近頃の流行に
幽霊には足が無い、と、かかる邪説は一顧の値打もありはしない。だが、幽霊が地上に足跡をつけて行くこと、これは絶対にあり得ない。それならばマテリアリゼーション(物質化)しなければならないし、マテリアリゼーションなぞと言う現象は精神の確かな者の全く信じないところだ。ロッジだのドイルだの、理性の遊戯にふけった連中までが、たった一つのトリック――幽霊の残して行ったパラフィンの手袋、こんな見え透いた手品で霊の物質化を言い出したりして、とんでもないこと、自分の頭脳を信じる誰にもこんな噴飯はないではないか。
この明確な根拠から、女は幽霊ではなく、喬子は天狗に
喬子と同じ宿で一夏すごした土地がどこだったか――白樺で炭を焼いていたところ――林には
交通は不便なり、面白い物があるではなく、食事は三度味噌汁で、夜は石油ランプに影が暗い。こんな宿を選んで来るのは、某々大学教授の家族づれか、十一度
喬子は別館の六号にただ独り喪服らしきものを着て鎮まりかえっては、朝夕の散歩に寄りつきにくいほどの素振で人目をひこうと、どうやら次の相手を物色していたらしい。それを、宿の愚夫愚婦はともかく、同宿のインテリ患者たちまでがちょっとポーズを作って見送りながら「思い出の土地で悲しみに浸っているのでしょう」と。
滑稽で聞いてはいられない。黒のデシンを裾長に着流したのは
「お美しい」と宿の娘はいう。当然ではないか。女が己れを売ろうとするとき美しくなかったら世の中に蝶々蜻蛉は飛ばないのだ。
蕎麦が悪かった。それで腹痛がおこってしまった。この宿では週に一度乾蕎麦をもどして馳走する。三度三度が味噌汁の外は海苔か野菜の煮附で、卵や干物がつけば上の部なのだから、お代り自由の蕎麦の振舞いを一つ自慢に、この時だけは客を広間に集めて恭々しく一杯
蕎麦その物は何等非難さるべき理由はない。古来修験道の者が携帯食料として蕎麦粉一味を選定してきた実験上の事実からも、分析表による蛋白質の含有量比を検べても、他の穀類の遠く及ばない特質に恵まれている。ただ、これが冷えの性の物だとの俗説は一概に否定さるべきではなく、時あたかも腹巻を洗濯したばかりだとの条件も充分考慮の内に入れておくべきだった。それが、内気な素直な性質からつい盛って出された物は平げる必要があると一皿余計にやってしまったのだ。
子供の頃に祖母がよく「残すとおそばが泣くよ」と諭した記憶が潜在力を張ってもいたのだろう。残された蕎麦は泣くが
その夜の明け方、苦痛に目覚め、雨戸の隙から陽の射し入る廊下を
「まあ! 失礼な!」
この喬子の発声に対して充分慎重な吟味が加えられなければならない。
順序としてノックしなかったことから弁明すれば、(一)悠然と落着き払ってその場に臨んだのではない。事は至急を要したのだ。(二)かかる早朝に先人があるだろうかと疑う者があればそれこそ異常過敏症と診断されるべきである。(三)戸外に
さらに、喬子の側に就いて言えば、(一)内側の掛金が毀れている右室を選ばず、左に這入っていたならば厳重な戸締の下に安全だった。(二)掛金が破損していたのなら、戸の
結果として、ちらりと目に入ったのはレース飾までついた純白のブルーマースを
突然の出来事だった点は双方同じことだし、喬子が自ら任ずる如き教養人であったなら、「まあ!」程度の発声に止めたなら、当方としても「失礼!」と軽く謝意を表して後に貸借の感情は残らなかったろう。
室に帰っても、胸の揺ぎをどう取り鎮め様もなく、永い手間暇をかけてようやく心理を分析してみた。そして事の原因は、相手の腹の中に身勝手な一方的判断が
で、喬子のきまった散歩時間を待ちうけて「蕎麦が悪かったのです……」以下理路を辿って早口に説明にかかった。早口を用いたのは相手の時間に敬意を表したからである。
「あの、わたくし存じませんわ」
喬子は一言を後に、さわさわと行ってしまった。女の軽はずみな、存じませんからこそ教えようとする好意さえすりぬけて、それは甚だ無智に近く、
事ここに至っては、ゆがみは更にひずみを加えて、きらきらと散乱する光は物の形にとりまとめようもなく、最後の唯一の手段として手紙を書いた。文字に記されたことで秩序は一層正しくなり、さらに蕎麦から大腸の蠕動に至る間に附け加えて深夜に及ぶ著作中絶えず塩豆を口に入れた件を書き添えたのは、事実とは相違があっても、嘘とまで言えない修辞上の苦心だった。論理に誤りないのを確めるのに時間がかかって、喬子の午後の散歩に間に合せることができず、夜の入浴時間に廊下で手渡すことにした。
