしく胴長で、――誇張して言えば、立っても、坐ってた時と高さがあまりかわりないくらいだった。)
「その人の細君というのと、田島町のお好み焼屋で知り合いになって……」
「惚太郎、――じゃないですか」
と朝野がさえぎった。「惚太郎というお好み焼屋でしょう」
「惚太郎」で私はまだ朝野に会ったことがない。
「朝野君は、あすこへ……」
「この頃は行かんですが……」
 私たちは部屋を出た。急な階段を朝野は先に降りながら、
「あのお好み焼屋は、これがまた但馬の、――作品と言いますかな。あれは、ご亭主の惚太郎が出征したあとで細君が開いた、――うちでやり出したんですがね。但馬が細君にすすめてやらしたんですよ」
 私たちは階段を降りて、薄暗い、茶色っぽい電気の光の漂った台所に立った。アパートの人たちの共同炊事場である。そのすみに、台所口のような(事実それに違いないが)アパートというものの玄関らしくない、アパートの玄関があった。――アパートの一階の、表通りに面したところは、建具屋、鰹節屋かつおぶしやといった、いずれも店で、二階三階がアパートになっていて、アパートの玄関は、裏の路地にあった。そこで、私たちは、二階借りのものが遠慮しながら台所から外へ出るみたいな恰好で、汚い下駄の散乱した三和土たたきに降り立った。――玄関の脇に便所があり、便所は何か似つかわしくない感じで水洗便所だったが、折からジャーという水道の水が奔流する音がすさまじく聞えた。
「どこへ行きましょう」
 外へ出ると私が言った。月が路地の上にかかっていた。その夜にかぎって遠くへ飛び去ったみたいに、ひどく離れて小さく見えた。
泡盛あわもりいこうじゃないですか」
「金は二三円ありますが。そうだ。お好み焼屋へ行きましょうか」
「いや、いや」
と朝野が首を振った。「下手な酒より泡盛の方がうまい」
 アパートの付近そばに、十二時までに入ってしまえば、少々遅くなろうと追っ払われない泡盛屋があった。(これは、朝野の言葉である。)
 そこへ行くまで、朝野は、どうしたのか、――アパートでは独りで、熱にうかされた人のようにまくし立てていた朝野だのに、いや、そのせいでか、不機嫌な風に黙りこくって、私の先をトットと行った。その上った肩は、そういう肩つきなのか、それともわざと肩を怒らしているのか、――肉がてんで無くて骨がゴツゴツなのを、色がわりしたヘラヘラの二重回しの外にありありと出していた。朝野は、その落魄らくはくの感じをいたましく漂わした肩を、さよう、その落魄感を大事に骨の上に載せていて、落してはならないとしてでもいるように微動だにさせず、まるで幽霊のようにすうッと身体を前に進ませていたが、幽霊と違うのは、り切れて草履ぞうりのような下駄から発せられるところの、シャッシャッという一種快適なリズミカルな音であった。その音、そしてその歩き方を、朝野は楽しんで、――いとおしんでいるような風であった。
 ――泡盛屋はスタンドの前に五六人並ぶといっぱいになる狭い店で、肥った婆さんがひとりでやっていた。娘を映画俳優にとつがせていて、この婿むこは今はまるで不遇だが、もとはちょっと売り出しかけたことがあり、そんな関係からか、高田みのるなどから贈られた、でも今はすっかり色のせた暖簾のれんがかかっていた。店の客も公園の小屋の関係のものが多かった。そこは、生粋きっすいの琉球の泡盛を売っていて、出港税納付済――那覇なは税務所という紙のついたびんが、いくつも入口に転がっていた。浅草の連中は、インチキな酒類を平気で楽しんで飲むが、それはだまされて飲むのではなく、インチキと承知の上のことで、だから泡盛のほんもの、うそなどということの舌での鑑定にかけては、商売人はだしである。朝野がその一人であった。朝野は、婆さんと「来たぞ」「おや、騒々しいのが来た」といった口をきき合うなじみであった。婆さんは、それが商売上手の口なのだろうが、まるで客扱いなどしないぞんざいな口をきいた。
 泡盛が入ると、朝野の舌が再び動き出した。「惚太郎」の話を始めた。
「惚太郎のおやじ、――やっこさんは、あれでなかなか大した芸人なんですぜ、今じゃお好み焼屋のおやじでくすぶっているですがね」
「戦争の怪我けがで舞台に出られないとか……」
「いや、それがね、それがなんですわ。出られないというのは、まんざらウソでもないらしいが。――保定ほていでやられたんだってね。奴さん、工兵で、――話を聞いたでしょう。聞かない? 聞いてごらんなさい。そりゃ面白いから。実に勇敢だったらしい。いい話を、そりゃフンダンに聞かせてくれますよ。もっとも、うまく持ちかけないと、――奴さんの機嫌のいい時をねらって、話をひき出すようにしないと、変った男だから、自分ではなかなかしゃべろうとしないですな。――ももンところなんですね。それで帰されたんだが、――病院にずっといて、なおったから家へ帰ったんだろうが。見たところなんでもないようで、やはりまだ舞台に立つと、――ながく立っていると、痛んでくるとかしびれてくるとか。で、まだ当分出られないと言っているが、本人の気持じゃ、もう漫才の舞台に出たくない、舞台はいやだ、そんな気持じゃないのかしら。といって、お好み焼屋のおやじで満足しているわけじゃないし……」
 朝野は分厚いコップを口に当てた。
「芸人がいやになったんですかね」
 私も、重たいコップを持ち上げ、コップのふちが、唇を当てるとへんに滑らかなのに気味の悪い想いをしながら、透明な強烈な液体を一口ふくむと、急いで水を飲んだ。
「そうじゃないんですよ」
と言って、朝野は、伸びたつめに黒いものをいっぱいめた、そしてこれも垢じみて汚い手の甲でベロベロと唇をぬぐって(――何か泡盛屋の酔いどれらしい、きたならしい感じだった。)
「奴さんは立派な芸人ですからね。下らない素人しろうとの芸人が跋扈ばっこしている現在の舞台がいやなんですよ。素人の漫才が偉そうにしているのにムカついているんですな。――いや、奴さんの気持はわかる」
 朝野はギョロリと私の顔を睨んで、――(この素人作家め! と、それは言っているようだった。)
「あの人は(と、何か語調を改め)漫才なんかやる人じゃないんで、――いつかも僕にこう言ってた。高座に一人で出て、大勢のお客さんを相手にして負けないのが、これが芸人で、二人出てやる漫才屋なんか芸人じゃない。こう言って、――漫才屋になった自分はもう芸人でなくなったと笑ってたが、もとは寄席よせに出ていたんですね。それが、例の、もう随分前の話だが、寄席の没落で、仕方なく漫才屋に転向、――転落というのかな。森家惚団治ほれだんじのところへ入って、森家惚太郎ということになったんだが、この惚団治がやはり寄席の没落で漫才屋に転向したんで、もとは落語家はなしかでさな。――惚太郎君は(朝野はいろいろと言い方を変えた。)大体は清元きよもとの人で、――お母さんは延寿さんのところの名取なとりだったそうですがね。三味線は子供の時から習わされて、年季を入れているんですね。お父さんというのは、相当に大きな請負師うけおいしだったそうで、だから、もとは何かかたぎの商売でもやっていたんでしょうが、それがどうして芸人になったのか。そこンところは知らないが、芸が身を助ける不仕合わせ、――といったところでしょうな。おい、おばさん、いでくれ」
 朝野はコップをたちまちからにしていた。婆さんが注ぐのを、じッと見ながら、
「――お好み焼屋へは、いろんな芸人がくるでしょう。いろんなといっても、あんな汚いところだから大した奴はこない。おやじの嫌いな下らない素人漫才のような奴ばかりで、そんな素人漫才屋が、あすこでトグロを巻いて、やれ、今晩は大したお座敷で、いくらもうけたの、やれ、身体がいくつあっても足りないのなどと、オダをあげたりするんで、おやじは一層おもしろくないんですな」
 それで、細君がひとりで忙しがっているのに、外に出て歩いてばかりいると朝野は言った。
 私はこの物語で、「風流お好み焼――惚太郎」は紹介しながら、その本人の惚太郎をこれまで一遍も出してない。出して置いた方が、――朝野のこのような話を紹介する前にやはり惚太郎を紹介して置いた方が、好都合であったと思われる。だが、それは、私の不注意で、私が出さなかったのではなく、惚太郎が出てこないのだ。私が「惚太郎」を紹介する場面の時は、いつも惚太郎は家にいなかったのである。細君に聞くと、戦友のところへ遊びに行くらしいのだ。「よっぽど懐しいものと見えますね。――戦友のかたも、家へいらっしゃるんですよ」
 ところで、私は、素人漫才屋が「惚太郎」でオダをあげるという朝野の言葉で、亀家かめやぽんたんのことを頭に浮べた。
 ――ぽんたんは、つい先頃まで、ドサ回りの役者だった。まだ二十はたち前の若者で、全然下回りの役者だったが、それが、ぽんたんの言葉で言えば「兄貴」の鶴家つるやあんぽんと組んで、漫才師になった。なった当座は、あちこちで試験的に出されるので、すこぶる忙しく、そんな時分に、私は「惚太郎」でよく一緒になったが、全く意気軒昂けんこうたるものだった。一月何百円という収入まで聞かされ、(幾分法螺ほらもあるだろうが)――私は、ドサ回りの役者のピーピー状態から、一躍そんな金が取れるようになったのだから、オダをあげたくなるのも無理からぬことと思い、また、漫才全盛の現在とはいえ、いきなり舞台に立てば、それで勤まり稼げるとは、いやはや恐るべきことじゃと思った。――門外漢の私でさえ、恐るべきことだと感じたのだから、惚太郎はどんなに苦々しい想いだったろう。だが私はその時分、惚太郎の心のうちを知らなかった。
 ――そして、これは余談にわたるが、やがて鶴家あんぽん、亀家ぽんたんのコンビは、公園の「漫才常設館」のE館に入ることができた。素人ながら、うまかったのだろう。あるいは素人の「新鮮さ」が客に受けたのかもしれない。かくて彼らとしては晴れの舞台の浅草の小屋に出られることになったのはいいが、駆け出しというところで、月給は六十円。六十円というのは、二人一組に対してのもので、だから一人は三十円。
 ところで、鶴家あんぽんは、これは、ぽんたんのような役者出身でなく、前身は全く舞台に関係のない、九州の某駅の助役であった。それが芸者に熱中し、やがて各方面不義理だらけにして落籍ひかせて一緒になると共に勤め先はクビという、そうしたことの定石じょうせきを踏んで、二人で東京へ出て来たのだった。そうした元鉄道官吏が、どういう経路を辿たどって漫才屋になったか、それは今省略するとして、――元芸者のその細君も同時に漫才屋になった。すなわちもとは夫婦でやっていたが、亀家ぽんたんと組んで、躍進を期し、立体漫才というのを(――といっても、別にそう新機軸があるわけではない。ただそういう看板だけで、内容は普通の漫才とちがわない。)始めると、細君は別に他のと組んだ。そしてその細君が別口で稼いでくるから、あんぽんの稼ぎが三十円でも、どうにかやって行けるわけだが、――独り者のぽんたんの方は、そういう別口のがないので、たとえ独り者の間借生活でかかりがかからないとはいえ三十円ではやって行けないのであった。そこで「兄貴」に、――場末の小屋に出て稼ごう、稼がなくちゃあごが干上ると言うのだが、あんぽんは、――格が下るから駄目だ、ここが辛抱のしどころだと言って、承知しない。
 ――という話を、私は「惚太郎」の細君から聞いた。
「ぽんたさんは、先頃あんなに元気だったのに、可哀そうに元気がなくなっちゃってねえ。――漫才は一人では稼げませんからねえ」
 ぽんたんは意気軒昂の頃は、
「――なんか、おもしろいネタありませんか。ひとつ教えて下さい。どうも、いいトリネタがなくて」
と私の顔を見ると、言ったものだが、近頃はとんと言わなくなった。黙って五仙の「やきそば」を、ながいことかかって食っていた。――
「小説なんかも、同じじゃないですかな」
と、朝野が台にひじをつき、その手にあごをやって、人を小馬鹿にするような恰好をしながら、言った。
「――芸の小説より、ネタでごまかして客を釣る素人小説の方が幅をきかせているんじゃないですか、僕は惚太郎と同じ心境ですな。ケッ! 胸糞が悪い!」
 いどむような声だった。だが、すぐ顎の手を外し、首をガクッと落すと、急に弱々しいびるような声になって、
「いや、僕が小説を書かないのは、――書かないんじゃなくて、書けないんですよ。――僕は駄目ですよ。ああ、なんにも言わないで……。僕は駄目なんですよ」
 ――私は酩酊めいていした。
 酩酊すると、私の頭のなかで可憐な小柳雅子が乱舞しはじめた。私は小柳雅子の名を唇にのぼさずにいられなくなった。
「K劇場の小柳?」
と、朝野が言った。「K劇場なら僕の縄張なわばりじゃ。縄張りを荒すとはけしからん」
 冗談のようでもあり、本気のようでもあった。そうした朝野は酔っているようでもあり、酔ってないようでもあった。
「荒すも荒さないも、まだ一口だって口をきいたこともないんで……」
と、私は言った。私は自分の言葉で胸をつまらせ、おや、泣き上戸じょうごになったかなと思った。「――僕はただ彼女が舞台で踊っているのを客席の隅から見て、胸をおどらせているだけで……」
「これはまた……」
と朝野が遮った。「なんじゃね。それは」
 そしてあざけるような笑いを浮べて、
「じゃ、明日、一緒に楽屋へ行こう。倉橋君を小柳雅子に会わせよう。そして一緒に外へ出て、お茶でも飲もうじゃないですか」
「…………」
 私は浅草のレヴィウの方に知り合いがないわけではなかったから、頼めば、そういう機会を持てたのだが、――頼み込むということが何かできないで、したがってそうした機会に今まで恵まれなかった。そして、恵まれる時が来た。――だが、私には何かためらわれた。
 しかし朝野は独りできめて、
「明日アパートにいますな。夕方呼びに行きますわ」
 朝野にキッパリときめられると、初めて、私はあこがれの小柳雅子に会える喜びに、はっきりと直面することができた。喜びのためか、酒のためか、心臓がドキドキと鳴っていた。
「浅草のことなら、万事僕に……」
 そう昂然こうぜんと言って、(――私は昂然たる朝野を、ここで初めて見た。)朝野はポンと、はだけたせた胸を叩き、みずからよろめいた。
[#改ページ]


第五回 美肌


 このおかしな小説も、これではや第五回目である。書きはじめてからすでに七カ月経っているのだが(五カ月でなく、七カ月という勘定の合わなさは、二カ月休載したからであるが、でなぜ休んだかというと、――エイ、そんなことはどうでもいい。)その七カ月の間に、私が書いたことといったら、ああなんと、たった一日の話。もとより物語も一向に進展を見せてない。これがもし達者な作家であったなら、その間に、たとえば五カ年とか、七カ年とかにわたる波瀾はらん万丈の物語を展開したかもしれない。なんとかして貰いたいねと、さすがの私も、そう私が私に言う声を聞く。私は、なんとか物語のテンポを早くするように計らねばならぬ。

     *

 約束通り、朝野光男はアパートを訪ねてきてくれて、私はアパートを出た。
 国際通り(国際劇場のある通り)へ出る角に、自転車の預り所があり、朝野は言った。
「――預けて行ったきり、そのまま取りにこないのが、よくあるそうですな。小僧かなんか、なんでしょうな。使いに出たすきに自転車を預けて、ちょいと活動でも見るつもりが、ついうかうかと遊んでしまって、もう主人のところへ帰れない。で、自転車をおッぽり出して、逃げちゃう。そういうのらしい自転車が、しょっちゅうあるそうですな」前夜と同じように、朝野は饒舌じょうぜつだった。
 国際通りへ出ると、折から国際劇場の松竹少女歌劇の昼の部がねたところらしく、そのお客らしい華やかな少女の群が舗道をいっぱいに埋めて、田原町の方へと流れて行く。浅草的な雰囲気とちがったものをあざやかに私たちに感じさせつつ、その絢爛けんらんたる流れは、まっすぐ、田原町の電車、バス、地下鉄の停車場へと流れて行くのだ。
 松竹少女歌劇は、浅草で巣立ったものであり、今も浅草にある国際劇場でやっているのだが、その現在のお客は、何か浅草に嫌悪けんお軽蔑けいべつの、そして幾分恐怖の背を向けて、――そのように、停車場と国際劇場の間を直線的に、さっさと脇目わきめもふらずに往復していて、六区の方へ一向にそれようとせず、足を踏み入れようとはしないのである。地下鉄田原町の出口に「国際劇場は、まっすぐにお出で下さい」と書いてあるが、全くその通り、まっすぐお出でになって、まっすぐお帰りになる。そうした颯爽とした流れに対して、かねて私は、どうしたものか、――つまり私は若いお客さんたちが六区の方へそれて金をおとして行くのを期待している、たとえば食堂の主人でもなければ、またたとえば若い女性向きのものを売っている小間物屋さんと関係があるものでもないのだが、――何か自信のつよい人間に対して感じるのに似た焦燥と腹立ちを掻き立てられていたが、そのとき、いうならば、香水の匂いのする自信といったものに、私たち、――おお、なんとあらゆることに自信のない私たちよ。自信のないことを誇りにしているような、それほど、ほかに誇りのない私たちは、すっかり気圧けおされて、車道の方に、はみ出たのであったが、おしゃべりの朝野としては、ここでまた一言なかるべからざるところで、彼は、――いや、物語のテンポを早くしようと言った口の、まだ乾かぬうちに、この始末では困る。先を急ごう。
 私たちはK劇場の楽屋口に行った。
 朝野はまるでそこの幕内の人間のような顔で、さっさと、なかへ入って行った。その背は、前夜、彼が「浅草のことなら、万事僕に……」と言って胸を叩いた時と同じような昂然たる一種の光彩を放っているごとくである。入るとき、朝野は「――さあ」と私に言ったが、「一緒に」という意味にしては、ちょっと曖昧な感じだったので、それに私はすっかり気おくれしていたので、ひとり外に残った。
 その路地の、楽屋口の前にも、自転車の預り所があった。その隣が、国際通りに面した漫才小屋のT館の裏に当っていて、幕合いのおはやしが聞えてくる。それに合わせて、私の心臓はドキドキと鳴っていた。
「どうしたですな」朝野が扉から顔を出して言った。
 私はつばをのんだ。
 ――ダンシング・チームの楽屋は暗い舞台裏の三階にあった。急な裸の鉄階段を踏み外しそうにして、私は三階に行った。もとより、らくに堂々と楽屋に乗り込めたわけではないが、そうしたうるさい私の心理風景は省くとして、さて、楽屋風景であるが、ここに楽屋風景を、ことこまかに書いたものか、どうか。
 書きたいところである。私のようなあさはかな性分のものは、私がかねて、まるで女の秘密でものぞくような異常な興味と好奇心で、ぜひとものぞきたいと胸を躍らせていた楽屋の風景、それに対して、諸君もまた私と同じような興味と好奇心を持っていると早呑み込みして、――しかも、そこをのぞき得て、その興味と好奇心を満足することができたのは私だけであるような一種愚劣な優越感をもって、したがって何かひけらかすような気持でもって、ヘラヘラと語りたいところであるが、――これも省こう。
 省くのは、あながち約束のテンポのためだけではない。何を隠そう、そのとき、――細長い部屋の両側にズラリと踊り子たちが居並んだ、その真中に、朝野に強制(?)されてえられた、そのときの私は、いやもう、まるで、――眼の弱い深海魚が、日のカンカン照っている派手なところへ引っ張りあげられたみたいなもので、そこのなにひとつとして正確に私の眼に映ったものはない始末なのだった。だから、――なるほど、その後、それがきっかけになって楽屋へ時折行くようになり、そのつど、そこから何かそッと掻ッ払うみたいにして、楽屋風景のカケラを心にしまい込み、今では描写しようと思えばできるようなものがすでに心に貯えられてはいるが、しかし、そのとき、はじめて楽屋のなかに踏み込んだ時は、そうではなかったのだから、それを何か誇示的に描写するのは如何いかがなものであろうか。その時の状態に正直に従って、何も書かない方が、リアリスチック(?)であろうと、そうも考えて、省くのである。
 ――小柳雅子に紹介された。
「小柳君。こちらは倉橋先生と言って、小説家の先生」
 楽屋の真中にあぐらをかいた朝野が、ひどく傲然ごうぜんとしたもったい振った口調で、そう言った。
「先生は小柳君、君が大のひいきなんだ、よろしくお願いしておくと、いいぜ」
 大きな声で言うので、踊り子たちは、みんなこっちを向いた。私は真赤になって、
「こちらこそ、よろしく……」
 すると朝野は、「先生」ともあろうものがヒョコヒョコした態度をとっちゃ困るといった顔で、私のお辞儀をやめさせようとするように、
「先生は……」
 一層いかめしい声をして、言いかけるのを、
「朝野君……」
と私は遮った。(先生、先生って言うの、勘弁してくれ。)からかわれているみたいで、つらかったので、そう言おうとしたが、私はあがっていて口が動かなかった。
 小柳雅子は、こっちにひざを向けてキチンと坐り直し、その裸の膝が出るのをスカートをしきりとひっぱって防ぎながら、何かはずかしめられたような顔をしていた。身体をすくめるようにして、うなだれたまま、別に何も言わない。
 まだ、まるで子供の身体だった。舞台で見ると、可憐な脆美スレンダーな姿態とはいえ、もう一人前なのに、――ちがった子のようであった。くびがいたいたしい細さで、男の子のような胸だった。
 私は、私も、まるでまだ子供の彼女を何か辱しめ、いためつけているような想いで、胸が痛み、――側のひとりの踊り子が、
「ねえ、朝野さん」
と言った時、ほッと救われた感じだった。
「昨日の晩、××さんたちが、うちに来てね。――そうだ。昨日じゃなくて、もう今日の時間だ」男のような口調で「――吉原へ飲みに行くんだって、みんな酔っ払っててね、一緒に行こうというの。いやだと言ったら、じゃ、お茶をのませろというんで、うちへあげたらそのまま坐り込んで、話をはじめちゃって、朝がたまで帰らないの」
「××君と誰?」
 誰と誰と言って「――あたし、ふんとに困っちゃったわ」
 鼻の低い、そのかわりのように唇が飛び出た、その踊り子は、無遠慮に投げ出した裸の脚をボリボリ掻きながら、朝野とそんな話をはじめた。私と小柳雅子とは、黙って何かかしこまっていた。
 やがて、朝野が、
「サーちゃん、紹介しよう」と言った。
 サーちゃんという名のその踊り子は、脚を出したまま、
「はじめまして……」
 慣れた悪びれぬ態度で、私は気がらくだった。
「この人のうちは、千束せんぞく箒屋ほうきやさんでね」朝野が言った。「ゆんべの客のようなのを早く帰そうと、箒に手拭をかぶせようと思っても、うちじゅう、箒だらけで、どれにしていいか……」
「バカね、朝野さんたら……」
「ほんとじゃないか」
「箒だらけは、ほんとだけどさ」
「手拭の話、いつか自分でしたじゃないか」
「あら、そう、――そう言えば、そうだったわね」
 サーちゃんは、ほがらかに笑った。

 ――ショウのはじまる前であった。
 ショウが済んだら、幕合いに、このサーちゃんや小柳雅子と一緒にお茶をのみに出ようということになって、私たちは、ショウの済むまで、舞台の下の地下室で待っていた。
 地下室には衣装部屋などがあって、その狭い廊下には、刺激的な姿をした踊り子たちが、を待ってうろうろしている。私は客席に回って、ショウを見たかったのだが、朝野は、
「ショウなど見ても、しょうがないでしょう」
洒落しゃれを言って、ここのなまなましさの方が好ましいといった眼であった。朝野としては珍しい洒落を口にするほど、彼はすっかり浮きうきした顔で、――そうした調子で、
「――ビン君」
と、ギターを抱えた一人の背の高い男に呼びかけた。
「やあ、朝野さん」
 それは「愉快な四人」という四人組のボードビリアンの一人の瓶口黒須兵衛ビング・クロスビーであった。
 朝野は瓶口と無駄口をかわしたのち、
「紹介しよう。――こちら、小説家の倉橋君」
 すると、瓶口が、
「これは、これは……」
と、さすがに舞台の人間だけに、敬意を誇張した大げさな身振りをして、
「いつも、御作を拝見しております」
 私は照れて、
「――や、どうも」
「先月の、あれは講談世界でしたか、御作を非常に面白く拝見したのがありましたが……」
 私は講談世界という大衆雑誌に、まだ一度も書いたことはない。私はことごとくまごついて、
「――やあ、どうも」

 ――地下鉄横町に「ボン・ジュール」という、浅草には珍しい銀座風の感じの喫茶店がある。
 銀座風の、――そういえば、銀座風の喫茶店はいわゆる浅草の内部には入り込めないでその外側の、いわばその皮膚のような地下鉄横町、国際通りといったところに、あたかも皮癬ひぜんのように、はびこっている。
 そうした点から言うと、地下鉄横町は、浅草における銀座的な通りであるが、――そうだ。思い出がある。今から何年くらい前だろう。鮎子が私と別れて、S映画の女優をやっていた時分、同じ撮影所の女優と一緒に銀座通りを歩いているのに私は会って、三人で、なんとなく浅草へ遊びに来たことがある。そしてこの地下鉄横町の銀座的な喫茶店に入ったことがある。冬であった。――そこを出て、地下鉄の方へ行きかけると、派手はでな恰好をした二人の女優が、ふと足をとめて、何か小声で話し出した。ひそひそと相談をしている風で、眼をチラチラと側の荒物屋の店先に放っている。
「なアに? どうしたの」私は振り返って言った。
「いえね、この人がね」
と鮎子が、――鼻のツンと高い、そのせいか、取りすました感じの、そして何か陶器のような固い感じの顔をしたもう一人の女優を顧みて言った。
「――この人がね、湯たんぽを買おうかしらと言うんで……」
「湯たんぽ?」
 取りすました女優さんと湯たんぽ。
 すこぶる異様な感じであった。――見ると、荒物屋の店先に、卵形の湯たんぽが、これもちょっと異様な感じで、いくつかつながって、つりさがっていた。
 銀座通りで、女優さんが、湯たんぽを買う気をおこすだろうか。その横町は浅草における銀座的な通りとはいえ、やっぱり銀座ではないのだった。
 その通りの「ボン・ジュール」の片隅に、朝野と私と、小柳雅子とサーちゃんと、二人ずつ向い合って坐っていた。
 ――あこがれの小柳雅子に、ついに私は会えたのである。その素顔、その肢体したいを、間近に、いくらでもみつめることができ、なんでも話のできる状態をついに持てたのである。
 なんという喜び。――だが、喜びとともに、その時までは予期しなかった深い悲しみに、私は襲われていた。
 会って、どうしようというのだ。私は私に問う。
「…………」
 会って、何を話そうというのか。何も話しすることはない。
 それでも、何か話しかけようとして、私は言葉をさがしたが、私の心はからっぽであった。
 ――朝野ひとりが、しゃべっていた。
「小柳君も今度K劇場から出る慰問団で支那へ行くんだってね」
「――ええ」
 はにかんだ小さな声で、その声を補うような微笑を浮べている。
「いつ出発するの」
「明治節の日」
「どこから、――東京駅? ふーん。送って行くかな。何時?」
「――三時」
 恥かしそうにして、相変らず小さな声だ。
「みんなで何人行くの」
 たてつづけの問いに、――何か小さな鳥が打ちまくられて地上にち哀しく羽搏はばたきしているような、そんな感じのまたたきをしながら、救いをもとめるような顔を、サーちゃんに向けた。
「みんなで五人よ」と、サーちゃんが代って答えた。それを追って、雅子が、一生懸命努めてしているような微笑の顔を二度三度うなずかせた。
 雅子は、言葉のかわりに微笑している感じで、――問いかけられなければ口をきかず、口をきいてもほんのわずかの言葉数だった。そんな雅子は、そのみずみずしい、というより日に当たらぬための蒼白い皮膚の印象からか、いたいけな鉢植えの草花をおもわせた。ひっそりと、はかなく花を開いている小さな植物の可憐かなしさだった。愛情よりも愛憐を、男の心のうちに掻き立たせる、いたいたしさだった。
「小柳君のうちはどこ」
 朝野の問いに、
「――寺島ね」サーちゃんが代って言った。
 朝野、――「寺島?」
 サーちゃん、――「広小路ね」
 朝――「稽古けいこの晩は、帰るの、泊るの」
 サ――「楽屋泊りだわ。あたしンとこなんかは、一時二時になっても歩いて帰れるけど」
 朝――「寺島じゃ歩けんかな」(そして私の方を向いて)「さっき行った楽屋へね、みんな、泊っているんですがね。――初日と二日目だけ稽古がないだけで、三日目からは、もう次の出しものの稽古がはじまるんで、うちの遠い連中は楽屋に泊るんですがね。だから、十日のうち稽古のない二日だけしか家へ帰れないわけで、一月のほとんど、楽屋泊りなんですな。みんな、よくやっているですよ。舞台だけでも大変なところへ、はねてから稽古、そして、あんなほこりっぽい楽屋に、いわしの鑵詰みたいにぎっしり詰って寝て、――実際、よく身体を悪くしないもんだと思うですよ。若さですな。若いんで、みんなやっているんですな」
(私は嶺美佐子が、――浅草の踊り子は舞台の消耗品だと、T座の文芸部員に言われたと、私に語った言葉を思い出した。)
 サ――「朝野さんたら、鰯の鑵詰だなんて、ひどいことを言うわね」
 朝――「だってそうじゃないか。あんな狭い楽屋に二十何人も寝たなら――」
 サ――「鰯、そうね、そう言えば、あたしたち踊り子なんて鰯みたようなもんね」
 朝――「そうひがみなさんな」
 サ――「ひがむわよ」
 朝――「しかし、鰯は下手なたいなんかよりうまいからね。卑下することはないやね」(煙草のやにで黒くなった汚い歯をむき出して、私にニヤリと気味の悪い笑いを投げて)「特に鯛なんかばかり食っていると、鰯が食いたくなる。食ってみると、鰯の方が鯛なんかよりずっとうまい」
 サ――「なアに、それ」
 朝――「なんでもない。とにかく、鰯と言われて怒るなと言うことさ。時にそんな話をしたら、とみに空腹を覚えてきた」
 ――それがきっかけで、私たちはかまめしを食べに行った。

 場所がかわったのだから、気分を一変させ振いたたせて、私も雅子と言葉をかわそうと思って、雅子が何か座敷の隅にころがっている紙片を拾って膝の上に乗せて、じッと眼をおとしているのに、
「なに、それ、――見せてちょうだい」
と言った。
 雅子は黙って微笑して、出した。別に何とも説明しない。言われるままにさし出す何か哀しいおとなしさだった。
 見ると、――なんと、これはバカバカしいものだった。化粧品の効能書だ。化粧品を買ってここではこをあけて、それだけ捨てて行ったのだろう。相手がおとなしい雅子でなかったら、からかわれたと腹の立つところだ。とにかく、これでは雅子と話をする材料にはならない。バカバカしく、がっかりしたが、私はうっちゃることもできず、むずかしい顔をしていた。するうち、「植物性美肌素配合」という不思議な文字が私の眼を捉えた。「ショクブツセイ、ビ……」私はつぶやいた。
「ビ……ビハダソ、ハイゴウ……」
 私はその紙をテーブルの上に置いた。テーブルは酒でベトベトしていた。
「これは、なんと読むんだろう。ビハダソ、――肌というのは、おんはなんだろう。なんと言ったですかね」
 なにを言い出したんだといった顔で、朝野が、
「肌? 肌の音?」
「うん」
「肌、――さアて。皮膚のハダですな。なるほど、なんというんだろう。――待てよ、ハダだね。身体ハップこれを父母に受くと……。髪とハダを傷つけちゃいけないと。ハップ。ハツは髪で、――ハダはプじゃなかったですかね。いや、いけねえ。プは皮膚のフか」
 雅子は、ぽうッと上気した頬に、手の甲を押し当てて笑っていた。桃色をした小さな小指が、食べてしまいたいような可愛らしさだった。
「肌、――そう言えば、小柳君はいい肌をしているね」
 朝野は眼を細めて酒をチュウと飲み、
「まさに美肌だね」
 そう言って、手にした効能書を無造作にグシャグシャと丸めてしまった。紙質のせいか、ひどく大きな音がした。
「とても、マーちゃんは肌が綺麗よ」
と、サーちゃんが手持ち無沙汰の指を鼻の穴にやりながら言った。
「裸だとすてきよ。真白でスベスベしていて……」
「――これはつらい」
「女の私だってれぼれするくらい」
 雅子は顔をあかくしたが、別にとめだてしないで、その両頬を手ではさんで、テーブルに眼を落した。私も、うつむいた。
「あたしね、楽屋風呂でいつもマーちゃんの背中を流してあげるの。マーちゃんの身体を洗うの、とても好きだわ。綺麗な身体なんですもの」
 すると突然、
「倉橋君」
と朝野が、かすれた声で遮った。「倉橋君は、伝法院の庭を知っていますか」
 突拍子もないことを言う。だが、朝野が突拍子もなくサーちゃんの話を遮った気持は、私は何かわかる気がした。
「伝法院の庭というと……」
「庭園ですよ」
「庭園というと……」
「区役所の前の」
「ああ、あすこですか。まだ……」
「入ったことがない? 駄目ですな」
「…………」
「なかなかいいですよ。倉橋君は浅草を何も知らんですな。――あれは小堀遠州が作ったとかで、京都の桂離宮と同じ、回遊式庭園というんだそうで」
(これは、後に知ったが、庭園の入口にちゃんと書いてあるのだ。)
「玉木座の前のところの、へいで囲ってある……」
と、サーちゃんが口を挟んだ。
「うん」
「あたしも入ったことないわ。話は聞いてるけど」
 朝野は苦笑した。
「いいお庭?」
「そりゃ、いいさ」
 ヘンに力んで、
「ランデヴーなんかには、もってこいだ。――どうです。倉橋君、ひとつ小柳君とランデヴーに行っては」
 そう言って、――あわててその言葉をみ消そうとするような勢い込んだ声で、
「江戸の雰囲気の漂っている実にいい庭だが……。裏の野口食堂あたりから、妙な流行歌のレコードなんかが、ガーガー響いてきて、こいつがどうもぶちこわしだ。それに江戸情緒の庭の向うに、ひどく現代的な区役所のサイレンの拡声機などがそびえていて、そんなのがどうも変ですがね」
 釜めしが運ばれて来た。
「さあ、おあがり」
と、朝野は言って、
「おや、ぺんすいは?」
 これは女中に――。はんぺんの吸物を注文してあった。
「はい、ただいま」
 店は、ごった返しのみようである。私たちは二階の隅に坐っていた。女中が去ると、
「お吸物があとになるナンテ、いやになっちゃうね」
 そう言いながら、すでに釜のふたをあけて、湯気の立ち上るなかにはしを入れて、早速一口やって、
「あッつつ」
 眼を白黒させた。まるで飢えた犬が固い骨を持てあます時のような、滑稽であさましいその口の恰好に、
「まあ、おかしい」
 サーちゃんが雅子の膝に手をやって、その膝をゆすぶってゲラゲラ笑った。雅子も、くすぐられたみたいに身体をよじらせて笑った。
 ――齢こそ若くても、踊り子の彼女たちは、もう立派な一人前の生活者である。だが、そうやって手を取り合って笑いこける二人は、無邪気な子供のようであった。生活ということなど知らない子供のような無邪気な笑いであった。
 朝野は、しかしその笑いに気を悪くしたらしく、
「三枚目にされとるですな、僕は。――倉橋君は、ちょっとした二枚目で……」
と、私にあたる声だった。
 そんな私たちの隣に、山の手から浅草に遊びに来たらしい、そう身なりはよくないが、おっとりした、感じのいい老人夫婦が、――二人でひとつのテーブルなのだから、向い合って坐ったらよさそうなものに、テーブルの角に、お互いに身体をすりよせるようにして、ちんと坐っていた。「じいさんや」「ばあさんや」といたわり合っている風情ふぜいで、口をモグモグさせながらも、その口をお互いの耳に近づけては、何かと楽しそうに話し合っている。そして話をしながら、婆さんは自分の釜から、牡蠣かきを取って爺さんの釜に移したりしていて、――そこだけ、周囲の喧騒けんそうに乱されない、なごやかな静かな空気が漂っているようであった。私はその空気がうらやましかった。
 ――朝野の言葉に、雅子は笑いをひっこめたが、サーちゃんは笑いつづけながら、
「朝野さんは、三枚目をやると、きっとうけるわ」
と言った。
「つまらんことを言うない。時に、倉橋君」
 舌に風を当てて、
「最近、公園のなかに、あちこち、弓場ができたですな」
「――ほほう」
「ほほうッて、倉橋君は気がつかんですか。――駄目ですな」
 雅子は釜の蓋を、おっかなびっくりのように、そっとあけて、なかをのぞき込んでいたが、朝野の鋭い語気にパタンと蓋をしめた。
「早くおあがりよ。(そして私にも)さめると、まずいですよ。――戦争の影響ですかな」
「え?」
「弓場はね。――きっとふえると思うですな。きっと流行するに違いない。もともと矢場は浅草名物で、――昔の矢場と今の弓場とはもちろん違うけど、まあ、その復活とも言えるですな」
「なるほど」
 雅子は釜のなかから小さな貝柱をつまんで、ひとつひとつ口に入れていた。もうそんなに熱くはないだろうが、それでも、ちょっとした熱さでも火ぶくれができやしないかと思われるような、皮膚の薄い、やわらかい唇をちっとそらせて、貝柱を歯にはさむようにするのだが、その歯はかすかながら青味が感じられるほどの透き通るような白さで、そしてその唇は、外側にだけうっすらとルージュを塗っていて、だから唇をそらせると、ルージュの塗ってない、でも美しい薄紅色をした唇の内側がのぞかれて、赤いルージュと白い歯の間のそのなまなましいれた色は、なんとも言えず悩ましく眼に迫るのだった。私は、いわば私が一生懸命隠していた官能を実に簡単に探り当てられ、みごとにチクリと刺された想いで、恥かしいような哀しいような想いであった。そうだ。雅子の悩ましく唇をそらせたそんなポーズは、もとより悩ましい印象を意識してのものではないだろうが(と私は思ったが)、それはまさに嬌態きょうたいには違いなかった。その嬌態から、朝野は私の眼を放そうとするように、
「昔の文士は浅草の矢場でなかなか遊んだものらしいですな」
と、言葉をつづけた。
美妙斎びみょうさいなどは矢場の女と問題をおこしたり、――その美妙斎に矢場遊びの手ほどきをしたのは、なんでも幸田露伴こうだろはんだという話だが、露伴というのは、当時矢場の遊びやそのあとからできたいわゆる銘酒屋めいしゅやをひやかすそのうまさにかけては、美妙斎などとてもおッつかない遊び人だったそうで、今の露伴からは想像もつかんことですな」
「なるほど」
「どうです。ちょっとした随筆のネタになるじゃないですか。っちゃいやですよ。――いや、書いたってかまわんです」
「…………」
 私は雅子と話がしたかった!

 だが、そんなような(私にとっては)ろくでもない話を、朝野がひとりでまくし立てているうちに、実にあっけなく時間が過ぎた。
 ――時間が迫ったと、走るようにして行く雅子たちを楽屋口まで送って、そこで別れた。

 実にあっけない感じだった。そのあっけなさのためもあったろうか、私は雅子と別れると、何か、――何かわからないが何かを失ったような悲しみにひしひしと迫られた。そうだ。会っている最中でも、わくわくと胸をおどらせながら、同時に悲しくて仕方のない私だったが、今や悲しみだけが私の心を領した。――私はひどく、お話にならぬほど疲れていた。
 ああ私はどんなに熱烈な、それこそバカみたいな想いを小柳雅子に寄せていたことか。その小柳雅子にとうとう会うことができた、その結果がこんなとは、――こんな切ない悲しみ、こんな落莫らくばくとした疲れとは、――こりゃ一体どういうのだ。折からの出盛りの映画館街の人波のなかで、私は腑抜けみたいな顔をかしげていた。このときほど私は、かねて私のひそかに愛していた、雑踏のなかの孤独、群集のなかのひとりぽっちというのを、はっきりと、しかも思わざる痛苦をもってあざやかに感じたときはない。
 私の頭からは朝野の存在すら消えていた。朝野も何か黙りこくっていた。
 だが突然、朝野は私に食ってかかるような、にくにくしげな調子で言った。
「小柳雅子なんて、あんなの、倉橋君、――てんで子供で、頼りなくてつまらんじゃないですか。それとも倉橋君は熟さない果実を食うのが趣味ですか」
「食う? そんな、――僕は」
 朝野は私の言葉にかまわず「――小柳はあんな子供っぽい風をしているけど、案外カマトトかもしれんが……」
カマトト?」
「あんたもなかなかカマトトの感じですな」
カマトトッてなんですか」
 朝野は薄笑いを浮べた、色の悪い顔をペロリと撫でおろして、
「――たいに食いあきると、ゲテもののいわしが食いたくなる。だが、他人ひとにはそんな本心を隠して、わしゃ食いたいわけじゃないナンテ言うのを、カマトトというですな」
 いそいそと親切に、そうして誇らしげに雅子を私にひきあわせてくれた朝野だったのに、――今はそれを悔いている、私の「毒牙」を憎みのろっているというのをはっきり、その言葉に出していた。

 ――間もなく私は朝野と別れた。
 ひとりになって私は、朝野から「鯛に食いあきて鰯を食おうとしている男」とされた自分を改めてみつめた。
 私は別に鯛に食いあきた覚えはないが、――小柳雅子に寄せる想いに、果して一種の野心がふくまれてないかどうか、厳重にしらべると、ないとキッパリは言えないのである。
 だが、言えないというような自分を考えることは、ひどく恥かしかった。そして、そのような男と朝野から思われたということは、ひどく恥かしい、――ひどく辱かしめられた想いだった。
 もしかすると、雅子も私をそのような男と見ただろう。もしかすると? ――いや、たしかに、そう見ただろう。そう考えると、私はたまらなかった。
 サーちゃんも、そう見たろう。
 そうだ、楽屋の踊り子たちは、みんなそう見たろう。
 瓶口黒須兵衛も、そう見たにちがいない。
 ――そうとは気づかず、楽屋に洒蛙洒蛙しゃあしゃあと顔をさらしていた。どんなにあさましい、けがらわしいヌケヌケとした顔に見えたことだろう。
 私は恥で全身が火照ほてる感じだった。
 ――嶺美佐子が私に、猟奇の気持で浅草をブラついているのかと言った言葉を思い出した。美佐子も私を、「鰯」を探している男と見たのだ。
 そうなると、――ドサ貫も、そう見たろう。
「惚太郎」の細君も、そう見ているだろう。
 亀家ぽんたんも、末弘春吉も……。
 私は私にきびしく注がれているそれらの眼をむちのようにぴしぴしと感じた。
 その眼のなかに、私はまだ会ったことのない但馬滋たじましげるの眼をも見たのだった。
 そいつがなぜか一番光っていた。――

 それらの眼は、いわば浅草の眼であった。私は浅草にいたたまれぬ思いだった。
 私は追われるようにして、大森の家へ帰った。……
[#改ページ]


第六回 帽子の下に頭がある


 浅草から遠ざかっていること何日くらいであったろうか。私のうちにようやく浅草に対する一種の郷愁きょうしゅう的感情が鬱積うっせきしてきた。またぞろ浅草へ行きたくなった。それは初めは、なんとなく浅草へ行きたいなアといった漠然ばくぜんとした想いだったが、それがやがて、浅草へ行ってああもしたい、こうもしたいといった具体的な欲望へと進んで行った。それは異郷に身を置いた人が、たとえば、――パリパリと音のする快い歯応はごたえの沢庵たくあんでお茶漬をひとつさらさらッと食いたいなといった欲望のうちに、ノスタルジアの具体的なものを感ずるのに似ていたが、しかし私にとって浅草は逆に外国なわけであるから、ヘンな工合である。すなわち郷愁というよりやはり憧憬というべきであるかもしれぬ。けれど気持としては、憧憬というより郷愁というのにずっと似たものなのであった。
 ――私は、たとえば、浅草の安食堂の、メシを山のようにこんもりと盛りあげたあのどんぶりがむやみと恋しくなった。自分の家の、小綺麗なこぢんまりした茶碗で、「ごはん」を頂いているうちに、私は不潔でたくましい「メシ」が食いたくなった。一種の道楽心と言われるかもしれないが。そうだ、私の友人で、アパートにひとりで住んでいて、三度(あるいは一日二度)の食事を外の簡易食堂でしているのが、ある時、
「僕は坐って、ごはんが食べたい」
と言ったことがあるが、その友人などに言わせれば、私の想いなどはまことにとんでもないものとされるであろう。
 その友人は、話が違うが、私たちにまたこんなことも言った。
「僕は安い一品料理のような女との恋愛は、もうたくさんだ。次々に違った皿が出てくる豪華な table d'hote のようなそんな豊富な感じの一流の女と恋愛がしてみたい」
 あんまりうまい表現なので、その巧さに私たちはゲラゲラ笑ってしまった。それは、私たちみんなの気持をも言い当てていた。私たちの知っている、というより私たちの日常的に容易につきあえる範囲の女たちは、全くもって一品料理のように一目でもってその内容がわかってしまうような、そんな心の貧しい浅いせた「三流」の女たちであった。つきあえばつきあうほど豊かなものが感じられるといった女性を、私たちは知らなかった。
 ところでその友人が、坐ってごはんが食べたいと言った時も、私たちは大きな口をあけて笑ったものであった。笑えない話なのだが、それゆえかえってそうしたのだろう。まずもって、言った本人が一番先にゲラゲラ笑い、一番激しく笑ったのである。
 私の丼メシへの憧憬もしくはノスタルジアは、その友人の家庭的な食事に寄せるしみじみとした想いと比べると、これこそほんとうのお笑いの、お恥かしい、愚劣なもののようである。が、それは朝野のいわゆる鯛に食いあきて鰯を食いたいとする、そんなたぐいではない。家での食事は決して「鯛」ではなく、そしてまた「鯛」的な外の食事をしたいという気持はない。すると丼メシが恋しいのはどういうのだろう。落魄的気分を愛するおかしな趣味だろうか。そうだ。趣味なんだろうか。それとも……。

     *

 珍しくそう寒くないある日の午後であった。私は二階の障子を開き、その外のガラス戸もあけ、そっちに向けた机で原稿を書いていた。頭がもろもろのことに散って原稿がはかどらない。私が坐っている眼の前に、道を隔てて二階家があり、その家の窓に、窓はしめてあったが、ぼんやりと眼をやっている時間の方が多かった。こんなことではいけないと気分を一転させるために、私は便所に立った。そう短くない時間を便所で費して、二階の机の前に戻ると、――前の家の窓がいつかあけてあって、その家の十四五ぐらいの娘さんが窓にもたれている。何か物想いに沈んでいるような暗鬱な眼を外に向けている。
 視線が合った。両方とも同時に眼をそらせた。私は机に顔を向けていたが、やがてそッとうかがってみた。――向うからもこっちからも相互に丸見えであって、丸見えのところに私が頑張っているので、娘さんはきっと、あら、いやだわと窓から離れたろう、そう思ったが、娘さんは、――娘さんも頑張っている。こっちの視線を意識している横顔である。その娘さんの年頃は誰でも、一時急にいわばつぼみから花へと移る中途の妙なみにくさにガタッと落ち込む時期だが、その娘さんは特に蒼い顔にぶつぶつまで出して、そうした醜さを恬然てんぜんとしてさらけ出しているような横顔だった。その横顔は、そして、――あたし、物想いにふけっているのと、私の眼にわざわざそういうことを見せびらかしている風のものだった。ひとりでひそかに物想いにふけっている悲しい少女の姿を、ひょいと垣間かいま見たりすると、それは悲しいものだが、相手からそれを見せびらかされるのは、たとえその相手が十四五の娘にしろ、何か反感をそそられる。大人おとなげないと笑われるであろうが、いやらしい感じである。顔の醜さが、それには幾分作用しているところもあろうが、私はいらだった。原稿なんか書けやしない。
 はじめは、ちらちらッと見ていたのだが、そのうち私はぬッと顔をあげてにらんだ。睨んだ眼を娘さんの顔から離さなかった。娘さんは、それを充分意識しながら、――平然と、悲しい気分を楽しみ、そしてその悲しみの姿勢を私に見せることによって一層楽しんでいる顔である。私は負けて障子をビシャリと閉めた。
 瞬間私は、私の小説はまさにその不愉快な娘さんにそっくりではないかと気づいた。私は悲しい、――というようなことを読者に押し売りしているような小説を、私は特に好んで書いている。
「――なんちゅうこっちゃ」

 それがどういう意味で、きっかけになったのか、私は自分でわからないが、その日、それをきっかけにして私は浅草へ行った。
 国際通りに六区の小屋の連中の休憩所のような感のあるサカタというミルク・ホールがある。(そこは、その年、すなわち昭和十三年の十二月に綺麗に改築されて、それまではミルク・ホールと看板に書いてあったが、ミルク・パーラーと改められた。)そこへ私はミルク・コーヒーを飲みに行った。
 私は誰にも会いたくなかったのだが、いや会うことを何か恐れていたのだが、そこで私はドサ貫に会った。
 ドサ貫と私とは「惚太郎」で会っただけだが、美佐子からドサ貫が私を知っているということを聞いたせいか、知り合いのような錯覚をおこして、「やあ」と挨拶し、ドサ貫がびっくりしたように眼をパチパチさせたので、錯覚に気づいた。そのときはすでに私は彼の前の椅子に腰掛けていた。
 何か話しかけないとまずい感じで、
「この間、惚太郎の二階で、稽古していたアトラクションの方は、どうなったですか」
と、私は言った。
 ドサ貫は人なつこそうな、そしていかにも気の弱そうな微笑を浮べて、売り込みがうまく行かないで、稽古したきりまだ一度もやってないと、暗い声だった。
「そりゃ困ったですね」
 それで話はポツンと切れた。
 私とドサ貫は同時に顔をそむけた。
「ちょっとちょっと、ミルク・コーヒー」
と私は、洋服に下駄ばきのそこの女給仕に言った。細長いテーブルの上には、ゆで卵を盛った皿、袋入りのバター・ピーナッツを入れたびん、それから、ドーナツ、ワップル、シュークリーム、渦巻うずまきカステラのたぐいを収めたガラスの菓子箱がならんでいる。私はその菓子箱に眼をやっていたが、なんとなく意地汚い気持になって、
「おい、おい、こいつ、くれよ。シベリヤを」
 ちびた下駄をズーズーひきずっている女給仕に言った。女給仕の裸の足は、虫のさした跡でデコボコしている。
 私とドサ貫は、お互いにソッポを向いていた。
 ――だが、それからどのくらいってからか、気がつくと、私たちは以前からの知り合いのような親しい口を交わしている自分たちを見出していた。私ははなはだ人見知りをする一方、不思議にそんなたちでもあり、ドサ貫も私と同じたちのようであった。
 そしてドサ貫は私にこんな話をしたのである。
「前の奥さんは上海に行っているそうですね。ええ、ミーちゃん、嶺美佐子君から聞いたんです。ゴロちゃん、大屋五郎とはどうしたんでしょうね。別れたんですかね。どうせ別れることだろうとは思っていたが、別れるくらいなら、玲ちゃんと大屋五郎と一緒にしておきたかった。――そうです。市川玲子、ミーちゃんの妹です。もと、ゴロちゃんと一緒だったんです。可哀そうに死んじまって。それというのが、大屋五郎に捨てられたのが原因なんで。もともと、そりゃ胸が少し悪い子でしたがね。そのせいか、とっても気の弱い気立てのいい子で、実際可哀そうなことをしました。大屋五郎と別れると間もなく、それがぐッとこたえたんでしょうね、稽古の晩、舞台で喀血かっけつしちまって、――それからしばらく病院にいましたが、それきり立ち上れないで、死んじまったんです。――大屋五郎って悪い奴だって。ええ、悪い奴です。しかしそう言っちゃなんだが、あなたの前の奥さんも悪いんです。奥さんの方が悪いくらいだ。S映画の女優さんをやっていましたね。あの時分のことで、大屋五郎はその頃、T座に出ていて、そのT座の隣の小屋がS映画の封切館。そこへ鮎子あゆこさん、前の奥さんは鮎子さんと言いましたね。鮎子さんがちょっとした実演に出て、そこで大屋五郎と知り合いになったんですね。二枚目ですからね。鮎子さんはすっかりゴロちゃんに惚れちまって、実演がすんでからも、毎日浅草へやってきてはT座の楽屋に入りびたりだった。人目なんかかまわないんですからね。当時大変な評判でした。大屋五郎には、ちゃんと玲ちゃんというのがいて、同じT座に出ていた。それを鮎子さんは、そりゃ初めは知らなかったかもしれないが、楽屋へ出入りしているうちに耳に入らないわけはないんで。しかし、鮎子さんは洒蛙洒蛙しゃあしゃあと楽屋へ行って、――玲ちゃんの方がかえって小さくなっていましたッけ。憤慨するのがいて、黙って見ている法はないと、玲ちゃんに言っても、玲ちゃんは、だって……とただ涙ぐむばかりでした。そのうち、大屋五郎が玲ちゃんに別れ話を持ち出したんです。こう言ったそうです。鮎子さんには、とても金持の、人のいいパトロンがついていて、そのパトロンは鮎子さんがちゃんとして結婚をして身を固める時は、まとまった金をやると、そう言っている。それで鮎子さんは、パトロンと別れておれと結婚したい、結婚したらパトロンから貰ったお金で俺を勉強させると言っている。俺を一流の歌手にしたい、そして自分も身を固めて更生したい、そう言っている。俺が浅草から浮び出て立派になれる大事なチャンスだ、――別れてくれ、こう言ったそうです。そいで、玲ちゃんは、――ほんとに僕は、死んだ玲子ちゃんというのは、悲しい浅草の子だと思いますね。ゴロちゃんの出世のためなら、あたし、つらいけど身をひきますッて、こう言ったそうで。玲ちゃんは可哀そうに、ほんとに大屋五郎を愛していたんですね。――喀血して病院に入ると、あたしはもう助からない。死ぬ前に一目ゴロちゃんに会わせてくれと、泣いてミーちゃんに頼むんだそうです。ミーちゃんは、人でなしの大屋五郎めと憤慨していて、あんな奴に会いたいなんて言っちゃいけないとしかっても、玲ちゃんはきかないんだそうです。しまいにはやはり可哀そうになって、大屋五郎に、会ってやってくれとくやしいながら言いに行ったそうです。実際新派悲劇みたいで、うそみたいですが、――しかし浅草には新派悲劇みたいなのがゴロゴロしています。それが、浅草のいいところでしょうが、しかしまた駄目なところです。悪い奴らが、そこへつけこんで、浅草のそういういいところを利用しますからね。――ゴロちゃんが会いに来たかッて、――それがなんです。ゴロちゃんは鮎子さんと一緒に病院へ来たんです。二人で威風堂々と玲ちゃんの枕もとへやってきて、――そのとき、鮎子さんは、見るからに高価な物すごい花束をお見舞だって持ってきたそうですが、あとで、ミーちゃんが、――あんなバカバカしい花なんか持ってきやがってと憤慨してましたっけ。どうせ持ってくるんなら、卵かなんか持ってきてくれればいいのにってね。――病院のお金の工面にフーフー言っていたんですからね。ミーちゃんは、ゴロちゃんたちが帰ると、その花束を窓から外へ捨てちまったそうです。――それから、間もなく玲ちゃんは、ゴロちゃんゴロちゃんって呼びながら死んじまいました」
 ドサ貫は血のように赤い唇をゆがめ、玲子と同じ病いを秘めているらしい胸をせつなそうに撫でながら、
「てんで新派悲劇じゃないですか。いまいましいったら、ありゃしない」
「む――」
 悶絶もんぜつするような声を私は出した。
 この話は、私をどんなに驚かせたことか。そんな新派悲劇みたいなことが現実にあったということ、――あり得ないようなことが現実にあったということ、そのことの恐ろしさが私を打った。
 私はそして、どういう加減か(そこには何かつながりがあるわけだろうが、自分ではわからなかった。)激しい感情の嵐のなかで、ふと小柳雅子の何かいたいたしい姿を思い浮べていた。
「僕は、そいで――」
ドサ貫は言葉をつづけた。「――あなたの顔を前から知っているのは、実は、そう言っちゃなんだが、そんな鮎子さんの亭主だったという人はどんな人だろうと、そう思って……」
「む――」
 再び悶絶するような声を私は出した。
 その私の傍には、ドサ回りの役者集めらしい男と、役者らしい男とが、片方の袖の中に両方で手をつき込んで、指でおしんしょ(給料)の話し合いをしていた。
「もう一本出して下さいな。ねえ」
 瓢箪ひょうたんのような顔の眼の下を真黒にした三下風情さんしたふぜいの男が、しなをつくって、掻きくどいていた。
「つらいねえ」
と相手が言う。二人はそれで夢中で、私たちの方に眼もくれない。
 外の国際通りを、号外売りが鈴を鳴らして、あたふたと走って行った。……