「あの、わたくし、ご紹介も頂かない方のお手紙は拝見しないことにしておりますの」
喬子は手も触れず、然も風呂まで中止して自室に帰ってしまった。常の如くさわさわと。――残された者の恰好のつかなさは、たとえ板敷は古く、吊されたランプは暗くとも思いや如何。心顔措く無し。
三日間部屋に籠って思索に費した。今にして考えれば三分以上を必要としない簡単な計算に三日も要したとは、これを仏陀の智慧を借りて言えば、真如の月影が映るのには
X=
Y=正誤を証明するためには、喬子がそれを示したことを恥辱と感じ、かく感じることに依って当方を侮辱しつつあるその形態は公衆の批判を受けねばならない。
さて、そう
思索の順を追ってみよう。先ず、Xに就いては百千もの方法があろうけれど、Yの条件に適合する手段を考え、それが同時にXをも満足させるものを選ぶべきだと考えた。
第一の着想は、喬子の朝の散歩道に沿って巨大な竹藪があることから、その
第二の着想は、その竹藪の先の曲り角が滝壺に臨んでいることから、滝の水力を使って崖から差し出ている白樺の枝に逆さ吊りする案であったが、これまたやや展望を得ている以上では第一想と大同小異であるし、いさぎよく捨ててしまった。
第三の着想は、夕刻の散歩路である水無沼であった。この粘土質の沼の中央に喬子を頭から突込むことができれば、即死は勿論のこと下肢の観覧にも
ここでちょっと宿を中心とする三つの散歩道について述べておこう。表玄関に相当する土間を出て右の方、少しばかりの畑をよこぎってだらだら坂を登り、渓川沿いの登山路を見下すかたちに白樺の林に入れば平坦な径が滝の上に、そこを曲ったあたりから自然の小公園といった趣きのある笹原になって、ベンチも二つ三つしつらえられ、遙か麓に平原はひらけ、晴れた日は北アルプスの連峰がくっきりと、これは閑雅な散歩道である。
次は、宿の裏手の崖上に天狗の
第三の路は、前庭の左外れに架かった板橋を渡って渓川に従いながら進めば
水無沼と名をきけば赤土のひび破れてかさかさな、さもなくともとろりと鈍く光った泥沼を思わせるし、事実一皮下はどろどろの濃厚な一足踏込んだら抜き差しならぬねば土の正体に変りはないが、見た目の爽けさ、烈日の色耀かしい五百坪ほどの緑楕円盤なのだ。その緑青と白緑をこきまぜたと見えるのは総て
思うに無数の赤蜻蛉の精霊に守られるなら、さぞや喬子の誇にもふさわしかろうと――この赤蜻蛉が赤鼻の天狗を連想させ、天狗が天狗飛切の術を着想させた。
もともと天狗とこの温泉場とは深い縁があって、昔々の大天狗とやらがこのあたりの山々を馳せ
かくて想案が成っては、後は細部にわたって手順よく整頓しながら、二、三の力学的実験を試みる番になった。
飛切の術を行わせるエネルギーは第一想で得た竹の弾力を用いればよく、強力なものを選んで左右数本ずつに綱を渡して一つに
先ず第一に喬子の体重が正確に得られなければ計算の基準がなりたたない。その体重秤は男子浴室に一台備えてあるばかりとて、ここに喬子を誘って量ることは何としても妙策が浮かばず、よんどころなく、喬子の日々の行動を思い返してみることにした。
六時起床。直ちに入浴。七時朝食。七時半朝の散歩に白樺の径を通り笹原のベンチに行くらしく(この間の行動は視察不能)同じ径を戻って八時四十分頃宿に戻る。多くの場合花草を摘み取ってきて、大部分を玄関の花瓶に、一部を自室に持ち帰る。十一時五十分頃昼食の膳が持ちこまれ(自室内の行動は視察不能)午後四時を打つのを合図のように、庭を通って水無沼へ、山毛欅林を一周して五時帰宿。……以上の規律正しい日課のうちから体重を量り得る機会をと、繰返し思案の結果、庭のはずれの板橋を渡る点に着目した。この六尺ほどの板が喬子の重みで
次いで竹林中でも特に巨大な数本を滑車の理によって弾力を験した結果は必要な牽引力(渓流の上空に於て沼面より三十Mに達し得る
さて、沼の方は中央に近づく術はなく、周辺での実験では、いかに強い力で投込まれた物体も五十
尚、重心が中央に近い物体は放擲された瞬間の切線の方向にその儘の姿勢で落ちるのが普通で、頭から先に落すためには、弾丸のように廻転を与えるか、矢のように羽根を附けておかねばならない。併し喬子の長い洋服の裾は充分この矢羽根の役を果してくれるだろう。
整備は完了してその日となった。
早朝起床。女湯に人影のないのを見定めて独り男湯に沈んで時の来るのを待った。宵っ張りを文化人の資格と考える客どもは七時より早く浴室に現れることはなく、喬子の見栄はことさらこの人気のない時刻を選んで裸身となるのだ。