※(アステリズム、1-12-94)

 …………
 私はK劇場の客席の一番うしろの暗がりのなかに立っていた。
 映画はもうすぐ終るのである。K劇場は映画とショウを掛けていて、六区のレヴィウ関係の人たちは、映画を添え物だと見ているが、映画関係の人たちは、映画がトリでショウは映画見物の客へのサービスだと見ている。(それは、純文学出の作家がジャーナリズムに要求されるままに、純文学作品と同時に、一方で盛んに通俗小説を書いていて、人によっては、その作家をもはや通俗畑と見、ある人はしかしやはり純文学作家だと言うのと何か似ているのである。)映画は、――江東の小学校のとある女生徒の綴り方が、妙な工合にジャーナリズムに持てはやされ、その少女は一躍天才とさえ言われ、綴り方は脚色されて新劇の舞台にかけられた、その綴り方を映画化したもので、それを私はすでに友人に誘われて丸の内の映画館で見ていたが、それをK劇場で再び見るのは、あながちその映画がそれほどの魅力を持っているからではなく、私は、私にとってはいつもここの映画などは、たとえそれが傑作映画でもしょせん添え物の感じで、見たいのはショウ、正確に言えば小柳雅子の出ているショウで、でもショウだけ見に入るのは、もはや顔なじみのモギリの女の子に対しても何やら照れ臭く、そこであらかじめショウの前に入って、かくて一度見た映画を心楽しまぬ顔で見ているのである。
 場面は、――綴り方の女生徒のおとッつぁんのブリキ屋の職人が、大晦日おおみそかだというのに親方から金が払って貰えず、一文無しで正月を迎えねばならない。人のいいおとッつぁんは家へ帰って家族と顔を合わせると、苦痛に狂ったようになって暴れ回る。そうした場面になったが、ドタバタ騒ぎの場面にひきかえ、シーンと静まり返っている客席の雰囲気に、私は、おや? と思った。丸の内で見たときは、ここで丸の内の客たちがドッと笑ったのである。たとえば、かけ取りの苦労も経験もないサラリーマンとか、一文無しになっても寝て待っていれば親もとから金を送って貰える学生とか、江東の長屋など生れてから見たこともないにちがいない金利生活者とか、そういった丸の内の客は大晦日の悲劇を見てワッハッハと笑ったのである。さよう、かく言う私もいくらか笑ったのだが、ブリキ屋のおとッつぁんにふんした役者の狂乱的演技はいくらか喜劇的でもあったのだ、だがそのおかしさに、浅草の客は決して笑わないのであった。笑わないどころか、見ると、私の前の、何かの職人のおかみさんらしいのが、すすけた髪のほつれ毛が顔にかかるのにかまわず肩掛けで眼を拭っているのである。あちこちからすすり泣きが聞える。
(おお、浅草よ。)
 私は感動に胸を締めつけられながら、浅草というものに、――その実体はわからない、漠然としたものだが、浅草というものに、手をさしのべたかった。さしのべていた。
(やっぱり浅草だ。)
 思わずそう心の中でつぶやいた。何か宙に浮いたような、宙で空しくもがいているような私を救ってくれるのは、浅草だ、やはり浅草に来てよかった、そんな気がしみじみとした。私は泣きたかった。うれしいのだ。――泣いていた。だが、それは浅草の客と一緒に映画に泣いていたのだ。私は浅草というものに対して涙を流したかったのだ。私は、――フワフワと漂うばかりであったのだが、何かに、やっとぶつかった、すがれた、その何かはまだよくわからない、真に縋るべき何かであるか、縋って果して救われる何かであるか、それはわからないまでも、それに縋って進んで行けば、そうだ、私は「頭の上に帽子をのせる」ことができるだろうと、そんな気がするのだった。ヘンな言葉だが、わけを話すならば、いつか酔っ払いが道に落した帽子を拾いあげて頭にのせながら「――帽子の下に頭がある」とどなっていた。それだけ行きずりの私の耳に入ったので、酔っ払いはその前に何を言っていたのか、それは知らない。何か前にあるのであろうが、そのヘンな言葉はそれだけで充分私の興味を捉え、私の頭にみた。
「帽子の下に頭がある。……」
 こんな歌か何かあるのかもしれぬ。くだらない悪ふざけの文句かもしれないが、私には意味深長に響いた。
「帽子の下に頭がある。
 洋服のなかに人間がある」
 いつか私はそうつぶやいていた。頭の上に帽子があるべきである。帽子は人間がかぶるべきものであり、人間の頭のために存在する帽子であるべきだが、帽子のための頭、――そんな人間がいはしないか。帽子、――これはおもしろい象徴だ。
「帽子の下に頭がある」
 これはおもしろい言葉だ。おもしろがっていると、言葉のむちがピシリと私を打った。そうだ、この私が、帽子の下に頭があるような人間ではなかったか。少くともそんな場合が往々ありはしなかったか。……

 映画が終った。いよいよショウである。
 だが私は、ショウを見るべくK劇場に入ったときの私と、今は違った私をそこに見出していた。私はたとえば花を賞美しようとして、上を向いた気持だったのだが、今は地べたを、自分の足もとをみつめる気持であった。とは言え、小柳雅子へ寄せる私の憧憬は、これは単に惚れたはれたの慕情というだけでなく、何か縋るものを見出したいそんな心の彷徨ほうこうのひとつの現われでもあったに違いないから、そこのところで何か共通するものもあったのである。
 気がつくと、オーケストラが鳴り響き、幕がするするとあがった。
 上手かみて下手しもての両方からダンシング・チームがさっと舞台へ駆け出て来た。踊り子たちは皆んな同じ衣装に同じ踊り、そして同じような化粧であり同じような身体つきだから、かたまって出てくると、ちょっと誰が誰だかわからないくらい紛らわしいのだが、私の眼には、雅子だけが際立って、そこだけ光り輝いているような感じで、別にさがさないでもすぐパッとわかるのだ。脚をすっかり裸にしている。サーちゃんが、女ながら惚れぼれとすると言ったその白い皮膚が、私にはまぶしかった。
 まぶしいと言えば、これはなんとしたことか。雅子と会う前はまぶしいことはまぶしくても雅子の上にじッと眼を注ぐことができたのに、会ってからは何か気恥かしくて、――(繰り返して言うと)ちゃんと洋服を着た雅子を一度眼にしてからは、手や脚を露わにした雅子がどうにもこうにもまぶしくて、(――さらに繰り返して言うと)私の顔を雅子に知られてからは、私が雅子の裸の脚に何か光った眼を注いでいるのを雅子の方からも見られているようで、実際は暗がりのなかにいる私を雅子は気づくわけはないのだが、でもどうしてもそんな気がして、雅子の上にまともに眼が据えられないのだった。私はサーちゃんに眼を移した。するとサーちゃんと眼が合って、いやサーちゃんも私が客席にいることを知っているわけはなく、私の存在に気づくわけもないのだから、眼が合ったのではなく、サーちゃんがこっちへなんとなく眼を向けたのを私が勝手にそう感じたのにすぎないのだけれど、それでもやはり何か恥かしくなって、眼をそらせた。
 やがてダンシング・チームは舞台の後方に退り、タップの男が颯爽さっそうと出て来た。そして踊り子たちの前で、踊り子たちに見せびらかすような感じで、タップ・ダンスを踊って見せるのだったが、私はその男に、いかばかり激しい羨望せんぼうを感じたことか。嫉妬という方がいいかもしれぬ。同時に私はオーケストラの連中にさえ嫉妬を感じた。――彼らは超然としているのだ。私の眼に輝いているようなものは、彼らの誰の眼にも見られなかった。そんな彼らに、それだから余計嫉妬を感じたのだ。
 私は雅子の方にそッと眼をやった。雅子はサーちゃんと並んで、脚を揃えて立っているのだが、そのみずみずしく、つややかな、ほんとうに汚れのない感じの、ふっくらとした脚を(くどい文章を読者よ許されよ。未熟な私は、その脚が豊かにたたえている魅力的要素の数々をなんとしたら伝えられるだろうといたずらにあせるばかりで、簡潔的確の表現を見出せないのだ。どうせくどい以上、さらに言えば)つまもうとしても指が滑ってつまめないような、そのくせちょっと固いものに触れても皮膚が破れて薄紅色の透明な血がサッとしぶくであろうかと思われる、その脚を雅子は恥かしそうに横にくねらせていた。ああなんという蠱惑こわく的な線だろう。だが同時に、その美しい線が現わしている羞恥しゅうちに、私はやや大げさに言えば、ギョッとした。おそらくはこれも雅子と会ったための、私の気のせいだろうとは思うが、――数日前、楽屋へ初めて私が訪れたとき、雅子が裸の膝を隠そうとスカートをしきりとひっぱっていた、その時の雅子の羞恥とは何か違った、いやなものが感じられた。いやな、――私にとって、つらい感じなのだ。
 だがすぐダンシング・チームは二手に別れて舞台のすそへ駆け込み、雅子は私の視線から隠れ、かわって「愉快な四人」がギターを弾きならしながら、舞台に登場した。

 私はK劇場を出ると、
「雅子に会いたいな。でもひとりでは楽屋へ行けない。やっぱり朝野君がいてくれないと……」
 そんなことを心の中でつぶやくと、朝野の顔がぐッと私に迫った。私を憎々しくにらんでいる顔、――つづいて美佐子の「なんで浅草をブラブラしてんの」と言った時の顔が……。
 私はそこに、浅草が私を見る顔を、見たような気がした。私が手をさしのべても、その手をうけつけない浅草の顔。私は、K劇場での感動そのものまでが何か浅薄な感激だったようにも思い直されて来た。私は映画館街の暗い裏手を歩いていた。そして明るい公園劇場の前に出ると、

特別提供
  熊鍋くまなべ
  ○○動物園払下げの熊

 デカデカと貼り出したそんな奇怪なビラが私の眼に映った。「動物園払下げ?」これはうれしいとビラにかれて入る客もあるのだろうが、――あるから、そんなビラを誇示しているのだろうが、私は、動物園の狭いおりのなかで物倦ものうげに、だが物悲しい執拗しつようさで堂々回りしている、あの毛もり切れ、老いさらばえた、薄汚いだけに哀れもひとしおの熊を脳裏に浮べると、それを食うなどとは、――たとえ脅迫されてもできそうもなかった。可哀そうだというだけでなく、――そんな熊の肉を想像するだに胸が悪くなる。だが、世にはそれに舌鼓を打つ悪食家あくじきかもあるのだ。私も悪食にかけては、そうヒケを取らぬつもりでいたが、これは……。
(いや、待て、俺もひとつ食って、――脆弱ぜいじゃくな神経を叩き直してくれようか。)
 何か逞しくなれる秘法が、そこに隠されているような気もした。いやなのを我慢して食うと、神経が強靱きょうじんになり、強靱で逞しい小説が書けるかもしれない、そんな気がしてきた。
 そこはいわゆる大衆的な牛鍋屋ぎゅうなべやで、夏頃、その横を通ると、いかにも田舎から出てきたばかりというのを丸出しにした女が、裏で枝豆を切っているのを、よく見かけた。赤いふくれた指を窮屈そうにはさみに入れて、地面に堆高うずたかく積んだ枝豆を、味気なさそうなのろのろした手付でポツンポツンと切っていて、表から店の女たちの派手な嬌声きょうせいが聞えてくるたびに、その方にうらやましそうな顔を向けていた。あたしも早く裏働きから店へ出して貰いたいわ、そんな顔が私の頭に残った。
(あのも今では店に出ているかな。)
 暖簾のれんに顔を近づけるが早いか、
「いらっしゃい」
 飛びかからんばかりの、――さすが熊鍋を食わすだけあって、全くもって猛獣のような女たちの声に、私は度胆を抜かれて飛びのいた。すなわち私は脆弱な神経を叩き直すことができなかった。

     *

 そうだ。食い物と言えば、私のこの回のはじめに、食堂のメシのことを書いた。――私の行く浅草のメシ屋はいろいろとあって、一定してないのだが、つまり急ぐときは、私のアパートから近い合羽橋かっぱばし通りのメシ屋、散歩がてらの時は公園を抜けて馬道に出て、そのあたりのメシ屋へ行く。
 その馬道と国際通りの間、広小路通りと言問こととい通りの間の、普通浅草と呼ばれる一区画の中にある食い物屋は、これはいわば外から浅草へ遊びにくる人たちのための食い物屋で、浅草のなかで働いている人たちのための、そうとも限定できないが、とにかくそんな内輪の感じの安いメシ屋はその区画の外郭にある。馬道、国際通り、広小路、言問通り、そこにいかにもメシ屋らしい安直なメシ屋があるのだ。
 馬道の「大黒屋」で、「かさ売り」と向い合って、――傘売りというのは、雨が降ると六区に現われて番傘を売る浅草特有の商売だが、その男のひとりと、その「大黒屋」で時々顔を合わせるうちにいつかなじみになって、向うから話しかけられ、傘のおろしをやっている婆さんの話や、最近その卸値をあげやがって、ふてえ婆だというような話を聞いて、私は十三銭のメシを食い、――(味噌汁三銭、野菜皿五銭、丼メシをシロと言って五銭。合計十三銭。ちなみに、もう少しご飯が食いたいという時は、小さな茶碗のメシがあって、これをと言って三銭。)――傘売りがそこで焼酎しょうちゅうを飲みながら待機しているだけに、どうやらあやしい空模様の、外に出て、吾妻橋あづまばしの方にぶらぶら行くと、ぽんたんが松屋の東武電車の出口からあたふたと出てくるのに、ばったり会った。前節の翌日である。
「お早うござい……」
 ぽんたんは、変に白っちゃけたような顔をしていたが、私がぽんたんの家は東武電車の沿線なのかと聞くと、これも変に充血した眼をショボつかせて、
「いや、ゆんべ、寺島町へちょっと顔出しを……」
 ニヤニヤするのに、
「寺島町?」
 小柳雅子の家は寺島広小路と聞いた。雅子を思い出したのだ。すると私の真面目な、いややぼな顔に、
「いやですねえ」
と、ぽんたんは肩を叩くような手付をして、
「あののところへね、ちょっと……。寺島町の彼女のところへ……」
「……?」私にはまだわからなかった。
「ねむい、ねむい」
 これは大阪弁で、
「では、――そのうち一度、一緒に行きませんか」
 私は、ああそうか、魔窟へ行ったのかと気づいた時は、ぽんたんは洋服の肩を女のように振って車道を横切っていた。
 さて私は十三銭のメシを食って、それから二十銭のコーヒーを飲みに行くのだったが、
(「ボン・ジュール」はマンネリズムだ。どこか知らないところへ行ってみよう。)
 そこで、吾妻橋の雷門寄りにある「マロミ」という、今まで一度も入ったことのない店の扉を押した。そしてコーヒーを注文して、煙草へ火をつけたところへ、思いがけないサーちゃんが入ってきた。ここで誰かと会う約束をしたらしく、チョロチョロと店のなかを見回して、私に気づくと、ハッと顔をあかくした。約束の人は来てないらしく、サーちゃんは私の側へ来て、
「先日はご馳走ちそうさまでした」
 そう言って、もじもじと立っているのに、
「まあ、おかけなさい」
と私は言った。店にはアベックの客が多かった。
 サーちゃんは、これもまた変に赤い眼をしていた。ぽんたんの眼に似ている。
「……?」
 その私の視線に、前に坐ったサーちゃんはまた顔を赧くして、
「ヘンでしょう、眼が……」
 ドギマギした声だった。その声といい、むやみと顔を赧らめるところといい、何かサーちゃんらしくなかった。
「あたし、泣いちゃったの」
「泣いた?」
「ええ、今し方、ワーワー泣いたところなんですの。眼が赤いでしょう」
 心の平静を取り戻した様子で、
「ドンちゃんがね、――ほら、この間先生が楽屋へいらした時、先生の坐っていたすぐ横にいた子」
 人なつっこい声でそう言って、私のうなずきを待つような間を置く。私は、楽屋へ行った時はいやもう、すっかりあがっていて、一向に覚えがないのだが、うんうんとうなずいた。
「あの人がね、急に小屋をやめることになって、今日が最後の舞台なんですの。自分じゃやめたくないのよ。でもお父さんが満州へ行くんで、一緒に連れて行かれるの。だもんで、さっき、舞台でも半泣きの顔をしていて、楽屋へ入ると、いきなりワーッ……」
 丁寧な言葉とぞんざいな言葉をごっちゃにして、サーちゃんはしゃべるのだったが、喋りながらも扉の方に眼をやっていた。
「そこへね、先生今度O館をやめて私たちのところへ入った踊り子さんが、トランクを持って、ベソをかきながら楽屋へやってきたんですの。その人もO館でみんなとサンザ泣いて別れてきたばかしのところなの。来てみると、こっちではドンちゃんがワーワー泣いているでしょう。だもんで、その人、また悲しくなって、トランクをおッぽり出して、ワーワー泣き出しちゃったの。ドンちゃんと抱き合ってワーワー、ワーワー。そいで、あたしたちも悲しくなっちゃって、一緒に泣き出しちゃって、楽屋中みんながワーワー、ワーワー。それはもう大変な騒ぎ」
「ふーん」
「そいで、眼が真赤になっちゃったの」
 その話はうそではないらしいが、しかしサーちゃんの眼の赤さは、それだけのせいでもないようであった。サーちゃんは、話し終ると、ソワソワした声で、
「ねえ、先生」
 言いよどむのに、
「なアに」
「ここへ瓶口ビングさん、来なかったかしら」
「さあ、僕も今来たところで……」
 それを証明するごとくに、注文のコーヒーが来た。サーちゃんはまた顔を赧くした。
 瓶口はついに姿を見せなかった。……
[#改ページ]


第七回 日記と注からなる一回


(――どういうわけか、ストリーの部分に入ろうとすると、筆がしぶってしまう。今回はそこでそうした渋滞じゅうたいを防ぐべく、当時の日記を抜き書きして、それに注を書き加える形で、筋の進展をはかろうと思う。)

     *

 ×月×日。
「惚太郎」へ行く。ふところに読みかけのマルロオの「王道」。客がいないので鉄板の前で読む。(※一)俺も旅に出たい。
「君、彼女らが≪変態≫の男をどう呼んでいるかを知っているかい?……≪インテリ≫と言ってるよ……」(「王道」から)

     *

 細君に、朝野というのがもとよく来ていたそうですねと何気なく言うと、――朝野はお好み焼の勘定をシコタマめて、逃げ回って払わない由を聞かされる。「なんでも、人の話じゃ、ひどいバイ毒で、頭に来ているという人もありますよ」細君がにくにくしげに言った。
 末弘春吉が、アトラクションがうまく行かないので、漫才に転向しようと思っていると言った。
 夜、甘ったるい通俗小説を書く。大森へ帰る。

(注一)
 私がひとりで「王道」を読んでいるところへ、末弘春吉が、アトラクションの交渉に諸所を駆け回ったのだろう、いかにも疲れた蒼い顔をして帰ってきた。
「どうだった? 春さん」と台所から細君。
「――あかんわ」と彼。
 背骨が蒟蒻こんにゃくかなんかに化したかと思われるみたいに、ぐったりと鉄板の前に坐るのだったが、声は至って剽軽ひょうきんな朗らかさだった。性質なのだろうか、習慣なのだろうか、いや性質と習慣を分けることはできないだろうが、明らかな疲憊ひはいとその陽気さとのギャップはいささか異様でいたましかった。
(だが、これは私が、浅草に巣食うこうした芸人たちのいわば雑草のような根強さ逞しさを知らなかったせいだった。彼らはどんな場合でも決して絶望をしないのだ。明日のメシに困っていても、朗らかに歌などうたっている。――そして私などの、なんと絶望的気分の好きなことよ。)
ドサ貫に、昨日会ったですよ」私が言うと、
ドサ貫と組もうと思っとるんですがね」
「ほう」
「ミーちゃんが、ところが、いけないとめているらしいんで、やっこ但馬たじまさんのところへ、どうしたもんかと、――つまりお伺いですな。但馬大明神に手紙でお伺いを立てているらしいですよ」
「なぜとめるんです。身体が悪いから……」
「いいや、――(末弘は、細君のいる台所にチラと横眼をやって、小声で)おちるからというわけですよ。人間、一度落ちたら、もう浮び上れない、ミーちゃんはそう言うんですな。たしかに、それはそうですがね」
 末弘春吉は以前、「愉快な四人」の一人の瓶口黒須兵衛ビング・クロスビーと同格で、と言っても大部屋だが、とあるレヴィウ劇団にいたことがある。それが、瓶口は(以前瓶口という芸名ではなかった。)今はエンコで一流の芸人になり、末弘は落ちて、――「惚太郎」の二階の二畳間に屏息へいそくしている。その末弘の言葉は、だから実感がこめられたものに違いなかったが、その朗らかな声には一向にそんな感じはなかった。
 末弘はつづけて、ミーちゃんが、いや美佐子が、ドサ貫のおちるのを気にするのは、ドサ貫に惚れているせいだと言った。ドサ貫も美佐子に惚れていて、「どっちかと言や、やっこの方がずっと熱をあげてるでしょうな」と末弘は言う。
「そいで美佐子君のご亭主の但馬君に、その……お伺いを立てるなんて妙ですね。邪恋の相手の亭主に、そんな……」
「邪恋はよかった。ヒェッヘッヘッ……」
と末弘は、それが彼ののものか、舞台用の作り笑いか、私には見当のつかぬ奇怪な笑い声を挙げ、笑うだけで、なにも言わなかった。
 ――その日、美佐子は珍しく姿を見せなかったが、大概いつでも手伝いのようにして「惚太郎」にいることは前に書いた。何かここと特別の関係でもあるのかと、その日、私は末弘に尋ねた。
「ミーちゃんと但馬さんとが、はじめて世帯を持った時、借りたのがここの二階なんですよ。ミーちゃんはここのおばさんの随分世話になったから、遊んでいる時は、そいでまあ、手伝いみたいにして来ているんですよ」
 そういう末弘の答えだった。
「で、美佐子君は今どこに住んでるんですか」
実家うちへ帰ってまさ。但馬さんが病気で郷里くにへ行っちまったので……」
実家うちは、この辺……」
「いや、玉の井のそばですよ」
 私はそのまま聞き流していた。小柳雅子の家も、寺島と聞いていたのだが、そのことはその時頭にこなかった。

 ×月×日。
 朝、家でA新聞のカコミ評論を書く。(※二)
 午後、浅草に行く。

     *

 この寒いのに、依然として愛玉只オーギョーチがある。人も入っているのに驚く。(※三)

     *

 犬と子供(※四)
 ブーニンの回想記の中のチェーホフの言葉。――「ここに大きな犬と小さな犬とがいるとする。しかし、小さな犬は、大きな犬がいるということで勇気がくじけてはならない。――そして神の与えた声で吠えなければ……」

     *

 夕方、朝野の下宿を訪れる。
「珍しいですな。……小柳雅子に会わせろといった顔ですな」
 図星だ。だが雅子には会わなかった。(※五)

 朝野はまたしても私のことを「たいに食い飽きていわしを食おうとしている男」と言った。そうしつこく言うと、私はほんとにそうなるぞ。
「悪漢に一日に三、四度ずつ、彼が正直の権化だと言ってやれば、彼が少なくとも、完全な『正義派』になることは確実である。しかしその反対に、正直な男をあまりしつこく悪漢呼ばわりすれば、彼は、自分がまんざら悪漢でなくもないことを証明したい、旋毛つむじ曲りな欲望を起すだろう」(エドガー・ポオ)
 私はもともと「正直な男」ではない。

(注二)
 カコミ評論は次のごときものであった。
「偉大な仕事をした人の伝記を読むと、きまって人間味という項が出てくる。偉大な仕事とは何か。人間の能力の最大限の発揮である。そして人間味とは何か。時とすると、人間味の『美名』の下に、人間の能力の最大限を発揮した人が、人間の能力の最小限に生きる低い卑小なレベルに引きさげられる。そしてそのレベルでの人間的弱点が挙げられ、それが人間味ということになる。人間というと、弱点がなくてはならぬとするいわゆる近代の人間観から、それはご愛嬌ということになる。ご愛嬌の程度ならいいが、そこで悪くすると、人間の能力の最大限の発揮は、いわゆる人間味の低さにおいてでなく、実は、最大限のレベルに高められた人間性においてこそ、初めてなされるという事実までが無視される。
 文学はそうした人間観に従っていた。文学とは人間探究の仕事である。だから文学の対象となる人間のうちには、人間の能力の最大限を発揮した人も入れば、その最小限に生きた人も入る。だが、文学は後者により多く執着していた。そこには例の人間味が豊かに露出されているからだ。――そうした文学がこのたび戦争と直面した。戦争は人間の能力の最大限に発揮せられる偉大な営みである。それは人間の営みであるが、いわゆる人間味の低さにおいてでなく、高い精神の昂揚において初めてなされる。そうした厳粛な事実は、一般に、人間の能力の最大限の発揮を同じレベルに高められた人間性において描く文学への待望をもたらしている」
 私は自身でそうした小説が書きたかった。その書きたいという気持は、うそいつわりのないものであったが、気持と実際とはいっしょにならなかった。気持が先走りして、あたかもそれは、私がくらから落ちたのにかまわず疾駆しっくする悍馬かんばのようで、私は、それから離れまいと手綱を握ってずるずると地べたきずり回されている感じであった。

(注三)
 愛玉只は、黄色味を帯びた寒天様のもので、台湾たいわん無花果いちじゅくの実をつぶして作るのだそうだが、それをさいの目に切ったのの上に砂糖水、氷をかけて食う。氷あずきのあずきの代りに寒天様のものが入っている塩梅あんばいで、一杯五銭。(翌年七銭に値上。)氷あずきなど東京中探したってもうどこにもありはしない寒空さむぞらに、浅草では依然として氷をかけた愛玉只を売っているのだ。夏場だけの商売かと思ったら、――と驚いたのだが、その後、往来に氷が張っているかん中でも堂々と店をつづけていて、さすがに客は滅多に見受けなかったが、それでも時々二重回しに襟巻えりまきをした客が、往来との間に何の防寒用の設備を施してないむき出しの店のなかで、夏場とおなじ縁台に腰かけて、氷をシャリシャリと食っているのが見られた。すなわち浅草では年がら年中、氷を食わせるのだ。エンコは何か熱いのであろう。

(注四)
 アパートの付近の路地をなんとなくぶらついていて、眼にしたこと。――
 見るからに哀れっぽい痩せた小さな犬が、見るからに獰猛どうもうな大きな肥った犬におどかされて、キャンキャンと悲鳴をあげて逃げて行くのだ。可哀そうにと、私はちっぽけな犬に同情した。ところが、そこには数人の子供がいて、それを見て「やい、こら」と犬に石をぶつけるのだったが、――それは、その憎ったらしい獰猛な犬でなく、いかにもみじめに尻尾しっぽを巻いて、土をひっかくようにして必死で逃げて行く小さな犬に対してであった。
 私は、いやな気がした。
 その獰猛な犬は、その子供たちと親しい犬で、可哀そうな小犬は、そこらへ迷い込んだ、子供たちと縁のない野良犬のらいぬかなんかなのだろうか。そのため、子供たちは、助力をさらに必要としない獰猛な犬に荷担かたんして、助力を必要とする弱小な犬をいじめたりするのだろうか。それにしても、逃げて行くのに、石を投げないでもいいではないか。そう思って見ていると、大きな犬はやがて心持よげに悠然とそこを立ち去って行って、子供たちが別にそれに呼びかけたりしないさまは、どうやら、子供たちとその犬とが親しい仲ではないことを明らかにした。子供たちは、単に残虐を愛する心から石を投げたのであり、弱小なものをさいなむ快感、惨めなものを憎む感情に、素朴にその時とらえられたにすぎないことが、明らかだった。
 私は、そうした子供の心を憎んだ。
 だがそういう私は、どうかと反省した時、――私は、あることを思い出した。ある夢を思い出した。私が鮎子と別れた直後に見た夢なのであるから、もう随分と前のことだが、今でもはっきり覚えているのは、それがよほどいやな夢だったことを証明するのである。
巴里パリの屋根の下」という映画が封切られた頃で、それは私に深い感銘を与えた。そのため、そのなかに鉄道線路の傍で喧嘩けんかをする場面があるが、夢はそのシーンを借りて、展開された。私の家のそばに鉄道線路があり、朝夕その線路脇の道を通っていたせいもあるだろうが、私は、真暗な陰鬱な線路脇で、非力の私の到底抵抗しがたい筋肉逞しい男、――それもこっちは一人なのに、向うはそういうのが数人というのに取りかこまれていた。夢なのであるから、せめて、――現実では不可能にきまっているが、いや、それゆえかえって、その男どもをステンステンと小気味よく投げ飛ばすというような「夢」を夢見たら、よさそうなものに、――なんという腑甲斐ふがいない私だろう。私はいやもう、踏んだりったりのさんざんの目に会わされているのだった。だが、そんな情けない夢は、鮎子に逃げられた私の無念の歯軋はぎしりを現わしているのであった。鮎子が私から去って行ったのは、鮎子としては、もっともな理由があっただろうが、私としては、どうしても納得のいかないことであった。無法な理不尽な仕打ちとしか考えられなかった。あたしは、もうあんたに対する愛情を失った、だから別れましょう。こう鮎子に言われて、私は、では俺もと言って、鮎子への愛情を古くなったシャッポでも捨てるみたいに簡単に捨てることはできなかった。と言って、それは困る、俺はまだお前を愛している、お前を失いたくないと言っても、――いや、それこそ泣いて頼んでも、それで鮎子の去って行くのを、とめることはできなかった。私は、私のなんとしても敵しがたい強力な腕に、無法に張り倒されて、くやし涙にくれながら、非力のため相手がそうして悠然と立ち去って行くのを黙って見送らねばならぬといった形であった。夢は、その抑えようのないくやしさを具象化していたものと考えられる。
 ところが、である。私は暴漢の群に無理無体に打ちのめされているうちに、ふと気がつくと、そこは夢のおかしさで、――私はいつか、その暴漢の一人になっている自分を見出した。そして私は地べたに意気地なくみじめったらしく転がっている奴に、なんとも言えない憎悪と憤怒を感じていたのだった。そういう惨めったらしい奴を、無法だろうとなんだろうと、あくまでいじめさいなむ快感に酔いれながら、私はそやつをなおも踏んだり蹴ったりしてやろうといきり立っているのだった。
 そして、そいつの側に行くと、――おお、なんと、そいつはやはり私なのである! ハッとして眼が覚めた。私の枕は、涙で濡れていた。
 私は、言いようのない、いやな気持だった。線路脇という場面までがはっきりと頭に残っていることも、いやな気持を一層強めた。さらに、――この夢は小説に書けるなと、次の瞬間思わず私は考えたのだが、そんなあさましさも一段といやな気持を強めたのだった。……

(注五)
 ――――小柳雅子に会わないまでは、その何かうら悲しく佗しい慕情は、悲しいとともに楽しいものであったことを、私は会ったあとの苦しいにがにがしい慕情によって知らされた。小柳雅子への慕情というのは、どういうのだろうと、私は改めて考えさせられた。それは何か心の渇きの、ひとつの現われではなかったのか。それが、いざ小柳雅子に会うと、――それまでは、その慕情がフワフワと空に浮いている雲かかすみかのような捕捉ほそくしがたい状態で、それゆえ悲しくもまた、春の霞、夏の雲でも眺めるように何か楽しかったものだったが、急に、朝野の言葉をもってすれば、「鯛に食いあきて鰯を食おうとしている」というようなハッキリした何かえげつない棍棒こんぼうみたいなものが、その雲のなかにヌッと突き出された感じだった。私は、その棍棒を憎んだが、憎むことによって、それを再び気体化することは、もはや、かなわぬことであった。
 ――しかも、会いたいのである。「鰯を食おうとしている男」と雅子から見られるであろうと思うと、たまらなかったが、それでも会いたかった、一度会った以上は、舞台の雅子を遠く客席から眺めるというのだけでは、我慢ができなかった。
「鰯を食おうとしている男」と言った朝野を私は憎んだが、雅子に会わせてもらうためには、やはり朝野に頼らねばならなかった。楽屋へ私は、ひとりで行けたりはしない。
 朝野は、千束町の小さな雑貨屋の二階に間借りしていた。
「朝野君、いますか」
 すがめのおかみさんに言うと、
「いますよ」お客さんでなかった腹立ちからか、突慳貪つっけんどんな声だ。それなり知らん顔をしているのに、
「――いますか」
 呼んでくれと言うかわりにとんまな声で言うと「――裏へ回って、上ったらいいでしょう」
 何かいやな臭いのする路地を通って、台所口へ回り、外さなければ開かないような建付の悪いガラス戸を開けると、朝野のらしいり切れた下駄がそこにあった。その真黒な下駄の上に、表のおかみさんのらしい、ぐるぐると巻いた赤っちゃけた抜け毛が乗っかっていた。
「――朝野君」
 暗い階段の下から声をかけると、
「――おお」
 何かあわててひっくりかえすような音がして、朝野がヌッと顔を出した。暗いせいか、眼が猫のように気味悪く光っていた。
「やあ、朝野君」階段を上ろうとすると、
「出ましょう。――ちょっと待って」
 私の上るのを防ぐような、ひどく狼狽ろうばいした手付だった。
 ――外へ出ると、
「僕ンとこを訪ねてくれるなんて、珍しいですな。――どうやら小柳雅子に会わせろといった顔ですな」
 私はニヤニヤしながら黙っていた。
 やがてK劇場の裏へ行ったが、楽屋口に近づくと、はたと私は足がすくんだ。
「楽屋へ行くの、僕はよしましょう」
「――どうして」
「………」
「そうですか。じゃ……」
 アッサリ言った。そして私の前を下駄を鳴らして、さっさと行った。

「ボン・ジュール」に行った。そこで朝野は、浅草の会をやろうではないかと言い出した。浅草に愛情なり関心なりを持っている文壇人やジャーナリストなどを集めて、浅草を愛する会といったようなのをやろうというのだ。
「そこへ六区の劇場こやの連中を、順々に呼ぼうじゃないですか。面白い会になりますよ。――最初は、やっぱりK劇場ですかな。あんたの小柳雅子のいる……」朝野はひとりで力んでいた。

 ×月×日。
 末弘春吉に会い、一緒に漫才小屋のE館へ行く。(※六)オリジナルということを考える。「惚太郎」で、美佐子に会う。(※七)
 アパートにとまる。
 アパートの隣室に、女の客が来て、大きな声で話をしている。
「向うから刑事らしいのが来たの。こっちは何もいやしいことはないから……」
あやしい、だろう?」
「ああそうか」
 そんな会話が聞えた。漫才を地でいったようなものだ。
 事実は小説より奇なりというが、現実は漫才より奇なり、かもしれない。

 二三日前、昼間、アパートの台所へ行くと外で酔っ払いがどなっていた。
「キリギリスだって、うちを一軒持っているじゃねえか」
 アパートの人たちに毒づいているのだ。なんで、そんなに怒っているのかわからないが、キリギリスとはうまいことを言ったものだと思った。漫才などから覚えた科白せりふだろうか、それとも酔っ払いの創作だろうか。

 スタンダアルの「バイロンきょう」を読む。
 考えさせられる言葉。――「たえず自己にかれ、いかなる効果を他人に与えるかということばかりを気にしていたという点で、バイロン卿の気質はジャン・ジャック・ルウソオとはなはだよく似ていた。卿くらい芝居のできない詩人はまたとあるまい。卿は他の人物になりかわることができなかったのだ。卿がシェクスピアをことのほか嫌ったのはそういうわけだからである。のみならず卿がシェクスピアを軽蔑していたわけは、シェクスピアがヴェニスの不良ユダヤ人シャイロックになればまた唾棄だきすべき梟雄きょうゆうジョン・ケイドにもなりえたという点であろう」

(注六)
 国際通りで末弘春吉に会うと、亀家ぽんたんに会いに、E館へ行くところだと言う。
「着々、漫才に転向中ですわ」
 末弘は、身体にてんで合わない変に短いオーバーを窮屈そうに着ていた。
「何か、いい芸名ないでしょうか」
「さあ」
「ひとつ考えて下さいな。何か時局風なのを……」
「時局風……」
「ええ、この間こういうのを聞いたんですがね。――国を護る。それを二つに分けて、クニヲマモル。うめえ名前を付けやがったと感心したですがね。これも、ついこの間役者から漫才さんに転向した口で……」
 私はE館へ行ってみようと一緒に歩き出した。
「そうそう、ミーちゃんが『惚太郎』に来てて、あんたが見えないだろうかと言ってましたよ」
「何か用事……」
「別に用事ッてないようでしたがね」
「あとで行ってみましょう」
 E館へ行くと、亀家ぽんたんはちょうど舞台だと言う。末弘は裏へ、私は客席へ入った。
 その小屋は、舞台から客の顔が隅から隅まで明瞭めいりょうに見分けられる狭さのところへもってきて、私は背が高い上にその時高下駄をはいていたので、立っている客の頭の上にヌッと顔が飛び出してしまう始末で、――なかへ入った瞬間、舞台のぽんたんと私と、バッタリ眼が合った。
「――や」
といった顔を、ぽんたんがした。はっきり表情がわかる。私も「――や」といったぐあいにうなずいて見せた。
「――ほう、トンちゅうたら英語か」
 ぽんたんは、私を見ながら、とぼけた声で言った。
「――英語や」
 ぽんたんのいわゆる「兄貴」の鶴家あんぽんである。ぽんたんより少し背が高く、その代りせ型で「二枚目」の顔をしている。二人ともダブルの服を着て、――草履をはいていた。
「では、ドイツ語では、豚のことを……」
「ドイツ語か。――ドイツ語では、ハムちゅうねん」
「あ、なるほど」
「よう覚えときなさい」
「では、フランス語では」
「ソーセージやがな」

 このネタを、私は「一流」の漫才師の舞台で聞いたことがある。そっくり同じというわけではないが、同じ趣向である。――漫才は、それぞれ独立した短い笑話のいくつかの結合からなっている。だから創作もののなかに一二借りものをはさむことができるのだが、私は何か不快を感じ軽蔑を抑えることができなかった。その漫才を軽蔑しただけでなく、借りものを容易にはさめる漫才というものを軽蔑したのだが、だが、――考えてみると、「高尚」な文化分野でも、これに類した、いやこの漫才以上に借りもの七分、オリジナルの部分はわずかに三分といったような仕事が堂々と独創的な顔で通っているようである。――みんな、漫才みたようなもんさ。

(注七)
「惚太郎」へ行くと、美佐子はいなかった。「お座敷の仕事のこととかで、ちょっと出かけました」と細君が言った。
 若い男の客が二人来ていて、うどん粉をさじですくって流しながら自分の名らしいローマ字綴りを鉄板の上に書いて「今度は、うまくできたぞ」などと言って、打ち興じている。うどん粉がなかなか言うことをきかないから、その呼吸が難しい。面白そうなのに釣られて、私も「あんこてん」をもらった。あんこをうどん粉に丹念にまぜて、さて、自分の名を書こうとして、何かためらわれた。では誰か他の名を、――そうだと私はうなずいた。
 K とまず書いた。なるほど難しい。最初にボタリとうどん粉を落とした柱の頭に、大きなこぶができてしまった。つづいて o ――つづいて y ―― Koyanagi Masako
 見るに堪えない下手糞なできぐあいだった。はがしで、ごちゃごちゃとかためてしまった。
 もう一度、――今度は慎重にやったので、どうにか見られる程度にできた。で、それはそのままにして、――(そうだ。今度は日本字で……)と思いついた時、
「おばさん、帰るよ」と先客。
 私ひとりになった。私は坐り直して、――小……と書きにかかったが、これはどうしたわけか、私の胸は、急にキューンと切ない想いに締めつけられたのであった。小柳雅子がもうむやみと恋しいのだ。ローマ字の時は、そんなことはなかったのは、やはりローマ字だとなまなましく訴えるところがないせいだろうか。それともその時は客がいたためだろうか。
 吐息といきをつきながら、匙を運んだ。
 小柳雅子。――ひどく横びろのブクブク肥った字ができ上った。すんなりした実物の小柳雅子の感じとまるで違う、醜く肥った字で、その醜さがいやだったが、――じッと見ているうちに、そのいやな気持のなかに、それと違った、もっとはなはだしくいやな気持がムクムクと湧いてきた。その字の形は、実物の小柳雅子とは似てもつかぬものだったとはいえ、その字そのものはまさに小柳雅子の姓名にほかならない。それをば、無慙むざんにも鉄板の上に乗せて焼いているのは、何か丑三詣うしみつまいりに似た呪いの所業でも行なっているような気がし出したのだ。
(――これは、いかん。)
 そのうどん粉は、薄い外側から漸次焼けて行って、色が変って行く。私は、いかんいかんと心の中でつぶやきながら、しかしそのままその変化をみつめていた。
 すると、そこへ、
「――お、寒い」
 美佐子が乱暴に玄関をあけた。「あら、倉橋さん」
「やあ、今晩は」
 美佐子は立ったまま靴をぬいで、なかに入り、
「――あら」
 鉄板の字から私に眼を移して、
「それ、――倉橋さんが書いたの?」
「うん」
「雅子、知ってんの」
「――僕の恋人」
「恋人?」異様な声を挙げるのに、
「いや、冗談ですがね。僕のとッても好きな子なんだ」
「……!」ずっと立ったままの美佐子が、私をけわしく見据えた。私は眼をらせ、「子」の字をパクリと口の中へ入れた。
「あッちち……熱い」
 美佐子が私の前にべたりと坐った。私は口をアグアグいわせながら、
「君は、小柳さん知ってんの。――いや同じ浅草にいりゃ知ってるわけだね」
 私はドギマギして、ひとりでしゃべった。
「それより君、この間ドサ貫ク――ああ言いにくい、、貫、クンに会って、大変な話を聞いた。驚いたね。――君はなぜ、僕に話の半分しかしないで、みんな言わなかったのかね」
 そこへ「惚太郎」の主人の惚太郎が、外から帰ってきて、話はそのまま中断されてしまった。
「滅法えやがる――いらっしゃいませ。外は冷えますな。――坊やは、と、(三畳間をのぞいて)寝ているな。――ちょっくら風呂へ行って暖まってきやしょうかな」
[#改ページ]


第八回 旅へのいざない


 ……………………
 ……………………
 寒い晩で、いや寒い季節なのだから寒いのは一応当り前なのだが、火の気といったら枕もとにつるした電灯よりほかないので、心理的にも一層寒さがこたえてくる。そんなアパートの部屋で、私は蒲団にもぐって本を読んでいた。手の片方を蒲団から出して、それで本を眼の上に支えていると、その手がすぐ冷たくなって、冷たさで痛くなるので、すると片方の、蒲団のなかで暖められている手を出して交代をさせるのだが、自然の理として、冷えた手を蒲団のなかで暖める速さよりも、その暖めた手が外で冷やされる速さの方がどうしても速いので、まだ充分暖められない手を仕方なく外に出して交代をさせねばならぬようになり、その交代が漸次はやくなり、するうち、蒲団のなかに入れた手がすこしも回復してない前に、外の手が堪えがたいほどに冷えてしまう仕儀とあいなって、やがて両の手とも、ちっとやそっとでは、回復しがたい程度に冷え上ってしまった。やむなく私は本を、それを読むのをかかる外的な事情から中断するのははなはだ苦痛なのを無理に我慢して、おでこの上にのせて、それは、痛む頭の上にのせられた氷嚢ひょうのうのような形だが、つまり中断の苦痛でいたむ頭を氷嚢のようにしてやわらげようとでもしているようで、かくして両手を蒲団のなかに入れ、早く暖めようために、手をもものあたりに差しこむと、まるで氷をおっつけられたような冷たさにヒエッと叫びながら、もうこう寒くなってはアパートに泊ることはできないなとつぶやくのだったが、実は寒いのに大森まで、私の感じでは全くはるばると帰って行くのが億劫おっくうなままに、つまりその寒さのために泊ったわけでもあったのだ。
 ――もう一時を過ぎていて、いやそのアパートは、夏頃などは夜中の十二時半から一時半頃までが、アパートの一日で一番にぎやかな時なのだが、たとえば、その時刻に、あたしゃ酔っちゃいないよなどと舌の回らぬひとりごとを言いながら、危なっかしい足どりで階段をドタンドタンと昇ってくる女給さんたちも、夏頃は、ひとりで部屋に戻っても、店の興奮がさめないのだろうか、何かとひとりで騒いだりし、時にはひとしく酩酊めいていした朋輩ほうばいを連れてきて部屋のなかでキャッキャッと動物のような声を立て、しまいには喧嘩をしたり泣き出したり、なかなか大変なのだが、そうした騒々しいアパートの住居者たちも、千鳥足は夏場とかわりないが、寒いので精神が阻喪そそうしているのか、すでにひっそりと寝についている気配である。全く静かである。内も外も――。そうだ。夏場は、三時頃まで、ちょっと誇張すれば一晩中、アパートの表通りは人通りが絶えないで、私の枕もとにひびいてくるその足音のなかで、朝野光男の下駄のようなすり切れた歯をずるずるきずっているような音は、いやだが、いかにもなまめかしい足もとを想わせる、日和下駄ひよりげたの薄歯のキッキッといきに鳴っているのなどは、なかなかに快いものだった。だが今は、通りも森閑しんかんとしていて、遠くから心細そうな犬のえ声などが聞えてくる。心細そうなというのは、私の佗しい心からの感じかもしれないが、案外それは、いつか見た、小さな犬をおどかしていた憎ったらしい大きな犬が何かそこにいわれがあって、すっかり意気消沈して心細い声を挙げているのかもしれないぞと私は思ったりして、そう思うと佗しい心も慰められたりした。
 耳をすましていると、これは雨雲の低く垂れた夜に時々あることなのだが、はるかかなたの上野駅のあたりから、ボーボーという汽笛の音がかすかに聞えてきた。
(旅に出たい。)
 ふと痛切に感じた。だが、この旅に出たいという気持は私のうちにずっと燃えていたものだ。そうだ。私が浅草に来たのは、一種の旅ではなかったのか。私は、それにその時初めて気づいたのであった。
 私はさきに、部屋のなかの火の気といったら電灯より他にはなかったと書いたが、私の場合は、火の気はなくても一応冬支度の蒲団があるのだが、これは末弘春吉から聞いた話で、彼の友達の失業役者が、あらゆるものを質に入れてしまって冬の夜に薄っぺらな蒲団一枚しかなく、ほんとうに電灯の熱を利用して寒さをしのいだという話を聞いたことがある。彼は押入のなかに入って、閉め切ったその上段に煎餅せんべい蒲団にくるまって寝て、その下段に電灯を引張り込み、それにどこからか持ってきた途方もない大きな電球をつけ、煌々こうこうと光るその光で暖をとっていたというのだが、ほんとうにそれで暖が取れるものかどうか、私は自身試みたことがないので保証の限りでないが、彼は、そうしてとんでもない仕掛を新案電気ストーヴと呼んでいたと末弘春吉は言い、「とぼけた野郎ですわ」と笑った。私も笑い、全くおかしい話だが、哀しさがおかしさの裏からジワジワとにじみ出てくる話であった。その哀しいおかしさは、話を描写的に書かないとちょっと伝えがたいことを私は知っているのであるが、実はその話を短篇に書いたことがあるから、重複するのであえてしなかったのである。そしてその時は、私はまだその話を短篇に書いていない時分で、これは書けるなというような気持を心に秘めながら、私はその話をぼんやり思い出していたのである。さて、そんな話をぼんやり思い出していたというのは、他でもない、手は大分暖まってきたのだが、さっきは手を暖めるべく本を読むのを中断するのがあれほど苦痛だったにもかかわらず、今はもう本を読むべく手を出すのが億劫になっていたからのことである。おでこにのせた本も、首を横着に動かして、頭の向うにずりおとしていた。言いかえると、私は手が暖められたことによって、睡気を誘われていたのだ。
 するとその時、突然、戸外にあわただしい人の足音、――何か叫び合うような声も聞えてき、やがてアパートの下も騒然たる気配。何事かと耳をすますと、階段の下で「どこですか、火事は」と言う声が、その私の耳を打った。私はガバとはねおきた。おそらく、正直に言えば驚きよりも好奇心で――。
 窓をあけた。雷門の方に、(おおなんと罰当りの感覚だろう。だが、そのときの実感を正直に言えば)いかにも暖かそうな火が挙っている。
 ふと気がつくと、寝間着の上に着物を重ね、とんびを着ていた。という方が適切であろうと思われるくらい、実に敏捷びんしょうに身ごしらいをした。そして、そんなら、ふと気がつくと雷門目掛けて一散に駆けていたというところであるべきだのに、なぜかわからぬが、私は次に悠然と、机の上の食いのこしのおいなりさんに手をのばしていた。その悠然をまねて言うならば、その稲荷いなりずしはアパートの路地を国際通りに出たところにある、名代昔団子と書いたのれんのかかった「桃太郎」という店の、店の宣伝をするわけではないが、大層おいしい、そしておいしいので有名らしい稲荷ずしなのだが、前述のように暖かい血液の通っている手をさえ冷え上らせるその夜の寒さは、もともと冷たいその稲荷ずしのめしを氷のように冷たくしていて、その冷たさは私の歯にシーンとみた。私はぷるると唇を鳴らしながら、アパートの外に出た。(私は東京の山の手で育ったが、子供の時分、夜になると「おいなアりさーん」と言って稲荷ずしを売り歩くのがいて、――昼は姿を見せず、夜ふけの、人通りがなくなる頃というと、どこからともなく、その奇体な声が近づいてきて、声の主の足音は聞えないのに、幼い私は、人さらいか何かのような気がして、おびえたものだ。現在ではもう、下町の方はよく知らないが、山の手の方では、そうした「おいなアりさーん」とか「カリン、カリン」とか「なべやアき、うどん」とか、――ピュウヒョロヒョロという支那ソバ屋のチャルメラの音さえほとんど聞かれなくなったが、――思えば、稲荷ずしには、そんな懐しい思い出があり、そんな稲荷ずしを口にすると思い出がよみがえり、それに子供らしい火事見物の気分からか、私はひどく子供っぽい気持になっていた。……)