六時十五分。廊下を渡って来る静かな足音。ついで、磨硝子の朝日影に喬子のシルエット。やがて、脱衣して湯舟に近づく気配。こちらはボチャボチャ水音をたてる。常にない男湯の音は喬子の注意をひく。自然と話声に聞耳を立てる。一人二役を演じる時だ。腹話術――だが、唇をどう動かそうと、百面相をしたってかまわない、二人いるように聞えさえすればいい簡単な芸当なのだ。数日の練習で自信を得ていた。
「君。黒百合を見たことがあるかい?」
「さあ。話には聞いてるが」
「この近くに咲いてるんだよ」
「嘘だい」
「その匂いの素晴しいこと。夢の香りだね。きのうの匂いがまだ鼻に残ってる」
「本当か? え? どこにさ?」
「後で行って採ってこようよ。誰かに見つかりでもしたら大変だ」
「うん。でも、危険な処じゃないのか?」
「安全至極な場所さ。そら、白樺の散歩道ね。あれをずっと行くと滝の上に出るだろう。その手前の左側に竹藪がある。そこに野バラが白く咲いてるよ。その横から這入れるだけの隙間があって、ぐっと廻って行くと、正面に赤い岩がある。岩の上にたった一輪。見事な奴だよ。地上の物とは思えないね」
「ふーん」
ここでザーザー湯を流し、二人前の音をたてて、さっさと上ってしまう。部屋に帰るとまた寝床にもぐりこんで悠々と一服吹かした。
七時。窓を細目に明けて監視を始める。五分、十分、喬子の姿が玄関を出て白樺の径へ進んで行く。定刻より二十分早い。歩き方も目的のある人の足取りで、はや林の蔭に消えてゆく。
精密な計算のもとに規定された行動は時計を見ているだけでわかるのだ。喬子はずんずん進んで行くだろう。竹藪にかかる。白い野バラは一個処よりない。その手前の茨はわきによせて蔓で結んである。隙間道は唯一筋、半円形に導いて行く。笹と下草で足跡はつかない。丁度谷を背にした形になった処で正面に赤岩が現れる。岩の上に一本の黒百合、と見えるのが、煤をテレピン油で溶いて塗り、リンシードで艶出しまでした傑作だ。喬子は草花を愛し黒の諧調を好む。黒百合の誘惑は絶対だ!
岩の左右には茨がある。岩に
七時三十二分。竹藪が音無く一揺れ。サーッと一条の、ああ、鮮かにも確かな抛物線! 谷を渡り山毛欅林の蔭へ、刹那に消え行く黒い虹の懸橋!
竹藪は元のしじまに返っても、その下では自動作業が行われている。一々の綱の先には鉄棒が結ばれて、鉄棒は竹に穿った孔から上へ挿込んである。竹が曲げられ綱が引かれている間は抜けないが、竹が姿勢を回復した時は鉄棒自身の重みで自然落下する。落ちた鉄棒・綱・百合の仕掛の総ては別の縄で滝の上に導かれて、その先には崖の中途に吊された石がある。石の重力はその一切を滝壺の底に沈めてしまう。
完了した。結果を見届けるのを急いではいけない。手に採って鏡を見る。朝起にふさわしい腫れぼったい
「君。君。もう起きんですか。ゆうべの負け将棋が
八時四十七分。大学教授の娘が弟と競争で駈け戻って来て、
「大変よ! 大変よ!」
食事のやっと済んだ連中が二、三人出てきて話を聞いている。教授夫妻も加わったが、大人達には何のことやら理解が行かないらしく、子供の興奮した声ばかりが二階に通ってくる。将棋の手を休めて、
「どうしたんだろう? みんなぞろぞろ沼の方へ行くぜ。何かあったらしい、行って見ましょうよ」
緑の
やがて人々は空を仰ぐ。見渡す限り山毛欅の林に囲まれた澄みきった初秋の空――そこに、口に出すのは恥じて言わずとも、天狗の影が、サッと羽ばたく幻が、誰にも見えたに相違ない。天狗でなくて何者が、かかる魔術を行えるだろう?
大学教授がまず動いた。沼を周って、考え深げに、谷とは反対側に歩いて行く。地面を調べ、蘚沼を覗き、振返って山毛欅の梢を注意している。笑止なり! 個の
喬子は四十五度で発射され、角度六十で沼に刺さった。だが、頭部を没入した後に残った腰から下肢は遠心力で反対側にぐっと押しやられ、さらに膝の曲りも加わって、来たとは逆の方角から跳んだとより観られないのだ。否、否。教授を誤らしているものは彼の凡庸なる常識である。――人は正面から顔を下向けにして跳ぶものだ――と。かくて予定通り、まるで逆の地点を
総ては全き合理性に従って終始一貫した。その日のうちに竹藪の茨は蔓を解かれて元のように隙間を塞ぎ、赤岩に残された金印伝皮の詩集は、取り去られて記念の水無沼に沈められた。詩集の表題は「堕天使」とあった。