 火事は雷門の明治製菓の売店の裏だったが、私は、「ちんや」の前まで行って、そこで火事を見ていた。そしてこれは修辞でなく、ほんとうにふと気がつくと、私のまわりは女ばかりで、としこそいろいろだがいずれも食いもの屋のねえさんたちとおぼしいのが、寝入りばなを起されてそのまま飛び出て来たらしい、しどけない姿である。え? といった気持で、うしろを振り向くと、「ちんや」の、鎧扉よろいどを半開きにしたいくつかの窓にも、昼間見るといずれもいきのいい肉屋のねえさんたちが、化粧をすっかり落して、こっちが恥かしくなるような、うすみっともない、ひどくいきの悪い黄色い顔になったのを、※(「儡のつくり/糸」、第3水準1-90-24)るいるいと重ねて突き出していて、そうなると一種の壮観で何やら凄絶な感じであった。私は見物人のあふれた広小路の通りに眼を移した。そこも、――女ばかりと言ってはうそになるが、実に女が多い。あきれるばかりにたくさんいる女の姿に、私は何か浅草に関する重大な発見をしたような、少なからず厳粛な気持にさせられた。その女たちのほとんどは、食いもの屋のねえさんたちと見られた。私は、今まで気づかなかったが、そんなにたくさんの女たちが公園の食いもの屋のどこか狭い部屋にそれぞれいっぱいつまって寝ているのかと思うと、あやしく異様な感じで、妖しさも激烈になると、むしろ厳粛でさえあった。
(――待てよ。この女たちのなかには、小柳雅子がいるかもしれないぞ。)
 私はハッと息を呑む想いだった。月の大半は楽屋泊りをしているという小柳雅子がもし火事を見に出ていたら、不自然な感じでなく、顔を合わすことができるのだとおもうと、込みあげるうれしさもさることながら、なぜもっと早くそのことに気づかなかったかと悔まれるのだった。そうなると、火事の見物などもはやバカバカしく、私は小柳雅子の姿をもとめて、火の方に背を向けて歩き出した。
 なにほども行かないうちに、私は肝心かんじんな小柳雅子のかわりに、用もない末弘春吉を人の群のなかに見出し、こっちが見出したときは先方でも私に気づいて、
「やあ――帰るですか」
「寒いんでね」うそをついて逃れようとすると、
「寒いですな。――じゃ、あたしも帰ろう、一緒に」
 おやおやと思った時は、もう手遅れで、彼は私と肩を並べて、
「三のとりまである年は、火事が多いというが、ほんとですな」ぶるると身体を震わせて「とってもいけねえ、すっかり冷え込んじまった。これじゃ寝られそうもないが、旦那どうです。パイ一といきやしょうか」
 そうですねと私は曖昧あいまいに言いながら、眼をキョロキョロと人の群に放っていた。
 小柳雅子はとうとう見出せなかった。私はそれが何か末弘春吉のせいみたいにも思われ「パイ一は、どこでやります。あいているところあるかしら」とひどく突慳貪つっけんどんに言い、言ってから、ごめんごめんと弱気にあやまる気持で、「――ちょっと財布をアパートへ取りに行ってきますがね」とやさしく言った。
 外の通りに末弘を待たせて私はアパートへ行き、戻ると末弘は同じ火事見物の帰りらしい背の低い老人と立ち話をしていた。私を見ると、末弘はそのひどく見すぼらしい恰好をした男と別れ、私たちは国際通りを、国際劇場の方へ向けて歩き出した。
おたくは昔の浅草をご存じで?」と末弘が言った。「今のおッつぁんは、天中軒トコトンですよ。昔、江川の玉乗りで鳴らした……」
 私は子供の時分、江川の玉乗りか青木の玉乗りか、どっちかわからぬが一度見た記憶はあるが、芸人の名前は覚えてない。
「とッても鳴らしたもんらしいが、今はもう駄目で……」
 では、今は何をやっているのかと聞くと、今でも玉乗りをやっている、頑強に玉乗りを守っていて、一家そろって玉乗りをやっているという返事。玉乗りなんて今でもあるのかとちょっと魂消たまげて聞くと、「まあ、たまに寄席よせやお座敷の仕事なんかがね。普段はもっぱら紙袋り、――朝早くから夜おそくまで、トコトンさんを初めとして、かみさんに息子、娘、一家総動員でエッサエッサと紙を貼ってまさア」ふーん、気の毒にねと私が言うと「それが、――気の毒なわけではないんですよ。トコトンさんは金をゴマンとめ込んでいるんですからね」そして困っている芸人などには、ほんとうの親切心で、金を貸し与えたりしているという。その義侠心で、苦境を救われた芸人はたくさんいるとのこと。末弘はつづけて語るのだった。――変ったおッつぁんです。さっきだって、ボロボロの綿入れを着ていたでしょう。寝間着だから、ひどいものを着ているというんじゃねんで、普段だってまるで乞食みたいな恰好をしているんです。一家揃ってそうなんで。娘さんなんかもひどい着物をきていて、そいで一向平気で、そこらを歩いていて、「惚太郎」へもそのなりで、うどん粉の残りを貰いにくるもんだから、知らない客などは乞食の娘とよく間違えるんです。――うどん粉は、紙袋貼りののりに使うんですよ。入れものの底に、うどん粉が残るでしょう。それを「惚太郎」のかみさんが、随分面倒だろうけどトコトンさんのためにというわけで取っておいて、娘さんが毎日貰いにくるのに、やっているんですわ。そんなにして、紙を貼って、この間もそれでためた金を五十円も献納したですよ。
 ほう、えらいもんですなと私は言った。ちょっとえらいもんですなと末弘は鸚鵡おうむ返しに言って、――そう言えば、出征兵士を送るのなんかも、おッつぁんは大変な熱心さで、でもあんまり熱心すぎてかえってはたで困っちまうところもあるんで。
 どういう工合に困るか、末弘春吉の語るところによると、――町内から応召者が出るたびに、彼は立派な歓送旗をつくり、やがて用済みの旗がたまると、それでもって着物をつくった。彼はそれを――祝出征なになに君という字が背中などに大きく出ているその着物を堂々と着込んで、歓送の行列の先頭に立つのだが、だんだん興奮してくると、ちんちくりんの身体で行列の何間か先へチョコチョコと駆け出して行って、立ちどまって、万歳万歳と手を挙げて行列を迎える。行列が近づくとまたパッと先に駆け出して行って「――万歳、万歳!」こうした彼の誠意と熱情はわかるのだが、その旗でつくった着物が、何分なにぶんとっぴで、ちょっとチンドン屋みたいでおかしいところへ、チョコチョコと駆けだす恰好が、玉乗りのため妙な腰つきになったのか、ヘンにおかしいのだが、おかしいといって人々は笑うこともならず、そこのところがどうも困るのだそうである。
「本人は真剣なんだから、そんなケッタイな着物をきて、チョコマカとおかしなまねをするなと言うわけにも行かないんでね。実際おッつぁんは真剣で、――俺たちがこうして安らかに暮して行けるのも、みんな俺たちに代って戦争に行ってくれている人たちのおかげなんだと、いつもそう言っていて、たとえば電車のなかなんかで、赤襷あかだすきを掛けた人に会うとするでしょう。てえと、おやじさんは人を掻き分けて、その人の前にツカツカと行って、最敬礼をして、真剣な声でそう言うんですよ。あなた方のおかげであたしどもはこうして無事に暮させて貰っとります。感謝いたしますってね。気持はわかっても、何分とも出し抜けで、その上おッつぁんときたら、いつだって汚いなりをしているんですからね。なんだか気違いじみた感じで、先方の人もちょっと挨拶に困るんですね。そんな場合おッつぁんと一緒にいると、他の人たちにジロジロ見られて、とてもきまりが悪いって、惚太郎のおやじなんかも、いつか言ってましたっけ。惚太郎のおやじ自身も、応召の時にトコトンのおッつぁんに、感謝しますって言われた口なんですがね」
 私たちは言問通りにあるメシ屋で、自動車の運転手相手に終夜営業をしている店に入っていた。私はその天中軒トコトンの真情に感動して、いい話を聞かせてくれたと末弘春吉に感謝する気持で、いまは小柳雅子に会えなかったくやしさも心から消え去っていた。湯豆腐と鱈子たらこさかなに酒を飲んだが、そのお銚子の頭のところに青い線が入っていて、お銚子が鉢巻をしているような塩梅あんばいなのでそう言うのか、店のねえさんは、私がねえさんに「――お酒」と言うと、「はーい、マキ、お代り」と言うのだった。
「ミーちゃんが、なんだか、この間、おたくに憤慨してましたぜ。憤慨というか、なんというか」
 末弘は唇をチュッと鳴らして、酒を飲んだ。「いつか、おたくにからんだことがあるんですってね。そんなことも言っていた」
「からんだ? 何のことだろう」
 口当りから察すると、酒はどうも黒松百鷹(白鷹に非ず)とか墨松白鷹(黒松に非ず)とかいったたぐいのアタピンと思えるので、私はひかえながら飲んでいた。
「ミーちゃんの死んだ妹のことで、なんか……」
「ははあ」いつか瓢箪池ひょうたんいけの「おまさ」に行った時のことだなとわかった。
 この店の片隅に、古武士といった風貌の、だがうらぶれた身なりの痩せた中年の男がいて、気張っているのか癖なのか、背骨をしゃんとそらせて、酒を水でも飲むような無表情な顔で悠然と飲んでいる。それに眼をやりながら、私は心の片方で、何か気になるその男がどんなようなことを頭のなかで考えながら酒を飲んでいるのだろうかと考え、それが全然想像がつかないのに、妙ないらだたしさに似たものを感じていた。さよう、人は他人の頭のなかにある考えを、その人の顔を見るような工合に見ることができないのは当り前のことだが、考えてみると、その当り前さはなかなか薄気味が悪いものだ。そんなことを心の片方でぼんやり考えながら、片方で私は、自分で気づかなかったが「おまさ」へ行った時の美佐子は私にからんでいたのであったかと、その時の記憶をたぐり寄せていた。
「ミーちゃんは、前におたくのことを好きだと言ってたんだけど、どうした加減か、この間は風向きが変って、えらく憤慨してましたっけ。死んだ妹のことなんかも持ち出して……」
 私は美佐子が、瓢箪池のところで私に、浅草へなにしに来たのかという意味のことを詰問的に言ったことを思い出した。そしてその時美佐子は、そうした詰問的な言葉のあとで、私とは不思議な因縁があるのだと言って、美佐子の妹の死んだ市川玲子と私の以前の妻の鮎子との奇妙な関係を語って、その時美佐子はそれ以上は言わなかったけれど、その関係というのは、浅草へひょっこり現われた鮎子がおそらくはちょっとした浮気心で、市川玲子から大屋五郎を奪って行き、そのため玲子の生命をも奪って行ったというような大変な関係であったことを、私はあとでドサ貫から知らされた。そうしたことを美佐子が自分から語らなかったのは、鮎子へのうらみがいかに深いかを示しているように私には感じられる。そして鮎子のような浅草の外部の人間が浅草へやってきて、ちょうど悪戯いたずら好きな人間が池に石を投げて、その人間はその結果を知らないだろうが、その石に当った池のかえるはそれで死なねばならぬ、そんなような悪戯をすることに、美佐子は玲子のがわから深い憤りを抱いていて、私をもそうした悪戯をする人間のひとりと見て、お前は浅草へなにしに来たのかと詰問したにちがいない、そう私はその時の美佐子の心を推しはかった。美佐子が憤慨していたというのは、おそらくそうしたことだろうと私は考えながら、
「僕のことを好きだと言ってたって?」
 私は自分を決して悪戯などはしない人間とみずから言い切れないので、美佐子の憤慨というのにうろたえたから、そのうろたえを隠すように、そうふざけた調子で言ったものだ。(美佐子は実は、私の考えたように、漠然と憤慨していたのではなかったのであった。前回にも書いた通り、お好み焼のことから美佐子は私が小柳雅子に夢中なことを知った。特に小柳雅子ということから、美佐子は憤慨したのであるが、それは後にわかったことで、――ではなぜ美佐子は特に小柳雅子ということから憤慨したのか。それはまだ語る時期ではないようだ。)
 末弘もふざけた調子で、美佐子の声をまねて言った。
「倉橋さんッて、なんか寂しそうな人ね。あたし、ああした寂しそうな人が好きだわ。ミーちゃんは、あたしにいつか、そう言ったもんでさ」
 酔いが回ったらしく、身振りも入れて、
「そいで、あたしは、――どうせ、あたしは賑やかな人間ですよと言ってやったもんですがね。そうだ、あの時分、おたくは倉橋さんじゃなくて、高勢さんという名で通ってましたな。ありゃ、どういうんで……」
 説明するのが面倒臭く、私はただ名前を間違えられたのだと言って、末弘の盃に酒を注ぎ、
「時にドサ貫ク、――ああ言いにくい、、貫、クンはどうしたです」
やっこはハッキリしねえんで、困ったですよ。ウイーッ」とげっぷをして「こんなこッちゃ、年が越せねえや」
「レヴィウの方がいいのかな。あの人はO館に出ていたんですッてね」
「それがね、可哀そうに奴の惚れてた踊り子を、そこの座長に取られちまってね。そいで奴さん、ヤケになって座長と喧嘩して、おん出ちまったんです。気が弱そうに見えて、あれでムキなところがあって。そうそう先生はもと小説家志望だったらしいですな。今でもまだがあるのかもしれない。おたくの小説なんか、よく読んでいますよ。――あら、もうお銚子はからか」
「マキ、お代り」と私はねえさんに言った。

     *

 その年の一のとりは十一月一日で、私は別に信仰心も興味もないので、お酉さまへは行かなかった。
 十一月三日。明治節。この日、小柳雅子は慰問団に加わって、東京駅三時発で中華へ行くのである。一月ばかりは帰ってこないだろうから、出発前にぜひとも一度会って食事を一緒にしたいと思っていたのだが、とうとうその機会は得られなかった。客席からひそかに私は舞台の彼女に「元気で行ってらっしゃい」と言うことは言っていたが……。
 三日は雨降りで、東京駅へ送りに行こうかと思ったが、見送りの人がたくさんいるなかの、恰好のつかない私の恰好を想像すると、到底行けるものでなく、その時刻に私はアパートの窓から外を眺めていた。田原町の仁丹の広告灯が、――電気のつかない昼間の広告灯というのは、さらでだにしょんぼりとしたものだが、冷たい雨にずぶ濡れになって佗しく情けなそうに立っているのが、私の眼に入り、屋根ばかりしか見えない窓外の索寞さくばくとした景色けしきのなかで、特に私の眼をひくものといったら、それだけなのであった。
 私はつまらぬことでもいいから、何か考えごとをして、小柳雅子へのいたずらな想いをそうして追い払おうと努めたところ、ほんとうにつまらぬことを思いついたのである。それは何かというと、私は末弘春吉から芸名を考えて置いてくれと頼まれていた。その芸名のことがひょいと頭に来たので、仁丹からの連想か、――なんとかノーシン、なんとか家テーリンなどというのは、どうであろう、あっしらの漫才は、ノーシンやテーリンのようにお客さんの頭痛をなおしますといった塩梅あんばいで、……そうした薬の名を付けると、薬の製造方から宣伝という意味で金が貰えるかもしれない。一挙両得じゃ。待てよ、なんとか家アダリン、なんとか家カルモチンなんていうのも面白いな。いや、でも、そういうのは、末弘春吉の漫才を聞いていると、アダリンやカルモチンの効目のように睡気ねむけを催してくるということになっても困るな。ではなんとか家アスピリンになんとか家トッカピンというのは、どうじゃ。――しかし末弘君は時局風な芸名をと言っていたな。薬の名を借りてきたんではちょっと駄目かな。……

 それから何日かして、私は朝野光男に会ったのであるが、朝野は私の顔を見ると、
「ああ倉橋君。この間の一の酉の晩に、小柳雅子の後援会の連中が、小柳雅子が中華へ行くというんでその送別会を開いとったですがね。聚楽じゅらくの二階で、やっとったですよ。あんたも行ってやりゃよかったですな。小柳雅子は喜んだでしょうにな」
 私は、そんな送別会のあったことを、てんで知らなかった。朝野はそんな後援会のあることを私に言ったことはないし、そんな送別会のことも私に知らしてはくれなかった。
「ほう、後援会があるんですか」
と私は、あとになってそんなことを言う朝野に不満を感じながらそう言ったが、朝野の方も私が残念がるだろうとそれをおもしろがって、そんなことを言っている風であった。
「堂々たる後援会ですわ」
と、朝野は汚い歯をき出してニヤニヤしながら、
「会員というのは、靴屋の小僧とか、魚屋のせがれとか、トンカツ屋のあんちゃんとか、蕎麦そば屋の出前持とか、円タクの助手とか、鍍金めっき工場の職工とか、ああくたびれる。そいつらが会というと、一張羅いっちょうらを着込んで集まってきて、小柳雅子を囲んで、もっともらしい顔をして、小柳嬢の芸風はなんどと論争をしたりする光景は、こいつはちょっと見ものですわ。小説のネタになるですな。――惜しいことをしたな、倉橋君は出るとよかったのに……」
 意地悪そうに笑って、
「それはそうと、この間話した浅草の会ですな、K劇場を最初にと思って、ビンちゃんにちょっと言ったら、ぜひやってくれと喜んでたですわ。宣伝部に話して、会の費用を出させるようにしてもいいってね。――どうです。やろうじゃないですか」
 私はあいまいにうなずいて、
「やるんだったら、会費はこっちもめいめいに払うという方がいいですね」
「では、宣伝部が金を出すといったら、それはお酒の方へ回しますかな。――とにかく、ちょっとK劇場の楽屋へ行ってみんですか。小柳雅子が留守だから、倉橋君は行く興味はないですかな」
 私はむしろ反対で、小柳雅子が留守なのでその楽屋へ行ける感じであった。前には行きたいと思っても、いざとなるとその楽屋口がくぐれなかったK劇場の楽屋へ、朝野と一緒に今はひるむことなくすなおに入って行ったのだった。
[#改ページ]


第九回 この青ざめし景色は


いかに、ああ、旅人よ、この青ざめし景色は、青ざめし汝みずからをうつすらん。
ヴェルレーヌ


 前にちょっと書いたように、楽屋は舞台裏の三階にある。その楽屋へ行くべく、暗い急な階段を昇って、二階と三階の間の狭い踊り場に行きついたときちょうど、――私の先に行った朝野は、すでに三階に姿を消していたが、――ちょうどそのとき、暗い階段の上にあたかもパッと光が射したみたいに、あれはなんという布地なのか、白い透き通るふわふわとした、それだけでも何やら色っぽく悩ましい衣装、その肩の上には花のようにしたひだがつけてあって、脚の前があけてあるそのふちにも綺麗な袋が花輪のようにつけてある、そうした衣装の裾をかかげた踊り子の一群が、突然頭上に現われた。ショウがはじまるところなのだ。あッと驚いて私が踊り場の隅に身を寄せると同時に、舞台靴があわただしくカタカタと階段を降りてきたが、何分急な階段であり狭い踊り場なので、赤い靴が私のすぐ鼻ッ先に迫ったかとおもうと、例のふわふわッとした衣装が私の頬にすれすれに、何か私のある種の心をくすぐりつつ、からかうようにして、過ぎて行く。私は幾分誇張して言えば、全く眼を白黒させたのであった。そうして裳裾もすそはともかくとして、裳裾の吹きおこす、ちょっと形容しがたい風、これはたしかに私の頬を容赦ようしゃなく撫でて行ったのだが、私はふと、――酒のことを気ちがい水というけど、こんな風はつまり気ちがい風だなと思った。
 降りて来た踊り子は何人だったか、私は興奮してしまっていて、それはわからなかったが、何人かそうして降りたあと、興奮していても、それはダンシング・チームの全員ではない、一部だという見当だけはついていた私は、マゴマゴしているとまた上から降りてくる、たまらぬと思って(といって、いやな気持なのでは決してない。その反対なのだが、いわばあまり反対すぎてかえって苦痛であったのだ。)さっと階段を駆け上ったが、さっという工合に駆け上るため二重回しの裾を手でかかげていて、それはてもなく裳裾をかかげた踊り子と同じ恰好なのだ。けれど踊り子と私とはなんたる相違であろうと私はわれながら苦笑した。
 階段を昇ったすぐ左が、靴ぬぎ場で、その向うにダンシング・チームの細長い楽屋が見える。思ったとおり、そこから踊り子の残りが、わっとあふれ出てきて、――興奮のため、眼がくらんだような私には、わっというすごい感じ以外は何もわからず、もとより一人一人の顔などは眼に入らない、そんななかから、
「あら、――倉橋先生」
という声があった。声をたよりに眼を据えると、サーちゃんであった。
 私はこういう場合に慣れないので、とっさに言うべき言葉が浮ばず、やあ、やあと首を振ると、
「先生、マの字はいないわよ」
「マの字?」
 とぼけたと思ったのだろう、サーちゃんは意味ありげな微笑を残したまま、階段を降りて行った。そのあとで、マの字とは小柳雅子のことと気づいた。
 ――楽屋は、踊り子が出払って、がらあきで、楽屋着などが雑然とぬぎすててあるなかに、朝野がひとり泰然自若として坐っていた。「まあ、あがらんですか」
 自分の部屋ででもあるかのような声だったが、雑貨屋の二階の自分の部屋へは決して私をあがらせない朝野だから、余計奇妙な感じであった。それはともかく、がらあきなのにつけ込んで私は上り込み、そこで楽屋の内部をはじめて堪能たんのうするほど眼に収めることができた。
 細長い部屋の両側に、鏡台がずらりと並べてあって、多くは小さな卵形の赤い鏡台だった。北向きの片側は窓になっていて、そこからとぼしいながら明りが入ってはくるのだが、鏡台の上の方にこれまたずらりと、商店街の街灯のように電灯が並んでいる。電灯で暖を取るという話を前回に書いたが、その部屋の複雑な臭いを含んだムッとしたうん気には、そうした電灯の熱がすくなからぬ作用を持っているように感じられた。そうしてその電灯の上には、たしかに物干用と見られるひもが回してあって、洗濯した靴下、多くは最近流行の私の嫌いなあの人参にんじん色のもの、それに鼠色した下着といったものが掛けてあるが、電気の熱でもって乾かすのであろう。
 そうした干しもの風景を語っただけですでに、その部屋の薄穢うすぎたないなまめかしさは容易に想像されるだろうが、さて眼を鏡台の下に転ずるならば、へりのない赤ちゃけた畳には、あかじみた寝巻を丸めたのや、稽古着に稽古靴を一緒にしたのや、顔ふきのタオル等々が四散していて、たとえば不精な女の汚れものでもなんでもかまわずつめ込んだ押入れをのぞいたみたいな感じで、なまめかしさより薄穢さの方が強く眼に迫るのである。こう書くと、いかにも幻滅的な印象を伝えるのに努めているようであるが、しかしそこは、年若い踊り子たちが昼間はもとよりずっといるのだし、夜も大概は泊るのだから、ほとんど四六時中生活している場所である。したがって、穢いことは穢くても、その穢さのなかには、夢みがちな年頃の女たちが、できうるかぎりそこを楽しい生活の場所にしようとしている悲しくはかない努力が見られ、それは穢い印象を随分と相殺そうさいしているのである。たとえば壁には、牡丹刷毛ぼたんばけのかわりの、これはまた見るからに色気のない楕円形だえんけいのスポンジがつるしてある横に、――映画雑誌から切り抜いたらしい美男の外国俳優の写真が貼り付けてあり、たまには、こっちも女性のくせに美しい映画女優の顔も貼ってある。そして鏡台の横には、紅筆の立ててある脇に、小さなお人形とか、ファンから貰ったかあるいは貰った感じのなになにさんと書いた可愛い薬玉くすだまとか、その他少女の好みそうな小さな玩具が、いかにも大事そうに置いてある。そこだけ見れば、――それぞれの少女たちがその狭い場所で、精一杯楽しい生活を築こうとしている、その可憐な美しさが、見た眼を打たずにはいないのである。
 かくて私はそこの薄穢さに決して眉を寄せることはしなかった。といって、なまめかしさにひそかにニヤついたのでもなかった。私は何かもの悲しい気持になっていた。
 ――朝野が話しかけても、私は活発に返事をしなかった。すると、朝野は、
「早速、この楽屋風景をネタにするですか」
 ネタにしようというわけで考え込んでいると取ったのであろう。
「それとも、――」と朝野はつづけて言った。「小柳雅子がいないので、憂鬱なんですか」

 短いショウで、踊り子たちはやがてドヤドヤと楽屋に戻って来た。
 そして私の眼の前で、平気で、例の羽衣はごろものような衣装を脱ぐと、――いや、たとえ平気でなくても、部屋が丸見えのところにあつかましく坐り込んでいる私の眼から隠れて脱ぐことはできないわけだが、――踊り子たちは、冬だというのに汗をかいていて、ほとんど半裸にひとしい恰好で(すなわち踊りはいかに激しい肉体労働であるかを如実に示しつつ)鏡台の前に、眼白めじろ押しにならんで、化粧を落しはじめた。しまい忘れた枕の上に、どっかと腰かけて男のように膝を立てて、首を鏡台につき出しているもの。男のようにと言えば、裸の足が男の毛脛けずねのように毛深いもの。裸の足と言えば、横坐りに坐った足のうらが、真黒なのもいる。それらは、ちょっと幻滅的であった。
 ところで、そうした踊り子たちは、年齢はもちろんまちまちだが概して二十はたち前のものの方が多いのに、客席からだと、ずっととしが上のように見られる。だから楽屋で見ると、感じがまるで違うのだが、同じ楽屋でも、化粧をつけたのと、化粧を落したのとでは、これがまたまるで違うのだった。
 ドギついドーラン化粧をおとすと、ゆで卵をむいたような、つるつるの、といっても卵のように白いわけではなく、過労からか、陽に当らないからか、黄色い、いやな色をした顔が出てくるのだが、眉も何もないその顔は、あれ? と驚かれるほど、まるで子供っぽい、というよりむしろ赤ん坊のような顔なのだ。化粧という字は、よそおうと書くが、全くもって化けさせる。(いつか女優としては経歴の古い女が、私に、――舞台化粧を施すと、お面をかぶったような感じで勇気が出てくる、気持がかわってくる、それで舞台に立てるが、素顔ではとても舞台に出られない、長い年月舞台を踏んでいるのだし自分でも相当図々ずうずうしい女だとおもっているのにやっぱり駄目だ、――と言ったことがある。)
 そうしたつるつるの素顔を、サーちゃんは、こっちに振り向けて、
「朝野さん、なんか会をやるんですって?」
「ああ、――誰に聞いた?」
瓶口ビングさんから」
 そう言うサーちゃんと小柳雅子とは、似ても似つかぬ顔立ちなのに、私はサーちゃんの顔を見ていると不思議にそこに小柳雅子の顔をまざまざと思い浮べるのだった。
「瓶口さん、こう言ったわよ、その会にあたしたちを呼んで、芸者がわりにお酌をさせるんだって、朝野さんが言ってたッて。――いやだわ。そんな芸者のまねみたいなことをするの」
「そんなこと、おれ、言やしないよ」
 しかし朝野は明らかにあわてていた。
 その瓶口黒須兵衛ビング・クロスビーと、あとで楽屋の入口のところで会った。
 瓶口はりゅうとした洋服を着ていて、ピカピカ光った靴をはいていて、――その前に立つととみにみすぼらしく見劣りがする、汚い草履ぞうりをはき汚い二重回しをきた私の肩を、瓶口は十年の知己ちきのように親しげに叩いて、
「ねえ、先生」
「――は」
 その世界では大概の人が先生と呼ばれる。文芸部員、振付師などが先生と呼ばれるのはまだいいとして、艶歌師えんかしあがり、声色屋こわいろやあがりの漫才芸人などが小屋では幹部級というところから先生と呼ばれている。だから先生と言われるのに、そう驚くことはないと私はその頃はもう知らされていたが、しかしやっぱり照れて顔を撫でくり回していると、
「ねえ、先生。会をやって下さるんですッてね。ぜひひとつお願いします。正直に言いますが、あっしたち、今が一番大事なところで、――ここでグンと乗り出したいとおもうんで、――それには、どうしても先生方の後援がないと……」
「いやア……」
「そんなこと言わないで、ねえ、可愛がって下さい。お願いですから、あっしたちをひとつ売り出させて下さい」
 私も正直に言うが、――そういう工合にびられて、私は私のだらしない性分としてそう悪い気持ではなかった。いや、――陰で何を言われているかわからないと思っても、表面そう言われると、なかなかいい気持であった。私は、この瓶口とかつては同じ座にいたことがあるという末弘春吉のことを思い出し、末弘の何か下手なもそッとした態度と対比しながら、この瓶口はたしかに出世するなと思った。末弘の方が個人的には、つまり落魄的雰囲気の漂ったお好み焼屋などの好きな私には、親しみが持てる意味で、好きは好きだが、一方ヘンな虚栄心を心のうちの、どこか手のとどかないようなところに、そっと恥かしい皮癬ひぜんみたいに隠している私は、それを上手にいてくれる瓶口も好きだった。そして、この瓶口は、望みどおり出世したら私の好きでないタイプになるだろうと、そうした見当はついているが、出世前のこう気負い立っている瓶口は、いわば壮大な炎でも見るような快さで決して嫌いではなかった。
「おや、おや、ひどいふけだ」
 瓶口は私の二重回しのうしろを払ってくれまでして、
「小柳マーちゃんは十二月のはじめには帰ってきますが、会はまあ、――小柳マーちゃんが帰ってからでしょうね」
 フフフと笑って私の肩を叩いた。
 サーちゃんの言葉といい、この瓶口の言葉といい、私が小柳雅子に夢中なことは、いつかもう小屋中に「有名」になっているらしい。君が言いふらしたのだろう、そんな眼を朝野に向けると、朝野はくるりと私に背を向けて、
「瓶君は、実際全く、いやほんとうに張り切ってるねえ」
 すると瓶口は革手袋をはめた手を元気よくパンパンと叩いて、
「いま張り切らなきゃ、張り切るときはないんですよ」
「――人気が出てきたからなア」
「ここでぐッと、のしちまわないッと……」
「そうだよ、そうだよ」
 元気な言葉だが、うつろな声だった。その朝野はかつて私に、浅草は人間をぐうたらにしていけないと言ったが、そしてたしかに浅草の空気にはそうしたところがあるけれど、こうした瓶口などを見ると、ぐうたらな空気の裏には激しい生存競争が渦巻いていることを知らされ、私はぐうたらな精神を刺激され、興奮させられた。
「私も張り切らんといかん!」

 例によって私と朝野は地下鉄横町の「ボン・ジュール」に行ったのだが、その途中の新仲見世通りで私は、私が浅草へ来る前にうろついていた銀座の、その裏の方にあるとある「特殊喫茶」で顔なじみの、そこのいわゆる喫茶ガールの一人に偶然会った。もう随分その店へ行かないが、向うでも私の顔を覚えていたと見え、雑踏のなかに私の姿を発見すると、――まずいのに会った、そんな顔を横にそむけた。
 その女の横には、男がいたのであるが、女のその顔のそむけ方で、その男がその女にとってどういう意味のものであるかが明らかにされた。
 そうだ。私は今まで書かなかったが、こういう工合に銀座の女たちがランデヴーに浅草を利用しているのに、ひょっこりぶつかるのは、これが初めてではなかった。そして女も私も双方とも、この場合のように気まずい思いをするのは、これでもう何度目ぐらいか。かくて私は、銀座の女たちが、浅草だったら、店の客に会わないだろう、店へ来てうるさいうわさを立てるようなのに会う心配はないだろう、そう思って、浅草をあいびきの場所に選んでいることを知ったのだが、私の存在はその安心にいやなかげを投じたのであり、そしてまた顔をそむけられたことによって私はくだらぬ噂を立てるようなくだらぬ客のひとりと見られたことをも知らねばならなかった。ところで話は変るが、おかしなことに銀座の女が浅草へくると一方、浅草の地下鉄横町の喫茶店の女たちは、公休というと、銀座へ出かけて行き、これは必ずしもあいびきではなく、映画見物の楽しみを楽しみに行くのだが、映画なら手近の六区で見たらよさそうなものを、わざわざ丸の内に赴くのである。ある時私は、おかしいということを、その女たちの一人に言ったら、
「――だってェ、感じが出ないわ」
 颯爽とこう答えた。私は、わかるようなわからないようなうなずきをしたが、つづいて、その見る映画も洋画でないと「感じが出ない」由を知らされ、私はさらにわからないようなわかるようなうなずきをした。
 ――さよう、私は浅草で会った浅草の人間以外の人間のことを、今まで一度も語らなかったが、この機会に話をそれに移そう。

     *

 ――田島町の私のアパートの前の道を、六区の方でなくその反対の方へ、つまり「惚太郎」のある方へ行って、そのまま菊屋橋の電車通りに出ると、その電車通りはちょっと不思議な商店街をなしている。すなわちそのうちのひとつの店の看板を紹介すれば、

各飲食店道具
漬物寿司店用具

 こう二列に書いてある。その隣には「陳列びん店」という看板が掲げてあって、店をのぞくと、たとえば諸君がお前餅屋せんべいやの店先で見られるであろう、あのお煎餅の入っている電灯型の壜、または煙草屋の煙草の入れてある四角い壜、はては喫茶店などで「うちではこういう上等のコーヒーを使っています」といった風にコーヒーの豆を入れて出しておくのに使うような、どんぐりの実の形をした小さな壜、こうしたありとあらゆる種類の陳列壜が、――ほかには何もない、そうした壜だけが店にいっぱい並べてある。その隣には、洋食の皿、支那ソバのどんぶり、鮨屋すしやの大きな湯呑み、そんなのばかり売っている店があるかとおもうと、――ためしに電車道を横切って前へ行ってみると、そこには、安食堂のチャチな椅子いすからはじまって、相当立派な喫茶店用の長椅子まである、そんな家庭用でなく商売用の椅子ばかり売っている店があるといった工合に、その辺一帯は、もしも諸君が明日から急に「とんかつ屋」を開こうと思って、そこへ行けば、肉切り包丁、油鍋等の裏の道具から、テーブル、椅子等の表の設備品に至るまで一式がたちどころに揃えられる、そんな便利この上なしの商店街である。食いものやの道具だったら、なんだって売ってないものはない。割箸わりばし専門の店、各種薬味容器専門の店、それから……ああ、もうやめよう。
 ――小説が書けなくなったら、ここで安道具を集めて、屋台でもやるかな。そんなあんまり楽しくない空想をしながら、あるとき私はそこを歩いていた。歩いていたら、そんな空想を誘われたのだが、浮かぬ顔の眼だけをおもしろそうに輝かせて、店をのぞきのぞき、合羽橋の停留場のさきまで行ったとき、
「よオ、これは」
と声をかけられた。見ると、大森の、私のもとよく行った喫茶店のバーテンダーで、
「お珍しいところで――」
 驚いている顔に、
「あんたもまた、大森からこんなところへ何しに……」
「あたしは、クリスマスの飾り付けを買いに……」小脇にそれらしいものをかかえていた。
 ああなるほどと私は思った。そういうものばかりをまた専門に売っている店が、そこにあるのだ。
 私はやや億劫おっくうな気持だったが、相手のいつまでも消さない不思議そうな表情がうるさいので、私がそんなところを散歩しているわけを手短に語った。そしてバーテン君が六区の方へ回って帰るところだと言うので、一緒に芝崎町の方へ曲ったのだが、そこは浅草公園の方から言うと、国際劇場の裏に当るところで、ここがまた不思議な一画なのである。
 その通りは通称お菓子屋人道じんみちといわれ、軒並みお菓子屋だらけ、――お菓子を製造する家ばかりがその一画にかたまっている。このお菓子屋人道というのを私はながい間、お菓子屋新道しんみちをそうなまって言っているのだろうと勝手に思い込んでいたが、ずっと後になって、お菓子屋人(お菓子屋さん)の道というのだと知らされた。
 まっすぐに行けば、国際通りに出るのだが、中途でなんとなく右に曲って合羽橋通りに出た。
「みんな、元気?」
と私はバーテンダーに言った。「すっかりごぶさたしているが、栄ちゃんなど相変らず元気かね」
 栄ちゃんというのは、そこの喫茶ガールの一人の名である。と言っても、そこには女の子は二人しかいないが。
「栄ちゃんは、やめました」
「やめた?」
百合ゆりッぺに追い出されたようなもので……」
「ほう」
 店では栄子の方が古参で、その百合子というのがまだ店へ入ったばかりの頃、栄子と百合子がこんな話をしているのを私は側で聞いたことがある。それを、ふと思い出した。
「――振り返ったのが、いけなかったのね、きっと。危いと思って、軒下の方へよけたんだけど、よけた方へ自転車がわざとのようにやってきて、ドシン!」
「まあ、馬鹿にしているわね」
 百合子はくやしそうに靴のかかとで床を蹴った。呑兵衛横町という大森駅近くの線路脇にある細い路地でのことだという。
「痛かったわ」
 栄子は和服だった。「あたしたちも、よくあるじゃないの。自転車をよけようとおもうと、かえって自転車の前へ行ってしまったりすることがあるわね。その自転車も、きっとそうだと思うわ。あたしが振り返ってあわててよけたりしたもんで、ハッとして、かえってあたしの方にぶつけてしまったんだわ」
「冗談じゃない。わざとかもしれないわ。気をつけろッて、どなってやればいいのに。あんた、そんとき、なんて言った?」
 栄子はクスクス笑い出した。
「おかしな栄子さん」
「だって、自分でもおかしいのよ、考えてみると。あたし、思わず、ごめんなさいと言っちゃったの」
「まあ……」
「おかしいけど、――わかるでしょう」
「わからないわ」と百合子。歯を薄情そうにツウと鳴らす。
「わかるね」
と、私は口をはさむのだった。
 私なども、たとえば人に足を踏まれた場合、邪魔なところに足を出していたこっちが悪いような気がして、先方が「――失礼」と言うと「いや、いや」と恐縮するのが常である。
 ところで、そうした栄子がどういう事情か知らないが、新参の百合子から店を追い出されるようにしてやめたという。どうして? と聞かなくても、百合子に追い出されたというのが、いかにもあり得べき事柄のようにすッと頭に入るのだった。どこか、いい店へ移れたのであればいいがと祈るのだったが、しかし栄子のような女の上には、絶えず世の荒波がひとしお荒く襲いかかり、百合子のような女は、それこそ荒波に、気をつけろとどなりちらして、わがままに強く仕合わせに生きて行くことであろうとも思うのだった。
「栄ちゃんは、いい子だったがな」
「いい女にはいい女でしたがね。でも店にとっては、――栄子と百合子と喧嘩けんかした場合どっちを取るかということになると、百合ッペの方が客扱いがうまいですからね。栄ちゃんの方が古いことは古いし、可哀そうだったけど、どうも……」
 そこへ私は再び、
「よオ、これは」
と、声をかけられた。ドサ貫で、ちょうど「どじょう飯田」と書いた黒い暖簾のれんをくぐって出てきたところだった。
「――よオ」
 連れがいるので、挨拶したまま行こうとすると、
「倉橋さん」
 ドサ貫は追って来て、「ちょっと話があるんですけど」
 何かギョッとさせられる固い顔だった。
 言いおくれたが、――クリスマスのデコレーションを買いに来たというので、すでに読者は察せられたこととおもうけれど、そのときは十二月ももう半ばであった。つまり前節との間には一月ばかりの時の経過があるわけである。……

 ――何か、ひけらかすようなことばかり書いたようだが、あえてその調子をつづければ、合羽橋通りを国際通りに出る左角に「今半」があり、そのビルの二階に風呂屋がある。合羽橋通りに向けて、その入口があり、二階に「日本政府登録ロンジン精浴――ガラス湯」という看板が出ているが、ガラス湯というのは、何も湯槽などがガラスでつくられているというような意味ではなく、今はもうないけど、もとその裏手にガラス工場があり、そこで使った湯をひいてきて銭湯に利用したところから、ガラス湯という名が出た、――ということである。二階の銭湯は公園にもあり、珍しくないが、ガラス湯という名はちょっと珍しい。
 その風呂屋の下には「ときわや食堂」「丸与果実店」それから「河金」という小屋の人々の間に有名な洋食屋、その三軒があって、さらに地下室には「花月」というビリヤードがある。
 ちょうどそこへさしかかった時、ガラス湯の、真冬なのに少しとはいえ窓をひらいた、その窓から、パンパンという、三助が肩を叩く気持のいい音が聞えてきた。冬らしくないさわやかな音だったが、そうした音が私の耳に入ったというのも、私たちは、――真中に私、左右にバーテンとドサ貫、いずれも黙って、歩いていたからだった。そして、くどいようだが、黙って歩いていたというのも、ドサ貫の表情が何かけわしかったからで、ドサ貫の素姓すじょうを知らないバーテンは、こいつ、エンコのうるさがたかな、といった、これまた険しい表情で、私も、――私はドサ貫の素姓は知っているが、その異様な気配に口がきけず、むずかしい顔をしていたのであった。
[#改ページ]


第十回 酉の日の前後


 国際通りを横断して、左角に「聚楽じゅらく」(ついこの間まで観音劇場)、右角に「広養軒」のある通りを、そのまままっすぐに行こうとすると、
「こっちへ行きましょう」
ドサ貫が「広養軒」の方を指さした。「O館の奴らに会うと、いやだから……」その通りのさきに、ドサ貫がもといたレヴィウ劇場のO館が見える。
 私たちは、ドサ貫の言うままに、右へそれたが、少し行くと「広養軒」の女給に会って、
「今日は。――この間は」
とあいさつされた。
「シャンですね。女優かなんかですか」重苦しい空気を払いのけようとするように、喫茶店のバーテンダーが言った。
「広養軒の女給さんさ」
「ああ、あの角の。あすこは古いカフェーですね」うしろを振り返って「カフェーの女給か。綺麗な女だな。女給には見えないな」
「この間まで女優さんだったのだ」
「なアるほど」
 バーテン君は感心したようにうなずいて、(その首には瘰癧るいれきかなんかの傷痕きずあとがあった。)
あすこはムーラン・ルージュの人がやっているんですってね。――倉橋さんは、あのカフェーのおなじみで?」
「いや、一度行ったきり、この間初めて」
 女給さんに愛想よくあいさつされたりして、いかにもおなじみさんのようだが、その時私がびっくりしたような照れたような顔をした、その顔を見れば、私の言葉がうそでないことがわかる。私は、とある知人に誘われて、それまでその名、評判は知っていたが、ついぞ入ってみたことのない、入ってみたいという誘惑も感じたことのないその店へ、数日前に初めて行っただけである。その知人というのは、今はいないが「お絹さん」というのがそこで鳴らしていた時分、すなわち銀座の「ライオン」で「お近さん」が鳴らしていた時分のことだが(正確に言えば「お近さん」の時分よりすこしあとだが)、わざわざその「お絹さん」を張りに山の手から浅草へ通っていた人で、知人と心やすく呼んでも私より一まわり以上年上の、そしてカフェー通いをしていたというと何かヤクザな感じだが、今は堂々たる某会社の幹部、たとえば事変後大陸へ、ちょうど私などが省線電車で大森と浅草を行ったり来たりする程度のなんでもなさで幾度か飛行機で行ったり来たりしているといった人、その人と、その人が北京ペキンから帰って何日目だとかいう日に、私は会って、「この頃、どこで遊んどる」と問われて、「浅草で遊んでいます」と言うと、
「久し振りだ。行こう。――広養軒へ行こう」
 その人にとっては、浅草といえば「広養軒」――という感じらしい。同じく銀座といえば「ライオン」という感じの人もあるだろうが、その「ライオン」のなくなった今日、「広養軒」が依然その時分のカフェーらしい感じで、そりゃ幾分違ってはいようが、それでもとにかく残っているのは、その人にとって、たとえ「お絹さん」がいないたって、なんというか、幸福なことだと私は思った。私がその店に何の魅力も感じないのは、おそらく私がいわゆるカフェーの全盛時代を知らず、噂は聞いていてもそれは私の謹厳な学生時分のことで、幾分おくての私の「遊蕩」の歴史はその後、銀座にカフェーに取って代って現われたバーのなかで初めて始められたことにもよるだろう。カフェーというのはどうも「新時代」の私にピンとこないのだ。それに、その店の、なかへ入らないでも外からうかがわれる雰囲気が、いわば浅草的でなく銀座的、――銀座的に土地柄浅草的を何パーセントかまじえたような趣で、それも私にぴったりしないのだ。私はその知人に連れられて、なかへ入って、――なるほど評判にたがわず女給は美人揃い、しかも山の手の(しかも往年の)令嬢か何かのようにしとやかで、知人とならぶと、私は知人同様浅草の外の人間なのに、なぜか自分がそこにそぐわぬ浅草の人間のような気がし、知人の某会社の幹部がその店といかにもぴったり合っているのを見出した。
 私に愛想よくあいさつしたその女給さんは、つい前まで新宿の舞台に立っていた、まだ二十前の娘で、バーテン君が「綺麗な女だな」と嘆声を発したのも無理はない、いかにも、溌剌はつらつとした若さに輝いた美しい娘だった。舞台にいた頃、将来が大いに期待されると、その方面の人々に嘱望しょくぼうされ、新聞の劇評にもそう幾度か書かれ、やめる前にもそうした賞讃的記事が書かれたところだったのに、どうしてやめたのか。そのレヴィウの舞台からは、すでに何人か映画スターやレコード歌手などが巣立っていて、その劇場はスター養成所だとさえ言われているところだ。舞台に絶望して女給に転向したというのならわかるが、これからというところで将来の望みを捨てたのは、わからない。いや、わからないと言えばわからないが、いわゆる金のために違いない。女給の方が、金になる。ほかにも何か事情があったのだろうが。その美しい娘を見ていると、そうしたあまり心楽しまぬことが頭に来て、――私がそのカフェーで楽しい想いをしなかったのは、あるいは、そんなことにも一因があるかもしれなかった。思わぬ脱線をしたが、
「広養軒といえば、前の聚楽……」
とバーテンは言うのだった。「須田町食堂の発展は大したもんですね」
 各所にある「聚楽」という食堂は須田町食堂で経営していることは、私も知っていたが、
「――今度、花屋敷を買うそうですね」
 浅草にほとんど毎日いて、そうしたことを私は大森の喫茶店のバーテンから初めて聞くのだった。じゃの道はへびだと感心した。
「ふーん。花屋敷をね」
 ――往年の名物も今は廃墟のようになっていた。廃墟といえば、浅草のレヴィウの発生地のような水族館も廃屋のままで、深夜にその屋上のあたりから踊り子のタップの靴音が聞えてくるという怪談さえ出ているほどの惨憺さんたんたる有様である。(これはその後間もなく取りこわされた。「カジノ・フォーリー」のかつてのファンは夢の跡を失ったのである。)
 ――私の手もとに明治四十年発行の東京市編纂へんさん「東京案内」という本があるが(この明治四十年というのは、私の生れた年なので、この本には特別の感情が持たれるのだが)浅草区のところに、公園の地図が入っている。見ると、それに出ている大きな食いもの屋は大方今日も残っているのだが(たとえば田原町のうなぎの「やっこ」、広小路の牛肉の「ちんや」、天婦羅てんぷらの「天定」、仲見世の汁粉の「梅園」、馬道の鳥の「金田」、花屋敷裏の料亭「一直いちなお」、千束町に入って「草津」、牛肉の「米久よねきゅう」等。)興行方面となると内容はもとより名前もほとんど変っている。
 これで見ても、食いもの屋の一種の凄さがわかる。須田町食堂が花屋敷を買収するというのも、食いもの屋の凄さのひとつの現われにすぎないであろう。興行方面の有為転変ういてんぺんの激しさを示すべく、今ここに同書の六区の記事を掲げてみよう。

 六区に至りては、園内観物みせものの中心地とも称すべきものにして、区内を四号地に分つ。これが観物みものは、時々変更して一定しがたしといえども、しばらく明治三十九年現在のものを記せば左のごとし。
一号地※(始め二重括弧、1-2-54)現在の江川ニュース劇場と大勝館の間※(終わり二重括弧、1-2-55)
観物に大盛館(江川玉乗)(大人三銭小児二銭) 清遊館(浪花踊)(大人三銭小児二銭)
共盛館(少年美団)(大人三銭小児二銭) 共盛館(青木玉乗)(大人三銭小児二銭) 外にさるの観物。(以下略)
二号地※(始め二重括弧、1-2-54)現在のオペラ館のある一角※(終わり二重括弧、1-2-55)
観物に日本館(娘都踊)(大人三銭小児二銭) 野見(剣術)(大人三銭小児二銭) あり。(以下略)
三号地※(始め二重括弧、1-2-54)現在の千代田館と金龍館の間※(終わり二重括弧、1-2-55)
観物に清明館(剣舞)(大人二銭小児一銭五厘) 明治館(大神楽)(大人三銭小児二銭) 電気館(活動写真)(大人五銭小児二銭) あり。
劇場常盤座 (木戸六銭) 寄席金車 (木戸六銭) あり。(以下略)
四号地※(始め二重括弧、1-2-54)現在の富士館、帝国館のある所※(終わり二重括弧、1-2-55)
観物に日本パノラマ (大人十銭小児五銭) 珍世界 (大人五銭小児三銭) 木馬館 (五銭) S派新演劇朝日 (大人二銭小児一銭五厘) あり。
(以下略)

「――花屋敷を買って食堂にするのかしら。それにしては広すぎるし、花屋敷を復活させるのかな」
 私はそんなことを言って、その噂の真価をただすように、それまで無視していた形のドサ貫に顔を向けると、
「倉橋さん」
 くだらねえおしゃべりはやめてくれといったきびしい声だった。私は「惚太郎」でドサ貫に初めて会った時、彼が「すぐ空きますから、――すみません」と言ったその慇懃いんぎんを通り越した卑屈な声をふと思い出した。大変な相違だ。
 松竹座の前に来ていた。流行の女剣戟けんげきがかかっていて、座の前に、その剣戟女優が太股ふともももあらわに大見得を切っている一種奇矯な看板が出ている。
「ミーちゃんのことなんですがね。あの女にヘンなコナかけるのは、やめて下さい」
 ぴしゃりと言う感じで、そう、いきなり、――いや彼自身にしてみれば、いきなりではなかったかも知れないが。
コナをどうしたって?」私には何のことかわからなかった。ドサ貫は何か言おうとしたらしかったが、その時ちょうど真向うからからッ風がさっと吹きつけて来て、彼はゴホゴホとせき込んだ。胸の病いが大分進んでいるらしいのを私の耳に不気味に伝えるせきであった。
 日本館の方へれて、
「三の酉にミーちゃんと……」咳のためか弱々しい声で、ドサ貫が言うのに、
「うん、徹夜で……」
 私はうなずいて、手にまつわった二重回しの袖で、なんということなく鼻の脇をこすった。黒い羅紗地らしゃじに白いあぶらが、びっくりするほどのあざやかさで、べっとりと付いて、その不潔さに瞬間私は、二重回しの襟にふけをいっぱい落している朝野の不潔さを思い出しながら眉をひそめ、なるほど私も浅草の空気にそまったと思った。脂ははたいても落ちなかった。大森の家にいる頃は、冬は顔がカサカサに乾いて、こんなに脂が浮くことはなかった。――脂が浮くのは、というか、顔に脂をみとめるのは、そう悪い気持ではなかった。カサカサにしなびた感覚より何か健康的だからだが、こんなつまらぬ感覚も私にとっては、すなわち精神にすぐ作用する点でなかなか馬鹿にならぬことであった。
 左に愛玉只オーギョーチの店が見え、前にも書いたが、冬だというのに堂々と店先に出ている氷のかたまりは、道行く人々にとって魅力的であるに違いないといった自信に充ちた恰好でデンと坐っている。
「あんたの前の人……」
ドサ貫は鮎子のことをそう言って、
「――あの人が玲ちゃんから大屋五郎をさらって行ったみたいなまねは、あんなまねはしないで下さい」今は哀訴に似た声だった。
 あとで知ったのだが、コナをかけるというのは(さよう、今は流行はやらないが、もとよく使われた)モーションをかけるという意味の楽屋語だった。

 その大屋五郎と、数日前に私は銀座で会っていた。
「――おや、倉さん」
「――おや、ゴロちゃん」
 これが私たちのあいさつである。こんなあさましい(私は何もあさましいとは感じなかったが)言葉でもって容易に想像がつくであろうが、私たちはお互いに肩を叩かんばかりの恰好で、――そうだ、外国映画などを見ると、親しい友達が久し振りに会ったりすると、パッと抱きついてまるで恋人同士みたいにお互いの背中を叩きあったりする場面が出てくるが、私たちがもし外国に生れていたら、あるいはそんな工合に抱きついて親愛の情をむき出しに現わしたかもしれない。
 ゴロちゃんというのは、私の前の妻の鮎子の現在の亭主(あるいは情人)、それも私からそむき去って行った女の情人(あるいは亭主)なんだから、人によっては、こんなに親しそうにする私たちを妙な男たちだと思うことだろう。いや、妙な男たちには違いない。私も前は、――鮎子から「これ、ゴロちゃん」と紹介されて、いっしょに飲んだりした時は、いっしょに飲むのさえいささか妙だと思ったものだが、何分おもしろい相手なのでたちまち、いや私もゴロちゃんからおもしろい相手と思われたかもしれない、とにかくたちまちのうちにすっかり親しくなって、やがて妙だというような感覚はなくなった。思えば、私たちは特殊な関係という点で逆に親しくなったようでもある。たしかに異常な親しさであった。
 その異常な親愛の情を、私は従来の習慣通り言葉や顔に現わして、――ハッとした。ドサ貫の話が、激しい痛苦を伴って私の脳裏にひらめいたのである。(――市川玲子を殺したふてえ野郎だったのだ。)私は顔をゆがませた。
 それを言おうとすると、ゴロちゃんの方が先に、
「鮎ちゃんに会ったですか?」(鮎子と言うのが普通だろうが、ゴロちゃんはそう呼び、鮎子も大屋五郎のことを人前でゴロちゃんと言っていた。)
「いいや」と私は首を振った。「――上海から帰ったの?」
「もう半月以上になる……」
 そして「今日は寒いのかしら。暑いのかしら」と変なことを言ったかと思うと、不意にラララと小声ながら、人混みのなかだというのに身振りまで入れて歌い出すのに、
「この頃、僕は銀座に出ないから」
「ラララン……。えれえ豪遊なアストラカンかなんか着込んで、大変なもんですわ」
 身体の両側に、ほこりでも払うような手をさっと走らせると、それはオーバーの表現なのであろう、つづいて自分の肩を振って、しゃなりしゃなりと歩く身振りをして見せる。
 私はゴロちゃんの語調に異様なものを感じながら、
「――で、今はゴロちゃんと一緒?」
「それなんで」
 すさまじく大きな声でそう言って、ゴロちゃんは物をつまみ上げるような手を顔の前にやったかと思うと、
「パッ!」
 奇声とともにあたかも手につまんだものを私の顔にぶっかけるみたいに、パッと指を開くのだった。
「なんだい。気持の悪い」
 私はギョッとさせられた。その「パッ!」に驚かされただけではない。しょっちゅうふざけているゴロちゃんは、その時ももちろんふざけた調子だったが、私はその奥に何か薄気味の悪いさむざむとしたものを感じたのだ。ふわふわとしたなかにコツンと固いものがある感じだ。
「ヘッヘッヘ」
とゴロちゃんは咽喉のどを鳴らして笑った。見ると顔は笑ってない。
「……?」
 だが次の瞬間ゴロちゃんは、――パッとやった手をちょうど手を挙げろと言われたようなぶざまな恰好で上に挙げていたのを、くるりと内側に向けると自分の顔にべたりと貼り付けるみたいに当て、それこそつらの皮でもぐような乱暴さで、ずるずると顔を撫でおろした。そしてむらむらのできた顔で、
「ねえ倉さん、――あたし、なんかオカしいかしら」
「オカしい?」
いかれてるって言やがんで、僕のことを、みんなして」あたしと言ったり僕と言ったりして、「――そう言われると、自分でも少しオカしいと思う時もあるんだが」
「しっかりしろよ。ゴロちゃん。どうしたんだい。何を言ってんだか、さっぱりわかりゃしない」
 もともと会話の間に連絡のないとっぴなことを、ひょいひょいと言ったり、したりする彼で、彼との会話は慣れないと骨が折れるのではあったが、それが少しひどすぎた。
 ゴロちゃんは歯をむき出して、今度ははっきり笑って、
「――ゴリラ」
 そう言ったかと思うと、
「倉さんの二の舞なんで。テヘッ」
 おでこをポンと叩いた。大きな音がした。そしてそのせいか、――末すぼまりのとっくりズボンの、見るからに何か心もとない足もとを、よろよろとさせるのだった。
「ゴロちゃん。……」思わず私は叫ぶように言うと、
「それなんで」
と奇怪なレヴィウ役者は独り合点をして、
「それが面白いんで」パンと手を打つ。
「何が?」
 それに答えず、
「気がついて見ると、驚くなかれ、なんにもないんだ。そしてドロン」
「何がないのさ」
「道具。鮎ちゃんの道具。利口な女ですね、あの女は。――あの女は豪遊な道具を持ってるなア」
「はじめから話してくれよ」
 すると相手はキョトンとした顔でしばらく私を見ていたが、
「寂しかった? こう言うんですよ」
「フンフン、上海から帰ってね」
「ああ、寂しかったよ。(これはゴロちゃんの言葉のはずなのに、女の声のようにして言って)ところがね、鮎ちゃんは、諸君驚くなかれ、あんまり驚かせろ! 上海で男をつくって、その男と手に手を取って帰ってきたんだが、ちっともそんな気振りを見せない。だから、こっちはちっとも知らない。そのうち鮎ちゃんは自分の道具をひとつふたつとアパートから運び出して、気がつくと、なんにもない。そしてそのまま、鮎ちゃんはあたしンとこからドロン……」
「気がつくと、てのはおかしいね」
「おかしいかな」小首をかしげるのに、
「おかしいよ。そんな……一緒に住んでて」
 私のところを鮎子がドロンをした時は、私が、留守の間に私に無断でトラックを雇ってきて、自分の道具を一挙に運び出し、同時に自分をも私との家庭生活の外へ運び出したものだ。
「そう言われると」
と、ゴロちゃんはびっくりしたように眼をまたたいて「――少し変だな」
「冗談じゃない」
「だから、ほらさっき言ったでしょう。自分でも少しオカしいと思う時もあるって」
「ゴロちゃん!」私は自分もなんだか変にさせられるような気持だった。いたましい想いと腹立たしい想いが、こんがらかっていた。「みんなが、ゴロちゃんのことをオカしいと言うのは、鮎ちゃんがドロンしてから? それともその前から……?」
「ドロンしてからですよ」
 ヘンに力んで、
「それでいかれたらしいと、みんなが言やがるんだが」
「で、ゴロちゃん、小屋の方は」(これで勤まるのかしら?)
「やめちゃったア」と彼は至極朗らかに言うのだった。
 クビになったのだろうと思いながら、
「で、今どうしてんの?」と聞くと、
「もっぱらこの方で……」
 盃形に丸めた指を口に持って行って、
「クイクイとね」
 金は? 言えないでいると、
「鮎ちゃんって、いいとこあるなア。鮎ちゃんにみついでもらっているんですよ」

 ――私はドサ貫から聞いた話を結局ゴロちゃんに言わないで別れた。ゴロちゃんはクイクイと盃を傾けるまねをすると、それでとみにその欲望にあおられたらしく、それを舌なめずりに現わして「パイ一、どうです」と言い、私が「仕事があるから」と断わると、あっさり「じゃまた、――元気で」と私が言わねばならぬようなことを逆に言って、例の心もとない足をからませるようにして、それは前からの歩き癖ではあるのだが、一層ひどくした蹌踉そうろうたる足どりで、折からの銀座の出盛りのなかにまぎれ込んでしまった。で、言えなかったのだが、――ゴロちゃんのあまりの異様さに私はたまげて、呑まれたような想いで、それで言えなかったところもあるのだ。私は、別れたあとでも、精神的眩暈めまいからしばらくは立ち直ることができなかった。
「ゴロちゃんはどうかしている」
 そう言う私まで、頭がオカしくなったような気持だった。ところで、その混迷を一筋あざやかに貫いているものがあった。それはゴロちゃんから聞いた鮎子の行状への、感嘆に近い驚きであった。上海で男をつくったというのは、いかにも鮎子が支那へ行っても内地にいた時と同じ自分を押し通している感じで、――鮎子の一種の逞しさにはかねて私も舌を巻いていたが、いまさらながらその図太さに驚かされたのだった。
[#改ページ]


第十一回 再び現実の攻撃について


 話をもとに戻して、――私はドサ貫から、鮎子が大屋五郎を美佐子の妹からさらって行ったようなまねをするなと言われたが、――それは美佐子に対して邪恋をしかけるなという意味に違いないのだが、私にはとんとせぬ言葉であった。だが三のとりに私は美佐子と徹夜で遊んだ。それを何かドサ貫が誤解しているらしいということだけはわかった。
 とんでもない誤解であると私は言った。言うのもあほらしいくらいであった。
「誤解?」ドサ貫が三方白の眼を私に注ぐのに、
「うん」
 私は大きく首を振ったが、ドサ貫は何も言わず、首を小刻こきざみにうなずかせた。承認のうなずきではなく、そうして私の言葉を吟味している風なのに私は心おだやかでなく「大屋五郎といえば、君、――今度ゴロちゃんは可哀そうにはっきりと鮎子に振られてね……」
 話をはぐらかすように言ったが、ドサ貫は依然何も言わなかった。その無言の圧迫から逃れるため、つづけて私は、
「ゴロちゃんは、そいで、――ゴロちゃんに、こないだ会ったのだが、どうも少し変なんだ」
「変?」ドサ貫はやっと口を開いた。
「うん、なんか、こういかれたような、頭の調子が変みたいな……」
 喫茶店「ハトヤ」の前に来ていた。入ろうかと、ドサ貫とバーテンダーのどちらへともなく言って暖簾のれんからのぞくと、満員であった。ここはいつだって満員でない時はないが、客の多くは六区の小屋の人々で、それが一杯五銭のコーヒーでほっと一息ついているのや、ホット・ドッグの腸詰の代りにカレー・ライスのカレーを入れたカレー・ドッグというのをほおばっているので、狭い店のなかはいっぱいである。
 やめて、歩き出したが、公園劇場の前へくると、
「では、ここで……」
とバーテンダーが、たぬき横町の方へ手をやって、
「ちょっと寄ってくところがありますので」
 私を一人残して行くのが気がかりだがといった顔だった。
 ――ドサ貫と二人になった。

 ――三の酉は十一月二十五日であった。(一日が一の酉で、十三日が二の酉で、――)二十四日の晩に私は「惚太郎」でお座敷の仕事の帰りだという美佐子と会った。
になっちゃうわ。踊って帰ろうと思ったら、ついでに酌をして行けだって。……まるでダンス芸者じゃないの」
 美佐子は眼のふちを赤くして、だるそうに鉄板の前に坐った。
「ミーちゃんは、それで、サービスしてやったの」
 貝のままのはまぐりを鉄板の前にのせて、ご飯しのアルミのふたをすっぽりとかぶせながら、そう言う「惚太郎」の細君の声には、たしかに軽い憤りがこめられていた。
「だってエ、――馬鹿にしていると帰ろうと思ったところ、そこの、芸者衆だったらお出先と言うのね、お出先の女中さんにまあまあと頼まれちゃって。お客さまが、ああおっしゃるんだから、ひとつ頼むって言われちゃって」
「お客さま? なアに、そのお客さまは」
 細君は自分がはずかしめを受けたように、はっきりと怒った声だった。
「なんの宴会なの。――どこ? そのお座敷は」
「○○の△△荘」
 はがしで鉄板を、軽くだがヤケな感じで美佐子は叩いて、
「――どっかの工場の旦那方らしかったわ。軍需景気って口ね、いやな客」
 側で子供が、もう夜も遅いのに玩具のタンクでひとりでおとなしく遊んでいる。
「ミーちゃん。……」
 小皿のむらさき青海苔あおのりをふって私の前に差し出すと、細君は膝の上に両手を重ねて、美佐子に眼を注ぎ、
「――これからは、そういう時、ミーちゃん、はっきり断わらなきゃ駄目よ。いいこと。あんたは宴会の余興に呼ばれて踊りに行ったんですよ。そんな、客の酌をしに行ったんじゃないんだから、――ねえ」
と台所に顔を振り向けた。台所では惚太郎が背を丸めるようにして煉炭の上に手をかざしていた。
「――ねえエ」と細君は口添えを促すように再び言ったが、――保定で戦傷を受けたという帰還兵の彼は、傷のところと覚しいももそッと手を当てがって、薄笑いを浮べたきり別に何事も言おうとしなかった。それは柔和な微笑ではあったが、私は私の胸を鋭く貫くもののあるのを感じた。
「そりゃねえ」
と、細君はひとりでつづけた。
「踊り子から芸者になったのもいる。だから似たようなもんだと、そんなお客は思ってるんでしょう。でも……」
 チンと貝がアルミの蓋を蹴って口をあけた。貝の汁がジジジと鉄板に焼きついた。
「ミーちゃんは舞台から離れてるといったって、まだ芸人なのよ。芸人は芸を売ればいいのよ。女中に頼まれたからってお酌なんかすることないのよ。――そんな軍需景気の奴なんかに、浅草の芸人をなめさせるようなまねをしちゃ駄目」
「お姉さん」
と美佐子がさえぎった。手袋をはめない手が、外の寒気で赤くなっているのを台の上にベタリとついて、
「ごめんなさいね。――あたし……」
「あやまることなんかないわよ。ミーちゃんはさぞかしいやな気持だったろうと思うと、あたしもつい腹が立って……。ミーちゃんが勝気なのは、あたし知ってる。よくよくだったろうと思うと、あたしだって腹が立つのよ。――お酒を大分飲まされたらしいわね。苦しそうね」
「ミーちゃん。水やろうか」
 それまで黙っていた惚太郎が不意に言った。
「すみません」
「よし」いたわる声だった。
 ジャーという水道の音のなかから、
「軍需景気か」
 惚太郎のつぶやきが聞えた。

 こうした晩であった。――その晩の十二時過ぎると二十五日で、三の酉がはじまる。十二時前から人々はおおとり神社につめかけている。
 どちらが誘うともなく美佐子と私とはお酉さまに出かけた。お酉さまの晩は、公園の食いもの屋は二時まで営業が許される。「聚楽じゅらく」の前へ行くと、二時までの営業のため帰れなくなる店員を店へ泊らせる用意のものだろう、夜具蒲団をうず高く積んだトラックがとまっていた。何か奇観で、私が思わず足をとどめると、
「あれ、一組十銭よ」と美佐子が言った。
「――え?」
「一晩借りるのが十銭」
「――なるほど」
 トラックにのぼった男が、貸蒲団らしい薄っぺらなのを、むしろでも扱うように鋪道にじかにストンストンと落している。
「――楽屋泊りも、今思い出すと楽しかった」
「…………」
「お座敷で踊って、おいモダンさん、俺の方にも酌してくれナンテ言われるようになっちゃ、おしまいね。来年はいっそ旅に出ようかしら」
 その日、昼はそうでもなかったが、深夜になると急に冷えてきた。首を縮めて鋪道を急ぐ人々の小刻みの足音が、暗いととみにだだっ広く見える国際通りの、黒い河のようなさむざむと光ったその面に、ざわざわと立ちこめていた。音は空へのぼらないで地を低くはっているようであった。
「――それとも、いっそ末弘さんと夫婦になって漫才でもはじめようかしら」
「夫婦?」
「ええ、末広さんと組んで……」
 菰被こもかぶりの上に名入りの提灯ちょうちんをいくつも張り出した馬肉屋けとばしやの店先では、若衆わかいしゅが熊手を預る台を組んでいた。
「但馬がお正月には東京へくるッて言ってきたわ。この間、手紙で――。あたし、倉橋さんのこと但馬に手紙で書いてやったの。そしたら但馬は、こっちへ来たら、倉橋さんに会いたいッて……」
「あ、そう」私は但馬に会ってみたかった。そこで、その話をしようとすると、美佐子はそれを避ける風に、
「熊手には入船と出船があるんですッてね」
「ふーん」
「芸者家なんかは出船、料理屋なんかは入船……」
「――なるほど」
 私はくしゃみをひとつして「僕らはどっちかな」
 原稿が大いに出た方がいいという意味では出船だが、金が入った方がいいという意味では入船だ。言おうとして私は、いつか誰かが雑誌社から原稿の依頼があったのを、もとより冗談の口調だが、○○社からお座敷がかかったと言ったのを聞いて、作家が芸者になぞらえられるのにいやな気がしたことのあるのを思い出した。出船を買うことはみずからを芸者と見なすことになる。そこで私は、
「――やっぱり入船だな。原稿がいくら出ても無料ただ原稿では仕方がない。――美佐子君たちは、ところで、どっちかな」
 しまった。芸人は芸人らしいプライドを持て、芸者のようなまねをするなと「惚太郎」の細君が言ったばかりではないか。そこで私は、
「そうだ。お嫁に行く娘さんなどは、特に縁遠い娘さんなどは、出船を買うといいわけだな。お婿むこさんを早く貰いたい娘さんは入船と……」
 以前はお酉さまの熊手は水商売客商売の人々しか買わないものらしかったが、今では普通の人たちも買っている。――我ながらうまい思いつきだと思ったが、金に結びついた縁起ものだから、ほんとうは意味をなさないのである。

「君は知ってやしないかしら」
と、私はドサ貫に言った。「熊手には入船と出船というのがあるんだってね。どういうのが入船で、どういうのが出船か……」
 もう歳末のあわただしさを漂わしている新仲見世通りを私たちは歩いていた。私たちの間には、気まずい沈黙がずっと続いていた。それを破ろうための私の言葉であった。
 ――どういうのが入船で、どういうのが出船かは、お酉さまの晩、美佐子とも話し合ったことであった。美佐子は入船と出船があるということだけしか知らなかった。
 熊手には宝船、的矢、玉茎、金箱、米俵、お多福面、戎大黒えびすだいこくなどが飾り付けてあるが、これが千差万別で、どれが出船でどれが入船か見たところではさっぱりわからない。熊手を買って聞いてみればいいわけだが、口あけの店で小さな熊手を買うのも気がひけ、「――宝船に何か区別があるのかもしれない。へさきが左になってたり右になってたりするんで区別するのかもしれない」などと言って、素通りしてしまった。しかし熊手には、小さいのになると宝船のついてないのがあり、ついていてもそのような区別は見られなかったから結局わからずじまいであった。熊手の代りにささ枝にいもを貫いたのと切山椒きりざんしょうを買って美佐子のお土産にし、熊手は鷲神社でそれぞれが買った。
「あたし去年もこの熊手。ほんとうは倍のを買わなきゃいけないんだけど……」
「僕もそうだ」
 思えば前の年は、鮎子と大屋五郎と、それから誰か他にもいたが、そうした顔触れでお酉さまに来た。鮎子は銀座のバーに出ていて、大屋五郎と別れるとか別れたとか、私ははっきり聞こうともしなかったが、――お酉さまでは、二人は「いやだわ」「よせよ」などと言って肩を叩きあって、至極朗らかにはしゃいでいた。
 吉原病院の方へ抜けて、吉原に入った。仲の町は、お酉さまへ行く人、帰りの人で、ごった返していた。「角海老かどえび」の前庭を、素人の女たちが、見物するのはこの時とばかりに、ひやかしの男に混ってゾロゾロと通り抜けている。そういう場合どういうものか、惨めな側にすぐ自分の心を置く癖の私は、――同じ女と生れてきながらいかなるめぐり合わせか、自分のせいではなく苦界に身を沈めねばならなかった女が、同じ女に、のんきそうに遊んでいる女に見物される苦しみを考えると、それはあまり気持のいい風景ではなかった。
「どこかで飲むの、倉橋さん」
と美佐子が言った。ぶっきら棒な調子だが、その眼にはなまめいた色が輝いていた。
「うん、どうするかな」
「飲むんなら、つきあうわよ。あたしも飲むわ」
「だったら喜久家へでも寄ろうかな」
 綺麗な姉妹がいるので知られている店で、江戸町の角にある。
「あたし、倉橋さんにちょっと話があるの」

「さあ……」
 ドサ貫は冷やかな声で「知らんですね」
 再び沈黙が来た。仲見世に来た。いつもならその雑踏をさっさと横断して、――そこまで来たら地下鉄横町の「ボン・ジュール」へ行くにきまっていた。だがその時は、喫茶店でドサ貫と向い合って坐るのはたまらない感じで、私は左にそれた。浅草に部屋を借りてもう半年以上になっているのに、私はどうした加減か、仲見世とか観音様の境内とか、それから六区の映画館街とか(これは前に書いたような理由はあるが)、つまり浅草の正式の顔といったようなところはあまり歩いたことがなく、私のぶらつくところはおおむね背中のようなわきの下のような指の間のような裏通り、時とすると……のような辺であった。仁王門へ向け、浅草の花道のような仲見世を堂々と(?)歩くのは珍しいことであった。
「君は何か誤解しているらしいが、――誤解が晴れないようだが」水洟みずばなをすすって幾分どもりながら私は言った。
「誤解ならいいんですが」
 ドサ貫はかかとで敷石を蹴って「もしほんとだったら、――これからでも万一あんたがミーちゃんを誘惑するようなことをしたら、僕は……」
「――君」と私は思わず荒い語気でさえぎった。だがすぐヘナヘナと崩れたふざけた調子で「なんだか脅迫されてるみたいだね」
「ええ、脅迫しているんです」
 何か滑稽な言葉だけにかえって凄味すごみをはらんで「僕はまじめに脅迫します」
「………」
「ミーちゃんとかぎらない。浅草の女に手を出すようなことはしないで下さい」
「…………」私の頭に小柳雅子のことが来た。雅子に対して私は手を出すといった気持ではないと自分ではしているが、しかし……。
「いつか死んだ玲ちゃんの話をしましたね。大屋五郎に捨てられてそれで病気がどっとひどくなって、舞台で血を吐いて死んだ……。まるで新派悲劇のような……。だが浅草の女は大概新派悲劇の主人公のようなものを持っているんで。そりゃ、ひどいのもいる。あんたの前の女に負けないようなのもいるにゃいるが……」
 血みたいな赤さの唇をゆがめて、ドサ貫はものを押しつぶすような気持の悪い笑い声を立てた。それは物体にたとえれば、いやな汁をいっぱいに含んだ海綿か何かのような笑いだが、私は柔かい海綿でなく固い石を発止はっしと頬に打ちつけられた感じだった。鮎子に向けて投げられた石なのだが、私はそれをなぜか自分の頬に感じた。私のうちにむらむらと怒りが燃え立った。
「そりゃね、鮎子は悪い女だといえば悪い女だが、――」
 私は何も鮎子を弁護したいわけではなかった。だがそうして怒りを吐き出していた。「悪い女には違いないが、また言ってみれば男が馬鹿なのさ。駄目なのさ。僕もその一人だが。――そして他の女だっても、馬鹿なのさ。駄目なのさ。それが鮎子を悪い女にしているところもあるんだと思う」
「――浅草の女は馬鹿ですね」
 ドサ貫は噛みつくように言った。「でもその馬鹿なところがいいんじゃないですか」
「それはそうだが……」
 私は何か愚かしくなって口をつぐんだ。
 ドサ貫がなんで急に私に対して、彼みずからも言ったような脅迫的な態度に出るようになったのか、私にはわからなかった。その方に私は頭を向けた。私にわかるのは、美佐子に彼がどうやら夢中だということ。そのため……?
 いや、底を割れば、バカバカしい話なのだから、もったいぶった書き方はやめよう。後で知ったのだが、美佐子がドサ貫をけしかけたらしいのだ。ドサ貫が自分に惚れていることを知っている美佐子は、その点を利用して彼をけしかけたのだ。私が美佐子を誘惑しようとしているとドサ貫に、そうはっきり、うそを言って、けしかけたのか、それともそのようなことをなんとなく言ったのを、美佐子に惚れているドサ貫が嫉妬心からそんなように取ったのか。その辺のことはわからない。だが美佐子が私をとっちめるようにとドサ貫をけしかけたことはたしからしかった。ではなぜ美佐子はそんなことをしたのか。
 美佐子はお酉さまの晩に、自分から言おうとしたらしい。自分で私をとっちめようとしたのだ。美佐子が私に、「――ちょっと話があるの」と言ったその話とはそのことだったらしい。だがその話を美佐子はとうとうしなかった。そしてその代りにドサ貫をけしかけ、自分の代りにドサ貫にやらせたのだ。なぜ美佐子は私をとっちめようとしたのか。……

 ――私たちは観音堂をまわって、右手の裏に来ていた。観音堂前の賑わしさ、雑踏は、左にそれて、その裏はうそのように寂しかった。ついそこの、つい今通ってきた仲見世の賑わいが夢のような感じのする、そこは蕭条しょうじょうとした場所だった。
 森鴎外おうがいがその撰文を書いたという、九代目団十郎の「しばらく」の銅像がある。そのさきに、お坊さんたちのモダンなすまいがあり、その角の公孫樹いちょうの下に寂しい場所に似合わない公衆電話がポツンと立っている。折から、被官稲荷いなりの方から参詣の帰りらしいいきな女が出てきて、その前でちょっと思案する足をとどめて足もとの公孫樹の落葉に眼を落したが、さっと身をひるがえして、公衆電話のなかに入った。寂しい周囲のため異様に際立つそのなまめかしい風情ふぜいからか、またはそうした寂しい場所の人目につかぬ公衆電話というところからか、――好きな男へ電話をかけるのだろう、いやかけるのに違いないと、奇妙な的確さで想像されるのだった。私のうちに小柳雅子への慕情がこみあげてきた。私は団十郎の緑青ろくしょうを帯びた黒い顔を見上げながら、
「浅草の女に手を出すなとさっき君は言ったが、――誤解されるといけないから、ひとつ君に言っとこう。僕は踊り子さんでひとり好きな人がいるんだ。ただ好きなだけで、どうこうしようというわけではない。しかしその僕が好きだというのが変な工合に君の耳に伝わってもなんだから言いますがね」
「誰です」
「K劇場の小柳雅子」
「マーちゃん?」
「うん、マーちゃん」
「ち、ちょっと」ドサ貫は立ちどまって「それは、あんた、――倉橋さん、ご存じなんで? それはミーちゃんの妹で……」
「妹?」私も立ちどまって「妹だって、――すると死んだ玲ちゃんというのは……」
「玲ちゃんが真中、マーちゃんは一番下の妹」
「君、それ、ほんとかね」
「うそ言ってどうするんです」
「だって、なんぼなんでも美佐子君の妹とは……。美佐子君は今まで何もそんなことを……。僕が小柳雅子のファンだってことを美佐子君は知っているはずだ。だのに、そうしたことをミーちゃんは何も……」
「言わない。……」
「おくびにも出さないんだ」
「…………」
「君、かついでるわけじゃあるまいね」
「そんな……」
「――驚いた」私は溜息ためいきをついた。と、その時、被官稲荷の方に眼をやったドサ貫が、
「――おや」
 私もそっちを見て、おやと眼を張って、
「あれは、サーちゃんじゃないかな」
「――そうだ。サーちゃんはマーちゃんと同じK劇場だから、あんた知ってるんですね」
 お坊さんの住いのへいに沿って山東庵京伝さんとうあんきょうでんの書案の碑とか中原耕張の筆塚とか並木五瓶ごへいの「月花のたはみこゝろや雪の竹」という句の刻んである碑とか、いろいろの石碑が一列に並んでいる。そのさきに粋筋の人たちがよく願をかける被官稲荷がある。その神燈の格子にサーちゃんがおみくじを結びつけているのだ。けばけばしい洋服の踊り子と古風なおみくじ。
「凶が出たんだな」
 ドサ貫はひとりごとのようにつぶやいて。「あの子は、――K劇場に瓶口ビングというのがいるでしょう。それとできているんだが……」
「ふんふん」(本来なら、へーえ? と言うところだ。)
「瓶口というのはいろいろと女がいるから……」
「ふんふん」(本来なら、ほう、とでも言うところだ。)
 サーちゃんがおみくじをひいたりするのは、瓶口との間がまずくなったせいかもしれないとドサ貫は言うのだったが、私はそんなことより小柳雅子が美佐子の妹だという初めて知らされたうそのような事実で頭はいっぱいだった。ふんふんというのも上の空であった。うそのような、――さよう、私は下手な小説書きだが、それでもこんなうそのような筋はとても書けない。しかるに現実は堂々と書いているのだ。小説家がバカバカしくてそらぞらしくてあさましくて書けないようなことを平然と展開してみせる現実の図太さ、そのヌケヌケとした現実の恐ろしさに、私の脆弱ぜいじゃくな小説家的な神経はむざんに叩きのめされた。そうだ。現実の不思議さにいわば打たれつづけている私ではあったが、この不思議さは、身近というのも愚かな身近さだけに私を打ちのめす力も大きかった。――私は、おそらくは現実に打たれつづけているせいもあろうが、私の心構えとしても、現実に対しては謙虚なつもりであった。小説で現実を裁断するというような、いわば現実を怒らせるような不遜ふそんなまねは努めてしないようにしてきている。だのに現実は私に対して、なんのうらみがあってそのような手ひどい打ちすえ方をするのだろう。私の受けた痛みは、単に小柳雅子が嶺美佐子の妹だというのに対する驚きだけではなかった!
 被官稲荷の前に行った時は、私たちに気づかぬサーちゃんは浅草神社の方へ急ぎ足で去っていて、私もドサ貫もあえて呼びとめようとはしなかった。社前には新門辰五郎が奉献したという、柱に新門と刻んである石の華表かひょうが立っていて、その内側に木でつくった小さな神燈がある。その井型の格子に結びつけられたおみくじが、ようやく迫った薄暮のなかにあざやかに白く光っていた。
[#改ページ]


第十二回 ふいなあれ


(浅草の踊り子たちはフィナーレをふいなあれと言う。)

 浅草を愛する会といったものをやろうという話が、私と朝野光男の間で交されたのは、小柳雅子がK劇場の慰問団に加わって支那シナへ行くまだ前だったから、思えば十月のことである。それがずるずるに延びて、話がやっと具体化したのは、年があらたまって一月も半ばを過ぎた頃であった。
 一月中旬のある朝、朝といっても昼近くだが、その頃はめったに泊らないアパートで寝ているところを、――そう言えば私は浅草へもあまり来なくなっていたが、朝野の来訪で起された。
 頭をあげると、頭がキリキリと痛んだ。「こりゃ宿酔ふつかよいだ。昨夜泡盛あわもりを、そうだ朝野君に教えてもらった泡盛屋で飲みすぎて……」
 日頃意気阻喪そそうしている私にしては珍しく友人と激論をして飲みすぎた。いや飲みすぎたために激論をしたのかもしれないが、アパートに泊ったのは飲みすぎのためである。
「宿酔は迎え酒をするといいですな」
 朝野は何かうれしそうに黒い歯をき出した。「迎え酒をせんと、いかんですな」――露骨にうれしそうなのは、私にうまく会えたのを喜んでくれているのか。それとも、迎え酒を共にしようというためか。
 誘われるままに、いつかドサ貫が出てきた合羽橋通りのどじょう屋の「飯田」へ行った。
なまずは精力がつくですよ」
と、しきりに朝野がすすめるので、私は別に反対すべき理由もないゆえ、その言葉に従うと、
「では、僕はくじらと行こう」
と、朝野は異をたてて、おいおいと女中を呼び、
ズー鍋一丁、カワ鍋一丁」
「はアい。ズー鍋一丁、カワ鍋一丁!」と女中が板場に言った。
「それからお銚子だ」
「はアい。それからお銚子一本」
 朝野の言葉と女中の言葉とは、女中がお銚子を一本と限定した、それが違うだけだった。
 客がいっぱい立て混んでいる店の内部は、土間と畳と半分ずつに分れていて、土間に腰掛けた客たちはほとんどすべてが味噌汁でめしを食っている。どじょう汁、鯨汁、しじみ汁、あおみ汁(野菜のこと)、豆腐汁、ねぎ汁、いずれも五銭で、めしが十銭、十五銭也でめしが食える。十五銭という安さに少しも卑下せずに食える、――楽しんで食っているその雰囲気、こうした浅草の空気は、私の心をなごやかにさせるのである。私は畳に上って、ズーとかカワとかいうようなややこしいものを食ったりしないで、土間の諸君にまじってどじょう汁を食いたかった。
 朝野はふところから五十枚ばかりの往復端書はがきを出した。謄写版とうしゃばんで刷った浅草の会の案内状である。第一回を、かねて話していた通りにK劇場の連中を呼んで行なうことになった。朝野がひとりで劇場の方とかけ合い、会場その他も取りきめてくれた。
「じゃ、これを出しますからね」
 端書は劇場の方でもってくれ、文芸部のガリ版で刷ってくれたのだそうだが、インキが濃すぎて、汚かった。そのどぎつさは、浅草の小屋のどぎつい芸風をちょっとしのばせる。
「なんにもしないで、どうもすみません」
 私は気が進まなかったのだ。ドサ貫から意外な話を聞かされて以来、私はK劇場から、そしてまた美佐子と会うかも知れない「惚太郎」からも遠のいていた。
 ちんまりと炭火を盛った小さな鍋下が先に来た。朝野はさっそくそれに手をかざして、
「おい、お銚子は」
「はい、ただいま」
 酒が来ると、さあさあと性急せっかちに私につぎ、つぎ終るや間髪を入れず、すでに左手に用意していた盃にカチリと銚子を当てる。チュウとすすって、
「今朝は不愉快なことがあって、早く起きちまったですよ。――酒でも飲まんことには……」
 銚子を下へ置かないのだ。見たところ寒天のようなものを盛った鯨鍋が運ばれた。
「朝、便所に立ったら郵便が来てて原稿が送り返されているんですな。いや毎度のことで慣れてはいるんだが、その原稿は自信があったんで、ちょっと参ったですな。寝床に戻ったが、もう眠られない。――おい、ズー、どうした」
「はい、ただいま」
「ユーモア小説なんですがね。こういう話なんで。名前はあえて秘するが、ある小屋の踊り子さんの家へ、ちょっと用事があって行ったんですよ。僕が、――寒い晩だった。実話なんですよ。行くと、生憎あいにくその子はまだ帰ってなくて、お婆さんがひとりで寝ている。おッ母さんかも知れないが要するに年寄りで、玄関からまる見えの煎餅せんべい蒲団から起き出してきて、すぐ帰るだろうから、さあどうぞ、お上り下さい、むさくるしいところですが、どうぞ、どうぞというわけ。実際むさくるしいひどく世話場の家で、上ると、――外は寒いでしょうね。いま熱いお茶を出しますから……。つまり大変な歓迎振り。どうぞおかまいなくと言ったが、婆さんはこれは煎餅蒲団などと違ってなかなか上等な茶器を揃えて、さて立ち上ったので、台所へ行って湯を沸かすのかと思うと、さにあらず、煎餅蒲団のなかに手を押し込むじゃないですか。おや、何をするのかと思うと、湯たんぽを取り出した。薄汚いボロで包んだ湯たんぽ。そいつを、よいしょと抱えて僕の前に坐った。あれあれと思っていると、ボロをめくって、湯たんぽの口を出し口金を外しにかかった。え? と眼を丸めた時は急須きゅうすの上に湯たんぽの口を当てがって、驚くじゃないですか、今の今まで婆さんが足を当てていた湯たんぽの湯を、どくどくッと……。いや全く魂消たまげたのなんのって。だが婆さんはケロリとしたもんで、湯たんぽの湯でお茶を出すと、へい、どうぞ。はあとは言ったが、心のなかではゲッといったですな。婆さんは自分の茶碗にもその気持の悪いお茶をついで、――めないうちにどうぞ。そう言うと、平然として自分の茶碗を取り上げて、コクリと呑んで、ああ、おいしい。――ああ、おいしいは僕の創作ですがね。どうです、この話は」
「ふうむ」
 ズー鍋が来た。生きたなまずを頭ごとさいの目にブッタ切ったその血だらけの肉片は、鍋のなかでまだピクピクと動いている。
「面白いけど、書きにくくてね、そのネタは」
 そう言いながら朝野は、火鉢の曳出ひきだしのような恰好の木箱を傾けて、そのなかのねぎを、鯨鍋のなかに思いきり流し込んだ。小さく刻んだ薬味の葱は鍋のなかで堆高うずたかく山を築いた。
「書きにくいでしょうな」
「それを、やっと書いたんです。さっきは自信があると言ったが、自信より苦心ですな。とても苦心しただけに突っ返されると、くやしくて……」
 鍋の鯰が突如、ひげをピクリとあげた。へえッと驚いた次の瞬間、ぐにゃりとなって、もう大分熱くなったはずのしたじのなかに沈んで行った。私は何か心穏やかでなかった。
「ちっともおもしろくない、ユーモア小説じゃないと言うんですよ。編集の奴に、その味はわからんのですな」
 朝野はもう銚子をからにしていた。

「僕が払うですよ、僕が」
 朝野はまるで喧嘩腰だった。そこを出て、国際通りに行くと、
「K劇場へちょっと行ってみるですかな」
 私は迎え酒ですっかり真赤になった顔を撫でつつ、
「白昼酔っ払って行くのは、どんなものですかね」
「かまわんじゃないですか」
「しかし……」
 向い側に渡って、漫才小屋のT館の方へ足を進めた。K劇場の楽屋口はその裏手にある。
「行ってみようじゃないですか」
「さあ……」
 ためらう私の眼に、向うから洋服に草履ぞうりばきでやってくる末弘春吉の姿が映った。末弘もすぐ私を見つけて、T館の前で足をとどめて、やあこれはといったうなずきを示した。
「やあ」と、私は口に出して言って、末弘の傍に行って、
「どうですか」
 そう言ってT館の看板に眼をやると「従軍漫才」江戸の助さん、格さん、「浪曲漫才」立花家小円、吉原家〆八、「和洋合奏漫才」浮世界銀猫、出羽三などと書いてあるなかに、小さく

ユーモラス  亀家ぽんたん
漫才     うさぎ家ひょうたん

とあるのが、私の酔眼にはそこだけ特に大きく映った。
「いやどうも、ひょうたんぼっくりこですわ」
 何の意味かわからないが、おそらく末弘自身もわからないのかもしれないが、そう言って後頭部に手をやってペチャンと叩いて笑ったので、私も同じように口を開けて声のない笑いを笑った。兎家ひょうたんというのは、他ならぬ末弘の芸名なのである。とうとう漫才の芸人になったのである。亀家ぽんたんが、一月三十円のみいりではとてもやりきれないので、場末の小屋で稼ごうと兄貴分の鶴家あんぽんに言うと、格が下るから駄目だと「兄貴」が承知しないで、困っているという話は前に書いたが、そんなことが原因してか、やがて二人は「夫婦別れ」をしてしまった。ちょうど、末弘が私の言葉で言えば「着々、漫才に転向中」のときで、そして相棒に選んだドサ貫が転向をがえんじないので弱っているときだったので、その末弘とぽんたんが新しいコンビをつくった。漫才では先輩のぽんたんが、としは下でも兎家ひょうたんこと末弘春吉の兄貴分になった。
「どうですか」
 私は改めて言った。「どうですか、舞台の方は」
「や、まあ、おかげさまで」
 末弘は、いや兎家ひょうたんは早くも漫才屋の仕事を身につけた感じの滑稽なみ手をして、
なッかなッかムツカシイあるですわ。そうそう、倉橋さん、こういうネタはどうですか。まあ聞いて下さい」
 軽く手を打って、
「飛行機をですな、一台献納しようと思って一生懸命貯金している。こう出るんですな。早く百円にならないかと一生懸命になっている。百円? と、ここで相棒が、――百円で飛行機を一台買えるつもりですか。買えないですか。冗談言っちゃいけません。そんなに高いものですか。そりゃ、あんた、飛行機一台買うには五百円くらいなけりゃ……」
「ハッハッハ」私が笑うと、
「おかしいでしょう?」彼は怒ったような顔で「おかしいわけなんだが、これがドッとこない。笑ってくんねえンで」
「ふうむ」
「五百円でほんとに飛行機が買えるとでも、思ってんのかもしれないが。――いやなかなか難しいですわ」
 泣き笑いのような顔をした。私は朝野の話と一脈相通ずるもののあるのを感じた。話で聞いたぶんにはおもしろいネタだが、客の前に出すとなると、何かつまらないのかもしれない。
 そこへ、朝野の話に出てくる婆さんというのはかくやと思われる、だがこれはそう婆さんというとし恰好でもない、だがしかし感じは婆さんのような女が、ちびた駒下駄を鳴らしてやってきて、末弘と挨拶をすると、あたふたとT館のなかに入った。
「あれは天中軒トコトンさんのおかみさんで……」
「ほう」
「ここの地方じかたをやっているんですよ」
「地方?」意味を聞いたのだが、
「ええ」とうなずいて「この間、なったばかしで……」
「トコトンさんは健在?」
「相変らずですわ」
「相変らず紙袋貼り……」
「それからチョコチョコ走り……」
 ――朝野はもとよく「惚太郎」に行っていたというから末弘を知っているはずだが、知らん顔をして通り過ぎて行き、末弘も知っているはずだが、私に朝野のことは何も言わなかった。
 結局K劇場へ行かないで、私たちはまっすぐ田原町の方へ行き、広小路に出た。東西に走っているその広小路通りは、公園寄りの南向きの片側にだけがさして片側は全然陽が当らない。そのさむざむとした何か昼なお小暗い感じさえする片方に、冬の寒さがみんな寄り集まったようで、日向ひなたの方は、幸い風もないので、日向ぼっこの猫みたいに背を丸めてうずくまって眼を細めたくなるような快さであった。私は太陽に飢えた植物を自分のうちに感じながら、シバシバと眼をまたたいて、ふと昨年の暮に吉原へ散歩の足をのばした時に眼にした情景を思い出した。眼にしみた情景である。それは昼前の、ちまた全体がほッと一息ついているような静かな時刻、江戸町か角町かの通りであったが、その通りがこの広小路と同じように、片側にだけ陽を受けていた。夜は人々のぞめきでみたされるその通りも、その時はしんと静まりかえっていた。夜の印象と対比されるせいか、異様に冴えた静けさで、その静けさのせいか、道の片側を照らしている陽の光も、清らかな、実にうららかな、そして恵み豊かな感じであった。
「朝野君、知ってるでしょう。お女郎さん相手の、くるわのなかだけ回っている雑貨屋。はたきとか、お茶碗とか、部屋に飾る人形とか、そんなものを車にいっぱい陳列して廓に売りにくる。……それがちょうど、通りにとまっていた。うららかな暖かい陽を浴びて……」
 私は朝野に語っていた。酔いが、頭に浮んだことをすぐ口に出させたのだ。そしてまた酔いのため幾分感傷的な語調である。
「見ると、お女郎さんがその車を囲んで何か買っているんですね。何を買うのかしらと、僕は近づいてみた。近づいて見ると、――まだ化粧をしてないので、夜見ると綺麗なお女郎さんたちも黄色くむくんだ顔をしている。あの顔の色は、実にいやな色ですね。日に当らないせいか、それとも、……。いや。そんなことはどうでもいい。お女郎さんたちは車を囲みながら、日向ぼっこをしているんですよ。高いわね、まけないなどと雑貨屋のおじさんに言ったりして、なかなか買わない。察するところ、雑貨屋が来たというので、それを口実にして陽に当るために外に出たようで……。でも、そのうち一人が安い楊枝ようじ入れを買った。それを囲んで、日向ぼっこをしているのが他に数人いるわけで、そのうちの一人が店の方を振りむいて、何か言った。何か買わねえずらといった田舎弁。で、僕は何気なく店の方に眼をやると、――店の上り口の、ちょうどそこまで陽がさしこんでいるギリギリのところの板の間に、お女郎さんたちが鏡台を持ち出して髪を結っている。髪を結いながらでも、陽に当ろうというわけなんですね。陽ッてそんなものかと、陽のありがたさを初めて知らされた感じだった。そして眼を外にむけると、店の前に盆栽が並べてあるじゃないですか。一日中、陽の当らない家ン中に押し込められている盆栽。それを陽にあててやっている。盆栽は、ほんのひとときの喜びながら、じっと陽の恵みを楽しんでるといった恰好だった。僕は、その盆栽にお女郎さんを感じた。同時に、同じことだが、お女郎さんに哀れな盆栽を感じたですね。――以来僕は盆栽というものが嫌いになった。盆栽の趣味を枯淡とかなんとか言うのはうそですね。むごたらしいもんじゃないですか」
「書けるですな。その風景は」
 私は、うんとうなずいて、
「吉原といえば、K劇場の瓶口黒須兵衛ビング・クロスビーは引手茶屋の息子だそうですね」
 朝野は、うんとうなずいて、私の顔をマジマジとみつめる。
「なんですか」
「いや」朝野はソッポを向いて「倉橋君は、K劇場へ行くのを、さっきいやがったが……。もともと行こうと言うと、いやだとは言っていたが……」これまではつぶやくように言って「――もとと今と、どうなんですか、同じ心境からなんですか。それとも……」
 これは酒臭い息を私に吹きかけながら言った。
「心境?」なんのことかわからない。
「今日いやだと言ったのと、もといやだと言ったのと同じ気持ですか」
 舌をもつらせて言ったが、その舌の縺れに腹を立てたのか、私の返事を待たず、ええ面倒臭い、言っちまえといった調子で、
「瓶口と小柳雅子の噂を、倉橋君は……?」
 言ってしまった以上、知っているのか? もないもんだ、はっきり言ってしまえ、そんな顔を朝野は私に近づけて、
「小柳雅子は瓶口にザギられたという噂ですな」
 私の知らない陰語ではあったが、意味はピンとくる。ビシリと私の心を打った。
ゴリガンで願っちゃったという話だが、――小柳雅子もひでえカマトトなんですな。洒蛙洒蛙しゃあしゃあとしているそうじゃないですか」
 ゴリガンというのは、……という意味の陰語である。これは私は聞き知っていた。
 ――いつか楽屋へ行った時、瓶口は私が小柳雅子に夢中なことを知っていて、「会は、小柳マーちゃんが帰ってからでしょうね」などと言ったものだが、その瓶口はその時分はもう小柳雅子をねらっていたのだ。
 ああ、私の小柳雅子よ。(人よ、私を笑ってくれ!)私の小柳雅子はついに私から失われてしまった。
 いや、待て、私は自分が雅子をザギ……こんないまわしい言葉は使いたくない。なんと言ったらいいか、――雅子をなんとかしようと思っていたのか。そんな気持ではなかったはずだ。すると、失うも失わないもないわけだ。――では、私の慕情というのは、どういうのだろう。
 私は、いつかこうした日のあることを知っていなかったろうか。可哀そうな私の慕情よ。
「会はまあ、しかしやろうじゃないですか、ね」
 朝野が言うのに、私はただうなずいていた。私は私のうちに秘められた可憐な小柳雅子の影像を、――そうして消えるのから守ろうとでもするようにじっとみつめていた。
 小柳雅子よ。
 だが、私のうちの小柳雅子は、さよういつか私が見た遠くの空の雁のように、見るみるすげなく遠ざかって行くのだった。消えうせて行くのだった。でも私のうちの慕情はおかしなことに、これだけは、あたかも鳥の去ったあとの巣のように、消えやらず、残っていた。
 ……………………

     *

 浅草の広小路は、吉原と同じように昼と夜とではまるで表情を異にするのである。夜になると、――昼間、のどかな陽が射していたその片側に、食いものの屋台がズラリと立ち並び、多くは暖かい食いものを売るその暖簾のなかには、どれもいっぱい人がつまり、顔は隠されるが下は丸見えのその足もとには、どこから現われるのか、眼を爛々らんらんと光らせた犬がうろうろしていて、まことに、なんというかさかんな光景を呈するのである。朝野と昼の広小路を歩いてから数日後、夜の広小路で私はドサ貫に会った。マスクをかけていて、顔ははっきりしなかったが、しかし私にはすぐドサ貫とわかった。私は牛めしを食いに行くところだったので、
「どう、一緒にカメチャボを食わない」
ドサ貫を誘ったのであった。
 小屋の連中がひいきにしている「田中屋」という牛めし屋の暖簾をくぐって、ドサ貫がマスクを取ったのを見て、私はこれはと驚いた。光線の加減かとも思ったが、それにしてもひどいやつれようで、まるで死人のような顔である。ドサ貫はその顔を隠すように、手を頬に当てて、(その手が女のみたいに白く細いためか、ちょっと女形のしなのようで、妙な色っぽさがあった。)
「ミーちゃんにお会いで?」
「――いや」
 間を置いて、
「マーちゃんにお会いですか」
「――いや」
 屋台にはジャンパーやもじり客がつまっていた。その忙しい最中さなかに、屋台のおやじは小皿に汁を取って味見をしている。幾分わざとらしい感じもするその手付に、私たちはなんとなく眼をやっていた。やがてドサ貫が、
但馬たじまさんが来るそうですよ」
「ほう」
 顔は鍋から立ち昇る熱気で蒸されながら、足は寒い風にさらされて、妙な工合である。
「あたしは代りに、郷里へ帰ろうかとおもってます」
「代りに?」
 ドサ貫は横を向いていやなせきをして、それには答えず、
「ミーちゃんは花屋敷に入りました」
「花屋敷?」
「花屋敷が今度復活するそうで。なんでも浅草楽天地あさくさらくてんちという名前になるとか。そこのショウに入ることになったんです」
「それはよかった」
「でもね、見世物小屋の踊り子ではね、どんなもんですかね。僕もミーちゃんから誘われたが、断わりました」
 へい、お待ちどおさまと、玉葱に肉がチラホラ混っている牛めしが前に置かれた。ドサ貫は箸を割ると、せっかちにシャキシャキと箸をこすり合わせ、どうやらひどく空腹だったらしい様子をあらわにしつつどんぶりを口の前に持って行ったが、急いだせいか、めしの湯気にむせて、苦しそうにせき込むのだった。やむなく手にした丼を置いて、咳をとめようと胸をこごませたが、どうしても咳がとまらない。するうち、箸も投げ出して、倒れるように暖簾から出て行った。
 外で咳をとめて、戻ってくるのだろうと思った私は、気にしながらも、ひとりで牛めしを食っていた。何分いやな咳なので、当人がいなくなったあとでも、暖簾のなかの客たちは気持悪そうな眼をジロジロとこっちに向け、その眼を私ひとりが引き受けねばならない。つらい居たたまらない気持のところへ、ドサ貫がなかなか戻ってこないので、私は「ちょっと」とおやじに言って、外に出てみた。ドサ貫は、車道の、そこは駐車場になっているので自動車が並んでいる、その自動車と屋台の間の暗い陰にじっとしゃがみこんでいた。もう咳はしていないが、切なそうに肩で息をしている。
「どうした」
 私の声にハッとしたように、ドサ貫は顔を挙げたが、例の女持ちみたいな人絹のマフラで口をおおっていて、それにそこは暗いので表情はわからなかった。
「大丈夫?」肩に手をかけようとした時、私はドサ貫の前のみぞに、血のようなものがべとりと吐き出されているのを見た。
「……!」
 私は、見てはならないものを見たような想いで、すぐ眼をそらせた。だからほんとうに血だったかどうか、それはたしかではないが、――私がドサ貫の肩に手をやろうとすると、ドサ貫はその手を避けようとするみたいに、よろよろと立ち上った。そのため、溝に再び眼をやれなかったところもある。ドサ貫は立ち上ると、マフラの下から、
「失礼します」
と言った。聞きとれないくらいのくぐもり声だったが、今度ははっきり、
「では、倉橋さん、お達者で……」
 そう言うと、するりと自動車の間を縫って去って行こうとする。まるで影のようなその後ろ姿に、
「待ちたまえ。一緒に行こう。勘定をちょっと払ってくるから」
 私は呼びとめておいて、屋台に走り、大急ぎで金を払って戻ってみたが、――すでにドサ貫の姿はどこにも見えなかった。はだを刺すような空っ風が不体裁な重しをさげた屋台の暖簾をハタハタと鳴らしていた。
 ――私はかつてドサ貫と美佐子の間を邪恋と言った。ドサ貫はたしかに惚れていたらしい。だが美佐子の方は何か弱々しいドサ貫をかばうような、姉のような気持だったらしい。……

     *

 浅草の会は、国際通りの「三州屋」が会場であった。
 その日はK劇場の初日に当っていて、初日は稽古がないから、ショウの連中は舞台がすむと普通の日と違ってあとは遊べる。それで会にも出られるというので、その日が特に選ばれたのだ。
 私はその日の前ずっと浅草に行かず、その日も定刻に大森の家から出かけて行くと、朝野が、「三州屋」の前に立っていて、私を見かけるとパッと駆けて来て、
「倉橋君、大変だ」
 今や遅しと私を待っていたらしく、いきなりみつくように言った。
「滅茶苦茶だよ、倉橋君」大分酒が入っているらしい様子だ。
「どうしたんですか」私が後退あとずさりしながら言うと、
「どうしたも、こうしたも、――困るなア、こういう時にはちゃんと浅草にいてくれなくちゃ」
「どうもすみません。仕事をしてたもんで」
「仕事を? 仕事はアパートでするんじゃないんですか。アパートは仕事場に借りたんじゃないんですか。何か他の目的で借りたんですか」
 ガミガミ言うのに私はむっとして、何も言わなかった。風の工合からか、道をへだてた真向うのT館から、賑やかなおはやしの音がかすかながら流れてくる。賑やかな、――でも何か佗しい音であった。末弘春吉はどうしているだろう。兎家ひょうたんなどという奇妙な名前の漫才芸人になったはいいが、お客を笑わせようとして、笑わすことができないで、自分ひとりでヒェッヘッヘッと笑っているのではないか。
「ねえ、どうしたもんですかね」
と、朝野は急にしょげた声で言った。「K劇場の主だった連中が、京都のS興行にごそりと引ッこ抜かれて、――K劇場では会どころの騒ぎじゃないんで」
「えッ?」と、私もたちまちあわてた。
 朝野は私のあわてたさまを見て、元気を取り戻して、
「誰もいやしないんだ。みんな、京都にすッ飛んじまって。誰もいないんじゃ、こっちも会なぞできやしない」
「誰もいない?」
「残っているのは雑魚ざこばかり。今夜の会に出て貰おうと思った連中は、『愉快な四人』にしろ何んにしろみんないやしない。それがまた一日違いなんだから、全くはらが立つ話じゃないですか。昨日の晩まで、ちゃんといたくせに、――今日が初日だもんで、ドロンにもってこいだったんですな。昨夜舞台をあげると、こっそり抜け出して、そのまま夜行に乗り込んじまったらしいんで」
「ふーん」私はただうなっていた。
「つい先刻さっき瓶口ビングから、駅で書いたらしいびの端書が来たけど、そんなもの貰ったってしょうがない」
「瓶口……」
「小柳雅子ももちろん一緒に京都へ行っちまったですよ」
 吐き出すように言う。
「サーちゃんは?」
「サーちゃんは残った」
「ふうん」
 私たちはともかく、「三州屋」の二階に上った。低い小さなテーブルがずらりと並んだ部屋の隅に、私の親しい文筆の友人が二人ぼそッと坐っているきりだった。
「どうしたもんかね。K劇場からは誰も来ないんですかね」
 私は救いを求めるような声で朝野に言うと、
「誰も来んですよ。そんなどころじゃないと、さっき宣伝部の奴に剣突けんつくを食わされちゃった。K劇場じゃ上へ下への大騒ぎで」
 冷たく突っ放すように言う。
「どうしよう」
 発起人は私と朝野、それに私の友人のTの名を借りて三人の名前になっていた。案内状を送った人たちがみんな集まってきたら、どうあやまったものか、――名前を借りたTにもすまないしと、私は寿命が縮まる想いだった。階段の足音を耳にするたびに、さらでだに痩せている身体が一しお痩せて行くようだった。
 定刻をすでに一時間近く過ぎていた。だが来会者はまだ数人だった。これでもうおしまいであってくれと、私は心の中で手を合わせながら、
「わけを言って、はじめようじゃないですか」
と、朝野に言った。早く酒を呑みたかった。素面しらふではたまらない。
「もう来ないですよ」来てくれるなという願いをこめて言った。
「これじゃ、しかし困るな」
と、朝野は骨張った肩をすくめた。
「三州屋には三十人前後と言ってあるんだが。もう来ないですかな。――倉橋君は案外顔がきかんのですな」
「……?」
「倉橋君の顔でぞくぞく集まってくるかと思っていた」
 朝野も私同様、来会者の少ないのにほっとしているはずなのに、こんなことを言う。いやほっとしたので、憎まれ口を叩く元気も出たのだろう。私も、――私の意気消沈も、朝野のこの一撃でついに底をついた感じで、逆に不思議な元気が出てきた。その場かぎりの元気ではない。この半年ばかりずっと私が落ち込んでいた低迷状態からようやく浮き上ることができそうな、そんなありがたい頼もしいしんの感じられる元気であった。
「こんなざまじゃ、K劇場の連中が大挙して来た場合、それはそれでまた恥をかくところでしたな」
 この朝野の言葉はもっともだった。
「では、はじめますかな」
 朝野は女中に言うため立ちかけて、
「――実は今日、合羽橋通りで但馬に会ったですよ。もしかすると、あいつ、この会に来やしないかと思ったが……」
「ほう、但馬滋がね」
「彼のかみさんが、彼を東京へ呼び寄せたらしい」
「呼び寄せた?」
「但馬がそう言っていた」
 朝野は私の顔をマジマジとみつめて、
「但馬に救いを求めたらしいですな。僕はちっとも知らなかったが、倉橋君は彼のかみさんにも触手をばしていたんだそうですな」
 にもに力を入れて、
「姉妹二人に同時に触手を延ばすとは、いや達者なもんですな」
「朝野君」
「言葉が過ぎたですかな。――嶺美佐子は、しかし倉橋君に、――嶺美佐子の方からどうやら惚れたらしいですね」
「……………」
「それで自分でこわくなって、但馬をあわてて呼んだらしい」
「但馬君がそんなことを君に……」
「そうとは言わないが」
「でもそんなようなことを……?」
 せき込んで言う私に、朝野はニヤニヤとして、
「いや、僕の創作ですよ。僕だって小説を書いたことがあるんで、――但馬が、呼ばれて上京したという話を聞いて、まあ、創作的想像をしたんだが」
 唇をベロリとなめて、
「でも、倉橋君はお酉さまの晩に吉原でもって、嶺美佐子と大分シンネコだったというじゃないですか」
「……」
 ――美佐子が吉原で、私にちょっと話があると言った、その話というのは、朝野の言葉を借りれば、妹の小柳雅子に触手を延ばすなと私をきめつけようとしたのだ。そのための「シンネコ」的風景だったのだ。妹の雅子に私が夢中だということを知らない前、すでに、市川玲子にからむ妙な因縁から私の(美佐子の言葉を借りれば)「猟奇趣味」をきめつけた美佐子である。その「猟奇趣味」が妹の雅子に向けられていると知って美佐子は妹を守るため、私をきめつけようとしたのだろう、ドサ貫をけしかけたのも、妹を守ろうがためであろう、そう私は解していたが……。そしてそれは事実であったのだが。
 ではなぜ美佐子はお酉さまの晩に、自分から私に言おうとしなかったのだろう、それが私にはわからなかった。(美佐子が私に惚れていたためだろうか。)朝野の言葉を耳にして、美佐子のことを朝野が自分の創作だと言うだけにかえって創作的うそでなくて事実のように感じられて、ふとそう思うのだったが、
(――まさか)
 私は激しく否定した。美佐子が私に惚れたなどとは、――考えられなかった、というより、考えたくなかった。その時、
「――ちわ
と言って、思いがけない大屋五郎がひょっこり入って来た。
「やあ、倉さん」頓狂とんきょうな声を挙げたとおもうと、彼に顔を向けた朝野に、いきなり、
「パッ!」例の手つきである。朝野はびっくりして飛びのいた。
「一丁上り!」そう言うと、パッと開いた左手を機械人形のように下にギクリとひるがえし、その上に右手をやって団子をこねるようなまねをして、
「――イケませんね」
 部屋のものはどッと笑った。それまでは、お通夜のような重苦しい空気が部屋によどんでいたのだが、彼の出現でそんな空気はたちまち一掃された。
「ゴロちゃん!」
「ゴロちゃんと呼べば、倉さんと答える」
 ゴロちゃんはとっくりズボンの足をからませるような歩き方で私の側へ来て「――倉さんに会いたくてねエ」
「ありがとう」
「今日、ここで会があると聞いて、ここへ来ればおたくに会えると思って……」
 気違いじみたゴロちゃんだが、そんなことを言うところは気がたしかな感じだ。だがすぐ妙な声で、
「お酒頂……」これは鮎子の口調だ。ゴロちゃんもそれで思いついたのか、
「上海へ飛び、鮎ちゃんは。――驚き」
「また上海へ行った?」
「全くの驚き。チクオンキ」
 そんなゴロちゃんを朝野は敷居に立ったまま苦り切った顔で見おろしていた。
 折から愛国行進曲を奏するラッパの音が聞えてきた。あまり上手でない、それだけかえって厳粛感を与える、その聞きなれたラッパの音は、応召者を先頭に立てて町内の人たちが神社へ参拝に行く、その行列の姿を髣髴ほうふつとさせるのである。例の玉乗りのおやじさんも、その行列に加わっていることだろう。
 やがて私は、この奇妙な会の開始を告げるべく、ひょろひょろと立ち上った。





底本:「如何なる星の下に」講談社文芸文庫、講談社
   2011(平成23)年10月7日第1刷発行
底本の親本:「日本の文学 57 高見順」中央公論社
   1965(昭和40)年5月5日発行
初出:「文藝」
   1939(昭和14)年1月号〜1940(昭和15)年3月号
※「第二回 風流お好み焼」の章末「次のページに掲げられた挿絵のような風景」に対応する挿絵は、画家の三雲 祥之助の著作権により割愛しました。
入力:kompass
校正:酒井裕二
2016年7月26日作成
2017年2月8日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード